上高地開山式
アルプホルン
穂高神社の神事
お祓い
祭囃子
獅子舞
開山式が行われる前の河童橋には長蛇の列が出来ていましたが、その先にあったのが貼付したトートバックで、中には上高地の一合枡とピンバッチに、上高地限定のクッキーや日本酒など、4千円相当の品々が入っておりすぐに売り切れてしまったようです。
幸いにも我家は2人の家族が並んでおり、貴重な上高地グッズを見ることができました。
平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。
上高地開山式
アルプホルン
穂高神社の神事
お祓い
祭囃子
獅子舞
開山式が行われる前の河童橋には長蛇の列が出来ていましたが、その先にあったのが貼付したトートバックで、中には上高地の一合枡とピンバッチに、上高地限定のクッキーや日本酒など、4千円相当の品々が入っておりすぐに売り切れてしまったようです。
幸いにも我家は2人の家族が並んでおり、貴重な上高地グッズを見ることができました。
我家のヒマワリ
明神館前の道標
明神岳
明神館のメニュー
明神館
岩魚
ソフトクリーム
明神橋
明神岳
梓川と明神橋
奥穂高神社
嘉門次小屋
最近のクマ目撃情報
小梨平キャンプ場へ
水の美しい梓川 河童橋と穂高連邦
小梨平を流れる中川
明神館近くの水
一年を通じて約6度の水温
そして、上高地の帝国ホテルや各施設の飲料水は清水川の水が利用されており、六百山から湧き出してわずか300メートルで梓川と合流するため、清水橋で飲む水は安全と言われており、私も過去から現在まで何度も口にしてきました。
「清水川の水は安全ですね」
「飲んではいけないよ」
「えっ、飲んでも大丈夫でしょ?」
「良いとは思うけど、もっと綺麗な水があるよ」
これは日曜日にボランティアの先輩との会話です。
現在地は河童橋の近く
新宿行きの高速バス 停留所
奈良井大橋
ダイナミックです
大橋東側
奈良井川 上流木曽方面
先月上高地の帰り道に訪れた奈良井宿ですが、昨日は展示保存されているSLを国道19号線から道の駅奈良井木曽の大橋から奈良井川を渡って訪れました。
観光地である奈良井宿は中仙道を行き来した江戸時代までタイムスリップしたような感覚に浸れる宿場ですが、 その裏側でごく普通に生活する 地元の人たちの生活を垣間見ることもできました。
奈良井宿に展示 保存されている 蒸気機関車の横を走るJR中央本線を、長野行きのワイドビューしなのや、中津川行き普通列車が音を立てて走っていくことにも時代を感じさせられます。
個人的には 奈良井宿と薮原の宿場をつなぐ 鳥居峠へ行きたいものの、車の通行が禁止されており歩いて行くことはできても時間の余裕がない 生活が残念です。
28日(日)午前6時30分
車載の食料と調味料など一式
朝はヨーグルトにバナナと調理パン
夕食前の赤ワインも積んできました
グレンパークさわんど
午前7時13分
大正池
バスターミナルへ
29日(月)午前10時のFacebook
しかし、通行止めが解除となった直後に、今度は雨量が多く午後4時30分から再び通行止めが決まり、バスやタクシーも4時からは運休となりました。
午後1時18分のFacebook
そんな散々な天候となった月曜日でしたが、翌日の本日早朝には快晴の上高地の写真が発信されてきました。
本日(30日)朝のFacebook
ただし、午後には昨日の降雨により焼岳小屋近くの登山道が土砂崩れによって通行ができないことと、復旧の見通しが立っていないと発信されてきました。ネット社会になっても上高地の電波状況は悪く、時間に遅れると上高地から出ることもできず、土砂崩れの現場より上にいる登山客は上高地へ戻ってくることもできません。
環境省のボランティアMさんと
ビジターセンター前で一服です
今年の渡辺画伯は4月22日に千葉県旭市の自宅から上高地へ入っていました。
4月30日(日)
ここだけは 時間が停まっています
イギリスの親子と
学生時代に英語をまったく勉強しなかったため、外国人には声も掛けられませんが、画伯は日本人でも判らない千葉なまりが強いものの、外国人観光客とも気軽に(勝手に)話しかけられる神経と言葉が通じなくても相手が喜んている現実は見習いたいものです(笑)
5月3日(水)
はい、チーズ
4日 オートレスト木曽路 塩尻市
明神館前から見える明神岳
3年前から新型コロナウイルス感染拡大によって中止されていた上高地開山式が今年は例年通りに開催されることになり、ぜひとも一緒に連れて行って欲しいとの連絡をいただきましたが、翌日が日赤の通院日となっているばかりか、当日にも早々の予定が入っており残念ながら行くことができません。
2019年4月27日の一言
この日は雪の開山式となり、午後には吹雪の上高地となりました。
国宝松本城
松本市役所大手事務所
環境省上高地パークボランティアの勉強会
新聞販売店 信毎松本専売所
1922年創業の小松パン店
松本市で100年続く老舗のパン屋さんです。ボランティアの先輩女性から、「美味しいから食べてみて」と差し出された「アンパン」の味に魅了され、案内していただいたパン屋さんですが、目的としたアンパンは売切れており、自宅へのお土産に各種の手作りパンを買ってきました。
松本市で絶対に行くべきパン屋さんの中に入っており、ガイドブックには「小松パンと言えば牛乳パン」と紹介されており、地元民が口をそろえて牛乳パンを挙げるというパン屋さんの老舗ですが、店頭に目立った看板もなく案内がないと探すのが大変です。
星3つの名店です。
現在は魅力あるナワテ通りも、終戦直後は大陸から引き揚げてきた人や、都会から疎開していた人たちがテントを立て、闇市や祭礼に屋台を出すテキヤと言われる人たちが商いを始めたそうですが、汚水で汚れた女鳥羽川の清掃をすすめてテントからプレハブの店舗に変わっていったようです。
シンボルとなっているカエルについても、清流にしか生息しないカジカが再び生息されることを目標として、昭和47年に「カエル大明神」をお祭して、毎年1月2日と6月に開催される「松本かえる祭り」には神主による神事も行われています。
汚れたとは言っても、元々が美しい川であったことと、ボランティアの人々による清掃によって最近はカジカが戻ってきたとの話も聞きましたが、今では市町村合併によって松本市になった上高地のボランティアと共通するものも感じさせられます。
私の住む愛知県では、テレビ放送が東海3県を対象としているため、木曽路や松本市のある信州についてはあまり放送されませんが、木曽路から松本市には魅力ある自然環境と景観が多く、松本周辺の安曇野には愛知県より古い真言密教の古刹も多く存在します。
次の松本行きは3月に開催される上高地PVの定例会となりますが、私の大好きな上高地と併せて松本市や安曇野市なども廻ってみたいと思います。
本日午前6時46分の御嶽山
道の駅日義木曽駒高原 午前5時43分
今日のスタート
道の駅三岳 6時28分
完全なる道路の凍結です
どんどん進みますが…
黒い部分はツルツルの完全凍結です
午前6時51分 ここから引き返します
7時09分 ふもとの御岳神社まで戻ってきました
御嶽神社 社務所
太陽の丘公園 7時40分
途中で山頂が頭を出しました
日の出滝前 日の出旅館 8時05分
よく頑張りました
霧に包まれた霊神場
帰路
上高地ビジターセンターで販売されている竹フエ
河童のタケリナと言います
竹フエの解説書
音を変える空気穴
私が上高地で初めて作った竹フエ(鳩笛)
早朝 ↓
↓
21年11月25日 一年前の一言です
閉山式が終わったといっても、釜トンネルの入り口までバスは走っており、釜トンネルを歩いて行けば上高地へ入ることは可能で、ライブカメラにも河童橋を通過する登山者や仕事で入ってくる車の姿が眺められます。
昨日のライブカメラ 人が居ます
さて、体調不良もあって身体を休めていると余計に身体が重くなり、不調であっても外出する目的を作らないと身体が鈍ってしまうことが自分でも実感させられます。
もっとも、有償とは言え低額のボランティアしか仕事が無い年金受給者ゆえに、外出すればするだけ出費が増えるため、動いたら動いただけ年金が減っていくことになってしまいます。
セカンドライフは上高地と四国遍路としているため、しばらく上高地は行かないものの、体調維持と健康のためとは言えお金のかからない外出も考えてみたいと思います。
田代湿原
昨日の写真ですが、上高地の定例会に参加する前の早朝に、新島々駅から波田駅まで松本電鉄の列車に乗って波田地区の文化祭に行ってきました。
昨日にも記しましたが、その中の昔の写真展を鑑賞した際に昔の新島々駅の様子や、波田駅から就職のため旅立つ生徒の姿に感動させられ、とりわけ大正時代の葬式の様子から、地域全体で葬列を作って送った日本の原点のような写真を添付するため昨日を補完する書き込みとなりました。
コロナ禍により町内どころか近所の訃報にも無関心な世の中になりましたが、大正時代には村の住民総出で葬列を組んだ写真は日本人の忘れてはならない風景だと思います。
まるで極寒のように感じた冬の上高地から愛知県へ帰り、環境省や多くの仲間たちの顔を思い浮かべると虚脱感すら感じられる一日となりました。
4月に開山した上高地も、来週15日には閉山となりますが、美しい上高地の風景に慣れすぎて最近は雑に発信している感があります。
上高地の素晴らしさを、下記に添付した私の発信した今年の過去ログからご覧いただければ幸いです。
3日から5日まで訪れていた安曇野の真言密教の古刹と、上高地の様子を明日からも添付します。
10月22日の渡辺画伯
9月11日
9月11日
誰とでも談笑します
明神方面(右)との分岐点
上高地ビジターセンターと六百山
梓川左岸堤とカラマツ
梓川と焼岳
小梨平キャンプ場
22日(土)のテントです
小梨平から見える穂高連峰
まだ雪はありません
小梨平の中川
清水川の源流付近です
道の駅今井恵みの里
特産品売り場
そば打ち風景
出店の 準備中
えがしら堂
愛知県のナベちゃん の店
和菓子と餅の商品
「何時から始めるの」
「開店は8時からです」
「そおー、それじゃあ」
「あれー!! アッ、アッー!!」
名古屋市の団子屋さん「えがしら堂」のナベちゃんは、一年前に今井の里で出会い、今年3月に愛知県あま市のビアゴに出店している時に訪ねました。
半年ぶりの再会にナベちゃんは目をまん丸にして大声を出して驚いてくれました。
2022-03-05
大治ピアゴ店に出店中のえがしら堂へ | 大鹿一八 『今日の一言』 (ameblo.jp)
私の団子好きもありますが、同じ愛知県の同郷人が長野県で頑張っている姿は嬉しいものです。
牛伏寺入口
午後6時01分
今週は朝だけでなく午後も体調が不良で、静養して身体を休めていると夕方になってしまいます。
10日前の3連休には、朝から夕方まで元気に四国の石段を上り下りしていたことと比較すると完全に病人になっています。
週末の上高地行きを控えて、こんなことではだめだと身体を奮い立たせてウォーキングに出ました。
渡辺画伯です
上高地河童橋の朝
五千尺ホテルの河童橋ライブカメラの映像です
上高地が紅葉の最盛期を迎えています。残念ながら現地に行くことができず、五千尺ホテルのライブカメラを眺め、毎日更新されている上高地インフォメーションセンターの発信を心待ちにする毎日となりました。
昨日6日午後5時の上高地
2年前には10月18日に穂高に初雪が降りましたが、これからの上高地は一気に冬支度を始めて行きます。
膠原病に罹患したばかりで投薬による治療中の私にとっては寒さは大敵で、本日の名古屋の気温低下にも身体が悲鳴を上げている現状で、目的地を四国に変えた明日からのお遍路も無理は禁物です。
そんな時に、「来週末は上高地へ行くから」との私の一言に家族はびっくりですが、四国遍路から帰ってから診察を受け、結果がよければ防寒対策をしたうえ公共交通機関で上高地を目指したいと考えています。
悲鳴を上げる身体と相談しながら上高地を訪れ、結果がよければ11月の3連休に宿を確保して再度訪れることを目標にして体調を回復させたいと思います。
今回の四国遍路は、今晩から夜行で四国を目指します。
釜トンネルから松本方面へ
昨日午後から上高地釜トンネルを抜けて、奈良井ダムから藪原経由で木曽路へ入り、国道19号の木曽町木曽福島から道の駅三岳へ立ち寄りました。
木曽町 道の駅三岳
みたけグルメ工房
さとテラス三岳入口
桃介橋 南木曽町
22年8月14日
21年10月9日 上高地の人気者・名物画伯です
2014年 4 月23日
大鹿一八「本日の一言」 : 上高地の名物画伯から連絡が入り… (livedoor.blog)
始めて出会った当時の渡辺画伯は、私より身長も高くスタイルも良いまるで兄気分のような存在でした。
20年8月22日 8月10日から小梨平ケビンへ
21年 10月 9日の映像です
2013年 4月27日
2年前に起こった上高地で熊が人を襲う事件は、マスコミにより大きく報道されるばかりではなく、ホームレス画伯をテントからケビンに住む優雅な生活に変化させました。
20年9月26日
画伯と私
塚原さんはプロの撮影家で、上高地や北アルプスの見事な映像を撮影し続けておられます。
それぞれ上高地を愛する人たちが声を掛け合い集まる拠点が、世界の交差点ホームレス画伯のテントでもありました。
知人からホームレスではないんじゃないの一言がありここに書き記しました。
本日午前8時19分の上高地 穂高・河童橋・梓川
河童橋
上高地公園線の崩落現場
上高地への県道でのり面が崩落 シーズン幕開けの日、開山祭が中止に:朝日新聞デジタル (asahi.com)
太兵衛平バス停近
何もなければ穂高連邦の銀嶺に感動する場所ですが…
23日の上高地
4月23日の穂高連峰
9時前 ボランティア参加者がインフォメーションに集合します
自宅前の夕暮れ
父親の遺したボタン
同じく父親が遺したアマドコロ
環境省の登録証が届きました
本年4月から令和6年3月末まで有効です
上高地の入り込み者数について
R3 (4/17~11/15) 486,353人
R2 (4/17~11/15) 402,561人
R1 (4/17~11/15) 1,130,966人
H30(4/17~11/15) 1,143,693人
H29(4/17~11/15) 1,131,391人
H28(4/15~11/15) 1,155,776人
私は平成28年から上高地のパークボランティアに参加するようになりましたが、毎年のように集中豪雨や地震にも見舞われており、一昨年のクマによる人的被害とコロナ禍によって上高地を訪れる観光客は大幅に減少しています。
一方では、コロナ禍によって中国系の騒々しい団体観光客が減少したことで、上高地の環境は一段と良くなっており、自然環境を満悦できる雰囲気は最高で、与えられた環境下での上高地を楽しめると思うものの、身体の変調は楽しみよりも苦痛を予感させてしまいます。
4月4日の一言
上高地パークボランティアの記念誌です
私の寄稿文
メンバー手作りの記念品
上高地で活動する環境省のポークボランティアの会が、設立されて30周年を記念して発行された冊子が完成し、昨日松本市で開催されていた定例会に参加した地元のメンバーが本日午後に我家へ届けに来てくれました。
本来ならば毎年参加している定例会ですが、今年は町内会役員になっており、本日町内会の総会が開催されたことから欠席となり、ボランティア仲間から手渡された記念誌と記念品を受け取り、定例会の様子を聞きながら今年の活動と上高地の雑談に花を咲かせました。
コロナ禍にあって昨年は例年の半分程度しか参加できませんでしたが、今年は多くの大学生を含む新会員が加入したとの話を聞き、たかだか1回とは言え出席できなかったことで様子が判らず、自分だけ置いてきぼりのような心境を感ずる一方で、4月から始まるボランティアでの新しい出会いには新鮮な期待を覚えました。
やって当たり前と押し付けられた町内会の仕事とは違い、自分の意思で参加しているボランティアはストレスが無く、本日は活動の内容ばかりではなく、いかにして宿泊代を安く便利に上高地へ行く方法など、体験から得た情報交換の珈琲タイムともなりました。
さて、過去の一言で、今年のゴールデンウィークは四国遍路に出発する旨の記載を残していますが、本日の総会前の電話連絡で、コロナ禍で未確定ではありますが、東北の東日本大震災の被災地を訪れる中学生の運転手役を依頼されました。
新幹線で仙台を訪れ、2日目と3日目の移動するマイクロバスの運転手役ですが、最近の一年間はバスの運転から遠ざかっており、最近強いられていた町内会の会計処理によって大幅な視力減退を実感させられており、簡単には引き受けられない年齢も実感させられます。
それでも嫌々参加していた町内会役員の任期が終わったことで、過去にない自由な心境になれた一日でもありました。