大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

街角から見える風景

パイナップルの親子をそれぞれの植木鉢へ

本日のパイナップル

収穫後のパイナップルから吸芽が出ています

新しい植木鉢へ

植え替えです

植え替え完了です

用土は三種類

今までの植木鉢へ鹿沼土を

鹿沼土と赤玉土と腐葉土

本日までコップに入っていました

発根しています

水苔を根に巻いて

植えました

コップから親の植木鉢へ

完成です

親子のパイナップル


今年6月に収穫したパイナップルには新たな脇芽の吸芽(きゅうが)が出ており、果実の東武にあった冠芽(かんが)クラウンもコップの中で発根していることから、本日親のパイナップルを大きな植木鉢へ植え替え、本日まで親を育てていた植木鉢に子供にあたるクラウンを植え替えました。

親のパイナップルもスーパーで購入したパイナップルの挿し木ですが、2年で実が熟して今年6月に収穫して食べましたが、2年前にスーパーで購入したパイナップルよりも美味しく、果実の東部にあったクラウンも青々としています。

 6月15日の一言

今年4月15日の一言


ネット情報ではパイナップルは挿し木して果実が実るまで3年はかかるとありましたが、2年目の今年に結実してスーパーで購入した親よりも大きくなりました。真冬でも20度以上に設定した部屋に置いてあったことが2年で結実した大きな理由と思われますが、親の茎から出た吸芽は結実が早いようなので、順調であれば来年にも結実し、子供のクラウンが再来年に結実するようならば毎年パイナップルを収穫できるかもしれません。


ただし、パイナップルの葉は大きく先が尖ってギザギザのため、育てるためには大きなスペースが必要となり、増やし続けると置き場所に困るようになり、冬の暖房も負担が大きいため私自身が元気で自立していることが前提となります。


現役の時よりも四国遍路や上高地へ行くための費用や医療費が増大しており、年金だけで生活しているものの、どんどん増えていく植物やペットのためには、ボランティアだけでなく週に2日くらいは働かないと、好き放題の生活は続けられない現実も、身体の維持とともに実感させられるようになりました。まだまだ働ける体力を残していることから、年金だけの生活の限度も考えてしまいます(笑)



日常生活にもどって身体も鈍感に

津島市消防本部へ

救命講習

AEDと人形

民生児童委員対象の講習

名鉄電車


本日の午前中は地域の民生児童委員で津島市消防本部を訪れ、3班に分かれてAEDなど救急救命講習を受けました。個人的には福祉有償運送に関係して救命講習だけでなく、介助の講習も受けていますが、最新のAEDは見たことがなく、判っていてもいざという時に使えるかどうかは判りません(笑)

本日は終了後に福祉有償運送のボランティアに走り、マックで休憩する日常的な生活が戻ってきたような一日でした。

退院2日目とは思えない仕事に

あま市市役所駐車場
雷と竜巻注意報が出ていました

稲沢市平和町

本日のオニユリ

本日のパイナップル
本日の写真です。

本日の愛知県は午後になってから雨が降り出し、各地で雷鳴が轟き、テレビ画面から竜巻注意報が流される中を、福祉有償運送の申請書類をあま市市役所に届け、ボランティアに参加を希望する人と打ち合わせに走りました。

さて、2日前の土曜日に病院から退院したばかりなのに、翌日となる昨日に城めぐりで遠方まで走っていることに驚いておられる人も多く、「大丈夫なの?」と複数の知人から電話をもらいましたが、手術と言っても結石を取り出すだけで、身体を切る手術ではないためダメージは何もありません。

むしろ、2年前の手術の時には、下半身麻酔の背骨へ打った注射の痛みが一週間ほど続きましたが、今回は最初の局所麻酔の注射を射した注射針の痛みだけで、麻酔が覚めても何処に射したか判らないほど痛みは皆無でした。今回は明らかに上手かったですね。

さて、明日に津島市役所と保健センターの雑用を済ませると、週末の三連休に出かける四国遍路の準備と段取りに頭を切りかえたいと思います。

城めぐりで退院後のリハビリに

愛知県犬山市へ

城めぐりのアプリ


小牧山城は激しい雨で近寄れませんでした


犬山市へ

国宝茶室如庵とホテルインディゴ犬山有楽苑

竹林

木曽川遊歩道

天守閣

木曽川

犬山橋 ツインブリッジ(道路と鉄道)

犬山城と木曽川のライン大橋

ライン大橋の濁流

本日の写真です。

退院1日目のリハビリは小牧山城のある愛知県小牧市から、大口町、犬山市の国宝犬山城まで走り、木曽川の対岸となる岐阜県各務原市を訪れ、現存する城だけでなく城址や館の八ヶ所の城を攻略してきました。スマホのアプリ「城めぐり」です。

小牧山城 上末城 楽田城 小口城 羽黒城 犬山城 伊木山城 野口館

午後2時過ぎに自宅を出発して最初の小牧山城に到着した午後3時頃は、城まで歩く予定でしたが激しく振りそぞぐ豪雨によって車を降りることもできず、当初の目的は小牧山城だけでしたが犬山市から各務原市まで走ることにしました。

犬山市にある国宝茶室如庵は私が家内と訪れた大学時代には、私の住む津島市の隣町であった佐織町から庭師に通う人もあり、有楽苑を管理されていた女将さんが名古屋鉄道中興の祖土川元夫(社長)さんの縁者であったことから、私が高校時代に入院していた名鉄病院で、病院を住まいがわりにされていた土川さんにお世話になった話をしたことで、普段は公開されていない茶室を開けてお茶を入れていただきました。

今にして思うと、私が名鉄病院で土川さんと出会った時に同行されていた着物姿の女性が女将さんと思われ、「この茶室のいわれを知ってるか」と問われた際に、私の口から出た「土川さん」の言葉と、病院で言葉を交わしていたことに大変喜ばれたようでした。

懐かしい思い出話ですが、名鉄の社員は家族という土川さんの偉業も、二代続いた日銀出身の社長によって、グループの分社化や合理化が進められ、社員の士気が低下して愛社精神も低下すると社業も衰退していったように思います。

私にとって「有楽苑」は懐かしい想いが残る場所でもあり、新しく整備された旧犬山ホテルを見て昔の思い出がよみがえってきました。

本日四日目で退院しました

今朝の病室

朝食

病室から見える景色

本日午前中に日本赤十字愛知医療センター第一病院(中村日赤)を退院しました。

入院前から3日間の入院となっていましたが、手術後2日目がもっとも短い退院だそうで、退院が一日延びたものの昨日から退院が決まっており、昨日からは三食付のホテルに滞在しているような入院生活となりました。

これは2年前の退院の日の一言です。

私は退院していく身ですが、土曜日の本日も病院へ搬送されてくる患者さんを乗せた救急車が続々と中村日赤へ入ってきました。
気楽に退院していく私と違って、同室の患者さんの様子は深刻で、カーテンで仕切られていることと、四日間だけの入院でほとんど顔を合わせなかったものの、早く退院して下さいと挨拶でもしたい心境で病室を後にしました。
  

今朝の救急車

本1のマーク

また救急車が来ました
中1のマーク
また、また救急車が来ました

椿のマーク

私を迎えにきた家内の車
今朝の名古屋駅方面

我が家の花々

キバナコスモス
ミニトマト
オニユリ
庭のオニユリ
ブーゲンビリア
ブルーベリー

主は不在でも、我家(私)の花々は確実に成長して花を咲かせ、ミニトマトとブルーベリーは熟した実を付けていました。

私の体温を継承するパイナップルとオニユリ

本日午後6時57分

本日のパイナップル

茎から新しい芽が出てきました

吸芽(きゅうが)

このままでも成長すると実をつけます

本日の発根状態

6月16日 冠芽(かんが)

パイナップルの実の上にあった葉

6月6日に収穫


6月15日に食べました

6月15日 冠芽

2022年7月6日の親株となった冠芽の発根


先月6日に収穫し、15日に食べたパイナップルの実の上の葉(冠芽)をコーヒーカップに入れたところ、一週間後には根が生えだし、本日では複数の根が2センチほどに成長しました。2年前に発根した親株程度の根になるのをもって植木鉢に植え替えようと思っています。

実を収穫した親株には茎から新芽(吸芽)が出ており、このまま成長を見守って大きな植木鉢に植え替える予定ですが、この新芽だけならこのままですが、新たな新芽が出てきた場合は、この新芽(吸芽)を取って植え替えることになり、今年は2本だけでなく3本のパイナップルに増えていくかも知れません。

2年前の親株は店頭に並べられ、購入時には葉の先端が枯れかけており、実も食べられた代物では無かったものの、今年収穫した子供の実は甘く、真冬の夜でも20度以上に管理してきたためか2年で実を付けました。

さて、新たな冠芽と吸芽ははたして2年先に実をつけるのか期待は大きく膨らみました。

本日のオニユリ

昨年より大きくなりました

事務所横のオニユリ

本日の写真です。

 2022年7月25日の一言


一年前に開花したオニユリも大きなツボミを付けており、事務所横のオニユリはすでに開花していますが、30年前に他界した父親の生前から当り前に継承していく花に、私が鬼籍に入っても咲き続けてくれと遺言を伝えたい心境です。


安易な通院が入院前検査から手術へ

名古屋第一赤十字病院 中村日赤

入院前検査

入院の案内

本日の名鉄電車


「痛みは無いけど尿路結石のようです」

     「内視鏡で診てみましょう」

「えっ、今からですか…」

     「あったら取った方が安心でしょう」


9時から余裕の診察だったものの、急遽処置室で検査を受けることになり、結石が外来で対応できる大きさより大きかったため、無理すれば取れそうな雰囲気でしたが、万が一の痛みを考えて改めて手術で取りだすことになり、2週間後に入院することが簡単に決まりました。


医師の話では太い内視鏡で外来でも処置できそうな雰囲気でしたが、「痛いのは嫌でしょう」の一言に、手術の前日入院して手術の翌日に退院する予定で7月5日の入院が決まりました。


これからが大変です。入院前検査で血液の採血と心電図、レントゲン検査があり、その合間に入院手続きと、看護師さんと薬剤師さんの説明と案内があり、普段は10時には自宅に帰っているものの、本日は昼を過ぎても帰れないばかりか、予定しない検査で支払い金額も心配になる通院となりました(笑)


「経尿道的膀胱結石摘出術」は2年前にも受けていますが、身体に傷は残らないものの、下半身麻酔で生々しい手術室の様子が判るため、痛みよりも手術の怖さとその日までのストレスは大きく、ガンとか心臓や脳内の重大な手術ではないものの、手術の2日後に予定していた上高地行きは文句無く断念となりました。


さて、70歳を前にして病院への通院が必須となっており、上高地や四国遍路に行くために健康管理をしているような状態ですが、私よりも体調が悪いのに診察も受けていない知人が存在することを考えると、何か異変が起きるか痛くなるまで病院へ行かないくらいの性格になれたらとも思う一日ともなりました。


さて、明日から2日間は久しぶりとなる志賀弘法会のメンバー10人との高野山行きとなりますが、メンバー全員が重篤な病気か高齢者ばかりのため、私の身体の心配をかけ私への加持祈祷になってしまうのを避けるため元気印で旅立ちたいと思います。


パイナップルの挿し木

半年ぶりにパイナップルを屋外へ

10日前の収穫

2日前

昨日
植物活力(発根)素

本日のパイナップル

コーヒーカップへ

実は2年前のコーヒーカップです


2日前に家族で食したパイナップルのヘタの部分を、本日は2年前と同じコーヒーカップの中に入れて、挿し木にするための発根を待ちます。 


2年前にスーパーで購入したパイナップルは食べられる代物ではなく、収穫から日数が経過して葉の先が枯れかかっていましたが、その子供にあたる2年後のパイナップルは親よりも大きく甘くなり、葉の先も青々としています。


過去に何度も失敗したパイナップルの挿し木も、直接土に挿さず水の中で発根したのを確認してから植えると成功する可能性が高く、植えつける土に水はけの良い鹿沼土や赤玉土を混ぜ、冬は温かい室内に入れると大きく成長して実をつけます。


もっとも1回だけの成功例ですから、本日からまた2年か3年先の結実を目標にしていますが、収穫後の親株の葉の脇から生えるくるる吸芽(きゅうが)も次の果実を成らせることができるので、しばらくは親株の成長にも期待しています。


ただし、パイナップルは葉(冠芽・かんが)が尖っており、大きく成長すると通るたびに突き刺さって痛いため、置く場所も考えると大きなスペースが必要となります。


我家で育ったパイナップルを食して

昨日のパイナップル

先週収穫しました 6月6日

先週収穫した我家のパイナップルですが、一週間の経過によって黄色に色づくだけでなく、甘い香りも発するようになってきたため、昨日包丁を入れて食べることにしました。

可哀想ですが…


柔らかさにびっくり



色づくだけでなく漂う甘い香りそのままに、柔らかく美味しいパイナップルとなり、2年前にスーパーで購入した親株より大きいだけでなく格段に味も甘く、観賞用程度の感覚で育ててきましたが、自宅で完熟したパイナップルに成長しました。

2年前の6月

6月24日


 2021年7月6日の一言
 2022年6月25日の一言


昨年10月のパイナップル

 2023年1月8日の一言


 2023年2月15日の一言


本日の挿し穂


台湾から輸入されるパイナップルは、完熟前の青い時に収穫され、スーパーに置かれて売れるまでに時間が経過するため、完熟間際で収穫した我家のパイナップルは甘いだけでなく、挿し木用に残した挿し穂も青々としています。


3年以上かかると思っていた結実が2年で収穫できたことから、2年前のパイナップルの孫にあたる挿し穂の発根を待って2年後の収穫を目標に育てていまきす。


毎年恒例となった我家のアンズジャム作りへ

裏庭のアンズ 


 美しいの一言です


 落ちたアンズです

 収穫したアンズ

 散歩中



 週末の西国巡礼で自宅を空けていた間に、裏庭のアンズが熟して次々と落ちてくるようになっていました。

本日は落ちたアンズだけでなく、家内がハシゴに登って届く範囲のアンズを収穫しました。


  2020年6月13日の一言


 2018年6月1日の一言


  2013年6月9日の一言


 三日前の土曜日の朝、西国巡礼に出発する前にかつては我が家のアンズの木に登って アンズを収穫し、毎年アンズジャムを届けてきた恩師のお宅に立ち寄りました。


しばらくして、涙を流した 家内が戻ってきて、恩師の奥様が 昨年8月に亡くなり、恩師も今年5月に亡くなられていたことを告げました。


今にして思えば、お二人とは平成13年に一緒に 四国遍路へ旅立ち、西国 、坂東、秩父の百観音も一緒に巡拝したことから、家内は恩師の奥様とは親子か姉のように接してきただけに、家内は親を亡くしたかのようなショックを受けていました。


我が家のアンズを通じて、多くの交流が続いてきましたが、毎年同じように当たり前のように熟するアンズとは違って、多くの知人が鬼籍に入って行きました。


そんな想いを懐古しながら本日もアンズジャムが作られていました。


本日もボランティアの一日となって

愛知県警察運転免許試験場

玄関前

中央ホール

自動車安全運転センター




本日は福祉有償運送ボランティアに参加するメンバー全員の運転履歴証明書の申請に愛知県天白区にある安全運転センターを訪れましたが、申請代金だけでなく新装となった駐車場代金500円も必要となり、昨年度は赤字のNPO法人だけに私の出費となっていきます。


もっとも、元々が利益を期待しないボランティアだけに、こんな気持ちになるのは私自身が年齢を重ねた老化が原因と思いますが、そろそろ自分自身がサービスを受けられる体制への改善は急務で、今年は少し頑張ってみようと思います。


本日提出した申請書は、来週火曜日の夕方以降に受理できるとの話で、再度出向くことが必要となりますが、どうせ車を走らせるのであれば名古屋で寄り道できる楽しみを見つけて走りたいと思います。


我が家のアンズ

本日の収穫


裏庭のアンズが当たり前に熟して家内がジャムにしていますが、同じくオニユリも毎年同じ場所で大きく成長して、たくさんの花を咲かせます。

 2022年7月25日の一言


 2013年7月15日の一言


植物にも病気はあり、枯れてしまうこともありますが、自分たちに適した場所で毎年繰り返される世代交代はひじょうに強く、私が植木鉢やプランターに植えた草花とは違い、毎年同じ場所で花を咲かせるオニユリは今年も昨年より太くなって成長しています。

今から10年前に「二十年来のオニユリ」と記していますが、今年は「三十年来のオニユリ」として、私の父親が健在だった頃と同じ花を咲かせると考えると感慨深いものがあり、私が鬼籍に入っても咲き続けてくれるものと思われます。

ミニきゅうりが続々と…

本日の写真です。

では、また明日へ

我家のパイナップルを収穫しました

実の重さで倒れています


収穫することにしました

ナイフでは切れませんが…

ポロリと採れました

熟して甘い香りが漂います

切り口です

家内も記念撮影

このまま大切に生かしていきます

本日の写真です。

2年前にコーヒーカップで発根したパイナップルの実が熟し、実の重さで倒れたままとなたため、本日覚悟を決めて収穫しました。

まだまだ青いと思っていましたが、下部は黄色くなっており、切り口からパイナップルの甘い香りがただよってきました。挿し木することを決めた時は、まさか熟して食べられるとは思ってもおらず、3年はかかると思っていましたが、2年で購入した親よりも大きく成長しました。

真冬でも夜間も20度以上に温めた私の事務所で育てていたことが、他のミニトマトやブーゲンビリアとともに部屋を彩ってきました。

  今年4月15日の一言


さて、しばらくは皿の上で鑑賞し、切なくて切って食べたいとは思えませんが、2年前に購入した親は腐って食べられなかったため、家族全員で食してから再度孫となる上の葉を挿し木して次世代へ引き継いでいきます。



我家のきゅうりとプランターのイチゴです

我家のミニきゅうり

キュウリの花

植木鉢で実をつけています


先月ホームセンターで購入したミニきゅうりの苗が続々と実をつけています。こんなにも簡単に栽培できるため、各家庭が育てて自給率を増やしていく気持ちが重要ですね。

5月8日のイチゴ

イチゴの世代交代です

ランナーで親から子孫へ

親(左)から子(右上)へ

子から孫(右)へ

そして…

上の曾孫(ヒマゴ)へ


本日の写真です。

 2年前にプランターのイチゴから出たランナーによって、昨年は20本以上のイチゴに増えていましあが、真夏に放置してあったことから全滅してしまいました。

ところが、全滅したと思っていた中に1本だけ芽を出していた苗があり、大切に冬を越させたところ5月には甘いイチゴをたくさん実らせました。

  2020年7月25日の一言




 2018年5月10日の一言




 2017年2月13日の一言




そんな我が家のイチゴのルーツを調べてみたところ、6年前にホームセンターで購入したイチゴであることが判りました。


ブログに貼付してきたことで読み直して判ったものの、畑のイチゴはいつからあるものかルーツも判りませんが、身近なプランターゆえに継承して我が家の家族のような存在になっていました。

毎年のアンズジャム作りです

愛知県は終日雨となりました
我家のアンズ
事務所前のアンズ




ジャムになりました 
裏庭のアンズです

 
本日の写真です。

本日、愛知県は朝から晩まで激しい雨が降り続ける一日となりました。

 貼付したアンズジャムは、我家に2本のアンズの木があるため今から二十年以上前から当たり前に作られてきました。

  2020年6月7日


事務所前のアンズは長野県更埴市出身の知人からいただいた樹木で、この木に咲く花が綺麗だと地域で評判になったため、私の父親が何処からか購入してきたのが裏庭のアンズの木です。


 2014年6月7日


同じアンズの実ではありますが、花も結実も事務所前のアンズが一週間ほど早く成熟し、事務所前のアンズは黄色で柔らかく、裏庭のアンズは大きく桃のように赤みがさしますが、今年は一気に温かくなったため、同じように成長しておりまもなく裏庭のアンズも熟してきます。


さて、しばらくはアンズが熟してジャム作りが続きますが、5月のサクランボからアンズ、そしてこれからブルーベリーが実をつけますが、年齢を重ねたことで月日の移り変わりが早まっており、気がつくとあっという間に秋の柿が終わっているのかも知れません。


旧中仙道の奈良井宿を歩いて

旧中仙道奈良井宿

臨済宗妙心寺派 大宝寺

本堂

境内と観音堂

マリア地蔵入り口

キリシタン禁制時代のマリア像

案内板

山門

日野百草本舗

上問屋資料館

明治天皇が宿泊された建物

奈良井の町並み

玉龍山長泉寺 曹洞宗

鐘楼堂

貞治仏

延命地蔵大菩薩

龍の大天井絵

貞治5年(1366)建立のお寺です

長泉寺全景

荒沢不動尊

道祖神

鳥居峠方面の宿場

高札所

水場

道祖神

鎮神社

案内板

本殿

民芸開館

資料館中村邸

日曜日の写真です。

日曜日に訪れた奈良井の宿を添付しましたが、三ヶ所の資料館と10軒の宿泊施設があり、五十軒以上の土産物店と食事処のある木曽路を代表する宿場町です。

木曽11宿には奈良井から次の塩尻方面の宿場は贄川宿となっていますが、奈良井と贄川の間には木曽平沢宿が存在しており、今回は通過していますが贄川宿より昔ながらの建物が残されており、次回の上高地の帰り道に立寄ってみたいと思います。

奈良井宿から木曽平沢宿は徒歩で30分程度の距離にあり、木曽路の難関となる鳥居峠から薮原の宿場まで三時間程度で歩けると案内されていることから、JR木曽平沢駅から奈良井の宿を通ってJR薮原駅まで歩くと江戸時代の雰囲気が味わえる魅力を感じます。

車は国道19号線で鳥居トンネルを通過してしまいますが、車で鳥居峠を目指すのも道中の一里塚や茶屋等の存在から魅力あるコースで、先週立寄らなかった奈良井宿に保管されたSLとともに訪れてみたいと思います。

木曽路 奈良井の宿場

奈良井宿の看板

JR奈良井駅

改札口入り口

駅舎内

駅ホーム

駅構内

松本行き普通列車

奈良井の宿場町

軒先の山野草

水場

昼下がりの宿場

水場 横水

レトロバス

駒屋

団子2本で150円

たなかや

メニュー

女将さん

五平餅 (写真)


五平餅を口にしてから、「これは?」と思ったものの、食べかけた五平餅を写真に収めることもできず、店頭に飾ってあった写真を女将さんに借りましたが、木曽路だけでなくこれまで食べた五平餅とは一味違う初めて食べた味でした。

食べた後になって舌に爽やかな味を残すのは「山椒」で、タレに練ってあるのか山椒の葉か実の香りが口中に香ります。しばらく五平餅の評点はしていませんが、かなりの高得点となる味です。

水場 宮の沢
日曜日の写真です。

木曽路では妻籠の宿と同様に規模の大きな宿場町で、過去に何度も訪れていることを買ってきた傘や杖とともに、団子屋さんの店頭で実感しましたが、無人駅の多い木曽路のJR中央本線の中で駅員さんの居ることでも宿場の存在感を実感させられます。

奈良井宿には複数の寺院や神社が存在しており、それらについては後日の添付とします。

遅ればせながら夏用タイヤへ交換して

本日午後6時41分

麦畑

稲の苗

季節のバトンタッチです。

スタッドレスタイヤから…

夏用タイヤへ

タイヤ交換です

軽自動車と

家内のセレナ

キャラバンは夏用のまま冬を越しました

午後6時44分 養老山地へ陽が沈んでいきました

本日の写真です。

2月の西国巡礼から、3月と4月は四国遍路に出向き、5月には上高地のボランティアが始まり、今週やっと自宅でゆっくりとした週末を迎えましたが、周りは夏のような暖かい 環境になっていました。

5月になっても上高地の朝晩は冬のように寒く、先週まで雪でも対応できるように衣類を積んでいましたが、数日前から動くと汗が滴るようになり、身体が暑さを実感するようになりました。

そんなわけで 遅れていた車のスタッドレスタイヤを夏用の普通タイヤに交換しました。 

さて、明日21日は月に一度となるお寺で阿息観の一日となります。

旧中仙道の宿場宮ノ越を歩いて

木曽11宿 宮ノ越の宿場 

 巴淵

 巴淵

長野県木曽郡木曽町日義

 木曽川上流

 木曽川下流


木曽川が巴状に渦巻くであったことからこの名がある。巴御前がここで水浴をしたという伝説が残る。


 散策マップ

JR 宮ノ越 駅

改札口

駅ホーム

渡線橋

作業車両

義仲橋

木曽義仲館

義仲館正面

木曽義仲と巴御前

玄関

館内

館内ホール

日照山 徳音寺
長野県木曽郡木曽町日義

寺標

徳音寺入口 

 参道の三十三観音

山門
徳音寺は、長野県木曽郡木曽町日義にある臨済宗妙心寺派の寺院である。山号は日照山。本尊は聖観世音菩薩。 

 本堂

 境内

 巴御前の銅像

 つらぬき石

 観音堂

源義仲公の墓所 

 中央奥が義仲公のお墓

 山門上 の鐘楼

 宮ノ越本陣周辺の町並

宮ノ越本陣跡 

 本陣 入口

 本陣建物

 本陣横の駐車場

 本陣横の農業遺産

疎水 

 本陣の案内板

明治天皇 宮ノ越 御膳水 

御膳水の案内板

日曜日(14日)の写真です。

木曽義仲
源 義仲 は、平安時代末期の信濃源氏の武将。河内源氏の一族、源義賢の次男。源頼朝・義経兄弟とは従兄弟にあたる。木曾 義仲の名でも知られる。『平家物語』においては朝日将軍と呼ばれている。 以仁王の令旨によって挙兵、都から逃れたその遺児を北陸宮として擁護し、倶利伽羅峠の戦いで平氏の大軍を破って入京する。 ウィキペディア

 先週日曜日に訪れた中山道 宮ノ越の宿場の写真を添付しました。

木曽義仲公が亡くなってから1000年以上経過していますが、この地から遠く離れた京の都まで、戦い抜いて進軍していったと考えると感慨深いものを覚えます。

宮ノ越を流れる木曽川を眺めて、川の流れと水の清らかさは当時と変わらないと考えると、今でも義仲公の姿が拝めそうな気持ちになってきます。

何よりも本陣等の歴史的な史跡が無料で開放されていることと、観光資源に頼らず自立して生活する 宮ノ越の人々の自尊心を感じずにはおれません。

この地の木曽川に流した木の葉が、何日で私の住む 愛知県に到達するかは分かりませんが、投じた木の葉を何日でも待ち続けてみたい心境と、川の流れに身を任せて自宅へ帰りたいと思わされました。

長野県辰野町の花街道

よこかわ湖 横川ダム

長野県上伊那郡辰野町横川

日曜日(5月14日)の写真です。

辰野町にある花街道は日本の原風景と言える綺麗な里山風景を残していました。

下飯沼地区の花街道

横川川

道端の道祖神

横川ダム堰堤

ダム本体

ダム湖

放水中

蛇石キャンプ場

案内板

横川渓谷

蛇石?

大蛇のようです

蛇の骨格のようです

恐竜の化石?

随分と長い蛇石です


 地元の川島地区には、次のような民話が伝えられています。
横川川の上流で兄弟竜がけんかをし、川が氾濫して下流の村が鉄砲水に襲われそうになりました。それを母子2匹の大蛇が、自分たちの身を犠牲にして救いました。それに感心した熊野権現が、この母子を蛇石に変身させ、兄弟竜を二度とけんかが出来ないように、上流にある大滝に閉じ込めたといいます。

科学万能の現代社会においては、黒色の粘板岩の岩脈に白い石英の岩脈が蛇のような模様を残していると理解できますが、横川の氾濫を救った2匹の大蛇を熊野権現が蛇石に変身させたとの伝承や、太古の時代に存在した恐竜の骨格の化石と言われても疑うことができない蛇石の存在感と、国の天然記念物に指定されていることに納得させられます。

木地師の墓の道標

南無阿弥陀仏


山の仕事を生業としていた木地師の墓が日陰の道路端にひっそりと存在していることに、現代社会のように車で何処にでも行き来できる社会との大きな世相の違いを感じさせられます。

白鳳山瑞光寺

辰野町横川2063

六地蔵

参道

山門

本堂


山門の鐘楼

 瑞光寺は、人皇88代御深草院の正元元年(1259)、鎌倉建長寺の開山大覚禅師が、諸国行脚の際、この地に建立した一宇が起こりである。古くは鎌倉に属し、大いに盛んになるが、時代の変遷により衰退した。永禄元年(1558)、武田信玄が、京都妙心寺より周峯和尚を中興開山に招いて、堂宇は悉く旧に復された。また、武田信玄は、周峯和尚に深く帰依し、横川谷を残らず寺領として寄進した。このころより、京都妙心寺派に属するようになり、寺運は栄え、人々の深い信仰をうけて今日に至っている。同寺の庭園は、画聖、雪舟の作である常栄寺庭園の写しである。雪舟庭は、今より500年前に築かれ、その原形がよく保存されていることから史跡名勝に指定、この庭は、雪舟庭の池の部分のみを写したもので、別名「禅苑」とも言い、悟りの境地を表現したものとも言われている。

 火の見櫓

 道祖神 や 山の神

 横川川

私の住む愛知県津島市には多くの寺院が存在しますが、長野県の安曇野や松本だけでなく、添付した辰野町や木曽路に存在するお寺は、過去に実在した歴史上の人物や歴史と直結したお寺が脈々と残されており、現代社会で葬式商売と揶揄されるような寺院とは違う、地域と一体となったお寺本来の姿も感じさせられてしまいます。

日曜日は、ここから伊那市を経由して権兵衛トンネルから木曽路へもどり、木曽11宿の宮ノ越の宿場を歩きました。木曽義仲ゆかりの宿の様子は明日に添付します。

塩尻市から辰野町の里山花街道へ

善知鳥(うとう)峠

案内板

中央分水嶺の峠の一つで、南側に降った雨は天竜川太平洋)へ流れ、北側に降った雨は、犀川信濃川(千曲川)へ合流、日本海)へ流れる。峠の頂上付近には、分水嶺公園が設置されており善知鳥峠の由来を書いた石碑もある。

周辺地図

蔵造川水路橋(めがね橋)の案内板

JR中央東線

指示看板

 道標

直前にイノシシがエサを探した跡

展望台
列車のダイヤ表

めがね橋 

 上部は水路

 説明板

 明治39年の写真

 辰野町へ入りました
日曜日(2日前)の写真です。

日曜日の天気予報は午前中から雨の予報でしたが、雨どころか薄日がさしていたため、そのまま塩尻市から木曽路へ走る予定を変更して、塩尻市から伊那路の辰野町や伊那市に向けて車のハンドルを切りました。

善知鳥(うとう)峠の分水嶺に立寄り、ここに降り注ぐ雨がたった1メートルの差で北に降った雨は犀川から信濃川へ注いで日本海へ流れ、南に降った雨は天竜川から太平洋に流れる自然界のドラマチックな現実を実感させられます。

さて、上高地ではクマ目撃情報も発信されていますが、塩尻市の蔵造川水路橋を見に行く入り口で、直前にイノシシがエサを探すため道を掘り起こした跡を見つけ、里山においては当り前に動物と遭遇する危険性も実感しながら足を進めました。

下飯沼沢 花街道

横川渓谷の案内板

かやぶきの館
長野県上伊那郡辰野町横川2766


見事な茅葺屋根です

建物内

蕎麦屋さんも

囲炉裏

屋根裏の梁


宿泊もできます


伊那市へ向かう途中の辰野町で「かやぶきの館」の看板を見つけ、車を走らせると「花街道」の看板とともに日本の原風景とも思える里山の川やススキに、横川渓谷の存在とともにダムや蛇石の存在が判り更に車を走らせることとなりました。

さて、「かやぶきの館」の看板から、私は白川郷や高山市の合掌造りを想像していましたが、今までに見たこともない大きな茅葺の建物であることと、宿泊できる施設で蕎麦打ちやはた織り体験、草木染め体験などができる体験型施設であることが判りました。私とは無縁の施設ですが、こんな環境でゆっくりと滞在することもしてみたいですね。

ここから先は、明日に続けて添付していきます。

数十年ぶりに津島市の案内を依頼されて

本日の夕暮れ

本日は津島市内の案内です

津島神社一の鳥居 埋田町

尾張名所図会

一の鳥居跡の石碑

明治天皇の記念碑

津島神社楼門

本殿

境内

松儀商店

津島名物あかだとくつわ


本日の写真です。

本日は知人から東京から訪れた知人の案内を依頼され、上高地や四国を案内するガイドブックは多量に存在するものの、地元を案内するパンフレットは皆無で、尾張名所図会を持ち出して自宅を出発しました。

今から30年前に地元の歴史研究家から、津島を案内できる人物としてテレビ局に推薦されたこともありましたが、今では何も案内する資料が無く、50年前に恩師の樋田豊先生に連れられて津島市内を廻った郷土史の資料と、所蔵する尾張名所図会しかありませんでした。

その上で案内を始めた直後にボランティアの福祉有償移送の患者搬送の連絡が入り、病院から自宅へ搬送後に再度津島神社で合流したものの、十分な案内には程遠く、資料無しで案内できる上高地や四国との大きな違いを実感です。津島市の案内もと思ってしまいましたが、身体は一つしかありません。

もっとも、同じ案内でも国立公園の上高地や世界文化遺産登録を目指す四国遍路道のような資源ではなく、人が居ないばかりか現地で勧められた津島神社に隣接する神宮寺は、香炉に参拝した線香のあとも無く、本堂に寺の人も居ない状態で、最後に訪れた観光センターで知人が求めた「何処にでもあるような津島市が判るパンフレット」も無い状態ではガイド以前の問題となります。

さて、明日は早朝から上高地を目指し午後に開催されるボランティアの定例会に参加予定ですが、天候は明日から明後日にかけて雨予想で、日曜日には上高地を出て中山道の宿場を訪れる予定も再考が必要かもしれません。

ボランティア全開の一日となって

近鉄電車 愛知県弥富市の高架橋から


本日は早朝から患者さんを弥富市の病院へ搬送し、家内も市内と市外の医療機関へ人を搬入しており、久しぶりにボランティアに徹する一日となりました。昨年膠原病に罹患したため早朝の行動は自粛していましたが、連休の上高地では毎日午前7時のバスに乗っていたことと、来週も上高地へ行くためには頑張るしかありません(笑)


我家のパイナップル


随分と大きくなってきましたが、挿し木から2年がかりの成長によって収穫時期が近づいており、購入した親と同じような大きさになりました。さて、大切に育ててきたパイナップルは自分の息子のようでもあり、切り取ることは切ないものの、次の三代目のために最後まで見守っていきたいと思っています。


我家のイチゴ 四世代(4年)目

本日の写真です。

添付したイチゴは今年は五年目(?)となるプランターのイチゴで、昨年は二十株ほどに増えていましたが、家内が畑で大量に育てていたことと、昨年は私が膠原病に罹患したため夏の手入れが全く出来ず、たった1本だけになってしまった私の最後のイチゴです。

幸いなことに熟した実はひじょうに甘く、ランナーが多く出ているため、来年には5鉢以上に増やして再来年に繋げていきたいと思います。

さて、ボランティアの一人が体調を崩しており、明日は三人分の仕事を家内と2人で分担することになり、病気持ちの私も複数の患者さんを搬送する事態となりました。
我家は私が膠原病に罹患した昨年からボランティアを加減してきましたが、体調を崩したボランティアは口コミで患者が増えており、ボランティアが高齢化する中では真剣な対応が急務となります。

我家のサクランボが熟してきました

 我が家のさくらんぼです







本日の写真です。

今年3月に開花したサクランボが赤くなってきました。

 2023年3月14日

 10年前にはさくらんぼ狩りに孫も来ていましたが、最近は鳥のギャング「ムクドリ」の貸切状態になっており、赤く熟す前に食べ尽くされてしまいます。


 2013年5月10日

2012年5月12日


 かつては赤く熟して 枝から垂れ下がっていたサクランボですが、最近は熟す前の黄色いサクランボのうちから ムクドリに食べられてしまい、我々が口にすることもなくなりました。


今年は 一度に暖かくなり サクランボもアンズも一緒に開花しましたが、十分に 熟する前に色づきを始めており、早々に 目の良い ムクドリ たちの標的になってしまったようです。


明後日から上高地へ行くことが決まっていますが、帰ってくる1週間後には サクランボが全てなくなっていると考えると寂しいものがあります。


愛知県北西部の城跡を目指して

 萬葉公園 一宮寺萩原町

 あやめ

 大伴家持


 萬葉公園は愛知県一宮市の公園で、大伴旅人や山上憶良など歌人が百人一首に残した短歌が、広い敷地に植えられた松や桜などとともに展示されています。


 公園内へ群生するたんぽぽ

 日本伝来のタンポポでした

 ニッポン城めぐりの攻略地図

愛知県西尾張地方にある城や城跡は全部攻略することができました。

 名鉄尾西線

川島ハナミズキ街道 

 木曽川を渡ります

 岐阜県 川島町へ


松倉城は岐阜県各務原市松倉町にある城跡で、天文元年(1532)に築城 されたお城です。

国営木曽三川公園 

フラワーパーク江南 愛知県江南市小杁町一色


 クリスタルフラワー

 館内

 遠景 名古屋方面

 公園内の花壇

 本日の写真です。

本日は 統一地方選挙の投票日だったため、家族で投票を済ませた午後からニッポン城めぐりで愛知県北西部に位置する城跡を目指して走りました。

道中の一宮市で万葉公園に立ち寄り、木曽川の左岸(愛知県側)に位置する岐阜県川島町の松倉城跡を攻略後に、国営木曽三川公園のフラワーパーク江南を訪れました。


さて、これからは愛知県の尾張東部や知多半島から、三河地方の城や城跡を回って行きたいと思っています。

かつて東洋一と宣伝していた天王川公園の藤棚

津島市天王川公園の藤棚








本日の写真です。

懐かしい人です


昔懐かしい「ホラ吹きオジサン」ではなく「ホラ貝吹きオジサン」提供の本日の天王川公園の藤棚です。

10日前に四国遍路から帰ってから、一週間前には同級生と滋賀県に出かけていたため、やり残していた雑用と身体の静養に心がけていると、今週月曜日に上高地へ入る釜トンネルが開通し、毎年参加してきた上高地のボランティアが週末から始まるものの、雑用すら済ませられない現状から今年の上高地行きは一週間遅れとなってしまいました。


本日添付した藤棚は、かつて「東洋一」と宣伝されていたものの、行政の財政不足が確実に影響して藤棚の長さが短くなり、枝に隙間が空いて青空が見えていますが、「あしかがフラワーパーク」や「はままつフラワーパーク」を視察して最高の藤棚を目指していた先人の努力が忘れられていると思うと寂しい現実です。


白馬から来た朴の木が花を咲かせて

我家の朴の木が開花しました

朴の木全景

新芽が出たばかりですが…

花を咲かせています

2階から見える花弁

本日の写真です。

朴の木は日本に自生する樹木では一番大きい最大級の葉と花を咲かせますが、最近になって新芽が出たばかりでまだ大きくなっていないものの、既に花を咲かせており、大きな葉に隠れて花が咲いているのも気づきませんでした。木の上に咲くので2階からしか花は拝めません。

  2020年5月6日

この朴の木は、

「平成14年の話となりますが、宿の裏庭(山)に生えていた朴の木をいただく約束から、自分で掘ろうとしていると、雨が降り続ける中をご主人がずぶ濡れになりながら、スコップで掘り起こしてくれた50センチ位だった幼木が、現在では私の事務所の2階の屋根を越えそうな大木に成長し今年は次々と花を咲かせ、新たに蕾も出ている事からしばらくは花が見られますが、ご主人が亡くなられた年に見事な花を咲かせた朴の木に丸山さんと何かの因縁を感じずにはいられません」と、過去のヤフーブログに書き残しておりました。


丸山さんは白馬の宿「ラベニュー栄」のご主人で13年前に他界されていますが、平成12年秋に初めて訪れてから仲間や旅行友の会のメンバーとマイクロバスで何度も訪れた宿で、「大鹿さん、今回はいくらで良いかな」と我々の支払う宿代まで心配されるようなお気に入りの宿にしていました。

77歳で亡くなられる前年まで現役のスキー選手で、地域の民生委員を務められるなど温厚な人格者でしたが、私が現在民生委員を拝命していることを考えると、生きておられれは体験談にも花が咲いたと思います。

我家には先祖伝来の樹木も多く、父親や横井庄一さんが祖母と一緒にタネを蒔いた「マキの木」なども残っていますが、私の植えた木々にも朴の木だけでなくアンズや四国椿堂さんから戴いた椿など、それぞれのイワレがあることを子供たちに伝えていく必要を本日の朴の木の花から実感させられました。

2年で育ったパイナップル

かなり実が詰まってきました

本日の写真です。
4月1日のパイナップル

4月1日のパイナップル ↓↑

3月6日のパイナップル ↓


2年前に挿し木したパイナップルが、肉厚になってきました。一ヶ月前にはまだとんがっていた果実が最近では四角くなり、いよいよ黄色く熟してくると収穫となります。

  令和5年2月15日の一言

最初に挿し木をスタートしてからのブログと写真です。


 21年6月

コップに入れました 

21年6月20日

発根しました 

 21年7月6日



さて、ネットでもパイナップルの挿し木について写真つきで発信されていますが、簡単に見える挿し木も失敗する人は多く、私自身も過去に何度も挿し木に挑戦したものの、一度として成功したことはありませんでした。


今回の挿し木については、ホームセンターで購入した発根促進剤にパイナップルの茎を1時間ほど漬け、その後はコーヒーカップの水の中で発根するまで待ち、十分な発根を確認してから鹿沼土と赤玉土を入れた植木鉢に移しました。


これまでパイナップルを土に挿して挑戦して失敗してきましたが、土に挿すと発根しているかどうかが判らず、これまでは茎が腐って失敗しているため、発根が確認できるコップの水の方が確実と思われます。


一方で、これまでは普通の庭や畑の土に挿し木していましたが、発根後は水はけの良い鹿沼土や赤玉土を使用しないと腐ってしまうと思われます。


 21年10月2日

 22年6月25日

 23年1月23日

23年1月23日


 23年1月25日


 2月15日のパイナップル


さて、パイナップルは葉の先が鋭く尖っているため、私は先にビニールテープを貼って刺さらないようにしましたが、大きくなるので先を切った方が安全で、11月から4月は温かい部屋で観葉植物として育てました。
3年は覚悟していましたが、予定より早い2年で熟す姿が見られそうになってきましたが、このままゆっくりと熟して、このままの姿を見続けたいと思います。

久しぶりのウォーキングへ

畑の菜の花

レンゲソウ

シロツメグサ

タンポポ

裏庭の花々

本日の写真です。

先月訪れた四国遍路の6日目となる3月23日の朝に、マックの店頭前で転倒した際に右膝を痛めました。

幸いなことに歩くには何の支障もなかったため無事に遍路を結願したものの、正座をすると右膝が痛むため、しばらくは歩いての外出を控えていました。

しかし、週末に再度四国遍路へ出かけるため、身体のウォーミングアップを兼ねて本日は家内とマックまで歩きました。

わずか10日間のブランクですが 、道端に咲く花々や 畑の景色が全く変化しており、通り過ぎる用水にも小魚や亀が活き活きと 動いています。

 かつては一日一万歩を目標に歩いていましたが、昨年膠原病に罹患したことから現在は一日五千歩が目標になっているもののそれすら達成できない日々が続いています。

ただし、今月から開山となる上高地では一日2万歩は歩くことになり、車遍路とはいえ四国でも一日一万歩は歩くことになっていきます。

これからは私の身体が続くかどうかが課題となっていきます。

我家に伝承する花々が花を咲かせて

本日の君子ラン


2020年4月8日の一言 

我が家の君子蘭は、平成16年に亡くなられた水野静江さんから頂いた花で、年々株を増やして毎年花を咲かせてくれます。


 そして花が咲くたびに故人を思い浮かべることになります。

ハナニラ


 この花は、昭和60年頃に朝日新聞社のフレンドアサヒの読者サービスで応募されたご愛読者に配布されたものです。

球根だけでなく種からも増えるため、我が家から飛んで行ったタネから、隣のお寺の垣根にも群生して花を咲かせています。

事務所横のまさき

まさき


 我が家のまさきは私の父親が1本だけ 挿し木していたものが現在も残り、そして次の世代へ子供を増やしていきます。

ハナズオウ(花蘇芳)


 この木も父親が庭に植えたもので、名前すら判らないような存在ですが、毎年可憐な花を咲かせてくれます。

シャガ

 私の子供の頃から裏庭に花を咲かせていたシャガの花です。

家内が玄関に置いた花です 

このチューリップも朝日新聞社の読者サービスで来た花です 


 自宅前の道路にも増殖中です

我家のブルーベリーの花

本日の写真です。

ブルーベリーの木が多くの花を咲かせていますが、先月花を咲かせたサクランボが間もなく赤くなり、その後は大きなアンズの実も熟してきます。

我が家には先祖伝来の樹木や、父親が植えた木や花が残されていますが、父親が亡くなった平成5年からすでに30年が経過しており、私が植えたアンズやアキニレの大木などで庭は満杯となっており、プランターで子孫へ継承している花々も 置き場所に困るようになってきました。

それぞれの樹木や花々にはそれぞれの由縁があり、庭に眠る我が家のペットたちと共に 説明書きを残していく必要を感じさせられます。

人間だけでなく 草花や 樹木の血脈も考えて子孫へ 継承していって欲しいものです。

三重県四日市市の一心寺 春の大祭

大法院一心寺 

三重県四日市市笹川一丁目156

 客殿へ僧侶が入場です

 桜が満開です

 花まつりの幟

 次々の参拝者が続きます

 釈迦誕生仏への参拝です

 甘茶供養

 元清水寺貫首の揮毫の書です

 金亀岩

 案内板

 火渡り式前の境内

 まずは魔を退ける法螺貝から

 太鼓

 僧侶を御詠歌でお迎え

 大祭法要中

僧侶のご法話 

 僧侶退場

 本堂と廻向堂

 お不動様

 役小角像

ここからは火渡りです





昨日の写真です。

 最近では御朱印ブームで若い人たちがお寺に列をなしたり、朱印が目的の四国遍路の姿も目にしますが、昨日 訪れた一心寺には熱心な信者や一般参拝者が本堂を埋め尽くしていました。

ご本尊が不動明王のためか 熱心な信者が多数存在し、法要中には雑談もなく、お寺で開催されている御詠歌の会や写経会に参加される人々と、山岳信仰である大峰山の修験者の壮烈な法螺貝の音色に圧倒される参拝となりました。

 一方でお寺の墓じまいとか檀家離れが社会的な話題となりますが、先祖供養や葬式だけを生業とするお寺と違い、真言密教では自分自身を見つめ直したり、個人的な祈願を目的とする参拝が多いためか、昨日 訪れた一心寺からもその熱気を実感させられました。


自分のご先祖や親族の供養も大切とは思いますが、弘法大師空海が目標とした生きたまま仏になる 「即身成仏」に間違いがないことを実感させられる 四日市行きと なりました。


サクランボの花から青い実になり

平成5年に他界した父親が私の長男に残したサクランボ


2012年(平成24年)5月12日 


平成直後に揖斐高原で入手したオニユリ


22年(昨年)7月5日の一言 


 2021年(令和3年)4月29日


 四国遍路で一週間家を留守にしている間に、サクランボやアンズの花が散ってしまいましたが、気がつくとサクランボはすでに青い実をつけていました。

そして我が家で30年以上にわたって咲き続けているオニユリも新しい今年の新しい新芽が出ていました。 

父親が亡くなってから30年が経過しますが、 父親が植えたサクランボやオニユリが毎年当たり前に花を咲かすことに、植物の生命力を実感させられます。

さて、添付したイチゴについては買ってきてから5代目になるイチゴですが、昨年まで大量に残っていた株を今年の冬に枯らしてしまい、添付した 1株だけになっており、私にとっては貴重なイチゴとなりました。

同じく新しい芽を出したミニトマトについても、今年が 4シーズン目に入りましたが、こちらは冬でも事務所の2階で花を咲かせて実を付けていましたが、病気や虫が大量発生したため放置してあったプランターから発芽したもので、生命力の強さを実感するとともに、今年は新しいプランターに植え替えて子孫へ継承したいと思います。

我家には2年前に挿し木したパイナップルや、父親が生きていた頃から残る花やアンズなど多くの植物が継承されており、新しい樹木は買ってきても植える場所がありませんが、子供や知人に譲ってでも残していきたいと考えています。

知人が送ってくれたラインの写真です

本日の夕暮れ 午後6時12分

本日のマック

黙っていても、水とケチャップが付いてきました


四国遍路から帰って6日目になりますが、四国では連日5時30分起床を当り前にして行動していたものの、自宅に帰ってからは8時30分に目覚ましをかけていますが、9時に朝食を摂ってから横になり、昼食後も昼寝して一日が終わりそうになってしまいます。


膠原病に罹患してから家内が何でもやってくれることに甘えて、ボランティアの患者移送も家内の補助役になっており、自分の好きなことばかりへ出かけることもできず、知人と珈琲屋さんかマックへ行くことが仕事になってしまっています。


 ここからは知人が送ってくれた写真です。





 ここが何処かは判りますね??

明日は朝から患者さんを移送して、午後も移送ボランティアをした後に自分の歯医者さんへ出かける予定です。 

知人から送られてきた花の写真です

浜松のカナメ神宮の源平しだれ桃だそうです






ここからは名古屋市の庄内緑地公園です





 ここからは、先週金曜日に訪れていた徳島県第11番藤井寺から第12番焼山寺までの道路に咲くさくらです。

藤井寺への参道











 浜松市と名古屋市の知人が LINE で送ってくれた桜や花々です。

昨日愛西市と稲沢市の桜見物に訪れましたが、先週訪れていた 徳島の藤井寺から焼山寺までの道路に咲く桜は比べようのない規模の桜の桜並木が続いていました。

今にして思うと一日余分に滞在しても、桜の名所を訪れるべき規模だったと思います。

我家のアンズとサクランボが満開となって

我が家のあんず(杏)です

事務所裏のサクランボとあんず

事務所前のあんず

さくらんぼと杏の動画

駐車場のさくらんぼ

満開です

可愛い花弁

甘い香がします

事務所裏の杏(アンズ) 五分咲き

事務所前のあんず

可憐な花弁

本日の写真です。

先週金曜日に今年初めてのサクランボの花が一輪咲き、一週間後に事務所前のアンズが咲き、その一週間後に事務所裏のアンズが開花すると記していますが、今年は事務所前のアンズも満開となり、裏のアンズも五分咲きとなっています。

これまで一週間ずつの差があった開花が今年は一斉に咲きだしたことが判ります。

 22年3月16日

 21年3月4日

2020年3月11日

華去三年間の開花を調べると、今年が特別に早いとは思えませんが、一気に温かくなったことで全ての花が一斉に開花してしまったのかもしれません。


サクランボは平成5年に他界した私の父親が孫の木として植えたもので、私が事務所前に長野出身の知人から頂いて植えたのを見た父親が、事務所裏にどこからか買ってきたアンズの木を植えたもので、現在では2階建て事務所の屋根を越える大木になっています。


2013-03-23

さて、添付した記事は10年前に発信された知人のブログですが、2年前に他界した一年違いの知人氷室さんが我家のアンズについて記したもので、10年前に我家の前に自転車を停めて写真を撮っていたと考えると感慨深いものがあります。


12年5月9日

この記事も11年前のもので、我家へサクランボ狩りに来た知人がお土産にお菓子を持参して訪れた懐かしい記録が残されており、最近はフェースブックを通した交流が続けていることに月日の移り変わりの早さと同時に、これからの一年一年の重みも実感させられました。


18年3月21日


15年3月18日

12年3月25日

09年3月12日


我家のサクランボとアンズの開花は、その後に花から果実が実ることから、サクランボやアンズジャムによって多くの人々との交流が継続しており、そういうことでは我家にとって大きな貢献をしてきたサクランボとアンズの木となります。


私がこの世に存在しなくなっても、これらの花が長く開花続けることを祈るばかりとなります。


雪と氷に閉ざされた御嶽山の滝めぐりへ

 三岳黒沢口から見る御嶽山

 日の出滝旅館と御嶽山

 日の出滝入口

 日の出滝

 田中旅館

大祓滝霊神場

鳥居の上に滝が見えます

 滝の入口

案内の石碑

大祓の滝

 修行者たちの滝行

田中旅館の隣にある弘法堂には毎月訪れているものの、そもそもが霊神場へ参拝する信者すらほとんど出会わない静寂な場所に、大きく響く甲高い声に導かれて声のする方向へ行くと、鳥居の奥にある大祓の滝に4人の行者が入れ替わり滝行を行っていました。

しばらく立ち止まって手を合わせていましたが、行者の発する般若心経の声に圧倒され、同じ般若心経でも仏式とは違う神教の迫力と、周りに残る残雪と水も凍りそうな極寒から響く甲高い大声に冷やかしではおれない雰囲気から滝を後にしました。

 4合目付近から見える御嶽山

松尾滝の鳥居 

 滝入り口の案内板

急な石段を登ります 

 さらに登ります

 行く手を阻む巨岩の落石

 そのむこうには凍った滝が

 氷瀑(ひょうばく)

 百間滝入口駐車場

 冬季はここで通行止めになっています。

 凍結した雪道をひたすら登っていきます

 周りは雪だらけ

 やっと到着です

 こもれびの滝

 ちょっと一服

 案内板

道標 

 百間滝は断念です

行く気満々で登ってきましたが、百間滝まで歩いて4,2キロ2時間30分とありますが、ここまで凍結した雪道を登ってきたことすら限界にあり、ましてや7,2キロあるロープウェイまでは歩けないため、150メートル先にある不易の滝を目指しました。

 百間滝やロープウェイへの道

魅力あるせせらぎ 

 不易の滝入口

 やっと到着です

 迫力ある滝です

 岩から染み出しています

 ここにも休憩所がありました

帰り道です 

 凍結した行き道は歩けません

 そして落石です


数年前から上高地の帰り道に毎月訪れている御嶽山ですが、観光目的ではなく霊神場と弘法堂への参拝に訪れており、これまでも観光目的で訪れたことはありませんが、日の出滝と大祓の滝、松尾の滝も霊神の石碑と鳥居の奥に存在することから、偶然でも行者の滝行に出くわすことになりました。


そんな感覚で中で訪れたこもれびの滝と不易の滝は、完全なる自然環境下にあり、休憩できるベンチや道標も設置されており、雪のない冬季以外ならそのまま歩いて百間滝まで散策できる魅力ある登山道になっていました。


ちなみに、私は子供の頃から祖父が先達だたため、御嶽山での石や植物を持ち帰ったり、虫すら捕獲することを厳しく禁止されており、参拝以外の御嶽山登山は考えたこともありませんが、信者の夏山登山だけでなく、観光客も激減しているものの心の静養のための登山は効果的な環境が整っていると思います。


一方で、霊神場の霊神碑や石柱が地震によって倒れたり傾いたままになっており、このまま放置しておくと益々参拝者が減り、霊峰とか霊山と呼ばれた御嶽山のイメージを低下させてしまうことは心配です。


毎月訪れている田中旅館に隣接する弘法堂にしても、屋根が朽ち欠けており、雨水によって堂内もカビや汚れが激しく、堂内に入るのも怖い環境にあり、その連絡先すら記されておらず、四国遍路のようにお遍路やボランティアによって遍路道や参拝する環境が維持されている気配すら感じられません。


こんな怖くなるような現状を、見事な自然環境にある滝めぐりなどを宣伝し、信者だけでなく観光客も手を合わせて参拝できる参拝環境へ改善していきたいものです。


雪に閉ざされた御嶽山の滝を廻って

霊峰 御嶽山

道の駅きそむら 木祖町

木曽駒ケ岳 道の駅日義木曽駒高原

御嶽神社里宮 

三合目付近から見る御嶽山

日の出滝

日の出滝旅館と御嶽山

田中旅館

大祓滝

滝行中

田中石材店から見える御嶽山

松尾滝 四合目

氷瀑(ひょうばく)

四合目駐車場 冬季閉鎖中


こもれびの滝

せせらぎ

百間滝への道標

不易の滝への道標

不易の滝

下山中

下山中

落石

御嶽ロープウェイと開田高原への分岐点

木曽駒ケ岳

乗鞍岳

道の駅三岳

王滝川

木曽駒ケ岳

上松宿 昼食

道の駅大桑

大桑から見える木曽駒ケ岳


本日は道の駅きそむらで目覚めましたが、御嶽山の霊神場へ参拝後に馬篭宿か妻籠宿の五平餅を食べてから自宅へ帰ろうかと考えていました。


御嶽山の霊神場は毎月の行事にしており、道の駅日義木曽駒高原から御嶽神社の里宮から霊神場に参拝し、最後の弘法堂に参拝して車に戻ろうとしていると、遠方から大声の叫び声が聞こえ、辺りを見渡すと大祓の滝からの発声と思われたためため訪れました。


御岳教の信者が激減している中にあっても、参拝する信者は真剣な先達や行者が多く、雪が残り凍りつく御嶽山の極寒の滝に4人の行者が大祓の滝に入り、大声で般若心経を唱えて止むことなく読経は続きます。


そんな訳で、黒沢口にある滝巡りとしましたが…


ガッ、コーン カタカタカタ…


落石です。人間の頭くらいの石が落ちたようですが、これまで経験したことの無い迫力に、まるで大砲が打ち込まれたようなどうすることもできない自然の脅威を実感されられた中を、積雪と凍結した登山道を登って「こもれびの滝」と「不易の滝」までたどり着いたものの、下山は滑って降りられないため、四つんばいとなって足から後ろへ下ってきました。雪の装備も無く登る危険を実感させられました。


その滝めぐりの顛末は後日に添付します。


我家のさくらんぼの初咲き

本日の写真です。

我が家のさくらんぼが今年初めての花を咲かせました。まだ一輪だけですが週末から週明けにかけて花で満開になっていきます。

さくらんぼが花を咲かせると一週間後には事務所横の杏(あんず)が花を咲かせ、その一週間後に裏庭にある杏の大木も花も咲かせます。

ここからは2月26日の写真です。

西国4番施福寺への参道です

十三重石塔

仁王門

ここまでも十分歩きましたが…

やっと五丁です

まだまだ山道が続きます

弘法大師が得度の際に剃髪した場所です

ここからも148段の石段を登ります

本堂

ご本尊 千手千眼観世音菩薩

大提灯

梅園

標高530メートル

観世音菩薩

帰りも大変な道程です

仁王門が見えてきました

お地蔵様

やっと仁王門まで戻ってきました

仁王門にかけられた草履

ここからも先が見えません

満願滝弁才天

やっと駐車場まで帰ってきました


かつての西国巡礼には、山道を1時間以上かけてのぼる第11番上醍醐准胝堂がありましたが、火災により焼失したため麓の観音堂の巡拝になっており、現在の西国巡礼では第4番施福寺が一番厳しい山道になっていると思われます。

およそ40分ほどの行程ですが、初めて参拝したのは平成14年の40代のことで、その後の参拝と比較しても身体に堪える厳しい巡礼となりました。

「厳しいですね」
  「(笑)」
「半分でも足に堪えます」
  「一生懸命登ってはだめだよ(笑)」

5丁目付近で出会った西国巡礼のベテランからの助言で、ここは途中まで頑張らずに散歩する気楽な気持で歩くのがコツと聞いたものの、年齢とともに身体が悲鳴をあげるようになっており、この施福寺は西国だけでなく四国遍路と比較しても一番の難所になっているものと思います。

さて、週末は松本市の研修会に参加し、再来週は四国遍路の再開となります。

演劇 遠山紀元さんの追悼展示会を訪れて

稲葉地公園 名古屋市中村区

かつての水道施設です

名古屋市演劇練習館 

 玄関ホール

 会場への案内

入り口の展示

遠山紀元 追悼展示会

 プロフィール

遺影 

展示会場 

パンフレットと台本です 

 かつてのパンフレット

 展示品

パンフレットと台本 

在りし日の遠山さん 

実際に使われた台本 

劇団の集合写真 

追悼公演の案内 

 演劇関係の本箱

 井上ひさしの全集

 本日の写真です。

 昨年5月12日に他界された遠山事務所の遠山紀元さんを追悼する展示会が、名古屋市中村区にある稲葉地公園内の名古屋市演劇練習館で開催されており本日劇団員の知人と訪れました。

遠山さんは1995年に遠山事務所を創設し、24作品を全てプロデュースし演出された名古屋演劇界の第一任者でした。

 過去の Ameba ブログ
2022-10-21 
2019-10-26

過去の Yahoo(現ライブドア)ブログ
2018年10月19日
2014年09月06日
2013年11月22日

事務所創設直後から知人が劇団員として出演していたことから、毎年のように訪れて鑑賞していた演劇ですが、過去のブログにも限られた写真ですが添付した記事(一言)が残されており、本日の夜は懐かしく読み直すことになりました。

一人が居なくなったことで、仲間や多くの劇団員にとっては大きな損失となり、利益にならない真面目な演劇を維持していくことの難しさを展示品から実感させられました。

七十八歳という享年を考えると他人事とは思えませんが、遠山紀元さんのご冥福を祈るばかりです。

松本に出店している団子屋さんと再会して

本日の写真です。
愛知県大治町のピアゴ大治店へ出店(明日まで)している団子屋、えがしら堂のナベちゃんを尋ねました。

昨年11月に松本市の道の駅「今井恵みの里」で別れてから4ヶ月ぶりの再会となりましたが、相変わらず元気な顔と大きな声が聞けたことで元気をもらって帰宅しました。
もちろんえがしら堂の大福と安倍川餅も美味しくいただきました。

昨年 11月3日の一言


さて、本日は二日前(日曜日)に訪れた静岡日本平の東照宮と三保の松原を添付します。

春爛漫の道中

東照宮鳥居

参道

楼門

家康梅


鐘楼

本殿


家康公 御廟



境内

駿河湾

案内図


駿府城

駿府城大手門


マガモ

マガモと和船

動画


NHK大河ドラマ館



八千戈(やちほこ)神社


八千戈神社は静岡県静岡市葵区宮ケ崎町、静岡浅間神社の境内に鎮座している神社です。八千戈神社は徳川家康の念持仏、摩利支天像を安置するため創建されたのが始まりとされ当初は摩利支天社と称していました。家康死去後は幕府が庇護し社運も隆盛しましたが、明治時代初頭に発令された神仏分離令とその後の廃仏毀釈運動により、明治6年(1873)に摩利支天像が臨済寺に移し、代わって八千戈命他十八社十三柱の神々が勧請合祀され八千戈神社に改称しています。

三保の松原と冨士山

夕暮れの富士山

三保の松原の夕暮れ


 私自身の趣向もありますが、我が家より東方にある観光地へ行くためには、眩しい朝日へ向かって運転する必要があるため、どうしても朝日を受けて走り夕陽を受けて帰る西方向を目的地にしてしまいます。

そんな訳で久々の静岡方面行きとなりましたが、朝日旅行友の会の主催する日帰りバス旅行では何度も訪れた懐かしい場所でもありました。

しかし、新東名の開通によって車がスムーズに走行できるようになり、しかも大幅な時間短縮となっていたことから、かつてと比較して静岡市が随分と近く感じられました。

天候に恵まれれば三保の松原で夕暮れの富士山を眺め、その翌日早朝の日の出と輝く富士山を眺めてみたいものです。

リタイアした年金生活者になれば、一年中旅人になれると思っていましたが、4月からは上高地が開山となり、毎月四国遍路にも行きたいと叫ぶと「そんなに遊び呆けてどうするの」と家内の口癖が聞こえてきます。

リタイヤした年金受給者が何をしようと勝手とは思いますが、膠原病に罹患して高額な医療費と薬代がかかる役立たずのため、これからは家内のご機嫌をとっての旅立ちとなりそうです。

田沼意次と相良城址へ孫の家族と

開花した近所のさくらんぼの花

我が家の近所のさくらんぼの木が開花しており、例年通りだと10日ほど後には我が家のさくらんぼも花を咲かせるものと思われます。確実に春が近づいていることを実感させられます。

ここからは昨日の写真です。

岡崎サービスエリア 新東名高速道路

牧之原市資料館

静岡県牧之原市相良275−2

日曜日でしたが偶然休館していました

相良城址と田沼意次の銅像


平安時代末期から鎌倉時代初頭にかけて、相良庄の武士・地頭である相良氏肥後人吉城主の祖とされる)の館(相良館)が築かれていた。その後、遠江は天正年間に徳川家康の治めるところとなった。天正14年(1586年)、相良城は相良御殿とされ、徳川家康鷹狩りに用いられた。
近世の相良城は、明和4年(1767年)に田沼意次が築いたものである。相良城 - Wikipedia


田沼 意次(たぬま おきつぐ)は、江戸時代中期の旗本大名江戸幕府老中遠江相良藩の初代藩主(相良藩田沼家初代)。第9代将軍徳川家重と第10代家治の治世下で側用人と老中を兼任して幕政を主導し、この期間の通称である「田沼時代」に名前を残す。 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 

 資料館のポスター


 牧之原市資料館へは随分と期待して訪れたものの、偶然にも休館日となっており入れませんでしたが、資料館の前で学識のあるご老人(ご同輩(笑))と出会い雑談に花を咲かせました。

表示されていたポスターを見ながら、テレビの剣客商売で田沼意次役を演じた平幹二朗さんの写真を引用したらもっと盛り上がるだろうと会話がはずみました。

偶然出会った初対面の方でしたが、このまま語り尽くしたい心境になったものの、娘や孫の家族に同行した旅行のため残念ながら話はここまでとなりました。

駿河湾とかすむ富士山

サーファーの姿も


焼津さかなセンター

 久しぶりです

 賑やかな入り口

 はい、ポーズ

 店内の様子

すごいぞ!! 

昼食場所 

孫と一緒です 

昨日の写真です


 昨日は孫たちと静岡までニッポン城めぐりのイベントに参加しました。

城とりのスタンプは車中からも可能ですが、できるだけ現地で車を降りて城が存在した当時の光景を思い浮かべながら回ることにしています。
この歳になって残りの寿命が限られていることから、少しでも孫と一緒に行動できることもこれまでの人生とは違う魅力がありますが、孫と一緒だと子供のような気分で行動ができました。

春が近づいていることを実感する静岡行きとなりました。

静岡へ城めぐり 徳川家康と駿府

駿府城



岡崎サービスエリア 新東名高速道路

牧之原資料館

田沼意次象

かすんではいますが正面は富士山

焼津さかなセンター

ヤッター!!

東照宮




駿河湾

駿府城大手門



どうする家康 NHK 大河ドラマ館

八千戈神社

三保の松原から見る富士山

三保の松原の夕暮れ

本日の写真です。

本日はニッポン城めぐりのイベントで、静岡県牧之原市から静岡市方面のお城を巡ってきました。

久しぶりに三保の松原から富士山を眺め、冬とは思えない温かい環境下で多くの城跡を巡り、徳川家康ゆかりの東照宮にも参拝してきました。

詳細は後日に添付します。

朝一番の診察と処方箋のメール発信で 中村日赤

 本日の夕暮れ 午後5時42分

名古屋第一赤十字病院 

 午前9時12分

 寒桜

完成間近の施設 

ナイチンゲール像と病棟 



 処方箋のメール発信


処方箋の撮影 



薬局 へ送信しました


 9時前に診察終了

 誰も居ない自動精算機

 9時10分に退出です

本日の写真です。


本日は名古屋市にある中村日赤の泌尿器科の診察でしたが、2番目の診察となったため9時前に診察が終わり、10時前には自宅へ帰ってきました。


2ヶ月前までは病院前の薬局で薬を処方されていましたが、待ち時間が1時間ほどかかっていたことと、スマホのバッテリー交換によってスマホ内にあったおくすり手帳のデータが全て消えてしまいました。


そんなことがあって、昔から利用している地元のかかりつけ薬局で全ての薬を受け取る事にして、病院内でスマホから処方箋を送信して帰宅後に薬を受け取ることにしました。


これによって病院からの帰宅が1時間短縮され、薬局に行くと薬が出来上がっています。便利な世の中になったものです。


そんな訳で午前中のボランティアにも少し役に立つことができました。


私自身の病状が安定して落ち着いていることもありますが、朝一番で中村日赤へ搬送する患者さんたちの診察が終わるのは昼を回りますが、主治医のご配慮によって朝一番診察のため、待ち時間が大幅に短縮されています。


さて、病気を持つ患者にとって厳冬期の通院は辛いものがありますが、添付したように寒桜が咲き誇り、暖かい日差しを感ずる春のような通院 ともなりました。このまま体調が安定してくれれば幸いです。


昨日の書き込みを読み直して

本日の日の入り


昨日あま市の蜂須賀城と蓮華寺について発信しましたが、他の人の発信を見ていると自分の知っていることばかりで、ネットで発信された記事を添付して簡単に発信したものの、自分の過去の一言を読み直すと昨日の記事がいかに手抜きであるかを実感させられました。

そんな訳で、書き直すのではなく、再度掲載(添付)することにしました。

 2021年2月8日


かつてのヤフーブログには、「愛知限定歴史レポ」なるブログが存在したものの、運営者の牧さんが鬼籍に入られ、その後もyahoo!ブログから記事を見ることができましたが、2019年12月15日をもってyahoo!ブログそのものが全て閉鎖されたため、このブログも消えてしまいました。

   2021年2月4日 私の残した記事



寂しい現実ですが、ネット社会と言われる中で、現地を実際に訪れ史実を調査して記された記事が最近は少なくなりました。

Google 検索で出た記事




 これも私の記事です。

 2016年4月22日の一言

 2016年4月22日の一言


最近はブログだけではなく Facebook や Instagram など多種多様なネット配信が存在しますが、過去のブログに発信されたような時間をかけた研究論文のような発信が減ってきました。



 ここからは愛西市の勝幡城です。

 アプリ城🏯めぐり

 2019年11月12日の一言


最近になり NHK の大河ドラマでは、織田信長の出生地を那古野城として放送されましたが、織田信長の出生地については、愛西市と稲沢市にまたがる勝幡城というのが定説となっています。


最近のネット発信を見ると、稲沢市の城跡を示す石碑たけが勝幡城の城跡のように添付されていますか、正確にはそこだけが城跡ではなく、愛西市にも石碑が残されています。そして、推測される城の中心地には現在入れません。


勝幡城についても過去の一言を読み直し、改めて愛西市と稲沢市にまたがる城址を訪れてみたいと思います。

戦国武将蜂須賀子六ゆかりの蜂須賀城(愛知県あま市)へ

蜂須賀城址の石標 愛知県あま市

蜂須賀城址全景

蜂須賀城址

蜂須賀正勝公碑


蜂須賀小六の生誕の城 

木曽川の川並衆であった蜂須賀氏の城で、蜂須賀小六(正勝)の生誕地と云わります。
小六は、織田信長や豊臣秀吉に仕え、最後は阿波徳島藩の藩祖になっています。




本日は蜂須賀子六の居城だったあま市の蜂須賀の郷を訪れました。3日前の日曜日に娘の家族に誘われてニッポン城めぐりのアプリを入れましたが、近くのお城や城址くらいは訪れてみたいと足を運びました。


本日の映像


菅安社

あま市蜂須賀北本郷1343番地1 祭神は天照大神と菊理姫神


蜂須賀村由来記によると弘法大師が菅安の地で白山大権現に会ったことにより白山社を祀ったのが始まり。昭和29年に現在地に遷り、菅安社と改名され今に至る。村社。


池鈴山蓮華寺 真言宗智山派

愛知県あま市蜂須賀大寺1352


手水舎

境内

観音堂

三十三観音

新たな堂が造営中

蜂須賀家の菩提寺である蓮華寺


弘仁年間(810年 - 824年空海の開山により創建されたと伝えられる[1]。この地から出たとされ、阿波国徳島藩主となった蜂須賀氏の帰依を受け、尾張徳川家からも寺領が安堵されている。蜂須賀小六の菩提寺であり、蜂須賀小六・家政親子の位牌が安置されている[1]。仁王門は家政の寄進と伝わる。南西には、蜂須賀小六の旧宅や1ヘクタールに及ぶ蜂須賀城があったと伝わっている。

地元の伝承では、弘仁9年に弘法大師が熱田神宮の神託により創建したと伝えられているが、弘仁9年(818年)は弘法大師が45歳にあたり、その2年前に高野山開創の勅許が出たばかりで、勅許後始めて高野山に登って翌年に伽藍建立に着手していることから、まったく史実とは違う伝承ではあるものの、弘法大師の弟子となる高僧の影響を受けて建立されたものと思われます。伝承とは言えこんなに古い歴史があることから、実際の高僧の名前や記録が残っていないことは残念です。

ミニ四国八十八ヶ所霊場



奥之院

秋葉堂

蜂須賀山標高10.87m

奥之院から見る霊場

神社と蓮華寺

御嶽神社


お寺の中や隣接して神社が混在する景観が私は大好きです。



蜂須賀城のあった場所の隣に、は菅安社(神社)と規模の大きい蓮華寺が存在するため、訪れた人は蓮華寺や神社を含めて蜂須賀城の跡地と思ってしまいますが、実際には神社とお寺は平安時代に開創されていたことを考えると戦国時代の武将の心理が理解できそうで、ネット時代のアプリから新しい景色が拝めそうです。

アプリ城めぐり 輪中サミット

甲冑劇 


関ヶ原合戦の前哨戦を、「ぎふ輪之内武将隊」と殺陣サークル眞、古戦場おもてなし武将隊関ヶ原組によって見事に演じられました。
 

 丸毛サミットのポスター

輪之内プラネットプラザ

会場入口

二階へ

有名らしい!? キャラクター

長蛇の列です

輪投げ

 私もヨイショっと!!

輪之内文化会館大ホール



 武将隊の演舞



 終演の挨拶


岐阜のお城マップ

城めぐりグッズの即売

2階から1階へ 

人だかりのできた一階ホール

丸毛戦記作者 渡辺浩行先生のサイン会

ゆるキャラと記念撮影

輪之内町文化会館


城めぐりのアプリ


輪中の城完全制覇


10のお城を巡りました

日曜日の写真です。

 城めぐりのアプリがどんなものかも知らないまま、孫の家族に勧められるままにスタートした城のスタンプ集めでした。

 輪之内町周辺の地域限定の城めぐりでしたが、ノルマとされる城のスタンプを獲得してから、サミットの会場となっている輪之内町文化会館を訪れました。

びっくりさせられたのは、城のスタンプを獲得するために多くのファンと遭遇したことで、地元だけでなく遠方から訪れた車のナンバーに驚かされました。

一部マニアの城めぐりと思っていましたが、城のスタンプを獲得するために地域を走り回る姿は、まるで戦国時代の武将や足軽のような気分にさせられました。

とりあえず一日だけの体験でしたが、城の名前がそれぞれの地名からつけられており、若い人たちが地名を覚えるだけでなく、地域の歴史や成り立ちを知る良い機会になると思いました。

毎日ノルマとした歩数を歩くとスタンプが獲得でき、スタンプがたまるとコカコーラのドリンクがもらえるCoke ON と同じく、スマホを利用して外出機会となる城めぐりも仕事に疲れた現代人にとって有効な手段と思われます。

さて、身体に堪える寒波が襲来していますが、半病人の私もボランティアに借り出されており、体調を整え週末には自分自身の次なる外出を考えていきたいと考えています。

羽島市歴史民族資料館と観光交流センター

 羽島市歴史民俗資料館

 はしま観光交流センター ぐるっと

 円空仏風 木彫り護法神

美濃縞の手織り機

糸巻き機 

ぐるっと 

 歴史民俗資料館正面

 羽島市映画資料館

玄関 

 名鉄関係グッズ

資料館館内

旧竹鼻駅の写真

 駅全景

 開業当時の新幹線羽島駅

 資料館内部

漁具の 点字

円空仏 

昔の映写機 

写真暗室道具やカメラ 

竹鼻東映 

映画鑑賞ホール 

上映された映画のポスター 

 鶴田浩二終焉のポスター
昨日の写真です。

 昨日訪れた羽島市の歴史民俗資料館と観光交流センターぐるっとの写真です。

最初に訪れたぐるっとの1階には地域の名産品が売られており、2階には木綿の糸巻き機や、美濃縞の手織り機が置かれ、女性スタッフが案内や説明をされていました。




私の祖母たちが若い頃は、自宅前の小屋で機織りをしていたと聞きましたが、毛織物の産地であった津島市にはそれらを伝承する資料館が存在しません。


羽島市には歴史民俗資料館が存在し、かつての生活環境や漁具や農機具が展示されており、交流センターでは実際に機織り機が展示され実践できる女性スタッフが案内されていました。


さて、資料館の2階には映画資料館が存在し、かつて使用された映写機やカメラが展示されており、映画スターや俳優の映ったポスターが展示されています。





ここでは、毎月第2土曜日に一日2回、映画を上映しており、私が大好きな鶴田浩二さん主演の映画も昨年上映されていましたが、当面は鶴田さんが出演する映画の上映はないそうです。残念(笑)


私が議員時代に津島市にも歴史資料館を建設するよう質問したことがありましたが、当時の市長は「そんなもん造ってもガラクタの物置場になってしまう」と全く関心も示されませんでした。


木曽三川を挟んだ岐阜県側では地域の歴史やかつての生活環境を記録する資料館が点在していますが、羽島市の映画資料館の上映と美濃縞の機織り機は現役で稼働しており、市民参加型の施設だけに継承されていくことに期待したいものです。


城めぐり 輪之内町サミットへ

真宗大谷派 福束山福満寺 安八郡輪之内町福束926


丸毛兼利と福束城の案内板


城めぐりのアプリ


新たな城を攻めます


墨俣城を攻略


攻略した墨俣城を撮影中

豊臣方のひょうたんの欄干 天王川千成橋

太閤出世橋の石碑

出世橋から見る墨俣城

犀川と墨俣城

立派な天守閣です


近隣の12城を攻略


羽島市歴史民族資料館

はしま観光交流センター「ぐるっと」

輪之内町プラネットプラザ

本日開催された丸毛サミットのポスター

輪之内町文化会館 大ホール

本日の写真です。

 スマホのアプリにある城めぐりに熱中する人たちを無関心に眺めていましたが、本日は岐阜県輪之内町で開催された城巡りのサミットと周辺の城めぐりへ孫の家族とともに出かけました。

日頃から車で通り過ぎていた地域ですが、城の名前からその地区の地名がわかり、カーナビのない時代に地名の記された看板を頼りに走った懐かしい思い出が思い浮かびました。

 整備された道路を高速で走り過ぎてしまう地域を、城の名前を目標にして走って行くことで、昔ながらの街の景色が浮かんできます。

車を走らせ城のスタンプを獲得するくらいなら、一つでも多くの四国のお寺を巡拝した方がありがたいと思っていましたが、家族が一丸となって目的地へ走っていく姿から、今まで思ってもいなかった感覚を体験させてもらいました。

さて、城めぐりの途中で立ち寄った羽島市の歴史民俗資料館で、昔懐かしい映画のポスターを展示する映画資料館では、現在でも過去の名作を上映されていました。

城めぐりによって、今から500年前に我が家から近い勝幡城で誕生した織田信長が、京の都に向かって進軍していた姿を想像する一日ともなりました。

輪之内町のサミットと羽島市の歴史民俗資料館の詳細については後日添付します。

愛知県は終日雨の一日となり

 本日の愛知県は終日雨の一日となりました。

10日前にスマホのバッテリーを交換に出し、現在代替え機として家内のスマホを代用しているものの、スマホのホーム画面に存在したアプリが消えており、気づかないままに疎遠になっている他サイトのブログやニュースから遠ざかっていることすら気づきません。

 学生時代の昭和52年に朝日新聞販売店を起業したため、それ以来、毎日目にしてきた朝日新聞についても、最近は91歳となった母親の独占状態となり、私はデジタル新聞と紙面ビューアーから視聴していましたが、スマホからアプリが消えているためニュースからも遠ざかってしまいます。

 今にして思うとスマホの朝日新聞とともに、連日視聴していた Yahoo ニュースも見ないため世の中の出来事や事件にうとくなっています。


そして、何よりもかつての Yahoo ブログ時代からのお気に入りブログについても、アメーバ以外のブログがつなげにくくなっています。

 このブログは更新されるたびに LINE リーダーへ情報が入るため視聴できますが、他サイトのブログはその存在すら忘れてしまいます。


 矢島さんのブログは、現在 Goo BLOG から発信されていますが、私より一回り年長に当たる元フジテレビの記者だった経験から毎日発信されています。


私のスマホにはこのようなお気に入りブログが直接検索できるようになっていましたが、私のスマホが戻ってくるまではしばらくのお預けとなります。


さて、こんなことがあってお気に入りブログを探すうちに、随分と発信が滞ってしまっているブログや、ご本人が亡くなられたため更新が止まってしまったブログや Facebook が存在します。


特に自分自身の闘病生活や治療体験を発信されていたブロ友が新たな記事を更新されない寂しさとともに、Yahoo ブログのサービス停止にって全てが消えてしまったブログは読み直すこともできません。


 明日は楽しみな外出が待っています。 何か分かりますか?

身体のメンテナンスとなる一日に

中村日赤 名古屋市中村区 

 外来の案内板

 会計


 管理栄養士さんにもらった

絵手紙


 一日の終わり
本日の写真です。

病院の自動受付器の画面に「予約がないため、直接外来受付にお問い合わせ下さい」とのメッセージが出ました。

2日前に連絡して9時の予約をとって訪れたのに、何かの間違いで忘れられたのかと慌てて外来受付へ向かいました。

「今日の予約はありませんよ」
  「2日前に電話して9時に予約したんですが」
「昨日の9時に予約が入っていました」
  「えっ、今日じやないの?」

主治医の外来は金曜日だけと思って予約をとっていましたが、木曜日も外来があり一日も早くと手配してもらったものの、「金曜日の予約が取りたい」と連絡したため全く聞く耳を持っていませんでした。

「私も復唱しなかったから申し訳ないです」
  「復唱されても頭に金曜日しかなかったので」

こんな受付のハブニンクも寛大な主治医によって10時から診察してもらえました。

もっとも、診察の結果検査が必要となり、検査結果が出るのを待って再度の診察を受けるとお昼を廻っていました。

さて、年齢を重ねたことで次から次へ身体の不具合が出てきますが、気軽に通院できる地元のかかりつけ医と、名古屋市の中村日赤の良き主治医に恵まれて安心して帰宅できることは幸いです。

帰宅後に昼食をとり、午後に予約してあった管理栄養士さんの栄養相談へ出向くと、何もしないままに一日が過ぎ去ってしまいました。

そして、家内とマクドナルドへ

帰宅後に三男の接骨院で施術を受け、身体が強張っているとの話でしたが、本日は私の身体のメンテナンスともなる一日になりました。

ボランティアの移送と私の通院が天秤にかけられて

午後5時41分

マックのレモンティ

本日の写真です。

 本日の午前中は地域の民生委員の協議会が開催され、午後は福祉有償ボランティアのメンバーの訪問を待って一日の仕事が終わり、マックまで歩いてから帰宅すると本当に一日の終わりとなりました。

 明日は自分自身の体調不良により、急遽名古屋の中村日赤で診察を受ける予約を入れましたが、地元にも歩行困難者のため家内と2人がかりで搬送している車イスの患者さんの通院があり、家内一人では移送できないと言われるものの、我が身と天秤にかけ先送りにして犠牲にはなりたくありません。

 そもそも、左膝にたまった水を抜くだけで、一ヶ月以上経過しても改善しないばかりか、患部の炎症を治す根本的な治療が行われているとは思えず、歩かないため右足の脚力も無くなり、家族の介助だけで車イスにも座れない現状は、せめて段差の大きい田舎の玄関を改良して車イスのまま出入りできるようにしないと、タクシー会社にも断られている現状から一生外出はできません。

 そんな本音を言わないままに2人で移送してきたものの、松葉杖とか車イスの通院の手配も考えず診察する町医者と、炎症のある患部の根本的治療をしない医師にいくら通院しても治るとは思えず、私の家族なら迷わず名古屋の日赤に連れていきますが、ご夫婦にはかかりつけ医もなく、これまでも病院にも行かない家庭環境で悪化した現状は先の見通しもつきません。

 家内だけでなく、私と奥様の3人がかりの移送は普通ではなく、本来ならば入院して患部を治してからリハビリで歩けるようにしないと、残された人生は真っ黒となっていきます。市役所経由で連絡があった患者さんですが、歩けなくなってから1ヶ月以上寝たままで、病院へも通院しなかったというから驚きです。

 自分自身が体調不良になると、ボランティア精神なんて言ってはおれず、とにかく明日の診察によって万全な身体に回復させないと、四国遍路や上高地とも言ってはおれないため、節制に努めて次の外出に備えたいと思います。

ギャラリー
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