大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

我家のペットたち

過去のブログから愛犬を思い出して


 一年前のブログを読み直すと東三河の五平餅を食べ歩いてきた記録が添付してありました。


今の私に一年前のパワーはありませんね。


 本日は平成6年から毎週火曜日の夜に開催してきた書道会が開催され、般若心経の写経を書き上げました。


5年前  2017年08月23日

大鹿一八「本日の一言」 : 我家の相棒の笑顔に癒されて (livedoor.blog)


10年前  2012年08月24日

大鹿一八「本日の一言」 : 相棒と上高地へ (livedoor.blog)


5年前と10年前の本日の一言を読み直すと私の相棒リマの姿が残されていました。


ペットの持ち込みが禁止されている上高地へ、家族とはいえ環境省まで連絡して堂々と愛犬を連れて行ったパワーは懐かしい思い出となりました。


上高地の小梨平や大正池で相棒が一緒にいた姿を思い出すと一抹の寂しさが募ってきます。


15年前  2007年08月23日

大鹿一八「本日の一言」 : 「一緒に行くかい」とは言えず… (livedoor.blog)


 そして15年前には、同じ家族とはいえ愛犬モモを自宅に置いたまま上高地へ出かけていく一言も記されていました。


愛犬モモも自宅に置いていかれる事を察して、ヒイヒイと泣いてついてこようとしていたことも昨日のように思い出されてきます。


愛犬モモと相棒リマがいなくなった今となっては懐かしいというよりも悲しい思い出になりました。


一日ぶりの帰宅を家族より相棒と愛雀が喜こび

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我家のサブロー 来客があっても私の腕に一緒に居ます お客さんの写真です

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三男がお客さんからいただいたイチゴ

 もう一日上高地に滞在するか、祖父の眠る御嶽山に行くか、最近顔をあわせていない白馬か高山市の知人宅を訪れるか思案していると眠られず、夜になってから突然に自宅への里心に襲われて車を走らせ戻ってきました。

 当たり前のことですが、到着した本日未明には家族全員が寝静まっていたものの、私の姿を見た相棒リマが喜んでゲージの中でピョンビョンと跳び続けるため、パンツを履かせてゲージを出してやりました。

 そして、本日午前中に鳥カゴから出して放鳥したヒーとサブローが、一日の空白から私が恋しかったのか、私の頭の上を占有するヒーと、肩を居場所にするサブローが私にまとわりつき、私の頭に2羽が止まり、これまで来客があると天井から見ているサブが本日は私から離れません。

「おい、ヒー、ヒー」
  「 … 」
「ごめん、ゴメン、サブだったのか」
  「 … 」

 頭に止まっているのがヒーと勘違いすると、サブはまったく返事をしなくなり、飛んできたヒーと鉢合わせになって、「ジキ、ジキ、ジキ、ジキ」と場所取りが始まり、千両役者のサブが他の鳥カゴに飛んでいきます。最近は、鳥カゴに戻すのに苦労していましたが、本日は私が外出したわずかな時間に2羽とも自分で戻っており、一日の空白で本当に模範生のようになっていました。

乗鞍スカイラインが開通 登山バス、山並み縫う 岐阜

 さて、本日乗鞍スカイラインが開通したことが発信されていますが、昨日に知っておれば、自分の車(タクシー)で行かなくとも、上高地や沢渡から乗鞍に行くバスは出ているため、本日自宅に帰っていることはありませんでした。
 本当に残念の一言ですが、雪の中にわざわざ行く元気が最近は失せており、それなりの装備も用意していなかったのが残念でもあります。

            本日の体重 71、9キロ 徒歩数 3429歩 間食あり
                                      5月15日の一言


お寺で愛犬の写真を見て、書道会、新聞でも…

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町内の真言宗の寺へ 弘盛寺 越津町

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我家の愛犬モモも居ます
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                  ここではペットも大切に供養されています


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名古屋市の大須です

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 本日は昨晩から吹き荒れた寒風が朝まで残り、久々にオーバーコートに身を包んで3月議会の議会運営委員会が開催される市役所に出向きましたが、インフルエンザによって欠席した議員の話と、マスクをつけた議員の姿を見ると、一瞬にして自分も風邪に感染したような気分にさせられました。

 本日は議会運営委員会に続いて、議会改革協議会が開催され、仕事は午前中に終ったため、定年後も市役所で働く同級生と一緒に昼食を摂った後に、午後1時30分から地元のお寺で行われた「阿息観」に参加してきました。

 さて、このお寺には6年前に死んだ愛犬モモの写真が他のペットたちと一緒に飾られており、年月の経過によって写真が変色している現実を見ると、残された愛犬リマも今や9才になっている現実を実感させられました。

 阿息観終了後に、名古屋市の大須観音の近くで開かれていた「志賀弘法会」の月例会に参加されている代表者を自宅まで送迎し、自宅に到着すると時計は午後6時30分になっていました。

 そして、本日の夜は書道会が開催され、そこでも…

ペットの生前の姿、ずっと そっくり人形が飼い主癒やす
記事の続き…
 http://www.asahicom.jp/images/asahicom/hand.png同じ犬で座ったり、立ったり、四つの姿勢を頼んできた人。犬に続いてウサギの人形を頼んできた人も。人形を受け取り涙を流した若い女性もいたという。
 江頭さんは、物心ついたら犬が自宅にいて遊んでいたという。7年ほど前、飼い犬が死んだ後は、孫にアレルギーがあるため飼っていない。それまでは犬がずっとそばにいて、犬は「子ども」という存在。天国であえるのを楽しみにしているという。ちりめん人形、球体関節人形を習い、作ってきたことが基礎にある。
 猫は昨年、依頼を受けて初めて作った。
 高さ約30センチ、長さ約40センチで5万円ほど。大きさ、毛の種類や長さによって金額は変わる。

 作っているのは佐賀市高木瀬町長瀬、江頭由紀子さん(67)。
 問い合わせは江頭さん(0952・31・5860) 。

「大鹿さんとこはペットが居て良いなあ」
      「先生の家でも飼ったらどうですか」
「この歳になると犬より生きられないから…」
      「家族がおられるでしょう」
「それは、そうだが…」
      「捨てられて薬殺されていく犬も居るんですよ」
「うーん、そうだなぁ」

 家庭の事情で捨てられたり、保健所に預けられて、引き取り手がないまま薬殺されていく犬が存在し、そんな殺されていく犬を救って可愛がってやれば、先々の心配はあっても犬は救われると恩師との会話に花を咲かせました。

 生き物を飼う者の宿命で、いつかは悲しい別れが訪れ、我家だけでなく、恩師も数年前に15年飼った愛犬を失い、しばらくは思い出話で涙を見せておられましたが、85歳となる年齢から二度と犬は飼わないと決めておられているものの、今からでも新しい愛犬を迎えれば確実に気分は若返ると思います。
 数年前に死んだ愛犬も、畑に捨てられていた子犬が、恩師の飼っていた愛犬についてきた捨て犬で、愛犬が死んだ後を愛犬の忘れ形見として可愛がられてきました。

 添付した会話のように、そのまま薬殺されてしまう境遇の犬を引き取り、可愛がってあげれば、仮に恩師が亡くなっても家族が文句を言いながらでも、絶対に残された愛犬を恩師の忘れ形見として可愛がられると思いますが…

 本日の朝日新聞には、飼っていたペットとそっくりの人形を作っておられる女性の記事が掲載されていました。生き物に永遠はなく、別れは宿命となりますが、我家も愛犬リマが存在し、一昨年10月末に愛雀が死んだ際には、過去にない悲しみに見舞われたため、これからの一日一日を大切にして、平常心でおられる環境にしていきたいと思います。

            本日の体重 71、8キロ 徒歩数 3128歩 間食あり
                                     2月21日の一言

賢い我家のアマガエルを見かけて

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我家のアマガエル

 「おじさん、お久しぶりですね。僕を覚えていますか?」と言って、ぴよーんと私の手の平に飛び乗ったとの一言は、3年前に私が記したアマガエルの記載ですが、今年は梅雨時から真夏にかけて雨が少なかったためか、我家の庭でアマガエルの姿をあまり見かけませんでした。

 私の事務所の東側は、例年だと大量に生まれた小さなアマガエルを踏まないように歩くのに苦労しますが、雨が少なかったことと同時に、今年6月に三男が接骨院を開業したため、事務所東側に大きなエアコンの屋外機が3台並んで絶えず送風があることも影響して今年はアマガエルが死んでしまったのかもしれません。

 添付したアマガエルは、三男が開業祝いで頂いた花を保存するため入れられた花器の吸水性のスポンジに住みついており、「よくぞ見つけたな」とエールを送ってやりたいような心境ですが、何とか生き抜いて来年に子孫をつないで欲しいものです。


 さて、私の事務所には十数年前から「ヤモリ」も生息しており、夜には窓の外のガラスに張り付き、事務所の明かりに寄ってくる虫を狙う姿を日常的に見てきましたが、今年は三男が接骨院を開業したため環境の変化を心配していましたが、今年は事務所横の我家の窓にへばりついている姿を見かけるようになりました。



 子供の面倒も見なかった私ですが、還暦を過ぎて孫の顔を見るために走るようになり、相棒リマと一緒に旅行して犬と共に車中泊し、2年前からはスズメを保護するようになっており、我家をねぐらにする小動物も家族と感ずるようになっていることもあるのでしょうか。

台風16号、与那国島に近づく 風雨強まる恐れ

台風16号経路図  http://www.jma.go.jp/jp/typh/16165l.html

 台風16号の針路が気になり、久しぶりに本格的な台風が西日本から本州を直撃しそうですが、私の住む愛知県もその予想進路に入っていることから、添付した小動物どころか、我家の建物が心配となる週末を迎えました。

            本日の体重 72、5キロ 徒歩数 1885歩 間食なし
                                     9月16日の一言


鳥のエサ場にモズが居座るようになり

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エサ篭にやってきたモズ(百舌、百舌鳥、鵙)

 ピーちゃんの家族や仲間と思われるスズメのために設置した庭のエサ篭ですが、スズメたちを追いやって居座るのは「モズ」と思われ、大きな鳴き声で鳴き叫び、スズメのエサを食べつくし、庭の主役のように仲間もやってきました。

 「モズ」はスズメたちを甲高い声で威嚇して、我が物顔で庭に居座り、追い払おうとも考えましたが、遠くから見ているスズメたちも驚いて近寄らないようになっては困る為、しばらくは様子を観察しますが、私の思うようにはなりません。

 エサ篭を置いて1ケ月近く経過して、やっとスズメが食べにくるようになったものの、私が近づくと一斉に飛び去り、カゴを見ると置いたエサの米は全て食べられていますが、警戒心が高くて近づくどころか遠くで立っているだけでも近寄ってきません。

 平成23年にヒヨドリのヒナ「ピーコ」を保護し、2年前にピーちゃんを保護して1年半一緒に生活したものの、小鳥の飼育について詳しいわけではなく、ピーちゃんの亡骸を思い出すと、元気に飛び廻るスズメやキジバトを可愛がってやった方が無難かも知れません。

 「お父さんはバトも飼っていたもんね」
 「ハト? 猫に食べられてしまった伝書鳩かな」
 「キジバト」
 「キジバトは飼ったことないぞ…」
 「いつも付いてきていたじゃん」

 全く記憶にありませんが、私に懐いていたキジバトの話を三男から聞かされ、思い起こすと子供の頃から小屋に多くのニワトリがおり、高校時代に飼っていた数羽のニワトリが、私が入院中にエサがもらえないため退院時に餓死していたことや、動けない伝書鳩を保護して放鳥しようと考えていた時に猫に食われてしまった悪夢とか、ヘビに飲み込まれてしまったジュウシマツなど、元々鳥と私の縁はあったのですね。

 5年前に保護したヒヨドリのピーコが人懐っこく、2年前に保護したピーは我が子のような関係となったため、鳥の居ない生活が寂しくてならず、ピーのために大量に購入したエサがそのまま残り、ピーのために養殖していた「ミルワーム」が放置したままでも元気に生き残っている現実に考えさせられてしまいます。

 6月に三男が私の事務所を改装して接骨院を開業するため、ピーたちの居た部屋どころか、私自身も「ミルワーム」と移動を迫られており、移動の機会に庭のエサ篭の置かれた柿の木が見える縁側に、日曜大工でテラスを作り、将来的にはそこにスズメたちが集まってくればと思ってみたり…

 ピーが逝って4ヵ月が経過し、何とか涙を我慢できるようになったものの、温かかったピーの温もりが未だに忘れられずと言うよりも、忘れてはならないと小鳥との新しい出会いと関わりを考える日常になってきました。

          本日の体重 71、4キロ 徒歩数 約9000歩 間食あり
                                      3月3日の一言

私の置いたエサに寄ってくるスズメたち

枝の中央がエサ篭です

 我家の庭の柿の木の枝にスズメ用のエサ篭を置いて1ケ月になり、10日前の一言に「誰かが確実に食べに来ている」と記しましたが、スズメは臆病なため、人間が近づくと逃げてしまい、本日も空になった篭にエサの米を入れている私を見ながらしばらくは寄ってきません。

 そこで、私のピーちゃんが大好きだった「黒糖おやつ米」を入れて、私の姿を見ると寄ってこないため、物陰に隠れて食べている姿を確認しましたが、写真に収めるのは難しく、しばらくは静かに見守りますが、目的はエサ目当てでも私の周りにスズメたちが寄ってくる環境にしたいと思っています。

 ピーの兄弟か家族が中心と思われ、ピーが屋根から落ちなければ一緒に飛んでいた仲間と思われるスズメたちですが、ピーのように呼んでも応えず、私とピーの関係を再現することは無理ですが、エサを撒けば飛んでくるようになるまで頑張りたいと思います。

 生き物を飼う宿命ですが、未だに何も言わなくなった冷たいピーを見た昨年10月29日が忘れられず、こんな悲しい別れを再現することなく、我家に寄りつくスズメたちを可愛がることでピーを偲びます。

元県議の野々村被告、保釈金800万円を即日納付

 さて、号泣議員として社会を騒がせ、政務調査費の搾取により議員の信頼を著しく失墜させた野々村元兵庫県議について、神戸地裁は保釈を認め、保釈保証金800万円が即日納付されたと報道されています。
 野々村元県議は政務活動費900万円余りの詐欺罪などに問われていますが、保釈保証金が800万円と被害額と同等であることと、私なら即日どころか家族は保釈保証金を出してくれるとは思えず、無職の野々村元県議の経済状態にもびっくりとさせられました。

保釈金は全額戻るのか? 教えて!goo      

 保釈保証金の金額については、被告人が没収されると相当な痛みを感じる程度の金額を納めさせるということは理解できますが、同じ罪を犯しても保釈保証金に差があることに同じ人間として違和感を感じるとともに、我家なら支払うこともできませんから深刻です。
 しかし、保釈中に証拠隠滅をしたり、逃亡されては困るため、高額にした保釈保証金を取り戻すため被告人に法を遵守させる必要があり、第三者に少しでも被害を与えている可能性があれば保釈そのものを認めない厳しさも必要と思います。

           本日の体重 72、1キロ 徒歩数 1883歩 間食なし
                                     2月27日の一言

脱走していたザリガニを発見して


 『我家のアメリカザリガニが昨晩逃走し、過去2回の逃走ではそのまま見つかっておらず、屋外に逃げておれば幸いですが、しばらくは気をつけて探すことになりそうです』 …昨日最後の一言ですが、過去に逃げたザリガニを探しても見つかったことがなかったため、何とか無事に生き延びて欲しいと半ば諦めていました。

 但し、気になって寝付かれないため、ザリガニは夜行性のため見つかるかもしれないと思い、事務所の電気を消してから1時間ごとに探していたところ、午前2時に水槽のある隣の部屋で、ハサミを広げているザリガニを発見しました。

 逃走が判ってから家内の協力で必死に探したものの見つからず、半ば諦めて「暖かいうちに逃がしてやれば良かった」と思っていましたが、何度も電気を点けて探したかいがあり生きて回収することができました。

 我家のザリガニは家内が田んぼに除草剤や殺虫剤を噴霧する時に見つけて持ち帰り、偶然にも卵をつけていたことから、多くの子供を宿すものの、残酷にも子供同士が共食いしたり、親が食べてしまうため残ったものです。
 もっとも、持ち帰らずそのままにすれば残酷なシーンを見ることはないものの、薬剤散布後に死んでしまうため、家内が一時的に持ち帰り、身勝手にも私が水槽に入れてしまうため、我家では何年もザリガニが存在します。


 さて、偶然にも見つかったものの、水気のない事務所を一日間放浪していたザリガニは弱りきっており、慌てて水槽に戻しましたが、過去に脱走してから見つけたザリガニをそのまま水槽に戻したら死んでしまったことから、水槽に皿を浮かべて水を入れエラ呼吸と直接呼吸ができる環境にしました。

 下記に添付したのは我家で孵化したアメリカザリガニですが、田んぼから取ってきたと言っても1ミリの子供から成長させたザリガニのため、このままピーちゃんの二の舞にさせたくなく、1時間ごとに安否確認を続けたところ空は明るくなっていました。結果的には元通り元気になりました。


 ピーが逝って1ケ月近く経過し、深夜に安否確認に走ることは無くなったため、久しぶりの徹夜になり、午前中に約束があったため、昼過ぎに自宅に戻り、歯が痛いので横になっていると痛みが心臓の鼓動と連動してきました。

 運悪く明日が祭日のため、歯医者さんは火曜日にならないと行けず、火曜日は市役所で議会行事が開催されるため、このまま火曜日の午後まで痛みを我慢できないことから、休日診療所の歯科診療を受けることにしました。

 この頃には片目をつぶっておらないと痛みが我慢できないほど痛み出し、家内に乗せてもらう情けない受診ですが、診察台に座ると歯槽膿漏により化膿しており、「痛いけど我慢して」と麻酔を打たれ全身硬直状態で痛みに堪えることになりました。

 「痛くないですか?」
 「膿を出して奥まで洗浄するからね」
 「痛そうですね?」
 「痛かったら麻酔を足すから…」
 「メス出しました」…看護師さんの声

 歯の治療に毎週かかりつけ医に通院しているものの、医者と注射嫌いの臆病者と認識されているため、こんな時もメスで切ることなく薬で処置されていますが、本日は過去にない荒々しい処置を受け、「びっくりするけど、そんなに出血はしていないからね」と言われ、治療は終ったものの痛みは最高潮です。

 「今日は応急処置で治療ではないからね」
 「はい、とうも…」
 「かなり悪いから無理するとすぐに炎症が出るよ」

 お医者さんの話では、どこが化膿してもおかしくない状態で、激しい運動や徹夜をして疲れるとすぐに歯が痛む状態との話で、これからは覚悟して通院する必要がありそうです。
 応急処置に診察室で1時間も経過していたことから、休日診療所に救急車が到着して搬出された内科の患者さんがあり、「大げさなお父さんかな思った」と家内が笑いましたが、突然の歯の痛みに処理後の夜になっても痛みが引かない大変な一日となりました。

          本日の体重 71、1キロ 徒歩数 1495歩 夜間食はなし
                                    11月22日の一言

全日本大学駅伝の神野選手を応援に行きました

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 本日は早朝より町内の水路(側溝)清掃が行われ、終了直後の私を待って、孫の一家3人と家内とで三重県の松阪市を目指して我家を出発しました。

 昨日の一言に「ピーが逝って3日目」と記しましたが、本日からでも、3日前にはピーちゃんは元気に私の手中に居たわけですから、今でも部屋に行けば「チュン、チュン」と呼ぶような気がする一方で、現実には鳥カゴや巣の中に居ない現実は、胃が重くなってくるとともに、座っていると涙が溢れてきます。

 部屋は3日前から何も動かしてはおらず、ピーが居るものとして生活をしていますが、私を呼ぶ鳴き声は無く、玄関前の門柱横を掘り起こせば、埋葬したままの姿があると思うと、掘り起こして声を掛けたい病的な心理に陥ってしまいます。

 本日は愛知県の熱田神宮と、三重県の伊勢神宮の間で、全日本大学駅伝が開催され、私の母校である神守中学校の卒業生となる青山学院大学の神野大地選手を応援するため、アンカーとして走る最後の第7中継点を目指しましたが、家内と2人だけではピーを思い出してしまうため、気分を紛らわすため孫に声をかけて5人と、相棒リマも一緒に連れて出かけました。

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 今年年頭の箱根駅伝で活躍した「山ノ神」神野選手の人気もあって、松阪市の第7中継所は昨年より観客が多く、レース前に中継点の周りを走る神野選手を待ち構えるカメラマンやファンも存在し、昨年のように道路のベストポジションで応援することはできませんでした。

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第7中継所で襷(タスキ)を受け取った直後の神野大地選手

 神野選手の走る姿を記録するために、デジタルカメラと携帯電話のカメラを用意していましたが、練習に飛び出してきた神野選手に「神野君頑張れ」と大声で叫ぶと、カメラのシャッターを押し忘れており、2位で襷を受け取った本番でも、一度に2台のシャッターは押せませんでした。

神野失速、青学大2位 「誤算」続き三冠逃す
記事の続き…
慢心とはいかないまでも、青学大にはわずかなスキがあった。2区。7月のユニバーシアード(韓国・光州)でハーフマラソン金メダルだった小椋は想定タイムを38分と踏んだが、「上回るペースだった。あそこまで強いとは」。37分台と攻めた東洋大・服部弾に届かず、前半戦で抜け出せなかった。
 中継点が迫ると、必死に前へ出ようとする東洋大の執念にも気おされた。「『1秒をけずりだせ』の東洋大と、『一瞬を楽しめ』のうちとの差が出た。今まで右肩上がりで来たが、(出雲、全日本、箱根の)3大駅伝で初めて悔しい」。目標としていた大学3冠を逃し、原監督の顔は挑戦者に戻っていた。

瀬古が斬る  第47回全日本大学駅伝を斬る
勝負はやってみなければわからないというのを実感した。誰に聞いても青学大が強いと言っていた。しかしふたを開けてみれば、東洋大の完勝。真逆の展開となった。最後まで油断はできないものだと思った。

東洋大は、8人全員が100点満点だった。持っている力をすべて出した。先手先手を打てて、完璧なレース運びだったと思う。
青学大は100点もいたが、60~70点の選手もいた。その分だけ東洋大が上に行った。全員が100点なのは見事だった。
1区、2区、4区、8区と重要区間に有力選手を並べることができた青学大は、「勝負あり」とまで各監督に思わせていたはずだ。誤算だったのは2区小椋、4区久保田だろう。力を発揮できなかったといえる。

3位の駒大は、駒大らしい走りはしていたと思う。最後に逆転し3位になったのはさすがだ。
4位の早大は、正直この順位までくるとは思っていなかった。この結果はほめるべきものだろう。
5位の東海大には、将来性を感じる。若い選手が多く2~3年後にはトップ争いをするのではないだろうか。3区を走った1年湊谷など「湘南の暴れん坊」になってほしいものだ。
6位明大は後ろに山梨学大ニャイロが迫っていた。最終区で3分の大逆転シード権なんていったら大変なことだ。
ニャイロはまだ1年生だし、可能性を感じる。もしかしたらモグス以上になるかもしれない。

MVP的存在といえば、東洋大4区の櫻岡だろう。久保田に先行を許さず、名前負けせず強い精神力で、最後は再逆転のスパートでつないだ。東洋大はこれで自信につながり、「イケる!」と思ったのでは。とにかく東洋大の完璧さが際立った大会だった。
 
 2位でタスキを受け取ったことから、年頭の箱根駅伝の再来に期待しましたが、故障が続いて練習不足となった神野選手の記録は伸びず、逆転による優勝は果たせなかったものの、このまま故障がなく2ヵ月の練習を続け、「山ノ神」として箱根で頑張ってもらいたいものです。

 神野選手が走り去った松阪市の中継所を後にして、家族と伊勢神宮を目指したものの、道路が規制されていたことから大渋滞で、伊勢神宮には予定より大幅に遅れて到着しました。
 ただし、伊勢神宮直前の道路は一般車を通行禁止にしており、青ナンバーのタクシー車両のため過去には通行できたものの、入れてもらえないことも覚悟していましたが、参拝者が列をなす入り口まで楽に入ることができ、結果的には昨年より楽となる参拝になりました。

                  本日の体重 71、4キロ 徒歩数10457歩
                                     11月1日の一言

稲沢市議会議員選挙の候補者事務所を訪ねて

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稲沢市議会選挙に立候補している川合正剛候補者を囲んで
 
 愛知県稲沢市では市議会議員選挙が行われており、初当選以来選挙の度に応援していただいており、市町を越えた問題では連携している川合正剛(せいごう)候補者の選挙事務所を本日午後激励に訪れました。
 
 川合候補は55歳と私より若いものの、稲沢市に合併した旧祖父江町の町議会議員の経歴を含めると私より議員生活は長く、議長も経験した実績があり、事務所にには国会議員や県会議員、市長、市議会議員の推薦セビラが掲示されていました。
 そんな中に、私の推薦セビラも忘れずに一緒に張り出してくれているところに彼の義理人情の深さを実感させられます。
 
 添付した写真は、刈谷市議会議員の神谷昌宏さんと候補者を挟んでの撮影ですが、同じ愛知県とは言うものの、三河部の刈谷市からはるばる駆けつけてもらえるところに、川合候補の人脈の深さと行動力がうかがえます。
 
 稲沢市議会議員選挙は、今度の日曜日が投票日になっており、私を頼りにするまでもなく川合候補の当選は確実と思っているものの、選挙は戦いでもあり、一票差でも当落が分かれる現実の中で、今の私にもネットを通じて紹介し、皆さんにご支援を賜る機会は与えられているため、ここに紹介してご支援をお願いする次第です。
 
 稲沢市や祖父江町にお知り合いがあれば、「日曜日の投票日には、川合正剛(せいごう)さんをよろしく」とお伝えいただければ幸いです。
 私の出生地は旧祖父江町で、私の母親は川合候補の父親と小学校の同級生であり、私の在所の従兄弟も川合候補の同級生ですから、候補者の誠実な性格と、体力を惜しまぬ行動力を熟知した上での応援ですから、責任を持って推薦したい人物です。宜しくお願いいたします。

 さて、我々地方議員は、地域住民の方々と手が届く距離にあり、住民の意見を無視したり、住民の声に応えない議員は選挙で勝ち残れませんが、本日の国会では野党議員だけでなく、憲法学者や大学教授の意見を封印し、安保法案に反対する多くの人々を無視して強行採決がおこなわれようとしています。

 安部政権を地方で支えている保守系議員が、地方選挙では地元住民の声に耳を澄ませ、地元に貢献する公約を発信して選挙に臨んでいる姿を理解するのであれば、安部首相は大阪のテレビに出演する前に、国会周辺で反対の声をあげる国民と対座し、沖縄の基地問題についても自分自身で現地に立つべきと思いますが、数を頼りにした強行採決が国民不在で行われていく姿に地方の無党派議員の限界も感じさせられずにはおれません。

 明日も津島市議会では文教建設委員会が開催されます。

                   本日の体重 70、8キロ 徒歩数 2586歩
                                      9月16日の一言

強力な小さな助っ人登場に

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私が植木鉢で育てている小松菜です。
 
 私の秘書役となっている愛雀ピーちゃんの貴重な食材となっている小松菜ですが、青虫の被害が続いており、当初は青虫ごと餌にしてしまえば一緒と放置していたものの、青虫に食べられて全滅してしまった植木鉢も存在し、毎日葉の裏表を確認して取り除いてきた結果が添付した小松菜です。
 
 ホームセンターの園芸コーナーには、散布して翌日収穫しても大丈夫と記された殺虫剤もありましたが、一瞬にして青虫を殺してしまう薬剤が、小さなピーちゃんに影響がないとは思えませんから、老眼鏡をはめて一匹づつ取り除くものの、翌日には穴だらけとなってしまいます。
 
 一方では、我家でこんなに青虫に悩まされているのに、スーパーで購入していた小松菜には虫食いが少しもなく、私はスズメのために小松菜を買っていましたが、人間より小さなスズメに与えるのは危険を感じるようになりました。
 
 さて、こんな繰り返しに頼りとなりそうな我家のファミリーが登場しました。我家の朴の木周辺に毎年大量に生息するアマガエルの赤ちゃんが登場し、小松菜の周辺にもへばりついており、これからは青虫も駆逐してくれる可能性が高いと思われます。
 
我家はアマガエルの楽園になってきました 2014/10/17
 
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数日前に生まれたばかりの赤ちゃんです

 自然の連鎖とは不思議なもので、2年前まで屋根裏に侵入したイタチに悩まされていましたが、イタチのお陰でそれまで裏庭に大量に生息したヘビを見かけることが無くなり、アマガエルもヘビが居ないために大量に存在するようになったと思われます。
 
 さて、本日は終日雨が降り続いており、昨晩には我家から4キロほど離れた「ジョイフル」に本日の早朝に歩いて訪れ、野菜サラダを朝食にするか、同じく4キロほど離れた「なか卯」まで足を延ばすかと考えていましたが、雨が続くと歩くこともできません。
 
 体重がリバウンドする危機を感ずるようになりました。
 
                  本日の体重 70、9キロ 徒歩数 182歩 
                                      7月4日の一言
 

懐かしい亀のクミキチの再来になり

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 「道路に亀が居る」
 「あっ、轢かれちゃう !!
 「危ない !!  危ない !!
 「あー、戻ってきた」
 
 私の事務所前の大声に慌てて走ると、小さな亀が歩道と車道の境をすばやく歩いており、放置すれば確実に車か自転車に轢かれる状況にあり、「クミキチ」の再来とばかりに必死で助けるとともに、家の中に持ち込みました。
 慌てて裏庭に放置してあった「クミキチ」の水槽を取りに走り、汚れを落として飼う気満々で、亀の意思は無視して飼い主の父親役になっていました。
 
 「クミキチ」とは、平成16年6月に市内の道路で保護した亀で、この時も放置すれば車に轢かれてしまう市街地を歩いており、連れ帰って数年飼育していましたが、数年前に保温機器の故障によって死んでしまい、今はアンズの樹の根元に眠っています。
 
 本日保護した亀と全く同じような大きさで、一瞬近くの川に放そうかと考えましたが、「クミキチ」の再来と勝手に考え、「クミキチ」を飼育していた水槽で飼うことに決めましたが、私は20年ほど前にも亀を飼っていたものの、「亀は土台を壊す」との人の意見によって、家内が勝手に川に放してきた苦い経験もありました。
 幸いなことに、家内は私の代役で、昨日より長野県の善光寺へ遍路仲間を乗せて行っており、家に入ってくる捨て猫でも「来る者は拒まず」の公約どおり、新しい家族にしてしまいました。「クミキチ」に与えていた亀の餌もそのまま残っています。
 
 「クミキチ」は生意気になった娘の名前にキチをつけて呼んでおり、今は娘には大切な孫も居ることから、今回は「カメキチ」にしようかと勝手に自己満足ですが…

平成21年  2009/2/13(金) の一言から
 本日の夕方に飼っていたカメの「クミキチ」が死んでいました。昨晩に水槽のヒーターに寄り付き動かないために、手で温めてぬるま湯を足したのですが、これが災いとなったのか、朝には元気に回復していたものの、足した水の中で裏返しのまま(弱っていたので寝返りができずに窒息死か)に死んでいました。
 平成16年6月に道路を横切る枯葉のように小さい「クミキチ」を拾ってきたのですが、考えて見ると車から助けたつもりが、私の不手際で命を失ってしまいました。何も言わないカメだけに、後悔しても遅く、(家族の反対の中で飼っていたので) しばらくカメは飼いません。
 
悲しいのは、暫く不在の水槽にもヒーターと酸素を入れたままにしようと考えていましたが、無情にも家内にコンセントを抜かれ…(また入れましたが) 合掌
 
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 2年前の一言に、「4月14日に、家内が田んぼの除草作業後に持ち帰ったアメリカザリガニの尻尾におよそ50匹の子供が付いており、この日から水槽の中で一匹の母親と約50匹のザリガニが我家の一員となった(右下の写真)ものの…」と記してあった子供が添付したザリガニです。
 
水槽内のザリガニの地獄絵を改善して 2013/7/14(日
 
 久しぶりに放置してあった水槽を掃除したことから、放置状態で青い藻がついたままのザリガニの水槽も清掃したので、しばらくすると藻が取れて綺麗なザリガニに変身してくれると思います。このザリガニも、いつかは水路に戻してやろうと考えていましたが、戻していれば農薬等で既に死んでいたと思われ、戻せば子孫を残していたかもしれませんが、しばらく可愛がってやりたいと思います。
 「亀吉」、「カメキチ」についても、水路には除草剤や農薬が入るため、しばらく水槽で飼育してから放すか考えたいと思います。

                本日の体重 69、9キロ 徒歩数8379歩
                        夜の血圧 135-76 脈拍70 
                                    5月16日の一言
 
追伸
本日は地域の自主防災会の総会と、コミュニティ推進協議会の総会が開かれました。長野の善光寺に人を移送していた家内も無事に戻ってきました。


ピーちゃんと、家内と孫の家族から同級生へと

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 久々の家族団欒の一日となり、午後からは娘夫婦と孫が訪れたことから、稲沢市まで買い物に出かけ、目的の品物は見つからなかったものの、途中でスィーツや飲み物を買い込み、木曽川(旧祖父江町)の「ワイルドネイチャープラザ」まで足を延ばしました。
 添付した写真は、県営木曽川祖父江緑地公園で遊具の上に孫と一緒に登ったもので、こんな高いところに登ったのも、子供でも一緒に遊んだ記憶がほとんどなく、久しぶりの開放感を味あわせていただきました。

○祖父江地区3公園の総合愛称がサリオパーク祖父江です。
・木曽川沿いの祖父江地区に立地する3つの公園(国営木曽三川公園「ワイルドネイチャープラザ」、県営木曽川祖父江緑地、市営祖父江ワイルドネイチャー緑地)をまとめて、『サリオパーク祖父江』と呼ぶことになりました。

サリオパーク祖父江 http://www.sobue-park.com/enjoy/sariopark/

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 午前中は事務所の主役に戻ったピーちゃんが私から離れません。選挙の直前はお父さん役の私が不在で、選挙期間中は事務所裏に幽閉生活となり、選挙が終りやっと元通りの生活となり、朝にはカゴから出て、私の腕と肩の上で私に話し続けており、電話応対中は私が相手になっていると勘違いして鳴き止みません。

 娘の家族と一緒に買い物に出かけた目的も、ピーちゃんが一番の好物としているオヤツを探して複数のホームセンターに出かけたわけで、目的とする米粉に黒糖をまぶしたオヤツが見つからなかったものの、ミールワームや相棒リマのオヤツを大量に買い込むことになりました。

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 さて、このまま孫たちと家に帰って夕食になる前に、旧祖父江町にある善光寺か家内の在所に立ち寄ろうと考えていると、同級生からの電話があり、慌てて帰宅しましたが、「ちょっとコーヒー屋でも」の気持ちから、最近お気に入りとしていたジョイフルのモーニングメニューに走りました。

ジョイフルのモーニングメニュー

 うれしいことにジョイフルでは、60才以上となる我々にはいつでもモーニングメニューが注文でき、朝のモーニングサービスが全国的に有名な愛知県においても、ジョイフルのメニューはドリンクバー付きでコーヒー屋さんよりお得感があります。

 選挙が終った後の同級生とのひと時は、久しぶりにリラックスした近況報告と昔にになり、帰宅したときは午後9時を廻っており、孫は夕食を済ませて帰宅した後でしたが、ピーちゃんだけは事務所で私を待っていてくれました。寝るのは私から3メートル離れた相棒リマの隣に移動です。

                本日の体重 68、7キロ 徒歩数 3932歩
                                   4月29日の一言

島根県の中学生に政治の原点を感じて

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本日のピーちゃんです。

なんとか巣ができあがり、一国一城の主になった気分なんでしょうか。


 本日は夕方に久しぶりとなるウォーキングで出向き、途中の珈琲屋さんで休憩中に、本日のピーちゃんの様子を「書き込み中」としてブログ発信してから自宅への岐路としました。今年最高の冷え込みの中でしたが、意外に多くの人々がウォーキングに出ておられました。

雀(スズメ)の巣と親鳥を駆除する方法ってありませんか?
                    https://oshiete.goo.ne.jp/qa/882514.html

 夜になり、鳥の巣作りについてネット検索すると、害鳥としての巣の書き込みが多いことにびっくりさせられましたが、考えてみると昨年5月に目も開かぬスズメを拾ったことから、スズメを育てることしか眼中になく、鳥の被害に頭を悩ます人々の存在に寂しさも覚える夜になりました。

新会派「生活の党と名古屋のなかまたち」 4市議が結成
「議員の4分の1は女性に」民主・玄葉光一郎氏

 そんな記事一覧中に、名古屋市の河村市長の結成した地域政党・減税日本で当選した議員が、支持してくれた有権者を無視して新しい政党で生き残りをかける姿に、選挙運動もしない候補者が圧倒的得票数で当選できたのは、河村市長の人気と、減税日本の趣旨に賛同する市民の支持があったことが忘れられており、こんな身勝手な行動で生き残れたら真面目に政治活動を続ける気力も失せていきます。

 一方で、政権を握ってから身勝手な離散や、公約違反や軽薄な発言で、政治の信頼を失墜させた民主党国会議員の「議員の4分の1は女性に」との発言も、過去の社会党土井委員長のマドンナブームを思い起こすとともに、場当たり的な発言として本気かどうかを疑うことしかできません。

中学生「廃校寸前の母校救って」 寄付700万円集める
記事の続き…
 諦めかけていた10月、津和野町などで地域活性化に取り組む会社「ファウンディングベース」(東京)の代表らに声をかけられた。中学生の交流イベントで、都市部と地域の両方の学校を知っている鈴木君を知り、関心を持ったのだという。
 ネットで資金を募るクラウドファンディングを提案された。「これしかない!」。子育てを支援する地元のNPO法人「さぶみの」の協力も得て、ホームページを開設。空き家改修プロジェクトを立ち上げ、地元で工面する200万円に加え、2棟の改修費600万円を募った。
 1円も募金がない日もあったが、鈴木君のある言葉が突破口を開いた。
 東京で11月下旬にあった、米国で生まれた「TED(テッド)」から派生したプレゼンテーション大会。ネット中継される中、500人の観衆に15分間、少人数教育や自然体験の利点について説明した。
 「僕たち左鐙小で育った人材が、いずれ東京のど真ん中で活躍する日がくるでしょう。これからも、僕を見ていてください」
 演説を機に募金額は上昇。12月末までに232人から計706万5千円が寄せられ、期限内に目標を達成した。募金などをもとに空き家の改修工事を進め、3月末に完成する予定だ。
 町教委は昨年9月、統廃合の1年先送りを決めた。現在、4月の児童数は8人の見込み。町教委は鈴木君がネット募金を集めたことなどについて「大変素晴らしいこと」。ただ学校存続とは別問題だとして、「4月の在籍児童数の状況をみて判断する」としている。
 地元の人たちは7日、移住希望者を対象に暮らし体験会を開く。鈴木君は案内役を務める。

 さて、廃校寸前の母校を残すために、島根県津和野町日原(にちはら)中学校1年の鈴木智也君(12)が、町教委が母校の左鐙小を15年春に統廃合する方針に対して、「僕にとって特別な学校です」と、勇気を出して廃校反対を訴え、昨年からインターネットで募金を呼びかけ、700万円を集めた記事が報道されています。

 まさに政治の原点のような話題で、町教委は昨年9月に統廃合の1年先送りを決めており、今後は未定としているものの、12才の中学生の行動が地域の村おこしとなり、空き家改修プロジェクトなど地域に与えた効果は大きく、むしろこの地域での議員の存在感が解かりません。

 私自身も4月の統一地方選挙には有権者の皆さんの洗礼を受けるものの、政治活動の目標と内容よりも、選挙時に得票を集める集票活動に長けた者しか生き残れないとしたら、これも世間の評価として「まな板の鯉」状態になっていると考えると寂しさも隠せません。
              本日の体重 71、0キロ 徒歩数 7450歩
                                     2月9日の一言

ピーちゃんや私の体重からブログ文化を実感して

 昨日の一言に、我家のスズメ「ピーちゃん」の近況を記しましたが、野生のスズメを飼育することは禁止されているため、スズメの飼育を指南する専門書はなく、私は限られたネット情報と体験談を探して眼も開かぬヒナを育ててきました。
 
 さて、ブログ文化とも言われるようになりましたが、昨日の訪問者履歴の中にスズメ関係のブログがあり、そのブログ運営者の「お気に入り」の中に、我家と同じ「ピーちゃん」というスズメを16年3ヶ月も育てられた人が存在することを知りました。
 
 早速ブログを訪問し、過去の飼育記録を読み、16年3ヶ月というびっくりする長寿に心強くさせられるとともに、ゲストブックに「長寿の秘訣を教えて欲しい」と記したところ、貴重な体験談を記していただきました。
 
長生きの秘訣を教えていただけたら幸いに思います。
            ↓
早速、ピーちゃんの写真を拝見しました。
我が家のピーちゃんとそっくり!(笑)

お問い合わせの秘訣ですが
我が家では16年間、餌の他に岩塩をずっと置いてたのと
水浴び、砂浴び用の容器を置いてました。
毎日、何度も水浴び、砂浴びをするので
周囲は水や砂だらけになるのでその都度掃除が大変でした。

それと何度も食べ物を喉に詰めて死にかけた事もあり
その度に家内が爪楊枝で取り出したり
口をつけて吸い出してました。

それと何度か様子が変になって
動物病院に連れて行って注射も受けました。

家中、糞だらけになりますが
毎日、朝から8時くらいまで放し飼いで
夜は捕まえて籠に入れ階段下の物入れが
ピーちゃんの寝室でしたね。

小鳥が寿命途中で亡くなる大半は人間が誤って踏んだりすること、
家具の隙間に入って出て来れず、見つけてもらえなかった。が
多いようで
我が家も何度も大騒ぎで捜しましたよ。

その他、16年の思い出はいっぱいです。

大事に育ててあげてください。
 
 昨日の一言にも記しましたが、部屋の中を自由に飛び廻らせてやりたいと放した際に、家具の隙間からどんどん入っていき、何処にいるのか判らなくなり、大慌てで探しましたが、過去には子猫が倉庫で行方不明になったことがあり、最近でも水槽から脱走したザリガニが行方不明になったままで、体験者しか判らない記載は貴重な指南書になることを実感させられ、早速記載されていた「岩塩」を買い求めて鳥カゴの中に入れました。
 
 16年3ヶ月の飼育体験は貴重です。条例で禁止されている野鳥の飼育ですが、足元に羽も生えず眼も開かぬスズメのヒナが落ちていれば、救いたいと思うのが当たり前で、役所の窓口で「そのまま放置せよ」と言われても「放置できない」のが人間らしい行為と思います。
 ※親が近くにいるヒナや、巣から捕ってきたヒナを飼育するのとは違います。
 
 私の一言は身勝手に想いのままに記していますが、ピーちゃんの飼育体験を参考にされる人も存在し、それぞれのブログの書き込みを参考にし、体験談を指南書がわりにされていることは、ブログだけに限りませんが、市民の発信が確実に生活文化となってきたことを実感させられます。
 
 他力本願ではいけませんが、6月27日より管理栄養士さんの指導を受けていることで、80キロ前後あった体重が減少を続け、今月の10日からは73キロ台になり、21日には初めて72キロ台を記録し、昨日の72、9キロに続き本日も73キロ以下になりました。
 
 この体重の変化が健康診査の数値を改善しており、この一言に体重を記録し続けることの効果は確実にあり、訪問された人の書き込み内容は参考になり、意識の共有から励みにもなります。ブログ文化の恩恵を実感されられます。
 
 本日朝食前の体重 72、3キロ → 昼食後の体重 72、6キロ
           本日夕食後の体重 72、9キロ 徒歩数 10054歩
                                  
                                    11月26日の一言

犬が小学生を噛む事件が起こり

 本日の報道では、大分県中津市で、通学中の児童が犬にかまれてけがをしたと通行人から110番通報があり、小学生と幼稚園児の男女計7人(6~10歳)が手足などを犬にかまれ、数日から2週間程度のけがをしたと発信されています。
 
通学路の児童、泣き叫びパニックに 犬にかまれ7人けが
 
登校中の小学生ら、犬に襲われる 7人が手足にけが
記事の続き…
 現場はJR日豊線の東中津駅の南約850メートルの地点。近くに住む無職大塚之規さん(71)は、児童らの声が騒がしいのに気づき、家の外に出たところ、犬が子どもを追い回し、次々にかみついているのを目撃した。「子イメージ 1どもたちは泣き叫び、パニック状態だった。ほかの大人たちと3人で犬を子どもから引き離した」と話した。
 福岡県朝倉市では今年2月、小学生や幼稚園児ら3人が、大型犬のバーニーズマウンテンドッグ3匹に顔などをかまれ、けがを負う事故が起きている。飼い主はリードを外して散歩中だった。山梨県笛吹市では2012年5月、飼い主と散歩中だった土佐犬に首をかまれた女性が死亡。リードをつけていたが、犬の首輪が外れ、襲いかかったという。
 犬のかみつき事故は減少傾向にある。環境省動物愛護管理室によると、1979年度は1万3312件だったが、12年度は4198件。大半が飼い犬による事故だった。同室の担当者は「飼い主にマナーやモラルを呼びかける必要がある」と話している。
 
 今回の事故について、事故現場周辺では見かけない犬と報道されているものの、首輪をした飼い犬とみられ、捕獲されたされた後の姿は凶暴な犬とは思えず、飼い主が早く名乗りでて責任を果たしてもらいたいものです。
 
 私の幼少時に父親が知人から貰ってきた白い秋田県「シロ」がいましたが、つないであった鎖が取れたときに近所の鶏を噛み殺したとして保健所に連れていかれ、悲しい別れがあったことを今でも忘れられません。
 
 私が小学生の時になりますが、私についてきた捨て犬「ジャンプ」を愛犬として飼っていましたが、中学生になった時に近所から無届の告げ口が保健所にあり、元々家で飼っていた犬がいたため、私が家に居ないときに何処かに連れ去られていきました。
 
 また、他所からの訪問者に必ず噛み付く愛犬「エル」もいましたが、この頃は私が親も困る非行少年になっていたことから、「鎖でつないである犬に近づいた相手が悪い」と、責任をとって保健所に出そうとしていた家族から守ったこともありました。
 
 「シロ」、「ジャンプ」、「まる」、「エル(噛み付く犬)」、「マル」、「チビ」、「クロ」、「もも(僅か3ヵ月で交通事故死)」、「モモ(ももの妹)」、「リマ」…
 
 私の家庭にはいつも愛犬が存在してきました。それぞれに個性(癖)があり、今にして思うと懐かしい家族の一員ですが、過去には外で風雨にさらされていた番犬が、「クロ」から土間で飼われ、「もも」と「モモ」は台所で生活し、「リマ」に至っては私の相棒として、我家の子供役として旅行も一緒に行動するようになりました。
 
 もっとも、人間と同じ生活をしている「リマ」も、外出先ではおとなしくしているものの、我家や事務所に入ってくる来客に対しては吠えるだけでなく、隙あらば噛みつこうとしますから、我家では相棒優先で対応しており、事務所の内側に入れないように柵が置いてあり、それを越えて勝手に入らないようにビラが張ってあります。
 「リマ」も来客には吠えますが、一人だけは言うことを聞いて隣りに座ります。この知人は、相棒にオヤツを与えるためで、飼い主が工夫すれば愛犬は我が子より従順になります。
 
 本日の噛み付き事件の記事を読み、添付した写真を見るかぎり、事件は起こしたものの凶暴で手がつけられない犬ではなく、飼い主が名乗り出て責任を取り、しっかり管理して飼い続けて欲しいと祈ります。
 
            本日の体重 73、1キロ 徒歩数 9907歩
                                  11月19日の一言

我家はアマガエルの楽園になってきました

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 機種変更した携帯電話の画素数が1210万画素になったことで、寒さを堪えて「明日葉」の上で寄り添う3匹の「アマガエル」がはっきりと写り、今までのように近づかなくてもズームで撮影できるため撮影の機会が増えそうです。
 
 昨年ごろから庭どころか屋内まで「イタチ」が侵入するようになっており、それまで温かい間は恐怖の主役のようになっていた「ヘビ」が庭から姿を消したことで、アマガエルも食べられる心配もなく増えている可能性があります。
 
 アマガエルの止まっている「明日葉」は、千葉県飯岡漁港に近い路肩で抜いてきたもので、来年には植木鉢から庭に移す予定ですが、多くの新芽をだしており、四国のツバキ、長野県のアンズ、朴の木など、全国各地から移植した植物は大切に育てていきたいと思います。
 
 2年前に孫を喜ばすために植えたイチゴも、そのまま放置してあった新芽を植木鉢に移植しており、来春はイチゴ、トマト、サクランボ、アンズ、ブルーベリーと、我家の庭で一年を通してにぎやかになりそうです。
 
小渕氏団体の観劇会、2012年未記載 規正法に抵触か
記事の続き…
 17日午前の委員会で、小渕氏は観劇会の収支の記載がないと指摘されると、12年も観劇会があり、自身も参加したことを認めたうえで「12年が必ず(両団体の)共催だったか申し上げられない」と答弁。一方で「他の団体が主催したということは、私が知る限りはない」とも述べた。
 小渕氏はこの日、過去の観劇会では1人あたり「1万~1万2千円」の会費を集めていると説明。「(収支の)差額がどこに消えたか私自身も分からない」とし、一連の問題について「知らなかったでは済まされないとの思いだ」と話した。差額を後援会などが負担したとすれば、公職選挙法に違反する疑いがある。
 小渕氏の後援会女性部で地区役員を務める群馬県内の女性(64)は「12年も観劇会が開催された」と証言する。例年同様、後援会から地区ごとに人数の割り振りがあり、地区役員が希望者を募って会費を集め、後援会事務所まで持って行ったという。別の女性部役員の女性(66)は、12年の観劇会に自ら参加。会費も他の年と同じ1万2千円で、他の会員らとバスに乗って都内に向かい、日帰りで観劇したと証言した。
 小渕氏を巡っては、関係政治団体から親族企業に支出したり百貨店で乳幼児用品などを購入したりしていた問題も指摘されている。小渕氏は17日の閣議後会見で「先代の頃からご縁のあった方々やお世話になった方々に対する贈答品で、現時点で私が私的に使ったという物は出てきていない」と述べ、私的な流用を否定した。
 
「うちわ、極めて悪質な寄付」 民主、松島法相を告発
 
 さて、地方議員の政務調査費の不正使用が社会問題となっていましたが、昨今は政権幹部となる松島みどり法相の「うちわ問題」だけでなく、小渕優子経済産業相の後援会などが、後援会員らの観劇費の一部を負担した疑いが出ており、事実とすれば利益供与を禁じた「公職選挙法」違反の可能性があり、2年前の政治資金収支報告書には記載されておらず、事実とすれば「政治資金規正法」に抵触する疑いが出てくるため、しばらくは責任問題と進退問題に発展しそうになってきました。
 
 自分の似顔絵が描かれた「うちわ」が討議資料と他人事のように言い張る議員が、公正な裁判や法律の責任者となる法務大臣に居座ることは異常で、素直に認めて調査すると答弁した小渕議員より、額は小額とは言え悪質性が強く、徹底的な追及と処分がなされないと来春の統一地方選挙は無法状態を招きます。
 
        本日の体重 74、3キロ  本日の歩数 1万2261歩
                                  10月17日の一言

カワセミ君の最後の踏ん張りに期待して

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弥富野鳥園の案内板です
 
 金曜日の夜に保護したカワセミを連れて、昨日には伊勢湾岸に近い弥冨市の弥富野鳥園を訪れたところ、鳥を預かることはできないとの話です。
 
 「それじゃー、どうしたら良いですか?」
 「近くの動物病院に見せてください」
 「そこで預かってくれるのですか?」
 「それはできません」
 「診察代も必要なんですね?」
 「自分もちとなります」
 「それで元気に回復しますか?」
 「難しいです。
   そもそもが、鳥を治すために獣医になった人はほとんどいませんから…」
 
 「死ぬのも自然」と、(役職上の言葉でしょうが…)死ぬことが判っていても捨てろと言い放った愛知県民センターの若い女性職員のような冷酷な応対ではありませんでしたが、現実にはこのまま鳥を飼うこともできず、自分でエサも食べられず飛べない鳥を外に置けば、ネコかヘビの餌食になってしまいます。
 
イメージ 2 2日前に玄関で保護した時には、明日になれば元気になっていると思っていたものの、元気になるどころか弱っていくばかりで、せめてエサくらいは与えないとと、魚の生餌やシーチキンなどを用意して無理やり口に入れ、食べれば元気になると考えていたものの…
 
 野鳥については、私を含めて詳しい人は存在せず、鳥については一過言ある人も、スズメすら間違った情報ばかりで、カワセミについても「こんな汚い所にいること自体が珍しい」とか、「近くの木に巣があるから探せ」と言われたものの、昨日の野鳥園の職員の話では、カワセミは何処にでも生息し、町のどぶ川にも生息して、土の中へ穴を掘って巣にしているなど、現実には判らないことばかりです。
 
 このまま外へ出せば死ぬとの話から、エサを食べさせて元気にさせてから、安全な場所に置くことで帰宅したものの…
 
 現実には、昨日自分からエサを口にしたとは聞いた(長男から)ものの、朝には衰弱しており、体温も低いように感じ、午前中にエサを無理やり与えて近くの草むらに出そうと考えていましたが、亡骸を見たくないだけの責任放棄に、再度頑張ってエサと水を与えて元気を取り戻させたいと思います。
 
 このカワセミをヒナの巣立ちと言った人もありますが、現実には成鳥が走ってきた車に飛ばされて我が家の玄関にうずくまっていた可能性が高く、外見は何も異常がなさそうに見えるものの、左目を瞑っていることもあり、ヒナとしても親らしき存在と、巣を作っていたと思われる場所がないため、自己治癒力に祈るしかありません。
 
 本日は、早朝に枕元の携帯電話で起こされましたが、電話の主のご子息の声が聞こえたことから、不吉な予感がそのままとなり、親しい知人の満八十四歳での訃報となりました。
 
 私は、この人と、議員になる以前は「朝日旅行友の会」で一緒に行動し、議員になってからは選挙の事務局長として関わってもらい、横井庄一記念館が開館した直後はボランティアの案内人、NPO法人の副理事長として見返りのない無償でのご協力を続けていただきました。
 
 こうした数少ない信頼できる知人が亡くなるのは悲しいものがあり、議員生活を十五年も続けると多くの支援者が鬼籍に入っており、それらを奮起の材料にするか、私のように自分の残された寿命を考えるかによって住む世界が変わってしまいます。
 
 保護したカワセミ君についても、ここで自然の摂理として放置するのか、何とか人間の知恵で努力すれば助かると考えるのかの違いは大きく、今晩は保温することによって最後の体力回復に期待したいと思っています。
 
                                     6月16日の一言

本日も新たな鳥が玄関に待っており…

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 「えっ、それ、どうしたのー !?」
 
 「捕ってきたわけじゃないぞー」
 「えっ、これは何ー?」
 「玄関にうずくまっていた」
 「拾ってきてはいけないんでしょう」
 「これこそ、一時保護だろう」
 「もとに戻してきたら」
 「それこそ、自転車か人に踏まれてしまうだろう」
 
 昨日の一言に、5月3日に庭で冷たくなっていたスズメのヒナ「ピーちゃん」の保護をめぐって、愛知県の県民センターで声を大にして議論してきた、野鳥の一時保護について、新たな珍客(カワセミらしい)が玄関で私を待っていました。
 本日午後(夜)7時30分の話です。こんな偶然が重なるような話は、信じてもらえないような本当の出来事で、決して捕獲してきたものではありません。
 
 動きません。手を差し伸べても動かず、手の平で拾って、ピーちゃんを育てたカゴに入れました。
 
 完全なる成鳥と思われ、左目をつぶり、30分経過しても、カゴに止まったものの、水も口にせず、そのまま動きません。車に当たって頭部を負傷しているか、羽がわるいのか、とにかく動きませんから判りません。
 
 「動物病院に連れていったら?」
 「なんで、大金をかけて行くんだ」
 「だって、死んじゃうかもしれないでしょう」
 「それが自然だ (昨日の県職員の言葉) 
 
 3年前にヒヨドリのヒナ「ピーコ」を保護した時に、動物病院に高額な治療費を払ってもたいした効果もなく、結果的に死なせてしまったことと、今回はどうやら家の前の道路を走る車にぶつかった可能性が高く、明日まで生きていればそののま放つこととし、どんな細菌を持っているか判らないため、「ピーちゃん」とは離れた事務所の奥にそのまま置きました。
 明日の運命は…
 
 こんなことを記すと、「あなた今日どこに行っていたの?」言われそうですが、本日も市議会の総務協働委員会があり、市役所から帰宅したのは夕方で、鳥を発見したのは夜の7時30分の話ですから、偶然とはいえ鳥の避難所か、鳥の宿屋になったような不思議な心境にさせられました。
 
 今回は冗談ではなく、何も口にしませんし、明日になってもこのまま飛べない場合は、愛知県の弥富野鳥園に持っていくしかありません。
 
 さて、明日は上高地の音楽祭が行なわれることから、知人らと一緒に上高地を訪れますが、先月に乗鞍スカイラインを自転車でヒルクライムしようとしたものの、自転車は雪で通行できなかった知人も同行するため、乗鞍スカイライン経由の上高地行きとなりそうです。
 
                                   6月13日の一言

迷い猫にかつての愛猫の顔をうかべて

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 我が家の飼い猫ではありませんが、一日に一度は我が家を訪れて、倉庫に置かれた綿の上で休憩し、私のもとには寄ってくるようになった「ゲジゲジ」で、首輪を付けていることから、近所の飼い猫か、何処かから迷ってきた猫と思われます。
 
 「私のもとには…」と記したのは、あまりにも毛色がゲジゲジで汚いため、家内が相手になってはいけないと言っていたものを、深夜の間にエサで手なずけたため、私のところだけには寄ってくるようになったしだいで、寄ってくれば可愛いため、家族も伴って誘っているうちに、家族にも寄ってくるようになりました。
 
 もっとも、一日中居るわけではなく、気が向いたは時だけ訪れている様子で、このまま我が家の飼い猫になる可能性はないものの、我が家は県道沿いにあるため、飼い猫が交通事故で死んでしまうことから、捨て猫や迷い猫が来たら飼うことにしており、久々に人懐っこい猫の登場は明るい話題となりました。
 
 この「ゲジゲジ」は、ずいぶんと身体が堅く、耳にも無数のキズがあることから、年老いているのか、本当に迷い猫で帰る家がない可能性もありますが、そうなると我が家に君臨する相棒リマが居ることと、リマが犬一倍綺麗好きなことから、シャンプーで洗えるくらいに懐かないとなりませんが…
 
 「おーい、ゲジゲジ」
 「 … … 」
 「チュッ、チュッ、」
 「 … … 」
 飼い猫ではありませんし、近所の飼い猫かもしれませんから、私の思うようにはなりませんが、この数日間は「ゲジゲジ」を確認するために何度も裏庭に通うのが日課となってしまいました。
 
 不思議なもので、ゲジゲジで毛色の汚い猫が、過去に我が家の飼い猫であった、血統書付きの猫と顔は同じと思えるようになり、過去に死んだ猫が私に会いにきたんではないかとバカな心境にもさせられる毎日ともなりました。
 
 さて、本日は小学校の入学式に来賓として出席してきましたが、孫と同じような新入生と、参加される保護者との年齢の違いから、自分だけが部外者のような心境で座っていたところ、まったく場違いのような来賓の姿にホッとさせられました。
 
 「町で出会った知らないオジサンだけでなく、お兄ちゃんにも気をつけて…」
 「 … … 」
 「判らない人に声をかけられたら、…」
 「 … … 」
 「助けてー !!! 誰かー!!! 」
 
 還暦を迎えた私よりは確実に若いはずの警察官ですが、どう見ても年長にしか思えない風体(大変失礼ですが)で、小学生に話した経験もないからでしょうが、こんな話では子供たちが挨拶もできないばかりか、世間の知らない人は悪人ばかりと思わせるような訓示に驚かされました。
 
 私の子供時代には、町で出会った人には、大きな声で「おはようございます」と挨拶するように言われていたものの、最近は物騒な世の中になったことから、知らない人には気をつけるように注意しなければならない現実にも寂しさを覚えました。
 
                                       4月7日の一言

千四百年も続く企業の存在に

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 本日は娘の依頼で、朝から孫を預かっており、孫と一緒に買い物や桜の花見などを目標に出かけましたが、私の助手席は相棒リマの指定席となっており、車を走らせた時には喜んでいたものの、本日の主役は相棒ではなく、珈琲屋からホームセンター、スーパーマーケットと、我々が車を離れる度にストレスを溜めまくる一日となってしまいました。
 
 家内の話では、車で出かけると解ったときは喜んでいたようですが、孫が一緒だと解ると嫌そうな表情をしたらしく、出かけるのは好きですが、助手席の留守番役となり、私のいない運転席で叫んで寂しく待ち続ける相棒でしたが、最近は孫が助手席に座りたがるため、助手席だけは死守して喜んでいる姿を添付しました。
 
創業1400年、金剛組に異変 「最古の企業」当主不在
記事の続き…
 とりあえず、今年の儀式は金剛組相談役の植松襄一(じょういち)さん(71)が、前例のない「正大工代務者」となって挙行した。19歳で入社し、四天王寺から「権大工(ごんだいく)」(正大工の補佐役)の称号を拝受している。「伝統ある儀式を続けられてほっとした」と話すが、当主不在は長引く可能性がある。
 金剛組や四天王寺に具体的な記録が残る17世紀以降、金剛家が当主不在で「手斧始め」を迎えた例はない。だが、後継者難や経営危機は何度もあった。
 亡くなった利隆さんが病床で完成させた著書「創業一四〇〇年」によると、江戸時代、病弱だった33代目は26歳で自ら正大工を退き、継いだ34代目も「職道不熟」で退任に追い込まれ、分家からの養子でしのいだ。明治時代、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)で四天王寺が寺領を失うと、お抱え宮大工の扶持(ふち)米2石3斗もなくなり、経営が悪化。他の社寺の仕事をもらってしのいだ。
 1932年、37代が後継者がないまま先祖の墓前で自殺。急きょ、38代目となったのが妻の故・よしえさんだった。48年、福井県の建設会社で働いていた利隆さんを婿養子に迎えて後継者のめどを付けると、55年には株式会社化して経営を再建。社寺の鉄筋コンクリート造りに素早く対応するなど、「なにわの女棟梁(とうりょう)」として名をはせた。
 しかし、マンションなども手がけたバブル期の拡張主義が遠因となり、2005年に経営危機に直面。06年に中堅ゼネコン高松建設(大阪市)の支援で子会社となった。その際、社長だった利隆さんの一人息子が責任を取って退社し、金剛家が経営から退いたことが、今回の当主不在の事態につながった。
 ただ関係者は、金剛家からの正大工を期待している。高松建設から金剛組に転じた刀根健一社長(59)は「120人の専属宮大工には、伝統ある『金剛家の弟子』との自負がある。社寺との信頼関係や精神面で金剛家が必要だ」と話す。
 四天王寺の吉田明良(めいりょう)・総務部長(46)も「寺は災害や戦災で7回失われたが、金剛家のおかげで再建できた。1400年の付き合い。いつかまた正大工を担ってほしい」と願う。
 相談役の植松さんは「当主不在は長い歴史に比べたらほんの1ページ。ふさわしい40代目が現れるまで技術と伝統を預かっていく」と決意している。
 
 私は学生時代から朝日新聞販売店を経営していましたが、平成11年に選挙に立候補することになり、政治との兼業が禁止されていたため廃業することになり、23年間で看板を降ろしましたが、自分の仕事を次世代に継がせるのも大変なのに、千四百年も歴史を刻む企業の存在には驚きの一言しか思い浮かびません。
 
  聖徳太子の命で四天王寺建立して以来、千四百年も継承されてきた「日本最古の企業」ともいわれる「金剛組(大阪市天王寺区)が、昨年10月に39代目当主金剛利隆さんが後継者不在のまま89歳で死去してしまったとの朝日新聞記事です。
 
 金剛組は578年 初代・金剛重光が百済から渡来して創業し、593年に聖徳太子の命で四天王寺を建立したとあるが、日本書紀に「百済に行った使者が僧や造寺工を連れ帰り、難波(大阪)に住まわせた」という趣旨の記述があり、金剛組の系図は「用明天皇の皇太子(聖徳太子)が金剛、早水、永路の3人の大工を召して四天王寺を建立した」と記されており、天皇家と遜色ない歴史を宮大工として残しているだけに、金剛家の血脈で40代目を継承してもらいたいものです。
 
                                   3月29日の一言

ヤモリの冬眠と上高地に想いを重ね

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我家の窓や壁に生息するヤモリです
いつ頃から我家に生息しているのかは判りませんが、私の事務所の外に生息して、夜になると窓明かりに寄り付く虫を狙って窓の外にへばりついていますが、最近は寒くなってきており、そろそろ冬眠の準備に入るためか、本日は窓のわずかな隙間からトイレに入り込んでいました。
家を守るという「ヤモリ」で、毎晩窓の外にへばりつく姿を見慣れているから良いものの、初めての来客がトイレで見たらビックリ仰天となりかねませんね…
だんだんと寒くなってきており、冬眠して姿を見せなくなるのも寂しい宿命です。
 
 
 本日は午前中で終わると思っていた議会だよりの仕事が午後まで続き、午後に約束してあった人々との連絡が続きましたが、市役所内で訪ねた職員は休暇をとっており、一人は異動で他の施設に移っていました。
 
 今年4月に開催する予定をたてていた上高地の写真展ですが、写真展の会場としていた喫茶店が今年2月に閉店したことから、しばらくは発表する機会を失っており、撮り貯めた写真の中から20点を選んで、とりあえずネット写真展として残そうと思いつきましたが…
 
名物マスターの画廊喫茶が閉店し http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/47087472.html
 
 実は、過去の写真展に発表する写真について、自分では選択に迷うことと、私の美意識がずれているため、市役所内で写真について詳しい2人の職員に選択を依頼しており、本日は写真とフイルムを持って市役所に出向いたのに2人とも会えませんでした。
 
 さて、この一言で何度も記しておりますが、今年の上高地は吹雪や雨にたたられていたものの、先週末には久々に晴れた上高地に遭遇し、4月以来となるカメラを持ち出し、フイルムに収めたことから、置いたままにしていた昨年分の写真を持ち出しました。
  
2011年1月31日~2月5日
      上高地と私 http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/44648661.html
 
2010年1月25日~30日
      上高地の10年 http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/42727530.html
 
 写真展と言っても、上高地を撮り続けるプロカメラマン中沢義直さんの作品を見れば、私の写真は見る必要もなく思われますが、過去に撮り貯めた写真の情景内に自分が立っていたと考えると、悠久の上高地の一瞬間かもしれませんが、瞼を閉じると当時の環境下に立っているかのような錯覚も起こります。
 
 閉山まで一カ月となりましたが、我家から3時間の行程を考えると、ふらりと思いつきで訪れたい心境になるものの、今年は一度も四国を訪れていない現実があり、家内をその気にさせることが早道かもしれませんね…
 
                                    10月4日の一言 

ミミズなんて飼ってどうするの?

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 我家のペットとは言えませんが、我家の庭先で数年前から生育しているのが「シマミミズ」で、魚釣りの餌として購入した残りを、写真右の植木鉢に放し、思いついたときに残飯を与えてきました。
 
 このシマミミズが不思議なもので、中身をかき回して探したものの一匹もいない時があり、全部死んでしまったと思っていたら、梅雨入り前には売っても良いくらい多く繁殖していました。一匹もいない状態からの大量発生は卵が残されていたと思われます。
 
 梅雨明けに見たところ、今度も大量に減っていたため、私の推測では雨が降った時に植木鉢から逃げていったと考えられ、逃げられない箱に移す機会をうかがっておりましたが、やっと昨晩に発泡スチロールの箱に分離しました。
 
 実は、もう少し大きな箱が確保してありましたが、箱が大きいと持ち運びに不便なために、その場所に置いたままとなる可能性が(私の性格から)高く、「ちょっと小さいかな」と思う箱で増やしていきたいと思っています。
 
 「そんなもの飼ってどうするの?」
 「増やすんだがぁ」
 「増やしてどうするの?」
 「増えれば、魚釣りの餌にもなるだろうし…」
 「誰が釣るの?」
 「三男が釣るだろう…」
 
 さすがに結婚して三十数年も一緒に生活していることから、家内は私の性格を知り抜いており、魚釣りについても釣った魚を殺して食べることができず、飼育しても最後には死んでしまうため、最近は魚釣りにも行きません。
 
 いろんな野菜を畑に植えていた時もありましたが、せっかく育てた野菜を採って食べることを躊躇し、収穫しないことから食べ頃を逃すのも私の悪い性格で、「種を採ろう」とそのままにしてしまった野菜や花も多くあり、種は採れてもどこかに積んで忘れて翌年にはその存在すら忘れてしまいます。
 
 このシマミミズについても、私が増やすことを目標にしても、増やすだけで「可哀想」とそのまま三男の餌にしない可能性と、「せっかく増やしたのにもったいない」と言うだろうことを家内は見抜いているのだと思います。
 
 「ミミズを飼育した土は肥料にもなるんだぞッ」と言いましたが、時間をかけるよりもホームセンターには200円程度で安い土も手に入ることから、自分でも何のためにしているのかと思ってはこの話はおしまいです。
 
 さて、本日は議会運営委員会が開催されていましたが、市民には議会日程が続いていることが理解されておらず、私の都合を尋ねる連絡が続きましたが、この一言には議会の中身や内容よりも、上高地やお遍路などを優先し、私の私的行動を記していることから、議員活動も理解してもらう必要性を感ずる一日ともなりました。
 
                                  9月19日の一言
追伸
明日は横井庄一さんの17回忌がおこなわれます。

魚屋さんへミミズの飼育用の箱をもらいに

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 先週に引き続き三男が昨晩から魚釣りに行き、小さなウナギ(写真が撮れていません)と、写真のウグイと思われる魚を釣ってきました。もう一匹はハゼで、元気なまま持ち帰ったため、過去に生きたまま持ち帰るために買った酸素を探して、飼うことにしましたが果たして永く生かせるのでしょうか。
 
 イメージ 2我家には3人の息子がいますが、私が24才の時に生れた長男と、37才の時に生れた三男とは私の趣味が変わり、三男と一緒に魚釣りに連れて行った記憶がありませんから、今年の春から仕事半分と自転車半分にして、時間の余裕ができたことから生れた楽しみかもしれません。
 
 そうやって考えると、今から20年前には釣ってきた魚が水族館のように飼われていたことが思い出され、いずれも死んでいってしまった過去が思い出されてなりません。過去の遺産というべきか、使わなくなった水槽は庭先に放置したまま転がっていますから、繰り返す可能性は大かもしれません。
 
 このまま釣り行きが続くと我家の土曜日の昼食は魚のから揚げが続き、料理する家内の手は生臭く、使用したタオルまで臭くなりますから、朝帰りで午後まで眠っている三男の無責任さに腹立たしい一日ともなりました。
 
 さて、三男の魚釣りとは関係ありませんが、数年前に魚釣りの餌として購入したミミズが残り、大きな植木鉢に移して餌となる残版や新聞紙などを入れて飼い続けてきたものの、多いときはびっくりする数のミミズがいるのに、時には数匹になっており、どうやら雨で濡れたときに逃げ出しているものと思われます。
 
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 そんなことから、本日は近所のスーパーで魚を入れる発泡スチロールのフタのある箱をもらいに訪れたところ、巨大な箱しか存在せず、もらってはきたものの、ここに土を入れて置いたらミミズの大量飼育は可能かもしれませんが、私の性格からしてこのまま数年間は動かさないままとなりますから、スーパーのご厚意は有難くいただき、改めて手頃な大きさの箱を探したいと思います。
 
 私の子供の頃には近所に「シマミミズ」が存在する畑の「クマシ」という生ゴミ置き場があり、魚釣りの餌は買わなくても川の近くで獲ってから行っていたものでした。今では町内にシマミミズの密集する穴場は無いものと思われ、これからも再現はできないと考えると寂しいかぎりです。
 
ミミズ飼育のサイト http://www.ikigomi.jp/mimizubako2.htm
 
 それにしても、子供の頃に当り前に存在したシマミミズがいなくなり、今年は飛んで来るトンボの数も少なく、水藻やヨシに囲まれた水郷は、コンクリートと金網に囲まれた用水路となり、遊び場だった道は危険な道路となり、土地に対する郷愁は感じられなくなりました。
 
                                      9月7日の一言

我家のヤモリの赤ちゃんを見つけて

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 我家に昔から生息する「ヤモリ」の赤ちゃんです。事務所の2階で三男に保護され、親達がいるであろうと思われる事務所の窓の外に放しましたが、暑かった夏が過ぎて、これから日に日に寒くなっていくだけに心配です。
 
 私はヘビが大嫌いなため、トカゲも好きになれませんが、夜になると窓の外にへばりつき、灯りに寄ってくる虫を食べようとしているヤモリは可愛く、「家守」と思えば大切に共存していきたいものです。
 
 三男の手のひらに乗るヤモリは小さく、こんな小さいヤモリが自分で餌を食べて生きていけるか判りませんが、何とか今年の冬を乗り切って、大きく成長して欲しいものです。
 
 
 
 
ヤモリの飼い方より引用
イメージ 2ニホンヤモリGekko japonicusは体長10~14cmのヤモリで日本では昔から家に住み着いて害虫などを食ってくれるので「家守」とか「守宮」などと書かれます。家の戸袋などの隙間を住みかにしていて日が暮れる頃になると灯りに集まる虫などを狙ってごそごそと出てきます。

その特徴は何と言っても指にある指下板とよばれる器官によって垂直はおろか、天井などにさかさまに「張り付いて」自由自在に運動するところです。
 
 

水槽内のザリガニの地獄絵を改善して

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本日区分けしたザリガニの水槽です 
 
 今年4月14日に、家内が田んぼの除草作業後に持ち帰ったアメリカザリガニの尻尾におよそ50匹の子供が付いており、この日から水槽の中で一匹の母親と約50匹のザリガニが我家の一員となった(右下の写真)ものの…
 
イメージ 2 最近では1日ごとに減っていくザリガニに、認めたくはないものの、「母親が子供を喰っている」と思われることから、母親だけを隔離しました。
 
 しかし、その後もザリガニは減り続け、朝になると一匹ずつ減っており、夜のうちに共食いするためエサの量を増やしたものの効果はなく、昨晩には仲間に喰われている現場を見てしまいました。
 
 4月に50匹はいたと思われるザリガニが5匹に減り、本日の朝には4匹になっており、そのうちの1匹もハサミが片方取れていたことから、最後の1匹になるまで共食いが続くことは確実で、母親を隔離したことにより、大きい抑止力がなくなって闘いはより厳しくなってきたようです。
 
 4匹とはいえ、1匹は3センチになっているものの、1匹は5ミリ程度しかなく、一緒に入れ続けることは地獄絵そのままのため、何とか分離させるか、1匹ずつ水槽に入れるしかなく、ザリガニに水槽を5個用意するのも現実的ではありません。
 
イメージ 3 かつて、ペットボトルを使った、車中泊に携帯するコーヒーメーカー(左)を添付したことがありましたが、今回もペットボトルを半分に切って、穴を開けて水が行き来するようにして4匹の子供を分離し、隔離してあった母親も一緒に水槽に入れました。
 
 過去には同じように共食いするメダカにも悩まされた事がありましたが、こんな方法なら共食いを防げるだけでなく、水槽の酸素をそれぞれに送れることから今後は活用したいと思います。
 
 さて、我家の田植えや稲刈りをお願いしている営農組合の奥さんが亡くなり、本日の通夜に続いて明日に葬儀が行なわれます。ご主人は私より2年先輩にあたりますが、重い米を運ぶなど農業は重労働であることを、奥さんが亡くなられたことからつくづくと実感させられました。
 
                                       7月14日の一言
 
 
 
 
 
  
 
津島市出身の参議院選挙比例区候補者大野拓夫さんです!!
                    皆さんのご支援をお願いいたします
 
大野拓夫のホームページ http://www.ohnotakuo.net/ 
比例区(全国区)の投票では、
           政党名ではなく「大野たくお」とお書きください!! 
 
私のHP 津島の新しい風 http://www1.clovernet.ne.jp/oshika18/ 
                                    mail  s281218@yahoo.co.jp 

我家を一度に大家族としたペットの登場です

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 日曜日に家内が田んぼから連れてきたアメリカザリガニです。親の左側と前方(ヒゲの部分)に小さな赤ちゃんが2匹出ていますが、温かい日中には20匹以上の赤ちゃんが動きまわるものの、夜になって寒くなると母親の尻尾の下に全員が納まっていきます。
 
 私は以前にもアメリカザリガニを飼っていたことがあり、当時のザリガニの餌が大量に残っていたことから、昨日からの継続のような飼育となりましたが、過去の記憶をよみがえらすと弱肉強食の厳しさを実感させられたように思います。
 
 我家では水槽が大量に残されており、過去にはコイからメダカ、金魚になったフナ、ブルーギル、ブラックバスなど多くの魚を飼っており、用水や川で捕獲してきたものばかりですが、テナガエビやカニを飼っていたこともありました。
 
 思い起こすとライギョやナマズだけでなく、私の地域では見られなくなった七色に輝く「トウギョ」や、ハゼが居たこともあり、最後には庭の土の下に眠らせてしまうことから、数年前(2009/2/13)に亀の「クミ吉」が死んで以降は全ての水槽が空になっていました。
 
 昨年から、孫の希望によって金魚を5匹飼っていますが、今回は家内が噴霧した除草剤から救うために持ち帰ったものの、大量の赤ちゃんを付けたザリガニに孫が喜ぶのは確実で、孫を呼ぶためにも水槽が増えていきそうです。
  
総人口1億2751万人 減少数、減少率とも過去最大
記事の続き…
 総務省によると、総人口は2年連続の減少で、減少幅はいずれも20万人台だった。出生者数から死者数を引いた「自然増減」は過去最大の20万5千人減で、男性は8年連続、女性は4年連続の減少だった。一方、65歳以上人口は前年に比べて104万1千人増え、少子高齢化が進む様子がうかがえた。
 都道府県別にみると、東京、埼玉、千葉の3都県が自然増減で初めて減少に転じた。65歳以上人口は、すべての都道府県で初めて、年少人口(14歳以下)を上回った。
 入国者数から出国者数を引いた「社会増減」は7万9千人減。このうち外国人は5万6千人で、4年連続の減で過去最大の減少幅となった。日本人は2万3千人減だった。
 東日本大震災で大きな被害を受けた宮城、岩手、福島は、震災後初の前回調査に比べ、いずれも人口の減少幅が縮小した。それでも、福島はマイナス1・41%(2万8129人)で2年続けて減少幅が最も大きかった。
 
 さて、総務省は16日、2012年10月1日現在の人口推計を発表し、総人口は1億2751万5千人で、前年と比べ28万4千人(0・22%)が減少したことと、1950年以降、減少数、減少率ともに過去最大となったと報道されてきました。
 
 家内が持ち帰ったアメリカザリガニについても、私の子供の頃にはもっと大きなザリガニがバケツに満杯となり、当地方では名物となっていた「ナマズ」についても、大量に獲れて食用にしていたことを考えると、人間の少子化とは違いますが、環境の悪化で回復は見込めません。
 
 カニについても、常識では海の動物ですが、私の子供時代には、石垣や縁側の縁の下に必ずおり、指をはさまれたカニのハサミが折れたまま離れない痛い経験をしていますが、現在はカニの姿を見かけることは無くなりました。
 
 人間の少子化は、高齢者が増加の一途をたどり、いずれは人口も減っていく寂しい現実に至りますが、環境悪化による動植物の減少も、川から魚が皆無になってしまう実感すら感じなくなり、子供たちは川には汚水しか流れていないと認識していきそうです。
                                    4月16日の一言

県道を渋滞させた迷い犬を飼い主へ届けて

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本日、保護して飼い主に届けたポメちゃん
 
 本日は津島市議会では厚生病院委員会が午前9時より開催され、昼休みをはさんで午後3時30分まで続きましたが、昨年は夜まで審議が続いていたことを考えると早い終了となり、家で待つ相棒のもとに帰ろうとしましたが…
 
 市役所を出てから、500メートルも走った県道名古屋津島線で、私の車の前をノロノロと横切った犬がおり、対向車に轢かれてはいけないと車を停車していると、私の車の前に戻ってきて、左側から後方へ行き、また道路を横切ったため、交通量の多い県道は犬を避けた車で渋滞となりました。
 
イメージ 2 このまま走り去ろうかとも思いましたが、横切った犬がポメラニアン(上の写真)で、我家の相棒リマと似ていることから、車を大回りをさせて後を追い、県道から入ったわき道を安全な場所まで追い続けて車を停めました。
 
 我家の相棒リマ(右の写真)より少し大きく、毛色が濃いものの、相棒が年老いたらこんな顔かと錯覚しそうなポメちゃんで、逃げてはいかないものの、警戒してなかなか距離は近づけず、逃げて県道へ戻っては危険なために持久戦で寄ってくるのを待ちます。
 
 やっと私から逃げなくなったところで、車から菓子を取り出して与えると、お手もやるようになったものの、首輪にさわろうとすると警戒してなかなか触れない事から、一緒に市役所を出た山田議員に連絡するもつながりません。
 
 しかたなく、市役所の生活環境課の職員に電話して、犬を保護するための応援を依頼しました。普段であれば相棒リマを助手席に乗せるためのリードも積んでいますが、本日は委員会のため積んではおらず、犬も警戒して抱かせてくれないために、寒風の中でじっと応援を待ち続けました。
 
 やっと市役所の車が到着し、2人の職員が来てくれましたが、犬を入れるため持ってきたダンボール箱や、ビニール紐を見た犬は驚いて後ずさりするため、菓子を手にして再度スキンシップを図り、やっとのことで首輪に紐を付けることに成功しました。これで交通事故の心配は無くなりました。
 
 担当職員の話では、保健所や警察に電話して飼い主からの連絡を待ち、犬は一宮市の保護センターに引き取られて行くようですが、とても他人の犬とは思えない事から、見つかるまで我家で預かると話していると、遠くから心配して応援に来てくれた人があり、4人で何軒か訪れて聞いて回った結果、時間はかかりましたが飼い主を特定でき引き渡す事ができました。
 
 交通量の多い県道で、我家の相棒と似ているポメちゃんだった事から、私も追いついて保護しようと考えましたが、仕事に出向く時や、約束した人があったら、この犬はそのまま家から遠ざかり、無事に家に戻れたとは思えない事から、無事に飼い主に戻せたことは幸いでした。
 
 もっとも、私の暴君である相棒リマのように、力いっぱい走り、家族以外には近寄らない犬であったら車に轢かれていたと思われ、高齢のためか走らない犬だった事や、暴君に仕える私が、ポメラニアンの性格を理解していた事も幸いしました。
 
 昨年12月の議会で、私は狂犬病予防接種の質問に立ち、迷い犬や道路で死んだ犬やネコへの対応を質問しましたが、津島市のペットを取り巻く環境は不備も多く、稲沢市などと比較すると、愛犬の保護に対する市民運動の積極性にも欠けますが、愛犬も今では家族の一員となっている事から、愛犬を守る市民の連携も重要と思う一日となりました。
 
                                     3月11日の一言

無残にも虐殺されていた我家のミツバチたち

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 世の中に腹がたつ事ばかりですが、我家にも本当に腹がたつことがあり、添付した防虫剤が私の可愛い「ミツバチ」の出入り口に差し込んであり、ハチの姿が見当たらない事から、巣を出ていってしまったか、薬剤のために死んでしまったのか…
 
 犯人は家内であることは確実で、私が機会をみて巣箱に移し変えようとしている事を知りながら、「ミツバチ」とは言えとんでもない大量虐殺がしてあり、私に黙って行った行為は離婚級の怒り心頭の一日となりました。
 
我家のミツバチ関連記事  http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/46233419.html
※我家に生息する日本ミツバチは人を刺さず、きわめておとなしいハチです。
 
 こんな時に新聞を読むと、消費増税と原発再稼動の野田首相や民主党は勿論だが、陰に隠れて便乗した自民党や公明党など、民意を無視した馴れ合いの国会議員には非常に腹がたってきます。
 
 公約にも民意の裏づけもない消費税の増税を、民主党内の十分な議論と集約もせぬままに、自民党や公明党の賛成を見込んで政治生命をかけて議決し、民主党から大量離党者を出したことから、今後は自民党や公明党の協力無くして国会運営は成り立たないが、そもそも民主党だけで絶対多数を握っていた野田首相は、民主党を割ってまで増税にこだわった真意が馬鹿馬鹿しくて理解できません。
 
 本日の新聞やテレビニュースでは、『大津自殺、文科省が教委の聞き取り調査へ』の大きな見出しで、昨年10月、大津市の市立中学2年の男子生徒(当時13)が飛び降り自殺した問題で、文部科学省は5日、大津市教委から事後の対応など事実関係を聞き取る方針を決めたと報道されています。
 
大津・中2自殺、父の被害届3回断る 警察「難しい」
 
「原因はいじめ、学校に責任」大津の中2転落死で両親が提訴
 
 一方で、生徒の父親が自殺直後に警察署を訪れ、被害届を出すため大津署に3回にわたり相談したものの、被害届が受理されていなかったことが関係者への取材でわかったとも報じられています。
 
 こんな事を記すと、暴力団擁護と勘違いされても困りますが、私の過去の経験の中でも、警察に相談しても「民事には介入できない」と無視され、警察官の適当な対応で困った市民が、暴力団に関係すると思われる人に相談して交通事故のトラブルを解決した例があり、全ての警察官を無責任とは思わないが、現実には全く頼りにもできない現実を実感させられます。
 
 また、自殺後の学校の調査から、昼休みなどに「毎日自殺の練習をさせられていた」、「自殺のやり方を練習しとくように言っていた」などと回答した生徒が15人いたことも報じられており、いじめていた生徒達も実際に自殺するとは考えていなかったとは思うが、学校も事前に知り得た可能性も高く、失った命は還ってこないものの、再発防止のためにも徹底的な検証といじめの再発防止を徹底したい。
 
 私は中学時代から横道に入り、高校の落第や非行体験もありますが、自分の過去の非行体験や落第経験は、今に至っては、中学校を不登校になっている生徒や、高校を退学する生徒の歯止めになれる可能性がありながら、教育現場からは必要とされておらず、今年はそんな生徒の役に立ちたいと母校の校長先生に語ったものの、未だに忙しさから出向いていない反省もする一日となりました。
 
                                   7月5日の一言

広島のホテル火災から思い出す宿

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 本日は朝から三男を勤務先の桑名市に送りましたが、家内が私の相棒を助手席に連れてきてくれたことから、帰路となる海津市の千本松原に近い揖斐川堤防に立ち寄り、相棒を好きなだけ遊ばせてやりました。
 
 我家は津島市と名古屋市をつなぐ主要地方道沿いに建っていることから、散歩といえども気を許すと車に撥ねられてしまうため、リードに引っ張られていますが、ここでは草の上に仰向けになって自由な時間を過ごします。
 
 このまま津島市に入り、知人宅に立ち寄ると、相棒と一緒に「上がってりゃー」と言われ、議会の合い間ののんびりとした時間を相棒と共有する一日となりました。
 
 13日早朝に、広島県福山市の「ホテルプリンス」付近から出火し、4階建て延べ約1360平方メートルが全焼する火災が発生し、客の男性3人と女性4人の計7人が搬送先の病院で死亡し、客と従業員の女性計3人が重傷を負ったと報じられました。
 
ホテル火災で7人死亡、防火不備を再三指摘 広島・福山
客室以外から出火か 福山ホテル火災で広島県警現場検証 
 
 その後の報道では、ホテル側から消防法で義務づけられた毎年1回の消防設備の点検・報告を33年間にわたり出していなかったことや、格安の宿泊料でラブホテルとして登録されていたことが判明しました。
 
 過去の事故や事件の報道では、被害者の名前や住所がテレビや新聞記事に公表されることから、公表されないことに疑問を感じていましたが、公表できない理由があったのですね。ただし、ビジネスホテルとして宿泊も可能だったことから、理不尽な憶測も迷惑なものです。
 
 私は旅行先での宿泊は「寝られれば良し」としており、ホテルの客室や館内施設よりも宿泊料金の安さを選択の目安としており、今回のホテルはあまりにも格安のため、泊まらずに車中泊にすると思うものの、宿泊すれば被害者となりゆる可能性もあります。
 
 過去に宿泊したホテルや旅館について、私が平成11年以後に宿泊した宿は一覧表にしてあり(下に添付)ますが、あまりにも悲惨な宿泊体験や、胡散臭いホテルは除外して、記録に残しておりません。
 
 
 熱海の駅前の旅行案内所で、「熱海で1万円より安い宿は無い」と言われ、「それなら実際に探してやる」と、安そうなホテルを一軒一軒訪れて5千円(夕食なし・朝食のみ)で宿泊できるホテルを探し出したことがありました。
 
 知人と熱海の温泉街を飲み歩き、宿泊しているホテルを見上げると、満席状態で部屋に灯りが輝いていたものの、翌日の朝になって食事となると、このホテルは私と知人の2人しか見当たらず、後々になって、「どうやら夜だけの売春宿だったなァ」と笑い話となった例もありましたから、今回の火災事故は他人事とは思えません。
 
 最近では格安を目玉としているホテルや旅館も多く、安いのが当り前のようになっていますが、こんな火災に遭遇して命を落としては堪りませんから、この火災を契機として宿の安全確保に努めてほしいものです。
 
                                  5月14日の一言

忙しい中で一服の清涼剤に

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 本日は3月議会の議会運営委員会が開催され、今議会に提案される議案説明や提出されている請願3件と陳情2件が読み上げられ、会期や日程案を決定した後に、全員協議会による特別委員会の設置や議会改革について議論した後に散会となりました。
 
 午後には来年度予算案についての説明会が開催されましたが、私は1時半より3ヵ月ぶりの行事があるため市役所を離れ、その後に地元テレビ局との約束もありましたが、留守中に入った電話によって、明日の夕方に延期となりました。先送りは当日の余裕を生みますが、先送りした案件が翌日以降に重なると地獄が待っています。
 
 さて、本日は我家で書道会も開かれますが、夜にも打ち合わせの約束があり、先週に引き続いて心を落ち着けた書道はできませんが、少しは時間の余裕が生まれたような錯覚を持つものの、来週の本会議開会から抜き足ならぬ日々が続きます。
 
 午後に開催された来年度予算の説明会は、担当職員によると30分程度と言う話でしたが、これを自分だけで調べていくと大変な時間が必要となります。それを承知で走った先は、地元の真言宗のお寺で、毎月21日に開催されている「阿字観」に参加するためで、収め弘法と初弘法で年末と1月の「阿字観」が開催されていない事から3ヵ月ぶりの「阿字観」となりました。
 
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 私の母親は、夕方に1時間程度の散歩に出かけ、その途中でこのお寺に立ち寄ってきますが、私が昨年末の収め弘法の際に、昨年4月に病死した愛犬「もも」の供養をお願いした塔婆を最近発見し、「もも」の名前と写真を見てびっくりしたとの話から、私も供養はお願いしたものの、塔婆や写真が置かれていることまでは知らなかった事から、その場かぎりの供養と思っていた「もも」が蘇り、本日はその場所に立ち寄り(上の写真・左は拡大したもの)手を合わせることができました。「もも」がここにも眠っているような錯覚を覚えました。
 
 「阿字観」については、久しぶりのため作法も忘れたような参加となりましたが、生きている我々にとっては、日頃のストレスや生活を見直す良い機会と思うとともに、葬儀や法要など死んだ人ばかりを対象とするお寺が多い中で、生きる者のために貴重な行事が休まず続けられていることには感謝するのみです。忙しすぎる日々の中で、1時間程度とは言え、ひと時の清涼剤にもなりました。
 
                                  2月21日の一言

飼い主を救った韓国のあたため犬

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本日19日の朝日新聞夕刊から
 
 本日の朝日新聞夕刊に、「あたため犬…冬山で寄り添い主人の命を救う」の記事が掲載され、韓国の生後2ヶ月の愛犬が、行方不明となり山中で倒れていた80代後半の男性飼い主に寄り添い身体を温めていたという。
 
 中国新聞社が16日に報じた記事のようですが、ヤフーニュースには関連記事として『中国の忠犬:入院の主人を道路で待ち続けて60日…ついに再会 』の記事も紹介されており、国内でも昨年には川に転落した車中で飼い主を温め続けた愛犬の話題が存在し、世界に共通する人間とペットの愛情劇に心温まる一日となりました。
  
犬の恩返し…寒さで倒れた飼い主を体で暖めて救う=韓国    ヤフーニュース
 
 添付した朝日新聞の記事の上には、「おすわり豚」の記事も掲載され、こちらは山口県の農園でのびのびと生活するブタが、近所の人々が食べ物を見せるとペタンと座るというものですが、放牧されている30頭前後のブタはペットではなく、いずれ殺されて食肉にされてしまう運命を考えると、添付された「あたため犬」の数倍の大きな写真が悲しみを誘います。
 
 もっとも、こんな一言を記すと、以前の一言で和歌山県や静岡県のイルカ漁に批判的な記事を記した際に、「牛肉でも一緒だ」として、動物を食するのを当り前として批判されたコメントが頭をよぎりますが、親が子供を平然と殺すようになった現代人の反省も含めて、命の尊厳について考えてみたいものです。
 
 最近の私は、ペットの心温まる報道には涙腺を緩めっぱなしとなっていますが、現実問題としては、最近行っているウォーキングの際には、犬の散歩によって道路を犬の便所がわりにされている現状と、対象となる人間や犬に腹の中から怒りを覚えており、道路を歩くのも不快になる事が多く、夕方から夜に歩き出す事は危険と家内に叱られますが、日中の散歩は犬の糞を見て腹が立つ事が理由でもあります。
 
 ましてや道路の真ん中に大型犬の糞が撒き散らしてある現場では、軽犯罪として対象者を摘発したい怒りを覚え、たとえ田園と言えども除草する際の不快感から犬の散歩を禁止したい心境にもなっています。
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 こんな環境の中を相棒の愛犬と歩くのも不快で、最近では我家の庭と駐車場が相棒の散歩の舞台となっており、相棒との外出は車となり、私の助手席の主人公となっているような状態ですが、助手席から犬が顔を出して走っていく車を「変人」と思っていた以前の自分が完全な変人になってきました。
 
 脱線しましたが、私の事務所前や自宅の玄関先に犬の糞が残されている事もあり、犬やペットの話題に心温まる心境ばかりではない事から、自分の飼い犬の糞すら持ち帰らない輩に厳しい鉄槌を打つとともに、地域全体からペットに関する不快な環境を払拭したいものです。
 
                                1月19日の一言

稲沢市議会議員選挙が告示され

イメージ 1 本日は稲沢市の市議会議員選挙が告示され、私は旧平和町から立候補している候補者と、旧祖父江町から立候補している現職候補の出陣式に参加し応援の挨拶をしてきました。
 
 旧平和町から立候補している知人は、平成5年にPTA活動を通じて知り合い、小学校と中学校だけでなく、我家から近い高校の会長も務められ、地元の商工会長を永年務めた実績があり、合併前まで町議会議員を務めておられたが、前回の選挙は政治よりも家業を優先して立候補されなかっただけに残念に思っていましたが、私のような変わり者の話を黙々と聞いて下さる候補者だけに、きっと地域の人々の声を拾って活躍される人材ですから、一週間後の朗報が聞ける事を期待しています。
 
 旧祖父江町から立候補している現職候補は、私の選挙時に必ず事務所へ応援に駆けつけてくれる、私にとっては数少ない政治仲間ですが、私より7才も若いのに政治経験は私より長く、人付き合いも上手い情熱家だけに、落としてはならぬ人材です。私にとって旧祖父江町は出生地であり、母親と家内の在所がある第二の故郷で、候補者の父親(故人)と私の母親は小学校の同級生という縁も、再選を果たして旧祖父江町の顔馴染みの人々を安心させて欲しいと願っています。
 
 本日は夜にも立会い演説会場に立って応援する約束となっていますが、選挙戦の最中だけに書き込みはこの程度に止めたいと思います。
 
イメージ 2 さて、今日もやっぱりヒヨドリの「ピーコ」が気がかりで一目散に帰宅しましたが、連休中のため孫を連れて娘が帰っており、孫がヒヨドリを怖がるため私だけは別室で「ピーコ」を左手に乗せたままの休養です。
 
 昨日の梨に続いて、バナナやメロンを与えたところ、喜んで食べますが、私が可愛がれば可愛がるだけ相棒「リマ」も気になり、私の周りを離れず、好きでもないバナナを張り合ってつきまといます。
 
 写真では判りづらいものの、私の右手にあるメロンを突っつく「ピーコ」の残りを狙うリマですが、本日は娘が連れてきた愛犬(チワワ)もおり、賑やかかな日曜日となっています。
 もっとも、最近まで連休に上高地か四国遍路へと、手帳を見て楽しみにしていた事を考えると、全く想定外の日々が続きますが、現在は議会開催中でもある事から、これで良かったと自画自賛の一日となりそうです。
                                   9月18日の一言

鳥と一緒の一日となりました。

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本日・ナシを突っつく「ピーコ」
 
  先週の左足に続き、今週月曜日に右足を骨折して、両足が動かせないヒヨドリ「ピーコ」ですが、2日前に記した内容が嘘のような回復を見せ(信じられないでしょうが)て、本日は私の手の平から私の食べた「梨」を突付いて果汁を飲むようになりました。
 
 昨日までは動かないように外の見えない箱の中に入れてありましたが、外の様子をしきりに気にしていることから、市役所から帰った夕方以降は、2才になった孫の世話をするよりは軽い事から、夜まで私の手の中ですごさせました。
 
 どうやら、温かく柔らかい手の中は居心地が良さそうで、本日は出かける時以外はせがまれるように手の上に置き、カゴに入れると痛そうにし、手の平ではおとなしくしている事から、パソコンへ書き込み中の今も左手の中から私の右手の動きを眼で追っています。
 
 ただし、食べて手の平、食べて手の平の繰り返しは、排泄も自然となりますから、私の手の平は「ピーコ」のフンで緑色となりますが、最近は尻尾の羽をピクピクと立てる時が排泄と判り、阿吽の呼吸でティシュをあてがいます。
 
 今でも幼い羽毛が残るヒナのため、成長が一日ごとに実感され、骨折がなかったら部屋の中を飛んでエサを食べていたと思うと残念でなりませんが、こんなハプニングによって、私は鳥と親子のような時間が経験させていただけました。「ピーコ」には私が判別できるようで、私の手の中ではおとなしくしています。
 
 さて、毎日のように鳥の経過を記しておりますが、これからの事を考えると大変で、安全な鳥カゴの確保と、骨折や万が一私の下敷きにしてしまうと、この楽しい関係も台無しにしてしまう事と、我家には大嫌いなヘビが生息している事から心配は尽きません。
 
 そして、私の幼い頃には、父親が大量に買い込んできたヒヨコを飼育箱から出して、内緒で布団の中に入れて寝ていた思い出や、今まで忘れていたヒヨコの臭いなど、完全に忘れていた過去の記憶が蘇り、私に新鮮な時間を与えてくれました。ピーコに感謝の日々となっています。
                                   9月17日の一言

孫が退院し、鳥を病院に連れて

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 本日は津島市議会の一般質問が開催され、7議員の質問と答弁が終了して散会しましたが、明日も7名の質問が残されており、私は5番目の登壇ですから午後になりそうです。
 
 さて、本日は土曜日から名古屋市内の病院に入院していた孫の退院となりましたが、議会の昼休みに自宅に戻ったところ、我家で左足の骨折を療養中となっているヒヨドリのヒナ「ピーコ」が、今度は右足を負傷してうずくまっており、議会終了後に慌てて名古屋の動物病院まで走りました。
 
イメージ 2 7日に骨折の診断を受け、その後みるみる元気を回復し、最近は羽をばたつかせており、飛ぶのを楽しみにしていましたが、3時間の空白があった事から、エサを求めて暴れて右足も骨折した模様です。
 
 今回はレントゲンを撮るまでもなく骨折が判りましたが、両足を骨折したことから回復も遅れ、回復しても自然界に戻る事は難しい可能性が高そうですか、ここまで関わった以上は骨折が治るまで懸命の看病を覚悟です。
 
 それよりも明日の朝になって元気になっておれば幸いで、今晩が越せるかどうかさえ心配となるくらい弱っており、ピーコの生命力に期待するしかありませんが、拾ってきた当初には満足に飛べないものの、手に乗ってエサを食べていただけに拾ってきた事を後悔しても時間はさかのぼれません。イメージ 3
 
 もっとも、連れて行く動物病院には、壁に「ヒナをひろわないで」のパンフレットがかかっており、鳥は拾わないのが一番でしょうが、真っ黒の深夜に落ちてきた飛べないヒナだった事から、そのまま放置する事もできず、偶然にも人に飼われていたと錯覚するほど人懐っこく、私の手の上でエサを求めて「ピー、ピー」と鳴いていたたけに、このまま見捨てる事もできずに今日に至った次第です。
 
 たとえ1ヵ月かかっても元気になってくれる事を祈るばかりですが、元気な姿を回顧しながら後悔ばかりとなる夕方になりました。明日は議会ですが、鳥一匹助けられない無力感が襲います。
                                    9月12日の一言

孫もヒヨドリの赤ちゃんも一緒に

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 添付したのは昨日の写真で、3日間とはいえ病院に入院していた孫の退院を出迎えに走り、機嫌をとるために新幹線と電車を見せに走り、夕方にはホームセンターへ金魚を見せに走りましたが、病院では涙を見せていた孫が元気に走り廻る姿に一安心の一日となりました。
 
 孫と娘と一緒に夕食を待っていると、看板だけでボランティア以外は営業をしていない福祉タクシーを利用したいと訪れた人があり、「今から?」と渋っていると、「少しは稼いでよ」と家内に言われ、私は急遽名古屋駅まで走る事となりました。
 
 しかし、ボランティアの低価格でしか動いていない事から、メーターが3千円に達する直前に、「ここでメーターを切りますね」と、本来なら6千円近くかかるタクシー料金をサービスとしてしまい、「大丈夫ですか?」とお客さんに言われる始末ですが、なかなか本職のようには徹して営業ができません。
 
 もっとも、この日は孫の世話を続け、夜も一緒にいたかったのが本音で、私を追い立てた家内が孫の人気を独り占めしていると恨みながらの岐路となりましたが、帰宅すると家内はグズル孫を抱いて機嫌取りの最中です。体調不良の孫によって、娘は食事も摂れないことから子育ての大変さを孫から教わります。
 
イメージ 2 さて、我家には私の相棒である犬のリマも居ますが、一週間前から家族になった『ヒヨドリ』のヒナのピー(子)ちゃんもおり、一日中「ピー、ピー」と叫んでエサを求めますから、暇があればピー(子)のもとに走り、エサと水を与えますが、満腹になった後も鳥カゴに入るのを嫌がり私の手の平の上にとどまります。
 
 ヒナとは言え、野鳥がこんなに人に懐くのにはびっくりですが、家族の呼ぶ声に反応し、エサを求めて四角い大口をあけますが、満腹になると静かになり、手の平の上でおとなしくなります。
 
 生まれてどのくらい経つのか判りませんが、このまま成長して手乗りヒヨドリとなって、部屋から外出しても戻ってきたら最高ですが、これまでのヒヨドリは我家のサクランボを食い荒らすギャングでしかなかった事を考えると、このまま家族の一員であればと思います。
                                  8月27日の一言

我家にミツバチが戻って来た事から

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 感度の悪い携帯電話カメラのために説明しても判りづらい写真ですが、我家の縁側の下に戻ってきた『ミツバチ』が出入りしている様子で、数年前まで何年間も巣を作っていましたが、昨日から久々の『里帰り』となりました。
 
 「お父さん、困ったことが起きたんだけど…」
 「また、何だ ! !
 「お父さんは嬉しいだろうけど…」
 「何事があったんだ ! !
 「ミツバチが戻ってきて巣を作っているの」
 
 私は議員になる前から、ミツバチを飼いたいと思っており、偶然にも議員になった直後にミツバチが我家の縁側に巣を作り、勝手に我家を棲家にしていましたが、近寄っても刺されるわけでもない事から、私は縁起物と考えていました。しかし、ミツバチの巣の前に洗濯物が干されており、ミツバチが持ち帰ってくる花粉によって白い衣類が黄色になる事から、家内にとっては宿敵となるわけでもあります。
 
イメージ 2 左に添付した写真のエアコンの屋外器の左が縁側の(蜂の)出入り口で、旧来の蜂の出入り口(上の写真)ですが、今回は右の板が立ててある場所からも出入りしている事から過去よりも大きい集団か、2組の巣が存在するのかも知れません。
 
 ミツバチは何もエサを与えなくても勝手に飛んでいって、花粉やハチミツを持ち帰ることから、私は資本もいらない孝行者の例として、「蜂を飼いたい」と口癖のように冗談で話していましたが、偶然にも平成13年の春に巣を作り、愛犬のモモ(初代)が巣の出入り口から出てくる蜂を食べていました。
 
 こんなことから我家の蜂は刺さない品種と思っていたくらい(現実は刺します)でおとなしく、家内の洗濯物以外には迷惑でもありませんが、問題は我家の縁の下で蓄積され取り出す方法のないハチミツの存在です。
 
 家内は殺虫剤で始末しようと言いますが、私はなんとか巣箱を購入して育て、ゆくゆくは「大鹿蜂蜜」として皆さんにお裾分けしたいと思っている事から、過去に調べていた関係者に連絡して、今回のミツバチは是非とも大鹿家の一員にして、春のアンズジャムとハチミツを我家の名物にしたいものです。
                               7月18日の一言

孫の子守役の一日となりました

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 本日こそは、積み残してある仕事を少しでも片付けようと意気込んでいると、「お父さん、○○の所へ…」と、家内から娘のアパートに走るよう連絡が入り、当方の都合は無視した命令です。
 
 娘夫婦が風邪ぎみで不調とは聞いていたものの、病院に走った娘婿が入院となり、娘も同じような体調ながら、子供(私の孫)が保育所に預けてある事から、午後には引き取りに行く必要があり、私が付いていく事になったようです。
 
 娘の家から、保育所に走り、その足で娘婿の入院先に立ち寄り、帰宅後に娘が予約してあった婦人科に送り、夕食を買いに走りましたが、風呂に入る時間に私が近くにあるジャスコで孫の面倒を見る事となりました。
 
 私の顔を見ると、恥ずかしそうに顔をそむける孫との関係ですが、「Gー、Gジィーにオモチャを買ってもらえる」とか、「ジャスコ、ジャスコ」の合唱で、孫もシブシブ家を出て私の腕に引っ張られて歩きます。
 
 自分の子供でさえ家内任せで、子供の手を引いた記憶もない私が、オムツをした2才にも満たない孫を連れて時間つぶしですが、孫の方がよく知っており、ゲームコーナーやオモチャ売り場に到着すると目の色を変えて離れようとしません。
 
 「お父さん、いつまで居るの」と娘から電話ですが、孫が熱中して帰りませんから、「無理やり連れてきて」と言われても孫に嫌われては困る事から、安いオモチャの車と刀を買って退散ですが、今度は足が疲れたらしく動かず、結局はオモチャと孫を抱かえて帰宅です。
 
 娘のアパートで、孫の子分のように夕食を食べていると家内が到着し、「お父さん、早く家に帰って」と、今度は厄介払いのように追い立てられます。
 娘の愛犬が夕食をもらっている事から、「リマにもやってくれよッ」と、午後から私に付き合わされた相棒にもエサを求めると、「食べてから車に乗ると消化不良になる」と家内に言われ、私とリマは寂しく退散です。
 
 「三つ子の魂百まで」の諺がありますが、わずかな時間でも楽しい時間を私と共有した孫が別れを惜しんで泣き出し、「散歩でも行ってくるか」の一言も、「早く帰って、帰って」の家内の一言で、孫の鳴き声を聞きながら相棒と帰宅となりました。
                                   7月6日の一言
追伸
孫の写真を添付するジジィの一日になるとは予想もしていませんでした。

家族で泣ける金曜日ですが…

 毎週金曜日にテレビ朝日で放映されている、『犬を飼うということ~スカイと我が家の180日~』が昨晩も放映され、我家と同じポメラリアンであることと、我家(と言うよりも私が)も一年前に3ヶ月の約束で預かった犬との別れができなかった経験から、昨晩は他人事に思えず、別れと再会を我が事のように視聴したのでありました。
 
 
 作品は壊れかけた家庭に一匹の犬が拾われてきた事によって、夫婦や親子の葛藤から絆が深まり、人と人との関係や、小さな犬の命によって我々に訴えてきますが、一年前の年末に預かった我家のリマとの3ヶ月、そして一年後の今年4月末に前から飼っていた愛犬モモが末期ガンで緊急手術と死を迎えた事から、一年以上かけて私が流した涙を、このドラマは5回の放映で体験させ、次回にも更なる難題が待ち構えており、「家族で泣ける金曜ナイトドラマ」の看板はウソではありません。
 
 人間(私ですが)とは勝手なもので、他人から預かった犬(リマ)が一生の『相棒』に思え、我が子や孫よりも強い因縁を感じ、返す事もできないままに手中に収め(相手にも預かる事情があった訳ですが)、日々連れ歩くだけでなく生活をともにして、モモが不調になり死を迎えるにあたり、この一年間の2匹の対比から反省してもモモとの過ぎ去った日々は戻ってきません。
 
 人間が80年かけて経験する人生を、犬は10年から15年の寿命で去っていくわけですから、別れの辛さも短期間で体験することとなり、私が人生の相棒と感ずるリマとも、あと10年程度しか残されていません。
 
 この10年間で、愛猫2匹と愛犬1匹が庭に眠りましたが、愛犬が台所で一緒に生活し、病院に通院して手術も受ける環境は、雨の日も外につながれたままだった私の少年時代とは雲泥の差がありますが、この気持が同居する母親に持てない現実に、反省してもなかなか改善できない現実が立ちふさがります。
 
 さて、「家族で泣ける金曜ナイトドラマ」が番組の看板となっていますが、家族の前で涙を見せることはできず、私の涙を見たくない家族も一緒には見ない事から、来週も一人での視聴となりそうです。
                                5月14日の一言

心を癒すために知人とお寺へ

 今週は選挙や愛犬モモの死など、私にとっては久しぶりに心に堪える週間となり、事務所に座っていても心が落ち着かず、台所に座れば余計にモモの居ない事で、ポッカリと心に大きな穴が空いています。
 
 「モーモー」と孫も喜んでいたモモの姿が無いだけでなく、来客があってもモモが居ないことでリマの声も途切れて、甲高いモモの声はもう二度と聞く事ができません…
 気持を切り替えても、「2日前まではここにモモが居た」とか、「あの時はこうだった…」などと仕事にも手がつけられません。
 
 「〇〇さん、今なにをしていますか?」と、一宮市に住む知人に連絡すると相手も何も手につかない憔悴感でぼんやりしており、知人の関わっていた選挙で結果を残せなかった候補者とともに気分転換に知多半島へ遠出することとしました。
 
 知多半島の先にある南知多町山海には、私が心のよりどころとする「宝球寺」があり、しばらく訪れていない事から、知人とともに訪れることとなりました。
 
 「大鹿さん、昼食はどうするの?」と、私は食事よりも参拝が先の心境ですが、「せっかく知多まで来たんだから」と、海の幸を希望する知人の声で立ち寄った食事場所は、2100円が最低となる高級料理店でした。
 
 「入る所を誤ったな」と3人で呟いたものの、それまで痛んでいた私の胃の痛みはなくなり、3人ともため息はつくものの満腹感で目的地にたどり着きました。
 「ここにも連れてきてやれば良かったナ」と、見える風景にもモモの姿が重なり、「モモは家にいるんだ」と、庭に眠る現実を自答し続けました。
 
 宝球寺の住職は不在でしたが、奥様が対応していただいている間に戻ってこられ、選挙や愛犬の死など話しながら、住職の話を聞くうちに少しは気が楽になり、思いつきの訪問でしたがここが私の居場所である事も実感させられました。
                                   4月29日の一言
追伸
本日の訪問は家内や家族には内緒のため、写真は一切ありません。

罪の意識が欲しいペット委棄

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 本日の朝日新聞に不用となった名古屋市のペット殺処分年4700匹について記され、その対象となる犬たちの写真(上)が掲載されており、罪もない犬が見つめる瞳の先には、自分を捨てた飼い主が迎えにくる姿があると思うと、身勝手な人間と、迫り来る薬殺処分も知らないであろうペットに切なくさせられました。
 
 私一人が何とかできる問題ではありませんが、預かった犬との別れさえ堪えられず、ペットとの別れを人間と変わらぬ心情で書き連ね、結局はこのまま一生の相棒としてしまった私には想像もできない哀しい話題でもありました。
 
 新聞に掲載された写真の中の一匹が、もしも我家の愛犬モモと相棒リマであったとしたら…
 こんな心境で放棄した飼い主が今一度考え直してくれたら、この犬たちも救われますが、写真の犬たちはペットショップで購入された犬である可能性が高い事から、ペットを売ったショップの責任も再考する必要を実感させられます。
 
 我家の愛犬はペットショップで購入した例はなく、私が拾ってきた犬もありますが、全てが知人から譲ってもらった犬や猫で、知人の家からやって来たペットは添付した写真の犬のように簡単には手放すわけにはいきません。
 
 そんな事を考えると、ペットの委棄の責任は売ったペットショップの責任が大きく、簡単にお金を出せば買える半面で、思うように育たないと不用にされて捨てられると考えると、売主の責任も必要と思われます。
 
 さて、こんな一言を記している後方では、私の相棒リマと、我家の愛犬モモちゃんが熟睡中で、私に気づいたモモと私の会話を、リマは寝たふりをして聞こえないふりをしていますが、同じような犬が明日も薬殺されていると考えると、我家の平和を実感するとともに、写真の犬たちの延命を祈る一日となりました。
                                  12月3日の一言

留守中の我家は最悪になっており

 本日は四国から早朝(午前3時半)の帰宅となりましたが、こんな時間に堂々と入っていくと愛犬2匹が争って鳴き続ける事から、それまで事務所で仕事をしていたように振舞って家に入りました。
 
 それでも愛犬モモ(メス・8才)は私が家を空けていた事から、頭をなで続けるものの甘えて鳴きやまず、一方の私の相棒リマちゃん(オス・1才)は3日間も家を空けていた事に腹をたてて(?)無視です。
 
 この無視は厳しく、あたかも勝手に置いていってしまった事に抗議するかのごとく振る舞いで、一緒に散歩に出た夕方からは、今度は私の元を離れず、私は間食の菓子にも手を出せない監視体制のようになっています。
 
 さて、四国に滞在した3日間に、我家では母親が体調不良で連日病院(時間外診療)に運ばれ、娘は39度の熱を出して深夜まで病院で点滴を受け、家内は午前中(娘)、午後(母親)、夜(孫の世話)と深夜まで大変な状況にあったようです。
 
 母親は最近不調が続き、不仲な私にも「病院に迎えに来て欲しい」と言うようになりましたが、検査をしても原因が判らず、一日おきに点滴と注射を受けている状態で、79才になっている事から「不吉」な予感も頭をよぎり、別格十五番箸蔵寺では護摩木に病気平癒と記してきましたが…
 
 本日は当方の寝不足に関係なく、午前9時には病院へ母親を送迎し、市役所の仕事を済ませて午後は税務署の職員を待ち、知人と珈琲タイムを予定していましたが、身体が赤信号で事務所で居眠りです。
 
 あーあ、昨日までの行動がなかったかのような現実となっていますが、今回の四国別格二十霊場だけの巡礼は、ご住職や先達さんとの会話が十分にとれ、一度も訪れた事のない知人宅を3件も訪れ、それぞれがご本人が不在にも関わらず、ご家族の方々にとても良くしていただきました。
 
 このブログを通して知り合った「タムさん」なんかは、「ブログのタムさんお宅ですね?」なんてご家族に聞いて訪れましたが、私と四国との間には細いパイプがどんどん太くなり、「明日にでも行ってみようか」なんて思う身近な存在となりつつあり、訃報によって細る人脈を十分にカバーするようになりました。
                                  9月13日の一言

知人の愛犬の訃報が伝えられ

 本日は9月議会の議会運営委員会が開催され、25日の本会議開会から9月までの日程が決まりましたが、過去に8月から本会議が開会された例がなく、委員会でも何故早まったのかの質問が出たものの、満足できる答弁はありませんでした。
 
 私の個人的に都合を言えば、今月の盆までも公的日程が続き、盆をはさんで昨日の審議会から事実上は9月議会に突入する事から、四国遍路どころか、例年家族で続けてきた盆過ぎの夏休みの上高地行きさえ取れません。
 
 さて、市役所から帰り、日中の炎天下を会報配布に廻りましたが、夕方になって7月5日から弥富市の動物病院に同行していた稲沢市(旧平和町)の愛犬が死んだとの悲しい訃報が入ってきました。この前は私に吠えていたのに…
 
 9才9ヵ月との話に、我家の愛犬「モモ」も8才である事を考えると同時に、わずかでも縁のあった犬だけに淋しい夕方となりましたが、御礼の訪問を受けている間中、私の相棒「リマ」は私の腕の中で吠えまくっています。
 
 訪問されたご婦人が1月に「リマ」を見られた時は、私以外の他人に抱かれてもおとなしくしていた事を思い出すと、「抱っこさせて…」と言われても、噛み付きそうな雰囲気は私の事務所では暴君と化しています。
 
 3ヵ月の約束で預かり、別れが近づくにつれて悲しみの日々を送っていた今春がウソのような変身ぶりに、誰にも可愛がられて抱っこされる「可愛い」存在への変身も課題かもしれません。
 
 縁のあった知人の愛犬の死によって、改めて相棒「リマ」との半年を振り返る一日となり、当初は会う人への犬臭さを気にしていたものの、最近ではそれも感じない犬が主役となった生活がこのまま続く事を祈らずにはおられません。
 
私と相棒の9ヵ月の記録  
 
 本日は身勝手に、私と相棒の半年間を振り返る一文にしてしまいましたが、高齢になって犬を病院に連れて行けない人のために、私が同行している話を聞いた弥富市の獣医師の知人が、ボランティアでそんな人々を助けたいと名乗りを上げられており、改めて私も協力しなければと思う一日となりました。
                                   8月19日の一言
生き物が亡くなる悲しみは人も動物も一緒です。合掌

四国からの手紙に春と幸せを実感し

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 2日間にわたって開催された津島市議会一般質問は、14人の質問が全て終わり、来週からは月曜日の中学校卒業式をはさんで各常任委員会が開催され、最終日の25日まで続きますが、帰宅後の郵便ポストには四国からの便りが届いており、春の到来を実感するとともに連日溜め込んでいたストレスが緩んだ気がしました。

 手紙の差出人は、「四国八十八ヶ所ヘンロ小屋プロジェクト」を支援する会の事務局長を務める森さんで、最新の会報「ヘンロ小屋だより」が同封されていましたが、昨秋の「東海地区歩き遍路友の会」総会に活動状況を報告され、会の案内を届けるとの約束で届けられた手紙です。

 「四国八十八ヶ所ヘンロ小屋プロジェクト」を支援する会は、近畿大学の歌一洋教授が提唱されている、歩き遍路が腰をおろし、足を休ませる休憩所を、四国4県に89棟建設するのを目標としており、地元の土地提供と、寄付金集めと労力奉仕などボランティア精神で達成しようとしているプロジェクトです。(精しくは下記を参照して下さい)

「四国八十八ヶ所ヘンロ小屋プロジェクト」を支援する会
http://www.geocities.jp/henrogoya/

 平成13年に四国遍路を始め、当初は身勝手な観光気分だったものが、何度と足を運ぶうちに知人も増え、四国八十八ヶ所霊場会のみならず、別格霊場会からも公認先達の辞令をもらい、一緒に同行した人々も50人を越え、最近では議員と同じような責任も感じながら四国を目指すようになりました。

 我家には月初めに四国八十八ヶ所霊場会より会報「へんろ」が届けられており、インターネットを通じた四国情報も参考になりますが、最近では四国遍路とは無縁の四国との縁も増えて、「今度はいつ来るんですか?」と携帯電話がかかり、「何所でも案内しますからね」と、街づくりを通じた議員活動とも重なるようになりつつあります。

 議員活動が忙しくなって、自由な行動に制約ができつつありますが、朝から晩まで一つの現場を離れられない仕事と違って、日々の中での自由時間はあります。ただし、相談や依頼された案件へのストレスは大きく、時として「自分が弁護士だったら」と思う場面も増え、胃が痛む感覚も増加中ですが、そんな私がホッとできるのが本日届いたような便りです。

 さて、議会開催中のために3ヶ月限定(できれば譲ってもらいたい)の愛犬「リマちゃん」も、相棒の私がいない事からストレスを溜めており、私の帰宅を心待ちとしているようですが、我家本来の愛犬「モモちゃん」もリマちゃん人気にストレスを溜め込んでおり、久しぶりに散歩に連れ出したところ、私の事務所にはリマちゃんが「ウンチ」を撒き散らしていました。
 明らかに私への嫌がらせなんですが、我が子の世話もしなかった私が犬の後始末をする展開を子供に笑われ、私自身にも犬臭さを自覚しながら、私の傍らで眠る愛犬を見ながらキーボードを押している事に幸せを実感する一日ともなりました。
                                    3月5日の一言
追伸
「四国八十八ヶ所ヘンロ小屋プロジェクト」を支援する会の事務局は大阪にあり、差出人は奈良県が住まいです。

仕事は残っているものの…

 御用納めと聞くと、正月の休み明けまで総ての仕事がストップしてしまうようですが、私のように年内に済ますべき仕事を終わらせていないままに年末を迎えると、やるべき仕事にも手をつける意欲もないままに正月を迎える事となります。

 年末に済ませられない仕事は正月明け早々の仕事となり、1月に予定されている行事は正月気分に浸っていると弾丸のように迫ってくる事は確実で、一年ぶりの正月も半分は仕事気分を引きずったままに過ごしてしまいそうな予感です。

 「お父さん、迎えに来てくれない」と、娘の電話を受けて車を走らせましたが、私の助手席には預かった愛犬リマちゃんがおり、娘と孫と、愛犬テツ君を乗せて帰りましたが、家に到着したものの孫は眠ったままで、娘は犬の散歩にでかけたためにエンジンも止められません。

 やっとのことで犬と孫を降ろしたものの、我家には留守番の愛犬ももちゃんもおり、娘だけでなく孫と犬2匹の登場に大変な事態となり、一匹に声をかけると他の犬が叫び、一匹を可愛がると隣で悲鳴をあげる繰返しに、孫は二の次にされて夕食は済んだものの、3匹の犬の公平な扱いに家中が大忙しの夜となりました。
 
 さて、明日からは家内が正月休みとなる事から、朝から餅つきが予定されており、三男は年末までアルバイトに出かけてしまう事から、力仕事は私の役割と当然のように考えられていますが、議会最終日に痛めた右足も完治したとは思えず、何とか普通に歩けるようになっている事から、痛みを理解してもらえるか疑問の餅つきとなりそうです。

 「年末年始はどうするのか?」と問うと、「今年はゆっくりとテレビでも見ていたい」と、毎年続けてきた京都行きも難しい家族の雰囲気と、昨年に引き続き年末の大掃除も済ませられない現状から、今年は家の中に冬眠となる正月休みとなりそうな気配濃厚です。明日からの巻き返しは可能か…
                                12月29日の一言
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  • ようこそ 大鹿一八の納経所へ
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  • 我家のきゅうりとプランターのイチゴです
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