大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

カムバック自動二輪

岡崎市で久々にVF400Fを走らせて


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私の愛車ホンダVF400Fです  岡崎市

キョウセイ交通大学 http://www.kotsu-daigaku.jp/menu2.html

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上杉君がハンドルを握ります

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上杉君は二輪の指導員です

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まもなくスタートします

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30年前の二輪とは思えぬ輝きです

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いよいよスタートです

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スラロームへ

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私の愛車が走っていきます

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エンジンは快調に廻っています

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無事に戻ってきました

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久々にシートにまたがりました

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相棒リマはVF400とは初対面です

 市議会議員になった18年前に、「事故でも起こしたら支持者を裏切ることになる」と、熱心な支援者たちに言われ、事務所に飾ったままにしていたホンダVF400Fを、数年前に二輪運転の指導者でもある市役所職員の上杉君に預けました。

 3年前に還暦を迎えたことから、このまま老け込みたくないと二輪カムバックを宣言し、車検を取りなおしてVF400Fとともに復活することとし、「リハビリツーリング」に挑戦する気持になりました。

 「まだ乗る気でいたの」と言われましたが、車検こそ受けていないものの、毎年7千円の自動車税を支払い続けていたのは、議員引退後に乗るつもりがあったためで、引退を待っていると身体がついていけないためまもなく復活させることにしました。

 本日は岡崎市にあるキョウセイ交通大学のコースで、二輪安全運転練習会が開催され、私自身は申し込んでないため乗れませんが、指導員の上杉君が私の愛車をトラックに積んで持ち込み、コースを走らせてくれました。

 走らせていないため温まったマフラーから白い煙を出しますが、エンジンは静かに高回転まで廻りそうで、5メートル離れた場所から眺めると新車時と遜色ないものの、近づくとアルミホイールや部品に細かい錆があり、これから磨き上げてタイヤも新調していくことになります。

 18年前まで私が乗っていた愛車が、上杉君によってコースを走る姿を見た家内も、久しぶりに元通りの愛車を見たことと、これまで上杉君によって細部まで整備されていたことによって、私のカムバックには理解を示してくれそうです。

 今度VF400Fがこの一言に登場するのは車検を受ける日で、その日から私のリハビリツーリングをスタートさせていきます。

            本日の体重 73、5キロ 徒歩数 2201歩 間食あり
                                    11月19日の一言

家内の運転免許更新に同行して

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日光川と目比川河口の合流地点 津島市宇治町

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愛知県運転免許試験場 名古屋市天白区平針

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懐かしい大型2種の検定車

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自動車安全運転センター

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目比川堤防を下ります
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目比川河口配水機場が見えてきました

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旭自動車学校とアサヒゴルフセンター

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今日も夕陽が沈んでいきます 日光川

 本日は市役所で議会運営委員会が開催されましたが、午前中に所用が終ったため、家内の運転免許証更新に名古屋市天白区平針にある運転免許試験場まで同行し、津島警察署に申請する安全運転管理者用に必要となる運転記録証明書を申請してきました。

 試験場には高校時代の同級生が定年後に講習の先生役として勤務しており、暫しの雑談となりましたが、各地に残る現役選手の存在が、沈みかけた気力を奮い立たせてくれます。

 さて、連休中ですが、4月に四国や上高地へ複数回訪れていたことや、各地から発信されてくる交通渋滞により、連休中は自宅で仕事に徹したいと思っていたものの、中途半端に夕方をむかえたため久しぶりにバイクで散歩に出かけました。

 渋滞どころか、車の走れない堤防を走ると、人の視線とは違う昔ながらの原風景が目の前にひろがってきます。車で出かけることが当たり前のようになっていましたが、自転車がわりにバイクで各地を訪れてみたいと思います。

           本日の体重 72、6キロ 徒歩数 5388歩 間食あり
                                      5月2日の一言

自由な時間ができても身体を持て余してしまい

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ヤマハメイト80で我家の畑まで

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平成10年から付いていた原付のナンバー
                           本日市役所へ返上しました
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同級生の玄関前で暫しの休憩へ

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私の看板も立ててもらっています

 議員になった平成11年に、購入してまもない新車だったため、誰も乗る予定はないままに残し、一時は娘婿が使用したものの、ほとんど乗らないままに置かれており、使用しないバイクの傷みは早いものです、

 私の乗っていたメイト80も、ほとんど乗っていないため、シートのひび割れを直し、チェーンやギヤとブレーキシューを交換しましたが、エンジンは好調で、私の寿命が尽きるまで使用することができそうです。

 18年間も乗らないままに単車2台分と、車検が切れたままの自動二輪の自動車税を支払い続けてきましたが、昨年6月に三男が接骨院を開業し、私の事務所が2階に追いやられたばかりではなく、単車を置いていくスペースも無くなったことで、雨ざらしではないものの、風雨にさらされる単車の傷みは激しく、家内に再三言われてきた廃車の声を機会に自動二輪とメイト80は乗ることにしました。

 さて、市役所の仕事を終え、残された仕事のため待機していると、市役所から予定していた仕事がキャンセルになったと連絡があり、思わぬ自由時間ができたため、バイクに乗って市内を目的もなく走ってきました。

 3月議会が閉会したことと、寒かった冬から温かい春を実感し、ストレスのない一日を過していましたが、市役所の定年後に再任用されている同級生たちは、それぞれの部署に転任するため、後任への引継ぎや新たな職場の準備に忙しい時間を送っており、休日も出勤するとの話です。
 
 私は明日の夜から土曜、日曜を1泊2日で、家族と共に四国遍路の結願を果たして高野山へ行く予定を立てていますが、半年ぶりの四国にしては感激が湧かず、無事に帰ってこないと山積したままの仕事がこなせないため、逆にストレスを感じています。

 やっぱり、本来済ませているべき仕事を山積させていることが原因で、先送りしてきた仕事が残っている間は、本当の楽しみも先送りにしているのでしょうか…

             本日の体重 72、5キロ 徒歩数 5415歩 間食あり
                                      3月30日の一言

新車のまま18年も眠らせたバイクを廃車に

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事務所前のアンズの花 家族に切られて小さくなってしまいました 

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かつては10台ほどあった最後の2台となりました
                                右のバイクは18年前は新車でしたが…
                     新車ゆえに残して、乗らないままに年月が経過しました

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私のメイト80 今も現役です

 新聞販売店を廃業した18年前には、10台以上の配達用バイクがありましたが、私のメイト80と、買ったばかりの新車を残して総て手放したものの、新車も乗らないままに歳月を重ね、時々乗る私のメイトも、エンジンからオイルが滲むようになってきました。

 それでも50ccの原付バイクとは違い、加速は四輪者よりは早く、70キロ近い速度が出ますが、それよりも還暦を過ぎた私の体力の衰えが著しく、急減速したときや右左折時にかつての運転のようにはいかず、近々戻って来る自動二輪は「トラクター」に乗る気持で走らせないと危険であると実感させられます。

 戻ってきてからの話となりますが、二輪を預けてある知人から「80キロ程度のリハビリツーリング」を薦められており、日帰りで上高地まで往復四百キロを越える道程を走った若い時のようにはいきません。

 もっとも、私自身は、若い時に購入した自動二輪で遠出したいと考えているわけではなく、添付したメイト80に道具箱を積んで、遠くの知らない場所に出かけて、出かけた先で地元の人々と同化したように走ることに憧れています。

 さて、バイクを2台並べたのは、毎年のようにバイクを廃車するように催促され、右の1台のナンバーを今月末までに返上するためで、軽自動車税が倍増してしているために、置いていくだけでは家内が納得しなくなりました。

 考えてみると、議員になってから乗っていない自動二輪と廃車するバイクは、乗らないのに18年間も自動車税を払い続けてきたわけですから、もっと早く使い道を考えれば有効に使用できたと反省しても時間はさかのぼれません。寂しい現実ですね。

        本日の体重 72、5キロ 徒歩数 5444歩 間食あり
                                           9時からはなし
                                    3月27日の一言

愛車『VF400F』が復活間近になり

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市役所の車庫で愛車と久しぶりの再会です

 昭和60年に初年度登録した私の愛車『VF400F』です。30歳を超えた頃に、「このまま老け込むのは嫌だ」と同級生に呼びかけ、仲間と信州や北陸、大阪などへ走りましたが、スピードが出ることからスピード違反で免停になったこともありました。

 真夜中に、「神戸まで行ってコーヒーでも飲んでこようか」とオートバイを走らせてみたい心境になり、仲間に呼びかけて二輪車を取得して、仲間の背中を頼りに真夜中に帰宅したことが懐かしく思い起こされます。
 
 16年前に議員になった直後に、事故でも起こしてケガをしたら議員活動に支障となるからと支持者から二輪を封印され、しばらくは事務所中央に置いてありましたが、動かさないためエンジンがかからなくなりました。
 
 「乗らないなら廃車してよ」と、毎年税金を支払うのがもったいないと家内から苦言を受け続けましたが、「議員を辞めたら乗るから」と保存を続け、数年前からはオートバイに詳しい市役所職員に預けて、整備を続けてもらいました。
 
 ただし、還暦を過ぎ、このままでは完全に眠ったままになるばかりか、私の体力の限界も感ずるため、近々車検を受けるとともに、私の『リハビリツーリング』も企画して新たな二輪生活を復活させようと考えています。

 本日は愛車と久しぶりの再会になりましたが、登録から30年が経過しているものの、保管は倉庫や事務所の中で、外出中に雨に降られたことはありますが、野ざらしにしていないため錆付いてはおらず、あまりの綺麗さに感動です。
 
 もっとも、私の希望は仕事で使用していたヤマハメイト80で、地域に同化して目的地に行くことで、荷台にテントと寝袋を積んで仕事中のように地域に入っていきたいと考えています。こんな希望についても、年齢を考えるといつまでもできるわけではなく、年内に実際に実行してみたいと思います。

 実際に公道を走らせる姿はしばし先の話となります。

                  本日の体重 70、8キロ 徒歩数 1769歩
                                      8月17日の一言
 

久しぶりに出したバイクに孫を乗せて

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 久しぶりにカブ(実際にはヤマハメイト80)を出して埃を落とし、目的も無いままに出かけようとしていると、孫が両親とともに訪れ、「一緒に乗りたい」と訴えたため、親達は乗せたくなかったと思いますが、孫と一緒に地域を走り廻ってきました。
 
 久しぶりと記しましたが、大学時代に起業した新聞販売店で23年間も仕事の足としていたバイクのため、何も違和感がないばかりか、今でも現役の配達人として十分に通用すると思われます。
 
 それにしても仕事用に販売されていたメイトは丈夫に出来ており、販売店を廃業した16年前に3万キロを超えていた走行距離は現在3万3273キロになっていますが、未だに乗用車に加速は負けません。さすがに後輪のスプロケット(ギア)が磨耗しているため急加速はチェーンが悲鳴をあげますが、丁寧に乗れば私の残された人生のお付き合いになりそうです。
 
 私の希望ではこのバイクで四国遍路へ一人で出かけ、地元の人のように地域に同化してお寺を参拝することで、荷台にテントや寝袋を積んで宿には泊まらず、食事も総て自炊で満願を目指せたらと思っています。
 
ものづくり王国愛知、原点は二輪車 地元収集家が展示室
記事の続き…
 冨成さんが二輪車の収集を始めたのは26歳の頃。名古屋市で1953年、オートバイレース「名古屋TTレース」が開催されたことを知ったのがきっかけだ。ホンダとヤマハ、スズキ、カワサキといった大企業しか知らなかったが、レースには19ものメーカーが出場し、うち六つが名古屋周辺の企業だったことを知って驚いた。
 以後、知り合いの部品業者のつてを頼って、当時のメーカー関係者らを探し出し、資料や写真を集めた。技術者らも訪ねて、製作秘話などに耳を傾けた。全国の愛好家らと連絡を取ってコレクションを譲り受けた。そのうちに興味は自転車にも広がった。
 冨成さんによると、60年代ごろまで名古屋周辺では、オートバイのメーカーが創業や廃業を繰り返し、その数はのべ七十数社にのぼるという。また50年には市内だけで、自転車関連で約145の会社があった。ほとんどは零細企業で、59年の伊勢湾台風で被害を受けるなどし、業界の再編が一気に進んだという。
 冨成さんは99年、集めた証言や資料、コレクションなどをまとめて、写真集「名古屋オートバイ王国」を刊行している。実物を見たいとの要望がよく寄せられるようになり、公開を決めたという。「名古屋は二輪車王国で多くのメーカーがしのぎを削ってきた。技術者の情熱や苦労が詰まった話がたくさん残っている。その語り部になりたい」と話す。
 名古屋郷土二輪館についての問い合わせは、冨成さん(090・4198・4771)へ。
 
 偶然にも愛知県で趣味で収集したオートバイや自転車を一般公開し、「名古屋郷土二輪館」として土曜日と日曜日に無料で公開している人物が紹介されており、知人に預けて車検に向けて整備中の自動二輪車とともに、このバイクもこれからの生活に役立てたいと思う一日ともなりました。
 
               本日の体重 70、4キロ 徒歩数 6348歩
                                       6月6日の一言
 

仕事が完了し、心も軽やかになり

 本日は、3月1日付けで発行された神守中学校同窓会報の、広告欄に協賛していただいた広告スポンサーへの集金を午後から廻っていましたが、「また明日にでも…」という甘い気持ちを払拭して夜まで訪問して全部完了させました。仕事というよりも役務のような感覚から、期限が決めてないため、留守なら「また近いうちに…」と日延べを繰り返してきましたが、心を鬼にして本日限りにした事から、仕事を残しているストレスから一つ開放されました。
 
 積み残した仕事は山積したままですが、本気を出せば意外に早く済みそうな気持ちにもさせられるものの、次々と新しい仕事(ボランティア)を入れてしまうことと、金を生む仕事ではないことが、労働意欲を希薄にして、仕事を繰り延べにしてしまっていると思われます。
 
 さて、本日集金に訪れたお店で、私を昔から知っておられる人がおられ、年齢を重ねた話題から身内の病気まで話が広がり、最後は「四国遍路」の話題となりましたが、議員になって顔を合わせていない多くの人々が病気に苦しめられ、鬼籍に入ってしまっている人の多さに驚かされました。
  
お試し歩き遍路に65人 5番札所までの18キロ 徳島
 
 昨日の朝日新聞の徳島県の地方版に、お試し遍路の記事があり、歩き遍路の楽しさを知ってもらう「お試し歩き遍路」が7日あり、県内外から65人が参加したとの報道がありました。
 
 四国霊場1番札所の霊山寺から5番札所の地蔵寺までを歩くと約18キロあるようで、新聞では休憩しながら約6時間半かかったとありましたが、これくらいなら私でもできそうな距離と思われます。
 
 さて、数年前からオートバイをこよなく愛す市役所職員に、修理を依頼したままで預けたままとなっている自動二輪が、どうやら5月の連休後には車検に出せる状態に仕上がっているようです。
 
イメージ 1 私の愛車はホンダのVF400Fですが、約30年ほど前に製造されていた二輪車で、議員になってから14年間は車検が切れただけでなく、毎年7千円の税金だけを払って埃を被らせたままにしていました。
 
 議員になったことで、支援者と家族から危険なため厳禁とされていましたが、このままでは永遠に愛車を粗大ゴミと化してしまうだけでなく、私自身も二輪にも乗れない高齢者に錆びつかせてしまう事から、今年は封印を解いて風になりたいと考えています。
 
 四国を歩いて廻りたいとは思うものの、時間の制約が存在し、とりあえず身体を護られた四輪車から、四国の風を受けて走る二輪で走ることも今年の目標としており、行動から身体と心のリフレッシュにつとめて、ストレスも発散させたいと思います。
 
                                    4月12日の一言
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