本日、平成20年3月29日は、私の恩師「長谷川丈夫」先生の顔を見られる最後の日となりました。
私にとっての恩師は、中学時代の教頭と生徒の関係でしたが、素行も悪く、何度も注意される事が多く、どの教員も信用できずに職員室で座らされる私にとって唯一信用できる先生で、「おい、今度は何をやって叱られとるんだ」との恩師の一言で何度も無罪放免とされてきた。
この関係は落第して非行に走る高校時代になっても続き、恩師が校長になられ、教育界の重鎮になっても続き、私みたいな若輩者とも無礼講で酒を酌み交わす人柄に惹かれ、恩師と付き合っていくために横道に逸れぬようになり、「長谷川先生の教え子」と地域の人々から認知されだした事から、現在の自分があるように思えてならないのである。
この関係は平成6年秋より、我家の2階にて書道会「神守丈友会」の指導者として迎え、毎週火曜日に恩師の自宅へ迎えに走り、帰り道には「おいッ、ちよっと寄っていこうか」と居酒屋に立ち寄り、自宅に上がって深夜まで酒をよばれて、先に逝かれた奥さまより一緒に叱られた事もありました。
先生が舌ガンの手術を控えた国立病院へ見舞いに出かけた際には、私は既に見舞っていた事から知人に「ヘアークリームとブラシ」を見舞品に持たせ、本気で怒られた事もあった。こんな頃まではトンチや冗談も笑って済ませられる豪快さも見られましたが、奥さまを亡くされてからは物忘れが激しくなり、最後の施設での生活は私は見に行かない事に決めていた事から、本日が最後の別れになってしまいました。
思い出してもキリの無い思い出や、残された写真や書についても、これから整理しようと思っていましたが、出棺前の葬儀会場に展示されてあった恩師の思い出の写真の中に、私が恩師の講演の際に印刷したガリ版刷りで茶色に変色した16ページの冊子があり、何度も読まれた形跡から改めて恩師と教え子、親分と子分の絆を実感して帰宅しました。
写真上は、書道会2年目の忘年会で会場の和食の辰巳の主人(彼も教え子)と一緒の集合写真。真ん中の写真は、恩師と書道の後を引き継ぎ指導中の「後藤毅」先生と二人の写真で、下の集合写真と同じく、平成9年2月11日に書道展を開催した時の写真です。
一番下の写真は、私が初めて選挙で当選した平成11年4月の写真で、立候補者に教え子が多くどこにも行かないとの話でしたが、深夜まで私の当選を祝ってダルマに恩師自ら墨を入れた直後の乾杯の写真です。本人が当選人のようだったと言われましたが、喜んでいただけたとの思いと、改めて恩師の恩に感謝したいと思っています。
3月29日の一言
私にとっての恩師は、中学時代の教頭と生徒の関係でしたが、素行も悪く、何度も注意される事が多く、どの教員も信用できずに職員室で座らされる私にとって唯一信用できる先生で、「おい、今度は何をやって叱られとるんだ」との恩師の一言で何度も無罪放免とされてきた。
この関係は落第して非行に走る高校時代になっても続き、恩師が校長になられ、教育界の重鎮になっても続き、私みたいな若輩者とも無礼講で酒を酌み交わす人柄に惹かれ、恩師と付き合っていくために横道に逸れぬようになり、「長谷川先生の教え子」と地域の人々から認知されだした事から、現在の自分があるように思えてならないのである。
この関係は平成6年秋より、我家の2階にて書道会「神守丈友会」の指導者として迎え、毎週火曜日に恩師の自宅へ迎えに走り、帰り道には「おいッ、ちよっと寄っていこうか」と居酒屋に立ち寄り、自宅に上がって深夜まで酒をよばれて、先に逝かれた奥さまより一緒に叱られた事もありました。
先生が舌ガンの手術を控えた国立病院へ見舞いに出かけた際には、私は既に見舞っていた事から知人に「ヘアークリームとブラシ」を見舞品に持たせ、本気で怒られた事もあった。こんな頃まではトンチや冗談も笑って済ませられる豪快さも見られましたが、奥さまを亡くされてからは物忘れが激しくなり、最後の施設での生活は私は見に行かない事に決めていた事から、本日が最後の別れになってしまいました。
思い出してもキリの無い思い出や、残された写真や書についても、これから整理しようと思っていましたが、出棺前の葬儀会場に展示されてあった恩師の思い出の写真の中に、私が恩師の講演の際に印刷したガリ版刷りで茶色に変色した16ページの冊子があり、何度も読まれた形跡から改めて恩師と教え子、親分と子分の絆を実感して帰宅しました。
写真上は、書道会2年目の忘年会で会場の和食の辰巳の主人(彼も教え子)と一緒の集合写真。真ん中の写真は、恩師と書道の後を引き継ぎ指導中の「後藤毅」先生と二人の写真で、下の集合写真と同じく、平成9年2月11日に書道展を開催した時の写真です。
一番下の写真は、私が初めて選挙で当選した平成11年4月の写真で、立候補者に教え子が多くどこにも行かないとの話でしたが、深夜まで私の当選を祝ってダルマに恩師自ら墨を入れた直後の乾杯の写真です。本人が当選人のようだったと言われましたが、喜んでいただけたとの思いと、改めて恩師の恩に感謝したいと思っています。
3月29日の一言