大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

その他乗り物

京都駅で待機タクシーの規制実験が

 JR京都駅で、客待ちタクシーであふれる周辺の混雑解消を目的とした、空車のタクシーの乗り入れを全面的に禁止する規制が社会実験として実施され、長い行列ができたため進入禁止を一時解除して対応したものの、進入禁止は10日まで続ける予定と報じられている。
 
空車タクシー規制実験、京都駅前が大混雑 一時解除も
 
 JR京都駅烏丸口には、約100台分のタクシー待機場所があるものの、溢れたタクシーが路上駐車して渋滞を招き、地域住民から苦情が続いていたらしく、このことは京都駅に限らず名古屋駅でも同じ事情から注目したい実験でもある。
 
 鉄道が高架化され、駅を始発とするバスはバスターミナルが整備され、全国的に駅周辺のスムーズな通行が可能となっている中で、客待ちのタクシーが道路に溢れて自家用車や市民の通行の邪魔になっているケースを度々目撃します。
 
 このことは駅に限らず、大規模な総合病院でも同様な現象として、利用客を降ろすタクシーと、客を待つタクシー乗り場の車によって、玄関周辺が一般患者を乗せた車が横付けできずに病人が苦労している姿を見かけます。
 
 高齢化社会の中で、公共交通を利用するためにも高齢者を駅に降ろす車の停車場を確保することは急務であり、医療機関においても高齢の患者を玄関に停めたい車が殺到します。
 
 3ヵ月ほど前の話となりますが、名古屋市にある名古屋大学付属病院を訪れた際に、駐車場(有料)に入りたい車が長い列を作っておりましたが、患者を降ろすだけの車は有料駐車場を通って玄関に横付けできる出入り口を発見し、30分は無料のため本当に患者を降ろすだけの利用者は無料で利用できる事に大きな感銘を受けました。
 
 有料駐車所には車を入れたくないドライバーの心理と、駐車場を利用する人を用途別に誘導すれば、駅の駐車スペースの有効活用が図られる可能性も高く、何時間も客待ちで街の玄関口を我が物顔で居座るタクシーの一層も考えられそうです。
 
高級旅館に無銭32泊、京阪奈を転々 容疑の夫婦逮捕
 
 さて、我家のお寺(浄土宗)の行事で、月曜日には京都に出向きます(1泊2日のバス旅行)が、格安の旅行パック2人分の高い料金で参加し、京都で宿泊場所が確保できないため、滋賀県の大津で宿泊するスケジュールにはびっくりです。
 
 いまや愛知県と京都くらいは日帰りでも余裕ですが、京都の本山の行事に参加するのに大津で宿泊し、翌日も京都に出かける行程に、お寺の発想の貧しさと、参加人員は揃っているものの、参加者の心情(不満)は何も考えられていない横着な企画は、「連れてってやる」位の心境なんでしょうか。もっとも、母親の代役だけに「有難い」と口にはチャックです。
 
 本日は、同じく京都の話題に、添付した無銭飲食で32泊した夫婦の記事がありましたが、最近は前金を支払うシティホテルも増えているものの、身分証明書も確認しないまま客をもてなす高級旅館にとっては頭の痛い犯罪です。
                                   10月1日の一言

巻き添えの落車も自分の実力のうちです(息子の一言)

イメージ 1

 朝一番のレースで、最高の位置に付けていましたが、最終コーナーで隣りの選手の落車に巻き込まれタンカの上で応急処置の最中です。
 
 大阪舞洲で開催された第10回クリテリウムの実業団ER予選第1組に出場した三男は、前半にはトップで引っ張る試合展開に、「コムレイドの大鹿選手」とアナウンスもされ、13周までは10位以内の外側につける絶好の試合展開でしたが、最後の1周という時に姿がなく、もちろんゴールにも戻ってきません。

 息子の話では、最終コーナーで膨らんだ左側の選手の転倒によって車輪をすくわれ、空中に吹っ飛ぶ落車となり、息子の上で数台の自転車が転倒したとの話で、左側の背中から肩、腕、肘、腰、膝を裂傷し、反対の右足ふくらはぎが痛くて立ち上がれません。

 タンカの上で応急処置を受け、大阪の救急病院を聞いて走りましたが、地理不案内で場所が判らず「愛知県まで帰ろう」と痛がる息子に話し、「えっ、大丈夫?」と心配する病院関係者の声を無視して、2時間後には津島市民病院の救急外来に到着となりました。(21年選手の愛車も頑張れる事を実証しました)

 現場で「救急車」の声もあったようですが、息子の意思で救急病院へ走る事となりましたが、時速50キロでの転倒ですので、私なら1ヶ月の入院加療となる事態でしょうが、毎日鍛えた身体ゆえに明日から通院となり、歩けないのでしばらくは松葉杖の生活です。

 来週に予定されている群馬県の試合はもちろんですが、「これで今年はダメだ」の息子の言葉からダメージは過去最高のようで、試合前から絶好調(前日に頭も5厘刈りにしました)で表彰台を狙っていただけに、身体と車体にも大きなダメージとなる試合となりましたが、息子を転倒させた選手が最後まで付き添っていた事が息子にはよほど嬉しかったようです。

 さて、絶好調のまま入賞して、来週の群馬県についていく私の予定も暗転し、明日からは学校まで車で付き添いとなり、家内は慌てて保険証と診察券を持って走ってくる事となりました。ただし、手前味噌ではなく、津島市民病院の対応は最高で、偶然にも診察した研修医が私や息子の「かかりつけ医」の息子さんで、「こんな親切な診察は初めて」と息子が話したが、こんな偶然も巡り合わせか…

 昨晩から出向いて、本日は大阪の一日となる予定が、試合開始1時間半後には病院を目指す一日となり、「入賞したら京都に寄ってくれ」と、京都への寄り道を決め込んでいた私の思惑も一瞬の幻となりました。しかし、前記したように、市民病院の対応が余程良かったようで、医療専門学校に通う息子のためには貴重な体験と明日からの肥やしとなった事が幸いでもありました。
                                  4月19日の一言

息子の写真が欲しいものの…

 家族の夏休みで上高地で自由気ままな生活をおくっている間に、三男は人に誘われて鈴鹿サーキットを会場にした自転車競技(8月25日・26日)に参加していた。

第24回シマノ鈴鹿ロードレース
http://www.shimano-event.jp/suzuka/top.htm

 三男の夏休みは新城サイクルターミナルでのジュニア選手強化合宿で始まり、名古屋競輪場から一宮競輪場を舞台に強化合宿が続き、盆には東海選抜に選ばれたツール・ド・とうほくで仙台・秋田・岩手を転戦し、例年一緒に出かけている上高地の夏休みも地元の先輩に誘われて鈴鹿へ出かけていった。

 「絶対に勝負を挑まないこと」が、高校の監督から鈴鹿に参加する条件として出されたのは、半月後には高校生としての新人戦を控えてケガが大敵であったからであるが、さすがに競輪の一流選手を前にして息子は燃えたのであった。最高速チャレンジ順位決定戦では予選で8位に入り、決勝でも18位に入ったとの連絡があった。(オープンIII・Aは21位)

最高速チャレンジ順位決定戦
http://www.shimano-event.jp/result/07suzuka/result080-1.html

オープンIII・A 5周(29.105km)
http://www.shimano-event.jp/result/07suzuka/result012-1.html

 賞品に米をもらい、「一表は背負えないので10キロをもらってきた」との報に、一安心するとともに翌日への期待を込めて、電波が微弱でクマとの遭遇を心配しながら上高地から電話を切った。しかし、翌日は電波が届かない場所にいたこともあったが、息子からの連絡もなく心配しているとその心配が的中した。レース中に自転車から落車していたのである。(完走はしていました)

オープンIV・B 5周(29.105km)
http://www.shimano-event.jp/result/07suzuka/result037-1.html

 「おい、ケガは大丈夫か?」と気にはなるものの、離れた上高地からは何ともしようがない。翌日帰宅後に息子を見ると、尻や背中に大きな擦傷を負っており、「こんなもの大丈夫」という息子を外科に連れていくと、「今日一番の大怪我だ」との話である。まともに見れないほど大きな傷が体液でベタベタに光っていた。

 「息子さんの試合結果が見れますよ」と、親切な人から本日連絡をいただいた。早速パソコンを開き、家内と一緒にビデオを見つめるものの、どれが息子かが判らない。
 「おい、写真を買ってやるぞッ」と帰宅後の息子に話すと、「そんなものはいらない」との返事である。「せっかくの記念だから」、「いらない」のやりとりも、親バカな私が記念に欲しいのであるが、息子の姿が息子しか判らないために、無念の想いでただ画面を眺めるしかないのであった。
                                 9月3日の一言
追伸 ケガの翌日から自転車に乗って競輪場を走り、ケガは完治(若いから早い)していますのでご安心を。

10分で終るタイヤ交換に3時間

 毎日自転車で名古屋まで15キロ位を通学し、一日に百キロから2百キロを自転車で走る息子(高校生の三男)に触発され、自分もの気持ちが芽生えてきている。

 日曜日には名古屋競輪場で大会があり、息子は東海大会にコマを進めているが、全国大会には依然として厳しい戦いが続きそうである。

 今から30年ほど前の話となるが、昭和55年の秋に私の店に勤めていたM君が、ブリジストンのユーラシアという高価な自転車を購入した。記憶が定かではないが、十数万円していたと思う。しかし、一年もしないうちに自動二輪の免許をとり、400ccの中型バイクを新車で購入し、仲間と遊び回るうちに家を飛び出して行方不明になってしまったのである。

 「おい、あの自転車をどうしようか?」と、M君の同級生だったI君に問うと、「そのまま置いておけは戻ってくるかもしれないから」との返事から、M君の母親に話してそのまま我家の倉庫に眠ったままとなったのである。
 それから30年ちかくが経過しているがM君は表れず、家も引っ越していったためにそのままとなり、時々自転車を引っ張りだすとタイヤがひび割れしてパンクしており、その都度タイヤを交換していたが、タイヤの交換にも費用がかかる事から、最近では放置されたままになっていたのである。

 昨年から息子が自転車競技をはじめ、簡単にタイヤを交換している事から、自分でもできると思ってホームセンターに出かけたのである。もちろん反対する家内に、「おまえの自転車も直してる」と言ってタイヤやチューブを買ってきたのであった。

 しかし、素人でもできるとは言うものの、交換したものの最初から空気が抜け、やり直しの連続となり、息子の力を借りる事となったのだが、ホームセンターで安価で購入できるものの素材が悪いらしく、何度もキズをつけてバンク修理や交換のやり直しとなったのである。

 「餅屋は餅屋」の言葉どおり、自転車屋が10分で終るタイヤ交換に3時間もかかったのである。しかも、何とか乗れるものの心配はつきない状態である。ところが、試乗した息子が「古いけど乗りやすい。良い自転車だ」と語った事から、乗りたいのは山々ながら、明日からの議会を控えているため暫しの休眠である。ただし、30年の歳月は後戻りができず、ザビ付いた車体の掃除が先決でもある。
                                5月14日の一言

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