
添付した写真は、ビックコミックオリジナルに連載されている「フイチン再見」で、戦前・戦中・戦後の中国大陸「満州」が舞台となっており、最新号に描かれた戦後の引き揚げ風景を見ながら、私の父親も同じ体験があったものの、生前に満州の詳しい話は聞いたことがないため、父親の満洲時代について知ろうとしても聞けない現実を寂しく思う一日となりました。
この漫画は、旧満州ハルピン出身で、ハルピンを舞台にした「フイチンさん」を書き残した漫画家上田トシコさんの実体験をもとにした漫画で、作者の村上もとかさんは、上田トシコさんの生涯を題材として2年ほど前からビックコミックオリジナルで連載されています。
上田 トシコ(うえだ としこ、1917年8月14日 - 2008年3月7日)は、日本の漫画家。東京市生まれ、旧満州ハルピン出身、頌栄高等女学校(現 頌栄女子学院)卒業。本名・上田俊子。
少女漫画の黎明期に活躍した女性漫画家の一人であり、代表作にハルピンを舞台にした『フイチンさん』などがある。少女誌執筆の頃は上田としこ、新聞の執筆の頃は上田とし子、その後に上田トシコ、と3度ペンネームを変えている。
今年になって発行された最新号では、戦後中国軍に戦争関係者として身柄を拘束された父親と、一度は拘束されたものの開放された兄など家族の心情が描かれ、線路沿いに大きな荷物を背負って引き上げる日本人や、生きて日本に帰るため自分の小さな子供を置き去りにする母親の様子が描かれています。 私の父親は14歳の時に、当時の国鉄には身長が足らずに採用されないため、鉄道員になるため中国に渡り、採用してくれる満州鉄道に入社しましたが、結果的には戦死した兄が存在したことから、満州に骨をうずめる覚悟で日本を出国したと聞きました。

私の父は軍人ではなく、鉄道員として駅周辺の中国人と親しく接していたため、敗戦後に日本兵が捕虜となり、軍人以外でも男性が収容所に拘束されるときに、自宅にかくまってくれた中国人が複数存在し、多くの日本人が捕虜収容所に拘束され、シベリアに送られた人々も多数ありますが、中国人を憎むどころか親交を温めていました。
中国残留孤児が日本の親族を探しだした当時、新聞紙面に自分の生活していた近所から親族を探している人を発見し、厚生省に連絡したことから、来日しても何も手がかりがなく沈んでいる人々の話し相手になって欲しいと言われ、毎年連絡が入るようになりました。

父は昭和17年に満州に渡り、中国各地の駅員などをしていましたが、14歳から3年間の少年期だったことから、駅周辺の中国人にも可愛がられて生活していたことが想像され、日中国交正常化後は中国語を学びなおし、旧知の中国人と文通し、ラジオや日用品なども送っており、自由に渡航できない時期にも新聞社の訪問団として中国を訪れていました。
引揚げ船の出る港まで線路沿いに歩いたと聞きましたが、駅員のため助けてくれる中国人も多く、着の身着のままに帰国した人が多い中で、温かい毛布を持って帰国し、中国に嫌な思い出はなく、住んでいた吉林省の鉄道員で組織された吉林(チーリン)会に参加していました。
添付した「フイチン再見」は実に忠実に描かれており、父が生きておれば喜ぶと思いますが、私の生まれる8年前が舞台となっているものの、記録の伝承がないままに父は他界していることと、交流していた中国の人々と連絡もとれないことが残念ですね。
安部政権になり、中国とは険悪な関係が続いていますが、日本が植民地化していた当時の人々の中にも、同じ人間として近所付き合いをしていた日本人は多く、名古屋市は卓球を通してピンポン外交が行われた舞台になることから、人と人との関係から日中友好を果たすべきと漫画と亡き父親を回顧しながら思う一日となりました。
本日の体重 71、0キロ 徒歩数 2万4687歩
1月7日の一言
追伸
出典元は、ビッグコミックオリジナルです。

1ヵ月前から休載中となっていた週刊漫画「蔵の宿」の原作者が、胃がんのため亡くなっていたことが、先週に発売された最新号に掲載されており、漫画のファンではありながら、原作者の名前も知らないままに、しかも原作者は私と同年であった事実に悲しいの一言となりました。








