大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

オートバイ

愛車『VF400F』が復活間近になり

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市役所の車庫で愛車と久しぶりの再会です

 昭和60年に初年度登録した私の愛車『VF400F』です。30歳を超えた頃に、「このまま老け込むのは嫌だ」と同級生に呼びかけ、仲間と信州や北陸、大阪などへ走りましたが、スピードが出ることからスピード違反で免停になったこともありました。

 真夜中に、「神戸まで行ってコーヒーでも飲んでこようか」とオートバイを走らせてみたい心境になり、仲間に呼びかけて二輪車を取得して、仲間の背中を頼りに真夜中に帰宅したことが懐かしく思い起こされます。
 
 16年前に議員になった直後に、事故でも起こしてケガをしたら議員活動に支障となるからと支持者から二輪を封印され、しばらくは事務所中央に置いてありましたが、動かさないためエンジンがかからなくなりました。
 
 「乗らないなら廃車してよ」と、毎年税金を支払うのがもったいないと家内から苦言を受け続けましたが、「議員を辞めたら乗るから」と保存を続け、数年前からはオートバイに詳しい市役所職員に預けて、整備を続けてもらいました。
 
 ただし、還暦を過ぎ、このままでは完全に眠ったままになるばかりか、私の体力の限界も感ずるため、近々車検を受けるとともに、私の『リハビリツーリング』も企画して新たな二輪生活を復活させようと考えています。

 本日は愛車と久しぶりの再会になりましたが、登録から30年が経過しているものの、保管は倉庫や事務所の中で、外出中に雨に降られたことはありますが、野ざらしにしていないため錆付いてはおらず、あまりの綺麗さに感動です。
 
 もっとも、私の希望は仕事で使用していたヤマハメイト80で、地域に同化して目的地に行くことで、荷台にテントと寝袋を積んで仕事中のように地域に入っていきたいと考えています。こんな希望についても、年齢を考えるといつまでもできるわけではなく、年内に実際に実行してみたいと思います。

 実際に公道を走らせる姿はしばし先の話となります。

                  本日の体重 70、8キロ 徒歩数 1769歩
                                      8月17日の一言
 

十四年前の自分に戻したくて

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 「何だ、これー、ダセエー」と、添付した写真を見た三男に言われましたが、私が14年前に朝日新聞販売店を廃業した当時は新車だった「ヤマハ・メイト80」で、そのまま残してあったものを、一ヶ月前から持ちだして乗るようになりました。
 
 それにしても仕事用としての単車は丈夫で、バッテリーだけは新品に交換したものの、それ以外は何も修理することなく、タイヤの空気を入れただけで、14年前と同じように走ってくれました。
 
 このメイトは2サイクルエンジンを搭載しており、この手の単車では人気のあるホンダ・カブより加速が早く、小回りがきくので新聞配達には適しており、最盛期は10台以上のメイト・50を使用して、私だけは80に乗っていました。
 
 まもなく還暦を迎える歳になって、「何故にメイトか?」と問われますが、議員になった時に置いてあった400㏄の中型バイクについて、「乗って事故でも起こしたら応援してくれた支持者を裏切る」と、後援会の人々に封印されていたホンダVF400の修理がまもなく完了して車検を受ける段階になってきたことから、いきなり大きな単車には乗れないためメイトに乗るようにしており、本日は市役所や、添付した珈琲屋さんにも乗って行きました。
 
 大学時代に起業して以来乗り慣れていた単車ですが、久しぶりに乗ると大きな違和感があり、右折時には後ろから追突されそうでヒヤヒヤしながらの運転となり、車より加速が良いものの、車のようにはブレーキが効かず、しばらくは過去の勘が戻るまで乗り慣れるしかありません。
 できればこの荷台にテントとガスコンロを積んで、見知らぬ場所に走っていけたら面白い体験になると思われますが…
 
 さて、9月議会も明日が最終日となり、明後日は観音巡礼結願の御礼に長野善光寺に走り、日曜日は歩き遍路友の会総会のため春日井市に出向き、月末こそ例月出納監査のため市役所に居ますが、その後も知多半島の巡礼のため3日間家を空けることとなります。
 
 スケジュールは書き込むだけですが、それぞれの旅程には旅行保険をかけており、私が不在や事故にでもあえば、その連絡先すら誰も知らず、行程も私任せとなっていることから、万が一のミスは多くの人々に迷惑をかけることになるため、しばらくは大変な日々が続きそうです。
 
                                      9月25日の一言

若き日のエネルギーを懐古し…

 正月の影響で、完全な夜型人間になっており、目を覚ました時には息子達や家族はそれぞれの仕事や学校にいっており、自分だけが正月休みの延長にあるような気分である。もっとも、正月も何も自分は相手まかせであり、人との対応で動いているために、自分の趣味も何もかも忘れているのかも知れない。

 「夜に岡山へコーヒーでも飲みに行こうか」と言って、20数年前に同級生達を誘ってオートバイの免許をとりに行った。「なぜ、岡山なんだ」との問いに、「気の向くままに生活したい」、「このままオジサンになりたくない」などと、身勝手な理由で友人達を巻き込んだ。
 30才を超える直前であったが、年齢に抵抗し、オジサンのタマゴ達は単車を連ねて大阪や長野にハンドルを向け、時には自然のタケノコやシイタケを失敬(犯罪です。申し訳ありませんでした)し、夜遅くまで走り回っていた。
 真夜中の道路を走るとき、単車のヘッドライトに見えるのは、友人の背中だけで、その背中を追って真っ暗になった道路を家路に向かって走っていた。後ろに続く同級生も岐阜県の山中を「見失うものか」と必死に続いてくる。小学校からの同級生がこんな遠くまで体一つで来ている現実から、『同期の桜』のような気分も味わった。

 40才を超えた頃の夏であったが、友人の単車(単車と言えども大型輸入車である)が盗まれた。「警察に届けたが、探してはいないようだ」の一言が『探偵魂?物好き』に火をつけ、地域を探し回り深夜になって盗まれた単車を見つけ出した。
 「おい、見つかったぞ」と友人宅へ飛び込んだ時は午前様で、「えっ、見つかった」と寝ぼけ眼でびっくりの友人と現場に向かった。当時は携帯電話もなく、何度も公衆電話から警察に電話をしたが肝心のパトカーはやってこない。盗んだ犯人達(少年)がタムロしている深夜に、心細く二人で見張っているのだ。しかし、待てども警察はやってくる気配すらなく、友人が連絡に走るが時間だけが過ぎていく。
 シビレを切らし、「こら!オレを誰だと思っとるんだ!!」と警察に連絡するとパトカーが到着した。単車ゆえに明らかに我々をなめているのてあった。「あそこに犯人がいるから行って来い!」と言っても、警察官は一向に動かず、盗まれた数台のオートバイを黙々と調べているのみである。
 動かぬ警察官に「これは持って行くから」と言うと、「盗難車だからダメだ」と言う。「何を言っとるんだ。探しもせず、犯人も捕まえんくせに!」、「規則だから」と一向に進まぬ処理に、「馬鹿やろう、〇×の大鹿だと署長に言っとけ!!」と、強引に盗まれた単車を奪い返してきた。

 「あんたは偉くなったネ」を繰り返す同級生。「何?」、「警察署長と知り合いだって!?」、「そんな事ウソ、ウソ」と、優等生で『生徒会長』だった同級生と劣等生代表の私が話しながら帰ろうとすると、単車のカギの部分が壊されており、エンジンがかけられない。
 「親爺さんに言ったら来てくれるか?」、「くれない事はないけど…」、「カミさんでは何にもならないしナァ…」時間が時間である。こんな時間に連絡すれば「単車なんか乗るな」と叱られるであろうし、今さら馬鹿にした警察官にも頼めない。
 「じゃー、オレが押していくわ」と言ったものの、自宅まで4キロはあり、二人で汗だくで押して帰ったのであった。真っ暗な友人宅の前で「コーヒーでも飲んでくかネ」とは言われたものの、仕事もあるし、家族も迷惑だし、「このまま帰るわ」となった。
 「この恩は一生忘れんからナ」の言葉を背に、ここから2キロ離れた自宅まで、一人淋しく歩いて帰ってきたのであった。十数年前の出来事であるが、その後「岡山のコーヒー屋」は行かれないままで、私の愛車は車検切れで知人のガレージで再起を待ち続けている。一生の恩人と言われた筈たが、今になって「岡山…」と言ったら彼からどんな返事が返ってくるだろうか。
                                 1月9日の一言
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