大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

ガーデニング

我家の畑で収穫されたアスパラ菜


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アスパラ菜

 まるで春の菜の花のようです。

 我家の畑から収穫されてきた「アスパラ菜」と言う事ですが、私はブロッコリーか大根に咲いた花と思って写真に収めました。

 まさか、今晩の食卓にあがるとは思っておらず、収穫が終って咲いた花ではなく、食べるために栽培されていたと知りびっくりしました。我家の畑は30坪ほどしかありませんが、87歳になる母親が一人で耕しており、現在もキャベツやダイコン、ニンジンなどが収穫され、母親は夕方になると必ず畑に出かけています。

セブン向け「野菜工場」を公開、来年稼働へ

 コンビニのセブンイレブンでは、サラダに使う野菜の工場を本格稼動させると報道関係者に公開したと報じられていますが、天候の良し悪しに左右されず、フル稼働時の人員は一般的な野菜工場の約4分の1になり、露地栽培では種まきから収穫まで60~70日かかるが、工場では40日弱で無農薬の野菜が出荷されるとあります。

 農業そのものが見直されているものの、後継者不足によって高齢化が問題となっており、今年のように自然災害が続くと収穫に影響が出て、生産者だけでなく、野菜の高騰によって消費者も泣かされましたが、野菜が工場で生産されるようになると生産量の確保と価格の安定化につながりそうです。

 さて、明日から12月になり、各地から積雪の話題が届くようになりましたが、我家の庭には寒さに弱い医者イラズや観葉植物が置かれたままになっており、本日はブーゲンビリアを新しい大振りの植木鉢に植え替え、冬でも常時20度以上に設定してある事務所の2階に移動させました。

 一年間に買い込んだ観葉植物や草花が外に置かれたままになっており、気がついたときには寒風に吹かれて枯れてしまうことが繰り返されてきたため、今年は今のうちに室内に移動させて来年も花を咲かせたいと思います。

                                   11月30日の一言


時代を超えてきた柿の木を眺めて


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庭にある柿の収穫

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食べごろです

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こちらは大正以前からある柿の木

 現在我家には2本の柿の木がありますが、主役は庭の中心にある柿の木で、昭和の終わりに父親が植えたもので、庭の真ん中で成長したため「切っても良いぞ」と言い残したようですが、私が残すことにこだわり現在に至り、タネのない大きな実を大量に実らせています。

 成長して屋根より高くなったため、私は火事の時に逃げられると残していたものの、雨どいの中に落ち葉が詰まるため家内が毎年切り続けていますが、それでも大型の脚立でないと収穫ができません。

 さて、もう1本の柿の木は、私の父親が生まれる前から植えられており、大正期に納屋が火災にあった際の焼け焦げた後が黒く残っていることから、明治時代に植えられたと思われ、私の四代前の祖祖母の時代から残る歴史をつないでいます。

 こんな古くからある柿の木が最近は甘くなっており、嫁いできた家内は渋柿と思っていたようですが、元々が甘柿で我家で一番甘かった柿の木で、この木の根元には私の少年時代に飼っていた愛犬が眠っているため、私だけでなく誰も口にしなかったことから渋柿と思われていたのかも知れません。

 明治、大正、昭和、平成と残った我家の歴史を知る木でもあり、新しい年号になり、私が滅した後でも残してもらいたい木でもあります。

ダム湖に沈んだ古里 増山たづ子写真展、被災地でも反響

 ダムに沈んだ岐阜県旧徳山村を撮り続けた故・増山たづ子さんの写真展が、88歳で亡くなった翌年の2007年から友人の手で始まり、東京や北海道だけでなく災害被災地など全国各地で開催されてきたと報じられています。

 増山たづ子さんが亡くなって22年の歳月が経過していたことに驚かされ、早すぎる時間の経過と自分の歳にも驚かされます。

 本日は近所で亡くなった人の通夜が営まれましたが、せいぜい人間は80年ほどしか生きられないため、その人の人生どころか、家の歴史や先人についても写真や説明書きを残して語り継いでいきたいものです。

                                    11月1日の一言


庭木の剪定が進んで


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玄関の槙(マキ)の剪定
                            私の祖母と横井庄一さんが種を蒔いた木です

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名古屋市笹島東周辺

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名古屋市納屋橋周辺
                             正面は長年関わった朝日新聞名古屋本社

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名古屋市錦二丁目 目的地周辺です

 数日前から庭の剪定に同級生の庭師さんが訪れており、私が居る時くらいはと朝10時の休憩に顔を出していると、同級生から昼食へ一緒に出かけないかと電話があり、他の同級生を11時半から名古屋市まで送る約束がしてあると断り、パソコンの前に座っていると時間が近づき、名古屋市中区まで車を走らせました。

 慌てて帰宅して庭師の同級生と談笑して、5羽のスズメの鳥カゴの掃除とエサや水の入替えをしていると午後3時の休憩が近づき、車の清掃と残した仕事をして3時の休憩後に孫の相手をしているともう夕暮れが近づきます。

 火曜日の夜は、私の事務所2階で書道会が開かれており、お茶やコーヒーの準備をしていると他の同級生が仕事で訪れ、簡単に応対して別れると他の同級生が三男の接骨院を訪れており、送ってきた娘さんと話していると周りは真っ暗になっていました。

 そろそろ書道の恩師を迎えに行こうかと考えていると、名古屋市まで送っていった同級生が近くの駅まで迎えに来てくれと連絡があり、駅で同級生を拾ってからそのまま同乗したまま恩師を迎えに走りました。

 書道会は午後7時半から9時近くまで開かれ、メンバーで談笑後に参加していた同級生を送迎して帰宅するとやっと夕食です。本日だけで5人の同級生と応対しており、書道会に参加していた同級生も含めると6人の同級生と顔をあわせていたことになります。こんなことは珍しいものの、最近は知人との電話や応対だけで時間が経過し、孫とスズメの世話をしていると一日が終ってしまいます。

 遅い夕食時に酒が入り、直後に居眠りしてしまうため、目が覚めてからこの一言を記していると午前0時を過ぎ、それから風呂に入って自分の趣味や仕事をしていると午前3時頃になっていきます。そして、目覚ましが鳴ると明日が続いていきます。

           本日の体重 74、2キロ 徒歩数 6451歩 間食あり
                                    1月16日の一言

年末に秋の名残を探して


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ブルーベリーの紅葉

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サツキの黄葉

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我家の柚子

 本日は12月議会の最終日となりましたが、今年の御用納めまで3日間しかなく、明日一日は知人とウォーキングに行く約束がしてあるため、仕事が終らないままに大晦日と新年を迎えることになりました。

 議会だより用の原稿の締め切りが27日になっており、1月に視察予定としている相手自治体への申請書類と、政治活動用の看板の証票などの更新申請も28日になっているため、夜に仕上げて朝届けることになりそうです。

 年内に行くことにしていた御嶽山の霊神場どころではなく、大晦日の京都行きも風前の灯になっていることを、新年まで一週間を切ってしまった今になって実感させられています。

            本日の体重 73、7キロ 徒歩数 3646歩 間食あり
                                    12月25日の一言

カワセミ君のお墓にキノコが生えて

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我家の玄関 カワセミのお墓の周り生えたキノコ
                                奥の小石がカワセミのお墓です

                    https://blogs.yahoo.co.jp/s281218/48133561.html

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毒キノコなんでしょうか

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可愛いキノコの赤ちゃんです

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夏に花を咲かせたブーゲンビリアが再び開花して

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ビロード虎の尾 (アメジストセージ)

 久しぶりに玄関の庭の奥に足を入れると、見事なキノコが生えており、キノコ図鑑を見て調べたものの、複数のキノコの可能性もあり、食べられる可能性もあるものの、専門家に鑑定してもらわないと判りません。

 キノコの近くには3年前に玄関で保護したものの、数日で死んでしまったカワセミのお墓があり、その周辺に生えていることから、これからも毎年出てくれるように願っています。キノコの名前と成長に期待します。

 我家には子供の頃に食べられるキノコが存在し、我家では「ネデ」と読んでいますが、家の裏に屋根を越す大木となる樹木の根元に大きなキノコが生えていたものの、50年ほど前に家の建てかえの邪魔になり木が切られてしまい、その後はキノコも生えなくなりました。

 同じく庭にあった「ネデ」の老木の根元にも、家の裏のキノコと同じ種類のキノコが生えていましたが、「ネデ」の大木や老木の根元に生えるキノコは食べられるのかもしれません。

 さて、我家の先祖代々の樹木を「ネデ」と記しましたが、樹木の辞典を見ても「ネデ」の木は存在せず、何とか似ている樹木を探すと「アキニレ」のようにも見えますが、我家では大木になるので家内が嫌っています。我家に残る2本の大木は、私が50年前に切られた根回り1メートルの根元から新芽を株分けした木で、我家で数百年前から生えていた大木の子孫となります。
 
アキニレ(秋楡)  http://www.jugemusha.com/jumoku-zz-akinire.htm
 
 嫁いできた家内には40年程度の樹木でしょうが、私にとっては300年前かもしれない先祖を知る樹木で、この樹木の根元に食べられるキノコがあった記憶も、今では私だけの引き出しに入っているだけです。

                本日の体重 71、3キロ 間食あり
                                    10月4日の一言

意外な植物が綺麗な花を咲かせて

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何の花か判りますか?

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夏の終りに綺麗な花が咲きました

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こんな可愛い小さな実が付いています


「市営プールの料金はいくらですか?」
    「シルバーは210円ですよ」
「210円なら行こうかな」

 知人が腰痛や手のシビレの改善にプールに行こうかと話し、プールに通っている人に問い合わせて210円と聞き、「じゃー、オレも一緒に行くかな」と営業時間を調べると、夜8時までやっているため、午後5時からウォーキングで歩いて、プールを風呂代わりにして汗を流して帰ろうかと話していると…

 ネット検索して料金を調べると、シルバーは210円とありましたが、シルバーは65歳以上と記されており、問い合わせた人も私たちがシルバーと思って応えていたものの、還暦後も65歳以下の大人は540円と記されていたことから、風呂より高いプールには行けないなとの話となりました。

 一般的にシルバーとは60歳以上と思われており、ボーリングや映画館など当地方ではほとんどが60歳以上がシルバー料金となっていますが、津島市のプールは65歳以上となっており、年々会員が減少している老人(いきいき)クラブは60歳以上が対象となっています。

 このあたりの区分はあいまいであり、60歳の老人クラブには違和感を覚える人も多いものの、介護保険や年金は65歳以上が対象となっており、最近は身勝手な国会で大学まで無償で通えるようにしたいと言いながら、年金は70歳に引き上げるとの意見も漏れてきます。

 さて、津島市プールについても、利用者が多いわけでもなく、交通の便が極めて悪い公共交通の空白地域に位置しており、低額に設定されたシルバー料金が、高齢者の健康維持と、医療費の削減も視野にしているなら、対象の拡大によって利用者が増えれば財政的にも潤う可能性があり、再考を求めたいと思います。
 
愛知)高齢者に聞いた 自転車ヘルメット着用義務条例
記事の続き…
 ログイン前の続き理由として、同市中川区の女性(72)は「年寄りがかぶるのはかっこ悪い」、同市名東区の女性(65)は「罰則がないのでかぶりたくない」などを挙げた。
 4月の市長選では、河村たかし市長がヘルメットを着用して自転車に乗り、条例をアピールした。しかし、実際の着用率が今も低い状況がうかがえる結果に、市地域安全推進課の担当者は「認知度が高まっているのはいい傾向だが、着用率が低いのは問題」と話している。
 市は、受講後にヘルメットを購入すると最大2千円の補助金が出る講習会を8月から9月中旬までに市内全区で開いた。受講者からの補助金申請は多数届いているという。今年度中に講習会を再度実施予定で、同課は「講習会の広報にも力を入れ、ヘルメットの着用率向上を目指したい」と話した。(井上昇)
競輪選手「ヘルメットで命守って」 千種区で呼びかけ
 県内で多発する自転車の交通死亡事故を減らそうと、千種署の「一日警察官」に就任した女子競輪選手2人が21日、覚王山日泰寺(名古屋市千種区)で、自転車乗車時のヘルメット着用を呼びかけた。
 「一日警察官」に就任したのは、日本競輪選手会愛知支部に所属する長沢彩(29)と中西叶美(20)両選手。レースや練習などで自転車に乗る際、必ずヘルメットをかぶる2人は、この日もヘルメットを着用してPRした。
 お年寄りでにぎわう「日泰寺の縁日」で、2人は「自転車は結構スピードが出ますからね」「ヘルメットをかぶってくださいね」などと高齢者に声をかけながら、反射素材のカバンや啓発チラシを手渡した。
 長沢さんは「万が一に備え、ヘルメットで自分の命を守ってほしい」と、着用率の向上を訴えた。
 県警によると、今年の自転車での交通事故死者数は、県内で27人(9月10日現在)で、全員がヘルメット未着用だった。

 かつて、60歳が定年退職の年とされ、年金も60歳から支給されていたものが、最近では65歳まで引き上げられ、更に75歳までは働ける年代として年金や医療費が議論されており、適当で曖昧な年齢区分に疑問を感ずる一日ともなりました。

          本日の体重 71、6キロ 徒歩数 4128歩 間食あり
                                    9月23日の一言

いじめた生徒に退学を迫る教育に異論を

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我家の朴の木の果実

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今年は2度目の開花でした

                     https://blogs.yahoo.co.jp/s281218/49783524.html

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木の下には朴葉が そろそろ秋色に

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さて、この果実は赤くならないかな?

 久しぶりに事務所の窓を開けると、朴の木に果実が付いており、暑いのと小鳥を放鳥してあるため、開かずの窓にしていたため、頭上に花が咲いていたのも知らずに、足元に落ち始めた朴葉ばかりを気にしていました。

前橋育英の剣道部でいじめ、加害側3人に自主退学求める

 前橋育英高校剣道部で、1年生の男子部員2人がいじめに遭い、学校側がいじめた側の1、2年生の男子部員3人に自主退学を求めたことが報道されています。

 今回の措置について、神山義幸教頭は取材に対し、2011年に大津市の中学生がいじめで自殺したことに触れ、「被害者保護を第一に、時代の流れなどを総合的に考えた」と説明していると発信されていますが、いじめられた2人は登校しているとあり、いじめが悪い事は当然ですが、退学を迫ることが教育的配慮とは思えず、このような教師に指導される生徒が可哀想に思えてなりません。

 私自身も高校時代に非行に走り、右足の手術によって登校日が足りず、留年した2年目にも留年が決まり、日頃の行動が悪いため担任は退学すると思っていたものの、3年目の新学期に退学を覚悟していた私に、初めて出会った恩師から、日頃の行動の悪さは「自分のやりたい事ができないからじゃないか」、「やりなおす気があるなら、私にもチャンスをくれないか」と言われ、「僕のクラスで一からやりなおさないか」と、高校3年目の私は、この恩師のクラスで1年生から出直すことになりました。

 非行に走って無期家庭謹慎の指導を受け、2年も留年を続けた私と関わりたい教師はいなかったと思いますが、あえて私の恩師は1年生からやり直すことを薦め、自分のクラスの46番目の生徒にして、卒業時は受験勉強もしていない私に、「もったいないから」と大学進学を強く勧めてくれました。

 不良が真面目になることは難しく、恩師たちには色々と迷惑をかけた5年間でしたが、不良仲間の多くが高校を退学していった中で、私は大学に行って好きなことをやっている時に、朝日新聞社から声をかけられ、就職の心配をすることなく社会にでました。

 今回の新聞報道を読んで、私の体験からすれば、いじめた生徒にもやり直すチャンスがあり、高校から排除するのではなく、むしろ厳しい指導によって反省させ、立派な社会人に成長させるのが教育者の務めではないかと思います。
 都合の悪い者の排除は、むしろいじめられた生徒たちにも心の傷を残すことにもなります。

           本日の体重 72、7キロ 徒歩数 3485歩 間食なし
                                     9月7日の一言

最後に落ちたアンズを眺めて

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本日、今年最後に落ちてきたアンズです

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四国椿堂 空海ゆかりのツバキです

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何なんででしょうか?

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こんなに採れていたことが懐かしい一枚です

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愛西市永和台住宅 アサヒ薬局に飾られた長寿の秘訣

 週末に書道会の1泊旅行で京都を訪れますが、本日の書道会で恩師から奥様の体調不良のため行けないとの話があり、「死ぬかもしれない」との内容に、今まで通院を続けても改善されず、病気の原因も判らない病院ではなく、他の病院の診断を仰いだほうが良いとの話になりました。

 通院を続けても体調が改善されないばかりか、悪化して家族が「死ぬかもしれない」と言っているのに入院するでもなく、様子見を続けて治療方法も変わらない病院にそのまま通うことは最善とは思えないものの、「遠くまでは行けない」のが理由とすれば悲しいものがあります。

 「もう81歳まで生きたから…十分だわなぁ」の一言も、市外の病院を訪ね歩いていけば治すことが可能と思われ、人より高額と思える年金をもらっても、使わないと何のためのお金かと思ってしまいます。

 「やっぱり、○○病院に行った方が良いと思いますよ」と、恩師の後輩となるS先生の一言が恩師に届いたかどうか…

 さて、添付した「一日一膳から始める長寿ご飯」は、一週間前に訪れた薬局に掲げられていた張り紙ですが、身体に余裕のある健康なときに参考にすれば効果があるものの、瀕死の重病化したあとでは何ともなりません。

長野)県内の男女、死亡率の低さトップ 厚労省調べ
記事の続き…
ログイン前の続きなぜ長野で死亡率が低いのか。死亡原因別でみると、日本人の死亡原因で最も多いがんの死亡率が男性で最も低く、女性は岡山に次いで2位と好成績。県健康福祉政策課は、野菜の摂取量が全国一で食生活が健康的なことや、山間地のため体を動かす機会が多いこと、高齢者の就業率が高いことなどが背景にあるのではないかとみる。
 担当者は「病気の予防、早期発見、治療のサイクルがうまく回っている。県民の健康意識の高まりもあり、喜ばしい結果だ」と話した。

 人間の死亡率は100パーセントと思っていましたが、厚生労働省では年齢調整死亡率を定めており、長寿日本一の長野県が死亡率も男女とも日本一の低さと発表されました。

 長野県では、野菜の摂取量が全国一であることと、山間部のため身体を動かすことに、高齢者の就業率の高さを理由としてあげているが、都市部では病気の早期発見と同時に、高度な治療によって死亡率を下げられると思われ、添付した一日一膳によって病気にならない身体にしたいと思います。

            本日の体重 72、3キロ 徒歩数 3497歩 間食あり
                                      6月27日の一言           

アンズの実を収穫して…

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本日収穫したアンズの実です

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事務所横の駐車場
                              右が朴の木、左サクランボ、中央がアンズの樹

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2階の屋根よりも高い樹高
                              まだ、上部に大量に実っています

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樹木間から隣町が見えます

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採りたくても届きません

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売りたいくらい綺麗です

 事務所前のアンズは一週間前に完熟して全て収穫しましたが、事務所奥のアンズは完熟までしばらく必要ですが、屋根に落ちる音が大きいため、家内が屋根に上って本日収穫しました。

 こちらのアンズは、長野の産地で収穫されるアンズの実と比べても遜色なく、完熟であれば5個千円で販売されている商品にも負けない美しさで、我家だけでは食べきれないため家内が知人に電話をかけていました。

 さて、明日は久しぶり(と言っても4月以来)の高野山へ、名古屋市の志賀弘法会のメンバーと走ります。
 家族との旅行は相棒リマも一緒ですが、第三者との旅行は一泊と言えども留守番役となり、家内も同行するとかなりのストレスを溜めるため、昨年から相棒を家に残したままの旅行が苦痛になってきました。

 各地から悲惨な交通事故も発信されており、私の不在は事務所で保護している5羽のスズメたちの命に関わるため、四国遍路や上高地行きまでもがストレスとなってきました。

             本日の体重 72、2キロ 徒歩数 4361歩 間食あり
                                      6月16日の一言

体調不良のまま一日が経過して

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事務所裏のアンズ

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まもなく完熟です

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色はついても熟してはいません


 先週土曜日に寒風吹く上高地から帰り、その後の一週間は風邪の入り口状態の体調が続き、頭が重く、日替わりで体調が変化していましたが、本日は朝起きた時に足がふらつき、頭に鈍痛があるまま一日が経過しました。

 肩こりに頭痛、喉と鼻に違和感があり、身体を動かす気力が湧いてきませんから、何もしないままに一日が経過しても、体調は回復しておらず、結果論として一日中布団の上で横になっておれば良かったと思っても過ぎた時間は戻りません。

 明日は午前中に横井庄一記念館に出向き、午後は市民病院の患者さんを車イスに乗せて外出するボランティアが予定されており、体調不良を悟られないように元気そうにふるまっても、明後日からの議会日程を考えると大変な一週間となりそうです。

 さて、事務所前のアンズは完熟となり、すべて落ちてしまいましたが、今年は「自由にお持ち帰りください」と樹の根元に置いていたところ、我家に残ったアンズはわずかとなり、家内のアンズジャム作りも簡単に終りました。

 添付したアンズは、事務所の裏にある樹木で、こちらは見るだけで美しいものの、事務所前のアンズより固く、完熟するまではしばらくかかりますが、実も大きいため家内のジャム作りも大変な作業になっていきます。

             本日の体重 71、9キロ 徒歩数 2368歩 間食なし
                                     6月10日の一言

朴の木に花が咲きました

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朴の木の花
 
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事務所の2階より高くなりました
 
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ひょうたん木 ?

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はて ?

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はて ?

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はて ?

「おい、これは何という花だ?」
  「判らない」
「これは?」
  「お父さんがもらってきたやつじゃないの」

 花の名前はもらった時だけで忘れてしまいますが、樹木の名前は何年たっても忘れることはなく、一番上に添付した朴の木は、平成14年6月28日に長野県白馬村にあるラベニュー栄のご主人が裏山から掘り出してくれた木で、我家の朴の木としては二代目となります。


 枯らしてしまった朴の木が欲しいと考えていると、ラベニュー栄のご主人が、雨の中を裏山に入って掘り出していただいた思い出の木で、この木によって私の好きな信州や飛騨路を頭に思い浮かべることができます。

 そして、過去の書き込みによって、ご主人が亡くなられて8年の歳月が経過したことを実感させられますが、最近は木の成長が止まっていることから、今年は追肥を施して樹勢を回復させたいと思います。

 毎年花を咲かせてくれますが、移植して8年目に初めて多くの花を咲かせ、連絡したところその年の1月に他界されており、初めて咲いたときの因縁を忘れられませんが、最近は大きくなった樹木を家族によって伐採されてしまうことが多いため、それぞれの因縁を記録に残して後世まで残していきたいと思います。

            本日の体重 72、6キロ 徒歩数 3668歩 間食あり
                                      5月1日の一言

ツツジが満開となりました

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我家の先祖伝来のツツジ

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私の父親が残した山ツツジ

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我家の白ツツジ

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横井庄一記念館のツツジ

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一本で赤と白が楽しめるツツジ
                       横井庄一記念館

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3月に植えたジャガイモ
                       横井庄一記念館

 ゴールデンウィークの行楽地として、各地のツツジの話題を新聞紙面より見て、本日は我家のツツジと、横井庄一記念館に植えられているツツジをカメラに収め、記念館の畑に植えたジャガイモに追肥を施してきました。



 3月に30年ほど放置してあった畑に畝を作り、ジャガイモの種を植えましたが、周りは草だらけとなっており、ジャガイモの周りにもスギナが芽をだしており、「採り続ければ無くなるだろう」と抜きましたが、土地も痩せており、果たしてどれだけの収穫があるのか疑問となりました。

             本日の体重 72、6キロ 徒歩数 1833歩 間食あり           
                                      4月30日の一言

御嶽山の霊神場に祖父の言霊を求めて

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平成5年に他界した父親が残したボタンの花が開花しました

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御嶽山明栄講の霊神場 昨日の夕方です

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祖父の石碑(道成霊神)を訪れました

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御嶽山山頂の噴煙

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夕暮れの噴煙は悲しいですね

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 家族に本日の朝一番で訪れると話していた御嶽山に、昨日の夕暮れ時に祖父(母親の父)の碑がある黒沢口にある御嶽本教明栄講の霊神場に立ち寄りました。

 上高地で御嶽山の霊神場に日暮れ頃に参拝すると話すと、「霊がついてきそう…」と言われましたが、霊感の鈍い私にとっては、何か聞こえてくれれば幸いで、何も反応の無い私には45年前に他界した祖父の石碑をさすって話しかけましたが…

 祖父の周りには数百の石碑が建てられていますが、家族や信者が誰も訪れなくなった碑も多く、祖父の家人もほとんど訪れておらず、私の少年時代にバス数台を先導していた先達の祖父の碑も、私が死ぬと訪れる人は居なくなるかもしれません。


 数年前の話となりますが、空海が19歳の時に太龍寺の舎心嶽の岩の上で、虚空蔵求聞持法を百日間修行された場所で、深夜まで真言を唱えようとしたものの、真っ暗になって何も見えなくなった恐怖心で退散したことがありました。

 小学校2年生の時から55年も通う祖父の霊神場も、真夜中に訪れたことはなく、薄暗い夕暮れ時でも辺りに誰も参拝者は居らず、通行する行楽の車が私の顔を恐ろしそうに眺めて走り去っていきます。

 祖父の霊があれば幸いですが、あると信じて無言の石碑に語りかけるものの、全く無反応で、頼って語りかける祖父の享年を上回った自身の現実を考えると、死ぬ前に一度は神の声か心霊的な祖父の言霊を聞きたいと思っています。

 それにしても、数百と言うよりも、数千となるかもしれない石碑が存在するものの、霊が存在すれば随分と騒々しいと思われる御嶽山が静寂に包まれ、まるで墓場のようになっている現実は、後継者が出て行って空き家や廃屋が増加する現代社会を見せ付けられているようにも思えてきます。

            本日の体重 71、9キロ 徒歩数 3787歩 間食あり
                                     4月24日の一言

庭の樹木を伐採する一日に

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本日伐採した枝   写真は全体の3分の1の量です

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使用した電動ノコやハサミ

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カリンの花 これは切れません

 本日は玄関前の庭に茂って、隣地にはみ出している樹木の枝を切ることになり、「木が可哀想なので自分の手で」と、ノコギリで切ろうと考えていたものの、屋根より高い脚立から足元を見ると、肉体労働とは無縁のジジイには膝が震え、万が一の落下を考えると、電動ノコギリが無難と判断したものの、それでも枝が太く切るのに苦労し、結局は電動チェーンソーの力を借りた伐採となりました。

 ハシゴや造園用の脚立に乗ったのは久しぶりで、若い頃には何とも思わなかった高さが、万が一足を滑らせたらとか、落ちたら大変と想像すると、家内に脚立を持ってもらうか、命綱をつけないと危険であることと、還暦を過ぎた老化を実感することになりました。

 ※こんなブログも存在しました。

 作業を始めて1時間ほどした時に同級生が訪れ、「ちょっと行ってくる」と珈琲店に外出し、自宅にもどって昼食後に作業を再開し、1時間も経つと足腰だけでなく、チェンソーを持つ手の握力が低下し、そろそろ限界かと思っていると、「今なにしているの?」と別の同級生から電話があり、汗だらけのためシャワーを浴び、着替えてから外出です。

上高地パークボランティアの皆様

日頃よりお世話になっております。いよいよ上高地事務所も開所いたしました!!
明日から釜トンネルが開通し、シーズンが始まります。今年のPV活動も積極的なご参加よろしくお願いいたします。

 さて、昨年11月15日に閉山されていた上高地が、いよいよ明日から釜トンネルが開通することと、環境省の上高地事務所が開所したとのメールが届けられ、温かい陽射しの中で四国遍路に行っていた雰囲気から、一気に雪の残る冬の意識に逆戻りです。

 今年は、ここに横井庄一記念館の法人化と、福祉有償運送のボランティアの組織拡大とミニコミ紙発行が増えており、議員になった直後と比べると随分と忙しい生活になっていることを実感させられます。

            本日の体重 72、8キロ 徒歩数 4236歩 間食あり
                                     4月16日の一言

春眠 暁を覚えず 我家の相棒を見て

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我家の相棒リマ 爆睡中ですが…

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我家のサクランボ 開花が近づきました

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あれっ? 近所は咲いているのかな?

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見事に咲いています

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こちらのお宅も咲いています

 我家のサクランボがまもなく開花しそうになっていますが、我家から見える近所のサクランボは既に咲いており、満開から散りかけになっており、町内では他のサクランボも満開状態になっていました。

 我家では、サクランボが開花した数日後に事務所前のアンズが開花し、その後に庭の奥にあるアンズが開花しますが、例年より早いように感ずるものの、昨年も一昨年も今年より早い3月17日には満開とこのブログに記されており、人の感覚はいかにいい加減かを実感させられます。


 さて、三連休の初日ですが、議会開催中のため遠出の予定はなく、昨日に続いて夕方より車で一宮市まで出向きましたが、愛車ライトエースの調子が良いため、散歩代わりに走り出しています。明日からは議会以外の仕事ですが、それらの残務処理をするだけの三連休になりそうです。

           本日の体重 72、0キロ 徒歩数 2077歩 間食あり
                                     3月18日の一言

四国椿堂からいただいてきたツバキが開花して

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平成25年11月に四国別格霊場の椿堂さんからいただいてきたツバキです

 平成25年秋にもらってきてから一輪咲いただけのツバキが花を咲かせ、複数の大きなツボミがあることから、しばらくは花の開花を楽しめそうですが、このツバキの由来を重要に感じない家内によって庭の奥にしまわれていました。

 このツバキは、愛媛県四国中央市にある別格二十霊場第14番椿堂さんからいただいてきたツバキで、椿堂は今から1200年前に弘法大師が土にさした杖が発芽した木がツバキだったことから椿堂と呼ばれるようになっており、このツバキもこのお寺から来たと思うと、1200年の血脈を感じてしまいます。

 そして、椿堂から一緒にいただいてきたツバキが私の町内のお寺にも存在し、こちらはツボミがあまり付いていないように思いますが、このツバキはお寺の納骨堂の横に植えられており、いずれ地域の名物になってくれると思います。


椿堂 略縁起
 弘仁6年(815)10月15日未明巡錫中の弘法大師がこの庵を訪れ、当時この地に熱病(インフルエンザ)が流行し住民の苦しめるのを知り、住民をこの庵に集めて手にせる杖を土にさして祈祷し、病を杖とともに土に封じて去る。後にこの杖より逆さなるも椿が芽を出し成長し、住民はこの椿を大師お杖椿として信仰の対象としてこの庵を「椿堂」と呼びこの地方の地名ともなりました。安政六年(1859)に火災に遭いましたが、現在の椿はその時焼けた株から芽を出したものといわれています。

映画監督の鈴木清順さん死去 「ツィゴイネルワイゼン」

船村徹さん通夜、北島さんや舟木さんら1500人

 本日の新聞報道に、映画監督の鈴木清順さんが13日に死去したとの記事があり、16日に84歳で亡くなった作曲家の船村徹さんの通夜が営まれたとの報もありました。
 3年前に船村さんの出身地である栃木県塩谷町にある道の駅「湧水の郷しおや」を訪れ、ここには船村さんの記念碑が建ち、碑の正面に人が立つと、スピーカーから 「故郷の山が見える」の名曲が演奏されていたことを懐かしく思い出しました。

故郷の山が見える
 木下龍太郎 作詞  船村徹 作曲
一、いちど東京へ 行くと言いながら
いつも口だけで ひとり野良仕事
老けたおふくろの やせたあの肩を
さすってあげたい
峠 越えれば 俺のふるさと
山が見えてくる
二、
村を出るときは ひとり踏切りで
汽車が消えるまで 背伸びしていた娘
町へ嫁に行き 母となったいま
しあわせだろうか
恋を失くした 遠いあの日の
山が見えてくる

 鈴木さんと船村さんは、それぞれに歴史に残る名作を世に残しておられますが、添付したツバキのように時を越えて継承されていくことを願いたいと思います。

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本日の津島市役所です
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          本日の体重 71、6キロ 徒歩数 9499歩 間食あり
                                      2月22日の一言

久々にイチゴの苗を買いました

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ホームセンターで購入してきたイチゴとパセリ
 一週間前に訪れた「横井庄一記念館」で、記念館で案内するために娘が記念館を訪れて、横井夫人の助手として説明を聞くように話しましたが、仕事のようではボランティアは続かないため、かつて横井さんが自給自足を目指して耕していた記念館奥の畑で、家庭菜園程度の楽しみで野菜や花を植えることにしました。
 
 私は我家の畑には行きませんが、5年ほど前には事務所横でハーブやイチゴなどを植木鉢やプランターに植えていたことがあり、最近は全てが枯れたまま放置してあったことから、本日イチゴとパセリの苗を購入してきました。
 
 
 数日前に野菜に詳しい人に聞いたところ、「イチゴは昨年の秋に植えないと春には収穫できない」と言われ、今年のイチゴは諦めていましたが、最近のホームセンターは至れり尽くせりで、2月から3月に植えて今年の春に実をつける苗が売っていました。

 ただし、本日購入した苗は、既に花が咲いて実が付きかけている苗で、記念館には5月の収穫を目指して5本ほど植え、種を蒔くだけで誰でも収穫できる小松菜や、ニンジンなどを植えて、娘や孫たちが記念館へ行くことが楽しくなり、横井夫人や娘たちの食卓にあがり、記念館を訪れる人々に差し上げられるようにしたいと思っています。

「おい、お前は大丈夫か?」
   「何が?」
「四国も宗教だろう」
   「だから、何が?」
「守護霊とか除霊とかの話は無いのか?」
   「四国遍路は宗教では無いよ」

 女優の清水富美加さんが幸福の科学に出家し、事務所との契約問題で対立している問題で、宗教団体の説明の中に、一般常識では正常と思えぬ「霊」に関する発言とか、科学的根拠の無い教祖の教示などを聞いた友人が、四国遍路をセカンドライフと公言している私に発した言葉です。

清水富美加さん、事務所との契約解除意向 幸福の科学へ
記事の続き…
 http://www.asahicom.jp/images/asahicom/hand.pngまた「ファンの皆様・報道関係者の皆様へ」と題した清水さん名の手描きのメッセージも公表。「お仕事の内容に心がおいつかない部分があり、しっかりとした生活が送れず、毎日がギリギリの状態でした。なので今、出家したいと思いました」「皆様から見たら洗脳とも取れるであろうこの一連の出来事やこの約8年間で感じてきた素直な気持ちを、これから、偽りなく、明かしていきたいと思います」などとつづっている。
 これまで清水さんが使用していた所属事務所公認のツイッターアカウントは削除されており、11日には本人を名乗る別のアカウントで「色々ありましたし、色々あります」「私以外に私の本当の事を語れる人なんていない」などとツイートしていた。
 清水さんは08年、所属事務所のオーディションを契機に芸能界入り。15年のNHK連続テレビ小説「まれ」で主人公の友人役を演じて注目された。フジテレビの「にじいろジーン」にレギュラー出演するなどバラエティー番組でも活躍。今春には「暗黒女子」「笑う招き猫」と主演映画の公開が予定されているほか、今月18日と25日には映画「シン・ゴジラ」を手がけた庵野秀明氏が制作統括を務めるNHK・BSプレミアムのアニメ「龍の歯医者」で主人公の声を担当している。

 四国遍路については、お遍路のそれぞれが遍路の目標を持って巡礼しており、真言宗や高野山は訪れる信者に宗派や宗旨を押し付けないので、私は健康な身体を目指し、十善戒など遵守すべき決め事を守って、弘法大師の領域に近づく「即身成仏」を目標に四国や高野山を訪れています。

 それにしても、宗教は恐ろしいものがありますね。こんなに平和で、楽しい世の中にあって、たかだか22歳の女性が、教祖の教示によって自分の一生を決めてしまうことで、オウム真理教や統一教会と共通する怖さを実感させられます。

 かつて、愛知県の尾張地方に多く存在した御嶽教の講社や信者が、最近はほとんど姿を消している現実に、科学の発達した現代社会では、説明のつかない降霊や加持祈祷では人は付いてこないと思われます。

 そもそも、今回の出家騒動は、成人を過ぎた22歳の女優が、契約した期間を一方的に破棄して宗教団体に出家し、教団が手前味噌な事務所批判をしていることが問題で、成人した大人としての責任を果たせない人間が、人々の指導的立場に立つとの教祖の教示にも疑問が湧いてきます。

 オウム真理教も、最初の自己研鑽の宗教行為から、政治進出を図ったものの思うようにならず、凶悪な殺人団体となっていったことから、盲目的な信心の危険性も実感させられる報道ともなりました。

            本日の体重 72、0キロ 徒歩数 9561歩 間食あり
                                     2月13日の一言

我家の柚子とゆず湯について

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 我家の柚子(ゆず)です

  我家の柚子は、30年前に子供が小学校の入学式の記念にもらってきた鉢植えで、我家の周りには多くの柚子の木があり、この時期になると地域全体に黄色い実をつけていますが、数年続いていた柚子の入学記念も、庭の無い家に配慮して柚子は配布されなくなりました。

 地域では何処でも見かける当たり前の柚子も、他地域では珍しく欲しい人が多いことに驚かされますが、ゆず湯は体が温まり、冬至に入ると風邪をひかないとの言い伝えがあることは最近まで知りませんでした。

高知)21日は冬至、県内でもゆず湯
秋田)「クアドーム ザ・ブーン」でゆず湯のサービス
兵庫)冬至前に「ゆず湯」始まる 洲本の温泉施設
大分)冬至にゆず湯 別府市営温泉

 そして、全国的に冬至の「ゆず湯」が発信されていたことも、デジタル新聞の地方版を見ていて初めて知りましたが、柚子が奈良時代か飛鳥時代に渡来していたことと、薬用として栽培されていた柚子が、風呂に入れられるようになったのは江戸時代からと比較的新しいようですね。

柚子湯の効能/健康栄養ちょっといい話

 さて、今年最後の3連休となっているものの、21日と22日に東京と横浜で開催されたセミナーに参加しており、2日目の午前中が空いていたため、横浜港や山下公園を散策したことと、来週まで議会日程があることで、観光気分よりも休養のための連休となりました。

              本日の体重 73キロ 徒歩数 1227歩 間食あり
                                     12月24日の一言

小さな花が訴えているようです

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時期はずれに、かろうじて咲いた君子ラン
 
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我家の花梨の実です
 
 秋と言うよりも初冬を思わせる天気の中で、完全にあきらめていた君子ランの花が芽を出して咲きかけました。
 
 この君子ランは、ご主人の海外勤務が終わり、日本に帰国された直後から私の仕事を手伝ってもらい、家内も姉のように親しくしていた水野静江さんからいただいた君子ランの子孫で、生前中にいただいても翌年には花が咲かず、「ウチの植木鉢と交換すれば良いわ」と言われていましたが、久しぶりに小さな花を咲かせ、この花によって亡くなられて10年も経過したことと、6年前にも「5年ぶりに咲いた」と記していたことが判りました。
 
 
 我家では色々な花をいただいても、そのまま育てるだけで精一杯で、枯らさないために地面に移植しており、ましてや「ラン」などは花が咲けば幸いで、鉢植えの花は数年後には枯らしてしまいますが、花は咲かずとも10年間も植木鉢のまま残っているのは驚異的です。
 
 そして、その水野さんが63歳で亡くなられていた現実も、今年その歳になる私には万が一起こりうる現実かも知れません。人生のはかなさを実感させられる半面で、花は芽を出し続けて花を咲かせ続ける逞しさを実感させられました。
 
 添付した「花梨」の実も、平成5年に他界した父親が、我家の庭にあった、横井庄一さんが大正時代に種をまいた「マキ」の木と、神守町の知人宅にあった花梨の木を交換したもので、毎年実をつけるようになりました。
 
 我家に残っている樹木は、先祖伝来の木や、父親が植えて残したものばかりで、それぞれの木に植えた親たちの顔を思い出すと、大きくなって「切れ」と言われても、ノコギリを引く気持ちにはなれず、私が知人からもらってきたアンズや朴の木なども屋根を越す大樹になってしまいました。
 
 ブログの発信も、このまま記録が残されている限りにおいては、過去に記した記事によって知人の元気な姿を回顧でき、自身の戒めにもできることを実感し、時期はずれに開花した花が何か訴えているかのように感ずる一日ともなりました。
 
                                        11月1日の一言
追伸
本日の深夜から四国遍路に出発します。
 

2枚の葉が5枚となって

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10日前に珈琲屋さんから持ち帰ったミントが2枚から5枚に

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紙コップの中で10日間

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 先月の29日に本会議が開会し、その日の午後に出会った知人と行った珈琲屋さんで、アイスティーの上に乗っていたミントを持ち帰り、紙コップの中に入れておいたところ、わずかですが根がでてきました。

 以前にもこのお店から持ち帰ったミントが大きく育ち、事務所横の植木鉢に茂っておりましたが、息子の接骨院開業によって場所が移され、気付いたときには枯れて全滅してしまいました。

 数年前には各種のハーブを買い求めて事務所横に置いてあった時期もありましたが、直接庭に植えたハーブは茂っているものの、植木鉢のハーブは一つづつ枯れて無くなり、一時は祈りに使われる「ホワイトセージ」まで植えてあったことの跡形もなくなりました。

 このミントを機会にして、事務所の中にも緑を増やしていきたいものです。

 本日は市議会の厚生病院委員会が開催され、午後5時30分まで審議が行われ、続きは来週水曜日に予定されていますが、ここで終らない可能性が高く、再来週の予備日まで審議は続くと思われます。

 一週間前に弥富市の動物病院に連れて行った相棒リマの様子を見せるため、家内が相棒とともに診察を受けてきたようですが、フン検査をお願いしてきた愛雀については、私が居ないため改めて連れていくことになります。

 フン検査は、鳥を同行させなくてもできますが、2羽一緒に鳥カゴに入れているため、別々の鳥カゴに移してフンを採取する必要があり、分けることも鳥のストレスになり、「ヒー」については外見も見せておく必要があるため、ストレスを溜めずに連れて行く段取りも必要です。

 野生の鳥ですから、そのまま自然に任せて病院まで行く必要はないと言われた人もありますが、野生に戻すことができずに、人間である私の保護のもとに生活させるわけですから、獣医さんの知恵と経験を借りたいと考えています。

             本日の体重 71、9キロ 徒歩数 3168歩 間食あり
                                      9月9日の一言

忍び来る秋色に訃報もあり…

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我家のホウノキの葉です

 5月に大きな緑の葉の中に、真っ白な大きな花を咲かせていた朴の木の朴葉が、最近は黄緑色から茶色が混ざり始めて落葉を始めており、我家の名物となっているアンズも秋色に変色しています。

 ガサッ、ガサッと大きな葉が落ちてくるのは寂しいものがあり、確実に夏の終わりを実感させられるとともに、その寂しさを払拭する材料が少なくなってきた現実を、我が身と重ね合わせてしまいます。


 春に添付した写真を見直すと寂しさは隠せません。

 「○○がなくなったので…」
 「なくなったって?」
 「昨日の夜に風呂場で…」
 「えっ、本当の話なの…」

 共に伴侶を亡くして、一緒に同居中だった知人から、同居するご婦人が亡くなったとの訃報ですが、風呂場でおぼれて水を飲み、心肺停止状態で緊急搬送されたものの、心筋梗塞で亡くなったとの連絡です。

 2人は今週の金曜日から九州に出かける予定で、早くから切符を購入して、九州で親族と落ち合う約束もできており、足腰を鍛えるために私の三男の接骨院に通っておられただけに信じられない結末です。

 「もうすぐ、私も75歳になってしまうので…」
 「何を言っているの、まだ75歳でしょう」
 「まあ、いいかげん、いい歳になったもんだわ」

 私の家内と故人が最近交わした言葉で、かつてはご主人が亡くなった後の家具屋さんを一人で切り盛りした元気が衰えており、もう充分生きてきたような会話が気になっていただけに、突然の訃報に無力感が漂いました。

 もっと気がかりなことは、同居している知人は80歳になっており、一緒に同居することで車で外出するなど、役割分担をして孤独な生活ではありませんでしたが、二度目となる悲しい独居生活が始まります。

 上高地への道中でエアバックの警告が点滅し、ラジュエターの冷却水漏れがあり、滞在中は大きなストレスを感じ、不安をかんじながら車を自宅まで回送し、再度上高地へ出向いて帰宅したものの、翌日からは身体が強張って動きません。

 原因不明の体調不良は、気力も失せており、こんなときに聞く訃報は堪えますね。

            本日の体重 71、3キロ 徒歩数 1014歩 間食あり
                                      8月17日の一言

しばらく雨の日が続きそうです

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我家のブルーベリーです

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 上高地の一週間はすべて快晴の中で、一日も雨に降られることはありませんでしたが、愛知県に帰った翌日となる昨晩は激しい雨が降り、軒先に置いてあったテントや持ち帰った備品も濡れてしまうハプニングです。

 これから花をつける田んぼの稲や、畑の農作物にとっては雨が欲しいものの、行楽やイベントにとって雨の影響は大きく、私の大好きな上高地は晴れていなかったら散策もできず、16日に予定されている京都五山送り火についても雨の中の点火は深刻な事態となります。

長野県の天気 http://www.tenki.jp/week/3/23/

京都府の天気 http://www.tenki.jp/week/6/29/

 「大文字行くの?」の一言は、本日午前中に娘から届けられたメールですが、平成3年に嵯峨野で「鳥居形」の送り火を鑑賞して以来、1年間だけ行けなかったものの、毎年訪れていた日程だけに天候は気になります。

 もっとも、10日前に上高地を目指す車の冷却水漏れがあり、遠距離への運転は大きなストレスになることを実感し、今回の上高地行きは還暦を過ぎた私自身への大きな警鐘のように思え、夜間のドライブは自粛しようと考えていただけに届けられたメールへの返信ができません。

認知症と言われても…マイカーに代わる移動手動どう確保

 さて、上高地や四国遍路とともに、今回の京都行きについても、前日となる明日に車を運転できなくなった患者さんを名古屋市の病院に送迎するボランティアがあり、送り火の翌日となる17日も早朝から病院へ移送するボランティアが入っていることから、毎年続けてきた送り火鑑賞ですが見送ろうと考えています。

 添付した新聞記事は、認知症に限らず、高齢となって病気や障がいによって車の運転ができなくなった人々にとっては無関心ではおれない話題で、ボランティアで対象となる人々を運んでいる私たちにとっても他人事ではありません。

 そして、四国や上高地など、私自身が遠距離にセカンドライフの拠点をおいているため、車が運転できなくなれば大きな障壁となり、現在は人を移送する立場にあるものの、自身も車の無い生活を想定した心構えは必要ですが、行政に期待するだけでは何ともなりません。
 私自身は、ボランティアの若手発掘と組織化を図る必要がありそうです。

               本日の体重 71、8キロ 徒歩数 3032歩 間食あり
                                       8月14日の一言

議会の一般質問により自宅は不在となり

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我家の奥にあるアンズです

 本日の津島市議会は一般質問が開催され、7人の議員が登壇しました。6月議会には13人の議員が質問を通告しており、私は12番目の質問のため、明日の午後に登壇する予定となっています。

 一般質問は、本日と明日の2日間で終り、2日間の休会日をはさんで、週末から厚生病院委員会が開催され、来週に文教建設委員会と総務委員会が開催それますが、議会日程が最終日の30日まで続きます。

原爆で黒こげの少年「兄では」 鑑定で同一人物の可能性
記事の続き…
 http://www.asahicom.jp/images/asahicom/hand.png西川さんによると、兄・谷崎昭治さんは当時、旧制中学1年で爆心地近くに下宿していた。原爆投下前日、父が現在の西海市の自宅に連れて帰ろうとしたが「翌日英語の試験がある」と言って、とどまったという。母は戦後、兄が生前に出したはがきを小銭入れに収め、肌身離さず持っていた。鑑定結果が出て、西川さんは「写真を持って、お墓で両親と会わせてきました」と話した。
 深堀さんは「一般の社会ではあり得ない写真。とてつもない熱線で照射され、水分が蒸発し、一瞬のうちに命が奪われたと思う」と原爆の悲惨さを訴えた。

 長崎市に原爆が投下された時に犠牲となった少年の家族と思われる姉妹が名乗り出たとの新聞報道ですが、我家の伯父も同じ年に沖縄戦で戦死しているものの、伯父を知る人々が近所や町内には既に存在せず、親族でも唯一弟となる叔父が知るのみとなっている現状を考えるときに奇跡のような発信です。

 現実には、法医学の専門家に生前の家族写真との鑑定を依頼し、輪郭が一致しているなど「同一人物の可能性がある」との結果が出ただけですが、私の伯父については探す親族も存在せず、探されることなく土になっていると思われます。

 日本人の平均寿命が男性80、50歳、女性86、83歳になっていますが、昭和20年に生まれた人々が今年71歳になっていることを考えると、戦前の話題そのものが高齢者の昔話でしかなく、昭和30年代が思い出せない我が身を考えると戦前を美化しようとする人が存在しても不思議ではありませんね。

 さて、今週末は1泊で高野山へ同行する約束があり、月末には10年ぶりにマイクロバスを借りて朝日旅行友の会の日帰り旅行を予定していますが、自分自身の四国遍路は勿論ですが、今年4月から登録された上高地のボランティアにもしばらくは出かけられません。

            本日の体重 70、4キロ 徒歩数 4480歩 間食あり
                                     6月13日の一言

花のようにありたいですね

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裏庭の隣との境に咲くアジサイ

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庭の真ん中に咲く先祖伝来のアジサイ

 今年は異常気象と言われていますが、我家の庭でも例年より早くブルーベリーの実が実っている反面で、未だにサツキの花が咲いており、ボランティアや三男の起業で庭の様子は落ちてくるアンズの実しか目に映らなかったものの、庭の陰ではアジサイの花も咲いていました。

「死んでも死にきれない」 舛添知事、続投を力説

「富山市議が女性記者に暴行」北日本新聞社が被害届

 若い時には考えられないような醜態に、還暦を過ぎた我が身を重ねてしまいますが、違法かどうかは別としても、舛添知事は国の税金を流用しているだけに適法とは言えるはずがなく、「名前は言えない」とする相手は、存在しない可能性を否定できなければ偽証としか思えません。

 まるで若いサラリーマンと同じで、「会社の経費で落とすから」と言って、見栄を張って飲食代を支払った知人が、「経費として認められなかった」と悲鳴をあげていた若かりし頃を思い出させます。
 自分のお金を何に使おうと勝手で、領収書も必要としないことから、領収書にこだわる舛添知事は自分のお金を使う人生を送ってこなかったのでしょう。

 地方でも議員の醜聞は続き、68歳の自民党市議が取材中の30代女性記者を押し倒して取材メモを取り上げるという事件が発信されており、家に帰れば孫が居るような年齢になっての愚行だけに恥ずかしいものがあります。
 これもお金が絡んでおり、審議中である議員報酬を10万円上げて月額70万円に増やす条例改正案への賛否を、別の市議数人に取材していた記者への暴行だけに嫌らしい光景が浮かんできます。

            本日の体重 71、0キロ 徒歩数 2574歩 間食あり
                                      6月11日の一言

雨のため事務所2階へカンヅメの一日に

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 添付した葉は、数日まで雑木としての認識でしかなく、先祖伝来の木と表現していた「イスノキ」の葉で、葉の表面が丸くふくれた虫えい(虫こぶ)があり、虫によって虫えいの形がいろいろであると説明されていますが、子供の頃から家の裏に生えており、我家の玄関と事務所横には私が植えました。

 苦労して木の名前を探し出したものの、古代神話に出てくる櫛がこの木から作られたことや、材は国産材のなかで最も固く釘も打ち込みにくいほどといわれ、宮中や大奥に納められる櫛はイスノキ製であったという話と、建築、器具、楽器などに利用されていたことは初めて知りました。

イメージ 2 この葉は、笛のように吹くと音が出ることも初めて知り、佐賀県有田焼の柿右衛門釜では樹皮を焼いて他のものと混ぜ釉薬にしていることと、鹿児島県の剣道で有名な示現流の木刀にされていることを家族に伝え、結寿の木(ゆすのき)と漢字を当て、縁起の良い木であることも言い残しておきたいと思います。

 こんな可憐な花も咲かせていたんですね。

 さて、市内の町内会から、個人の私有地に伝承されてきた地蔵堂を、今後どのように残していくか相談を受けており、市役所の関係する部署に出向く予定を立てていましたが、担当者が不在であったことから個別の電話連絡で方向性が見出され、今週末に発表する予定となっている議会報告会用の文教建設委員会の原案についても、市役所からメール添付で資料を求め、電話で確認していると、市役所に出向かないままに原稿が仕上がっていきます。

 会社や企業に出社しなくても、自宅でも仕事ができる時代になってきましたが、議員活動も在宅で仕事ができるようになり、パソコンと携帯電話を携帯していれば何所にいても仕事が可能になってきたことを実感する一日ともなりました。

 現実は、事務所の1階を三男の店舗に改装中のため、今までのように自宅から事務所内を移動して2階に移動できず、雨の中を自宅に戻るのも面倒なために、2階に上がったままの一日となり、携帯電話とパソコンを酷使したことの実感でもありました。

            本日の体重 72、4キロ 徒歩数 2014歩 間食あり
                                      5月9日の一言

今年も朴の木が花を咲かせました

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我家の朴の木(ホウノキ)の花です 本日午後

朴の木
枝先に花径15センチから20センチくらいの大きなクリーム色をした杯形の花が上向きにつく。
花には強い香りがある。花びらは8枚から9枚あり、萼片は3枚である。中央部には、たくさんの雄しべと雌しべが集まって円錐状についている。



 数日前の一言や、過去の一言に何度も記してきましたが、我家の朴の木は、平成14年6月28日に長野県白馬村のラベニュー栄のご主人が裏庭から掘り出してくれた木で、我家では二代目となる朴の木です。

 岐阜県の飛騨地方や長野県の山々では当たり前に見られる木ですが、当地方では温かいためか満足に育たず、我家の朴の木も2階の屋根までは届いたものの、図鑑に紹介される15メートルから30メートルの樹高や、100センチから150くらいになるという幹の太さにはいたっていません。

 さて、私の希望としては、あと5メートルほど成長して欲しいと思っており、家族が希望するように切る気持は微塵も無く、朴の木は中国の漢方薬の原料となる厚朴(コウボク)の仲間で、和厚朴と呼ばれており、乾燥した樹皮は生薬の厚朴の代用品として風邪だけでなく、腹痛や下痢に効き、和厚朴の実は解熱に特効があると言われているので、何とか秋まで実が残せるようにしたいと思っています。

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 さて、昨日の一言に我家のサクランボを添付したところ、早速サクランボ狩りを希望するコメントが入り、今年は空のギャング「ムクドリ」が熟す前から食い尽くしており、「明日にはなくなりそう」と返信すると、夕方には我家にとっても初めてのサクランボ狩りとなりました。

 これも数日前の一言に記しましたが、ブログの書き込みを通じて、連絡を取り合える人が存在していることに心強さを感じる一方で、悪意のある書き込みや、なりすましも存在することから、ネット上の無責任な書き込みを防止する方策を考えて更なるブログやネット社会を繁栄させたいと思う一日ともなりました。

 明日の午前中に近所の知人が訪れると、今年のサクランボも終わりをむかえそうですが、春が一瞬にして過ぎ去っていったような感覚を覚えるものの、毎年記してきた書き込みを読み直すと、人間(私)の錯覚は甚だしく、自然は当たり前に時間を刻んでいることも実感させられます。

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 このサクランボも、平成5年に他界した私の父親が、私の長男のために植えた木で、我家で植わっている木にはそれぞれのイワレがありますが、我家は3人の男の子供がありながら、未だに一人も結婚しておらず、新たな分家が存在しないため庭は満杯となり、10年ほど前からは新しい木を1本も植えられないことに寂しさを実感させられます。

            本日の体重 72、4キロ 徒歩数 2807歩 間食あり
                                       5月8日の一言

事務所2階へ移動して

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右は白馬から移植した朴の木、左は先祖伝来の木で名前は不明

 私の事務所2階から見える風景ですが、私の植えた木々が屋根を越しているため、見晴らしは良く、まるで山の峠にいるような気分に浸っていますが、この木々を廻って家族と大変なバトルにもなっています。

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 6月1日に三男が接骨院を開業するため、事務所前と横の木を切ることになっていますが、多少の剪定は我慢ができるものの、全て切ってしまえば良いと考える家内とはこの考えの違いで冷戦中となっています。

 事務所の前にあるアンズが建物や看板の邪魔になるのは自分でも理解していますが、私の胴回りほどに成長した幹を切る事はできず、三男の理解によって軒下の看板の邪魔になる部分の伐採で納得してもらいましたが…

 アンズの奥にあった山茶花(さざんか)は半分に切り詰め、2階の屋根を越していた月桂樹(ローズマリー)も半分に切り1階程度にしました(下記の写真)が、切ってから切り口を見ると小枝を切って幹を残すべきだったと後悔し、次に伐採予定でハシゴをかけた(写真中)先祖伝来の木は、切ることができません。

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 さて、第三者から見れば、店舗や看板の邪魔になる木は切るのが当たり前と思われるでしょうが、これらの木々は私の仕事で建てた建物とともに成長し、岐阜県海津市の人から「名古屋に行く途中で一番早く桜(実際はアンズ)が咲くところ」と認識されるなど、津島街道ではほとんど見られなくなった雑木林でもあります。

 「あの木は残さなきゃダメだよ」と言う人もあり、三男が仕事の実績で繁盛させれば、看板や建物が見えるかどうかは二の次になりますから、何とか無事に開業が済むことを祈りながら、木を切るふりをしながら日時の経過を待ちたいと思います。

 我家にはもっと大きな木が存在しますが、私が知らないうちに家内が庭師さんに依頼して切ってしまった木も多く、玄関前の庭で一番大きかった木も、切り詰めたことで枯れて小さくなってしまい、サクランボなど家内が切ったことで樹形が衰えてしまった木々も多く存在し、先祖伝来の木との認識もない家内の独断に腹を立ててきました。
            本日の体重 71、8キロ 徒歩数 2053歩 間食あり
                                       5月4日の一言

追伸
先祖伝来の木はイスノキでした

自分の植えた樹木の伐採作業を続けて

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3月18日の事務所横の樹木

 「いつになったら切ってくれるの?」
 「うーん、やるから…」
 「まだ、切らないの?」
 「やると言っとるだろう…」
 「本当に切ってくれるの?」
 「 … 」                               家内と1ケ月前からの会話です
      
 昭和57年に建築した私の建物ですが、当時は1階を新聞販売店として使い、2階は卓球台を2台置き、50人は座れる机とイスを用意し、完成時には2階で高校野球の写真展を開催しました。

 完成直後にアンズの木と花ツゲを植え、その奥に植木鉢で買ってきた月桂樹と山茶花を置き、横に斑入りのグミとマサキを植えたところ、鉢から根を張り30年の歳月を経て2階の屋根を越えるような大木になりました。

 真ん中の大木は先祖伝来の木で、一番奥には平成14年に長野県白馬村にあるラベニュー栄のご主人丸山さんが裏庭から掘り出してくれた朴の木で、氏が亡くなられた7年前から花を咲かせるようになりました。
 

 自分の建てた建物を三男に譲るだけでなく、長野県更埴市出身の知人から頂いたアンズや朴の木とともに、先祖伝来の木まで切られてしまうのは許しがたく、アンズと朴の木はそのまま残し、その他の木々は1階部分で切り詰めることとして、昨日からハシゴをかけて切りはじめました。

 家内は自分の在所よりチェンソーを借りてきており、全ての木を根元から切ってしまうつもりだったようですが、家内は嫁いで来ているためか、土地に対する愛着とか木々に対するこだわりが皆無で、バス停の真ん前に建つ地の利があるのに、木が邪魔になって看板が見えないことが原因で、三男の仕事が成り立たないようなことでは先はありません。

 「チェーンソー使わないの…」
 「自分が植えた木だから、自分の手で切るから」
 「使えば早いのに…」
 「木も痛いと思うぞ」
 「馬鹿じゃないの…」

 我家のアンズの木は桜の花と勘違いされ、名古屋市と津島市の間で一番早く咲く花として語られており、私ならアンズの花と、これから収穫される実を使ったジャムで宣伝していきますが…

 さて、明日と明後日で真ん中の木を切り、容姿を整えると私の限度となり、何とか三男には理解してもらいたいものですが、伐採が終了した後の写真添付はしばらく先の話となりそうです。

            本日の体重 70、8キロ 徒歩数 約1000歩 間食あり
                                       5月1日の一言

ピーの最後を看取った小松菜が花を咲かせ

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 この菜の花は、昨年10月29日に落命した愛雀「ピーちゃん」の鳥カゴに入れてあった小松菜の花で、右側の花はピーが食べかけていた1本で、左は小さな植木鉢ごと入れてあった小松菜の花です。

 ピーも元気ならと考えてしまいますが、ピーが逝ってから5ヶ月が経過して、小さな小松菜が成長して花を咲かせました。できれば種を採って、ピーとピヨの墓前に撒いて花を咲かせたいと考えています。



 畑作業は母親まかせで、父親が亡くなる平成5年に、ガンに効果があると言われた野菜スープを作るため、ダイコンやニンジン、ゴボウを植えたことはありましたが、2年前に保護したピーに与える小松菜を事務所裏で作り出し、青虫に食べられて一晩で葉が無くなるため、鳥カゴに入る小さな植木鉢に種を撒いて、植木鉢に入れたのが昨年6月14日のことでした。

イメージ 2 左の写真は、昨年3月17日に花を怖がるピーを無理やり掴んで撮影したものですが、この頃は市役所から帰れば事務所裏のピーの部屋に走り、写真のように無理やり外の花を見せたり、一緒に昼寝したり、私がパソコンを使っているときは、パソコンの横から出る温かい排気口で居眠りをしていました。

 こんな頃からでしょうか。それまでスーパーで買ってくるか、畑に植えられた小松菜を与えていましたが、事務所裏の植木鉢に小松菜の種を撒いて育てるようになりました。

 今にして思えば、一年前にはピーが居ることで一目散に自宅に帰り、ピーのためにホームセンターに走り、ピーを主役にした生活でしたが、夜型の私のためにピーもパソコンの横で眠り、ピーのお父さんとして気分も充実していました。

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 最近は1人でコタツに入って、パソコン画面にブログを書き込んでいますが、ピーが居たら、写真(昨年3月27日)のように私の横で居眠りして、私の仕事が終るのを待っていてくれたかと思うと、心強いパートナーであったことも実感させられます。

 もっとも、こんな夜まで付き合わせ、欲しがると言って甘い菓子やハチミツを好きなだけ与えたことが寿命を縮めたと反省もしていますが、ピーの落ちていた庭の上の屋根では家族が新しい巣作りを始めており、不謹慎にも「落ちて来ないかな」との下心もあり、未だにピーの温かい温もりが忘れられません。

 自分の手で玄関の横に埋葬したものの、今でも生きていると思うようにしており、春になれば私の手元に戻っている姿も想像し、巣から落ちたヒナが存在すれば引き取りに走るため、鳥カゴもそのまま置いてありますが…

           本日の体重 72、4キロ 徒歩数 4415歩 間食あり

                                      4月1日の一言


ウーバーが地方の足を救うか

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満開のアンズの花 桜より綺麗と言われています

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サクランボの花 5月に実をつけます

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隣の畑に咲くサツキ 今年は異常です

 我家のアンズやサクランボは、昨年と同じように開花していますが、周りの木々を見渡してみると5月に咲くサツキや、山ツツジまでも開花をはじめており、今年は強い陽射しで草花も一斉に咲き誇ってしまったようですね。

「ウーバー」、地方の足救う? 国内の過疎地で実証実験
記事の続き…
 http://www.asahicom.jp/images/asahicom/hand.pngもともと鉄道や路線バスが少ない地域で、予約制の小型バスも走る。だが、すぐに使える移動手段として、市やサービスを運営するNPOがウーバーに協力を求めた。市企画政策課は「持続可能な交通手段として、実験を通じて導入を検討していきたい」という。
 富山県南砺市は2月、ウーバー日本法人と協定を結んだ。市では高齢、過疎化が進み、市営バスも採算が合わない。新たな市民の移動手段としてマイカーやタクシーの配車サービスの実証実験を始める考えだ。
 ウーバーは2014年、東京都で契約したハイヤーやタクシー会社の配車サービスを始めた。ただ、世界で利用が広がるマイカーの配車は、日本では「白タク」行為として禁じられている。一方、交通機関が少ない過疎地などでは自治体やNPOが管理する場合はマイカー配車も道路運送法で認められている。
 政府は11日、交通の空白地域でのマイカー配車を、外国人観光客なども使えるようにする国家戦略特区法の改正法案を閣議決定ウーバー日本法人の高橋正巳社長は「観光地における交通の便が向上し、地域経済の活性化につながる」と歓迎する。
 新たな交通手段として、ライドシェアへの関心は高い。ウーバー広報は「北海道から九州まで、各地から問い合わせが来ている」。将来的には、東海地方を含めた全国展開もにらむ。
 だが、ウーバーのマイカー配車は企業が運行を管理せず、事故の責任は運転手などが負う。国土交通省自動車局は管理者のないサービスについて、「安全、安心の確保ができず、規制緩和などの検討はしていない」としている。
    ◇
〈ウーバー〉 運営会社のウーバー・テクノロジーズは2009年に米サンフランシスコで設立。現在は世界約70カ国、370都市以上で展開している。
 世界で利用されているマイカー配車の「ウーバーX」はあらかじめ登録した一般の人が運転手となり、乗客がアプリに現在地を入力して配車を希望すると、利用可能な最寄りの車を探し出し、車を向かわせる仕組み。運転手と乗客は互いに乗り心地や態度などを評価し合い、過去の評価が悪い運転手の配車や乗客の利用を避けることもできる。ほかにハイヤー型の配車サービスも手がけ、東京ではこちらを展開中だ。

「ウーバーなどと競争激化」 米大手タクシー倒産手続き

 京都府の京丹後市で、スマートフォンやタブレット端末などを使い、自家用車を運転する市民の車をタクシーのように利用できる「ウーバー」の実験が4月より始まり、公共交通の不足する過疎地から注目されています。

 記事に記された京丹後市や富山県南砺市だけでなく、兵庫県養父市や秋田県仙北市などでも自家用車のライドシェアの導入を検討しており、電車やバス路線の無い過疎地の高齢者の移動する足を確保する一策となりそうです。

 もっとも、報道されている「ウーバー」の利用料金はタクシーとほぼ同額で、過疎地では自家用車を利用した低額の福祉有償運送が現行法でも認められていることと、白タク行為を認めていない旅客運送法に触れる違法行為を、安部政権が場当たり的に検討していることに疑問を覚えます。

 一方で、車を使った性犯罪の心配や、交通事故の補償など、登録する運転手の資質も問題となり、都市部では公共交通やタクシーの有効活用を優先すべきで、存続の危機となるタクシー事業者も「ウーバー」同様の市民サービスを考える必要があります。

 高齢者や障がい者の足を確保するために多くの福祉タクシーや介護タクシーが乱立していますが、現実にはほとんどが運転手の生計の手段でしかあらず、「ウーバー」の役割も担えていないことも問題で、私のタクシー車輌と、ボランティア仲間の福祉有償運送の自家用車を「ウーバー」に利用してもらいたいとも思います。

            本日の体重 71、5キロ 徒歩数 2928歩 間食あり
                                     3月22日の一言


サクランボからアンズの開花へ

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 私の事務所横の駐車場ですが、右手前に咲く花は「アンズ」の花で、その奥で開花を始めているのも「アンズ」の木です。車の左奥は昨日の一言に記したサクランボの花で、これらの木はそのまま残すものの、今年6月に三男が独立起業するため、事務所横に葉が茂る大木は低く伐採することになっています。

 すべて私が植えた木々ですが、我家の世代交代によって切られていく運命に寂しさは隠せず、それぞれの木にも植えた経緯があり、長野県更埴市から来た「アンズ」や、白馬村で掘ってもらった「朴の木」などと過去を回顧すると切るに切られません。
 サクランボは私の父親が植えたもので、右手前のアンズの根元には、亀の「クミキチ」や、ヒヨドリの「ピーコ」など、私が保護した小動物たちが眠っています。

 本日は小学校の卒業式が行われ来賓として出席しましたが、例年は石油ストーブの暖房があっても寒いことがあるものの、今年は校庭の桜のツボミがふくらみかけた暖かい卒業式となり、卒業生は元気に旅立っていきました。

 最近の小学校の卒業式は様変わりしており、女子生徒の大半がハカマ(着物)姿で卒業式に参加し、今年は男子生徒にもハカマ姿の生徒が複数存在したことから、来年は更に多くの生徒がハカマ姿で出席することが予想されます。
 保護者の温かい愛情を感ずる反面で、経済的に限界のある生徒たちの存在を考えると、かつて母子家庭や父子家庭の子供に配慮した両親学級の呼び名や、生徒全員への思いやりが不足していると感ずるのは私だけか…

津波で泥、ランドセル洗って使い続けた 児童が巣立ち
記事の続き…
http://www.asahicom.jp/images/asahicom/hand.png閖上小は内陸部の小学校に間借りして再開。みなし仮設に入った長尾くんは、スクールバスで40分かけて通った。6年になるとき、仮住まいの近く、ゆりが丘小に転校した。「中学での友だちをつくっておきたかった」からだ。
 窓の外を船や車が流されていった。そんな5年前の体験は怖くて思い出したくない記憶だ。でも、釣りを楽しみ、海で遊んだ閖上に、できるなら戻りたい。
 今年3月11日、全校集会で作文を読み、震災のことを話した。「感謝の気持ちを忘れず物を大切にし、亡くなったたくさんの人の命に守られながら人の役に立つような生き方をしたい」と結んだ。
 いつの間にか小さくなったランドセルは、一生の宝物になった。

卒業、一緒にできたね 千葉、たん吸引必要な男児 「6年間みんなが助けてくれた」

 先日行われた中学校の卒業式では、多くの女生徒が涙を流して卒業していきましたが、各地から発信される記事にはドラマもあり、こんな思いやりが存在する社会に明るい望みを感じさせられます。

            本日の体重 71、7キロ 徒歩数 5147歩 間食あり
                                     3月18日の一言

サクランボの花が満開となり 

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 今年は上高地の積雪が少なく、春の訪れが早いと言われており、最近のテレビ報道でも桜の開花が早いと予想されていますが、我家のサクランボやアンズの開花も早く、サクランボも本日はほぼ満開状態となっていました。

 しかし、一年前の一言を読み直してみると、今年が特別に早いわけではなく、我家に関しては昨年とほぼ一緒で、サクランボの開花は昨年も3月17日に満開と記されており、人間のあいまいな記憶や感覚と違って自然は正直です。


 本日は月曜日に引き続き、文教建設委員会が開催され、とりあえず付託された議案の審議が終りましたが、25日が最終日となる本会議までに2日分の委員会報告をまとめる必要があることから、週末の3連休後は苦しい日程となりそうです。

 さて、本日は高速道路の重大事故が複数発生し、新聞紙面には殺人事件の報道も存在しますが、私はそれよりもあってはならない事件が気になり、名古屋市では弁護士が飲酒が原因と思われるひき逃げ事故を起こしており、警察官の金銭着服や、教員免許を持たないまま29年も学校に勤務した女性の報道も添付しました。

ひき逃げ容疑で弁護士逮捕 「衝突の認識ない」 名古屋

養護教諭の免許偽造、29年勤務 栃木 「言い出せず」

岐阜県警の元巡査長を起訴猶予 官舎共益費着服事件

 実際にはこんな記事が日替わりのように報道されており、東京都杉並区の田中裕太郎区議(40)が、「保育園落ちた日本死ね!!!」と題する匿名のブログについて、自身のブログで「便所の落書き」と書き込んだ事件や、学歴を詐称してテレビのコメンテーターを務めていたショーン・マクアードル川上氏については、多くの視聴者の信頼を裏切ることになりました。

 私自身も気をつけないと、自分の正直な本音によって批判される可能性もあり、議会で不用意に発した一言が問題となったり、ブログに記した一文が問題となる可能性もあり、過去には「議員が不勉強」と記したことが問題とされたこともありました。

 新聞報道される記事を見ていると、かつては考えられなかった公職者の犯罪や問題行動が不思議にも思われない世の中になっており、我々議員は勿論ですが、教師や警察官、弁護士など襟を正していく必要性を実感させられます。

             本日の体重 71、3キロ 徒歩数 1758歩 間食あり
                                      3月17日の一言

息子と旧知の広告看板業者を訪ねて


 私の事務所ですが、昭和57年に建設して34年が経過しており、植木鉢に植えてあったアンズや月桂樹が2階の屋根を越える大樹になっており、今年6月に三男が接骨院を開業するため私の手によって低く切ることになっています。

 「木はどうするの?」
 「ボクが切るんだけど…」
 「ふーん」
 「低くして残すんだけどね」
 「よく塩をふってからやってよッ」

 本日は午前中から市役所で3月議会の議案説明会が開催されていましたが、午後4時に切り上げて、三男とともに名古屋市に隣接する大治町で広告会社を経営する知人の工場へ、接骨院の看板を相談に訪れました。

 建物が名古屋市と津島市を結ぶ県道の前にあるため、建物の2階部分や自宅の東西に大きな看板を立てるように話し合っていましたが、さすがは広告の専門家だけに大きいことよりも、道路を通過する車や接骨院を訪れる顧客の視線にたって効率の良い効果的な看板を提言する知人に、「さすが」と心中で思わざるを得ませんでした。

 「あんなに安くできるンだ」
 「そりゃー、長年の付き合いだからな」
 「ふーん、それならもっと良い看板も考えられるな」
 「よく相談してみろよ」

 25歳になる三男の独立起業ですが、私の起業は23歳の大学時代で、現在の事務所となる建物は29歳の時に建設しており、当時は偶然にも信頼できる業者を紹介してもらったものの、業者に知縁はほとんどなく、三男が聞いてくる業者の話を聞く限りではリフォーム代がかなり高額となることから、新聞販売店の23年間と、議員17年目の経験から、最高と思われる業者を選択すれば内容も料金もかなり良心的に抑えられそうです。

 ただし、知人の「よく塩をふってから」の一言は意味深で、私が植えた木々ではありますが、木々の痛みも考えて枝をつめたいと思います。

宮崎県警警視が自殺 女性暴行未遂の疑いで任意聴取後に

兵庫県警巡査、焼身自殺か 独身寮侵入容疑で任意聴取後

 2件の警察官の自殺の記事を添付しましたが、女性を暴行した疑いと、独身寮に侵入容疑で警察の取調べを受けていた警察官2人の自殺は、真相が闇に葬られることと、責任は自身の行為によるものの、最近は警察官の飲酒運転とか殺人事件や、教員の少女買春事件など、信じられない事件を起こすことが当たり前になっている中にあっての自殺には衝撃を受けました。

 私は意気地が無いため自殺はできませんが、残された人生には何事が起こるか予測は難しく、運転する自動車事故で多くの人を殺める可能性や、大病を患い高額な治療費が必要になる可能性も考えると、自殺を選択する必要の無い安全策を用意しておきたいものですね。

            本日の体重 71、1キロ 徒歩数 2141歩 間食なし
                                     2月24日の一言

ピーのための小松菜が生き残っており

愛雀ピーのために鳥カゴで最後まで一緒だった小松菜

 昨年10月に逝った私の愛雀「ピー」ちゃんのために鳥カゴに入れてあった小松菜です。
 左の植木鉢はそのままカゴに入れてあり、右の小松菜は抜いてピーに与えていた食べかけを植え替えて保存していたもので、ピーが逝って4ヵ月近く経過した現在もそのまま生き延びています。

 動物の命には必ず最後の瞬間が訪れますが、植物は残された種子や挿し木で末代まで残すことができ、できればこの小松菜も最後に私がピーの代わりに一枚食べて、花を咲かせて種子を採り後々まで残したいと考えています。

 ピーが無言のまま逝って4ヵ月近くが経過していますが、一年前は元気一杯だったことを回顧すると、未だに胃が重く無気力になってしまい、無気力をピーのせいにはできませんが、あんなに温かかったピーの温もりが未だに忘れられません。

NHK放送センターの一部機能「地方移転も」 高市氏
記事の続き…
 NHKは昨年、建物の老朽化に伴い、新放送センターを渋谷区内の現有地に建て替えることを決定し、2020年の東京五輪・パラリンピック後に着工する。
 また高市氏は16日の衆院予算委員会で、放送局の電波停止に触れた自らの一連の発言をめぐる最近の報道について、「私自身に対するここ1週間くらいの報道を見ても、決してメディアは萎縮していない。報道に携わる方が矜持(きょうじ)をもって伝えるべきことを伝えている」と述べた。

総務相、電波停止に言及 公平欠く放送と判断なら 2016年2月9日
記事の続き…
 い」と述べた。▼4面=焦点採録
 民主党の奥野総一郎氏が放送法の規定を引いて「政権に批判的な番組を流しただけで業務停止が起こりうる」とただしたのに対し、高市氏は「電波法の規定もある」と答弁。電波停止などを定めた電波法76条を念頭に、「法律は法秩序を守る、違反した場合は罰則規定も用意されていることで実効性を担保すると考えている」と強調した。そのうえで高市氏は、「私の時に(電波停止を)するとは思わないが、実際に使われるか使われないかは、その時の大臣が判断する」と語った。
 放送法4条は放送の自律を守るための倫理規範とされてきたが、高市氏はNHKの過剰演出問題で、行政指導の根拠とした。この点についても「放送法の規定を順守しない場合は行政指導を行う場合もある」との考えを重ねて示した。
 「政治的な公平性を欠く」の事例については、「国論を二分する政治課題で一方の政治的見解を取り上げず、ことさらに他の見解のみを取り上げてそれを支持する内容を相当時間にわたり繰り返す番組を放送した場合」などと列挙。「不偏不党の立場から明らかに逸脱していると認められるといった極端な場合には、政治的に公平であるということを確保しているとは認められない」とした。
 発言に、放送事業関係者は反発している。ある民放関係者は「公平性を判断するのが大臣であり政権であるなら、政権による言論統制だ」。別の民放関係者も「威圧的に脅しているんだろうが、あまりに現実性がなく論評に値しない」と話した。砂川浩慶・立教大准教授(メディア論)は「行政が気に入らない番組で、言うことを聞かなければ停波にしてしまうのなら介入そのもの」と指摘。上智大の音好宏教授(メディア論)も「放送事業者の萎縮を招く危険性がある」と語った。

NHKの子会社「見直し早急に」 高市総務相が意見 2016年1月20日
記事の続き…
 放http://www.asahicom.jp/images/asahicom/hand.png送法では、総務相が予算案に意見を付けることになっており、意見の原案では「子会社の不祥事は15年度も出張旅費の不正受領、工事費の不正受領などが発生しており、子会社の在り方そのものをゼロベースで見直すことが急務」と指摘した。
 子会社の予算は国会の承認が必要ないことから、意見では、改革の際にNHKと子会社による取引の透明性を確保することや、利益剰余金をNHKに適正に還元することなどに留意するよう求めた。
 過剰演出問題があった14年5月放送の「クローズアップ現代」にも言及しており、「総務大臣による行政指導を踏まえ、再発防止に向けた取り組みを引き続き実施する」よう求めた。

 自民党の女性閣僚や議員たちが、女性とは思えないような強権発言を続けていますが、予算を国に委ねて、会社の経営方針まで政権や高市総務相に指示されているNHKに、受信料まで徴収されている国民の立場からは不快感を隠せません。

 現在の法律では、NHKテレビを一度も見ない人についても受信料が請求されており、NHKテレビを見ないと受診拒否を宣言していた私にも、高額な請求書が送付され続け、支払いを廻って昨年秋に和解したものの、安部政権と一体となるようなNHKの籾井会長の発言や、公平性を欠く数々の不祥事を見ると腹立たしくなってきます。

 最近の安部政権は、国民に多額の増税や公的負担を強いながら、大企業を優遇し、国民へのサービスの原資が我々の支払った税金との意識も無く、上から目線で発言を続けており、国の主権が国民にあるとの認識があるとは思えません。

 さて、歯の痛みに悩まされて一週間が経過しましたが、本日起床時の体重は70キロを切り、体重計は69、6キロを指しましたが、歯が痛くて食事も思うようにとれない副産物として、簡単に2キロの減量となりました。
 歯の痛みは問題ですが、痛みは減少していることから、貴重な歯を温存するためにも食事の食べ方に注意していきたいと思う反面で、昨日の小料理屋の美味に触発されました。

 家庭に居ると、朝、昼、晩と、私の身体が欲していなくても、時間になると家内に「早く食べてよ」と急かされ、食べたくもないオカズもエサのように割り当てられますが、30代の息子と還暦を過ぎた私とは食事量も違うため、これからは少量でも食べる物にこだわり、体調をもとに戻したいと思います。

         本日の体重 70、4キロ 徒歩数 1185歩 間食あり
                                     2月16日の一言

家内と同じ大根足登場に沸く一日に


 これぞ、本当の大根足です。


 我家の畑で収穫されてきました。


 私の足と並べるとこんな感じとなりました。

 見てびっくりする大根の登場に、家内の足と並べて写真撮影したものの、素足の露出は嫌だと言う家内にかわって、私の左足との記念撮影となりました。
 このまま食べてしまうのがもったいないものの、残酷にも家内の手によって半分は切干大根にされ、一部は本日の夕食のサラダに変身していました。こんな大根とは二度と会えないでしょうね。

 三重県伊勢市で、心臓移植を待って入院中の15歳少年がくも膜下出血となり、8日夜までに法的な脳死と判定され、脳死となった場合には臓器提供をすることを事前に家族と話し合っており、10代の男性ら4人に五つの臓器が提供される予定との報道がありました。

移植待ちの少年が脳死、臓器提供へ 「息子の命誰かに」

 少年の家族は、「息子の命を誰かにつなげ、臓器提供への理解が得られれば、助けられる命がたくさんあると思います」などとするコメントを出しているが、摘出された臓器は九州、大阪、名古屋、東京の病院で4人に提供され、誰もが迎える最後の瞬間に臓器提供という身体の活かし方もあることを実感させられました。

 私のお気に入り登録しているブログに、「アホ芸能人どものベッキー擁護」なる書き込みがありましたが、テレビで全国に発信される立場にある芸能人の影響力は大きく、人を笑わせる芸人であっても、犯してはならない行為については厳しさが必要と思います。


 私も過去の一言に芸能人の不祥事や事件について書き記していますが、人間として許しがたい不倫や離婚について、芸能人の影響力が大きいだけに、不可抗力と思われる交通事故などは別としても、第三者の存在を無視した芸能人の不祥事には厳しい視線が必要です。


またもや歌舞伎界の非常識が 2011/2/21(月) 私の一言

罪人を作ったのは歌舞伎者だった  2010/12/1(水)  私の一言

 芸能界の不倫報道は多く、それを評論する気持ちはありませんが、愛人に子供まで作ったことが発覚しても、親が家柄が違うから結婚させられないと弁明したり、お金は払ってあるから問題なしや、世間一般でもあることとと報道されたことに、生まれた子供や相手の女性の家族や親族も存在することを考えると許せない気持になります。

 数日前の漫画「浮浪雲」の主人公が、仏教の「五戒」を守りながら描かれていることを記しましたが、芸能人には「芸の肥やし」という表現もあるものの、人間として犯してはならない行為については厳しい戒めも必要となります。

            本日の体重 71、9キロ 徒歩数 7771歩 間食あり
                                      1月9日の一言

完熟前のミカンが収穫されて…


 我家の畑で収穫されたみかん「はるみ」です。

 先月の一言にも記しましたが、我家の畑にはミカンが植えられており、近所の畑に植えられたミカンが全部盗まれ、昨年には我家のミカンも全部盗まれてしまったことから、家族が少し持ち帰ってきましたが、最近になって他人がもぎ取って少しづつ盗まれているため、本日は家内が添付したように一袋収穫して持ち帰りました。


 まだ完熟しているわけではありませんが、盗まれていくことから収穫してきたとの話は寂しいものがあり、完熟するまで畑に置いておきたいものの、夜のうちに盗まれるため防ぎようもなく、夜間に見張ってミカン泥棒を捕まえる根気もなく、我家の軒先で熟すまで置いておくとの話です。

 普通のミカンより大きく、完熟していなくても甘いため食べられますが、畑に残されている半分のミカンが盗まれず完熟する期待も捨ててはおりませんが…

 本日は久々の休養となり、午後2時から約束した仕事を済ませたことから、昨日の夕方に知人の訪問を受け、ノルマとしているウォーキングができなかったため、家内と歩こうとしていると空からヒヤリとした感触がありました。

 「こりゃーダメだな」
 「えっ、せっかく用意したのに…」
 「着くまでに濡れてしまうぞ」
 「行ける所まで行ったら良いでしょう」
 「そりゃー、ダメだろう」

 私は昨年から、月曜日と水曜日、金曜日をウォーキングの日と決めていますが、健康のためとは言え歩くのを目的として歩くのは嫌で、3キロ程度離れた珈琲店とホームセンターを目的として歩いています。

 出かける前に家内は行ける所まで行って戻って帰れば良いと話し、私は目的地の無いウォーキングは絶対行きたくないため、家内はカッパをリュックに入れ、私はカサを持って我家を出発したものの、目的地に着いた時には雨足が強まり、ゆっくりとコーヒーを飲んでいる場合では無くなりました。

 せっかくのウォーキングがずぶ濡れになってしまったことと、明日の天候も大雨との予報となっているため、明日に開催される議会の委員会が終ったらボーリングに行くことに決め、「本当に行く時間があるの」と言われて信用されていないため、「絶対に行く」ことにしました。

 さて、私は最近になって左の腰に痛みを感ずることがあり、三男には痛くても身体のストレッチをしないと痛みは取れないと言われ、痛いのに動かすのはおかしいと思ってはいたものの、日曜日に家内とボウリングに行ったところ、足や腕に適度の疲労感はあったものの、腰の痛みが無くなりました。

 一方で、十数年ぶりに訪れたボウリングで、わずか100点程度しか取れなかったため、次はリベンジしたい気持と、ウォーキングも歩数計に記録が残りますが、ボウリングも点数が記録されることから、継続して続けられる予感がします。ただし、一人でボウリングに行った経験は無いことと、ボウリング場まで30分かかることもネックになりそうです。

           本日の体重 70、8キロ 徒歩数 8219歩 間食あり
                                   12月10日の一言

泥棒のため完熟前に収穫されたミカンに


 我家の畑で収穫されたミカン「はるみ」です。まだ完熟とはなっておりませんが、昨年末には1個も残さず誰かに盗まれており、最近になって隣接する畑のミカンが全部盗まれたこともあり、盗まれる前に少しは収穫しようと持ち帰ったようです。

 しかし、酷い話ですね。我家の「はるみ」も84歳になる母親が育てているミカンで、最近盗まれた畑も同世代のご婦人が育てていたミカンですが、枝から引きちぎって全部を持ち去る乱暴な泥棒が存在することと、同じ地域に住んでいると考えると殺伐とした気持にさせられます。

 電源の無い畑のため、防犯カメラを設置することもできず、盗まれる夜間に見張っていることもできないため、ミカン泥棒のやりたい放題となっており、盗まれた人にしてみれば笑ってはおれない事態で、盗んだ犯人が食べている姿を想像すると腹立たしくなってきます。

 完熟していないものの、口にすると買ってきたミカンと同じような甘さがあり、母親が植えた木のため馬鹿にしていましたが、年齢を重ねると楽しみな我家自慢のミカンになりそうです。

はるみ… 清見タンゴールとポンカン交配種・「デコタンゴール」の妹
 昭和54年に現果樹試験場興津支場にて、清見にポンカンF-2432を交配して育成されました。この配合方法から生まれた柑橘には「デコタンゴール(デコポン)」があり、姉妹のような関係なんですよ♪
 昭和61年に初結実し、その後の調査により平成3年に一次選抜されました。同年より、第7回系統適応性・特性検定試験に興津44号として供試されました。
 その結果、優秀であると認められ、平成8年に「はるみ」と命名され、みかん農林12号として登録、公表されました。
冬の終わりにお届けする新品種「はるみ」は、市場にはほとんど出回らない貴重な柑橘。今しか味わえない贅沢な味をお楽しみください!
参考にさせてもらいました。↓
       〒794-0074 愛媛県今治市神宮甲844-5  TEL(0898)31-3511(代)

 昨日の一言に大相撲の北の湖理事長の訃報について記しましたが、その後の新聞報道によると愛知県の関係者から取材した談話が紹介されており、早すぎる死に対する悲しみが身近な問題として感じられました。

 もっと寂しい現実は、「輪湖時代」と言われたライバル輪島さんのコメントで、「1月に会ったときは元気そうだったので、びっくりした。相撲界をもっと長く引っ張って欲しかったので残念だ」とショックを受けていたという記事です。

 このコメントは、輪島さんが下咽頭がんの手術を受け、現在は話すことが困難なため、夫人が輪島さんの言葉を唇の動きから読み取ってもらう形で応じたと記されており、かつては大好きだった大相撲ですが、NHK放送との確執で相撲中継を見ないため、突然知らされてくる寂しい情報が我が身のように感じられます。


ライバル輪島さん「本当に強かった」 妻を介し惜しむ
 
 高齢になった老婆たちが育てるミカンを盗んでいく不心得者とともに、悲しい話題が続く中で、我家のアメリカザリガニが昨晩逃走し、過去2回の逃走ではそのまま見つかっておらず、屋外に逃げておれば幸いですが、しばらくは気をつけて探すことになりそうです。

           本日の体重 70、3キロ 徒歩数 1680歩 夜間食なし
                                    11月21日の一言
 

スズメのピーが主役の生活が続き…

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 添付した写真は、左から小松菜の種を撒いた鉢と、右2つは新たに撒いた豆苗(とうみょう)で、上の緑の苗はスーパーで購入した豆苗を小分けしたもので、愛雀ピーちゃんの鳥カゴにそのまま入れました。

イメージ 3 スズメに与える小松菜については、スーパーで簡単に入手できますが、自宅で栽培する小松菜に青虫が付いて食べられてしまうのに、スーパーで購入した小松菜には虫の喰った跡もないため、農薬を心配して自分で発芽させたものを与えてきました。

 鳥カゴの扉から入れられる小さな植木鉢(右の写真)に栽培すれば、そのまま鳥カゴに入れられるため、我ながら人に自慢したいような発想でしたが、青虫の駆除に苦労した栽培も、最近は真夏の暑さによって思うように育てられなくなっていました。

 偶然にも他のスズメを飼育中の方のブログから、豆苗を与えている記載を見つけ、小松菜は種から肥料を与えて成長させるのに、豆苗は元々種になる豆から発芽するため、肥料の心配も無く自分の栄養分で成長することから、早々に種を買い求めて発芽させ、涼しくなるまでは小松菜の代用にすることにしました。

 ところが、家内に同行して訪れたスーパーで、豆苗の発芽して食べられる野菜が販売されているのを発見し、小分けして鳥カゴに入れれば、難しい栽培の手間もかからないため早速購入してきました。

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 豆苗とは聞いたことも無い野菜でしたが、えんどう豆(グリーンピース)の若葉と判り、人間も食べられるため、小松菜のように農薬の心配は無いものの、我々人間の食用にもなるため、小松菜と同じように栽培を続けたいと考えています。

 さて、10日前にピヨちゃんが死んでしまい、真夏でありながら鳥の保温が気になり、夜は定期的にピーちゃんの安否確認に行くようになり、睡眠不足による体調不良になっているらしく、事務所はエアコンを入れているものの、鳥カゴのある部屋は締め切って高温にしてあるため、室温の高低差も体調を悪くしているのかもしれません。

 一方で、鳥をヘビに食べられたとの話や、インコがヘビに飲み込まれたとのネット発信も心配を増幅しており、我家も庭にはヘビが生息しているため、夜行性のヘビが心配でしようかなく巣に入ったピーちゃんを確認しないと安心して眠られません。
 数日前には私の寝ている隣に鳥カゴを置きましたが、26度以上の室温と湿度の確保は私には苦痛となり、エアコンを入れるとピーが寒がるため、鳥との共存は厳しい一面も実感するようになりましたが、鳥は自分の苦痛を訴えませんから、ピヨの死によって昨年には感じなかった鳥の様子が気になる夏ともなりました。

                本日の体重 70、9キロ  徒歩数 3004歩
                                    8月27日の一言

オニユリが花を咲かせ、カマキリの子孫が誕生し

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 我家の庭に咲くオニユリです
 
 平成5年に他界した父親と家族全員が出かけた揖斐高原の帰りに、田んぼのあぜ道に一輪だけ咲いていたオニユリを見かけ、思わず抜いてきたのが添付したオニユリの先祖で、抜いてきた現地では雑草とともに生える草でしかありませんが、我家では輝く宝物となっています。
 
 さすがに野生で生き残るため繁殖力は強く、放置すれば球根だけでなくムカゴが飛んでどんどん増えますが、花粉が洗濯物に付くと言って家内が伐って捨ててしまうため、私が拾ってきて植えたりムカゴを放置するため20年以上にわたって花を咲かせ続けています。
 
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 添付したカマキリは生まれて数日しか経っておらず、毎年同じ場所に出現しますが、数日前まで困っていた小松菜の青虫の害については、同じく誕生した大量のアマガエルとともに番人として活躍してくれそうです。
 
 自然界は時期がこれば当たり前に花が咲き、生き物も自然に誕生してきますが、オニユリのように父親との思い出のある花は、当時の採取した様子が昨日のように脳裏に浮かんできます。
 
 さて、本日は深夜11時に地域の方々と広島県を目指し、明日の早朝には原爆ドームの前に居る予定ですが、同行者とともに修学旅行の思い出を偲ぶ予定で、呉市の大和ミュージアム以外は宮島や、錦帯橋を訪れ、宿泊場所としている山口県萩市まで走ります。
 
 萩市は最近の世界文化遺産に登録され、大河ドラマの舞台にもなっており、萩城の城下町を散策し、帰り道で秋芳洞や錦帯橋に立ち寄りたいと考えています。
 
 愛知県の弥富インターから新名神、山陽道を通り、呉のインターまで477キロの距離があり、単純に6時間程度はかかり、「遠すぎる」と言われる人もありますが、四国遍路で高知や松山まで走る距離と同じくらいのため、急がば廻れの格言をかみ締めてハンドルを握ります。
 
                   本日の体重 70、9キロ 徒歩数 746歩
                                      7月10日の一言
 

強力な小さな助っ人登場に

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私が植木鉢で育てている小松菜です。
 
 私の秘書役となっている愛雀ピーちゃんの貴重な食材となっている小松菜ですが、青虫の被害が続いており、当初は青虫ごと餌にしてしまえば一緒と放置していたものの、青虫に食べられて全滅してしまった植木鉢も存在し、毎日葉の裏表を確認して取り除いてきた結果が添付した小松菜です。
 
 ホームセンターの園芸コーナーには、散布して翌日収穫しても大丈夫と記された殺虫剤もありましたが、一瞬にして青虫を殺してしまう薬剤が、小さなピーちゃんに影響がないとは思えませんから、老眼鏡をはめて一匹づつ取り除くものの、翌日には穴だらけとなってしまいます。
 
 一方では、我家でこんなに青虫に悩まされているのに、スーパーで購入していた小松菜には虫食いが少しもなく、私はスズメのために小松菜を買っていましたが、人間より小さなスズメに与えるのは危険を感じるようになりました。
 
 さて、こんな繰り返しに頼りとなりそうな我家のファミリーが登場しました。我家の朴の木周辺に毎年大量に生息するアマガエルの赤ちゃんが登場し、小松菜の周辺にもへばりついており、これからは青虫も駆逐してくれる可能性が高いと思われます。
 
我家はアマガエルの楽園になってきました 2014/10/17
 
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数日前に生まれたばかりの赤ちゃんです

 自然の連鎖とは不思議なもので、2年前まで屋根裏に侵入したイタチに悩まされていましたが、イタチのお陰でそれまで裏庭に大量に生息したヘビを見かけることが無くなり、アマガエルもヘビが居ないために大量に存在するようになったと思われます。
 
 さて、本日は終日雨が降り続いており、昨晩には我家から4キロほど離れた「ジョイフル」に本日の早朝に歩いて訪れ、野菜サラダを朝食にするか、同じく4キロほど離れた「なか卯」まで足を延ばすかと考えていましたが、雨が続くと歩くこともできません。
 
 体重がリバウンドする危機を感ずるようになりました。
 
                  本日の体重 70、9キロ 徒歩数 182歩 
                                      7月4日の一言
 

ブルーベリーの季節が訪れて

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 我家のブルーベリーが熟し始めました。

 この木は平成5年に他界した父親が植えたもので、当時はブルーベリーがどんな実になるのか判らず、実が熟すようになっても小さく甘みもありませんでしたが、最近では実が大きくなるとともに甘くなり、これから1ヵ月ほど収穫が楽しめます。
 
だまされたふり…を警官ミス 目の前でATM詐欺被害

 新聞報道によれば、還付金詐欺のにあった80代の女性に、翌日にも犯人から更なる電話があったため、警察官が同行して犯人の口座番号を特定しようとした際に、誤って再度百万円近くを振り込んでしまった事件が発生しました。

 カード社会になり、カード1枚で大金が簡単に移動する便利な反面で、他人に盗まれたり拾われただけでも被害者となりうる危険性と、今回のように警察官が同行して電話の相手が犯人と判っていても、誤って被害者になるとともに、犯人を逮捕することもできない現実に、確実に口座の持ち主の特定ができる対応を実現すべきと思います。

 「まさか、自分が…」と誰もが思っていると思いますが、意外なところに落とし穴があり、私も過去に何度か被害にあっています。

 今から20年くらい前の話となりますが、隣町に設置してあった支店の電話料金の請求書が20万円ほどあり、この電話は支店の従業員へ連絡する受信用に利用していたため、高額な請求を調べると、当方がダイヤルQ2へ電話をしていたと言われ、誰かが支店に忍び込み通話したと思われますが、電話局はそちらがかけたのだからと引き下がりません。

 当時は同様な被害が続いており、高額となるダイヤルQ2には契約がなければ支払わなくても良いとの裁判の判例もあったものの、我家の電話料金は自動振込みとなっており、今度は振り込んだ料金を返してもらうため当方が裁判所に訴える必要があり、結果的にもどっても裁判費用がかかるため泣き寝入りとなりました。

 我家の配達用のバイクが夜のうちに盗まれて川に投げ捨てられたこともあり、犯人は捕まったものの、未成年のため氏名は教えられないと警察官に言われ、そのままになったこともあり、店頭に置いてあった赤電話も2度にわたって持ち去られ、数年後に犯人が捕まったとの連絡はあったものの、これも未成年で犯人を教えられないままに泣き寝入りとなりました。

 今にして思えば、未成年者だから犯人の名前が教えられなくとも、被害者として保護者の責任を問うことは可能だったと思われ、警察官の対応に問題があったと思いますが、未成年者の犯罪についても、最後の弁済まで責任を負わすべきで、野放しにすることが犯罪の連続性を生んでいきます。

 添付した報道についても、犯罪に携帯電話が使われており、銀行口座のATMから送金されたことから、相手の特定やGPSから住所地の特定は可能と思われ、振り込んだお金の換金に時間がかかっても振り込み詐欺の連鎖を止めることは急務です。

                     本日の体重 70、7キロ 徒歩数 7810歩
                                      7月2日の一言

アンズが熟してジャムつくりに

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我家のアンズです。今年もジャム作りが始まりました。
 
 添付したのは事務所前のアンズで、今年は雨が少なかったため、過去と比較すると最高に甘く、熟して落下した実を拾った手についた果汁がべたつきます。
 
 これが毎日バケツに一杯程度落下しており、気をつけて拾いに走りますが、拾っても拾っても際限なく落ちており、昨日から家内が大鍋に入れてジャム作りを始めましたが、作ったジャムを入れるビンも大量に必要になります。
 
イメージ 2 右に添付した写真が本日落下したアンズで、これだけでも大きな鍋でも1回では煮込めませんから、午後から家内は鍋に付きっ切りとなって煮込んでいます。
 
 本日は買い置きしてあったジャムを入れるビンを使い切ってしまったため、ホームセンターまで買いに走りましたが、大量に買い込むためジャムをいれるビンは売り切れとなり、数日後に補充されていないと、さらに遠くにあるホームセンターまで走っていくことになります。
 
 一年はあっという間に過ぎ去り、「来年は専用ラベルを作って販売しようか」の一言をここに記しますが、保管するのにも困る有様で、売るどころか処分するように貰い手を捜してジャム作りは終わります。
 
 もっとも、事務所の裏には更に大きなアンズの樹があり、こちらのアンズは長野県で売られているように甘いものの、実はさらに大きくたくさん実っており、毎年採りきれずに裏庭を甘すっぱい香りにしています。
 
 欲しい人は採りに来てくださーい。
 
 東京・銀座のママと客の関係は、「不倫」ではなく「枕営業」である。東京地裁が出したこんな判決が波紋を呼んでいる。クラブで結ばれた男と女、それは不倫なのか、営業なのか? 線引きできるものなのか?
 
「不倫」か「枕営業」か、判決波紋 探偵業界も衝撃
記事の続き…
 こうして、「不倫だ」との妻の訴えを退けた。
 「妻の立場をあまりにも軽んじる判決」「枕営業なら不法行為じゃないっておかしい」。判決が報じられると、ツイッター上に妻たちの怒りが飛び交った。
 男女の性的関係が不倫か営業か、区別を示した判例はあるのか。不倫訴訟に詳しい田村勇人弁護士は「直接争われた事例は聞いたことがない」。ただし、「既婚者と関係を持てば、遊びだったか愛情があったかを問わず配偶者に慰謝料を払う義務がある」とした1979年の最高裁判決以降、既婚者と知って関係を持てば賠償責任を負うとの考えは定着しているといい、ホステスに慰謝料の支払いを命じた判決もある。
 それだけに、今回の判決については「7年もの長期間の関係を『営業』と言い切る感覚は疑問だ。特異な判決として埋もれていくのでは」と指摘する。
 「探偵業界にとって衝撃の判決だ」と話すのは、大手探偵会社「MR」(東京都)の広報担当、橋本文良さん。同社は年間千件ほどの浮気調査をするが、水商売の女性が浮気相手というケースは全体の2~3割をしめる。配偶者の浮気の証拠を押さえて慰謝料請求につなげたいと調査依頼する人が多いが、「浮気相手が水商売だと慰謝料が取れないとなれば、依頼を見送る人もいるだろう。我々の仕事が減りかねない」。
 「枕を重ねる」「枕を交わす」など、日本では古くから、男女の関係を「枕」を使って表現してきた。大辞泉(小学館)は、枕営業の意味を「契約成立の交換条件として顧客と性的関係を結ぶこと」と説明する。
 銀座の「枕営業」は本当に「公知の事実」なのか。クラブ歴7年のホステス(32)は「客とそういう関係になる話を聞くこともある」。売り上げのノルマを課す店もあるといい、「人によっては、客を呼ぶ有効な手段なのかもしれない」。判決については、「7年でしょ。ママには恋愛感情があったと思う。なければ続かない」。判決は確定し、ママは慰謝料から逃れた。でも、「ママはもう銀座では生きていけないのでは。だとすれば慰謝料以上のものを失った」。
 銀座歴42年のママ(71)は「人間だから妻子がいてもお客さんを好きになることはある。でも『枕営業』と言われるのは心外」と話す。知性と会話で客を楽しませてこそ銀座のプロとの意識があるからだ。ただ、好きな客と一緒にいる時は「楽しいという感覚。だけど、どこかで『店に来てほしい』とも思っている」。だから、不倫か営業かの線引きは「ファジーです」。
 商品が時に、男女関係の暗喩になる枕業者。「枕工房 待夢(たいむ)」(東京・神楽坂)を営む岡田晃さん(55)は、人生の3分の1を占める睡眠時間を良質にしてほしいと毎日、枕を売る。「枕営業」と聞けば、あまりいい気はしない。「枕への敬意に欠けてますから」
 
 日本も寂しい国になりましたね。
 夫の不貞行為を「不倫」として司法に訴えた妻も、「商売で肉体関係を持ったまで」と主張する銀座のママも、『対価を得て大人の関係を持つのと同様に、ママは商売として応じたに過ぎない。だから、結婚生活の平和は害しておらず、妻が不快に感じても不法行為にならない』との司法の判断も含めて、人間としての尊厳や倫理観があるとは思えません。また、妻に訴えられた社長も夫としての存在感はありません。
 
 こんな司法判断が出ることは、未成年でなければ売春行為も咎められず、営業であれば不法行為にもならないような錯覚を持つ人が現れても不思議ではなく、飲食店のママと男性客が繰り返し肉体関係をもったとしても、「商売として応じたに過ぎない」と「枕営業」の単語を使った判例は、生臭い前時代的な匂いがして堪りません。

                 本日の体重 69、9キロ 徒歩数 12689
         朝の血圧 139-73 脈拍 70 夜の血圧 111-55 脈拍 79
                                      6月3日の一言
 

雪のように散ったアンズの絨毯を眺めて

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 夜の駐車場を雪のように真っ白にしたのは、我家の名物「アンズ」の花で、満開となっていたアンズの木も、本日の雨によって散り始め、これからは新芽が伸びて事務所の陽射しをさえぎる緑のカーテン役になっていきます。

桐生祥秀、追い風参考記録で9秒87 陸上男子100m
記事の続き…
 桐生は「追い風なので自己ベストくらいは出るかなと思っていたけど、9秒9台を超えて9秒8台だったのでよかった。びっくりした。スタートが気持ちよく出られたので、いつもよりリラックスして走れた」と話した。
 桐生の次戦は4月18、19日の織田記念の予定。

 体格差から日本人には絶対無理と思っていた陸上競技100メートル走で、東洋大1年となった桐生祥秀選手が、世界の一流選手をおさえ、追い風(3・3メートル)の参考記録ながら9秒87をマークして1着でゴールを駆け抜けました。

 大リーグにおいても日本人ピッチャーがエース格となり、テニスについても錦織選手が世界一を狙える存在になっており、最近は体格によるハンデは無くなってきたものの、桐生選手の快挙には驚かされました。

春へ一歩、まもなく帰る冬の使者 北海道・根室

菜の花満開、春の訪れ実感 兵庫・あわじ花さじき

福岡で桜満開 週末の陽気で開花一気 花見客でにぎわう

 さて、我家の散りかけたアンズの花を添付しましたが、国内の各地から冬の終焉と、春へ季節が移行していく発信を添付しました。忙しいと一瞬にして季節が変わり、我家の花たちの一年に一度の晴れ舞台も見逃してしまいます。
 昨年はボタンの花の開花を見逃してしまいましたが、植えた父親が逝ってから22回も花を咲かせており、植物の生命力の永さを実感させられ、我が年齢の積み重ねも実感しています。


         本日の体重 70、5キロ 徒歩数 1731+約5000歩
                                    3月29日の一言

戦後70年…進まぬ遺骨収集について

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我家のアンズの花弁です

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 一年に一度だけ、私の事務所前を彩るアンズの花で、2階の屋根を越えて通行する遠くの人からも話題にされるようになりましたが、私の希望では来年までに事務所を三男の接骨院に改装して開業することを予定しており、店舗前に大木があっては営業できないと言われていることから、来年には見られない可能性が出てきました。

 もっとも、「名古屋市と津島市の県道沿いで唯一のアンズ」と言われたことがあり、我家のシンボルとして残して欲しいもので、「横井庄一が小学校5年生まで生活した場所」として、このアンズの木も切らずに残されることを願っています。

遺骨収集、立たぬ見通し 硫黄島で今も1万柱超が不明
記事の続き…
 日本は、島が返還された68年から遺骨収容を本格化させた。これまでに1万355柱を収容したが、今年度は42柱にとどまる。生還者の高齢化などによって、新たに得られる情報はほとんどなくなった。11年度からは年約10億円をかけ、重機で掘削してくまなく調べている。
 一方、全面的な掘削はされずに残るのが、自衛隊が管理する飛行場の滑走路だ。政府は移設する計画だが、その場合10年超の時間と360億円程度の費用がかかる見込みだ。遺骨が見つかるかどうかは「やってみないとわからない」(厚生労働省の担当者)という。
 敗戦後、硫黄島が米国から返還されるまでの23年間の実態をつかめておらず、戦闘が熾烈を極めて遺体の損傷が激しかったことが発見を難しくしている。
 超党派でつくる硫黄島問題懇話会会長の逢沢一郎衆院議員は「今後10年を集中期間とし、戦後80年を区切りにするのも一つの考え方だ」と話す。遺骨収容にかかわってきた国会議員の一人は、「何百億円もかけて滑走路を移設し、ほとんど見つからなかったらどうするのか」と滑走路移設の効果に疑問を呈する。別の超党派の議員らは遺骨収容は「国の責任」と明記し、政府に対して今後10年の予算確保を求める議員立法を検討しており、今国会での成立を目指す。
 しかし、遺族は複雑な思いだ。硫黄島協会会長の寺本鐵朗さん(70)は父を硫黄島で亡くした。5歳の頃、母親から父親の骨つぼを見せてもらうと、中は砂が入っているだけだった。戦時中に滑走路を建設するため、米軍が遺体を重機でかき集めている写真を見たときには、怒りがわき上がった。「灼熱(しゃくねつ)の地で本土に帰るのを待っている人たちがいる。最後の一人が戻るまで、私たちはあきらめない」と語る。

 戦後70年が経過していますが、戦末期の激戦地となった硫黄島では、日本人死者の半数にあたる1万柱以上の遺骨が見つかっていないと言われ、戦後統治していたアメリカから返還されて50年近く経過しているものの遺骨収集はいっこうに進んでいません。

 日本の領域内にある硫黄島がこんな状態であれば、国外の東南アジアに眠ったままの遺骨収集はより困難をきわめ、戦死した旧日本兵の遺児は70歳以上になることと、硫黄島で生き残った生還者の数も少なくなり、政府に収集する気持ちがあるならば早急の対応が必要と思われます。

 地域を廻ると亡くなった人々の名前が話題となりますが、戦争で命を失った人の多くは20代の若者であり、計算上では戦死者の親は皆無となっているはずで、戦死者の遺児そのものが存在しなくなれば遺骨を収集しても供養する遺族が無くなります。

 我家でも戦死した伯父の遺骨は戻っていませんが、親族の中で伯父を知っている者は老人ホームに入っている叔父一人となっており、家内や息子たちは伯父の名前すら知りません。本来は戦死した伯父が我家を継いでいるはずで、本来ならば我家の当主におさまるはずだった人と考えると、多くの戦死者の子孫も真剣に遺骨収集を訴える必要性を実感させられます。

                 本日の体重 70、3キロ 徒歩数 8067歩
                                    3月22日の一言

庭中の花々が一斉に開花しており

 新聞記事によれば、名古屋市では今月の28日頃に桜が満開となる予想が発表されていますが、我が家のサクランボは昨日に満開となっており、午前中に咲きかけていたアンズの花は、帰宅時の夕方には4分咲きになっていました。

桜開花予想、東京は25日ごろ ウェザーニューズが発表

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玄関前の梅 満開です

 添付した梅の花は玄関前に2本と、裏庭に1本ありますが、それぞれが満開となっており、例年と変わらぬと思っていると、昨年のブログには3月4日に満開となった写真が添付してあり、今年は2週間ほど開花が遅れていました。

 現実には、昨日の夕方にサクランボの花が満開になったため、玄関の梅の花が気になって確認し、満開となっていることが判ったものの、気温の上昇により、我家の木々の全てが開花を始めたような印象です。

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事務所前のアンズ 午前中

 我家のアンズは長野県出身の知人からいただいたもので、30年前に現在の事務所を建設した際に、植木鉢から事務所前に移植しましたが、現在は2階の屋根まで達しており、名古屋駅と津島市を結ぶ県道沿いにあるため、桜と勘違いしている人が多いものの、遠くの人々からも話題として耳にすることがあり、地域の名物になりつつあります。

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サクランボの花 満開です

 サクランボについては、昨年の一言を見直すと、昨年は3月21日が満開となっており、その前年の満開は3月16日と記録されており、その前年は3月25日と、一週間程度の差はあるものの、ほぼ同じ時期に開花していることが判ります。

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アンズの可憐な花弁です 本日の午前中
この花弁が、3ヶ月後には下記のような見事な実となります。

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カジノ法案再提出へ、自民・維新・次世代 公明に反対論

 昨日の一言に、「東京五輪ですが、… 資金不足にスポーツ振興くじを利用するとの報には、いずれはカジノも認められていくようにも感じられ、財源を確保するためにはなりふり構わぬ嫌悪感も実感されます」と記しました。

 本日の新聞報道では、昨年末の衆院解散で廃案になった『カジノ解禁法案』を今国会に共同で再提出する方針を固めたとあり、目的のためにはあらゆる手段で国民から税収をはかり、ギャンブル依存症や治安対策など、国民の心配にも議論すらしないまま提出されそうな法案に全時代的な臭いを感ずる一日ともなりました。

                 本日の体重 70、3キロ 徒歩数 8203歩
                                    3月18日の一言

サクランボの花が満開です

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 本日は午前中から汗が吹き出るほどの暖かさとなり、上着を一枚減らしたものの汗は収まらず、強い日差しに顔がヒリヒリする一日となりました。添付した写真はサクランボの花で、帰宅時の夕暮れ時には満開となっていました。
 まるで一日にして開花してしまったようで、我家の看板になっている県道沿いのアンズの花も開花が始まっています。

ガソリン車、値上げの春 エコカー基準見直し直激
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 一方重量税は、車両の重さ0・5トンごとに金額が決まっている。例えばエコカー(1・5トン超~2トン)の新車購入時、区分が「免税」から「25%減税」に変わると5月以降は、2万2500円の税金がかかるようになる。
 契約をし、納車前にナンバープレートを取得する「登録」(軽自動車では届け出)の日付がいつになるかで、税額が決まる。
 ただ、メーカー各社は、新しい基準に合わせ、燃費を向上させた新型車の開発も進めている。新車の購入を検討している場合には、税額と合わせ、新型車の投入予定も確認した方がよさそうだ。

「国立」建て替えの財源確保へ スポーツくじ法改正検討

 2020年東京五輪の主会場となる新国立の立替には資材高騰などもあって見積もりの1625億円から大幅に増える見通しと言うが、超党派のスポーツ議員連盟麻生太郎会長)は18日に開く総会で、スポーツ振興くじを利用するため法律改正を考えていることが発信されています。
 安部首相が先頭にたって勇ましく獲得した東京五輪ですが、建築資金の高騰により施設の縮小がささやかれ、資金不足にスポーツ振興くじを利用するとの報には、いずれはカジノも認められていくようにも感じられ、財源を確保するためにはなりふり構わぬ嫌悪感も実感されます。

 一方で、車を買うときにかかる税金が見直され、この春、ガソリン車の大半が値上げになるとの報道には、エコカー減税の基準が変わるためと記されており、エコカーへの基準が変わることによりガソリン車が増税される手法には納得ができません。
 関連法案が年度内に成立すれば、4月には購入時にかかる自動車取得税が、5月には購入時と車検時にかかる自動車重量税が変更になる予定とも報道されており、消費税に限らず自公政権になってからは増税の嵐となっています。

 多くの国民が犠牲になった太平洋戦争の敗戦から70年が経過しましたが、国民から税金を吸い上げ続けて、平和憲法を見直し、戦争当事者になりうる可能性を秘めた危険な発信を続ける安部首相には、国民の安心とか子孫の安泰を願う親心は皆無としか思えません。
 本日のテレビニュースからも、沖縄の米軍基地や軍事演習から、中国との緊張感が高まりそうな報道が存在し、沖縄県民の民意を無視して、問答無用で辺野古移転を推し進める手法に異論も唱えられない国政に戦前の香りがしてなりません。
 
               本日の体重 70、2キロ 徒歩数 8468歩
                                    3月17日の一言

椿堂ゆかりの花の一瞬のはかなさに

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 四国の別格二十霊場椿堂さんからいただいてきた椿が花を咲かせました。一昨年の秋にいただいて開花を楽しみにしていた花ですが、開花してまもなく鳥に突付かれて落ちてしまったようで、あっけない幕切れになってしまいました。
 
四国椿堂ゆかりの椿を植え替えて  昨年6月の一言
                http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/48139675.html
 
 我家に椿堂さんの椿があるのは平成21年9月にご住職より「ご接待」として頂いた椿が最初で、綺麗なピンクの花を咲かせて家内のお気に入りになっていましたが、3年前の夏に枯らしてしまい、翌年の秋にいただいてきたのが添付した椿です。

イメージ 2 伝承によれば、平安時代の弘仁6年(815年)四国巡錫中の空海(弘法大師)が当時この地で熱病が流行しているのを聞き、杖をもってその邪気を地中に封じ込めたと伝わり、空海が立てた杖から椿が芽を出しやがて大木となったと言われています。その伝承により「椿堂」と呼ばれるようになったとあります。

 右に添付した写真は、最初にいただいてきた椿で、ピンクの白い花で、私は弘法大師ゆかりの花弁と色が違うため少しがっかりしたものの、家内はこの綺麗な花が大変気に入り、3年にわたって見事な花を咲かせておりましたが、夏に3日間家を空けたことから枯らしてしまいました。

 今回添付した赤い椿は、2年前の秋に再度いただいてきた椿で、1本は町内の真言宗のお寺にもらってもらい、たぶんピンクと思われるもう1本の椿(ツボミが付かないので判りません)とともに我家で伝承していきたいと思っています。

 さて、数日前の大雪が信じられないほど私の住む愛知県西部は暖かい一日となり、我家ではまもなく「サクランボ」が開花する予定で、サクランボが開花した一週間後には「アンズ」がピンク色の綺麗な花を咲かせていきます。

 今年は来月に統一地方選挙をひかえており、花をゆっくりと観賞する余裕はありませんが、我家の花たちは刻々と時間を刻み、自然と一体となってツボミを膨らませ、我家を彩ってくれます。

 本日は午前中に朝日新聞記者から「横井庄一」さんについて取材を受け、記念館の存続について問われ、高齢になっている婦人(館長)の年齢を考えると先送りは限界があり、私自身も本腰を入れて存続に取り組む必要性を感じました。

 「私が死んでからも30年は記念館を存続させたい」の一言は、私が夫人に常々語ってきた記念館の青写真で、「10年が一区切り」と閉館も覚悟していた夫人の言葉は、私が記念館に足を運ばなくなり、存続に無理強いをさせない配慮からの一言であったことを今晩の電話で聞き、夫人も恒久的に記念館を残すために、建物を建て替えるくらいの覚悟があることを確認しました。

 砲弾が飛び交うグアム島で生き残り、28年間も洞穴に潜んでいた横井さんの、「大鹿庄一」時代の苦難と、我家の先人たちの苦難から立ち上がった名誉のため、人の命の大切さを語り継いでいきたいと思う一日ともなりました。

               本日の体重 70、6キロ 徒歩数 5020歩
                                    3月13日の一言

自分の誕生日を忘れていました

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我家の玄関前のナンテン

 本日の夜になるまで、本日が自分の誕生日だったことを忘れており、思いついて一番にしたことが孫の携帯電話への発信でした。
 
 「誕生日には何をもらったのかな?」
 「僕の誕生日は終わったよ」
 「ケーキもらったかな?」
 「だから、誕生日じゃないから」
 
 5歳の孫に謎かけをしても、私の誕生日を知るはずもなく、私の誕生日と伝えても反応がなく、小さな孫がケーキを持ってきてくれるはずもありません。「おめでとう」と言われても、61歳にもなると誕生日が棺桶へのカウントダウンとしか思えず、何も変わらぬ一日が経過しました。
 
 さて、最近は意識しなくなりましたが、私の名前「一八」については、同級生たちは判っているため「いっぱち」とは言われないものの、街角では「いっぱちさん」と言われることも多く、少年時代は病院などの呼び出しで恥ずかしい思いをしていました。
 
 三重県の伊勢戦国時代村が開業した直後に訪れましたが、施設内の大衆演劇場で行われる時代劇に、タイコ持ちの「いっぱち」が登場し、思わず自分の分身のように思えて、チリ紙で包んだ10円玉を舞台に投げ入れていました。
 
 タイコ持ちの「いっぱち」については落語にも登場しますが、私の欠点が「タイコ持ち」になれないことで、人の機嫌をとるどころか、あえて嫌なことでも意識せぬまま話してしまい、宴席の雰囲気を盛り上げようとも考えたこともありません。
 
太鼓持ち. 【意味】 太鼓持ちとは、人にへつらい機嫌をとる者。宴席などに出て客の機嫌を取り、その席をとりもつことを職業とする男性。
幇間(ほうかん、たいこ)は、宴席やお座敷などの酒席において主や客の機嫌をとり、自ら芸を見せ、さらに芸者・舞妓を助けて場を盛り上げる職業。歴史的には男性の職業である。
 
 人にへつらい、機嫌をとる必要はないかもしれませんが、自分本位の性格を見直して、相手の立場を思いやれる性格なら、もっと人気者になっておれたかも知れず、せめて四国遍路の道中のように、誰にでも挨拶や言葉がかけられるようにしたいと思う一日にもなりました。61歳にもなって性格の見直しは遅すぎますが…
 
               本日の体重 72、5キロ 徒歩数 1254歩
                                    12月18日の一言

美味しいクッキーを貰ったことから…

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 親しい知人より届けていただいたクッキーです。健康に良い食材を使ったパン工房を運営しておられ、本日バターを探しに業務用販売店を訪れたものの入手ができなかったとの話に、作り手の苦労を感じさせられましたが、ただでさえバターや乳製品が高騰している中で食材にこだわる工房の運営の難しさも実感させられます。
 
 最近は間食を口にしないようにしていますが、写真に収めるため封を切ったことから、まずは自分が味見をしようとしていると、庭を掃除中の家内が機嫌悪そうに戻ってきました。
 
 
 庭一面に落ちた落葉を掃除中で、私は無関心で手伝わないために不機嫌なんですが、「これ、食べろよ」と差し出すと、「コーヒーを入れようか」と何もしていない私も休憩となりました。
 実は昨日から全く身体を動かしていないため、間食の節制が必要ですが、家庭円満が第一のため美味しくいただき、夜の書道会にも出してみようと思っています。
 
 さて、何もせずにボーとしていたために、何も家事を手伝わない私へ険悪な顔をしていた家内でしたが、駐車場で突然に出された甘いクッキーの効果は抜群で、コーヒーを飲んでから庭に出て花を眺める雰囲気になりました。(単純!!)

 
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 半月前にランナーの先に出ていたイチゴの新芽を鉢植えしたところ、時期ハズレの花が次々と咲き出し、僅かながらも実が熟すようになり、家内に言わせると春のイチゴより美味しい実も収穫できました。
 
 孫に食べさせるため、2年前に畑ではなく自宅の裏庭の植木鉢に植えたイチゴが親となり、次々とランナーが伸びたものの、そのまま放置してありましたが、冬が間近にせまった時期の移植も、空中ではなく豊富な水と栄養があることから、イチゴが季節を勘違いしているねかもしれません。いずれにしても、ペットと一緒で可愛がった分は確実に良くなりますね。

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 最後に添付したスミレは、春の花とは色違いですが、こちらも春に花を咲かせた後に伐採された片割れで、この花も品種が違うのか、時差ボケで咲いたのかは判りませんが、手をかければ一年中花が咲かせられそうと思う一日となりました。
 
                          本日の体重 72、7キロ
                                   12月2日の一言

渋くなっている先祖からの甘柿を収穫して

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ウイスキーのアルコールで渋みを抜くため収穫した我家の柿です
 
 この柿は我家に明治時代より残る柿の木から収穫した柿で、我家には甘く大きい父親の植えた柿が存在することと、最近では渋みがあることから、食べることもなく落ちるがままにされ、鳥が突付くだけでしかありませんでした。
 
 大正時代に我家で生活していたグアム島で発見された「横井庄一」さんの話では、この柿が当時の我家に3本あった柿の木で一番甘くて美味しい柿だったらしく、我家で昭和初期にあった小屋の火災によって幹の半分が焼け枯れており、私にとっては我家の歴史をとどめる貴重な遺産でもありました。
 
イメージ 2 「切っちゃったら」
 「何故に…」
 「渋くて食べないでしょう」
 「元々は一番甘かった柿だぞ」
 「木が半分腐っているじゃない」
 
 嫁いできた家内の目には、黒い幹を腐ったと思っていたようで、枯れかけの渋柿と思っていたらしく、こんな雑音を聞かないためにも、本日はウイスキーのアルコール分で渋みを抜くため収穫して箱に入れました。
 
 前期したように、私の少年時代には3本の柿の木があり、子供の頃には近所の子供たちが裏庭にあった屋根より大きな柿を取りに集まり、まだ青いうちから採ってしまうため曾祖母に竹で突付かれて怒られていました。
 
 その後、家の新築に伴い、当時一番甘かった柿の木が切られ、畑に数本の柿が植えられ、その後事務所の東側に3本が移植されていたものの、貸し店舗の建設によって駐車場になり、移植はしたものの全部枯れてしまいました。
 
 現在の我家には、庭のまん前に屋根より高い柿の木がありますが、これは父親がとりあえず植えたもので、「邪魔になるから切ってくれ」と言い残して他界したものの、親の遺産として残してあり、大きくタネのない甘い実が毎年熟しています。
 
 一方で、この柿の木の根元には、私が少年時代に飼っていた愛犬が眠っており、あたらな家族にとっては邪魔となる木々であっても、先祖が愛着を持って植えたものであり、何とかそのまま残しておいて欲しいものです。
 
 今まで渋柿を食べようと思ったこともありませんでしたが、先月宿泊した和歌山県九度山町の民宿で、渋柿を甘く処理した甘い柿が出され、その方法を聞いていたものの、昨晩に九度山町の柿農家の人がテレビ出演し、渋柿を甘くする方法を説明されていたため、早速に収穫して挑戦してみたしだいです。一週間後が楽しみになりました。
 
     本日の体重 73、3キロ(午後6時現在) 雨のため徒歩数約500歩
                                   11月9日の一言
                   夕食後の体重 74、1キロ
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