大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

シンプルライフ

孫が生まれて100日が経って


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孫が生まれて100日目となる百日膳


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孫と私に買ってこられたプリン

 12月18日は私の誕生日ですが、昨年のこの日に生まれた我家の孫の生後100日目が本日となり、赤飯や汁物とともに尾頭付きのタイが用意され、成長を祝いながら私の好物となるプリンも口にしたようです。

 孫の誕生を御嶽山の霊神場に願をかけていたところ、予定日とは1ケ月も違う私の誕生日に生まれたことは奇跡としか思えず、自分の分身のように思えてならず、4人の子供がありながら感じたことのない絆を感じてなりません。

 私の子供達にも百日膳は行ってきたようですが、私自身は全く記憶に残っておらず、家族が生まれて100日目を調べていたことにも驚きですが、100日が経過した時の経過の早さと同時に、これから起こりうる病気やケカなどを考えると、いつまで見守れるかと自分の長寿を祈ることになります。

 この百日膳は、赤ちゃんの成長を祝い「一生食べ物に困らないように」との願いを込めて行われ、「お食い初め」と呼ばれるそうで、そろそろ離乳食に入る時期に、大人並みの食膳を整えて食べる真似をさせることに意義があるそうです。

 さて、添付したプリンは、孫と私に買ってきたものですが、食べ物だけでなく我家の後継者として、私が大切にしてきた先祖からの伝承も孫が引き継いでくれることに期待しています。

佐川氏、証言拒否40回以上 何度も頭を下げつつ
記事の続き…
 ログイン前の続き改ざんを指示した人物、動機、改ざんをいつ知ったのか……。衆参両院での計約4時間にわたる証人喚問で、佐川氏は何度も頭を下げつつ「刑事訴追を受けるおそれがあるので、答弁を差し控えたい」として時に相手を見すえるような表情で証言を拒み続けた。委員会室が騒然となることもあった。
 証言を拒んだのは計40回以上。野党議員からの「書き換えに部下の方々が関わっている。何かメッセージはあるか」という質問にも「書き換えの有無に関わる話なので、答弁を控えたい」。「組織の長として申し訳ないぐらいの一言はないのか」「近畿財務局の方々にも一言ほしい」と向けられると、「理財局長として申し訳ないと思っている」と謝罪した。
 改ざんについては口を閉ざしたが、過去の国会答弁の正当性を問われると、陳謝に追われる場面もあった。
 佐川氏は昨年2月、森友学園との交渉記録について「確認したところ、記録はなかった」と答弁していた。一方、この日の証人喚問では「個別の事案について、きちんと確認をして答弁をしなかった」と証言した。
 共産党宮本岳志衆院議員が「どちらかがウソ」と突くと、佐川氏は「申し訳ありません」と神妙な面持ちで深々と頭を下げ「文書の取扱規則を確認したということで答弁をしてしまった」と釈明した。ヤジが飛び交うなか、佐川氏はその後も3回にわたって謝罪の言葉を口にした。
 佐川氏にとって約9カ月ぶりの国会となった証人喚問。「森友問題はなぜこんな大きな問題になったか」との問いには、少し間を置いてこう答えた。
 「本当に国会での議論がどんどん大きくなってて、その中で一緒に走っていたというのが私の実感です」

自民幹部「佐川氏の勝ち、昭恵氏呼ぶ必要ない」

 酷い話ですね。公文書の改ざんや、安部首相や夫人の関与について、国民の過半数が真実を求めている中で、国の最高府となる国会の証人喚問に「答弁を控えたい」と証人が繰り返し、何も真実が解明されない結果となったのに、直後に「佐川氏の勝ち、昭恵氏呼ぶ必要ない」と語った自民党幹部の発信は、国民の知る権利や民意をないがしろにする発言としか思えない。

 信念を持って真実を述べようとした前川文部次官を辞めさせ、私生活の恥部を暴いて悪者にしてしまった前例と、手前味噌であっても隠さず発言する森友学園の蓮池さんを、口封じとしか思えない鉄格子の中に封じ込める手法は、戦前の軍国主義の再来としか思えず、国民が主権とは思えません。

 孫にはこんな人たちのようにならず、正直に堂々とした大人になって欲しいものです。
              本日の体重 73、4キロ
                                    3月27日の一言

孫2人と家族でかっぱ寿司へ


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長女の孫と三男の孫と一緒にかっぱ寿司に行きました

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このまま仲良く成長して欲しいものです

 午前中から来客が続き、約束してあったスケジュールどおりに津島市内を行き来していると夕方になっていました。

 娘の家族と知多半島へ行楽に行っていた家内が帰り、夕食はかっぱ寿司に行くとの話に、明日は早朝より9人の人々を乗せて知多半島の巡礼に行くためと言うよりも、私は回転寿司が好きではないため留守番役と決めていましたが、三男夫婦も誘って我家の孫も一緒に連れて行くとの話から私も同行することにしました。

 2人の孫と、娘夫婦と三男夫婦と私と家内だけでなく、私の母親も一緒となる9人での回転寿司体験です。絶対に一緒に来ない長男はさておき、仕事から遅れて帰宅した次男も一緒ならもっと良かったですね。

 4人も子供があり、これまで子供連れで出かけたことはありますが、2人の孫と一緒に外出するのは初めての体験となり、7歳の孫が生後3ヶ月の孫を弟のようにあやす光景を見て、過去に体験したことのない喜びを感じました。

 私の周りで病気に苦しむ知人や、次々と伝わってくる訃報に囲まれて、こんな至極な家庭環境がいつまでも続くはずはありませんが、87歳の母親がひ孫を抱いて、三男夫婦が仕事中は私たちも子守役となる四世代の生活が一日も長く続くことを祈るばかりです。

 来週は孫の宮参りが予定されており、温かい春を心待ちにして、できることなら母親が元気なうちに孫と一緒に、子宝の願を賭けていた御嶽山の祖父の霊神場に立ち寄って、親子五代の顔合わせを実現したいと思います。

 人生の中で、なんとも思われない普通の光景ですが、私にとっては記憶に残る一日となりました。
                                  3月10日の一言

二人の孫と一緒のひととき


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私の初孫 ○○ま

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カインズホーム

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我家の孫 ○○ま

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私の相棒 リマ

 本日は横井庄一記念館を護る会の法務局へ登記する印鑑を依頼に名古屋駅まで出向いたついでに、娘のアパートに寄って学校から帰宅していた孫と、カインズホームでたい焼きやたこ焼きを食べました。

「○○まは何歳になったんだ」
     「7歳、今年8歳になるんだ」
「あと10年すると運転免許がとれるな」
     「うん、じいちゃんも乗せてあげるから」
「それならこの車をやるからな」
     「やったー、本当にくれるの」

 孫は無邪気なもので、平成14年登録の10年後には廃車されているような車でも無邪気に喜び、「それまでに死んでしまうかも知れないな」との言葉にも「何とか生きていようかな」という気持にさせてくれます。

 私は今年12月に65歳となり、年金受給者になりますが、私の父親が65歳になった直後にガンで亡くなっており、私自身も親よりは長生きするつもりですが、父親が亡くなった年齢はどうしても気になり、今年87歳になる母親にあやかれば幸いですが、娘の孫が成人する歳までは生き延びたいものです。

 最近になって、私より少し年齢が上だけの著名人の訃報が続き、自分にどれだけの寿命が残されているかと気弱になることが増えましたが、昨年12月18日の私の誕生日と同じ日に生まれてきた我家の孫の存在に、初孫が運転する車に我家の孫と一緒に乗せられて上高地や四国遍路に行ってみたいと思うようになりました。

 最近は自宅に帰れば孫が寝ており、自分の子供の子守もしたことが無かったのに当り前のように抱かされており、孫の成長とともに生活する楽しみを実感するとともに、この孫の存在によって先祖代々続いてきた我家が続き、娘の孫も横井庄一さんと血縁のある後継者として希望を担っていきます。

 子はカスガイと言いますが、孫も老人の生きる希望になることを実感です。

                                      3月5日の一言

お墓を考える 議会開会一日前の日曜日に


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富有柿です リマの大好物なので買ってきた柿です

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我家の旦那寺長福寺 津島市葉苅町
                          右側の石柱は叔父の寄進です

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我が家のお墓

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新家のお墓

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檀家なら誰でも入れるお墓
                           自分が入るため叔父が建立しましたが…

 添付した富有柿は、昨日訪れたスーパーに並べられていた柿で、我家の相棒リマの大好物のため購入してきましたが、冷凍と表示されていたものの、秋に収穫した柿とは思えないような見事な柿でした。

 さて、先週にお寺を訪れた際に、お墓に花がなかったと話したことから、本日は家内と花を買ってお寺に向かいました。

 我家のお墓は旦那寺にありますが、私の叔父が幼少時からお寺に預けられ、現在の住職がお寺に入られるまで家族でお寺を護っていたことから、私の父親がお寺のお墓の横に建立させてもらいました。

 この墓には、現在は私の父親と父親の祖母の2人しか納骨されていませんが、残された母親や私自身も含めて永代に渡って残されていくことを希望しています。
 我家から分家した新家のお墓も添付しましたが、新家の先祖はかつてこのお寺の住職を務めており、貧しいながら両家が支えあって現在に至った歴史もお墓から実感させられます。

 一番最後に添付した団信徒なら誰でも入れるお墓(納骨)は、娘2人を嫁がせて家の後継者のない叔父が、自分の入れるお墓として、檀家の人々と一緒に入れるお墓として建立しましたが、自分より先に頼りにしていた叔母が入るとは思っていなかったと思われます。
 自分のお墓にこだわるよりも、末代にわたってお寺で護ってもらえる叔父のお墓も発想が良かったですね。

「墓なんていらないと思ってた」弔い、慣習でなく自らで

 新聞にも葬儀やお墓についての発信がありましたが、大学を出てそれぞれが好きな場所や企業に就職すれば、親子でも家庭は別々となり、出身地の離れた孫やその子孫は親の実家には戻ってきません。

 我家は理不尽と思いましたが、私の進学についても長男だから家から通える大学と限定され、私も同じように東京の中央大学を卒業して遠くに就職する予定の長男を無理やり故郷に戻るようにしました。

 仕事よりも家庭と家族を優先しないと、先祖伝来の土地や家は維持できず、どこでも好きなように生活すれば、伴侶や子孫は実家に戻ってこず、親が急病になっても看病もできず、伴侶を亡くせば孤独な独居老人となってしまいます。

 個人の考え方ですが、学校を卒業して就職する場合には、親元に戻れる場所に就職するか、大企業でも親元に近い勤務地に配属するような配慮がないと、日本中の家や家族は崩壊してしまい、自分のルーツも判らない難民日本人ばかりになってしまうことと、国にも介護保険など大きな財政負担になることから、相続制度などと併せて国家的な改善が必要に思われます。

           本日の体重 73、3キロ 徒歩数 2275歩 間食あり
                                    2月25日の一言

何だか大変な一日となり


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えっ? このバンドエイドが…

 本日鳥カゴの扉を開けたものの、普段は素直に私の手でカゴを出す「ヒー」が落ち着かず、「サブロー」が飛んでいっても、カゴの中で暴れており、やっとつかんで出したものの、クチバシを開けて呼吸しているのでそのまま鳥カゴに戻しました。

 「ヒー」の場合は、私の着ている衣服を替えるだけで暴れ、そんな時は衣服をお気に入りに戻しても手には乗ってきませんが、昨日までと一変する暴れ方に原因が判らず、無理やり出したものの…

 原因は私の親指に貼ったバンドエイドで、たったこれだけのことで怖がって近寄りません。
 もっとも、夕暮れ時に「ヒーちゃん」と呼ぶと、「チュン、チュン」と元気に鳴き、他の4羽も競って鳴いていたため何事もありませんが、衣類の色や環境の変化など野生の小鳥との共存は難しいものがありますね。

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市内の養護老人ホーム

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お雛様が飾られていました

「病院まで乗せていってもらえないかな?」
    「何時のことですか?」
「今からだけど…」
    「えっ、今からなの…」

 早朝にけたたましく鳴る電話に出ると、朝の散歩中に具合が悪くなったとの話ですが、近くの病院ではなく名古屋市内まで走るため、顔を洗って着替えてから8時前に出向く約束をしてトイレに行っていると、待てないので自分の車で行くと連絡がありました。

 福祉有償運送や福祉タクシーの営業はしているものの、本日は家内が往復の予約を受けた人が既に3人あり、一人は名古屋市内の病院まで走るので、私自身が午前中の約束を延期する電話をかけて出発しようと考えた直後の断りに、「本当に悪いなら救急車を頼んでよ」とか、「自分で運転して行けるなら7時前から電話をかけるなよ」と心中で呟いていました。

 対象者は心臓疾患でそのまま入院となり、乗って行った車を家族が引き取りに行ったとの話ですが、突然の発病や異変はあるものの、突然の依頼は一般のタクシーを呼ぶべきで、ボランティアの看板をあげて低額で運行している我々を頼られても限界があります。それよりも心臓疾患で入院となった患者が、自分で車を運転していく判断にびっくりですし、それよりも方法が無い現実はなんともなりません。

 それでも依頼に応えられなかった反省をしていると、近所の人が美容院に連れて行って欲しいと訪れ、目的地に到着するとお店は更地になっており、市内を走ってやっと新しい移転先に到着すると「これ」と千円札を出されました。「こんなに貰うわけにはいかない」と半額を返して、「オレは500円の男」かと自問自答です。

 そして、午後になって午前中に約束してあった叔父の老人ホームを訪れていると、知人から次々と連絡が入り、ホームに近い珈琲屋さんで待ち合わせるも随分と待たせることになり、市内の目的地に立ち寄って帰宅すると…
 息子の接骨院に来ていた知人が待っており、送り届けると一日の仕事が終りました。
 家内は午前中から市内と名古屋市の病院を送迎し、3人目は他のボランティアに依頼したものの、朝8時30分から午後6時まで外出したままでした。名古屋市内に送迎した女性の病気は深刻で、他の病院に転院して手術を受けることになりますが、若いものの女性の独り暮らしで、精神的動揺が激しく、診察後も看護師さんが付き添っていたものの、精神的ケアができないと手術を受けても改善しないとの話でした。送迎だけでなく、家内が相談役に期待されて離れられない現実もなんともなりません。

 明日も家内は市内2人と、名古屋市まで車イスの患者さんを運び、私は一人だけの移送ですが、知人と遊びが約束してあり、我家は家内が居ないと廻っていかず、仕事のある三男夫婦の孫の世話は87歳になる私の母親の仕事と化しています。

          本日の体重 72、9キロ 徒歩数 1908歩 間食あり
                                   2月22日の一言

三連休は無気力に座ったままに


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 三連休である楽しみは何も無く、何もせずに気力もないままに3日間が過ぎ、何か目標を考えないと身体も衰えてしまいそうな生活になっており、明日からも目標もないままに寒さに耐える一週間になりそうです。

 国の奨学金を返せず自己破産するケースが、借りた本人だけでなく親族にも広がっていると報道されている。
 進学時に貸与される奨学金は、担保や審査はなく、卒業から20年以内に分割で返す制度に無理があるとは思えないが、16年度末現在、410万人が返している中で、過去5年間で1万5千人の奨学金破産があるとの記事にはびっくりである。

奨学金破産、過去5年で延べ1万5千人 親子連鎖広がる

奨学金、進む回収強化 「あきらめればモラルハザード」

 最近の新聞報道の傾向では、奨学金を返せないと言うよりも、返さない対象者にも同情する記事を目にしますが、私からすれば返さなければ自己破産という選択も安直なら、奨学金が返せないようなら最初から夜間の2部に進むか、働いて学費を稼いでから入学すべきで、それが出来ない結果の自己破産は同情どころか許されるべきではありません。

 私自身は大学入学直後から始めた名鉄系の観光バスの添乗員で貰うアルバイト料が、名鉄に勤める父親の給料より高かったため、一年が経過した頃から就職せず起業する道を考えるようになり、独立するためには綺麗な旅行社だけではなく、人の嫌がる清掃業のアルバイトも経験しました。

 誰もが就職もしないで起業することは不可能と言っていましたが、私の独立心の高さを知った朝日新聞名古屋本社販売部の幹部から、「販売店を経営しないか」とスカウトされ、新聞配達もしたことのない私は大学3年の時に、「卒業はさせる」との約束で独立しました。
 もっとも、休みのない仕事ゆえに家族は大反対でしたが、休みは人を雇えば作れますし、利益追求を目的にしなければ、労働時間も短く苦痛にはなりませんでした。

 そして、父親が居ないためアルバイトをしていた高校生を、朝日新聞の奨学金制度によって大学に進学させたこともあり、借金を背負ったため会社の出勤前に配達に来た人を雇用していたこともあります。


 借金をすれば返すのは当り前で、法によって認められているとは言え、総ての借金を無にする自己破産は許されるものではなく、ましてや国民の税金から捻出された奨学金を返せず破産するのは許されるべきとは思いません。
 そして、苦労して大学に進んだ人や、アルバイトをしながら難関な国家資格に合格した人も多く存在することを知らせる必要もあります。

 人生は突然の事故や苦難に陥ることもありますが、奨学金は真面目に働けば返せない金額ではなく、返そうとする責任感があれば破産は考えられず、厳しいように思えても返さない者や、自分の子供の奨学金も返そうとしない保護者の責任は免れません。

             本日の体重 72、6キロ

                                     2月12日の一言


連日各地のお寺から便りが届いて


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 毎年の繰り返しとなりましたが、京都の大原にある「宝泉院」から節分会のお札と福豆が届けられてきます。一年に一度の便りとなりますが、年賀状も返礼も出さない無礼な私を忘れずに届けていただけることには感謝するしかありません。

 そして、この一言にも12年前から毎年記してきましたが、同じことの繰り返しとしか思えない慣例にも、私の生活環境と年齢を重ねたことで微妙な違いを感じることから、ブログを日記がわりに読み直してみました。






 私は最近でこそ「四国」と「上高地」と語っていますが、元々は京都が大好きで新婚旅行も京都駅で降りて都ホテルに宿泊したくらいで、明石家さんまさんが本名で司会をしていた京都花月にも足を運んでいました。

 それから40年の歳月が経過し、何度も訪れることによる馴染みのお店や立ち寄る居場所もできましたが、最近はそういった居場所の世代交代にも遭遇するようになっており、宝泉院から届けられたお札と福豆についても、ご住職との関係が末永く続くように願いたいものです。

 偶然ですが、本日にご住職の縁続きとなる知人が訪れ、昼食とコーヒータイムに懐かしい話と、こういったご縁で人々が東京から一緒に仙台や山形まで足を延ばす交遊関係の話となりましたが、以前の私なら「自分が運転して」と言ってしまいそうな一言を口ごもりました。


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 「おじいちゃん、はい」と言われて、慌ててマスクをしてから孫を抱きかかえて、泣かずに黙って寝てくれるように祈りながら、引き取りに来てくれるまでひたすら孫とともに座っていると30分や1時間はあっという間に過ぎ去っていきます。

 こんな孫との時間が永く続くことも祈願します。

                  本日の体重 72、5キロ 
                                     2月5日の一言

孫の誕生から1ケ月が経って


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本日の私と孫です

 孫が生まれて早くも1ケ月が経過し、最近は声や光に反応して目で追うようになっており、赤ちゃんの成長の速さと、10年一昔と言いますが、年齢を重ねたことによる時間の経過の早さを実感させられています。

1ケ月前
1年前
2年前

 1年前にも体重増からウォーキングに出ており、2年前に車検整備を受けた平成1年登録の愛車を引き取りに行っていますが、明日に満30歳になった愛車を受け取りに行くことから、毎年同じ繰り返しを行っていることが判ります。

5年前
10年前
本日は大阪七福神へ 2008/1/18

 さて、本日は近所に住む同級生の母親の葬儀に参列してきましたが、10年前に大阪まで出向いたメンバーのうち3名が鬼籍に入っており、我が身に置き換えると10年後はどうなってるか判りません。

 平成16年2月から毎日の一言を記すようになりましたが、過去に記した記載に反する書き込みはしたくないため、読み直すことも多くなりましたが、1ケ月前に誕生した孫の成長をいつまで発信し続けることができたら幸いです。

私の記した過去の一言集 https://blogs.yahoo.co.jp/s281218/folder/1016959.html

 毎日記していることから、自分の体重管理についても比較ができ、1年前にも年末年始に体重増になり、4月の上高地開山式までに減量した記録が残り、しばらく節制して3キロの減量に挑戦していきます。

            本日の体重 74、5キロ 徒歩数 3887歩 間食あり
                                     1月18日の一言

過去の不思議な出来事について


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本日届いた孫とキンカチョウのヒナです

 昨年末の私の誕生日に三男の子供が生まれ、その奇縁に驚かされていますが、一年前に三男は子供どころか結婚もしておらず、私の父親が65歳で他界しており、私も今年にはその歳になるため、「何とか大鹿家の後継者を」と御嶽山の祖父の霊神碑に願をかけてきました。


 『祖父の霊があれば幸いですが、あると信じて無言の石碑に語りかけるものの、全く無反応で、頼って語りかける祖父の享年を上回った自身の現実を考えると、死ぬ前に一度は神の声か心霊的な祖父の言霊を聞きたいと思っています。』 昨年4月24日の一言


 上高地のボランティアを続けている間は、帰路に祖父の石碑の前にたち、祖父の言霊を聞くまで訪問を続けたいと思っています。 

 昨年は4月から11月まで上高地のパークボランティアに出かける際に、必ず木曽福島経由で御嶽山の霊神場を訪れており、祖父の碑に心経を唱えて後継者の願をかけていると三男に子宝ができ、今度は五体満足な赤ちゃん誕生を祈願していると、予定より早い私の誕生日に孫が誕生してきました。

 他人から見れば偶然の一致でしかないでしょうが、実は10年前にも私の娘が名古屋の国立病院医師から「子供が産めない」と断言に近い言葉と同時に、「最悪の場合は子宮の摘出を考えた方が…」との絶望的な所見を聞いてきたため、四国遍路で願をかけて巡拝し、箸蔵寺では「健康な子供を授かるように」と護摩祈願を依頼し、不思議な体験の後に翌年孫が誕生しました。

5年前に名古屋の国立病院で「もう子供はできませんよ」と医師から宣言された娘のため、直後に四国遍路で願をかけて参拝し、箸蔵寺では護摩祈願を依頼しましたが、このとき私は納経帳をお寺に忘れて帰り、不思議なことは忘れた納経帳が参拝していない護摩堂に忘れてあったとの不思議な体験と、その2ヵ月後に妊娠が確認され、翌年に孫が生まれるという因縁があったからです。


 当時は娘たちのプライバシーもあって、この一言にも詳細は残していませんが、護摩祈願をお願いした箸蔵寺に納経帳を忘れ、忘れてきた納経帳が参拝しなかった護摩堂に忘れてあったとの話から同行したメンバーもびっくりして引き返しました。

本日は、失敗が多く、別格の箸蔵寺へ朱印帳を忘れ、一時間かけて取りに戻るハプニングとなりました。主人に忘れられた朱印帳は、主人も乗らなかったロープウェイで下まで戻ってきました。

 箸蔵寺に置き忘れた納経帳が、参拝していない階段の上の護摩堂に飛んで行くことはありませんから、忘れ物を誰かが置いてくれたと思いますが、病気治癒を依頼した護摩木を祈願する護摩堂にあったことと、その後の妊娠を考えるとびっくりの出来事になりました。

 国立病院の医師が「子供は産めない」と診断した直後の妊娠と翌年の孫の誕生は、四国遍路に同行していた仲間だけでなく、愛知県の医療関係者にも伝え、この不思議な出来事によって誕生した私の孫は、後に箸蔵寺のご住職の推薦で「子供先達」にもなりました。

 孫は8歳になっており、同行した人々の記憶だけでなく、私自身の記憶や年月も判らなくなるため、結果論ですが過去の一言を読み直し、総てを添付することはできませんが、四国遍路で祈願した娘の病気治癒と初孫の誕生に、昨年御嶽山霊神場に願をかけていた我家の孫誕生を記載しました。

 昨年の一言に「五感を研ぎ澄ませると」と記しましたが、御嶽山で真言を唱えている間に親族の騒々しい胸騒ぎ感じ、親族に電話をかけまくった結果、複数の重大問題が起こっていることも判りました。これは勘と言うか、大六感と言うのかは判りませんが、平成16年4月29日に吉野蔵王堂で体感した不思議体験とあわせて記録に残したいと思っています。

昼食だから早く… 平成16年4月29日の一言


            本日の体重 74、1キロ 徒歩数 2533歩 間食あり
                                      1月17日の一言

恩師から頂いた新年の色紙


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恩師からいただいた今年の色紙です

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平成10年11月の朝日新聞記事

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随分と大きく報道されました

 毎年の繰り返しとなりますが、我家の2階で開催されている書道会「神守丈友会」の恩師からメンバーに新年の色紙が手渡され、私には「一攫千金」と揮毫されていましたが、私には無縁の夢物語になりそうです。

 神守丈友会は平成6年秋に開始し、当初は私の中学時代の恩師長谷川丈夫先生に無償で指導をお願いし、参加者は会費を積み立ててそのお金で旅行を楽しむこととして、自分の名前を毛筆で書ける程度の遊び感覚でスタートしました。

 3年後から恩師の後輩となり、同じく私の中学時代の恩師となる後藤毅先生に指導が変わり、毎年市内で書道展を開催するようになり、何度も新聞記事として取り上げられ、一時は観光バスを利用する日帰り旅行も企画しました。

 数年前に書道展の会場にしていた建物が解体され、人数も以前より減少したものの、一年に一度の一泊旅行と慰安会は続けており、毎週火曜日の夜には休むことなく書道会を続けてきました。




 スタートした直後は20年以上続くとも思っておらず、恩師の長谷川先生は鬼籍に入られ、後藤先生も胃ガンの手術を受けられており、メンバーの中から2名が亡くなって高齢化してきました。

 添付した平成10年の新聞記事は、中学の後輩で事故により全盲となったメンバーについて大きく扱われたもので、書道展の開催や旅行について新聞や中学校の同窓会報などで何度も紹介もされました。

 さて、恩師も高齢となり、メンバーも減少しており、書道会に明るい話題はありませんが、私自身は我家の2階で開催されているため忙しくても参加でき、上達はしていないものの「下手な書を出せ」と言われて現在も展覧会に出展しています。今年は今一度気合を入れなおして精進したいと思います。

            本日の体重 73、6キロ 徒歩数 3619歩 間食あり
                                     1月12日の一言

孫と孫の初顔合わせ


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 昨年12月18日の私の誕生日に生まれた我家の孫のもとに、先週土曜日に私にとっては初孫で現在8歳となった孫(娘の長男)と一緒に訪れ、孫と孫の初対面に立ち会いました。

 我家にとっては後継を担う待望の孫の誕生ですが、8歳になった孫とは上高地だけでなく、四国遍路や高野山まで一緒に出向き、3年前には四国別格ニ十霊場会の子供先達に推薦されるなど、私の想いに随分とつき合わせており、2人を見比べると頼もしく、できることならあと10年間生き抜いて孫の運転する車で四国や高野山に連れて行ってもらいたいと考えています。

「おい、2人だけで冒険に行こうか」
      「ママが良いと言うかなぁ」
「おい、ジーちゃんも一緒に泊めてくれるか」
      「ママに聞かないと…」

 こんな口癖で言い続けていますが、もう少し大きくなるとそんな日がやってくるのかも知れません。

 さて、我が子を風呂に入れたりオムツを替えた経験もありませんが、孫が我が子のように感じられ、何かをしてあげたいと思っても何もできず、顔を見ているだけで時間が経過していきます。
 そして、自分の子供では感じたことがない、こんな小さな赤ちゃんが大人になるまで何事もなく成長できるか心配となり、元気に成長してもらいたいと願います。

赤ちゃん支える「授乳クッション」 成長に応じ変幻自在

 私の子供の頃は勿論ですが、私の長男の頃もオムツは布製だったものが、最近は子育てに必要な品々がひじょうに便利になり、母親の負担も随分と軽減されておることから、子育てをしたことのない私でも何とかなりそうなものの、大事な孫に風邪をうつしてもいけないため距離をとって見守るしかない毎日です。

            本日の体重 74、5キロ 徒歩数 3115歩 間食なし
                                      1月10日の一言

箱根駅伝を記念するビールをいただき


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今年の箱根駅伝を記念するビール

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応援の手旗

 箱根駅伝で活躍した選手のお父さんより記念のビールと手旗をいただき、数年前に活躍した地元の神野大地選手の快走を思い出すとともに、我家のタンスにしまわれていた箱根駅伝関係者用のジャンパーと帽子を取り出したところ、20年の年月が経過していることにびっくりさせられました。


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20年前のジャンパーと帽子

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第74回の記名がありました

 この帽子とジャンパーは平成10年の箱根駅伝に関係者が使用していたもので、中央大学の陸上部に在籍した私の長男が持ち帰ったものです。

 私の長男は駅伝ではなく走り高跳びの選手で、当時の監督から「オリンピック選手に育てたい」と言われて入学し、陸上雑誌にも進路が掲載される有望選手でしたが、入学当初に足を痛めて手術を受け、周りは再起に期待していたものの、頑張っても日本一にはなれないと競技に復帰することはありませんでした。

 当時の中央大学の駅伝チームは優勝を狙える有力チームで、長男の高校の一年後輩となる花田選手も箱根で活躍し、私自身も朝日新聞社の主催する名古屋と伊勢を結ぶ大学駅伝などに主催者側の準備に借り出されていたこともあり、中大の応援に大声を出して声援を送っていました。懐かしい昔話です。

 懐かしいとともに、陸上の長男に続き、次男も大学時代に相撲でテレビに放映されたことや、歳の離れた三男が自転車競技で全国を転戦していた頃から10年ほど経過しており、子供たちの応援にいくこともなくなった寂しさも実感させられます。

 本日は、午後から先月私の誕生日に生まれた孫が寝かされており、何もできませんが孫の姿を見ながら、この子が成長して応援に行けるまで生きておられたらと寂しい発想しか出てきません。久しぶりに子供の活躍する20年前を思い起こす一日となりました。

                                   1月5日の一言

謹賀新年

 明けまして
      おめでとうございます

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本年も宜しくお願いいたします

                    
平成30年元旦



新たな健康管理を指導されて


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本日の夕暮れ 市内葉苅町

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管理栄養士さんにいただいた絵手紙

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左は私へのノルマ 右は私に代わって家内へ

 今月になって体重が増加し、10月には一時的としても70キロを切った体重が74キロ台に突入し、ここらで持ちこたえないと年末年始に更なる体重増が予測されることから、本日は管理栄養士さんの指導を受けてきました。

 ウォーキングの目的地としていた珈琲店の営業時間が夜7時から6時に短縮され、これまで午後5時以降に歩き始めていた時間が早くなり、5時以前では仕事と重なるため最近は車で行くようになっていました。

 今週になって74キロを超えたため、3日前からウォーキングを再開させ、本日は時間が無かったことから珈琲店に降ろしてもらい、片道だけでもと帰り道を歩いてきました。

 2ヵ月先の指導日までのノルマと言うよりも、私自身の宣言してきたことは、週3回のウォーキングの際に電柱5本分(約300メートル)はゆっくり走る(早歩き)ことと、ボーリングと野球のバッティングセンターへ一週間おきに出向き、我家に積んだままにしてある卓球台を出すとともに、三男の接骨院で股関節を柔らかくするストレッチを行うことを決めてきました。

 3年前にウォーキングと野菜摂取に、炭酸飲料と珈琲店のサービスとなるシュークリームを食べないことで10キロの減量に成功したものの、最近はタガが緩んで間食が止まらず、食事も量が増えているため、運動量を増やすことで減量に挑戦です。

 歩く事は全く苦になりませんが、股関節や身体の柔軟性がないため、歩く事で腰に負担が増え、腰の痛みも歩く障壁となるため、しばらくはストレッチで身体を柔らかくしたいと考えています。

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昨晩の我家の駐車場 救急車と消防車が来てくれました

 昨晩は家内が倒れて救急車で救急外来に運ばれましたが、意識を失って倒れたのか、倒れて頭を打って意識を無くしたのか本人に自覚が無く、幸いにして血管や脳には異常がなく、入院するには至らず本日に脳外科の診察を受けてきました。

 ブログを運営している癖で、こんな絶好な添付材料は無いと携帯カメラのシャツターを押したい心境を、一生懸命応急処置をしてくれる救急隊員の姿を見て封印していましたが、家内とともに私が同乗した救急車を三男が一枚だけ写真に収めていました。


 さて、2年前に母親が救急車で運ばれた際には、リアルに写真に残して発信しており、救急車に乗ると病院から帰ってこれなくなるため、後から車で追いかけており、親と家内を天秤にかけてはいけませんが、この一言が貴重な記録として残されていました。

 ちなみに、本日の体重は73、8キロですが、2年前には71、0キロと記録されており、毎日の書き込みが自身の反省ともなりました。

            本日の体重 73、8キロ 徒歩数 5909歩 間食あり
                                    12月15日の一言

安倍延命のため、国民不在の衆議院選挙を控えて

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我家の畑で多くの実をつけたミカン「はるみ」

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我家のアマガエル

 身勝手な解散と突然の選挙によって、予め予定されていた各地の行事の多くが中止に追い込まれていますが、解散選挙の争点に安倍首相が掲げている北朝鮮の核の脅威についても、安倍首相自身が北朝鮮と敵対する発言を国連で行っており、小泉首相のように北朝鮮首脳と対話するとか、アメリカとの間にたって対話を呼びかければ、日本が核の危険にさらされる危険性は回避されたと思われ、政権維持のために国民を危険にさらす安倍首相の早期退陣を求めたいと思います。

権力ゲームになった政治こそ「国難」 高村薫氏が指摘
記事の続き…
ログイン前の続き解散にまともな理由を求めるのはむなしいといっても、臨時国会冒頭の所信表明演説や代表質問さえ行われなかったのは、議会制民主主義政治の否定そのものです。安倍政権のこの政治姿勢は厳しく問われなければなりません。
 この解散は、政権にとって不都合な懸案への追及をかわしたいよこしまな意図と、野党の混乱と弱体化につけこんだ先手必勝の計略があまりに露骨です。さすがの有権者も白けるほかありませんが、政治がここまで平然と権力ゲームに血道を上げるだけの代物になってしまった現状こそ、「国難」と呼ぶべきです。
 もちろん、近代の政治が、国民の多様な価値観や意見を集約・調整して、正しく公共の精神を体現するものであったかどうかは、疑問です。資本主義と金融経済が、国民の幸福という漠とした目標を蹴散らしてしまったいま、政治家は利益誘導と権力ゲーム以外の存在理由をもちません。
 しかも、こうした政治家の行動原理は日本に限ったことではなく、アメリカをはじめ世界で見られるようになっています。自国ファーストを掲げる一方、それが引き起こす利害の衝突や矛盾、虚偽、欺瞞(ぎまん)への目配りはないのです。
 日本でも、安倍晋三首相の手前勝手な個人的歴史観に基づいて、教育基本法改正、国民投票法、特定秘密保護法、安全保障関連法、そして「共謀罪」の趣旨を盛り込んだ改正組織犯罪処罰法が次々に成立、施行されました。
 戦後の出発点において、日本は侵略と敗戦の「戦争責任」をきちんと総括できませんでした。その結果、私たちは戦前と戦後の歴史を確定することができないまま、勝手な歴史解釈の横行を許しているのです。安倍政権はもちろん、衆院解散を機に新党を立ち上げた小池百合子都知事も、清新な装いの下は、筋金入りの右派の中の右派です。
 300万人を死なせた戦争の総括すらできなかった国に、まともな政治を望むこと自体、むなしいということかもしれませんが、それをかみしめている政治家が、この国にどれほどいるでしょうか。
 新党「希望の党」に、野党第1党の民進党の大半が吸収されてしまい、リベラルな有権者はいよいよ選択肢を狭められることになりました。自己保身のために政治信条を曲げてでも新党に駆け込んだ政治家たちを、笑っている場合ではありません。
 教育勅語を否定しない安倍首相と、これまでも権力ゲームに興じ続けてきた小池都知事の一騎打ちとなった選挙に、私は心底、青ざめています。リベラル新党に希望をつなぐことになるのでしょうか。

 添付した作家の高村薫(64)の記事中に、安倍晋三首相の手前勝手な個人的歴史観に基づいて(添付記事太字)とありますが、こんな危険な首相に軍隊を文民統制されたら、国民は大変な危険と隣り合わせになり、時代に逆行していきます。

 日本国内で人が人を殺しあう時代は、戦国時代から豊臣秀吉によって全国統一され、徳川300年で国内が安定したものの、明治、大正、昭和の軍国主義によって国土が焼き払われ多くの犠牲者を出し、不戦の誓いを立てて平和国家を目指してきました。

 人が人と殺しあう動物の延長から、国の安定によって殺人が否定され、隣国との平和外交によって、人は行きたい場所にどこでも自由に行動できる可能性ができましたが、安部首相の登場によって国民の主権が、政治指導者の意のままに命令されて生活するような雰囲気となってきました。

 そして、安倍政権打倒を旗印にした野党の選挙公約も、安部首相とほとんど変わらず、選挙後は連立か連携する可能性も考えると、国民の選択肢は限定され、選挙区出身の候補者もいないとなると投票する対象者は見当たりません。

 地方とは言え、私自身も政治で生計を立てておりますが、政治が頑張ばれば頑張るほど税金が高くなり、公共料金も負担が増えていく現状と、身勝手に海外支援する安倍政権や自民党によって、国の借金や財政再建の名のもとに国民年金が減らされ、支給年齢を引き上げる動きには、名古屋市の河村市長の主張する議員報酬削減と、減税を訴える動きは貴重な存在です。

 「誰に投票したら良いの」とか、「今の衆議院議員の名前は何か」と問われても、何も応えられない衆議院選挙がまもなく始まります。

            本日の体重 71、8キロ 徒歩数 2073歩 間食あり
                                     10月8日の一言

雑草も私にとっては貴重品です

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水田に生える雑草 家内の話ではヒエとのことです


 水田の稲に稲穂が出てきましたが、雑草も稲よりも大きく成長しており、水田の草取りは家内任せのため、写真に収めても何かが判りませんが、家内の話ではヒエとのことで、生えていれば抜かれてしまいます。
 
 ただし、最近では小鳥のエサとして私が散歩中に採ってきますが、我家の3羽は怖がって近寄らず、ヒーとサブは慣れてはきたものの、食べてはくれません。

 このヒエとかアワは日本ではかつて重要な主食穀物であったようですが昭和になり米の増産に成功した事で消費と栽培が廃れ、現代の日本では小鳥の餌など飼料用としての利用されているとのことです。
 最近では人間にも健康食品として貴重な食材になっているようです。

 さて、明日から市議会一般質問が始まりますが、来週の週末は上高地のボランティアと夏のイベントの反省会となる定例会が開催されるため、玄関や庭の樹木の剪定と言うよりも伐採を日延べできずに、強い西日を受けて脚立の上で頑張りました。

 還暦を過ぎた身体には脚立の上に立つのは辛く、ハシゴにしがみついて高枝切りばさみを使った作業ですが、右手の握力が無くなり、両手の剪定ばさみでは高所の枝は刻めず、1ケ月かけて少しづつ剪定することになりました。

             本日の体重 72、8キロ 徒歩数 3754歩 間食なし
                                       9月3日の一言

議会一般質問の通告が終って

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 津島警察署から申請してあった通行禁止と駐車禁止を除外する許可証が愛知県公安委員会から届きました。
 この除外証により、愛知県内では駐車禁止になっている道路への駐車や、時間によって通行が禁止されている道路等の通行が可能となりますが、名古屋市内の中心部でも安心して車を駐車して離れることができます。

 これまで時間指定で通行が禁止されている学校周辺の人から依頼があっても、その時間の通行ができませんでしたが、これによって何時でも必要な時に目的地へ走っていくことも可能となります。

 ただし、どこに停めても駐車禁止にならないと言っても、駐停車禁止地域への駐車はできません。
    駐停車禁止の場所
・踏切とその端から前後10メートル以内の場所
・交差点とその端から5メートル以内の場所
・横断歩道や自転車横断帯とその端から前後5メートル以内の場所
・軌道敷内
・坂の頂上付近や勾配の急な坂
・トンネル(車両通行帯があっても、なくても)
・坂の頂上付近や勾配の急な坂(上りも、下りも)
・バスや路面電車の停留所の標示板(標示柱)から10メートル以内の場所(運行時間中に限る)
・安全地帯の左側とその前後10メートル以内の場所

 9月議会の一般質問通告書の提出が終り、今議会には14人の議員が質問通告書を提出しましたが、私の登壇は13番目となり、3日間の登壇となるのか、2日間で終わってしまうのか微妙な人数です。

9月議会 私の一般質問
1件目 津島市の道路計画や都市計画について
  要旨1 県道名古屋津島線バイパス線の進捗状況と今後の計画について
  要旨2 東海北陸自動車道南伸や地下鉄等、過去の議会答弁後の対応について

2件目 津島市の公衆トイレの現状と計画について
  要旨1 駅周辺と街づくりの中でのトイレの存在について
  要旨2 公衆トイレのバリアフリー化について

           本日の体重 71、5キロ 徒歩数 4132歩 間食なし
                                     8月29日の一言 

ボランティア関連で一日が終って

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安全運転管理者講習通知書と申請書

 添付した申請書は、愛知県公安委員会が主催する安全運転管理者講習の通知書と申請書ですが、福祉有償運送で使用する車輌が5台以上あるため、この資格か国土交通省の運行管理責任者の資格がないと運行ができません。毎年の受講が必要です。

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患者等搬送乗務員講習受講申請書

 添付した申請書は、患者等搬送乗務員講習受講申請書ですが、この資格は民間救急隊員と言う人もありますが、急病人や患者さんを安全に搬送するために、愛知県消防長会が主催する講習で、2年ごとに受講が必要です。

 本日16日は毎年京都の五山送り火の鑑賞に訪れており、午後には京都に出発する予定を立てていたものの、午後に福祉有償運送の依頼があったことから、家内だけボランティアに出動させ、自分だけ知人たちと京都に出かける雰囲気ではなく何事も無かったかのように断念しました。

 福祉有償運送は、ボランティアの自家用車で通院や買い物に移送するサービスですが、最初は通院する足がなく困って依頼されるものの、会員になると当り前の足代わりとして利用する人も存在し、休日やお盆も関係なく依頼されるとボランティアの私生活は大きな影響を受けます。

 そして、何よりもこのボランティア活動を維持するために、運輸局をはじめとして法務局や愛知県に出向きますが、私が倒れたら代わりとなって対応できる人材がおらず、国の法改正もあることから私の不在を想定して運営できる体制への改善は急務となっています。

 さて、半月前から、携帯電話に保存してあった鶴田浩二さんの「着うた・メロデー」が消えており、毎日耳にしていた着信音が聞こえなくなっていましたが、過去に使用していた携帯電話を復活させて「着うた」3本を取り出しました。
 久しぶりに鶴田浩二さんの唄声が聞けるようになり、こんなことでも少しはストレスが無くなりそうですね。
                                    8月16日の一言

本日も田んぼの草刈りに…

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我家の万能車(ライトエース)に草刈機を積んで出発です


 毎年一年に1回だけとなる田んぼの草刈りですが、涼しい日々が続いているものの、一日では終りきらず、3日目となる本日やっと草刈りを終えました。
 不摂生でナマカワな私の身体によって、1日で終る草刈りが3日もかかってしまいましたが、私は草刈機を使った土手の仕事であるものの、家内は水田の中にはいって水に浸かった草を自分の手で取るわけですから、私以上に疲れていると思われ、3日かかった事が少しは救いになっているかもしれないと思うのは私の身勝手でしかありませんが…

イメージ 2 本日の夜9時に発表された気象庁の天気図ですが、今週末から来週にかけて、台風第5号が日本列島に上陸する可能性が高く、進路によっては多くの人々の生活に影響するとともに、自然災害が続いている九州各地にも被害を与えそうです。

 現在の中心気圧は945hPa、中心付近の最大風速が45m/s(85kt)、最大瞬間風速は60m/s(120kt)と非常に大きい台風だけに、今後の進路に注意が必要です。

 さて、私自身は週末の5日と6日に上高地のボランティア活動へ参加しますが、私に同行して家族も上高地を訪れるため、4日から小梨平にテントを張り、6日にいったん愛知県に帰りますが、再び9日から上高地に戻り12日まで滞在する予定のため、今年も今週末から一週間テントを張り続けてボランティアに参加します。

 今年は全国的に局地的な豪雨やヒョウの被害が多く、台風3号が通過した際には、上高地も過去にないような集中豪雨に見舞われ、小梨平も水が橋を超えて水没し、ここで半年間テント生活をおくる渡辺画伯も避難しており、「来年からは7月まで来ない」などとグチがでるほど厳しい年となりました。

 週間天気予報によれば、長野県はしばらく好天に恵まれそうですが、雨の中のテント生活は大変ですから、12日まで好天が続くように祈ることとなります。ちなみに、テント生活は1泊800円ですから、1ケ月張り続けても2万4千円となり、風呂と食堂もあるためか、年金生活者の長期滞在も増え、上高地の新しいコミュニティが形成されてきたようにも思います。

            本日の体重 72、4キロ 徒歩数 4237歩 間食あり
                                     8月2日の一言

一年に一度の草刈に出かけて

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一年に一度しか動かさない草刈機 平成5年に他界した父親の遺品です

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平成1年登録の愛車 草刈の戦力です

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家内が草刈の監督です

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ここも草を刈りました

 一年に一度となる田んぼの草刈ですが、朝は眠たいので動きませんし、日中は日差しが強くてできないため、午後4時になってからやっと重い腰を上げましたが、草刈ができるかどうかは、ガソリンを入れた草刈機が動くか動かないかにかかっています。

「動かしてみたの?」
    「動かしてない」
「動かなかったらどうするの?」
    「動いてから切って、動かなくなったらどうするの?」
「動かなかったらできないでしょう」

 草刈をやる気力がないため、家内に言われるまで知らないふりをして、一年ぶりに出してきた草刈機と、一年前に使った2年前の燃料タンクを車に積み込みましたが、現地でガソリンを入れると何と一発でエンジンがかかりました。

 毎年エンジンが不調で、エンジンをかけるまで苦労してきましたが、まるで昨日使ったかのように見事に動いたため、作業もはかどり、2ヶ所の田んぼの草刈が終りました。まだ手付かずの田んぼもあるため、近いうちに再出動となります。

無届け老人ホームへの入居、病院・ケアマネの紹介が7割
記事の続き…
ログイン前の続き■低所得者の受け皿に
 北日本の業者は廃業したホテルや寮を転用して無届けホームとして使っており、部屋や廊下の面積が国指針の基準に合わない。一方で、開設費用を抑えた分、利用料は月5万円台の部屋もある。
 入居者の多くは生活保護を受ける。ケアマネジャーから「何とか受け入れられないか」と相談されるケースもあるという。届け出に向けて基準に合う改修を進めようとしているが、担当者は「費用を捻出できる価格帯でもなく基準に合わせるのは相当厳しい」と話す。
 無届けホームを調査した高齢者住宅財団の高橋紘士特別顧問は「低所得で支援が必要な高齢者が安心して住める住宅が少なく、受け皿として無届けホームが成り立っているのが現状だ」と分析。「やみくもに潰せば、より劣悪な住環境に行かざるを得なくなる」と指摘する。
 また、NPO法人「渋谷介護サポートセンター」のケアマネジャー服部万里子さんは「介護度が低く、家族もなく、お金もない高齢者は制度のはざまに入ってしまい、行き場がないことが問題」とし、安心して入居できる場所の整備を求めている。

 無届けと言っても、人の介助を絶対に必要としない高齢者にとっては、必ずしも国の基準にあてはめることはなく、高齢者の独り暮らし家庭にグループで住むとか、空き家を数人で借りて共同生活をおくるなど、施設に入る前に考えられることはありそうです。

              本日の体重 72、1キロ 徒歩数 2953歩 間食あり
                                       7月31日の一言

体重の増加に歯止めが必要です

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家内が在所からもらってきたスイカ

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 3日前の体重が73キロを示し、翌日は73、4キロを示した体重計に、再度計測しなおそうとしたまま未測定となり、昨日の体重は73、3キロとなっていたことから、本日から減量を意識した生活を送ろうと考えていたものの…

「お父さん、ご飯を取って」
   「いらない」
「食べられないから」
   「だからと言って…」

 家内と買物に出かけた後に昼食を誘われ、旧知の定食屋に立ち寄ったため、家内の食べられないというご飯を残すのは悪いと思い、家内のご飯を半分も押し付けられ、食べ過ぎとなってしまいました。

 こんな展開から、午後に知人から誘われた珈琲屋さんを断り、いつも夕方に出かけている珈琲屋さんにも出かけなかったためか、本日の体重は72、9キロに収まっていました。



 3年前に10キロの減量を果たし、多少の増減はあるものの、今年に入って増加傾向にあり、最近まで72キロ前後で維持していた体重が、今年二度目となる73キロを超えたため、しばらくは節制した生活を心がけたいと思います。

 さて、今週末より上高地へ一週間テントを張り、外来種除去や施設維持のボランティアに参加する予定ですが、本日上高地から明日のボランティアが不足しているとの電話が入りました。

 松本市と姉妹都市となっている姫路市の中学生を案内するボランティアでしたが、先月に明神池まで松本市の中学生を案内したものの、大正池まで案内するガイドは未経験で、できないことはないと思うものの、突然の依頼ゆえに心の準備ができないため「誰も無かったら…」とお断りしました。

 これについても、今月にガイドの先輩や環境省のガイドに同行して大正池コースも勉強していく予定としていたものの、日々の生活に流されて何もしていなかったため、必要とされる時に役に立たず、本日添付した体重の節制と同じで、日頃からの準備や節制が不足すると、肝心なときには手遅れです。

震災直後、125人の死「防ぎ得た」 宮城の医師ら調査
記事の続き…
 ログイン前の続き山内医師は、病院のタイプ別に分析をした。
 災害拠点病院(14カ所)の「防ぎ得た死」の割合は11・2%、一般病院(82)は9・1%と大きな差はなかった。一般病院のうち病床数300以上の病院では4・4%だったが、100床未満では12・9%。規模が小さい病院で、多くが命を落としたことが浮かぶ。
 災害拠点病院では、避難所で体調を崩した人が容体が悪くなってから集中的に運ばれたため、マンパワーや物資不足に陥った例が多い。病院に来る前の段階の要因が大きいと言える。一般病院は、薬などの備蓄が不十分だったり非常電源がなかったりした例や、他の病院に搬送できなかったため、災害死が発生していた。こうした点で事前に対策をとっておけば、命は救えた可能性が高い。
 山内医師は「保健所、消防や自衛隊が協力し、避難所の環境悪化を見過ごさず病院に来るのが遅れないようにする。拠点病院の機能充実とともに、一般病院も含めたBCPの整備が必要だ」と提言している。
■「防ぎ得た災害死」につながった原因
【病院に来る前の要因】
医療介入の遅れ         46例
避難所の環境・居住環境の悪化   24
災害弱者対応の不備        12
慢性疾患治療の中断        10
【病院での要因】
ライフラインの途絶        40
医療物資不足           37
延命治療の縮小          10
人的資源不足            8
【病院後の要因】
域内搬送不能           14
域外搬送不能           10
(125の死亡例の分析から。重複あり)
     ◇
■病院のBCP 策定進まず
 病院BCPは、被災時に医療活動を続けるための準備や行動計画をまとめたもの。大震災の教訓にもかかわらず、策定が進んでいないのが実情だ。
 内閣府の2013年の調査では、BCPを備えているのは、医療施設全体の7%。災害拠点病院を対象にした朝日新聞の全国調査でも、15年春で約3割にとどまった。厚生労働省は今年3月、拠点病院の指定要件としてBCP策定を義務づける通知を出している。
 東北大災害科学国際研究所の佐々木宏之助教は「多くの病院は、災害時の人員配置など『初動計画』は持っていても、それを守るために何が必要か、電気や水が止まったときの代替手段や、施設の耐震性などは考えていない。またBCPを策定するだけでなく、浮かび上がった病院の弱点を解決してゆく『業務継続マネジメント(BCM)』も重要だ」と指摘する。
 東北大病院でも佐々木助教らがかかわり、今年秋までのBCP策定をめざしているという。

 東日本大震災の際に、通常の医療体制なら宮城県だけで125人の命を救えたとの記事が発信されていますが、これについても事前にいざという時のための備えがされていないと後のまつりとなってしまいます。無にしないことが重要です。

             本日の体重72、9キロ 徒歩数 3706歩 間食あり
                                     7月30日の一言

家内の農作業に同行して

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田んぼの草取り中

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平成元年登録の車と家内です

 田植えが終った水田の草取りと除草剤を散布する家内に同行して、カッターシャツ姿のままで車の運転手として田んぼに行きました。最近のライトエースは軽トラック代わりに農業の主役となっていますが、家内が働く姿を見ているだけの私は情けないため早く仕事が終るのを待ち続けます。

「こんにちわ」
   「 … … 」
「大鹿さん、○○でーす」
   「はい、こんにちわ」

 遠くの道路から散歩中の婦人の発した大きな声が聞こえ、誰への挨拶かとしばらく黙っていると、私に向けられた挨拶のため、家内に働かさせて傍観する情けない姿のままで挨拶することになり、わざわざ近寄って話しかけられたため、家内に働かせて何もしない亭主として雑談することになりました。

             本日の体重 71、4キロ 徒歩数 3039歩 間食あり
                                      6月4日の一言

三男の接骨院で首と肩の施術を受けて

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息子の接骨院の治療器です

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我家のアンズの実
                         まもなく収穫時期になります

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我家のドクダミの花
                               収穫してお茶にしようと考えています

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ユキノシタの花

 数日前より左手を伸ばしたり上げたりすると指が痺れるようになり、本日は机に手を伸ばしたり、伸ばしたまま首を曲げると人差し指が痺れるため、三男にその様子を見せて説明すると、「パソコンでしゃかくきんしょうこうぐんを調べろ」と言われました。

斜角筋症候群ってなに? http://k-kori.com/syoujyou/425.html
 まず、斜角筋症候群 ( しゃかくきんしょうこうぐん ) の概要ですが、
斜角筋という首にある筋肉が固くなり、その間を通る、神経や血管を圧迫してしまいます。
そのために、肩~手にかけて、しびれや痛みを伴う症状を 斜角筋症候群 ( しゃかくきんしょうこうぐん ) といいます。
特に、腕を上げるときに、しびれや痛みを伴いやすいです。

 座ったまま、左手を真っ直ぐ伸ばすと、左の人差し指と親指に痺れがあり、上に真っ直ぐ伸ばして首を前に曲げると痺れが出ます。
 先週まで左の腰が痛むことがあり、息子の接骨院に出かけていましたが、本日は左肩と首に対する施術を受けることになりました。

 斜角筋症候群というのは、首の周りの斜角筋筋肉が固くなり、ほとんどが肩こりの延長とネット検索では記されており、デスクワークなど、じっとしていて首がこりやすい人に多い症状であり、肩こりを治し、斜角筋の辺りをほぐすことで傷みは改善されるようです。

 手先が痺れると脳梗塞を疑えと言われますが、手足が痺れる症状は頚椎の異常も疑われ、私の叔父は難病指定の頚椎後縦靭帯骨化症で大変な手術をしており、当初はパソコンのやりすぎで首が痛いと言っていたことから、何とか二の舞にならないようにしたいものです。

 数年前に体重の減量に成功し、長距離のウォーキングも苦にならなくなりましたが、一年ほど前から時々左腰が痛むようになり、最近は息子の施術で改善していたものの、新たな左手の痺れによって、しばらくは首と左肩の施術で何とかしたいと思います。

災害時のペット、避難所以外の預け先確保を 指針改訂へ
飼う人には家族でも… 災害時のペット避難、どう対応?

 本日は家内が自分の年金受給について、名古屋市中村区にある年金事務所を訪れましたが、私は一度も会社に勤めた経験が無く、65歳になるまで年金とは無縁であるため、何も考えたことがありませんが、女性は60歳から厚生年金が受け取れるとの話で、家内は一年近く年金を受け取れることも知らずに生活してきました。

 さて、家内の年金について私がついていくのも可笑しな話で、私は駐車場で愛犬リマと待ち続けることになりますが、我家では私や家内が外出する時に、相棒リマは一緒に出かけることを当たり前としており、置いたまま外出するとストレスで大変なことになります。

 我家にとっては相棒リマは私たちの子供であり、家族にとっても人間と同じ扱いをしており、相棒は寝るときも私の3メートル横にゲージが置かれており、私が居ない夜は待ち続けているようです。

 そんな環境にあると、添付した災害時のペット同伴についての新聞記事は他人事ではありませんが、こんな話を議会で質問するのも変な議員と思われるかもしれないものの、万が一の場合に障がいを持った人や、病気療養中の人の避難や対応を確認するとともに、災害時に熊本や東日本の悪夢を繰り返さないため、ペットの対応を考えるのは急務と思われます。

            本日の体重 72、3キロ 徒歩数 2347歩 間食あり
                                     5月29日の一言



書き込み中です。

畑に栽培される主役も交代となっており

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青虫に喰われたキャベツ
                  横井庄一さんは、
                              「虫が食べない野菜は危ない」と言っていましたが…
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越津ネギの葱坊主

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キュウリの花が咲いています

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畑の端には花も咲いています

 事務所の裏に置いたプランターにイチゴが熟していますが、我家の畑ではこれから主役となるキュウリやスイカが花を咲かせており、これまで食卓を飾ったエンドウやキャベツなどが終焉をむかえています。

成人サイト高額請求、相談相手に探偵が… 1千人被害か

 パソコンでネット検索したり、見慣れぬメールを確認した人の多くに、同様の被害にあったり、無駄な修理や対応をしている人があるのかもしれません。

 昨晩のことですが、原因は判らないものの、パソコンのバージョンアップに誘導する画面が繰り返し現れ、指定された電話番号に連絡しないと画面は消えないとの表示があって、消しても消しても繰り返し画面が現れて消えず、実行中の画面に戻れなくなり、昨日中に送付する予定だったメールを、本日未明の午前2時頃に発信しました。

 過去にも同様の画面があり、パソコンの相談できる知人に連絡してもつながらなかったため、パソコンで仕事を続ける必要があり、表示された電話番号へ連絡すると、東京都内に連絡しているものの、英語による案内放送が流れており、慌てて電話を切ったことがありました。

 深夜にパソコンを操作してネット検索しているときに、突然現れた画面が消えないためパソコンの電源が切れなかったり、画面に卑猥な写真が表示されるようになり、電源を入れる度に卑猥な写真が出ると、人前ではパソコンが使えなくなり、パソコンの修理や改善を求めた人もあると思われます。

 幸いにして、私はどんな事態になっても無料でパソコンに対応していただける専門家があり、複数のパソコンを所有しているため、パソコンを使えないという最悪の事態には陥りませんが、成人サイトを使用していたと思われるのは恥ずかしく、安易に相談もしづらいことがありました。

 第三者によるパソコン被害によって、パソコンを修理に出したり、元通りの使用環境に戻すため多額な費用を使っ人も、私の周りに複数存在することから、新聞に記された被害は氷山の一角であると思われ、人の弱みに付け込んだ悪徳な請求を世の中から一掃していきたいものです。

                  本日の体重  徒歩数 3729歩 間食あり
                                      5月24日の一言


事務所に居ると来客と電話だけで一日が経過して

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我家の畑に咲いたニンジンの花


 本日は早朝から知人が事務所を訪れ、入れ替わりに次の来客が続いて昼を迎えて、午後も電話応対だけで特別に何もせぬままとなり、予約してあった歯科医院を訪れると、唯一一人で訪れる珈琲店に行く時間となっており、夜の書道会のため恩師を迎えに走りました。予定していた仕事は手付かずで、事務所に居ると来客と電話で一日が経過してしまいます。

北海道)日本一の菜の花見頃 滝川

桜前線、やっと根室到着 日本一遅い宣言

 3月末に愛知県で見た桜やツクシを、4月末の高山市で見て、5月14日に訪れた上高地周辺で山桜の開花を眺めましたが、北海道で日本一遅い桜が開花し、現在菜の花が身頃との新聞記事を見ると、沖縄の梅雨入りが迫ってくる季節の移り変わりを実感させられます。

国後島、目的地入れず ビザなし訪問団帰港
記事の続き…
外務省によると、日ロ首脳ログイン前の続き会談での合意を踏まえ、これまで閉じられていた地域に最大限自由にアクセスできるようロシア側と調整。今回の目的地だった瀬石(せせき)、ニキシロ、東沸(とうふつ)の墓地についても鋭意働きかけを行っていたという。
 しかし、訪問直前、ロシア側からこれらの訪問地について「ロシア側で調整が整っていない」と通報があり、墓地への訪問は実現しなかった。
 千島歯舞諸島居住者連盟によると、国後島上陸後も交渉した結果、瀬石、ニキシロは墓地から数キロの場所で慰霊祭を実施し、東沸については帰路途中での洋上慰霊祭を行った。
 帰港後、記者会見した清水団長は「安倍・プーチン会談を報道で知って(ロシア側の態度が)少しは柔らかくなっているんじゃないかと期待して行った。しかし、前よりも悪くなったという印象を持って帰ってきた。本当に残念です」と悔しそうに語った。
 同行した外務省職員は「(ロシア側には)ハイレベルを含めて申し入れを行っている。(今後同じようなことがないかは)予断することはできない」と話した。

 桜や菜の花は自由に北上していきますが、人間の作った国境線によって、かつては日本の領土で、旧島民の先祖の墓が存在する北方四島に自由に上陸できない現実を考えると、自由に出入りできる野鳥よりも寂しい現実を実感させられます。

 国境線によって自由に行き来できない現実を考えると、国の存在が無い方が自由なのかも知れず、アメリカがメキシコとの国境に建設している壁など、国と国とのいがみ合いを作っている人間の不自然さを実感させられ、日韓、日露、日中など隣国との主権を主張しあうよりも自由な行き来が出来た方がストレスを感じません。

 鳥は日本から自由にロシアへ渡っていき、ロシアから海流に乗ってアシカやアザラシが日本にやってきます。人の作った国境が無くなると良いですね。

            本日の体重 71、8キロ 徒歩数 4325歩 間食あり
                                     5月22日の一言

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