大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

スローライフ

本日の写真 横井庄一記念館から


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記念館は日曜日のみ午前10時から午後4時30分まで開館しています

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午後4時18分の私です

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カラーボックスを買ってきました

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最初は苦戦しました

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91歳の横井夫人も手伝います 閉館時間が過ぎました 午後4時33分

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何とか完成です

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収納ボックスです

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取り出すとこんな感じです

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ボックスに収まりました

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座敷に馴染んでいます 午後4時48分


 最近は毎週のように横井庄一記念館に出向いていますが、遠方から来られた方々との会話は新鮮で、一週間に一日とは言え館長の横井夫人が元気で生活できる源泉のように思われます。

 さて、最近では私自身の物忘れがひどくなり、伝えるべき手紙や連絡を忘れて、「また来週に」の繰り返しとなっており、NPO法人の入会希望者の住所と氏名を伝えるために手紙を探すこと一時間…

 結局はパソコンの横に置いてある手紙の下敷きになっており、会計の記録も入館料無料のため、自分の立替払いだから大丈夫とため込んで、領収書もまとめていなかったので、本日は記念館で現金出納帳に書き記しました。

 91歳とは言え、認知症のかけらもない横井夫人ですが、全国から届く手紙の返信に座敷が手紙や資料の山となっており、座敷から縁側に座ってゆっくりとくつろいでいた開館当初の話をしていると、「収納するカラーボックスを買ってきてくれる」との話になりました。

 記念館から車で5分の距離にホームセンターがあり、簡単に買ってくるつもりでしたが、自分で組み立てるカラーボックスは低額になることから、迷いつつ記念館の閉館時間と競争の慌ただしい作業となりました。

 さて、平成9年に亡くなった横井庄一さんは手先が器用で、私のような不器用な組み立てでは無いだろうと話すと、「横井なら自宅にある材料で工夫して作ってしまったと思う」と言われ、天国から見られているような中で、汗をかきつつ一仕事を終えての帰宅となりました。

                                    2月3日の一言


グアム島で横井庄一さんが発見された日


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発見の翌日の朝日新聞

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発見直後の様子

 本日は横井庄一がグアム島で発見された日ですが、日本テレビが年末に何度も記念館へ取材に訪れており、内村光良さんが司会をするTHE突破ファイルで本日放送されました。
 発見されて47年が経過しており、豊かで平和な世の中になっているため、グアム島での逃亡生活は番組とは若干違いますが、衣食住の全く無い中からどうやって生き延びたかという事実を、記念館からも発信して、横井庄一の希望した戦争の無い平和な社会と、命を大切にする発信に務めたいと思います。

 さて、かつての横井庄一の公式ホームページは、サイトの提供元が閉鎖されたままになっており、当時のホームページビルダー内に多くの写真が保存されているものの、取り出せないようになっているため、マスコミの要望にも応えられないことが多く、何とか取り出して保存し直したいと思います。

                                     1月24日の一言


横井庄一さんの月命日へ


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横井庄一記念館西の道路新設現場 本日午前11時

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記念館玄関の庭も道路下へ

 本日22日は横井庄一さんの月命日(平成9年9月22日没)のため、家内とともに記念館(自宅)を訪れました。 今年は横井さんの23回忌の年にあたります。

 さて、1月24日は、昭和47年に横井庄一さんがグアム島で発見された日ですが、偶然にも明後日の24日(木)には、紅白歌合戦の司会者内村光良さんがメインキャスターを務め、サンドウィッチマンがレギュラー出演する日本テレビのTHE突破ファイルで、夜7時から横井さんをテーマにした番組が放映されます。

1月24日午後7時から、チャンネルは日本テレビへ

THE突破ファイル 1月24日 https://www.ntv.co.jp/toppa/


 この番組は、追い詰められた人間の奇跡の突破劇をドラマ化したもので、食料も仲間も居ないグアム島で、生きていくために口にした食料や、病気を自分で治した体験とともに、発見時に射殺される危機一髪の時に発した「デマカセ」の一語など、これまで一度も報道されたこともない発信があるかも知れません。

 自然界のなかで、自分ひとりで生きる事は絶えず生命の危機に瀕しており、これまで公では語られたことのない言葉について、おしゃべりの私に同調して夫人が口にした内容も発信されると思われます。

 横井庄一さんは、母親の実家である我家で小学校5年生まで「大鹿庄一」として生活していましたが、離婚した母親の連れ子として周りの同級生からイジメられ、横井家に養子で連れて行かれた後には親族にいじめられ、自分の苦しみや悲しみは人に言わない寡黙な人物でした。

 横井さんと同じように、幼くして両親と死別した私の父親も、自分の嫌な事や泣き言は言わぬ性格でしたが、恵まれて育てられた私は、困ったことや苦しみは何でも人に伝えてその助言を糧にして生活してきたため、横井さんのイメージを損なったとしても事実を正確に後世に残したいと思っています。

 今や夫人も91歳になっており、認知症のかけらもなく記憶力は衰えてはいないものの、体力の衰えは否めず、夫人しか知らない横井さんの私生活や逸話について、事実を正確に書き記して欲しいと思っています。

 明後日のテレビを是非ともご覧下さい。 
               
                                   1月22日の一言

                                                                                   

本日も横井庄一記念館の一日となり


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本日の記念館

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横井庄一さんのお墓

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記念館内の取材

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頼むよ

 先週に引き続いて横井庄一記念館の一日となりました。

 昨日訪れた京都大原は初雪となり、途中の滋賀県では雪を横目の運転となり、宝泉院では扉を取り払った額縁の間で膝を震わせて住職と話していましたが、本日はさらに寒い今シーズンになって一番の冷え込みとなりました。

 横井庄一記念館も本日はテレビ局の取材を受けましたが、エアコンの暖房の音が撮影に影響するため、冷え冷えとした室内となりましたが、本日は地元の方々だけでなく、福島県や宮城県の仙台から来られた来館者があり、本日も夫人が91歳になったとは思えない熱心な案内をおこなっていました。

 今年は最後の日曜日となる30日も開館する予定ですが、記念館前の道路拡幅が予定されており、来月から玄関前の工事がおこなわれるため、添付した玄関前の景色も今月が最後となります。この機会に是非ご来場下さい。

                                  12月16日の一言


横井庄一記念館のクラフト教室


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会場にした記念館の座敷が満員になりました

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それぞれが竹を使った作業です

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先生役のHさん 環境省のボランティアです

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子供が主役です

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真剣な作業です

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やはりお父さんは頼りになります

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私の作った竹笛

 横井庄一記念館で開催したクラフト教室は、開館時間の午前10時前から参加される親子連れの方々が集り、開館直後の記念館は満員となり、待ちきれずに帰られる人もありましたが、午後4時過ぎまで「竹笛」づくりが続きました。

 親子連ればかりかと思っていましたが、80歳過ぎのご婦人も参加され、今年91歳となる横井夫人と談笑し、自分の作った竹笛を持って帰られました。

 もっとも、添付した竹笛のように、2本の太い竹と細い竹があれば簡単に作れますが、竹を接着する位置が難しく、原理は判っても音は簡単にはでず、先生役を依頼したHさんが存在したことで全員笛を完成させて帰られました。

 今回の竹を使ったクラフト教室は、上高地で環境省のパークボランティアに参加され、お盆に開催されるクラフト教室の責任者を務められるHさんが、名古屋市中川区の住民であることから先生役をお願いして実現しました。

 平成18年に開館した記念館は、これまで洞穴の模型や横井庄一の遺品等を鑑賞してもらう施設として毎週日曜日に開館してきましたが、今回のクラフト教室のようにもの作りのイベントや、横井庄一の茶碗を使った簡単なお茶会など、今後は見るだけでなく参加する行事を開催していく予定です。

 これまでに自分で作った陶器の器でお茶や珈琲を楽しむ会や、横井庄一のサバイバル生活を真似た自炊のキャンプ生活など、記念館に期待する声も届けられており、記念館でできる陶芸教室やお茶会など、大人も子供も楽しめる行事を考えています。

 本日の竹笛作りを開催するため、記念館と道路をはさんだ向かい側となる大治町の人々にも案内したことで参加者があり、これまでの名古屋市や中川区の記念館ではなく、地域の記念館になれたようにも思います。

 参加された多くの人々に感謝です。
                                   11月18日の一言


里帰りした横井庄一の色紙


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我家に届けられたゆうパック

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同封されていた手紙

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誠心

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仏心

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辛抱

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差出人は横井庄一(戴徳)の昭和47年8月と9月の直筆

 昭和47年8月と9月の2度にわたって福井県の中学三年生Aさんと、横井庄一が手紙で交流した際に同封した色紙で、長年ラップ等で大切に保管されていたものが、横井庄一記念館に里帰りし、我が家の2階にあるミニ記念館と分けて展示保存していくつもりです。

 48年の3月に高校受験を前にしたAさんに激励の手紙も送っており、Aさんは受験当日にこの手紙もカバンに入れて受験したエピソードも記されていました。
 送付された色紙や手紙の権限は私に一任するとの書き込みもありますが、横井美保子夫人と相談して大切に継承していきたいと思っています。

 横井庄一は昭和47年1月24日にグアム島で発見され、4月に名古屋市中川区千音寺に帰り、11月に結婚して翌年2月に現在の自宅が完成しており、里帰りした色紙や手紙のやりとりは帰国後の慌ただしい時期に交わされていたことになります。

 さて、平成18年に記念館を開館して以来、横井庄一の作陶した茶碗などが里帰りしていますが、買い取って欲しいと高額の金額を提示されるケースもあり、記念館を開館した記念に無料で差し上げた印刷した色紙がネット上で高額で売買されるケースもあります。

 発見されて四十数年が経過し、平成9年に亡くなってから20年以上が経過する中で、本人と直接関わった人たちの多くは鬼籍に入っておられ、世代交代によって横井庄一の品々も捨てられたり他人の手に渡っていきます。

 そんな中で、手紙や色紙の詳細を記した説明書きも添付して帰ってきた品は貴重で、手紙から横井庄一の素顔がにじみ出ていました。

 有難うございました。                                 
                                    11月9日の一言


横井庄一記念館のボランティア


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曹洞宗長禅寺 名古屋市中川区千音寺
                           中川区富田町大字千音寺字南屋敷2782

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 今月18日に横井庄一記念館で開催予定の「クラフト教室」の宣伝のため、家内と一緒に名古屋市中川区内の住宅地へ案内チラシを配布しましたが、名古屋市と合併する前は私たちと同じ海部郡だったことを実感する環境が千音寺には残っていました。

 むしろ、私の住んでいる旧神守村の農家よりも規模の大きい農家がそのまま残されており、立派な豪農が存在したことで区画整理がなされなかったのか、車の通行できない小路がそのままになっており、添付した曹洞宗のお寺についても、津島市には存在しないような広大な敷地に建っていながら、一般の車が通らないためかネット情報も何も存在していません。

 そして、昔ながらの竹林や竹薮が各地に残されていることにも驚きで、今回のクラフト教室のテーマは「竹」としており、横井庄一さんが隠れていたグアム島の密林に竹が多く、竹を使った漁具などを使っていたことからクラフト教室でも竹を使った「竹笛」を作ることにした次第です。

 広告は今週月曜日に配布しており、この広告を見た人から問い合わせや申し込みの連絡があり、これまでにも地域へイベント情報を配布した経験はありますが、自分の住んでいない地域での活動は自身の利害がない本当のボランティアのため、新たなボランティア意識が芽生えてきました。

 横井庄一記念館についても、横井さんの直筆の手紙も多数残されており、黒柳徹子さんから届けらた手紙や著名人の手紙もあることから、今後は秘蔵されている遺品や写真などを定期的に公開して、人が集う記念館にしていきたいと考えています。

 さて、今月に入って3日に上高地で2万歩近く歩き、5日にチラシ配布で1万5千歩、そして本日も1万5千歩歩いたことで、健康を意識せずにウォーキングになっており、こんな環境が考えずに続けられたら幸いと思います。

                                     11月8日の一言


孫の小さな手と足です


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本日の孫と私の手の平です

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こんなに小さいのに…

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小さいながらも立派な足です

 東京から大雪の情報や映像が発信され続ける一日となりましたが、私の住む愛知県は冷たい雨が降り続ける一日となり、覚悟して事務所に居座ると来客続きの一日となって節制どころか珈琲屋さんへの往復となりました。

大雪、帰宅の足直撃 駅は入場規制、転倒で16人搬送

 月末に埼玉県志木市へ行政視察し、翌日に東京都千代田区で開催されるセミナーに参加する予定のため、今回の大雪情報や交通網の混乱は他人事ではなく、慣れない東京の電車移動だけに、余裕をもって前日に移動しようかと考えさせられてしまいます。

 生後一ヶ月になる孫の写真を添付しましたが、市役所や地域でインフルエンザが流行しているため、外出して感染してくると大変なため、自宅にこもりがちとなり、孫を抱くときはマスクを着用する徹底振りです。

 自分の子供たちの頃にはそんな気持にもなりませんでしたが、小さな孫に風邪やインフルエンザを感染させたくないため、自分には何ともなくても、人と応対した際に感染している可能性も考え、抱き上げる前に必ず手を洗ってマスク姿で応対しています。

 さて、2階の事務所には5羽のスズメを保護しており、家族から小鳥はアレルギーの原因となると言われ、鳥インフルエンザの報道もあり、家族も2階には上がってこなくなりましたが、野鳥とは言え生まれたヒナの時から保護しているため、私には赤ちゃんと同じように愛おしい存在です。

 しかし、放鳥して頭や肩に止まっている時にフンをすることがあり、私の移動先に時々フンを落としていることもあり、そのことも忘れて日常の当り前の生活としてきた反省も必要で、4年前に初めてピーを拾い上げた頃に感じていた小鳥の臭いも最近は何も感じなくなってしまいました。

 私は4人の子供が居ますが、私の子供たちには考えてもいなかった気遣いを自らしてしまうことに、親子とは違う孫への想いを実感させられます。

                 本日の体重  徒歩数 2372歩 間食あり
                                      1月22日の一言

今年初めての真言密教「阿息観」へ


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相棒リマです

 本日は今年になって初めての21日となり、私の町内にある真言宗の弘盛寺では午前中から初弘法が開催されていましたが、私は午後から開催された「阿息観」に参加してきました。

 阿息観は真言密教の瞑想法で、「阿字観」と同じような呼吸法ですが、鼻から大きく吸った空気を、口からゆっくりと吐き出す繰り返しで、禅宗の座禅のように無の境地を目指すのではなく、阿字観のウォーミングアップのようなもので、呼吸に集中してリラックスして行います。

 ただし、私は自分勝手に目をつむり、自分の座っている(例えば高野山の御廟前とか御嶽山霊神場や上高地などと)場所を決めて、その場に座っていると勘違いするように瞑想しており、この阿字観によって五感を鍛えて、第六感を働かせたいと考えています。
 そんな感覚が研ぎ澄ませられたら、今から1200年前に空海が修行された聖地に座って瞑想し、弘法大師の面前に座って真言をあげている感覚を体験したいと思います。

第六感」を鍛える3つ方法 http://zaza-club-551.com/intuition/7677
 
 昨年は御嶽山の霊神場に願をかけ、10年前にも四国霊場で願をかけて共に願いどおりになったことと、昨年9月に御嶽山の祖父の霊神碑の前で般若心経を唱え続けていたら、親族に大変な事態が起こっている予感がして、思い当たる親族に連絡をとったところ複数の重篤の事象が存在しました。
 五感を研ぎ澄ませると何かが見えるような気持になることがあります。


 私が初めて阿字観を体験した日時は判りませんが、町内のお寺の「阿息観」には平成23年7月に初めて参加しており、その2年前の春と秋に高野山の「結縁灌頂」を受けていることから、今から10年ほど前から阿字観に参加しており、結果は伴っていないものの、私なりの瞑想法にしてきました。


 さて、歳を重ねないと判らないこともあり、不思議な物事や、目に見えないエネルギーやパワーについて、科学的に研究している学者が存在し、10年ほど前に「量子力学」の大鹿譲(元大阪工大名誉教授)氏とも連絡がとれる環境にありながら、私の神秘的体験が量子物理学として話せる対象とも思ってもいませんでした。
 できる事ではありませんが、大鹿譲さんが蓄積されていた知識に問いかけたかったと思っても時すでに遅しで、当時の一言に譲さんの記載をしたところ、統一教会の被害者という人物から厳しい批判を受け、関わりたくなくてそのまま連絡しないままに終わりました。


 今にして思えば、統一教会に名を残されていたなら余計に神や仏についても話をうかがっておきたかったと思っても、当時は四国遍路の公認先達に補任されていてもスタンプラリー状態でしかなく、先人の知恵を聞く機会を失ったことが残念です。

            本日の体重 74、0キロ 徒歩数 3241歩 間食あり
                                    1月21日の一言

上高地からの帰路に…木曽福島から御嶽山へ

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14日(土)の上高地です
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御嶽山黒沢口 御嶽神社里宮

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太陽の丘公園 木曽町三岳

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田中旅館 日の出の滝の近く
                              長野県木曽郡木曽町三岳2841−2

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御嶽教 明栄講霊神場

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道の駅 木曽福島

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日野製薬専用の売り場

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道の駅の木曽川の対岸に
                 何だろうな?

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大きな神社が見えます

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御嶽山木曽本宮

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立派な本殿です

 昨年は高山経由で上高地を訪れていましたが、今年は木曽路経由で往復しており、帰路には必ず木曽福島から三岳にある御嶽山黒沢口の明栄講霊神場に立ち寄り、祖父の石碑に手を合わせるようにしています。

 御嶽山には、覚明行者が開いた黒沢口登山道と、普寛行者が開いた王滝口登山道があり、祖父は覚明行者を奉る明栄講の先達だったため、私は黒沢口から御嶽山に登っており、王滝口から登ったことはありません。

 さて、今回(10月15日)は道の駅木曽福島から木曽川の対岸に大きな神社があることを発見し、地元の人に聞いたところ7年前に移転して建てられた神社との話で、規模の大きい御嶽山木曽本宮神社が存在していました。

御嶽教(おんたけきょう)は奈良県奈良市に教団本部(御嶽山大和本宮)を置く教派神道で、神道十三派の一つ。『宗教年鑑 平成28年版』における信者数は、60,480人。長野県木曽郡木曽町に御嶽登拝の安全を祈願するための神殿である木曽大教殿がある。 御嶽山を信仰根本道場としている。

 この神社は奈良県の教団であることが判りましたが、祖父が先達だったとは言え、御嶽教については何の知識もなく、私は祖父の関係する場所で般若心経を唱えてくるだけです。
 四国遍路は仏教の真言宗が基本になっていますが、真言宗は本尊を大日如来としており、大日とは「大いなる日輪」という意味で、太陽を司る仏であり、密教では大日如来は宇宙の真理を現し、宇宙そのものを指しているため、山岳信仰の御嶽山とも共通していると思われます。

 いくら好きな場所とは言え、愛知県から上高地は約200キロも離れており、途中で息抜きとして立ち寄れる場所は貴重な存在で、ちょうど中間地点にある御嶽山の存在は、私の上高地行きには有難い存在となっています。

             本日の体重 72、2キロ 徒歩数 2910歩 間食あり
                                    10月18日の一言

上高地からの帰路に 木祖村田ノ上観音堂へ

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 信濃白ゆり温泉スタンド
 
信濃白ゆり温泉スタンド 信濃毎日新聞
 
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 国道19号線薮原から上高地へ抜ける県道奈川木祖線沿いにある温泉スタンドで、泉質は単純硫黄泉とのことですが、地下約1300メートルから27度の湯を毎分41リットルずつポンプでくみ上げており、現場では飲用もできるようになっていました。

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歴史のあるシダレザクラです

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本堂の廻りの多くの石仏

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寄棟造妻入屋根茅葺の堂

田ノ上観音堂のしだれ桜 http://www.buratto-map.net/sakura/2012/spot023_001.php

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                                     ※日曜日1日の写真です

 木祖村天然記念物の枝垂れ桜は、飛騨から来た旅人が「観世音様のおられた飛騨の国分寺の前に毎年美しい花を咲かせていた枝垂桜の種でございます。お堂の前に蒔きますから大切にお育てください」とお経を唱えながら種を蒔き終え旅立っていったと言い伝えられています。

昔、飛騨の高山から山伏が御神体を江戸へ持っていくために、背負い出し野麦峠・境峠を越えて田ノ上へ上り、良い丘があるのでそこへ下し、一服すっていざでかけようと思ったら、仏像が急に重くなり根が生えたようになって、動かすことができなく、業を煮やして、そこへ突き倒してあきらめて出かけたという話が伝わっています。

 観音堂の周りには多くの石仏があり、里の人々が巡礼した西国三十三ヶ所の記念碑や四国八十八ヶ所と西国・坂東・秩父の百観音を廻った百八十八ヶ所巡礼を刻んだ年代物の石碑も残されていました。

 現代でも木祖村の小木曽地区から中央本線薮原駅まで出るのが大変なのに、旧き時代に更に遠く離れた四国四県の足摺岬や、西国巡礼の天の橋立などの遠方までどんな想いで赴かれたのか想像しようとしても何も浮かんできません。

 本尊である聖観音菩薩立像(田ノ上観音)が、飛騨高山の国分寺から背負われてきたとの伝承や、枝垂桜の樹齢が300年以上とあることから、鉄道もない時代の人々の移動や巡礼の様子は、現代社会とは違う灯りもない鉛色にしかイメージできません。

 さて、私自身の生活パターンですが、上高地のパークボランティアに出かけた後には必ず体重が落ちており、本日の朝は70、3キロまで落ちていたため、体重増に悩んでいたことがウソのような一日が始まり、このまま11時まで食事を我慢して病院の健康診断を受けたところ、本日の体重は70キロを下回りました。

 半年ほど前から体重が72キロを超える日もあり、食事の節制ができていないのにそれでも71キロ台で安定していることから、管理栄養士さんから「心配することもない」とは言われていたものの、何とか基準値以下で検診を受けたいと考えていたため、節制せぬままに奇跡的な数値となりました。

 問題はこれからですね…

            本日の体重 70、9キロ 徒歩数 3544歩 間食あり
                                     10月3日の一言

上高地からの帰路に 奈川太平石仏群へ

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奈川太平石仏群
 
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手を合わせる人々の顔が浮かんできます
 
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まるで古里を見守っているように見えます
 
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中部北陸自然歩道の道標
 
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冬のために備蓄された薪
 
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一日中座っていたい環境です
                                 ※いずれも昨日日曜日の写真です
 
 沢渡から松本方面に下り、奈川度ダムを右折して薮原方面に進み、奈川支所、古宿を経由して旧役場があった黒川渡から上流へ向かって野麦街道を走ると奈川太平の石仏群があり、馬頭観音、大日如来、六地蔵が祀られているそうです。
 
 道標にはここから500m先に天狗の滝があり、野麦峠までは10、3キロと記されており、一日で散策できる距離ではありますが、この時期は熊との遭遇を心配してしまうと車で移動して散策した方が良さそうです。
 

上高地  渡辺画伯と

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上高地河童橋にある画伯のキャンパス台
                      穂高連峰が雲に隠れていても画伯の絵が代わりになっています
 
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上高地を描いて57年
 
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上高地の名物画伯 (1番右) と
 
 「今日はは何処まで行くんだい」と、今年も上高地の小梨平で4月からテント生活を送っている渡辺画伯は、上高地を訪れる人々に気軽に声をかけています。
 
 私はいとも簡単に「ホームレス画伯」と命名していますが、夏場には画伯の周りに旧知の仲間がテントを張り、登山者も声をかけて行き来する上高地の名物人となっており、画伯は絵を描くのが目的ではあるものの、知り合いどころか知らない人も無視できない性格のため、「お茶でも飲んでいってくれよ」と雑談に花が咲きます。
 
 最初に出会った時には「オジサン」でしたが、今は私自身も還暦を過ぎており、画伯は77歳の「オジイサン」になってしまい、周りの人々も何だか高齢者ばかりになってしまったように思われます、
 
 「また来たら寄ってくれよナ」も口癖ですが、画伯は10月末までテントを張っている予定ですので、これから上高地を訪れる方は、是非ともビジターセンターの奥にある画伯のテントにお立ち寄り下さい。
 
 人と人とは因縁とか、奇妙な縁がありますが、私自身も画伯の存在が上高地を身近な存在とし、多くの人々との交流が深まり、ストレスのない空間と時間が持てるようになりました。
 
 
 

鳥のピーちゃんを中心に生活が廻り

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岐阜県羽島市の水田飼われているカルガモです 
 
 昨日に蟹江町の朝日新聞販売店を訪れたところ、玄関前にスズメの集団が飛んできて、家人のばら撒いた米を一生懸命に突付き始めました。
 話を聞くと、半年くらい前から1羽の人懐っこいスズメが来るようになり、米をやると毎日のようにやってくるようになるとともに、仲間のスズメもついてくるようになり、最初に来たスズメは手にも乗るようになったとの話でした。
 
 我家にも手乗りどころか、人間を親と勘違いしているスズメのピーちゃんが居ますが、ここには今年生まれたばかりのスズメも飛んできて、玄関前でコロコロと仲間とじゃれ合う姿に、鳥カゴの中ではなく自然の中で関わりたかったと思いました。同じスズメでも野生のスズメは逞しく、自然に戯れる姿は愛らしさがあります。

 我家でも、ピーちゃんを自然界に戻すため、事務所横の朴の木にエサを入れたカゴをつるし、地面にもエサをばら撒いてスズメが寄ってくるようにしていますが、警戒心が強いため思うように寄っては来ず、スズメが朴の木に来た時にはピーちゃんを肩に乗せて見ていますが、ピーちゃんも関心はなく、訪れたスズメもピーちゃんに関心を示してはくれません。

ライチョウのヒナ、富山で誕生 人工飼育で1羽目

 
 添付したカルガモは岐阜県羽島市の馬飼大橋の近くの水田で飼われており、訪れると(エサがもらえると思い)遠方からも慌てて寄って来ますが、人間を怖がってはおらず、ピーちゃんの存在によって鳥を見る見方が変わりました。

 添付したライチョウの保護も、生まれる前から人が管理し、人によって飼育して成長させるため、自然に戻す大変さも実感しますが、鳥は死ぬ瞬間まで元気そうな姿のままなので保護する関係者の苦労が実感させられます。

・コメント  ぴいちゃん (まりん) 2015-06-27 22:19:28
我が家の駐車場にも巣から落ちたスズメが居ました。
夕方夫が保護し子供たちが一生懸命お世話を始めたためネットで情報を集めお世話をしました。名前はぴいちゃん
元気に鳴きエサもしっかりたべましたが先程4日目の晩急に水の様な下痢をして旅立ちました。残念です。
どうすればよかったのかわかりません。そのまま親が連れて帰るのを待った方が良かったのか?と逡巡しつつこのブログに辿りつきました。
                  中年男のエレジー 郷愁 http://blog.goo.ne.jp/s281218

 昨日の私のグーブログへのコメントに、落ちたスズメの記載があり、スズメは何も訴えてこないため、保護しても飼育が難しく、私自身も朝の鳥カゴで元気なピーちゃんを見て、死んでいなかったと安心した日々の繰り返しから現在の元気な姿がありますが、近くに鳥に詳しい獣医さんがいないため心配は尽きません。こんな時に、前記したような野生のスズメを餌付けした方が恒久的な楽しみに思えます。

本日はここ ↓ に行ってきました。
フジカーズジャパン岐阜   http://www.fukushinofuji.jp/shop/gifu_fs.html
 車イスのままで乗車できる福祉車両を購入したいと考えています。
 
                本日の体重 70、7キロ 徒歩数 2842歩
                                     6月28日の一言

バリアフリーの現実と希望について

イメージ 1

 高野山奥之院の駐車場に停めた私のタクシーと車イスです。この車両は、車イスのまま乗降できる福祉車両ではなく、一般には旅行や大人数の移動に利用するジャンボタクシーですが、車イスを積んで走ることはできます。

 高野山奥之院はバリアフリー化されており、弘法大師の御廟前まで車イスで行け、あらかじめ連絡すれば御廟近くの職員用駐車場まで車で行けるとの話も聞きましたが、関係者の対応は微妙です。

 「そこに停めても良いですか」
 「ダメ、ダメ !! 」
 「車イスの人を乗せているんですが…」
 「手帳はあるか」

 金剛峯寺の前で誘導する駐車場の警備員との応対ですが、道路上で車イスだけでも降ろしてから移動するつもりが、停車もさせてもらえず、3台分空いていた障がい者用駐車スペースに停めることも手帳がないため、遠く離れた高野山大学の臨時駐車場まで行くように指示されました。

 一方で、目的地の金剛峯寺では、一年前に納経所まで車イスのまま入れるエレベーターを設置し、インターホンで連絡すると職員が室内用に用意された車イス(5台常備)を持って来て、納経所まで押してくれます。

 添付した駐車場の話をしたところ、過去にも同じような苦言を受けて注意したことがあるが、お寺の職員ではないため何度も繰り返しているようで、あらかじめ連絡すればお寺の裏にある宗務所の駐車場に停めてもよいとの話で、事務方の電話番号まで教えていただきました。

 金剛峯寺の隣にある荒神様に参拝した際には、前の道路に停車したまま待機していると、中から関係者がわざわざ出てきて、中の関係者用駐車場まで入れても良いと伝えてくれました。
 しかし、同行者の話では、以前に中の駐車場に車を駐車した時に注意されたと言いますから、ご厚意は有難いものの全員に徹底して欲しいところです。

 奥之院や金剛峯寺など、高野山の施設全体のバリアフリー化は目覚しいものを感じますが、宿坊やお寺の多くは車イスを持っておらず、スロープの無い建物も存在しており、世界文化遺産になっていることから、障がいを持った人や高齢者でも、誰もが遠慮せず行動できる配慮が欲しいところです。

 今回同行した人も、申請すれば確実に身体障害者の手帳はもらえる状態ですが、補装具をつけて杖があっても介助なくして歩けないものの、手帳は要らないと自立しておられ、末期ガンで死の宣告を受けた人も手帳は持っておらず、こういった様々な状態に応じた寛容な対応が求められています。

                本日の体重 71、0キロ 徒歩数 13333歩
                                    6月22日の一言

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