ボランティア
本日の写真です。
本日の愛知県は午後になってから雨が降り出し、各地で雷鳴が轟き、テレビ画面から竜巻注意報が流される中を、福祉有償運送の申請書類をあま市市役所に届け、ボランティアに参加を希望する人と打ち合わせに走りました。
さて、2日前の土曜日に病院から退院したばかりなのに、翌日となる昨日に城めぐりで遠方まで走っていることに驚いておられる人も多く、「大丈夫なの?」と複数の知人から電話をもらいましたが、手術と言っても結石を取り出すだけで、身体を切る手術ではないためダメージは何もありません。
むしろ、2年前の手術の時には、下半身麻酔の背骨へ打った注射の痛みが一週間ほど続きましたが、今回は最初の局所麻酔の注射を射した注射針の痛みだけで、麻酔が覚めても何処に射したか判らないほど痛みは皆無でした。今回は明らかに上手かったですね。
さて、明日に津島市役所と保健センターの雑用を済ませると、週末の三連休に出かける四国遍路の準備と段取りに頭を切りかえたいと思います。
愛知県警察運転免許試験場
玄関前
中央ホール
自動車安全運転センター
本日は福祉有償運送ボランティアに参加するメンバー全員の運転履歴証明書の申請に愛知県天白区にある安全運転センターを訪れましたが、申請代金だけでなく新装となった駐車場代金500円も必要となり、昨年度は赤字のNPO法人だけに私の出費となっていきます。
もっとも、元々が利益を期待しないボランティアだけに、こんな気持ちになるのは私自身が年齢を重ねた老化が原因と思いますが、そろそろ自分自身がサービスを受けられる体制への改善は急務で、今年は少し頑張ってみようと思います。
本日提出した申請書は、来週火曜日の夕方以降に受理できるとの話で、再度出向くことが必要となりますが、どうせ車を走らせるのであれば名古屋で寄り道できる楽しみを見つけて走りたいと思います。
裏庭のアンズが当たり前に熟して家内がジャムにしていますが、同じくオニユリも毎年同じ場所で大きく成長して、たくさんの花を咲かせます。
2022年7月25日の一言
2013年7月15日の一言
植物にも病気はあり、枯れてしまうこともありますが、自分たちに適した場所で毎年繰り返される世代交代はひじょうに強く、私が植木鉢やプランターに植えた草花とは違い、毎年同じ場所で花を咲かせるオニユリは今年も昨年より太くなって成長しています。
今から10年前に「二十年来のオニユリ」と記していますが、今年は「三十年来のオニユリ」として、私の父親が健在だった頃と同じ花を咲かせると考えると感慨深いものがあり、私が鬼籍に入っても咲き続けてくれるものと思われます。
ミニきゅうりが続々と…
では、また明日へ
私のかかりつけ医 津島市東愛宕町
健康診断へ
かかりつけ薬局へ
本来の予定では火曜日の夜に四国へ出発する計画でしたが、ボランティアの福祉有償運送の申請書や納税を済ませたものの、来月開催される運営協議会の日程を逆算すると、本日は自分の健康診断を受けて、警察に提出する申請書を届け、明日名古屋市の運転免許試験場にある安全運転センターへメンバーの運転記録証明書の申請に訪れることにしました。
三年に一度開催される運営協議会ですが、三年前に次の協議会に役立つようにパソコン内に整理して記録したことが逆にアダになって、過去のように文書として紙に記録して残した方が年寄りには楽なことを実感する一日ともなりました。
逆に、それは仕事を後回しにしていると大変な来週を迎えていたことになり、出発を断念したことでゆっくりと明日以降の段取りが進められました。
本日はパソコンと格闘する一日となりましたが、有償運送の申請書類は特殊な仕事で、誰でもができない専門知識を必要としており、当たり前に続けてきたNPO法人を移送サービスを維持するためには責任を分担して維持する必要性も感じさせられます。
今回作成中の申請書類を司法書士に依頼すると20万円を提示されたことがあり、利益を求めない福祉有償運送を維持するためにも目に見えない苦労があることは、参加しているボランティアにも理解されているとは思えず、これまで当たり前に行ってきた活動にもストレスを感ずるようになりました。
明日も今日の続きとなりますが、週末は完全なる解放感を実感したいと思います。
28日(日)午前6時30分
車載の食料と調味料など一式
朝はヨーグルトにバナナと調理パン
夕食前の赤ワインも積んできました
グレンパークさわんど
前日の土曜日(27日)は午前5時15分に愛知県を出発し、高山市経由で8時前に釜トンネルを通過しバスターミナル駐車場に愛車を停めましたが、この時期の夜の上高地は非常に寒いため、夕方に沢渡まで移動して温泉に入り、グレンパークさわんどを車中泊の場所としました。
午前7時13分
大正池
バスターミナルへ
基本的にボランティアに参加する時は、さわんど足湯公園前の駐車場に車を停めますが、今回は同行するボランティアメンバーが大きな荷物を持参したことと、上高地で半年間生活する渡辺画伯へ生活必需品を届けるため愛車で上高地へ入りました。
もっとも、上高地はマイカー規制で自家用車は入れないため、青ナンバーのタクシーを所有する私ゆえに可能なことで、上高地内で車中泊ができるのは私だけかも知れません。
2日前の写真です。
週末2日間の天気は快晴に恵まれていましたが、翌日となる昨日は一転して激しい降雨によって落石事故が起こり、落石の除去等の作業により上高地公園線は午前10時から午後1時まで通行止めになりました。
29日(月)午前10時のFacebook
しかし、通行止めが解除となった直後に、今度は雨量が多く午後4時30分から再び通行止めが決まり、バスやタクシーも4時からは運休となりました。
午後1時18分のFacebook
そんな散々な天候となった月曜日でしたが、翌日の本日早朝には快晴の上高地の写真が発信されてきました。
本日(30日)朝のFacebook
ただし、午後には昨日の降雨により焼岳小屋近くの登山道が土砂崩れによって通行ができないことと、復旧の見通しが立っていないと発信されてきました。ネット社会になっても上高地の電波状況は悪く、時間に遅れると上高地から出ることもできず、土砂崩れの現場より上にいる登山客は上高地へ戻ってくることもできません。
5月も明日で終わり、6月は四国遍路と高野山行きを予定しており、上高地行きは17日までお預けとなりますが、河童橋にある五千尺ライブカメラと、インフォメーションセンターが連日発信する映像や写真によって愛知県に居ながら上高地にいる臨場感を味わえることに便利な世の中も実感させられます。
津島名物あかだとくつわ
本日の写真です。
本日は知人から東京から訪れた知人の案内を依頼され、上高地や四国を案内するガイドブックは多量に存在するものの、地元を案内するパンフレットは皆無で、尾張名所図会を持ち出して自宅を出発しました。
今から30年前に地元の歴史研究家から、津島を案内できる人物としてテレビ局に推薦されたこともありましたが、今では何も案内する資料が無く、50年前に恩師の樋田豊先生に連れられて津島市内を廻った郷土史の資料と、所蔵する尾張名所図会しかありませんでした。
その上で案内を始めた直後にボランティアの福祉有償移送の患者搬送の連絡が入り、病院から自宅へ搬送後に再度津島神社で合流したものの、十分な案内には程遠く、資料無しで案内できる上高地や四国との大きな違いを実感です。津島市の案内もと思ってしまいましたが、身体は一つしかありません。
もっとも、同じ案内でも国立公園の上高地や世界文化遺産登録を目指す四国遍路道のような資源ではなく、人が居ないばかりか現地で勧められた津島神社に隣接する神宮寺は、香炉に参拝した線香のあとも無く、本堂に寺の人も居ない状態で、最後に訪れた観光センターで知人が求めた「何処にでもあるような津島市が判るパンフレット」も無い状態ではガイド以前の問題となります。
さて、明日は早朝から上高地を目指し午後に開催されるボランティアの定例会に参加予定ですが、天候は明日から明後日にかけて雨予想で、日曜日には上高地を出て中山道の宿場を訪れる予定も再考が必要かもしれません。
近鉄電車 愛知県弥富市の高架橋から
本日は早朝から患者さんを弥富市の病院へ搬送し、家内も市内と市外の医療機関へ人を搬入しており、久しぶりにボランティアに徹する一日となりました。昨年膠原病に罹患したため早朝の行動は自粛していましたが、連休の上高地では毎日午前7時のバスに乗っていたことと、来週も上高地へ行くためには頑張るしかありません(笑)
本日の写真です。
添付したイチゴは今年は五年目(?)となるプランターのイチゴで、昨年は二十株ほどに増えていましたが、家内が畑で大量に育てていたことと、昨年は私が膠原病に罹患したため夏の手入れが全く出来ず、たった1本だけになってしまった私の最後のイチゴです。
幸いなことに熟した実はひじょうに甘く、ランナーが多く出ているため、来年には5鉢以上に増やして再来年に繋げていきたいと思います。
さて、ボランティアの一人が体調を崩しており、明日は三人分の仕事を家内と2人で分担することになり、病気持ちの私も複数の患者さんを搬送する事態となりました。
我家は私が膠原病に罹患した昨年からボランティアを加減してきましたが、体調を崩したボランティアは口コミで患者が増えており、ボランティアが高齢化する中では真剣な対応が急務となります。
愛知県社会福祉会館
名古屋市中区白壁一丁目50番地
目的地は四階愛知県社会福祉協議会総務部です
見事な玄関屋根
ジャン・アンリ―・デュナン像
国際赤十字社のルーツ
「すっかりと忘れていました」
「今年はお見かけしないと思っていました」
「済ませたと勘違いしており…」
本日は膠原病の診察日のため名古屋市の中村日赤を訪れましたが、昨日になって「赤十字」つながりで今年のボランティア保険の申請を済ませていないことが判り、東区にある愛知県白壁庁舎を訪れることになりました。
ただし、本日は津島市の民生児童委員協議会の総会が開催されており、月曜日に四国遍路から帰り慌ただしさの中で欠席の連絡を入れ忘れており、朝一番で連絡する予定も完全に忘れており、白壁庁舎の看板に愛知県民生児童委員連盟の名前を見つけて忘れていたことが判ったのは午前11時を廻っていました。完全なる無断欠席です。
さて、昨日の一言に善通寺の四国フォト広瀬さんから手紙が届いていたことを記しましたが、本日は善通寺の前法主樫原禅澄さんから手紙が届き、帰ったばかりですが四国が恋しく感じられるとともに、四国が身近に感じられる一日ともなりました。
多くの人と出会う中でも、お二人とは随分と気が合うと言うのか、利害関係の無い人と人とのつながりは出会いの第一印象やイメージが重要で、偶然とは思えない神がかり的な大きな出会いの設定ルールに合致しないとすれ違っていきます。
3日前に薬王寺の納経所で出会った、電動バイク旅の出川さんや森三中の村上さんとの出会いについても、多くのお遍路がいる中で、あと10秒遅ければ出会うこともなく、1分早くても先に朱印を済ませて立ち去っており、会う運命にあったとしか思えません。
そうやって考えていくと、四国で多くのお遍路と行き交う中で、ほとんどの人とは挨拶程度で声をかけることもなく、話し込むだけでなくその後も行き来が続く人間関係には偶然とは言っても、相性と言うか何か因縁めいた気がしてきます。
昨年から出会ってから交流が続くようになった知人も複数存在しますが、先月のお遍路で出会った今治市の英語教師ピーターさんについても、焼山寺で偶然の接触が3度続き、二度と会うこともないと思って別れてから四度目の遭遇がありました。
英語ができない私との会話も、車のジェット巡拝中の私にピーターさんの自転車が追いつくはずもなく、3時間後にピーターさんが3ヶ寺を後回しにして4ヶ寺先のお寺を直接目的にして走っていたことから奇跡の再会となりました。
3月に愛媛県第39番延光寺で出会ったFさん
四日市市のFさん
同じく先月出会った三重県四日市市のFさんについても、年齢も親子ほど離れており、何故に会話が始まったか判りませんが、5ヶ寺だけの同行の中で、偶然にも我家から近い四日市市の方であったことや、私が10年以上前に法螺貝に興味があったことから地元での再会を約束しました。
四国から帰って再会した四日市市の一心寺では、「音が出なかったから諦めた」と語っていた私に、高価となる本格的な法螺貝まで頂くことになり、私が身勝手に訪れたお寺のご住職から御礼まで言われると絶対に大切にしたい人間関係となりました。
こんなお遍路を通した人間関係が、身体にガタが出てきた年寄りにも大きな力になることは間違いがなく、「年寄りになってからどうしてそんなに親しい友達ができるの」と周りから言われますが、四国に限らず上高地でも親しい出会いが続いています。
「先生の転勤はありませんか?」
「2年位は無いと思うけど、どうして?」
「居なくなると心が折れそうだから…」
「ありがとう、そう言ってくれて…」
本日の中村日赤の主治医との会話ですが、膠原病に罹患した年寄りにとっては、「身体の不調時は何でも僕に電話してきて」と言ってくれた医師は仏様か神様のような存在であり、こんな信頼関係が一年でも永く続いて欲しいと思っています。
全国各地の積雪とは違い多い所でこんな状態です
小筆から筆ペンへ
かつて購入した筆ペンはサインペンの延長でしかありませんでしたが、最近の筆ペンは小筆の毛筆と遜色なく、むしろ墨の付け足しが必要なく、墨液の量が一定のため写経には向いていると思われ、とりあえず四国遍路の納め札は筆ペンを使うことにしました。
平成13年に初めて遍路を始めた時は、納め札どころか般若心経も唱えられないまま、人を追い越して納経帳へ朱印を受けるだけで良しとしていましたが、現在では徳島県の第23番薬王寺で販売されている納め札にこだわって使用しており、これからはボールペンではなく筆ペンで書き込むことにしました。
雪の中を無理して外出せず、「こんな時は家の中でやれることをやれ」との弘法大師の教えかも知れませんね。
本日の写真です。
「こんな雪で音をあげては何もできんぞ」の声も弘法大師の声で、四国の僻地にある岩窟や人も入らぬ山中で修行されたお大師様を考えると、あえて小雪(雨)の舞う中を長靴を履いて外出することにしました。
使用した長靴は、上高地のボランティアで使用している長靴で、上高地では一日中歩くと2万歩以上になるため、昨年はリハビリ中のため使用を控えていたものの、今年の上高地はすべて長靴姿で何でもできるボランティアとしてカムバックしたいと考えています。
問題は添付した長靴が私の生活圏のホームセンターや靴屋には見当たらず、ハイカラな見た目の良い長靴はあっても、靴底が生ゴムでできた添付したような長靴でないと、一日中履き続けると足腰が悲鳴をあげてしまいます。
本日の歩数は8千歩ですが、上高地が開山する4月までに、長靴で2万歩以上歩いても苦痛にならない身体に回復させていきます。
国宝松本城
松本市役所大手事務所
環境省上高地パークボランティアの勉強会
新聞販売店 信毎松本専売所
1922年創業の小松パン店
松本市で100年続く老舗のパン屋さんです。ボランティアの先輩女性から、「美味しいから食べてみて」と差し出された「アンパン」の味に魅了され、案内していただいたパン屋さんですが、目的としたアンパンは売切れており、自宅へのお土産に各種の手作りパンを買ってきました。
松本市で絶対に行くべきパン屋さんの中に入っており、ガイドブックには「小松パンと言えば牛乳パン」と紹介されており、地元民が口をそろえて牛乳パンを挙げるというパン屋さんの老舗ですが、店頭に目立った看板もなく案内がないと探すのが大変です。
星3つの名店です。
土曜日の写真です。
四柱神社(よはしらじんじゃ)のご祭神「天之御中主神」は、天の中央にある主の神として産霊神のはたらきを統一される神様と言われます。四柱神社には高皇産霊神と神皇産霊神は宇宙創造の根源の神様で、これら三神の神意を地上に具現化される天照大神の四柱が奉られています。
四柱神社
ナワテ通りは江戸時代にはただの土手だったようで、明治に入って四柱神社が建立され、お城の周辺に市役所や警察所などが建てられるのと平行して栄えていったと聞きます。
現在は魅力あるナワテ通りも、終戦直後は大陸から引き揚げてきた人や、都会から疎開していた人たちがテントを立て、闇市や祭礼に屋台を出すテキヤと言われる人たちが商いを始めたそうですが、汚水で汚れた女鳥羽川の清掃をすすめてテントからプレハブの店舗に変わっていったようです。
シンボルとなっているカエルについても、清流にしか生息しないカジカが再び生息されることを目標として、昭和47年に「カエル大明神」をお祭して、毎年1月2日と6月に開催される「松本かえる祭り」には神主による神事も行われています。
汚れたとは言っても、元々が美しい川であったことと、ボランティアの人々による清掃によって最近はカジカが戻ってきたとの話も聞きましたが、今では市町村合併によって松本市になった上高地のボランティアと共通するものも感じさせられます。
私の住む愛知県では、テレビ放送が東海3県を対象としているため、木曽路や松本市のある信州についてはあまり放送されませんが、木曽路から松本市には魅力ある自然環境と景観が多く、松本周辺の安曇野には愛知県より古い真言密教の古刹も多く存在します。
次の松本行きは3月に開催される上高地PVの定例会となりますが、私の大好きな上高地と併せて松本市や安曇野市なども廻ってみたいと思います。
昨年11月15日に閉山となった上高地の環境省に所属するパークボランティアの定例会が松本市の市民活動サポートセンターで明日開催されます。
明日は早朝から車で出かける予定ですが、2年前はコロナ感染拡大によって中止となり、昨年も出席を予定していたものの感染拡大によって自粛せざるを得なくなり、今年は3年ぶりの参加となりますが年末の豪雪も和らいだため愛車キャラバンではなく、小回りのきく軽自動車で松本を目指すことにしました。
2022-01-13
2021-01-12
家族は長距離であることと、普段車中泊にも使用しているキャラバンで行って欲しいようですが、今年は軽自動車の車中泊で四国を廻る計画を立てていることから、雪で通行止めになっても取り回しのきく軽で行くことにきめました。
2年前の3月13日の木曽路
全国的に雨の予報ですが木曽路は雪かもしれません。
一年前の明日(1月14日)の写真
定例会は午後1時から3時までで終わるため、明日中に帰ってくることも可能ですが、天候を見ながら明後日の日曜日に帰ってくることとし、さすがに家族が心配する車中泊はしないものの、万が一雪で足止めになっても車内で籠城できる装備と、2日間は生き延びる食料や防寒衣を積み込みました。
2021-12-09 2年前の軽による車中泊
2年前の冬に軽自動車による車中泊で四国遍路へ訪れたことがあります。周りの知人からは多くの食料や荷物を積み込めるキャラバンの方が楽と言われますが、極寒となる冬季は車内空間の広いキャラバンは夜間の冷え込みが厳しく、狭い軽自動車の方が私の体験では楽でした。
狭い軽自動車の中に1週間分の食料や水を積んで、独りで四国を廻ることを考えると、明日の松本行きの楽しみが湧いてきます。
本日の写真です。
今年は正月休みが短く、正月の雰囲気を感じないような年明けになりましたが、意外なことに本日から3連休になっていることも、月曜日が祭日であることも本日まで自覚がなく、家内がボランティアの移送を受けていたことから普段と変わらぬ一日になりました。
持病を持つ高齢者にとっては正月休みや3連休より病院の診察日の方が重要で、長い正月休みは病院に行けず体調不良に陥っている患者も多く、重篤な病気や難病患者にとっては長い連休や祭日はストレスになっていきます。
そんな生活の中で、パソコンの横に置いたカレンダーから次の外出先や、上高地と四国遍路の予定を考えるとストレスだらけの地域生活を忘れておれます。
さて、私は学生時代の昭和52年に朝日新聞の販売店を起業しましたが、私にとってはその後の議員生活よりも長く関わったことと、政治との兼業禁止によって廃業しただけで、今にして思うとそのまま転業せぬまま引退を迎えたかったと猛省しています。
東海地区でシェアの少ない朝日新聞の販売店を起業するには覚悟も必要で、私は新聞配達人である地方新聞社の販売店とは違い、不偏不党で権力も恐れぬ朝日新聞記者の良識を地域へ届ける使命感によって販売店を始めました。
そんな何も判らない学生の私が営業する朝日新聞を購読していただいた愛読者は神様で、今でも縁側でお茶をいただいたお宅や、義理でもお付き合いいただいたお店は別格で、本日訪れた喫茶店「童夢」も居心地の良い環境のままで、何よりも権力に迎合しない喫煙可能(私は禁煙者ですが)の客席と、低価格のチケットなど末永く続いて欲しいと願っています。
残された人生は永くはありませんが、過去の恩恵を返しながらの生活を続けます。
上高地ビジターセンターで販売されている竹フエ
河童のタケリナと言います
竹フエの解説書
音を変える空気穴
上高地が閉山されて2ヵ月近く経過しましたが、新しい年を迎えてあと3ヶ月ちょっとで開山すると考えると、大晦日と新年の大きな心境の違いを実感させられます。
さて、閉山式から一年で一番厳しい厳冬期に入っても上高地の発信は続いており、上高地ファンの多さを実感させられますが、閉山式から帰ったまま置かれていたリュックを開けると、ビジターセンターで最後の客となって購入した「竹フエ」が出てきました。
この竹フエには「タケリナ」の名前が付けられていますが、環境省パークボランティアの竹重会長によって作られた竹笛で、ビジターセンターで販売されており、8月のお盆の頃にはクラフト教室でも竹フエや各種アクセサリーを作ることができます。
そんな訳で…
私が上高地で初めて作った竹フエ(鳩笛)
本日の写真です。
6年前に上高地で初めて竹フエを作ったことが下記に添付した一言に記されており、たかだか二本の竹だけで作れる竹フエではあるものの、あまりにも私の手先が不器用なだけでなく、ノコギリや穴あけが危険と言われてボランティアの先輩に手伝ってもらっていたことが書き記されていました。
2017年08月14日
2018年11月18日
2022-08-13 昨年のクラフト教室
上高地のクラフト教室で経験した竹フエ作りは、不器用で物作りとは無援な環境にあった私にとっては感動もので、翌年に名古屋市内でも先輩ボランティアの協力によってクラフト教室を開催しており、我家には材料となる竹と工具も買い揃えました。
膠原病(関節リュウマチ)のリハビリも兼ねて竹フエにも挑戦してみます。
本日の写真です。
膠原病と診断されて(今年6月)から早朝の体調不順が多かったため、自分が代表となっている福祉有償運送のボランティアも午前中は家内に任せて避けてきました。
もっとも、6月と7月は車の運転は全くできず、10月まではほとんど家内の運転で上高地も出かけていました。
今月から一人で上高地へは車で出かけるようになりましたが、朝起きてみないと判らない体調から午前中のボランティアは家内の仕事としてきました。
本日はその家内が体調不良のため、私が頑張ることになりましたが、元々車の運転が苦痛には思わないこともあって終日雨の中で無事に活動を終えました。
患者が患者を搬送すると冗談で話してきましたが、膠原病は一生完治しないと言われており、患者と思えは元気でも何もできません(笑)
さて、何事もなく一日が終わり、毎週火曜日の夜に開催される書道会の準備と、民生委員として担当している地域の人へ応対しているとびっくりの情報が飛び込んできました。
私の知人が新型コロナに感染しているとの情報で、私自身は一週間ほど顔をあわせておりませんが、それでも心配すれば全く安全とは言えずに心配となってきます。
無症状でも感染していることがあると聞くものの、何の症状もなくては病院へ行くこともできず、夜の書道会では元気に顔を出したメンバーと筆を置いたままコロナ談義となってしまいました。
知人の感染については感染前に市民病院と市役所を訪れているとの話ですが、わが家でも家内が市役所までマイナンバーカードの申請に度々訪れており、公的な施設については職員の感染状況についてもっと詳しく公開しないと怖くて近寄れません。
最近はいつ何処で感染するか判らないと言われていますが、高齢者施設や児童施設から感染する話が伝わってきます。
最近のコロナは重症化しないと言われるものの、感染者が出た幼稚園や学校が休校や閉鎖されないことは、無症状で家庭に持ち帰ったウイルスが家族を感染させる可能性も否めす、持病を持つ立場からは安心して外出もできません。
感染した人が再度2回目に感染となった話は、感染した抗体を持ってしても無力であり、ワクチン接種の効果にも疑問が湧いてきます。
コロナのワクチン接種をしないように呼び掛ける宗教団体もあると聞くと、まさに神頼みしかないようにも思われてしまいました。
本日の写真です。
昨日道に迷っている間に何度も通ったコスモス畑が気になり、本日は家内と一緒に弥富市の旧十四山村の鮫ケ池地区を訪れました。
これまで何度も各地のコスモス畑を紹介してきましたが、こんなに大きいコスモス畑は海部郡では一番ではないでしょうか。
もっとも、先月の20日頃が見頃だったとの話で、最盛期の朝や夕方のコスモスは輝いて綺麗だったと思われ、来年には元気で訪れてみたいと思います。
ここからは上高地です。
上高地ビジターセンター
河童橋
上高地の平山式までカウントダウン3日となりました。
環境省ビジターセンターを中心として、パークボランティアの先輩たちがネイチャーガイドや設置した双眼鏡の前で定点解説をしていた姿も懐かしい思い出となりました。
今週の3日から5日まで上高地でのボランティア申請をしましたが、病気療養中につき8月から家内の運転で四国遍路や上高地を訪れていたものの、今回からは自分一人の旅程となります。
そんなわけで、本日のボランティアから一人で患者さんを送迎することになりました。
もっとも、膠原病に罹患しており、体調も不安定なため上高地の活動も午前中のボランティアを避けて、比較的体調が落ち着いている午後のみの活動を申請しました。しかも、自分のペースで歩ける巡視としましたが当面は半人前しか間に合いません。
問題は上高地の寒さで、上高地から発信されてくる美しい紅葉が最近は白い霜や雪景色に変化しており、膠原病患者の私にとっては寒い冬は初体験となるため、着ていく衣類も心配となってきます。
さて、明日に搬送予定だった糖尿病の患者さんが通院する開業医が新型コロナに感染したため、10日間医院が閉鎖されるとの話が飛び込んできました。
ただし、毎日の飲んでいる薬が3日分しかないため、明日は以前通院していた市民病院の診察を受けることになりました。
この開業医は今年市民病院から独立したばかりで、自分の診ていた患者をほとんど連れて開業していたものの、コロナで医院を閉鎖しても他の病院への手配とか薬の処方は全くしないため、患者はその間の治療や投薬を自分で確保しなければならないと言う可笑しな話です。
こんなところから医師の良し悪しと良心が判ります。
医師の病気は致し方ないとしても、患者にとっては主治医の不在が命に関わってくるため、一時的とは言えこんな無責任な医院閉鎖は許されません。
膠原病の私でも患者さんを搬送しなければならない現実と、万が一搬送が滞ると患者さんの生命に関わる責任を実感させられる一日ともなりました。
午後6時01分
今週は朝だけでなく午後も体調が不良で、静養して身体を休めていると夕方になってしまいます。
10日前の3連休には、朝から夕方まで元気に四国の石段を上り下りしていたことと比較すると完全に病人になっています。
週末の上高地行きを控えて、こんなことではだめだと身体を奮い立たせてウォーキングに出ました。
本日の写真です。
膠原病に罹患してから自分で自分の身体がコントロールできず、動かずに静養していても身体は楽にならず、苦痛なく身体が動いていても病院の検査で結果が悪いとどうしていいのかわかりません。
投薬により免疫細胞が抑制されており、コロナや風邪に感染すると大変なことになるそうですが、感染していなくても身体が重く、本当に感染したらどうなるのか心配がつきません。
さて、週末は上高地と長野県を訪れますが、上高地では一日に2万歩ほど歩くことになるため、本日はその予行演習でもありますが、何よりも最低気温が氷点下を示す環境のため、自分の身体にあった歩き方を心がけたいと思います。
本来の予定では滋賀弘法会のメンバーを乗せて高野山へ参拝するはずでしたが、メンバーに怪我人が出たため中止となり、突然の上高地行きとなりました。
本日環境省に連絡してボランティアに参加する申請をしたところ、複数のボランティア仲間と上高地に滞在する知人等から連絡があり、改めて上高地は自分の居場所であることを実感しました 。
ただし、上高地の宿泊施設は満杯の為、日曜日は松本市の古刹である真言宗のお寺を訪ねたいと考えています。
本日の写真です。
週末の高野山行きが突然中止になったため、急遽上高地へ行くことを決めましたが、宿泊する施設が満杯となっており土曜日だけの上高地となりました。
土曜日には18名のボランティアが活動申請しており、宿があれば日曜日まで滞在したかったものの、一日だけの上高地となります。
突然の上高地行きですが、予定されていた高野山への同行がキャンセルとなり、なんとか上高地の紅葉に間に合いました。
ありがたいことは、本日の午後に環境省の活動カレンダーへ登録されてから複数のボランティアから連絡があり、闘病中の身体を心配するとともに、元気ならと次の活動への誘いがあったことで多くの仲間の存在を実感させられました。
何よりも9月に千葉へ帰るかもしれないと言っていた渡辺画伯が滞在していることで、仲間との仲介を頼まれていた約束が果たせそうです。
本日の写真です。
さて、先週から今週末の高野山 参拝に同行するため外出を自粛していましたが、参加メンバーに複数のけが人がでたため中止する可能性が高まりました。
そんな場合は迷わず上高地へ目的地を変更することになりますが、そうなると何とか紅葉が残っていることと、北アルプスの山々に初雪が舞わないことを祈るばかりとなります。
本日の写真です。
2週間前の週末は上高地に出かけ、先週末は四国と京都へ出かけましたが、上高地では1日一万歩歩き、四国遍路では手すりに頼ることなく石段や山道を歩けました。
もっとも、帰宅した翌日の月曜日は身体中に疲れが残り、昨日は好調だったものの、本日は絶不調に陥りました。
台風が通り過ぎたことで本日は気温がいっきに低下しており、睡眠中に身体が温まらなかったのが原因かもしれませんが、本日は午前中だけでなく午後まで身体の不調が続きました。
膠原病と診断され7月から薬を処方されていますが、症状は少しずつ改善しているものの、その日の朝に起床してみないことその日の体調がわかりません。
何よりも体調の良い日と悪い日の格差が大きく、上高地や四国で元気に動く姿を見た家族は勝手に仕事の予定を入れるようになり、本日は絶不調ながら二人の患者さんを病院へ搬送しました。
明日も私を希望する患者さんがあり、絶不調の早朝からボランティアが始まるため、午前6時に起床して身体中のストレッチが、必要となります。
庭のブルーベリーが最盛期を迎えて連日のように熟してきます。
本日の写真です。
私が行きつけにしているガソリンスタンドはエネオスの吉田石油ですが、私の住む津島市では一番格安になるスタンドではないかと思っています。
最近では151円の看板が表示されており、スタンド専用の吉田カードを使って毎週木曜日に3台の車に給油しています。
ただし、一般客の価格は159円で、自動感知するエネキーの会員は157円と前に使用した領収書のバーコードでさらに2円の割引で155円となります。
木曜日だけの格安料金151円が常時表示されており、安いと思ってガソリンを入れたお客さんは159円の料金にびっくりさせられます。
過去に遠く離れた県外の店頭に表示された格安の料金を信じて給油したものの、実際には高い料金だったことが何度もありましたがこんな表示はやめてほしいですね。
さて、回復したと言っても連日不調であることには変わりがありませんが、見た目だけは健康体ですので、本日は福祉有償運送のボランティアでハンドルを握りました。市内限定ではありますが少しずつ社会復帰したいと考えています。
昨日のテレビニュース
本日は NPO 法人の納税申告に税務署を訪れてから、愛知県海部事務所で法人税を支払い、津島市役所をおとずれ法人税の納税猶予の申請書を提出して帰宅しました。
これまでは毎年私が一人で行なってきた仕事ですが、今回は家内が同行して万が一私が不在となっても仕事が展開できるように覚えてもらいました。
NPO 法人を代表する私自身が患者になったことで、法人の輸送に期待する患者さんの心情がよく理解できるようになったと思います。
4月23日の穂高連峰
9時前 ボランティア参加者がインフォメーションに集合します
23日の写真です。
今年になって初めてのボランティアとなりましたが、環境省に登録された79名のうち18名のパークボランティアが集合し、田代湿原方面の除雪と木道整備の班と、バスターミナル周辺の清掃作業の班に分かれ、私は大正池の近くから田代橋まで冬季の散策路の位置を示す竹の回収作業に参加しました。
最初に添付した「何をしているか判りますか?」の回答は、野生のサルが散策路や木道に残した糞(フン)の清掃で、観光客の人たちが踏むと大変臭いため気づいたら撤去するよう指導されており、我家では農作業は一切家内任せの私が長靴姿で働く姿は家族には奇異の目で見られています。
ボランティアは基本的に自己参加型で、上高地では環境省や公園財団職員の指示のもとで、自然解説や清掃活動を行っており、最近ではサルの追い払い(野生動物対策)や外来植物の調査や除去など、上高地の自然環境の維持管理に関わる何でも屋となります。
ボランティアの活動紹介
もっとも、重労働や危険な作業はほとんどなく、巡視を希望すればゴミを拾いながら上高地の行きたい場所を自由に選択でき、夏でも木陰にはいれば涼しい上高地の自然環境と、四方を見渡すと穂高連峰や北アルプスの山々に癒されますから、上高地が好きな人にとってはたまらないボランティアとなります。
開山祭は27日となりますが、11月15日まで上高地が閉山されるまで私のセカンドライフとなり、今年は四国遍路と同様に積極的に足を運ぼうと考えています。
ちなみに、河童橋のたもとで油絵を描くホームレス画伯こと、上高地の有名人となった渡辺さんは5月15日に入山との話で、今から再会が楽しみにもなっています。
次の上高地行きは5月13日の予定です。
4月25日の一言
本日の写真です。
私の住む津島市では現在市長選挙が行われており、明日と投票日の日曜日も愛知県に居ないため、本日は家内の車で投票所まで歩いて行けない母親とともに不在者投票に市役所を訪れたものの、3年前まで出向いていた場所とは思えない浦島太郎のような心境にさせられました。
同時に行われている市議会議員の補欠選挙については、立候補している候補者2人とも面識も無く、選挙公報も届いていないため選択もできません。帰宅後に自宅のポストを見ると選挙公報が入っていましたが、新聞販売店の広告と一緒に投函されており、金曜日に届いても参考にもできませんでした。
さて、明日は早朝より上高地のボランティアに参加しますが、昨年11月以来となるため活動に必須となる環境省から支給されている帽子探しから始まり、残雪の中での作業となるため、しまい込んでしまった冬用の衣類も引っ張り出しました。
幸いにして天気予報は昨日より良くなっており、用意した雨合羽も必要はなさそうですが、上高地では27日に開かれる開山祭が吹雪ということが何度もあり、5月のゴールデンウィークまでは雪の可能性もあるため、愛知県から持ち込む衣類には頭を悩まされます。
何事も無く長野から帰ると、次は一人で行く四国遍路を予定しており、本日環境省からあった5月の案内にも参加を申請したため、まさにしばらくは上高地と四国遍路のための生活環境となっていきます。
今年は追突事故後の右手手のひらのシビレが残っており、身体と相談しながらの行動になっていきます。
4月22日の一言
自宅前の夕暮れ
父親の遺したボタン
同じく父親が遺したアマドコロ
週末の土曜日にボランティアへ参加するため本日環境省に参加申請をしました。例年なら開山式前のボランティアに参加し、更に27日の開山式当日も訪れてきましたが、先月末に受けた追突事故後の右手手の平のシビレに悩まされており、家内の同行でとりあえず一日参加することにとどめました。
さて、桜の時期に高遠城址公園内で働く知人と再会する約束がしてありましたが、前記した理由から桜の最盛期をさけて日曜日に訪れることにしました。もっとも、知人には知らせていないため会えるかどうかは当日の楽しみです。
最近になり過去に撮りだめた写真を整理しており、目の前にあった開山式と音楽祭の写真を添付しましたが、音楽祭は平成27年から開催されておらず、コロナ禍により減少した観光客を考えると何とか復活させたいイベントです。過去の音楽祭には毎年魅力ある音楽家が参加されており、ささやかでも再開してもらいたいものです。
環境省の登録証が届きました
本年4月から令和6年3月末まで有効です
車にはカセットガスコンロが積んであり、昨年から一人で山に入る時にはリュックに添付したコンパクトバーナーと食料を入れて歩くようになりましたが、山の中で美味しい珈琲の味を楽しみたいとより軽い装備を考える中で、アルコールランプで湯を沸かそうと考えたのが本日の顛末です。
結論として軽くても燃料のアルコールと水、そしてナベを持ち歩く必要があるため、火力が強くライターの要らないガスコンロの方が食事にも利用でき実用的で、珈琲を飲むだけなら保温ポットに熱い湯を入れて持参した方が軽くて場所を選ばずに休憩が取れることを自覚しました。飲料水はペットボトルの珈琲で十分ですね。
もっとも、千円以下のアルコールバーナーも販売されていますが、何処でも販売されているカセットガスを利用できるイワタニコンパクトバーナーがあれば十分で、今年はカップ麺やカレーメシレベルではなく、持ち込む食材を考えてみたいと思います。
さて、今年は23日に上高地へ入りたいと考えていますが、安易に約束した高遠城址公園に行くことと、毎月訪れることにしている御嶽山へ行くことを考え、知人が関市の岐阜県立博物館で開催している個展へ訪れることを考えると日帰りの上高地行きとなりそうです。
4月13日の一言
本日の写真です。
昨日に引き続いて福祉有償運送の一日となりましたが、家内は車イス利用の患者さん専属で名古屋市まで同行しており、私は市内の患者さん3人を搬送したものの、診察が終わった後で薬局に寄りたいと言われ、刻々と次の約束した時間が迫り、ついには時間が超過してしまいました。
このあたりの判断によってはスムーズな連携となりますが、患者さんだけでなく相手のあることだけに成り行き任せで対応するしかなく、待たされる人の存在を考えると、待たされる人以上の時間に追われるストレスを実感させられます。
さて、我家の庭にも春が到来し、一週間おくれでサクランボの花が咲き、アンズのツボミも木の上部から開花を始めています。週末には満開になっている可能性が高いものの、週末の3連休は四国遍路へ出かけているため帰宅後には散りかけているかも知れません。
その四国遍路ですが、出発することは決めているものの、持参する納め札や白衣など準備を何もしておらず、車に積み込むだけのこととは言え、巡拝する前の心の準備ができておらず、愛媛県から香川県に向けて訪れる知人やお土産も明日と明後日に調達する必要があります。
あわただしい旅立ちになりそうです。
3月16日の一言
本日の写真です。
本日は2人の患者さんを名古屋市の中村日赤まで送迎する予定だけでしたが、体調不良と常用する薬が無くなる2人の会員さんからの依頼によって、夕方まで忙しい一日となってしまいました。
たかだか4人の送迎ですが、一般のタクシーのように電話があってから走っていくだけなら簡単ですが、予め予約を受け付けているものの、それぞれの治療や診察が終了する時間が判らないため移送が重なったり、最後の患者さんの送迎が終わるまでは待機状態が続きます。
明日も5人の予約が入っていますが、車イスの患者さんを名古屋市まで送迎する予約があり、家内の車がかかりつけとなるため、私は4人の患者さんを午前中に送迎することになり、午前中に仕事は終わるものの、家内の帰宅は午後になってしまいます。
さて、今年の4月から道路交通法が改正され、5台以上の車を所有する事業所は毎日運転する前と運転後にアルコール検知をすることが義務化され、違反すれば厳しい処分が課せられるようになりますが、ボランティアの自家用車で参加するメンバーが数キロ走ってきて事務所で検査し、数キロもどってから会員さんを送迎し、終了後に再度事務所へ検知に戻ることはボランティアの領域を超えていきます。
人を移送する責任は重大ですが、運送業や一日中運転を生業とする業務は別として、ボランティアの中には飲酒をしない人も含まれており、私自身の生活習慣では夕食時にコップ半分の赤ワインを口にするだけで、そもそもがアルコール検知は必要がありません。
悲惨な事故や事件が起こっており、その都度条例が厳しくなるのは理解できますが、ボランティア精神から自発的に参加しているボランティアにとっては堅苦しい活動になっていきます。
3月15日の一言
愛西市の医療機関
津島市民病院
人工透析の施設です
ウォーキング中の梅
本日の夕暮れ
本日の写真です。
明日は3月11日です。月日の移り変わりは速いものですが、毎年同じ気持ちで発信しているピアニストの存在を知ってほしくてここに添付しました。
明日の11日に東北地方へ向けての音楽演奏会のライブ発信が案内されています。
2022年3月11日(金)14:00〜15:30頃
配信URL:https://youtu.be/rCj_VFm9qos
本日の午前中は患者さんを病院まで搬送した後に、週末松本市で開催される上高地の環境省パークボランティアの定例会に参加するあま市の知人を訪ね、次年度の上高地の活動や近況報告に花を咲かせました。
近くに住んでいるものの、遠く離れた上高地でしか顔をあわせないため、昨年10月に手術を受けた私の身の上話や、知人も同じ病院で手術を受けていた話を知り、町内会の総会によって出席できない定例会での個人的な意見も知人に託して自宅へ戻りました。
何かあるたびにストレスを溜めていた町内会とは違い、自分の意思で参加しているボランティアのため、自分自身の負担が重くなってもより厳しい活動を語ることにも、自分自身の本来の居場所であることを実感させられました。
知人は地域で歴史研究会の役員も務めており、コロナ禍になる以前から依頼されていた遠方への史跡勉強会への運転手役も、自分自身を頼りにされていると思うと、忙しい中でもやりくりして参加していく責任も痛感させられますがストレスは全く感じませんから不思議です。
さて、本日の福祉有償運送は午後の方が忙しく、市民病院から愛西市の医療機関で人工透析を受ける患者さんを搬送し、透析が終わったのちに市民病院へ戻り、会計を済ませてから自宅まで送り届けましたが、帰宅は午後5時近くになっていました。
昨日の一言にも記しましたが、本日が特売日のガソリンスタンドで給油したところ、1リットル161円の価格になっており、地域で一番安いスタンドでありながら、3台の車に給油すると後々の通帳を見るのも嫌になりそうな高騰が続きます。
午後9時20分に町内会の会計監査を受けて帰宅しました。明日から3日間が町内会最後のストレスとなり、日曜日には次期役員に引き継いでストレスから開放されます。「くそったれ」と叫びたい心境です。
3月10日の一言
愛西市から見える養老山地
歯科医院前の愛車
本日は愛西市の旧立田村の患者さんから歯科医院への搬送を依頼され、訪れた場所が高校時代の恩師の近くのため連絡すると、偶然にもその歯科医院は恩師の息子さんが院長であることが判り、30年ぶりながら昔話に花を咲かせました。
こんな偶然は嬉しいものですネ。
恩師は86歳になっておられてビックリしましたが、時を忘れて私の長話に付き合ってくださり、お元気な声に元気をいただきました。この恩師は女性で、高校の教頭から大学の教授にまでなられたパワーのある先生でしたが、私と同じく66歳頃から体調不良や病気に悩まされ、ご主人も20年ほど前にガンで死別されており、元気な現役の頃とは違うご苦労をされていたようです。
久しぶりの会話から高校時代の恩師たちの近況だけでなく、地域社会で活躍している卒業生の話題も聞くことができ、何も知らずに通り過ぎているものの、本来なら身近であるはずの人たちが多く存在して頑張っていることに元気をもらいました。
さて、肝心の福祉有償運送ですが、搬送した患者さんのお宅は我家から9キロ以上離れており、2往復すると40キロ近く走ることになり、1リッター8キロのキャラバンの燃費を考えると5リッターほどかかり、患者さんから片道670円の料金をいただいても最近のガソリン代を考えると赤字になってしまいます。
そんな訳で、恩師との長電話の後は、恩師から同じ同窓生(女性)が活躍していると聞いた近くの道の駅「立田ふれあいの里」へ車を走らせました。
近くで待機すればガソリンは一往復分で済みますが、今度は1時間かそれ以上の待ち時間を覚悟することとなり、自宅へ戻ってもとんぼ返りになれば休憩にもならず、タクシーを呼んでも1時間以上待たされたと聞く交通空白地域の厳しい現実を実感させられます。
広大な駐車場
平日でも車は満杯です
大阪ナンバーのキャンピングカーを見つけカメラに収めました。
遠く離れた患者さんの搬送はボランティアとは言え辛いものがありますが、交通の便の悪い交通空白地帯の高齢者にとっては切実な問題で、私の到着をご夫婦で待っておられる姿に自然と奉仕精神もわき、本日は搬送先が恩師の息子さんと判ったことと、恩師との電話から地域と一体になっている心強さも感ずる一日となりました。
これからは、待ち時間を車中で休養として割り切るか、道の駅のネット環境を利用して必要な仕事を消化するか、遠隔地の移送を考えていく必要があります。
本日の夕暮れ
さて、私は再来週に車中泊で四国遍路を予定しており、愛媛県から香川県を巡拝しようと思っていますが、今週末でお役御免となる町内会のストレスが無くなり、今週末に松本市で開催される環境省の定例会へは参加できませんが、明日近くに住む定例会参加予定の仲間と会って依頼を託すなど明るい話題も連鎖していきそうです。
3月9日の一言
本日は海南病院まで搬送
本日の写真です。
土曜日に訪れた団子屋(饅頭)のえがしら堂へ本日も訪れ、孫や世話になった知人への和菓子を購入して帰宅しました。
私自身は団子が大好物で、実は饅頭も大好きですが、健康面を考えると連日食べるわけにはいかないものの、えがしら堂の和菓子は美味しいだけでなく、何よりも販売している店員さんとの明るい会話が購入意欲を倍増しています。
ちなみに添付したナベちゃんは、来週多治見市のピアゴから再来週は御嵩町のアピタ、その次は岡谷市のアピタと移動し、お花見シーズンは長野県の高遠城址公園で店を開き、その後は長野県松本市の道の駅今井恵みの里で営業する予定だそうです。次の再会が楽しみです。
朝一番の患者さんを医療機関へ搬送し、治療されている合間にあま市大治町のピアゴで移動販売しているえがしら堂を家内と共に訪れ、帰宅後に町内会長へ総会用資料を持参し、家内が搬送した患者さんを夕方迎えに走り、歩いてウォーキングの家内と合流して久しぶりのコーヒータイムにしました。
この一年間、忙しい訳でなくても町内会の仕事があると強いストレスを感じてきましたが、忙しい一日であっても自分のやるべきボランティアと、好きなことをやった忙しさはストレスを感じないことを実感する一日ともなりました。
そんな訳で、えがしら堂のナベちゃんにも感謝です。
親しい知人のブログ発信の中に、高齢者として生活する中では「義理を欠く」ことと、自分本位で行動することが重要と記されておりましたが、自分の意としない押し付けられた仕事や、好きでもないお付き合いはストレスが増すばかりで、この一年間は腹立しい気持ちとストレスの繰り返しでした。
それもあと5日間となり、これからは不義理とか村八分と言われても二度と町内会の役員は引き受けず、自分の意思で関わっているボランティアや、納得して引き受けた公職だけに専念し、週末は大好きな上高地と四国遍路などできるだけ自分本位に生活したいと思います。
3月8日の一言
本日の写真です。
本日は町内会の会計処理が全て終わり、収支と通帳残高も合致しているため、町内会長のお宅を訪れて今年度の決算書と来年度の予算案について協議し、自宅で細かい修正を済ませたことで、事実上終わった安堵感から久しぶりに家内とウォーキングに出かけました。
ここからが問題の始まりでした。
明日の午後にパソコンからプリンターで印刷する予定でしたが、この際本日中に済ませてしまえば明日は完全に開放されると、家内から夕食の声がかかるのを無視して印刷していると、昨日に完全に打ち込んだ情報に空白のスペースが見つかり、修正していると頭がパニックになってきました。
私を待って夕食を待つ家内を2階の事務所に呼びつけ、50ページほどの大量の印刷のため、修正した場所のみの差し替えにしていたため、途中から何をしているのか判らなくなり、何が正しい数字なのかも判らない状態に陥ってしまいました。
ふと、パソコン画面を見つめると、保存して印刷していた画面は完成前のページであることが判明し、そうなると修正すればするほど訳の判らない帳簿になってしまい、その都度印刷して確認した破棄する資料と最新の資料の判別もできなくなっていきます。
どうやら最新の情報と思って保存していた資料は修正途中の資料でしかなく、最新の資料を誤って破棄してしまったと思われます。
あー、馬鹿の見本です。
せっかく完成していた資料を破棄した代償は大きく、全ての資料が信用できなくなり、明日の午後に手伝ってもらえる知人の監視下で再度完成させて、明日以降に印刷しなおすことになりましたが、明日は多くの患者さんが病院への搬送を待っておられ、明後日は自分の通院と民生委員の協議会もあることから、先週末から続けてきた会計処理は週末にまで至りそうな雰囲気です。
昨晩には会計処理が頭に浮かんでほとんど眠れず、本日も夕食が10時過ぎになったことから、明日も寝不足は必死となりそうです。
3月2日の一言
知人から送られてきた写真です。
新型コロナウィルス
中和抗体検査キット届きました!
1週間以内に試してみますが、結果は分かっているもののワクチンを打ったら今日一日飲酒はNGです抗体がで出来にくいですと言われたが、習慣だから無視・・どんな結果が出るか?
こちらも知人の写真です
何処か判りますか?
閑散とした参道
お千代保稲荷の参道です
今日は本当に1日ですか?
じいさんとばあさん
オバサン?
あれっ? 見たことある人だけど…
久しぶりです有名人
朝から福祉有償運送のボランティアで名古屋市まで走り、その後は連日となる町内会の会計処理をしているとやっぱり夜を迎えてしまい、大方は終わったものの来年度の予算案を明日に残し、明日も引き続き会計処理を続けることになりました。
もっとも、本年度の会計は出納帳と収支や決算額が全て符合したため、とりあえず山場は越えており、ストレスをため続けていた町内会役員の責任からも開放される希望が見えてきました。
毎年3月の第2土曜日には環境省パークボランティアの定例会が松本市内で開催されており、昨年も長野県に滞在していましたが、今年は町内会の総会と重複するためストレスを溜めて欠席を覚悟していたものの、コロナ禍にあって外出自粛が続きそうなため諦めにもなりそうです。
人にはそれぞれの生活があり、定年後の生活を地域の老人クラブや町内役員に意欲をもやす人も存在するものの、私はボランティアとは言え平日は毎日移送ボランティアと関わり、週末は上高地や四国遍路へ行きたいと考えているためそんな人とは全く波長が合いません。
年金受給者となり、70歳に近づく年齢になってから無理やり押し付けられる役務は苦痛で、75歳で他界した西郷輝彦さんを考えると残された寿命はわずかで、せめて好きな生活を続けて後悔のない人生を全うしたいとつくづく思うこの頃となりました。
3月1日の一言
本日の写真です。
町内会の会計が明日28日に締切りとなるため、午前中からパソコンの前で年度末の会計報告書をまとめていると、時計は3時を廻っており、残りは明日に先送りにして珈琲屋へ行こうと考えていると、家内が応援に現れて次々と間違いが発覚し、夜まで外出しないままに一日が終わってしまいました。
昨年3月22日の一言
一年前に無理やり役員を押し付けられ、週末の土曜日と日曜日はお役御免にしてもらったものの、当事者の居ない総会で本人不在のまま確認もされずに決められた役員は、事あるごとにストレスをためた参加となりましたが、それもまもなく終わりに近づいてきました。
私自身は平日に福祉有償運送のボランティアに関わっており、週末の決められた日は上高地のボランティアに参加し、空いた日は四国遍路に走る生活パターンにしており、昨年はコロナ禍により外出の制限があったものの、基本的に自由になる日は無いことから、好きでない町内会の仕事には大きなストレスとなっていました。
それもあと半月で終わることになりましたが、来月13日に開催される総会の前に、町内監事の会計監査を受けるため、一年分の領収書と符合した決算書を完成させる必要があり、月初めからは大忙しの生活となっていきます。嫌々引き受けた仕事が終わると思えば気が楽になります。
もっとも、来月には自分の確定申告もせまっており、関わる2つのNPO法人の事業報告も愛知県に提出する必要があり、税務署や行政への申告や、ほとんど仕事は無いとはいえ民生委員の仕事も考えると完全なる休養は当面見込めません。
明日は珈琲屋くらいは行きたいものですね。
2月27日の一言
「あっ、手袋を落としてきた」はずが…
ウォーキング途中で立ち寄ったマクドナルドを後にして、ポケットに入れてあった手袋を取り出すと片手分しかなく、後戻りして歩いてきた道を探していると、後から追いかけてきた家内から「付けているじゃない」と言われ、左手を見ると手袋をはめていました。
あわや店内まで戻って問い合わせる寸前でしたが、無意識に左手に付けたことも自覚しないままに手袋を探していました。最近になって旧知の知人の名前が出ない事が増えており、本日も病院で手術を担当した医師の名前がしばらく思い出せませんでした。
左手に車のキーを握りしめたまま、車のキーを探していたり、老眼鏡を付けたまま老眼鏡を探していることもあり、明らかに認知症の入口か、老人ボケになっていることは間違いがなく、物を暗記するか頭の体操でもしないとボケ老人になってしまいそうです。
自分自身が自覚する物忘れの多さについて、第三者に話しても「誰でもそうだワ」と言われてしまいますが、最近首に巻いていたネックウォーマーも行方不明になっており、過去の出来事の年号も曖昧になって、思い出しても浮かばなくなってきました。
それに比べて人間である私は、3日前の一言へ翌日に五平餅を焼こうと記しておきながら、机の上に出して置いたまま忘れており、本日も夜に書道会があるため明日以降になるなど、物忘れが日常茶飯事の生活になっており情けない限りとなります。
さて、本日の移送ボランティアは、午前中は雪が降り出したため患者さんから心配してキャンセルの連絡が入りましたが、午後になって出発した家内から、病院まで搬送予定だった対象者が、自宅の玄関内で転んで動けなくなっており、近所の人と救急車を手配して大変な思いをした体験を聞くことになり、昨日の悲報に続く会員さんの悲劇に遭遇する一日となりました。
1月18日の一言
日の出と同時に移送ボランティアへ 本日愛知県の日の出 午前6時58分
渋滞中
中村日赤の往復です
最近は目覚ましを8時05分に設定して起床しているため、本日は久しぶりとなる日の出とともに患者さんのお宅を訪れ、名古屋市の第一赤十字病院を目指したものの、道路は通勤のマイカーで大渋滞となっており、早朝の通院の辛さを実感して帰宅しました。
我家は津島市と名古屋市を結ぶ県道沿いにありますが、昨晩は違反者を見つけたパトカーが突然我家の前から大音響でサイレンを鳴らして追尾したため、びっくりして目が覚めてしまい、その後なかなか寝付かれないままに朝を迎えてしまいました。
昨年10月から朝は8時過ぎに起きてゆっくりと朝食を摂り、その後もコタツで横になってから動くようにしており、7時前に起床してそのまま外出することで、朝食は帰宅した午前9時過ぎとなり、何もしないまま待機して昼食になると一日中身体の怠い生活になってしまいました。
さて、搬送する患者さんのうち3人が現在入院中になっており、病人にとって厳寒期のこの時期は大変な生活になりますが、なによりも年末年始の医療機関の休診が大きなストレスになっていると思われます。
そして、搬送する側の私自身の体力も低下し、明日の移送を考えると大きなストレスになっていきます。
散歩中 午後4時40分
本日の写真です。
ボランティアとは言え、自分のペースと違う行動は我が身に堪え、普段より2時間早い起床は夜も熟睡ができないため夕方まで不調のままで、こんな時ゆえに身体を奮い起こして寒風のなかウォーキングに出ましたが、夢遊病者のような帰宅となりました。
そして、更に辛いお話は、私の帰宅直前まで私たちが搬送していた90歳をこえた男性の親族が訪れておられ。年末に亡くなられていたことと、肋骨が折れていたことなどを家内が聞かされており、移送の対象者が高齢者のため、最後は寂しい悲報になると我々にも精神的ストレスとなって身体が疲弊していきます。
1月17日の一言
スマホのネット情報につられて、一宮市まで五平餅を食べるために走りましたが、午後3時に閉店となっており、残念ながら再度訪れることを告げてお店を後にしました。
一宮市奥町三出102-10 電話 0586-62-4656
本日の写真です。 ドンキホーテ勝幡店
本来の予定では、本日長野県松本市へ行っている予定でしたが、予定された定例会がキャンセルとなり、自宅でのんびり静養しようと考えていると、愛西市の知人から病院への通院に困っておられる人の相談が入り、知人に同行して対象者宅を訪れ、知人に誘われるまま昼食をご馳走になっていると帰宅は午後3時近くになっていました。
その足で家内と一宮市まで走ったわけですが、せっかく一宮市まで行ったので知人へ連絡して立ち寄り、談笑後の帰宅途中にコンビニに立ち寄ったところ、今度は地元の同級生と偶然にも遭遇し、車内で飲みながら帰る予定の珈琲でしたが、コンビニ前で長話の珈琲になってしまいました。
1月15日の一言
午後まで雪が残った愛車
昼頃の我家
同じく午後の車
環境省からのメールです。
数日前から新型コロナ感染を避けて長野県松本市まで行く方法を考えてきましたが、本日の正午過ぎに環境省から明日に予定されていた定例会を中止する旨のメールが届き、家族から心配される中を移動しようとしていたものの、それも無駄な苦労に終わってしまいました。
昨日の一言に、バスと電車を天秤にかけた書き込みを記していましたが、どちらにしても人が密集する名古屋駅を通り、バスの車中では感染者がいるだけで濃厚接触者になるため、雪道を安全に車で走行する覚悟を決め昨晩タイヤチェーンの確認をしました。
ところが夜になって激しい雪が降り始め、本日早朝には患者さんの移送を依頼されていたため、空模様が気になり何度も確認のため外を眺め、朝は家内の車にチェーンを装着する覚悟で目覚め、家内は雪道の走行を確認するため試運転へ出かけました。
準備万端で家内と2人乗車で移送する対象者のお宅へ出発しようとした瞬間になって依頼者からキャンセルの連絡が入り、昨日に積雪の予報から日程変更をお願いしても頑強だった依頼によって、心配な一晩を送ってから出発直前の中止決定には本当にハシゴを外された心境になりました。
結局は前日に全員日延べの連絡を入れたため、本日の福祉有償運送はお休みとなり、無情にも雪道の移送を希望する会員以外の電話だけが響き渡る午前中となりました。
そして、昼には明日予定されていた環境省の定例会中止の連絡が入り、週末に雪道を走行して松本まで走る心配も無となりました。
本日の写真です。
3ヵ月毎に訪れる管理栄養士さんの栄養相談があり、同級生とともに津島市保健センターを訪れました。年末年始は餅をはじめ食べ過ぎており、昨年10月から70キロ前後で推移していた体重が1キロほど増加しており、間食が増えていることもこんな機会に自覚させられます。
次の相談日は3月の予定ですが、それまでに体重を落とすことよりも足腰の筋力を高め、身体全体のストレッチに心がけ、4月の上高地開山と四国遍路にそなえたいと思っています。
1月14日の一言
本日の体重71,3キロ 徒歩数2502歩
本日の体重71,3キロ 徒歩数2502歩
名古屋テレビのコロナ情報
長野放送のコロナ情報
環境省からのメール
今週土曜日に松本市で予定されている環境省の定例会に参加する予定ですが、一昨日には大寒波によって木曽路の木曽福島や木祖村の国道が圧雪により通行止めになっており、車での長野入りは完全にあきらめ、JR中央本線の列車か名古屋と松本を結ぶ長距離バスにするか迷っていると、急速に拡大した新型コロナの情報や、環境省から万が一の中止も含めて金曜日の正午に判断する旨の連絡が入りました。そんな訳でバスの予約もできません。
ワクチン接種券が昨日届いたため、本日はかかりつけ医で3回目の予約をして、25日に私が接種を受け、家内は日をずらして27日に接種を受ける予約を済ませており、それまで周りから感染しては大変なため、今回の松本行きについても列車とバスとどちらが安全か真剣に悩まされます。
そんな中へ…
ボランティア仲間からのラインです。
私と同じように遠方から松本市へ出向く予定だったボランティア仲間から、社内に感染者が出て濃厚接触者になったため定例会出席をキャンセルしたとの連絡が入ってきました。
「こりゃーあぶないなァ」
「本当だね」
「どうしようかな?」
「やっぱり止めるの?」
「バスにするか、電車が良いか…」
「えー、お父さんには止めるという選択肢は無いの?」
第三者から感染させられずに松本まで行くために、バスと列車のどちらが安全かを真剣に考えていましたが、知人のキャンセルという現実の中で、万が一感染すると私だけでなく家族も濃厚接触者となり、毎日病院まで搬送している福祉有償運送の患者さんたちの移送ができなくなってしまいます。
さて、どうしたものか…
ちなみに、明日早朝から依頼されている病院からリハビリ病院への移送ですが、東京から駆けつけた娘さんが同行していく予定でしたが、搬送先の病院から東京から来た家族が同行したら患者さんを受け入れないと厳しく言われ、同乗する私たちも危険と隣り合わせであると実感させられます。
現実には私の事務所の1階は三男が接骨院を営んでおり、私の感染は私と同居する息子たちの仕事やお客さんにも影響することから、危険と隣り合わせの行動は自分だけでは済まず、何のために3回目のワクチンを予約してきたか判りません。
私の住む愛知県の感染者数も急増しており、感染地域からの訪問によって他人へ感染させる可能性も考えると来週予定している四国遍路についても、ワクチン接種後に感染者数が減少するのを待った方が国や自治体の判断ではなく自分や周りの人のためにも賢明かもしれませんね。
知人から届いたラインの内容から新型コロナの厳しい現実を身をもって実感させられました。
本日の写真です。
県外への移動どころか、今回のオミクロン株の感染力を考えると、駅や電車だけでなく買い物に訪れるスーパーですら危険と思える世情になってきました。
1月13日の一言
本日の体重71,1キロ 徒歩数3205歩
本日の体重71,1キロ 徒歩数3205歩
週末の土曜日に、長野県松本市で開催される上高地のパークボランティアの定例会に参加する予定で、本日出席する申請をメール発信しましたが、オミクロン株のコロナ感染が急増しており、昨年の外出自粛で行けなかった悪夢がよみがえってきました。
2021-01-12
2年前にはコロナ感染が始まっていたものの、外出自粛になるような拡大はしておらず、松本市から遠回りとなるJR飯田線経由で一日かけて愛知県へ戻っており、こんなことが当たり前にできた社会に戻るのはいつのことになるのでしょうか。
東海3県が11日に発表した新型コロナウイルスの感染者数は、合わせて320人でした。 愛知県は236人で、名古屋市55人、豊橋市4人、岡崎市21人、一宮市10人、豊田市22人、その他が124人でした。
添付したサービス券は、塩尻市にある健康ランドの無料券ですが、昨年も送付されてきたもののコロナ禍で行くことができなかったため、何とか今年は行きたいと考えているものの、毎日の移送ボランティアが高齢者の患者さんを病院まで同行する仕事であることを考えると複雑です。
そんな気持ちに追い討ちをかけるように日本列島を強い寒波が襲う天気予報が出ており、オミクロン株の猛威をかいくぐりながらでも松本を目指す強い意志を堅持しつつ、明日以降の感染状況を冷静に見守りたいと思います。
1月11日の一言
本日の写真です。
年末に前歯の歯茎が痛みだし元旦には化膿していたものの、歯科医院が正月休みのため我慢していると自然に良くなってきたのでそのまま回復を待つつもりでいると、昨日になって入れ歯が折れ本日は入れ歯の修理に歯科医院を訪れました。
そんな訳で、回復間際になっていた歯の治療も受けることになりました。
そして、ボランティアを終えた家内とマックまで歩いて本日は終わりと思っていると…
「急だけど6時半に頼めないかしら」
「通院ですか?」
「そうです。片道でも良いので…」
「うーん、どうしようか」
真っ暗となる夜の移送ボランティアは断ろうと思っていましたが、何もしないまま一日を終わるよりはと快諾し、いつになるか判らない治療後の移送も引き受けたため、夕食も中途半端になり、移送後に家内と買い物に出向く長い一日となりました。
世の中は三連休になっているものの、通院に同行している患者さんの中で4人が入院中となっており、移送しているのが高齢者ばかりで、持病のある患者さんのため、身体の異変は休日でも待ってくれず、休み気分になっていても連絡があると断れなくなってしまいます。
もっとも、来週は上高地のパークボランティアの定例会が松本市であり、再来週は四国遍路に出向く予定のため、地元に居なければ断るしかありませんが、家内と手分けしているものの、要望に応えていると一年中休みなしになってしまいそうです。
生活がかかった本業のタクシーであれば大歓迎の依頼かもしれませんが、利益は運行に必要最低限の対価となる福祉有償運送のため、雪道の移送で事故を起こしたり、人を運んで駐車違反でもおこすと赤字になってしまいます。
そして何よりも依頼される患者さんが高齢のため、私を若いと思っておられるものの、あと2年も経てば70歳になってしまうため、若いボランティアを増やしていかないと自分自身の限界は明らかで、自分が病気になった時に困るようでは何のためにボランティアを始めたのか判りません。
ちょっと頑張ろうと思う一日ともなりました。
1月8日の一言
本日の体重71,8キロ 徒歩数7606歩
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