大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

ボランティア活動

大雪の中を患者搬送して

雪の中村日赤 名古屋市中村区


我家の2階からの遠景

10センチ以上は積もっています

雪を積む愛車

事務所前 西向き

事務所前 東向き(名古屋方面)


 愛知県の私の地域も久しぶりの大雪が積もり、過去に記した私のヤフーブログ(現在はライブドアへ引っ越し)を確認すると、四年前に大雪に見舞われていましたが、雪とは無援の地域だけに本日予約が入っていた福祉有償運送の患者さんたちへ断り(私の運転だけでなく、患者さんも転倒の危険があるため)を入れ、お休みにして午前中は寝ていることにしました。

 しかし、…

名古屋市へ入ります 新大正橋

中村日赤前の交差点

日赤入口

完全なる雪景色


 それぞれのお宅へ断りの電話を入れた直後に、別の会員のご家族から電話があり、ご主人が「こんな大雪の日に私には突然依頼できない」と言われるため、奥様がタクシー会社に電話をかけ続けたものの、どこも電話がつながらないため連絡されたと判りました。

 高齢者の薬をもらう程度の通院もありますが、体調が悪化して病状が急変した患者さんにとっては、台風や大雪であっても搬入は遅らせることができず、こんな時に役に立たないとボランティアとは言えないと自宅を出発しました。
 
3日前の中村日赤の写真です。

3日前に桜を見ていた病院前の庭 まさかこんな大雪になるとは…



帰ります

中村公園前交差点 降り続きます

稲葉地町付近

七宝町安松付近

下田

やっと地元へ到着です

西尾張中央道神守交差点


 添付した過去のブログを読み直すと、四年前の大雪の時にはチェーンを巻いて名古屋市の中村日赤へ患者さんを搬入しており、私の住む津島市には信頼できる高度な医療機関がないため、こんな大雪でも名古屋市まで走ることになります。


 個人的には2週間前から体調不良に悩まされており、自分の身体を何とかして欲しい心境ですが、深刻な病気や高度な治療を必要とする患者さんの前では笑い話にもなりませんから、不調であることは封印して病院へ走っていくことになります。


 現実には私自身も10月から中村日赤のお世話になっており、健康回復は私自身の課題でもあります。


2018年01月25日

2017年01月15日

014年12月18日

2012年02月02日


 本日のような荒天や雨の日は必ずタクシーを依頼する電話がかかってきますが、福祉タクシーや福祉有償運送は予約が基本になっているため、会員以外の電話は受け付けしないようにしているものの、困った人たちの電話に応えておればかなりの収入増になりそうです。


家内のお土産

たい焼き

みたらし団子

本日の写真です。

 さて、本日はお気に入りの珈琲店に出かけようと思案していると、午後に歯科医院まで患者さんを送って行った家内が私のお気に入りの団子を買ってきてくれました。私にとっては食べることよりも、自分のお気に入りの空間で一服したいことを家内は未だに理解してくれません。

                               12月27日の一言

体調不良でも移送ボランティアへ

JR関西本線の列車

新装中のJR蟹江駅

2階へのエレベーター

階段から

改札口

郷愁 この線路が京都まで繋がっていると考えると…


名鉄電車 勝幡駅の東付近

動画


 昨日から体調が絶不調で、午前中は横になっているように言われて休養していると、突然病院まで送迎して欲しいとの電話で、家内が走っていくことになりましたが、家内が病院まで移送していた患者さんの移送を担うことになりました。病人が病人を運びます(笑)
そんな最中に知人(同級生)から昼食の誘いです。

同級生と昔ながらの中華ソバ

食後はマックで休憩

最近は知人との昼食(中華ソバとマック)が増えました。

懐かしい朝日新聞社からの封筒

東海サンクスキャンペーンのWチャンス賞

本日の写真です。

 さて、患者さんを出迎えると、「食事を減らして痩せるように言われた」との話ですが、我家の90歳を越えた母親よりも若くて小食なのに食事を減らして大丈夫かと疑問になり、保健センターの管理栄養士さんに電話したことから午後にも走ることになりました。

 実は、夕方幼稚園から帰ってくる孫に小池風流軒のみたらし団子を買ってくる約束がしてあり、保健センターへ出かけることになったため、知人と別れてから蟹江町の団子屋さんへ走り、新しく改装している蟹江駅を見物してきました。

 こんなことで身体の不調を忘れるしかありません。

 保健センターへ同行したご婦人は、両膝が悪く杖なくしては歩けない状態ですが、体重を減らさないと膝がますます悪化するため、体重を減らすことは必要ですが、貧血状態で食事量を減らすことは問題で、管理栄養士さんから昼食時の副食を増やして間食を減らし、毎日10分の室内歩行をノルマとして体重を1キロ減らす目標をたてて帰宅しました。

 私が搬送する患者さんが医師や医療機関から減量を指示されるものの、食事量を減らすだけの指示や、朝の味噌汁を止めるとか問題ある話も多く、本日も食事量を減らすと貧血のため問題となり、昼食時の副食となるたんぱく質のおかずを増やして摂取量を増やし、デイサービスの週に2回だけの運動を毎日10分の運動にする指導がありました。

 他人の心配をしている健康状態にはありませんが、こんなお節介な行動が体調不良を忘れさせてくれたものの、こんな思いの中で購入してきたみたらし団子は、孫がマックへ行ってきたため、「食べたくなーい」と言われる始末で、年末が迫るなかで患者さんの通院が増えるため忙しい年末が迫ってきました。
                               12月22日の一言

本日のボランティア

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名古屋中村日赤から我家までのタクシー料金
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本日の利用者(津島市)宅から中村日赤までの料金

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利用者宅までの走行距離

 本日は午前7時から名古屋市中村区の日赤まで通院される患者さんの移送に出かけましたが、病院の診察と治療が終る時間が判らないため、一度自宅に戻って待機し、連絡を受けてから再度日赤に走ります。

 中村日赤から我家まで9,8キロあり、実際にタクシーメーターをまわすと4,250円となりますが、福祉有償運送の料金は1,720円となります。

 本日は午前中に治療が終りましたが、日赤から患者さんの自宅まで11キロあり、ボランティアとなる福祉有償運送の料金は1,960円でしたが、タクシー料金では4,550円となりますから、概ねタクシー料金の半額以下が福祉有償運送の料金と
なっています。

 本日の患者さんが公共交通機関を利用した場合、名鉄バスの料金が片道520円ですみますが、自宅からバス停まで約1,5キロの距離を歩き、名古屋でもバス停から1,5キロ歩くか、地下鉄に乗り換える必要があり、この患者さんは半身不随で奥さんの同行も必要なため、高額となってもタクシーしか通院手段はありません。
 本日の患者さんは2人とも障害者手帳によってバス料金は半額になるものの利用できず、タクシーを利用すると1回の通院で往復9千円以上にはなりますから、何度も通院する場合は年金生活者にとって大きな負担となり、我々の福祉有償運送しか交通手段がありません。

「今から利用したいんだけど来てくれる」
    「どういう状態ですか」
「障がい者なら利用できるんでしょ」
    「そうですが、予め会員登録が必要なんです」
「じゃー、会員になるから来てくれる」
    「ですが、本日は他の予約があるので」
「済み次第来てちょうだい」
    「ですから、先約があるので本日はタクシーを利用してください」
「タクシーは高いから損するじゃない」

 どんな依頼にも応えたいものの、初対面となる電話で障がい者だから利用できるとか、タクシーは高いから損と言ってタクシー代わりに利用を依頼されると、ボランティアとは言え、タクシーと同じ労働になることと、重複した場合に料金の高いタクシーを利用してくださいと言えないため、他のボランティアの心情も考え心を鬼にして断るしかありません。

 現実には、会員さんの依頼を断ることは病気の悪化や命に関わることから、1人で一日に5人の予約をこなしたこともありますが、依頼の無い日もあり、仕事として報酬を求められないため、メンバーのボランティア意識に期待するしかありません。

 そのボランティアも10年を経過し、本年末で年金受給者となることと、何よりも家族やペットが病気になり、予約を優先して家族を後回しにしているのは苦痛で、ボランティアの限界を感ずるため、ボランティアの継続には仲間を増やすしかないと実感するとともに、NPO法人の拡充に一頑張りが求められています。

                                  10月31日の一言

上高地 徳沢フラワートレッキングへ


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快晴の河童橋 午後3時

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ビジターセンター前の小梨の説明からスタート 午前9時

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梓川から穂高を展望します

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シナノ笹の説明

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樹齢350年 別名黄門様のカラマツ

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本日は花のトレッキングです

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幸せを呼ぶ緑のニリンソウ

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快適なトレッキング日和です

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ダイナミックな北アルプスの展望も

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徳沢に到着です

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午後12時30分 現地で解散です

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徳沢園

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最高のキャンプ日和です

 上高地ビジターセンター主催の徳沢フラワートレッキングが開催され、ガイド役の三澤さんはパークボランティアの先輩で、昨年の徳沢トレッキングにも同行させてもらい、私にとってはガイドの先生役でもあるため、今年もお願いして補助員として同行させてもらいました。

 河童橋から明神まで徒歩で約1時間かかり、徳沢には更に1時間ほどかかりますが、花や樹木だけでなく、小鳥の声にも耳をすませて案内するため、観光客より急ぎ足の行程となり、現在明神館前の公衆トイレが使用できないため、明神池経由の徳沢行きとなりました。トレッキングでトイレが使えないのは致命的です。

 そんな不運も、上高地はミヤマザクや小梨が満開で、ニリンソウなど花盛りの環境が参加者の疲れを払拭し、参加者の好奇心が衰えることなく徳沢に到着しました。

 花盛りの上高地ですが、説明を聞いてもあまりにも種類が多く、最初に聞いた花がメモを見ても判らなくなり、最後尾を歩く参加者から問われても四苦八苦となり、「僕はゴミ拾いのプロを目指します」の一言に、「なにを言ってるの」と帰路は私への案内までしてもらうことになりました。それでも…

「大鹿さん、この花なんだったかな?」
    「うーん、確か、タケ…」
「うん、うん」
    「(閻魔帳を見て)、タケシマランか」
「そうやって覚えるしかないわ」

 花を見ただけで名前が判り、小鳥の鳴き声を聞いただけで名前を説明できる先輩のようにはいきませんし、花が咲いているのは長くても一週間程度で、次に出会うのは一年後となりますから、自分の得意な花からひとつひとつ覚えていくか、ガイド前日の予習が必要になります。
 今年も勉強の一年となりますが、今年から登録された新しいメンバーの存在も頑張れる刺激となり、新しいボランティアとの出会いや、先輩方からの思いやりが清々しい気持にしてくれます。

                          本日の徒歩数 25750歩
                                       5月26日の一言

今月2回目となる上高地パークボランティアへ

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小梨平から見る本日の穂高連峰 手前はマユミの木

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本日はサルの追い払いと普及啓発活動

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サルを追い払う試射
                        サルに当てるのではなく威嚇です
                         そして、弾は自然に戻る原材料でできています

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小梨の木 ビジターセンター前

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小梨の花

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河童橋から見る梓川と穂高

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ニリンソウの花

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ビジターセンターのガイドツアーに出会いました

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田代橋からの遠景

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大正池

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道路に出ていたサルを山に追い払います

 本日のボランティアはサルの追い払いと観光客への普及啓発活動ですが、生まれたばかりの子ザルを連れた群れを威嚇して追い払うのは可哀想で、私の持ったパチンコの石を引く力も緩みますが、人を怖がらないサルは危険で、今年生まれたばかりの赤ちゃんザルが今年になって上高地で2匹車に撥ねられて死んだそうです。

 死んだ子ザルから母猿が離れないため、亡骸を回収もできなかった話や、死んで白骨化した子ザルを抱かえて移動する親ザルの話を聞くと、サルと人間が適当な距離を置いた方が自然で、サルに菓子を与える観光客の存在を考えると、サルを追い払っていくことと、我々の存在から観光客がサルに近づかないようにするしかありませんね。

 本日の活動範囲は、バスターミナルから小梨平へ行き、もどって河童橋から梓川右岸からウエストン碑、穂高橋経由で田代湿原、大正池へ到着し、林道散策路から田代橋まで戻って、帝国ホテル前から県道(バス道)をバスターミナルまで戻りました。

 本日も過ごしやすい絶好の上高地になり、明日の天候も良さそうなので、明日の徳沢フラワートレッキングも楽しみとなります。
                        本日の徒歩数 24176歩
                                    5月25日の一言

横井庄一記念館の桜


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記念館の門前にある桜

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記念館の外(西側)から見た桜

 太平洋戦争が終ったことも知らずに、グアム島の洞穴に潜んで昭和47年に発見された横井庄一さんは、平成9年に鬼籍に入りましたが、平成18年に夫人が自宅を記念館として毎週日曜日に開館し続けてきました。

 「後は全部あなたにやってもらうことにしました」の一言は、2年ほど前に突然記念館の館長を務める夫人が私に発した言葉でしたが、還暦を過ぎた私が引き継いでも10年先が判らないため、将来の記念館を私の娘と孫に託して、私は残された人生を次期館長として頑張ることになりました。

 昨秋から「横井庄一記念館を護る会」のNPO法人化を進め、本年3月1日に愛知県知事から認証が下り、3月末までに法務局への登記や、関係する行政への届出が総て終り、本日は法人県民税の減免について県税事務所に出向きました。

 本日午前中には、今年91歳になる夫人の財産管理をしている大手信託銀行の担当者と、夫人と娘とともに遺言状の確認と、相続の手続きについて説明されましたが、我々を見送るため門の外に出た夫人が、我々の車窓から消えるまで立ったまま見送っていた姿が気になりますす。

 さて、添付した桜は一時は枯れかけたものの、最近は樹勢を盛り返しており、予定では記念館前の道路拡幅により切り倒される運命でしたが、美しい花を咲かせているため、庭師さんに聞いて移植が可能なら植え替えることになりました。

 記念館に植えられた木々の中には、横井庄一さんが幼少時に大鹿庄一として私の家にタネを蒔いて成長したマキの木が2本移植してあり、わずかでも横井さんの血縁となる私の娘と孫が仏壇とお墓を護っていくことに、道路拡幅によって伐採される樹木にも情を感ずる一日ともなりました。

          本日の体重 72、9キロ 徒歩数 2824歩 間食あり
                                     4月4日の一言

横井庄一記念館の法人認証が降りて


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 昨年末に設立の申請をしていた「横井庄一記念館を護る会」について、愛知県より特定非営利活動法人(NPO法人)の認証がおり、愛知県知事名で3月1日付けで郵送されてきました。

 この認証通知を受け取って2週間以内に法務局に法人登記をする必要があり、定款や役員就任承諾書などとともに、法人印の登録を済ませ、法人の所在地となる津島市と県税事務所に記念館のある名古屋市にも届出が必要となります。

 さて、問題は現在3月議会が開催されており、届出時に認証が下りるのを3月10日頃と聞いていたことから、名古屋市内にある法務局へ行ける日がないため、年末の師走よりも慌ただしい3月になりそうです。

YouTube 動画 
      「公式サイト」愛西会議 横井庄一記念館を愛西市へ移設を参照
                    http://aisaideguchi.jugem.jp/?eid=156

 添付した動画は、地元テレビ局が5年ほど前に放映したものと思われますが、自分自身も出演しているものの、映像を見るのは初めてで、動画を添付されていた愛妻会議さんに感謝するしかありませんが…
 ところで、この映像をどうやって保存するのでしょうかね。

 昨年8月に放映されたNHKの横井庄一を特集した番組で、記念館が愛西市に存在するような間違った表現があり、館長の横井夫人が高齢なため、記念館が閉鎖されたと勘違いして心配した人々から問い合わせが集中しました。

 記念館は平成18年に開館しましたが、館長の横井夫人と後継者に指名された私が死んだ後も、私の娘と孫の代まで引き継ぐ計画で、そのための法人化だけに、ボランティアで協力していただく会員を募集するとともに、我家の2階に設置されたミニ記念館も倉庫と化しているため何とか公開にこぎつけたいと考えています。

 添付された愛西会議の記述にもありましたが、生まれた愛西市とともに、生後3ヶ月頃から小学校5年生まで生活した津島市にも、横井庄一の足跡を残していただけるのは幸いで、安部首相とはまったく違う戦争観と社会平和の実現を目指し、人の生きる原動力となる発信を横井庄一記念館から続けていきたいと考えています。

                                     3月4日の一言

横井庄一記念館前の道路が拡幅されるために


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名古屋市千音寺土地区画整理組合 組合事務所

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記念館裏と区画中の更地

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この道路が拡幅され、庭が無くなります

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現在の門前

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この門柱も撤去されます

 名古屋市中川区の横井庄一記念館前の道路が都市計画道路として大幅に拡幅され、玄関前の庭がほとんど無くなるため、記念館として存続していくために地元の区画整理組合事務所を訪れて駐車場確保のため調整してきました。

 大規模な計画道路に併せて土地区画整理事業が行われており、記念館の玄関先の庭が道路拡幅で削られ、横井庄一さんが存命中の生活空間が変わってしまうことと、記念館のイメージが残せるか心配は尽きません。

 この記念館の土地や建物は、横井庄一さんがグアム島で発見された際に、全国から寄せられた善意のカンパを資金として、土地を購入して建てられたもので、庄一さんがパーキンソン病になる前には、自給自足と称して野菜が作られていました。

 一時は名古屋市に寄贈して記念館として残す約束ができていましたが、名古屋市が将来は寄贈された土地を記念館ではなく更地にして売却すると約束を反故にしたことから、横井夫人から記念館として残したいと相談があり、50年先まで残す覚悟ならと平成18年に記念館を開館しました。

 地元の人々も横井夫人が高齢の独居老人のため、夫人が亡くなった後の記念館は自然消滅と思われていたらしく、記念館の後継者に私が指名され、NPO法人として認証を受けて存続する予定であることを伝えたことで、記念館の入り口に駐車場を確保してもらうことになりました。

 もっとも、後継者として指名された私も還暦を過ぎており、将来は私の娘と孫に記念館の存続を託していくことになりますが、夫人や私が他界した後々まで記念館を開館していていくことは大変と思われ、夫人からは記念館存続にはこだわらず、私の娘や孫たちが生活しやすい環境で住み続けて欲しいと言われています。

 さて、名古屋市の千音寺地区には知り合いも少なく、初めて訪れた区画整理組合でしたが、応対された地元の役員さんは、偶然ですが2人とも私の親しい知人の知り合いと縁者で、横井庄一さんが元気な頃から親しくされていた人のため、余所者ではなかったことを実感させられました。
 そして、幼少時に我家で大鹿庄一として生活していた横井庄一さんの遺産が、薄くなっているとは言え、我家の血を引く私の娘や孫に受け継がれていくことに、脈々と続く血縁や一族の絆も感じさせられる一日ともなりました。

            本日の体重 73、3キロ 徒歩数 3307歩 間食あり
                                     2月28日の一言

3月議会が始まって 孫の添い寝です


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こんな平和なひと時が何時まで続くのでしょうか

 本日は3月議会が開会し、本日の夕方まで市役所にカンヅメ状態でしたが、議員にとって当り前の行動であるものの、私を必要とする人々にとっては他の所要が重要で、携帯電話には多くの着信履歴が残されていました。

 私が居ないことよりも、車イスが搭載できる家内の福祉タクシーは引っ張りダコで、本日も複数の依頼者を市外の病院まで運んでいますが、明日の午前中は私も協力しないと依頼に応えられません。

 元々がボランティアの福祉有償運送を元にしているためか、タクシーメーターを回して高額な料金になると心苦しく、車イスを搭載するとなると手間はかかりますが、高齢者や障がい者から高額な料金をもらうのは後ろ髪を引かれるため、家内には一定額に達したら貰いやすい金額で打ち切るように指示しました。

 タクシーが決められた料金を適当に割り引くことは違法ですが、タクシーの半額以下で運行している福祉有償運送を仲間のボランティアと一緒に運営しているためか、福祉の名を冠しながら、一般タクシーより高額なタクシー料金を請求する福祉タクシーの料金を聞くと、何とか低額で応対したくなっていきます。

 車イス生活で仕事もない人ばかりか、ガンの再発により余命を宣告され、一日一日が死への階段を下りていく人から、最後まで在宅で移送の面倒を見て欲しいと哀願され、3人の人を最後まで病院へ運び続けたものの、死の前日まで料金を貰っていることには心が痛みます。

 縁起かつぎですが、私は私だけの身勝手の判断ですが、病院に入院する福祉有償運送の会員さんの料金は貰わないことに決め、「退院されたときにいただきます」と言う事に決めております。
 批判はあるかも知れませんが、移送していく人々が命を失っていく現実は、仕事とは言えストレスを溜め込み、ボランティアである初心は忘れたくありません。

 さて、そんな身勝手な気持で行動することが、私の不在時の代役と言うよりも、移送の主役となる家内のストレスと苦痛をもたらし、本日も朝9時前から午後5時まで車で走り回る一日となりました。

 そして、この仕事やボランティアも、私たちが年齢を重ねていくため、組織的に若返えるとともに、若い後継者を見つけないと私が倒れたらそのままになってしまいます。
 そして、来月からは横井庄一記念館へNPO法人の認証が愛知県から下りることから、法務局や行政に走るとともに記念館の仕事が新たに加わります。

            本日の体重 73、2キロ 徒歩数 4074歩 間食あり
                                     2月26日の一言

福祉有償運送運営協議会が開催されて


 本日は津島市総合保健福祉センターで海部西部圏域の福祉有償運送運営協議会が開催されました。

 海部西部圏域は津島市と愛西市が対象となり、公共交通やタクシーなどが利用できない人々を対象にして、ボランティアが自家用車を利用して病院や買い物に同行していますが、岐阜県や三重県の県境となる木曽川沿いの地域には対応ができておらず、我々対象事業者の更新の審査だけでなく、交通(移動)空白地域を解消するために議論しあう協議会であるべきだが、行政に真剣な対応がなく、委員を委嘱された人々の発言が皆無で、タクシー協会と運輸局の代表者と私が議論するだけの現状がもどかしく思われます。

 昨年4月にあま市の圏域でも移送ボランティアを展開することになりましたが、現地のボランティアの安全(運行)管理が確立できないため、依頼の電話があると福祉タクシーで津島市から出向いている現状の打開も急務となっています。

 東京都の武蔵野市は、自治体が福祉有償運送の車両を購入し、市民のボランティアに提供して福祉福祉有償運送を展開していますが、行政に交通空白地域を解消する意欲が全くない津島市や愛西市の市民は不幸ですね。

健康長寿の秘訣 外出する人は健康長寿

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 添付した表は多摩市の資料ですが、外出をする人と、めったに外出しない人との健康長寿に対する格差は明らかで、病院に行く交通手段がなく、異変を感じても我慢して、買い物にも行けない人たちの健康寿命が短くなるのは当然のことかも知れません。

 私もまもなく年金を受給する年齢になりますが、老後の心配をしてお金のかかる外出を控えたり、何もしなければお金もかからないと自宅にこもると健康寿命が縮まる調査結果から、毎日外出する生活習慣を考えていきたいものです。

 「えっ、また行くの」の一言は、昨年の上高地に向かう私に対する家内の口癖ですが、外出すればお金も必要になり、無職になった年金受給者の肩身は狭くなりそうですが、かつて四国遍路に行く場合も一人で行くと「お金もかかるし」と言われていたことから、仕事を引退後に無職となってからの外出は家族の風当たりも厳しいのでしょうね。

 年金支給額の多少の差もありますが、車に乗れれば何所までも行くことができますし、豪華なホテルに泊まらなければ低額な宿泊施設も存在し、日帰り入浴のできる施設も各地に登場していることから、できる限り外出することを意識したいものです。

 もっとも、旅行でなくても、日々の生活の中で、外出できる生活様式や趣味を考えれば、外出先の情報をブログ発信するなど、お金をかけずにできることは多く存在します。

 さて、NPO法人の認可を受けて10年が経過し、50代前半だった私も60代になっており、総急に若いボランティアの参加を募り、10年後の私を行きたい場所に連れて行ってくれる組織に発展させるのも残された使命かもしれず、私の周りの人々だけでも行きたい時に行きたい場所に行ける環境を目指したいと思います。

                本日の体重 73、3キロ 徒歩数 3571歩 間食あり
                                          2月20日の一言

患者等搬送乗務員の講習に参加して


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 本日は名古屋市御器所消防署において、愛知県消防長会が主催する「平成29年度患者等搬送事業に係る講習」(適任者講習・定期講習)が行われ、県内各地より集った搬送事業者やタクシー乗務員が受講しました。

 定期講習は2年ごとに講習が行われ、この講習に参加しないと初心者と同じ3日間の研修が必要になり、明日と明後日にも講習が行われます。

 さて、個人的には5月に上高地で開催される松本市広域消防局の普通救命講習も受講するため、救命講習について忘れることはありませんが、現実に対象となる現場に遭遇した場合に講習で学んだとおりにできるかどうかは判りません。

 ましてや、AEDどころか、消防署にも連絡ができない北アルプスや、携帯電話を所持しない田舎道で遭遇した場合には心肺蘇生法や心臓マッサージを続けるしかありませんし、連絡に走れる第三者もいない単身の場合を考えると大変です。

 もっとも、福祉タクシーや福祉有償運送については、対象者の多くが患者である場合が多く、搬送中に患者の容態が急変した場合にどのように対応するかは、日頃の予行演習を徹底するしかありません。

 津島市の救急車が通報から現地に到着する時間は約6分であり、この間に何もしないまま救急車を待つのではなく、心肺蘇生法で心臓マッサージ等が行うことは有効で、たとえ呼吸が止まっていても、心臓が血液を送り続けていれば血液中に残る酸素によって後遺症を減らすことが可能です。

 呼吸と心臓が止まってしまった患者さんに遭遇することは稀とは思いますが、家庭で一人くらいは救命講習を受けて、万が一高齢者が餅や異物を詰まらせたときなど、最善の措置が施せれば幸いとなりますね。

                                 2月1日の一言

横井庄一さんのお墓へ案内して


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千音寺霊園の横井庄一さんのお墓を撮影中

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お墓の前には小動物の慰霊碑が

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菩提寺にあるお墓へも

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記念館の掛軸「竹」  本日

 最近は横井庄一記念館の案内に出ていませんが、本日記念館を訪れていたところ、横井庄一さんのお墓を探したが見つからなかったと言って訪れたご夫婦があったことから、戦死したと思って母親が建立したお寺のお墓と、平成9年に亡くなってから建てられた霊園のお墓に案内してきました。

 案内したご夫婦は大阪の方で、奥様が動物を慰霊する日本人について研究中で、横井庄一さんの小動物の慰霊碑とともに建つお墓を訪れ、大学の論文にまとめていく予定との話で、記念館に戻ってから閉館時間を過ぎたことも忘れて雑談に花を咲かせていました。

 本日は八丈島から訪れた方もあったと聞きましたが、閉館時に東京から訪れた女性もおられたことから、私の車で名古屋駅まで送る車中で、来年に香川県善通寺市の乃木神社を訪れるとの話を聞き、せっかく善通寺市に行かれるなら「善通寺」そのものに宿泊して朝の勤行に参加されることを勧めていました。

善通寺市 乃木神社

乃木館:香川県の自衛隊善通寺駐屯地 http://toshitsugu.com/zentsuji.htm

善通寺宿坊「いろは会館」 http://www.zentsuji.com/shukubou/
 
 私自身は毎年善通寺市を訪れているものの、明治天皇の御大葬日(1912年)に夫人とともに殉死した陸軍大将乃木希典(のぎまれすけ)氏と善通寺の関係については何も知らず、四国はお遍路のためだけに訪れていることから、別の角度から四国の魅力を実感する一日になりました。

 乃木大将は、軍人としての輝かしい功績だけでなく、学習院院長を歴任して後の昭和天皇の人格形成にも大きな影響を与えた偉人で、何よりも仕えていた明治天皇の葬儀当日に夫婦で殉死した事実は、戦争の是非はさておき、私は日本国の先人として尊敬しても足元にも及ばない偉人と思ってきました。

 善通寺の乃木神社の話を聞いた女性は、各地の戦争に関する史跡を訪れておられると聞きましたが、私自身は横井庄一さんを親族として見ており、記念館も戦争の資料館としての意識は無かったものの、香川県で戦争資料を集めておられる三豊市役所の森さんとも、横井庄一記念館で出会って親しくなったことを思い出し、機会があれば四国の戦争関連の施設も訪れたいと思う一日ともなりました。

 もっとも、自分に残された時間には限界もあり、何でもかんでもやれるわけではありませんから、何事にも無関心で見過ごさないことが必要です。

            本日の体重 74、3キロ 徒歩数 2726歩 間食あり
                                    12月17日の一言

横井庄一記念館   畑の収穫と植え付け


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小さいもののサツマイモを収穫しました

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畑どころか雑草が生い茂っていました

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やっと草刈りが終り…

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何とかサツマイモの葉を発見しました

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小さなサツマイモと菊イモ

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ブロッコリーも残っていました

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越津ネギを植え付けます

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これで正月まで困りません

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私のクツも大収穫です

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そして、私の身体中にも…

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哀れな姿です  1時間半の作業に30分の後始末

 本日は横井庄一記念館に出向きましたが、名古屋に住む娘と待ち合わせて夫人と3人で談笑していると、家内が畑に植えてあったサツマイモを掘って、新たにネギを植えるため持参したため、予定外の畑作業となりました。

 畑作業とは言うものの、現実は夏に植えただけで放置してあったサツマイモだけに、その間に胸の高さまで生い茂った雑草を取り除かないと入れないため、雑草処理に30分以上かかり、やっとサツマイモの葉が出てきました。

 こんな状態ではサツマイモどころではありませんが、掘り起こすと小さいながらも綺麗なサツマイモが現れ、夏に取り残したジャガイモと菊イモも少しあり、89歳となる横井夫人が食べるには十分な収穫となりました。

 掘り起こした畑にワラを埋め込み、私の住む津島市越津町が発祥の名産「越津ネギ」を植えて作業を終えましたが、スーパーで買ってくれば100円もしない収穫だったものの、グアム島で発見された後に「耐乏評論家」と言われた横井庄一さんだけに、本来は自給自足にこだわることも重要かと思います。

 さて、作業はたいしたことはなかったものの、記念館を出たものの、クツや身体中についた雑草(引っ付き虫)のタネを取らないと車にも座れないため、寒風吹く夕方にシャツを脱いで種子を取るはめになり、通り行く車中から奇異の眼にさらされることにもなりました。

           本日の体重 73、1キロ 徒歩数 2976歩 間食あり
                                   11月17日の一言

上高地閉山式 今年最後のボランティアへ


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穂高神社の神官によって神事が執り行われます

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寒風舞うなか多くの人が集いました

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河童橋も人の波が

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穂高連峰に向かって祝詞が読まれます

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河童橋の中央で鏡割り

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運転手でなかったら(悲)

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神事が終ったら直会(なおらい)会場へ

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上高地の役員さんの挨拶です

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閉会後は粉雪(アラレ)が舞いました

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バスターミナルも本日が最後となります

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人の居なくなったウェストンレリーフ

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来年4月まで静寂となる大正池


 4月27日に開山した上高地も、あっという間に閉山式を迎えました。今年の四月は雪が多く、上高地のパークボランティアも鉄のように固い氷を割る除雪作業でスタートしましたが、今年の閉山式も寒風吹く震えるような一日となり、前日の風雨の影響か開始直前になっても人の姿がまだらで心配しましたが、神事が始まると何処に待機していたのかと思うような人で一杯になりました。

 それにしても寒い閉山式となり、多くの人が震えながら神事を見守りましたが、過去にも積雪や吹雪の開山式や閉山式を体験しましたが、本日は還暦を過ぎた身体の影響かもしれませんが、過去に無い震えが止まらぬ一日でした。

 神事が終った後に行われる直会(なおらい)は、上高地に関係する地元関係者や来賓として神事に参加された人々の納会でもありますが、例年会場となるホテル白樺荘が改装中のため、今年は五千尺ロッジを会場として開かれました。

 昨年の一言(下記参照)にも記してありましたが、直会に「今度来る時は、飲むから車で来ちゃダメだよ」と言われていましたが、私がここ数年間に渡って開山式と閉山式に出かけていることを知る愛知県の人たちが同行しており、今年もお酒を口にしない直会となりました。

昨年11月15日の一言

 しかし、明日から上高地の釜トンネルは閉鎖され、来年4月まで自由に入れないばかりか、半年間に渡って顔を合わせていた人々との別れは寂しいものがあり、我々はボランティアですが、上高地で働く人々が閉山後に何をされるのかを考えるとより寂しさが募ります。

 さて、今年はボランティアに22日間参加しましたが、我家から車で3時間半、約200キロ離れた距離がありながら、帰り道に寄り道をするようになり、少年時代の学校への行き帰りの道草のような新鮮さを実感した一年でもありました。

 本日は朝5時に津島市を出発し、8時40分に上高地へ到着し、田代橋まで巡視(ゴミ拾い)後に閉山式と直会に参加し、午後2時過ぎに上高地を離れ、沢渡の足湯公園で足湯に浸かり、境峠から薮原経由で道の駅や寝覚ノ床に立ち寄って午後7時にそれぞれを自宅へ送り届けました。

                                   11月15日の一言

上高地   閉山式が近づいて


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本日夕方の穂高連峰
                         上高地は終日雨でしたが、山は見事な雪化粧です。

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既に閉鎖それたホテルの案内
                              寂しいものがありますね

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ホームレス画伯のテント跡地 
                             今年4月から10月末まで滞在した
                                       渡辺画伯も千葉に帰りました。

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上高地から沢渡に戻ります。

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沢渡足湯前の様子です



 半月ぶりの上高地ですが、今年は一度も雨に降られなかったものの、本日は朝から終日雨が降る中でのボランティア活動となりました。
 雨でも活動中は汗だくですが、活動が終った夕方の穂高は真っ白の冬景色となっており、寒さに肩を震わせながらシャトルバスを待ち、沢渡は紅葉が最高となっているものの、冬の寒さに震えることとなりました。

 明日は、午前中のボランティアに参加して、御嶽山の祖父の石碑に参拝後に愛知県に戻っていく予定です。上高地最終日となる15日の閉山式は冬用タイヤに履き替えないと平湯峠は越せないかもしれませんね。

                                    11月4日の一言

上高地 雨の中のボランティア


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今年は上高地に多くの雨が降りましたが、私は20日以上上高地を訪れて一度も雨に降られたことがなく、このまま一年が終わるかと思われたものの、本日の上高地は朝から夕方まで雨となりました。

本日のボランティアは、午前中は田代池周辺の散策蕗の笹の刈り取りと清掃をして、午後はボランティアの定例会が開催され、今年一年の反省と来年の活動について話し合いました。




雨の上高地となって


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日の上高地は雨となりました。

沢渡バスターミナルを発車した頃は曇り空でしたが、途中から雨が降りだし、上高地では完全な雨模様となりました。

雨中のボランティアとなりました。



上高地 サルの追い払い

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上高地パークボランティア サルの追い払い機器の確認 10月14日(土)

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追い払いの機器の試技

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梓川右岸をサル探索中です

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同じく梓川右岸を岳沢湿原へ

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イスラエルからの旅行客と自然保護談議に花が咲きました

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本日はサルとの遭遇はありませんでした

上高地のサルに関する(今年)私の一言

 上高地のパークボランティアの活動に「サルの追い払い」があり、我家で愛犬と人間の子供と同じように生活している私にとっては、サルに石を投げつけて追い払うことはストレスとなりますが、サルと人間のトラブルを未然に防ぐため、心を鬼にして自らの体験とするために参加しました。

 上高地では当り前のようにサルと遭遇し、木の上でエサを食べるサルを写真に収めたり、背中に子猿を乗せてあるく親ザルを自然のように眺めており、観光で訪れた人々は、人間とサルがお互いに干渉しないことを自然のように思っています。

 ただし、それは決して自然ではなく、御嶽山で出会うサルの群れは、私の姿を確認すると慌てて逃げるか、遠巻きに迂回していくため、上高地のサルが人間を怖がらずに行動するのは人間の生活圏にサルが馴れてしまっていると考えられます。


 上高地のルールに「与えない」の決め事があり、野生生物にエサを与えないように訴えていますが、大正池でマガモやオシドリにエサを与える観光客や、サルに菓子を与える人物も存在し、サルと人間を遠ざける活動を続けないと、行楽地で観光客の食べ物を奪ったり、人間を襲うような二の舞にもなりかねません。

 サルの追い払いについて、サルを鉄砲で撃っているとか、サルめがけて石を投げて虐待しているような誤った発信もありますが、使用する威嚇銃の玉は、当っても傷つかない素材で、そのまま放置すると自然に腐敗してしまう素材で、サルに当てることはありません。

 14日(土)の活動中には、サルと出会うことがなく、何事も無かったとボッとする半面で、肩透かしになってしまいましたが、「サル追い払い中」のユニフォームを着た我々に、活動の趣旨を問い合わせる人も多く、自然保護について啓蒙するだけでなく、上高地の魅力を伝えられたことにも活動の意義があったと思います。

 現実には、母ザルの背中に必死でしがみついた子ザルや、小さな赤ちゃんを連れたサルの群れに石を投げて追い払う行為は残酷にも見え、私自身はしたくはありませんが、野生のサルに歯をむいて威嚇されると、地道な追い払い活動は必要です。

 もっとも、追い払わず、サルや野生動物の好きなように行動させ、人間が自然の中に踏み込まなければ良いと言う意見もありますが、畑の作物を全部食い荒らされた人や、野生の日本シカに表皮を食べられて枯れてしまう山林など、野生生物との関係は微妙な関係でもあります。

                本日の体重  徒歩数 3294歩 間食あり
                                     10月16日の一言

上高地から自宅へ戻って

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本日の大正池と穂高連峰

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大正池から見る焼岳

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本日は大正池から散策道の清掃をしました

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田代湿原から見る穂高連峰

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穂高橋から見る明神岳

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早朝に沢渡から画材を運ぶ吉田画伯
                       元広島県薬剤師会会長・日展入選15回の名伯楽です

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河童橋の手前が画伯の低位置

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今や上高地の名物となった世界の渡辺(ホームレス)画伯に見送られて


 本日の上高地は霜が降りたとの話で、早朝はかなり冷え込んでおり、渡辺画伯の手持ちのカセットガスボンベも本日で無くなったとの話でしたが、ボランティア終了後の午後に私の車に積み込んで持っていった48本のボンベによってあと10日くらいは上高地に滞在できそうです。

 こんな事なら、次回に訪れる14日まで滞在できるガスボンベを余分に持っていけば、画伯のテントが無くなった寂しい小梨平を見ることもありませんが、最近は画伯から体調不良を耳にすることが多くなり、「今度はいつ来るんだい」の一言にもこの生活が何年続くのかと感ずるようになってきました。

 さて、過去に2回ほど写真を添付(下記のブログ)していますが、小梨平のアルプス観光の裏に沖縄ナンバーのフォルクスワーゲンが置かれており、この光景が異国に立っているようなイメージで私の大好きな景色でもあります。


 本日の早朝の河童橋で、ブルンブルンと旧式のエンジン音を轟かすそのワーゲンが走ってきたため、運転席を眺めると運転手がおらず、左ハンドルの運転席から手を振ってくれた小梨平食堂の女性スタッフの笑顔がありました。

 日曜日のためお休みで上高地を出るのでしょうか、無理やりでも停車させて写真を撮れば良かったと後悔しましたが、残されたシーズン中に確認して持ち主とワーゲンのツーショットにしたいと思います。

 上高地から沢渡までのシャトルバスは25分と55分に発車していますが、本日は目前に発車寸前のバスが停車していたものの、ボランティアの知人と一緒に乗車するため、「ちょっと、すいませーん」の一言が発せられず30分待ちとなりました。

 朝の目前のワーゲンと言い、発車直前のバスも共通ですが、大きな一言が発せられなかったことで、今にしては自分らしくなかったと後悔することになりました。

 本日は沢渡駐車場に戻ってから、再度自分のタクシーに乗り換えて上高地に走りましたが、画伯にカセットガスを手渡して午後一時には上高地を出たことから、自宅までの帰路になる奈川や木祖村の石仏や温泉スタンド、観音堂などにも立ち寄り、祖父の石碑のある御嶽山で地震で倒れた石碑を修復中の石材店の方々のお話も聞いてきました。その顛末は明日に記したいと思います。

                                  10月1日の一言

上高地で活躍する人たち

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五千尺ホテル 河童橋写真館のスタッフ

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ご存知 ホームレス(渡辺)画伯

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日展入選15回の吉田康画伯 と渡辺画伯(右)

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私も上高地の名人を目指しています

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 「:シャッター押しまーす」と、河童橋の前で観光客のスマホや携帯カメラのシャッターをサービスで押してくれるのが、ホテル五千尺河童橋写真館のメンバーで、本日は押してもらうだけでなく私の携帯に登場してもらいました。

 そして、上高地を描いて57年の名物画伯渡辺勝夫さんは、小梨平の名物テントが上高地の名所にもなり、上高地を描くだけでなく日展に15回も入選した吉田康画伯は、広島県の薬剤師会の会長も務めた経歴がありながら、上高地を愛するがゆえに、経営に苦しむ沢渡のお店を引きうけ、素泊まり1000円のライダーハウスを経営するに至ったびっくりの人物です。

 私も昭和49年に初めて上高地を訪れ、その魅力によって毎年訪れるだけでなく、マイカー規制やバス規制のある上高地や乗鞍に自由に入るために、平成21年に青ナンバーの営業タクシーまで運輸局の認可を受けた変わり者で、「変わり者じゃなきゃー面白くない」と吉田画伯に言われて、渡辺画伯とともに上高地を楽しんできました。

 さて、その上高地も来月の11月15日で閉山となります。上高地で出会う人々とももうすぐお別れとなり、だんだんと寂しさが募っていきます。

                                    9月30日の一言

快晴の上高地でボランティア

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本日のボランティアはバスターミナル周辺の木製ベンチの清掃でした

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沢渡の駐車場も満杯です

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雲一つない河童橋

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紅葉が始まり穂高の山の色が変わってきました。

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渡辺(ホームレス)画伯も厚着になりました

 本日の上高地は快晴の一日となりましたが、紅葉が始まり、一年で最高の人で賑わいとなりました。問題は帰りのバスの混雑で、午前中のパークボランティア終了後は慌てて昼食をとり、沢渡までのシャトルバスに並びました。


本当の弱者に届かないサービスに

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岐阜県高山市(旧丹生川村) 千光寺山門前の花

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乗鞍岳から見える北アルプスは雲のむこうに隠れていました

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美しい乗鞍岳の足元は荒々しい現実が…

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 本日は稲沢市で障がい者手帳2級の女性から、どうしても私たちの移送サービスを利用したいと訴え続けられていたため、訪問して話を聞くと、私たちの料金より低価格なのに「高額で利用できない」と訴えられました。

 私たちのNPO法人の福祉有償運送では、1,3キロまで350円、2キロまで470円、3キロまで600円で、その後は500メートルごとに80円の料金となっており、稲沢市の業者はボランティアではなく介護の専門施設でありながら、5キロ以内は200円、5キロ以後は1キロ毎に180円の料金となっており、我々ボランティアの半額以下でサービスを提供していました。

「我々の方が高いんですが」
    「いや、安いんです」
「料金表を見ると間違いなく当方より安いですよ」
    「別に多く取られるから…」

 見せてもらった料金表から5キロ以内200円の料金では、ボランティアの我々でも対応できない低料金ですが、ここの事業所は自宅から2キロでも市外に出ると遠方料金を設定して1000円追加され、ここに障害福祉サービスや介護給付費による同行援護や身体介護が加算されていました。

 国による介護保険や障害サービスを利用して、移送料金は低額に設定して、付随する料金によって一般タクシーを上回る高額な料金が請求されている現実を事業所から直接聞きとりましたが、福祉や介護の名前で低額なサービスに見せかけて、行政に高額な支払いを求めている福祉ヤクザのような実態を見せられたような一日となりました。

 もっとも、一般利用者に発信する料金表に、介護保険による別の請求があることを明記してあればまだしも、低額な移送料金だけを見て依頼した人々は、だまされたような気持にさせられます。

 「救急車で運ばれた医療機関から、帰りに依頼した福祉タクシーに五千円を超える料金を支払った」との話に、一般タクシーでも3千円もかからないため、私自身も高すぎると思えるとともに、福祉とは思えない現代社会と、利用者負担は1割の低額でも高額な保険料が行政から支払われている介護の実態も感ずる一日となりました。


 さて、思いつきの冒頭解散について説明されても納得はできず、森友学園や加計学園の疑惑にフタをして、北朝鮮をも選挙の目的に利用し、国民の負担する消費税の使途を変更するも、選挙に使用される巨額な財源も全て国民から吸い取った税金との認識もない安部政権は最悪で、お気に入り連中で創った経済政策も効果はなく、こんなやりたい放題に反対の意思表示もできない現実は国民の無力感しか考えられません。

 安倍首相には、突然の選挙にも生命の危機に瀕している人々の苦痛や、経営の危機に地獄の思いをしている商店主の苦悩は見えていないでしょうね。安部首相によって命を救われた人が1人でもあるのでしょうか。

              本日の体重  徒歩数 5617歩 間食なし
                                     9月25日の一言

横井庄一さんの祥月命日の一日が経過して

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菩提寺のご住職によるお勤めです
 
 
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午後からは読売テレビの撮影です 準備中
 
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夫人にマイクが…
 
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まもなく撮影が始まります
 
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還暦前のこんな写真も出てきました
 
 本日22日はグアム島で発見された横井庄一さんの祥月命日となり、菩提寺のご住職を待って夫人と2人で手を合わせました。
 「ご飯が炊き上がったので待ってください」の一言は、読経に入る前の夫人から出た言葉で、平成9年に横井さんが亡くなってから、毎月の命日には炊き上げた直後のご飯を仏壇に供えていたことを知り、他人事のように思っていた月日の経過を反省せられました。

 亡くなってもう20年もの年月が経過し、夫人も89歳の年齢となっていますが、本日午後に行われた読売テレビの撮影では、横井庄一さんと夫人の出会いから結婚に至るエピソードや、夫婦生活に対するインタビューが続き、子宝には恵まれなかったものの、お互いを尊重しあう良き夫婦であったことを実感しました。

 最後に、次世代の人々に伝えたいことを問われ、広島に原爆が落とされ、多くの日本人の命が奪われた戦争体験とともに、その反省から北朝鮮と和解して平和を目指すのではなく、非難して戦争の危険性も考えない現政権や、人の命が粗末にされる風潮への警鐘もあり、夫人もまだしばらくは大丈夫、頑張れるなとも思われました。

 さて、横井庄一記念館を存続させるために、「横井庄一記念館を護る会」というNPO法人を立ち上げ、役員を快諾していただいた人々の住民票や印鑑の押印をもらって、愛知県に設立趣意書と設立申請書を提出することになります。

 記念館に訪れた来館者やマスコミなどの関係者に、「次期館長の…」と紹介されると現実感もなく、「いや、いや…」と否定的な言動が出てしまいますが、NPO法人化によって、今までとは違う記念館のイベントや、子供たちを対象とするクラフト教室など、夫人が元気なうちに次世代につなげる記念館の姿を発信していきたいと考えています。
 

久々に横井庄一記念館を訪れて

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横井庄一記念館 名古屋市中川区富田町千音寺
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看板は私の恩師の揮毫です
 
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記念館横の雑草の中に見事な一輪が
 
 本日は久々に横井庄一記念館を訪れたところ、西側の空き地は雑草だらけとなっており、その中に見事な一輪の花を見つけて足を踏み入れると、靴とズボンに雑草の種が引っ付き、慌てて退散しましたが、春に開墾した畑も草だらけになっていると思われます。畑は見て見ぬふりとしました。
 
 記念館では89歳の高齢となった夫人が元気なうちに、今後40年ほどを目標にした長期間開館していくためのNPO法人化を予定しており、横井さんの命日となる今月22日に設立総会を開くことになっており、本日は法人の定款や設立趣意書など書類の最終確認に訪れました。
 
 8月の終戦記念日頃に複数のテレビ局や新聞社が夫人に取材してテレビや新聞に紹介されましたが、この時の放映によって記念館が閉鎖されるように受けとった視聴者が存在することから、平成18年の開館時に「50年は存続させる」と言った私の最後の仕事になるのが記念館の法人化でもあります。
 
 もちろん、還暦を過ぎた私が今後40年も記念館を維持させることは不可能で、私の娘と孫に託して記念館を存続させることになりますが、夫人が案内できなくなった記念館を毎週日曜日に開館させていくことは、上高地や四国遍路を第二の人生とする私自身でも苦痛となり、娘たちに託すにも限界があり、法人化によって複数の人々の協力によって維持させていきたいと考えています。
 
 私の事務所にも横井さんの遺品が多く残されており、ミニ記念館として公開していた時期もありましたが、無人にはできないため、最近は我家の倉庫のような状態にしてしまいましたが、名古屋市の記念館と同時に、横井さんが「大鹿庄一」として幼少期に生活した我家も今年中には披露する予定ですが…
 
            本日の体重 71、7キロ 徒歩数 2751歩 間食あり
                                     9月17日の一言
 

上高地からの帰り道にも楽しみが

昨日の行動です

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バスから見える車窓も見事です

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さわんど足湯前で降ります

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安曇ののどかな風景です

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そして、ここが「わたなべそば店」

長野県松本市安曇稲核2897
TEL 0263-94-2507
営業時間 11:00~17:00
定休日 不定休

下記ブログを参考にしてください
手打ちそば わたなべ http://www.758nomi.com/archives/371
安曇稲核 「わたなべ」 http://chibiyukarin.blog4.fc2.com/blog-entry-1057.html

 今年は上高地へ観光で訪れた記憶がなく、ボランティアを仕事のような感覚で滞在していますが、それはそれで楽しみがあります。

 昨日は先輩ボランティアのお誘いで「一番美味しいお蕎麦さんがあるから」と連れて行ってもらいました。いわく、「自分の歩いた蕎麦屋で一番美味しい」との話で、上高地から松本への帰り道となる安曇稲核(いねこき)にありましたが、注意して探さないと絶対に気づかない上に、駐車場が狭く、入れるかどうかは判りません。

 食べ終わって帰ろうとすると、他の先輩ボランティアも立ち寄りすれ違いとなりましたが、蕎麦の味も判らない私でも、人々が寄り合って集ってくるお店の魅力は十分に判ります。

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旧中仙道 奈良井の宿場町

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宿場のいたるところにゆたかな水場が

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そして、津島神社のお札が

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木片が手に入るお店

 さて、昨日は松本市を訪れていた三男夫婦と落ち合い、旧中仙道から名古屋に帰りましたが、途中で立ち寄った奈良井の宿で、水場に飾られた神棚に「津島神社」のお札を発見し、この地から誰かが津島神社に来て、お札を持ち帰っていることを考えると、遠く感じていた長野県を身近に感じさせられる一日ともなりました。


上高地 パークボランティアに参加して

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本日のボランティアは外来植物の除去作業です バスターミナル周辺

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ツキノワグマの目撃情報

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昨日(9日)は明神からの木道整備でした

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こんな道程の作業です

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昨日の作業終了時の様子です

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昨日午後は定例会と反省会でした

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本日朝の上高地バスターミナル駐車場

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ヒメジョオン 外来植物です

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バス通りも作業しました

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本日の除去対象 エゾノギシギシ
                            穂先からタネで拡散します

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エゾノギシギシの若芽です

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作業終了時に除去した総量を量ります

 昨日は明神方面から梓川右岸を河童橋方向へ、散策用の木道に積もった枯葉や流入土砂の除去に参加し、午後には環境省の活動ステーションでパークボランティアの定例会が開催され、本日は朝から外来植物エゾノギシギシの除去作業です。

 全員が交通費や宿泊代を自己負担して、無償で参加するボランティアですから、手抜きのない真面目な作業を続けます。

 「えっ、交通費や宿泊代も自腹なの?」と、びっくりする知人も多くありますが、全員が上高地が好きで参加しているため、雑談にも興味は尽きず、汚れのない空気を吸って、地中から湧き出た水を飲んで汗を流し、作業後には参加した者しか味わえない至福の瞬間も体感できます。

 本日の午後には、松本周辺で一番美味しいと先輩ボランティアに連れていってもらった蕎麦屋さんに立ち寄り、愛知県から松本へ長距離バスで訪れていた三男夫婦と落ち合い、旧中仙道の奈良井宿や木曽福島を訪れ、御嶽山にある私の祖父の霊神碑に手を合わせてから帰宅しました。

 顛末は明日以降に記します。

悠久の時間を感ずる上高地から

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雨が続いた上高地に久々の人の波が

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ホームレス画伯の新しいキャンパス

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キャンパスの横で知人と長話です

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その間に昼食を

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私の好物山菜そばへ生卵落とし

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おっ、わき目もふらずに

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 本日は午前9時より明神から梓川右岸の散策路の整備に出かけ、午後は環境省活動ステーションでパークボランティアの定例会と、8月のイベントの反省会に参加しました。

 私自身は何も考えずに都合の良い日に参加するだけのボランティアでしたが、会長をはじめ各担当役員が打ち合わせて頑張っておられたことを、無責任に何も考えずに参加しており、長年積み重ねられた歴史を終らせないためにも新参者ながら頑張ろうと思う一日となりました。

 明日はバスターミナル周辺の外来植物、エゾノギシギシの除去に参加します。

                  本日の徒歩数 15037歩  8月9日の一言


1ヶ月ぶりの上高地

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本日午前8時20分の河童橋

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穂高連峰

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焼岳

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1ヶ月ぶりの上高地パークボランティアに来ました。

                    8月12日依頼の上高地とボランティアです。

本日は明神方面の散策蕗の整備と定例会の予定です。



明日の上高地パークボランティアへ夜行です

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本日の夕景 津島市下切町

 本日は市役所で厚生病院委員会が開催され、終了する午後5時前後には携帯電話に履歴が複数のこっており、連絡して知人と落ち合って急いで帰宅すると、電話の向こう側から涙声の依頼です。

「身しょう者2級ですが…」
     「それで、どんなことなんでしょうか?」
「病院や買い物に連れていって下さい…」
     「それで、どちらから連絡されていますか?」
「稲沢市なんですが…」
     「申し訳ありません、稲沢市には行けません」
「誰も頼めないので…」
     「稲沢市にも福祉有償運送はありますよ」
「ありません、稲沢市では誰も連れて行ってはくれません」
     「そんな事はありません、
           当方は津島市や愛西市しか行っていませんから」
「愛西市や津島市へ連れて行ってもらえば良いから…」

 依頼者の女性は通話中に泣き続けておられるため、明日と明後日は上高地に出向き、月曜日は三重県に出かける所用があることを告げ、火曜日以降に訪問することになりましたが、当方の料金の安さもあるのでしょうが、稲沢市まで行くだけでも大変で、人情や同情で依頼を受けるとボランティアのメンバー、とりわけ家内の自由を束縛することにもなりかねません。

 誰もが行きたい場所に、行きたい時に行けることは、基本的人権として重要ですが、ボランティアとしての限界もあり、私を頼られるのも限界に近づいており、そろそろ本格的な事業拡大を考えないと依頼に応えられません。

 さて、明日は1ケ月ぶりの上高地です。明神方面の散策道の整備と、午後の定例会反省会に参加し、明後日にはバスターミナル周辺の外来植物の除去作業に参加した後に愛知県に帰ってきます。

             本日の体重 72、0キロ 徒歩数2417歩 間食あり
                                      9月8日の一言

ゴミの無い上高地と我家周辺を対比させて

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槍ヶ岳を望む桃源郷のような見事な紅葉です
                               9月の北アルプスではこんな景色が見られます

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 添付した見事な紅葉は、写真家の中沢義直さんの撮影した槍ヶ岳の写真で、私のお気に入りとしている上高地のカレンダー9月分の景色ですが、携帯電話のカメラで転写してもこれだけ綺麗なことから、現地に行けたら別世界と感ずるでしょうね。

中沢 義直(なかざわ よしなお、1922年10月1日 -2015年10月4日は、日本の写真家・映像作家である。長野県南安曇郡倭村(現松本市)出身。現在は安曇野市堀金(旧・南安曇郡堀金村)で写真と映像制作の傍ら、後進の指導・育成にも当たっていた。写真に対して最後の最後まで執念を燃やし続けた、享年93歳。

 本日午後6時前にこの写真をここに添付していたら、夜9時になって上高地で知りあった岡山県の登山家Sさんから、東京都美術館で日本山岳写真協会展が開催されている案内をいただきました。
              下記↓↓
皆さん
今日から98日(金)まで東京都美術館で
日本山岳写真協会展が開催されます。
95日(火)は14:3016:00まで燕山荘の
赤沼さんの講演も行われます。
 
私の山の友人の吉田仁さんの写真が展示されていますので
東京近郊の方でお時間がありましたら是非見に行かれてはいかがでしょうか。
 
最近涼しくはなってきましたが健康には気を付けてください。
○谷○夫

 雪が溶けて山の木々に新芽が映えて、次々と花が開花した上高地も、これからは北アルプスの山々から紅葉が降りて、カラマツの葉が落葉して見事な絨毯となったのを境にして、色彩豊かな上高地も冬支度をはじめて白黒の世界に変わっていきます。

 9月は市議会の本会議や委員会が開催されるため、行きたい時に行くことはできませんが、台風が来ると一度に寒くなり、小梨平にテントを張り続けるホームレス画伯も千葉に帰ってしまうため、温かい日々が続いて長期滞在者と再会したい思っています。

 さて、本日は一年ほど前から、我家の駐車場に家庭ゴミを不法投棄していた男性が特定され、警察官に連れられて謝罪に訪れましたが、食べ物の残飯や飲みかけの飲料水を捨てられた怒りはありますが、いざ顔を見るとたかだか家庭ゴミのために可哀想になってきました。

 上高地ではゴミを捨てないのは当り前で、自分のゴミは自分で持ち帰るのが当然となっていますが、家庭ゴミも買ってきたコンビニやお店に分別して返しに行けば罪には問われないと思われ、我家周辺にも多くのゴミが捨てられていることから、地域ぐるみでゴミを一掃していくことが必要に思います。

            本日の体重 71、9キロ 徒歩数 3750歩 間食なし
                                     8月31日の一言

お盆の施餓鬼会のためお寺へ

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昨日朝日新聞に掲載された横井庄一関係記事

「なんで帰ってきた」電話に謝る 故横井庄一さんの妻 2017年7月9日

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我家の旦那寺の本堂

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まもなく施餓鬼会が始まります

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各家の塔婆が並べられています

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我家のお墓です

 本日はお盆のため、名古屋市中川区にある横井庄一記念館を訪れ、仏壇に手を合わせながら、9月22日の命日を目標にしてNPO法人を設立することと、陶芸教室やサバイバルとまでは言えないものの、子供たちとテント生活を体験するイベントなど今後の展開について話してきました。

 3日前に上高地のビジターセンターのクラフト教室で、竹を使った笛を作ってきましたが、横井さんもグアム島で竹を使った道具を作って使っていたことから、私には何もできませんが子供たちのクラフト教室も面白そうです。

 本日は午後6時過ぎからNHKテレビ「ほっとイブニング」でも、横井庄一さん関連の特別番組が流されており、例年のことですが毎年夏の終戦記念日の頃になると20年前に亡くなった横井さんの映像や記事が発信されてきます。

 横井さんが亡くなったのが平成9年で、私の父親はその4年前に亡くなっており、今では横井さんの肉声を知る親族もほとんど居なくなり、毎週日曜日だけですが夫人が記念館を開放して横井さんの意思を伝えています。

 我家では、戦前にお寺の小僧として預けられた叔父と、現在の住職が若い頃からお盆の13日の檀家まわりの途中に我家へ立ち寄り、昼食を摂る慣例が戦後から現在まで続いており、このため13日と施餓鬼が行われる15日は必ず自宅に戻っている習慣を平成5年から続けてきました。

 ただし、現在87歳となる叔父は老人施設に入所しており、昨年から13日の昼食は施設から我家に来ており、来年もこのまま慣例が続くかどうは微妙で、89歳の横井夫人や、86歳となる母親など、一度に世代交代がすすむ可能性を考えると先祖に希薄となっていた意識を反省するお盆ともなりました。

            本日の体重 73、0キロ 徒歩数 2575歩 間食あり
                                     8月15日の一言

上高地 クラフト教室で完成した笛

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完成した (と言うよりも作ってもらった) 笛

「○○さん、どうすれば良いですかね」
      「子供には教えるけど、大人なんだから考えなよ」
「うーん、こうかなぁ」
      「大鹿さん、危ない、危ない」
「やったことが無いので…」
      「うーん、危なかしくって見ちゃおれない」
「すいませんねー」

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結局、先輩のTさんにやってもらいました

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こんなに細い竹を使います

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竹を切るだけですが、私にはできません

 上高地ビジターセンターでお盆だけ開催されるクラフト教室に参加し、パークボランティアのT先輩の作られた笛を見本に、小指ほどの竹を切りますが、切り口の竹の皮がめくれてうまくできません。

 私がノコギリで竹を切る姿を見ていたT先輩が、手先の不器用さに危険を感じてか切ってくださり、穴を開ける電動ドリルの歯も替えられない私に代わってほとんど手伝ってもらい、私は竹と吹き口の竹を接着させただけとなりました。

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竹2本で笛が完成です
                           「ピー、ピー、岡っ引きだぜぃ」T先輩のセリフ

 情けない話ですが竹2本の簡単な作業が私にはできず、「子供には親切丁寧に教えるけど…」と言っていた先輩により完成した笛です。手作りと思えない表面の焼印も先輩ボランティアのHさんによるもので、売り物のような出来具合と見事な音色を響かせました。

 これからは首にかけて上高地へ持って行く必需品とし、孫に自慢して見せてやりたいと考えていますが、笛がこんな原理で音を出すことも知らず、全く無関心であったクラフト教室が子供のレベルではないことを自覚させられました。

 何でも出来てしまう上高地のパークボランティアの人々の、個々のレベルの高さにも驚かされてばかりとなります。     
                                昨日の体験談です


上高地 パークボランティアによる人形劇

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上高地劇場出演スタッフ
                          何もできない素人の私もウサギさんの役に

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これだけの材料で人形劇ができるのかな?

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ここが人形劇の会場です
                          ビジターセンター横が舞台となります

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板切れを組み合わせて舞台を作ります

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舞台が仕上がるのを毎年の常連さんが待っていました

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とりあえずリハーサル
                           本番では顔は出しません。人形劇ですから…

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夏のお盆だけの劇場 森の約束

 「何にも役に立たないので荷物運びくらいは…」と、上高地のビジターセンター2階に置かれていた人形劇の舞台材料や人形などを運んでいると、運び役の私も舞台作りに関わっており、何とか舞台が完成して…

「これからが大変ですねぇ」
     「なーに、簡単、簡単」 (会長)
「そうですか、頑張って下さいね」
     「何言ってるの、大鹿さんもやるんだよ」
「やるって、何もできませんよ」
     「ウサギさんを頼むわねッ」
「えっ、ボクにできますかね」
     「大丈夫、大丈夫」 (会長)

 一度も体験したことのない人形劇を、まさか私もウサギの人形役とはいえ演ずるとは考えていませんでしたが、テープにあわせて手を挙げるだけとは言え、舞台裏の台詞表を老眼鏡をはめて見ながら演じました。

 夏のお盆だけの人形劇とはいえ、毎年楽しみにして来場される親子連れを目にすると、大変ですが今年で終わらせるわけにはいきませんが…
 私は昨日の午後には自宅に帰らなくてはならないため、皆さんに後を託して劇場を後にしました。     
                           8月12日の出来事です。



上高地 本年最後のテント生活

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沢渡までのシャトルバス
                             2列で50メートル以上の乗客が連なりました

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私のテント 本日早朝
                          6人用のテントに1人の生活は我家以上です

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テント撤収後の跡地
                          この場所に毎年テントを張ってきました

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お盆休みになり河童橋も人でいっぱいです

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「今度来る時は○○を頼むよ」
                             上高地の名物男「ホームレス画伯」

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さようなら河童橋

「大鹿さん、何時に帰るんだい?」
     「昼過ぎには帰ろうと…」
「本当に帰っちゃうんだ」
     「一週間はあっという間ですね…」
「今度はいつ来るんだい?」

 ホームレス画伯こと、千葉県旭市の渡辺さんが、名残を惜しんでか河童橋まで見送ってくれました。上高地の小梨平には、半年間もテントを張っている画伯を中心にして、多くの常連キャンパーが存在しますが、姿を見なくなった人も多く、最近の画伯の言動から寂しさも漂うようになってきました。

 本日は朝9時からビジターセンターで行われたクラフト教室と、人形劇の設営にボランティアとして関わり、午後に沢渡に置いてある車を取りに行き、再度上高地に戻ってテントをたたんで積み込んでから、高山市経由でせせらぎ街道を通って愛知県の自宅に戻りました。

 先週金曜日から3日間は家族と一緒で、いったん自宅に戻って、再度水曜日からは1人でテント生活となりましたが、2年目となったパークボランティアも、先輩諸氏の助けにより幅広い活動に参加させてもらいました。

             本日の体重 71、8キロ 徒歩数 9659歩 間食あり
                                      8月12日の一言

追伸
本日のクラフト教室と人形劇については明日に書き入れます。

上高地 山の日四方山祭が盛況に終わりました

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  午前8時 上高ボランティアの打ち合わせです

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私の担当はウエストンレリーフ前 クイズラリーの受付です
      
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多くの人々が訪れました

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クイズの説明です

ウエストンが上高地で 初めて登頂した山の名前は何ですか?

皆さん、解りますか? 

判った方はコメント欄に書き込んで下さい。

判った方はかなりの上高地や山について詳しいと自慢できる問題です。

それよりも、ウエストンがどんな人か解りますか?

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午後4時30分 ボランティア活動の終了です

本日は環境省のパークボランティアと長野県のボランティアの方々が一緒になって活動しました。
明日はのんびりとガイドウォークに補助員で同行しようと考えていましたが、ビジターセンターのクラフト教室が人不足のため、午前中はクラフト教室のボランティアに参加することになりました。

明日の午後には小梨平に設置してあったテントを片付けて愛知県の自宅に帰ります。

上高地での一週間のテント生活もいよいよ最後となってきました。


上高地 山の日イベントの準備を

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本日早朝の焼岳です

この直後に気象庁より、焼岳の噴火について緊急火山情報が流されました。明日の山の日のイベントが終了するまでは何ともないことを祈りたいと思っています。

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本日は明日の山の日のイベント会場の設営が仕事となり、会場となるビジターセンターまでテントや材料をリヤカーで運び込みました。

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ここにテントを設営となります

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完成ですが立ち上げは明日となります

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会場のビジターセンターです

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午後4時からは設営の専門業者が会場を設営します

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テントは完成です

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環境省のブースに置かれる鹿です
本物と思いますか?

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先輩の帽子(右)と私の帽子です
経験の差が帽子の色で解ります。


明日はウエストンレリーフの前で上高地に来られた観光客のスタンプラリーの受付を担当することになりました。

火山も心配ですが、天気も心配な一日になります。



上高地 台風一過

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岳沢湿

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異国のような雰囲気 アルプス観光
ちなみに沖縄ナンバーなんですよ

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明神岳

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エゾノギシギシは外来種です

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ヤチトリカブト

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本日は台風が過ぎ去った上高地で、ガイドの補助員として大正池まで勉強する予定でしたが、台風の影響で観光客も少なく、参加者がなかったことから、ビジターセンターの前田さんと二人のウォーキングとなり、ビジターセンターから田代橋まで案内の秘訣を聞いて歩きました。

午後は小梨平から明神池まで梓川左岸と右岸を巡視となりました。

上高地  ボランティア第3日目

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本日のボランティア終了です    
                          河童橋の写真屋さんにシャッターを押していただきました

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本日は案内板の清掃です

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先月末に序幕された「山の日記念碑」

 国民の祝日「山の日」を記念した第1回全国大会が昨年上高地で開かれたことを記念して、河童橋の近くに「山と共に」の文字が刻まれた記念碑が先月末に序幕されました。

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かつての山ガールが大活躍です

 昨晩に激しい雨が降り続けたため、本日は合羽を着た作業かと覚悟していたものの、朝には雨があがり、厳しい陽射しを受けるボランティアとなりましたが、わたしよりベテランで北アルプスと上高地を知り尽くした先輩たちの知恵を授かり、ガイドもできるボランティアに成長したいと思います。

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明日以降の台風5号に備えてシートを被せました

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午後の五千尺ホテル前

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バスターミナルの水飲み場


 上高地の三日間が過ぎ、本日家族とともに愛知県へ帰り、火曜日の夜の書道会終了後にまた上高地に戻ります。


 明日と明後日に台風5号が当地方を通過する可能性が高く、私が上高地から離れている間にテントが吹き飛ばされては困るため、本日はテントの上にシートを被せて万が一に備えて小梨平を後にしました。

 上高地に滞在中は、どうしてもテレビニュースや情報と無縁になることから、台風が近づいていることを知らない人も多いものの、私のように大きいテントは強風の影響を受けやすいため、心配な日々をむかえています。



水曜日からまたボランティアに参加して、山の日までの上高地の様子を発信します。


上高地 外来種植物の除去

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本日早朝の河童橋と穂高連峰

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同じく早朝の焼岳です

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綺麗なこの花も外来除去種です

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環境省のレンジャーとパークボランティア

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テントに戻って昼食です

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上高地のホームレス画伯を撮る観光客
                            上高地を訪れる人々の名所にもなりました

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隣の私にも気付かない渡辺画伯

 本日は上高地に根付いてしまった外来植物「エゾノギシギシ」を、環境省職員とパークボランティアで見つけて取り除きました。

 活動した場所は環境省ビジターセンターから小梨平、河童橋から梓川右岸散策路をウェストン碑の隣にあるウェストン園地までですが、今回は根こそぎ取り除くのではなく、種を付けた穂先を刈り取る程度の作業で、完全に除去するのではなく増やさないことに主眼をおいた活動となりました。

 さて、上高地で隣付き合いとなって、まるでご近所さんのようになっている渡辺画伯ですが、私の発信する「ホームレス画伯」を見て来日する外国人も多く、話しかけられても英語音痴の私と、千葉弁丸出しの画伯ではコミュニケーションがとれないものの、毎年訪れる人々は勿論ですが、外国人の関心の高さに驚かされます。

 本日は頑張りました。


毎年恒例となった上高地のテント生活へ

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誰も居なくなった河童橋とホテル白樺荘 午後7時頃

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リヤカーを引いて画伯が待っていてくれました
                              テントと一週間分の生活必需品を積み込みます

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渡辺画伯のキャンパスがある河童橋で休憩です

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とりあえず、テントの完成です

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こんな雰囲気での一週間となります

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テーブルを出してこんなテント生活です
                            毎年同じ小梨平のカラマツの下
                                          、ホームレス画伯の隣です

毎年のことですが、本日から上高地の夏休みがスタートしました。

ただし、私は明日と明後日はボランティアに参加するため、私の家族の夏休みで、テントは来週土曜日まで張り続けて
、私は環境省パークボランティアの一週間となります。


とりあえず2日間過ごして、家族とともに日曜日に一旦愛知県へ帰り、火曜日の夜の書道会を終えてから夜行で沢渡まで戻り、水曜日は朝から環境省のガイドウォークに参加して、午後からは巡視兼ゴミ拾いの一日となります。

その後は11日の山の日のイベントの準備となります。12日まで上高地滞在です。

初めての上高地ガイドウォークへ

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清水橋で川の水を汲む中学生
                              清水川の水は湧き水で飲めるため、
上高地の水源となっており、最後のご褒美として全員が喉を潤しました。

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明神橋の近くの梓川で昼食

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小梨平から明神池までのウォーキングが終わりました

 私にとっては初体験となりますが、松本市の中学生を上高地小梨平から明神池まで引率して案内してきました。この日のために、先輩ボランティアにお願いして徳沢までのトレッキングに同行させてもらい、先週も中学生を案内する先輩の後ろからついて行くなど、先輩ガイドの迷惑にならないよう学習してきました。

「ガイドに行ってくるから」
    「えっ、大変だなァ」
「いつもの事だから…」
    「今回は何日行ってくるの?」
「日帰りだけど…」
    「えっ、日帰りで四国へ行けるの?」
「えっ?」

 私がガイドに行くとの話に、知人は私が四国遍路の案内をすると勘違いしていたようで、「上高地も案内できるの」と聞きなおされましたが、四国遍路も霊場会の公認先達にはなっているものの、ガイドとして案内したことはなく、エンマ帳として先達教典を授かってはいるものの、上高地のガイドとして勉強するなかで、人に伝えることの難しさを改めて実感させられています。

 先輩のボランティアについて廻っても、説明できる情報を頭に納めることは難しく、聞くだけでなく自分自身で調べることによって情報を蓄積しないと4時間の案内はできませんが、案内した中学生の中にも事前に資料を取り寄せて予習している生徒も存在し、一方的に説明するだけでなく、問いかけながら一緒に考えて説明していくことによってより理解して覚えてくれることも体験し、私自身にも大きな勉強になる一日となりました。

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                 「よぉ、もう終っちゃったの」
                                本日も渡辺画伯は元気です
                 「寄ってくかい?」
                     「コーヒーでも飲みますか?」
                 「うん、行こう、入ってくれよ」
                     「たまには、お店のコーヒーでも行きますか?」
                 「そうだなぁ、そうしようか」

 テントの中で老人2人のコーヒータイムも、本日のように雨が降るような雰囲気では寂しいものがあり、2人で小梨食堂へ足を運びましたが、お互いにコーヒーの注文の仕方(自分で入れる)がわからず、時代から取り残されたような気分です。

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 ホームレス画伯は私の命名ですが、今では上高地の名物オジサンになっている渡辺さんは、松本市上高地の住所と渡辺勝夫の名前だけで、クロネコヤマトの宅配便も届くようになりました。

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 幸いなことに、朝から小雨は降ったものの、ガイド中に激しい雨は降らず、雨具を使用することなくボランティアは終り、涼しくて活動しやすい環境下で沢渡までのシャトルバスに乗り込むことができました。

           本日の体重 71、7キロ 徒歩数 18476歩 間食あり
                                      7月12日の一言

上高地 ガイドウォークに同行して

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松本市内の中学一年生を明神まで案内するガイドです
                              環境省パークボランティアの先輩8名が案内します                 昨日 7月6日午前10時30分
 
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ガイド側から見るとこんな感じです
 
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14人の生徒と先生1人を引率します
 
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明神館に到着しました
                                          午前12時03分
 
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明神橋を渡った対岸で昼食です
 
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明神池で記念撮影です
 
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樹木や花についても説明します
                    真面目に聞いてくれます
                                      案内役は野竹(ボランティア)会長
 
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最後に河童橋へ           
                               午後2時10分
 3日前の台風3号の影響により、昨日の上高地は快晴でしたが、大正池から河童橋までの散策路は溢れた水で散策できず、明神までのガイドウォークも、右岸(上流部から見て右側)の散策路が通行不能のため左岸の行き戻りとなりました。
 
 私は12日に中学生をガイドする予定となっていますが、勉強中の身であり、12日が初めての案内となるため、本日は先輩方の案内を勉強のため連れて歩いていただけることになり、ボランティアの野竹会長のグループについて歩きました。
 
 上高地のビジターセンターでは、環境省の職員が毎日上高地を案内しており、月曜日と水曜日、金曜日は午前8時45分から11時まで大正池コースを、火曜日と木曜日、土曜日と日曜日は午前9時から2時間で明神池まで上高地トレッキングを実施しています。
 
 また、土曜日と日曜日は、9時15分から10時45分まで野鳥の観察ガイドも行なわれているので、興味のある方は是非とも参加してください。
 
上高地公式サイト http://www.kamikochi.or.jp/
 
 個人的には、昨年白樺自然学校で上高地のガイド養成講座に参加しておりましたが、この歳になって報酬を貰って働く気持ちにはなれず、今年と来年にかけて環境省のトレッキングに同行して、一人前のガイドボランティアとして案内できるようになりたいと考えています。

             本日の体重 71、4キロ 徒歩数 3834歩 間食あり
                                       7月7日の一言

1ヶ月ぶりの上高地

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本日朝の河童橋と梓川
                               台風3号の影響で激流となっていました

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河童橋

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焼岳

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穂高連峰

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早朝のホームレス画伯


1ヶ月ぶりの上高地です。

6月は市議会本会議が開催されていたため、久しぶりの上高地となりました。

2日前の上高地は台風3号の影響で、風雨が激しく、テント生活をおくるホームレス画伯こと渡辺さんもテントからケビンに避難していたとの話です。

小梨平も水浸しとなり、水位が橋を超えたため、立ち入るどころか、移動ができなくなっていたようです。

上高地への道路も、薮原から奈川が通行止めになっており、昨日は塩尻市経由で沢渡に来ました。

午前中は台風一過の晴天となりましたが、本日は環境省のボランティアガイドの先輩に同行して明神池までの勉強です。顛末は明日に…


            本日の体重 71、5キロ 徒歩数 18401歩 間食あり
                                       7月6日の一言

我家に新たなコレクションが加わり

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常滑焼・人間国宝 山田常山翁の「ぐいのみ」

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「あんたが持っていて…」
    「何んなの?」
「人間国宝の常山さんのぐいのみ」
    「そんな高価な物はもらえないから」
「お酒を飲むのはあんただけだから…」
    「だから、ここに置いておいて」
「高価なものだから…」
    「だから…」

 横井庄一さんが存命中に、常滑焼の山田常山さんからいただいた「ぐいのみ」との話ですが、最近は赤ワインを飲むようにしており、日本酒は冷蔵庫に保管している状態で、何よりも89歳になった夫人の遺品分けのように感じてしまいました。

 実際に、自分が居なくなることを見越して、荷物の整理が行われており、横井さんが作陶した抹茶茶碗や花瓶を、記念館を訪れた人々に差し上げ、本日も物置の大掃除が展開中でした。

人間国宝 三代 山田常山(さんだい やまだじょうざん)

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 添付した切り絵は、一宮市の女性が横井庄一さんの一生を記した画集で、自費出版される予定との話ですが、とりあえず発行される前の見本が記念館に届けられていました。

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 最近になり遠方から届けられた横井庄一さんの肖像。現在記念館に展示してありますが、ご家族が高齢になったり、他界されて残された遺品が記念館に届けられることが増えました。

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記念館ウラのサツマイモ

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裏庭 グアム島のジャングルのようになりました。

 本日は横井庄一記念間に立ち寄った後、一緒に四国遍路を続ける人々のお宅へアンズジャムを届けるため、名古屋市の南区や北区などへ車を走らせる一日ともなりました。

                         本日の体重 71、8キロ 徒歩数 2493キロ 間食あり
                                      6月25日の一言

上高地から御嶽山経由の帰宅へ

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上高地バスターミナル   昨日の午後3時45分です

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沢渡へのシャトルバスに乗り込みます

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インフォメーションセンターまで列が残ります

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満席のため、乗れなかった乗客は臨時便へ

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上高地トンネルを通り

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釜トンネルへ入ります

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沢渡の足湯(無料)へ立ち寄ります

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奈川経由で木祖村から見える南アルプス

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御嶽山の明栄講の霊神場
                              道成霊神は私の祖父。御嶽山の先達でした

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木曽駒ケ岳   昨日の午後6時50分 

 昨年4月に上高地のパークボランティアとなり、8月には小梨平野営場に9日間テントを張るなど、上高地に一日も多く滞在することを目標にしていましたが、今年は深夜に車を走らせ、早朝の仮眠後に上高地でボランティアを行い、今年は自宅への帰路に旧知の知人や懐かしい場所を尋ねたいと思っています。

 今年初めて上高地を訪れた4月23日に、奈川ダムを右折して薮原経由で木曽福島まで走り、御嶽山の霊神場にある祖父の石碑を訪れ、祖父の先導で多くの信者とともに登頂した小学校時代の思い出や、御嶽山で捕まえたクワガタムシを持ち帰ろうとする私を叱り続けた祖母の面影などとともに、死を直前にした祖父の姿を目に浮かべるようになりました。

 私はその祖父の年齢と同じになっており、人間の一生の短さとともに歳月の経過の早さも実感し、祖父の残した石碑についても、在所の伯父が亡くなり、後継者の従兄弟が御嶽山の祭壇の後始末をしてくれと伯母に言っている現場を見たことから、祖父の心境が気になってしかたありません。

 かつては尾張地方で盛況だった御嶽信仰が廃って、先達だった祖父たちが亡くなり、後継者が無くなり、誰も参拝に来なくなった御嶽山の霊神場で、ロウソクと線香をかかげて、般若心経を唱えて祖父の声に耳を澄ますようになりました。

 私の欠点でもありますが、旅先の知人を無視して帰ることが苦手で、上高地の帰路に立ち寄ろうとしていた場所に行く前に、自宅から遠く離れた祖父の石碑が無視できなくなり、四国遍路のように御嶽山に立ち寄るようになりました。

 しばらくは議会活動が続き、来月までは上高地を訪れることはできませんが、上高地と御嶽山がセットになってしまい、祖父が待っていると思うと、日帰りで上高地を離れる行動が定着しそうです。

先週に続いて、上高地徳沢トレッキングへ

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農作業ではありません お猿さんの昼食です 徳沢

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本日8時の河童橋と穂高連峰

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ケショウヤナギの解説中 小梨平

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子供さんも熱心です

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昨日は涸沢に5センチ、山頂は10センチの積雪が

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名物のカラマツの木 黄門様の木

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皆さん、ご苦労様です 徳沢到着12時15分

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おいしいよ、どうだい

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ニリンソウも満開です

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小梨の花が香ります

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本日の徳沢園

 先週の土曜日に引き続き、上高地ビジターセンターの徳沢トレッキングガイドに、補助員として(と言うよりも、私の勉強のため)参加し、徳沢で昼食後に先輩ボランティアの外来種植物調査に明神橋まで同行し、梓川右岸を知恵を授かりながら河童橋まで戻りました。

 初めて訪れた昭和49年から毎年訪れ、議員になってからの18年間は、家族で長期滞在もしてきた上高地ですが、ただ単に自然環境に憧れて居るだけでは、水と空気が清々しいだけで、言葉で魅力を伝えることはできませんが、人に説明するガイドをするとなると、上高地について全くの無知であることを自覚させられます。

 そして、期間限定で植物の花が入れ替わりるため、予行練習ができず、野鳥は探して見つけだすことも大変で、声を聞いて問われても何も判りません。
 初めてのガイドは、1ヶ月後に松本市内の中学生を明神まで案内する行程ですが、どんな質問があるかも判らず、途中で事故もなく時間内に戻ってこれるかも不案内のため、6月議会が終了直後に環境省のガイドに同行し、先輩ボランティアの知恵を拝借して予行演習が必要です。

 来週から議会開催となりますから、しばらくは上高地も封印となります。

            本日の体重 71、3キロ 徒歩数 27258歩 間食あり
                                       6月3日の一言   

上高地 徳沢トレッキングへ同行して

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穂高連峰が最高に見える小梨平へ

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ビジターセンター(9時出発)…清水橋…小梨平…おくこなし橋…明神(10時30分)…徳沢11時50分

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鳥の鳴き声にも耳を澄ませます

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ニリンソウの群生地を鑑賞します

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対岸のけしょう柳を眺めます

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遠くに常念岳も見えます

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徳沢園に到着です

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有難うございました

ガイドウォーク 大正池コース 月・水・金 午前8時45分から11時頃
           明神池コース 火・木・土・日 午前9時から11時頃
                           参加費 500円 上高地ビジターセンター

 本日は上高地ビジターセンターが主宰した徳沢トレッキングを案内する先輩ボランティアの補助員として、小梨平から明神を通り、徳沢園まで同行しました。
 補助員と言うと偉そうですが、無知なため何も案内ができない私の勉強のための参加で、来週の土曜日にも同行して、7月に予定される地元中学生を引率するための詰め込みの学習となります。

 上高地の河童橋から明神池まで、梓川の左岸を歩くと約1時間ほどで到着しますが、さらに明神から徳沢まで歩くと約1時間かかります。
 この間に生えている樹木や花を探し、林から聞こえてくる野鳥の鳴き声に耳をすませると半日以上の時間が必要となり、必要なガイド本はビジターセンターだけでなく、バスターミナル前のインホォメーションセンターでも入手できます。

上高地ビジターセンター https://www.kamikochi-vc.or.jp/

 本日の徳沢園の様子と、小梨平にテントを張るホームレス画伯については明日に添付します。とにかく疲れました。

            本日の体重 72、0キロ 徒歩数 24637歩 間食あり
                                      5月27日の一言

上高地パークボランティア びっくりの雪の量に

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バスターミナル インフォメーションセンターの通路を除雪しました

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入り口を確保しないと施設にも入れません

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とにかく想定外の雪の量です

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台湾からの観光客が飛び入り参加

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除雪に興味津々の外国人観光客

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午後からは木道散策路の除雪

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雪の下には10センチ近い硬い氷が…

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 先週の大雪は4月の雪が珍しくない上高地でも過去に無い積雪となり、27日に開山式をむかえるものの、現在大正池からバスターミナルまでの散策路が積雪で通行不能となっており、明神池までの散策も左岸のみとなっています。

 大正池ホテル前でバスを降り、大正池から田代橋、帝国ホテル経由で河童橋まで歩こうと計画されている観光客には、しばらく歩いて散策することは困難ですが、ボランティア精神はあるものの、都会の除雪とは違う氷との格闘となり、午後には身体が悲鳴をあげました。

 さて、文明の発展した現代社会においては、小さい除雪機を使えば簡単に思われますが、環境保護の最前線では人力に頼るしかなく、お金をもらってもやりたい仕事では無いものの、ボランティアがお互いに頑張る姿から頑張る気持ちが湧いてきます。
 そして、何よりも大好きな上高地であり、本日のように一日中雲一つ無い大自然の雄大な景色と、汚れのない凛とした空気が、我家でも何もしないナマカワな私に、肉体労働を運動のためのストレッチと解釈し、汗を流した後の景色が疲れを払拭していきます。

 本日は上高地周辺にとどまり、明日の朝に御嶽山を経由して帰宅する予定でしたが、身体は悲鳴をあげても気力が残っていたため、午後4時半に上高地を出発し、祖父の石碑のある御嶽山の霊神場に手を合わせてから帰宅しました。
 本日には戻ってこないと思っていた家内はびっくりの気力です。

             本日の体重  徒歩数 11029歩 間食あり
                                     4月23日の一言

横井庄一さんのお墓へ

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尾張西部から見える伊吹山 冬は伊吹おろしの寒風が舞います

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名古屋市中川区

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横井庄一さんのお墓
                     墓標の手前は小動物の慰霊碑

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菩提寺にある「陸軍軍曹横井庄一のお墓」

 寒暖の差が激しいものの、日中は確実に春爛漫の一日となり、冬には当たり前となっている伊吹山の雪も、現在残ってはいるものの、気がついた時には無くなっている可能性が高く、そんな暖かい一日でも夕方の伊吹降しは身を凍らせる寒風が吹いてきました。

 さて、横井庄一記念館について、横井夫人が亡くなった後々にも記念館を存続させていくため、現在NPO法人化を急いでおり、本日も打ち合わせのため訪れると、有難いことに親子連れの来館者があり、夫人が案内しているため久しぶりに横井庄一さんのお墓参りへ訪れました。

 横井さんのお墓については、菩提寺の行雲寺に母親つるが建立した「陸軍軍曹」のお墓があり、「庄一は生きとる」が母親の口癖だったようですが、昭和23年に我家の隣のお寺に永代供養が依頼され、昭和30年には立派なお墓を建てていました。

 平成9年9月に横井庄一さんが亡くなり、2年後に本人の遺言で建てられたお墓には、小動物の慰霊碑が建立され、これはグアム島で生きていくために殺生した魚やエビなど、小動物を慰霊するもので横井さんの遺言でした。

 横井さんの在所の跡取りとは言え、我家のお墓でも忘れた頃しか訪れない横着者ですから、横井さんのお墓を訪れるのも久しぶりで、建立された当時と比較すると住宅が建ち並び、お墓の周りに塀があるため、何度も車で通行しながら墓地が見つからないため探すのに苦労しました。

 ここまで来たのだから、ついでにお寺にも寄っていこう。
 
 「どこに行っていたの」
    「久しぶりにお墓まで」
 「お墓にも行きたいけど…」

 帰宅後の夫人との会話ですが、お彼岸までにお墓に花を供えたいとの話で、本日は記念館を開館しているため、明日か明後日に花を用意して墓地とお寺のお墓へ改めて訪れることになりました。

 横井さんが平成9年に亡くなってから、夫人は独りで生活しており、89歳になった現在も買い物や墓参りも歩いて行動しており、家族の居ない記念館で20年も独居生活をおくっていたことを改めて実感させられました。

 今頃になってからでは遅いものの、少しは孝行しようと思いますが、我家にも口うるさい母親が存在し、横井家に出向いて畑を耕したり、お墓参りをすると我家の家庭不和にもなりますから、しばらくは内緒の行動となります。

            本日の体重 71、5キロ 徒歩数 2937歩 間食あり
                                     3月12日の一言


横井庄一記念館の畑へジャガイモを植えて

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畑にはジャガイモを植え付けました 

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本日はワラ(藁)を持ち込みました

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イチゴはとりあえず植木鉢へ

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これはサンチェ

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ブロッコリーは2本

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記念館の周りはツクシがほころんで春爛漫

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記念館(左端)の西側は造成工事中 将来は住宅街に

 昨日まで市議会の一般質問が3日間続き、明日から常任委員会が開催されるため、本日はゆっくりと休息にしようと思っていると、家内から車にワラを積んだまま2週間も経過することから、横井庄一記念館に置いてくるように言われました。

 ワラを置いてくるだけなら簡単な話ですが、2週間前に草が生え放題となっていた記念館の畑を耕して、イチゴを5本植えると話してあることから、ついでにイチゴを植える必要もあり、名古屋に住む娘と合流して、本日はイチゴを1本だけにして、ジャガイモの種芋を植え、ブロッコリーとサンチェの苗を植えつけました。

 植え付けましたと記しましたが、私は2週間前に作った畝(うね)に適当に植えておけば、何らかの作物はできるだろう程度の感覚でしたが、一緒に同行した家内が草の根が多く混入しているのを見つけ、根を取らないと草だらけになると言い出し、草が生えたら取ればいいだろうという私の意見は却下となり、畝作りからやり直しになりました。

 掘り返して、草を取り、畝の土中にワラを入れて、その上に土を入れなおす作業は重労働で、身体は悲鳴をあげます。何も判らない娘だけにして、家内は置いてこれば良かったと思ったものの、家内しか畑のことは判りません。
 農家の長男としては恥ずかしいかぎりです。

 さて、横井庄一記念館は名古屋市中川区にありますが、幸いなことに500メートルの距離に花や野菜の苗のあるショッピングセンターがあり、買い物は便利なんですが、私の住む地域より店は都会風ですが、苗や肥料の値段が高く、イチゴは2倍程度と高いため、1本だけにして帰宅後に近くのホームセンターへ出向きました。

 名古屋の人たちは、津島市の人たちより高い野菜の苗でも、家庭菜園に植えるためでしょうが、当たり前と思って買っていかれるんですね。

 横井夫人は現在89歳になるものの、一人で歩いて買い物に出かけ、一人で食事の用意もゴミ出しもしており、年齢よりも若くは見えますが、最近は一週間に2度ほどヘルパーさんに掃除を依頼するようになり、薦められるままにデーサービスへも足を運んでいます。

 横井庄一さんの残した土地と建物(記念館)について、私の娘が引き継いで、記念館を今後40年ほどは開館(毎週日曜日だけですが)していくと約束したため、安堵から年老いたようにも感じられ、京都のオイに子供が生まれたと喜んで家内に話す様子を聞くと、元気なうちに記念館に座っておられるだけの環境にしたいと思う一日ともなりました。

            本日の体重 71、7キロ 徒歩数 6047歩 間食あり
                                      3月9日の一言

ギャラリー
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