大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

リハビリ

城めぐりで退院後のリハビリに

愛知県犬山市へ

城めぐりのアプリ


小牧山城は激しい雨で近寄れませんでした


犬山市へ

国宝茶室如庵とホテルインディゴ犬山有楽苑

竹林

木曽川遊歩道

天守閣

木曽川

犬山橋 ツインブリッジ(道路と鉄道)

犬山城と木曽川のライン大橋

ライン大橋の濁流

本日の写真です。

退院1日目のリハビリは小牧山城のある愛知県小牧市から、大口町、犬山市の国宝犬山城まで走り、木曽川の対岸となる岐阜県各務原市を訪れ、現存する城だけでなく城址や館の八ヶ所の城を攻略してきました。スマホのアプリ「城めぐり」です。

小牧山城 上末城 楽田城 小口城 羽黒城 犬山城 伊木山城 野口館

午後2時過ぎに自宅を出発して最初の小牧山城に到着した午後3時頃は、城まで歩く予定でしたが激しく振りそぞぐ豪雨によって車を降りることもできず、当初の目的は小牧山城だけでしたが犬山市から各務原市まで走ることにしました。

犬山市にある国宝茶室如庵は私が家内と訪れた大学時代には、私の住む津島市の隣町であった佐織町から庭師に通う人もあり、有楽苑を管理されていた女将さんが名古屋鉄道中興の祖土川元夫(社長)さんの縁者であったことから、私が高校時代に入院していた名鉄病院で、病院を住まいがわりにされていた土川さんにお世話になった話をしたことで、普段は公開されていない茶室を開けてお茶を入れていただきました。

今にして思うと、私が名鉄病院で土川さんと出会った時に同行されていた着物姿の女性が女将さんと思われ、「この茶室のいわれを知ってるか」と問われた際に、私の口から出た「土川さん」の言葉と、病院で言葉を交わしていたことに大変喜ばれたようでした。

懐かしい思い出話ですが、名鉄の社員は家族という土川さんの偉業も、二代続いた日銀出身の社長によって、グループの分社化や合理化が進められ、社員の士気が低下して愛社精神も低下すると社業も衰退していったように思います。

私にとって「有楽苑」は懐かしい想いが残る場所でもあり、新しく整備された旧犬山ホテルを見て昔の思い出がよみがえってきました。

本日もかかりつけ医までリハビリへ


病院前の夕暮れです 


 昨日ワクチン接種を受けたかかりつけ医へ、本日は交通事故見よる首のリハビリに訪れました。

本日から同級生の庭師さんが我が家の剪定作業をしており、午前中の休憩後にかかりつけ医へ行く予定でしたが、別の同級生から電話があり一緒に昼食に出かけたため夕方のリハビリとなりました。

 夕暮れの彼岸花

 夕方でも鮮やかです

本日の写真です。         車のライトで照らしました

 明日も朝の9時から名古屋第一赤十字病院(中村日赤)の診察があるため、昨日から三日連続の病院通いとなりました。

庭師の同級生がスルスルと木に登っていく姿を見ながら、思うように動かない我が身をなんとか元通りの体調に戻したいと思う一日になりました。

さて、明日の診察は現在罹患中の膠原病の診察ではなく、昨年10月に受けた前立腺肥大症の手術後の経過診察で、順調に回復し何も悪いところがないため明日は最後の診察になるかもしれません。
主治医との縁が切れるようで少し寂しさもありますが、これだけ通院が続くと中では朗報としか言いようがありません。

体調不良の一日となって


本日の歩数


 今日まで6日間の歩数


ノルマ達成です

本日の写真です。

毎朝起きた時の体調に変化があり、夜間の睡眠が浅いのが原因かどうかはわかりませんが、本日は朝から身体が重い一日となりました。

 明らかに膠原病が関係していることは間違いありませんが、身体が重い時に横になって休息するか、リハビリ感覚で苦痛を払拭して行動に移すか非常に迷うところでもあります。

本日は休養の一日として、家内の運転する車に同乗して移動したものの、車を降りる元気も湧いてきませんでした。

そんな中でも夕方になってマックまで歩き、一日のノルマとする5千歩を歩きました。

本日はそれだけですが、今週は一日五千歩のノルマを課してきたため6日目で一週間分のノルマ3万5千歩を達成することになりました。

鉛色の雲に覆われた一日に


 午前12時10分


雨雲レーダー  15:56

 こんな中を歩きました

16時32分 

本日ガソリン格安デー  149円

 16時54分

外科でリハビリ中

本日の写真です。


本日の天気予報も終日雨の予想でしたが、時々差し込む日差しのもとでなんとかノルマの5千歩を達成しました。

 Coke ON の週間ノルマ3万5千歩まで三日間で一万歩を歩く必要があり、台風の進路や雨模様の予想の雲の合間になんとか歩き通そうと考えています。

本日も午前中から体調は不調で、ガソリンを入れ、かかりつけ医で交通事故のリハビリを受けただけで、何もしないままに一日を終えました。

明日は中村日赤 へ通院することだけが私の唯一の仕事となります。

健康体のリハビリとは違う闘病中のリハビリに

ユリが次々と開花しました

 2日前

事務所横のオニユリのむかご

 開花時

 裏庭のオニユリのむかご

 開花時

 ウォーキング中の花畑

 本日の写真です。

本日のリハビリウォーキングは近所を2周したものの、3千141歩しかならず、苦痛もなく一万歩を歩いていた半年前がずいぶんと昔のことのように思われました。

週末予定している上高地では、少なくとも1万歩は歩かないと目的地に到着しないため、明日からも頑張って歩きたいと思います。

体調が回復しつつあるというものの、現実にはその日その日の朝の体調に変化があり、最近まで天候不順もあったことから計画的なリハビリとはなっていませんでした。

幸いに週末の天候は良さそうなので疲労とストレスを溜めないリハビリを続けたいと思います。

オニユリからシラユリへバトンタッチ

 事務所横の白百合
2 M 以上の高さがあります

 大量のつぼみ

 1年前にも白百合が満開になっていました。

2021-08-06 

 8月のカレンダー

 8月のカレンダー

 本日の写真です。

来週に上高地へ行く予定を立てましたが、 6月から2ヶ月以上歩いていないため、本日は知人のお宅までリハビリを兼ねて歩いてきました。

ちなみに歩数は約4000歩でしたが、上高地では1日に2万歩ほど歩いていたことを思うと半人前にもなりませんね。

 とりあえず一日五千歩を目標として一週間続けたいと思うものの、その前に身体とも相談になりそうです。

病気闘病中の生活の中で

 薬入れです


毎日の朝食後に服用する薬は7錠あり、金曜日の朝は免疫抑制剤3錠と夕食後に2錠処方されており、日曜日の朝食後にも1錠の薬を処方されています。

さて、毎朝7錠の薬を間違えずに飲むのもひと仕事で、一週間に一日だけ服用する免疫抑制剤については医師から絶対に間違えないように厳しく指導されています。

そんなわけで、今週からは一週間分の薬を薬入れに分けて間違えないようにしています。

膠原病の患者となった私は免疫抑制剤を処方されており、自己免疫力が低下しているため新型コロナに感染すると重症化するリスクがあるようです。

さて、心配したらキリがありませんが、次の通院日間近になってコロナに感染して病院に行けない場合、処方された膠原病の薬がなくなることも考えられます。

最近は随分と体調が回復しているものの、最盛期の痛みを考えると心配は尽きません。

そんな心配性の私の独り言を聞いていた医師から、昨日は一週間分余分に薬を処方していただきました。

さすがに赤十字の看板を掲げる病院の先生は心が優しいんだと実感し、そんな先生に巡り会えたことには感謝しかありません。

 首の牽引リハビリ中です


こちらは、3月末に交差点で追突された事故に対するかかりつけ医のリハビリです。


今にして思うとこの事故によって次々と体調の不調から身体が悲鳴を上げ、5月の連休後に膠原病を発症して行きました。


 こちらは理髪店です

本日の写真です。

本日は午前中にかかりつけ医に通いリハビリとなる首の牽引を受け、その足で理髪店を訪れました。

何にも役に立たないのに、元気な時より出費が重なっているような気がします 。

家内の孤軍奮闘しかない現状に

 家内が剪定中です

 本日の写真です。

本日の午前中は交通事故のかかりつけ医でリハビリを受け、帰宅早々に昼食をとりテレビの鬼平犯科帳を見ていると1日が終わって行きます。

毎週木曜日はガソリンスタンドの安売り日のため家内の車に給油すると、本当に1日の終わりがやってきました。

両手不調により車の運転を控えているため、私の車はガソリンが減っておらず、当面は走って行く予定もありません。

さて、帰宅後に家内が事務所横の庭木を剪定し始めましたが、私は何もできないため無言で見守るしかありません。

情けないですが当面は辛抱の一言です。

病院の中に上高地を見つけて

本日自宅前の夕暮れ風景

中村日赤3階屋上駐車場と愛車

上高地の油絵

上高地の油絵


本日訪れた名古屋第一赤十字病院の検査室で、待合室に飾ってある懐かしい上高地の油絵を2枚見つけました。

上高地バスターミナルから梓川に出たあたりから見える穂高連峰の油絵と、河童橋から見える明神岳と穂高連峰の油絵です。

例年なら現地で見ている上高地の風景を病院の中央検査室で見る現実は寂しいものがありますが、1日も早い体調回復とともに現地を訪れたいと切実に思いました。

渡辺画伯の上高地

添付した油絵は私の三男が接骨院を開業した際に上高地の小梨平で渡辺さん(ホームレス画伯)から三男自身が直接いただいた上高地の油絵で、開業以来施術室の壁に飾られています。

最近中学生になった孫から、「爺ちゃんと一緒に上高地へ行きたいね」と言われた一言をリハビリの目標として体調の回復を目指します。

何もできないままに一日が経過して










本日の写真です。

昨年10月に前立腺肥大症の手術を受け、手術後は当面自転車に乗らないよう指導されていましたが、本日は自宅から近い我が家の畑までですが自転車で訪れました。

明日の午前中に名古屋第一赤十字病院の整形外科を受診しますが、専門医の指導のもとに元気だった3月までの身体に戻していきたいと考えています。

さて、自転車と言っても私自身が自転車に乗ったのは記憶がないほど古い話で、私の自転車はパンクして乗れない状況のままで、しばらくは母親の自転車で足腰のリハビリに励みたいと考えています。

病院への通院が仕事となって

 名鉄電車

名鉄津島線勝幡駅の近く

 あき眼科クリニック

 浅井薬局

 処方された目薬

 リハビリから帰宅中
本日の写真です。

 昨日受診した基本検診の眼科医院で視力の低下はあるものの、眼圧や眼底検査の結果は異常がありませんでした。

白内障について手術の心配はないものの、2年前より進行しているとの話から、本日は白内障の進行を遅らせる目薬を処方してもらいました。

昨日は名古屋市の中村日赤の整形外科を受信し、夕方眼科の基本検診を受けましたが、本日は眼科で薬を処方された後に交通事故のリハビリにかかりつけ医を訪れました。

連日病院への通院だけで1日が経過してしまいました。

手の平のシビレと肩の痛みから四国遍路を断念し

本日の夕暮れ 雨天の一日に夕陽が射しました


 右手だけだった手のひらのシビレと痛みが、2日前に突然左肩も動かせないほど痛み出し、本日から出発を予定していた四国遍路を中止し、何とか連休最後の3日間だけでも四国へ行こうと静養してリハビリに専念しています。


 3月末の交通事故によって、当初は指のシビレだけで簡単に治まると思っていたものの、時間の経過とともにシビレが治まると手のひらが痛み出し、肩や腕を動かしてもシビレは解消できなくなり、パソコンのマウスや食事の箸を持ってもシビレ、セカンドライフとしている患者搬送にもハンドルを握るとシビレるため家内の出動が増え、最近はシビレだけでなくシビレが治まると右手全部の指が痛みだし、朝の起床時には重度のシビレが残るため夜間の不眠にも悩まされるようになりました。

 3日前の診察で、「処方した薬の効果が神経にいきわたるのには時間がかかり、長期戦になるのを覚悟して」と医師に言われたため、これまで1ヵ月間の体調変化を思い出して記録しておきたいと思います。
 

3月26日(土) 午後6時稲沢市の交差点で追突事故に遭う。左肩と背中に鈍痛。

   28日(日) 右手の親指と人差し指と中指にピリピリとシビレが発生

3月28日(月) 彦坂外科を受診 レントゲン検査で首の頸椎に挫傷の痕。

          三種類の薬と湿布の処方

3月29日(火) 後藤整形外科医院でMRI検査

          MRI検査のデータを持って彦坂外科で診察 

  3月30日(水) この日から薬指と小指にもシビレが発生

4月 2日(水) 彦坂外科

  この頃から、息子の接骨院と彦坂外科のリハビリをうけるようになる

  4月10日頃には、親指から3本は常時シビレ、小指と薬指はシビレの繰り返しに

4月14日(木) 彦坂外科

4月20日(金) 名古屋赤十字病院で診察 CT検査を受ける

   偶然か、翌日の半日ほどシビレが治まる その後は元通りにシビレの繰り返しになった。

   この頃までは両肩を動かすとシビレが治まることがあったが、シビレが治まると手の指が痛むようになり、指も曲げられなくなる。

  4月26日(水) 朝から夜まで右手がシビレたままになり、夜も寝られなくなった

4月27日(木) 彦坂外科 新たな薬の処方とリハビリ

  4月27日の夜に左肩が突然の痛みで動かせなくなった。当初鈍痛が軽減していたため治療は受けていなかったものの、事故後から左肩に違和感が残っており、左の中指が痛んで曲げられなかったのが、肩の痛みが出た後になって解消したことから、中指の痛みも事故後の肩の後遺症であったと思います。


4月29日(金) 左肩の痛みは改善し、今度は左手の薬指に違和感が出たものの、昨日には全く動かせなかった右腕が動かせるようになり、本日は動かしても問題が無さそうなため積極的に動かして痛みと強張りを取りたいと思います。


 右手の手のひらについては、シビレと痛みによって握力も日赤で検査した20キロより確実に低下しており、シビレが治まると痛みが襲ってくることから神頼みの状態です。


 何よりも横になって身体を休めたり寝ることで右手がシビレるため何ともならず、これからの四国遍路や上高地のボランティアだけでなく、毎日の患者搬送にも支障が出ており、平成16年から毎日発信してきたブログについても、スマホのタッチペンが握れず、パソコンのマウスを持つとシビレるため、何とか続けていきたいもののこれこそ神頼みとなってきました。


                            4月29日の一言

リハビリ中の私に通院の移送依頼が続々と

久しぶりの名鉄電車

手前の麦も大きくなってきました

本日の写真です。

 追突事故に遭遇したことで、大きなキャラバンでは送迎できない患者さん用の軽自動車が修理中のため、家内が頑張って走っているものの、本日は患者さんの送迎時間が重なったため、久しぶりに愛西市まで移送に参加しました。

 そんな訳で久しぶりに名鉄電車の踏切を渡り、患者さんを待つ合間に電車の行き来を眺めることができました。

 身体の状態は相変わらずで、右手のシビレは深刻となり、当初は親指と人差し指、中指のシビレだけでしたが、事故後3日目から小指と薬指もシビレるようになり、右の肘も痛くなり、事故直後に痛みが引いた背中や首までもがいまだに重く、最近は朝の起床時に右手全体がシビレるようになっており、シビレだけだった指も中指は絶えず痛むようになりました。

 命に関わる病気ではありませんが、これからの老後を考えると心配は尽きず、上高地の活動や四国遍路にも影響は否めず、処方された薬と施術の効果に期待するしかありませんが、何よりも移送するボランティアだけにハンドルを握るとシビレるのは致命的です。

 さて、こんなことからボランティアは家内任せで留守番生活になっていますが、外出時には聞くこともない事務所の電話が気になり、基本的には固定電話しか応対しないことにしている電話も、何度もかかってくるため応対すると、タクシーが運んでくれない移動困難者や車イス利用者の切なる依頼を聞くことになり、断りきれない人の移送が皮肉にも増えてしまいます。

「〇月〇日に依頼された」
    「何時なの?」
「〇時〇分の希望だけど…」
    「お父さんが行ってよね」

 基本的に車イスの患者さんは家内が担当でしたが、車イスの患者さんの移送は搬送だけでなく診察後の自宅に帰るまで車が拘束されてしまい、途中の長い待ち時間が苦痛になるため、最近の家内はお客さんが増えることが苦痛になってきています。

 一方で、高額な福祉タクシーや患者搬送業者も存在するため、知人から安価な料金を聞いたり、市役所に相談すると我々の福祉有償ボランティアや私の福祉タクシーを案内されることが増え、私が議員であったことを承知で依頼されると断ることができません。

 明日は我が身の言葉がありますが、命に関わる病気で闘病中の患者さんにとっては、我々の移送そのものが生命の綱にもなりかねず、「指がちょっと」とは言っておれない現実と、自分の治療を後回しにはしたくない心情との狭間で悩まされます。

                                 4月7の一言

リハビリと休養の一日となりました

我家の君子ランです

全部で6鉢になりました


 我家の君子ランは6鉢になりましたが、平成16年12月に亡くなられた水野静江さんにいただいた1本を基にして増やし、すべての鉢が花を咲かせますが、水野さんが存命中は管理が悪く、立派な君子ランをもらっても翌年には花が咲かず、毎年立派な花をいただいていました。

2018年04月12日

 亡くなられて18年の歳月が経過しましたが、唯一の遺品と思って大切にしてきたためどんどんと増え、花から結実した実から発芽した子供も数本存在することから、そろそろ水野さんのお宅へ里帰りさせるか、故人を知る知人へ差し上げて後世へ残したいと思います。

 それにしても月日の経過は早く、亡くなられて18年も経過していますが、私が大学時代に御主人とともに海外から帰国され、直後から私の仕事を手伝ってもらうようになり、学生結婚の家内にとってもお姉さんのように頼れる存在でした。

 毎年立派な花を咲かせることで必ず故人を思い出すことから、私も残された家族に喜んでもらえる花を見つけて残したいと思います。4年前のブログを読み直すと、本日と同じことを記していました(笑)

かかりつけ医 彦坂外科

昔ながらの田んぼ道です

タンポポが咲き誇っています

残念ながら外来の西洋タンポポです

草の上で眠りたくなりそうでした

善太川の支流です

水面には大きな亀

右手遠方には津島市民病院

回り道したものの外科の近くです

昔ながらのヨシが茂っています

本日の写真です。

 本日は歯科医院経由でかかりつけ医に到着し、交通事故後に受けている首の温めとけん引のリハビリを受けた後に、田んぼ道を歩きながら家内の車と合流しましたが、本日は何もしないままに昼をむかえました。

 追突された軽自動車は修理のため代車が届いていますが乗りなれない車であり、私の愛車キャラバンは本日エアコンの修理に出しているため、ボランティアの合間に家内が私を歯科医院と彦坂外科に送迎してしれましたが、自家用車が無いと生活できない高齢者の生活を実体験する一日ともなりました。

 ただし、日頃は車で通り過ぎていく場所ですが、人の歩かない田んぼ道を久しぶりに歩き、健康目的とは違う歩く目的本来の目的地までの移動は新鮮で、小学校への通学路の道草を思い出しました。明日もこんな生活となります。
                                 4月6日の一言
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