大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

世界文化遺産

三弘法神光院と仁和寺の朱印を比べて


神光院 山門

京都市北区西賀茂神光院町120

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

東寺(教王護国寺)、仁和寺と並ぶ京都三大弘法として有名であり、地元では「西賀茂の弘法さん」の愛称で親しまれる。空海が42歳の時に、当院で九十日間の修行を行ったとされる。修行を終えて寺を去る際に、境内の池に映る自らの姿を見て木像を彫り、厄除を祈願したといわれている。この木像は本堂に安置されている。同時に彼が眼病治癒の祈祷をしていたことから、眼病に利益のある寺としても広く知られるようになった


木札

手水舎

空海が自分の姿を写して木造を彫った池

本堂

中興堂

弘法大師像

納経所 庫裡

三弘法の案内

鎮守社

神光院の朱印帳
日曜日の写真です。

 三弘法といえば京都の東寺と仁和寺は有名ですが、神光院についてはあまり知られてはおらず、私自身は初めての参拝となりました。

しかしながら、世界文化遺産として大きな境内を半日がかりで巡る東寺や仁和寺とは違い、心安らぐ静かな環境は、42歳の空海が神光院で90日間修業したとの伝承や、上賀茂神社の懇望で藍染明王や自像を刻んで安置したとの伝承が妙に説得力を持ってきます。


手にした朱印帳は私のこだわりのある朱印帳で、一緒に添付した四国遍路の納経帳と比べれば大きさの違いが分かりますが、普通の小さな朱印帳よりもさらに小さい胸ポケットに入る朱印帳です。


さて、神光院の朱印の右側は三弘法仁和寺の朱印ですが、2ページにまたがって朱印が押されました。

「こんな小さな朱印帳には書けない」と、2ページにまたがるだけでなく、仁和寺では500円の朱印代を請求されました。

「朱印が重なるけどお許しくださいね」と言われた神光院の納経所の女性の心遣いを実感するとともに、「小さいからかけない」の一言で2ページとなった仁和寺の納経所との心遣いの大きな違いも実感させられました。

世界文化遺産 京都の教王護国寺東寺へ


 東寺 南大門と五重塔

 境内見取り図

 慶賀門 東門

駐車場

 宝蔵


 小野道風ゆかりの柳


大師堂入口 


 御影堂


 天皇陛下お手植えの松


 食堂



拝観入口  

 五重塔

 講堂

 金堂

 南大門



 南大門から見る金堂

 鎮守八幡宮

 社殿





 北大門


 開運大元師明王



 観智院

 洛南高校東付属中学

 洛南会館



 日曜日の写真です。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

東寺(とうじ)は、京都市南区九条町にある真言宗の総本山の寺院。山号は八幡山。本尊は薬師如来。真言宗の根本道場であり、教王護国寺(きょうおうごこくじ)とも呼ばれる(名称については「寺号」の節を参照)。寺紋は雲形紋(東寺雲)。食堂(本尊・十一面観音)は洛陽三十三所観音霊場第23番札所。

東寺は、平安京鎮護のための官寺として建立が始められた後、嵯峨天皇より空海(弘法大師)に下賜され、真言密教の根本道場として栄えた。


 四国八十八カ所のお遍路へ旅立つ前に京都の東寺へ安全祈願に訪れる慣習がありますが、江戸時代には京都にある弘法大師ゆかりの三弘法へ参拝する習慣があったようです。

現在でも弘法大師とゆかりの深い「東寺」「仁和寺」「神光院」、この三つの寺を”三弘法”と呼び、東寺で菅笠、仁和寺で金剛杖、神光院で納札箱を授かり、それを身に着けて人々はお遍路修行へと向かったとされています。

全国各地に三弘法や四国八十八カ所を模したミニ八十八ヶ所が存在しますが、車のない江戸時代に当時のお遍路は四国を歩くだけではなく、その前に京都の三弘法へ挨拶に訪れ、四国の満願を果たした後に高野山まで御礼参りに歩いたこと考えると、公共交通機関や道路が整備された現代社会においては、四国に行けないから近場の八十八ヶ所なんて参拝はお遍路のカケラもありません。

空海が62年にわたる修行や体験から伝承されてきた真言密教の原点に近づきたいと思わせる今回の東寺への参拝となりました。

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