大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

中学校

母校のゆるキャラ「かも神」さんです

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 私の母校となる神守中学校のゆるキャラ「かも神」さんです。一昨年10月にゆるキャラ制作を公約として生徒会役員に当選した鶴見君が中心となって、昨年1月に校内総選挙にて200作品の中から選ばれたのが添付した「かも神」です。

 「ところで、中には誰が入っているの?」の質問に、「私の姉妹なの、私たち双子なの」との明るい返事と、「今日のブログに載せるけど、写真は大丈夫?」の一言に、後輩たちはしっかりカメラ目線とピースで応えてくれました。

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 添付した写真は地元中日新聞の記事ですが、昨年9月の体育祭に披露されるまで一年がかりで制作された苦労話が掲載され、「かも神」が完成するまで生徒が一丸となった効果やゆるキャラ提案者の鶴見君から、「さらなるパワーアップと改良」を期待するコメントが紹介されています。

イメージ 3 本日は市内の中学校で卒業式が挙行され、神守中学校でも206人の卒業生が母校を巣立ちましたが、かつて悩まされた不登校の生徒が減り、卒業生の服装の乱れが無くなっていたことも同窓会長としてはうれしい卒業式となりました。
 添付したゆるキャラ「かも神」さんも、母校の校門前で卒業生を見送るために登場してきましたが、こんな可愛いマスコットに見送られて卒業する姿を想像するだけでゆるくなっている涙腺から熱い涙が溢れてきそうですね。

 さて、本日の夕方に市内を歩くと、「大鹿さん、どうしたの?」と声をかけられ、昨年から管理栄養士さんの指導で体重が減ったことを説明し、「私でもできるかなァ」との話で盛り上がり、そのまま管理栄養士さんに予約して相談を受ける話になりました。
 予約された人は、私の元同業者の人で、完全に太りすぎで足に負担がかかっているため、指導を受けて減量することが確実に行動範囲を広げてくれそうです。

 心配なことは、この減量が「ガンではないか」との心配で、昨年秋のガン検診では異常がありませんでしたが、ガンで痩せているとしたら、笑い話にもなりませんし、指導中の管理栄養士さんの信用も傷つけてしまうため、近々検査も受けたいと思っています。

 多数の人と接しており、出かけるたびに風邪が心配となりますが、今年は一度も風邪に感染しておらず、現在開催中の3月議会と、4月の統一地方選挙をひかえて体調管理も重要な時期になってきました。

                  本日の体重 71、2キロ 徒歩数 6406歩
                                      3月5日の一言

同窓会報は完成したものの…

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本日印刷所から届けられた神守中同窓会報(A4版12頁)です

 本日は津島市議会が開会し、新年度の予算案を初め提出された議案説明と質疑が午後5時過ぎまで続き、帰宅は7時近くになっていました。

 さて、本日は3月1日に地元の全世帯に配布予定の「神守中学校同窓会報」が我家に到着予定となっているものの、帰宅時には届けられておらず、明日の午前中から全町内の会長宅に届けないと配布の手配ができないため大慌てになりました。

 母校の区域には50近い町内会があり、全ての町内会を通じて全戸配布されているため、津島市の広報紙が届けられる前に会報を会長宅に届けて、広報と一緒に各班の班長さんから全戸に配布されています。

 印刷業者は配送を宅配便に依頼し、昨日に宅配業者に渡っており、翌日に配達される契約のため、本日到着するとの話ですが、届かないと明日の作業が終わらないため連絡したところ、現物がある場所は確認できましたが「夜9時頃になっても良いですか」と、到着の確約は取れましたが…

 問題は、届けられた会報を各町内の世帯分の部数に分けないと配布できないため、到着した会報を家内が分けることになっていましたが、終了したのは午後11時を大幅に廻ってしまいました。

 来週には議会の一般質問が予定されており、私の質問要旨を確認したい市役所の担当者から電話が入り、私自身が4月の統一地方選挙の準備が何もできていない中で、他都市から立候補予定の関係者から助力を求める連絡が入り、愛知県からも提出が遅れているNPO法人の事業報告書の催促があり、今月から来月にかけてより慌しくなってきました。

 4年前の悪夢がよみがえりました。こんな調子で日常の仕事が連続し、何も準備しないまま選挙となり、過去最悪の結果となったことを、何もしなかったのでなく、忙しくて何もできなかった4年前の再来にしてはなりません。

             本日の体重 70、5キロ 徒歩数 544歩
                                  2月25日の一言

母校の同窓会総会と物故者法要が終わり

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我家の裏の電線にとまるムクドリ
 
 添付した写真は、本日夜になる直前の我家前の電線に群がるムクドリの群れです。あまりにも多いためカメラを持ち出しました。
 
 本日は、午前中に私が会長を務める神守中学校の同窓会総会が開催され、私の中学時代の3クラスの担任を勤められた恩師3人と、学年主任で現在も我々の書道を指導していただいている恩師も、全員が健康で出席していただき、出来の悪い問題児であった私をいまだに心配していただける言葉に感謝する一日ともなりました。
 
 私が中学時代や高校時代に非行に走ったり落第した経歴を知りながら、あえて同窓会会長の要職に推挙していただいた先輩役員や、前任会長の恩だけでなく、恩師の先生方にも、平成9年の会長就任からまさか現在までの長期にわたってお付き合いいただくとは思ってもいませんでした。
 
 神守中学校の同窓会では、総会後に場所を近くのお寺に移して物故者法要を営んでおり、前住職(故人)は母校で長く教鞭を執られており、現住職も卒業生であるとともに、前住職と錯覚するような法話に、伝統行事を守り続けることの責任も実感させられました。
 
 さて、本日は昨日に引き続き津島市議会の議会報告会が開催されたため、昼食会場に恩師や会員を残したままの退出となりましたが、議会報告会の参加者は少なかったものの、校区内の会場だったことから、議員の立場ではなく同窓会の延長のような市民側の感覚で司会進行していたように思われます。それはさておき、忙しい(上高地行きも含めて)一週間が終わりました。
 
友人から届いたボランティア(福知山市)の体験記です。 
 
 福知山ボランティア 8月22日
 
イメージ 2イメージ 3福知山でも、特に被害の大きかった福知山城の横を流れる法川の近くの様子です。家の片付けをしている人に聞くと、法川が氾濫して床上150センチ程まで水がきたそうです。道路には濡れた畳や家具などがまだ山積みになっています。パチンコ屋も浸水して休業です。本日22日は急な雷雨でボランティア活動は中止になりましたが明日からまた再開です。3日間程居よう思ってます。
 
 福知山 8月24日
イメージ 4イメージ 5福知山のボランティアは、本日は床上浸水した民家の床下に堆積した泥を掻き出す作業でした。写真は暗くて分かりづらいですが、高さ40センチ程しかない床下にもぐって泥をとっているところです。東京や同じ愛知、奈良、大阪、など全国から来ている人と八人で班を構成して作業しました。這いつくばっての作業でしたので泥だらけになりました。1日で作業が完了しなかったので、明日以降も継続の必要をボランティアセンターに報告する旨伝えましたが、家人は同じメンバーに来て欲しいとのこと。しかし、明日はどういうメンバーになるかは全く解らない旨伝えました。
 
 帰宅してホッとすると相棒の激しい鳴き声が… わざわざ一宮市から知人の訪問に疲れたとも言えず、おしゃべりを続けて散会し、雑用を処理していると時計はすでに日付をまたいでいました。
 
                        本日の体重 79,7キロ
                                 8月24日の一言

卒業式前日の同窓会入会式へ

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 本日は、私の母校となる神守中学校で、明日に控えた卒業式の予行練習と、3年生の終業式が行われましたが、その合間に同窓会入会式が行われ、同窓会長として最後の挨拶をおこなうとともに、次期会長に指名した山田副会長(右上の写真)を紹介し、卒業式後は同じ同窓生として同窓会行事に参加を促し、地域社会で助け合えるような関係を作りたいと話しました。
 
 さて、本日は27歳となる愛車ライトエースの電装関係に時々不具合が現れることから修理に出し、オルタネーターを交換してもらいましたが、こんな時に旧式となるだけに部品の調達が心配となりますが、最近の電子化された車と違い、故障しても低額で何とかなってしまうため修理するたびに一安心となります。
 
 ただし、完全に故障していない場合に、製造元のトヨタ関係の営業所に相談すると、直そうとする前に「そんな年式の車となると…」と、暗に部品が存在するかどうか不安な応対となり相談もできませんが、修理してくれる自動車屋さんと、トヨタの電装関係を全部請け負っている町工場の存在があることから愛車の寿命を延ばしてくれます。
 
 本日の夕方には、一月に会社を辞めた家内の失業保険の手続きにハローワークに送りましたが、本日の手続き後3ヶ月目の7月から3ヶ月間支給されるものの、男性の私なら絶対に腹立たしくなる質問や、失業した時のためにかけ続けた雇用保険を受け取るのに、情けない思いをせず堂々と受け取れない雰囲気に、実際の会話を録音させて聞いてみたいと思いました。
 
 失業時に受け取る失業保険は、労働者の義務を果たしてきた当然の権利ですが、我家は家内が結婚して会社を辞め専業主婦になった際には申請しておらず(結婚は申請できない)、年末のボーナス間際の結婚だったことから、ボーナス受給後に退職しようとした家内をボーナス支給前に辞めさせており、今回が初めてとなる支給されるべき失業保険の受け取りに情けない心境にさせられる応対は許せません。
 
生活保護不正受給191億円、過去最多を更新 12年度
 
 最近の厚生労働省の発表では、191億円もの巨額となる生活保護の不正受給があり、「不正受給額の増加は3年連続で、09年度と比べ倍増した」と、新聞にも報道されていますが、意図的に我々の税金を着服した不正受給と、失業保険の受給とは全く意味が違います。
 
 働く意思を詳細に問うのは当然の仕事かもしれませんが、長年雇用先から雇用保険の負担を続けた人々には当然の権利でもあり、過去を封印して情けない応対を経験した知人達の心境が、家内のわずかな失業保険から実感させられる一日ともなりました。
 
                                   3月5日の一言

同窓会報配布先でトラブルに…

 本日は母校の同窓会報7千部を校区44ヶ所の町内会の戸数別に分け、各町内の会長さんのお宅に届けることとなり、一緒に配布作業にあたる役員さんは、仕事を休んでの参加となりましたが、仕事まで休んで配布していることは誰も知りません。
 
 「ここの団地は自分で配ることにした!!
 「どうしたの?」
 「政治がどうのこうのと言われて!!
 「えっ? どうしたの?」
 
 詳しく問い詰めると、会長を務める私が特定の政治家を支援していることが原因で、そのことに対する苦言を大声でまくし立てられ、「そう、伝えろ!! 」と怒鳴られたことに対して、「同窓会は政治とは無縁だ!!  自分も関係無い!! 」と言い返すだけでなく、会報の配布を依頼するのも嫌になって持ち帰ったのでした。
 
 政治と関わる私が会長を務めているものの、同窓会報は政治とは無縁であり、ましてや仕事を休んで配布に協力している役員にしてみれば、特定の政治家や私の手先のように怒鳴られたことに腹を立てるのも当然ですが…
 
 ここの住宅だけであれば2人でも配布できるものの、来年以降の配布や、同窓会活動は私だけでなく特定の政治色とも無縁で活動しており、同窓会報の配布と政治を一緒に論じられては帰るわけにはいきません。
 
 「何が原因ですか?」
 「あんたは何故〇〇と一緒なの!! 
 「私は議員になった時から〇〇ですよ」
 「なんで〇〇なんかを」
 「それは最初から決めているので」
 「行動が違うのになんで〇〇を!!?
 
 〇〇とは元県会議員の事で、私の主張や政治姿勢が〇〇とは違うのに、何故〇〇を応援するのだと言う主張でしたが、私は政党に所属する議員ではないため、政党色のついた応援はしませんし、自分の主義主張は誰にも束縛されたくない事を説明し、議員になる時に〇〇を応援する約束をしたことと、主義主張の違いをお互いが尊重しあい、行動は束縛しあっていない事を説明し、何とか、何とか円満に会報を預けてきましたが…
 
 私自身は議員になる以前から同窓会長を務めており、昨年の総会で次期会長の人選も済ませており、同窓会を自分の選挙運動に利用したこともありませんが、今年は来月に市長選挙が行なわれることから、こんなハプニングにもなったのだと思います。
 
 多くの議員が立候補する市議会議員選挙であれば、それぞれが支援する候補者を応援するだけで済みますが、市長など一人の首長を選択する選挙は、地域を敵と味方の関係に分けてしまい、私も敵対する相手として苦言を受けたと思われます。
 
 学校や教職員は選挙運動が禁止されており、学校が特定の議員や政治家を優遇するようなことはなく、同窓会報については地域全体の協賛広告の収益で発行されているため、政治色は無縁ですが、私の個人的政治関係のために同窓会や役員まで批判されては堪りません。
 
 役員の言動に「よく言った」と思う反面で、議員である私が会長を務めていることで、公正な同窓会活動が行なわれていても、評価されていない批判的な人の存在と、私の引退で会報の存続を危惧している学校の声が交差する一日となりました。
 
                                 2月26日の一言

同窓会報が印刷所から届いたものの…

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今年の神守中学校同窓会報が完成して届きました
 
 本日から3月議会が開会し、議案の上程と説明のあと質疑応答があり、議会が終了したのは午後3時を廻っていました。
 
 自宅では、昨日届けられた3月1日発行の同窓会報に不具合があり、知人にボランティアで依頼した消し込み作業が続けられており、大半は終わっていたものの、明日の午前中に再開する予定で散会となりました。
 
 不具合というのは、会報発行の資金源となる協賛広告の中に、市長選立候補予定者の名前が記されていることから、選挙目的ではなくとも、公職選挙法に抵触する可能性があるため、修正テープで7千部の全会報を訂正する必要ができました。
 
 同窓会報は毎月1日に全戸に配布される市役所の広報紙と一緒に、中学校区の全戸に配布されますが、7千部を44の町内に小分けして、それぞれの町内会長さんのお宅まで届ける作業が残っており、これだけでも半日以上の時間を要します。
 
 協賛していただける広告主に依頼に走り、原稿を依頼するとともに自分でも4ページ分を書き込み、届いた会報を各町内まで届けると一安心ですが、それからも広告代金の集金に走る仕事が残されており、これを私の先輩会長も続けておられたのですから、当り前に続けてきたものの後任者にも強いるのは酷ですね…
 
減収分の賠償、打ち切りへ 東電が来年2月と発表
 
 本日の朝日新聞には、「東京電力が福島第一原発事故伴って失業や転職をした避難者らに支払ってきた減収分の賠償を来年2月に打ち切ると発表した」と報道されています。
 東電の発表によると、3月以降は来年2月までの1年分で打ち切り、原則延長しないとあり、「これまで事故の特殊性を考えて十分に対象期間を長くしてきた」とのコメントに、理不尽にも先祖伝来の地を追われた避難者は納得できるのか。
 
震災3年、初の避難指示区域解除 福島・田村市、4月に
 
 一方では、福島第一原発から20キロ圏内にある福島県田村市都路(みやこじ)地区について、国は4月1日に避難指示を解除する方針を決め、他の6市町村も今後2年ほどの間に解除を検討し、都路地区を含む計約3万人が帰還するかの判断を迫られる見込みとの報道もあります。
 自宅への帰還は明るい話題に見えますが、除染作業の手抜きも発信されており、人体への影響も不透明な中での帰還は、果たして吉となるか。
 
 原発事故による賠償が打ち切られ、除染作業の効果に確証が持てない住民の心配をも無視した帰還計画は、原発事故により家を追われ、職を失って避難生活を送る人々に対する配慮は何も感じられず、脱原発運動を無視して再稼動に走る安倍首相を背景に東電のやりたい放題としか思えません。
 
 一人の人間としての無力感を感ずる一日となりました。
                                   2月24日の一言

ストレスを貯め込んでいます

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 今年の節分は名古屋で講習を受けていたので、日曜日に地元のお寺で開かれた豆まきへ家族が参加してきましたが、留守中の我家には京都大原・宝泉院より「福豆」と「お札」が届けられていました。
 
 この手紙が届くようになって十数年は経過していますが、届くのが当り前のように思っているわけではないものの、同封される「お札」をあまりにも粗末に扱っている可能性もあり、一度御礼に訪れたいと思います。
 
 本日は毎年発行している母校(中学校)の同窓会報の広告スポンサー廻りに地域を走りましたが、多くは母校の先輩や知人にあたるため、「おー、久しぶり」とか「元気?」などと世間話に花が咲きますが、広告とはいっても寄付のような一面もあるため、無理にお願いしたスポンサーからは強いストレスも貰ってきます。
 
 「毎年お願いしている広告ですが」
 「えっ、毎年と言われても…」
 「広告を見たとの声も聞かないから…」
 「不景気で大変なんでー」
 
 私は平成9年から母校の同窓会長を務めていますが、店主の死亡や閉店は勿論ですが、不景気による広告の辞退によって、新たな広告主を探しているうちに、会報の広告スポンサーの多くが「大鹿銘柄」になってしまいました。
 
 せっかく新たにお願いしてきても、数年後に他の役員さんがお願いにうかがうと断られ、再度お願いして掲載すると、断られた役員さんが協力しなくなり、結局はほとんどのスポンサーを受け持つこととなります。
 
 同窓会報は地域7千世帯に全戸配布されており、私などは母校に5千円の寄付程度に考えていますが、「押し売り」や「悪徳セールスマン」のような視線を感じると、次への足が鈍り、1年に一度のストレスを溜め込みます。
 
 もっとも、ほんんどを私が廻れますから、ほとんどは世間話や思い出話に花を咲かせているものの、一軒の苦言が全部のように思われ、選挙でも頭が下がらないと言われる私ですから、一年分の仕事をしてきたような気持ちにさせられます。
  
甲状腺がん、疑い含め75人 福島の子、県が調査
記事の続き…
 県民の被曝の健康影響の調査のあり方を検討する委員会の星北斗座長は、被曝の影響とは考えにくい理由としてチェルノブイリ事故で子どもの甲状腺がんが増えたのは、発生後4、5年からだったことなどを挙げた。
 子どもの甲状腺がんの遺伝子解析をする県立医大の鈴木真一教授(甲状腺外科)は「甲状腺がんの発生と関係することがわかっている遺伝子変異のほかに、未知の変異がないかを探し、放射線の影響で発生したかどうかを見分ける目印にならないか調べたい」と話す。被曝の影響で甲状腺がんが増えるとしても判明するのは何年も先にな
 県民の被曝の健康影響の調査のあり方を検討する委員会の星北斗座長は、被曝の影響とは考えにくい理由として、チェルノブイリ事故で子どもの甲状腺がんが増えたのは、発生後4、5年からだったことなどを挙げた。
 子どもの甲状腺がんの遺伝子解析をする県立医大の鈴木真一教授(甲状腺外科)は「甲状腺がんの発生と関係することがわかっている遺伝子変異のほかに、未知の変異がないかを探し、放射線の影響で発生したかどうかを見分ける目印にならないか調べたい」と話す。被曝の影響で甲状腺がんが増えるとしても判明するのは何年も先になり、個々の甲状腺がんが被曝の影響でできたのかを見分ける方法も現時点ではないためだ。(野瀬輝彦、大岩ゆり)
 
 さて、新聞やテレビでも度々報道される福島県の子供たちの「甲状腺がん」被害ですが、行政関係者は原発事故の被曝被害との関係を否定し続けているものの、現時点での関係は確定できなくとも、被曝の影響を考えた対応を考えることが重要で、原発再稼動に反対する人々への影響を考えて否定しているとしたら取り返しのできない事態を招きそうだ。
 
 自民党の安倍政権になってから、消費税の大増税や、秘密保護法案の成立から原発再稼動、集団的自衛権容認から、愛国教育の強化など、反対意見に耳を貸さぬ独善的手法が多く、脱原発を訴える細川さんが落選でもしたら、人の痛みも無視される厳しい世の中になりそうだ。
 細川さん、頑張れ!!!
 
この一言の満10年までのカウントダウン、あと5日
                                   2月7日の一言

箱根駅伝選手、神野大地君が母校を訪れ…

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 添付した写真は、私の母校である神守中学校の校長室で、訪問した卒業生を写真に収める校長先生で、訪問している卒業生は新年を飾る箱根駅伝でエース級が登場する2区を走った、青山学院大学2年生の神野大地君です。
  
◆神野 大地(かみの・だいち)1993年9月13日、愛知・津島市生まれ。20歳。青学大総合文化政策学部2年。小学校時代は野球で投手。神守中1年から陸上を始める。中京大中京高で11年全国高校総体5000メートル出場。12年全国都道府県駅伝5区4位。今季は出雲駅伝6区4位、全日本2区6位と健闘。164センチ、42キロ。左利き。家族は両親と兄。
 
 新聞報道では、『小さくても頼れるエースで、人呼んで「小さな巨人」。体重42キロと今大会最軽量の神野が青学大の浮沈のカギを握る』と記されており、今季は出雲駅伝6区4位、全日本大学駅伝2区6位と活躍し、箱根駅伝では区間6位と健闘し、青山学院の往路5位、総合で5位の原動力となりました。
 
箱根駅伝公式HP http://www.hakone-ekiden.jp/
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10月3日放送 青山学院、神野選手インタビュ
             (一部分の抜粋です) 
 
松島アナ:最後に、神野大地選手が練習の時に意識していること、そして三大駅伝の目標と将来の目標を聞いてみました。
 
神野選手:練習の時に、絶対自分が箱根駅伝の2区を走っているのを頭にイメージしながらとか。出雲駅伝だったらアンカー走りたいので、アンカーで走って優勝テープ切ることを頭に思い浮かべながら、練習はやっています。
 
松島アナ:三大駅伝のその後、遠い将来でも良いですけど、
       目標はありますか?
神野選手:将来的にも実業団を考えているので、
       実業団入って2年ぐらいはトラックでタイムを出したり、駅伝で結果だして、
       3年目ぐらいからマラソンをやりたい気持ちがあるので、
       しっかりマラソンの練習をして、東京オリンピックぐらいで
       ちょうどいい歳になってくると思うので、
       東京オリンピック目指してやっていきたいと思います。
 
文化放送の全内容 http://www.joqr.co.jp/henomichi13/2013/10/06/ 
 
イメージ 2 神野選手の活躍は、津島市の公式ホームページでも紹介され、今月12日に津島市文化会館で行なわれた成人式に参加した神野君を、中日新聞が取材して翌日の紙面も飾っています。
 
 神守中学校の同窓会では、3月1日発行予定の同窓会報「至誠」で、神野大地君を2ページにわたって紹介する予定をたてており、3日前に神野君のお兄さんが私の三男の同級生のため、お兄さんを通じて箱根駅伝の感想と今後の抱負をメールで受け取っており、訪問時に偶然居合わせたことと、彼の気さくな性格から本日の添付となりました。
 
 今年の箱根駅伝には、校長先生が横断幕を持って応援に訪れていますが、来年は増員して応援に訪れる約束をするとともに、今年秋に愛知県の熱田神宮から三重県の伊勢神宮の間で開催される全日本大学駅伝にも同窓生を募って応援に駆けつける約束をしたので、しばらくは彼の活躍を地域全体で応援していきたいと考えています。
 
 神野君は、陸上競技の抱負として、将来は「実業団に入り、マラソンでのオリンピック出場を目指す」とのメッセージを母校の会報に寄せているので、母校の神守中学校からオリンピック選手が選出される夢を見たいと思います。
 
 さて、平成8年の話となりますが、私の長男が山梨のインターハイで、走り高跳びの表彰台に乗った直後に、地元の大学進学を望む私へ、「お父さんのレベルで考えないで下さい。私はオリンピック選手に育てるレベルで声をかけている」と、中央大学の陸上部監督より電話がありました。
 
 長男は足のケガで競技生活を断念しましたが、久々に地元からオリンピックを目指す選手との出会いとなり、神野大地選手を応援しながら東京オリンピックを迎えたいと思う一日ともなりました。
 
                                    1月17日の一言 
現在の訪問者数 764
過去になく多い不思議な訪問者数です
  

母校の同窓会総会と物故者法要が済んで

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 本日は私の母校である神守中学校同窓会の総会が開催されました。午前10時より校長室で総会が始まり、11時に同窓会碑の前で記念撮影後に、近くのお寺(百島町・徳應寺)に移動して物故者の法要(添付した写真)を行いました。
 
 総会は毎年お盆過ぎの日曜日に開催される慣例となっており、毎年この時期が迫ると最低限の出席者確保のためにストレスをため、時には病気になって「出席できません」と言えたら良いなという気持ちを繰り返しきました。
 
 今回は恩師4名と少なく、卒業生も少なかったものの、過去の総会とは違う清々しさがありました。
 
 数年前の総会時に、「そろそろ、引退を考えています」と、会長を辞める話をしたところ、「後任を見つけて、更に盛大になる同窓会になる道筋をつけるまでに辞めるのは無責任だ」と恩師にいさめられたことがありました。
 
 本日の会長挨拶の中で、私が抜き打ちのように会長に推挙された平成9年の話をして、本日も会長の後任を託す腹づもりの後輩に、私の会長就任時の話の後で、バトンタッチすることを公言し、恩師や参加者の合意も得られることができました。
 
 私は平成5年に母校のPTA会長と、津島市のPTA連合会長も引退しましたが、私の完全引退を見届けて、当時の同窓会長から活動を手助けして欲しいと言われ、同窓会役員になりました。
 
 実際には、2年後に突然会長の話が前任会長より出されてびっくりしていると、私が過去に小学校の同窓会を立て直したことから、私がPTA役員をしている時に、前任会長が会長を引き受ける条件として、さらにその前任となる会長が私を後任にさせると約束していたことが判りました。
 
 そこまで考えないと後任探しは難航し、「やりたい人」は複数考えられたものの、本当にやって欲しい人には恵まれず、17年も会長を続けてきたわけで、突然の指名にびっくりとさせたものの、私より18才も若い後継者に引き継ぐことができました。
 
 「お節介かもしれないが、交代は水泳のタッチ式ではなく、陸上式のリレーゾーンをもってやった方が良い」と恩師のアドバイスもありましたが、交代して後は終わりにしてはならないとの苦言で、新しい同窓会を展開する中で、当分は裏方として支えていきたいと思います。
  
マイクロバスが崖下に転落、1人死亡10人けが 長野
 
 さて、本日の報道では、長野県でマイクロバスが18メートル下の崖下に転落し、死亡者もでているとの記事があり、私自身も人を乗せて走る事と、今年は久しぶりにマイクロバスを利用した行程を考えていただけに気になるとともに、今年には60歳の還暦を迎えることも心配の種となりました。
 
                                      8月18日の一言 

中学校の卒業式に出席して

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 本日は愛知県の公立中学校では卒業式が行なわれ、私は母校の神守中学校の来賓として参加してきましたが、ここ数年間で最高に落ち着いた学年と言われてきただけに、卒業生から学生服の乱れも見えず、全員で真剣な式典として卒業していきました。
 
 数年前には、卒業式でふざけた返事や態度も目立ちましたが、学校に20年ほど前から存在した不登校生徒の多さも改善されており、未だに不登校の生徒も存在するものの、ボランティアの大学生が遅れた勉強のフォローに自宅を訪れるなど、可能な限りの対応をしてきた結果が実った成果とも思われます。
 
 我が身に置き換えて回想すると、自身の生活態度の悪さから3年間叱られ続けており、これで嫌いな教員から開放されると笑いが堪えられない卒業となった記憶がありますが、本日の卒業式は涙、涙の卒業式となり、私の涙腺も完全開放となりました。
 
 生徒達の多くは、これまでの学校生活の延長のように思っているのかもしれませんが、高校生活は義務教育とは違い、不良行為は家庭謹慎となり、病欠であっても欠席が授業日数の三分の一を超えれば容赦なく留年となり、私学なら些細なことでも退学にされてしまいます。
 
イメージ 2 さて、本日の卒業式に招かれた議員は校区内に住む5人でしたが、来賓の数は過去最高の27人となり、校長室の会議テーブルに座りきれない数の来賓となった訳には、地域社会と連携するボランティア活動が積極的に行なわれている神守中学校の特質かもしれませんが、これだけの数になるのであれば、来賓のあり方を考える必要もでてきます。
 
 私がPTA会長として臨んだ20年前の来賓は10名程度しか存在していませんでしたが、市を代表する市役所幹部は別としても、議員を席次の上座にする必要はなく、卒業式の形態が様変わりしている現実を考えると、保護者に近い存在にしてもらいたいものです。
 
 最近の卒業式は、保護者と卒業生が対座する会場設定となっており、かつての卒業式のように来賓が舞台上に座らない存在となっていることから、来賓の席次の上下関係を払拭して保護者と一緒に卒業生を祝いたいと思うからです。
 
 添付した右上の写真は、市議会青風会で一緒に活動する山田議員で、卒業式終了後に打ち合わせのため近くの珈琲屋さんを訪れましたが、選挙の支持者の競合する同じ校区内にありながら一緒に行動できる関係には感謝するしかありません。
 
 議会中のため、月初めより休息の無い日々が続きましたが、明日は3件の約束があるものの、完全休養日となる週末を迎えられそうで、休みが無い月末までの静養としたいと思う半面で、休養より月末の仕事分を減らすため働くべきかと悩む夜を迎えました。
 
                                   3月7日の一言 

中学校の同窓会入会式に参加して

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母校の校訓「至誠」を刻んだ同窓会碑 
 
 本日は朝から福祉有償運送のボランティアで病院まで走った後で、母校の神守中学校に走り、卒業式の予行練習を終えた3年生とともに、同窓会への入会式に臨みました。
 
 「会長さんは私の同級生で、津島市の市議会議員を務めておられます」と、校長先生から卒業生に対して私の紹介があり、あまりにも立派な卒業生のように紹介されたことから、「校長先生は真面目で、裏表の無い正直な優等生でしたが…」と、自分の中学時代の非行体験や不登校の体験を語り、高校を5年かかって卒業した灰色の少年時代を語っていました。
 
 中学時代に経験した不登校や不遇の生活から、高校受験のため私に数学と英語を無償で教えてくれた地域の恩人と、2度の落第と非行生活から退学寸前になっていた高校生活で、自分のクラスで一年生からやり直すように説得してくれた恩師の存在から、成人式を超えて卒業して大学に進んだ話をしました。
 
 少し時間が長くなりましたが、2年前の入会式のように途中で出入りする生徒もおらず、自分の思いが卒業生に伝えられたことに満足して、校長室で教頭先生と式の終了を待ち、戻ってきた校長先生と、過去の経験と体験から真面目な教育談義を続けることになりました。
 
 私の母校も生徒が荒れた時代があり、地域ぐるみで対応を協議した時期もありましたが、自分の同級生が校長になった事から、私の贔屓目で身勝手に褒め上げる訳ではありませんが、卒業生の校長ゆえに地域社会との連携が図られ、校長も小学校の時のままに真面目正直に対応していることから、教育環境は最高の域になっていると思われます。
 
 本日は午後には市役所に戻る予定をたてていましたが、家に立ち寄ったのは夕方になっており、パソコンを開いたところ見覚えもない画面が添付されており、削除したつもりでしたが、その後に表示される画面が変わり、ヤフーブログにもログインできずにゲストのままとなりました。
 
 偶然にも我家の近くを通過中の知人が立ち寄って復旧させてくれましたが、身勝手に送られてくる画面を、何も支障がないと善意で解釈して、内容も判らないままに操作することは大変に危険であることを実感させられましたが、今回はウイルスの汚染か本体の故障かと半ば諦める心境を味あわされました。
 
 明日は卒業生にとっては最後の登校日となりますが、最近は特に涙腺が緩くなっていることから、淡々と式次第が終了していくことを祈るのみです。
 
                                    3月6日の一言

中学校の同窓会報が完成して

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 平成1年登録の25年選手ライトエースが主役となる一日となり、午前中は本日完成した直後の神守中学校同窓会報を受け取りに、岐阜県羽島市の製本工場まで走り、午後には校区内にある44の全町内会の嘱託さんのお宅に世帯分を区分けして届けるというハードな仕事となりました。
 
 会報を届ける先は私しか知らず、万が一でも私が事故でも起して入院し、本日中に会報が届けられないと、毎月1日付けで発行されている津島市の広報と一緒には配布できない事から、1ヵ月遅れの発行となれば3年生の卒業式も終業式も終わってしまうため、責任をヒシヒシと感じながらの運転です。
 
イメージ 2 もっと責任重大となるのが、右に添付した佐藤さんで、かつて印刷をお願いしていた地元の印刷屋さんの印刷の納期遅れとミスが続いて、学校への出入り禁止となった後釜に困り、私の個人的依頼に一宮市から駆けつけ、それまでより大幅に低料金であるばかりか、日程的に印刷の常識を破る締め切りに応じて編集を担当してもらっています。
 
 元々は大手自動車会社のカタログを作るプロの編集者ですが、現在は引退して他業種の仕事についておられ、本日は会社を休んで製本会社から配達まて付き合っていただいたものの、佐藤さんが病気やケガをしても、確実に発行はできない2人の綱渡りの仕事でもありました。
 
 「何故に羽島市の製本会社か」と怪訝に思われるかもしれませんが、印刷日程や低価格を実現するためには、地元の津島市では実現しなかったと思われ、発行の責任者となる私自身が羽島市の印刷所を知らず、完成した製本会社しか知らないという綱渡りよりも危険と隣り合わせの作業でもありました。
 
 「津島市では実現できない」と記すと、市内の印刷関係者から異論や反論が出そうですが、原稿から印刷する納期についてはできるとしても、格段に安い低価格は絶対に実現できないと断言できるのは、利益のでない仕事を受けるはずが無いためです。
 
 それまで印刷をお願いしていた業者の料金も、印刷業界では常識外れの低価格でしたが、印刷の仕事はパソコンの普及や印刷機器の発達により、原稿が電子データで送信でき、活字を一文字ずつ印字する印刷の手間が無くなり、価格そのものが低価格化しているものの、既存の業者は自ら値下げしない事から、学校関係で支払われる価格は高額のままに据え置かれている例が多いという実情が存在します。
 
イメージ 3 さりとて、佐藤さんの持つプロの編集ソフトと、パソコンが故障したら継続は難しく、完成して当り前ですが、完成には1日、1時間の遅れが命取りとなる綱渡りの完結です。
 
 完成した会報「至誠」は、A4版12ページで7千部印刷し、3月1日に校区内の全世帯へ配布されますが、今年で25年目となる25号となり、私はこれから協賛していただいた広告主さんにお礼と広告代の集金に走る仕事が残されていることから、議会日程とともに極めて厳しい日々が連続する現実は変わりません。
 
 今年度の会報発行の責任は果たせましたが、前記したように格段に安い印刷料金は、私と佐藤さんのコンビで実現していることと、約60件の広告スポンサーの大半は私の依頼したお店で、何よりも全町内会へ会報を配布すること自体が大変な作業で、「新聞屋の経験」が無ければ家も道も判らないと言われると、次を託す後継者への配慮も重要です。
 
 もっとも、25年選手の愛車「ライトエース」の存在も大きく、普通車でも軽自動車並みに小回りが効くことから狭い路地まで乗り入れ、軽自動車では積載できない印刷重量を貨物として積み込めます。奇遇ですが、会報と同じ25年の歴史を背負っていることから、来年も車検を継続したいと思う一日となりました。
 
                                  2月27日の一言

中学時代のズル休みを回顧して

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 今年に入って、もう半月が経過してしまいましたが、運動不足で身体にキレがないことから、久しぶりとなるウォーキングのため自宅を出ました。私が住んでいる場所は、名古屋市と津島市を結ぶ県道沿いにあるため、沿道には飲食店やお店が建ち並んでおりますが、5分も歩くと添付したような田園風景が拡がっています。
 
 私の中学生時代には、田んぼには冬でも稲ワラが積んであり、川の両岸には葦が茂っており、教師不信から学校嫌いになっていた私は、ワラの中でラジオを聴いたり、川に隠れ家を造ってズル休みを続け、持参した弁当を食べてから、夕方に帰宅していた頃がありました。
 
 教師の体罰で自殺した生徒に同情的な報道が多いものの、教師より体格の良い中学生や高校生までが体罰やイジメを理由に自殺する事には、私は可哀想とは思うもの、自業自得としか思えず、良いこととは思いませんが、死んでしまった子供の心中も悟れず、死んでから学校や行政に訴えている保護者にも同情はしたくありません。
 死ぬくらいなら、本当に自由にやりたい事をやれば済むことで、学校が嫌なら不登校で一度も登校しない生徒も野放しになっている現状から、家出して好きな場所を放浪するのも方法で、自分の命を自分で絶つ自殺は最低の行為として、恥とする認識を持った報道をしないと、負の連鎖を生んでいきます。
 
 私は中学一年生になったばかりの頃に、私が不良行為を行ったのが原因ですが、仲間の名前を言わなかったことから、午前中から下校時間まで宿直室に閉じ込められ、夜に呼ばれた父親の前で、「何で名前が言えないのか」とか、「名前を言うと仕返しが怖いのか」などと、教師2人がかりの厳しい尋問が続きました。
 
 この担任が、2年生も担任となったことから、私の中学生活は最悪で、クラブ活動には参加せず帰宅することから、学校の教室で金品が無くなった時には必ず疑われ、他のクラスに呼ばれて、全生徒の座る前で質問を受け、疑いが晴れたときに、「やっていないなら、何故来たんだ」と言われ、「○○が行って来いと言ったから」と担任の名前を挙げましたが、謝罪すらありませんでした。
 
 こんな生活をしていると、学校の楽しみは、クラブ活動を引退して行いが良くない先輩を頼って遊ぶ事で、そのためにその後も注意を受ける問題のある生徒になり、一泊で行われた林間学校も「金が無いから」と欠席を希望した事から、家族を巻き込んで大問題となりました。
 
 3年生になって担任は代わったものの、学校嫌いはかわらずズル休みを続け、右足の骨髄炎で入院するなど、進学を控えて大変な事態となっていきましたが、新しく赴任されてきた教頭先生が声をかけてくれるようになり、無償で家庭教師をしてくれた恩人の存在もあって、何とか高校に進学しました。
 ただし、進学直後に右足の骨髄炎で長期入院し、落第を経験したことから、学校に行かずに遊んでいた不良仲間と遊び、暴力団に入る事が誇りのように思う生活をしていた時期もありました。
 
 毎年再発する骨髄炎で入院し、高校は落第を続け、不良行為もあったことから、退学しか方法が無くなったときに、「僕のクラスで一からやり直してみないか」と救ってくれる恩師が現れ、18才から高校一年生となり、「早く社会に出たい」と思っていた卒業間際に、「大学に行った方が良い」と言ってくれた恩師のおかげで人生が変わりました。
 
 今にして思えば、悪いことをやっていても、正々堂々と行動しておれば、必ず道は開け、声をかけてくれる恩人が現れるもので、中学校で2年間担任となり、大嫌いだった教師に、「いつも大鹿の活躍を楽しみにしている」と、地元テレビ局の議会中継を見て応援されていると聞くとびっくりの結末となっています。
 
 学校に行ったふりをして、ズル休みができた自然環境が当時の救いであり、最近は学校をサボって遊んでおれる場所がない事から、自宅を出ないまま不登校になっている生徒が増えているとも考えられます。
 生徒に迷惑をかける立場にあった私ですが、現実には指導される教師からイジメられており、イジメを全く無くすことはできない現実から、いかに乗り越えていくかを発信していきたいものです。
 
                                   1月17日の一言

母校に立ち寄り、教育を考える一日に…

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 本日は相棒リマと野点を楽しむため自宅を出たものの、今年度の同窓会報の発行について打ち合わせるため、母校の神守中学校に立ち寄り、教頭先生だけでなく校長先生(母校の同級生)と地域の話と昔話にも花を咲かせてしまいました。
 
 私の同級生にも多くの教職員があるものの、校長先生までなったのは彼一人で、定年を一年後に控えていることから、歴史に残る業績を残して欲しいとの思いから、原稿を依頼するだけでなく、取材先に直接訪れる約束までした事から、3月1日の発行まで忙しい日々が続きそうです。
 
 さて、午後の主目的だった相棒リマとの野点でしたが、助手席で待たせたことからストレスを溜め込んでいたらしく、市内の地域文化広場に到着したところ、一目散に走り出し、広々としたグランドを点になるまで走っていきました。
 
 政治の第三極として注目されてきた維新の橋下大阪市長が、教師の体罰によって生徒が自殺した大阪市立桜宮高校の、今春の体育科とスポーツ健康科学科の入試を止めるべきだと市教委に伝えたことが会見から明らかになりました。
 
 同席した教育委員長は、「今すぐには受け入れがたい」と語っているものの、いくら大阪市立の高校とは言え、市長独断の独善的発言としか思えず、体育科を志望している中学生や、高校に在学中の生徒へ自分の考えを押し付ける発言に、政治と教育との一線を画すことの重要性を実感させられました。
 
 在校生や入学を希望する生徒に配慮したのか、体育科ではなく普通科で入学すれば良いと発言が変わったものの、志望する受験生にとっては一生の進路を左右するだけでなく、体育科と普通科の授業内容の違いから、教師の配置もままならぬことまで配慮できない軽率な発言に、メッキがはがれてきたように感じます。
 
橋下市長、体育科入試の中止求める 体罰問題の高校
記事の続き…
 その中で市長は、桜宮高の体育科は「指導において体罰が黙認され、歯止めがかけられない状態」と指摘。「いったん入試は止めてもらって、実態解明をする。体育科のあり方を冷静に検討する必要がある」「そのまま入試をすれば大阪の恥」として、スポーツの実技教育を行い、原則全員が運動部に所属する体育科とスポーツ健康科学科の体育系2学科の入試中止を強く市教委に求めた。
 ただし「入試が迫っているので混乱を最小限にとどめる」ため、体育科(定員80人)とスポーツ健康科学科(同40人)の計120人を普通科の定員へ振り替えることを提案したという。
 桜宮高の体育科とスポーツ健康科学科の入試は、2月13、14日に願書の受け付けがあり、同20日に学力検査と運動能力検査、21日に運動技能検査が予定されている。合格発表は26日。
 
 弁護士という職業にあったことと、既成政党に対する反発から、第三極として無党派層にも注目を浴びているものの、自身の出生に対する週間朝日の中傷記事で朝日新聞社に謝罪させたことで、何でもまかり通ると勘違いしているフシがあり、今回の教師による体罰についても、全教員が体罰を行っているわけではない事から、二度と同じ過ちを犯さない対策を講じるべきで、体罰による生徒の自殺があっても、なおかつ受験したい生徒の進路を妨げるべきではありません。
 
 「体育科が普通科になっても我慢できないようでは、社会に出ても通用しない」との発言は、子供の頃から少年野球を続けてきた生徒に、卓球をやらせても一緒と思わせるような発言と思われ、戦前の強制的な軍国教育のような香りがするとともに、思想的には無党派や市民派とは違う体質を実感させられました。過去の卒業式の日の丸掲揚や、君が代を歌わない、起立しない教師は排除する方針から、「学校(自分)の方針に従わない生徒は学校に来なくても良い」との発言につながるような前時代的な香りがします。
 
 私も一地方議員と言えども、学校からはみ出して高校生活を5年も体験する不良経歴を持ちながら、PTA役員の活動に関わり、母校の同窓会会長として教育と関わってきた足元から、生徒に理想と思われる教育環境や、学校に行けない生徒の存在も見捨てない教育実現に対して、独善的な発言には厳しい視線を向けたいと思う一日となれました。
 
                                   1月16日の一言

同窓会総会と物故者法要が終わり

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 本日は、私の母校である神守中学校の同窓会総会と物故者法要が行われ、午前10時より母校で総会を行い、午前11時過ぎに近くの徳応寺で卒業生でもある藤井住職の読経により、卒業生と恩師で物故者となられた人々の供養を行いました。
 
 私が同窓会役員になったのは、平成5年にPTA会長や、一緒に拝命していた小中学校の各種の役職を辞任したことから、町内で同窓会役員を務める先輩から声をかけられたのが最初でした。
 
 会長から、「同窓会報の記事や原稿で協力を願いたい」と言われ、会報や恩師たちと卒業生のバス旅行を企画するなどしていましたが、翌年には「会長をお願いしたい」とびっくりの決断を迫られました。
 
 後日談となりますが、私の前任となった会長は、自分が会長を迫られたときに、「後任が見つからないから」と固辞したそうですが、私がPTAの役員を引退したら役員にして会長を継がせるからと前任の会長から言われて引き受けており、知らないところで早くから私を会長にする話が決まっていたようです。
 
 前任の会長より、「最低でも十年は」と言われて覚悟して引き受けた会長職も、役員会に誰も出席してこない環境では後任を見つける事も難しく、会長になって15年の歳月が経過し、今年になって私を指名した前任の会長も鬼籍に入られてしまいました。
 
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 さて、毎年参加者が少なく、総会が近づくとストレスを溜めており、今年も毎年参加していただく恩師の欠席や、卒業生の欠席の連絡を受け続けましたが、幸いにして連絡した同級生の女性軍が声をかけあって参加してくれ、先輩方や恩師の出席があって、「今年は人数が多いのでゆっくりと来て下さい」と、昼食の準備をする会場から言われる(少し)盛況の総会となりました。
 
 右に添付した写真は、私の恩師で音楽を担当しておられた小林先生が、我々のためにフルートの演奏を披露して下さいました。
 
 物故者法要には、亡くなられた卒業生と恩師の名前を記名する立派な掛け軸が残されており、お寺で披露して供養をしていますが、記名が物故者の家族や同級生からの自己申告だけに事足りているものの、全員の記名を考えると新たな記名帳を考えていく必要に迫られています。
 
 総会への出席は少ないものの、学年によっては盛大なクラス会や学年会が開催されており、同窓会と学年会を上手く連携させれば、参加者の増加も見込めそうに感じますが、何もせぬままに一年が経過して反省を続ける繰り返しで、今年も何とか責任が果たせたようにも思いますが…
 
                                   8月19日の一言

中学校の卒業生にズレた話を…

 私の地域では、明日に公立中学校の卒業式が行われますが、地元の中学校では前日に卒業式の予行練習が行われ、この行事に併せて同窓会の入会式が行われており、会長として卒業生に簡単なお話をしてきました。
 
 中学・高校時代の問題児であり非行少年が会長ですから、何を話すか話題の選択は重要で、過去に自分の非行体験や高校の落第体験などを語り、「なんで、わざわざ自分の汚点をさらしてしまったか」と悔いた反省が脳裏に浮かび、本日は過去に感動したハンマー投げ室伏選手のお父さんで、アジアの鉄人と言われた室伏重信さんの話と、将棋の天才・鬼才と言われた升田幸三さんのアドバイスを組み合わせた真面目な話を紹介したものの、平成生まれの卒業生には判らない話でしかありません。
 
 真面目に聴いてくれた卒業生も多かったので、少しは理解してくれたと思いますが、私のような不良少年の後輩には退屈な話で、途中から入ってきて、そのまま会場を立ち去るなど、先生も注意できない雰囲気の生徒が存在しました。
 
 挨拶が終わり、校長先生と式場を出ると、学ランを着込む卒業生がたむろしており、そのまま校長室に先導されましたが、このまま無視して退出するのは自分らしくない事から声をかけました。
 
 「オレも君たちみたいな生徒だったんだぞ」
 「ふーん、オジサン誰ー?」
 「同窓会長さんだ」 (校長)
 「高校に行っても絶対に辞めるなよ」
 「彼らはもうすぐ入試なんです」 (校長)
 「オジサンはぐれて落第して高校に5年も行ってたんだぞッ」
 「うそー、本当ーに?」
 「ウソじゃない、卒業した時は成人式をすぎてた」
 「オジサンって、もしかして有名人の人?」
 「そうだぞ、立派な先輩だぞ」 (校長)
 「もしかして、青い看板の人?」
 「おおしかさん?」
 「そう、そう、よく名前まで覚えとってくれて有難う」
 「前を通るもん」
 
 こんな感じで、真面目に会場に座っていた卒業生が全員退出した後まで、校長先生と2人で少年たちとの会話が弾み、式場の外に存在した卒業生たちと、素直な会話に発展したことから、もっと自分の非行体験を語って、私と同じように学校からはみ出している後輩たちの力になればよかったと反省です。入試を控えているものの、彼らの高校生活には厳しい現実が存在しそうです。
 
 私は同窓会長となっていますが、校長先生は小中学校の同級生で、卒業生の校長先生は珍しい存在であり、地域のボランティアを受け入れ、生徒も地域行事に参加する姿が新聞にも紹介されています。
 
 校長先生も定年まで2年と迫り、私も校長の定年を機会に会長を辞めると宣言していることから、母校の発展とより充実した教育環境を実現する話が昼食も忘れて延々と続き、時計を見ると2時を廻っていました。
 
 同窓会長としても、一市民としても、自分の非行体験と、不登校の先輩として、学校に来られない生徒や、非行に走って警察と縁がありそうな後輩たちと確実に語り合える雰囲気を実感したことから、具体的にボランティアに名乗りをあげてみたいと思います。
 
 大阪市の橋下市長が、義務教育の落第をイメージする発言をされましたが、落第に至るまでに、横道にそれて学業に遅れが出た生徒を救う手立てが重要で、私の中学時代にも私の学業の遅れを心配した人が、大学生の息子さんに勉強を教えてくれるように手配していただきました。自分の受けた恩を返せる機会も少ないため、ちょっと頑張りたいと思う母校訪問となりました。
 
                                  3月7日の一言

同窓会報の配布に地域を走り廻り…

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 本日は昨晩に届けられた神守中学校同窓会報(約7千部A4版12ページ)を、校区内の各町内役員さんのお宅まで届ける作業に半日がかりとなり、手伝ってくれた役員のおかげもあってスムーズに配布することができましたが、一人だったら大変な一日になったと思われます。
 
 手伝ってくれた役員の話では、市役所の発行する広報を配布した経験から、一度に車に載せると重くてブレーキが効かない事から、2度に分けて配布していたとの話で、「普通の人では、持って行く場所すら判らないだろう」との話です。
 
 中学校から配布する町内会役員さんの名前と住所を聞いているものの、一般の人では役員さんの家を探すだけでも一仕事となり、我家には住宅地図と同時に、今でも新聞を大配(配達の人に届ける)できる車があることから、元新聞販売店主の経験が生きているようです。
 
 ただし、私が会長になって会報を届けるようになった当初は、一人で車を運転して家を探しながら配布しており、本日は老眼鏡を頼りに会報を分け、それでも住宅地図が判別できない老体となった2人がかりの仕事だった事に、過去にない老化を実感させられました。一方で、24才となった愛車「ライトエース」も、久しぶりの重労働により、車体が悲鳴をあげるようになりました。
 
 さて、明日からは津島市議会の3月議会が開会し、翌日には一般質問する主旨と内容の通告や行政とのヒィアリングが続きますが、通告する内容は定まっているものの、連日の忙しさから現地調査が済んでいない部分がある事から、「土曜日か日曜日に映画でも行こうか」と話していた家内を道連れにしたドライブとなり、明日以降に届けられる資料も待ちながらの通告となりそうです。
 
                                2月26日の一言

中学生の非行現場に急行して

 地元の中学生が橋の下でタバコを吸っている現場に到着したのが午後5時頃の事で、異様なハンドルの自転車などが数台置かれ、125㏄のピンクのナンバーが引きちぎられたスクーターが1台堤防上に置いてありました。
 
 場所は津島市と愛西市を結ぶ狭い橋で、車がすれ違えない事から、もう一度引き返して自転車に張られたシールとカゴに置かれたヘルメットで学校名を確認し、私の母校である事を確認してから学校に連絡しました。
 
 もっとも、母校の校長は私の同級生である事から、校長の携帯電話に連絡したものの不通だった事(来客に応対中)から、学校に直接電話して事の次第を伝えるとともに、担当の教員(教務主任)に代わってもらいました。
 
 「お宅の生徒が数人タバコを吸っているが…」
 「そうですか」
 「自転車だけでなく、ナンバーの無い単車もある」
 「それなら警察に電話して下さい」
 「えっ?警察!?」
 「ナンバーの無い単車となると不法行為ですから」
 「それは判るけど、お宅の学校の生徒なんですよ」
 「場所は何所ですか?」
 「〇〇の△▽の橋の下だけど」
 「それなら、昨日も電話があって」
 
 5分程度の会話ですが、「今すぐ行きますから待っていて下さい」とか、詳しい場所でも聞かれる事を期待していましたが、全くそんな応対ではなく、あくまで警察への通報を主張する学校に、とても母校の生徒を通報はできず携帯電話で写真だけでもと現場に戻りましたが、生徒と目と目が合って…
 
 私を車に乗せて同行してくれた知人に、「もう一度戻って」と言うと、「戻ってどうするの?」と問われ、「しばらく様子を見る」と言うと、「直接乗り込むんじゃないのか」と言われましたが、中学生とは言え10人近い不良を相手に単身で乗り込む度胸はありません。
 
 「じゃー、あんたも付いてきてくれるか?」
 「…」
 「中学生でもナイフでも持っている可能性もあるだろ?
 「…」
 
 私が現場の中学生と直接対決するのを期待されても、橋の下で刺されたり、川に落とされる可能性もあり躊躇していると、「そんなら何にもならないから帰ろう」と知人は車を戻しはじめ、しばらくして現場にあった単車に2人乗りの少年が我々を追い越していきました。
 
 通報を受けて現場に走りながら、何の行動もできないままに現場の子供達が解散していく可能性に、警察には通報できなかったものの、教育委員会の教育課長に事の顛末を電話し、帰宅後に1人で現場に戻った時には誰もおらず、学校の関係者も来た様子がありません。
 
 母校であるだけでなく、同窓会長でもある事から、何とか現場で解決したいとの思いで学校に連絡したものの、その後に連絡が取れた校長からも、「(予想される生徒達が)どうしようもなく警察に相談している」との一言が聞かされました。
 
 その警察は「現場を押えない事には何ともできない」と言っているらしく、「ほんの一部の生徒だけなんだが…」と言われても、市民目線では過去と比較して「かなりひどい」と思われており、学校の泣き言を聞いても同情には限界があります。
 
 「じゃー、大鹿は現場で何をしたの?」
 「ナイフでも持っていたら危ないから何もできなかった」
 「そんな生徒ではないから」
 「我々では生徒の事は判らないから…」
 「判らないのにアレコレ言われても」
 「じゃー、何で警察に事を預けてるの?」
 「一部の生徒だけなんだけど…」
 「そんな事は過去も今も一緒だッ」
 
 他人のことに首を突っ込んでケガでもすれば堪りませんが、匿名とは言え厳しい通報を二度ももらい、現場で中学生の姿を確認しながら無力となった現実に、「お父さん、大声は出さないで…」と家族に釘を刺される夜となりました。
                                10月6日の一言
追伸
市民からの通報や、自分で現場を直視したことから、学校と『地域力』で解決に向けて協力すると話しましたが、生徒の卒業まで半年となった今、自分に何ができるか自問自答ともなります。

同窓会総会と回想法まで

 本日は母校である神守中学校の同窓会総会と、物故者法要が開催され、少ない参加者とは言え、一年に一度の総会を楽しみにご参加してくださる恩師の先生方との久しぶりの会話は、私にとっても貴重な「回想法」となっているのであります。
 
 昨日の朝日新聞夕刊に、「回想法街を挙げて」と題して「思いで語ってお年より元気に」なる記事が掲載されており、本日の同窓会総会に参加された恩師より、記事を引用された挨拶がありました。
  
回想法(かいそうほう、reminiscence/life review)とはアメリカの精神科医R.Butlerによって創始された心理療法である。主に高齢者を対象とし、人生の歴史や思い出を、受容的共感的な態度で聞くことを基本的姿勢とする。個人に対して1対1で行う個人回想法とグループで行われるグループ回想法に分けることができる。
回想法は心理療法の一つとしての利用のみならず、アクティビティ、世代間交流や地域活動として利用されることが多い。
 
 さて、この回想法については、真剣に勉強してみえる福祉関係者や、日本回想療法学会まで存在し、心療回想士なる資格認定や通信講座もあるようですが、要するに昔話をする事で、高齢者の記憶を回復させる効果があるという事です。
 
 昨年にホームヘルパーの現地研修を福祉施設で行なっている時でしたが、私は昔の地域の様子や歴史に詳しい事から、一緒に研修している人が、雑巾がけやシーツ交換をしている時に、「大鹿さんはこの人の相手をしていて下さい」と言われた事がありました。
 
 相手の人は完全なる認知症の人でしたが、その人が「大鹿さんと言うと、〇〇の大鹿さんですか?」と問われ、まったく遠方の方でしたが、「それは校長先生だった大鹿さんですね?」と、会話が繋がって、その人との会話がまともに通じた事から、私は一日会話をしているだけの研修となりました。
 
 認知症の高齢者でも、昔の記憶はそのまま残っている場合が多く、私がその人の記憶に答えられる土地勘と人脈があった事から、施設の人々でも立ち入れない会話となり、本来は肉体労働がメニューだった研修が「おしゃべり」の一日となった次第でした。
 
 そうやって考えていくと、私の鶴田浩二さんについての知識や、横井庄一さんの戦争やサバイバル体験を語ることも、認知症の人や高齢者の人々の記憶を呼び覚ます可能性があり、人の寄り付かない同窓会総会についても昔話をするわけですから自然に『回想法』となっている事にもなります。
 
 さて、母校では現在武道場が建設中となっており、12月には完成する予定ですが、今年新任となった校長は母校の卒業生で、しかも同窓会長を務める私とは同級生である事から、完成後の竣工式についても、行政は予算どころか何も考えておりませんが、恩師達の期待は大きく、「〇〇校長のために」と今から竣工式を夢みる一日ともなりました。
                             8月22日の一言

期待する方が無理だったかも

 本日は久しぶりに母校である中学校に出向きましたが、一般社会の常識として考える時に、閉鎖的な職員室から子供と保護者を相手にしている職業だけに、あまりにも非常識に気づいていない環境ではないかと感じました。
 
 「こんにちは」
 「何でしょうか」
 「校長先生は不在ですか?」
 「今、出ていますが…」
 「すぐに戻ってみえますか?」
 「校内にいますが、教室を案内していますので…」
 「教頭先生は不在ですか?」
 「本日は出張です」
 「じゃー、戻られたら電話でもいただけますか?」
 「どちら様ですか??」
 「同窓会の大鹿です」
 「同窓会?の大鹿?さんですね」
 
 そんなやりとりで帰ってきたのですが、その後に連絡を取りあった市民病院の電話連絡を終えて、市民へのサービスを仕事とする市職員と教師では、同じ公務員でもまったく感覚が違うことを実感させられました。
 
 もっとも、市職員は私を議員として認知しているわけですから、同一には論じられませんが、昨日連絡した愛知県の職員には電話番号と名前を知らせただけですが、対応が的を得てテキパキと連絡してくれました。本日も、訪れた目的と私の電話番号位は聞きとらないと、連絡ができない可能性に教員は気づいていません。
 
 最近の学校は、部外者の侵入に備えて校門に門扉を設置していることから、地域社会との交流も少なく、子供と保護者を相手にするだけの環境にありますが、突然の訪問であっても、少なくとも所要があって訪れたわけですし、私はこの中学校の同窓会の会長ですから、訪れた目的位は聞き取って対応が欲しかったと思います。
 
 小学校の教室に突然乱入して多くの児童が犠牲となる残酷な事件があり、その対策として全国的に校門が門扉によって閉め切られましたが、最高学府を卒業した先生ですから、突然の訪問者にも不快な思いをさせて帰らせぬ配慮は重要です。
 
 こんな一言を記すと、学校が特定できる事から、「大鹿議員がこんな事を書いていた」と問題にする関係者もありますが、我が母校の校長先生は私の幼馴染の同級生で、連絡は取り合えて関係は良好ですので、あくまで一般教員の感覚に対する一般論として理解して欲しいことと、一般市民に評判の悪い市職員の対応が最近は良くなっている事も付け加えておきたいと思います。
                                  7月7日の一言

同級生が母校の校長となって

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 年度末で市役所や教員の人事異動が新聞に掲載されてくるが、本日の朝刊に私の母校の中学教頭がそのまま校長に昇格したと報じられてきた。私にとっては同級生で唯一の校長誕生となるが、この事は我々の恩師にとっても同じで、今晩開催された書道会で恩師からお祝いの電話を入れて欲しいと依頼され、本当に嬉しい祝電となりました。

 もっとも、歴代校長に卒業生は一人もなく、学校始まって以来となる事と、両親や兄弟が校区内に居住している事から、我々同級生や恩師は嬉しいものの、本人には今までの校長とは違った地元ゆえの気苦労も待ち構えているのかもしれません。

 幸いにして本日の電話では、卒業生ゆえに学校に対する熱意溢れる言葉が続いた事から、嬉しい半面で、彼が教頭で赴任する前まで、私はいかにして同窓会長を辞めようかと発言しており、赴任後には彼の任期中で次の会長に引き継ぐとなったものの、しばらくは全力での応援する事を約束しました。

 母校では現在新しい武道場の建設が予定されており、彼が校長として完成を迎えることから、恩師や我々にとっては地元の総力を挙げて協力できる可能性も高く、新たに着任する教頭と縁のある恩師からも激励の電話があった事から、今までとは違う盛り上がりに期待したいと思います。

 さて、年度末にも関わらず、愛知県から委託されたNPO法人の契約が済んでいない事から、昨日は信頼する建設部の管理職に違う部署まで同行してもらって、年度内に完了するように「指導」してもらったが、畑違いの部署に同行するのはかなりの苦痛と思われ、不在だった管理職に連絡してくれた事から、滑り込みですが本日契約が終了しました。

 契約が無いままに年度末を過ぎると、本来は愛知県が負担すべき予算が全部自己負担となり、こんな例は無いとの話だったが、こんな苦痛を伴う依頼に付き合っていただき、津島市の職員の信頼も極めて高い管理職だが、課長確実と期待していたものの、主幹のままで異動らしく、人の評価は難しいと実感です。

 しかし、地方自治体とは無縁の県職員も多いなかで、地方自治体の職員と熱い信頼関係を持っていることは人間的魅力があるからで、私にとっては困り事を相談できる大物県議も存在する中で、あえて困り事を相談し、断りたいと思われる依頼に付き合っていただいた人柄が、今後の栄転に結びつくように期待しています。

 4月は学校も新学期を迎え、進学や新入社員など新鮮な気持ちになりますが、3月は卒業や定年退職など中高年の私にとっては淋しい話題の方が多く、愛犬との別れが迫っていることから、今年は余計に暗く悲しい話題ばかりが気になる年度末となっています。
                                 3月30日の一言
追伸
添付した写真は、ピンボケ状態ですが、(名鉄バス)バス停の時刻表に太陽電池の夜間照明が付けられていた事から、「さすがー」と、久々の明るい話題として掲載しました。

同窓会総会と物故者法要が終わり

 本日は中学校の同窓会総会が開催されたものの、参加者が少なく会長の立場としてはいささか淋しいものがありましたが、少ないゆえに参加された恩師の先生方の近況報告が詳しく聞け、物故者法要も真剣に手を合わせる事となりました。

 本日の総会には私の恩師たちも毎年必ず顔を出されており、その関連から知り合いの教員も顔を出され、私がPTA会長を務めた当時の校長先生も毎年出席していただける事から、私は一年に一度の懐かしい恩師との再会の場とも思っています。

 ただし、同窓会役員の出席がほとんど見込めず、予め決まっている総会当日に、個人的な旅行に出かけてしまったり、出席の約束をしてあった知人の姿がなくても、会長として孤独に出席するのは精神的にも苦しく、一週間前には「インフルエンザにでもなって欠席したい」心境でもありした。

 本日は横井庄一記念館の当番日でもあり、総会後に到着したのは午後3時を廻っており、ちょうど記念館から帰られる人が京都から新幹線で来られた人であった事から、「バス停まで」が「名古屋駅まで」となって、豊臣秀吉の誕生した豊国神社や加藤清正公ゆかりの寺などを紹介しながら走りました。

 今月は2週間前に四国遍路中で欠席し、本日も遅れた登場に肩身が狭い私でしたが、私が不在の時には訪問客も多く、ボランティアのTさんは1人で案内が続き、昼食も満足な時間がとれない状態だったそうで、顔を出しただけの私はデザートとお茶を飲んで帰るだけの当番となりました。

 さて、来月には19日に横井庄一さんの十三回忌が執り行われますが、翌月には近所の新家の伯父さんの十三回忌があり、11月には私の叔母の十三回忌が行なわれます。
 偶然ではありますが、3人は毎月連続で亡くなり、新家の伯父さんと叔母は名古屋のガンセンターで一緒に入院して、続けて亡くなっていったのでした。

 お互いの幼少期を知る3人は偶然にも1ヶ月ごとにあの世に旅立っていったのも、あながち偶然とも思えず、私だけは三軒とも連続で葬式に出るとともに、横井庄一さんを知る親族は一度に全員が亡くなっていってしまったのも横井さんの道連れのようでもありました。

 明日からは自動車学校の卒業を目指しながらも、議会や公的会議が連続する事から、忙しい日々が連続していく中で、忙しいながらもささやかな一日となりました。
                                   8月23日の一言

セールスの悲哀を感ずる連休に

 世界的不景気の風は地方の町々まで浸透し、倒産や廃業となったお店や事業所も多く、8月に発行予定の母校の同窓会報の広告スポンサーにも影響し、本日は不足分の穴埋めに廻る事となりましたが、断りを覚悟の訪問だけに第一歩が進まず、仲間の応援を依頼しました。

 訪問先は私の懇意とする事業所と、第三者から薦められたお店でしたが、年数を重ねることによって会報の4割が私の開拓した広告主となっており、不足分を一人で穴埋めする事も可能かもしれませんが、これ以上の獲得は私の会報のようになってしまう事から、第三者の推薦にも期待していたんですが…

 さて、中学校区の約七千世帯に全戸配布される会報(A4-12ページ)に対して、約70件の広告主(一件5千円)で印刷代と総会費用を捻出してきたが、この広告代の効果や断りの理由には矛盾する理由も多く、自発的に協力をいただく事業主のためにも記しておきたい。

 「生徒の通学用自転車がパンクしたら広告主の〇〇さんに頼むよ」と、同窓会役員会で中学校の教頭先生に話したところ、立場上返事に困っておられたが、これらの広告収入によって他の同窓会費や部活動支援基金等が在校生のために運用されている事から、学校への協力者として学校の仕事くらい優先されなければ理不尽です。

 「絶対に〇〇には頼まないでよ」と学校への念押しは、学校の仕事を市役所から貰いながら、「学校なんか世話になっていない」と言われた建設関係者で、仕事の依頼主は市役所であっても、仕事は学校が必要とした案件であり、厳しい社会状況ゆえに学校関係者に仕事は廻して利益を還元させたいと思う。

 地元商工会議所の会報に定期的に広告を入れている事業所の主人から、「広告の効果がない」と言われるのも理不尽で、七千部の全所帯配布は商工会議所の会員数とは比較にならず、ローカル新聞に定期的に広告を入れる旅行社が、「うちは宣伝しない事にしている」なんて返事は公益性のかけらも見られず、こんな会社の手配した観光バスに乗る中学生の姿は見たくもない。

 どちらにしても広告を入れてもらわないと同窓会は成り立たず、頭を低くして訪問するのみですが、前記したような理不尽な断りを受けると、学校関係から出る仕事は善意で協賛された事業主に優先してもらわないと堪りません。

 同窓会役員会でもこんな話を繰返しますが、不足分の穴埋めは会長一人の仕事ゆえに、役員ですら他人事のように聞いており、広告代のために「大鹿さんの顔で仕事を紹介してよ」なんて言われると、依頼より大きな仕事を背負っての帰宅ともなります。

 本日の私は怒っています。断りを覚悟の訪問ですから、断られても腹は立ちませんし、誰もが喜んでスポンサーになっている訳でもありませんが、学校の仕事を請け負いながら無関係を装ったり、自分の意志で「申し訳ない」と一言で済む断りを、もっともらしく理由付けした「やらない事はないが」との断りはストレスとなります。

 「大鹿さんは慣れていると思っていた」なんて同行者の一言も、私はセールスマンの経験もなく、断られれば大きなストレスとなり、原稿締め切りが迫る中の連休ゆえに、閉められた訪問先のシャッターが振り続ける無情の雨と重なる一日となりました。
                                  7月19日の一言

地域の温かさを実感させられた恩師の葬儀

 本日は愛知県内の公立小学校の入学式が催され、来賓として出席させていただきましたが、息子達が大きく成長した我家との違和感が強く、小さな新入生を前に来賓として紹介されても、普段はお喋りの口が緊張からたどたどしくなります。

 30才になった長男が独身のため、長女の結婚によってお祖父さんの仲間入りが近づきましたが、学生結婚だった私を当てはめてみると、既に小学生の孫が居てもおかしくない年齢となっていますが、我家には子供が居ない事から、「おめでとう」の一言が懐かしく思われました。

 本日は正午から母校である神守中学校で長く教鞭を執られ、同窓会の物故者法要では僧侶としてお世話になってきた恩師(満90才)の葬儀が行なわれ、私達の大先輩達の恩師である事から、地域の重鎮となられた先輩達が多く集まられて別れを惜しみました。

 私は同窓会長として毎年物故者法要をお願いに走り、直接の教え子ではないものの、恩師の教員生活の中でも一際思い入れの強い学校だった事から、教え子のように接していただき、訃報を聞いて駆けつけた時も当り前のように枕元まで案内され、恩師の語られた法話を昨日の事のように回顧してみた。

 私にとっては足元にも近寄りがたい先輩達であるが、本日は中学生の悪ガキに戻ったような会話が交わされ、70前後となられた教え子達が少女のような涙で見送られ、同じ母校を卒業した先輩達ばかりであるが、会長という職にある事からこんな素晴らしい先輩達と一緒に恩師を送らせていただいた事に感謝したい気持ちでもあった。

 さて、葬儀が終わり、霊柩車を見送った後で、先輩会長と会話を交わしていると、恩師と同時期に勤務された恩師(女性)が立ち寄られ、「あんた見た事があるわね」と問われ、恩師は私を教え子と勘違いされており、毎年同窓会総会で顔を合わせている事からの勘違いとは思うが、同行した女性から大変な話を耳にする事となりました。

 恩師は昨晩の通夜に4時間半をかけて隣町から自転車でお寺を探したものの見当たらず、本日も自転車で2時間以上の時間がかかったとの話です。「そうなのよ、今日も10回位転んでねッ」なんて言われると、そのまま別れる事もできず、私も自転車での参列のため送る事もできません。

 花屋さんや葬儀関係者にも断られ途方にくれていると、長年地元で消防団長を務められた先輩の姿が見えました。
 「〇神さん、お願いします」と突然のお願いに、「うん、良いよ」と事務所に戻って車を回していただき、恩師の自転車を積んで送る事ができました。

 「おい、最近は暇でいかんわッ」と、不景気が建設業界にも影響している話を帰りの車中で耳にしましたが、今時こんなに気さくに突然の依頼を引き受けていただける先輩は珍しく、私のような後輩にも同じ視線で語ってもらえる幸せに感動し、母校の発展はもとより、議員の立場では地域貢献も考える責任を気持ち良く感ずる一日となりました。

 亡くなられた恩師に感謝し、夏の物故者法要には恩師を偲んで、一人でも多くの会員に集まっていただく宿題と同時に、多くの先輩や恩師達とともに地域が構成されて社会が成り立っている心強さと温かさも実感する一日となりました。
              恩師に合掌
                                    4月6日の一言

同窓会入会式に参加して

 本日は母校である神守中学校で、今年度卒業生の卒業式の予行練習と学年の修了式の後に、同窓会への入会式が実施され、今年から初めての儀式ゆえに会長でありながら、自分に学校側から何が期待されているのかも解からずに出向いた事と、PTA会長を引退して16年も経過しているために、子供との距離がありすぎて話す言葉の違和感を感じる一日となりました。

 元々が私が同窓会長として呟いた一言が入会式の発端だが、時代の移り変わりの中で、戦後に現在の中学校が新設されてから現代まで延々と続けられてきた同窓会への慣例で、卒業生全員から同窓会への入会金を自動的に入金されてきた事の見直しの中で考えられました。

 これまでの慣例で、保護者の学校に支払った学校への月々の負担金から同窓会入会金分を自動的に積み立てて、卒業時に同窓会へ入金されていたが、保護者に認知させる事無く慣例として当り前に負担させる事はとんなものかとの議論があった。

 同窓会活動そのものは会報発行時に協賛していただける地元のスポンサーからいただける広告料を主体にしているが、卒業生が卒業時に1人千円の入会金を負担しており、それには手を付けぬように同窓会を維持しているものの、同窓会の無い学校もある事から見直す事となりました。

 今年度の卒業生は204名であるが、同窓会への入会金の支払いを確認する文書を配布したところ、176名の保護者から理解をいただき、卒業生の会費徴収に理解をいただいた。勿論、卒業生全員が同窓会員であり、会費の納入の有無によって区別はしないが、非加入となった28名が次年度には減少するように活動で理解を深めたい。(この数字は、一見して残念にも思われるが、不登校の生徒の存在や、外国人の生徒も存在する事から考えると、学校と保護者の連携が図られている事を確認できたと思います)

 1年に一度ではあるが、同窓会報を発行して、総会と物故者法要を開催しているが、同窓会の存在によって、在校生のクラブ活動で全国大会に勝ち進む際の移動費を捻出したり、学校に必要な備品購入時に資金が不足する際にも会費が充てがわれている。

 そんな同窓会の存在意義を会報で手前味噌に宣伝した事はないが、本年からはPTAと一緒に卒業生一人ひとりに印鑑を記念品に贈っており、今後はPRにも務めたい。
 さて、会長を引き継いで10年以上となり、引退を公言しているものの、今年度から母校の卒業生で私の同級生が教頭で赴任してきた事から、最後のご奉公と思い、引退はしばらく封印して次代へ同窓会を引き継いでいきたい。
                                  3月5日の一言

本日は同窓会の総会と物故者法要に

 昨晩の京都から帰ってきたのが深夜の午前1時で、マイクロバスの車内の清掃と忘れ物を確認し、就寝したのが午前3時頃であった。

 「らららーらーらららーららら」と、朝を告げる携帯電話の「赤と黒のブルース」のメドレーに目覚め、マイクロバスを一宮市まで返しに走るが、燃料を満タンにするべきガソリンスタンドが早朝のために見当たらず、見つけたスタンドに飛び込むとセルフのスタンドであった。

 恥ずかしいような話ですが、私は銀行のカードや支払いが全くできず、セルフスタンドについても給油はできても支払いは家内まかせで、本日は一人のため紙幣を入れて満タンにしたものの釣り銭が出てきません。

 表示を見渡しても、どのスイッチを押しても釣り銭が出ず、しばし悪銭苦闘を続けた挙句に給油中のご婦人に尋ねると、丸めてポケットにねじ込んだ領収書に添付されたバーコードを、精算用の器機に示す事を聞かされた次第であった。

 本日は午前10時から母校の同窓会総会が開催され、高齢の恩師を送迎する必要があるので、慌てましたが、日頃家内任せで支払いをしてきたツケを実感した次第でもありました。

 同窓会総会は中学校で10時から始まりましたが、参加された恩師の先生方から懐かしい思い出話の後に、同窓会の行く末と発展を願って色々とアドバイスがあり、11時から近所にある恩師のお寺で開かれる物故者法要に出かけられません。

 物故者法要については、学校の歴史とともに対象者が増え、今後は対象同窓生の把握と法要への遺族のご案内など新たな課題も出されました。そしてその後の会食では、かつての会食とは違って、飲酒がありませんので、恩師達の真面目な会話が続きます。

 同窓会長を拝命して10年が経過しており、「早く次の人に…」を口癖にしてきましたが、同窓会そのものの各地の衰退から、「辞めたら次の人は続けられないよ」の恩師の一言があり、会報の発行や物故者法要とか在校生への支援など、仕事を軽減して役割分担を決めて引き継ぐ必要性も実感した次第です。

 本日の睡眠時間は約3時間で(前日も3時間)、帰宅した午後4時には身体のムリがききません。例年には翌日からの4日間を上高地の夏休みとしていましたが、今年は身体のムリもきかず、仕事も山積している事から自宅での夏休みと決めました。
                           8月17日の一言

引き際を考える年度末の一日

 3月も本日が最後で、明日から(まもなくですが)新年度の4月に突入するが、ほとんどの人には関心もない年度のかわりが、行政や教育現場では大きな変化とともに、多くの人々の引退も伴い、新たな環境に緊張を隠せない人も存在する。

 我が母校である神守中学校の教頭先生として、母校の卒業生で私と同級生のS先生が転任してくる事となった。私にとっては意外な人事で、転出していく前任者から挨拶をされながら、私の問いかけに後任者を知りながら頑として何も言われなかったのは、職務の守秘義務だけではなかったのかもしれない。

 私はかねてから同級生のS先生を地元の校長先生に迎えたいと希望していた事から、できることなら校長で転任して欲しかったのであるが、一足飛びにはいかない事から、今回の人事異動は同級生としては喜ぶべきかも知れないが、このことから悩まされる問題にも苦しめられる事となった。

 私は平成9年から母校の同窓会長の任にあるが、数年前から自らの降板も真剣に考えており、2年前の総会の席で後任も未定でありながら引退発言をして、勤務歴18年の恩師T先生に苦言をもらったが、欠席者ばかりの役員会では光明も見えてこない。

 早急の後任探しは学校関係者や周りに伝えてはあるが、同級生の教頭誕生に「これを機会に辞めてしまおう」と同級生役員の切実な声を聞くと同時に、「おい、S教頭を同級生で支えてやってくれよッ」と言われた恩師の言葉の狭間で過去の記憶が蘇ってきた。

 「あんたが会長になって良かった」の言葉に続き、「今まで地元の義理で辞められなかった」と言って同窓会報のスポンサー広告を私が会長になったと同時に辞めた同級生があった。同級生なら逆じゃないかと思いながら、新たなスポンサーを探して声をかけた苦い経験があった。

 同窓会長にある事と議員である事から批判の声も存在するが、同窓会長の仕事の大部分は会報発行と総会開催の資金となるスポンサー廻りと集金であり、不景気から撤退するスポンサーの補充も大変になりつつある。こんなことから役員の合言葉が、「もう辞めよう」となり、溜息が先にでるのでもある。

 教員生活も終盤を迎えた同級生の教頭登場に、恩師に言われるまでもなく過去にないバックアップをしたいと思うものの、周りの役員の苦労も考えると最後の花を咲かせるとともに、S先生の校長昇格を見届けての引退を果たしたいと思う年度末となった。
                            3月31日の一言

一番の理解者であった恩師の訃報

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 私の中学時代の教頭で、私にとっては一番の理解者であり、オヤジのような存在であった長谷川丈夫先生が本日亡くなられたとの訃報が届けられた。

 中学時代に担任ではなく教頭であったが、叱られる私を唯一救ってくれた恩師で、高校で落第し不良と化した私に、顔を背けてすれ違う恩師ばかりの中で、駅前にあった「みゆき食堂」で声をかけて下さったのが長谷川先生であった。

 「おい、君は大鹿君じゃないか」、「…はァ、そうです…」、「やっぱり、いっぱちだったか(笑)」、「こいつはよォー、わしの神守中学の時の教え子で…」と、一見して不良と判る私を愛知県の幹部(当時の教育次長ら)に紹介し、懐かしそうに私の思い出話を人々に語られた。

 その後、恩師は校長として各校を転任され、昭和60年に天王中を最後に退職されたが、最後は海部津島小中学校の校長会長を務められ、平成8年には勲五等双光旭日章を受賞されている。

 恩師との関係は高校から大学、社会人と続き、私がPTA連合会の会長を引退した平成6年に恩師のお宅に書道の指導をお願いに伺った。

 「おいッ(笑)、あらたまって何だ、まあー座って、おい、かあさん、おい」
 「40過ぎの大人として、せめて恥ずかしくない書が書けるように教えて下さい」
 「そっちにも多くの書家がおられる中で、小遣い稼ぎみたいな事はしたくない」と頑固に断る恩師に

 「先生、多くの書家があってもタダで教えてくれる人はおりませんよ」
 「何ッ?どういう事だ?」、「だからタダで教えてもらえるのは先生しかないから」
 「なにー?、タダだとッ」、「そうですよ、何も金を払ってとは言ってないでしょ」
 「うーん…」、「そうかッ、それじゃオレは今後一銭の金も受け取れんぞッ」

 こんな顛末で平成6年秋から書道会『神守丈友会』が始まり、後を後輩の後藤先生に引き継がれたものの、現在まで恩師の『丈』の字を旗印にして書道会が続いている。

 長谷川先生は奥様を亡くされた数年前から認知症がすすみ、施設で晩年を過ごされたが、それまでは書道会のために毎週火曜日に迎えに走り、帰りは一緒に居酒屋で一杯を繰り返してきた。

 写りの悪い写真ですが、一番上の写真は我家の玄関にかけられている恩師の書(文字不明横書き)で、事務所にも「意欲にまさる人生の知恵はない」の木片(縦書き)がかけられている。

 私が発行していた『ふるさとアサヒ』にも10回にわたり「身勝手な回想の日々」を連載してもらい、多くの教え子がいる中で、私の初当選となった時には深夜まで待ってダルマに墨を入れ、真中で万歳をしてもらった写真が残されている。想いは尽きないが、明日の通夜と明後日の本葬まで思い出に浸ってみたい。
                            3月27日の一言

雑誌の占いの効果は…

 「休日返上で仕事の成果が」と、雑誌の占いコーナーに記されていた。普段、私の言う事を適当に聞いている知人には「週の前半は忙しく仕事が…」とあり、「本当だ!」と実感している様子である。

 本日は連休を返上して、中学校の同窓会報の協賛スポンサーの不足分を穴埋めするために走りまわってきた。突然の訪問にも、学校と縁のある所だけに「解りました」とご理解いただけるのであるが、「ダメ!ダメ!一切やらないから!」と猫の子を追い払うように対応されると気持ちが萎えてくる。

 学校との取り引きがある業者を聞いて訪問したのであるが、内容も聞く前に断られると「こんな所には一切仕事は注文しないで欲しい」と、同行した知人の一言に納得させられた。せちがらい世の中だけに、同窓会とはいえ学校に協力した事業所へ仕事は優先するように訴えていきたい。公立学校とはいえ、同窓会に限らずPTAや民間の金銭的応援も存在しており、協力者の気持ちを無にしないためにも、非協力な事業所の排除を求めていくつもりである。

 さて、占いどおりに、明日は朝から津島市の消防署で活躍する母校の卒業生達を訪問する。「仕事に邪魔にならぬ程度で話を聞くから」との話に、「勤務時間中では出動する可能性が高いから」と、わざわざ連休中に6名の卒業生が出向いてくれるのである。
 これも同窓会報に掲載する「活躍する卒業生」の取材であるが、公務員に対する風当たりは強く、「職員の削減」とか「給料の減額」などと、市民の公務員への批判を耳にする事は多いが、消防や救急で深夜でも出動している卒業生や後輩達が存在している事と、休日返上で職場に出向いてくれる心意気に感謝と心強さを実感する。

 ただし、原稿の締め切りは明日一日となっており、彼らの瀬戸際の協力を無にしない編集が必要である。そして、もう1件の不足する協賛者を探すのも残ってはいるが…
                                7月15日の一言


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