
我家の柿です
豊かな世の中になり、豪華な商品から低額な商品の選択ができ、誰もが旅行に出かけられる環境が整ってきた中で、我が子を母親が死に至らす事件が後を絶たず、周りには救いの手をさしだせる余裕もあることを考えると無念に思います。
「バイバイ」笑顔の幼子、母は橋から落とした
記事の続き…
手を離した。ドボンという音が聞こえたが、その場を離れたくて車まで走った。自宅の前で車を止めると車内で少し泣き、部屋に戻った。
翌日、橋の約1キロ下流で女の子の遺体が見つかった。3歳の誕生日を迎えたばかりだった。
事件は2014年、日本海側の人口約8万人の地方都市で起きた。弁護士や親族らの証言、裁判記録、事件後に県がつくった「検証報告書」などをもとに、その経緯を追った。
女性は21歳で娘を出産したが、夫の家庭内暴力(DV)もあり、娘が2歳のときに離婚した。その後、相談相手だったアルバイト先の男性と同居を始めた。
女性は娘の発達に不安を抱えていた。周囲の子より遅く歩き始め、言葉もなかなか出ない。アトピーとぜんそくの持病もあった。かかりつけ医だった小児科医に「なんでうちの子は弱いの?」と何度も聞いた。予防注射はすべて受けさせていた。小児科医は「精いっぱい育児していたという印象」と話す。
「育児に疲れてイライラする」。事件の2カ月前、女性は市役所を訪れ、泣きながら相談員に悩みを打ち明けていた。
相談員は「1日1回、7秒間、抱きしめてあげて」と声をかけた。女性は言われた通り娘を毎日抱きしめてみた。娘は最初は喜ぶ様子を見せたが、育児のストレスは消えなかった。
相談から約1カ月後。娘が発熱し、迎えに来るように保育所から電話がきた。だが女性は「もう無理」と泣きじゃくって電話を切り、引き取りを拒んだ。
保育所から市に連絡が入り、児童相談所(児相)は娘を一時保護する方針を決めた。しかし、実家の祖母が保育所に向かい、娘を引き取ったため、保護の決定は取り消しになった。それから1カ月後、事件は起きた。
法廷で女性は「橋から落としてしまうことしか考えられなかった。最低なママでごめんなさい」と涙を流しながら語った。
この夏、女性の父親が取材に応じた。育児に悩んでいた女性に「焦るんじゃないよ。笑える時がくるから」と言い続けたという。どうにもならない時は「絶対に親に相談してくれるというおごりがあった」と悔やむ。女性が市に相談していたことは事件後に知った。「最優先は命。それだけを救いたかった」
女性は懲役9年の判決を受け、今は服役中だ。両親への手紙には、常に謝罪の言葉が並んでいるという。
高校時代に非行に走っていた私は、3度の落第を経験する中で、私に救いの手を挙げていただいた恩師の存在によって、成人式後に高校を卒業し、大学の受験勉強をしていなかったにも関わらず、恩師たちから「絶対に大学に行くべきだ」との勧めで進学しました。
結果的には大学在学中に起業し、学生時代に結婚したため、真面目な学生生活は送っていないものの、仕事の責任と子供の存在によって荒んだ生活とは無縁の環境に変わっていきました。
少年時代に乱暴な行動をしていたものの、子供と家族ができたことによって、街角でトラブルになると、とことん相手を負かせようと思っても、子供が車の中で泣き出したり、家内が泣いて静止するため、トラブルそのものを回避するようになりました。
そんな自分の体験と経験とは違う、子供が犠牲になる事件が続くことと、私の周りの出来事なら、吾が身と我家の力でも何とか救うことができそうな環境もあり、何ともできないままに幼い子供が犠牲になっていく現実は寂しいものがあります。
添付した記事には、橋の上から川に落とそうとする母親に、3歳の娘がにこっと笑い、「バイバイ」と言ったという記載があります。
悲しいですね。
何故にこんな男と同居するのか。近くに母親の両親も存在しており、何とでもなっと思いますが…
本日の体重 71、6キロ 徒歩数 1111歩 間食あり
10月17日の一言









新潟県上越市郊外の田園地帯で今月11日、水路に転落したハンドル型電動車いすが見つかった。約300メートル下流で近くの女性(72)が水死していた。



































