大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

住居

自宅の電話が10日間も不通になっていたものの

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我家のアンズで作ったジャムです

 我家の自宅の電話が通話できない状態になっており、前日の午後4時頃からNTT西日本に連絡を入れていたものの、「ただいま、受付が大変混雑しています。 … またおかけ直してください」のテープが流れるばかりで、本日の午前中もこの繰り返しでした。

 さすがに昼近くなってきたため、相談窓口に連絡して、故障担当の担当者から連絡が入るようにしてもらったところ、午後2時に2人の技術者が来てくれ、屋内で不調になっていた配線を直してくれました。

 我家には3本の電話がありますが、先月末に三男の接骨院開院のため、1本の電話の端子を分離移設してもらったことが原因の故障ですが、一番の問題点は私の電話の転送による料金が高くなるため、無料で転送するソフトバンクに代えていたことで、故障に直接対応できないソフトバンクゆえの不都合でした。

 自宅と接骨院の電話はNTTですが、私の事務所関係はソフトバンクのため、事務所が2階に移転した後も、私の電話は接骨院の棚の下に親機を置き、事務所に子機を置いて対応してきましたが、本日訪れたNTT職員に依頼して端子を移動してもらいました。

 自宅の電話は10日間に渡って不通になっており、そのこと事体も知人に口頭で指摘されるまで判らず、現実には私の事務所と息子の接骨院の電話だけで事足り、自宅の電話は無くしてもいいのかも知れませんが…
 我家も子供に代代わりしていく中で、電話番号などの整理も必要になってきたと思われます。

さて、…

 『テレビ東京の人気番組「世界ナゼそこに?日本人」で、世界平和統一家庭連合(旧・世界基督教統一神霊協会=統一教会)の信者が不適切な形で多数回にわたり出演しているなどとして、全国霊感商法対策弁護士連絡会が先月、同局に事実関係や出演の経緯などについて回答するよう申し入れた』と報道されている。

テレ東番組「旧統一教会信者が多数回出演」 弁護士指摘

 テレビの視聴者にとっては、対象(出演)者がどんな宗教に信心していたとしても、その信教を普及させたり強要しない場合には関係がなく、弁護士が訴えたことで統一教会の元信者と判った次第であり、出演者の内容も判らずに的外れになるかもしれませんが、信ずる宗教団体に属するだけで批判されることには違和感を覚えます。

 私の、かつての一言で、朝日新聞社の編集委員を務められた大鹿八郎さんについて記した一文を読んで、連絡を入れていただいた実兄の大鹿譲さん(大阪工大名誉教授)との会話を記したところ、氏が統一教会の信者として、私まで批判するコメントを貰ったことがありました。

 全く理不尽なコメントでしたが、私がこの一言で元オウム真理教の上祐史浩氏の最近の修行する行動を評した際にも、私まで犯罪集団を庇護すると批判されたことがありましたが、心理を求めて修行する姿まで否定することが理解できません。

            本日の体重 69、8キロ 徒歩数 7004歩 間食あり
                                      6月10日の一言

簡易宿泊所1週間ルポの記事を読んで

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我家のアンズです。太陽に当たった果実は真っ赤ですが、日陰の実はこれからです。

 
 本日は、昨日の厚生病院委員会に続いて文教建設委員会が開催されましたが、明後日の総務協働委員会が終わると常任委員会が終わるものの、私自身は議会最終日に発表する本日の委員会の委員長報告をまとめるとともに、議会だよりの編集委員になっているため、しばらくは議会活動が続いていきます。
 
 本日の新聞記事に簡易宿泊所で生活する生活保護者に密着した一週間の取材記事が掲載されていました。
 
孤独と悔恨の3畳一間 簡易宿泊所1週間ルポ
記事の続き…
 1階の共同台所の電子レンジで、お湯を沸かしている男性がいた。武田正成さん(61)。来月の生活保護費の支給日まで2日に1食、即席麺で済ます。
 「仲良くなって素性をあれこれ聞かないほうがいい」。9年ほど前に飲食店の店主を殴って傷害容疑で捕まった。その後、刑務所に1年3カ月いたという。「おとなしく住んでいても、きれいな人なんていない」。そう割り切って暮らしている。
 深夜、やけに華やかな模様の布団に仰向けになった。誰かがせき込む音が壁から伝わってくる。廊下を歩く音が響く。引き戸が閉まると、また別の誰かが引き戸を開ける。まるでお互いが接触を避けているかのように、それが続く。
■85歳も、20代も
 この辺りの相場だという。月にまとめて払う人もいれば、週ごとに支払う人もいる。いまは18人が暮らす。40~70代が多く、85歳という高齢者もいる。
 20代もいた。
 ある日の昼前、スマートフォンにつなげた白いイヤホンを耳につけた男性が玄関に入ってきた。しばらくして、台所で40円の袋麺を調理し始めた。四藤(しどう)祥吾さん(28)。86年生まれ。記者と同い年だった。
 大半は部屋で過ごす。パソコンで求人サイトを見たりネットゲームをしたり。いまは声優にはまっていて、スマホで聴いていたのもアニメソングだ。「ここには友人になれる年の人もいませんし」とこぼす。
 4年間余り勤めた会社を1月に辞めた。それがきっかけで家族ともめ、家を飛び出した。役所に相談して簡宿を紹介され、生活保護受給者になった。「まさかこの年で。落ちる所まで落ちた」
 1月までは月25万円近く稼いでいた。いまは支給された額から宿泊費のほか、携帯電話とインターネット代、食費などを払い、手元に残るのは2万円くらいだ。460円の銭湯は週1回だけになった。
 何をしていても、悔恨の思いにつながる。
 ある朝ふと目覚めると、携帯電話の時計は午前11時をまわっていた。「一体何をやっているんだろう。みんなは働いているのに」。袋麺をゆでていても、「なんでこんな飯食ってんだ俺は」。スーパーでチーフになったり、映画会社で成功したりしている同級生の顔が頭に浮かぶ。
 四藤さんは「このままここで終わる人間じゃないはずだ」と自分に言い聞かせる。だが「1カ月で出る」と決めていたのに、もう4カ月経った。
 宿での暮らしに慣れきってしまった住人もいる。四藤さんの部屋の三つ隣に住む50代の男性は3年目。時間があれば、初乗り分だけ切符を買い、一日中電車に乗って過ごす。
 約1年前に入った2階の四宮(しのみや)道(とおる)さん(40)は、自分を変えたいと思っていた。19歳で覚醒剤にはまり、36歳までやめられなかった。以前は、社会復帰を目指す人たちの施設にいた。
 施設では管理された集団生活だが「わいわいがやがやしていて、ある意味よかった」。ここでは会話する相手は一人もいない。「ここにいると、自分がただ生かされているみたい」
 早く賃貸アパートに移ろうと、週2、3回、ハローワークに足を運ぶ。だが、本気で仕事を探す気が起きない。生活保護で食いつないでいる。外出先から戻った平日の夕方、簡宿街の通りは帰宅途中の会社員や主婦が行き交う。「1時間だけ」と言って、徒歩5分のパチンコ店に向かった。
 
 『武田正成さん(61)。来月の生活保護費の支給日まで2日に1食、即席麺で済ます』の記事は、私と同年の人物ですが、野菜を積極的に摂取して、3食ともご飯を食べるとの管理栄養士さんの指導を守る私からすれば、信じられないような食生活で、ここには健康管理という言葉は存在しません。
 
 『建物は、1951年に建てられた木造2階建て。全25部屋で、1泊1800円』の記事には、1泊8百円で宿泊できる上高地小梨平野営場のテントを考えてしまい、真面目に生活していればアパートがもっと安く借りられます。
 
 『支給された額から宿泊費のほか、携帯電話とインターネット代、食費などを払い、手元に残るのは2万円くらいだ。460円の銭湯は週1回だけになった』の記事についても、上高地で悠々自適にテント生活するシニア世代を対比させてしまい、1回600円の小梨平大浴場を思い浮かべました。
 
 長年真面目に働いたにも関わらず、わずかな国民年金で公的負担を支払い、厳しい生活を晩年まで余儀なくされている人々も多いが、定職につかず無年金で家族も資産も何もないのに生活保護でノウノウと生活する例も多く、結果に差がないと良し悪しの比較もできません。
 
 国民の多くは家族と住む家を構え、子供の成長を支え、定年を迎えても残した資産に対する税金を死ぬまで支払い続け、末期がん患者で死の宣告をされた人も医療費を支払っている現実と、『1時間だけと言って、徒歩5分のパチンコ店に向かった』との記事から、生活保護費で医療費も心配なく生活する人との大きな違いを実感させられる記事ともなりました。
 
                  本日の体重 71、1キロ 徒歩数 2952歩
                                      6月16日の一言
 

自作の小屋で電気代月400円の発信に

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知人から送信されてきた愛犬クッキー2才 トイプードルです
 
 ネットで検索して見つけた140平方メートルの空き地を45万円で購入。業者に依頼して井戸を掘り、最低電流の電気も引いた。
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テントで暮らしながら、近くのホームセンターで建材を買い、ネットに掲載された建築の方法を参考にして毎日少しずつ建設。約1カ月で4畳ワンルームの小屋を完成させた。ここまでの出費は計約90万円。
             ↓ ↓ ↓
普段の生活も質素だ。水道代は無料だが、電気代は月約400円。日々かかるのは食費がほとんどだが、家庭菜園で野菜を作ったり、近所から食料品を分けてもらったりも。締めて月3万~5万円ほどの出費だ。「節約するつもりはないのだが」と吉田さん。
 
生活費は月3万―5万円 自作の小屋で暮らす若者たち
記事の続き…
 岩手県出身の吉田さんは高校卒業後、都内の食品会社に勤務し、退職。自身の生活を充実させたいと同町への移住を決めた。
 「気候もいいし、暮らしやすい立地だった」。現在は東金市の職業訓練校に通い、左官の技術を学ぶ。今後は就職活動を本格化させるが、「今を頑張って生きていれば、未来につながっていけるのでは」と話す。
 意外だったのは独り暮らしなのに孤独ではなかったこと。ネットで生活の様子をブログで更新すると、反響が次々に寄せられた。県内外の小屋仲間と知り合い、交友関係が広がった。
 その一人、介護福祉士の田川敬之さん(30)も一昨年2月、たまたま吉田さんと同じ地区に土地を購入。小屋暮らしを計画していた時に吉田さんの存在を知ったという。「本当に偶然だったので驚いた」。120平方メートルの土地を35万円で購入。昨年2月から少しずつ自分で建築し、今後3カ月ほどで完成させる予定だ。「小屋暮らしを始めて生活にゆとりができた。何よりもネットを通じて人脈の幅が広がった」という。
 2人はネット上で意気投合し、今ではたびたび食事をともにするほどの仲に。交流の輪は全国に広がるが、県内では茂原市や我孫子市などの「小屋仲間」と交流。移住の相談も多く持ちかけられているという。
 
 手ごろな空き地を45万円で買い、テントで生活し、ホームセンターで建材を買いつつ、4畳ワンルームの小屋を完成させる。ここまでの出費は計約90万円。
 
 井戸を掘ったため水道代は無料。電気代は月約400円。家庭菜園で野菜を作ったり、近所から食料品を分けてもらったりすると、月3万~5万円ほどの出費で収まると記されている。
 
 これなら国民年金でも十分に生活ができそうです。
 
 国民健康保険に介護保険、固定資産税に県・市民税、自動車税だけでなく任意保険や車検代。私が生活していくためには、最低でも月に10万円以上の公的負担が必要になっており、この生活は鬼籍に入るまで続いていきます。
 
 上高地のテント生活にあこがれ、四国遍路をシルバーライフと考える私にとっては、生きているかぎり続く公的負担はストレスとなっており、先祖伝来の土地に縛られ、公的負担に縛られる生活と比較すると、生身の人間一人が生きていく原点のような新鮮さを添付した新聞記事から感じました。

 四国遍路に旅立つとき、車で移動するために、スポーツシューズに革靴とサンダルを積み、さらに雨を考えると長靴も必要になり、風邪の心配から風邪薬、頭痛になった時のため頭痛薬、目薬に歯磨きと備品が増え、傘と合羽だけでなく、タオルにバスタオル、寝袋に毛布など、まるで遊牧民のように家財道具が膨らみます。

 家を見渡しても、学生時代に使用していた写真の暗室セットが使わないままそのまま残り、16年前に廃業した新聞販売店時代の印刷機に電源が入ったままになっており、使わないものがゴミのように山積されていますが、今こそ身軽になって身体ひとつからスタートしていきたい心境になります。

                本日の体重 68、9キロ 徒歩数 8553歩
                                   4月11日の一言
 

完結しない掃除を続ける一日に

   延命十句観音経
観世音  南無佛  興佛有因  興佛有縁  佛法僧縁 
  常楽我浄  朝念観世音  暮念観世音  念念縦心起  念念不離心
 
 
 わずか42文字の最も短い経典として知られる十句観音経ですが、古来ただ何度も唱えるだけでご利益を得られるとされており、真の信心をもって唱えると、病気が治ったり苦しみが消えたりのご利益があるといわれており、私は手帳に挟んで繰り返し口ずさんでいることがあります。
 
初乗り140円で千葉一周できるか? 10時間半の挑戦
記事の続き…
 待ち時間を使って、駅弁や飲み物などを調達するなら千葉駅で買っておくのが便利だ。駅弁では、煮アサリなどが入った「潮干狩り弁当」を購入。いかにも千葉らしい一品だ。
 内房線で木更津を経て館山駅へ。ここからは進行方向右側に座席をとるのをお勧めする。船の行き交う東京湾の奥に雪化粧した富士山を見ることができるからだ。館山には午前11時着。駅前の寿司屋でおいしいランチを食べたいが、途中下車は御法度。我慢、我慢。
 安房鴨川駅から外房線に乗り換え大網駅に。今度は車窓に太平洋が広がる。内房とは趣の違う奥行きのある雄大な海が楽しめる。
■銚子を目前に
 大網駅では、東金線への乗り換えは3分。ホームが離れているために小走りで向かうことに。着いた成東駅での総武線乗り換え時間は1分。脚力が衰えた身ではさすがに厳しいと思われたが、幸いに向かいのホームだった。
 松岸駅に午後2時半に到着。隣の銚子駅まで行ってみたかったが、銚子から松岸に戻ると、重複はしないという規定に触れてしまうのであきらめる。
 成田線の成田行き電車が来るまでの約50分は松岸駅で過ごすことになった。子供連れの場合は遊び道具があった方があきないかも。さすがに50分もあると、知らない者同士でも話に花が咲く。年配の女性と若い男性が熱心に趣味の話をしていた。
 午後3時18分、松岸から利根川沿いに成田に向かう。夕暮れの中、田園風景の向こうに筑波山が見える。成田は午後5時16分発。沿線はすでに闇の中に沈んでいた。
 我孫子駅から常磐線に乗り、最終到着地は新松戸駅の手前の北小金駅。時間は午後6時半前。出発から約10時間30分。さすがに腰が痛くなったが、やり遂げた達成感も。かかった費用はJR料金(140円)プラス弁当・お茶代などで約1500円。鉄道好きにとっては結構お得かも。(斉藤勝寿)
     ◇
 大都市近郊区間の特例 東京近郊など大都市近郊区間内のみを普通乗車券または回数乗車券で利用する場合、経路にかかわらず、最も安くなる経路で計算した運賃で乗車できる。重複しない限り経路は自由だが、途中下車はできない。乗車区間など詳しくは時刻表の「運賃計算の特例」に掲載されている。
 
 わずか140円の乗車券で千葉県の房総半島を一周できるとは驚きで、新聞記事を読み直しても理屈が理解できず、途中で降車しても140円を追加し続ければ好きな場所に行けるとは思いませんが、ただ乗っているだけではと思う反面で、老人ホームの決められた机に一日中座っているよりは楽しみなプランです。
 
 名神高速道路羽島インターから入り、一宮ジャンクションから東海北陸道を北上し、小矢部砺波ジャンクションを北陸道に入り、今度は米原ジャンクションから名神高速に入り、一宮インターで降車すると一区間分の高速料金で通行できるかどうかを知人と議論したことがありますが、違法な行為や鉄道のキセル乗車ではなく、合法的に行える楽しみ方はいたるところに存在しています。
 
 さて、本日は事務所の掃除にかかりましたが、掃除より先に過去に集めた旅行先のパンフレットの破棄と、保存してある議会資料を思い切って破棄したものの、必要な物を選別するだけで時間が経過し、掃除は未完成のまま年越しになりそうです。
 
                本日の体重 71、5キロ 徒歩数 3923歩
                                   12月30日の一言 
 

大掃除によって珍品現る

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 本日はボランティアの依頼が一件ありましたが、「万が一の場合に連絡するかもしれない」との一言もあり、万が一に備えて来客の応対以外はゴロゴロし、大掃除中の家内に邪魔者扱いされており、結局は何事もないままに日が暮れようとしていると…
 
 「今から頼めないか?」
 「良いですよ」
 「歯医者に行きたいんだ」
 「すぐ行きます」
 
 突然の依頼があり車に乗り込むと、時計は7時近くなっており、歯医者さんの診察時間の終わりが近づいていることから、「歯医者さんへ連絡しておいて下さいよ」と連絡して走りましたが、歯医者さんへ連絡ができないとの話に、私も念のため連絡したもののつながりません。家の前には2台の家族の車が置いてあり、我々は「タダ働きはしない」と、少額でも有償ボランティアを前提としていますが、割り切れない無償ボランティアが多くなりました。
 
 この会員さんの話では、ボランティアに連絡したら「もう、酒を飲んだのでダメだ」と断られたとの事で、最近の私への依頼の多くが、ボランティアの都合が悪いための代役となっており、議会日程を優先して補助要員となっている私ですが、明日の日曜日も1件依頼が入っており、都合の悪いときの「大鹿さん」にされているとしたら問題です。
 
 さて、添付した写真は、昭和54年2月に発行された「アサヒグラフ」の増大号で、家内が大掃除した後の本箱から見つけましたが、かつては大量のアサヒグラフを保存していたものの、ほとんど破棄された中で、三男の部屋で掃除がされていなかったために残された貴重な資料になりました。
 
イメージ 2 このアサヒグラフには、明治32年から昭和40年までの日本映画のポスターが特集されており、発行された当時には気づかなかった鶴田浩二さんが主演した「獣の宿」が添付されていました。見事な表現力です。
 
 この映画は鶴田さんとのロマンスが噂された岸恵子さんと競演した昭和26年の作品で、この年に紹介されているポスターはすべて手書きとなっており、写真が登場するのは昭和30年代になってからのことです。
 
 ちなみに、鶴田浩二さんと岸恵子さんの競演は昭和26年6月の「獣の宿」が初めてで、27年1月の「唄くらべ青春三銃士」、8月の「坊ちゃん重役」、「弥太郎笠」、28年1月の「ハワイの夜」と続きました。
 
 我家には朝日新聞の発行したアサヒグラフや特集などがまだまだ多く残されており、今となってはこれらも歴史を刻んでいることを実感させられますが、横井庄一さんの戦地からの手紙や、帰国後に作陶した茶碗や花瓶も多く残されており、大正から昭和初期の地元紙や雑誌なども多数存在することから、整理も含めて展示できるようにしていきたいものです。
 
                                  5月25日の一言

先進医療よりも足元の安全対策を

 京都大学では山中教授のノーベル賞受賞後に、再生医療の新しい発見や成果が続々と報告されており、20年前に私の父親が胃ガンから肝臓ガンへ転移しており、末期ガンを宣告され、「移植以外には可能性もありません」と言われた当時とは比べようのない進歩を実感させられます。
 
 自分の骨髄や細胞を培養して、骨や内臓を造る可能性が高まったことで、せめて10年ほどはガンにならず、医療レベルの進歩に期待したいところですが、現実には何事もない時に耳にした情報を記録して、万が一の際に即断して新しい治療を受診できる備えが重要です。
 
生存率向上 膵臓がんに「新薬」 県立静岡がんセンター
記事の続き…
 臨床試験は同センターを中心とする全国33医療機関で2007年4月から10年6月の間、385人に対して行われた。手術可能な膵臓がんに関し、日本では200以上の症例をもつ臨床試験はなく、その数の多さからも大きな意味があるという。
 山口総長は「静岡がんセンターのこの10年で、最も注目される他施設共同臨床試験のデータといえる。手術可能な膵臓がんへの新たな武器が手に入ったことになる」と評価している。
 
 本日の朝日新聞には、静岡のがんセンターで膵臓ガンの生存率が大幅に向上する新薬が開発され、従来の抗がん剤よりも副作用も少ないとの報に、10年刻みで進歩するガンの医療レベルの恩恵を請けたいと思います。
 
 現実には、開業医で重篤な病気を疑われ、自宅と近い二次医療機関を紹介され、検査後にそのまま入院し、手術を受けたものの改善しないケースも多く、転院もできない症状になってから相談されるケースも多く、セカンドオピニオンどころか、高度医療に対応する損害保険の特約を掛けてあっても利用もできない人が存在します。
 
 こんなことを記している私自身も、注射が嫌いで、医者嫌いの看板を背負っているような性格のため、自身のかかりつけ医しか行きませんが、重病になっても行き先がないと困る事から、ガン検診や人間ドックなどは高度な医療機関やがんセンターで受診したいものです。
 
 さて、数日前に亡くなられた町内のご老人は、自宅の風呂で入浴中に溺死したとの話で、子息や孫と同居する家族構成でも、ちょっとした隙に事故は起こり、僅かな時間のずれで命を落す危険が存在します。
 
 我家では、昨晩にストーブに乗せてあった鍋がひっくり返り、何事もなかったから良かったものの、相棒が家内の足元にまとわりついていた事から、相棒が原因のように糾弾され、相棒を心配する私と大声のやりとりを聞いた相棒は自らゲージに入っておとなしくしていました。
 
 家族が一番安心できる居場所は、前記した風呂やストーブなど、危険と隣り合わせとなっており、風呂の水を入れに行く母親が滑って転んだり、ストーブのヤカンでヤケドする可能性もありますから、高度医療の心配よりも、今一度家庭内の安全確保と確認も重要と思う一日となりました。
 
                                     1月25日の一言

ネズミ捕りにイタチが引っかかり

 今週の火曜日の夜に、書道会の会場としている2階の机の上に置かれた菓子が全部食べられ、私の書道用具も汚れていた事から、その後はネズミ用の粘着マットを置いてネズミが引っかかるのを期待していましたが…
 
 本日早朝に事務所から聞こえる物音で目覚め、扉を開けると「ガサ、ガサ」と何かが動いており、直感的にネズミと思ったことから、手に棒を持って印刷機の下を突っつくと、現れたのはネズミではなく、大きなイタチのような動物でした。
 
 棒で叩いて何とかなるネズミと違い、大きく長いイタチの登場ですが、粘着マットが尻尾にくっ付いており、さかんに暴れることから、このまま家の中に逃げ込まれては困ることから、入り口の扉を全開にして追い立てたところ、何とか事務所の外に逃げていきました。
 
 しかし、ホッとした瞬間に、呼吸もできないくらい臭い臭気が事務所に漂っており、今度は総ての窓や扉を全開にして、消臭と除菌のできる「ファブリーズ」を噴射したものの、臭いは消えることなく気分も悪く吐きそうになってきました。
 
 大型ストーブの灯油の臭いで消えないかと、扉や窓を全開にしたままスイッチを入れたものの、臭いは消えません。
 
 私の住む地域では田畑が多い事から、時には道路を横切るイタチを見る事はありますが、まさか我家の天井から登場するとは思ったこともなく、パソコンを開いてネットで検索したところ、最近では都会でもイタチが家や店舗の天井裏に住みついており、専門業者もあることと同時に、イタチはスカンクと同じくらい臭い臭気を発する事が判りました。
 
 
 本日は市議会の委員会が開催される事から、朝から事務所は無人となり、夕方まで帰ってこられない事から、私の不在時に訪問された人々にこの臭いを嗅かれたら信用すら無くすような悪臭に、家族が起きてくるまで扉を全開にして、大型ストーブを全開で廻す早朝になりました。
 
 そうしながら昨晩を回顧すると、深夜に相棒リマが事務所を向いて吠え続けていた事から、イタチは半日がかりで2階から階段を転げ落ち、事務所の中で粘着マットから逃れようと暴れていたと判りました。
 
 家族が起床し、イタチ騒動の顛末を話していると、数日前にネズミとは違う大きな音が天井から聞こえ、三男は地震と勘違いしたと話し、2階で食べられた菓子の量はネズミが一晩で食べられるような量ではないため、以前からイタチが住み着いていた事が考えられ、イタチはツガイで行動していることから、しばらくは観察が必要になりそうです。
 
 さて、議会中であり、委員会も開催されていますが、市民の方々にはそんな事情は関係がなく、午前中から電話が続き、訪問先でも電話で会話が途切れるような忙しさですが、家内からは娘の子供が体調不良との連絡が入り、福祉有償移送も人に代役をふれないような依頼のため、昨晩に予定していた忙しさの2人分の忙しさが襲う師走となってきました。
                               12月8日の一言

我家にミツバチが戻って来た事から

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 感度の悪い携帯電話カメラのために説明しても判りづらい写真ですが、我家の縁側の下に戻ってきた『ミツバチ』が出入りしている様子で、数年前まで何年間も巣を作っていましたが、昨日から久々の『里帰り』となりました。
 
 「お父さん、困ったことが起きたんだけど…」
 「また、何だ ! !
 「お父さんは嬉しいだろうけど…」
 「何事があったんだ ! !
 「ミツバチが戻ってきて巣を作っているの」
 
 私は議員になる前から、ミツバチを飼いたいと思っており、偶然にも議員になった直後にミツバチが我家の縁側に巣を作り、勝手に我家を棲家にしていましたが、近寄っても刺されるわけでもない事から、私は縁起物と考えていました。しかし、ミツバチの巣の前に洗濯物が干されており、ミツバチが持ち帰ってくる花粉によって白い衣類が黄色になる事から、家内にとっては宿敵となるわけでもあります。
 
イメージ 2 左に添付した写真のエアコンの屋外器の左が縁側の(蜂の)出入り口で、旧来の蜂の出入り口(上の写真)ですが、今回は右の板が立ててある場所からも出入りしている事から過去よりも大きい集団か、2組の巣が存在するのかも知れません。
 
 ミツバチは何もエサを与えなくても勝手に飛んでいって、花粉やハチミツを持ち帰ることから、私は資本もいらない孝行者の例として、「蜂を飼いたい」と口癖のように冗談で話していましたが、偶然にも平成13年の春に巣を作り、愛犬のモモ(初代)が巣の出入り口から出てくる蜂を食べていました。
 
 こんなことから我家の蜂は刺さない品種と思っていたくらい(現実は刺します)でおとなしく、家内の洗濯物以外には迷惑でもありませんが、問題は我家の縁の下で蓄積され取り出す方法のないハチミツの存在です。
 
 家内は殺虫剤で始末しようと言いますが、私はなんとか巣箱を購入して育て、ゆくゆくは「大鹿蜂蜜」として皆さんにお裾分けしたいと思っている事から、過去に調べていた関係者に連絡して、今回のミツバチは是非とも大鹿家の一員にして、春のアンズジャムとハチミツを我家の名物にしたいものです。
                               7月18日の一言

狭い道路に困るのは共通だが

 本日は自宅周辺の道路が狭く、自家用車の出し入れが不都合な事から、近くの交差点の角地の地主さんと交渉して、畑の土地の一部を売ってもらえるなら道路として行政が管理して欲しいとの相談者と共に市役所に同行しました。
 
 昔から先祖代々生活する農家の入り口は狭く、大型化した乗用車の進行が大変な家は多く、今回の相談者も自宅正面の道路が狭いため、裏の畑や田を埋めたてて駐車場にしてあるものの、家の新築に伴い表の道路を拡幅したいとの希望です。
 
 ただし、この方が地主さんから土地を買うことができても、市役所が土地代や道路整備に要する経費を出すことは難しく、自分で道路として側溝も整備して市へ寄贈すれば市の道路として管理されますが、その土地の登記費用も当事者負担となります。
 
 もっとも、たとえ畑と言えども土地を譲ってもらえる確率は低く、道路の狭さは地域全体の不都合となっているものの、自分の宅地や土地を提供してまで拡幅したい地主はおらず、「この際、いっそのこと裏の田や畑を宅地にしたら…」と私はひらめきましたが…
 
 我々の住んでいる地域のほとんどの田や畑は市街化調整区域に指定されており、自由に家を建てることが規制されており、今回は息子さんが家を新築したいとの話から、法律によって認められる「息子さんの新家」として宅地に転用しようとする案です。
 
 この案に対していずれは親から土地を相続する息子さんの意向は、宅地が広くなると税金(固定資産税)が高くなるため、現在の家を壊したあとに家を新築したいとの考えであり、道路として整備して市へ寄贈することも、田や畑を宅地にして家を建てる経済的メリットはありません。
 
市街化調整区域については下記を参考にしてください 
私の親の田(市街化調整区域)に家を新築予定です http://okwave.jp/qa/q5825112.html
 
 結局は不都合な道路環境のままで家を新築するしかありませんが、この町内はかつて行った大規模な土地改良(耕地整理)の際に、「道を広げると自分の土地が減る」と訴えた事から全体に道路幅が狭く、車がすれ違える場所はほとんどない事から、車社会となった現代の子孫達が不都合を被っています。
 
 さて、我家は津島市と名古屋市をつなぐ県道沿いにありますが、20年前には1坪50万円で売買された土地が現在は売りたくても買い手がなく、県道から外れる農地は坪3万円でも買い手がなく、1坪1万円で売買されていく悲しい現実があります。
 
 家を自由に建てられないばかりか、工場をやりたくても面積の規制があり、農業を考えている地主はほとんど無いにも関わらず、農協や農業団体によって農業用水のパイプラインが高額な国の税金を使って埋設され、最近では農業の後継者難から土地の集約化を呼びかけています。
 
 「狭い道で子孫が不都合を被っている」と前記しましたが、農村の土地改良によって整備された道路は、元から公共の用地ではなく、それぞれの農家が供出した田畑である事を考えると、先人に感謝して道路を通行する気持ちも忘れてはなりません。
                                  2月8日の一言

浄化槽の修理に立会い

 本日は寒さに身体が対応できず(ただのナマカワです)、コタツの中の一日となりましたが、故障した浄化槽の修理に立ち会い、浄化槽の構造や仕組みについて聞いた事から、浄化槽の耐用年数は半永久的ではないかと思うとともに、これでは下水道への転換も容易ではないと思いました。
 
 我家には定期的(2月、6月、10月)に浄化槽の点検業者が訪れており、ここに汲み取り業者の負担も考えると相当な金額になりますが、この検査を行っていない人も多く、「やっても、やらなくても変わらないよ」と言う人も存在します。
 
 最近になって、僅かではあるものの側溝内から異臭が漂う事があり、側溝内が満杯である事から、側溝の清掃や浄化方法を考えていましたが、浄化槽のポンプの不調が第一原因と判明し、修理を依頼してありました。
 
 我家の浄化槽は店舗があった事から大型の(15人槽?)浄化槽が入っており、家庭用の浄化槽と比較すると本格的にも思えますが、浄化槽は屋外に置かれた小さなポンプが動かしているだけで、浄化槽は阪神大震災程度の地震でも直撃しなければ壊れないとの話です。
 
 さて、私の住む地域では愛知県が主導する「下水道工事」が進められていますが、これまで家の溝から裏の水路、川に流していた生活廃水を、道路下に埋設された玄関前の下水道に転換するためには、大掛かりな宅内配管工事が必要となります。
 
 私の子供時代のように、スコップで地面に溝を掘れば済んだ作業も、現代では床下のコンクリートを剥がして配管しなおす作業が必要で、老朽化した我家では建て替えする時しか触れません。
 
 現実問題として、大きな敷地に大きな屋敷が建つ農家の中で、未だに水洗化がしていない国民年金しか収入のない独り暮らし老人に、後継者もないのに数百万円の受益者負担と配管工事を強制的に強いるのには無理があります。
 
 それにしても、水洗便所となっている家庭は下水道に強制されないのに、水洗化も図られていない高齢世帯には3年以内に強制的に下水道へ加入させる法律には疑問が捨てられません。集落排水の場合、「やるのが当り前」と近所から言われ、工事費を工面する農家を見ると現代のイジメとしか思えません。
                                 12月11日の一言

部屋にカンヅメで居住福祉を考える

 本日は横井庄一記念館の一日でしたので、パソコンを持ち込んでいたものの来客のために使用できず、天気の良さと清々しい外の風を感じながら、暗い館内で来客を待つ一日となりました。じっと待っている仕事は性格上無理があります。
 
 さて、前日の土曜日は「人にやさしい街づくり」で世話になっているNPO法人の総会と、「居住福祉と人にやさしいまちづくり」について、岡本祥浩中京大学教授の勉強会に参加してきました。
 
 過去に何度か講演を聞き、津島市で実施した「人にやさしい街づくり」の地域セミナーの講師をお願いした事から、歪になった私の頭の回路修正と復習のつもりで参加していましたが、居住福祉から教育に対する新鮮な話を耳にする事となりました。
 
 不登校や怠学(たいがく)だけでなく、仲間とともに非行に走る生徒の問題を地域で耳にする事も多く、学校の現場に足を運んだ事もありますが、教育現場で「家庭内の問題」として原因にもたどり着かぬまま終わってしまいます。
 
 家庭の問題となると、家族や家庭環境も判らないことから、そのままにされてしまいますが、家の建物やスペースが子供の成績や行動に影響する事から、家に住んだ時点で予想される問題だったのかも知れません。
 
 学校で問題とされる生徒について、素人考えでは単純に両親の仕事が子供の環境に大きく影響しているように考えてしまいますが、住んでいる家や部屋の影響は大きく、勉強のできない環境では成績も上がりません。
 
 子供では何ともしがたい建物ですので、場当たり的ではなく10年後や次世代までつながる住宅政策を基本に、国や行政が真剣に議論する事が不足しており、不動産屋任せとなっている現状の反省は重要です。
 
 最近は国が選挙目当てとなりそうな場当たり的な公約を出しますが、人々が無理のない経済的負担で、総ての人が利用できる居住空間を保障する事が重要で、この上に地域社会のコミュニティー力が発揮できれば…
 
 教育や学校問題を考える時、「道草をせずに早く帰りなさい」は共通でも、我々の子供時代は道草ができる環境があったものの、現代社会では道草どころか事故が事件に巻き込まれる可能性から、子供の生活環境は大きく変貌しています。
 
 住居の福祉面ばかりでなく、安全な道路空間についても考えてみたいと思います。
                                   5月30日の一言

意外な出会いに忙しさを忘れ

 本日は市内の社会福祉法人が新たに手がけた、ケアホームの竣工式に参加しました。ここでは知的障害を持つ若者7名がグループで生活する施設で、子供の行く末を心配するご両親にとっては朗報となるが、8人しか生活できない事と、毎日4.5人以上の介助職員を必要とする事から厳しい台所が続きそうでもある。

 さて、この施設を建設したのは地元の建設会社であるが、設計を担当したのが名古屋市の中村建築設計事務所で、法人から感謝状を受け取られた際に、我々に向かって愛知県の「人にやさしい街づくり条例」を紹介され、バリアフリーの先進的施設の建築に携われたことに感謝の言葉を述べられたのであった。

 愛知県にこの条例があることはあまり知られておらず、津島市にも条例が制定されているが、平成19年に制定されて10年が経過した事から、翌年から愛知県からの補助金が打ち切られ、それによって津島市の予算から項目自体が廃止されて、事業としては名前すら存在していない現状があります。

 ただし、津島市においても「人にやさしい街づくり事業」として愛知県の補助金によって、平成17年に名鉄津島駅にエレベーターとバリアフリー対応のトイレが完成しており、それ以外には条例本来の目的とする事業はほとんど進捗していないのに、条例だけ残して予算は途絶えてしまったのです。

平成17年10月2日の一言↓↓
http://www1.clovernet.ne.jp/oshika18/contents18.htm#17101

 当時の愛知県と津島市の事情を知る市長も引退し、無情にも予算すら無くなった事業の存在となっている中で、来賓に現市長も座る竣工式の場で、設計者にとってこの条例と目的がいかに重要で、設計者として素晴らしい仕事ができたと発言があったのであった。

 竣工式が済み、別のフロア-で簡単な懇親会があった事から、設計事務所の中村氏と歓談していると、意外な偶然と言うか、接点があることが判りびっくりさせられました。

 中村氏が関わった名古屋市守山区の施設建設には、三笠宮寛仁殿下が関わっておられたとの話に、昨年9月の出来事が思い浮かぶとともに、守山区との話に愛知県の人にやさしい街づくり連続講座の運営に関わる守山区の建築士の顔が浮かび、その場で電話して紹介するお人好しと化してしまいました。

昨年9月18日の一言↓↓
http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/41842619.html

 人との出会いは妙な因縁もあります。夕方訪問を受けた稲沢市の知人(徳島県出身)と、四国遍路の話題で盛り上がりましたが、3月議会が開催されていた事と、スケジュールに余裕がない中で、愛犬リマちゃんとの悲しい別れを惜しんでばかりの日々に、四国のお寺の名前や知人の名前が出てきません。

 これは認知症の予備軍を予想させられますが、最近は何か行動すると何かを忘れ、持ち物の置き忘れも多いことから、四国を忘れていた事より、物忘れの防止とメモ帳への記録は重要です。そういう間にカギもかけない車中にカードや現金の入ったカバンが忘れてあり、取りに走る深夜となりました。
                                 3月26日の一言

何でも屋の一日となった実感が

 本日は携帯電話を忘れたままに仕事に出かけた家内から「持ってきて」の電話をもらい、朝一番の仕事が家内へ携帯電話を届けるのが仕事となり、挙句に「遅かった」との苦言をもらい、「ウン?、?」と立場が逆になっているのを実感した。

 さて、帰宅後に歯をみがき、顔を洗いなおしていると水道から水が出てきません。ついでに頭も洗いたかったので「そのうちには」と思っているが、チョロ、チョロとしか水が出てきません。これは異常と思って、洗濯機や我家の他の水道が流しっ放しかと思って点検するも異常はなしと…

 それでは水道管が破裂でもして漏水でもしていないかと庭に出ても異常はなく、市役所に問い合わせようかと事務所に出ると、水道工事をしている看板と、太いパイプから大量の水が道路の側溝に流されているのが見えた。

 我家からは道路の向かい側になるが、200メートルほど離れた道路で工事が行なわれており、出向いてその旨を伝えると、「ウチでは無い」との返答で、呼ばれた責任者も「そっちは止めてないから」と言うものの、大量に放出されている水と、停まったままの我家の水が無関係とは思えず、「それならそれで良いヮ、今から市役所を呼ぶから」と帰ろうとすると、「市役所」の言葉が効いたか、態度を変えて我家までついて来てくれた。

 我家の出ない水道を確認後も、「こっちまでは停めてない」と言うものの、大量に放出する水を止めたら水道が出るために無関係ではなくなり、何とか水道はでるようになったものの、工事現場まで出向いて訴えても動こうとしない対応に、当方を市議会議員とは理解しない対応から、市民の皆さんはこんな思いをされているんだと改めて実感させられました。

 さて、こんな展開の最中に、隣の尼寺の住職が歩いて来た事から、「もしかして、水が出ないの?」と問いかけると、「違うヮー、カギがかかって家に入れないの」の一言が。

 入り口のカギが壊れて家に入れないばかりか、カギはねじ曲がってしまっており、万力とペンチで直すものの、私の指が悲鳴を上げ、入り口の戸板ごと外そうとしてあるものの、カギが完全に締まっており、潤滑油と工具まで持ち出しての作業となった。

 こんな時に頼りになるべき、ドアや扉も扱う住宅機器会社に勤める次男に電話するものの、音信普通のままで、自分の用事では必死にかけてくるくせにと、息子もあてにできずに手を真っ黒にしての救出劇となった。

 こんな事は珍しいが、何事もなく静かに思える地域の中でも、様々な出来事が起こっており、業者に依頼するほどでもない困り事が多い。半月前の話となるが、部屋の中に出現した蛇(ヘビ)の捕獲に消防車が出動した。「消防署はヘビも捕まえてくれるのか」の皮肉の一言に、「(火災中は別だが)頼まれたら断れないでしょう」の一言が返ってきた。
                             10月23日の一言

夢と理想と現実の狭間で

 風邪は治ったように思えるが、頭痛が繰り返すのは未だ完全には治まっていないのに、外見からは理解されず、午後には家内に「せっかくの連休なのに」と引っ張り出され、気力を振り絞って外出するかわりに私の行きつけの場所に車を走らせた。

 久々と言っても3日ぶりの外出であるが、体調が不完全なために寒暖の感覚が判らず、上着を羽織れば汗が噴出しそうな気配に、上着を脱げば寒風が身体にしみ、「陽射しが暑い」と言う家内の言葉が体感できないままに、最後は頭痛の限界から薬のお厄介になった。

 土曜日の朝日新聞土曜版に『二地域居住』が特集されていた。田舎暮らしにあこがれるが、完全に踏み切れない人々に、都市と地方の双方に生活の場を持つ生活への関心が高まっているという。

 さて、都市でもなく、田舎でもない中途半端な地域に住んでいると、田舎の農村風景にも憧れはなく、むしろ都会の駅裏の四畳半にも憧れるが、別荘や山荘を持った知人達の多くが、諸事情によってほとんど放置状態になっている現実が頭をよぎる。

 私の場合は「上高地」が外せないので飛騨高山(旧丹生川村)か木曽路が第一候補となり、かつては実際に候補地探しに走った事もある。夏に涼しい事と、冬にも温泉とスキー場が近い事を条件に探してみると、空家も多く簡単に手が届きそうでもある。

 しかし、実践した人の事例では冬の除雪に100万円以上必要との話や、管理費や交通事情など思っていた理想とは違った現実を耳にする。特集では、ツーリズムマーケティング研究所の研究員の、「週末ショップにも可能性」との記事もあるが、よほどの覚悟が必要である。

 テレビ東京の系列局を通して、田舎暮らしや旅番組が放映されてくるが、その気になれば田んぼや畑はあるし、無農薬の野菜作りもできる環境に住んでいる事から、明日からでも実践できるわけであるが、庭が雑木林になっている現状では、庭の高木にハシゴをかけ枝打ちする事に家内の期待が寄せられている。

 「危ないから専門家に」と親族に言われたが、専門家に任せると両目が飛び出す費用が必要となり、我家を維持していく経費だけでも切り詰めれば二地域居住が可能となりそうでもある。
                             10月13日の一言

元旦から掃除はダメと知らされて…

イメージ 1

 1月3日は毎年新年交歓会を事務所の2階で開催していたが、この会で落語を披露してくれていた『浪漫亭砂九』さんが、平成18年11月に交通事故で亡くなった事から、昨年から中止としてこの気持ちを引きずったまま今年に至っているのである。

 本来であれば、大晦日に京都で買い込んできた日本酒を開けて、賑やかな一日になっていたのかもしれないが、砂九さんばかりでなく亡くなった人々の顔を思い浮かべると、とてもそんな気持ちにもなれずに、「来年は再開します」と言っていたものの静かな一日としてしまった次第である。

 先日山積みされた写真を移動する際に、浪漫亭砂九さんの落語中の写真も次々と発見され、懐かしさと同時に今でも声が聞こえそうな気がしてならず、いまだに砂九さんのホームページの掲示板にはファンの声が届けられている事から、しばらくは生きているものと勝手に解釈し、砂九さん不在の落語は封印を続けたい。

浪漫亭砂九さんのHP (掲示板以外は18年11月のままである)
http://www.clovernet.ne.jp/~sunamaru/

 上に添付した写真は平成16年の姿で、下の写真は1月3日に私の2階の事務所で落語中の砂九さんである。こうして過去ばかりに気持ちが戻ってしまうのが私の欠点らしく、砂九さんのホームページの「周りの人々」の中に、3人のマネージャーの1人として私の名前がある事から、過去の足跡に目がいってしまうのでもある。

 「あんたは後ろばかり見て暗いなァ…(笑)そんなんでよく議員が務まるわァ」と、悲しみを隠して強気で語っているのが、砂九さんのマネージャーで総合プロデューサーと記している兄貴分の茜屋のマスターの口癖である。

 彼は「大鹿寄席」として勉強会と称して一番多くの回数を通ってくれたが、彼が私から手にするものは何もなく、唯一の報酬にあたるのが1月3日の落語の後に手渡す日本酒1本だったのである。そんなバカなと思われるかもしれないが、彼は私から交通費すら受け取らずに無償で出演を続けてくれ、私は1年に一度だけ手渡す日本酒1本を買うために大晦日の京都行きを続けていたのでもある。
 
 こんな心境の時に年末に亡くなったばかりで、私の兄貴分とも言うべきHさんの奥さんの訪問を受けた。悲しんでばかりはいられない。「さあー、頑張ろう」と旅行友の会の会報を印刷したが、今年も私には福の神はこないらしい。元旦より掃除をすると福の神を追い出すと夜のテレビで語られていた。忙しさから年末には何もできず、元旦から少しずつ事務所を片付けている有様であるが、貧乏神にも出ていってもらいたい心境の一日となった。
                                       1月3日の一言

朝日旅行友の会の会報 http://www.kuronowish.com/~oshika18/newpage110.htm

仕事をする前に仕事が必要になった…

 本日で市役所も御用納めとなったが、最終日まで市役所や文化会館、保健センター、市民病院と市内の施設を走りまわる一日となった。

 「お呼び出しいたします。名古屋ナンバー〇〇〇のお車でお越しの…」病院のアナウンスの声に、裏側の通用口に車を止めた事から、アナウンスばかりか病院職員からも携帯電話に連絡をもらって走ると、トラックが荷物を降ろしていた。

 「邪魔して申し訳ありません」と丁寧に謝って走ると、「おうーッ、邪魔だぞー」と言葉から怒りが伝わってきた。しかし、邪魔とは言え車を停めて荷物が降ろされており、「いったい何所が邪魔なのか」と言いたい状況からの言葉だけに、役務的に連絡され、奥には他の車も堂々と置かれている事から「こっちも病院に仕事で来ているんだぞッ」と言いたい心境を封印したが、乱暴な言葉がいかに反感を生むのかを実感しての帰路となった。

 ここで言葉だけでも「ハイ、ハイ」と言われれば、素直に「すいません」の言葉になったと思われる事から、売り言葉に買い言葉を実感した。悪いと思っていても、相手の言葉によっては「何だッ、その言葉はッ」と逆切れとなる事から自身の反省材料にもしたい。

 今年から指定管理者に委託された公の施設で、「大鹿議員ですね」と問われた。指定管理者になった事から市役所の職員が不在で、誰も知らないと思っていただけに意外な呼び掛けで、しかも本日訪問した用事が既に他の施設から伝わっており、これは市の職員よりも民間人の方がサービス精神が旺盛な事も実感した。

 さて、年末年始を控えているが、事務所のど真ん中には会報を印刷する用紙が高々と山積みされており、事務所の整理をしないと仕事もできない展開に、1階にあった撮りだめた写真を2階に上げていると、20年分の歴史がひろがり整理に数日かかるどころか、一枚一枚を確認していくとキリがない展開に墓穴をほった一日となったようでもある。
                                12月28日の一言

一度は好きなようにさせないと…

 本日は、空白の一日と言うか、来客はあったものの、市役所には家内が代理で用件を済ませたため、歯医者に通っただけの珍しくヒマな一日となってしまった。

 予定していた仕事はあったものの、肝心の相手が現れず、歯医者の終った後で電話すると、カゼをひいて寝ていたとの事であった。「それでも、せっかくだから…」と珈琲屋に出向く事になり、健康を意識して自転車で出向いて帰宅した。

 そんな事から、自分の体験を通じての記載は何もない訳ですが、今月よりアパートを借りた次男がこまめに荷物を持ち出す姿に、子離れができない自分を実感するものの、一抹の淋しさと今後の展開を考えさせられている。

 普通に考えれば長男が後を継ぐのが自然であるが、婚約している相手が外国人であるために、生活習慣の違いを考慮して一度は家を出る予定になっており、そのまま帰ってこないと4人も子供があっても三男しか残されない可能性が高くなっている。

 親としては矛盾だが、長男と次男の時と違い、その三男には自分のやりたい事を好きなようにやらせてやりたいと思っており、子供全員が出て行く可能性も現実的な気配になってきた。
 今まで8人の大家族であったものが、娘は別としても次男の引っ越しから、一度に半減し、近い将来は親だけになっているかもしれないのである。

 「一度は好きなようにさせないと…」と家内は言うが、そのままとなった場合に我家の将来はどうなるのか…。今さら田んぼを耕作せよとは言わないが、家や田畑は引き継いでもらわないと我家の歴史が止まってしまう。

 私の希望は長男が家を引き継ぎ、次男と三男の新家をトナリ同士に建て、私は二人の家の真ん中に部屋を建てて隠居生活を送りたいと考えていた。こんな事は有り得ないとしても、長男はアメリカ人と婚約しており、我家の将来に暗雲立ち込めるような気持ちで次男の引っ越しを連日眺めている。もっとも、引っ越したと言っても、毎日夕食は我家に戻ってくる約束ではあるが…。「じゃー、引っ越すなよ」と言っても無視である。
                               5月7日の一言

国際結婚、昨晩のつづき…

 「大鹿さん、息子さんの彼女ですか?」、「ハイ、近々結婚の予定ですのでよろしく」、「それはそれは、おめでとうございます」、「一緒になってからが大変だと思いますけど」、「今はそんな時代ではないから大丈夫ですよ」との会話は、向かいの焼肉店での昨晩のやりとりである。

 国際結婚が増加したと言っても、町内で外国人のお嫁さんを迎えた家はなく、本人達だけでなく、子供でもできれば学校でのイジメも心配になってくる。
 「ウチの娘達は大変でしたよ」、「えっ?」、「学校でイジメられたり、通学中に朝鮮人と言って石を投げつけられたり」と焼肉店の娘さん達の学校時代の話となった。隣に住んでいても、当事者しか判らない事件が起こっていたのである。

 顔や姿に違いがない在日の子供でさえ、そんなイジメを受けていたと聞くと、白人とのハーフとなる私の未来の孫達はどうなるのか余計に心配となってくる。「今はいくらでも外国人がいるから大丈夫ですよ」と言われても、この点だけが心配の尽きない問題で、市内でも環境に馴染めず転居していった前例も多い。

 そんな心配の多い国際結婚であるが、長男が学生時代から付き合ってきた相手であり、大学留学後には長男を頼って名古屋に就職していた経緯があり、昨日も一人で飛行機に乗りロサンゼルスからやって来たのである。幸いに家内も母親にも、もちろん偏屈な私にも違和感のない出会いとなり、暗い話題が続いた我家に新しい風をもたらしてくれた感があった。

 さて、来日予定の4月までに、近所にアパートを見つけなければならない。私は同居でよいし、本人も我家で良いと言ってくれているようだが、家内も母親も「最初はアパートで」と頑固である。後々「うまくいかなかったから出ていった」と言われるより、最初は別々で後で一緒になった方が良いと言う。私は逆に「最初から一緒に出来ないのに後では出来ない」と思うのである。

 日本人の子供達でも両親と同居しない世情の中で、我家の10年後、20年後はどうなっているのだろうか。長男の買ってきたアパート情報誌を見ている次男の姿をみつけ、「アパートに行くよりタダの我家の方が良いぞ」との言葉をかけずにはいられなかった。
                                   2月22日の一言

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