大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

俳優、女優

高野山 あゝ同期の桜の塔と鶴田浩二さんのお墓

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海軍第十四期会海軍飛行予備学生 あゝ同期の桜慰霊碑
                                              昨日の写真です
 
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高野山奥の院参道入り口 一の橋
 
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一の橋左側
 
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散る桜 残る桜も 散る桜
慰霊碑の説明文
 
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慰霊碑の右奥に鶴田浩二さんのお墓が
 
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鶴田浩二さんのお墓です
 
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鶴峰院栄誉誠純悟道大居士
 
 高野山奥の院参道入り口となる一の橋を渡り、左側を見ると白い大きな塔が見えますが、それは昭和18年学徒出陣で出征した第十四期海軍飛行予備学生の慰霊碑「あゝ同期の桜の塔」です。
 
 この塔は昭和42年に大圓院墓地内へ建立されていますが、毎年9月第二日曜日に慰霊祭が開催され、俳優の鶴田浩二さんは亡くなられた(昭和62年)前年まで、自前で演奏するバンドの仲間を引き連れて毎年欠かさず出席しておられました。
 
 かつて右翼の街宣車が、鶴田浩二さんの唄う軍歌を大音響で流して走っていたことと、多くの戦争映画に出演されていたことから、華々しい映画スター鶴田さんを右翼の軍国主義者のように勘違いされている人も存在しますが、実際には多くの仲間を見送った戦争体験から、多くの資財を提供して遺骨収集を支援し、亡くなった戦友の慰霊を続けられていました。
 
 私にとっては、映画スターとしても、唄の歌い手としても、その生き様を尊敬する人物で、周りに厳しい不条理と思える一面も残されていますが、できれば生前の鶴田さんに直立不動のままに嫌な説教をしてもらいたかったと思いますが…
 
 平成13年から四国遍路を始め、御礼参りに必ず立ち寄る高野山に鶴田さんのお墓が存在することを知ってから、私は必ず墓前で手を合わせることにしており、「何で、お前みたいなヤツが、俺の前に来るんだ」と言われそうですが、生前の鶴田さんに叱られないことと、悲惨な戦争によって多くの学生や若者が死んでいったことを忘れないためにも、寿命が尽きるまで墓前を訪れたいと思っています。
 
 安倍政権になってから、戦前の思想を美化するような動きと、自国防衛のために軍備を拡張して、いずれは若者が戦争現場に立たされるような可能性に、高所から戦争を指揮する視線ではなく、鶴田さんの戦争体験からくる苦言を聞いてみたいものです。
 
 その鶴田さんのエピソードについて、生前親しくしておられた後輩の杉井輝応さんの記された「鶴田浩二」の一文を紹介したいと思います。
 
 昭和天皇から、天皇陛下が主宰する園遊会に出席してほしい、という招待状が届いた。
「俺は行かない」
「天皇陛下から『おまえたちは、よくやってくれた。どうもありがとう』と一言、言ってやってほしいのだ」
「僕にじゃないよ。もう帰らない奴にだよ。言葉も出ない奴にだよ」
「それがあれば、成仏はできないまでも、ある程度、納得できるんじゃないかと思うんだよ」
「先に死んだやつのことを考えてやらんと可哀相でね」
 そして、
「たった一言でいいから『すまなかった』と言ってやってほしい」
「その一言がない限り、俺は園遊会には行かない」
 
 私は高野山の鶴田さんの墓前で、「私に何か言いつけてください」、「私を何かお役に立たせてください」と、身勝手な話をしていますが、私にとっては弘法大師の「十善戒」と同じような人生の師として手を合わせて、私自身の反省の場にもしています。
 
 今月は、昨日に続いて、6月にも訪れる機会があり、上高地一辺倒だった昨年とは違う一年がスタートした思いを実感させられました。
 
             本日の体重 72、9キロ 徒歩数 3109歩 間食あり
                                       4月2日の一言
 

松方弘樹さんの訃報を聞いて…

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今週発売された週刊現代に「がんばれ、松方弘樹」の記事が…

 昨日立ち寄った珈琲屋で、週刊現代に掲載された「がんばれ、松方弘樹」の記事を読み、難病で苦しむ最後の映画スターの様子と、復活を願う仲間やファンだけでなく、編集者にも愛されていた松方さんの復帰に期待して帰宅した直後に、テレビ画面から訃報が流されてきました。


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今週の週刊現代

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23日の新聞広告

 偶然にもその日に読んだ松方弘樹さんの再起に期待する記事の直後に、訃報が伝わってきたことにも驚きましたが、すでに21日に亡くなっておられたことにびっくりさせられました。

 週刊現代の記事には、最後の映画スターとして、映画関係者や出会った人を引き連れて飲み歩く豪遊や、石垣島での大型マグロを釣り上げた話などが紹介され、映画スターとして得た利益を惜しげもなく人との交遊に使って誰にも愛されたエピソードが記されていました。

 さて、松方さんの訃報について、私はご本人が亡くなられたことと同時に、私が大好きな鶴田浩二さんを「おっさん」と呼んで、嬉しそうに語られるだけでなく、その笑顔もそっくりだった人物が消えてしまったことにも寂しさを隠せません。

GREE 松方弘樹 2011/11/11

 鶴田さんが亡くなってから制作された追悼番組だけでなく、何度もテレビ番組の中で鶴田さんの思い出を語り、5年前の自身のブログにも鶴田さんの思い出を記されており、上に添付しましたが、鶴田さんとのエピソードを語れる貴重な存在でもありました。

 最新記事が2013年6月に途絶えていることと、津島市に住む私の同級生に、松方さんと一緒に石垣島でマグロを釣りに同行していた知人がおり、彼の心境を考えるとともに、74歳という享年が、我々にも10年後に迫ってくる現実も実感させられました。

 この週刊現代には、昭和47年1月24日にグアム島から発見された「横井庄一」さんの記事も掲載されており、本日が発見された当日にあたることを再認識させられました。今度の日曜日に「横井庄一記念館」の今後の継承について、館長の横井夫人と相談する約束になっていますが、横井さんは亡くなって20年が経過しており、経過した年月が存在を風化させていく現実も感じさせられます。

           本日の体重 72、5キロ 徒歩数 3749歩 間食あり
                                    1月24日の一言

昔からの仲間と小料理屋へ


 本日は、一緒に行動した知人(同級生で、少年時代の非行仲間)と別れ際に、「珈琲屋に行こうか」と誘われ、夕方には歯医者の予約がしてあり、月曜日はウォーキングもノルマにしていたことから固辞していたものの、「歯医者を待っていてくれれば…」の一言が予定を大幅に変えることになりました。

 一日のうちで絶対に自由となる午後5時頃の約束をすることが多く、珈琲屋までのウォーキングも週3回はノルマとしており、最近は歯痛についても定期的に午後5時頃の予約を入れており、ここに人の誘いを受けると自由時間が一番忙しくなり、知人と珈琲屋で雑談し、還暦を過ぎた非行少年の悲哀を感じていると…

 「おい、今から飲みに行こうか」
 「今から?」
 「○○は従兄弟がやっているんだ」
 「歯が痛いからなァ」
 「オレだって歯は痛いわァ」
 「仕事場はどうするんだ?」
 「放かっておけば良い」
 「ウーン」

 私は議員になる前は連日飲み歩いていたものの、議員になってからは知らない人が話しかけてくることから、外では飲まないようにしてきましたが、危ない少年時代を共有した仲間の誘いは久しぶりのため、本日は「鶴田浩二さん」になったつもりで、「高倉健さん」役の知人と酒を酌み交わしました。

 もっとも、私は一昨年夏よりビールを赤ワインに変えており、居酒屋では日本酒の冷酒しか飲みませんが、私が車を自宅に置いてから訪れると、知人はビールを飲んでおり、久々のビールはトイレが近くなり、ここでも年齢を感じさせられます。

 戦争体験のある人には「同期の桜」とか「戦友」と言うものがありましたが、私たちも非行に走っていた暗黒の少年時代があり、私は足の怪我による入院で留年して非行に走り、知人も真っ直ぐ前を向いて歩くタイプゆえに脱線し、私は2年目も落第が決まり退学同然の問題児でしたが、知人は学校を退学して姿を消しました。

 もっとも、私は退学扱いとなり学校から名前が消えた時に、一生の恩人となる恩師と出会い、「ボクのクラスで一からやり直してみないか」と言われ、成人式を過ぎてから卒業を待っていると、「絶対に大学に行くべきだ」と電話があり、この恩師のお陰で勉強はしていないものの大学に通い、大学時代に朝日新聞社からスカウトされました。

 そして、40年を過ぎて再会し、人には言えないような不良時代の昔話をしていると、不良のままに裏家業に行っていても不思議ではありませんが、知人も高校中退ながら一国一城の事業主となっていることから、挫折を味わった懐かしい話を酒の肴にしておれます。

 さて、一年前のブログには、157円のチョコを万引きして逮捕された67歳の新聞記事を添付して記してありますが、知人の父親も62歳で他界し、私の父親も65歳で亡くなっていることから、再会した元非行少年の我々は何歳まで生きられるかも酒の肴となりました。


 いまさら「鶴田浩二さん」のように、着物を着込んで居酒屋や小料理屋に行くことはありませんが、久しぶりに旨い酒と、旬の料理に舌鼓を打ち、我家で食べ過ぎてしまう飲食とは違う、「人に良いと書く」食の魅力も感ずる夜となりました。

         本日の体重 70、2キロ 徒歩数 2004歩 間食チョコあり
                                     2月15日の一言

昭和名作シネマ上映会のため岐阜市へ

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岐阜市の映画館 ロイヤル劇場の受付と通路です
 
 昨日の一言に記した『鶴田浩二』さんをネット検索したところ、本日より25日まで岐阜市の映画館で、鶴田さんが主演した「湯島の白梅」が上映されることが判り、劇場のスクリーンで鑑賞できる機会は少ないと思い家内と一緒に出向きました。
 
イメージ 3 「明日にしたら…」
 「明日のことは判らないから」
 「明日なら一緒に行けるんだけど…」
 「一緒だと恥ずかしいぞっ」
 「泣ける映画なの?」
 
勝幡駅(愛西市)12時16分…須ヶ口…岐阜駅13時03分…徒歩(約20分)…ロイヤル劇場へ
 
イメージ 2 久しぶりの電車ですが、家を12時過ぎに出発して、1時間で岐阜に到着したことにびっくりで、車人間のため高校1年生の時以来の電車による岐阜行きとなり、空は鉛色でしたが幸いなことに岐阜市にはアーケードの屋根がありました。
 
 ロイヤル劇場は岐阜駅から近く、美川憲一さんの歌で有名な柳ヶ瀬(やながせ)商店街にあり、閉店された店が目立つものの、おしゃれなお店も多く、家内は映画よりもショッピングに興味があり、映画の開演を待つ前に帽子を購入してきました。
 
 さて、ロイヤル劇場では、昭和名作シネマ上映会が続けられており、今回の「湯島の白梅」については、「春高楼の花の宴」が上映予定だったものの、フィルムに不具合があったことから急遽変更されて上映されることになったようです。
 
イメージ 4 私にとっては偶然とは言え、鶴田浩二(さん)主演の映画を映画館で鑑賞できることとなり、今月の26日から8月1日にも鶴田浩二(さん)主演の「人生劇場・飛車角と吉良常」が上映されるため、今月末にも再度訪れることになりそうです。
 
 湯島の白梅については、「おツタ、別れてくれ」のセリフで有名な泉鏡花による婦系図の映画化で、鶴田浩二さんと言えば戦争映画や任侠映画が有名ですが、今回共演した山本富士子さんだけでなく、岸恵子さん、嵯峨三智子さんなどと、青春ロマンの二枚目スターとして多くの映画に出演しています。
 
 映画の内容については、下記のネット情報を参照して下さい。
 
 
 
 
イメージ 5 「さあ、行きましょう」
 「うん、ちょっと待ってくれ」
 「 … … … 」
 「悲しい映画だったな」
 「最後はねぇ」
 「涙が止まらなかった」
 「最後はねぇ…」
 「俺なんか途中からずっと涙が止  まらなかった」
 「うそでしょう」
 
 今では職業の上下もなくなり、男女の関係も対等になってきましたが、当時は教師と芸者が付き合うことも許されず、恩師の発言にそむくこともできず、好きな男性のために我慢をし続け、最後には病気で亡くなってしまうという悲しみだけを残して映画は終わりました。
 
 さて、意外だったことは、斜陽と言われる邦画と映画館ですが、高齢者ばかりではありますが予想よりも多くの観客があったことと、私と同じ「鶴田浩二ファン」が遠くから映画館に足を運んでいたことです。
 
 ちなみに、入場料は500円で、入れ替えなしで一日中見ていても良いとの話に、入場者は高齢だけでなく、車イスの人も存在したものの、介護施設で「お遊び」をしている人々よりも元気で、昔の映画と出演する俳優は認知症対策にもなるだけに大いに活用していくべきだと思います。
 
 岐阜県では羽島市歴史民族資料館に映画資料館も存在し、毎月「映画のつどい」が上映されており、ロイヤル劇場とあわせて足を運びたい施設が存在することをうらやましく思って帰宅しました。
 
鶴田浩二出演映画リスト http://movie.walkerplus.com/person/81225/
 
                          本日の体重 79,9キロ
                                    7月19日の一言

「岡山の熱血おじさん」の記事の転載です

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 この写真は、私がお気に入り登録している「岡山の熱血おじさん」に添付された『一枚の写真は語る』に引用されていた写真ですが、本日の一言は熱血おじさんこと「安東壯文」さんの書き込みを転載することしか思いつきません。
 
1945(昭和20)年8月 長崎。
 
原爆投下の被爆地
 
10歳くらいの少年が、背中に弟か妹を背負って、臨時の特設火葬場に現れた。
 
原爆でやられたのかもしれない。
 
弟(妹)の死体を荼毘(だび)に付してもらうために順番を待っていた。
 
学校教育の教練で習った通りの直立不動の姿勢で。
 
レンズを向けたのは、米海兵隊カメラマンのショー・オダネル軍曹。
【ショー・オダネル軍曹の話】
「少年は重大な目的を持ってこの焼き場にやってきたと感じられた。
しかも裸足。焼き場のふちまで来ると、硬い表情で目を凝らして立ち尽くしています。
背中の赤ん坊はぐっすり眠っているのか、首を後ろにのけぞらせたまま。
少年は焼き場のふちに5分か10分も立っていたのでしょうか。
(火葬場の)白いマスクの男たちがおもむろに近づき、背中の赤ん坊を受け取り、焼き場の熱い灰の上に横たえた。
まず幼い肉体が火に溶けるジューという音がしました。
それからまばゆい程の炎がさっと舞い立ちました。
真っ赤な夕日のような炎は、直立不動の少年のまだあどけない頬を赤く照らしました。
その時です。炎を食い入るように見つめる少年の唇に血がにじんでいるのに気づいた。
あまりキツくかみ締めているため下唇に赤くにじんでいました。
夕日のような炎が静まると、少年はくるりときびすを返し、沈黙のまま焼き場を去って行きました…」
 
一枚の写真は語る 岡山の熱血おじさん
 
「焼き場に立つ少年」 YouTubeから引用
 
 私の生まれるわずか8年前の写真ですが、わずか8年前にはこんな無残な環境が存在していたことと、兄に背負われた弟か妹と思われる幼子が、名前を確認されることもなく火葬場で焼かれたことに、何度繰り返して見ても涙が止まることはありません。
 
 愛犬が死んでも葬式をあげて深い悲しみに包まれる現代社会を考えると、写真の少年のように悲しみを堪えて、歯を食いしばって弟や妹が焼かれるのを見て、無言で立ち去ることは脅威で、地獄のような戦争の悲惨さとともに、簡単に戦争の是非を語る国会論議についても、人の命に関わる重大な問題が認識されているか疑問になってきます。
 
 昭和47年にグアム島で発見された旧日本兵「横井庄一」さんが、私の血縁者と言うだけでなく、幼少時には我家で生活していた「大鹿庄一」と判ってから、私は多くの資料を集める中で、旧日本軍海軍予備学生として多くの仲間を見送った「鶴田浩二」さんの言葉にも心酔するようになりました。
 
 戦争体験の無い私が、「伯父の遺骨さえ帰ってきていない」とか、「伯父の魂が靖国神社にあるはずが無い」と発言するよりも、事実を示す写真や映像は雄弁で、想像や持論で戦争を語る前に、多くの命が物のように葬られた事実を忘れてはなりません。
 
 戦争に関する映画についても、戦争体験の無い俳優や監督の推測する映像より、体験に基づく表現や演技には真実味があり、「鶴田浩二」を検索すると、我家から近い岐阜市で鶴田浩二さんが主演する映画が上映されていました。
 
昭和名作映画専門上映館 岐阜ロイヤル劇場
 
岐阜市の名画座 ロイヤル劇場  http://blog.pmoon.co.jp/royal/
 
 いずれもビデオテープでは保存していますが、大きな劇場で「鶴田浩二」さんを見る機会は稀なため、何とか足を運ぶとともに、最近著作権の侵害を意識して記していない「鶴田浩二」さんについても記していきたいと思う一日となりました。
 
私の鶴田浩二さんに関する過去の一言 http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/folder/998529.html
 
                         本日の私の体重 80,1キロ
                                      7月18日の一言

岡崎市出身の俳優 杉浦直樹さん

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 先日車検を受けたばかりの車の前面に、「車 高価買取ります」の広告が貼られており、「この車を売る予定があるのでしたら、ぜひこちらの方で買取り致しますので…」と記されているものの、どう見ても27年目を迎えた私の車ライトエースを廃車することに期待したチラシとしか思えません。
 
 近くに置かれたキャラバンや周りの車には貼られていませんし、見ただけで年代物と判る我が愛車のために、「廃車手続き無料です」と記したチラシを、わざわざ車を停めて貼っていったのでしょうから有難く拝見したもののまだまだ頑張ります。
 
 「今なにをしているんだ?」
 「何もしていない」
 「迎えに行ってやろうか?」
 「もしかして、あの車?」
 
 保育園を休んだ孫と暇をもてあます娘との会話ですが、私の車が年代物のため、買い物に行っても乗せてもらってきた事が恥ずかしいとの話をした直後に、こんなチラシが貼られていたことから、なるほどと実感する一日ともなりました。
 
 昨日の話となりますが、戦争映画DVDの創刊号に鶴田浩二さんが出演する連合艦隊のDVDが付いているため書店を訪れると売り切れとなっており、四国八十八ヶ所お遍路入門の保存版と記された「一個人」を買い求めてきました。
 
 「また買ってきたの?」
 「新しいのが出たから」
 「もう、たくさんあるでしょう」
 「今度は新曲だから」
 「なんで新曲があるの?」
 
 こんな繰り返しで、鶴田浩二さんの新しい作品を買い求めてきましたが、家内の言うように鶴田さんは昭和62年に亡くなっており、新曲がでるはずもないものの、それでも買ってきてしまう癖が、今度は四国遍路の冊子や真言密教に関する冊子になってきました。
 
 さて、鶴田浩二さんが主演した最後の作品が「シャツの店」で、山田太一さんの脚本で1986年にNHKドラマ人間模様で放送された作品です。
 
 オーダーメイドのシャツを仕立てる職人役が鶴田さんで、頑固な主人に耐え切れずに出て行った妻(八千草薫)と、夫婦仲をとりもとうとする弟子や息子たちとの家族の葛藤を描いたドラマで、頑固で亭主関白の主人公を演じながら、鶴田さんとしてはちょっとかっこ悪い役柄でしたが、同じく山田太一さんの作品「男たちの旅路」でも共通する人間の弱さを見事に演じきったドラマとなりました。
キャスト
磯島周吉:鶴田浩二 ・磯島由子:八千草薫 ・里見昭夫:平田満 ・磯島秀一:佐藤浩市
       ・村川知子:美保純 ・村川重彦:杉浦直樹 ・宇本賢次:井川比佐志
 
 本日は、主人公の息子の彼女役だった美保純さんの父親役を務めた杉浦直樹さんについて添付しておきたいと思います。
 
イメージ 2 ドラマでは破天荒な娘に、顔をゆがめた磯島周吉役の鶴田さんでしたが、この娘の父親役として何度も磯島家や居酒屋に訪れ、若い娘を持つ父親として娘の無礼な行動を謝りながらも、娘のために身体を張る場面もあり、同じ親の立場で鶴田さんと飲み語る姿が忘れられません。
 
 杉浦さんは1931年(昭和6年)に愛知県岡崎市に生まれ、2011年(平成23年)9月に亡くなられているが、26歳で結婚したものの13年後に離婚し、「役者は生活のにおいを出してはいけない」と一人でホテル住まいを続け、ゆえに家を持たず、結婚自体も否定して生涯独身を貫くとまで話して役者一筋の生活を貫いていたといいます。
 
「独身」杉浦直樹さん 妻に看取られ逝く
 
 演技に生活臭がでるのを嫌い、脳梗塞で倒れるまでは都内の一流ホテルで生活していたとの話や、酒豪・愛煙家であり、日本酒一升は軽く、タバコは両切りピースを好んでいたとの話は、酒とタバコと縁の切れなかった鶴田さんと共通ですが、脳梗塞で倒れてからは看病で付き添っていた仁美さんと夫婦になり、再起を目指してリハビリに努めていたものの志は果たせませんでした。
 
 鶴田浩二さんは昭和62年に亡くなっていますが、シャツの店で妻役を演じた八千草薫さんと杉浦さんが代表作となる「岸辺のアルバム」で夫婦役を演じていることから、鶴田さんにあと10年の命があったなら、山田太一さんの脚本で、名脇役だった杉浦さんともコミカルなドラマが展開されたと想像されてなりません。
 
 テレビの毒舌で有名な俳優の坂上忍さんは、自分のブログの中で「杉浦直樹先輩」と題して、一度だけ共演したドラマの中で、杉浦さんに演技上の苦言を受けたことを記し、「見て見ぬ振りが当たり前の世の中で、【許せないモノは許せない】、【おかしいモノはおかしい】と言ってくれる先輩は、今となっては財産でございます」と書き残しています。
坂上忍オフイシャルブログ 2011年9月23日
 
 高価買取のチラシを貼られた27歳の愛車は勿論ですが、還暦を迎えた私の残された人生も残り少なくなっており、鶴田浩二さんや杉浦直樹さんのように、鬼籍に入ってからも語り継がれる存在を目指したいと思います。
 
この一言の満10年までのカウントダウン、あと15日
                                   1月28日の一言 

永遠に鶴田浩二さんとともに

 愛知県ではテレビ愛知で放映されていますが、テレビ東京の番組で「木曜8時のコンサート2時間スペシャル」が今夜放送され、小林旭さんや西郷輝彦さんの懐かしい歌声を聞きながら久しぶりにのんびりとしていました。
 
 しかし、画面に作詞・宮川哲夫、作曲・吉田正のテロップとともに、「街のサンドイッチマン」の曲名が紹介され、タンタン、タララララ、ララララララララ、タンタン、タラ…と懐かしい演奏が始まったまでは良かったものの…
 
 「お父さん、良かったねー」
 「なァに、がー」
 「歌ってもらって」
 「何を言っとるんだー×××」
 
 歌うのは私が生涯のファンとなる「鶴田浩二」さんではなく、渥美二郎なる演歌歌手ではないか。私の生まれた昭和28年に発売された曲ではあるが、この歌を歌うことを作曲者の吉田正さんはどう思い、何よりも鶴田浩二さんはどう思うのか。難しい著作権とか、法律は許しても、似ても似つかぬイメージで歌われては鶴田浩二さんのために作られた曲ではなくなってしまうではないか。
 
街のサンドイッチマン http://www.youtube.com/watch?v=p_Pc9hGe-m8
 
 「映画俳優の鶴田浩二でございます」…鶴田浩二さんがステージで歌う場合に必ず冒頭に挨拶した一言ですが、この一言を巡って鶴田さんは吉田正さんと大喧嘩をし、歌についてはプロとしての厳しさ、難しさを熟知していたことから生涯貫きとおした哲学でもありました。
 
 街のサンドイッチマンについても、昭和28年に吉田正さんがビクターのスタジオで「これはダメな曲だ」と断って弾いた曲であったが、この曲を聞いた鶴田浩二さんが「この歌はいい歌だ」と宮川哲夫さんの詩の一編を気にいって引っ張り出し、「さすらいの湖畔」のB面で発売されている。
 
 鶴田浩二さんにとっては代表作となるこの曲も、すぐには人気がでず、発売された翌年になって当時のサラリーマンの心理と重なり合って大流行し、翌年の「赤と黒のブルース」から31年の「好きだった」の大ヒットにつながっていきました。
 
 「酒でも飲んで少し砕けろや」との鶴田さんの一言が、それまでほとんど酒の飲めなかった吉田さんを変え、「大衆歌謡は、書斎に閉じこもって書くものではない。絶えず世の中に肌で接していてこそ書けるものなのだ」と、この曲の誕生が作曲家の人生も変えていきました。
 
 曲の誕生秘話については、大学の後輩となる杉井輝応さんが、平成9年に発行された「鶴田浩二」に詳しく記されているが、作曲家の吉田正さんと俳優の鶴田浩二さんが酒を酌み交わしながら世情とともに誕生して披露されたもので、鶴田ファンとしてはプロの歌手であっても、金をもらって人々に歌って聞かせられるものではなく、金を払ってカラオケで歌うしかないのである。
 
 現実に、吉田正さんや鶴田浩二さんが現存していたら、絶対に渥美二郎がテレビで歌って聞かせることはできなかった曲で、「歌は人間の心を伝えるものだ。人間の肌の温かさを感じさせるものだ。生身の人間の愛おしさを感じさせるのが歌だ」と語っていた鶴田浩二さんしか表現のできない曲でもあり、本日の歌声には寂しさとともに、怒りが込み上げてきました。
 
 少なくとも渥美二郎が、杉井さんの「鶴田浩二」を熟読しても、鶴田さんの曲を歌えるのかを知りたいものですが、何でもかんでも現役で、しかも、盛りの過ぎた歌手が歌う必要もなく、当時の映像と鶴田浩二さんの実声を聞くしかないのである。
 
 ただし、久しぶりに、鶴田浩二さんのことが家庭の話題となり、家内は「勝手に言っててよッ」とかなり立腹のようですが、過去に記した一言に添付したユーチューブが無効になっており、改めて添付してテレビの前で(車内では毎日聞いております)唄声を聞けたことには感謝です。
                                  2月21日の一言
 
名もない男の詩  http://www.youtube.com/watch?v=df2PokRsRps         
 
 

鶴田浩二さんの記事収集

 
上記ブログの転載です。
 
最近、以下2冊の本を読んだ。

http://ecx.images-amazon.com/images/I/418WXJDHW7L._SL160_.jpg父・鶴田浩二
カーロン 愛弓
新潮社


http://ecx.images-amazon.com/images/I/51HX3TR630L._SL160_.jpg父・鶴田浩二の影法師―末娘が綴った銀幕スタアの真実
鶴田 さやか
マガジンハウス


鶴田浩二は戦後第一世代最高のスターでありそんな稀代の「いい男」を巡る骨肉の愛憎劇が詳細に描かれていた。
鶴田浩二には3人の娘がいたのだがこの娘同士で父親を取り合う。
この勝負は先に生まれたことに加え相性の良さで長娘の勝利に終わる。
だが一方で母と娘の戦いがあり、鶴田浩二の実母と嫁の戦いがあり鶴田浩二が浮名を流した女優達と妻&娘達との戦いがある。
一人の男を巡る

嫉妬

なのだが父と娘となるといささかアブノーマルではある。
その辺の話は娘二人が一番分かっており二人とも重度のファザコンを自称している。
乗り越えなくてはならない壁なのだがその壁は余りに厚いと私は思う。
嫉妬の炎は凄まじく結果的に家族の絆はバラバラ、鶴田亡き後は崩壊してしまったようである。

男の色気がいかに恐ろしいものか?

改めて痛感した。

何ゆえ鶴田浩二は公私共に強烈な色気を放っていたのだろうか?
それは単に顔がハンサムとか長身であるとかルックス面だけではない。
2冊の本を読めば瞭然のように鶴田浩二もまたエニアグラム・タイプ4だ。
まぁこれはエニアグラムを少し勉強すれば本を読まずとも分かってしまうのだが・・・・
http://ecx.images-amazon.com/images/I/41XD32YG5HL._SL160_.jpg性格のタイプ―自己発見のためのエニアグラム
クリエーター情報なし
春秋社


鶴田浩二もまた悲しい幼少時代を過ごした。
暴君であったが一方で非常に繊細で涙もろかった。
躁鬱気質が激しかったのだが一方で暴力団の脅しや暴力に屈せず「三代目(山口組組長)の前で堂々としているのは鶴田ぐらいのもの」と周囲が驚くほどであった。
小野榮一は終生、周囲が望む鶴田浩二を演じ続けそれは虚構と言って良かったのだが誰よりもファンを大切にしていたからだろう。
親しい友人は一人も居なかったようだが寂しがり屋の一面がありそれは忘年会と合わせて毎年開催された誕生日会の模様で分かる。
大勢を自宅に招いた鶴田浩二は学生服を着て軍歌を熱唱し羽目を外す。
それは青春の焼き直しに過ぎなかったのだがいつも宴の真っ最中に突然、姿を消して、寝室に引き上げてしまったと言う。
ドンチャン騒ぎした「宴の後」の寂しさには絶対に耐えられなかったからだと長娘は言う。
鶴田浩二の言い知れない哀愁は身体から滲み出たものでありそれが=周囲の女性を虜にしてやまない「男の色気」に繋がったんだろう。
だがそんな強烈な光はそれと同じくらいの大きさの反作用を生じさせ陰惨な漆黒の闇を作り出していたのだ。
昭和の日本にはそんな「色気に満ちたスター」が山ほどいた。
大映には市川雷蔵、若山富三郎がいたし勝新太郎もいた。
中村錦之助もいた。
東映には高倉健がいたし松方弘樹もいた。
杉良太郎もいたし加藤剛もいた。
枚挙に暇がない。
翻って今の日本の映画界を観て理屈では割り切れない何かを感じるのは私だけだろうか?
まぁこれは日本に限った話ではなくハリウッドもヨーロッパの映画界も本当の色気を持った俳優は激減しているように思う。
少なくとも実の娘が誰彼構わず猛烈に嫉妬してしまうような俳優は居ないだろう。

終わり

木村拓哉さんに同情したい報道に

 SMAPの木村拓哉さんが昨秋から今年初めにかけ、乗用車を運転中に2回、道交法違反(速度超過)容疑で摘発されて反則金を支払っていた事を所属事務所が発表し、朝日新聞が報道するとともに、テレビCMに起用しているトヨタ自動車も「本人も反省している」と放映を続けると発表したと報じられています。
 
 人気のある芸能人ゆえ、当り前の報道なのかも知れませんが、第三者に被害を与えた交通事故でもなく、意図的に犯した不法行為でもないのに、こんな事まで報道される木村拓哉さんに同情するとともに、こんな報道をした以上は、朝日新聞社の記者や、国会議員などのスピード違反は必ず新聞紙上に公開して欲しいものでもある。
 
 スピード違反を軽視する発言は、「交通事故を助長する」とか、「重大事故に直結する」と警察関係者に言われた事があるが、ほとんどの国民が検挙はされないものの、法定速度を超過する走りを経験しており、検挙する警察側の警察官がスピード違反で検挙されているケースも存在します。
 
 今回の報道が本当に必要だったかどうかは私が判断する事ではありませんが、こんなことまで報道したことは、取り締まる側の警察官のスピード違反は全部公開して報道されなければ、取締りをうけて行政処分や罰金を支払う国民には納得ができません。
 
 こんなことまで報道されることは、木村拓哉さんの有名税と言われればそれまでですが、最近では交通事故の死亡事故ですら報道されない事があることを考えれば、公器としての新聞のいいかげんさも実感させられます。
 
木村拓哉さん、スピード違反で摘発 免停に 事務所発表
 
木村さんCM、トヨタ放映継続 道交法違反「反省」
 
 こんなことを記して、朝日新聞社や記者に恨まれたり、警察官に恨まれても得にはならないのでこのあたりにしますが、経営の効率化や人員削減によって地方の取材網や記者が減らされ、地方で起こっている事件が社会に報じられなくなっている現実も朝日新聞社には考えてもらいたいものです。
 
                                3月15日の一言

久々に鶴田浩二さんの映像を

 私の乗用車には鶴田浩二さんのテープが入っており(と言うよりも、鶴田さんのテープしか入れてありません)、日常の運転時は勿論ですが、遠出や旅行に運転するタクシー車両やマイクロバスの音楽も鶴田浩二リサイタルと化してしまいます。
 
 「我々の年代にはぴったりだ」の一言には救われますが、「いつも鶴田浩二だから…」との意味深の言葉には、久しぶりに鶴田さんの声を聞いて「感動されている」と勝手に解釈していますが…
 
 「お父さん、眠くなったの?」との一言は、助手席の家内の言葉で、運転中に私が眠気防止に使用する音楽のテープが入ったための確認で、私は長距離運転で眠気に襲われると菓子などの飲食の後に、鶴田浩二さんのテープが入ります。
 
 もっとも、鶴田浩二さんの音楽なら何でも良いと言う訳ではなく、テープの唄声によっては子守唄となってしまいますから、私が絶対に眠気を遮断する音楽は決まっており、これで居眠り運転をしたら運転の引退を意味する頃かもしれません。
 
 さて、私は鶴田さんのどんなテープを聞いて眠気防止に役立てているか判りますか? 昭和57年9月15日の記録で、これが判る人はかなりの鶴田通か大鹿通とも言えるでしょう(笑)
 
 今年の9月までは忙しく、長距離運転も上高地か京都くらいでしたが、先月からは四国まで足を延ばしており、来月も愛媛県西条市の先達研修会や2回目となる遍路は高知県高知市からスタートし、この距離は1回で1千7百キロに及びます。
 
 しかも、深夜の11時に自宅を出発し、僅かな仮眠はするものの現実には徹夜状態で午後5時まで巡拝し、一日目の宿まで走るのですから眠いのは当り前で、この状態でも眠気をシャットアウトするテープが存在します。
 
 そんなことから久しぶりにYouTubeを覗き、鶴田浩二さんの唄声と映像を探して聞き続ける一日ともなり、私のブログにも保存(下記に添付)しましたが、昭和62年に亡くなったにも関わらず多くのファンの存在が嬉しく思われます。
 
 
 日々の経過は早く、積み残してあった仕事の締め切りに追われる週末となりますが、そんな事情も忘れさせてしまう寒波が襲来し、外出して仕事に手をつける意欲すら忘れる凍れる一日となりました。
                               10月28日の一言

鶴田浩二さんにぴったりの夕陽に

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茜色の夕暮れ 5月24日午後7時06分
 
鶴田浩二さん 同期の桜(台詞版)                                          
                    http://www.youtube.com/watch?v=sB19zr6GFWc&feature=related
 
 雨が降り続く一日となり、稲沢から名古屋へと外出が済んでパソコンの前に座ろうと作務衣に着替えると、わざわざ一宮市から知人が訪れ、近所の珈琲屋で雑談後に表に出ると、久々に見事な夕景(添付した写真より見事)に出くわしました。
 
 一瞬にして鶴田浩二さんの同期の桜が脳裏に浮かび、帰宅後にパソコンに携帯電話で撮った夕陽を添付し、画面を見ながらUチューブの同期の桜の音声を聞きながら時間が経過していきました。
 
 「俺はまだ今日も生き延びている。だが、雨があがり、虹が橋をかけ、茜色の夕焼け空が拡がるときに俺は必ず行く。後に続く事を信じて。俺たちの死を決して犬死にしてもらいたくないのだ…」 
 
 私は美しい夕陽を見て携帯電話に収めるとともに、今度はカメラに収めたいと思ったが、敗戦濃厚となった昭和20年には、同じ雨あがりの夕焼け空を見ながら、「死んでいく自分」を想像していたのである。
 
 
 さて、私の個人的趣向ではありますが、添付した写真を見ながら、上に添付した鶴田浩二さんのリストの中の映像と唄声を聞いているのは最高で、私の雑文で綺麗とか見事と言うよりも説得力があります。
 
 今晩は残された時間をこのままのムードで継続していたいと思います。
                                   5月24日の一言

中村主水(藤田まことさん)逝く

 名古屋地区ではチャンネル11番の名古屋テレビで、午前10時から必殺仕事人の「中村主水(もんど)」として、午後には「はぐれ刑事純情派」の安浦刑事として、「藤田まことばかりで見飽きた!」と言われるほど昨年までは放映されていたが…

俳優の藤田まことさん死去↓↓
http://www.asahi.com/obituaries/update/0218/OSK201002180059.html

 「てなもんや三度笠」のあんかけの時次郎から「必殺」シリーズの中村主水(もんど)まで、幅広い芸域と深みのある演技で人気を集めた俳優の藤田まこと(ふじた・まこと、本名原田眞〈はらだ・まこと〉)さんが17日午前7時25分、大動脈からの出血で死去した。76歳だった。朝日新聞夕刊

「警察官は60で定年ではなかったのか?」と思えるほど、少年時代に「てなもんや三度笠」を見ていた年代からすれば、年齢を感じさせない藤田まことさんの若々しさを羨ましく思っていたが、人間の死亡率100%を実感させられる一日となりました。

 さて、私にとっては「てなもんや三度笠」で、あんかけの時次郎として、白木みのるの「チンネン」とのコンビが忘れられず、奥さんの作った莫大な借金も全て返済された事から、シリアスなドラマばかりではなく、バラエティ番組で腹から笑える出演も見せて欲しかったが…

 一方で、藤田まことさんが、海軍に入隊した実兄を戦場で失うなど、戦争体験者として反戦、平和への願いが強く、映画「日本の青春」や「明日への遺言」などの映画に出演されていた事も、02年に紫綬褒章を受章されていた事も訃報により初めて知りました。冥福を祈りたいと思います。

 藤田まことさんの訃報を知り、精しい情報が知りたいためにアサヒコムを検索すると、ニュース一覧に訃報が多いことに驚いてびっくりしていると、訃報・おくやみ情報の一覧を見ていたためと判ったものの、実に多くの人々が亡くなっている事にも実感させられました。

訃報・おくやみ情報
http://www.asahi.com/obituaries/

 「人間の死亡率は100%」と声高々に法話で語っていた高僧もやっぱり亡くなっており、誰もが迎える死期ですが、自分の死期を考える余裕もないままに死んでいく人が多く、藤田まことさんも3月からは本格的に復帰すると語っておられた様子でした。
                                   2月18日の一言

ひじょうに嬉しい鶴田ファンのコメント

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 本日は鶴田浩二さんのファンの方(かとさん)からコメントが入っており、ご自身の開設されたブログの「お気に入り」の第1号に選んでいただきました。高野山奥の院と鶴田さんの墓を添付し、鶴田さんを偲ぶ夜とする事にしました。

 一方で、コメントに「カーナビのハードディスクに、鶴田さんの歌を一杯溜め込んで、明日じっくり聞きながら遠出の出張に出掛けます」と書き込んでありましたが、私の車も総てが鶴田浩二さんの曲ばかり(最近は高野山真言宗在家勤行も加わりました)で、四国遍路はもちろん旅行は鶴田さんの唄声とともに走っている事から、我が事のように感じた次第です。

はみ出し人生劇場↓
http://blogs.yahoo.co.jp/ikatojp
09年12月5日開設

 私は高野山に参拝したときに鶴田さんのお墓に必ず参ることから、忘れた頃に鶴田さんを題材に記してきましたが、このコメント(下記に全文添付)を読んで、書きっ放しで過去に添付したYouTubeが削除されて歯抜けのようになっている現実から、過去の一言の読み直しと書き直しも必要と反省させられた次第です。

YouTube 鶴田浩二さん検索↓↓(下をクリック)
http://www.youtube.com/results?search_query=%E9%B6%B4%E7%94%B0%E6%B5%A9%E4%BA%8C&search_type=&aq=1r&oq=%E3%81%A4%E3%82%8B%E3%81%9F


残念ながら、たんぽぽの花もさすらひの灯りも「利用規約に違反しているため、この動画は削除されました。」
鶴田さんのデビュー曲「男の夜曲」も、youtubeで初めて通しで聞くことが出来たのですが、これもまた同様の運命を辿りました。
鶴田浩二さんが段々今の世の中から遠ざかっていくような寂しい気持ちです。
大鹿さんのような方の存在が、ますます重要になってきます。これからもお元気で、鶴田浩二情報を発信し続けてください。
カーナビのハードディスクに、鶴田さんの歌を一杯溜め込んで、明日じっくり聞きながら遠出の出張に出掛けます。 2/8(月) 午後 5:30 [ かと ]


 鶴田浩二さんの情報と言っても、かつては100本(正確な数は判りません)を超えるビデオテープ(生テープやテレビからの録画)を収集していましたが、作品の多くは音声が不鮮明になったり、所々映像まで映らなくなったテープもある事から、最近は見る機会も減りました。

 一方では、マイクロバス(レンタカー)もDVDが搭載され、ビデオテープが使えない事も多い事から、いつかはDVD化しようと思いながら日時が経過してきました。私自身がDVDを使わない事から余計に時代遅れとなっていますが、改めて収集したいと思います。

 また、発信したい情報についても、過去のスポーツ紙や出版された本が頼りのため、著作権を侵害する事から書き込みもままなりません。このあたりは、「鶴田浩二さんが段々今の世の中から遠ざかっていくような寂しい気持ちです」と記された「かと」さんと同じ心境を実感させられます。
                                2月8日の一言

鶴田浩二 デュエット曲

美空ひばり、鶴田浩二   "頬寄せて"
http://www.youtube.com/watch?v=fqDjO_hk4Wg

鶴田浩二/三沢あけみ 想われ人は想い人
http://www.youtube.com/watch?v=5rXn8MwkrX4

夢の花かげ/鶴田浩二・美空ひばり
http://www.youtube.com/watch?v=YdGBQkShSsw

彌太郎旅唄 鶴田浩二 榎本美佐江
http://www.youtube.com/watch?v=8MbvH_Okrqk
http://www.youtube.com/watch?v=KHe0WYlF-oY&feature=related

酒は涙か溜息か 鶴田浩二・美空ひばり
http://www.youtube.com/watch?v=UJXRAAAxVLo

悲しい酒/他    鶴田・ひばり共演
http://www.youtube.com/watch?v=OfO5xXdfcdw

鶴田浩二さんの本当の唄声を

 今年は高野山へ3回訪れていますが、高野山奥の院の入り口となる一の橋の左に「ああ同期の桜」の慰霊碑があり、その後ろに「鶴田浩二」さんのお墓があります。私はこのお墓の存在を知ってから、高野山に行った時は必ず訪れています。

 もっとも、最近では一緒に訪れている仲間を一の橋前の土産物店に案内して、1人で慰霊碑とお墓に参拝していますが、四国遍路と高野山行きに鶴田浩二さんの唄は欠かす事のできない存在でもあります。
 理由は運転手である私の眠気防止で、眠気が襲う前にテープを入れ、眠気が最高潮になる頃には「歌手生活30周年記念コンサート」に入れ替えます。

 「歌手生活30周年記念コンサート」のテープは、昭和57年9月15日に大阪フェスティバルホールで録音されたもので、舞台の上で立ったままマイクを持って休まず歌う「鶴田浩二」さんを想像して、このテープが終わるまでは頑張ろうと運転しているのです。

 さて、日曜日に高野山を訪れた際に、私の車に鶴田浩二さんのテープがある事(鶴田さんのテープしかありません)を知らない初めて参加された人の口から、「鶴田浩二」さんの名前が出され、物真似のコロッケが歌う「鶴田浩二」さんはそっくりだったとの話で盛り上がりました。

 「鶴田浩二なら、大鹿さんが詳しいよ」と、四国遍路の同行仲間が発した事から、テープを入れたところ「一四四のブルース」が流れましたが、コロッケの歌を聞いてきた人にはピンとこないらしく、「これは若い時の曲だね?」と問われました。

 次に鶴田さんにとっては最後に発売された「望郷歌」が流れたところ、「私たち(68才)の知っている鶴田浩二より、もっと古い頃の曲だから声が若いね」との会話が交わされました。

 「一四四のブルース」は昭和60年の発売で、「望郷歌」は晩年となった昭和62年の作品ですから、鶴田さんの60才(享年62才)前後の歌声のはずですが、コロッケの歌を聞いてきた人は昭和20年代の鶴田浩二さんの歌声と錯覚して聞いていたのでした。

 私からこれらが晩年の歌声と聞かされ、「コロッケの声は似ていました?」と問うと、「だいぶ違う」との返事がありましたが、ほとんどの人が「鶴田浩二」さんの歌声を記憶しておらず、左耳に左手を当てて似かよった声を出せばそっくりとなり、私の全く似ていない歌声ですら「そっくり」と言われる始末ですから、似ていない物真似のコロッケの歌も聞いてみたいと思った次第です。

 もっとも物真似でもコロッケはプロ中のプロですから、「そっくりだった」と言われるほど似ていたのでしょうが、この舞台に鶴田さんの三女である「鶴田さやか」さんが出演していたと聞き、「鶴田真由」と勘違いして語られていた事に淋しさを覚えるとともに、偉大な父親に近寄れぬばかりか、親の七光りで舞台に立つ事と、鶴田浩二さんが生きていたらコロッケの物真似も絶対に許されなかったと思うと淋しさよりも悲しくなりました。

 さて、しばらく鶴田浩二さんのブログを見ていなかったためか、過去に掲載したYouTubeの画面から鶴田浩二さんの姿がほとんど消えていました。新しいYouTube再生リストを添付するとともに、久しぶりにパソコンから俳優の鶴田さんの唄声を聞く事としました。
                              12月2日の一言

鶴田浩二 YouTube再生リスト
http://www.youtube.com/results?search_query=%E9%B6%B4%E7%94%B0%E6%B5%A9%E4%BA%8C&search_type=

〇望郷歌
http://www.youtube.com/watch?v=0M3KZDOmNW0&feature=related
〇無情のブルース  
http://www.youtube.com/watch?v=TgffKjNB5zA
〇美空ひばり、鶴田浩二  "頬寄せて"
http://www.youtube.com/watch?v=fqDjO_hk4Wg

山城新伍さんの訃報に接して

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 お盆の最中であるが、俳優の山城新伍さんの訃報が報じられてきた。晩年は糖尿病に苦しみ、華々しい芸能界とは無縁の生活が続いていたが、若き頃から俳優として活躍し、私が大好きな鶴田浩二さんの映画にも多く出演されていた事と、当時のキャラクターは任侠映画の中では貴重な存在だった事から、映画の一場面であるが「博奕打ち・一匹竜」の一場面(映画写真集・鶴田浩二から拝借)を追悼として添付(写真上)しました。

 「博奕打ち・一匹竜」昭和42年作品 鶴田浩二さんの後ろの若者が山城さん。
山城新伍・出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
   http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%9F%8E%E6%96%B0%E4%BC%8D#.E6.98.A0.E7.94.BB

 山城さんは私の子供時代の白馬童子の主役が有名だが、鶴田浩二さんらが活躍した昭和四十年代の任侠映画の中では、荒々しいヤクザの抗争の中で、茶目っ気のある笑いを提供し、その後のテレビでの活躍にも共通するが一流の俳優でありながら軽妙な笑いを提供できる貴重な存在であった。

 新聞報道によれば、一年半ほど前から特別養護老人ホームで暮らし、嚥下性障害による肺炎が死因とあるが、山城さんの軽妙なキャラクターとは違い、映画全盛期から多くの名優と共演した一流の俳優であった事から、今一度の復活を見てみたかったと思っている。

 数年前のテレビから知人の芸能人から本人の人格を侮辱するような話をされ、自分の身体が思うようにならず、反論どころか本当の姿を伝えられない不満を口にする報道を耳にしたが、多くの一流スターが鬼籍に入ってしまった事から、一流スターのように勘違いしている芸能人への鉄槌を芸能界に復帰して見せて欲しかった。

 さて、高齢になると嚥下性障害(食事が食道ではなく気管に入る)は危険と聞かされていたが、山城新伍さんも嚥下性障害によって肺炎に至っており、施設などでは十分に注意をされている中での死因だけに、在宅での老々介護や独居老人にとっては十分な注意が必要である。

 これは高齢者に限った話ではなく、中年の我々にとっても徹夜続きの食事が胸に詰まる事もあり、生きるための食事が命取りとなる皮肉な現実だけに警鐘としたい。
 私の尊敬する鶴田浩二さんの身近で共演していた山城新伍さんの訃報は残念であるばかりか、テレビの創生期から活躍した俳優の死去は、一時代の終焉のようにも思えてきました。
 謹んでご冥福をお祈りいたします。
                                   8月14日の一言

久しぶりに鶴田浩二さんの墓前へ

 例年であれば4月29日は20年前から『朝日旅行友の会』のバス旅行を企画してきたが、今年は何の予定も立てなかったので、個人的には5月3日から5日に開催される高野山の「春季結縁潅頂(しゅんきけちえんかんじょう)」に参加したいと考えている。

 最近では高野山に行くと必ず「ああ同期の桜」の慰霊碑と、「鶴田浩二」さんの墓参りを日程に入れているが、こんな話をすると「鶴田浩二は鎌倉じゃなかったの」と問われる事もある。これも私が「いつかは鎌倉のお墓にお参りしたい」と口癖にしていた事を知っている人の一言である。

 以前の一言に高野山のお墓については記した事があるので、下記を参考にしてもらいたいが、鶴田浩二さんのお墓は高野山と鎌倉の他にも東京にも存在するので、本日は私の復習を兼ねて記していきたい。
08年5月 http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/33376125.html
08年12月 http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/37760513.html

 鶴田浩二さんの没後10年を記念して出版された杉井輝応氏執筆の「鶴田浩二」の中には、高野山のページがあり、9月の第2日曜日の慰霊祭に鶴田さんが毎年参加していた事が記され、高野山と鶴田さんの縁について次のように記されている。

 高野山別格本山大圓院の住職、藤田光幢は鶴田浩二と同期の桜である。鶴田は、藤田真言宗大僧正から、生前の昭和47年12月22日に戒名を授かり、先に行った戦友と三途の川原で、いつでも話し合えることと夢みていた。

 さて、鶴田浩二さんについては、末娘の女優「鶴田さやか」さんも『父・鶴田浩二の影法師』を記しており、この中には「鶴田家の墓」と題して詳しく記されている。この中には、鶴田浩二さんの複雑な家庭環境が記され、東京都港区の四ノ橋にある鶴田浩二さんの実の父親の眠る「大島家」の墓と、実の母親の眠る東京都練馬区にある「小野家」の墓が記され、共に生前の鶴田浩二さんが世話をした事が記されるとともに、自分の代でこのあらゆる因縁を断ち切りたいと思っていたと記している。

 そして神奈川県の鎌倉霊園には、本人の生前からの希望もあって、鶴田浩二さん個人の独立した墓が建っている。さやかさんは、「父の墓のある鎌倉霊園は、生前より本人の強く希望する場所だった。美しいロケーションに恵まれ、心地よい深い緑に囲まれている」と十三回忌に記している。

 最後に最近流されている唄を添付して一言を終わらせたい。
                                4月28日の一言

同期の桜 http://www.youtube.com/watch?v=9xMpTN2aabk
       http://www.youtube.com/watch?v=qXt_7yJWZf4
戦友よ安らかに http://www.youtube.com/watch?v=sB19zr6GFWc

戦友の遺骨を抱いて http://www.youtube.com/watch?v=3ylrwdRwNyE

たんぽぽの花 http://www.youtube.com/watch?v=oDkh73AByHo

さすらひの灯り(昭和29年) http://www.youtube.com/watch?v=q7-vPFn7hO8

もう後のない清水健太郎に

 俳優の清水健太郎が、昨年10月に起こした交通事故のひき逃げ事件によって、東京地検から本日懲役7ヶ月の実刑判決を言い渡された。交通事故については、自転車の男性をはね軽傷を負わせたとあるが、逃げた理由には過去4回にわたり大麻や覚せい剤の所持で逮捕されて二度も収監もされている事から、芸能界活動の支障になるためと思われる。

 彼は私より一歳年上で、歌手としても活躍しているようだが、それらについては全く記憶していないが、私は鶴田浩二さんのファンである事から、テレビドラマ「男たちの旅路」の中で、北海道に流れ着いていた鶴田浩二扮するガードマンが、東京に戻る時に妹役の岸本加代子と一緒に上京して、水谷豊の弟分としてガードマン役で登場している事から鮮明に覚えている。

男たちの旅路が記されたブログ↓
http://blogs.yahoo.co.jp/kk12120928/32752460.html
http://blogs.yahoo.co.jp/brucewi35/51629856.html

 彼の履歴を見ると、大学時代にスカウトされ、紅白歌合戦にも出場しているが、昭和58年に大麻取締法により検挙され、4回にわたり大麻や覚せい剤取締法で逮捕され、最後の平成16年には2年4ヶ月の実刑判決により、刑務所に収監され、やっと昨年1月31日に芸能界への復帰を表明したばかりだけに、被害者を放置したひき逃げ事故は残念としか言いようがない。

 交通事故の内容を聞くと、全治10日間程度の軽傷であった事から、その場で被害者を救護して病院に運び、警察に正直に申告していれば、道路交通法としては罰金刑程度に終ったと思えるが、覚せい剤によって過去に2回も刑務所に収監されていたことが理由で逃げて、罪を重くするばかりか、今度は被害者もある事から芸能界への復帰は絶望的と思われる。

 さて、大麻や覚せい剤については、犯罪ではあるが、タバコを禁煙(嫌煙)している私から見れば、タバコの喫煙の延長線としか思えず、自分の身体を蝕む点では被害者は本人だけであるが、軽微でも交通事故は相手に被害を与えている点から、大麻や覚せい剤より罪が大きくて当然と思え、被害者を放置した罪は極めて大きい。

 しかも、検察は清水被告が20歳だった昭和48年にも、運転中に当時23歳の女性を死亡させ、業務上過失致死で罰金刑になっていた前科にも触れて公開された事で、今回の交通事故は不運と思っていた私も、反省しても救いようのない過去からの人生に、関わった人々の落胆も大きいと思われる。
 
 私は大学時代に芸能界にスカウトされた事が、清水健太郎の人生を狂わせたのかと思ったが、芸能界に入る前から事故とは言え、人を殺めており、反省する間もないままに芸能界で人気者になり、その裏表が大麻や覚せい剤となり、今日まで尾を引きずっていたとしたら残念で堪りません。
                                       1月28日の一言

鶴田浩二さんと共に休養から徹夜へ

 本日は行政の仕事始めであり、私も年末年始に残した仕事に朝から晩まで走りまわる一日となりました。明日も明後日も同じ展開の中で、久し振りにパソコンを開くと「鶴田浩二」さんの映像が増えており、私もビデオテープでは保有しているものの、パソコンから消えないうちに保存しながら、本日はしばらくの間下記の映像と声を聞いて心の休養とする事としました。

歌手デビュー秘話~男の夜曲 http://www.youtube.com/watch?v=bCQAScksK2Y

鶴田浩二、二つの疑問に答える http://jp.youtube.com/watch?v=Vi-T_hrAi8s&feature=related

好きだった~街のサンドイッチマン~赤と黒のブルース
               http://jp.youtube.com/watch?v=MgKUo1hitm4&feature=related

名もない男の詩 鶴田浩二 1977年 http://jp.youtube.com/watch?v=O_pzuffl5fg&feature=related

 昨年12月に高野山で鶴田浩二さんのお墓に参拝し、無言にたたずむ墓石ばかりが頭に残っていましたが、前記したデビュー曲の秘話から4つの録画は20分程度であり、私も個人的に所有している映像ではあるが、YOUTUBEに投稿される人によって、パソコンから聞く事ができ、私にとっては一番の休養である事を実感させられました。

 過去にも何回かは映像の保存のためにここに記録した事はあるが、鶴田さんの唄声を聞きながらこの一言に鶴田さんの事を記す経験は初めてで、忙しいから「ちょっと珈琲屋へでも…」と知人を誘うより、私にとっては心が落着く休養になります。
 私にとっては未だに現役である「鶴田浩二」さんを、高野山にたたずむ墓石の記憶から、過去に追いやってしまっていたようで、全国から投稿される映像を随時保存しながら、しばらくは鶴田さんの隣りに座っている気持ちに浸りたいとおもっています。
                                        1月5日の一言
追伸
しばらく休養と記しましたが、明日までに新聞に折り込む広告を印刷しなければならず、印刷機の回転は一定の為にしばらくは眠れない事が確実で、今晩は鶴田浩二さんと一緒に午前様となります。それにしても、最後の名もない男の詩のラストシーンは最高で、涙で寒さも忘れさせてくれます。こんな魅力ある男になりたいものです。

散る桜残る桜も散る桜

 本日は税務署に出向き、平成5年に亡くなった父親の相続の際に20年間農業を続ける事と、農地を転売しない事を条件に、農地の納税猶予を受けていた支払うべき納付額を確認し、その金額の大きさにびっくりするとともに、現在は土地の価値が下落して納付額が低くなっている現実と、当時の納付額の大きさに税務署職員から同情(?)の一言もあった。

 税務署に出向いた目的はNPO法人の申告についての相談が主目的であったが、ボランティア目的のNPO法人が赤字になりうる可能性を税務署も認識はしているものの、赤字でも複雑な手続きが必要な事と、赤字ゆえに赤字を次年度に繰り越せる青色申告を勧められたが、ボランティアにとっては目的のボランティア行為以上に仕事量の多い書類申請は何とかならないものかと思う。

 さて、前記した農業の継続も将来の明るい展望が見出せず、赤字続きのNPO法人についても赤字が続く厳しい現実と、動き出してから後戻りができない苦境を実感させられるが、偶然にもこの心境に共通するコメントが今夜書き込んでありました。

 鶴田浩二といえば、この曲はご存知ですか? 散る桜残る桜も散る桜 作詞 曽我部博士・作曲 市川昭介 唄 鶴田浩二   私的には、結構気に入っているのです。2008/8/11(月) 午後 8:44

散る桜残る桜も散る桜 寺岡真三編曲

散る桜 残る桜も散る桜
いつか散りゆく この身じゃないか
男ごころに咲く花は いまをさかりに 咲けよ咲け

散る桜 残る桜も散る桜
ひとり酒でも 杯ゃ二つ
忘れられない面影を 花にうかべて かさね酒

 セリフ「昨日出逢って今日別れ、黙ってうなずく花もある。しかし、覚えていてほしい。別れるということは、また新しい旅立ちなんだ」

散る桜 残る桜も散る桜
所詮 短い命じゃないか
散ってしまえば みなおなじ 風の来ぬ間に 咲けよ咲け


 この曲は昭和54年に発売されたレコードで、B面には「男の旅路」が入っています。この8年後に鶴田浩二さんは亡くなっていますが、こんな曲が自分の人生に重ねられるような年齢になってきました。

 もちろん私も大好きな曲ですが、こんなコメントをいただいた人とは「古いなじみの親父の顔を 今日は見たくて飲みにきた 昔の俺もいる酒場」(名もない男のブルースの一節)で鶴田浩二さんを肴に我を忘れて飲み明かしたいものですね。
                               8月11日の一言

永遠に残したい鶴田浩二(さん)のセリフ

 太平洋戦争を扱うDVDの宣伝を見た母親が「買ってみよう(欲しい)か」と話したものの、「我家ではDVDは見れないんだ」、「なーんだ、そうか(残念)…」の一言になりましたが、このDVDは横井庄一記念館では既に購入してあり、今週は1巻目が披露されていました。8月が近づき、そんな話題が増えそうです。

 本日は久々に「鶴田浩二さん」を想いおこし、多くの持唄の中から本人の作詞による戦争を偲ぶ唄と、本人の性格を垣間見る曲(こちらは近いうちに)を転載していきたいと思います。

 戦友(とも)よ安らかに 吉田正作曲・編曲 小野栄一作詞
「この歌を…
こよなく祖国を愛し、肉親を愛して、かけがえのない青春を、南の空に散らした今は亡き、戦友(とも)たちに捧げます」

年に一度の 靖国詣で
集る仲間は 少ないが
遠い遥かな 特攻基地で
眠るか友は 安らかに安らかに

若い生命(いのち)を 燃やして消えた
あの友あの声 あの瞳
一足先に 三途の川で
待っているぜと 別れたが別れたが

あいつが散った 南の空も
今日の青さに よく似てた
無理に笑った 涙の顔が
浮かんで見える 雲の果て雲の果て


 鶴田浩二の台詞(セリフ)は同期の桜の台詞版や、傷だらけの人生(藤田まさと作詞)の唄い出しなどが有名であるが、多くの曲の中で本人が作詞した曲は紹介した「戦友(とも)よやすらかに」と、「おとこ゛藤゛」寺岡真三作曲・編曲(小野永一朗作詞)など限られている。

 映画でのセリフについても、我々は本人の想いで話されているように錯覚してしまうが、監督や脚本に一字一句忠実に演じられていた事から、歌のセリフについても俳優の鶴田浩二が演じていたものであり、本人の作詞した曲は貴重と私は思っている。

 私がとりわけ本人の心情と一体感を感じるのは、「名もない男のブルース」で、作詞家の宮川哲夫氏と鶴田浩二、本名小野栄一(永一朗)の区別もつかない詩に思われてくる。本日は下記↓のHPページも見て、鶴田浩二さんを偲ぶ一日とします。
http://sennarikai.fc2web.com/miki01.htm
                            7月30日の一言

過去に遡って

イメージ 1

鶴田浩二さんの本名「小野永一朗」から検索された資料です。
下記のホームページを参照してください。

http://sennarikai.fc2web.com/miki01.htm

忘れた頃に鶴田浩二を

 本日は久々に俳優の鶴田浩二さんを思い出してみたい。鶴田浩二が亡くなり20年以上経過しているが、現在でも右翼の街宣車から流される軍歌の中に鶴田浩二の声がとどろく事があり、私は一瞬でも足を止めてしまうのである。

 鶴田浩二は戦争体験者として多くの軍歌を唄っているが、唄った軍歌のほとんどは戦争の悲哀と先に逝った戦友を偲んだ曲が多い。また、「リサイタルは好きでない」と言いながら、歌手以上に多くの唄を残している。

 「あれは終戦の少し前、富田という私と同期の男が、私のところへきてこう言った。゛おい、小野、三途の川っていうのはほんとにあるのかな。きっと冷たいだろうなぁ。迷ったらどうしよう゛彼は真顔でこう言い、そして次の日、彼の飛行機は海に落ち、死んでいった。あの時のショックは永久に忘れないだろう」

 「私は生き残り、戦友たちは海の底に沈んでいった。私にはそれがどうしても忘れられない。生き残っている私は、とにかく人並みの楽しみは味わえるようになった。だが一杯の酒を飲んで、うまいなぁ、と思うとき、私の心には死んでいった戦友達のことが思い浮かぶ。私は生きて酒を飲み、うまいものを食っていられるが、彼らは海の底に死んで行ったまま、もう二度と生き返ることはないんですよ」

 学生であった鶴田浩二は、昭和19年5月15日、横須賀第二海兵団に二等水兵として入団している。死後に特攻隊の生き残りかどうか騒がれたが、「海軍少尉、小野栄一。身長五尺七寸、体重十七貫五百。きわめて健康…」として敗戦を迎えている。

 「私の飲む酒の味は苦い。だからつい、ガブ飲みになり、3日酔い、4日酔いということになる。私には今の日本の見せかけの平和が気にいらないんだ。純粋に国のために戦って死んでいった人達の骨が、まだ海の底に、南方各地に散らばっているというのに、もう戦後は終わったとばかりぬくぬくしている連中に腹が立つ。万博の、オリンピックのとお祭り騒ぎをする前に、何でその金の何百分の一でも遺骨収集に使ってくれないのか。一映画俳優の私だが、そのために微力をつくしたい。私が決して好きでないリサイタルなどをやったのも、そのためなのです」

 昭和46年に撮影された『吼えろ唐獅子』のセットの中で、田山力哉氏に語られた鶴田浩二の一言ですが、現代社会にも通ずるものがあり、今こそ鶴田浩二の人生を振り返ってみたい。

戦友よ安らかに http://jp.youtube.com/watch?v=Q6gOHfpE6ao&feature=related
<軍歌>あゝ戦友 http://jp.youtube.com/watch?v=1WqimFT8wuQ
戦友の遺骨を抱いて http://jp.youtube.com/watch?v=qv42AWjqhW0
戦友の遺骨を抱いて  http://jp.youtube.com/watch?v=Bguv-75vPeU
父よあなたは強かった http://jp.youtube.com/watch?v=Vv-Hzh5ue6g
日露戦争物語 http://jp.youtube.com/watch?v=hxBzlyV-ZJw

東宝映画 太平洋の嵐 http://jp.youtube.com/watch?v=YKQ43HiZI00&feature=related

久々の鶴田浩二を顧みて…

 本日は久々に鶴田浩二にしましょうか。浜松市の鶴田浩二ファンという高校生からコメントをもらい、生前の鶴田浩二の姿を知らない若きファンの存在に、うれしいだけでなく、鶴田浩二の想いを後世に伝えて欲しいと思いました。

 鶴田浩二の本名は小野栄一。大正13年12月6日に浜松市に生まれたが、離婚して大阪に行ってしまった母にかわり、母方の祖母に育てられている。本日は、浜松での幼少期の母親との思い出である『かくれんぼ』(日刊スポーツに連載された夕焼けの詩)を紹介したい。母親と会えるのは十日か半月に一度という中での思い出である。

 「久しぶりに母が戻り、お土産の菓子類を手にして、私はすっかり有頂天になっていた。遅い昼食を母の手づくりの料理で済ませると、母は私のハダ着のつくろいを始めた。一針一針ていねいにつくろっている母を、私は動物絵本をみながら、時々そっと盗みみていた。
 時間は容しゃなく過ぎ母は立ち上がった。そして身支度を始めた。私は例の通り母に武者ぶりつき『行ってはいけない』と何度も何度も繰返し駄々をこねた。
 私の肩に置いた母の手が小刻みにふるえていたのを私は今でもはっきりと覚えている。
 私は『きょうはどうしても泊まっていってくれ』と、身をよじらせてせがみ、ますます母を困らせることになった。
 母は、しばらく私をみて考えていたが『じゃあ、かくれんぼしよう』といった。母と『かくれんぼ』などをして遊んだこともなかった私は、奇声をあげて喜び、手を打ってはしゃいだ。
 最初は母が鬼になり、私がかくれた。その次は私が鬼になり、母がかくれる。次はその逆に……、そしてその次は……。
 階段のうらで、障子のかげで押し入れのすみで、鬼になっていた母にみつけられて大声を張りあげながら逃げ回った……。遠い日の想い出。
 何度目かに鬼になった私が、さがしてもさがしても母はみつからなかった。母は出かけてしまったのである。
 はだしで表に飛び出し、母の名を連呼して泣き続けた私。涙をいっぱいためてだまって私の頭を撫でさすっていた祖母。
 路地のスミで、母もかくれて泣いていたのでは……。今になって何故か、私はそんな気がしてならない」

 昭和44年に記されたものだが、この文章から何度ももらい泣きさせられた事があり、父親は渡世家業の人と言われているが、最後まで家庭を大切にした鶴田浩二の原点を浜松での幼少期にみることができる。
                            2月19日の一言

古い奴だとお思いでしょうが…

 本日早朝のテレビ番組『歌謡塾』で、昭和の歌謡曲として(鶴田浩二の)『傷だらけの人生』が歌われた。

 ただし、歌ったのは鶴田浩二ではなく『タマちゃん』なる人物であった。曲としては確かに『傷だらけの人生』に違いないが、「古い奴だとお思いでしょうが…」のセリフについても全く別物の読み聞かせであり、鶴田浩二の唄った曲とは似ても似つかぬ代物であった。

 この曲は、昭和46年1月に藤田まさと作詞、吉田正作曲で発売され、昭和46年7月に公開された映画『傷だらけの人生』の主題歌である。

 作曲家『吉田正』は、さすらいの舟唄(昭和27年)から昭和62年に発売された『望郷歌』まで、鶴田浩二の歌を103曲(全部で151曲のレコード発売)作曲している。鶴田浩二のヒット曲『街のサンドイッチマン』(昭和28年)、『赤と黒のブルース』(昭和30年)、『好きだった』(昭和31年)はすべて吉田正の手によるものである。

 その鶴田浩二のこだわりは、歌そのものがプロではないと自分に言い聞かせ、ステージで歌う場合は必ず冒頭に、「映画俳優の鶴田浩二です」と挨拶を入れていた。
 この事に対して、「鶴さん、もう止しなよ、鶴さんは立派な歌手なんだから」と吉田正は言い、二人はこの事で大ゲンカをしたが、鶴田浩二はその哲学をあくまで貫き通した。

 鶴田浩二と吉田正の関係は、歌い手と作曲家の関係を超えた縁(えにし)とも言える付き合いで、ただ単に作られた唄を口ずさんだものではない。鶴田浩二は「歌は人間の心を伝えるものだ。人間の肌の温かさを感じさせるものだ。生身の人間の愛おしさを感じさせるのが歌だ」と言い、自分の歌についても最後の詰めの部分で納得していなかったと聞く。

 初めてのヒット曲『街のサンドイッチマン』は、吉田正がダメな曲として聞かせた曲であったと言う。鶴田浩二はこの曲が気に入り「この歌はいい歌だ」と引っ張り出したと言う。そして、酒の飲めない吉田正を酒に誘った。堅いばかりでは流行歌は作れない。そんな私生活まで及ぶ関係から鶴田浩二の曲は出来上がっているのである。

 二人の関係を簡単に記すことはできないが、鶴田浩二のために吉田正が作った曲を、『歌謡塾』としてタマちゃんなる人物がいとも簡単にセリフを語り歌った事(素人の鶴田ファンが歌ったのであれば何も思わないが、プロとして歌った事に対して)には、期待していただけに個人的にはがっかりした。しかし、「死人にクチナシ」とは良く言ったものである。鶴田浩二が健在であったらどのような感想が返ってくるか聞きたい心境となった。
                               5月13日の一言

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