大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

写真

雪のため事務所に山積したままの写真を整理して

プランターのダイコン 本日の写真です


本日は10年に一度の寒波により全国的に大雪となっており、私のすむ愛知県も早朝には道路も真っ白になっていましたが、午前10時頃には道路の雪は消え、午後3時頃には雪そのものも無くなりました。このままで終わって欲しいものです。

そんな中でも家内は移送ボランティアに出動し、私は約束のあった訪問者を待つだけの一日となりましたが、身体を持て余してやることも無いため、棚に山積み状態になっていた過去の写真を整理していると、昭和60年頃から撮りだめた学校のPTAや同窓会の写真から、主催していた朝日旅行友の会のバス旅行や、上高地と四国遍路の大量の写真があり、眺めているとあっという間に夜になってしまいました。

そんな中でも…

平成11年4月の写真 まだ片目も入っていません

今は亡き海部元総理にも応援をいただきました

私です

こんなに多くの運動員に支えられていました

雨の中多くの人に集まってもらいました

人、人、人

雨の中も自転車です


平成11年に初めて立候補した時の写真ですが、地域や組織の応援を求めず、5回の選挙を自分個人だけで戦ってきたと思っていたものの、初めての選挙は海部俊樹元首相に応援をいただき、今にして思うと多くの人たちに集まってもらっていたことにびっくりさせられました。

そして、ご支援いただいていた人の多くが鬼籍に入ってしまわれた現実も実感し、過去に撮り溜めた写真を年代順に整理して、朝日旅行友の会や四国遍路など一緒に同行した人や、ご遺族の方に届けられないかを考えたいと思います。

手渡す予定でプリントした大量の写真ですが、手渡す相手の多くが亡くなっておられる現実と、整理しても自分が懐かしく見るだけになってしまう現状の中で、少しでも多くの人々に届けるか見てもらいたいと思います。

新しいスマホをキャンセルして

母親に購入したシンプルスマホ

ソフトバンクの仕様書

買い換えた家内のスマホ

左がこれまてのスマホ


日曜日に新しいスマホエクスペリア「AceⅢ」に買い替えてきましたが、昨晩写真を見比べてみると、これまでのスマホ「エクスペリア8」の方が写真が鮮明であることが判りました。

どちらもソニーの製品で Xperia ですが、新しいXperiaは安くてバッテリーなど機能は良くなってカメラの画質は同じと説明を受けたものの、これまで使用していたXperia8の方が画質が確実に良いことが判りました。


左が新しいスマホの写真

右の方が鮮明です。

本日の写真です。

比較しなければ判らないでしょうが、添付した写真でもわかるようにこれまで使用してきたスマホより映りが悪いのは納得ができません。

他のソフトバンクのお店で確認したところ、新しい Xperia はこれまで使用していた Xperia8の半額程度の製品であることが判りました。

ガーン!!!

軽くなって性能も良くなって料金も安くなったと勘違いして、家内と二人で機種変更したものの全く裏切られたような気持ちになりました。

早速、稲沢市のワイモバイル店まで出向いてキャンセルし、元のスマホが使えるようにしてもらい、その足で近くの SoftBank 店で91歳になる母親の携帯電話を簡単スマホに変更してきました。家内はほとんど写真を撮らないため、小さくて軽い新しいスマホで良いとの話からキャンセルしませんでしたが、安い説明ばかりに気をとられると元の木阿弥となってしまうことを実感させられます。

91歳になった母親がスマホのインターネットを使用して、漢字やことわざを調べる姿を考えると今回の顛末を忘れて明るい気持ちになれるかと思います。

新島々駅から松本電鉄波田駅へ

松本電鉄 新島々駅

切符

松本電鉄の電車

運転席

車内

車窓から見えるリンゴ畑

車内のビデオ

波田駅ホーム

松本電鉄波田駅
踏切 松本方面

波田交差点

松本市役所波田支所前

旧役場建物

支所玄関

文化祭

地元小学生の合唱

満員の会場


新島々バスターミナル 昭和42年頃

島々駅前風景 昭和30年代

波田駅ホームからの旅立ち 昭和34年4月

何の写真だと思いますか?

葬儀の風景 大正13年頃

長い葬列にびっくりです

手作りの惣菜売場

地産野菜

踏切 新島々方面

切符

波田駅ホーム

新島々行き電車

運転席

新島々駅ホーム


昨日の写真ですが、上高地の定例会に参加する前の早朝に、新島々駅から波田駅まで松本電鉄の列車に乗って波田地区の文化祭に行ってきました。


昨日にも記しましたが、その中の昔の写真展を鑑賞した際に昔の新島々駅の様子や、波田駅から就職のため旅立つ生徒の姿に感動させられ、とりわけ大正時代の葬式の様子から、地域全体で葬列を作って送った日本の原点のような写真を添付するため昨日を補完する書き込みとなりました。


コロナ禍により町内どころか近所の訃報にも無関心な世の中になりましたが、大正時代には村の住民総出で葬列を組んだ写真は日本人の忘れてはならない風景だと思います。


ここからは昨日の上高地です

雪をかぶった穂高連峰
梓川とカラマツ

まるで極寒のように感じた冬の上高地から愛知県へ帰り、環境省や多くの仲間たちの顔を思い浮かべると虚脱感すら感じられる一日となりました。


4月に開山した上高地も、来週15日には閉山となりますが、美しい上高地の風景に慣れすぎて最近は雑に発信している感があります。


上高地の素晴らしさを、下記に添付した私の発信した今年の過去ログからご覧いただければ幸いです。



3日から5日まで訪れていた安曇野の真言密教の古刹と、上高地の様子を明日からも添付します。


実力差の前に思い入れ不足では

 本日まで開催されていた茜合同展が終わったが、これまで22年にわたって続いてきた歴史よりも、茜屋という一珈琲屋に毎週入れ替わり出展されてきた街の芸術家の層の厚さと、そのレベルの高さに驚かされている。

 かつては百人を超える参加があったと言うが、さすがに22年も経過すると亡くなる人も多く、昨年には私の書の恩師(中学校の恩師)と一緒に3人展を開いてみえた木村輝夫さん(日本一の雪駄職人)が病床にあった事から、マスターに出展を勧められ迷った挙句に出展を決めた。

 「それじゃー、写真を出します」
 「いやー、あんたは書でいいわッ」
 「えっ、写真なら何とかなるけど」
 「あんたは書で良いの」
 「書は下手だから…」
 「それで良いの」
 「えッ、それでは恥ずかしいでしょ」
 「あんたは書で恥をかいたら良いの」

 そんな理不尽な会話で書を出展したものの、マスターは口には出さないものの恩師や木村さんなど去っていった人の存在もあり、病気も体験したことから寂しさは隠せず、私のように芸術とは無縁でレベルも低い者に声がかけられたと思われる。

 さて、今回の作品は昨年に引き続き「写経」であるが、忙しさから筆が走らず、昨年より出来栄えが悪く、そのために写真も出展することとしたものの、何を出展すべきか迷い、写真の心得のある人に選択してもらった作品を出展した次第です。

 こんな間に合わせの出展は私の自己嫌悪を増幅させ、この日のために最高の作品を仕上げられる人との大きな差となり、普段どおりの書は勿論のこと、写真にしても最低の安い額に入れたこと自体に作者としての思いやりが不足していました。

 しかし、こんな私に出展を勧めてもらったマスターのおかげで、来年1月の上高地の写真展が決まりましたが、私にとっては十数年ぶりの写真展となり、これからは「書」と「写真」についても作品として仕上げる課題ができました。

 昨日から広島県三原市に出かけていた家内と息子が帰り、結果は19位と私の期待よりは低かったものの出場選手が多く(187名)、スタート時点で先頭集団にいないとコースが狭く、抜き去ることもできないため、息子の後ろにも強い選手が多かった様子です。

 それでも今回の成績によって9月の「全日本選手権」への出場が決まり、次の目標につながったのは幸いで、ケガもない事から来週も富士山へのレースが続きます。子供の心配より自分の心配の方が必要な現状なんですがね。
                                  6月21日の一言

カメラよりも自分の性能低下に

イメージ 1

 最近はデジタルカメラの全盛となり、フイルムカメラの現像などへのサービス券など特典も無くなりつつあり、フイルムでしか写真を撮らない者には淋しさは隠せない。

 私が初めて写真を撮ったのは親に内緒で買ったプラモデル屋のカメラで、シャッター速度も絞りも当時の紙巻フイルム(ライトパン)の箱に記された目安でシャッターを押し、親の目をかすめた内緒の撮影のために、一度ずつ考えながらシャッターを押していた。

 中学時代には親に買ってもらった「ミノルタハイマチック9」が愛機となり、高校時代に暗室でフイルムから印画紙に浮かびあがった被写体を見た瞬間の感激、そして二眼レフや蛇腹のカメラを使い、高級カメラとは無縁の撮影だったが、これこそ究極の普及機と購入したのが「キャノンAE-1プログラム」であった。

 このカメラで結婚式から学校行事まで撮影していたが、オートフォーカス全盛となってしばらくして、キャノンのEOSに代わる事となった。

 ただし、便利ではあるが、自動で勝手に写るために、自分の意志とは違う写真も多く、今年の夏には高校野球の撮影に持参したところ「電池切れ」となり、慣れない予備のEOSKISSで間に合わせたが、ここにはカメラの性能も撮影者の経験も必要無いのであった。

 先月末に撮影した鈴鹿サーキットの写真に「お父さんの写真は下手くそだ」との息子の言葉があった。「写真も撮れないくせに」と反論したいものの、自動で写った最近の写真に感動も少ない事から、最近は手元に懐かしいAE-1Pが置いてある。

 これなら電池切れでもマニュアル撮影ができ、フイルムも手巻きのために予備機も必要なく、自分の想いがそのまま写真となる事は確実であろう。

 しかし、カメラの性能はオーバーホールをしてある事から購入した当時の新品と変わりがないが、撮影する私の身体が老化のために性能が低下しているのである。ピント合わせが老眼のために正確にはできず、最近利用する老眼鏡も慣れていないので撮影の邪魔となる。

 100円ショップの老眼鏡のレンズを外してファインダーの接眼部に取り付けようかと知恵を働かせてみたが、よくよく考えてみるとカメラの付属品に視度補正レンズがあったではないか。もっとも、カタログにあるレンズの対応カメラに、昭和50年代のカメラの名前はありません(悲)

 オートフォーカスの登場で、肉眼による正確なピント合わせが必要なくなり、カメラ以上に私の身体が時代遅れになっていた事の自覚がなかったのでもある。
                             9月15日の一言
追伸
久々に購入時の使用説明書を読んで新鮮な気持となりました。
ギャラリー
  • ようこそ 大鹿一八の納経所へ
  • ようこそ 大鹿一八の納経所へ
  • ふるさとアサヒ 5号、26号
  • ふるさとアサヒ 5号、26号
  • ふるさとアサヒ 5号、26号
  • ふるさとアサヒ 5号、26号
  • 令和6年 上高地開山式の様子です
  • 三重県桑名市大福田寺の聖天祭へ
  • 毎年恒例となった我家のアンズジャム作りへ
アーカイブ
  • ライブドアブログ