大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

冬用タイヤに交換しました


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家内の車をスタッドレスタイヤに交換しました
                              ジャッキはキャラバン用です

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知人のジャッキを借りました

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何とか終わりました

 年末に雪が降るとの天気予報に、家内の車だけでも冬用タイヤに交換しておことて作業にかかりましたが…

 家内の車(ニッサンセレナ)の車高が低く、私の車(ニッサンキャラバン)のジャッキが入らないため、家内の車からジャッキを取り出して作業しましたが、ジャッキは上がってもタイヤは地面についたままで地面から上がりません。

 ジャッキはセレナに備え付けのニッサンのマーク付きですが、結局限界まで上げてもタイヤは上がらず、自動車関係者の知人に連絡して大型のジャッキを持って来てもらいましたが、今までの経験では理解できません。

 そして、本日初めて判りましたが、セレナにはパンクした時の予備用スペアタイヤが何所にも存在せず、家内のセレナが車イス車載用の車輌のためかと思っていると、セレナにはスペアタイヤが積んでないことが判りました。

 タイヤがパンクすることが無くなり、タイヤ交換をした記憶もありませんが、スペアタイヤが無いということは、パンクした場合にJAFを呼ぶか、空気入れで空気を入れてガソリンスタンドへ走るしかありません。

 ネット検索すると、「この車両にはスペアタイヤおよびジャッキが標準で搭載されていません。 タイヤがパンクしたときは、タイヤ応急修理キットで応急修理ができます」とあり、我家の福祉車輌には積載されておりませんが、セレナにはエアーコンプレッサーと修理剤ボトルも搭載されているようです。

 全く無関心でしたが、世の中は変わっていたのですね。さて、私の車(キャラバン)は、雪が降ったら乗らないこととして、万が一にはチェーンで対応できないかと考えています。雪が降ったら乗らない方が良さそうですね。

                                 12月24日の一言


来年のカレンダーがとどけられて

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冬の上高地はこんな景色なんでしょうね
                             来年のカレンダーです

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昨年10月に亡くなられた中沢義直さんのカレンダー

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四国別格二十霊場会のカレンダー

 平成28年は、私の生まれた昭和28年とかさなり、平成に入ってから印象に残る年となりましたが、あっという間に年末となり、新しい年が近づいていることを、届けられた来年のカレンダーから実感させられます。

 津島市の現職市議会議員の立場で、「1ケ月を地元に10日間、上高地と四国遍路で10日ずつ」との発言は、不謹慎と言われても弁解もできませんが、現実には実現しない目標で、そんな目標をたてることで精神的ストレスを大幅に払拭することができます。

 さて、兵庫県西宮市長が、地元の中高生対象のワークショップで、自身の中高生の体験として、タバコを吸っていたことを発言したことで、市議会が問題視しているとの報道があります。

西宮市長、中高生に校内喫煙の経験語る 市議会が問題視
記事の続き…
http://www.asahicom.jp/images/asahicom/hand.pngこの発言について8日、一色風子市議(無所属)が市議会本会議の一般質問で「自分が市長であることを自覚していただきたい」と批判。これに対し、市長は同じブログに「ピンクのダサいスーツに黒縁眼鏡で『お下品ザマス!』って言っている女教師みたいなことを言うなぁ」などと感想を記した。
 この記述と喫煙に関する発言について、自民系会派「政新会」は13日、「市長にブログの削除と謝罪及び他者への敬意や言葉の重みについての自覚を求める決議」案を議会運営委員会に提出。「市主催事業で、このような発言はきわめて問題」「公式な場で発言した議員を揶揄(やゆ)し、愚弄(ぐろう)するもので到底看過できない」と批判している。

 限られた新聞紙面では、発言の全容が判りませんが、市議会で批判した議員と市長の応酬が問題を大きくし、議会ではなく市長のブログに議員を揶揄したような書き込みをしたことが問題で、発言そのものが問題であったかどうかが判りません。

 私は市長のような要職にはありませんが、現職の地方議員として少年時代の非行体験や落第経験を記し、過去の無免許運転や飲酒運転の経験も記したことがありますが、過去の反省を込めて失敗談として記しており、今回の西宮市長の発言についても、タバコを吸う事を助長する目的ではなく、新聞記事にある「居場所がないという人は、ほんとうにないのか、もういちど考えてください」との主旨であれば問題にもならなかったと思われます。

 真意は判りませんが、発した言葉や一言を巡って、当人の意図が理解されずに批判されるとしたら寂しいものがあり、過去の愚行を封印して善人面している政治関係者や公職者が存在することのほうが腹立たしてものがあります。

             本日の体重 72、9キロ 徒歩数 2209歩 間食あり
                                     12月13日の一言

我らの分まで頑張れと、絶好調男中畑清氏へエールを

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本日の夕暮れ こんな心境になりました

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本日の徹子の部屋です

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我ら同学年の誇り 中畑清監督

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 4日前に、長嶋監督や元巨人軍の選手たちの元気な姿を雑誌から見つけて、この一言に写真も添付し、久しぶりに懐かしさと嬉しさを実感させられたため、本日の徹子の部屋に出演する中畑清氏(横浜ベイスターズ前監督)の出演を楽しみにしていました。

 しかし、…

 途中から、4年前に亡くなられた夫人の話題となり、テレビ画面で涙を見せた中畑選手を見て、現役時代から同学年(私は昭和28年12月、中畑選手は29年1月生まれ)として元気をもらってきた存在たったため、私はもらい泣きで号泣することとなりました。

 現役時代には、「絶好調」と叫び、「絶好調男」とか「ヤッタ-マン」と呼ばれて元気一杯に活躍していた選手でしたが、現実には還暦を過ぎ、同じように家族を失う悲しみを共有しており、元気な中畑選手の姿から夫人を亡くしていたこともすっかりと忘れていました。

 巨人軍の選手を捨て駒のように扱う体質が嫌いでファンを止め、プロ野球そのものもテレビで見なくなりましたが、中畑選手が横浜ベイスターズの監督になったことから、横浜の応援をするようになり、一度は球場で中畑監督の姿を見たいと思いながら監督の引退により見ることもできなくなりました。

 中畑監督のバイタリテー溢れる姿から、現役時代は元気をもらい、与えられた日本プロ野球選手会の労働組合初代会長や、長嶋監督の代行となったオリンピックの指揮など手抜きのない姿は、私にとっては同世代の誇りでもあります。

 同級生や、年齢が同じような世代は、同じような楽しみを同じように経験してきたものの、年齢を重ねてくると、同じような苦しみや悲しみも体験することになります。中畑監督には、改めて奥様のご冥福を祈るとともに、身勝手ですがもう一度野球のユニフォームを着るようにエールを送りたい心境です。

 本日、このテレビを見た直後に、同級生から駅まで送って欲しいとの連絡があり、名古屋まで飲み会に行くとの話に、「オレは便利屋じゃねーぞ」と叫びたい心境を胸にしまいこみ、「帰りはどうするんだ」と、タクシー代は勿体無いから、その分でラーメンをオゴレと約束して迎えに行くことになりました。

 家内は足を引きずって四国遍路中です。こんなアッシー君の顛末を話すと、「馬鹿じゃないの」と言われそうですが、テレビの前で泣いている姿も見られなくて良かったですね。

            本日の体重 72、1キロ 徒歩数  3660歩 間食あり
                                     12月2日の一言

世の中そんなに甘くないことを実感して

 最近ではいたる所に発電用の太陽光パネルが並んだ土地を見かけますが、余った電気を電力会社に売るのではなく、発電した電気全部を買い取ってもらう事業用発電所で、農地でも税金の高い土地や、工場等が閉鎖された土地に大規模なパネルが並んでいます。

 本日の新聞報道では、経産省の調達価格等算定委員会(委員長・植田和弘京大教授)電力会社が契約する買い取り価格を固め、太陽光発電は3年連続で引き下げられることが発信されています。

太陽光買い取り、事業用は27円に 3年連続引き下げ
記事の続き…
 10キロワット未満の住宅用太陽光は14年度の37円を4月から35円に下げる。ただ、住宅用で出力制御装置の設置が義務づけられていない東京、関西、中部の各電力管内では33円にする。いずれも7月以降も同じ価格にする。
 風力、中小型水力、地熱、バイオマスは導入が進んでいないため、価格を据え置く。バイオマスで15年度から新設する2千キロワット未満の未利用木材燃焼発電は、40円にする。
 FITでは、再生エネで発電した電気を10~20年間、固定価格で買い取ることを電力会社に義務づけている。その費用は電気料金に上乗せされるため、同委員会が毎年度、発電費用などをもとに買い取り価格を見直している。

宙で発電し地上に送電、実証試験へ 国立公園内のメガソーラーに指針 再生エネ買い取り、新条件に不満続出 九電が説明会 再生エネ受け入れ、年明け再開 電力5社、条件は厳しく 太陽光発電買い取り、1円上乗せ ソフトバンク子会社

 昨年の1月のこの一言に、我家から500メートルの距離にある農地を利用した太陽光発電所について記しており、最初の建設資金に1千600万円かかっているものの、年間200万円の電力を生み、20年間で約4千万円の収入になるとの施行業者の話を紹介していますが、土地の有効利用を考えて資金を投入した人々にとっては、毎年引き下げられる買取価格は深刻な問題となっているかも知れません。
 

近所に存在した太陽光発電所へ
 

 「巨額の資金が必要になるアパート経営よりは確実に利益を生んでくれそうです」と私は記しておりますが、新しい取り組みにメーカーの言葉を鵜呑みにしていたものの、毎年値下げが続く今回の報道を見ると、我家の家内が事業主となっている貸し店舗と同じく、最初に投資した建築資金のローンが終わる頃になると修理費が必要となり、当初見込んだ利益にはなかなか至らない姿が重なります。

 見たこともない新しいものに感動して、衝動的に不用意な一言を記してしまった感がありますが、世の中はそんなに甘くないことと、親切そうに思えても他人は自分の利益しか考えていないくらいの厳しい判断も重要です。

 さて、明日から議会の本会議が開会となり、来週には一般質問もひかえているため、しばらくは市役所にカンヅメとなる日々が続きますが、人より遅れている選挙対策も重要で、本日も後援会員のお宅を廻りましたが、16年前の選挙に廻っただけで一度も訪れていないため、転居した人は良いとしても、亡くなっておられる人の多さにはがっかりとさせられます。
 かつて主催していた「朝日旅行友の会」については、議員になる十年以上前から企画しており、議員になってから16年も経過している現実は、参加されていた人々の元気な顔を思い出すと、最後の晩年を独りで送られた家から無言のメッセージさえ感じてしまいそうです。

 4月には選挙をひかえていますが、地域を廻ることで困りごとの相談が急増し、病院に通院する足に悩むボランティアの相談も増え、旧知の人々とは話しに夢中となって時間を消化してしまい、余計に忙しい日程に陥っていきそうです。

 
                   本日の体重 70、8キロ 徒歩数 6307歩
                                   2月24日の一言

解説無用の郷土の偉人たち

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津島市の天王川公園です

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近代毛織物の先駆者 片岡春吉翁の銅像です

戦時下の津島と片岡毛織1   https://www.youtube.com/watch?v=VGZ9Ycx7-pI
        昭和14年(1939)、愛知県津島町の天王川公園で開催された「毛織祭」の様子を撮­影した記録映像。
        津島市立図書館制作「戦時下の津島と片岡毛織」(DVD90分)より抜粋
戦時下の津島と片岡毛織2   https://www.youtube.com/watch?v=2dz837T5uCU
戦時下の津島と片岡毛織3   https://www.youtube.com/watch?v=vqb1pEO5d8E
戦時下の津島と片岡毛織4   https://www.youtube.com/watch?v=P4BrNqs3Dz4
戦時下の津島と片岡毛織5   https://www.youtube.com/watch?v=rBzO4iXJhM4
戦時下の津島と片岡毛織6 https://www.youtube.com/watch?v=e8IYU17AwTo


昭和初期の津島と飯田毛織1   https://www.youtube.com/watch?v=2SRBkUJX3AA
昭和初期の津島と飯田毛織2 https://www.youtube.com/watch?v=4qTVCKKPfa0
昭和初期の津島と飯田毛織3   https://www.youtube.com/watch?v=6jRWfPo46x0
昭和初期の津島と飯田毛織4   https://www.youtube.com/watch?v=5YxIrN235Jg
昭和初期の津島と飯田毛織5   https://www.youtube.com/watch?v=KqznJ60LrsI


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中ノ島へ渡っていきます

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ヨネ・ノグチ像

野口 米次郎(のぐち よねじろう、1875年(明治8年)12月8日 - 1947年(昭和22年)7月13日)は、明治・大正・昭和前期の英詩人、小説家、評論家、俳句研究者。イサム・ノグチの父親。
海部郡津島町(現・津島市)生まれ。雑貨店を営む父・伝兵衛の四男として生まれた。先祖は源氏足利系の武士である。

 久しぶりに市内の天王川公園に行き、近代毛織物の父と言われた片岡春吉翁の銅像と、中ノ島内にある野口米次郎氏の銅像の前に立ちました。私が解説するまでもなく、映像がユーチューブに残されており、これを見れば津島の輝かしい先人たちの存在が史実として判ります。

               本日の体重 70、4キロ 徒歩数 4726歩
                                     2月14日の一言

私の住む愛知県津島市も大雪です

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全国各地が大雪に見舞われていますが、私の住む愛知県津島市も昨晩から激しい雪が吹雪いており、本日は白銀の世界になっていました。

「こんな日ですが頼めますか?」

普段は他のメンバーが同行している会員さんから病院までボランティアの依頼があり、雪を屋根に載せたまま出動となりました。メンバーに断られたのか、こんな時しか私には連絡のない会員さんのため悪いと思われたたのか、病院到着後に封筒を差し出されました。
 
 「何ですか?」
 「私の気持ちなの、受け取って」
 「こんな物は受け取れません」
 「恥ずかしいから持っていって」
 
必死に返そうとしましたが、会員さんも必死で、玄関先で人目もあることから帰りに返すことを伝えましたが、封筒内にはビール券が2枚入っており、これを受け取ることは他のメンバーのためにもできませんが、何よりも私が議員であるため公職選挙法に触れることが認識されていません。
 
高齢者の独り暮らしになると、こんなことまで考えて用意している姿に、「オレオレ詐欺」の被害者になってしまう一因も感じさせられ、最近は定期便となった叔父の居る老人ホーム行きも、子供ではないものの、我家の同じ居間で生まれ育った親族として足を運びたいと思います。

こんな日に役に立つのがボランティアの真骨頂ですが、私の母親は会員さんと変わらぬ年齢ながら、「乗せて行くよ」と言う家内の言葉も無視して、雪の中をバスと電車で遠く離れた稲沢市の病院に出かけました。
 
家族が同居していても、素直になれない高齢者の難しさも実感させられます。

全国の死亡率が発表されて…

 本日の朝日新聞夕刊に、死亡率が2010年に最も高かったのは男女ともに青森県、最も低かったのは長野県だったとの厚生労働省の調査結果が掲載されていましたが、男性では青森、秋田、岩手の東北3県が死亡率の上位を占めており、「塩辛い食べ物が多いことや、冬場は外で運動しにくいことなどが関係しているのではないか」と厚生労働省担当者のコメントも掲載されています。
 
 つまりは、塩辛い食べ物を避け、運動を続ければ死亡率は減るようにも思えますが、私は人間の死亡率は100パーセントのイメージが強かった事から、この記事だけでなく死亡率の県別比較に違和感を覚えました。
 
死亡率最高は青森、最低は長野 10年厚労省調査
 
 人間は短命でも長寿であっても、いつかは必ず死ぬ事から、死亡率は100パーセントであって、交通事故とかガン疾病などの条件をつければ、地域別の格差もでるでしょうが、実態は平均寿命の裏返しではないでしょうか。
 
全国都道府県別平均寿命(長寿)ランキング
 
 さて、私が「人間の死亡率は100パーセント」の一言を耳にしたのは、深夜番組のラジオで宗教家の説法でしたが、ネット探索をしても仏教に限らずキリスト教も世界共通のテーマとして語られているようです。
 
 
 添付したブログには、『癌にならなくても、交通事故に遭わなくても、戦争やテロで死ななくても、人間は最後にはみな100%死ぬのです。いかに医学が進歩したとしても、日本人の平均寿命が伸びたとしても、人はみな最後には死ぬのです』と記される一方で、『人は死んだら何もなくなって無の世界で、「死んだらもうおしまいだよ」と思っておられる方も多いですが、神の言葉である聖書によれば、決して肉体の死ですべてが終わりではなく、人間はみな神の前には罪人ですから、死後には神の永遠のさばきがあることを教えています』とあります。
 
 最近まで自分の年齢が60才まで2年となった事から、自分の寿命と政治活動の限界を「うつ状態」のような心境で考えていましたが、我々にとって死は永遠のテーマであり、若くして命を失った友人や長寿をまっとうされている先輩の姿を対比させたりしていました。
 
 私の尊敬する弘法大師(空海)は、今から千二百年前の承和2年(835年)に高野山に62才で「御入定」されているが、最近の私にとっては高野山の奥の院で生きておられるように感じ、四国遍路に出かけると大師の声が聞こえるような錯覚と、般若心経にも大師の声が共鳴するのを期待してしまいます。
 
 弘法大師が残された御遺告には、「定身を高野の樹下にとどめ、魂を都卒の雲上にあそばしめ、所々の遺跡を検知して、日々の影向をかかず…」とあり、私もこんな心境になりたいと同時に、魂は永遠でありたいと思います。死亡率や平均寿命を比較するだけでなく、人はどのように人生を全うするかを考える一日ともなりました。
 
                                   3月2日の一言
追伸
本日は滋賀県の日野町という所まで、知人の息子さんを迎えに走りましたが、こんな時に限ってボランティアの依頼が重なり、メンバーにとっても大忙しの午前中となりました。

雪・我家も墨絵の世界となりました。

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 本日は全国的に積雪の予報が出ていましたが、私の住む愛知県津島市も昨晩から雪が降り積もり、我家や事務所前も雪化粧となり、津島市と名古屋市を結ぶ県道も轍以外は真っ白となり、平日は通勤ラッシュとなる時間ですが写真のように車もほとんど走ってきません。
 
名古屋で積雪15センチ 列島各地、大雪で混乱 
 
 「10万円近くもかけてタイヤを購入したけど、付けなければよかったかも」と、数日前に雪対策としてスタッドレスタイヤを装備した事を後悔する話をしていましたが、今年は2回目の積雪と道路凍結となり、付けてあった事から二度とも外出ができました。イメージ 2
 
 しかし、いくら用意周到にタイヤを装備してあっても、道路管理者となる公務員の感覚は、最適な道路環境を実現しようと考えているわけではなく、行政に責任が及ばない事を優先し、積雪時や道路凍結時には融雪剤を配置し、とにかくばら撒いてあれば良しと考えている事から、道路橋梁付近の上り坂や下り坂の氷の上が水浸しとなっており、氷の上の水面は見事に車を滑らせています。
 
 添付したキャラバンは、私の車と言っても青ナンバーの営業車であることから、タイヤやチェーンは勿論ですが、ロングボディのため凍結時の横滑りを防ぐために、後輪辺りの室内に20リットルのポリ容器4個が重石として積んであります。
 
 そんなわけで、本日の積雪には万全の走行が実感させられ、雪のために徒歩で歩道を歩く知人に声をかけて、頼まれもしないのに目的地まで送り、もっと雪道を走り続けたい心境に襲われていました(異常です)
 
 さて、本日は抗がん剤投与のため、3週間に一度市民病院に通院する患者さんに付き添いましたが、普段は午後6時頃になる点滴の終了が3時には終わり、雪のために病院に来れない患者さんの多さを実感させられる一日ともなりました。
 
                                    2月2日の一言

通販の存在感を実感し

 正月早々のテレビからおなじみの、通販ジャパネットたかたの高田社長の元気な声が聞こえてきましたが、自社の広告でなく今年の景気動向を取材されたあたりに、経済界の中での存在感も実感させられ、新聞にも大型の広告が折り込まれており、今年もジャパネットは健在のようです。
 
ジャパネットたかた  http://www.japanet.co.jp/shopping/
 
 以前の一言にもジャパネットたかたを題材にしましたが、私は10年ほど前にパソコンのプリンターを購入したことが縁で、定期的にカタログが送られてきますが、低価格とか金利無料だけでファンになっているわけではなく、故障した際の対応の良さから顧客になっている次第です。
 
 プリンターが故障した際には保証期間を過ぎていましたが、私のパソコン無知が原因と思われますが、メーカーの電話対応で改善できなかった事から、換わりに新品のプリンターが無料で送られてきました。
 
ジャパネットの事故報道をよく読めば  http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/44736149.html
 
 カーナビが不調時には保証期間が過ぎていましたが、結局は故障ではなく私の使用方法に問題があった訳ですが、修理に出す場合は代替え品を手配してくれており、テレビの音声が時々不調だった時は、担当者が訪れた時には正常で故障の原因が判らないことから、ほとんどの部品を新品に交換してくれました。
 
 身近な家電量販店よりも、不調時の電話対応とその後のフォローがしっかりとしている事が私のお薦めで、2年前の元旦の広告を見て大手家電量販店に走った私の家族が、開店前から並んだにも関わらずかんじんの商品が置いてなく、怒りの反動でジャパネットに注文したことがありました。
 
元日の折込広告にウソはないと思うが http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/42565525.html
 
 さて、ジャパネットたかたで商品を購入すると、その後は定期的にカタログが送られてきますが、テレビや新聞折込される商品価格よりも、見開きのハガキで送られてくる商品の値段は安い場合が多く、元旦の新聞折込やテレビと比較しても低価格の商品が存在する事から、顧客も大切にされている事を実感させられます。
 
 本日の一言は、まるでジャパネットの宣伝のようになりましたが、テレビの甲高い社長の声を聞きながら、テレビや折込広告より安い案内が、「上お得意様だけにお届け」と記されたハガキで届いていた事から、浮かれた一言としてしまいましたが、これは決してヤラセではありませんから、念のために…
                                 1月7日の一言 

戦時中に供出した鐘が69年ぶりに戻り

 朝刊に掲載された天気予報は本日も明日も晴天でしたが、夕方から空が鉛色に変わり、夜には雨が降りだし、パソコンの天気図を見ると、今晩だけでなく明日も雨が降り続けるようで、確実に寒さが緩んできました。
 
釣り鐘69年ぶり帰郷 戦争で溶かされず 碧南の安専寺
              http://mytown.asahi.com/areanews/aichi/NGY201102220014.html
 
 さて、愛知県では、太平洋戦争中に国へ供出された釣り鐘が、69年ぶりにほぼ無傷で碧南市の寺にもどってきたとの報道がありました。
 
 鐘は銅製で、1776年に9代前の住職の依頼で、滋賀出身で現在の西尾市に住んでいた鋳物師、太田庄兵衛正次が鋳造したもので、戦時中の金属不足で1942(昭和17)年に供出されたものが、埼玉県熊谷市からもどってきました。
 
 資源として溶かされていれば、69年ぶりとか、2百年以上の歴史も跡形もなく判別もされなかったと思いますが、供出後に行方不明になったり、埼玉県の寺を転々としながらも、元の姿のままで愛知県に戻されてきました。
 
 戦争中の資源として国に供出された鐘は、溶かせば銅として戦争の道具や兵器になっていた可能性が高く、仮に兵器であれば海のモズクとなるか、銃の薬きょうとなって野原で朽ちかけていたものが、江戸時代に制作された時に残された銘の地名や寺名によりその時の姿のままで戻ることができました。
 
 この鐘も治まるべきお寺に戻り、江戸時代から変わらぬ音色を地域に響かせるかと感傷に浸っていると、西国二十八番札所成相寺の『撞かずの鐘』の悲しい伝承が思い起こされました。
 
 撞かずの鐘
慶長十四年(1609)山主賢長は、古い梵鐘にかえ新しい鋳造するため、近郷近在に浄財を求め喜捨を募った。一回、二回と鋳造に失敗し、三回目の寄進を募った時、有福そうな家の女房が「子供は沢山居るがお寺へ寄付する金はない」と険しい目の色で断った。やがて鐘鋳造の日、大勢の人の中に例の女房も乳呑児を抱えて見物していた。そして銅湯となったルツボの中に誤って乳呑児を落としてしまった。此の様な悲劇を秘めて出来上がった鐘を撞くと山々に美しい音色を響かせていた。しかし耳を澄ますと子供の泣き声、母親を呼ぶ悲しい声、聞いている人々はあまりの哀れさに子供の成仏を願って一切この鐘を撞く事をやめ、撞かずの鐘となった。(成相寺のパンフレットより)
 
 最近では近所迷惑を理由にして、早朝の鐘を撞かない寺院が多く、我家の隣の尼寺も高齢と足痛により鐘は春と秋の永代経の日しか撞かれませんが、我々は子供時代から意識する事もなく鐘の音を認識できている事から、地域共通の音色として私の祖母や曾祖母が聞き慣れた寺の鐘が鳴り響く事を望んでおります。本日はどうでも良いような一言ですが(いつもですが)、「山のお寺の鐘が鳴る」と歌われた日本の郷愁を感じました。
                                         2月23日の一言

久々の雪景色に白銀の世界へ

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 本日は気象情報どおりに私の住む津島市も銀世界となり、事務所前のアンズの木も白黒写真の樹氷のような風景となりました。
 
 さて、こうなると困るのが車による外出で、昨年から今年の冬までスタッドレスタイヤを履き続ける予定でしたが、過去3年間に一度も使用する事もなかった事から、普通のタイヤに交換しており、チェーンを装着する必要ができました。
 
イメージ 2 青ナンバーのタクシー車輌もスタッドレスタイヤを買いに走りましたが、サイズが稀少であまりにも高額なため、雪が降る事が少ないことからチェーンの携帯で済ませており、しばらくは雪を乗せて休業が安心です。
 
 ただし、明日はボランティアで朝から病院に移送する人が存在し、こんな時にボランティア任せにはできない事から、私がスタッドレスタイヤを装着した家内の車で走る事となりました。
 
 もっとも私自身も明日の11時に病院の検査が予約してあり、男性にとっては屈辱的とも言われる膀胱内の内視鏡検査である事から、本日から心中は複雑で、久しぶりの積雪を理由に断ろうかとの邪心がのぞきます。
 
 この内視鏡検査については、聞く人によっては「恥ずかしい」の一言は共通ですが、痛みについては様々で、「全く痛くなかった」と言う人と、「激痛が走り二度としたくない」と言う人が存在します。
 
 本当はどうなのか? これまでの検査で何も異常がなかっただけに複雑ですが、明日の昼には体験談が語れることは確実です。
 夜になっても雪は降り続いており、道路が真っ白になっており、明日は他人を運ぶ半面で、検査には家内同行となりそうです。南無阿弥陀仏…
                            1月16日の一言

ローン社会の光と影に

 文部科学省が大学生らへの奨学金事業について、日本学生支援機構は新年度(4月)より貸与基準を厳しくするとの新聞報道が、本日の朝日新聞夕刊の一面記事として報じられている。 
 
奨学金貸与基準、厳格化へ 文科省、両親の年収を合計
 
 これまでの親の年収について、「主たる家計責任者」の収入の申告で良かったものが、新年度からは両親の収入金額の合計に変更し、年収を証明する書類の提出が必要になるという。
 
 当然と言えば当り前の話であるが、大学進学が当り前に増加したことと、働く女性の増加による共働き世帯の増加が理由に挙げられている。
 
 一方で、本日の報道では大学生の3人に1人が奨学金を利用しており、10年度は118万4千人に貸し与えられており、進学率の上昇と景気低迷により増加傾向にある事は容易に想像がつく。
 
 さて、報道では貸し付け基準の厳格化が記されていますが、奨学金には無利子の貸し付け制度もあることから厳しくて当然であり、これまでは父母の収入の少ない方を「主たる家計支持者」とする不適当な申請を受理していた無責任な対応が問題でもある。
 
 実は我家も昨年に三男の学費のためと金融機関の教育ローンを借りましたが、実際には家内の所有する貸店舗の内装資金を借りる予定であったものが、店舗の改装資金よりも教育ローンの方が審査が簡単との金融機関からの情報でした。
 
 現実には、三男の保護者が私である事から、家内名義ではなく私名義のローンとなり、私と家内の収入が合算されると借りる必要がないと判断され、いかに我家の家計が苦しいかとの説明から際どい審査となりました。
 
 家内は貸し店舗を所有しているものの、建築資金を借りて返済を続けており、空家となった店舗を抱えて働きに出ていることから、共稼ぎとか両親の収入金額だけでの判断は疑問にも思います。
 
 もっとも、最近では小学校の給食費を払わない家庭や、保育園の保育料も支払わない家が存在し、奨学金を全く返済しない学生の存在が報道されており、資金を借りるローンが当り前の社会にあっても、返済をしない横着者を許さない社会的仕組みが重要になっている現実も忘れてはなりません。
                               1月8日の一言

寒波が休みを与えてくれて

 昨晩からの冷え込みは全国各地から初雪や降雪の知らせが届けられたが、愛知県西部においても冬の伊吹降しのような寒波が昨晩から襲来し、朝は3時に起きて会報を配布する予定であったが、用意した防寒具では不十分と思案していると、さすがに寒さが堪えたのか愛犬が悲鳴をあげはじめました。

 毛色は黒でも女性(雌)ゆえに、おしっこが我慢できない様子で、私を頼りにして悲鳴を上げる事から、早朝と言うよりも深夜の散歩となってしまい、このわずかな時間に身体が冷え切ってしまった事から、本日は会報配布を見送り手帳の日程表とにらめっこの朝となりました。

 「こんな事で休んでいては…」という気持ちと、「ムリをして風邪でもひいては…」の気持ちが共存したものの、こんな日程表をじっくり眺める時間は貴重で、今年になって封印していた朝日旅行友の会の企画が頭を巡りだし、一杯に詰まっている日程の中を、「自分の楽しみ」のためにも早速実施する気持ちとなりました。議員が人のために働くのは勿論の事ですが、自分の楽しみも見い出さないとやってはおれません。

 さて、1日のレースで上級クラスへの昇格を決めた息子は、高校時代の仲間と一緒に早朝より自転車の練習に出かけましたが、今日は高校に立ち寄って後輩たちと一緒に瀬戸方面まで走り、夕方まで帰ってきませんでした。わずか一年の事ですが実業団の選手として走った経験は格段に成長しており、その余裕が仲間や後輩との練習にも生かされているようです。

 自転車レースも寒波の襲来とともに終わり、来春までは大きな大会もなさそうですが、本分は学生ですので進級のためにも頑張って欲しいものです。こんな余裕を持ってパソコンの前に座っておられるのも本日のみで、明日からは会報配布と市役所や学校、愛知県へとめまぐるしいスケジュールが続き、12月議会から年末と毎年の事ですが「師走」となるものの、本日早朝の休憩が確実に肥しとなる一日となりました。
                                 11月3日の一言

ホームレスの知恵も新鮮に映り

 本日は横井庄一記念館の一日となりましたが、本日は今まで経験した事のない57才のホームレスの人が訪問し、多少の違和感を感じながらも、話し好きな人柄と同時に、私達の思っているホームレスの生活とは全く違う事から、途中からは日常の生活について質問を続ける事となりました。

 彼は関東出身で東京のホームレスを経て、現在は名古屋でホームレス生活を続けており、全く身元不明の状態ではなく、定住している場所は記念館の近くであるが、地元の派出所の警察も存在を認知しており、ここでは布団もあり暖かい生活(彼にとっては)が送れるらしい。

 毎日の食事は毎日どこかでボランティアの食事の提供場所があり、曜日ごとに場所は変わるものの、名古屋市内ではホームレスが食べ物に困る事は無いとの話であった。ただし、彼のようにラジオを持ち、ホームレスのベテランゆえの話で、地理不案内のホームレス初心者はその場所を知るだけでも大変と思う。

 日常生活は金属類をゴミ集積所などから拾い歩いて金と交換し、若い頃に電気関係の工場に勤めていた事から、使えそうな物をひろい集め、拾った骨董品や貴重品などは大須観音で開かれる骨董市などに持っていって買ってもらうと言う。

 彼は手提げ袋だけで貴重品を拾い歩く事から、本人が言わなければ「ちょっと不潔なオジサン」程度のようにしか思われない(臭いは強烈)が、毎日提供される食事場所にあわせて、歩くコースを変えているために、名古屋市内だけでなく郊外の地理は我々より詳しいのには驚かされた。

 拾い物から大金(彼の感覚)を得て、名古屋競輪場に居ると警察がやってきて、「そのお金はどうした」と職務質問されたと言う。ホームレスからの通報で、持ちなれない金を持っているとそんな仕打ちを受けるらしく、警察も金の出所を確認するまで解放してくれないと言うから、彼が郊外に住まいを移したのはそんな人間関係が嫌だったのかも知れません。

 さて、新聞報道から伝わってくるホームレスの情報とは違い、年末年始は名古屋市が借り上げた宿舎が提供され、故郷に帰りたい人には受け入れ先の同意を得れば、名古屋市が列車の切符を用意してくれると言い、その切符は片道で払い戻しのできないようになっており、片道切符では戻ってこれないから行政も考えたものと感心していると、戻った先の行政窓口に出向けば同様に対応すると言うから、ベテランホームレスにはお手上げかもしれません。

 昨年からの不況によって、派遣切りと言われて住む場所も無い人々の存在がクローズアップされ、派遣村や住まいなどの手当てが充実した事から、本物のホームレスにとっては天国のような環境となっているようだが、昨年末には近所のホームレスが凍死したと言い、不慣れな初心者には厳しい現実もある。

 彼の住まいは中川区にあるが、彼の正式の住所は中村区にあり、これは定額給付金をもらうために登録してあると言い、毎日の食事の心配が無い事から、ホームレスもかつての乞食とは違い、ホームレスとして完全に存在が社会に定着しているのかもしれません。

 もっとも、これは本日のホームレスの場合で、聞きたい事は山ほどあったが、次の来館者の存在から彼の名前と住まいを聞き出したので、もう少し温かくなったら訪ねてみたい。グアム島で28年生活した横井庄一とは環境が違うが、彼らの生きていく生活術には学ぶものがあるのではないか。
                                 3月8日の一言

雇用していた知人の離職を聞いて

 我家の裏には昨年の7月より失業した知人が住んでいる。彼は私が9年前に廃業した新聞販売店で長年勤めていたが、有名大学を夢見て親元を飛び出し、受験生のままに住み込みの新聞配達を続け、営業が何もできない事と、人付き合いが下手な事から行き場がなく、店を転々とした後に私の店で十数年勤める事になった。

 彼には学生気分が抜けきれないばかりか、仕事をしていく上で致命的な欠点があった。それは遠方で魅力を感じる情報があると、突然に翌日から仕事を辞めて行ってしまう事であった。雇用する側にとっては明日から突然欠員となり、穴埋めに必死となる事から二度と顔も見たくなくなるのであった。

 そんな彼が、そんな繰返しの中でも、我家で十数年も働き続けられたのは、私と同年であるばかりか、彼が私と同じ『高校5年生』の経験を持っていた事から、「よくも5年も続けられたなァ」との同期の桜のような気持と、「困った時には役にたつ事もあるだろう」と、さしても期待をしていない事から続いたのでもあろうか。

 もっとも、家内は彼の突然の雲隠れが許せず、彼から電話がかかっても切ってしまうので、彼が仕事に復帰するためには私が電話に出るか、私と顔を会わせて「戻ってきたら…」の声がかかる必要があったのでもある。

 それでも30才の頃から、私が廃業後も付き合いが続き、家族の厳しい視線を感じながらも、時々居候として戻り、我家から仕事に出かけていくのである。この一年間に何度も職を転々としているが、彼の希望する職場の条件はびっくりするほど低いのだが、もっとびっくりするのは雇用する側の条件は最低賃金どころか、まともに働いても手取りは十万円を下回っているのである。

 独り者である事からこれでも何とかなるが、今後の生活を考えると厳しい現実がある。暴力団が生活保護を悪用する土壌は、雇用する側にもあり、正社員を避け派遣社員ばかりに頼る企業体質にも改善を求めたいが…

 さて、昨日の事だが、私が創業して3年後の昭和55年から廃業するまで働いていたX君も、9月から会社を退職している事が発覚した。彼は真面目で時間と身体を惜しまぬ性格で、私は店を譲っても良いと考えたくらいだが、その性格を当り前に酷使される事から退職したと聞く。

 私の周りにはそんな知人がごまんと存在しているが、廃業して自分では何ともできないもどかしさどころか、家内を働きに出している現状では何とも無力ではあるが、身近な所に人材を必要としているケースも多く、茶飲み友だちの増加を防ぎ、知人らの再就職の道を探りたい。
                             10月18日の一言

落葉しないカラマツに暖かさを感じて…

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 日本中に寒波が襲来しているようだが、我々の住む愛知県はまだまだ暖かいことを証明するのが、写真の『カラマツ』の子供である。

 マツ科に属する針葉樹のカラマツが落葉するのは意外だが、日本で唯一落葉するのがカラマツで、我家で植木鉢に植えられているカラマツも、上高地では高さ30メートルにも達する大木(写真中)となり、11月には落葉し(写真下)、春の新緑と黄葉も楽しめる味わいのある木です。

 カラマツが立ち並ぶ小梨平は大正時代に植えられた人工林との事ですが、焼岳などへの登山道にも大木があり、不謹慎にも学生時代にラクガキを残した大木が見事に私を迎えてくれています。

 最近では全国各地から雪の話題が届けられているが、冷静に考えてみると確実に暖かくなっており、雪で関が原の名神高速が通れないとの話は久しく耳にしておらず、我家の周りでも川や水たまりの凍結は久しく見た事もなく、少年時代には当り前であった霜柱を踏みしめた記憶も永らくないのでもある。

 話を戻すが、落葉する筈のカラマツが落葉しないとどうなるのであろうか。初めての越冬ゆえに落葉しない方が安心感はあるが、落葉して新しい新芽が出てくるのが自然であり、暖かい愛知県でカラマツは育つのだろうか。
 もっとも、上高地のように30メートルもの大木になっては植え替える場所も考えないといけないが、落葉する種類の植物が落葉しないでそのまま成長が続くのか疑問でもある。

 やはり、育つべき環境の中で育てられるのが一番なのであろうが、今更何所に戻すのか検討もつかず、植える場所も我家がジャングル状態のために難しい選択を迫られそうでもある。

 さて、私の父親が亡くなった平成5年に、玄関の前で発芽したマキの木は、大正末期に横井庄一と私の祖母達がタネをまいたもので、因縁を感じた私が玄関前にそのままのばし放題にしているが、親木から伸びてきた枝と枝がもうすぐくっつきそうになってきた。因縁を考えると縁起でもないが、カラマツもまだ見ぬ世代まで引き継げたらと思ってみたり…
                                   2月1日の一言

無茶苦茶の時間と約束の日々…

 昨日から続いた議会の一般質問が終わり、明日からは常任委員会が開催される。しかし、師走の土壇場にきてスケジュールは空白もなく悲鳴をあげており、うっかりすると行事を忘れてしまいそうなところに、町内の講組(大鹿姓)の訃報が舞いこんできた。

 家内が仕事に出かけ、市役所に出かけようとした矢先の電話であった。本日の通夜と明日の葬儀であるが、議会開催中である事から急遽私の母親の出番となった。私も時間を外しての参列であるが、通夜の後には夜の書道会のために恩師が私の到着を待っておられ、明日は委員会の合い間に市民の方とともに弁護士の無料相談の約束がしてあり、車中から交通違反覚悟の連絡である。

 迎えに走った恩師は、2日前に依頼した弘法大師の座右の銘(昨日の一言)を色紙12枚に清書されており、お披露目されると内容の説明が必要となり、自然と四国の話になり、本日も先週の公認先達研修の影を引きずり、明後日に予定されている書道会の忘年会(今年はこれだけです)の手配となったが、メンバーの車の手配は済んだものの、私自身は開始直前まで市民病院の医師と約束があり、会場までの足の確保ができずにいると、夜の10時半に連絡のつかなかった知人から間の悪い電話である。

 本日は母親も家を出入りしているので、家庭と事務所の電話すべてが私の携帯電話に転送されてくる。暗い車中では連絡もできず、日曜日が当番の横井庄一記念館の連絡も、ボランティアに依頼する本末転倒の事態となり、夕食は10時を廻っていた。

 こうしてこのパソコンの前に座ったわけであるが、明日の朝は地獄である。市役所に一番で走り、確認した案件を連絡し、葬儀前に焼香を済ませて9時からの厚生委員会を傍聴し、市民の方と合流し弁護士との対座となる。明日中に1月の講演を依頼した大学教授に連絡する必要に迫られているが、既に冬休み中の気配濃厚?で苦しい予想が…。

 まさに行事と約束の繰り返しが続く。さて、地元のシキタリでは、葬儀から初7日までは毎晩同じ講組のメンバーの男で念仏を唱える事となっており、夜の約束どころではないが、変更する隙間もなく来週から年末まで日程が詰まっている。判っていた事でもあるが、過去にない苦しい展開が正月まて続く。(なんか最近はこんな一言の繰り返しですが、過去にない苦しい展開に、ついつい実況風となり)
                              12月11日の一言

タレントのブログ休養宣言を聞いて…

 タレントの若槻千夏さん(私はあんまり知りませんが)がブログの休養宣言をした事から、芸能界から引退まで囁かれるような報道がテレビなどから報じられている。(下記参照)

若槻千夏 突然の「ブログ休養宣言」

 ブログ「マーボー豆腐は飲み物です」が人気のタレント、若槻千夏(23)が、26日に更新した同ブログで、突然「ブログ休養宣言」をした。
 「今」のタイトルで「頭の中がごちゃごちゃしていて、自分らしいblogが書けそうもないので、少しblogをお休みさせて頂きます。楽しみにしてた人も、そうでない人もごめんね。時間ください」と書かれている。
             [スポーツニッポン 2007年11月26日 14:10 速報記事 ]

 立場は違うものの、忙しい環境の中でブログを書き続ける事は大変な作業で、私自身は自己の身勝手な日記か主張と思っているが、16年2月より毎日一言の更新を続けてきた中には、浴びるほど酒を口にした後に記した一文もあり、意味のない一言に「何の意味があるのか」と自己嫌悪に陥った事もしばしばである。

 議員ゆえにブログを通じた活発な意見や批判の応酬もありと考えていたが、市民から「ホームページくらい当り前で遅れている」と言われてはじめたホームページが地方議会では第一号の現状にあり、議員の中には議員全員がやらないホームページで身勝手な主張は公平でないとの全時代的発想が正しいように語られた事もあるのである。

 今回の「ブログ休養宣言」について、私も他人事ではなく、自分らしく書き込むためには時間的余裕を持ち、新聞各紙を読み比べられる時間もない中での一言は、実に中身がなく自己嫌悪に苛まれるのでもある。そして、昨年まで毎週書き込んでいた『天聖人誤』についても、毎日の忙しさの中で本年は休眠状態のままに推移しているのである。

 さて、貧乏臭い話であるが、忙しさから新聞の隅から隅まで読んでいる時間が不足しがちとなるが、読もうと思えばいくらでも読む時間はあるのである。出かけた先や珈琲屋だって読む事は可能だが、家にあるからと手にしない習慣が身についており、ここにも「もったいない」の心境が存在した。
                                 11月27日の一言

真冬の対応を求められる晩秋の一日に

 昨日の一言に、「本日は冬のような厳しい寒さとなりました」と記しましたが、本日は昨日を上回る厳しい寒さが襲来し、一週間前に訪問し紅葉を楽しんできた高山市の飛騨の里の雪化粧の写真が夕刊の一面に掲載されてきた。

 新聞報道によれば、この冷え込みは今季一番と報じられ、名古屋での初霜、初氷が観測され、気象台によれば初霜は平年より5日早く、初氷は平年より13日早いと記されている。こんな日とは知らずに、10日ぶりに会報配布に出かけたが、冷えた身体が帰宅後にも温まらず、身をもって寒さを実感する一日ともなった。

 津島市の天気 http://www.so-net.ne.jp/weather/pinpoint/view_point.cgi?city=23208

 さて、上高地や四国に出かけ続けていた事から、今後の日程は厳しい毎日を迎えているが、綱渡りの日程の中で人と約束してあった案件が『待ち人来ず』の状態で、会報配布のボランティアはこんな寒さの中でもあり、私自身の仕事と割り切れるものの、23日に迫った旅行会の打ち合わせに訪れる筈の旅行社の担当者も来ないどころか連絡もなく、家族の一大事の相談と対応が約束してあった人については、そんな事で良いのかと当方の心配が馬鹿らしく思われてくるが、当方の不在を考慮されている可能性も考えて明日へ先送りと考える事にした。

 しかし、久し振りの事務所の留守番で、いかに多くの電話が我家に届けられているかを実感した。そしてほとんどが我家の金運につながるどころか、苦痛とストレスを与えるものが多く、早朝より家内へのボランティアの依頼については、ボランティアである事は間違いがないが、自発的なボランティアが役務的になっている現実を感じさせられた。

 又、23日の旅行会についても、体調不良や都合が悪くなった不参加は何とも思わないが、「都合が悪くなったので参加を取りやめます」との簡単な一言は、満席のために申し込みを断った人も多い現実と、参加できなくなった代役の参加者を捜して連絡された人もある事から、世の中の非情さ(明暗)も味わう事となった。

 久し振りに出向いた珈琲屋のマスターに、「あんた、今度は自転車に乗るんだって?」と問われ、21日に予定されているバリアフリー検証会が巷のウワサにされている現実から、「その場で考えれば良し」とした場当り的で無計画な対応への反省する事しきりでもある。

 明日の朝も寒そうである。真冬の対応をするとともに、風邪をひいたつもりでの生活をしないと、空きのない日程の消化に大きな穴をあけそうでもある。
                                  11月19日の一言

身も凍る一日に

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  本日は愛知県でも冬を思わせるような天気となり、昨日訪れていた上高地から寒波をそのまま持ち帰ったような一日となりました。
 毎日汗を流してみえる方々には申し訳ない事ですが、明日の夜からは四国遍路のため、日中に相談されている案件や、会報の増刷などを済ませてからの出発になります。本日は手抜きですが、昨日の上高地の様子を写真で添付して、徹夜にならないよう仕事を終らせたいと思います。

写真上から、明神館前の小梨の真っ赤な実、夏の樹木からは想像できない美しさです。
2枚目、明神橋から望む明神岳、雨のためにかすんでいますが雪まみれです。
3枚目、明神池のマガモ、静寂な白黒の世界で心なしか淋しそうに見えます。
4枚目、紅葉する梓川のオノエ(?)ヤナギと雪を抱く穂高連峰、雨間の一瞬の光で撮影です。
5枚目、梓川ぞいの小梨平・カラマツの落葉のじゅうたん。日本で唯一落葉する針葉樹です。
6枚目、雨降る河童橋を渡る観光客、身も凍る寒さに夏の賑やかさはありません。

 激しい雨と身も凍る一日でしたが、本日は上高地だけでなく、高山市にも激しい雪が降ったとのニュースが流れました。
                              11月12日の一言
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