大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

参拝

西国巡礼 第15番今熊野観音寺へ

5月10日(土) 奈良県
第6番寺から9番寺まで
5月11日(日) 滋賀県
第10番寺から第15番今熊野観音寺まで

昨日訪れた今熊野観音寺は京都の泉涌寺の中にある弘法大師が開基したお寺です。泉涌寺の山内にあるため、泉涌寺の塔頭寺のように思われますが、空海がここで熊野権現に授けられた十一面観音を自ら彫った観音像の胎内に納め、嵯峨天皇の勅願で堂宇を建立した歴史あるお寺です。

新那智山観音寺 鳥居橋 通称名は今熊野観音寺

京都市東山区泉涌寺山内32


子護大師像

像の周りは四国八十八ヶ所のお砂踏み

手水舎

鐘楼

五智の井 弘法大師の霊水

本堂と境内


境内はモミジの紅葉の名所

稲荷社と熊野権現社



大師堂

武見太郎氏の銅像

大講堂


観光寺院の多い西国三十三所の中で唯一拝観料も駐車場も無料の寺院で、開基した空海が熊野権現に授けられた観音像を本尊の胎内に納めたお寺だけに、修験者や山岳信仰の流れを残しており、本堂前の境内には神様の熊野権現の社が奉られています。


「西国の二ヶ寺で一万円近くかかって」

    「うちは駐車場も拝観料も無料だから」

「やっと四国遍路のような雰囲気で参拝できました」

    「秋のモミジの紅葉の時にも寄ってよ」

「はい、勿論ですね」


土曜と日曜日の2日間で初めて大きな声で読経し、納経所でゆっくりと会話を交わすことができましたが、西国だけでなく拝観料と駐車料金が当り前の京都市の中で、何度訪れても賽銭だけで巡拝できる環境と、真言密教と山岳信仰の雰囲気を残す雰囲気は西国巡礼で私が一番好きな環境にあります。



西国観音巡礼 第32番観音正寺へ

 観音正寺

滋賀県近江八幡市安土町石寺2


観音正寺は、滋賀県近江八幡市安土町石寺にある天台宗系単立の寺院。山号は繖山。本尊は千手観音。西国三十三所第32番札所。観音寺城跡の、琵琶湖の東岸、標高433mの繖山の山頂南側の標高370m付近に位置する。 


 険しい石段です

 さらに続きます

 格言を噛みしめながら

 やっと境内入口へ



庫裏と境内

 断崖の石仏

本堂

拝殿の大提灯

 本堂から見える安土の地

水かけ観音

放生池

聖徳太子堂(左)と護摩堂


丈六釈迦如来像

正面

大日如来

麓は近江八幡

 3日前(火曜日23日)の写真です。


久しぶりの西国巡礼と言うよりも、四国遍路も共通して言えることは、二十年前の若い時のイメージをそのまま引きずっているためか、七十歳を間近に控えた体力の衰えを実感させられ、観音正寺の石段も辛く四国よりも辛くなってきました。


もっとも、辛いのは体力の低下ばかりではなく、駐車場や拝観に必要な料金も年金受給者となった現在では二十年前とは違って大きく感じてしまいます。


観音正寺の林道についても、初めて訪れた二十年前だけでなく6年前にも麓から当たり前のように登りましたが、今回は歩く気力が湧かず山上駐車場を目的地にしたところ、登り口で600円の通行料が必要で、やっと登った境内入口では500円の拝観料が求められ、「志納」とは記されているものの当たり前に徴収となります。


最近では四国遍路でも道路の通行料や駐車場代を求められるお寺がありますが、基本的に駐車場や拝観料は無料で、世界文化遺産となった高野山でも駐車場は無料で、特別な庭園などへ入らなければ無料で参拝が可能です。


さて、3日前の西国巡礼では白衣姿の巡礼者とは一人も会わず、読経する声や線香の香りもない孤独な巡礼だったことも私の疲れを大きく増幅させたように思います。


明日からの2日間は上高地のボランティアに出かけますが、明日は笹原をかき分けて湿地に生える「ミズバショウ」の除去が予定されており、観光地では人気のミズバショウも上高地では外来植物となり、「長靴と汚れてもよい服装」での参加が求められています。


家族から「遊び、遊び」と言われていますが、「沼地のミズバショウ除去」は大変な作業で、過去の体験から「2度と参加したくない」と冗談を飛ばした作業は人目にはつきませんが、こんな作業が上高地の環境を維持しています。不思議なことは、昨年膠原病に罹患していても四国遍路と上高地だけは「疲れた」と言わないことに、我が身の不思議を実感させられています。


雪と氷に閉ざされた御嶽山の滝めぐりへ

 三岳黒沢口から見る御嶽山

 日の出滝旅館と御嶽山

 日の出滝入口

 日の出滝

 田中旅館

大祓滝霊神場

鳥居の上に滝が見えます

 滝の入口

案内の石碑

大祓の滝

 修行者たちの滝行

田中旅館の隣にある弘法堂には毎月訪れているものの、そもそもが霊神場へ参拝する信者すらほとんど出会わない静寂な場所に、大きく響く甲高い声に導かれて声のする方向へ行くと、鳥居の奥にある大祓の滝に4人の行者が入れ替わり滝行を行っていました。

しばらく立ち止まって手を合わせていましたが、行者の発する般若心経の声に圧倒され、同じ般若心経でも仏式とは違う神教の迫力と、周りに残る残雪と水も凍りそうな極寒から響く甲高い大声に冷やかしではおれない雰囲気から滝を後にしました。

 4合目付近から見える御嶽山

松尾滝の鳥居 

 滝入り口の案内板

急な石段を登ります 

 さらに登ります

 行く手を阻む巨岩の落石

 そのむこうには凍った滝が

 氷瀑(ひょうばく)

 百間滝入口駐車場

 冬季はここで通行止めになっています。

 凍結した雪道をひたすら登っていきます

 周りは雪だらけ

 やっと到着です

 こもれびの滝

 ちょっと一服

 案内板

道標 

 百間滝は断念です

行く気満々で登ってきましたが、百間滝まで歩いて4,2キロ2時間30分とありますが、ここまで凍結した雪道を登ってきたことすら限界にあり、ましてや7,2キロあるロープウェイまでは歩けないため、150メートル先にある不易の滝を目指しました。

 百間滝やロープウェイへの道

魅力あるせせらぎ 

 不易の滝入口

 やっと到着です

 迫力ある滝です

 岩から染み出しています

 ここにも休憩所がありました

帰り道です 

 凍結した行き道は歩けません

 そして落石です


数年前から上高地の帰り道に毎月訪れている御嶽山ですが、観光目的ではなく霊神場と弘法堂への参拝に訪れており、これまでも観光目的で訪れたことはありませんが、日の出滝と大祓の滝、松尾の滝も霊神の石碑と鳥居の奥に存在することから、偶然でも行者の滝行に出くわすことになりました。


そんな感覚で中で訪れたこもれびの滝と不易の滝は、完全なる自然環境下にあり、休憩できるベンチや道標も設置されており、雪のない冬季以外ならそのまま歩いて百間滝まで散策できる魅力ある登山道になっていました。


ちなみに、私は子供の頃から祖父が先達だたため、御嶽山での石や植物を持ち帰ったり、虫すら捕獲することを厳しく禁止されており、参拝以外の御嶽山登山は考えたこともありませんが、信者の夏山登山だけでなく、観光客も激減しているものの心の静養のための登山は効果的な環境が整っていると思います。


一方で、霊神場の霊神碑や石柱が地震によって倒れたり傾いたままになっており、このまま放置しておくと益々参拝者が減り、霊峰とか霊山と呼ばれた御嶽山のイメージを低下させてしまうことは心配です。


毎月訪れている田中旅館に隣接する弘法堂にしても、屋根が朽ち欠けており、雨水によって堂内もカビや汚れが激しく、堂内に入るのも怖い環境にあり、その連絡先すら記されておらず、四国遍路のようにお遍路やボランティアによって遍路道や参拝する環境が維持されている気配すら感じられません。


こんな怖くなるような現状を、見事な自然環境にある滝めぐりなどを宣伝し、信者だけでなく観光客も手を合わせて参拝できる参拝環境へ改善していきたいものです。


桑名市の聖天祭 大福田寺へ

大福田寺山門前の団子屋さん 


門前の団子屋さん 過去の一言です


 手水舎

真新しい鐘楼堂 

 本堂

聖天堂 

 聖天堂仏前

本堂の天井 に下がる瓢箪

本堂前の境内

昨日の写真です。

昨日は毎月一日に営まれている桑名聖天祭に訪れました。

大福田寺(だいふくでんじ)では毎月1日に午前10時頃より聖天堂にて護摩法要が行われますが、中村日赤の診察日だったことから11時に到着し、本堂のご本尊である阿弥陀如来と弘法大師に読経後、隣の聖天堂へ渡り廊下から渡ります。

聖天堂には聖天尊が奉られており、堂内の大黒天やお不動様に祈願して、出入り口に置いてある福袋をこれまで持っていた福袋と交換して参拝を終え、納経所前で護摩木に願い事を書き込みます。大福田寺の本堂や、聖天堂の天井は護摩を炊き上げた煤で真っ黒になっており、そのことからも多くの信者が参拝に訪れていることが判ります。

 ここからは大福田寺のフェースブックの写真です。

境内

本堂でのお勤め

聖天堂のお勤め

大福田寺のFacebook

毎月1日に門前へ出店している団子屋「朴乃木屋」さんは愛知県の業者で、9の付く日は名古屋市中村区の中村公園に出展しており、八事の興正寺や笠寺観音にも出店する名店ですが、来月の1日と2日は地元の犬山祭りに出店するためお休みとのことでした。

事務所の入り口にも貼りました


さて、添付したポスターは、来月2日に開催される火渡りまつりの案内ですが、一寺院の行事とは思えない桑名市の一大イベントと化しており、11月に参加した火渡り神事に感激したことから、今度は家内や知人を誘って訪れたいと思っています。

昨日訪れた桑名市の大福田寺と九華公園

神宝山法皇院 大福田寺

三重県桑名市東方1426

自由に参拝できます

本堂への参道

書初め大会の作品です

昔ながらの書初大会が継承されていました

本堂から見る境内

お寺の境内に神社の鳥居

聖天堂への参道

ご本尊 神宝聖天尊

日本三大聖天の一つです

昨日の桑名聖天祭




 毎月一日に聖天堂で開催されている聖天祭は午前中に護摩供養やお勤めが行われていますが、午前中は移送ボランティアがあるため午後の参拝となり、私自身は本堂のご本尊である阿弥陀如来像よりも弘法大師像の前へ近況報告に行く気持ちで訪れています。


 さて、大福田寺では明日の3日に節分と鬼負い祭りが開催されますが、昨日と同様に午前中は病院へ移送する患者さんがあり、夕方には車検に出した車を取りにいく必要があるため参加することはできませんが、本堂に置いてあった福豆をいただいてきました。


 大福田寺の福豆は黒豆で、家計が黒字になるように黒豆を使用しており、豆ご飯にしても美味しいとの案内がありました。


九華公園

公園から見える柿安本店

大きな店舗です

野菜や果物も

さすがに肉の種類は多彩です

常時入れ替えられるお弁当

人気コーナー

火曜と水曜はコロッケがどれでも100円

店前の小庭

創業者のプレート

初代桑名城主本多忠勝公の銅像
昨日の写真です。
  

津島町並ミュージアムから引用


 私がヤフーブログ時代からお気に入り登録していたブログですが、桑名市の情報とともに、本多忠勝公の書き込みが続いており、せっかく桑名市まで出向いておりながら、大福田寺の参拝だけで帰るのはもったいないため、今回は九華公園まで足を運びました。


日曜日に立ち寄った御嶽山黒沢口の里宮

本日午後5時26分の写真です。

日曜日午前6時46分の御嶽山
西野川

ほんしゃ橋

日野製薬里宮店 長野県木曽町三岳

御岳神社 社務所 木曽町三岳3793

鳥居

石段

本殿

本殿横の御嶽古道入り口 2合目付近

本殿境内から見る石段

降りてきました

元の道路と橋の遺構

その橋の右側の石段

平和観音

木曽御嶽本教の建物

太陽の丘公園 お祭り広場

日曜日午前10時21分の御嶽山


2日前の日曜日の話となりますが、御嶽山黒沢口4合目の日の出滝に隣接する明栄講霊神場へ午前7時に手を合わせたいと車を走らせると、目的地を目前にして道路は完全なる凍結状態で、まだ薄暗い道路を確認しようと車を降りると靴が滑って一歩も歩けない状態でした。

一瞬にして御嶽山は観光地ではなく多くの霊神の碑が居並ぶ霊山であることと、自分の都合だけでまだ陽も昇らぬ凍結した道路を進む私自身への神様と祖父(道成霊神)の戒めかもしれないと閃き、御嶽山の入り口となる里宮にも参拝していない無礼な自分への警鐘と頭に閃光が突き刺さったように感じました。

そんな訳で一度通った道路を戻って里宮の御嶽神社の社務所前に車を停めました。

そしてこれで今日の御嶽山も終わりかもしれないと思い、これまで急ぎ足で参拝を終えていた神社周辺を眺めると、社務所の裏側に石段があり観音像があるのを見つけましたが、観音像や祠に気がつく人は居ないと思われます。

西野川にかかる大社橋を渡ると、かつては現在の道路の北側に橋があった遺稿が残っていることが判り、私が初めて御嶽山へ訪れた際には通っていたことと、神社の本殿横から進む御嶽古道をかつては先達について歩いていたことも偲ばれてきました。

さて、御嶽山の頂上にある奥社は宝亀5年(774)に勅命を受けた信濃国司によって山頂に祈願したのが始まりと言われていますが、里宮となるこの御嶽神社も奥社と里社若宮とともに三社を以って御嶽神社と称されており、古い歴史を考えるとあまりにも疎かにしていたことが判ります。

かつては、御嶽山に参拝する人は限定され、しかも登拝する祭には「百日間精進潔斎」という厳しい修業をしていたことを考えると、観光やスキーで訪れる車と一緒になって自由に参拝できる現代社会の甘さも実感させられます。

私の祖父が大祭を前にして真冬に百日間も冷たい水を被って修業していた御嶽山の先達の厳しさを、何の修業もしないまま数回巡拝すれば先達となる四国や西国巡礼の甘さも、同じ先達という言葉は一緒でも全く次元の違う信仰の奥深さも思い知らされます。

そんな想いをめぐらせていると、鉛色で包まれていた御嶽山の霧が晴れて、わずかでも山頂の姿が拝めるようになり、輝くような陽射しによって立つことも出来なかった道路の凍結が溶け出し、神様の登拝の許しが出てきたように(身勝手に)悟り、再度霊神場を目指しました。

そして、到着後は濃い霧に包まれていた霊神場にも陽が射し、講祖覚明霊神や諸霊神に参拝していると、祖父の霊神場の隣にある「明栄講ろ組」の霊神場で、寒山登山の神事を準備中の教会長や先達さんから一緒に護摩行や神事に参加しないかとお誘いを受けました。

昭和46年に他界した祖父が生前中に行っていたお勤めや修業の回顧となる参拝となりました。護摩の焚き上げや神事は明日書き記します。

京の三弘法 仁和寺


 仁和寺 仁王門

 駐車場

寺標 

山門から見える境内

本坊表門

本堂境内 

御殿 

しん殿 

 勅使門

案内図 

中門までの参道 

 中門

 五重塔

 壮大な五重塔

金堂 

 本殿前

水掛 不動尊

水をかけます 

 御影堂入口

 御影堂

 鐘楼

 大黒堂

 成就山八十八ヶ所


御室八十八ヶ所霊場は、文政10年(1827)当時、四国八十八ヶ所への巡拝が困難であったため、時の仁和寺29世門跡済仁法親王の御本願により四国八十八ヶ所霊場のお砂を持ち帰り、仁和寺の裏山である成就山山道に埋め、その上に諸堂を建て霊場を整備したのが始まりです。成就山(236.0m)



 観音堂

金剛華菩薩像

御室会館 

 仁和寺東門
昨日の写真です。

仁和寺は仁和4年(888)に創建された真言宗御室派の総本山ですが、規模が大きいだけではなく参拝できる環境が整っており、成就山には四国八十八カ所のそれぞれのお堂を建てた本格的な八十八ヶ所が存在します。

全国各地のお寺にミニ八十八ヶ所が存在しますが、境内や裏山に石仏が置かれただけの霊場が多く、仁和寺のような大掛かりな八十八ヶ所は初めて目にしました。

2時間ほどで回れる霊場との案内ですが、それぞれの札所のお堂で真言を上げると半日がかりになるため、今回は後日への先送りとして、改めて巡拝に訪れたいと思います。

参考にしてください。
仁和寺 成就山八十八ヶ所ウォーク 護摩祈祷会
・10月2日(日)・11月6日(日)・12月4日(日)

2ヵ月ぶりの御嶽山霊神場へ

中央道

恵那峡サービスエリア

国道19号線

上松宿 中村屋の五平餅

道の駅 御岳

JR中央本線

木曽福島 元橋

御嶽神社里宮


本殿までの石段

御嶽本教社務所

明栄講 霊神場

祖父の石碑

明栄講 ろ組霊神場

夕暮れの御嶽山
本日の写真です。

本日は家内の運転で御嶽山霊神場を訪れて、講祖諸霊神や祖父の霊神碑に手を合わせてきました。

ここ数年上高地の帰り道に必ず立ち寄る場所ですが、両手の不調により4月以降訪れておらず2ヶ月ぶりの参拝となりました。

さて、5月に上高地を訪れた際に、知人と一緒に行動していたこともありましたが、それよりも両手の不調により身体全体にストレスを溜めていたため御嶽山に立ち寄らず、へ「毎月来る」ことを怠ったことも現状の体調不良につながっているかもしれず、何も言わない私を心配する家族からプレゼントの参拝ともなりました。

日頃、木曽路は深夜に通行することが多く、本日は午後からの出発だったものの、私自身が木曽路で一番の評価をつけた上松宿「中村」の女将さんと五平餅の雑談に花を咲かせることができ、目の前で真空パックにつめた五平餅をお土産に持ち帰ることができました。

家族に誘われて外出して

愛西市から見えた津島市内の火事の煙

お千代保稲荷参道


お千代保稲荷鳥居

弘法大師堂



本日の写真です。

本日は岐阜県海津市のお千代保稲荷の参道と、近くの弘法大師堂へ参拝に訪れました。

先月中旬から外出できず、最近は運転が出来ないため自宅に篭っている私を心配した家族や孫から思いやりによる遠出となりましたが、せっかくの昼食も箸が持てないため飲み込むのがやっとの思いでした。

 岐阜県海津市のお千代保稲荷は参道の買い物とお千代保稲荷参拝が目的と思われるでしょうが、私は近くにある弘法大師堂を目標にして参拝に訪れました。

長年車を走らせている場所ですが、両手の不調だけでなく足腰も悲鳴をあげているため、助手席から孫が走り回る姿を見守るような外出ともなりました。
ギャラリー
  • ようこそ 大鹿一八の納経所へ
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  • 令和6年 上高地開山式の様子です
  • 三重県桑名市大福田寺の聖天祭へ
  • 毎年恒例となった我家のアンズジャム作りへ
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  • 本日もボランティアの一日となって
  • 我家のきゅうりとプランターのイチゴです
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