4日(木)の写真です。
古刹
仁王門
参道
太子堂には聖徳太子が祀られています
富貴を授けるという大聖歓喜天尊が祀られており、商売繁盛を祈願する人々に信心されているようです
参道
大杉
大銀杏
本堂
本堂前
高野山真言宗の寺院である長尾山平福寺は、千年以上の歴史を持つ安曇野屈指の古刹です。その開基は不詳ですが、諏訪大社下社にあった神宮寺の僧・憲明阿闍梨(?-1396)の中興とされます。
長徳年間 (995年~99年) の創建と伝わり、本尊の木造聖観音菩薩立像は平安末期の作風を残し、鎌倉初期の重厚さがにじみ出ていると言われる長野県安曇野市では最古の仏像だそうです。長尾の観音様と昔から庶民に親しまれてきた広大な境内を持っていた古刹ですが、明治初期の廃仏毀釈によって観音堂を残して廃寺となったことは残念の一語です。
平福寺を訪れる前日に参拝した満願寺 (725年創建) と松尾寺 (651年創建) も真言宗のお寺ですが、先月参拝した松本市の真言宗山派の牛伏寺 (ごふくじ756年創建) も含めて、弘法大師空海の真言密教が高野山から遠く離れた信州で伝承されてきたことに驚きです。
牛伏寺では毎日護摩木を焚き上げる密教伝来の祈願が僧侶によって行われていますが、平福寺では地域をつなぐ交流施設が新たに建てられており、ダンスや武道だけでなく宿泊もできるうえに葬儀や通夜もできるという現代風の魅力あるお寺でした。
上高地の行き帰りの道草ですが、信州には歴史のある古刹が点在することから、四国や高野山から遠く離れていても弘法大師空海の近くに居るような同行二人を実感させられるようになりました。これも来週15日の上高地閉山式が最終日となります。
3日(木)の写真です。
満願寺駐車場
長野県安曇野市穂高牧1812
お経橋のたもとには地蔵堂が建ち、中には500体に上るお地蔵さまが祀られている。子授け地蔵として古くからの信仰を集めており、この地蔵を借りて行って添い寝すると子宝に恵まれると言われると発信されているが、残念ながら山門は訪れておらず、何よりも“安曇野の名水”として知られる標高900mの境内から湧く湧水を知らずに参拝してしまいました。
ここからは松屋寺です。
松尾寺公園入口
長野県安曇野市穂高有明7327
案内板
藤棚
紅葉したドウダンツツジ
山門への参道
山門
参道
本堂への石段
鶴王山松尾寺本堂
松尾寺は 長野県安曇野市穂高有明に在る高野山真言宗の寺院。山号は医王山。院号は常楽院。本尊は薬師如来。 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
『長野県史』では本尊を安置する薬師堂を造営したのが支族の古厩氏である盛政で、創建自体は白鳳2年(651年)までさかのぼるとしているが、信府統記によると1528年、仁科盛政を開基として中興されたとされたともある。本尊は薬師如来。
どちらにしても残念なことは、満願寺と同じく明治の廃仏毀釈によって、薬師堂(本堂)と仁王堂を残してすべて取り壊されてしまったことで、お寺周辺には、桜、水芭蕉、カタクリ、藤棚、ボタンなど、季節によっていろいろな花が楽しめると言い、大規模に藤棚や公園内には郷土資料館もあるのでゆっくりと訪れたいお寺です。
案内版
弘法大師空海が誕生したのが774年のことで、高野山開創が勅許されたのが816年であることを考えると、715年に池から出現した仏像を堂宇に安置したとされる満願寺の歴史は古く、松尾寺が651年に創建された(1528年創建との説もあり)とすればとてつもない歴史を有していることになります。
長野県の松本市や安曇野市に、こんなに歴史のある古刹が残されていることには驚きで、参拝する人の姿は無かったものの、参拝できる環境が整っており感動の参拝となりました。
3日はその後午前中に上高地へ入り、田代橋から小梨平まで巡視した後の午後は、環境省ビジターセンター前で望遠鏡を出して定点解説中の先輩ボランティアを手伝って一日の活動を終えました。
牛伏寺砂防ダムと松本市街
寺標
牛堂
立て札
参道入口
山門前
大銀杏
金峯山牛伏寺(ごふくじ) 長野県松本市内田2573
牛伏寺は、長野県松本市内田にある鉢伏山の中腹、海抜千メートルの幽谷の地に位置する真言宗智山派の寺院。山号は金峯山。本尊は十一面観音。鉢伏山の西側中腹に位置する。古くから修験道の寺として知られ、県下で屈指の規模と文化財を誇る寺院である。
寺紋
山門周辺
昨日の写真です。
私は上高地から愛知県への帰り道として通る山形村や朝日村から、国道19号線沿いの木曽路にある古刹や史跡などに立ち寄ってきました。
今回は上高地の宿が満杯で取れなかったため、二日目となる昨日は目標を変えて松本市街の東側に位置する牛伏寺へ参拝のため訪れました。
このお寺は信州で唯一の厄除け観音として、一年を通じ毎日ご祈祷を受け付けており、一日に4回観音堂で護摩を焚いたご祈祷が行われています。
お寺が創建されて1300年(756年創建)の歴史があり、国宝や国の重要文化財となる仏像が多く残されていますが、私が参拝に訪れるお寺は古いだけでなく参拝できる環境の整った真言宗のお寺を中心として訪れてきました。
空海の生まれた四国や真言密教の聖地高野山から遠く離れた長野県に、空海が中国から持ち帰った密教の歴史が延々と伝承されていたことにも感激です。
本日の写真です。
本日添付したお寺は三重県桑名市の古刹大福田寺です。創建は飛鳥時代で、聖徳太子が開いたと伝わる真言宗の歴史あるお寺です。
本尊は阿弥陀如来で、三重四国八十八ヶ所霊場の一番札所で、伊勢七福神と伊勢西国三十三所の札所でもあります。
本日は偶然にスマホを見て大福田寺へ立ち寄ったため、真言宗のお寺であることも知らず、朱印帳も持参しておらないため、改めて参拝する旨を納経所に伝えて山門を出ました。
ところが、駐車場で偶然にも帰られた直後のご住職に声をかけられ、お寺の歴史や由来を聞くことができました。
そして、ご自身は次男のためお寺の後継者ではなく高校教師をしていたものの、住職の兄で先代住職が病で倒れられたため、64歳で僧侶になった経緯など時間を忘れて雑談に花を咲かせてきました。
こんなことが相性というのか、巡り合わせというのか分かりませんが、住職が私と同じ昭和28年生まれ(学年は住職が1年上)であり、真言宗や弘法大師を信奉する私にとっては久しぶりとなる初対面の僧侶と意気投合する出会いとなりました。
住職との会話で毎月一日に桑名聖天月例祭が行われており、信者や参拝者が書き残した護摩木のお焚きあげが行われると聞き、来月に再度訪れる約束をしてお寺を後にしました。
大福田寺は愛知県津島市の我が家から車で40分程度の距離にあり、これから新たに参拝できる真言宗のお寺が増えました。
源義朝公のお墓
昨日訪れた知多半島美浜町にある野間大坊の大御堂寺の写真です。
野間大坊(のまだいぼう)は、愛知県知多郡美浜町にある真言宗豊山派の寺院。本尊は阿弥陀如来。山号は鶴林山。正式には鶴林山無量寿院大御堂寺(かくりんざん むりょうじゅいん おおみどうじ)と称し、宗教法人としての公称は「大御堂寺」である。寺がある美浜町野間は源義朝の最期の地であり、境内には義朝の墓がある。
『大御堂寺縁起』には、天武天皇(673~686)の時代に役小角が建立、聖武天皇の時代に行基により中興されたと伝わり、寺伝には「その後空海が一千座の護摩を炊き庶民の幸福を祈った」と愛知県へは来ていない空海の名前も記されているのであくまで言い伝えですが、歴史の古い真言宗の古刹です。
源義朝の最後
平治元年(1159年)、平治の乱に敗れて東海道を下ってきた義朝は、随行していた鎌田政清の舅・長田忠致の許に身を寄せるが、忠致・景致父子は平家からの恩賞目当てに湯殿(野間駅の東にある法山寺にあったとされる)で入浴中の義朝を欺し討つ。この時、義朝は「我れに木太刀の一本なりともあれば」と無念を叫んだとされる。
この源義朝公の御廟の中に、織田信長の三男信孝のお墓が残されており、信長が本能寺の変で亡くなっているとは言え、織田信長の三男でありながら家臣であった豊臣秀吉と戦って敗れ、大御堂寺の近くにある安養院で自害させられたことに残酷な戦国時代を実感させられます。
昨日訪れた美浜町に残されたお墓から、数百年前まで何所で殺されるか判らなかった世情と、突然死んでも家族と最後の別れもできないコロナ禍の現代社会にも共通する人間の儚い生命を感じさせられました。
1月23日の一言
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