愛知県社会福祉会館
名古屋市中区白壁一丁目50番地
目的地は四階愛知県社会福祉協議会総務部です
見事な玄関屋根
ジャン・アンリ―・デュナン像
国際赤十字社のルーツ
四日市市のFさん
平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。
愛知県社会福祉会館
名古屋市中区白壁一丁目50番地
目的地は四階愛知県社会福祉協議会総務部です
見事な玄関屋根
ジャン・アンリ―・デュナン像
国際赤十字社のルーツ
四日市市のFさん
日曜日に戴いた法螺貝
立派な法螺貝です
3月19日(日) 第二日目
第39番延光寺から第48番西林寺まで巡拝
第39番延光寺で法螺貝を吹く青年と出会い、第43番明石寺まで一緒でしたが、偶然にも我が家と近い三重県四日市の人物と分かり、四日市のお寺で再会する約束をしました。新鮮な出会い でもありました。
入浴 古岩屋荘の温泉 愛媛県上浮穴郡久万高原町
車中泊 天空の郷 さんさん 愛媛県上浮穴郡久万高原町
3月21日(火) 第四日目
松山市内の路面電車
第49番から65番まで
入浴 湯あそびひろば 三島乃湯 愛媛県四国中央市三島中央一丁目
車中泊 道の駅とよはま 香川県観音寺市豊浜
3月22日(水) 第五日目
第66番雲辺寺から見える雲海
高松北警察香西派出所 午前6時03分
前日マックへジャンパーを忘れており、早朝から警察派出所へ受け取りに走りました。
第11番藤井寺から第17番井戸寺まで巡拝で結願(満願)
道の駅くるくるなるとで土産物(買い物)午後4時08分
四国鳴門市から大鳴門橋を渡り、一般道で淡路島を走った後、東浦インターチェンジから高速道路へ入り淡路サービスエリアで夕食休憩。そのまま明石海峡大橋を渡り、山陽道から新名神、西名阪を利用して愛知県の自宅へ午前0時30分到着しました。
今回のお遍路は軽自動車を利用して、毎日必ず入浴することと、必ず三食の食事を摂る車中泊でしたが、日頃車中泊に利用するキャラバンと違い、座席に寝たままで総ての物に手が届き、高速代金や燃料費は半額程度に抑えられたため、自炊は一日だけでコンビニと弁当や外食となり、睡眠時間が十分に取れました。
ブログやフェースブックの発信は、ワイファイ環境の悪い道の駅ではなく、郊外ではコンビニのローソン前の駐車場と、市街地ではマクドナルドの店内を利用しました。ワイファイ通信が途中で途切れてスマホのデータ使用量が増大した道の駅は利用しませんでした。
今回のお遍路中に、徳島市のイベントで宿が何処にも取れず、通しの歩き遍路を断念して途中からスタートしたお遍路さんと遭遇しましたが、明るくなれば自然と目覚め、次のお寺の近くに駐車することで車中泊に勝る効率の良い四国遍路はないことを確信した次第です。
私にとっては当り前の車中泊ですが、宿代が不用なため金銭的な余裕があり、これまで入浴代金や駐車料金などを全く記録していないため、今後のためにも記録しておきたいと思った次第です。何と言っても、今回もびっくりさせられる素敵な出会いに恵まれる四国遍路となりました。
白衣と山谷袋 遍路必需品を積み込みました
昨年12月に十四巡目の遍路から帰り、18日に雪の高野山へお礼参りの参拝をして以来となる15巡目の四国遍路へ今晩9時に出発します。
「予定はずっと」
体調が許せば満願を果たしてから帰ってきますが、昨年発症した膠原病の身体だけに家族は心配しており、最近は随分と体調が戻ってきているものの、起床時間は午前8時過ぎに設定して体調が整うまで外出しておらず、午前7時から参拝して午後5時まで廻れるかは未定です。
さて、満願までと記しましたが、四国各地の知人とら再会も遍路と同じように重要で、満願にこだわらず四国各地を楽しんできたいと思います。
四国遍路と御嶽山(右2本)の金剛杖
小筆から筆ペンへ
平成11年4月の写真 まだ片目も入っていません
雨の中を巡拝していました
満願の御礼参り 名古屋八事興正寺
大鹿一八「本日の一言」 : 遍路の難所 車イス利用者と岩屋寺へ巡拝 (livedoor.blog)
2017年10月31日
大鹿一八「本日の一言」 : 志賀弘法会 四国遍路満願の一日 (livedoor.blog)
5年前には車いすに座る弘法会代表を、四国八十八か所総ての大師堂前まで腕を担いで参拝した私自身も、昨年罹患した膠原病によってメンバーに心配されるような体調に陥っており、自分のお遍路だけで精一杯になっているのも現実です。
さて、三年前のブログを読み直してみると、1月には叔父が他界しており、新型コロナが蔓延する前のため当時開館していた横井庄一記念館にも足を運んでおり、本日は昭和47年に横井庄一さんが発見された日に当たるものの、記念館は館され横井さんを語れる人も存在しなくなったのも寂しい現実です。
今年 令和4年12月4日の写真です
2019年7月15日
第71番弥谷寺の駐車場
令和1年10月13日
第73番出釈迦寺・捨身ヶ嶽禅定
参道
伊藤萬蔵寄進の道標
伊藤 萬蔵(いとう まんぞう、1833年(天保4年) - 1927年(昭和2年)1月28日)は、尾張国出身の実業家、篤志家。 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
第71番弥谷寺の香炉
私が過去のアメーバブログ(2019年以降)に記した伊藤萬蔵さんの記事一覧
四国各地においても、私の生まれた愛知県の大先輩たちの名前を見つけると、歩くしか無かった四国遍路の厳しさと同時に、名古屋から四国へ行くこと自体が大変だったお遍路の先輩たちの苦労も偲ばれ、私のジェット巡拝も笑えてしまいます。
足摺岬散策道入り口

2022-03-23
四国遍路の出会いと再会の三日間 2日目 | 大鹿一八 『今日の一言』 (ameblo.jp)
はじめまして!
ひょっとしたら、21日朝横峰上がりませんでしたか?
私達は下りで 緑ナンバーの良く似た車と離合したのを覚えてます。
3月にこんなやり取りをした佐藤さんからお遍路中にコメントがあり、同じような場所を巡拝中とは分かったもののまさか本当に会えるとは思ってもいませんでした。

昨日6日午後5時の上高地
2年前には10月18日に穂高に初雪が降りましたが、これからの上高地は一気に冬支度を始めて行きます。
膠原病に罹患したばかりで投薬による治療中の私にとっては寒さは大敵で、本日の名古屋の気温低下にも身体が悲鳴を上げている現状で、目的地を四国に変えた明日からのお遍路も無理は禁物です。
そんな時に、「来週末は上高地へ行くから」との私の一言に家族はびっくりですが、四国遍路から帰ってから診察を受け、結果がよければ防寒対策をしたうえ公共交通機関で上高地を目指したいと考えています。
悲鳴を上げる身体と相談しながら上高地を訪れ、結果がよければ11月の3連休に宿を確保して再度訪れることを目標にして体調を回復させたいと思います。
今回の四国遍路は、今晩から夜行で四国を目指します。
上高地
入院と手術
昨年10月は膀胱結石と前立腺肥大症の手術を名古屋の中村日赤で受けて入院していました。
入院直前に上高地を訪れ、手術から一ヶ月にもならない11月には再度上高地へ足を運んでいました。
そんなわけで10月の三連休は当然上高地と思っていましたが、皮肉にも天気予報はよくありません。

明石海峡大橋

本日の夕暮れ
コメダ前
自宅前
13日のキノコ
14日のキノコ
本日のキノコ
本日の写真です。
大型台風が日本に近づいており、3連休の外出は見直すようにテレビから繰り返し放送されていますが、とりあえず安全な一日だけでも四国遍路へ出かけます。
7月に膠原病と診断され、病気療養が優先されますが、医師からこれまでの日常生活を続けるように言われており、身体が重いため休んでいるとますます身体が重くなるため、あえて外出するように心掛けています。
身体の不調を考えると、台風に向かって外出するよりも自宅で休養していた方が楽ではありますが、病気や休養ばかり考えていると外出する意欲が失せてしまうため、病に打ち勝つためにも鞭打って今晩深夜に四国へ向かって外出します。
さて、添付した写真でお分かりのように我が家のキノコが大きく成長しました。
このキノコはヤナギマツタケと言い、食べると美味しいと記されていますが、今回はこのまま食べずに残し、キノコ菌が周辺へ拡大することに期待しています。
平成13年に四国遍路をはじめ、平成19年に四国八十八ヶ所霊場会の公認先達に補認された頃には八十八ヶ所のお寺の名前を全て暗記していました。
ところが最近では物忘れが激しく、お寺の名前が出てこないことも多く、また暗記するのも苦痛だと思っていたところに簡単に暗記できそうな歌を見つけました。
第一番札所から順に、
(1)霊山寺、(2)極楽寺、(3)金泉寺、(4)大日寺、(5)地蔵寺、(6)安楽寺、(7)十楽寺、(8)熊谷寺、(9)法輪寺、(10)切幡寺、(11)藤井寺、(12)焼山寺、(13)大日寺、(14)常楽寺、(15)国分寺、(16)観音寺、(17)井戸寺、(18)恩山寺、(19)立江寺、(20)鶴林寺、(21)太竜寺、(22)平等寺、(23)薬王寺、(24)最御崎寺、(25)津照寺、(26)金剛頂寺、(27)神峰寺、(28)大日寺、(29)国分寺、(30)善楽寺と安楽寺、(31)竹林寺、(32)禅師峰寺、(33)雪蹊寺、(34)種間寺、(35)清滝寺、(36)青竜寺、(37)岩本寺、(38)金剛福寺、(39)延光寺、(40)観自在寺、(41)竜光寺、(42)仏木寺、(43)明石寺、(44)大宝寺、(45)岩屋寺、(46)浄瑠璃寺、(47)八坂寺、(48)西林寺、(49)浄土寺、(50)繁多寺、(51)石手寺、(52)太山寺、(53)円明寺、(54)延命寺、(55)南光坊、(56)泰山寺、(57)栄福寺、(58)仙遊寺、(59)国分寺、(60)横峰寺、(61)香園寺、(62)宝寿寺、(63)吉祥寺、(64)前神寺、(65)三角寺、(66)雲辺寺、(67)大興寺、(68)神恵院、(69)観音寺、(70)本山寺、(71)弥谷寺、(72)曼荼羅寺、(73)出釈迦寺、(74)甲山寺、(75)善通寺、(76)金倉寺、(77)道隆寺、(78)郷照寺、(79)高照院、(80)国分寺、(81)白峰寺、(82)根香寺、(83)一宮寺、(84)屋島寺、(85)八栗寺、(86)志度寺、(87)長尾寺、(88)大窪寺
藤圭子さんの歌に合わせて一番寺から順に見ていくと簡単に覚えられそうです。
ついでに四国遍路に関係する歌も見つけて添付しました。
2021年7月22日~25日
車中泊による四国遍路 | 大鹿一八 『今日の一言』 (ameblo.jp)
1年前には四日間に渡り四国遍路を巡拝していました。
これからは自分の体調と相談しながら肉体的ストレスを感じないゆっくりした巡拝に心がけていかないとならなくなりました。
【情報求ム】77番手前の親父さん
道隆寺手前で小さなお地蔵様の焼物をお接待しておられた親父さんですが、今年通ったお遍路さん複数名から「今回は親父さんが出て来なかった」との情報が入っています。
何かあったのでしょうか?それとも単にお遍路さんが減ってお接待を止めてしまったのでしょうか?何かご存知のことはございませんか?
四国八十八カ所を巡拝するFacebook の発信の中に、かつての歩き遍路で出会った懐かしい人の安否を心配する記事を見つけました。
2011年11月02日
大鹿一八「本日の一言」 : 讃岐・七ケ寺まいり (livedoor.blog)
かつて77番道隆寺を目指して歩いていた私の背後から「お遍路さん」と大きな声が聞こえ、私を追いかけてくる親子の姿がありました。
「息子の焼いたお地蔵様をもらってください」と走って私に追いつかれ、後ろから息子さんが追いつかれたときには涙を堪えるのに必死でした。
それが松井さんとの初めての出会いでした。
2013年11月23日
その後歩き遍路友の会東海のメンバーと歩いている時にも出会い、仲間と一緒に記念写真に納まりました。
その後10年ほど歳月が経過しており、Facebook の発信を読んでいつでも会えると思っていた自分自身が、最近の体調不良で何時でも四国に行けるわけではなくなったいる現実からも、時間の経過を実感させられました。
四国遍路で出会った人たちがそれぞれお元気でおられることを祈るばかりです。
さて、本日は中村日赤の医師から電話があり、検査結果とともに病名が確定したことから明日から新しく処方されていた薬を飲むことになりました。
私にとっては天国からの電話ともなりました。
21日に出会ったキャンピングカー 65番三角寺
前日車中泊の道の駅小松オアシスから一緒でした。
前日出会ったМさんご夫婦と朝の記念撮影
四国フォト 善通寺の広瀬さんと再会
第74番甲山寺
出釈迦寺から見る捨身ヶ嶽禅定
ワンちゃんのお遍路さん
白衣と輪袈裟姿です
第70番本山寺 五重塔
名古屋の伊藤萬蔵さん寄進の花台
お雛様を公開中でした
工事中の67番大興寺本堂
66番雲辺寺からの遠景
別格14番椿堂
「私も明日から3日間で満願を目指します。60番からスタートし、香川県の2か所で車中泊の予定です」とコメント欄に発信すると、「僕らは2日間で残りの24カ寺をお参りするつもりなので途中でお会いするかも知れませんねェ」と返信があり、出会うためには逆打ちしかないため香川県道の駅みろくで3時間仮眠後に大窪寺から巡拝を始めました。
途中でそれぞれの現在地をフェースブックのコメント欄から報告しながら巡拝すると、午後4時頃に「今78番に向かっています!」の書き込みがあり、「78番で待っています」と返信して、家族を参拝に送り出して駐車場で待っていると、背後から「もしかして、大鹿さんですか」と声がかかりました。
3回分の重ね印
2年前に訪れた時は相棒リマも同行させており、奥之院までは一緒に車へ乗せてもらいましたが、今となっては相棒との懐かしい思い出の場所になってしまいました。
「四国遍礼道指南増補大成」
しこく遍路考
江戸時代は、旅の時代です。「徳川の平和」「泰平(たいへい)の世」と呼ばれる時代に、街道が整備され、参勤交代を行う武士だけでなく、許可を得て多くの庶民が旅に出ました。藩が国であった時代、旅に出る時はパスポートである往来手形が必要でした。庄屋や檀那寺(だんなでら)が身元を保証し、全国の関所や村役人に向けて、関所の通行要請や死亡した場合の取り扱いなどを書きました。
旅の隆盛とともに、西国巡礼や伊勢参り、金毘羅参りなど様々な案内記が発行され、人々を誘いました。四国遍路初めての案内記は、貞享4年(1687)の真念『四国辺路道指南』です。重版を重ね、書名の漢字も僧侶の修行であった「辺地修行」につながる「辺路」から、弘法大師聖跡の巡礼を表す「徧礼(へんろ)」「遍路」に変わっていきます。大坂の荒野聖・真念は、出版動機を「弘法大師850年忌にあたり老若男女の初心者も四国遍路できるように」と記し、歩きやすい道を選んで紹介しました。自身も200基以上の道標を建て、遍路宿を整備して、四国遍路興隆に寄与しました。
その後元禄2年(1689)、高野山の学僧・寂本の『四国徧礼霊場記』、同3年の真念『四国徧礼功徳記』が刊行され、同4年には歌舞伎『四国辺路』が京都で上演されており、畿内で四国遍路ブームが興っていました。
四国遍路に来た人々の日記も残っています。現在確認されている江戸時代の遍路日記は51点で、多くは地名・距離・難所が記された単調なものですが、筆者が福岡県立図書館で発見した佐治家の「四国日記」は、最も記述内容が豊かな日記です。
津屋崎村(福岡県福津市)の豪商佐治家一行は、7人連れで弘化2年(1845)2月22日に出発。小倉や萩、岩国の城下町、宮島を見物しながら、船で三津浜に上陸します。太山寺を打ち初めに四国を北上、55日で一周します。四国に入ると初日から登場するのが接待です。
集計すると、最も多いのは、香物(漬物)21件と赤飯18件です。続いて、髪結い7件、銭5件、唐豆類5件、煮しめ4件、餅2件、わらじ2件があり、白飯・焼米・ひきわり飯・弁当・はったい粉・トウキビ・薬・茶・豆腐・吸い物が各1件記されています。旅に必要な、自分にできる接待を行っていることが分かります。
接待主の名前も記されており、他村や他国からも接待に来ていることが分かります。伊予で13件、讃岐で25件(うち備中9件、備前1件)、阿波で11件ある一方で、土佐は0件となっています。藩から接待禁止令が出ていたためです。
遍路日記は、その時代の巡礼や社会の姿を伝えてくれます。江戸時代から続く接待は、重要な四国の文化なのです。(愛媛大学「四国遍路・世界の巡礼研究センター」センター長・胡光)
朝日新聞の転載です。
本日は車中で夕暮れを迎えました
病院駐車場で待機です
2020-02-09
我家から30分も走れば適度な登山もでき、県内でも足を延ばしていない場所が存在し、最近メンバーに入った車中泊と道の駅のフェースブックから魅力ある発信を眺め、冬でも四国遍路や西国巡礼を続ける人々の吐息まで聞こえそうな発信が続々と届いてきます。
もっとも、コロナの蔓延防止措置が出されていなければ、明日から3日間は四国遍路を予定して13回目の満願を終えていたはずですが、外出自粛が当り前となり、明日から三連休であったことも完全に忘れていました。
谷汲山華厳寺
こんな雪でも巡礼者が存在します
マキノ高原メタセコイヤ並木道
Kei Takahashiさんのフェースブック参照
白銀の世界です
あこがれの世界です
最近参加するようになったフェースブック「道の駅de車中泊」から、自分が体験しているような臨場感のある写真が発信されており、自分が過去に訪れた場所に立っているような錯覚と、相棒リマとともに訪れた車中泊が昨日のように思い出されてきます。
昨年7月の車中泊 7月22日から25日
一方で、この頃からペット厳禁となっている上高地へ相棒リマも一緒に連れて行くようになり、相棒の存在が自然と車中泊の旅行となり、相棒と共に仙台や岩手県まで車を走らせテント生活や車中泊となる中で、天候に左右されない車中泊が当り前のスタイルとなりました。
2012年08月24日
2012年08月26日
2015年08月08日
相棒と一緒に上高地や四国遍路に行くためスタートした車中泊が、2年前に相棒が旅立ったあとも相棒リマのケージとウエアを車に積んで旅に出る生活が当り前となり、居なくなった相棒を忘れないためには車中泊を続けていことと思っています。
昨年11月の車中泊
2019-12-16
コロナ禍で人との接触が問題となる中で、車中泊の四国遍路はほとんど観光客と出会うこともなく、上高地や木曽路など山や大自然を相手にする旅行は新型コロナに感染するリスクもほとんどありません。
フェースブックから各地の車中泊の様子が次々と届けられ、厳冬期で外出をしぶっていた自分にとって、久々に旅先の魅力を感じさせられるようになってきました。
2月8日の一言
千枚通しです
大学病院の検査をはじめ、知り合いの医者を訪ね歩いても、「異常なし」と言われたものの、食事も一切口に入らないとの知人の話を聞き、「そりゃー、千枚通ししかない」との私の一言に、知人はびっくりした顔をしました。
知人は「千枚通し」を、先の尖った穴を開ける「千枚通し」と思い、この「千枚通し」で身体に穴でも開けると思ってびっくりとしたようですが、私の紹介した「千枚通し」は紙と言ってもオブラートのように薄いものです。
今から12年前のブログ記事ですが、ヤフーブログからライブドアブログに過去の記録として引っ越し、保存してあった記事が人気記事にランクされており、当時の何事もなく当たり前に記した記事も、読み直してみるとびっくりさせられる書き込みになりました。
四国遍路で入手した千枚通しです
おいり
昔から西讃岐にだけ伝わる伝統の嫁入り菓子です。