大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

地震

上高地からの帰路に 御嶽山霊神場

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御嶽山日の出滝前 明栄講霊神場
                           あま市甚目寺町覚礼行者を中心とする霊神場

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私の祖父の石碑もこの上にあります

 先週日曜日の上高地の帰り道に、御嶽山黒沢口にある明栄講の霊神場を訪れたところ、今年6月の震度5強の地震によって傾いたり倒れた石碑を、石材店の重機が入って本格的な修理が行われていました。

                         https://blogs.yahoo.co.jp/s281218/49861839.html

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愛知県あま市七宝町の
                         徳開霊神を中心とする「ろ組」の霊神場

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大きな重機が入っていました

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黙々と修復が続けられます

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木曽町三岳・黒沢口の「太陽の丘公園」 夕暮れです

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                                         ※いずれも今週日曜日の写真です
日野百草本舗 里宮店 https://hino-seiyaku.com/store/satomiya/

 私の母方の祖父は御嶽山明栄講の先達でしたが、旧尾西市の橋本講社の道行行者(霊神)のもとで修行し、あま市甚目寺町新居屋にある(山田)覚礼行者(霊神)が始められた明栄講に亡くなる年まで修行に通っていました。

 そんなことから、私は小学校2年生の時から毎年夏に御嶽山山頂まで参拝に訪れ、冬も麓の御嶽教参集所まで付いていっており、祖父や祖母とは中学2年生の時まで一緒に御嶽山に参拝していました。

 その祖父も、横井庄一さんがグアム島で発見された昭和47年夏に他界し、我家の御嶽山の祭壇は、祖父の後輩となる津島市の先達、垣見さんに現在まで面倒を見てもらってきましたが、高齢となる垣見さんが亡くなられると依頼する先達さんがなくなります。

 今年6月に震度5強の地震が発生し、霊神場の多くの石碑が傾いたり倒れていましたが、少しづつ修復が図られ、地震発生直後の悲惨な状況は改善されてきましたが、講祖や関係者の経済状態の違いによって格差が大きく、倒れるがままとなった霊神場があることは寂しい現実です。

 我家の新家の祖父も御嶽山明栄講の先達で、私の祖父の霊神場の隣にある「ろ組」に石碑があり、今回は現地から連絡して霊神名と建っている場所を聞き、初めて石碑前でお経を唱えてきました。

 さて、最後に添付した写真は、黒沢口にある日野製薬里宮店ですが、かつては日野製薬創業家の婦人がおられ、祖父を知っておられたことから、このお店で百草丸や土産を購入すると、独断で定価を無視したような値引きをして下さり、そのために絶対に素通りしてはいけないお店でしたが、最近はそのことすら語れる人が居なくなりました。

 祖父の家も、数年前に伯父が亡くなり、後継者(私の従兄弟)が母親に御嶽山の神棚を処分するように伝えており、祖父が生きておれば大声で怒鳴りつけたと思われますが、初孫の私以外は祖父の恐ろしさも知らない現実に年月の経過を実感させられます。

 上高地のボランティアを続けている間は、帰路に祖父の石碑の前にたち、祖父の言霊を聞くまで訪問を続けたいと思っています。

            本日の体重 71、7キロ 徒歩数 3105歩 間食あり
                                      10月6日の一言

東日本大震災から四年が経過しており

 昨年11月に浪江町のがれき集積場で見つかった頭骨が、4年前の東日本大震災で行方不明となっていた浪江東中学校1年、大浦清華さん(当時13)のものと本日福島県警が特定したと報じられています。これで福島県内の死者数は1612人、行方不明者は202人となったとも記されている。

震災津波で不明、中1女子の骨と判明 福島県警が鑑定

父さんが見つけてやっからな 娘を潜水捜索、宮城・石巻
記事の続き…
「絵美ちゃんも一緒に捜してやっから」という高松さんの言葉に、成田さんも「自分も何かしなければ」と決意した。石巻市でダイビングショップを経営する高橋正祥さん(35)の指導を受け、昨年7月に潜水士免許を取得、月1、2回の捜索に参加している。
 成田さんの妻、博美さん(54)は絵美さんの携帯電話料金を今も払い続けている。毎日絵美さんにメールする。「えー(絵美さん)明日お父さん探しに行くからね。早く帰って来るんだよ。ごめんね。会いたいよ」今年もひな祭りのちらしずし、お吸い物、ケーキを絵美さんのために用意した。
 絵美さんと共に過ごした自宅は津波で流された。引っ越し先の居間には、等身大の絵美さんの肖像画がほほえむ。
 「見つけるのは針の穴を通すより難しいって感じる。けど、私と女房にとって一番大切なもの。それを持って行かれるくらい悪いことしたのかな」。父は娘の姿を毎日見つめながら、今も問いかけている。

地震の被害が深夜まで続き 2011/3/11(金) 私の一言
                   http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/44824077.html 

 もう4年も経過したと思う反面で、現在も妻を捜して潜水を続けている人物が存在し、その姿を見てダイビングの訓練を受けて自分の娘さんを探し続けている人についての発信も報じられています。

 福島県で発見された人骨の特定ができたとの報がありますが、海に流された不明者を探すことは至難の業で、海底の泥や瓦礫の下敷きになっていれば判らないばかりか、行方不明者の数を考えると暗黒の海底にもぐるのは躊躇してしまいそうです。

 病気や事故で家族を失うこともありますが、行方不明のままに家族の死を確認できない状態は残酷です。
 我家においても、昭和20年に沖縄にて伯父が戦死し、その戦死した場所も特定できていませんが、私の親たちは幼くして両親を亡くしており、祖母の手によって育てられており、戦死した伯父の死を悲しむ親はありませんでしたが、私が親の立場ならそのままにはしないと思われます。

 自分の意思で危険を承知でイラクに渡った日本人の殺害が大きな問題となりましたが、4年経過したとは言え、確実に海の中に存在する人々だけに、打ち切ることなく捜索を続けて欲しいと願います。

 人と犬を一緒に論ずる気持ちはありませんが、最近では犬の葬儀や法要まで行うお寺が存在し、ペットのお墓まで造られる中で、家族の遺骨も戻らぬままに、供養もされないままになっている命の存在と、今も探し続ける家族の存在に、70年前の戦没者の存在も忘れてはならないと思いました。

 私自身は、伯父の戦死した場所とされる沖縄県の「小渡」の場所を探してもらうよう依頼したことがありますが、多くの戦争被害者が存在する沖縄県からは何の返答も無く、行政に期待するのは無駄と思っていたものの、ブログ文化によって沖縄から発信されている人も多いため、今一度場所探しを依頼してみようと思う夜になりました。

                    本日の体重 71、3キロ 3748歩
                                   3月9日の一言

阪神・淡路大震災から20年も経過し

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私のパソコン前で遊ぶピーちゃん 秘書になったつもりかも
 
 6434人が亡くなった阪神・淡路大震災から20年も経過し、新聞を見るまで本日がその日になることを忘れており、20年前の地震発生時となる午前5時46分に、本日も偶然ですが地震を体感した場所の近くにいたことにもびっくりさせられました。
 
 20年前の地震発生時に、私は朝日新聞の津島市と七宝町の販売店主をしており、当時は携帯電話を所持していなかったことから、無人となる七宝店の配達終了を確認するため、市内の公衆電話で通話中に大きな揺れを体感しました。
 
 愛知県でも私が過去に経験したことのない揺れがあり、公衆電話に両手をついても倒れそうな衝撃があり、今でも当日の様子が忘れられませんが、本日も午前4時から会報配布に走っており、意識しないままその公衆電話(現在は公衆電話が無くなりました)周辺を配布していました。
 
阪神大震災20年、各地で追悼行事 教訓継承の決意新た
 
 地震発生直後に、車のラジオから流れてくるニュースでは、地震は大きいものの被害は甚大とは発信されず、帰宅後の朝食時になってテレビ画面から衝撃的な映像や、火災が拡大していく様子が放映されだしました。
 
 東日本大震災にも大きな揺れを体感しましたが、東日本大震災は揺れが長く続き、車に酔うような嫌な気分になったものの、阪神・淡路大震災は揺れ幅が大きく、電柱や電線など建物の揺れが大きく、立っておれないような衝撃を感じました。
 
 本日の報道により、震災時に生まれた子供が成人して頑張っている姿や、生まれたばかりの子供を失った人々の背負った悲しみが、自分のことのように感じさせられ、平和ボケになっている自分の反省も必要に思いました。
 
和歌山)高野山で毎年恒例の「托鉢寒行」
 
 さて、 本日の新聞報道では、高野山真言宗の総本山金剛峯寺(高野町)で16日、毎年恒例の「弘法大師報恩托鉢(たくはつ)寒行」が営まれ、150人の僧侶が黒い法衣に網代笠姿で町内の商店や住宅を回ったとの記事がありました。
 
 寄せられた浄財は、盲導犬育成や震災復興などの事業に役立てられるそうですが、社会福祉に力を注いだ弘法大師の精神を引き継ぐ活動で、9班に分かれて各家を訪れ、店の入り口や玄関先で般若心経を唱えて托鉢に廻る姿に、我々にも実践できる社会貢献の可能性を実感させられます。
 
 本日は、個人的には市民の身の上相談に応対する一日となりましたが、こんな私でも頼りにされていることに責任を感じる一方で、家族間で話し合えば理解できる簡単なことが、他人には論理的に話せるものの、我家にも同じような問題が発生している現実を、自分自身で解決できないのも現実です。
 
                本日の体重 71、9キロ 徒歩数 4479歩
                                     1月17日の一言

全国各地に地震が発生しており

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我家の庭で満開となったツツジとヤマブキ
 
 来週から坂東巡拝や上高地行きが続くことから、やるべき仕事に迫られていますが、やるべき仕事に着手する前に、突然湧いてきた雑用に走っていると、帰宅時に時計は午後3時を廻っていました。
 
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 添付したのは、最近一週間に地震が発生した全国地図だが、本日も震度5以上の地震が宮城県北部と、東京の三宅島で起こっており、14日には震度6弱の地震が淡路島で発生していることを考えると、日本列島全体に地震が発生していることから、地震についての全く素人の私だけでなく、誰もが大きな地殻変動が起こっていることを予感しているものと思われます。
 
地震情報(各地の震度に関する情報)
 
宮城北部・中部で震度5弱 東北新幹線一時運転見合わせ
 17日21時03分頃 震源地は宮城県沖
 
三宅島で震度5強、けが人も 気象庁「噴火の兆候ない」
 17日17時57分頃 震源地は三宅島近海
 
淡路島、早朝に震度6弱 兵庫県内、14人けが、損壊も 4月14日
 
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 さて、右に添付した地図は、過去100日分の地震発生を記したものですが、これを見れば全国で地震と無縁の地区は皆無で、何時何所で地震が発生しても不思議ではないことが判り、半年以内にあなたも必ず地震を体感すると予言しても、ほぼ間違いなく地震が訪れる可能性が高いことが予想できます。
 
 昨日の夕方の話となりますが、私が会員となっている歩き遍路友の会東海の会長さんの訪問を受け、近いうちに四国八十八ヶ所の奥の院や、別格二十霊場を巡る遍路を企画する話がまとまりました。
 
 私の行きつけの珈琲屋さんで3人が話し続け、気がつくと閉店時間となっており、実に3時間以上もの時間を会話に費やしていたわけですが、同じ趣向を持つ中高年の熱は熱く、仕事が山積していることを自覚しておりながら、本日にはこの一言を後回しにして友の会のブログを立ち上げていました。
 
歩き遍路友の会 東海 http://blogs.yahoo.co.jp/s281218_0417
 
 多くの遍路情報を集約することと、多くの人々の書き込みに期待して、今後は友の会の発信基地にしていきたいと考えています。
 
                                    4月17日の一言

知らないままに風化させている現実に

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 美しい九十九里浜・千葉県旭市の飯岡漁港
 
 「3人なら2千500円です」
 「えっ? 4人ならいくらになります?」
 「2千円です」
 「えっ?2千円ですか」
 
 宿泊したホテル(写真左上の建物)のあまりの安さに驚きの会話ですが、数年前のテレビに放映された際に料理が良いと紹介されていたのに、素泊まりのビジネスホテルになっていた事から、経営者と話していると東日本大震災の風評被害で観光客が減ったことと、コンビニ弁当持参のビジネス客ばかりになったためとの話でした。
 
飯岡温泉グロリア九十九里浜  http://www.gloria99.com/
 
 「風評被害があったんですか?」
 「あったどころか、被害も酷かったのよ」
 「ここにも被害が?」
 「そうよ、ここも津波で13人が亡くなっているのよ」
 
 連日報道された東日本大震災でしたが、千葉県の被害は浦安市の液状化による災害ばかりが印象に残っており、旭市や飯岡漁港の津波被害には全く無知で、津波で亡くなった人が存在したことにびっくりとしました。
 
東日本大震災 千葉県旭市飯岡海岸津波被害
 
東日本大震災 ① 飯岡~旭 津波 http://www.youtube.com/watch?v=lIC4M_b6Wz0
東日本大震災 ② 飯岡~旭 津波 http://www.youtube.com/watch?v=jjeJnRYOFVw
 
 愛知県から東北の宮城県や岩手県に出かける災害ボランティアも多いが、千葉県にも甚大な津波被害があった事を知っているのだろうか。あまりにもセンセーショナルな陸前高田市や石巻市の津波の映像が頭に残り、私は千葉県の津波被害には認識しておらず、ネット社会で何でも判っているようでも、自分の狭い情報量を実感させられました。
 
 添付した被災時や被災直後の映像を見ると、宿泊したホテルが映し出され、屏風浦を見に訪れた灯台下や飯岡漁港を津波が飲み込む様子があり、ここで13人もの人々(行方不明も2人)が命を落としているのが信じられません。
 今回の千葉行きでは、知人との再会や、愛犬家との遭遇の中で、美しい九十九里浜にも悲惨な過去があった事を知らされ、ここで起こった教訓を全国で生かすことが重要と思います。 
 
津波の教訓、どう生かす 警報「半信半疑」3割
記事の続き…
 津波が押し寄せてくるまでの行動については、40・8%が「津波に関する情報を得ようとした」と答えたものの、津波による浸水地域を示したハザードマップを実際に確認した人は0・4%しかいなかった。
 気象庁は地震発生から3分後の午後2時49分に大津波警報を出した。これをテレビや防災行政無線で見聞きしたと答えたのは58・0%。このうち3割強の人が「大津波が来るかもしれない」と思った一方、3割弱の人は「半信半疑だった」と振り返った。
 避難を始めた時間に関する問いでは、「5分以内」が9・6%、「5分超~30分以内」が28・9%、「30分超」が4・1%だった。避難しなかった人は18・4%に上った。
 避難したと答えた人は8521人おり、このうち現金や携帯電話を持って逃げたとした人は4割を超えたが、食料や水、防災セットを持ち出したのは1割以下だった。5割近い人が車で避難していたが、渋滞や道路の陥没でスムーズに動けなかったと答えた。車ごと流されたり、水につかったりした人もいた。避難先で津波に巻き込まれた人も210人いたという。
 津波は繰り返し被災地を襲ったが、当日の夕方までに浸水地域に12・5%の人が戻っていた。「自宅の被害を確認するため」「家族や親戚を捜すため」が主な理由だった。
■家族で話し合い 大切
 未曽有の被害をもたらした大震災。その備えについての質問では、1万1400人の24・2%が「避難場所や経路を家族で決めていた」、21・0%が「津波避難訓練に参加していた」と答えた。一方、三陸地方には「大地震が起きたら、てんでんばらばらでいいから早く1人で高台に逃げろ」との言い伝え(津波てんでんこ)があるが、これを意識していた人は9・7%にとどまっていた。
 70・8%が「これほど津波が強い威力とは思っていなかった」とし、「これほど内陸まで津波が来るとは思わなかった」とした人も55・2%いた。
 震災を受け、行政に対して「停電時でも警報や情報を確実に伝える」(68・9%)▽「大震災の記録を後世にしっかり伝える」(62・3%)▽「短時間で安全に避難できる場所を整備する」(54・7%)――ことを求めた。6割を超える人が教訓として「家族と避難について話し合っておく」ことを挙げた。
 被災者がつらい記憶をたどりながら答えたアンケート。群馬大の片田敏孝教授(災害社会工学)は、避難先に行き着いた人が津波に巻き込まれたことが改めて明らかになった点に着目し「いったん避難しても時間が許す限りより高いところを目指す姿勢が大切なことを示している」と話す。
 関西学院大災害復興制度研究所の室崎益輝所長は、大津波警報を見聞きした人のうち3割弱が「半信半疑だった」と答えたことを踏まえ、「大津波警報を見聞きするのは一生で何度もない緊急事態だ、ととらえてほしい」と呼びかける。
 津波で宮城県東松島市の自宅を流された中井政義(まさよし)さん(48)は、長男(20)が車で避難して渋滞に巻き込まれた。命は助かったが、水は足元まで迫った。中井さんは「過去の大津波を私たちは忘れていた。震災を風化させず、語り継ぐことが大切」と話している。
    ◇
 アンケートは昨年8~10月、岩手、宮城、福島3県を対象に内閣府が実施。津波で浸水した地域に住んでいた人のうち約1万3646人に協力を求め、1万1400人が回答した。
 
 ここに添付した朝日新聞は昨日の記事ですが、津波に限らず災害に対する意識は同じことから、「過去の大津波を私たちは忘れていた。震災を風化させず、語り継ぐことが大切」との被災者の声を噛み締めたいものです。
 
                                  1月29日の一言

阪神・淡路大震災から17年が経過し

 阪神・淡路大震災から17年が経過しました。
 
       阪神・淡路大震災
 
 阪神・淡路大震災は死者6434人、行方不明者3人、負傷者43792人と報告されているが、死者の8割は倒壊した家屋の下敷きになって即死しており、約1割の人が室内家具の転倒による圧死との調査結果も残されています。
 
 私の57年の人生の中で唯一記憶に残る地震で、平成7年1月17日の地震発生時の記憶が昨日の出来事のように鮮明に思い出され、体感した場所(当時は新聞販売店を生業にしていた事から、外出していました)と風景が克明に蘇ります。
 
 昨年の東日本大震災と対比される事がありますが、都市直下型の地震のために津波の被害が大きかった東日本大震災とは違いますが、あれだけ多く倒壊した高速道路や建物が数年後にはほぼ復興していたことにびっくりしたことがありました。
 
 数日前より阪神・淡路大震災の話題が報道されていますが、本日は被災した午前5時46分より各地で犠牲者を悼む鎮魂の祈りが始まり、現地で黙祷する様子が報じられましたが、東日本大震災の被災者も参加し、「命、絆、希望、共に歩む、1・17から3・11へ」と互いの犠牲者を悼むメッセージに17年の経過を感じましたが、17年前の被災者が未だに孤独死している現実から、過去の出来事にしてはならないとも思います。
  
1・17から3・11へ 二つの震災の地で鎮魂の祈り 
 
 自然災害は、いつ何処で誰が被害者になるか判りませんが、阪神・淡路大震災の復興は、何もなくなった場合の参考になり、東日本の復興にも大きな支えとなるものと思われますが、明日は我が身として備えたいとも思います。
 
 さて、本日の話題に、昔から由緒ある農家が破産して、その跡地に多くの建売住宅が建てられた話があり、立派な家々が一瞬にして他人の物になったり、家族が行方不明となっている家が近隣に点在している現実があります。
 
 中には商売の失敗もありますが、真面目に仕事をしておれば、現代社会は各種保険制度で護られている事から、一家離散になるとは考えられず、どうやら理由は昔から言われるように、酒やギャンブルによる借金や、浮気が原因での家庭破綻が多そうですが…
 
 そんな思いも、親や先祖が残してくれた遺産があるから起こる事で、何も資産を持たない身体一つで生活しておれば、護るべき資産の心配もなく、災害に遭遇しても負の遺産を抱える心配もありませんから、そんな環境で頑張っておれば私にも違う人生があったようにも思います。
 
 17年前に家や家族を失っただけでなく、多額の住宅ローンが残された人も存在し、その中から改めて家を築き、家庭を再構築されている人々の存在がある事を、自分に置き換えてもう少し頑張ってみようとも思える一日となりました。
 
                                1月17日の一言

視察先の千葉県から帰宅したポストに

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本日の東海道新幹線・東京駅
 本日の朝日新聞夕刊に、先日追突転落事故を起こした中国の高速鉄道が、同じ路線で線路の信号が灯らないトラブルにより、ダイヤが大混乱していると報道されています。 日本の新幹線は蓄積された安全対策によって、何も心配することなく搭乗できる事を実感するとともに、午後2時半に発車した新幹線が5時間後に博多に着いている現実にびっくりとさせられます。
 
 昨日の深夜のこととなりますが、静岡県駿河湾を震源とする震度5弱の地震が起こり、私は視察先だった千葉市のホテル11階で大きな揺れを体験する事となりましたが、本日の視察では話題にも出ず、東日本大震災以後に震度3程度の地震が続いている現実から話題にもならなかったようです。
 
 帰宅後の家族の話では、津島市は震度3でしたが、同じ震度3でも3月の東日本大震災よりも大きく感じたらしく、家内は自宅から頑丈な事務所まで避難したと語りましたが、深夜の地震は恐怖感も高く、木造の古家では今後が心配となってきます。
  
 
イメージ 2 さて、帰宅後のポストを開けると、2日分の手紙が溜まっており、四国八十八ヶ所霊場会の会報と並んで、億万長者になれる大変有難い手紙が届いており、署名をして返信すると「1億4千898万円」が受け取れるとの案内です。
 
 「お父さん、お土産は?」
 「買ってきたぞ」(笑)
 「ところで、ミッキーは?」
 「えッ? ミッキー??」
 「買ってきてと頼んだでしょう」
 「そんな物、何処に売っているんだ?」
 
 家内には視察に行くと言う気にもならず、「ディズニーランドに行ってくる」と嘘をついて出かけた事も忘れており、完全に遊びに行く自慢話を信じていた家内には申し訳ないものの、「千葉に行く」の一言に勝手にディズニーランドと錯覚され、帰宅後もディズニーのキャラクターを期待されていた事にびっくりです。
 
 添付した有難い手紙は全くの詐欺で、報告書発行費用として5000円を同封する事を求めており、何も申し込みも応募もしないのに1億円を超える1等賞金がもらえるはずがありません。こんなものに引っかかる人もあるので送り付けてくるのでしょうが…
                                8月2日の一言

被災地の生の声を聞いて

 東日本大震災が発生して4日間が経過する中で、本日やっと宮城県在住の知人と連絡がつき、家族全員が無事と聞いて一安心となったが、何事もなかったと言うものの、未だに地域一帯の電気は停電したままで、電話も不通になっていたのである。
 
 「じゃー、何故に話しておられるのか?」と不思議に思ったところ、「我家の電話機は旧式のアナログだから」との一言が返ってきました。停電のため、最近の電話機は使えないらしく、旧すぎる電話機ゆえにつながるとの話に、情報化社会の皮肉な一面を感じさせられました。
 
 我々が、遠く離れた愛知県で、地震発生直後の被災地の様子を、テレビの映像としてリアルタイムで目にしてきた事から、現地にいる知人が知っている前提で話していると、「テレビは映らないから見ていない」との思わぬ現実を知らされました。
 
 どうやら現地での情報は、ラジオと新聞しかないようで、水道管も破裂して水もない生活から、知人は2時間並んで救援物資をもらってきたそうですが、物資を送ろうにも当分は送る事もままなりません。
 
 さて、原子力発電をクリーンな発電として、電力は原子力が支えているような宣伝が流されていましたが、広島や長崎の例から、万が一の場合は放射能によって人々が危険にさらされる事は判っていたはずですが…
 
 クリーンで安全なら都会の真ん中に発電所を造ればよいと思われるが、都会から遠く離れた場所に建設し、事故後の記者会見についても、幹部は現地から遠く離れた都会で現地の伝聞から想定した説明には説得力もありません。
 
 普段着で放射能の検査を受ける被災者の前で、身体中を白い防護服とコーグルに身を包んだ職員が応対する姿と、地域住民を救うべき消防車のポンプが原子炉へ水を供給する不自然さにはびっくりです。
 
 深夜になり、静岡県でも震度6強の地震が発生し、愛知県でも震度3の揺れが続き、「当地方に移ってくるのだろうか」と話していると、地震より心配となるような強風が当地方を襲っています。
                                  3月15日の一言

こんな時こそ政治の出番だが

 本日は3月議会の厚生病院委員会が開催され、来年度予算案をはじめとして議決案件全ての審査が終わった時は、午後6時50分になっており、それまで携帯電話に記録された着信履歴に連絡しながらの帰宅となりました。
 
 午後になって委員会の最中に、サイレンの音が鳴り「地震です」とアナウンスがあった事からびっくりとさせられましたが、ドコモの携帯電話には一斉に緊急速報が入ったようで、委員会も安全を確認後の再開となりました。
 
 帰宅後のポストには、「3号機水素爆発」と「南三陸で1000遺体」の見出しで地震一色の夕刊が配達されており、テレビも福島第一原発の爆発と地震の特集が続いており、しばらくは地震一色の日々となりそうである。
 
 それにしても東京電力は原子力発電の事故による電力不足を、「計画停電」でしのごうとしているものの、国民全体で苦しみを共有する事に異論はないが、不足すれば必然的に停電となるものを、地域住民に周知徹底せぬままに「停電」させる事は、交通信号をはじめとする都市機能を麻痺させ、人工呼吸器など停電が命と引き換えとなる人々への配慮が不足しているのではないか。
 
 計画停電により、交差点の信号の代わりに交通整理する警察官が足りないばかりか、慣れない交通整理にかり出すくらいなら被災地へ派遣して、少しでも被災地の救援と復興に寄与する事のほうが重要でもある。
 
 さて、津島市からも消防車輌と消防職員が被災地に派遣されているが、市長を筆頭にして市役所の義捐金集めが始まっており、市議会でも代表者会議を開催して義捐金を送る段取りとなっている。議員は税金から報酬をいただく立場にあることから、こんな時こそ被災地の役にたちたい気持ですが、議会と4月の選挙を控えて全くの無力でしかありません。
 
 名古屋市ではリコール後の市議会議員選挙が終わり、河村市長の主導する「減税日本」が躍進し、過半数こそならなかったものの、28人が当選して第1党となりました。
 日頃から地元のために頑張ってきた議員が、地元と縁もない突然の立候補者によって落選する姿は自業自得とは思えず、議員ってこんな存在なのかと寂しさも実感させられました。
                                    3月14日の一言

地震漬けの生活が続く

 地震が発生して3日が経過しましたが、知人への連絡は相変わらず不通で、テレビも夜のテレビ愛知(テレビ東京系)以外は緊急特版で地震一色の一日となりました。私が普段から訪れるブログにも参考となる記事があった事から、本日は添付で一言を終えたいと思います。
 
地震発生時緊急マニュアル  http://blogs.yahoo.co.jp/yasudaimonji/34634750.html
 
<東日本大震災>「不屈の日本」 http://blogs.yahoo.co.jp/aki_setura2003/27431233.html
 
バッテリーを宮城県へ http://blogs.yahoo.co.jp/hkroad_eco/22934284.html
 
 夜になってもテレビ画面から500人とか200人の遺体収容のテロップが流されると、不謹慎な一言や震災以外の話題を考えることもできませんが、今回の地震によって先祖代々の家々や木々まで一瞬にして失った人々の心境を察すると、我々も無からやり直す気力が必要です。
 
 さて、「人体への影響はないので大丈夫」と言いながら、原子力発電所の爆発によって放射能に汚染した住民を検査する担当者は、マスクとゴーグルで頑丈に身を護っている姿や、背広姿にヘルメットのアナウンサーの周りの関係者の姿は普段着であると、我々は何を見せられているのかと疑問が残ります。
 
 深夜になって、家族を探す人や、全員が生き埋めとなった現場で立ち尽くす人のインタビューは必要なのか。ましてや、家族を亡くして「独りぼっちになってしまった」と泣き崩れる人へのインタビューは聞くまでもない。
                                               3月13日の一言

歴史的大災害、何もできないものの

 地震発生直後には、世界的な災害史に残る大きな地震で、死者不明1500人と報じられるような災害とは思わず、我家の安否を気にしながらも、自分の住む津島市の被害が無い事を確認してホッとしていたのですが…
 
福島第一原発1号機に海水注入開始 格納容器冷却へ 
               http://www.asahi.com/national/update/0312/TKY201103120521.html
 
 帰宅後のテレビから流される映像は、被災直後には大規模とは思えなかった阪神淡路大震災と同じで、時間が経てば経つほど被害状況が拡大し、深夜になっても街中が火の海となる映像がながされてきました。
 
【地震】転載お願いします http://blogs.yahoo.co.jp/kirigakiri/32584929.html
【マスコミのヘリを飛ばさないで】
                http://blogs.yahoo.co.jp/yasudaimonji/34631267.html
 
 「津島市の被害は何も無いようです」
 「そうか、良かった、良かった」
 
 市役所で、地元の安全が確認されて何事もなかったように雑談としていましたが、帰宅後に東日本全体となる大災害と判り、自治体全体が壊滅状態となったような報告を聞き、足元に多くの市民が亡骸となって流されてくる報に、昨晩は一睡もしないままに朝を迎えてしまいました。
 
 「現在、電話が大変混み合っています。恐れ入りますが、しばらくたってからもう一度おかけ直し下さい」と、知人の安否を確認するためにかけた電話は繰り返すだけですが、こんな電話も被災した人々や家族、親族に優先されるべきで、水に浸かって停電が続くだけに私は無事を祈る事しかできません。
 
 「独りになっちゃうのー」と言ってテレビカメラの前で号泣されるご婦人の姿や、一緒に逃げた家族が津波に飲み込まれた男性の声を聞くと、悲しみを共有するだけでなく、この気持を忘れずに生きていきたいと思います。
 
 日米同盟を批判する声もありましたが、迷わず空母や艦船を被災地に差し向けた米国や、いち早く日本に支援を表明したタイなど、世界各国から大挙して入国してくる援助隊にも素直に感謝し、未だに大きな余震が続いている事と、当地方も人ごとではない事から、こんな時こそ国民一体となって人命救助と復興に協力したいものです。
                                    3月12日の一言

地震の被害が深夜まで続き

 本日はなんといっても三陸沖の大地震しか話題とできない一日で、私の人生の中でも忘れられない3月11日となりそうです。
 
地震規模はM8.8、世界最大級 沿岸に大津波 
               http://www.asahi.com/national/update/0311/TKY201103110287.html
 
 津島市役所では市議会一般質問が行われており、午後2時45分より15分の休憩に入った直後でしたが、私の頭がクラクラとして吐き気に襲われ、会派控え室の窓に両手をかけて冷静に体調を整えていると、建物自体がゆっくりと大きく揺れている事が判りました。
 
 一般質問は最終登壇者の私を残すのみで、当初は冷え込みが厳しかった事から、緊張と血圧の異常による倒れる前兆のように感じましたが、鉄筋5階建ての市庁舎がまるで舟のようにユラユラと揺れ続けました。
 
 あまりの揺れの大きさ(当地方は震度4)から、議会は5分遅れで再開となりましたが、総務部長から宮城県三陸沖で震度7の大地震が発生した事が報告され、私の登壇中にも議場がきしむ揺れが続き、しばらく発言を中止する質問となりました。
 
 私の人生の中では、平成7年1月に発生した阪神淡路大震災と並ぶ、大きく体感する事になった地震ですが、震源地が遠い宮城県の地震ですから、今回の地震がいかに大きかったかが判ります。
 
 議会は私の質問が終了(4時03分)後、追加議案一件の上程後に散会となり、議会運営委員会が開かれ、本日も午後5時を大幅に廻る激論が交わされました。
 
 帰宅後のテレビ報道を見てびっくりとさせられ、その後はテレビの前から離れられなくなりましたが、明治以降最大という地震により、死者は120名を超し、深夜まで各地で火災が続き、日本全土に津波が押し寄せています。
 
 さて、今回の大震災による火災や津波については自然災害であるが、各地に存在する原子力発電所の被害が報じられ、放射能漏れの恐れから半径3キロ以内の住民に非難命令が出されているが、こんな事態も考えると原子力発電の人災としての危険性を再考したいものである。
 
 私はこんな時に現地に走ってボランティアとして活躍したいと以前のブログにも記した事がありますが、現実には月末まで市議会が開会中であり、4月には統一地方選挙が控えている事から現実には何の役にも立たない無力感のみが残ります。
                                 3月11日の一言
追伸
本日の地震により、私の身体は吐き気と偏頭痛が残り、もしかすると身体の平衡感覚に影響を与える揺れだったのかもしれません。

50年前の悪夢再びの津波に

 冬季オリンピックに世界の注目が集まっていたが、閉幕を迎えるのに併せたかのように南米チリでマグニチュード8・8の強い地震が発生し、地球の裏側から大きな津波が日本各地に押し寄せてきた。

 本日の朝刊では122人の死亡記事が報道されているが、被害総数は更に拡がると思われ、今年に入って1月12日に発生したハイチ地震も、オリンピックの開幕と同時に報道されなくなり、人々の関心は次々と移ってしまう事から、世界中のオリンピックへの関心をチリ地震に注いで欲しいと願う。

 1月に発生したハイチ大地震では22万人が死亡し、30万人がケガをしたと発表されているが、昭和35年にチリで発生した地震はマグニチュード9・5と今回の地震より規模も大きかったが、日本に押し寄せた津波で142人の日本人が死亡または行方不明となっており、その反省が生かされテレビは全社が津波情報を流し続けました。

 私の意識の中では、日本こそが世界有数の地震大国と思っていましたが、2000年以後に世界中で46ケ所もマグニチュード7・5以上の大地震が発生しており、死者不明者28万人以上となるインドネシア北西部(スマトラ北部)地震や、8万7千人以上の中国四川省中部など、世界中に共通する大問題である事は間違いがありません。

 日本では90年代に4ヵ所の大地震(7・5以上)が発生しているものの、2000年以後の大地震は03年に十勝沖地震が起こっているだけで、台風や水害による大災害が続いた事から、地震に対する意識が薄れている可能性も高く、1月のハイチ大震災や今回のチリ地震を他人事にしない警戒が必要に思います。

 「災害は忘れた頃にやってくる」と言いますが、災害だけでなく人的事故も同様に、災いは突然に発生して驚かされます。それにしても地球の裏側から一日で津波がとどく事にも改めて驚かされました。
                                2月28日の一言

ハイチ地震救援金


ハイチ地震救援金
日本赤十字社
この募金のブログパーツへ2010年1月12日の現地時間午後5時(日本時間13日午前7時)頃、カリブ海地域のハイチ(人口1,000万人)で、マグニチュード7.3の大地震が発生しました。
現地政府からは まだ詳細な被害状況についての発表はありませんが、同国首相は10万人以上が死亡したとの見解を表明しています。

日本赤十字社では、被災された方々を支援するため救援金の募集を実施しています。
ご協力よろしくお願いいたします。
※このページでの救援金の受付期間:2010年2月12日(金)まで。
(現地の状況などにより期間が変更になる場合があります)

この募金の使途

ハイチ赤十字社のボランティアは、けが人を介助したり、大災害に十分な対応ができていない病院をサポートする活動を行っています。
国際赤十字は、被災地の状況把握やニーズ調査に当たるための調査チーム及び広報担当者・ロジスティクス(物流)担当者・災害保健担当者を、隣国ドミニカ共和国から陸路で被災地に緊急派遣。また、救援、ロジスティクス、給水・衛生、通信機器、病院、基礎保健の各種ERU(緊急対応ユニット)を計9基派遣することを決定しました。

日本赤十字社では、ハイチ赤十字社及び国際赤十字による救援活動・早期復興活動を支援するため2,000万円の支援を決定しました。
また、事務職員1名がマイマミ経由で現地時間の14日午前中に首都ポルトープランスに到着後、現地の被災状況の調査や関係機関との調整にあたる予定です。しかし、現在空港が使用不可能となっていることから、ハイチへの他の入国方法も含めて検討中です。
今後の要請に備え、医師・看護師、事務職員の派遣準備を進めており、引き続き国際赤十字と連絡を密にとっているところです。

皆さまからの救援金は、被災地における救援活動等を支援するために活用させていただきます。

国政の乱れが人的支援を遅らせる

イメージ 1

 ハイチ大地震の悲惨な情報が次々と入ってくるが、私自身にとっては「ハイチ」という国名を聞いても国の位置やイメージが何もなく、隣国のドミニカ共和国についても不勉強で西インド諸島程度の知識しか無かったことから、国名から調べた次第です。

〇ハイチ共和国↓↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%81
〇ハイチで大地震、数千人生き埋め情報 大統領官邸も倒壊↓
http://www.asahi.com/international/update/0113/TKY201001130122.html?ref=reca
〇ハイチ地震、死者数万人の恐れ 刑務所倒壊し受刑者脱走↓
http://www.asahi.com/international/update/0114/TKY201001140174.html?ref=reca
〇ハイチ、迫る「発生後72時間」 救援活動は難航↓
http://www.asahi.com/international/update/0115/TKY201001150175.html?ref=reca


ハイチ地震のウェブ全体検索結果↓↓
http://www.google.co.jp/search?cf=all&hl=ja&q=%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%81%E3%80%80%E5%9C%B0%E9%9C%87

 世界中で発生する想像を絶する大地震や津波被害に地震国の日本国民として無関心ではおれないが、今回の災害は国の政府機能や国連の建物や職員も壊滅的打撃を受けており、アメリカや中国など各国の救援チームが続々と到着する中で、我国の動きが見えづらい。

 明後日には阪神大震災(平成7年1月17日)から15年が経過するが、東海沖地震や東南海地震が発生すれば阪神大震災クラス以上の可能性が指摘されており、過去から蓄積した技術や救援活動を世界各国に先駆けて発揮すべきではなかったか。

 北沢防衛相は本日(15日)午前に、インド洋で展開していた海上自衛隊による補給支援活動に、期限切れとなった補給支援特別措置法に基づき撤退命令を出した。自衛隊の活動範囲を巡る国内の法的判断があるものの、国際貢献として考える時、今回の地震には他国に先駆ける積極的な人的派遣が必要だったのではないだろうか。

 小沢4億円疑惑に対する強制捜査や元秘書である現職衆議院議員の逮捕など、政権与党となった民主党の一部に非民主的な言動や疑惑がある事から、政府が一枚岩になっているとも思えず、そのことが他国に遅れをとる対応となっているとしたら厳しい総括も必要だ。
                                  1月15日の一言
追伸
12月から3ヶ月の約束で預かった愛犬と寝食を共にしていますが、人間の息子達の世話も出来なかった私が、犬が叱られぬために夜に粗相したオシッコを拭いています。信じられない話ですが、犬の瞳を見ていると本当は自分と兄弟ではなかったかと思うほどバカな展開です。

阪神大震災から14年が経過し

平成20年1月17日の一言 http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/29428147.html
平成19年1月17日の一言 http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/11809992.html

 本日の朝、偶然にも午前5時46分に起きており、テレビの映像によって阪神大震災から14年が経過した事を知った次第で、私の記憶違いによって阪神大震災は19日と錯覚して記憶していたのでもあった。

 私の住む愛知県においても、私の人生の中では最大と思える揺れを感じた事から、その日のその瞬間の自分の行動がはっきりと記憶されており、本日の一言に記そうと考えたが、実は前記したように昨年も一昨年も阪神大震災について記しており、同じ内容を繰り返して記すところでもあった。

 しかし、完全に復興したと思われる神戸の街角の姿とは裏腹に、建物を再建した被災者の生活も14年では余裕はないのが当然で、自治体は復興事業で多額の借金を抱えており、この不況による減収が更に被災地を苦境に立たせているのでもある。

 考えてみれば、私は一度も家を建てた事もなく、親の建てた家にそのまま住んでいるが、2階建ての事務所兼店舗と平屋の貸し店舗を建てただけで、家庭は精一杯の生活となっており、自宅を再建した人の中には2軒目の家を新築した人もあり、見た目には判らない苦労が続いているのは当然でもあろう。

 さて、父親が亡くなって16年近くなるが、死を宣告された当時の日々の葛藤や、死後の悲しみが時間の経過とともに風化しかかっており、明日は我が身の心配をする世代交代が起こっているが、事故や事件で不慮の死を迎えた人々の怒りや悲しみは風化させられない。

 阪神大震災によって、今後起こりうる地震に対する各種の対策が推進され、万が一への対応は確実に進んだと思われるが、その後にも全国各地で地震が起こっており、被災地にその教訓が生かされていたかと言うと疑問でもある。被災地へ走るボランティアは増えたものの、自分が被害者となる可能性も呼び起こしたいものである。
                                 1月17日の一言

台風より地震が話題になっており…

 夜帰宅すると、「今晩は息子(三男)が、車の中で寝る」との話に、出先で聞いてきた大地震発生のウワサと直感したが、このウワサがテレビでも報道されたというから驚きである。

 事の真意は判らないが、地震直前の数十秒前の予報でも評価される現状の中で、1年先の日付まで予言する事は非科学的なデマでしかあらず、我家ではパンやカップ麺が買い貯めてあり、「風呂に水を張っておこうか」と聞かれる始末である。

ジュセリーノが予言、9・13東海大地震は一年延びた!? 3万人の被災者 マグネチュード8.6。

 あのブラジルの大予言者・ジュセリーノが予言した2008・9・13東海大地震が日本中に不安を蔓延させているが、明るい希望も出てきた。この9・13の東海大地震が一年先送りされたとジュセリーノ氏が発言したのだ。3万人の被災者を生み、マグネチュード8.6の規模である今回の地震が来年に延びたとなるとうれしいかぎりだが…。この一年先送りという情報は、ジュセリーノ友の会の大作会長(歯学博士)から、筆者・山口敏太郎に寄せられたものである。大作博士によると、来日中のジュセリーノから「どうやら、地震が一年延びたようだ」という発言が飛び出したのだという。どちらにしろ、地震の予言はずれるのはいいことだ。「地震は来ない」と念じつつ、逃げるルートや非常食の準備を怠らない二段構えの体制がベストなのかもしれない。

 過去にも何度となくこの手の予言が大々的に報じられ、雑誌にも掲載された事があるが、富士山の噴火や地震、台風など、過去に予言が当たったとの報道は聞いた事がない。

 「バカな予言を信じるなッ」、「いやッ、今度は本当らしい」と家族でバカらしい議論をした後で、「車で寝るのは良いが、地震よりもっと恐ろしい事が起こるぞ」との私の一言に、息子は地震より恐ろしい予感がしたのか、静かになったと思ったらベッドに入っていた。

 車の中での発想は、知人達から家の中は危険だから、今晩は家の外にいたほうが良いと聞いてきたようだが、こんな事を実際に実行して、地震以外の事件に巻き込まれる人があったら、その責任を誰がとるというのだろうか。

 国の課題として、地震の予知が専門家によって真剣に研究されているが、決定的な予知は難しく、この予言によって現実に地震が起こった場合の家具の転倒防止や、災害発生時の食料や飲料水の備蓄など、災害防止となれば幸いだが、この予言の目的が理解できないでいる。

 さて、地震がこないと判って家族が寝静まったと思っていたら、「お父さん、頭の上にある〇×を降ろしておいて」と家内がわざわざ伝えに起きてきた。「まだ、信じているのかッ」と叫んだが、確かに今晩はこなくとも、危険防止は重要でもあるか…
                            9月12日の一言

我家は毎日震度1

 14日に発生した岩手・宮城地震から5日が経過し、連日不明の遺体が発見されてくるが、まだ行方不明者は11人残されており、明日から予想される降雨によっては、更に被害が拡大する可能性から被災地には更なる緊張が走っている。

 阪神大震災については別としても、新潟や能登半島、島根や九州と全国各地で大きな地震が起こり、東北でも何度も地震が続いているが、これだけ続くと個々の地震の印象も薄くなり、過去の被災地はどこまで復興しているかが心配になってくる。

 都市部の災害と違って、人的被害の少ない山間部の復旧については、我々の目にふれてこない可能性も高く、今回のように山が崩れて地形が変わってしまうような自然災害は、人間の対処の限界を超えており、都市部と変わらぬ対策を求めたいものでもある。

 さて、我々の住む愛知県も東海地震、東南海地震の可能性から災害発生を想定した対策や市民への啓蒙が続けられているが、幸いにも地震にも、最近では台風もコースから外れており、災害の空白地帯が続いているが、我家では一日に何十回もの震度1を体験している。

 二年後に完成を目指す下水道工事のために県道が継ぎ接ぎとなっており、我家に近いマンホールを大型車やバスが通過する度に家が揺すり(隣も一緒ですが)、道路の片側は完全舗装によって改善されたものの、残された片側の舗装そのものが粗悪で、肝心のマンホール部分が未完成のために揺れ続けている。

 最近の報道では、東海3県の耐震補強の必要な木造住宅83万戸のうち、耐震補強工事を実施したのは1パーセントと発表されている。対象となる住宅に対する耐震工事については、自治体が無料で診断し、工事を実施した場合には60万円程度の補助金が制度化されている。

 補助金がありながら診断や工事が実施されない原因として、工事費用が高い事と地震の被害者となる認識不足などが指摘されているが、我が身に置き換えて考えてみると、老朽化した家屋の人目に触れぬ汚い床下を見せるのも恥ずかしく、耐震工事の効果にも疑問を残している。

 「耐震工事をしても、大震災が起これば壊れてしまうのではないか」との疑念を払拭し、耐震工事の効果を具体的に示さなければ、建築から年数を経た家々は、地震で倒れてから建てなおした方が得策と思っているのではないか。問題は、家が倒れた際の人的被害であるが、根本的に「明日は我が身」の認識不足は私を含めて否めない。
                             6月18日の一言

サクランボの樹の下で

 本日の未明に関東地方を中心とした茨城沖地震は、テレビで緊急地震速報が流された後で、「現在揺れています」と報道されていたが、遠く離れた愛知県の我家でもドアのあたりからギシッと音がしたのにはびっくりした。

 まさかッと思い、古家ゆえに風の影響だろうと思っていると、東海地方や能登半島でも揺れが観測されたとの報に、あれも地震の影響だったのかと実感するとともに、本日の夕刊からは秋田県や青森県など東北地方でも大きな揺れが観測されていた事に改めてびっくりである。

 ただし、我家でこの地震を体感したのは私だけで、「大きな地震だった」と語っても誰も信用せず、本日の夕刊に名古屋市が震度2と記されてきた(我家では震度1も無かったとは思うが)事で、はじめて地震があったと信用された次第である。

 しかし、「そんな時間まで起きていたのッ」と言われ、地震が起きた午前1時45分に起きていた事がヤブヘビとなりそうな雰囲気であったが、それでも朝一番で市役所に出向いて議会運営委員会に出席していたのだからと開き直ってみても後のまつりである。

 それにしても、進捗していないと言われている地震予知は確実に進歩し、1分前では何の防御や備えもできないものの、深夜に地震の発生を予知し、世間に発表した気象庁担当者の心境はどんなものだったのか興味は尽きない。

 さて、本日は「いつも話だけで…」と言われている人々に、サクランボの宣伝をして市役所を後にしたので、誰が来ても良いように脚立を出し、続々と襲来するムクドリの群れを追い払っていたが、夕暮れまで誰も訪問せず、明日は鳥との最後の決戦となりそうである。

 それにしても真っ赤だったサクランボの木が、鳥によって確実に緑色に変化していく姿は、まるで一年が経過してしまったような淋しさもあり、かと言って一人で食べきれる量ではなく、明日には多くの訪問者に期待してみたいと思っている。
                           5月8日の一言

阪神大震災から13年が経過し

 阪神大震災から13年の歳月が経過したが、意識していた地震の発生時間に目を覚ましておりながらその瞬間を忘れていた事に、当事者の人々との大きな意識の違いを実感した。
 一年前の一言 http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/11809992.html

 私にとっても遠く離れた愛知県での阪神大震災が過去最高の地震体験ともなり、地震発生時に屋外に居たこともあって鮮明な記憶となって残っている。当初は被害は少ないとの報道が、午前中には神戸の町に炎と煙が立ち昇り、街の姿を一変させて大震災となった。

 本日の新聞報道から、当時小学生で被災した子供が小学校の教壇に立ち実体験を語る様子や、小学生の息子さんを亡くした女性に初孫が生まれた事など明るい話題も記されているが、6千434人の犠牲者に関係する人々の数を考えると、13年経過してもいまだに悲しみと苦しみを引きずっている人々の存在が意識させられる。

 これも平和で健康だから言える事で、家族に重い病人を抱えたり、身近に不幸や不安材料を抱えていれば考える余裕もない。過去に記した一言を読み直し、2年前の今日は幼馴染(同級生)の女性の葬式に参列し、3年前には身内に泥棒が侵入した事件が記されており、こんな事が起こると地震の事すら眼中から消えている。

 我家に目を移すと、老朽化した家は悲鳴をあげており、親の残した遺産でも子供まで無事に残せそうもなく、修理を続けないと床下が腐り土台も軟弱な事から、地震では我家だけが倒れて報道されそうな気配を感じているのでもある。

 親が家を残してくれたから、私の代では家の心配はいらないと思っていたが、親が死んで15年も経つと建物のいたるところにガタが出て、広いだけで使い勝手も悪く、息子達は住み続ける限界を感じており、せめて地震でも倒れない補強は急務と思われるが…
                                 1月17日の一言

新潟県中越沖地震義援金に協力を

 7月16日に発生した新潟県中越沖地震は、本日新たな遺体が発見され、死者数は10名になった(負傷者は1165人)との報道がありました。私もボランティアとして、要請があれば走っていく志は持っているが、今できる事として私のお気に入りブログ四国の「ことしし」さんのブログ http://blogs.yahoo.co.jp/romorin_tomo/13386998.html を転載し、皆さんの協力を仰ぎたいと思います。

インターネット募金
新潟県中越沖地震 義援金
http://volunteer.yahoo.co.jp/donation/detail/1301004/index.html

 数年前に、全国各地を台風が襲い、岐阜県の高山市周辺も水害による道路や鉄道の寸断が今も続いています。「ボランティアに行きませんか?」と知人に誘われ、「よしッ、行きます」と答えたものの、現地に連絡すると、被災直後だった事もあり、「気持ちは有難いがボランティアに構っていられない状況」との話で、私は参加を断ったが、「この日しか行けない」と名古屋の市民団体は観光バスで現地に出発した。

 この時の結末は聞いてはいないが、ボランティアは必要とされる時には有効だが、何が必要とされているかも確認しないままの身勝手な参加や、生活習慣病で薬が手放せないボランティアでは足手まといになる事も考える必要がある。
 その経験から、その年に防災ボランティアコーディネーターの養成講座を受講し、翌年には愛知県の防災カレッジも受講しました。その後実際に被災地に出向いた事はありませんが、必要とされれば参加する気持ちで、各地で参加要請のあった「防災訓練」には参加を続けてきました。

 今回の地震についても、現在も余震が続き、梅雨前線の活動により、現地は危険な状況を脱してはおらず、とりあえずできる事として「こととし」さんのブログと、ヤフーのボランティア基金を転載し、皆さんの協力を呼びかけたいと思います。「明日は我が身」の気持ちで協力したいと考えます。
                                  7月18日の一言


ボランティアに走った一日

 本日は愛知県の海部総合庁舎で、6月10日に予定されている平成19年度海部地方総合防災訓練の中で、実施予定の『ボランティア支援本部立ち上げ訓練』の第1回目の会合が開催された。

 海部地域から60名を超える防災ボランティアコーディネーターが参加していたが、津島市からの参加が極めて少なかった事が気にかかった。津島市の場合には、各種団体から揃っての参加が多く、団体の都合によっては一人も参加者が無いことも想定され、ボランティア活動とは言え、近隣市町村に人数的にもリーダーシップが発揮できない現状は問題でもある。

 最近では市内の全校区に自主防災会が組織されているが、自主防災会とボランティア団体との連携が不足し、津島市の地域防災計画すら説明がなく、行政と住民組織との役割分担もはっきりとしておらず、災害時に行政のやるべき仕事まで想定した住民の議論を聞かされる事も多い。

 一方で、住民個々の防災意識が高まっていないのに、一部の先走りによってムダな買物も多い。ある町内会では町内会予算から水害を想定して『救命胴衣(浮き袋)』を各戸に配布したが、愛知県では東海地震や東南海地震を想定した訓練を繰り返しており、過去の水害においても住民が救命胴衣を使用した例はあまり聞かれない。万が一の時には役に立つ事もあるかもしれないが、家具の倒壊防止用品など、もっと必要なものがあったと思われるのだが…

 大金をかける前に住民の勉強会や、災害対策の議論が不足している事を実感している。本日の訓練では忘れていたボランティアの役割を久々に思い出す一日となった。もっとも、立ち上げ進行中のボランティア団体も複数あり、設立に向けて具体的に走り回った一日でもあった。
                              4月26日の一言

地震によるライフライン停止の危機に

 本日の夕刊に能登半島の地震に関して、石川県輪島市の市立病院が緊急の連絡もできず、一時的に孤立状態になっていた事が報じられてきた。

 偶然にして、地震による患者の9割がやけどや打撲等の軽傷者が多かった事は不幸中の幸いで、治療にあたる医師や看護師も救われたと思うが、心筋梗塞の疑いで緊急の措置が必要な患者を搬送するため、県の防災ヘリを要請しようと災害対策本部に連絡したが、電話が30分以上もつながらなかった事も報じられている。

 一方で、意外な落とし穴が『水不足』でもある。市立輪島病院には112トンの水が貯水槽にためてあったとの事である。素人目には十分とも思えるが、びっくりしたのは断水した地域住民が、病院内のトイレを利用したための水不足との情報である。

 そして、透析患者の治療に大量の水を使った事から、地震発生の翌日には貯水槽の水が底をつき、7台の給水車をビストン輸送しても、透析患者の治療分がまかなえず、市外各地の複数の病院に患者を搬送する結果に至ったとの事である。

 私も17年12月議会において、津島市民病院の災害時のライフラインについて質問したことがあった。当時の病院側の議会答弁を読み直すと、当時は納得していた答弁が改めて心もとない状況に思えるのと同時に、地盤が軟弱な0メートル地帯だけに上水道の断水の可能性は高く、地域住民のトイレ問題も含めて総合的な見直しが必要と実感した。

 議事録の答弁を読むと
 「市民病院におきましては自家発電装置の使用可能時間は8時間、生活用水、飲料水及び診療用に必要な水の供給可能時間は6時間でございます。また、備蓄につきましては、食料・飲料水が3日分、医薬品が7日分ということになっております」と記されている。

 「災害はいつどこで起こるか判らない」今、能登半島の人々が肌で感じておられる声に耳をすまし、津島市における災害対策の見直しを真剣に訴えていきたいと思う。
                                 3月28日の一言

12年前の阪神大震災を懐古して

 6434人が犠牲になった『阪神(淡路)大震災』が発生して、本日で12年の歳月が経過した。見事に復興した現在の神戸市からは、当時の様子をうかがい知る事はなくなったが、大正12年(1923年)に起こった『関東大震災(死者・行方不明14万2千8百名)』と並んで、歴史に残る大災害でもある。(当時の状況は、阪神大震災災害写真画像 http://www.bo-sai.co.jp/sub6.html をご覧ください)
 当時の記憶を風化させないためにも、自分自身の記憶も思いおこしてみたい。

 平成7年(1995年)1月17日(火)、午前5時46分に淡路島北淡町を震源とするマグニチュード7.3の地震が発生した。早朝の出来事であったが、私はこの時間に津島市白浜町の公衆電話前に立っていたが、地震との認識よりも「脳卒中」の前兆で目が回り、体の均衡がとれなくなったと錯覚した事を覚えている。

 当時は午前3時起きを日課とする、朝日新聞販売店を生業としており、日常的に寝坊の常習犯であった七宝店の従業員〇塚君へ、確認の電話をかけている最中であった。一瞬は体の異常と思ったものの、頭上の電線が縄跳びの紐のように波打っており、周りの建物もゆすっており、受話器を持った電話機と体が前後するような揺れを体感し、電話機で体を支えていた記憶がある。
 愛知県においても震度3以上の地震は何度もあるが、私自身の体感した地震では最高に大きく、印象にも残る地震となっている。

 この年の11月に第8回朝日会全国大会(朝日新聞社主催)が神戸で開催され、宿泊した神戸ポートピアホテルの窓から地震の被害が残る港を直視する事となり、移動するバスの車窓からも地震の被害を見る事ができたが、それからの12年間の復興は見事としか言いようがないし、災害時に助け合うボランティア組織や災害対策は大きく前進した。
 ただし、同じような規模の大地震が我々の地域で起こった時、阪神(淡路)大震災の教訓が生かされるだろうか。現実に我家の地震対策は皆無である。愛知県の防災カレッジを受講し、防災リーダーや防災ボランティアコーディネーターになってはいるが、あくまでも被災後のボランティア活動はできても、大地震の直撃を受ければなすすべが無いのが現状でもある。
                                  1月17日の一言
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