
御嶽山日の出滝前 明栄講霊神場
あま市甚目寺町覚礼行者を中心とする霊神場

私の祖父の石碑もこの上にあります
先週日曜日の上高地の帰り道に、御嶽山黒沢口にある明栄講の霊神場を訪れたところ、今年6月の震度5強の地震によって傾いたり倒れた石碑を、石材店の重機が入って本格的な修理が行われていました。
久しぶりにのんびりと、2日前の御嶽山を回顧して 2017/7/8(土)

愛知県あま市七宝町の
徳開霊神を中心とする「ろ組」の霊神場

大きな重機が入っていました

黙々と修復が続けられます

木曽町三岳・黒沢口の「太陽の丘公園」 夕暮れです

※いずれも今週日曜日の写真です
日野百草本舗 里宮店 https://hino-seiyaku.com/store/satomiya/
私の母方の祖父は御嶽山明栄講の先達でしたが、旧尾西市の橋本講社の道行行者(霊神)のもとで修行し、あま市甚目寺町新居屋にある(山田)覚礼行者(霊神)が始められた明栄講に亡くなる年まで修行に通っていました。
そんなことから、私は小学校2年生の時から毎年夏に御嶽山山頂まで参拝に訪れ、冬も麓の御嶽教参集所まで付いていっており、祖父や祖母とは中学2年生の時まで一緒に御嶽山に参拝していました。
その祖父も、横井庄一さんがグアム島で発見された昭和47年夏に他界し、我家の御嶽山の祭壇は、祖父の後輩となる津島市の先達、垣見さんに現在まで面倒を見てもらってきましたが、高齢となる垣見さんが亡くなられると依頼する先達さんがなくなります。
今年6月に震度5強の地震が発生し、霊神場の多くの石碑が傾いたり倒れていましたが、少しづつ修復が図られ、地震発生直後の悲惨な状況は改善されてきましたが、講祖や関係者の経済状態の違いによって格差が大きく、倒れるがままとなった霊神場があることは寂しい現実です。
我家の新家の祖父も御嶽山明栄講の先達で、私の祖父の霊神場の隣にある「ろ組」に石碑があり、今回は現地から連絡して霊神名と建っている場所を聞き、初めて石碑前でお経を唱えてきました。
さて、最後に添付した写真は、黒沢口にある日野製薬里宮店ですが、かつては日野製薬創業家の婦人がおられ、祖父を知っておられたことから、このお店で百草丸や土産を購入すると、独断で定価を無視したような値引きをして下さり、そのために絶対に素通りしてはいけないお店でしたが、最近はそのことすら語れる人が居なくなりました。
祖父の家も、数年前に伯父が亡くなり、後継者(私の従兄弟)が母親に御嶽山の神棚を処分するように伝えており、祖父が生きておれば大声で怒鳴りつけたと思われますが、初孫の私以外は祖父の恐ろしさも知らない現実に年月の経過を実感させられます。
上高地のボランティアを続けている間は、帰路に祖父の石碑の前にたち、祖父の言霊を聞くまで訪問を続けたいと思っています。
本日の体重 71、7キロ 徒歩数 3105歩 間食あり
10月6日の一言






さて、帰宅後のポストを開けると、2日分の手紙が溜まっており、四国八十八ヶ所霊場会の会報と並んで、億万長者になれる大変有難い手紙が届いており、署名をして返信すると「1億4千898万円」が受け取れるとの案内です。








