大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

奥の院

仕事の帰りに八事山興正寺へ

八事山興正寺 中門

愛知県名古屋市昭和区八事本町78

五重塔と大仏

釈迦牟尼仏

手水舎

光明殿

納経所

本堂

普門園

大師尊像

仏様

能満堂への石段

園照堂へのエスカレーター

能満堂

伊藤萬蔵さん寄進の香炉

園照堂

伽藍遠景

茶堂竹翠亭への入口

墓地と奥之院への道

大日堂

お堂の周りを三回廻ります

八事山遠景

参道

弘法堂(開山堂)

ご縁日の案内

不動護摩堂(左)と東山本堂

東山本堂

八事山散策道

普照殿山門

普照殿

観音堂への石段

観音堂

総ての参拝を終えました

境内の仏様

境内の花 ハンゲショウ


尾張徳川家の祈願所として、歴代藩主とそれに連なる人々と深い縁を結んできた興正寺。その関係は、開山天瑞圓照和尚が八事の地に草庵を結んだことに始まります。

長い修行の旅のすえ、高野山に至り、弘法大師の五鈷杵を授かった天瑞和尚は1686年(貞享3年)、穏やかな起伏に松が茂り、豊かな水、静寂に満ちた八事の地に密教と戒律の寺の建立を発願しました。真言密教の教学・修行道場として、境内は西山普門院と東山遍照院に分かれ、東山は女人禁制の修行の場でした。
尾張徳川家二代藩主光友公は天瑞和尚に、六代藩主継友公と七代藩主宗春公は五世の諦忍妙龍和尚にそれぞれ帰依をされ、諸堂建立や多くの宝物のご寄進など力を注がれました。

時が流れ、現在、国の重要文化財に指定されている五重塔建立は、「藩主の寺」から「民衆に開かれた寺」へと変化をとげる契機ともなり、今なお、多くの参拝者をお迎えしています。

 本日は NPO法人の運転履歴という申請書類を受理するため 名古屋市天白区平針にある 愛知県運転免許試験場の安全運転センターを訪れました。

わずか10分の仕事で駐車料金 500円は高いと実感すると、数日前の西国巡礼の 高額 駐車料金が脳裏に浮かびました。

基本的に真言宗のお寺は駐車料金とか拝観料とは無縁のお寺が多く、そんな反動から帰り道に存在する八事山興正寺へ参拝することとし、本堂だけでなく奥之院や山内総てのお堂にお参りしてきました。

興正寺は高野山真言宗のお寺で、歴史は新しいものの愛知県では真言宗を代表するような存在で、誰もが本堂の中の御本尊の前まで進んで手を合わせられる庶民的な寺院です。

西国巡礼の観光客のような巡拝とは違う四国遍路の感覚で参拝してきました。久しぶりの感覚です(笑)

高野山一の橋にある鶴田浩二さんのお墓へ

高野山奥之院 一の橋

奥の院(弘法大師御廟)へ続きます

左を見ると…

白い大きな塔が…

あ、同期の桜

同期の桜の塔


高野山奥の院参道入り口となる一の橋を渡り、左側を見ると白い大きな塔が見えますが、それは昭和18年学徒出陣で出征した第十四期海軍飛行予備学生の慰霊碑「あゝ同期の桜の塔」で、昭和42年に大圓院墓地内へ建立されました。


毎年9月第二日曜日に慰霊祭が開催され、俳優の鶴田浩二さんは亡くなられる(昭和62年)前年まで、自前で演奏するバンドの仲間を引き連れて毎年欠かさず出席しておられました。


その後方右を見ると…

鶴田浩二さんのお墓です

小野家は鶴田さん(母方)の姓

大円院の住職と鶴田さんの夫人が建立されました

鶴田さんのお墓と同期の桜の塔

今年の18日は大雪となりました。

私の誕生日と大雪の高野山参拝は記憶に残る一日となりました。


高野山一の橋にある鶴田浩二さんのお墓ですが、私が高野山を訪れた際には必ず立ち寄っているものの、今年は10月に予定していた弘法会の高野山参拝が中止になったため、半ば諦めていましたが何とか年内に訪れることができました。

さて、昭和62年に亡くなられた鶴田さんには、東京都の港区にある父方「大島家」と練馬区に母方「小野家」のお墓があり、神奈川県の鎌倉霊園には生前の本人の希望から夫人によって建立された本人のお墓があります。

この高野山のお墓は、高野山別格本山大圓院の住職、藤田光幢が鶴田浩二と同期の桜であったことから、生前の昭和47年12月22日に戒名を授かっており、先に逝った戦友と三途の川原でいつでも話し合えることと夢みていたことから、鶴田さんの死後夫人によって建立されました。

お墓の詳細については過去に何度も書き残しているので、下記に添付した私の過去ログをご覧下されは幸いです。

2021-11-26

高野山 あゝ同期の桜之塔と鶴田浩二さんのお墓 | 大鹿一八 『今日の一言』 (ameblo.jp)

2017年04月03日

大鹿一八「本日の一言」 : 高野山 あゝ同期の桜の塔と鶴田浩二さんのお墓 (livedoor.blog)


今年6月に膠原病(関節リュウマチ)の診断を受け、これからは身体と相談しながらの生活となりますが、8年前には歩き遍路の仲間と麓にある九度山町の慈尊院から奥の院まで一日かけて歩いており、リーダーであった上野さんも他界している現実を考えるとこれからの時間は大切にしたいものです。


仲間がお墓とツーショットの写真を残してくれました。

2014年10月21日

大鹿一八「本日の一言」 : 高野山町石道から帰りました (livedoor.blog)


初めて鶴田さんのお墓と出会った時の書き込み

2008年05月29日

大鹿一八「本日の一言」 : 本日は高野山で鶴田浩二さんと出会い (livedoor.blog)


平成13年に四国遍路をスタートし、翌年5月に高野山へ御礼参りに訪れ、ああ同期の桜の塔にもその後毎年訪れるようになりましたが、この塔と鶴田さんの関係を知って訪れていたものの、塔の後ろに建立されていた鶴田さんのお墓には平成20年まで気づかなかったことも今となっては不思議で可笑しな笑い話となりました。


生前の鶴田浩二さんは大スターであり、私なんかは会いたくとも会えないような有名人でしたが、そんな私が突然に訪れて墓前で勝手に手を合わせて、好き勝手なことをつぶやいていますが、ご本人が顕在なら「礼儀も知らない無礼者」と叱られるだろうと思いますが、今では我が物顔で勝手に訪れる親のような存在となっています。


鶴田さんの残した映画と全く同じイメージが一の橋の塔やお墓にはあり、私自身の生活を反省して見直す機会ともなる聖域でもあります。ここだけはお大師様と同行二人ではなく、鶴田さんと同行三人になるように感じ、しいては国のため若き命を散らした多くの戦没者も一緒になったように思えてしまいます。

                        12月20日の一言


雪の金剛峯寺と奥の院 高野山

雪の高野山へ


高野町へ

中門

金剛峯寺の門前

軽自動車で来ました

参道


鐘楼

本堂

奥之院へ移動します

中の橋入口

奥之院への参道



ここからはカメラ禁止です

御廟






奥之院一の橋

ああ同期の桜の碑



鶴田浩二さんのお墓


慈尊院

ゴンの碑

丹生官省符神社への石段

鳥居

本殿

降ります

大師堂
本日の写真です。

本日は朝8時に愛知県を出発して、西名阪自動車道から国道25号、天理市から京奈和自動車道へ入り、かつらぎ西インターから高野山を目指しました。

道路は途中から真っ白となり、高野山が近づくと凍結状態となりました。

高野山の大門から中門の道路はツルツルの状態となり、金剛峯寺、奥の院御廟へ参拝を済ませました。

本日は一の橋にある同期の桜の塔に手を合わせ、私の尊敬する鶴田浩二さんのお墓にお参りしてから高野山を降りました。

本日は九度山町の慈尊院へ参拝を済ませ、これから橿原神宮の近くまで移動します。

ギャラリー
  • ようこそ 大鹿一八の納経所へ
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