宿泊した総持院から

三宝荒神社へ 金剛峯寺の西隣です

高野山の荒神様

朝一番の参拝

高野山入口 女人堂前

護摩祈祷の案内

女人禁制の立札

交通安全地蔵尊

お竹地蔵尊

浪切不動尊

本堂

拝殿

天井

輜重兵第34聯隊鎮魂碑

一の橋

奥之院への参道

あゝ同期の桜の塔

ここには旧日本軍、海軍第14期飛行専修予備学生(特攻隊)戦没者の慰霊塔で、生き残った同期生で高野山大円院住職を務められた藤田光幢住職が、同期生の戦没者の供養を生涯の責務としておられ、同期生や戦死者の遺族とともに昭和42年に建てられたものです。

そして、特攻隊員ではなかったものの、戦友の慰霊を重ねていた同期の鶴田浩二さんも亡くなる前年までこの塔の前へ楽団を連れて慰霊の演奏会を続けており、没後に藤田住職の計らいで塔の真後ろに「小野家」のお墓が建立されました。

鶴田浩二さんのお墓
日曜日の写真です。

志賀弘法会はメンバーが高齢化していますが、高野山参拝の前には必ず慈尊院を訪れ、金剛峯寺と奥之院のほかに、添付した三宝荒神社と女人堂、波切不動尊へは必ず立ち寄って参拝してきました。

かつては大所帯で八十年以上の歴史を重ねてきましたが、最近は高齢化だけでなく車イスも必要になり、今回の高野山は2台の車イスと同行する参拝となっており、運転手の私だけでなく家内の介助も必要になってきました。

四国遍路も参拝時は午前中は何も口に入れてはならず、帰宅する最終日の午後にならないと買い食いやお土産も購入できない厳しい巡礼でしたが、最近は私が良いと言えば代表から許しがでるようになりました。

そんな訳で、奥の院一の橋にある「あゝ同期の桜」の塔に立ち寄り、私個人が尊敬する鶴田浩二さんのお墓に参拝する間も全員で待っていただけるようになり、志賀弘法会の高野山の巡拝日程にも入っています。

時々ですが参拝中に、高野山を案内するガイドさんから「この奥に鶴田浩二の墓があります」との声が聞こえることがありますが、敬称の有無は別にしても、お墓は指さすものではなく手を合わせるもののため、せめて「合掌」でも薦めて欲しいものです。

奥の院には戦国武将から有名人のお墓も奉られていますが、「織田信長の墓」とか「上杉謙信」と敬称もなく呼び捨てにされるのを耳にすると、慰霊のために建てられた先人のお墓がないがしろにされているようで一抹の寂しさを感じさせられます。

明日は金堂で催されていた弘法大師生誕1250年法会や、壇上伽藍、御社、六角経蔵、宝亀院の参拝を貼付する予定です。