大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

宗教

知人から発信されてきた記事から


 明日から私の住む津島市でオープンするキッチンカーの案内が知人から届きました。


私の若い頃には露店営業はその筋へ話を通さないと営業できないダーティなイメージがありましたが、世の中が変わってきたことを実感させられ、何よりも若い女性が自分の好きな分野で働けるお店を始められることは魅力ですね。 大変ですが頑張ってください。


自民、旧統一教会との関係発覚相次ぐ 世論の批判警戒、野党は追及(時事通信) - Yahoo!ニュース


安倍さんが暗殺されたことで、統一協会と自民党の汚い関係と疑惑がマスコミを騒がせています。これだけ多くの批判や被害者が存在する中で、安倍さんの国葬を国会で議論すること無く即決した岸田首相は、統一教会についても十分な説明をする責任は否めません。


今から10年ほど前の話ですが、このブログに同じ大鹿性である大鹿譲さん(元大阪工業大学教授)について記したところ、統一教会の霊感商法の被害者の方から私に対する厳しい批判が届きました。


これは全くの的外れで、私自身は統一協会とは無縁であり、大鹿譲さんとの出会いと思い出を記しただけでしたが、譲さんは統一教会の広告塔として被害者団体から厳しい批判を受けていたことをこの時に知りました。


私がささやかに発信するブログの中から大鹿譲の名前を見つけて批判されたことに、統一教会の霊感商法被害者が多数存在することを実感させられました。


矢島武弘の部屋 gooブログ

邪悪な宗教は許せない!(1) - 矢嶋武弘の部屋 (goo.ne.jp)

邪悪な宗教は許せない!(2) - 矢嶋武弘の部屋 (goo.ne.jp)


 かつての Yahoo ブログでお気に入りとしていたブログですが、居場所は変わっても元気に発信されている記者魂に元気をいただきました。


こんな邪悪な宗教が、私の住む津島市にも大きく立派な教会を建てている現実に虚しさを覚えます。


歩き遍路友の会前会長の位牌の前に



イメージ 1讃岐七ヶ所まいり 歩き遍路 右から2人目が上野前会長 平成23年11月1日


 歩き遍路友の会東海の前会長上野勝彦さん(愛西市)が今月10日に逝去され、本日は現会長はじめ4人でご自宅を訪れましたが、上野さんと歩いた四国や高野山の思い出とともに、昨年からガンに侵された私の三男のために自身の体験からアドバイスをいただいていただけに未だに受け入れたくない現実でもあります。

 私は平成20年に四国遍路の先輩より友の会への入会を奨められ、平成24年ににその前年に会長になられた上野さんから副会長を要請されて活動してきましたが、一緒に歩いた四国や高野山の思い出が走馬灯のように浮かんできます。


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海岸寺駅からスタート 一番左が上野前会長 赤い杖が私

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最後の天皇寺 一番右が上野さん


 四国の遍路道も歩きました。


 平成26年には高野山を麓から9時間半かけて金剛峰寺まで歩きました。

 この10年間には色々なことがありましたが、上野さんの遍路体験は大いに役に立ち、上野さんが体調を崩され会長を辞任される際には、上野さんの前任の会を創設された元会長から「あんたが引き受けなければ友の会は後が無い」と言われたものの固辞し、現在の安藤会長と池田副会長にお願いしましたが、歩き遍路の先輩を失ったことは大きな痛手になっていくと思われます。
 
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一番手前の後姿が上野さん 昨年5月27日


 昨年5月に実施した名鉄須ヶ口駅から旧街道を歩いて津島神社を歩いた際には、ガンの闘病中でありながらナビゲータ役となり、昼食会場まで案内して夜の打ち上げ会場でも一緒にビールを飲んでいただけに信じられない訃報です。

 本日は副会長の池田さんと、上野さんが案内してくれた昼食をとった「お好み屋さん」まで行きましたが、あいにくと臨時休業となっており、近くの珈琲店で思い出話や雑談後に別れたものの、今年は上野会長時代のように四国の歩き遍路を友の会で実施したいと思います。

 午後は久しぶりに横井庄一記念館の一日にもなりました。

                                    5月19日の一言


四国遍路から帰って


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相棒リマとの遍路旅

 四国遍路へ愛犬と一緒に巡る人もよく見かけますが、私にはこだわりがあり、犬をリードで連れまわすのではなく、愛犬リマも人間の子供と同じように扱い、パンツを履かせて屋外での排尿をさせず、境内は歩かせないようにしています。

 もっと言うと、相棒リマには芸として、「合掌」と言うと前足を揃えて出し、「南無大師遍照金剛」と唱えると、私の差し出した手とともに、3回前足を下げる特技を持っており、私は愛犬というよりも家族の子供として同行させています。

イメージ 2イメージ 3 そんな習慣になった大きな訳は、今から9年前に愛犬とともに巡拝しておられた広島県の小野さんとの出会いで、当時17歳になっていた愛犬と一緒の姿に感動して、まるで旧知の友人のように話したことが大きな原因となります。

  https://blogs.yahoo.co.jp/s281218_hobby/67946015.html
 犬を畜生と呼ばせないためにも、人間と同じように清潔に連れ歩いてみたいものです。

 平成13年から四国巡拝をはじめ、平成19年に四国八十八ヶ所霊場会の先達に補任され、多くの資料を集約して、白衣を着込めばいつでも出発できるようにしていましたが、何でも判っているはずが、それは時代遅れの旧式でしかないことを今回のお遍路で実感させられました。

 まずは道路事情が大幅に変わっていることは判っているものの、カーナビもお遍路用にセットしてあり、使いやすさは自分の運転経験とマッチはしても、10年前のデータは古くなりすぎており、新しい情報への更新と勉強をしなおさないと過去の経験が足を引っ張ります。

 また、ガラケーの携帯電話からスマホへの交換ができませんが、スマホの情報を使いこなせば四国遍路は大幅に変わり、私の旧式の情報よりも格段に高いことから、経験とともに新しい情報を加える必要があります。

 四国には親しい人も増え、「大鹿さんなら何でも判っている」と言われますが、お寺そのものの情報は先達教典頼りで、お遍路以外の名所旧跡は無関心のため、先達になる以前の研究心を思い出したいものです。

 私は歩き遍路も好きですが、何よりも何度巡拝しても仲間と一緒のお遍路は、他のお遍路との交遊ができず、共有する時間の協調によって、関心があってもそのままになってしまうため、これからは時間を度外視して、案内する人のためではなく自分自身のために訪れたいと思います。

 さて、四国遍路の先達教典には、先達の最低限の条件として、「健康」や「時間の確保」とともに、「一定の経済的事情」が挙げられています。

 今年から年金受給者となり、有り余る時間と健康は問題はありませんが、限られた年金で生活する立場になり、同じく交通費や宿泊、食事が自己負担の上高地パークボランティアと併せて、単独での四国遍路行きは、家族の理解も重要になるため、来週出かける上高地は燃費の悪いキャラバンではなく、三男の軽自動車で出かけることに決め、家内の同意を取り付けました。

 四国遍路も、一人で単車にテントと寝袋を積んでいくことも視野に、馬鹿親父も節約を考えていると家族に理解されるようにしないと、毎日ボランティアで現場に出る家内だけでなく、毎日働いている息子たちには見限られてしまいそうです。

                                    5月6日の一言

知多半島新四国八十八ヶ所巡礼の結願


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知多半島結願後に参拝した八事山興正寺 午後1時15分

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本日最初の寺第78番福生寺・知多市 午前8時30分

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第80番栖(せい)光院の楠

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第86番観音寺 午前11時00分

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第84番 玄猷寺(げんにゅうじ) 午前11時44分

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第5番 地蔵寺 午前12時08分

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地蔵寺の階段

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第88番円通寺 午前12時23分 満願です


 今年3月と4月、11月に続いて、本日4回(日)目の巡拝で、知多半島新四国八十八ヶ所の巡礼が満願となり、御礼参りに八事山興正寺に参拝し、昼食後に覚王山にある日泰寺に参拝して今年の巡礼を終えました。

 同行した志賀弘法友の会は、名古屋市北区の歴史のある弘法会ですが、高齢化によって足腰が弱り、数年前までは2泊3日で知多半島を巡っていたものの、日帰りに変えて疲れを分散し、3日の巡拝が4日になったものの全員が結願しました。

 来年は4月から知多半島の巡拝を再開し、6月に1泊して高野山へ参拝しますが、私自身は昨年から家内と西国巡礼をしていたため、今年は一度も四国遍路に訪れておらず、来年からは年金生活者になるため本格的なお遍路を目指したいと考えています。四国遍路に一度も訪れない年は久しぶりとなります。

                                   12月14日の一言


八事山興正寺の紅葉と食事を楽しんで


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八事山の紅葉
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中門

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釈迦牟尼佛と五重塔

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本堂

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エスカレーター

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心に沁みる参道

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奥の院 不動護摩堂(左)と東山本堂

 本日は運転免許証の更新のため名古屋市天白区にある平針免許試験場に行きましたが、家内に乗せてもらっていたため、帰り道に昼食場所を探しながら、私にとっては珈琲屋さんより身近に感ずる真言宗の興正寺を訪れました。

 住職の土地売買を巡って本山となる高野山金剛峯寺と泥沼の争いが新聞やテレビを賑わしていましたが、名古屋市の都市部に広大な境内を持ち、観光ではなく参拝と信仰の対象として存在する寺院の魅力を久々に感じさせられる一日ともなりました。

 中門から大仏と五重塔に手を合わせ、本堂でご本尊である大日如来と弘法大師に読経して、エスカレーターを利用してそのまま東山にある奥の院を目指します。 

女人禁制

 高野山でも女性が自由に参拝できる現代社会ですから、途中の「女人禁制」の石碑を見てもそのまま通っても良いと思われますが、縁起担ぎで家内と遠回りして奥の院となる不動護摩堂と東山本堂に参拝しました。

「お父さん、何所へ食べに行こようか」
    「うーん、まだ観音堂にお参りしていないだろう」
「うーん、… 」

 最後に観音堂に参拝し、光明殿の中にある「八琴庵」のぜんざいを指差して家内を誘い、結局はランチと食後のコーヒーを飲んで昼食を済ませましたが、静かな八事山で久しぶりにのんびりとした時間を過ごせました。

                                   12月2日の一言  


紅葉の滋賀県湖東三山へ


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金剛輪寺の三重塔

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山門

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本堂前の紅葉

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西明寺の本堂

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重文ニ天門

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三重塔

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百済寺本坊の庭園

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本堂の紅葉

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百済寺の地酒

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道の駅奥永源寺渓流の里


津島市午前8時…名神高速・羽島IC…多賀SA…湖東三山スマートIC…金剛輪寺午前10時
  …西明寺午前11時40分…道の駅湖東三山館あいしょう(昼食) …百済寺午後1時40分…
    …永源寺(外から鑑賞)…道の駅奥永源寺渓流の里午後3時02分…午後4時15分津島市へ

 本日は書道会「神守丈友会」の日帰り旅行として、滋賀県の湖東三山の紅葉を鑑賞してきました。参加者6名

 かつては、名神高速彦根インターを利用していた湖東三山行きでしたが、現在は湖東三山スマートインターが建設されたことで、愛知県から2時間以内で目的地に到着し、帰路についても永源寺の前を通る八風街道に石榑トンネルが開通したことで、愛知県からの所用時間は大幅に縮まりました。

 今年の紅葉は夏の異常気象の影響か「今ひとつ」の色づきですが、今シーズンでは最高のロケーションになったのではないでしょうか。何よりも参加メンバーには8時に集合することしか知らせておらず、思いつきで行って明るいうちに帰れる行程になったことにびっくりですね。

                                  11月20日の一言


知多半島新四国巡礼の一日


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午前6時18分 名古屋駅前の噴水

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第四十八番良参寺 美浜町 午前9時25分

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午前10時24分

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常滑市内のお店
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第70番地蔵寺 午後3時36分

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第75番誕生堂 午後4時47分

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最後の参拝 午後4時54分

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 本日は名古屋市北区の志賀弘法会の知多半島新四国八十八ヶ所巡拝に同行しました。津島を午後5時30分に出発し、名古屋市北区柳原から緑区鳴海町を経由し、10人のメンバーで午後5時まで巡拝して、帰宅は午後8時30分になりました。

 美浜町の第44番大宝寺から知多市の第77番まで巡拝し、年内に満願を達成して八事興正寺に参拝予定。毎年参拝しているものの、道に迷うことが多く、自己嫌悪に陥る場面もありましたが、足腰の悪いメンバーの頑張りがあって予定する巡拝ができました。

                                  11月7日の一言


御嶽山五合目 八海山小屋


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本日の御嶽山 木曽町三岳から

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台風の影響は現在も続きます

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カラマツ林を走ります

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遠方に見える木曽駒ケ岳

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八海山小屋

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貴重な山小屋です
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時間が停まったようです

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額縁のような景色

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 2年ほど前から御嶽山黒沢口にある明栄講の霊神場に願をかけ、上高地からの帰りに必ず御嶽山に立ち寄るようにしており、今年も4月から毎年訪れてきましたが、本日は家内と外出する行き先が定まらず、まもなく87歳になる母親も一緒に御嶽山に行くことが突然決まりました。

 もっとも、午前10時近くになって出発したため、家内はお昼には到着すると思っていたようですが、途中の道の駅木曽福島で昼食をとり、見事な紅葉を鑑賞しながら走ったため、実際には御嶽山の麓である黒沢口へ午後2時の到着となりました。

 家内が御嶽山を2時間程度で到着すると勘違いしていたのは、私と出かける上高地まで3時間で到着しており、私がその上高地から1時間程度で御嶽山に立ち寄って帰宅しているため、上高地より1時間は早く到着すると思っていたようです。
 我家から御嶽山は上高地よりも距離は近いものの、上高地は高速道路が高山市まで利用でき、中津川より国道19号線を走って行く御嶽山は上高地より時間がかかります。もっとも、中津川から一般道を利用して薮原経由で上高地へ走ると、夜間でも4時間程度はかかります。

 さて、本日は御嶽神社黒沢口の里宮と、祖父や新家の霊神碑のある四合目日の出旅館前の明栄講霊神場から、田中旅館前の弘法堂に参拝し、足を延ばして白崩林道から八海山小屋にある御岳大神(神社)と弘法様に参拝しました。

 何事もなければここからも御嶽ロープウェーまで行けますが、現在は台風の影響で通行止めとなっており、林道の一番奥にある中の湯駐車場にも行けませんから、黒沢口から御嶽山に登頂するためには、直接ロープウェー乗り場経由でしか御嶽山登山はできません。

御嶽山の歴史 【偉大な行者】 http://ontake38.com/info/sinkou/gyoja/post_6.html

 さて、御嶽山の黒沢口の登山道を開いた覚明霊神は愛知県の人物で、西尾張地方や私の住む津島市にも信者が多く、私の知る先人たちが霊神として石碑に名を残しておられ、本日は参拝の道中で元郵便局長の碑を見つけ手を会わせてきました。

 愛知県から遠く離れた木曽の里に多くの人々が眠っておられるというか、霊神として後輩の我々を見守っておられると考えると、知らない土地を走るときにも、我々の先人たちが存在した可能性を考えて譲り合う気持を持って訪れたいと思う一日ともなりました。

                                   10月28日の一言


阿息観と弘法大師報恩法会へ


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本日の夕暮れ 左は平成元年登録のライトエース 午後5時30分

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阿字観本尊

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弘法大師報恩法会

 毎月21日は町内の弘盛寺で阿息観が開かれていますが、本日は高野山の布教師を招いて弘法大師報恩法会が開催されるため、30分早く阿息観が開かれ、午後2時から4時まで報恩法会が行われました。

 布教師は福岡県普門院の才田亮舜住職で、近隣市町寺院住職や檀信徒も集う中で報恩法会が行われ、金剛峯寺座主の中西啓宝大僧正(高野山真言宗管長)のお言葉を代行して読み上げられ、その後1時間程度の法話がありました。

 今から1200年前の弘法大師(空海)の密教の教えが、師匠から弟子へと引き継がれ、現代人に伝えられていると考えると、法話後の「南無大師遍照金剛」の唱和がまるで先祖に唱えているように感じて震えさせられました。

 空海が入定した 承和2年3月21日(835年4月22日)から、後15年で1200年の歳月が経過します。できればこの年まで生きていたいものですね。

                                    10月21日の一言


知人から送られてきた写真から


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「修禅寺は修善寺温泉発祥の寺で、807年に弘法大師が開基したお寺です。」
                                       知人からのメールです

 知人から送られてきた修禅寺の写真と寺の説明を読んで、弘法大師と修禅寺の関係とともに、まずおかしいと思って寺の概要を見ると、「大同2年(807年)、弘法大師に依って開創され、その後約470年間は真言宗として栄えました」とありました。


 日本中に空海(弘法大師)の伝承は多く残されていますが、観光地で有名な修禅寺の公式ホームページにまで記されていたことに驚きで、私の持つ四国遍路の「先達経典」には、前年の大同1年に「明州の港を発ち、帰国の途に就かれる」と記されています。

 記録を正確に読み直すと、この大同1年に中国の皇帝に帰国を申請し、九州の太宰府の鴻臚館に入り、朝廷に帰国を報告し都へ上京する許可を申請しており、定説では約1年間大宰府の観世音寺に留まっていたとされています。

 この1年間の記録が定かではないことから、空海が各地に寺院を建立したとか巡礼の伝承が残されていますが、20年の留学期間を2年で切り上げて無断帰国したことは重罪に値するため、大同2年(807年)には留め置かれた大宰府の観世音寺に居たと思って間違いがないでしょう。

 修禅寺を開基したと言われる大同2年の記録として,空海は九州から和泉国(大阪府南部)の槇尾山寺に入ったことが残されていますが、前年に朝廷へ唐から持ち帰った新訳の経247巻、梵字の真言等44巻、経の注釈は170巻、その他に仏像、曼荼羅、法具類を目録(後の御請来目録」)にまとめて渡したとされています。

 私の住む愛知県でも、大同3年に知多半島の岩屋寺で100日間にわたって護摩修行をして、自分の像を岩窟に納めたと伝承されていますが、空海は中国密教界の最高権威者の「恵果」から大日経系の胎蔵界と金剛界の伝法灌頂を受け、真言密教の後継者に指名されており、国内の安易な弘法伝説の比ではありません。


 こんなことを記すと、対象となるお寺や地域から厳しい批判や悪口をもらうことになるため、先輩諸氏から「こだわるな」と言われていますが、宗教にはあり得ないと思われる非日常的な現象を現実のように話し、弘法大師の声を何度も聞いたとか、姿を見たなどと言う人が崇められたり、錦の納札を手渡して謝礼金を受け取る輩も存在することから、私はお寺が適当な年代をあげて宣伝する行為はやめるべきと常々思っています。

 それにしても、添付した「空海年表」はよく調べてまとめてあります。空海が高野山の御廟に御入定されたのが62歳。私はもうその年齢もこえてしまいましたが、知人の送ってくれた空海の伝承によって、久しぶりに弘法大師を認識する一日となりました。
                                     9月11日の一言


四国別格二十霊場のご朱印


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平成19年10月16日が初めての朱印
                            4回分の重ね印

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平成22年9月10日からの朱印
                          先達になってからの朱印 5回の重ね印

 四国八十八ヶ所は平成13年から巡拝するようになりましたが、別格ニ十霊場は平成17年秋の逆打ちで108ヶ寺を廻ったものの、当初は納経帖を持たず、参拝だけで朱印は授かってはいませんでした。

◎ 四国八十八ヶ所と別格20霊場5-① (5巡り目) 19年10月16日(前夜発) 先達前
 1日目・1番から12番まで、宿泊・名西旅館
 2日目・13番から23番まで、宿泊・ホワイトビーチ
 3日目・24番から30番まで、別格4番まで  参加者8名、2泊3日
◎ 四国別格20霊場の旅 22年9月10日(前夜発) 先達後
 1日目20番から、1番から4番
 2日目5番から12番
 3日目13番から19番     参加者2名 2泊3日

 当初は八十八ヶ所のついで程度に別格霊場を考えていましたが、空海との関わりや歴史から別格霊場のお寺にも足を運ぶようになり、平成21年に霊場寺院の関係者から「あんたなら推薦するよ」と言われて先達になりました。

 一方で、平成20年夏に「子供が産めない」と病院医師に宣告された娘に、「四国で願をかけてくるから」と励まし、娘と婿の代参として四国八十八ヶ所を廻り、別格15番箸蔵寺では「健康な孫を授かるように」と護摩祈願を依頼しました。

 不思議なことに、偶然としてはできすぎたように娘は妊娠し、医師から「早期の子宮摘出」まで言われていたのに、翌年7月に健康な孫が誕生し、箸蔵寺に御礼に訪れ、この奇縁から孫は箸蔵寺のご住職の推薦によって別格ニ十霊場会の「子供先達」にもなりました。こんなご縁も年月の経過によって、年数も判らなくなってきました。

 西国巡礼は参拝日の日付が記されていますが、四国八十八ヶ所や別格ニ十霊場は重ね印だけのため、過去の巡礼の振り返りをしないと、一緒に同行した人々の安否確認どころか、名前すら判らなくなってきました。

 今年秋から再開する四国遍路を前にして、過去の巡拝の整理をするとともに、更なる寺院や歴史も調べなおしてみたいと思います。


                   本日の体重 73、4キロ 徒歩数 2581歩 間食あり

                                    6月27日の一言


四国遍路第1番霊山寺のご朱印


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四国八十八ヶ所霊場第1番霊山寺の朱印
                     平成19年公認先達になってから
                            平成20年9月25日から7回の重ね印

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四国遍路初体験の朱印
                       平成13年10月10日

◎  四国八十八ヶ所巡り1-① 13年10月10日(前夜発) 
 1番寺から35番まで マイクロバス 2泊3日
    宿・1日目 民宿明日香   2日目 ドライブインミツウラ 参加者18名

四国巡礼6-① (6巡り目)  20年9月25日(前夜発)
 1日目・1番から13番まで、宿泊・名西旅館
 2日目・14番から21番まで、宿・うみがめ荘
 3日目・22番から29番まで       参加者7名、2泊3日 、別格1番から4番

 添付した納経帖は、四国八十八ヶ所霊場第1番霊山寺の朱印ですが、上の納経帖は平成19年に公認先達になってからの7回分の重ね印で、下の納経帖は初めて四国遍路に廻った平成13年10月10日の朱印です。

 初めて四国を訪れた時は18名で、マイクロバスで巡拝しており、当時はカーナビも無かったため、地図を頼りに間違えて何度も引き返し、乗用車しか通れない道路に立ち往生したことが懐かしく思い出されます。

 この18名の中で、8人が他界されており、年月の経過を実感させられるとともに、私自身がいまだに四国遍路を続けていることと、公認先達になって高野山へも出向いている現実を当時は全く考えていませんでした。

 お遍路と言っても、般若心経も読めず、まるでスタンプラリーのように走り、観光バスの団体と納経所へ競争で走っていたことを考えると、一緒に同行していた人々に申し訳ない気持で一杯となります。

 四国遍路の朱印帳について、「死んだら棺桶に」と希望する人も多く、私の家族も「死んだら全部入れてやる」と言いますが、本人が希望している場合は別としても、私は燃やして欲しいとは思っておらず、我家の仏壇の中に保存して、孫以降の子孫に伝えて、この場所で我家を連綿と繋げて欲しいと考えています。

 観光客で賑わう寺院を訪れると、賽銭箱へ神社のように威勢よく賽銭を投げる人や、参拝後に縁起の悪いと言われる鐘を撞く人などを見かけ、真っ先に納経所で朱印をもらい、参拝しないままお寺を立ち去る人も朱印ブームの中では日常的に見かけますが、空海の教えた生きたまま仏を目指す「即身成仏」を目標にして参拝した証となる納経帖だけに、これからも蓄積して我家の家宝となるようにしたいと思います。

                                   6月26日の一言


西国三十三観音巡礼が本日満願に


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先達納経帖(左)とこれまでの納経帖

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本日最初に訪れた西国13番石山寺

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私の大好きな15番新那智山観音寺
                                  弘法大師空海が開基したお寺です

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弘法大師ゆかりの五智水

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外国人観光客でにぎわう清水寺

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清水道も人・人・人

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本日満願となった19番革堂行願寺

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革堂行願寺のハス

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満願となった革堂行願寺の朱印

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こちらは三度目の重ね印

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道の駅南山城村

「この朱印は16年前になるのか」
    「平成14年と24年に廻りました」
「これ書いた人、今は居ないよ」
    「そうですか、次に来るまでは頑張ってくださいね」
「2、3年は頑張れると思うけど (笑) 
         「お元気なうちに来ますよ」

 西国18番六角堂頂法寺の納経所での会話ですが、平成13年に初めて四国遍路を巡拝し、翌年の14年に西国巡礼を廻り、翌年に坂東と秩父を巡拝しましたが、自分の筆で記した朱印や、先代住職の朱印を懐かしむ会話で花が咲く機会が増えました。

 昨年秋から巡拝していた3回目の西国巡礼が、本日8ヶ寺目の19番革堂行願寺で満願となりました。本日は滋賀県大津市の第13番石山寺から、京都市内6ヶ寺を巡拝して家内とともに満願となりました。

          本日の体重 73、4キロ 徒歩数 12032歩 間食あり
                                     6月24日の一言

西国三十三観音 巡礼二日目の竹生島


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パワースポット 竹生島龍神拝所の鳥居

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今津からの竹生島航路

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竹生島港

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参道入り口の階段

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西国第30番宝巌寺本堂

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三重塔

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都久夫須麻神社本殿

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長浜や彦根へのクルーズ船

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今津航路の乗場

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大浦?へ向う高速艇

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竹生島から今津港へ戻ります

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琵琶湖は大きいですね

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道の駅 浅井三姉妹の郷 http://azai3-st.jp/

 竹生島への航路について、西国巡礼のガイド本の影響で、今津港から渡るのが自然と考えていましたが、一日に4便しか無いことから、西国29番から竹生島30番、31番長命寺と順番に巡拝するのではなく、私の住む愛知県側から考えれば、32番観音正寺と33番の華厳寺(谷汲山)の間にある長浜港から乗船すれば一日に9便も出航していることから、より効率的であることが判りました。

 本日は竹生島の後に岐阜県の華厳寺まで参拝する予定でしたが、天橋立展望台でコーヒーを飲み、舞鶴港の道の駅で買い物に費やした時間が影響して残してしまいました。我家から1時間の距離でしかないことから、6月までに何とか参拝しておきたいと思います。

                                  5月20日の一言

西国三十三観音 巡礼二日目


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日本三景 天橋立

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西国第28番成相(なりあい)寺

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本堂

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撞かずの鐘

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お寺の柴犬と我家の相棒リマ

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成相寺展望台にカフェが営業していました

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「道の駅」舞鶴港とれとれセンター

京都府舞鶴市字下福井905番地 https://toretore.org/

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西国第29番松尾寺

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本堂前の石段

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本堂 手前は香炉台

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納経所



 本日朝8時から成相寺参拝 … 展望台でカフェ 9:10 … 舞鶴港「道の駅」舞鶴港とれとれセンター 10:30 … 松尾寺 11:35 … 

 余裕の西国巡礼でしたが、次の竹生島渡航が午後1時10分と判り、慌てて走りましたが、舞鶴若狭自動車道が整備されていることを忘れ、過去と同じ一般道を進んでいきました。


西国巡礼 家内の視線を写真から


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第9番南円堂(興福寺)本堂を目指す私

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第24番中山寺の参道のシャクナゲ

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同じく中山寺のアジサイ

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第21番穴太寺山門横の大樹
                         なぜか龍に見えてきました

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第22番総持寺の提灯

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第20番善峰寺  日本一の遊竜松
                        桂昌院お手植えの天然記念物

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第23番勝尾寺に残されたダルマ

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奈良公園の車夫

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中山寺の私

 開創されて1300年となる西国巡礼は、四国遍路よりも旧い歴史を刻んできましたが、同じお寺を巡拝しているものの、祈願する内容はさておき、家内のカメラに収められている風景は全く違い、同じ道筋を歩いても目を向ける視線は全く違うことを実感させられました。

 さて、ただ単にお寺の本堂に手を合わせるだけでなく、道中で行き会う人々との出会いを大切に思っていると、交わす会話の内容も変わってきます。

 私の場合は、四国八十八ヶ所霊場会の先達であるという意識が強く、西国三十三所の先達であるものの、弘法大師と同行二人で白衣も袈裟も四国のままで巡拝しており、こんな気持の中に西国巡礼を軽んじているものがありました。

 西国番外となる兵庫県三田市の花山院菩提寺の納経所で、ご住職らしき僧侶より先達としての心構えについて説明があり、一年前に奈良県櫻井市の西国開山堂の「法起院」のご住職より「先達のくせにそんなことも知らんのか」と叱られたことを思い出し、勉強不足のまま巡拝していた反省と、何事も無心になった求道者にならないといけないことを実感させられました。


 今から10年前の秋に、四国第30番善楽寺のご住職に納経所の先頭で、後ろに並ぶ10人ほどの視線を感じて20分ほど叱られていたことがあり、先達になったばかりの私への叱咤激励を込めた言葉は今となっては有難い思い出ですが、今回の花山院菩提寺のやりとりから懐かしく思い出しました。

 怒るのと叱るのとは違い、怒られたと思うか、忠告のために叱られたと感ずるのかによっては大きな違いがあります。
 久々に西国巡礼から新鮮な気持をもらいました。

           本日の体重 72、4キロ 徒歩数 3654歩 間食あり
                                      5月8日の一言

西国観音巡礼の三日間から帰って


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須磨海浜水族館で孫と記念撮影  5月3日午後6時

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車窓から見えた姫路城 3日午前10時30分

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イルカショー 須磨海浜水族館

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クジラの複製 須磨海浜水族館

5月5日(土)
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猿沢池さるさわのいけ) 5日午前8時30分奈良公園

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西国第9番興福寺 南円堂 午前9時

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西国第10番三室戸寺参道 午前12時

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本堂とハスの水鉢

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第11番醍醐寺観音堂 午後2時8分

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五重塔

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祖師堂(大師堂)  午後2時50分

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西国第12番正法寺(岩間寺) 午後4時20分

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岩間寺本堂

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次のお寺 石山寺

 5月3日の午前8時30分に兵庫県姫路市の円教寺ロープウェイに乗ってから、昨日の午後4時30分に滋賀県大津市の石山寺門前に立つまで、大阪から京都、奈良と巡拝し、西国巡礼13ヶ寺を巡拝してきました。

 私は平成14年と、10年後の平成24年に西国三十三ヶ所を巡拝していますが、最初は般若心経も読めずと言うよりも、読もうとも思わず朱印目当てで廻っており、目的地に到着するだけで満足していました。

 最初に廻った18人のうち7人が他界し、6年前に廻った8人のうち1人が亡くなっており、今回の西国巡礼ではそんな過去の巡礼の記憶を蘇らせる参拝でもあり、家内と2人だけの巡礼も初めてのことです。当時の会話や行動を思い出すと、無言の故人たちが居そうな雰囲気となってきます。

 4月に第8番の長谷寺まで廻っており、普通は9番目の奈良から廻りますが、一番遠い姫路市まで前日夜から走り、大津まで戻って来る行程で巡拝し、初日の3日の巡礼後には神戸まで来ていた娘の家族に合流し、孫と水族館に行き夕食を共にするなど、参拝だけでない行楽も体験できました。

 さて、本日は現実生活に戻り、知人に頼まれて名古屋市まで走り、午後は家内の同行で田んぼへ肥料散布と草取りに借り出され、ゴールデンウィークが本日までてあったことも忘れる一日となりました。

           本日の体重 72、6キロ 徒歩数 3814歩 間食あり
                                      5月6日の一言

西国三十三観音 巡礼第2日目


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勝尾寺の願がかなったダルマ

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第24番中山寺の山門

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本堂と五重塔 右はエスカレーター

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中山寺の本堂

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勝尾寺の山門

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本堂 左奥が大師堂

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四国遍路姿のご夫婦

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第22番総持寺の山門

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本堂

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立派な建物です

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第21番穴太寺への参道

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本堂

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多宝塔

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亀岡市のマクドナルド店からの風景
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第20番善峰寺

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日本一天然記念物 遊竜の末

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相棒リマも一緒です

 本日は第24番中山寺から、23番勝尾寺、22番総持寺、21番穴太寺、20番善峰寺の4ケ寺を参拝して奈良市へ移動しました。

 明日は9番興福寺南円堂から京都に向けて巡礼を続けます。

      本日の体重 70、9キロ 徒歩数 8469歩 
                                    5月4日の一言

知多半島の名刹常楽寺


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知多四国霊場21番天龍山 常楽寺  愛知県半田市東郷町

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広大な境内

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大師堂

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               尾張徳川家初代藩主より
               「浄土宗西山派知多一郡の総本寺」とお墨付を得たとされる寺院

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納経所の建物も大きさにびっくり

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日本すきま漫遊記 常楽寺

 昨日訪れた知多半島の寺院ですが、これまで何度も同行していたものの、運転手として駐車場にとどまっていただけで判りませんでしたが、境内に入ってから名古屋市にある尾張徳川家先祖代々の菩提寺である浄土宗の建中寺と遜色ない規模にびっくりとさせられました。

 由来書きには徳川家康の従兄弟が住職を務めていたことや、本能寺の変の前後に家康が訪れていたことが記されています。
 知多半島の浄土宗のお寺の多くが常楽寺の修行僧によって建てられたとありますが、これだけ規模が大きい仏閣でありながら、知多四国の巡礼者以外に参拝客が全くないことは残念でありません。

 もっとも、昨日巡拝して遭遇していた知多四国の巡礼者のほとんどが、大師堂で般若心経を唱えているのは稀で、中には納経所で朱印をとるだけで退散する姿に、寺院が創建された当時の熱気をとりもどしたいものです。

 我家も浄土宗の檀家ですが、日常的にお寺へ参拝に行く習慣がなく、日頃の縁の少なさが檀家の減少となり、お寺だけで生活できないため、生活のためお寺以外に職を求めるとより檀家との距離が広まっていくため、日頃から地域と一体となった行事を展開して、人が集うお寺にしてもらいたいと思います。

 さて、昨日に朝5時から車を運転して夜9時に帰宅した疲れは過去に無い疲労として残り、突然に戻ってきた寒風舞う気候にも対応できない一日ともなりました。

                                  本日の体重 72、6キロ
                                    4月9日の一言

知多半島新四国巡礼の一日


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なんとか桜の花にも間に合いました

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 知多半島を巡拝するため、午前5時に起床して午後9時に帰宅しました。

とにかく疲れました。

 津島市から愛西市を経由し、名古屋市内で10名を乗せ、本日は東浦町の弟7番極楽寺からスタートし、前回済ませた27番から40番を含めると南知多町の弟46番寺まで巡拝して終了です。

 かつては3日間で満願となった知多半島の巡礼ですが、平均年齢80歳となる志賀弘法会の高齢化は勿論ですが、運転する私の高齢化も影響して4日間が必要となっており、年内に満願として知立の三弘法も巡拝する予定です。

 数年前までは2泊3日の行程でしたが、私の提案で宿泊費を浮かせて日帰り3日間の巡礼と代えたため、運転する私のストレスは少なくなったものの、肉体的疲労は大きくなり、午前6時から午後6時まで納経所が開いているため(四国は午前7時から午後5時)疲れは倍増します。運転手にとっては四国八十八ヶ所の遍路より疲れる巡拝でもあります。

 ある意味では私のシーズンが始まったことを実感させられました。

                                      4月8日の一言

西国観音巡礼  大阪藤井寺から奈良県明日香村まで

                         昨日の記録です
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西国第6番南法華寺・壷阪寺の石仏
                       常識外の桃源郷にきたような錯覚を覚えます

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相棒リマも主役の巡拝です 葛井寺前

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西国第5番 紫雲山葛(ふじ)井寺 藤井寺市
                         藤井寺は「葛」(クズ)と書いてフジと読むんですね

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葛井寺 本堂

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門前の道標 伊勢路は右へ

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西国6番 壷阪寺の桜

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最高の桜日和に訪れました

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本堂に無数のヒナ飾りが置いてありました
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壷阪寺 本堂

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西国第7番 東光山竜蓋寺 岡寺

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時間が止まったような境内

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ご本尊の菩薩像は弘法大師が土で造ったと伝承

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本堂前の香炉 本日最期の参拝となりました 午後4時40分

 ここに添付した3軒のお寺は弘法大師と縁のある真言宗の寺院で、四国遍路より100年の歴史ある開創1300年の西国のお寺で修行していた名残があり、青年僧空海の姿を連想しながらの巡拝となりました。

 昨日は6ヶ寺のお寺を巡拝しましたが、西国三十三観音のうち16のお寺が真言宗であり、真言宗以外でも弘法大師が逗留して修行したり、残された仏像が伝承されているため、大師と同行二人の巡礼ともなります。

 「袈裟までとは言わないが、名札は付けて下さい」の一言は、納経所で西国札所会の先達納経帖を提出した際に言われた言葉ですが、先達であっても個人的に巡拝しており、人々やお寺に先達として認識して欲しいと思っていないため、四国遍路の延長で四国の輪袈裟と白衣姿の西国巡礼です。

 西国巡礼は三十三ヶ所ですが、それぞれのお寺で駐車料金と拝観料が必要なため、家内と2人で巡拝すると思っていた以上の金額が財布から出ていきます。これから京都に入ると更に大変になります。

 土曜日の夜に愛知県から和歌山県に移動して、一日で奈良市の第9番の南円堂(興福寺)まで巡拝しようと(1番青岸渡寺と8番長谷寺は昨秋に巡拝済み)考えていましたが、各地の桜が満開になって道路が渋滞しており、次回は9番から再開となります。

 奈良から和歌山まで無料の京奈和自動車道が整備されたことで、高野山や和歌山県に移動する時間が大幅に短縮されており、全線が開通したら近畿自動車道や阪和自動車道と併せて西国巡礼の日程も変えてくれそうです。

 さて、本日は現実に戻って、ボランティアで愛西市の会員さんを海南病院まで運びましたが、ガンの告知を受けるとの話に、我々が個人的に抱えている心配事などは、命の限界に臨んでいる人から見ると笑い話にされそうな気持にされました。

 もっとも、対象者はこれまで何度もガンの手術を受けており、早期発見のため転移や再発には至っておらず、初めてガンの告知を聞いた時のような怖さは無いとの話ですが、海南病院の良い医師と出会っていることも大きな安心になっています。

 明日も家内は中村日赤に患者さんを送りますが、対象者は近々乳がんの手術を受ける予約との話に、会員さんの苦痛を共有して帰宅してくるため、明日の夜も辛い話を聞くことになりそうです。

                                      4月2日の一言

西国観音巡礼 和歌山から大阪府和泉市へ


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西国2番 紀三井山護国院(紀三井寺)  和歌山市

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身体に堪える階段 234段

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近畿地方で一番早咲きの桜

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大師堂 身代わり大師

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西国3番 風猛山粉河寺へ 

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花に彩られた本堂

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不動堂
弘法大師が爪で彫ったという不動尊が安置されています

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西国4番 槇尾山施福寺山門 大阪府和泉市

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愛染明王堂

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弘法大師によって彫られた仏像が

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桜の名所でもある施福寺本堂

 昨晩に家内と愛知県の自宅を出発し、午前4時前に紀三井寺に到着し、車中で暫しの仮眠をとり、午前7時30分から参拝しました。納経所は8時から午後5時まで
 花に彩られた景色とは違い、234段の石段は結構身体に堪えますが、参拝後に見る和歌山市の遠景は見事で、本日は桜を目当ての観光客も多く訪れておられました。

 西国2番粉河寺到着は午前9時10分。本堂参拝後に山門に近い弘法大師が彫ったと伝わる不動明王が安置されている不動堂へ参拝し、駐車場の管理をしているお土産屋さんで「ぜんざい」を食べました。このお店は、本業は柑橘類を栽培する果樹農園との話に、家内はミカンを買ってきました。

 西国4番施福寺には11時30分の到着。ここは西国巡礼の中でも山門から本堂までの距離が遠く大変なお寺です。槇尾山から見る景色は見事ですが、本堂に到着するのにはナマカワをした身体には一苦労となります。

 ここから大阪府藤井寺市にある西国5番藤井寺までは高速道路のお陰で楽々ですが、本日は桜満開の観光客の車で渋滞しており、早々に奈良県明日香にある6番の壷阪寺と7番岡寺までとしました。後編へ…

                 本日の体重73、4キロ 徒歩数 10570歩
                                     4月1日の一言

一年ぶりとなる知多半島巡礼に走って


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知多四国 1番曹源寺  午前8時40分

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志賀弘法会六十周年記念 集合写真

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2番寺に貼り出された歩き遍路友の会東海のポスター

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伊藤萬蔵の香炉

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2番極楽寺

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行く先々で桜が開花を始めました

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午前11時30分 篠島に渡ります

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本日は臨時便も増発されていました

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午後1時50分 日間賀島から師崎港に戻りました

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40番影向寺 午後4時20分

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本日最後の巡拝 誓海寺 午後5時40分

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開山所 禅林堂

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桜が咲いていました

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27番誓海寺まで案内してくれる柴犬 
                              13才になりました もう少し頑張って欲しい

 一年ぶりとなる知多半島巡礼の一日でした。志賀弘法会60年の記念すべき巡礼に、9人のメンバーとともに同行しました。

 メンバーは知多半島を毎年巡拝し、歩き遍路で巡拝した人も複数おり、私よりもベテランばかりですが、新しい道路が次々とできていることと、何年も私が案内役となっているため、最近は安心して任されるようになってきました。

 本日は85点の出来栄えです。

「あの先達さんのお名前は?」
     「大鹿一八(かずや)さんです」
「何処のお方ですか?」

 本日の知多四国でメンバーが出会った人に問われたそうですが、私は知多四国の先達ではなく、ただの運転手であり、私が問われれば「私は四国霊場会の先達」とか、知多半島の先達ではないと否定しますが、そう問われたとしたら先達らしい雰囲気が出てきたのかと思えば悪い気はしませんね。

 しかし、そうとしたら知多半島を巡拝する人のほとんどはスタンプラリーか、巡礼の基本が何も理解されておらず、霊場会の関係者も知多四国に来てもらうための宣伝だけでなく、少しはお参りのマナーも啓蒙して欲しいですね。

 熱心に般若心経を声高々にして繰り返し読経するメンバーを、奇異の視線で眺めながら、メンバーの肩越しにお賽銭を投げ入れたり、ご本尊やお大師様に手も合わせずに納経所で朱印を授かって帰る人の多さが気になります。

 歴史上、知多半島に空海(弘法大師)が来たという事実はありませんが、それをあたかも空海が逗留して修行したと宣伝する知多四国は好きになれませんが、メンバーの後ろで般若心経を唱えていると背後に存在を感じてしまう自分があります。事故無くケガもなく終えたことに安堵して、次は来月の巡拝となります。

                                   3月11日の一言

阿息観でお寺の本堂に座り


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四国霊場椿堂ゆかりの椿の木 津島市越津町弘盛寺

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福寿門

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弘盛寺本堂

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 本日21日は議会運営委員会が開催され、引き続いて行われた厚生病院委員会の報告会が正午過ぎまで行われましたが、何とか午後に開かれた阿息観に間に合い、お寺の本堂に座ることができました。

 高野山の金剛峯寺で受けた阿字観を、町内にある弘盛寺で体験できることを知った7年程前から、当時は参加できる時に行く程度に参加していましたが、最近は市議会の行事と重ならなければ必ず参加すると決めて足を運んでいます。

 1ケ月に一度の繰り返しですが、本堂に座って身体を動かしてから足を組み、鼻から胸にいっぱいの空気を吸い込み、身体の隅々の細胞から汚れた空気を絞り出すようにゆっくり口から吐いていきますが、その日の体調の変化がよく判り、体調不良の時は心が乱れて思うような瞑想ができません。

 私の身勝手な瞑想法ですが、目を閉じてしまって、自分が座っている場所を穂高連峰の神々しい冷気を感ずる小梨平と想定し、まるでその場に身体が瞬間移動して座っているように念じて座るようになっており、高野山奥之院の御廟前とか、御嶽山の霊神場の石塔前と想定して座りますが、体調の良し悪しで呼吸が乱れて、雑念ばかりで落ち着きません。

 これが不思議なもので、阿息観を健寿法や呼吸法として考えていた時と違い、瞑想を心がけると脳が錯覚を起こすのか、本当にその場に座っているような錯覚を覚える瞬間が存在し、ただ単に眠気によるものか、ドーパミンとか脳内の神経伝達物質が影響しているのかどうかは判りませんが、まるで違う世界に入ったような感覚になることがあり、そんな感覚が時を超えて1200年前の弘法大師の足元に座れるようにならないかと念じてしまうところに、人には語れぬ馬鹿な精神状態に憧れてしまいます。

 どちらにしても、私は八百万の神仏ではなく、間違いなく弘法大師と同行二人と信じて行動しており、空海の行動に憧れて四国や高野山を訪れているので、私の願い事は総て弘法大師に理解されていると考えるとストレスは失せていきます。



 さて、本日は四国別格霊場椿堂さんからいただいて弘盛寺に植えられた椿の木を添付しましたが、四国から愛知県に移植された空海ゆかりの椿は、私の死後も順調に成長し、私の孫が還暦を過ぎた時にどのように成長しているかを想定すると、この椿を見た孫が何を考えるか興味は尽きません。

 上高地も11月から4月まで冬眠中と決めましたが、私の四国遍路や巡礼は来月3月から再開となっていきます。

          本日の体重 72、8キロ 徒歩数 2378歩 間食あり
                                   2月21日の一言
追伸
毎月21日は、町内のお寺の阿息観に参加していますが、私が巡礼のお世話をしている名古屋市の志賀弘法会でも勤行が行われており、午前中に家内が送った代表者を、私が夕方に自宅へ送迎しており、この車中で交わす真言密教の不思議な話も、私を弘法大師の下に導いていただけます。

愛西市 日置八幡宮と大聖院


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旧佐屋町日置 八幡社(左)と大聖院

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大聖院本堂 真言宗智山派

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八幡社正面の鳥居
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境内にある仏式のお堂

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神社参門

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三木武夫元総理大臣の揮毫

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見事な石細工です

裏面 ↓
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寄付者は医師の伊東春太郎氏 旧美和町

石工 角田六三郎氏
角田六三郎石材店(愛知県名古屋市西区)
                          名古屋市西区名西2丁目34-15  052-531-6765
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本殿 日置八幡宮
                                左に秋葉神社と右に貴船神社の
                          三社が祀られています
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地域力を感ずる立派な本殿です

 津島市と境になる愛西市の日置にある八幡社ですが、立派で広大な駐車場が完備されているものの一度も訪れたことはなく、本日初めて訪れたところ、隣のお寺(大聖院)と隣あわせであるばかりか、鳥居の奥に仏像を安置したお堂があり、日置という地域だけではなく尾張地区にまたがって信心される歴史のある神社であることにびっくりさせられました。

 鳥居をくぐった先にあるお堂は、明らかに仏式の建物で、隣の真言宗智山派の大聖院と自由に行き来できることから、私の勝手な想像ですが、明治維新後の廃仏毀釈前は神仏習合の信仰の場所だったと思われます。

 鳥居を進んだ参門には元総理大臣の三木武夫氏が揮毫した「日置八幡宮」の扁額(へんがく)が掲げられており、三木首相の後継者でこの選挙区から後に総理大臣になられた海部俊樹元代議士に関わる日置の人々の縁で存在するものと思われます。
 この扁額を三木元首相が揮毫した経緯を書き記して残して欲しいものです。

 本殿が参道から直接見えないように建てられた大きな石でできた衝立の裏側には、旧美和町(現あま市)古道の医師「伊東春太郎」氏が昭和4年に寄附されたことが刻まれていますが、左下に小さく刻まれた「ナゴヤの石工」として角田六三郎氏の名前が残されています。

 名古屋市の西区には、現在も角田六三郎石材店が継承されており、佐屋町日置の八幡社のために、稲沢や甚目寺に近い美和村古道の伊東春太郎氏の寄進で、名古屋城に近い名古屋市西区の「石工」角田六三郎氏が依頼された石を持ち込んで造営したと考えると、昭和初期の道路事情や人の行き来にも興味は尽きません。

 もっと、関連して考えてみると、全国各地の有名な神社や寺院に石造物の寄進を続けた「伊藤萬蔵」氏も名古屋市西区の人物であり、昭和2年に鬼籍に入られているものの、「石工」角田六三郎氏の居所に近いことから、伊藤萬蔵氏との関係についても知りたいものである。

誠に申し訳ありませんでした。下記の赤字の部分は私の間違った発信でした。

 そして、この日置八幡宮にも伊藤萬蔵氏の寄進した狛犬があることから、間違いなく「石工」の角田六三郎氏と伊藤萬蔵氏は関係があり、伊藤萬蔵氏が各地に寄進した石の香台や石塔にも「石工」として角田六三郎氏が関わっていたと推察されます。
 身体が二つあったら調べて書き残したいものですが…

平成30年10月27日に現地を訪れたところ、伊藤萬蔵さんの狛犬は存在していませんでした。ブログ発信時に萬蔵さんを研究している知人に確認する際に、「日置の神社」と聞いたことが原因で、他の日置神社の狛犬の存在を聞き取り、伊藤萬蔵さんと角田六三郎さんの接点と勘違いして確認することなく記してしまいました。

今後は寺院や神社を訪れる際に下記に添付した一覧表を持参して情報発信することで、研究者の足しになればと考えています。

誠に申し訳ありませんでした。
石の語り部 伊藤萬蔵
伊藤萬蔵について記した私の過去ログ

 今から百年ほど前の史実となりますが、こんな時期の地域と地域をつなぐ記録が、ネット社会となった現代になって各地から発信されているものの、地方自治体も市内の歴史は残しているものの、他地域と連携した記録はなされておらず、何とか関連づけて残しておきたい歴史となります。

 さて、日置八幡宮に安置された木造の獅子頭は、建長4年(1252年)に制作されたことが修復の際に獅子頭の内部に記されていたことで判り、はっきりと年月の記された獅子頭としては日本国内で一番古いことが確認されています。

 何気なく訪れた場所で、今から50年近く前の高校時代に、恩師の樋田豊先生について木曽川沿いの史跡を訪ね歩いた記憶が蘇り、当時訪れたお宅の人々の懐かしい顔が思い出される一日ともなりました。

           本日の体重 72、6キロ 徒歩数 3277歩 間食あり
                                    2月15日の一言


西国観音巡礼 三十三所札所会からの案内


 平成30年イメージ 2(2018)は、大和国長谷寺の開山徳道上人が起請文と宝印を授かって現世に戻され、その証拠でもって人々に観音信仰、及びその霊場へ参ることをすすめられた養老2年(718)より、数えて1300年になります。西国観音巡礼は四国遍路や高野山開創より歴史があるんですね。

 西国三十三所札所会では西国三十三所草創1300年「いまこそ慈悲の心を」として全札所寺院において平成28年3月より同32年にかけてさまざまな事業を催すことが発表されており、八角形納経札の朱印や170年前に発行された「観音霊場記図会」を翻刻して先達対象ですが勉強会も開催されます。

 ちなみに、この観音霊場記図会は先達だけでなく西国三十三所の5ヶ寺、四国八十八ヶ所の2ヶ寺、高野山1ヶ寺において一般巡礼者も購入可能のようです。新年になり先達宛に送付された案内の一部を添付しましたので、この機会に西国観音巡礼にも足を運んでください。

西国三十三所 草創1300年記念 特別拝観
2016年から2020年まで5年間にわたり、西国三十三所各札所では、普段は非公開のお堂や諸尊のご開帳、および庭の公開や寺宝の観覧などを行います。
※以下のスケジュールは2017年の予定です。
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寺院名称特別拝観概要拝観期間
第一番
青岸渡寺
那智山経塚発掘佛像3/25~5/7
第二番
金剛宝寺
本堂内陣特別公開3/25~5/7
※4/15~5/7は土・日・祝日のみ
第三番
粉河寺
千手堂本尊御開帳3/25~5/7
第四番
施福寺
天台18世座主 慈恵大師良源御木造 1躰3/25~5/7
第五番
葛井寺
未公開寺宝展示4/22~5/6
第六番
南法華寺
① 大雛曼荼羅公開
② 多宝塔開扉 秘仏大日如来像(平安時代)御開帳
① 3/1~31
② 4/1~6/18
第七番
岡寺
三重塔壁画・扉絵特別開帳4/1~5/7
※土・日・祝日のみ
Saturdays, Sundays, and Holidays
only during April 1-May 7
第八番
長谷寺
① 春季 本尊大観音尊像特別拝観
② 秋季 本尊大観音尊像特別拝観
① 3/18~6/30
② 10/14~12/3
第九番
南円堂
仮講堂特別拝観(阿修羅像他)3/15~6/18
第十番
三室戸寺
重要文化財 仏像5体(阿弥陀三尊、
釈迦如来、毘沙門天)御開扉
4/1~30
第十一番
上醍醐 准胝堂
重要文化財 弥勒堂及び弥勒菩薩坐像 快慶作
重要文化財 純浄観
重要文化財 奥寝殿
4/1~5/7
※弥勒菩薩坐像は4/20まで
※法要、行事等で拝観できない場合あり
第十二番
正法寺
本堂内 礼拝(重要文化財 地蔵菩薩公開)
三十三観音堂開扉
1/1~12/31
第十三番
石山寺
役行者及び前鬼後鬼像1/6~11/30
第十四番
三井寺
愛染明王像(重要文化財)、毘沙門天像他
観音堂内陣諸尊特別参拝
4/1~5/14
第十五番
今熊野観音寺
本尊御開帳 特別内陣参拝 刀八毘沙門天特別公開3/11~20
第十六番
清水寺
① 陸前高田震災流木松造 大日如来結縁参拝
② 東日本大震災七回忌追善法要 厳修 於)
  陸前高田流出松造 大日如来座像御佛前
① 3/11~18
② 3/11
第十七番
六波羅蜜寺
特別内陣参拝 後光御影参拝 3/11~13
第十八番
六角堂 頂法寺
秘仏 御本尊如意輪観世音菩薩 御開扉 3/11~4/10
第十九番
革堂 行願寺
特別内拝
(御本尊御開帳と革堂の名のいわれの皮衣を堂内で展示)
3/11~17
第二十番
善峯寺
文殊寺宝館春期公開4/1~6/30
※土・日・祝日のみ ※4/1~16は毎日
第二十一番
穴太寺
安寿姫・厨子王丸肌守御本尊特別拝観5/1~6/30
第二十二番
総持寺
寺宝特別拝観 6/1~30
第二十三番
勝尾寺
寺宝拝観6/1~6/30 ※土・日曜のみ
第二十四番
中山寺
宝物拝観6/1~6/30 ※土・日曜のみ
第二十五番
播州清水寺
根本中堂御本尊十一面観世音菩薩御開帳 11/1~30
第二十六番
一乗寺
重要文化財 大悲閣の内陣拝観と秘仏御本尊特別拝観5/3~5、11/10~15
第二十七番
圓教寺
① 「新緑まつり 春の文化財公開」大講堂釈迦三尊像、
  常行堂丈六阿弥陀如来坐像、開山堂性空上人像特別公開
  (建物仏像いずれも重要文化財)
② 「もみじまつり 秋の文化財公開」塔頭十妙院拝観、
  金剛堂公開(重要文化財)
① 5/3~8
② 11/17~19
第二十八番
成相寺
涅槃図特別公開(室町時代)5/1~10
第二十九番
松尾寺
① 松尾寺宝物殿第18回春季展観
② 松尾寺宝物殿第19回秋季展観
① 3/18~5/21 ※3/22、4/18、19を除く
② 9/23~11/26 ※10/23、24を除く
第三十番
宝厳寺
三重の塔開扉10/15~31
第三十一番
長命寺
重要文化財 三重塔内陣拝観10/15~29
第三十二番
観音正寺
千手観音絵図の公開、御本尊お身拭い内陣拝観10/15~29
第三十三番
華厳寺
御本尊御前立特別拝観10/15~31

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 西国巡礼
――三十三所の歴史と現代の意義――
西国三十三所札所会監修
文・絵;
五叟鐵太郎(ごそう・てつたろう)
四六判並製本 本文368ページ
(地図・イラストはオールカラー)
本体価格 2,500円(税別・送料サービス)

                            購入申込み http://www.denkijoho.jp

草創1300年!
日本人の巡礼の原点とその思想・哲学を現代に活かす
西国三十三所巡礼は、世界の巡礼の中でも独特な光彩を放つ。日本人の巡礼の原型であり、幾つもの巡礼文化を生み出してきた。また、京畿の名だたる寺院で構成され、国宝級の堂塔や仏像類をはじめ、境内やその周囲の風景も見事な寺院が多い。本書では、三十三所寺院の紹介はもちろん、観音巡礼の黎明期(飛鳥時代)からの歴史を追いつつ、各時代の巡礼思想や哲学、巡礼が流行した経済的な背景などを俯瞰。さらに現代に活かす巡礼の意義や価値までも考えていく。

                                            〈西国巡礼とは〉
近畿地方の代表的な観音霊場を巡る「西国巡礼」は平成30年(2018)に草創1300年を迎える。伝説では、奈良時代に長谷寺を開基した徳道上人が、人々が地獄に堕ちることのないよう閻魔大王との約束で「33の観音霊場巡り」を広めようとしたのが始まりとされる。しかし、人々は観音巡礼の功徳を信じなかったため、徳道上人はその弘宣をやむなく中断。270年後の平安時代前期に、花山法皇によって再興されたと伝わっている。史実としては、平安時代後期に、園城寺(三井寺)の高僧が33の観音霊場を巡ったのが始まりとされ、当初は僧侶の修行の一環であったが、室町時代中期頃から庶民の参加が目立ちはじめ、江戸時代には物見遊山を兼ねながらの観音巡礼が大流行する。そして現在においても、33の観音霊場の全てがその法灯を守り続け、現代人に巡礼の醍醐味と意義を伝え続けている。

                                              〈本書の構成〉
いまこそ慈悲の心を・序にかえて 西国三十三所札所会 会長 鷲尾遍隆
序章 世界の代表的な巡礼と西国巡礼――巡礼の定義・類型と21世紀の動向
第1章 紀州から和泉、河内を経て大和へ――7世紀から9世紀の三十三所巡礼の黎明期を探る

 青岸渡寺・金剛宝寺(紀三井寺)・粉河寺・施福寺・葛井寺・南法華寺(壷阪寺)・岡寺・長谷寺・南円堂(興福寺)
第2章 宇治から洛中、洛外へ――10世紀から13世紀の観音霊場形成期を探る
 三室戸寺・上醍醐准胝堂(醍醐寺)・正法寺(岩間寺)・石山寺・三井寺(園城寺)・今熊野観音寺・清水寺
 ・六波羅蜜寺・六角堂頂法寺・革堂行願寺・善峯寺
第3章 丹波から摂津、播州を経て丹後、若狭、近江、美濃へ――14世紀からの庶民化と現代の意義を探る
 穴太寺・総持寺・勝尾寺・中山寺・播州清水寺・一乗寺・圓教寺・成相寺・松尾寺・宝厳寺(竹生島)・長命寺
 ・観音正寺・華厳寺
終章 現代における西国巡礼の意義と価値――三十三所の歴史をさらに鳥瞰し、今後を探る
番外 西国三十三所の創始と再興の物語――徳道上人と花山法皇の伝説を探る

 法起院・元慶寺・花山院菩提寺
〈西国三十三所地図や各札所の境内図付き。各寺院のワンショットをイラストで描写〉

株式会社電気情報社
〒135-0047  東京都江東区富岡2丁目11番18号(西村ビル8階)
電話03(6458)8122  FAX03(6458)8355
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祖父江町の尾張七福神を歩いて


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浄土宗・歓喜院 元の弁財天があったお寺です
                                 愛知県稲沢市祖父江町祖父江下沼226


                         イメージ 2 クリックしてご覧ください
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善光寺 福禄寿
                           愛知県稲沢市祖父江町祖父江南川原57-2

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善光寺内・根福寺 恵比寿
                               愛知県稲沢市祖父江町祖父江南川原57-2


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永張寺 布袋尊
                           愛知県稲沢市祖父江町祖父江中屋敷135

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永張寺山門

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領内川の堤を歩きます


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正塔院 毘沙門天
                          愛知県稲沢市祖父江町祖父江南川原45

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刈萱堂 ミニ四国八十八ヶ所

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刈萱堂 寿老人・弁財天
                       愛知県稲沢市祖父江町祖父江江西147

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馬飼頭首工 木曽川

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ゲゲゲッのGさん

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地泉院 大黒天
                       愛知県稲沢市祖父江町神明津231

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 稲沢市祖父江町にある尾張七福神めぐりを4人で歩いてきました。

 そもそも、舞台となる祖父江町は私の出生地で、高校生活を5年も体験した場所であり、母親だけでなく家内の故郷でもあり、今回の七福神めぐりも縁のあるお寺が多く、故郷に帰ったような気持になりました。

 まず、車を善光寺に停め、善光寺の福禄寿を参拝し、同じ境内にある根福寺の恵比寿さまを参拝します。このお寺は善光寺東海別院ともいい、長野、山梨、飯田の三善光寺に加えられた四善光寺と称され、私の同級生である京都大原にある宝泉院住職はこの善光寺の三男でもあります。

 さて、ここから300メートル離れた場所に毘沙門天をまつる正塔院がありますが、ここは私の生まれた母親の在所の前にあり、私は子供の頃から先代からも可愛がってもらったお寺で、ご住職は不在でしたが本堂は開放されており、真言宗のお寺のため勝手にあげさせてもらって読経しました。本日は仲間4人と母親の在所で休憩し、祖父の残した御嶽様の神棚にも手を合わせてきました。

 ここから約1500メートル離れた布袋尊の永張寺を目指しましたが、このお寺も最近亡くなられたご住職が私の高校時代の恩師で、本堂に上げていただいて恩師の遺影にも手を合わさせていただきました。不良で落第生だった私の良き理解者でもあり、私の母親とは小学校の同級生のため、卒業後も可愛がっていただいた恩師のお寺です。

 次は、このまま寿老人と弁財天をまつる刈萱堂を目指しますが、私が携帯電話を車に忘れたため、車を停めてある善光寺経由となり、途中で祖父江名物の銀杏もなかを食べるため花乃屋さんに立ち寄ると、お茶を出して中に招き入れていただきました。ここでも知り合いの話題で花を咲かせました。

 ここから1キロ弱で刈萱堂に到着しますが、元々の弁財天がまつってあった歓喜院前に立つと、むかえにある祖父江幼稚園の園長さんが我々の姿を見て山門を開け、本堂も開けて招き入れてくださりましたが、ご住職がご病気のため弁財天を刈萱堂にお願いされたとの話でした。

 ここから約5分で刈萱堂に到着しました。ここにはミニ四国八十八ヶ所めぐりが配置されており、浄土宗のお寺ですが弘法大師の尊像とともに南無大師のノボリもはためいていました。

 さあ、これから地泉院までが大変です。約4キロ程度離れていることと、木曽川沿いを歩くため寒風にさらされ、鼻水をたらすウォーキングとなりました。途中の喫茶店で昼食としましたが、時間外にも関わらずランチを作っていただき、この休憩によって重くなっていた足が甦りました。よしっ、頑張って歩こう。

 喫茶店から約1キロ程度で地泉院に到着しましたが、このお寺のご住職は日展に34回も選ばれた書道の大家で、私の母校の校歌碑を揮毫され、教壇にも立たれていた方ですが、私の叔父とも旧知の仲と聞いており、私の家内たちの書道の先生でもありました。

 ただし、私は一度もお会いしたことがありませんでしたが、本日は山門に入る前にご住職の奥様が出てこられ、叔父の名前を出したことから、参拝後に仲間4人で奥の座敷まで招き入れていただいて、叔父とは大学の同級生であったことや、津島市での思い出にも花を咲かせていただきました。

 地泉院を出たのが午後5時近くで周りは薄暗くなっており、ここから善光寺まで戻った頃には真っ暗になっていましたが、久々に長距離のウォーキングとなり足腰にも堪えたものの、出会った人々との会話が一日とは思えない充実した時間にもなりました。
         本日の体重 73、4キロ 徒歩数 25772歩 間食あり
                                  12月26日の一言

四国から遍路の便りが続々と


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別格ニ十霊場会のカレンダー

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四国八十八ヶ所霊場会会報「へんろ」

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別格ニ十霊場会の案内

 本日は車の法定3ヶ月点検のため、稲沢市のトヨタの営業所へニッサンの車を持ち込み、併走してきた家内の車で名古屋市のウィルあいちまで乗せてもらい、申請中のNPO法人「横井庄一記念館を護る会」の書類を確認してもらいました。
 2日前に救急車で病院に運ばれた家内に、遠くまで車に乗せてもらわないとスケジュールがこなせないことに私の厳しい現実があります。

 指摘された箇所の修正をして、来週の20日に愛知県へ提出する運びになりましたが、それぞれの書類には役員を引き受けてもらった方々の認印が必要になるため、たかだか1本の印鑑のためにも名古屋市まで走ってきました。

 法人としては来年3月に認可される予定ですが、私自身は「ひとまち生活ネット津島」と2つの団体を主宰することになり、生活ネットはボランティアが毎日走り回っているため、日曜日に開館している記念館との関わりが増えると、上高地や四国遍路に費やしてきた生活に影響は否めません。

 今年は4月に家族との四国遍路が満願となり、10月には車イス同行遍路も結願しましたが、昨年から上高地のパークボランティアに参加するため、これまでのような自分独りで巡る四国遍路や先達研修会には行っていません。

 そんな私の環境には関係なく、毎月1日に発行される八十八ヶ所霊場会の会報「へんろ」が届き、本日は別格ニ十霊場会から来年のカレンダーや案内が届き、議員活動とボランティアに加えて、四国遍路も考えると年中無休となり休まる日がなくなります。

 今年9月末に訪れた御嶽山の霊神場で、五感を研ぎ澄ますと六感が働き、聞こえるはずのない声が聞こえるような感覚は、これまで63年の人生の中では新鮮で、四国の僻地で空海が1200年前に修行した聖地に独りで訪れたい願望は益々増加している反面で、遥かなる遠い四国になってしまいました。そして、年内にもう一度訪れると約束した御嶽山の祖父の石碑も遠く感ずる年末を迎えました。

           本日の体重 74、0キロ 徒歩数 3277歩 間食あり
                                    12月16日の一言

和歌山県 熊野三山と那智青岸渡寺へ 昨日の話です

                                           昨日の旅程です
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熊野本宮大社で記念撮影する志賀弘法会のメンバー

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本宮大社本殿

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山門から見る本殿

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那智の滝と五重塔

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那智熊野大社 本殿

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胎内くぐりができる巨木

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西国1番那智青岸渡寺

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西国霊場先達の青年と遭遇しました

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新宮 熊野速玉大社

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 昨日は和歌山県の熊野三山と西国1番那智山青岸渡寺に参拝してきました。

 私にとって巡礼は新たな人との出会いでもあり、今回も青岸渡寺で西国霊場の公認先達である奈良県の青年と出会い、来年の12月に四国八十八ヶ所霊場会の先達研修を受ける予定との話に遍路談議に花を咲かせてきましたが、同行する8人のメンバーがあるため、納め札を交換して再会を誓ってお別れとなりました。

 今回の旅程で多くの人々と出会い、徳島の阿波踊り会館で見事に踊っていた3才くらいの可愛いお子さん(後々公開します)や、仕事とは言えサービス精神満点で応対していただいた白浜御苑のフロントマン「むらい」さんなど、人との出会いが次の旅立ちをかりたててくれます。

 さて、昨日の夜に自宅に帰り、本日は深夜に上高地まで車を走らせ、明日と明後日のボランティアに参加し、それからしばらくは(15日の上高地閉山式までは)自宅で山積した仕事に専念することになります。

                                    11月3日の一言

志賀弘法会 四国遍路満願の一日


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昨年から巡拝し本日結願しました。 第八十八番大窪寺大師堂前

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津田の松原SA 午前6時02分

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善通寺管長さんのお寺へ
                           平賀源内さんのお墓にお参りしました。

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後ろに見えるのは第86番志度寺五重塔

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大窪寺駐車場

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第88番大窪寺本堂

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 満願です。志賀弘法会の六十周年にも驚きですが、車イスでも参拝する厚い信仰心があれば、四国八十八ヶ所を参拝できることにも驚かされました。

 第84番屋島寺から88番大窪寺まで巡拝し結願。満願の御礼に八十八ヶ所奥之院与田寺(東かがわ市)に参拝しました。そして鳴門の渦潮見物から徳島市に入りました。

                                           10月31日の一言


今晩から四国へ渡り、高野山、熊野三山へも


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今回も車イス同行四国遍路です

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この車イスは増田さんの遺品です

 明日からの3日間で、四国八十八ヶ所霊場の満願を果たし、鳴門の渦潮見物と阿波踊りを体験し、翌朝に徳島からフェリーで和歌山県に渡り、高野山に参拝して白浜海岸に宿泊し、最終日に熊野三山と青渡岸寺に参拝して愛知県に戻る行程です。

 平成13年に四国遍路を始めて、十数回(満願)の遍路に出かけていますが、フェリーを使用したことはなく、高い乗船料と時間を考えると車の移動の方が効率的ですが、同行する7人の80歳近い平均年齢を考えると最後の四国遍路になる可能性のある人も存在し、渦潮と阿波踊りとともに思い出としての船旅でもあります。

 さて、先週の台風21号と今週の台風22号によって、和歌山県や奈良県の各地から土砂崩れや水害の被害が発信されていることから、高野山に参拝後の3日目の行程を奈良方面にしていましたが、急遽龍神スカイラインから白浜に入り、熊野三山を訪れることにしました。

 現地の観光協会や自治体に確認したところ、道路の寸断はないとのことですが、和歌山県の紀の川市の川が氾濫しており、新宮市でも台風被害が発信されていたことから注意は必要ですが、天候が良さそうなことは幸いとなりました。

 初心にかえった四国遍路にしたいと思います。

                                   10月30日の一言

大師山 密蔵院  三重県津市

昨日の記録です
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三重四国八十八ヶ所霊場 第65番大師山密蔵院

大師山 密蔵院 http://www.mieshikoku88.net/65.html
           三重県津市大谷町260 059-227-3034
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四国の25番津照寺のような雰囲気です

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本堂です

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広大な敷地に八十八ヶ所巡りがあります

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第1番 阿波霊山寺と同じ釈迦如来のご本尊
                             このような八十八ヶ所分の祠に
                 ご本尊と大師像が安置されています

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結願寺第88番のお堂
                           手前右が86番の祠 左が87番

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白山妙理大権現の本堂

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立派な大師堂です

 三重県津市の中心地で県庁や、近鉄やJRの津駅から徒歩3分の場所に存在する大師山密蔵院は真言宗のお寺で、入り口は大きく思えないものの、階段を登るとそこには立派な本堂と大師堂があり、広大な裏山には四国を再現した八十八ヶ所巡りの祠が存在しました。

 裏山で雑木伐採中のご住職に話をうかがうと、藤堂高虎公が藩祖となるの津藩二代藩主藤堂高次(在職1630~69)が、自身の病気治癒が当寺阿闍梨朴心の祈願によって回復した功績により、当地の広大な土地を授け、白山妙理大権現(天照大神の娘、菊理姫を守護神とする)を祀り、祈願所としたのが当寺の始まりとのことです。

 八十八ヶ所巡りは明治初年に建立されたと記されていました。最近は上高地のボランティアに足を運ぶ反面で、これまで外出時に携帯していた四国八十八ヶ所の先達教典を持ち歩いておらず、全てのお寺のご本尊の真言が判らなかったものの、光明真言と大師御宝号を唱えて全てを廻ると2時間ほどの時間が経過していました。
  
 これは昨日所用で訪れた三重県津市で、空いた時間に訪れた体験です。

 本日は市民の深刻な相談を受けており、関係機関や医療施設まで同行していると帰宅は午後7時半を廻っており、すでに開催されていた書道会に参加してから自宅に戻りましたが、予定した仕事は何も手付かずになってしまい、明日は一日市役所にカンヅメになるため、本日予定していた約束や仕事は木曜日以降になりますが、夢を見ていた週末の三連休は仕事に追われることになりました。

           本日の体重 72、3キロ 徒歩数 3578歩 間食なし
                                     9月12日の一言

歩き遍路友の会東海の総会が開催され

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相棒リマとお遍路 昨年秋に横峰寺へ

 歩き遍路遍路友の会東海の第16回総会が、本日名古屋市中区金山にある平和学区集会所で開催され、基調講演に知多四国霊場会元事務長を務められた常滑市大善院外山住職を招いて「知多四国について」お話を聞きました。

 私自身は副会長を拝命しているものの、昨年から環境省の上高地パークボランティアに登録して、暇があれば上高地へ足を向け、孫や家族と四国遍路を巡拝し、志賀弘法会の四国遍路に同行しているため、会主催で行ってきた知多新四国の歩き遍路を欠席してばかりで、安藤会長や池田副会長には迷惑ばかりかけてきました。

 さて、知多新四国霊場会の関係者を基調講演にお迎えしながら、私は知多半島や愛知県には空海(弘法大師)が来た歴史的記録がないのに、お大師が1200年前に三河から知多半島に上陸し、複数のお寺で長期間修業されたとの霊場会やお寺の発信に異議を唱えました。

 また、知多四国の公認先達が、四国八十八ヶ所は数回しか巡拝していないのに、知多半島の巡拝回数で四国遍路を50回以上巡拝した金の納め札を四国遍路の納め札として使用している悪例についても苦言を述べさせていただきました。

 「参拝することには変わりがない」とか、「今から1200年前の話だから」と口を濁らす人もありますが、私は四国遍路に1200年前の空海の姿を想定し、お大師が歩かれた場所や、修行された場所で史実に基づいて真言をあげることに価値観を覚えていますから、実際に空海が修行していない知多半島のお寺で100日間逗留して修行されたと言われると知多半島そのものの信仰そのものに嫌悪感を覚えます。

 こんな嫌らしい話を知多の関係者にしたのは久しぶりですが、本日の大善院ご住職は事実は事実として受け入れられたので、かつて公衆の面前で「実際にここで100日間逗留して護摩修行した」と言い張られて、私の指摘が間違っていると言われたお寺を回顧すると素直な気持にさせられました。

 歩き遍路友の会には、高齢になった現在も歩いて四国を巡拝中の大先輩も存在し、総会終了後の二次会では実際に歩かれた体験から花を咲かせ、四国遍路の魅力を語れたことと、言いたい放題の雑言を聞いていただいた知多大善院ご住職と知り合えたことも新たな魅力を感ずる一日となりました。

            本日の体重 71、7キロ 徒歩数 8065歩 間食なし
                                     8月26日の一言

追伸
かなり飲んでから帰宅しましたが、駅から歩いてきたためか久しぶりとなる71キロ台の体重になっていました。

智積院  朝の勤行と国宝障壁画を鑑賞して

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名勝庭園 築山・泉水庭の先駆をなした貴重な遺産

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智積院宿坊から朝の勤行会場まで案内されます

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金堂 勤行会場です
                     ※勤行は撮影禁止です

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勤行後に長谷川等伯らによる金碧障壁画を鑑賞

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朝食の前にお菓子とお茶のご接待

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4年に一度しか使われない山門

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イノダコーヒー三条店 午前11時
                           俳優の高倉健さんが愛したお店でくつろぎました。

 朝6時より智積院朝の勤行が行われ、朝5時前に起床して、書道会の慰安旅行であることを忘れて、まるで四国遍路に来ているような感覚で全員が白衣装に着替え、案内の僧侶に案内され金堂へ入りました。

 智積院は真言宗智山派の総本山のため、多くの僧侶によってすすめられる勤行は壮観で、足を崩すことなく正座のまま参加し、終了後に名勝庭園の前で御菓子とお茶をいただき、収蔵庫では桃山時代に長谷川等伯らによって描かれた国宝障壁画を鑑賞させていただきました。

 四国や高野山など各地の宿坊に宿泊したことがありますが、四国にかぎらず西国巡礼でも、次の参拝予定があることから、勤行後はすみやかに朝食となりますが、智積院は庭園や講堂など広大な境内を案内して、朝食前にお菓子やお茶まで用意されていたため、お寺の魅力を十分に堪能することができました。

 一度は宿泊していただきたい宿坊です。

高野山壇上伽藍から金剛峯寺へ

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私はマジシャンです 「1本のロープが…」
                           金剛峯寺で当番の僧侶の見事な法話が聞けます 
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総持院から高野山を廻ります

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最初に荒神様へ

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宝亀院参拝後に中門へ

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中門から金堂へ
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根本大塔とマスコット「こうやくん」
                        中門…金堂…根本大塔…御影堂…御社…六角経堂

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金剛峯寺
                     新別殿の裏から撮影しました

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初々しい若い僧侶 総持院前

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車イス遍路同行の第一人者を目指して修行中です

 昨日に引き続き、真言密教の聖地「高野山」を参拝する一日となりましたが、今から1200年前の空海の霊蹟に思いをはせ、金剛峯寺の休憩所で当番の若き僧侶の法話を聞いているだけで時間の経過を忘れます。

 良いものをイメージすると良いホルモンが分泌されるとの科学的説法と、手を合わせて南無大師遍照金剛と唱えることが、仏に近づく三密修行の始まりとの解かりやすい法話に、自ら仏に近づく体験道場としての高野山の魅力でもあります。

 本日は高野山の総持院で昼食をいただき、九度山町の道の駅に立ち寄ってから奈良郡山経由で名阪道から帰宅しましたが、奈良地区の高速網が発達し、数年後は3時間半で高野山へ到着できそうになってきました。
 今回は私の助手として、家内も同行した高野山行きでしたが、日帰りはさておき、一泊するのであれば私一人でも大丈夫とも思える旅程ともなりました。

高野山を明日まで参拝中です

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高野山奥之院 中の橋入り口で記念撮影中

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御廟橋から見える奥之院
                             ここから先は撮影禁止となります

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御廟橋にある水向地蔵

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奥之院休憩所で当番の僧の法話を聞き…

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一之橋 同期の桜の塔と、
                     鶴田浩二さんのお墓へ

今年2回目の参拝となりました。

                   https://blogs.yahoo.co.jp/s281218/49747307.html

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波切不動尊

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女人堂

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志賀弘法会の定宿 総持院

「あと5年は来たいと思うけど…」
    「大丈夫と思うよ」
「来れるかどうかは、○○さん次第だわ」

 全員が80歳過ぎとなっていることから、次には来れないかもしれないとの会話となり、志賀弘法会の代表と総持院のご住職の会話を添付しましたが、○○さんは私のことで、今回も21日が私の議会日程と重なるため本日になりましたが、メンバーの高齢化よりも運転手の私の責任が重くなってきました。

 四国や高野山を参拝して60年の歴史があり、遍路や参拝の経験は足元にも及びませんが、足腰が弱ると何事も運転手次第となり、未熟な私の意見が優先されることが増え、厳しい巡礼の決め事が甘くなっていきます。

 巡礼中は、帰宅する日の午後にならないと買物も許されていませんが、巡礼の午前中は何も口に入れてはならなかった会の掟が、体調を考えて飲料水の飲用が許されるようになり、最近はお下がりの饅頭も許されるようになりました。

 もっとも、高野山参拝は、麓の九度山町から高野山大門まで、約一時間の車中で般若心経を大声で唱え続け、参拝中の無駄口は一切なく、お寺の納経所の閉まる5時までは参拝が続いており、運転手役の私が甘い考えを持ち込んでいるのかも知れません。
    
 さて、高速道路網の発達で、愛知県と高野山が時間的には近づきましたが、来る度に身体のダメージが増しており、4月に訪れた時よりも疲労が蓄積していることも実感させられます。


 添付した記事は、今年4月の高野山ですが、何故か懐かしい昔のことのように思えてきます。昨日は、そんな孫たちと家族8人で夕食を囲みました。私の母親と、家内と妹、そして孫と娘、そして息子と将来の嫁での外食になったものの、ここに娘婿と長男と次男が加わるとフルメンバーになります。
 フルメンバーの高野山も実現したいと思いました。

名古屋志賀弘法会のメンバーと高野山へ

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本日は私を含めて10人の巡礼です

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長谷寺 弘法大師御影堂

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長谷寺 五重塔

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慈尊院大師堂 九度山町

 今年は志賀弘法会ができて60年目となり、現在四国八十八ヶ所を巡拝中ですが、高野山への参拝は一年間に一度の定例となっており、6月は私が議会中であるため、本日と明日の日曜日に参拝することになりました。

 四国遍路は4月に5ヶ寺を残して終っており、今年11月に満願を果たして、その御礼参りにも訪れることになりますが、私は4月に孫や家族と四国遍路を結願して高野山を訪れているため今年2回目の参拝となりました。


長谷寺と室生寺へ余裕のはずが…

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長谷寺の登廊(のぼりろう)
                               平安時代の長暦三年(1039)造られた廊下

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仁王門

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弘法大師御影堂

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五重塔

室生寺 参道入り口の橋
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津島市 8:00 … 弥富IC … 御在所SA … 亀山IC … 針テラス …長谷寺11;00 参拝 …
  昼食 トマト&オニオン 奈良榛原店
                 http://www.tomato-a.co.jp/tomatoonion/store/kinki/111.html

室生寺到着 13:55

「お願いします」
  「納経帖を開けて出しなさい」
「ここのお寺は何処にありますか」
  「一番うしろ」 「おい、何やっとるのじゃ」
「初めての納経帖なので…」
  「権中先達のくせにそんなことも知らんのか」
「私は四国遍路の先達です」
            ※長谷寺の近くにある西国開山堂の「法起院」の会話です

 西国三十三ヶ所の札所会からいただいた掛軸型の納経帖について、長谷寺で始めての朱印をいただき、近くにある西国開山堂の「法起院」に参拝後の納経所の僧侶との会話ですが、掛軸型の納経帖に「法起院」のスペースがないため、探しているときに僧侶からかけられた言葉でした。

 西国三十三ヶ所の札所会からいただいた納経帖は掛軸型になっており、この中には番外寺院の記載がなく、巻末の空白のスペースに朱印をいただいたのですが、掛軸の納経帖は今まで一度も見たこともなく、扱いに困っていたときのやりとりです。

 四国遍路でも何回となく僧侶からお叱りや苦言を受けたことはありますが、本日のやりとりは無知の私に教えるとか、諭すという会話ではなく、馬鹿にされているだけで、「スペースにない番外に来なきゃよかったと」、久しぶりにストレスを感ずる巡礼となりました。それでも、ここのお陰で掛軸型納経帖の扱い方が判りました。

 さて、室生寺の参道で、土産物店の女将さんに「この辺りで立ち寄れる場所は何かありませんか」と問うと、曽爾(そに)高原を勧められて車を走らせると、途中にある温泉施設や自然の家も総て無人で休んであり、行き止まりの駐車場も無人で人の気配もありません。

 しばらくして走ってきた現地の軽トラックの老人に近寄って尋ねると、「駐車料金は600円」とお金の請求をされました。

「ここに何があるんですか」
   「高原だけど」
「花かなんか咲いているんですか」
   「何も咲いていない」
「じゃー、何があるんですか」
   「眺めるところだ」

 私と老人のやりとりを聞いていた同行メンバー(6人)から、「何も無ければ行きましょう」の声が上がると、この老人は顔を強張らせ「降りないなら行け」と、かなり立腹した様子で、高原を後にしながら、「そもそも本当に駐車場の係員なのか」とか、軽トラックはどこから走ってきたのかと、本日の一日が台無しとなるような幕切れとなりました。

 最後に東名阪自動車道亀山インター入り口で、「渋滞16キロ」の電光掲示板が点滅しており、慌てて一般国道に進路をとりましたが、余裕で出かけた奈良行きが、午後にはストレスで胃が痛むような一日と化してしまいました。

             本日の体重 71、8キロ 徒歩数 7453歩 間食あり
                                      5月17日の一言

西国三十三ヶ所の納経帖と袈裟が届けられ

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西国三十三所札所会の納経帖が届きました

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右側はこれまでの納経帖

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一緒に届けられた先達の名札や袈裟と頭陀袋

 西国三十三観音霊場が開創(養老2年・718年)されて来年に1300年を迎えることから、今年は家内と相棒リマも同行させ、真面目に三十三ヶ所を巡拝しようと考え、先達会への申請をおこなっていましたが、昨日に新しい納経帖や袈裟などが届けられました。

 私自身のこだわりですが、四国八十八ヶ所霊場では自分自身の極楽往生や家庭的な悩みなどは祈願せず、即身成仏を目標にしてきましたが、これからは観音菩薩の慈悲の心にすがり、「念彼観音力」(ねんぴかんのんりき)を心に念じて、家庭の安穏を念じていきたいと思っています。

西国三十三霊場公式サイト http://www.saikoku33.gr.jp/

             本日の体重 72、3キロ 徒歩数 1860歩 間食あり
                                        5月4日の一言

四国巡拝の三日間から帰って

名古屋志賀弘法友の会四国巡拝の旅 3回目
                          志賀弘法会7名 私と家内の9名

4月11日(火) 21時50分自宅出発 津島…名古屋駅…名古屋市役所…北区柳原…名古屋高速…
  …伊勢湾岸道…第二名神…名神高速…中国道…山陽道…瀬戸中央大橋…高松道…松山道…

一日目
 ・午前7時 第64番前神寺…第63番吉祥寺…第62番宝寿寺…第61番香園寺…第60番横峰寺
   …西条弘法水…昼食…別格12番延命寺…第65番三角寺…第66番雲辺寺…
                      宿 白地温泉小西旅館

二日目
 ・宿を午前6時30分出発…大歩危、小歩危峡…祖谷かずら橋…  午前10時・第67番大興寺…
    …第68番神恵院…第69番観音寺…第70番本山寺…昼食・天然温泉高瀬の湯…
    …第71番弥谷寺…第72番曼荼羅寺…第73番出釈迦寺…第74番甲山寺…
         …第76番金倉寺…第77番道隆寺…第75番善通寺
                       宿 善通寺宿坊いろは会館

三日目
 ・第75番善通寺…第78番郷照寺…第79番天皇寺…休憩・清水屋ところてん…第80番国分寺…
    …高松・栗林公園…第83番一宮寺…第82番根香寺…第81番白峰寺…坂出北IC…
    …瀬戸中央大橋…山陽道…三木SA・夕食…中国道…名神高速…第二名神…東名阪…
          名古屋市午後11時20分…名古屋各地…津島市自宅・午前1時30分
 
 初めて四国遍路に出向いたのは平成13年で、マイクロバスを運転して17人の仲間と、般若心経どころか参拝の作法も判らず、観光バスの団体客と朱印の競争で廻り、スタンプラリーのように先を急ぐお遍路でした。

 何も知らないというのは無礼で、納め札箱の中の金や錦の納め札を勝手に持ち帰り、歩くのが苦手な同行者は階段の下から賽銭を投げ入れ、駐車場代を請求されても「歩いてきた」と払わず、記念写真の代金を値引き交渉するなど、私だけではないと言えども随分と恥ずかしいお遍路でありました。

 そんな私が毎年四国を訪れ、八十八ヶ所霊場会の公認先達になっているのは、四国遍路で出会った人たちとのご縁であり、人との会話によって知恵を授かり、知人となった人に恥ずかしくないお遍路を心がけてきたなかで先達の補任を受けました。

 そして、何よりも感謝したいのは、50代を超えたいい大人に、躊躇せずお叱りや苦言を言っていただいた人々で、地元では「先生」とも呼ばれる議員であっても、間違いを指摘して淡々と教授していただいたことである。

 四国遍路をお年寄りの極楽浄土を求めるお参りのように言われることも多いものの、朝起きて朝食をとり、出会った人と挨拶し、お遍路の決められた作法どおりにお寺で参拝し、厳しい陽射しを受けて、常に弘法大師と一緒に歩いていると意識することで、「十善戒」の教えを行動で実践していく非日常的な行為は、還暦で定年を迎えて枯れていく心境から、新1年生のような新鮮な気持にさせられていきます。

 さて、今回のお遍路では、最近ワイドショーや週刊誌で霊場会脱退で騒がれている第62番宝寿寺も参拝し、世俗化したお寺の現状を垣間見ることとなり、午前8時になるまで納経所が開かれず、他のお寺からは無償で授かっている御身影の代金を求められましたが、何よりも残念なことは、午前8時になっても本堂や大師堂の鍵がかけられたままになっており、それまで僧侶が朝のお勤めのためお堂に入った形跡も無かったことです。
 残念です。真剣に巡拝するお遍路には悲しい現実です。そして、他のお寺が当たり前として実践している決め事は努力して実践して欲しいと思います。

 私のお遍路は叱られることで新たな発見がありましたが、叱られても聞く耳を持っていないと何にもなりません。納経所で注意され腹立たしい思いをした事もありましたが、人として当たり前のことが出来ていないことや、知らないことがまだまだあり、私は四国遍路によって多くの知遇を得てきました。
 しばらく四国遍路の余韻に浸ります。

                本日の体重  徒歩数 2361歩 間食あり                     
                                       4月15日の一言

四国遍路第3日目 巡礼

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四国八十八ヶ所第82番根香寺の石段

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はるか奥の石段から帰ってきました

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今回の最後 第81番白峰寺

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団体による遍路

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今回は60番から83番まで廻りました
                               今年の秋に満願を目指します

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瀬戸中央大橋から岡山県へ

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瀬戸内海に陽が沈んでいきます


四国遍路第3日目 高松栗林公園に

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高松栗林公園に立ち寄りました


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ボランティアガイドの和田さんに案内していただきました。

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見事な庭園です

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和船による案内

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時間を忘れてしまいます

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これから気分一新してお遍路です


四国遍路第3日目 朝の勤行

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善通寺朝の勤行(午前6時)前に 志賀弘法会だけのお勤め午前5時30分から

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樫原管長の後に続くメンバー

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記念撮影の準備中

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善通寺本堂

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樹齢1300年以上となる楠木
                               空海の生まれた時に生えていたとの話です

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善通寺御影堂

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宿坊いろは会館 そろそろ出発です


四国遍路第2日目

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本日は快晴の桜遍路となりました 海岸寺大師堂

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本日最後の第77番道隆寺境内のはと

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中にはこんな仲良しも

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私が近づいても逃げません

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第77番道隆寺本堂に写る私と背景

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本日は終りです

 本日は第67番大興寺から第77番道寺まで参拝し、午後5時に宿となっている善通寺宿坊いろは会館に到着しました。

 志賀弘法会では、最終日の午後まで買い物や買い食いが禁止されていますが、本日は朝から大歩危峡やかずら橋を見物し、昨年から3回目となる四国遍路では昼食はコンビニとなっていましたが、昨日に続いて本日は天然温泉高瀬の湯で昼食をとりました。

 昨年の2回のお遍路で、予定以上に巡拝していたため、余裕の巡拝となっているものの、納経所の締め切り時間となっている午後5時が近づくと、執念のお遍路に戻り、午後5時過ぎまで巡拝となりました。

 明日の朝は午前6時から朝の勤行が始まり、橿原禅(かしはらぜんちょう管長の法話を聞き、管長さんと弘法会メンバーの記念写真も予定しており、メンバーにとっても思い出となる善通寺となりそうです。


 もっとも、志賀弘法会の朝のお勤めは午前5時30分からとなっており、お寺の勤行の前から御影堂にメンバーの読経が響きます。私も連日の5時起きとなります。

               本日の体重 72、6キロ

四国遍路2日目  お遍路の前に

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「かずら橋」を渡る志賀弘法友の会のメンバー

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作家林芙美子さんわかりの小西旅館 徳島県白地温泉
                                  午前6時から朝食 そして旅立ちへ 

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大歩危峡 徳島県三好市
                              午前8時のため、こいのぼりも眠っていました

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祖谷のかずら橋 徳島県三好市

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まさに秘境です

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粗谷のかずら橋は日本三奇橋のひとつで、国指定有形民族文化財
追っ手から逃げるため、いつでも切り落とせるように
                      かずらという植物で架けたと伝わる平家伝説の橋です

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琵琶の滝 かずら橋から100メートルの地に

 志賀弘法会60年記念記念の四国遍路ですが、午前中は観光や買い食いも禁止の厳しい決まりを破り、本日は6時30分に宿を出て、徳島県三好市の大歩危峡を目指し、祖谷のかずら橋を渡り、琵琶の滝を見てきました。

お遍路は、第67番大興寺に到着してスタートしました。


志賀弘法友の会 半年ぶりの四国遍路へ

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桜が満開の中での遍路は自然と笑いが起こります 第61番香園寺

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参拝は真剣です

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本日最後のお寺 第66番雲辺寺

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本日の宿は白地温泉小西旅館

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小西旅館は林芙美子さんゆかりの宿です

                           本日の体重 72、3キロ
明日は午前6時から朝食です

親子四世代での四国結願と高野山参り

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高野山金剛峯寺で法話を聞いた尼僧さんと記念撮影 親爺・娘・孫

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ビジネスホテル紀州路 和歌山市
                                  1泊2食付で4千500円(1名)

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最初に金剛峯寺へ

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駐車場には除雪した雪が…

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歩道脇にも雪 身震いする参道です

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奥之院 中の橋

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奥之院 水向地蔵

 昨日に親子四世代(私の母親、私の妹、私たち夫婦、私の娘と孫)で、四国八十八ヶ所霊場を結願し、本日は高野山の御礼参りに、金剛峯寺、大師教会、根本大塔、女人堂、徳川家霊台、奥之院を参拝してきました。

 私自身は続けて巡拝した四国遍路の10回目の満願となりますが、私の妹と、娘と孫にとっては初めての結願で、お遍路のたびに親子喧嘩を繰り返して、「もう二度と一緒には行きたくない」と思いながらの満願でもありました。

 半月後には、名古屋市の志賀弘法会のメンバー9人の四国遍路を、松山県から香川県に向けて3日間の予定で巡拝しますが、朝7時から午後5時まで買い物や飲食の時間も惜しんで廻るのとは違い、家族との巡拝は、「まだ小さいから」とか、「トイレは我慢できない」など、孫(小1)の年齢のせいにして無駄に時間を消費した結果でもあります。

 それにしても高野山は標高800メートルの高さにあるため、本日も大量の雪が残されており、車中の暖かさと車外の温度が相反し、強い陽射しと、土冷えする中でトイレに走る回数は異常なほど増えました。

                         徒歩数 11575歩 間食あり
                                    4月2日の一言

家族一緒の四国遍路が満願になり

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本日の八十八番大窪寺 満願です
本日は八十四番から八十八番まで巡拝し、最後に一番寺を参拝しました。
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本日は八十四番屋島寺から 門前の家内と相棒リマ
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八十五番八栗寺
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お遍路も最終章へ

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 私が参拝していただいてきた四国別格二十霊場の数珠は、昨年71番弥谷寺を参拝中に、石段を踏み外して滑って転んだ時、手に持っていた数珠のお陰でケガもなく済む代わりに、数珠がちぎれてしまいました

 そして、知り合いのご住職からもらった数珠と、私の父親が使用していた遺品とも言うべき数珠と、どうやら父親の中国土産らしい数珠、それぞれ破損中の四種類の数珠を、須見光栄堂に持ち込み修理を依頼してきました。

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日替わりランチ 680円

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私のお気に入り やまじゅう

うどんと寿司の やまじゅう https://blogs.yahoo.co.jp/tokisa3316/19007083.html

                                徒歩数 7103歩    4月1日の一言

美濃市 洞雲山長蔵寺

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臨済宗妙心寺派のお寺です

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長い石段です

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舎利殿 左奥

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大師堂です

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上野の長蔵寺は覚源禅師を開山とし、正平11年(1356年)に創設された美濃市内最古の禅寺である。覚源は下総の名族千葉氏の出、鎌倉円覚寺(えんがくじ)で修行した名僧で、時の美濃国守護土岐頼忠(ときよりただ)の援助によりこの長蔵寺と揖斐郡の禅蔵寺(ぜんぞうじ)を開き、最後は長蔵寺に帰って世寿(せじゅ)83歳で没した。
 

「これは入れない」
   「止めといたら…」
「ここも危なそう」
   「止めた方が…」

 カーナビの案内する道は狭く、山の山腹に大きな屋根が見えているのに、私のキャラバンには通行が難しく、細い急坂を登っていくと大きな駐車場があり、広い境内は見事に整備されていました。

 もっとも、私は弘法大師の尊像に導かれて、弘法堂の中に入って参拝させていただきましたが、誰もが何時でも自由に入っていけるお寺は魅力があります。
 美濃市で一番古いお寺であることが判りましたが、創建された覚源禅師のご遺志がそのまま継承されていると思われ、創建当時の村の風景が忍ばれます。


知多半島新四国巡拝は満願となり…

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のどかな知多半島巡礼   第74番蜜巌寺から75番誕生堂へ(知多市)

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午前7時40分  本日のスタート 第57番曹源寺(常滑市)

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隣どおしに大師堂が 第79番妙楽寺(知多市)

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午後5時に満願です 第88番円通寺(大府市)

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結願の御礼詣り 八事興正寺(名古屋市昭和区)

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ライトアップされた大仏と五重塔 午後5時30分 興正寺

 名古屋市北区の志賀弘法会の知多新四国八十八ヶ所巡礼は、昨年12月10日と、1月28日に続いて、3日目となる本日で八十八ヶ寺全てを巡拝し終え、結願の御礼に名古屋市昭和区の八事山興正寺に参拝して満願となりました。

 午前5時20分に家内と自宅を出発し、津島市内と愛西市で2人を乗せ、名古屋駅で1名をひろい、最後の北区志賀公園前で3名を乗せてから、本日最初となる第57番曹源寺(常滑市)に午前7時30分に到着しました。

 途中で激しい雨が降り注ぎましたが、幸いにも巡礼中にはカサをさす必要もなく、初弘法となる本日中に結願を果たすため、お寺以外には何所にも寄らず、昼食もお寺の駐車場の車中で済ませたことから、午後5時には最後となる第88番円通寺(大府市)の参拝を終えました。

 御礼詣りとなる八事山興正寺については、午後5時を過ぎていることから、参拝だけ済ませておいて、後日納経所へ朱印をもらいに行く予定で訪れましたが、本日は旧暦の初弘法にあたるため納経所が開いており、諦めていた朱印をいただくことができました。

 さて、志賀弘法会の次の予定は、4月11日の夜に出発し、2泊3日の行程で3回目の四国遍路に行くことが決まっており、秋に4回目の巡拝で結願を目指しており、この間に長野県の善光寺と、和歌山県の高野山も参拝しますが、平均年齢80歳以上となるメンバーですから、信仰心の強さを実感させられます。

 とりあえず、本日の責任を果たしてホッとする一日となりました。

            本日の体重 72、4キロ 徒歩数 6467歩 間食あり
                                     2月17日の一言

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