大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

家庭環境

我家の自動販売機が撤去されて


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本日我家の光景です 午前9時24分

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昨日の自販機

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利用できなくしてあります

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前に出して…

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クレーンで吊り上げます

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寂しいものの、見通しが良くなりました 午後4時44分


 左の写イメージ 7真は今月10日の写真です。


 この自動販売機は三男が設置していたもので、冬は飲料水を温めるために電気料金が高くなり、この自販機だけのために電気を引いているため基本料金も必要になり、利益にもならないので撤去すると言っていましたが、利用する人もあるため接骨院を経営する三男が引き継いでそのまま残しても良いと話していたものの、本日ついに撤去する業者がやってきました。



 この自販機が設置されたのは8年前の話となり、当時は三男も接骨院を始めておらず、現在となりの貸店舗に入っている塾の前に違う業者が入っており、設置した次男は自分が飲むために設置したと言い、利益は二の次でしたが、物珍しさにで私も毎日のように買っていました。

 もっとも、その後道路の向えにコンビニができ、次に貸店舗に入ったのが塾で、子供を乗せてくる母親の運転する車が自販機を傷つけたり、自販機以外の空き缶や家庭ゴミが捨てられることもあり、駐車場に出入りする車にとって道路が見にくいなど、家内まで無い方が良いと言っており、私自身も4年前から管理栄養士さんに止められて炭酸飲料を買わなくなっていたことも原因です。

 昨日まで存在した自販機が無くなったのは寂しいものの、自販機の前にバス停があり、道路の見晴らしが良くなったことで駐車場の出入りも安全になっており、8年前に記した当時とは随分と生活環境が変わっていたことも実感する一日ともなりました。

                                  12月26日の一言


クリスマスケーキの登場に

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 私の誕生日には「みたらし団子」と、ケーキまがいで済まされましたが、本日の夜にはクリスマスケーキが用意されていたものの、クリスマスと言うよりも、今年は来週一週間で終わってしまう現実に、歳とともに時間の経過が早まっている感覚を実感させられます。

 そして、本日一緒に出かけた珈琲屋さんで、知人の従兄弟が亡くなったとの電話が入り、その従兄弟は知人よりも年少との話でしたが、私の周りで多くの知人が亡くなっており、現実に自分に残された年数を数えてしまいます。

 昨日22日に新潟県糸魚川市の中心部で起きた大規模火災は、出火から約30時間後の23日午後4時半に鎮火し、約4万平方メートルの150棟の住宅と商店が被害にあったと報道されています。

延焼150棟・4万平方メートルと発表 糸魚川の火災

 さて、一週間もすれば年末から新年を迎えるこの時期に、突然に家や商店が燃えてしまった人々と、出火元となるラーメン店のご主人の心情はどうだろうか…

 火災の責任は出火元には問わないという慣例があるが、現実に民法第709条の規定は「失火の場合には之を適用せず。但し、失火者に重大なる過失ありたるときは 此の限りに在らず」とあり、出火元に故意とか重い過失がなければ責任を問えないと明文化されています。

新潟県糸魚川市の火災の火元はラーメン屋!?
 原因は火の不始末か。賠償金は発生しない?

 仮に意図的に放火した重過失としても、150軒もの家屋の保障をできるはずもなく、被災した人々の憔悴感と絶望感を考えると、私以上の高齢者には盛り返す元気も湧いてくるとはおもえません。

 昨日に横浜市から帰宅し、セミナーの合い間に訪れた横浜港や山下公園に家内と訪れようかと話をしていましたが、年末の空白の無かったスケジュールに、突然2日間の日程を割り込ませたため、来月中旬まで手帳の空白は無くなっており、元気でセミナーに参加していたものの、本日はその反動から身体が眠ったままの一日になりました。

            本日の体重 72、5キロ 徒歩数 1876歩 間食あり 
                                    12月23日の一言

さて、本日23日のこだわりについて…

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佐藤由美ピアノコンサート
    平成29年1月14日(土) 会場 岐阜県川辺町 そば処 山法師

納め弘法と阿息観  12月21日(水) 津島市越津町 弘盛寺
       http://kouseiji.jp/aso.html

 かつての私にとっては、本日の11月23日(勤労感謝の日)はこだわりのある日で、昭和63年より開始した朝日旅行友の会において、毎年目的地を定めて観光バスによる日帰り旅行を企画し、平成20年まで21年間にわたって会員募集を続けました。

朝日旅行友の会 行先リスト http://www.kuronowish.com/~oshika18/newpage102.htm

 こんな私の過去のこだわりは、家内には全く意識も皆無の様子で、「どこかに行ってこようか」の一言は、無情にも完全無視となるばかりか、「庭の選定もやってないのに…」の応対に一目散に2階の事務所へ退散しました。

 私は大学進学前に、旅行の仕事に就くため、東京の観光専門学校に行きたいと考えていたくらいで、父親の猛反対から大学に入ったものの、名鉄の職員だった父親に、名鉄系の名古屋観光バスのアルバイトを依頼してもらう約束で進学し、3年間に渡って名古屋観光バスの車掌と添乗員を経験しました。

 結果的には、大学在学中に朝日新聞社からスカウトされ、旅行の仕事に携わることは無かったものの、昭和55年頃から従業員の慰安を中心にした旅行会を企画し、朝日旅行友の会の募集前からバス旅行を行ってきました。

 もっとも、当時の大卒はバスの運転手にはなれず、名鉄に入社した弟は駅の改札業務から始まり、電車や観光バスの運転手になれなかったことから、名鉄への入社を考えることなく現在に至りましたが、私の心中には鉄道員だった父親の影響から、運転手や旅行に関心が強く、仕事とは無縁であった大型免許を取得していたことから、タクシー事業を開始するにあたっても、観光バスに乗れる大型2種免許を取得することになりました。

 そして、一度は観光バスの運転をしたいと思っていたものの、定年となる60歳を超えてしまい、その夢は無くなりましたが、10人乗りのジャンボタクシーを購入した心中は、介護とか福祉以上に観光を意識するところがありました。

 人生はやり直しがきかず、運転手になることはできませんが、連日でも旅行に出かけたい気持は学生時代から変わらず、もっと思い起こしていくと、中学時代に学校から反れて、ズル休みで自転車で遠方に出かけた開放感にあると思われますが、10年若かったら…

             本日の体重 72、4キロ 徒歩数 1966歩 間食あり
                                     11月23日の一言

大学の給付型奨学金には疑問だ

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私のお気に入りのエノコログサ(狗尾草・ねこじゃらし)
                隣の主が入院中のため、皮肉にも畑のねこじゃらしが見事です

 高校の学費無償化や国による給付型奨学金導入を求め、愛知県内の私立高校の生徒らが23日、名古屋の繁華街を約4キロにわたりパレードしたとの新聞記事がありましたが、私の三男も在学中にこの運動に参加していました。

「教育は平等に」 学費問題解決訴え高校生らがパレード

 私の3人の息子はスポーツ推薦によって長男と次男は指導者から声がかかり、愛工大名電高校に入学しており、3人とも陸上、相撲、自転車と競技種目は違いますが、それぞれが全国大会に出場しました。

 娘は地元の公立高校に通学しましたが、私立高校に3人の息子を通学させたことから、親として経済的に厳しいのは当然理解できますが、中央大学に進学した長男をはじめ、愛工大名電高校で運動をしているだけで、息子たちの学力では予備校に通っても進学できない有名大学に進学が可能となりました。

 そんな経緯から、義務教育でない私立高校については、進学する目標から何でも無償化とか奨学金と言う前に、親としての経済的な覚悟も重要で、その覚悟がなければ子供たちの進学した成果も望めないと思います。
 生活ができなければ、学費がほとんど不要な公立高校や、定時制とか通信制の高校も選択できたと思われます。

高校成績「4」以上→月3万円 給付型奨学金の自民案
                     
19~22歳扶養控除、縮小検討 給付型奨学金の財源に
                     
「貧乏なのに進学した罰」 風俗で働く短大生
中学時代、5千円で売春 「これで上履きが買える」

 さて、国においても給付型奨学金の支給が実施されていくようですが、返済が不要となる給付型の奨学金を考える反面で、その財源についても検討されているものの、国民全体で支払う税金が財源として一部の大学生に返済不要の給付金に回される事には疑問が残ります。

 何ゆえに返済が必要な奨学金ではいけないのか。添付した新聞報道にも記されていますが、離婚して母親が交際相手を代わる代わる家に連れ込んで生活保護を受けるという事例は、完全に家庭が破綻しており、この状態では最初から通信制か夜間の定時制大学に進学すべきで、生活できないから風俗のアルバイトをする事例はどうやって考えても普通とは思えません。

 5年かかって高校を卒業した元不良の私に、「今はアルバイトをしながらでも大学に行ける」と薦めた恩師は、家庭が貧乏だったため、一年間働いて学費を貯めてから広島大学に進学した自身の体験を語ってくれました。

 そして、私の体験からも、経済的に苦境にある家庭でも、離婚や家庭崩壊していなければ、アルバイトをしながら私学の大学生活を送ることは可能で、新聞配達をしながら昼間の大学に通学できる新聞社の奨学金制度など、働きながら大学に通学することは可能です。

 「貧乏人は麦を食え」と言った政治家が存在しますが、医療保険や公的負担が年々増大している中で、税金も納めず生活保護を受ける家庭も一緒にして「教育は平等に」は義務教育だけの話で、私立高校や大学まで無償化や平等にとの主張には疑問が湧き、返済不要の給付型奨学金には納得がいきません。

             本日の体重 71、9キロ 徒歩数 2009歩 間食あり
                                     10月23日の一言

開業から慌ただしい一週間が過ぎて

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 一週間前の土曜日から三男の接骨院の内覧会が始まり、引き続き1日から開院したため、我家の車は近所の知人の土地に置かれていましたが、本日は午前中で施術が終了して久々に我家に戻ってきました。

 これからは来院する人々のための駐車場となり、我家の車は夜間と、土曜日の午後と、日曜日と祭日にのみ戻ってくることになります。

 当初の予定では、右側の樹木は全て切り倒して、少しでも駐車スペースを確保することと、看板を目だ立たたせたいと希望されていましたが、それぞれに頂いた人や先祖から引き継いだ歴史があることから、私の粘りでそのまま残ることになりました。

 一年後に、奥に茂る樹木を移植して駐車スペースを増やしますが、我家の車を停めるため水田を埋め立てて、畑として転用するとともに、駐車スペースも確保するため既に業者の重機が置かれて埋め立てが始まっています。

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本日家族で訪れた近所(隣)のラーメン店です

 開業(院)して一週間ですが、お客さんを待つ仕事は人が来てくれないことには成り立たないため、子供の仕事とは言え、2階に追いやられた事務所で待機して、私の知人や関係者が来院した際にはお茶を用意して応対していますが、残した木々の存在が客足に影響していると言われるのは耐え難いものがあります。

 私が23年間営業した新聞販売店と、廃業後に転じた議員活動17年間の知り合いや縁者を全力で訪問すれば、残した木々のハンディも克服できるとは思いますが、仕事に政治を持ち込まれたくない息子の気持と、人の身体の良し悪しに関わる仕事ゆえに、三男の施術の腕と成果に期待するしかありません。

 我家から30メートル隣に、上に添付したラーメン店がありますが、元々は日本人経営者によって繁盛していたお店で、最近は店主が次々と代わり、中国人の経営者が日本人より頑張って味も良いものの、看板は目立っていても店についた負のイメージを払拭するのは大変と思われます。

 接骨院に来院する人について、息子は否定したいと思いますが、繁盛するまで毎日行かないといけないと言って通ってくる私の知人や、私の父親の縁で私と関係が続く知人など、我家がこの地に存在したことの恩恵が確実に実感され、見て見ぬふりをしながら親バカで繁盛を見守っていくこととなります。

            本日の体重 71、0キロ 徒歩数 6345歩 間食あり
                                      6月4日の一言

熟したアンズと愛雀に囲まれて

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 我家の名物ともなっている「アンズ」が熟して、次々と下の歩道や駐車場に落下しはじめ、今年は三男の接骨院が開業しているため、歩行者や自転車に踏まれると見苦しいため、こまめに拾い集めています。

 毎年の恒例行事となり、拾い集めたアンズの実は、家内がナベに入れて煮込み、大量のアンズジャムに生まれかわりますが、焦げないように混ぜ続けるのが大変で、毎年手が痛くなると悲鳴をあげるものの、今年は三男の接骨院があるので治療には都合がよくなりました。

 幸いなことに、接骨院を訪れた患者さんが「アンズを欲しい」と貰っていただけるので楽ができそうですが、それでも既に大量のジャムを入れるガラス瓶をホームセンターで購入してきました。

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 さて、昨年10月末に逝ったピーちゃんと同じ屋根の巣から落ち、同じ庭の場所で先月26日に保護した「ヒー」ですが、口の咀嚼が不得意なことから栄養不足となり、身体全体が弱く、両足にも障がいが残っているようですが、何とか飛べるような状態にはなってきたことから、ピーの兄弟か、オイかメイにあたる可能性が高いため、誰にも使わないと決めていたピーの遺品となる鳥カゴと巣や道具をそのまま使うことに決めました。

 少しでも永く生きて欲しいものですが、ピーと同じように、私の声がすると鳴き、私の手の平の中ではおとなしくしており、ピーの再来とはいきませんが、とりあえず今年の冬を超えて、ピーの生きた年月を更新させたいと思っています。

※我家で保護したヒーちゃんと、名古屋市から持ち込まれた「サブロー」の写真をファン限定で添付しました。
                  http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/49326695.html

消費税、8%のままなら? 財政の推計プログラムを公開

違法民泊許しまへん 京都市、苦情相次ぎ通報窓口開設へ

 安部政権の場当たり的な経済政策や、軽率な発言によって、国内の市民生活に大きな影響が出ており、不景気な世の中ゆえに、前回の消費増税の際に次回の増税まで値上げしないと据え置いた中小の商店主は、今回の増税先送り発表に悲鳴をあげています。

 オリンピックを控えて、大量の外国人観光客の宿泊施設を確保する「民泊」や、自家用車に乗りあう「ライドシェア」など、国のトップが安易に発言したことにより、生活環境や安全面での対策が伴いません。

             本日の体重 69、9キロ 徒歩数 6206歩 間食あり
                                       6月2日の一言

私の履歴書

        私の履歴

  昭和28年12月18日 母親の里愛知県中島郡祖父江町(現稲沢市)で生まれる。以来、先祖伝来の現住所、愛知県津島市越津町字柳之内84番地で育つ。
 昭和52年学生時代に起業し、23年間経営した朝日新聞販売店でしたが、平成11年津島市議会議員に立候補するため、兼業禁止のため泣く泣く廃業しました。
 平成21年に福祉タクシーと福祉有償運送の営業許可を受け、高齢者や障がい者を低額で病院や買い物に移送するボランティアを主宰しています。
  平成11年4月 市議会議員初当選 平成31年4月引退

学歴  昭和53年3月 名古屋商科大学 商学部産業経営学科卒業

職歴   昭和52年1月  朝日新聞津島東部専売店創業 (店主)
          昭和55年4月  朝日新聞七宝専売店兼営
         同年 朝日新聞津島東サービスセンター設立 (所長)
      平成11年2月  同廃業
      平成21年 おおしか福祉タクシー創業

     平成11年4月 津島市議会議員初当選する
                平成25年5月 津島市監査委員拝命
      平成27年4月 5期目の市議会議員生活スタート
      平成31年4月 任期満了で議員生活を終えました
                  
 
経歴   津島市立神守小学校同窓会会長  平成1年~4年
       津島市立神守小学校PTA副会長   平成2年~3年
       津島市立神守中学校PTA副会長  平成4年
       津島市立神守中学校PTA会長  津島市PTA連合会会長 平成5年

       津島市立神守中学校同窓会会長(平成9年~27年)

病歴 右大腿部骨髄炎 昭和43年から47年 手術3回
           前立腺肥大症と尿管結石の手術 令和3年10月

現在   NPO法人 ひとまち生活ネット津島・監事(代表) 平成19年設立
   おおしか福祉タクシー 代表 平成21年旅客運送業認可 
     同年(NPO法人)ボランティアによる福祉有償運送も認可
          ・大型二種運転免許 患者等搬送(民間救急)乗務員
            ・NPO法人 横井庄一記念館を護る会・理事長 平成30年3月1日認証
            ・
津島市民生児童委員 令和2年(2020年)4月から


   ・環境省 上高地パークボランティア 平成28年(2016年)~
   ・愛知県人にやさしい街づくりアドバイザー 
   ・愛知県ボランティアコーディネーター
   ・愛知県防災リーダー・愛知県防災ボランティアコーディネーター
   ・ホームヘルパー2級 
   四国八十八ヵ所霊場会公認先達 ・四国別格20霊場会、西国三十三所会公認先達

  
趣味  上高地と四国遍路
     旅行 (朝日旅行友の会主催) 
同居家族   母  妻  長男 次男  三男夫婦と孫(男子)  愛犬リマ(令和2年没)
         長女(名古屋在住)夫婦 孫(男子)1人  私の妹(名古屋在住)  
            父 (平成5年没)  


父親の遺品となる草刈機を修理して

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 家内に1ヵ月前から田んぼの草刈を催促され、「そのうちにやるから」が、「忙しいから…」、「体調がすぐれない」の言い訳を続けていましたが…

 「今日は行くんでしょう」の一言は、どうやら私が「今週中にはやるから…」と言ってごまかしていたらしく、農作業姿になった家内への言い訳は難しく、渋々着替えてエアコンの壊れた車に草刈機を積んで目的地の田んぼに到着しましたが…

 私のやる気の無さを象徴するかのように、燃料は入れたものの草刈機のエンジンはかからず、老眼鏡をかけて見直すと、燃料を送るポンプ役のビニール(添付した写真の中央部・丸い玉のような部分)が破れて燃料がエンジンに届きません。

 「○○さんに借りようか」
  (家内) 「買ってきたら」 
 「ここが直れば動くのに」
  (家内) 「直るの?」 
 「部品があればなぁ」
  (家内) 「ホームセンターで買ってこよう」  
 「農機具屋に聞いてみようか?」
  (家内) 「農機具屋は高いから」 
 「買うんじゃなく、直すんだぞ」

 どちらにしても使えないため自宅に帰り、ホームセンターにこだわる家内を無視して、知り合いの農機具屋さんに連絡すると、直るかもしれないとの一言で、草刈機を積んで市内の農機具屋さんに走りました。

 我家の草刈機は、平成5年に死んだ父親が購入して使っていたもので、私自身は田んぼに行きませんから、最近は家内が除草剤と草刈鎌で管理しており、草刈機は2年ぶりに持ち出した次第で、農機具屋さんでは5万から6万円程度で販売され、ホームセンターでは格安の2万円程度の草刈機が売っているものの、安いと言っても使わないのに買うのも不合理です。

 父親の遺品ですから、父親が死んでからでも22年が経過しており、草刈機の製造メーカーも倒産したとの話でしたが、共用できる部品があり、2千円の修理代で復活し、既に薄暗くなっていましたが、「今日なら動くから」と予定の3割程度でしたが草刈を行って帰宅しました。

タナカ工業株式会社(タナカこうぎょう)は、千葉県習志野市にあった2サイクルガソリンエンジンの製造メーカーである。1918年 - 田中工業創業 1963年 (設立)株式会社に改組 2006年(倒産)

2007年に日立工機100%出資の子会社となり、日工タナカエンジニアリングとなる。
2015年7月、日立工機販売株式会社に社名変更し、実質上の合併吸収となって独立企業としての日工タナカエンジニアリングは消滅した。

 我家と言うよりも、父親が利用していた農機具屋さんは閉店されており、本日修理をお願いした農機具屋さんは、家内の在所が現在も利用しているお店ですが、我家は草刈機程度しか必要ない兼業農家のため、何でもホームセンターに頼ってしまい、格安のかわりに使い捨てになってしまいます。

 ただし、私の直感では、ホームセンターで購入した機器でも、本日破損していた部品はビニールの消耗品で、数百円の部品で直るのに使い捨てにするのは勿体なく、「安いから買う」の意識を変えて、直すとの意識改革が資源の有効利用のため必要と思います。

 また、1年に一度程度しか使わない草刈機は、我家の場合は専業農家を続けていた家内の在所の義兄に借りてこれば済む問題で、使わなくなった農家から譲ってもらえば新品の草刈機を買う必要も無さそうですが…

 まだまた暑い日が続きますが、夕方には涼しい風が吹くようになっており、エアコンが故障したままになっている平成1年登録の愛車についても、「もう限界かな」から「まだ乗れそう」な心境となり、「修理してみようか」の一言となりました。

                  本日の体重 70、7キロ 徒歩数 1733歩
                                      8月22日の一言

新聞記事にびっくりとする一日に

 本日も地域を廻る一日となりましたが、いくら選挙の前とは言え、私自身は現職の議員であり、立候補予定の候補者についても市議会議員になろうとしている立場にあり、「もう、いらん、いらん」と押し売りを追い払うような対応を受けると気持ちが折れそうになっていきます。

 議員にとっては、選挙に勝ち残らないことには議員活動はできませんが、少なくとも議員になることが目標ではなく、目標とする公約とともに、期待される人の存在があって立候補しており、理想とする目標と支援いただける人の人格が高ければ高いほど、馬鹿にされるような応対をされると黙って帰ってくることもできません。

 一方で、学生時代に起業した朝日新聞販売店時代から出入りしていた家であっても、世代交代して身近だった家人が変わっていたり、仕事で家を空けておられたご主人が応対されると家のイメージが完全に違って見えます。

 歳をとりました。私の孫に見られても、「おじいちゃん、何しているの」と言われない応対と、我家を訪問される人についても、「何だ、こんな家は」と思われない応対をしたいと思う一日ともなりました。

元中学校長「1万2千人超買春」 児童ポルノ容疑で逮捕

 さて、びっくりする新聞記事です。いくらフィリピンと言えども、1万2千人もの少女を買春したとして64歳となる元中学校校長が逮捕されており、13から14歳くらいの少女とわいせつな行為をする様子などの写真11枚をデジタルカメラで撮影し、SDカードに保存していたという記載にも驚きを隠せません。

 元校長は4年前に退職しているものの、1988年から3年ほど、フィリピンの日本人学校に勤務しており、「現地に派遣されていた当時から買春を始め、帰国後も休暇を利用して買春目的でフィリピンに渡航していた」と供述している。
 1万2千人もの少女を買春していたことと、写真11枚をデジタルカメラで撮影し、SDカードに保存していたという事実を、家族は何もしらなかったとは思えません。同じ世代の少女を教える立場にあった校長としての責務があったとも思えず、こんな校長から卒業証書を受け取っていた中学生たちが可哀想です。

市販薬でも副作用の危険、5年間に死亡15例 消費者庁 

 私にとって、もっとびっくりとしたのは、市販されている風邪薬による副作用に関する記事で、薬局やインターネットで買える一般医薬品による副作用の疑いで、2013年度までの5年間に1225例。うち死亡が15例あり、後遺症が残ったケースも15例あったとの新聞記事が気になります。

 私自身の習慣として、体調の悪いときには風邪薬のジキニンを服用しており、気分がすっきりしない場合には頭痛薬のケロリンを服用するのを当たり前としています。
 過去の一言の記載にも、『体調不良時の旅行(四国遍路)には、前日の夜に風邪薬の『ジキニン』を飲み、(夜行で運転して)朝一番に『ブルーベリー』、昼に『ブルーベリー』、午後に『ケロリン』、夕方に『ブルーベリー』と、飲用を決めており、朝の不調時には『ケロリン』を服用する場合もありますが、これだけ徹底すると僅かな仮眠だけで深夜から夕方までの運転が可能となります』と記しています。

私の必需品のお守りです 09年2月の一言  http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/39004302.html

 私が「お守り」としている風邪薬や頭痛薬の副作用に関する記事だけに、詳しい詳細が知りたいものです。

              本日の体重 69、6キロ 徒歩数 1万2835歩
                                     4月8日の一言

地域の実情とコンビニの挑戦2題

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 添付した私の看板は、選挙直前になっている中で、「私の看板を立ててあげたい」という温かいご支援をいただいたお宅に昨日立ててきたもので、不器用で何も役に立たない私にかわって杭を打ち、針金でしっかりと固定していただきました。

 議員になって16年が経過していますが、地域を歩いて会報を配布したことはあっても、人と会って話すことは久しぶりで、懐かしい人との昔話は心の静養になる一方で、かつては笑い声が響いた家が、高齢者や独り暮らしとなっていただけでなく、立派な家や庭を造りながら引き継ぐ子息が戻ってこないという現実です。

 買い物や日常生活は何とか維持できているものの、病気になった際の通院や、買い物を考えると心細いかぎりで、子供の成長を支え、高学歴から社会人に成長させたものの、社会人となった子供は戻ってくるどころか、通ってこられない遠くに自宅を構えてしまい、私の自宅の倍以上の規模のお宅の先がありません。
 
ローソン、佐川と新会社 コンビニ商品を一緒に宅配

コンビニで介護相談、血液検査… 高齢者層取り込みへ
記事の続き…
 ローソンの玉塚元一社長は「高齢者の生活支援にもつながる重要なモデル」と位置づけ、ウイズネットと2018年2月末までに30店をめざすという。
 ファミリーマートは調剤薬局やドラッグストア計16社と提携し、薬を扱う「一体型コンビニ」を19年3月までに1千店つくる計画だ。12年にはじめ、いま全国32カ所。その一つ、東京・外神田の店では、簡易型の血液検査は500円から。血糖値やコレステロール値を調べ、生活習慣病の予防に役立ててもらう。検査は指先に小さな針を刺すだけで済む。結果も5分ほどでわかる。
 こうしたサービスは、すぐ店の売り上げになるとは限らない。それでも、高齢者や介護をする人が足を運ぶきっかけをつくれば、おむつなどスーパーなどで買っていた生活用品に手を伸ばし、新しい客層の開拓にもつながる可能性がある。
 コンビニの数は年々増えて全国で5万店を超えたが、最大手のセブン―イレブンをのぞく大手の既存店ベースの売上高は、減少傾向が続く。主な客層の15~64歳の人口が減るなか、高齢者層をどう取り込むかが、生き残りを左右する。
 セブンは13年の来店客に占める50歳以上の割合が3割となり、20年前の3倍になった。栄養バランスのとれた弁当を宅配するサービス「セブンミール」は全国の4分の3の店で扱う。電話などでも注文ができ、会員は約66万人。60歳以上が6割を占め、どの店にもある「標準サービス」をめざす。福岡県や千葉県など全国102自治体とはお年寄りの見守りに関する協定を結ぶ。届け先で異変を見つけると、市町村の担当窓口などに連絡する。
 コンビニ業界に詳しい東レ経営研究所の永井知美シニアアナリストは「団塊の世代が高齢者の仲間入りをはじめた。お年寄りが来店しやすいコンビニづくりは今後も続く」とみる。

 さて、本日の新聞には、コンビニのローソンが、佐川急便と協力して商品を宅配する新会社を設立させることと、不在時の宅配便もコンビニ窓口で受け取ることができるようになるサービスについて発信されています。

 今から30年ほど前の話となりますが、コンビニで新聞やスポーツ紙を販売する説明が新聞社からあり、コンビニで新聞を販売することは新聞の戸別配達制度を崩壊させると反対される先輩店主に対して、「これからはコンビニが街の中心ステーションになる」との話が新聞社側よりありました。

 新聞販売店にとっては、新聞配達のついでではなく、コンビニ専用に新聞を届ける人材を確保し、売れ残った新聞の回収の手間や利益を考えると、個別配達に固執した方が得策のようにも思えますが、それまでの新聞販売店か駅の売店で新聞を買う習慣は、完全にコンビニになってしまいました。
 我家は県道沿いにあり、新聞販売店時代には、配達用の予備となる新聞やスポーツ紙が毎日売れており、残紙となるはずの新聞が毎日のコーヒー代となっていました。

 もう一つの報道では、ローソンがコンビニ窓口で介護相談や血液検査に対応するとの記事で、ファミリーマートが薬の調剤薬局やドラッグストアと提携して販売する話題もあり、確実にコンビニの存在が地域生活に直結していることが判ります。

 私の住む愛知県津島市ではサークルKが多く、ローソンやファミリーマートの店舗は少ないものの、セブンイレブンが弁当を宅配する光景は見慣れたものになっており、スーパーのオオクワもインターネットで商品を宅配しており、高齢化社会の不便をカバーするサービスが確実に根付いてきました。

「ママって呼んでいいんでしょ?」 縁あって、家族
記事の続き…
小中学校時代は友達とけんかをしては、文恵さんに怒られた。中学時代には、生母の夢を何度か見た。でも、声は若いのに、顔は文恵さん。「どんな顔だったのかだけでも知りたいけど、出てくるのは全部ママなの」と文恵さんに話し、号泣した。
 児童福祉を学びたい。高校の時、文恵さんに伝えると、「自分と重ねてしまったら正しい判断ができないし、つらくなる」と反対された。それでも「私だから気持ちが分かる。大丈夫」と貫き、同志社大学社会学部社会福祉学科に進んだ。
 養子縁組した子に「真実告知を3歳までにすべきか」をテーマにした授業後、ボロボロと涙をこぼしたこともある。でも、実家を離れて大学生活を送るうちに「私は恵まれている」と感じるように。家族とのふとしたやり取りの中で「このうちの子じゃないからでは」と思ってしまう心のわだかまりは、いつの間にか消えていた。
 今では「母が全力でぶつかってきて、全力で育ててくれたから良かった」と思える。年の離れた姉と「普通のきょうだいげんか」もするようになった。
 最近、「目元がお母さんに似てるね」と言われることがある。照れ隠しに「えー」と言ってしまうが、「自然と似てくるのかな」と愛さんは笑う。
 卒業論文のテーマは「乳幼児期の里親委託体制」。親が育てられない子どもの多くが乳児院などの施設で暮らす日本の児童福祉政策の課題を検証した。
 「ようやく自分で自分を受け入れられたかな」と話す愛さん。多くの赤ちゃんが家庭で暮らせるよう、養子縁組制度の広がりを願い、将来は児童福祉の分野で働こうと思っている。

 最後に添付した記事は、祖先から引き継いだ遺産を放置したり、親の面倒もみない子供たちの存在を考えると、血縁だけが家庭を支えているわけではなく、必要とされる子供が存在すれば里親として養育することも選択肢と思える発信のため、オマケの添付としました。

                       本日の体重 69、0キロ 徒歩数 8725歩
                                     4月7日の一言
 

コメントからブログ文化を実感し

 昨日の一言に、『伯父の戦死した場所とされる沖縄県の「小渡」の場所を探してもらうよう … ブログ文化によって … 場所探しを依頼してみようと思う』と記したところ、お2人の沖縄県から発信されるブログ運営者からコメントをいただきました。
 まさに、昨日の一言に即日反応するコメントから、ブログ文化を実感させられ、ブログによる市民力も実感させられました。

 かつて、沖縄県に無視されたと思っていましたが、戦中戦後の混乱を考えても、戦死の通知をおこなった日本政府が戦死者の遺族にいかに適当な報告をしていたかを実感させられ、東日本大震災後に海に潜って家族を探し続けられる人々の存在を考えると、戦死した人々は物扱い同然であったことも実感させられました。

  DOCさんから、「地名本島小度では分かりません。市郡でお願いします」のコメントがあり、ジョニーさんからは「糸満市ですかね?」のコメントをいただきましたが、我家の戸籍には「沖縄本島小渡において戦死」としか記されていません。

 もっとも、伯父から沖縄からの手紙が複数届いていますが、沖縄に向けて出航した船が攻撃されて沈没したと話された戦友もあり、手紙を解読して本当に沖縄に上陸していたかを確定するのが先決かもしれません。

 また、私自身にしても、戦死した伯父とは面識もなく、座敷に掲げられた遺影しか残されたものはありませんでしたが、昭和47年にグアム島から横井庄一さんが発見され、横井さんから伯父宛の手紙があり、横井さんと兄弟のようにしていた伯父の話を聞いたことと、「お前と性格や行動がそっくりだった」との父親の話から私の肉親として認識するようになりました。もっとも、横井さんからは「似ていないよ」と言われたものの、父親は兄の生まれかわりのように感じていた一面があります。

 伯父は幼くして両親を亡くし、22才の若さで戦死しており、遺骨どころか戦死した場所も特定できない孤独な人生でしたが、横井庄一さんの出現によって、私には忘れられない存在になりました。

 さて、戦後70年ということで、平成9年に亡くなった横井庄一さんも取材の対象になっているようで、近々新聞記者と会う約束もありますが、苦難ではあったものの生きて帰国できた横井さんよりも、未だに戦地に置かれたままの遺骨や、戦死した場所すら特定できない戦没者について、もっと真剣な対応が必要に思います。


 4年前の東日本大震災で行方不明となった家族を探し続ける人々の存在や、70年前に戦死した会ったこともない肉親について記していると、国から不正・不法にして生活保護を受けている人々の報道には、腹立たしい気持ちに襲われます。
 生活保護の資金には国民の支払った税金があてられており、これを受け取る人々の不正は、国民の税金を搾取したこととなり、公益を害する存在して厳罰に処して欲しいものです。

生活保護者5千人超に向精神薬を過剰処方 ネット転売も

生活保護の不正受給、最多4.3万件 13年度

              本日の体重 71、3キロ 徒歩数 1397歩
                                    3月10日の一言

車も身体も修理が必要となり 綱渡りの一日へ

 本日は正月の箱根駅伝において青山学院大学を優勝に導いた神野大地選手が、午前中に母校の神守中学校を訪れると彼のお母さんより聞かされていましたが、昨日から前歯の差し歯がぐらついており、先週末に平成元年登録のライトエースの電装関係の不具合もあり、とりあえず近所の電装会社を訪れました。

イメージ 1 不具合は窓の電動ウインドウの接触不良で、週末に窓が開いたままとなり、開けたままでは寒いため四苦八苦し、偶然にも何とか閉まったものの、閉めたままでは不都合なために訪れたものの、現在では交換する部品が存在しておらず、応急修理でごまかすしかありません。

 もう一点は、めったにはありませんが、キーを入れてもセルモーターが回らないことがあり、ガソリンスタンドではバッテリー切れとして交換されてしまいますが、スターター本体の検知器の異常で、四苦八苦すればエンジンはかかりますが、停めた場所によってはかなりのストレスとなります。

 部品交換のため連絡してもらうと、メインスイッチの部品はあったものの、トルコンのパーキングとニュートラルを感知する部品はメーカーの在庫がなく、とりあえず中古部品で全国から探してもらい、部品が届き次第連絡をもらうこととなりました。

 窓については閉めたままでも困りませんが、出先でエンジンが停まったままでは帰ってこれません(今までは停まったままではありませんでしたが)から、度々となれば廃車の瀬戸際になっていきます。車の電子化によって、年式が古くなり部品が調達できなければ廃車となっていきます。

 車の修理依頼から、今度は私の歯の治療に歯医者へ走り、治療後に母校の神守中学校を訪れたところ、「今、神野君が帰ったところ…」と入れ替わりになり、彼の笑顔を見ることはできませんでしたが、明日から市議会の一般質問が始まるため、綱渡りのスケジュールとなり、午後3時過ぎにNPO法人の理事となっている仲間と待ち合わせて県庁に走ると、担当窓口は真っ暗です。
 我々NPO法人を担当する窓口は、土曜日と日曜日に窓口を開けているため、月曜日は定休になっているとの話で、議会中で期限内に来れないため、居合わせた職員に対応してもらい、書類は後日に郵送することになりました。

 さて、本年は高野山が弘法大師によって開創されて1200年が経過し、4月2日からは高野山創1200年記念大法会が50日間営まれますが、昨年の四国遍路創1200年と同じく様々なイベントや発信が続いてきます。選挙をひかえており、記事を傍観者として見ることしかできません。

難波発1200年へ機運 高野山開創記念大法
記事の続き…
大阪府阪南市から駆けつけた女性(70)は「普通のお経と違い、張りのある声が厳かに響いて心が洗われるよう。また高野山に行ってみたくなりました」と感激していた。

和歌山)白煙もうもう、高野の火まつり 厄よけ願う

高野山駅がリニューアル 昭和初期の外観に
記事の続き…
 記念式では、大法会のイメージキャラクター「こうやくん」との写真撮影会や駅舎のお披露目会がある。また、同日から記念スタンプを置き、長さ約160センチの大ちょうちんを飾って大法会を盛り上げる。

               本日の体重 70、8キロ 徒歩数 7701歩
                                     3月2日の一言

会報配布にお寺へ出向いて

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津島市葉苅町 法性山長福寺
 
 市内葉苅町にある長福寺の寺標から本堂への参道ですが、長福寺は天文9年(1540)に創建された浄土宗のお寺で、私が毎年大晦日に訪れている京都百万遍知恩寺の末寺になります。
 
 寺伝によれば隣接する蛭間町大徳寺や宇治町光明寺など十一の末寺があり、宗祖法然上人尾張二十五霊場(第五番札所)や、尾西弘法第4番札所、海東西・新四国八十八ヶ所(第六十九番札所)などに名前が記されています。
 
 前記したように、寺の創建が天文9年(1540)ですが、本堂の参道西に建てられた観音堂には、安置されている十一面観音菩薩像は創建より古い明徳2年(1391年)の作と刻印されており、尾張三十三観音第二十番札所にも含まれ、世が世なれば人でにぎわっていたことが想像されます。
 
 当地方の寺院としては格の高いお寺で、織田信長の父信秀が京都百万遍知恩寺から岌清上人を招いて創建したとの説もあり、郷土史家の記した文献には、織田信秀が隣村の勝幡城を居城としていたことから、尾張地方統一のため長福寺の末寺をどんどん建立して情報収集を図っていたと記されています。
 
 私の叔父は幼少時に母親を交通事故で亡くし、2代前の住職が親族だったことから幼くしてこのお寺に出され、大学卒業後も家族4人でこのお寺で僧侶として生活していましたが、昭和40年代に隣村の長福寺説教所に移り住んでいます。
 
 門前の寺標は私の叔父が寄付した石柱で、墓地内には叔父が建立した檀家なら誰でも納骨できる大きな墓石(叔母も納骨されました)もあり、石は永遠に残るため、叔父の名前も末代まで残されていくことになります。
 
 立派に再建された本堂や鐘楼堂などを眺め、お寺が辛くて逃げ出した幼子の叔父をなだめて祖母や家族が同行してお寺に送った話や、母親を亡くし孫3人が祖母と一緒の布団の中で泣いたと言う、昭和初期に貧困にあえいでいた先祖の思い出話を改めて思い浮かべる一日ともなりました。
 
               本日の体重 71、4キロ 徒歩数 3万478歩
                                   1月5日の一言
 

近所のガソリンスタンドやお店の廃業が続き

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我家(真ん中)の近くにあったガソリンスタンドとみたらし団子屋さん(左端)
 
 我家の100メートル西側から見た本日の風景ですが、近くで便利が良かったガソリンスタンドが年末の31日で閉店となり、左端に写るみたらし団子屋さんも先月21日をもって閉店となっていることから寂しさを隠せません。
 
 みたらし団子については、私が大好物であることと、このお店の団子は1本30円と安いため、10本買ってきて食べる者がいないと全部食べてしまうことから、「1本だけ買う勇気があるなら」と、かつての管理栄養士の竹内先生にも言われていました。
 
 ところが、孫もみたらし団子が大好物のため、孫が来たときは一緒に買いに行っており、新聞にも記事として紹介されたこともある名物店でしたが、ご主人の体調不良のため先月でお店は閉められてしまいました。
 
 一方で、ガソリンスタンドについては、地下の油脂タンクに対する国の規制が厳しくなったことが廃業の原因で、「安ければ何処でも」という風潮がありますが、バイクのガソリンや、農作業の草刈機等のガソリンを購入していた人々には、今後は遠くのスタンドまで買いに走る不都合が生じます。
 
 日ごろはあって当たり前と思っていますが、実際にお店が無くなると困るのは地域住民で、我家の電気工事や水道工事を担当した業者も廃業しており、困ったときに依頼する代わりの業者選びが大変になります。
 
 年末に玄関の壁が落ちましたが、実際に施工していただいた左官屋さんは亡くなっており、依頼する業者が定まらぬまま、壁に板をもたしかけてあるものの、いずれは本格的な修理が必要になってきます。
 
 さて、そういう私も議員になる16年前に、それまで23年間続けてきた朝日新聞販売店を突然廃業し、私への義理で購読した人だけでなく、信頼して購読されていたお客さんには迷惑をかけています。
 
 私の事務所の壁には、廃業した後も、以前と変わらず朝日新聞販売店用のカレンダーが下げてありますが、このカレンダーは私の先輩となる蟹江町の販売店主が毎年年末に自分の販売店用の物を届けて下さっています。
 廃業して16年も経過し、届かなかったら代わりのカレンダーを下げる覚悟はありますが、たかだかカレンダーとは言え、事務所の看板にもなっており、届けて下さる先輩には金品に代えられぬ恩を感じて新年を迎えました。
 
                 本日の体重 72、0キロ 徒歩数 4005歩
                                      1月4日の一言

我家の蚊から駆逐したいものです

 デング熱の感染者が全国に広がっており、重症化しても死には至らないというものの、感染した人を蚊が刺してウイルスに感染すると、来年以降は全国に蔓延する可能性も高く、多種多様な防虫剤の普及によって室内の蚊がいなくなる一方で、庭や公園での防除が今後の課題となりそうです。
 
デング熱、複数の蚊が媒介か TBSロケでも感染の疑い
記事の続き…
 ただ、代々木公園といっても約54ヘクタールもの広さがある。新たな感染者が公園のどの辺りで蚊に刺されたのかはわからない。厚労省の中嶋室長は「公園のどこに(ウイルスを持つ蚊がいる)スポットがあるのか、特定は非常に難しい」と述べるにとどまった。
 このため東京都も1日、蚊の追加駆除は見送った。ヒトスジシマカはやぶの中で生息し、公園のような環境を好む。代々木公園は外国人や帰国者も含めて多くの人が訪れる。東京都は利用者に蚊に刺されないように注意喚起し、蚊の発生を抑えるため噴水池の水抜きや側溝の清掃を始めた。
■温暖化で分布域拡大
 国内でデング熱に感染する恐れは、専門家の間では以前から指摘されていた。海外からウイルスが入るケースが増え、ウイルスを媒介するヒトスジシマカも温暖化で国内の分布域が広がっているからだ。
 1940年代前半の流行は、戦地から帰国した兵士がウイルスを持ち込んだとされる。戦後、衛生状態が改善されたことなどもあり、国内での感染は確認されなくなった。
 しかし、海外との行き来は年々活発になり、ここ数年は海外で感染し帰国後に発症した人が200人を超す年が相次ぐ。環境省などの報告書によると、ヒトスジシマカの生息地は1950年は栃木県北部周辺が北限だったが、2000年には秋田県、10年には青森県の一部に広がった。
 厚労省の担当者は「今までも水面下で(地域限定の)小流行があったかもしれない」と話す。ただし、全国に広がって多くの患者が出てくる可能性については、国立感染症研究所(感染研)の西條政幸ウイルス第一部長は「想定できない」と否定的だ。
 蚊の寿命は30~40日程度。ヒトスジシマカは10月末ごろには死んで越冬せず、ウイルスは次世代に引き継がれることもない。
 感染研の高崎智彦ウイルス第一部室長は、年中流行しているアジアなどのような「定着」はないとみる。一方で、蚊が活動を始める5~10月ごろには、持ち込まれたウイルスによって再び国内で感染する患者が出てもおかしくないという。
■高熱や頭痛、大半は自然に回復
 デング熱はアジア、アフリカなど世界では年間1億人近くの患者が出ている。
 感染しても半数以上は発症しない。残りは、感染後3~7日ほどで38度以上の高熱や頭痛、筋肉痛などインフルエンザのような症状が出る。赤い小さな発疹が体に出ることも多い。
 通常は1週間ほどたてば自然に回復する。一方で、発症者の1~5%ほどが、吐血や血尿など全身に出血症状が出る「デング出血熱」になる。大人より子どもに多く発症する。
 原因のデングウイルスには四つの型があり、年や地域によって流行が異なる。今回見つかったのは今年アジアで流行している型。一度感染すると免疫ができ、同じ型には感染しにくくなるが、別の型に感染すると重症化する率が高まるという。ただ、日本で発症し、治療を受けた人で死亡した例は戦後確認されていない。岡部信彦・川崎市健康安全研究所長は「根治薬はないが、(点滴など)対症療法は進んでいる。日本で発症しても大きな心配はいらない」と話す。
 ワクチンはなく、蚊に刺されないようにするしか予防法はない。蚊の多い場所では肌の露出をなるべく避け、虫よけ剤を使う。
 ヒトスジシマカは昼間に活動する。東京医大病院渡航者医療センターの濱田篤郎教授は「夜に蚊取り線香を使うが昼間の対策は手薄な人は意外と多い」と注意を促す。虫よけ剤を使った後で日焼け止めを塗ると効果が薄れる。併用するときは虫よけ剤を最後に使う。
 
 私の住む愛知県津島市では、30年前までは農業共同組合によって、地域全体の水田を目的とする防虫作業が行われ、大型車両を用いた大がかりな消毒が行われていました。
 
 防虫作業は夕方から夜にかけて行われ、ウォーン、ブォーンと消毒散布の作業音が地域全体に響き、まるで戦争中の防空壕に潜むように作業が終わるのを待ったものですが、散布して半月ほどは水田だけでなく庭や家の蚊もいなくなりました。
 
 散布前にチラシで実施日が知らされ、当日には車を回して拡声器を使った周知が行われていましたが、宅地化が進み住民の反発も多いため途絶えたと思われ、近年になって再開を要望する声がでてきました。
 
 現実には地域全体での大がかりな防除作業は難しいと思われますが、蚊を仲介役とするデング熱や、今では聞かなくなった日本脳炎などの発症があれば、広範囲の防除作業が必要になるのかもしれません。
 
 さて、私自身は夏でも長袖のシャツを着ており、裏庭にはほとんど出ないことから、蚊の被害はほとんどありませんが、元々が木曽三川の河口部に位置して蚊が多い地域のため、虫除けや蚊取り線香を用意して洗濯物を干しても家内は被害を受け、かゆみ止めが手放せません。
 動植物にあまり被害を及ぼさず蚊を退治する庭や小公園規模用の殺虫剤や、水溜りのボウフラを退治する薬剤を購入して、我家の庭からも蚊の存在を消したいと思います。 
                         本日の体重 77、7キロ
                                   9月3日の一言

新聞に遺言セミナーの見出しを見つけて

あなたの財産を社会のために生かしませんか――。
高齢化、核家族化が進むなか、注目されている「社会貢献としての遺贈」について、弁護士の中山二基子(ふきこ)さんが「老いじたく あなたの財産を未来に」をテーマにわかりやすく解説します。遺贈の仕組みや寄付の方法、贈り先の選び方をはじめ、遺言書の作成方法と具体的な手続きや、2015年に変わる相続税の改正についてもお話しいただきます。
 
「老いじたく~あなたの財産を未来に」
 
 今年のゴールデンウィークに同級生が亡くなりました。同級生は生涯独身で、両親を亡くし、十年前に姉を亡くして大きな屋敷に一人暮らしだったものの、病弱で眼と耳が悪くなり、事故を繰り返して車も運転できなくなり、自宅で寝たきりとなっていました。
 
 親にかかっていた生命保険で大金が入り、我々同級生には渋ちんでしたが、地元の後輩や知人の金づるにされ、リフォーム業者に勝手に工事をはじめられたりと、私だけでも何度も業者と交渉し、農協の通帳からお金が引き落とせなくするなどしましたが、最後は有り金を全部巻き上げられて無一文状態だったようです。
 
 そして、本人が一番嫌がっていた義理の兄の世話になり、60年の人生を福祉施設で老衰のように終えました。本人がまったく無気力だった事が死期を早めたと思いますが、適正な財産管理と運用をすれば、まだまだ楽しく生きられたと思います。
 
 同じ頃となりますが、私とは又従兄弟にあたる親族から、父親(故人)の残した家の土地が父親の兄名義となっており、この伯父は15年前に亡くなっているが、相続人の夫人が数年前に亡くなった事から、夫人の妹から高額での買い取りを要求されているとの相談を受けました。
 
 私の想像では、相談者の祖父が、相談者の父親に遺産分けで与えた土地が、その土地の名義が祖父の名義のままになっており、祖父が死んだ後に父親の兄(跡取り)が相続した事から、父親の兄が亡くなり、自分の父親も亡くなり、父親の兄の夫人も亡くなったため、夫人の妹が出てきたと思われます。
 
 親が息子(弟)のために残した土地が、嫁いできた長男の嫁の妹によって、孫に売りつけられようとしている現実は、元々は相談者の一族の土地が、まったく赤の他人の手に渡ったしまった図式ですね。
 
 我が家も他人事ではありません。母親名義の土地もあり、私自身には3人の息子と、嫁いだ娘がいることから、予期せぬ突然死でもあれば混乱は必死で、順調に相続したとしても、先祖伝来の土地が血縁のない縁者のものになる可能性は否めません。
 
 そんなことから、新聞記事に「遺贈・遺言セミナー」を見つけ、添付するとともに応募したいと思ったしだいで、最近はへそくりとして隠した場所どころか、その存在すら忘れていることもあることから先の話ではないと思われます。
 
                                     6月10日の一言

相棒の診察で知った知人の訃報に

イメージ 1
 
 薄暗い動物病院の待合室で診察を待つ相棒リマですが、午前中の来客に驚いて慌てて立ち上がる際に左前足を痛め、触ろうとすると痛がって悲鳴をあげ、横にもならずに痛みに震え続ける一日となりました。
 
 相棒は3年前に病院を訪れているものの、長い毛が首輪に絡んで悲鳴をあげた以外は何一つ悪いところがなく、久しぶりの病院行きとなりましたが、過去の記憶がよみがえり震えて診察を待ち、診察の緊張感から痛みも吹っ飛んでしまったようです。
 
 痛み止めの注射を打ち、4日間様子を見ながら改めて診察を受けることになったものの、家内と2人で名古屋の病院まで走り、近くに住む娘も孫を伴って付き添いにくるなど、人間よりも大変な診察となりました。
 
 「お父さんはお元気ですか?」
 「 … … 」
 「どこか悪いの?」
 「 … 実は…」
 「えっ?」
 
 この動物病院に勤務し、本日診察してもらったY医師のお父さんとは、横井庄一記念館で出会ってから雑談する気の合う知人となり、氏の運営するブログ中に私に関する記載もありましたが、昨年に亡くなったことと、5年前からガンの闘病中だったこと、そして61歳で亡くなっていたことに返す言葉も見当たらず、同行していた家内も61歳と聞き絶句です。
 
 氏は弥富市にある名古屋競馬場のトレーニングセンターで、馬の獣医さんをされていましたが、馬の獣医を引退し、氏の運営するブログも休止されたため、機会があれば訪れたいと思いながらそのままとなり、一年前に他界されていたことは悲しい現実であり、帰宅後に下記に添付したブログを確認すると、ブログまで削除されていました。
  
地方競馬のたどる道~武豊も訪れるブログ http://blog.goo.ne.jp/comano/
 
指定されたページがみつかりませんでした
大変申し訳ありません。お探しのページが見つかりませんでした。
名前が変更されたか、移動したか、削除された可能性があります。
 
 同世代で私よりは年上と認識していたものの、息子さんから昨年61歳と聞かされ、自身の病気のことは何も語られなかったことと、私との会話の先に何を見つめておられたのか、「そう言えば…」と、今となっては身勝手な私の話に何を思われていたかも判らず、息子さんにかける言葉も思い浮かびませんでした。
 
今日から名古屋競馬が開催されます。 先日、弥富トレセンで今井貴大騎手と出会いました。デビューしたての新人ジョッキーです。  「よくやっているネ、期待しているよ」 「はい 頑張ります」 「君も、青いハンカチが似合いそうだね 」 「??? ・・・・・」  急な出会いで、写真も いまいち です。  最近も地元の新聞に 「夢むげんだい:初の平成生まれジョッキー・今井貴大さん」 との記事を目にしました。 
 
…毎日新聞記事添付・省略…

本人になりかわりまして、樋岡徹也さん ありがとうごさいます。       2006年11月13日
 
性別      男性
都道府県   愛知県
自己紹介
地方競馬 経営努力の甲斐もなく売上げが低下する原因は、このまま盛り上がりを見せずに、役割を終えるのが時代の流れなのでしょうか?地方競馬の話題を中心に馬のいる社会についてを紹介。
 
氏のブログの1ページ分です http://archive.today/R48N
 
 Y氏の記憶を回顧するブログも削除された今となっては、ネット検索から氏(ブログ名・セントレアさん)の足跡を探して添付したものの、肝心のセントレアさん、Y氏は存在せず、記録されている携帯電話もつながりません。
 
長年にわたり名古屋競馬の身近な話題を数多く提供されてきたセントレアさまが、このたび2012年末をもって地方競馬のブログ「地方競馬のたどる道」を辞められるとのこと。
これは自分にとって、最近のどんな名古屋競馬のニュースよりも大きな出来事である。
「地方競馬のたどる道」は、時には外からの視点で厳しく、時には何気ないトレセンの日常の話題まで、自分が名古屋競馬を一番身近に感じることのできるところであった。
自分の場合、地元は名古屋ながら、もともと仕事で千葉に住んでいた頃に船橋競馬場に通い始めたのが地方競馬に嵌ることとなったきっかけである。
船橋にはけっこう通い詰めたのだが、家庭の事情で名古屋に戻ることになったのが7年前の2005年。
ちょうど、マリーンズが31年振りに日本一に輝いた年である。
その頃はまだ、南関東の代用みたいな感覚でドンコに足を運んでいたように思う。
山本茜ジョッキーデビューの日にたまたまドンコにいたことから、やがて自然な流れで彼女に興味を持つこととなった。
そしてブログを始めたのが、6年前。
我が生まれ育った地元の地方競馬、「名古屋競馬」の話題を取り上げたかったからである。
一競馬ファンに過ぎなかった私のこの訳のわからない拙ブログに、セントレアさまから初めて温かいコメントを頂いたのがその頃である。
はや6年、されど6年。
「地方競馬のたどる道」には、地方競馬に関する多くのことを教わった。
6年前といえば、宇都宮、高崎と廃止が続き、笠松の存廃問題も継続中で新聞記事に何かととりだたされていた頃。
あくまで外野的な視点でしか見られなかった地方競馬を多角的に考えられるようになったのも、たぶんセントレアさまのブログのおかげであるように思う。
 
 
悲しい現実の連続に、ただでさえ暗く後戻りばかりの性格が余計に暗くなり、本日も寂しい回顧録としてしまいました。
 
ブログ名セントレアさん、Y氏に合掌
                                     4月17日の一言 

20年前に他界した父親の普通預金が存在しており

 「大鹿と申しますが、アンケート用紙を配布しているんですが…」
 「うちじゃー、ないよー」
 「お暇な時に記入して返信してください」
 「 … … 」
 
 1月よりアンケート用紙を配布中ですが、説明しても理解不能の人も存在すると、「議員は犬や電柱にも頭を下げて廻る」の一言を思い出し、認知症としか思えない人に理解もされないのに説明している自分の足が停まってしまいます。
 
 日中の仕事の合間に歩いて配布してきましたが、歩いては配布できない場所が残るため、4月に入ってからは朝の新聞配達と同じように、午前3時に起床して単車で配布を始め、日中に歩いて、やっと3千戸(1万5千戸分の印刷)ほどの残りとなりました。
 
 「いつもご苦労さん」
 「いえ、最近はサボりぎみで…」
 「毎回見ているよ」
 「どうも、ありがとうございます」
 
 地域を歩いていくと、私が昭和52年に起業してからの知り合いも多く、能力以上に高い評価をいただくと気恥ずかしいものの、議員を15年も続けておりながら、転入してきたばかりと思われる人から、真剣に考えもせず返信されてきたアンケートの酷い一言に、我々は誰のために頑張るのかと自問自答をさせられます。
 
 さて、私の父親は平成5年に他界しておりますが、我家から父親の名前が消えてしまうのは寂しいため、固定電話の名義だけ父親のままにして残したことから、毎月父親の名前で郵便局経由で請求書が届けられてきます。
 
 20年前から存在しない父親について、郵便局の配達の人々は存在する郵送先として配達しており、毎月父親への手紙(請求書)を当り前にして受け取っていますが、本日は農林中央金庫から父親宛に手紙が届けられました。
 
 中身を見ると、どうやら私達の知らない普通預金が存在し、長い間金銭の出し入れがないことから、「ご失念されないようお知らせいたします」と記され、今後もこれまで同様に自動継続にて取り扱うとの連絡でした。
 
 「おい、親父の貯金があるらしいぞッ」
 「まさか、ある訳ないだろう…」
 「それが、あったんだわ。ところで通帳は何処に?」
 「何も無ーい」
 
 死んだ直後に農協から生命保険が支払われており、通帳についても精算は済んでいるはずですが、まさかの連絡に通帳は存在しておらず、手紙を見せても誰も本当の話と信じません。
 
 「ところで、いくらあるの?」
 「それが、びっくりとするなよ…」
 「それで…」
 「3千万円 !!
 「えっ、まさかァ」
 
 そうです。そんに美味しい話はありません。残金は3万303円でした。「みんなで何か食べに行けば一食分かぁー」の家内の一言は許しがたく、父親の残したお金ですから、そのまま残していくと宣言しました。
 
 仕事から帰った三男に、「3億円」として同じ話をしたところ、「みんなで何か食べに行こう」の家内の一言に、「絶対に使っちゃダメだ!! 」と、三男からホッとさせられるような一言があり、このお金を残すことで父親の存在が後々まで続きそうな気持ちにさせられました。
 
                                     4月9日の一言

後ろ髪引かれて、初めての理髪店へ

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 数日前の新聞折込に入っていた理容店の広告です。私が中学生になった頃に、隣村に理髪店が開業し、中学生の頃から現在まで、私は一度も他所の理髪店に行ったこともなく、病院に長期入院中の時には時間外でお願いしてきた理髪店ではありますが、一ヶ月前にはシャッターが半分閉まっていました。
 
 訪れたところ、ご主人が階段から落ちて動けないとの話で、他所には行ったことがないことから、奥さんで良いからと散髪をお願いしたものの、さすがに一ヶ月も経つとゲジゲジになり、未だにシャッターが半分閉まっていることから、さすがに今回も奥さんの散髪では限界と思われ、この広告のお店を訪れました。
 
 50年近く通ったお店を素通りするのは心苦しいものの、本日火曜日は理髪店がお休みのため、少しは心安らかに通り過ぎましたが、広告のお店に入ると多くの店員さんがおり、待たされることなく散髪が始まり、散髪が終わると別の店員さんが顔を剃り、終わると次の店員さんが待つシャンプーを経て整髪が終わりです。
 
 早い、早い。こんなに早く終わってしまうものか… しかも、年中無休です。
 
 そして、びっくりするくらい安い。
 
 大人はカット1500円で、今回はシャンプー300円がサービス券により無料ですが、60歳以上の人は200円割引きとあり、本日は消費税104円とともに1千404円の料金ですから、平生の半額で済んでしまいます。
 
 待たされることなく、早くて料金も半額となると、50年近く通った縁と比較しても、考えさせられてしまい、本日の店内には若いお客さんよりも、私よりも高齢で頭髪そのものが無いような人々で満席状態となっていました。
 
 私のように白髪となっているものの、頭髪がある者は別としても、頭髪の薄い人々にとっては待たされて高額はたまらないと思われ、高齢者は200円引きとは考えたもので、今まで外から見ているだけで判らなかったものの、多くのスタッフと多くのお客さんの姿にびっくりとさせられました。
 
 もっとも、昔ながらの理髪店は世間話にも花が咲き、私の同級生の近況も理髪店で知らされることもあり、なんといっても中学生の頃からの私を知る理髪店だけに、ご主人が早く健康を回復されて復活して欲しいものです。
 
 さて、いきつけの喫茶店が閉店して、イチゲンさんとして知らないお店に入る寂しい記憶がありますが、理髪店のご主人が高齢になって引退される現実も他人事ではなくなってきました。
 
 ご主人の完全復活はなるか… それよりも、ここに通う同級生たちの頭髪はどうしているのか…
 
                                   4月8日の一言

かつての仕事仲間の訃報が届いて…

 「大鹿君、あんたに電話するべきか迷ったんだけど…」
 「何でした?」
 「あんまり良い話じゃないけど、○○君が亡くなったんだわァ…」
 「えっ、」
 「どうも、すい臓がんらしい」
 「そうですか…」
 
 15年前、私が議員に立候補するため廃業した朝日新聞の先輩店主からの電話ですが、長年一緒に働いた店主仲間の訃報で、亡くなった先輩店主には私の結婚式にも出席してもらい、父親の葬儀にも参列してもらった恩のある人でした。
 
 地域でリーダーシップを発揮していた店主ですが、私とは仕事に対する考え方が違い、大先輩の年長店主にかわいがられて、昔からの伝統を第一に考える私とは正反対で、仕事の目的のためには先輩にも苦言を呈する熱血漢の店主でした。
 
 私よりは5年年長にあたり、大学時代に起業した私の兄貴分として、自分の考えを指導するつもりだったと思いますが、戦前から続く老舗販売店の店主と相容れないことと、私はそういった老舗店主に期待されていたため、お互いの距離を縮められないまま私は廃業してしまいましたが…
 
 それでも、個々の仕事は別々でも、高校野球の球場設営や、大学駅伝の中継所などの設営は一緒に行い、同じ販売目標に向かって23年間も一緒に活動した先輩店主の訃報は、私自身には大きなショックとなり、思いのほか気力を奪われました。
 
 「実は、本社の〇〇さんも今年になってから亡くなっていた」
 「えっ、〇〇さんも…」
 
 現役大学生として販売店を起業したことから、私は新聞社の人々にも可愛がっていただいた人が多くありましたが、15年前に突然廃業したままとなっており、私をスカウトした恩人も退職されており、私に複数の販売店を任せた恩人も大阪本社に戻ってから退職されています。
 
 現在の議員としての生活よりも永く働いた仕事の関係者と、無縁のままに廃業してそのままとなっていましたが、新たな出会いは無いものの訃報の連絡ばかり入るため、悲しい話題ばかりとなります。
 
 こんな時に、生々しい政治の話をされても、人の情と感情が入っていない事から、昔からの仲間との会話は懐かしく、悲しい連絡ではあるものの、明日は悲しい別れと同時に、当時の懐かしい仲間との再会にしたいと思います。
 
                                    3月22日の一言

我家の牛乳史(笑)から…

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 我家に残っている牛乳箱ですが、前列の左が昔から配達されていた「昭和牛乳」で、右側が「名古屋牛乳」、上が現在配達されている「森永牛乳」の牛乳箱となります。実際には昭和牛乳と名古屋牛乳の間に「海部牛乳」が配達されていましたが、牛乳箱がありません。
 
 我家に昭和牛乳が配達されていた歴史は長く、昭和55年頃に配達されていた人が高齢により辞められており、昭和60年よりは海部牛乳の販売店から配達が始まり、海部牛乳の製造中止により、名古屋牛乳が配達されるようになり、先月途中から森永牛乳に替わりました。我家と言うよりも、私の還暦に至る牛乳史です(笑)
 
安倍首相の地元・山口で反原発集会 県内過去最大の規模
記事の続き…
 上関原発は2009年に始まった準備工事が大震災を受けて中断。中国電力が申請した予定地海域の埋め立て免許の延長について、2月下旬に就任したばかりの村岡嗣政知事は可否の判断を迫られる。集会では、上関原発の白紙撤回に加え、村岡知事に延長申請の不許可を求める集会宣言を採択した。
 
 東日本大震災から3年を迎えますが、中国電力上関原発の建設計画に反対する大規模集会が8日山口県内で行なわれ、現存する原発の再稼動でも大反対となっている中での新規建設に、原子爆弾の被害を受けた広島県に近いだけに、安倍首相から地元山口県の生活感と郷土愛は何も感じられません。
 
 福島県の惨状を見るかぎり、生活する自宅の生活圏内に原発を建設して欲しい国民は誰もなく、安倍首相が本当に安全でコントロールされていると確信するのであれば、自宅か首相官邸の隣に建設すれぱ良く、それができなければ再稼動も見直すのが当然ではありませんか。
 
 中国や韓国とは危機的状況に陥り、ウクライナ問題で対立するロシアとアメリカとも強力なパイプが無い現状は、四面楚歌の外交が改善されるとは思えず、せめて日本国民には信頼される大衆政治家であって欲しいものです。
 
ドイツ大統領、ギリシャで謝罪 大戦中の民間人虐殺
記事の続き…
 欧州の政府債務(借金)危機の結果、ギリシャでは厳しい緊縮策をドイツが主導しているとして、ドイツへの反発が強まり、第2次大戦中の被害に対する補償を求める声も改めて出ている。
 旧東独の人権活動家だったガウク氏は2012年に大統領に就任した後、フランスやイタリアなどでもドイツが犯した戦争犯罪の現場を訪れ、許しと和解を求める行動を続けている。
 
 第2次世界大戦の戦争責任を問われているのは日本だけでなく、ドイツでも同じような批判をあびており、ドイツのガウク大統領は7日、第2次世界大戦中にドイツ軍が多くの民間人を虐殺したギリシャ北西部のリンギアデスを訪問し、慰霊碑に花輪を捧げた後、「恥と心の痛みを感じながら私はドイツの名において殺された人たちの家族に許しを請う。恐ろしい犯罪の犠牲者たちに頭を下げる」と述べたと報道されています。
 
 国と国との関係と、人と人との関係を比べるのは的外れですが、加害者が被害者に過大に批判されたとしても、反論したところで事の解決には至らず、ましてや一度認めた事実を、全く無罪にすることは容易ではなく、ドイツのガウク大統領に学ぶことも多いのではないでしょうか。
 日本の周辺は敵だらけで、信頼すべきアメリカとも協力なパートナーシップを築けず、国民の圧倒的支持があると勘違いした独善的な政治姿勢は、外交での武力衝突や、原発事故再来の危険など国民に大きなストレスが存在することを理解していないと思われ、ドイツとの大きな格差を実感する読者となりました。
 
                                 3月8日の一言

行きつけの理髪店が会員制になっており

 本日夕方に行きつけの理髪店に出向くと、シャッターが半分閉まっていた事から、爆弾低気圧による寒風が吹いて客足が少ないため早めに閉店するのかと思い、扉を開けるとご主人がパジャマ姿で座り、お店の照明が半分切られていました。
 
 「もう終わりですか?」
 「今日はできないんだわァ」
 「どうしたんですか?」
 「階段から落ちて動けないんだわァ」
 
 中学校の頃から通う理髪店で、一度も他所の理髪店に行った経験もないため、「できない」と言われてもどうして良いか判らず、「奥さんでも良いから」と、ご主人の仕事を手伝っておられる奥さんに依頼しました。
 
 「うちのヤツで良いかね?」と問われたものの、数年前に病に襲われるまでは奥さんも現役だったためお願いしましたが、同じように奥さんに依頼する人もあるらしく、この理髪店しか利用したことのないお客さんにとっては、知らないお店に行くよりもマシと思うのは私も同じでした。
 
イメージ 1 「どうやって落ちたのか判らない」
 「それで病院には行ったの?」
 「骨には異常がなさそうだから行ってない」
 「大丈夫なんですか?」
 「日にち薬だわァ」
 
 それにしても、4日前に階段から落ちて、当分動けそうもなく、いつから仕事に復帰できるか判らないのに病院に行かないのはいかがなものか…
 
 「うちの人は頑固だから」
 「行った方が良いと思いますよ」
 「酒飲みだからこんな事になるんだわ」
 「えっ」
 
 ご主人が酒好きとは判っていましたが、理髪店のお休みの日は昼間から酒が入るらしく、過去にも酒を飲んでケガをしたことが何度もあるとの話ですが、奥さんに代役を頼んでいるためご主人は文句も言えません。
 私は車を運転する事から、日中から酒を飲む習慣はありませんが、この理髪店のご主人は車を運転しないため、いつ酒を口にしても困らない事が、ケガや体調管理に悪影響をもたらしているようです。
 
 「年だから、いつまで出来るかと話している」の一言は寂しいものの、お店を休むと閉店したと勘違いされるため半分シャッターを下ろしており、年中無休だと酒好きの御主人の節制にもなることから、やる気満々で回復を祈りながら、「会員制に付き、ご案内申し上げます」のビラは、常連客のための開店しているため、新規のお客さんに来られても困るために貼られているそうですが…
 
 還暦を迎えた私の同級生も、当然のように定年退職となっており、仕事を続けているもののいつかは仕事から引退する時が訪れ、議員の私でも当然引退の時期は訪れるものの、仕事を辞めてまもなく他界する人も多いため、仕事や生活の目標をリセットし直していつまでも現役でありたいものです。
 
                                   2月15日の一言

落し物と失い物に悩む一日に

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 本日は午前中より同志と地域へアンケート用紙を配布していましたが、年末の大雪情報とは裏腹に暖かい日中となり、衣類を一枚脱いだところ、自分には縁起物としている「三鈷杵(さんこしょ)」の輪袈裟(わげさ)止めがありません。
 
 普段はネクタイピンとして使用しており、四国で買い求めている物ですが、過去にも何度も落としているため予備(上の写真)用にも買いもとめてはあるものの、本日落とした物は一番長持ちしていただけに残念でなりません。
 
 「輪袈裟止めを落とした」
 「それ、何です?」
 「ネクタイピン」
 「高価な物ですか?」
 「金でできている」
 「えっ、金ですか?」
 「メッキだけどね…」
 
※輪袈裟…袈裟の一種で、首にかける袈裟。遍路では念珠とともに重要な持ち物で、平服に着用する法衣です。
 
 「三鈷杵」は、空海(弘法大師)が唐(中国)から帰国した際に持ち帰った「五鈷杵」と同じような密教の法具で、護身の武器の象徴となっており、私もネクタイはほとんど使用していませんが、この輪袈裟止めは胸のポケットにさして持ち歩いています。
 
 一時間程度しか歩いておらず、もう一度逆に歩いて探したい気持ちを振り切って帰宅したところへ、四国を歩いて結願した近所の人が訪れ談笑していると、毎年年末に議員手帳を受け取りにくる知人の訪問です。
 
 もっとも、議員手帳は一冊しかなく、議員手帳を使わない同じ会派のU議員の貰い物を毎年差し上げており、U議員を訪ねて市役所に走り、本人に直接手渡してもらいました。  議員手帳は幅が広く、胸ポケットに入りにくいため不都合ではありますが、知人は国家公務員で、議員手帳には全国全ての市役所の連絡先が記され、東京都の地下鉄路線図や全国地図があることから、職務上でも役立っている様子です。(手帳を悪用する身分ではないので念のため)
 
 さて、議員手帳を手渡し帰宅したところ、今度は肝心の自分の議員手帳が見当たらず、家中を探したものの見当たらないため、市役所へ忘れた可能性があり、U議員に確認してもらおうと連絡すると既に退出しており、議会事務局に置き忘れたと思われる場所を確認してもらうこととなりました。
 
 これも最近の癖になっている、物の置き忘れで、置いた場所を忘れて数倍の時間をかけて探すパターンで、U議員や議会事務局に散々迷惑をかけた直後に、手帳はありえない場所から見つかりました。
 何かをしようとすると肝心な物が見当たらず、外出するための衣類が行方不明になって探し、とんでもない場所に物が置かれていたり…
 
 「自転車で探してきたら」との知人の助言で、寒風の舞う地域へ「輪袈裟止め」を探しに走ったものの、他人の庭まで眺めても見つからず、物言わず落とされたままの輪袈裟止めを考えていると、「代わりがあるなら良いじゃん」の家内の一言に、「そんなものか」と心を静めてみましたが…
 
                                 12月27日の一言

本日、近所にコンビニがオープンして

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我家の向えに本日オープンしたサークルK
 
 本日は我家の前の県道をはさんで向かい側にコンビニエンスストアーが開店し、月末まではオープンセールで粗品や割引きがあるため、日頃コンビニを利用しない高齢者も溢れましたが、我家も80を過ぎた母親が家命によって1パック98円の玉子を購入し、風船をもらって喜んで帰ってきました。
 
 いつもの日課となっている年寄りのモーニング(珈琲)仲間と、「明日も行くことになった」と語っておりましたが、若者のお店と思っていたコンビニが、高齢者にも気軽に利用される時代になったことも実感させられました。
 
イメージ 2 町内には500メートル先にも同じコンビニがあり、30メートル先に銀行、50メートル先にガソリンスタンドと理髪店があり、300メートル先に薬のドラッグストアー、その近くに宅配便のクロネコヤマトや自転車屋さんもありますから、日々の生活には困りません。
 
 一方で、100メートル先に珈琲のコメダ、300メートル先に珈琲ランプがあり、向えが焼肉店で、50メートル先には私の好物である「みたらし団子」屋さんもあり、何よりも自宅前に名鉄バスの停留所があり、バスを利用すれば地元だけでなく、雨の日であっても名古屋駅や栄の繁華街までカサ無しで外出できます。
 
 ちなみに、右に添付した写真の正面は我家の貸店舗の塾で、その前にある自販機が次男の設置したもので、自宅でコーヒーが買えるようになったと冗談で言っておりましたが、コンビニの出現がどのように影響するのか判りません。
 
 もっとも、自販機設置については、どうせ買ってきて飲むのだから、自分の自販機で買った方が得だと語っていた次男が、我家から近いもののアパートを借りて出て行って購入していませんから先のことは判りません。
 
 さて、このあたりでは昔から面白い人が多く、例えば交通事故が発生すると間違いなく3人の見物人が必ず駆けつけたものですが、そのうちの一人は若くして亡くなられ、そのうちの一人は議員になったことから、「みっともない」と家族に言われて出ていきませんから…
 
 本日開店したコンビニは、元々は大型パチンコ店の閉店で空地になっていた場所で、町内の多くの店の閉店が続いた中で、久々の新規開店のため、地域に明るいイメージを与えるだけでなく、地元の伝説が残っていたことも判明しました。
 
 愛知県の私の住む地域では、開店の記念に並ぶお祝いの花を、開店直後に抜き取ってもらっていく習慣が残っており、今回の開店の際にも、我家のごく近所の伝説のお年寄りが一番乗りを果たして、花を持ち帰ったとの話が聞こえてきました。
 
 色々な意見もあるでしょうが、交通事故があっても誰も近寄らず、知らぬ顔を装っていたり、人の中傷によって開店の花をもらいに行かなくなったら寂しい話ですね。
 
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 最近の一言には、自身の健康診査のチェックが影響して、聞く人にも辛い思いを発信しているかもしれませんが、本日は左に添付したパンを焼いて走ってきてくださった人があり、健康診査のアドバイスもいただきました。
 
 誰もが検査によって健康を確認するだけでなく、万が一に備える早期発見も目的ですが、結果の善し悪しに注目するだけで、隠れた異常まで発見して、自身の身体を改善していく意識が希薄だったことの反省です。
 
 「○○科のクリニックにも行って検査したら」との一言に、もっともな意見とは思いますが、土曜日の検査で何とか合格後でないと、受診する気力も湧いてこず、しばらくは過去の不摂生の反省と、診断の朗報を聞くまでは「ウジウジ」と時間が経過していきますね…
                                 10月24日の一言

突然の親族の訃報に…

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 ここが何か判りますか?
 
 本日は市役所の出納監査のため、いつもどおりに準備していると、「実は、名古屋の叔父さんが…」と、病気見舞いを通り越しての訃報です。
 
 本日の予定を市役所で確認すると、午後4時までは出納監査が続くため、急遽家内に会社を早退させて、母親と共に名古屋市の名東区にある叔父の家に行くように指示したものの…
 
 叔父は元々は津島市に近い中村区稲葉地町に住んでいたものの、平成のはじめに名東区に転居しており、私が乗せて行ったことはあるものの、家内が一人で運転して行ったことはありませんから、文明の機器であるカーナビ頼りでやっとの思いで辿り着いたとの話です。
 
 さて、亡くなった叔父は、私の叔母(父の妹)の夫で、叔母は平成9年に亡くなっており、我家にとっては横井庄一さん、新家の当主とともに、毎月のように葬儀が連続し、来月にも17回忌の法要が行なわれると思っていた矢先の訃報でした。
 
 叔父は横井庄一さんとの血縁はありませんが、横井さんの母親と特に縁のあった叔母の関係から横井さんを語れる存在だっただけに、横井さんの幼少期を知る人は、病院に入っている叔父(父の弟)だけとなり、横井さんの幼少時を知る血縁者も(本人や親達から聞いている)私だけになるのも時間の問題となってきました。
 
 添付したのは千種区にある葬儀場で、受付で応対してくれた故人の次男(私より5才若い従兄弟)と談笑している時は良かったのですが、控え室前で喪主を務める長男(私と1才違いの従兄弟)の顔を見ると、幼少時の思い出や、叔母や叔父、私の父親の健在だった頃の記憶が走馬灯のようによみがえり、お互いに涙を堪えるのに必死となりました。
 
 突然の訃報は、故人や家族の生活を一変させ、本日夜に開催された我家の書道会も、宿主不在で開催され、すべての約束事をリセットさせます。
 
 本日夜のテレビニュースから、東京三鷹市の18才女子高生が殺傷される事件が発信されてきました。本日の朝にストーカー被害として21才の男を母親と共に警察に訴えていたとの報道があり、無責任な警察の危機感の無さと同時に、犯人は勿論のこと、犯人を放任していた家族にも怒りが隠せません。
 
 踏み切りで人を救助して自らの命を落とした女性の存在を考えると、他人の命を身勝手に奪う凶悪犯や、死体を切り刻んで隠匿する殺人犯には、極刑をもって人が人の命を奪う事件が二度と再発しない社会を目指したいものです。
 
                                     10月8日の一言 

新家の法要が行なわれて

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 本日は我家の新家の法要があり、初代となる祖母の50回忌と、2代目当主の17回忌があわせて行なわれ、法要後は料理屋のマイクロバスによって場所を移動し、愛西市(旧佐織町)の大富で豪華な食事となりました。
 
 この料理屋は久しぶりに入りましたが、20年ほど前にはPTAや女性グループの会食にもよく利用される豪華で新鮮なお店だったものの、最近は主要道に大型駐車場のある海鮮料理が多数出現していることから、法要を主体としたお店になっているようで、ネット情報にも辛辣なコメントが残されていました。
 
日本料理 寿司 大富のクチコミ
 
 人気を維持するのは難しく、安定した経営を続けるのも大変とは思いますが、施主に招かれて提供される法要の食事ゆえに、お客さんは料金の心配はないものの、料理内容やサービスを考えると、自分の財布から料金を支払って人を連れてくる気にはなれません。
 
 新鮮な刺身などは良いと思いますが、全く香りがしない「マツタケ」の土瓶蒸しや、料理の品々の味付けが今一つで、ビールを飲んで談笑しているから何も言いませんが、日頃は口にしない銘柄のビールが次々と出されてきます。
 
 さて、今から16年前の平成9年には、この新家の当主の1ヵ月前となる9月に横井庄一さんが亡くなっており、約1ヵ月後に叔母が亡くなったことから、3ヶ月連続で葬儀が続いた忘れることのできない年となりました。
 
 一方で、我家も共有する問題ですが、法要を行なう浄土宗のお寺は生業として成り立っていますが、座敷の正面に鎮座している「御嶽(おんたけ)様」については、奉りをとりおこなう先達が存在しない状態となっており、御嶽山の霊神場に立つ石碑の場所すら知らない孫が存在する話を聞き、真剣な対応が必要に思いました。
 
 先祖供養についてはお寺が仕事として月参りに来ていただけますが、先祖が信心した御嶽教や、弘法様については、母方の祖父が御嶽山に石塔を残し、父方の祖父が弘法堂で他人の加持祈祷までしていたのに存亡の危機に至っています。
 
 私が信心する真言宗の大師信仰についても、先祖供養となる浄土宗ではなく、私が出向く寺院も真言宗のお寺ばかりとなっており、母親の在所や新家、我家でも共通となる御嶽教の衰退を眺めながら、信心と先祖供養との乖離を真剣に考える一日ともなりました。
 
                                    10月5日の一言

休養日ですが、休養とはならず…

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 ♪♪♪佐藤由美ピアノコンサート♪♪♪

日時:2013年9月29日(日)13:30開場 / 14:00開演
場所:名曲喫茶カデンツァ
(東京都文京区本郷7-2-2 本郷ビル地下1階 / 03-5844-6807)

 
佐藤由美 ピアノ関連記事 
 
佐藤由美ピアノコンサート 名古屋
 名古屋市民芸術祭2013参加公演
      「その時に感じる音楽を大切に」
  13/11/19(火)  電気文化会館 ザ コンサートホール (名古屋市中区栄2-2-5)
 
佐藤由美ピアノコンサート 京都
   日時:2013年11月26日(火)18:30開場 / 19:00開演
   場所:京都府立府民ホール アルティ(京都市上京区烏丸通一条下ル龍前町590-1)
 
上記に関するお問合せは
yuminosuke97@hotmail.co.jp
まで よろしくお願いいたします

 3連休の最終日になりましたが、家内は仕事に出かけ、家族もそれぞれに外出していることから、昨日の疲れをとるため横になっていると朝から来客があり、来客が帰られた後にやることがなくパソコンの前に座るとそのまま転寝をしていました。
 
 「本日の都合はどうですか?」
 「午後も来客の約束があるので…」
 
 午後から知人が訪れる約束があるものの、時間の約束がしていないため、人との新たな約束ができずに時間のみ経過を続け、このままでは健康に良くないと自転車ででかけると、「今何所にいます」と連絡をもらっても戻ることができません。
 
 結局は外出先の珈琲屋さんで話を終えたものの、我家に帰らないと資料が渡せないために、自動車と競争して慌てて帰宅しましたが、昨日の疲れからか身体が夢遊病者のようでシャキッとしません。
 
 「11月〇〇日の予定はどうですか?」
 「何所に行くんですか?」
 「善光寺に行きたいんだけど」
 「〇〇日か〇〇日なら良いですよ」
 
 有難い話で、私の好きなお遍路へ仕事での依頼ですが、一緒に同行するだけでなく運転手としての謝礼もいただける話です。
 もっとも、運転手だけの依頼はストレスを溜めますから、お遍路へ運転手としの仕事はお引き受けしないこととしており、自分も一緒に参拝できる環境でなければ、「専門のタクシーにお願いして下さい」と、私は断ることとしています。
 
 今回の善光寺行きは、6月に高野山へ同行した先達さんからの依頼で、全く一緒の参拝と行動ですから、自分の知らない知識や世界を体験できます。
 
 さて、今週末には、昨年に四国八十八ヶ所を巡拝し、今年に入って西国、坂東、秩父の百観音を結願した人々と、善光寺と北向観音に御礼参りを行い、10月1日から3日間で知多八十八ヶ所の巡拝に同行することが決まっています。
 
 自分のシルバーライフとするお遍路が、運転手として必要にされ、必要とされることから経験となり、出歩くことからストレスを発散できることに感謝する一日ともなりました。
 
                                      9月23日の一言 

お墓も子孫について引っ越す時代になり

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 本日は津島市議会の議会報告会が3会場で開催され、私は午前10時から開催された図書館と、午後2時から開催された生涯学習センター(元愛知県勤労福祉会館)の報告会に参加しました。議会報告会は児童科学館でも開催され、明日の午後2時からは文化会館でも開催されますので、機会のある方は参加して下さい。
 
 さて、不安定な天候から晴天の日々が続き、私の住む地域は災害とは無縁のまま、夏本番となってきましたが、雨が続いた後の猛暑に誕生を待ち続けたセミが一斉に孵化し、軒下の蛍光灯に集まって深夜まで鳴き続けています。
 
 添付したアブラゼミも、我家の庭で誕生したセミですが、私の子供時代にはクモの巣を使って捕獲するのに苦労したものの、最近は大量に誕生してくることから、素手で簡単に捕まり、夜には窓の外や蛍光灯の前にいれば勝手に身体にとまってきます。
 
 セミが増えた原因は、議員になった直後に、敷地内に建っていた倉庫を貸店舗に建て替え、周りに植えてあった樹木を集めて植えかえたためと考えられ、年々セミが増えて現在に至っていることから、7年後も今年以上のセミが誕生してくると思うと、セミが人間以上に逞しく思われます。
 
 本日の朝日新聞には、都市部で墓地が不足していると記され、その原因として都市部に出て行った後継者によって、先祖や親の墓地を墓参りしやすい都市部へ改葬していることも理由に挙げられています。
 
 我家のセミでさえ、親の死んだ土地から7年後に誕生し、その後も同じように同じ土地で輪廻を繰り返すことから、死後に安らかに眠っているお墓まで改葬され、どこに眠るか判らない人間社会の現状に寂しさを隠せません。
 
都市部で墓地不足 高齢化で多死社会・地方から改葬…
記事の続き…
 厚生労働省によると、全国の埋葬数は11年度が約130万件で、10年前より25%増えた。特に都市圏の伸びが著しく、首都圏1都3県では10年前より34%増えて30万件を超えた。
 全日本墓園協会によると、都市部では、高度経済成長期に地方から移り住んだ人が寿命を迎えつつある「多死社会」に突入し、墓地の需要が高まっている。
 民間の霊園開発は活発だが、土地不足のため数千個の骨つぼを安置する納骨堂や数百区画の小規模な霊園が目立ち、1区画の規模も縮小している。少子化で遺族の負担が増し、墓地にかける費用が下がっていることや、お墓観の変化も影響しているという。
 同協会の横田睦・主任研究員は「都市部では新たな供給が限られ、自宅近くで墓地を入手できない人が大勢いる。20~30年は逼迫(ひっぱく)した状況が続く」と話す。
■地方からの「改葬」が拍車 遺族高齢化、墓参難しく
 高齢化で墓参が難しくなった遺族が地方から都市部に墓を移す「改葬」も、墓地不足に拍車をかける。
 東京都町田市の高木知津子さん(77)は今秋、和歌山市の墓を自宅から車で5分の民間霊園に移す。10年前に亡くなった夫と義父母らが眠る。体力的に墓参がきつくなり、数年かけて実現した。「これから面倒をみてくれる子や孫のことも考えた」と話す。
 首都圏や関西圏が中心の葬祭サービス大手「メモリアルアートの大野屋」(東京)では、販売する墓石の3割を改葬が占める。自宅から1時間以内を希望する人が8割という。「都会に定着した団塊世代が故郷のお墓を移す動きは今後も続く」(担当者)とみる。
 約7万区画がある国内最大級の「富士霊園」(静岡県小山町)は1965年に墓地不足を見込んで開園。当時は東京都や神奈川県の人たちによく売れた。ところが、最近は年に数百件が改葬などで転出している。
 利用者をつなぎとめようと、同社は毎週金~日曜に新宿駅から直行する片道2時間の「墓参バス」を運行。墓参が難しい人向けの「ネット墓参」も始めた。それぞれの墓をネット上にアップし、「参拝」してもらっている。
 首都圏などで霊園開発を手がける「ニチリョク」(東京)の寺村久義社長は「都心から2時間以上離れた場所の需要は減り、都市部と地方の二極化が進む」と話している。
 
 津島市の市営墓地についても、自分達の死後の安住の地として墓地を確保したものの、後継者が市外に転出して帰ってこないため、墓を立てる前に返上する高齢者も存在し、自身は何所のお墓に眠るのか判らないと語られる現実に立ち会ったことがあります。
 
 我家も旦那寺の境内の、寺族のお墓のとなりに先祖のお墓がたっていますが、先祖代々住んでいる我家の敷地へ、県道が通ったことで固定資産税が高くなり、アパートに住んでいるよりも割高になっていることから、子供たちがこのまま維持していけるか心配となり、市外へ転出する可能性も考えると他人事ではありません。
 
 本日の新聞訃報欄にも、私と同世代の訃報が掲載されており、そろそろ自分以後の道筋も考える必要を感ずるとともに、墓所くらいは立てられた場所に永遠で存在して欲しいと思う夜になりました。
 
                                     8月3日の一言

横井庄一さんと母親が新聞一面に

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 本日の中日新聞一面に、「横井庄一さんの戦死公報信じず」と題した記事が掲載され、戦死公報を受け取った横井さんの母親つるが、「まだ生きとる」と死んだことを否定し続ける一方で、お寺に立派なお墓を建てたり、我家の隣のお寺に永代供養を依頼していたことから、息子が死んだとは認めたくないものの、周りで多くの戦死者が出ている現実から、死んだと思うしかない複雑な心境が記されています。
 
 横井庄一さんは生後なもなく母親の離婚によって、母親の実家である我家に連れてこられ、当時は出戻りでは田舎にはおり辛く、母親は奉公先に住み込んで働いたため、母親の姉(私の曽祖母)と娘2人(私の祖母たち)の3人と、我家の大鹿庄一として小学校5年生まで生活しました。
 
 母親の再婚によって横井家に入ったものの、義父以外の親族には辛くあたられ、やっと洋服屋として独立したものの、戦争によって満州からグアム島に転戦し、昭和47年まで帰国できず、帰国したときに母親は他界していました。
 
 新聞記事にも記されていましたが、息子が戦死して横井家の後継者が無くなり、頼りとした夫も亡くなった中で、親族からいじめられ、追い出そうとしたり資産を狙う親族の横槍に、「息子は生きている」という一言が封印し、生きていると信ずることが生きて行く活力になったと私は推察しています。
 
 グアム島のジャングルで28年間も自給自足生活をしたことで、横井さんを逞しい野蛮人のように思われる人も存在しますが、現実には寡黙でしんの強い女性のようなタイプで、それとは逆に母親は大柄で声の大きい男勝りの性格でした。
 
 そんなことから、息子を連れて横井家に入りこみ、戦争で戦死した公報が届いた中で、夫も亡くなった当時の話では、親族に厳しい罵声や嫌味を言われ続け、頼りは所持するお金だけとなり、そのお金で私の叔母(故人)を養子に迎えようと騒動も起していました。
 
 「庄一は行きとる」の一言は、誰もあてにできない母親の生きていく活力になり、子供の頃から出戻りの子供として学校や横井家でイジメられ、耐えることに慣れていたことも横井庄一さんがグアム島から生還する力になったと思いますが、「母親が待っている」との一念も生きる活力になりました。
 
 学校や親族にイジメられと記しましたが、私の住む大鹿家では横井さんの従兄弟となる私の祖母たちが可愛がって生活しており、私の父親たちにとって横井さんは頼もしい兄貴分のような存在でした。
                        (下記は横井さんによる幼少時の記録です)
 の当時、私の母の里は、母の両親はすでに亡く、母の姉で私には伯母にあたる人が、もう主人もなく、あきゑ、キヌ、という二人の娘と、女ばかり三人で暮しておりました。
 現代では、離婚をしても何もいわれませんが、その頃 (大正の初め) は、「出戻り」などと、人に後ろ指をさされて女性は大層肩身の狭い思いをしたものです。
 それで母も実家には居辛くて、ひとり、街へ、女中奉公にでてしまいました。後に残された私は、私のいとこになる、あきゑ、キヌ姉妹が可愛がって育ててくれましたが・・。
 私は、小さい時から、親も、兄弟もなく、自分の家とてもないひとりぼっちの寂しい境遇で、よく友だちからも「親なし子」と馬鹿にされ、いじめられました。
 自然私は、消極的な、おとなしい、無口な子供になり、みんなから私の名前、大鹿庄一をもじって、「オシか、ツンボか、庄一か」とはやされるほどでした。
 子供心に人知れずどれほど口惜しく思ったことか、そして人並みに、親と一緒に暮せる生活を幾度夢みたことかしれません。
 
 
 私が十二の時に、母が再婚しました。母の再婚先には子供がなかったので私も一緒につれられて行きました。
 「ああ、やっと母と一緒に暮せる、自分の家もできる」 と、喜んだのも束の間、やはりそこも、私にとって安住の場所ではありませんでした。新しい義父は、とてもよい人で、ひとから「仏の重三さん」といわれるほどでしたが人が好すぎるために押しがきかず、まわりの人たちに、母も、連れ子の私も、ずいぶんひどく扱われました。ことごとに苦労する母を見るにつけ、「こんなに口惜しく、辛い思いをするぐらいなら、母はなぜ、再婚なんかしたんだろう。もうあとわずか二、三年の辛抱で、自分が学校を卒業したら一生懸命働いて親子みずいらずでも幸せに暮せたものを」と心の中で、何度思ったことかわかりません。
                                    横井庄一手記「明日への道」から
 
 私にとっては、高校生になって突然出現した親族ですが、私の学生時代に家内と出来ちゃった結婚については、横井さんが私の両親を説得しただけでなく、家内の在所に出向いて両親に謝罪してくれ、夫人とともに結婚式の仲人も務めてもらいました。
 
 今回の中日新聞の記事についても、横井さんの幼少時の苦しかった生活や、我家の苦難の時代については、夫人や第三者にも語っておらず、当時を知っている親族が亡くなってしまったことから、横井さんから幼少時の話を聞いているのが私一人になっていたことから、母親と2人の写真が新聞の一面を飾ったことで肩の荷がおりたように思います。私の名前と、隣の住職も、新聞の一面に名前が載ることも、これが最初で最後になるでしょう。
 
津島市参院選挙開票 録画1/2 ユーチューブの映像
 
選管は透明化して、公明正大になるように
積極的に協力すべきだ。
 
隠し立てするのはおかしい。
 
投票箱をどこかですり替えていると思う。
 
 さて、津島市の選挙開票に疑念を示す映像が続いて発信されており、あたかも公明正大でないような記載は問題です。何の意図があるのか判りませんが、証拠も示さないままに何でも発信できるとの勘違いがあれば重大な責任問題です。
 
                                   7月30日の一言 

ホームセンターへ走る一日に

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 添付した写真は、稲沢市のホームセンターまで買いに走ったアンズジャムを入れるビンで、上に見えている小さいビン(10個)と、下の箱には24本の中ビンが入っていますが、近くのホームセンターのビンを我家で買いつくしたことから、稲沢市まで走ったしだいです。
 
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 これからも暫くは、木から落ちてくるアンズを拾い集めて、家内がナベに入れて砂糖を混ぜて煮込むと、左のようなジャムとなり、高熱のままで入れるために無菌で一年経っても食べられると家内は言っておりますが…
 
 私自身は、梅干が大嫌いで、嫌いではなかった桃も好きではなく、梅や桃に似ているアンズも実際には苦手としていましたが、我家で熟成するアンズだけに、もらっていただける人々の手前、好きになる必要に迫られています。
 
 明日の夜には書道会が開かれますが、書道会が終わった直後に車を埼玉県秩父市まで走らせ、水曜日から1泊2日で秩父三十四観音の満願を目標にしており、秩父が終わると四国(八十八ヶ所と別格20)から日本百観音(西国、坂東、秩父)が結願となります。
 
 秩父から木曜日に帰りますが、金曜日と土曜日は市内の先達さんから依頼された高野山への同行があるため、木曜日の夜には一度戻るものの、明日の夜から土曜日までは家を空けることになります。
 
 さて、今晩は11時より、宮城県の仙台に滞在中の〇〇さんより、レイキヒィーリングを受ける約束となっていることから、この一言を暫し中断して、筆(パソコン)を休めた後に再度書き込みたいと考えています。
 
 「念のため刃物、火気の取り扱い、運転は控えて下さいませ。時間になったら横になってゆっくりしていて下さい」とのメールを頂きました。
 
 さて、さて、どうなることでしょうか…
 
 11時から横になって阿息観の呼吸をしていると…
 
 エッ、どうなったの?
 
 ちょっと眠ってしまったかもしれませんが…
 
 眠りとヒィ-リングの効果が相乗したのか、足先と指先(特に右手)の感覚がすっきりしたように思います。送信者と確認が必要ですが、これが効果とすれば、大変なことだと思いますが、私にはよく判りません。
 
                                      6月17日の一言
追伸…本日の行動
自宅 → 市役所 → ホームセンター(ビン) → オイル交換と点検 → 自宅 → ホームセンター(車内の収納箱と袋) → 珈琲屋さん → ドラッグストアー → 自宅 

相棒と、孫を保育園に出迎えに行き

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 孫と相棒の最高のツーショットですが、本日は名古屋市中川区の保育園まで孫を迎えに走り、仕事中の家内と待ち合わせて珈琲タイムにするため、車を稲沢市まで走らせ、日頃は入ったことのないモスバーガーに入りました。
 
 相棒リマが笑った顔は珍しく、添付した写真は最高の笑顔を見せていますが、現実には孫の座っている助手席は相棒の指定席となっていることから、孫が保育園から出てきた直後は大変な事態に陥り、孫は相棒が怖いことから「後ろに行く」と言い続けていました。
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 右に添付した写真は、孫を助手席に乗せた直後の写真ですが、自分の席となる助手席に座った孫に腹をたてて吠え続ける相棒に、耳を押さえて怖がっている孫の姿です。
 
 「連れてこなかったら良かった」と、反省しても遅く、こんな状態では子守にもならず、相棒を後部座席に追いやると、「信じられないぞ、なんで自分が」とでも言っているように、私の顔を覗き込みますから、孫と相棒の狭間で何とかなだめてみましたが…
 
 孫は3才になりますが、相棒の知能も子供と同じで、共に食欲は旺盛のため、私の好物としている「柿のタネ」が長距離運転の眠気防止用に積んであったことから、孫に与えると、孫も「柿のタネ」を好物としているため、孫は菓子に夢中になり、相棒は孫の持つ菓子が欲しいことから、それまで対等で張り合っていたことが嘘のように、孫のおこぼれをせがんでおとなしくなりました。
 
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 そんな馬鹿なと思われるかもしれませんが、一袋の「柿のタネ」が騒々しかった相棒と孫をおとなしくさせ、同じ助手席に仲良く座らせてしまったことと、それまで孫を見下すようにしていた相棒が、一粒の菓子によって孫を大切な家族として、自分のナワバリである私の助手席で一緒に座っている姿を見ると、これまでの上下関係が一変してしまった事にも驚かされました。
 
 こんな孫と相棒の機嫌をとって、相棒と孫を同じ助手席に座らせてドライブする自分が一番バカバカしいのかもしれませんが、自分の子供の世話を家内任せにしていたため、こんな小道具によって一度に環境が好転する発見に驚きです。
 
イメージ 4 こんな展開で、待ち合わせた家内とモスバーガーで別れて自宅に到着する頃には、満腹となった孫だけでなく、3時間前には孫を威嚇していた相棒までが一緒になって眠ってしまう姿に、本当に子供が二人いるように思えて笑いが堪えられませんね。
 
 実際には、リアルタイムのように携帯のシャツターを押し続けましたが、単純な子供心と、馬鹿な相棒の笑い話のような時間の経過が、記録することでこんなにも面白く回顧でき、この写真を見た家族にも笑いをもたらしてくれました。
 
 我家には成人した息子が3人も残っていますが、やはり子供の存在感は大きく、健全なる家庭には「カスガイ」となる子供が必要と思う一日ともなりました。
 
 「おい、リョウマ」と孫を呼ぶと、自分と勘違いした相棒リマも走ってくるのも、笑い話のオマケとなりますが、議会の合間となる休会日の午後のひと時によって、相棒リマと孫のリョウマが心の静養を与えてくれました。
 
                                      6月12日の一言

議員の限界も実感しつつ

 「あの件はどうなったのでしょうか?」
 「あの件とは?」
 「あなたは議員として議会へ提案しましたか?」
 「できる事と、やれない事があるので…」
 
 市民の方からの電話でしたが、一年前に地域の方から、「解体業者が夜間に搬入する建設廃材の搬入で、振動と音が迷惑だ」との連絡をいただいていた件について、私の対応が不足しているとの指摘がありました。
 
 一年前の記憶をよみがえらすと、市役所の担当窓口に連絡し、状況を確認した後に、「夜間の実態も調べて県に連絡し対処する」との市役所の対応に委ねましたが、産廃業者は県の業務と思っていた市役所と、認可もしてもいない愛知県は他人事と思っており、行政任せとした私自身の無責任は問われても仕方ないものの、通報された警察ですら何も対処できない法律の枠内の行為には一体どんな方法があるのでしょうか。
 
 問題となっている業者は、解散した企業の土地を入手し、多数の業者が持ち込む建物などを解体した廃棄物を受け入れ、再処理する業務を行っており、地域住民にとっては振動や騒音を出す迷惑企業でしかありませんが、認可を必要とする業務ではなく、自分の土地に一時的に廃材を持ち込む行為を取り締まることもできず、地域住民は苦情を共有するだけで、何ら解決する方法も見当たりません。
 
 行政が規制したり、改善命令を出せないとなると、議員の立場であっても何も改善できる方策は見当たらず、住民と一緒に直接業者と話し合うとか、話し合いの効果がなければ司法に訴えるなど考えられることは当り前のことばかりです。
 
 現実には、私が少年時代に耳にした、毛織物工場主と近所の人々が、機織り機の音や振動を巡って当事者間で騒動となっていた延長で、法律で裁くことができず、生活する上で迷惑とは判っていても、強制的に止めさせる事ができず、当事者間で話し合って解決するより方法がありません。
 
 一年前に自分なりに現地を調べ、行政に善処を要望し、要望された市民へは行政が連絡をとっていることから、自分の役目は終わったと思っていたものの、何ら改善もされないままに時間が経過しているため、何もしなかったのと同じと言われればそのとおりで、議員として結果を出せと言われると、無責任かもしれませんが、当事者が前面にたってもらわないとたまりません。
 
 とりあえず、一年前に連絡をいただいた方と、今回電話を頂いた人に再度話を聞き、廃材を搬入している業者に直接訴えたいと考えていますが、法律と条例の網をくぐって起こっている同種の問題は多義に渡り、地域で生活するなかでは避けてとおれない問題でもあるので、行政頼みは反省し、我が身と思って対処する責任を実感する一日ともなりました。
 
                                    1月15日の一言

懐かしい記念品を持ち出して

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 本日はボランティアで会員さんを市外の医院まで送ったところ、駐車場には車が一台も停まっておらず、降りて入り口で確認すると「職員休養のため休みます」と、先週末から今週末の日曜日まで一週間の長期休診の案内がありました。
 
 帰宅後に他のボランティアに話すと、「夏休みか?」の一言がありましたが、この医院では盆休みも一週間休んでおり、交通の便の良くない場所にあることから、同じように訪れた他の患者さんもがっかりとされた事でしょう。
 
 「どうしましょうか?」と訊ねましたが、会員さんは80才を超えており、処方されていた薬が切れているとの話から、かなりがっかりとされており、このまま帰るのも酷であり、目的も達していない患者さんから、低額とは言え料金を貰う心境にはなれません。
 
 せっかくだからと買い物へと走ったものの、時間が早く近所のスーパーも開店しておらず、「仏壇のお花でも」と言われる会員さんを、完全にボランティアで遠くの大型スーパーまで運びましたが、時間を無視した買い物同行も今後の課題なんでしょうね。
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 さて、事務所の書庫には、若かりし時に大金をはたいて購入した本が眠ったままになっており、久しぶりに扉を開けたところ、包装も開けないままの小箱を見つけて開けたところ、懐かしい記念品が入っていました。
 
 箱には「朝日新聞名古屋発刊五十周年」と記されており、私のかつての仕事の関係でいただいた記念品でしたが、中には東京の有名店で作られた皮製の財布が入っており、名古屋朝日50年のロゴマークが刻印されていました。
 
 さて、かつての仕事ではありますが、名古屋発刊50周年とはいつのことだったか全く記憶もなく、かつての資料で確認してみましたが…
 
 朝日新聞は、明治12年1月に大阪で創刊され、東海地区は昭和10年に名古屋支社が設立されて印刷を始めており、発刊50周年は昭和60年頃を指すと思われ、この記念品もその頃に貰ってきたと思われます。
 
 現在でも我家の2階には、高校野球の地方大会に使用した朝日新聞社旗が大量に残っており、議員になった平成11年に関係する物品を破棄したり、多くは愛読者に差し上げましたが、未だに関係する物品が箱も開けないままに眠ったままとなっています。
 
 この記念品についても3個も残っているものの、私自身は財布を持たないままに人生を送ってきたことから、今ならカード入れとして使いたいところですが、時代遅れは否めないものの、人生の記念品として今から使用していきたいと思い、懐かしく当時を回顧する一日ともなりました。
 
                                    9月19日の一言

横井庄一の体験を活かせ

 昨日の一言に、15年前に愛知県で起こったストーカー殺人犯の少年が反省もなく犯した蒲郡市の再犯事件と、大津市のイジメ事件に関わる少年の犯した事件を添付して、私の所感を書き込みましたが、本日の朝日新聞には問題の中学校で起こったその後の事件で隠匿されていた新たな事実が公表され、学校も教育委員会も、加害者とされる中学生も全く反省せず、真剣に対応されていない事を実感させられました。
 
同級生の担任、小指以外にも4カ所けが 大津中2自殺
 
 昨日の記事では、加害者とされる中学生が、転校した中学校でも他の中学生に集団で暴力を振るっていたが、今回の記事では、加害者とされる別の中学生が今年5月に担任の女性教諭に暴力をふるい、教諭が手の小指の剥離骨折のほか、腹や胸などの4カ所にけがを負っていたことが報じられています。
 
 自分達のイジメが原因で自殺したと遺族に摘発され、大津市だけでなく日本中の教育者や識者を巻き込み、国民全体の社会問題となっているイジメ問題の当事者が、何事もなかったかのように暴力を振るい続けている現実は、暴力を売り物とする暴力団と一緒と思え、関係者の対応が悪いと言うのは簡単だが、加害者と思われる生徒とその家族環境について知りたくもなってくる。
 
 さて、昨年の東日本大震災の被災地にボランティアに出かけた人々から、「こんな悲惨な例は見た事がない」と「歴史上最悪の災害」と言われたことがあるが、規模の大小に違いはあるものの、自然災害の現場は何所も同じで、地震や台風で毎年のように多くの人々の命が奪われています。
 
 被災地の仮設住宅で孤独死する高齢者や自殺する人の存在が気になりますが、世の中にはもっと悲惨な環境で歯を食いしばって生きている人々も多く、イジメられて死んでいく少年や少女については、過去の戦争や災害から立ち直って生き延びた人々の体験をもっと知らしめる必要も感じます。
 
 グアム島で戦後28年間にわたって一人で生き延びてきた横井庄一さんは、母親が離縁されて我家に預けられ、小学校では大鹿庄一の名前をもじって「オーシかツンボかしょういちか」とイジメられた事が自叙伝に記されています。
 
 
 名古屋弁ではオーシは口のきけない障がい者で、ツンボは耳が聞こえない障がい者を指し、当時は出戻った事は生きていけない位の仕打ちを受け、肩身の狭い生活から口数の少ない無口な子供時代だった事から、周りからイジメられ続けられて、女の子たちとしか遊ばなかったと「明日への道」に記されています。
 
 火曜日に、四国遍路のメモ書きが紛失している事が判り、本日は四国遍路の記録をパソコンの「朝日旅行友の会」に追記し、更新されていない「津島の新しい風」や、「横井庄一」関係のHPにも書き入れており、横井庄一さんの戦争で生き残り、一人で洞穴で生き延びた人生を考えると、最近の東日本大震災や、イジメで命を絶つ人々もやり直す前例になれると思いました。
   
明日への道・横井庄一記念館 http://www.kuronowish.com/~oshika18/newpage201.htm
 
 横井庄一夫人から、「主人の味わった戦争の苦しさを考えると…」と言われ、私は「横井さんは生きて帰れたから良いが、私の伯父は沖縄から遺骨も戻っていないし、戦死した場所も判らない」と返したことがあります。
 
 戦争や原爆、空襲で、多くの旧日本兵や民間人が命を奪われ、生き残った人々は歯を食いしばって家を建て直し、世界の先進地と肩を並べる日本になりました。
 愛知県も伊勢湾台風で多くの人々が犠牲になりました。多くの先例を見本として、イジメによる自殺や孤独死から犠牲者を減らしたいものです。
 
 最近は足が遠ざかっている横井庄一記念館ですが、悲惨な戦争を繰り返さない事だけでなく、イジメに負けない命の尊厳と、生きていく原動力になれる例として、新たな発信を続けていく気持ちにもなりました。
 
                                 8月23日の一言
追伸
明日からの3日間は、家族で夏休みの上高地行きとなりますが、今年は相棒も一緒のため、優雅とは言えないサバイバルの3日間ともなります。

映画館の駐車場でも当て逃げが

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 本日はタクシー車輌のキャラバンが、メーカーのリコールによる修理に入っていましたが、新規で「福祉有償移送」の会員になりたいとの連絡が入り、突然の病院行きに家内の協力ももらうこととなりました。
 
 午後になって、1ヶ月前に前編を観たままとなっている映画「僕等がいた」の後編を見ようと検索すると、上映時間に間に合わず、来週も月末も日程に余裕がないため、他の映画を観るために名古屋市のコロナを訪れました。
 
 リコールで何が交換されたかは判りませんが、2ヵ所の部品が新品になっていることから、少しは新鮮な気持ちとなっており、明日にはタイヤも新品に交換するため、しばらくは新鮮な気持ちで運転ができそうです。
 
 さて、映画館には大きな駐車場がありますが、立体駐車場には車高が高いために入れず、普段は映画館から離れた駐車場に停めますが、本日は雨足も強いため近くの駐車場に入れたところ、私の前を行く車が隣の車に接触した現場に遭遇しました。
 
 「あーあー、このままではぶつかるぞッ」
 「本当だ、危ない」
 「あーあー、やっぱりなッ」
 
 白い高級車が後退したときに、駐車してあった黒い軽自動車に接触し、前進した白い車の後部に軽自動車の黒い塗料がはっきりと残りました。しかし、白い車はそのまま私の前を通って逃げていきます。
 
 私が車を出して阻止できたかもしれませんが、当て逃げする犯人ですから、私にもぶつけられる可能性もあり、ナンバーも記憶できそうでしたが、自分も駐車枠に入れている最中ゆえに、後部座席の家内も全部は確認できませんでした。
 
 顔も見たものの、「若い悪そうな奴だったな」と言うと、「おじいさんだったよ」と家内が言い、人の記憶はあいまいと思いましたが、私の車は大きいことから、このまま駐車して被害者になっては堪らないため、遠くの駐車場に移動しなおしました。
 
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 映画は「テルマエ・ロマエ」を鑑賞しましたが、感動はなく今一つだったものの、我家では1ヶ月前に実っていたサクランボが映画館1階の入り口で売られており、懐かしい気持ちにさせられました。
 
 長野産の「佐藤錦」でしたが、完熟する前に収穫されたサクランボの色は真っ赤ではなく、小さいものの木で完熟した我家のサクランボも負けていないと思います。
 
 ここには300円と500円のスイカも売られており、普段なら買おうとも思いませんが、この映画館の近くに娘夫婦が住んでおり、私は孫に持っていってやろうと考えていましたが、家内は急いで帰宅しようとしており、時間に余裕がないと孫にも会えません。
 
                                     6月16日の一言

臨時議会は終わったものの

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ハーブの一種? 我家の花です
 
 本日は昨日に引き続き、臨時議会が開催され、議会終了後に議論を深めていると、帰宅したのは午後7時を廻っており、サクランボの状態を確認すると、ムクドリにかなり食べられているものの、強風によって倒れた脚立とカサの異様な光景が、鳥の被害を防止していた模様です。
 
 連休中に買ってきたイチゴを置いた孫用のイチゴも、小さいながら本当に真っ赤となっていることと、残されたサクランボによって、孫のサクランボ狩りとイチゴ狩りがやれそうですが、明日の土曜日に孫が帰ってくるかどうかは娘次第となります。
 
 5月の臨時議会が終わったものの、中旬には3常任委員会の所管事務概要説明会が開催され、月末には6月議会の議会運営委員会が始まり、6月4日から28日まで議会活動が続くことから、この間をぬって四国遍路に走ることとなります。
 
 本日の夜は、先週に満席で鑑賞できなかった映画鑑賞を家内と出向く約束がしてあり、このまま一言を記してから、夕食と名古屋行きは苦しい現実となりますが、こちらも家内の顔色を見て考える夜となりそうです。
 
 最近は出番の無い相棒リマ(ポメラニアン)ですが、私の帰宅が遅いと朝から柵の中に缶詰となり、本日は家内より遅い帰宅となり、夕食も私が食卓につくまでは隔離されますから、かなりのストレスを溜め込んで足元に存在します。こちらは、私が家内と出かけるとそれ以上のストレスとなりますから、相棒の顔色も見ながらの夜となります。
 
                                  5月11日の一言

親の残した庭の花を先祖の墓に供えて

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 本日は家内が早朝より田んぼへ除草剤を散布する準備をしたことから、母親も畑に出かける用意を始めたため、気付かぬふりをしていると、「草刈はしてくれるの?」の大声と言うよりも、怒りを込めた一言が響きました。
 
 情けない話ですが、本来は私が主導すべき仕事を家内に言われて、言葉だけでも完全なる命令を受けて草刈をすることになりましたが、一年間も放置してあることから草刈機は勿論のことですが、ガソリンの容器も工具も見当たりません。
 
 我家の草刈機は混合ガソリンを使用するため、目分量でガソリンとオイルを混ぜたことから、燃料の追加後のエンジンが不調となり、私のナマカワな体調不良と重なったため、一時中止で休憩です。周りを見渡していると、田んぼの近くにある車の電装会社のご主人の姿を見つけ、車のエアコンの調子を見てもらうことにしたため、草刈機を車に積んだままで修理をお願いして徒歩で帰宅です。
 
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イメージ 2 さて、午後には、明日に開かれるお寺の本堂落慶式に供える供え物をお寺に届けることと、我家のお墓の掃除と花を供えるために浄土宗の旦那寺を訪れました。
 
 幸いにして最近の我家には花が咲き乱れていることから、庭から刈り取った花を持参して先祖の墓に手向けましたが、中には平成5年に亡くなった父親が植えた花も存在したことから、自分の墓に自分の植えた花の子孫を供えられることほどの親孝行はないと家内に熱弁しますが、親不孝の私には先祖の息吹も感じられません。
 
 最初に添付した写真は、明日の落慶式のため準備されたテント前で記念撮影した家内の後姿です。「記念に撮ってくれる」の一言に、「撮ったら全国に顔が判ってしまうぞ」と、後姿では記念にもなりませんが…
 
 草刈を命令された険悪な夫婦関係も、午後の墓参りと、夜になって訪れた娘夫婦と孫のおかげで関係修復となりましたが、「孫はカスガイ」とか、先祖供養をすると良いことがあるという昔から言われる話の有効性も実感する一日となりました。
 
                                4月28日の一言

水疱瘡の孫に感染する可能性も否定されて

 孫が「水疱瘡」のため保育所を休むことになったが、娘は会社を休めないことから、昼から預かる約束となっていたものの、昼休みにも市役所の食堂に居座ってから帰宅しましたが、孫はいたって元気で、家内とともに庭を走り廻っており、私の車まで私を迎えに走ってきました。
 
 「Gちゃん、Gちゃん !!
 「オー、元気だなァ」
 「あーれ、あーれ」
 「何だ?みたらしか?」
 「みたらし、いく、いく」
 
 子供の成長はめざましく、1ヶ月前には母親から離れなかった孫が、私の手を引っ張って近所の団子屋さんまで歩き、「抱っこ」をせがんで「みたらし団子」が包まれるまでを見物し、帰宅して「みたらし団子」を食べた後は、孫をあやすために約束してあった「新幹線」を見に行かなければなりません。
 
 ここでひらめきました。孫は金魚が好きで、パソコンの画面から金魚の動画を見せていると、私の前に座っておとなしく金魚に見入っていることから、パソコンで電車や新幹線の動画を見せれば、わざわざ新幹線の走る稲沢市まで走る必要もありません。
 
 なぜ、こんな単純なことが判らなかったのか… 孫は私の予想どおりに、金魚よりも喜んでパソコン画面を走っていく電車の姿に歓声を上げ、これまで苦労して面倒を見ていたことがウソのように子守りが続けられます。
 
鉄道動画+画像。(首都圏がほぼ中心。)  http://www.youtube.com/watch?v=nEHhWe5MAg8
 
 
 パソコンの存在と、ユーチューブの存在によって、昨年の夏頃から孫を預かった時には遠くまで新幹線や赤い名鉄電車を見に行き、電車が来るまで孫をあやしていたことが馬鹿らしくなるような省エネの子守となりました。
 
 もっとも、私には4人も子供がありながら、世話は家内任せで幼い子供達と遊んだ記憶もありませんでしたが、それでは孫が近寄ってもくれませんから、事務所の2階で事務用イスを馬に見立てて乗せて走ったり、車イスを押させて運転手ごっこをしたりしたことで、先週位から遊び相手として私に付きまとうようになっていました。
 
 「ジッちゃん、ジッちゃん」、「ジーさん、ジーちゃん」、「Gちゃん、Gちゃん」と、私が便所に行くときも付いてくる孫の姿に家族もびっくりですが、昨年の12月には「胃腸風邪」の孫の子守りによって、孫より強力な「胃腸風邪」に感染して家族に笑われるだけでなく、家族に感染させて迷惑がられたことが脳裏に浮かびます。
 
 週末には三男が帰ってくることから、「感染したら大変だから…」と心配する家内に、「俺も水疱瘡にはなった事がないんだ」と言うと、「お父さんはやってるでしょう」と勝手に免疫があると思われ、仕事に走る娘や家内よりも「暇」と思われている現実への叫びと、孫に気に入られて満更でもない現実を天秤にかける一日となりました。
 
                                    4月13日の一言

ここに記す気力も減退する一日です

 今週は市役所関係の仕事から解放されて、やりのこした仕事の残務整理にあたりたいと考えていましたが、昨日に続いて朝から市役所で「議会報告会」の打ち合わせとなり、帰宅した時には午後3時を廻っており、成果もないままに夜を迎えることとなりました。
 
 手帳のスケジュール表は空白が空いてきましたが、実は自分のやるべき仕事は山積しており、やるべき仕事を頭に描いているとストレスとなり、最近は躁鬱病(ではありませんが)だとすると「そう状態」の延長線でしたが、「うつ状態」に向かっていきそうです。
 
 昨年11月以来となる四国遍路の再開を来週に控え、閉山された後に訪れて以来となる上高地も開山式を月末に控え、これまでストレスを発散していた行動が、ストレスとなるような雰囲気に、今年になって時間や日時が超特急で経過しているような実感を覚えています。
 
 今晩行なわれた書道会でも、来週の火曜日は四国遍路中で、主催者となる私が不在時は書道会もお休みが慣例となっているため、来週は休みと宣言すべきでしたが、先週にも低気圧による荒天のため休んだ事から、主不在で開く事となりますが、何も伝えてない事から恩師の送迎なとの手配も先送りとなりました。
 
 こんな心境ではこの一言を記す気力も減退していきますから、今晩はストレスとグチを残すような一言で書き終えていきます。
 
                                   4月10日の一言

三男の初仕事と引っ越しに

 本日から四月となりましたが、新しい年度のスタートが日曜日だった事は幸いで、昨日の風邪ぎみの予感が完全な鼻声となり、明日からの仕事にも影響は必死ですが、明日は先送りもできる個人的な仕事が救いです。
 
 本日は今年になって初めてとなる町内の葬式が行なわれ、故人は私のNPO法人の運営する福祉有償運送の会員で、奥さんと眼科や病院に同行していましたが、数年前に私と同級生の娘さんをガンで亡くしておられ、これからは2人を偲びながら奥さんに同行する事となりそうです。ちなみに、我々の福祉有償運送の会員では初めての葬儀となりましたが、故人は娘さんに先立たれているものの、素晴らしい婿さんと血を分けた親子のような生活を送られていたことをお礼の挨拶から実感させられました。
 
 新年度の初めての一言が、私の風邪と葬式では暗いスタートにしてしまいましたが、私の三男にいたっては今年3月の国家試験に合格した事から、明日から柔道整復師として桑名の大きな接骨院で働く事が決まっており、本日も勤務先の近くに借りたアパートに家内と荷物を運び込みました。
 
 私個人としては、家から通勤できる事からアパート暮らしには反対ですが、息子が仕事を覚えるために朝7時30分から夜11時まで働くと言う事から、「それじゃー、労働基準はどうなっているんだ」と叫びたいものの、早く仕事を覚えて独立して欲しいため我慢の一語です。
 
 ただし、「風邪だから明日はゆっくりと…」の一言により、自転車や荷物も積んで私が桑名まで送る事となり、「ゆっくり」だったはずが朝6時30分に家を出発することが勝手に決まりました。
 
 「電子レンジの安いのがあったら教えて」
 「何故?」
 「必要でしょう」
 
 とにかく、明日からしばらくは三男が落ち着くまで桑名と津島を往復する日々が続きそうです。
 
                                    4月1日の一言

サクランボの花が満開となりました

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 我家のサクランボの花が満開となりました。このサクランボの木は、今から30年近く前に、私の父親が孫(私の長男)のために買ってきたもので、当時は当地方でサクランボを植えている人も少なく、周りから珍しがられたものですが、最近ではホームセンターに多種多様のサクランボが並べられるようになりました。
 
 さて、花だけでなく実も味わえるサクランボは、花だけの桜よりも良さそうにも思えますが、実が熟する頃には鳥のギャングの見張り役が連日偵察に訪れ、熟した瞬間に大量のムクドリが飛来してきますから、鳥の鳴き声が聞こえると我家の庭は鳥の楽園と化していきます。
 
イメージ 2 もっとも、私はタネのある果物が嫌いで、ビワやウメボシと同じようにサクランボも口にしませんから、大量に実を付けても鳥を追い払うだけで、売れるわけでもなく、収穫してもすぐに傷んでしまう事から、ほとんどが鳥の食用となってしまい、我家では鳥に食べられて残骸となったサクランボのタネを片付けるのが仕事になるだけとなります。
 
 本日は叔父の家(お寺の説教所)で永代経が行われましたが、叔父自身が数年前より難病で不自由な生活を送っていることと、2年前に叔母が他界していることから、永代経を行うのが精一杯で、参拝客は減る一方となっており、地域の人々より親族が集まる永代経のようになってきました。
 
 このお寺の説教所は、数年前に私の恩師の筆によって「阿弥陀堂」の看板を掲げられましたが、説教所になる前の名前が津島阿弥陀堂だったらしく、庭には地元で大きな工場を経営されている一族の墓が数基残されており、一族が揃って参拝されてきます。
 
 この一族のお墓は、昔から存在が認識されていた訳ではなく、墓標に刻まれた記録から一族の先祖のお墓と判明し、判明後に参拝されるようになったのですが、先祖とは言え顔も名前も判らないお墓に、ご主人や御夫婦だけでなく、親族や孫までも一堂揃って参拝される姿に、仕事に成功されている秘訣があるように実感させられます。
 
 次の土曜日も隣のお寺の永代経があり、この日は受付に座りつづける一日となりますが、私も少しは先祖や参拝される方々の霊を偲んで応対したいと思います。現実は明日から地獄の一日が始まります。
 
                                3月25日の一言

義母の一周忌で春の息吹を感じて

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家内の在所は梅が満開です
 
 本日は家内の母親の一周忌でしたが、昨日の夜が遅かったことからゆっくり起きて、風呂で頭を洗ってから出かけようと思って寝込みましたが、「遅いから起きてよ」と家内に叫ばれ、あわてて着替えて助手席に座ったものの、私のせいで遅くなってしまったと文句を言われながらの在所行きとなりました。
 
 家内は一男五女の末子で、姉妹が僧侶の読経中にも台所で雑談に花を咲かせており、法要は1時間もかからず終わったものの、昼の食事や昼食後の世間話が長く、帰宅した時には夜になっていました。
 
イメージ 2 もっとも、在所は同じ愛知県でも木曽川をはさんで岐阜県と接しており、昼食会場も木曽川を渡り、養老山脈の山々の木々が見えそうな田舎で、入り口の梅が満開となっており、畑の土手にはもう「ツクシ」が生えていたことから、本日が3月議会の合間である事や、まだまだ伊吹山に雪が残されている事も忘れ、春の息吹を感ずる一日となりました。
 
 2月から忙しい日々が続いており、外をゆっくり歩くのは昨年の12月以来のこととなり、道端や土手に芽吹いている植物を見るのも久しぶりだった事から、普段なら家内たちの雑談の長さが疳に触り、「何時になったら帰るんだ」と怒鳴ったかもしれませんが、「お父さん、何処に行っていたの」と存在すら忘れられていましたが、文句を言われた行きと違って夫婦円満の帰宅となりました。
 
 予定では娘が孫と訪れる予定だったようですが、風邪ぎみのため訪れなかったものの、電話で元気な声を聞かせてくれた事から、孫と電話で会話が続いた事も初めてのことで、春の訪れと孫の成長も感ずる一日となりました。
 
                                3月10日の一言

昨晩は家内と映画鑑賞に出向いて

 今年になってから家内に「新婚宣言」をして、本来新婚生活をおくるはずたった時期に学生起業していた事から、そんな時間が無かった事の反省と、子育てに関わる時期に仕事を拡大した挙句に、ミニコミ誌の発行やPTA活動により家を空けてばかりだった罪滅ぼしの「新婚宣言」でもあります。
 
 現実には3月議会は、2月の下旬には始まって3月末まで続き、その間にも小中学校の卒業式や公的行事もある事から難しく、議会の合間を見つけて一緒に出向く約束をしていた和歌山県行きも、家内が会社の年休までとって休んだものの、私の行事で潰れ、一人では出かけられ事から、私の母親と妹が一緒に行くことになりました。
 
イメージ 1 こんな背景もあって昨晩の夕食中突然に、「今から映画に行こうか?」と言ったものの、慌てて上映時間を調べるとともに、着替えと到着する時間を考えると夕食もそこそこにする出発となりましたが、ここでも私の車の車高が高い(2m26cm)ために、家内の車を家内の運転となり、私の運転手役のような展開での映画鑑賞となりました。
 
 一方で、我家から5分も走れば地元に映画館があるものの、私はこの映画館の経営に関わる津島市を本社とするショッピングセンターが、過去に小学校低学年の少女2人が起した万引事件に、自店では何も対処せぬままに、警察に通報して警察のパトカーに乗せ、この事件が多数の保護者に広まってしまった事件以後から、頑なに不買運動を続けているために、名古屋市の映画館まで走る事となります。
 
中川コロナシネマワールド http://www.korona.co.jp/cinema/nak/nowRoadshow.asp
 
 こんな慌ただしい身勝手な映画鑑賞でしたが、鑑賞した「戦火の馬」はさすがにスピルバーグ監督の作品だけあって、苦しみの中にも笑いを誘い、悲惨な戦争下で生き別れとなった馬と少年が、戦火をかいくぐって生き延び、傷つきながら奇跡のような再会を果たして両親の待つ家に帰ってくる感動作品に、日頃の鬱積したストレスや不満は吹っ飛びました。
 
 映画を鑑賞後には、家内と2人では今までに記憶のないマクドナルドに入り、帰宅したのは午前1時を廻ってしまいましたが、普段は家内が眠っている時間だけに、時間や生活の常識にとらわれなければ、一日は24時間ある事からまだまだ失った新婚時代の時間は取り戻せると思います。
 
 明日は議会の一般質問が開催されますが、この1時間の登壇を心地よい緊張感にするために、私は数年前から原稿無しで資料のみとしており、この緊張感から開放される明日の午後まで暫しのストレスがかかります。
 
                                3月4日の一言

一瞬の気の緩みへ警鐘となる一日に

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我家の事務所横のスイセン
 
 ひとつの仕事が終わると「ホッ」としますが、ホッとしている時に心の隙ができがちと言われるとおり、朝一番から出かけて一仕事済ませて座っていると、「今、何所にいるの?」と約束してあった人から電話です。
 
 人を通じて医療機関の理事長と会う約束があったことも忘れて昼休みとしていましたが、何とか間に合ったものの、連絡が遅れていると「スッポカシ」か遅刻が確実となるミスが発生していました。
 
 しかし、明日からは議会行事が連続し、月末に完成して月初めに地域に配布される中学校の同窓会報については、私が風邪をひいて寝込んでも、私が依頼している編集者が事故でリタイヤしても、発行が滞ってしまう事から大変な責任が圧し掛かっています。
 
 午前中に訪れた中学校で、卒業式と、その前日に行われる同窓会入会式の時間を打ち合わせていたところ、私はその日に家内と三男を車に乗せて和歌山県まで走る約束をしていたことから、慌てて家内に行けない事を伝える事となりました。
 
 学生時代の起業で、学生結婚し、子供の世話は家内任せで、地域から引き受けたPTA役員などをしている時は仕事まで家内に任せ、身勝手に相談する事もなく仕事を廃業して議員生活に転身してきましたが、半減以上の収入減から家内は勤めにでるようになっており、これでは家族の犠牲ばかりとなります。
 
 「あーあッ」のため息が出る一日となりましたが、明日からも時間刻みの予定が続いていく事から、取り返しのつかないミスがないようにするためにも、警鐘となる一日ともなりました。
                                  2月20日の一言

お寺で終の棲家を熱弁して

 本日は我家が檀家となっているお寺で、浄土宗の宗祖法然上人の命日建暦2年(1212年)1月25日と、お釈迦さま(入滅の日陰暦2月15日)を供養する涅槃会が一緒に行われ、私はこの日に一年間の政治活動を報告する機会をもらってきました。
 
 
【涅槃会】ねはんえ
釈迦入滅の日とされる陰暦二月一五日(現在は三月一五日)に、釈迦の徳をたたえて行う法会。涅槃図をかかげ、遺教経(ゆいきようぎよう)を読誦する。更衣(きさらぎ)の別れ。常楽会。涅槃講。仏忌。
 
 今回は来週に人にやさしい街づくり地域セミナーを控えている事と、参加者の多くが高齢である事を考えて、地域で行ったアンケート調査の結果から、人々の一番の心配事がダントツで「老後の生活」にある事から、津島市の現状と、私がボランティアの前提としている「人生の最後を在宅で」の可能性について話しました。
 
 私の町内には浄土宗の尼寺がありますが、住職の高齢化と後継者が決まっていない事から、これまで先祖代々継承してきた伝統が次々と消え去り、檀家10軒で続いてきた「講組」も解消するような話となっています。
 
 過去には檀家で葬式が行われると、その日の夜から10軒の男が集まり7日間「念仏講」を行なってきましたが、男が一人も出席しなくなった事から、女性が集まっていたものの、最近では「念仏講」そのものが廃止となりました。
 
 浄土宗の檀家10軒で先祖代々管理してきた町内の観音堂と地蔵堂についても、後継者がいないという理由で放棄する話が進んでいますが、後継者がいないのではなく、「いない家がある」のが大きな理由です。
 
 子供が家を離れて同居していない家は、町内で清掃が行われても参加する若い人が存在しない事から、同世代の高齢者を誘いますが、どんどん若返っていき、参加することもできなくなり、お寺の「講組」も他の家が若返ると年寄が一人になってしまい困ります。
 
 そんなことが理由で、これまで先祖代々続いてきた伝統が消されていきます。一方で、高齢になり病気になると、子供が同居していない家は、一人暮らしを心配して子供が施設に入所を勧め、そんな存在が高齢者で持病を持つと「在宅は大変」と介護施設が終の棲家となるケースが当り前のように増加しています。
 
 私の叔父も2年前に叔母が亡くなり、2人の娘は嫁いでいることから、病院でリハビリ中の本人も病院から施設への流れに異論はなかったものの、「本日退院して家に帰りました」と嬉しい連絡が本日入りました。
 
 施設に入るだけのお金を出す気があれば、最近では在宅でも十分なサービスが受けられ、本人が希望する生活を支援する体制も整ってきています。十分な情報が無い事から、施設に閉じ込められている高齢者も多く、有り余る年金を持つ高齢者は施設も家に戻しません。そんな話をした夕方、叔父の退院を聞き、嬉しさから日頃は疎遠となっている叔父の家に一目散に走る夜となりました。
 
                                  2月12日の一言
追伸
思いつきで記しており、断片的な事例ですから善意にご理解ください。

自治体の水道水が美味しい筈がない

 
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 添付したのは愛知県企業庁の配布している『あいちの水』ですが、水の採水地は愛知県豊川市の豊川浄水場であるものの、製造しているのは愛知県の企業ではなく静岡県焼津市の会社で、非売品のため一般には売られてはいません。
 
 この飲料水は愛知県の県営水道のPRのために配布されていますが、手渡された際には、「全国どこの自治体にも負けない水」と言われたものの、あくまで災害時の備蓄用と考えればこれもありでしょうか。
 
 大阪市の橋下市長は、大阪市が販売するペットボトル入り水道水「ほんまや」の製造を中止する方針を明らかにしたと報じられています。
 この「ほんまや」は、全国の自治体の販売するボトル水では最も売れており、昨春には国際的な食品品評会「モンドセレクション」の金賞を受賞したと言われるが、10年度は46万本を製造し、1100万円の赤字が出ていたと報告されている事から、全国の自治体の販売するペット水道水も同様と思われます。
  
もうからない大阪市のボトル水製造中止へ 橋下市長方針 
 
 自治体の販売する水道水については、かつて東京都も美味しい水としてPRされていた事がありますが、いまどき水道水の水を買う必要はなく、天然水についても消費者は選りすぐって何でも良い時代ではありません。
 
 私も平成5年1月に、「あなたのお父さんの余命は、半月か1ヵ月」と言われ、週刊誌でガンが治ったと報道されていた富山の水を汲みに富山県上市町まで車を走らせた事がありましたが、奇跡は起こりませんでした。
 
 
 現実には水道水よりは何らかの効力はあるかも知れませんが、ガンを治すような効力は皆無と思われ、健康維持のために毎日飲むのは勝手ですが、実際に汲みに行った感想は衛生的とは思えませんでした。
 
 ただし、御嶽山の三の池の水のように、年数を経ても飲んでも腹を壊さない無菌状態に近い水も存在し、水道水のように薬品で滅菌したり、市販されている天然水においても殺菌処理がされている事から、本当の天然水は現地に行って飲むしかありません。
 
 私もかつて安曇野の水や、静岡の市販されている水を飲んだ事がありますが、美味しいと思ったことはなく、元々が木曽三川の豊かな水に恵まれた地域に住んでいることから、前記した大阪市の水道水なんかが美味しいはずがありません。
 
 一方において、身体の大半を水分が占めていることから、美味しいとか、健康に良い水への興味は尽きず、大分県日田市の水や、上高地周辺の湧き水については、是非とも入手したいと思っています。
 
 数年前に、上高地の梓川につながる綺麗でもない水溜りの地中から、湧き上がる水を見つけて口にしたところ、「美味しい」と声を上げたい体験をしましたが、先月訪れた上高地で汲んできた水も間違いなく美味しい水でした。
 
 予算のムダ使いを批判され、人件費の削減が続く自治体が、赤字をだしてまで水道水を全国に販売する必要はなく、大阪市の橋下市長の英断にエールを送る半面で、世界で一番美味しい天然水も口にしたいものです。
 
                             1月26日の一言
追伸

自転車で10キロの外出へ

イメージ 1 本日は車検に出してあった愛車「ライトエース」を引き取りに、稲沢市(旧祖父江町)森上まで一年ぶりとなる自転車で走りました。
 
 先週の水曜日に、車を置いたまま電車と徒歩で帰宅したものの、2日目には車検整備が終わったと連絡をいただきながら、引き取りに行くのが大変で、「こんな事なら代車を借りてこれば良かった」と後悔しながら、せっかく健康のために歩いて帰った事から、本日は寒風が吹く中を自転車で引き取りに走った次第です。
 
 この愛車は平成1年の車で、人も7名乗れる事から四国遍路にも走りましたが、貨物の代わりにもなることから、息子の自転車を積んで大会に参加もできますし、何よりも多くの荷物を移動させるときには貴重な戦力となっています。
 
 これくらい旧くなると販売元のトヨタでは不調時の対応ができず、直そうとすると高額な修理代を示され、キャブレターの不調時にはプラグを交換しただけでキャブレターには手もつけず、「今はこんなキャブレターはないから」と言われる始末で、年数も経っているため廃車も覚悟しましたが、低価格で修理してくれる稲沢市の整備工場を探して現在に至ります。
 
 車検の料金も良心的ですが、最近は車検すら通れば良いから安い傾向もある中で、何よりも修理する技術があることから、不調な部品が交換してあったり修理されている事から安心して乗り続けることができます。
 
 私は何事もなく運転していますが、さすがに年数を重ねている車だけに、セルモーターも消耗しているとの話に、「いよいよ廃車かね」と問うと、簡単に修理ができるとの一言がありましたので、しばらくは我家の事務所前の顔が続きます。
 
 さて、一年ぶりとなる自転車でしたが、出発する前に空気を入れなければ出発もできず、途中で足が地面につかないくらいサドルを上げてある事が判り、ハンドルは一番低くされていた事から、のんびりと散歩のような自転車ではなくなり、10キロ程度のサイクリングですが尻は完全に痺れていました。心地よい疲れです。
 
                                1月16日の一言

電車を利用して帰宅し

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 本日は平成1年に初年度登録された愛車ライトエース(写真の左)の車検のため、午後4時から稲沢市森上町(旧祖父江町)の整備工場に車を運び、近くの名鉄森上駅から六輪駅まで電車に乗り、六輪駅から我家まで歩いて帰ってきました。
 
イメージ 1 「代車に乗って行ってください」との店主の言葉を断り、久しぶりに森上駅に立ちましたが、駅前の食堂『のんき屋』はシャッターが下りており、駅周辺の風景も随分と変わっています。
 
 この食堂は、私の父親が昭和20年代に名鉄の駅員として森上駅に勤務していた時に毎日寄っていた店で、私も高校時代には何度も立ち寄った事がありましたが、本日だけのお休みである事を願い、近くを歩きたかったものの、電車が到着しそうな雰囲気から慌てて切符を買います。
イメージ 2
 
 森上駅から六輪駅まで220円かかりますが、乗車時間は約5分で、途中に3駅ありますが、我家から森上駅までは8キロ以上あり、風邪ぎみの体調で歩くのは辛いことから、半分の距離となる六輪駅で降車して歩く事にしました。
 
 かつては線路沿いは田んぼばかりで、電車の車窓から養老山脈が見えるのどかな鉄道で、駅周辺にならないと家もありませんでしたが、最近は家が建ち並んで近代的な駅舎に代わっています。
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 六輪駅から国道155号を横切り、六輪小学校や六輪病院、北津島病院を横目に見て、嫁振から日光川を渡ると織田信長の出生地と言われる勝幡城址の石塔が残されており、嫁振橋の欄干イメージ 4には勝幡城の復元図が残されていますが、ここも土地が宅地化されて住宅が建ち並んでおり、かつての面影はまったくありませんが、織田信長はこの地から尾張を統一して全国へ出ていったわけで、当時の様子を思い浮かべながら旧道を歩くのも車では考えられません。
 
 昭和40年代に、私は勝幡城をはじめ、尾張各地の神社や史跡を歩きながら写真に収めましたが、その後は車で走ってしまう事から、久しぶりに勝幡の町を歩き、かつて栄えていた商店街の衰退を実感すると同時に、判っているはずの街道で自分の向かっている方向が判らなくなり、まるで過去にタイムスリップしたような不思議な体験となりました。
 
 我家は家の敷地から名鉄バスに乗れる環境にあるものの、車で移動してしまうことから車窓の外の景色をじっくりと見た事もありませんが、これからは電車やバスと組み合わせた歩きも、健康だけでなく過去の郷愁を呼び戻してくれそうです。
 
                                1月11日の一言

孫の風邪が家族に蔓延し

 プルナマ・サリの「象牙占星術」によれば、私の来年の運勢は「仕事や生活習慣、体質等の改善に成功し、自信がつく年」とあり、なるほどと思わされますが、射手座全体の運勢ですから、気休めでしかありません。
 
射手座の来年の運勢
 仕事面は試練続きだが、責任を果たし好転。金運は身辺整理でツキUP。ラブ面は仕事を通じて親密に。(開運の鍵)ペット、掃除、5。 
 
 もっとも、新聞販売店から配布された「高島暦」を参考にすると、私の星「二黒土星」は来年低迷運とあり、真っ黒の●印となっており、「北の寒気を受け樹木が落葉するこの宮では、伸長しようという勢いが抑えられます」と記されています。
 
 「対人関係・健康面・仕事面とあらゆる場面で困難を感じる問題が生じて悩みが尽きません…異性問題・下腹部・冷え注意」と、良い材料は何も見当たらず、来年は何事も慎重に行動し、下積みの耐えるべき年と考えた方が良さそうです。イメージ 1
 
 さて、家内名義となっている貸し店舗が、今月から空家となっており、家賃が入ってこないばかりか、借主が入る前に投資した内装代を回収しない短期間で会社が整理されて借主は去っていきました。
 
 新たな借主の有無によって我家の運勢は激変すると思いますが、このままでも来年の税金は免れませんし、税金を考えると何もしない方が得策にも思え、自分自身で新規で商売する意欲も焼失してしまいました。
 
 私の住む津島市では、固定資産の有無が税金にも影響し、家内や息子達が勤め先の社会保険を使って、扶養家族が1人だけとなっているものの、国民健康保険は最高限度額を支払い続けており、働けば何とかなるという考えを転換し、実利を考えていく必要性にも迫られています。
 
 政府の無策を批判するだけでなく、我家にもムダは多く、複数の電話機や事務機、乗らない複数の単車など、身を削る覚悟で捨てて行く必要がありながら、本日も無駄な買い物を増やしてしまいました。
 
 本日は行政の御用納めとなりましたが、本日から休診となる医療機関も多く、私が孫からもらってきた(らしい)風邪は、母親と長男に感染し、本日帰宅した三男と家内も風邪を訴えた事から、次男と私(ほとんど症状なし)以外は早々と眠ってしまう静かな夜となりました。
                               12月28日の一言

四国発の話題から

 「四国には行かないのですか?」と、最近の私から四国の話題が無いことから聞かれた一言ですが、平成13年から続けている四国遍路も、12月から3月の間はシーズンオフとしており、周りの人にはこのシーズンオフが理解できないようです。
 
 私の住む愛知県から四国に行くまでには、名神高速には雪の積もる関ヶ原があり、新名神が開通したものの滋賀県の道路は凍結している可能性が高く、かんじんの四国にも遍路道は山が多く雪がある事から、当り前のように冬季は避けてきました。
 
 実際に、徳島県にある別格3番慈眼寺の穴禅定も、12月から3月までの冬季は閉鎖されており、第66番雲辺寺(徳島県三好市)は山腹にスキー場がありますから、温かい南国のようなイメージではなく、既に香川県や徳島市でも初雪が降りました。(ちなみに、愛知県は本日まで雪は降っていません)
  
 
 
 四国にスキー場がある事を話すとびっくりされる方もありますが、四国にも各地にスキー場が存在し、岐阜県や長野県のスキー場と比較できる規模ではありませんが、私は愛知県よりは雪が多そうに感じています。
 
 このあたりの感覚が周りの人とまったく違い、「じゃー、冬の間は知多の四国にでも行くんですか」と言われると、四国遍路とは全く無縁の愛知県知多半島のスタンプラリー遍路と一緒にされる感覚に閉口させられます。
 
 さて、四国の雪の話題を添付しましたが、最近の高知県や愛媛県から「人にやさしい」話題も報道されていました。 
 
高知県 誰でも楽しめる街に
 
 一人では、車いすで買い物をするのが不安な人や、高齢で歩くのがおっくうで街へ出るのをあきらめた人を手助けする取り組み(タウンモビリティステーション)が今月初めに高知市で行われました。
 「今は、障害者や高齢者には、特別に配慮する街になっている。特別を普通にして、誰でも楽しめる街にしたい」と主催者は語っており、誰もが自分の好きなように行動できる街づくりが全国で行われている事が実感させられます。
 
愛媛県 買い物弱者を救え
 
 愛媛県では、車やバスなどの交通手段が無いため買い物が出来ない「買い物弱者」を支援する住民の活動が紹介されていますが、切実な問題となっている過疎地では具体的に改善されていく問題が、私の住む地域では大型ショッピングセンターの新規開店が続く一方で、「買い物弱者」を救う具体的施策は何も実践されておらず、過疎地よりも都会の「買い物弱者対策」が急務とも思われます。
 
 冬季には封印していた四国行きですが、今年は冬用のタイヤやチェーンを完全装備したことから、久しぶりにスキーを復活させたいと思ったものの、家族がそれぞれの仕事を持っていることから、家族一緒の時間を共有できない現実も実感させられています。
                                12月14日の一言
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