大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

家族

家族で孫と私の誕生日(18日)の前祝いを

愛知県への手紙 

 損保会社への手紙

神守郵便局 


本日は愛知県がタクシー事業者へ支給する燃料費の高騰に対する補助金申請と、今年3月末に受けた追突事故の最終となる書類を損害保険会社に届けるため、2通の手紙をポストに投函しました。


そして夜は、明日の18日が誕生日となる孫と私の誕生日を祝う家族の食事会へ出かけました。


 三男の家族と食事へ

孫から私への誕生祝い 

中身は秘密です 

 孫の直筆です

 クリスマスツリー

本日の写真です。

 明日の誕生日で孫は5歳となり、私は69歳になりますが、明日は私が外出を予定しており、一日早い誕生祝いになりました。

5年前に私の誕生日と同じ日に孫が生まれると言う奇跡のような誕生日となり、それまで忘れ去られていたような私の誕生日も、その後は孫と一緒のため祝ってもらえるようになりました。

もっとも、孫だけの誕生祝いではなく私も一緒に祝って欲しいと家族に言ってはいるものの、孫と違って私自身の誕生日は余命を減らし、棺桶に近づくだけですから「おめでとう」と言われても素直に嬉しい気分にはなれません。

ただし、孫と一緒に食事をとる喜びと、食事後に孫のプレゼントを一緒に買いに行く時間は、孫の喜ぶ顔と私の記憶に残る貴重な空間となっています。

こんな時間が永く続き、孫に私の遺言を直接伝えられる年齢まで生き永らえるまで、次の誕生日を楽しみにしていきたいと思います。

天国の相棒リマへ手紙が届いて

ホームセンターが大好きだったリマ


本日、私の相棒だったリマへ予防接種の手紙が届きました。残念ながらリマは2年前に天国へ召されており、生年月日まで記された手紙が届いたことでリマの存在が公的に残っていた喜びの半面で、我が子を亡くしたような当時の悲しみがよみがえり涙がとまりません。

リマの生年月日2008(平成20年)年7月11日
リマの没年 令和2年5月25日

2011年04月12日
予防接種に訪れたリマとモモ

わが家では私が生まれた時から愛犬が飼われており、愛犬と共に生活するのは当たり前の環境でしたが、リマの登場から寝食を共にするような生活をしており、私の大好きな上高地や四国遍路も一緒に同行させていました。

 
小梨平キャンプ場の相棒リマ
2020-05-27

私の少年時代には犬は屋外につながれるのが当たり前でしたが、リマの先代となるモモがやってきた平成14年からは台所で生活させるようになり、リマは寝る時にはケージに入れましたが私と3メートル離れた場所で眠り、家の中で全く我々と同じように生活させていました。

そんな訳で、リマは現在でも庭のお墓でそのまま眠っていると思うようにしており、上高地や四国遍路に行く車の助手席にはリマのウエアをかけ、後部座席にはケージとリマが我が家へ一緒に持って来たストレス解消に振り回していた人形を同行させています。


我家にとってリマの存在は大きく、家の中だけでなく車の中で家内と口論になると自分のケージに入ってしまうため、リマが存在することで大声による口論も自制していました。

その反動は大きいですね。自分の父親が亡くなった時でも感じなかった悲しみがずいぶんと続き、私と家内はリマの後継となる愛犬は一生飼わないことにしており、リマが居ないことで家庭内の和やかな環境はずいぶんと減ってしましました。

リマの先代 モモ

2011年04月28日

こんな心境になったのは、リマの先代となるモモが人一倍人恋しく、雷が鳴っても悲鳴をあげ、私たちが上高地や四国遍路に行って不在の時は食事を一切口にせず、一晩中ヒーヒーと鳴いていたことから、小さなリマは完全に我が子のように生活させた反動と思います。


久しぶりに過去の懐かしい生活環境を懐古する一日ともなりました。


家族に誘われて外出して

愛西市から見えた津島市内の火事の煙

お千代保稲荷参道


お千代保稲荷鳥居

弘法大師堂



本日の写真です。

本日は岐阜県海津市のお千代保稲荷の参道と、近くの弘法大師堂へ参拝に訪れました。

先月中旬から外出できず、最近は運転が出来ないため自宅に篭っている私を心配した家族や孫から思いやりによる遠出となりましたが、せっかくの昼食も箸が持てないため飲み込むのがやっとの思いでした。

 岐阜県海津市のお千代保稲荷は参道の買い物とお千代保稲荷参拝が目的と思われるでしょうが、私は近くにある弘法大師堂を目標にして参拝に訪れました。

長年車を走らせている場所ですが、両手の不調だけでなく足腰も悲鳴をあげているため、助手席から孫が走り回る姿を見守るような外出ともなりました。

孫を抱っこしてスーパーへ買い物に


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 本日の新聞に折り込まれた広告を見た家内が、夕方4時から卵が安くなると言い、私が同行すると2バック買えるとの話に、付いて行くだけなら(1歳になった孫)〇〇を連れていけば良いだろうとの話になりました。

「〇〇も連れて行って3バック買ってこよう」
       「そんな子供ではダメでしょう」
「子供でも手に持たせれば良いだろう」
       「そんなバカな…」
「馬鹿かどうかやってみないと判らないだろう」

 本当に馬鹿な会話ですが、私が孫を抱いて買い物がしたい一心で息子に連絡すると、目的のスーパーの近くへ買い物に出かけており、無理やり〇〇を連れて安売りのスーパーに行くように依頼しました。

 家内とスーパーに到着すると息子たちの車が停まっており、息子が玉子を3パック確保しており、家内と孫を抱いて3人分購入しようとしていると、1000円について1パック買えると記されており、孫を抱いて買い物がしたい私は買う目的もないままに孫の喜びそうな陳列台を見て歩き続けました。

 今月18日に1歳になったばかりの孫ですが、赤ちゃん用の食材の前に立つと商品を手にとり、レジの前から口にくわえますから、店員さんに笑われながら清算を済ませ、何かを買ってやろうと本屋ものぞいてみたものの、まだ自分で好き嫌いの認識はないためこれは先の楽しみとなります。

 孫と一緒に居たいばかりの私ですが、一緒に居るだけでは危険な物を手にしたり、食べていけない物を口にいれてしまうため、家内や息子たちから私は子供の面倒が見れないと厳しい注意があるものの、抱っこしているだけでは危険はないため唯一の子守りとなります。

 ただし、そんな役立たずの爺さんも、孫にとっては叱られたり、思うようにならない親や家内よりは、成長するにしたがって大事な爺さんになる可能性は高く、しばらくは家族の厳しい意見にも耐えて孫と一緒に同行する外出を目標にしたいと思っています。

                                  12月23日の一言


誕生日プレゼントはみたらし団子と一億円?の贈り物

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稲沢市矢合観音 小玉屋のみたらし団子

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 本日は私の誕生日ですが、誰にも知らせずに気付いてくれるかどうかだんまりを決め込んでいると、母親がみたらし団子を土産にして帰っており、「今日は誕生日だったから」との一言を発しました。

 私の希望では、7才になる孫から「お誕生日おめでとう」と言って、小さなケーキをもらいたかったのですが、母親に連れられて来るだけで、自分のことしか考えていない娘が思い出すはずもなく、85歳の母親にみたらし団子をもらうとは可笑しな展開です。

 母親が団子を買ってきた小玉屋は、私の父親が現役中に上司の重役とともに立ち寄っていたお店で、ここが私の同級生の店とは知らずに、母親が店頭に並んで団子を買ってきたのでした。

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 さて、孫にケーキをもらいたいと記しましたが、最近は食べすぎと不摂生で体重が2キロ増加しており、家内と一緒に出向いた買い物で、ささやかなクリスマス風パンを1個買ってもらいました。

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 「おい、誕生日に宝くじが当たったら最高だな」の一言で、家内と1枚ずつ宝くじを購入してきました。
 
 これが当たったら最高のバースデイプレゼントとなることは確実ですが…

 家内の買った1枚が当たっていたら、どうなるんでしょうか…

               本日の体重  徒歩数 0 間食あり
                                     12月18日の一言

絶景が日頃の嫌なことも忘れさせて 上高地

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上高地バスターミナル

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我家のタクシー(家内用)です

 火曜日の夜に電車と高速バスで松本に到着し、翌朝に電車とバスで上高地に入り、2日間のボランティアに参加していましたが、私の上高地行きに便乗して、家内と家族(私の母親と妹)が、私を迎えに来るという名目で上高地へ観光目的で訪れました。
 ※昨日の話です。

 小梨食堂で昼食を食べている時に、「大変だったわ」と言う家内の一言に、来たことを喜んでいると思っていたため、思いがけない文句を言われてびっくりです。

 「釜トンネルの入口で停められて…」
 「何故に?」
 「ここは入ってはいけないと言われて」
 「タクシーは入れるだろうが…」
 「タクシーと伝えると、車内のタクシーメーターも確認されて…」

 家内の話では、家内が女の運転手のため、間違えて入ろうとしていると勘違いされたらしく、タクシーの青ナンバーも確認せず停車させられ、確認後にナンバーを見て入れてくれたとの話で、私の運転時には停車させられないことから、明らかに家内が女であるため停車させられたようで、こんな所に男女の差を実感させられました。
 ※今まで家内の運転で何度も入っており、今回がはじめてのことですが…
 
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そんな顛末後のツーショットです

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母親の写真を撮る妹

 「私の写真も撮ってくれないかな…」
 「撮ってどうするんだ」
 「上高地も最後と思うから…」
 「また来れるだろうが」
 「葬式写真にしたいから…」

 母親の縁起でもない一言です。85歳の年齢を考えると、本当に葬式写真になってしまいそうで、妹に撮るように依頼しましたが、爽快な上高地の環境がそんな気持にさせたのかも知れません。

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環境の良さは嫌な事も忘れられます

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 私は昭和49年に初めて上高地を訪れましたが、この時に別世界へ来たように感じたイメージが未だに持続しており、これは私だけでなく、我家の家族にとっても共有する場所となっており、昨日は河童橋からウェストン碑まで歩いてバスターミナルに戻りました。

 昨年までは、家族で上高地を訪れていても、私は自分のお気に入りの場所に歩き、一緒にお店で食事をすることもなく、一緒にゆっくりと歩いたこともありませんでしたが、今年はガイドの研修会で学んだ知識と、ボランティアで見つけた場所を家族に見せてやりたいという心境にもなり、快晴に恵まれた秋の紅葉期が久しぶりに家族の憩いの一日にしてくれました。

             本日の体重 71、5キロ 徒歩数 2666歩 間食なし
                                     10月29日の一言

休養しても身体は楽にならず

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 天候の悪さだけでなく、体調の悪さも空模様と同じで、明日にはマイクロバスを運転して奈良県の明日香への旅程を予定しているため、午前中に三男の接骨院で低周波や超音波治療器など理学療法機器と、息子の施術を受けて休息の一日となりました。

 しかし、8月に上高地から帰って以来の不調が続き、まさにぐずつく天候のように風邪のような調子が続いて、休養しても快調にはならず、何かをすれば左腰が痛むため必要最低限の仕事のみの生活が続いています。

イメージ 2 「どこか遠くに行きたい」のが口癖で、目的地のためには徹夜もいとわなかった私ですが、最近は運転するのが苦痛となり、外出は家内の車に同乗することが多くなり、先月に和歌山を訪れた時にも家内の手を借りました。

 私に万が一の事態があったときのため、家内もマイクロバスを運転できる大型免許は持っているものの、10年近く運転させたことがなく、かつての私なら日帰り程度は何の心配もありませんでしたが、喜んで走って行くような元気はなくなりました。

 さて、明日は明日香村を目的に走りますが、添付した「石舞台古墳」は、被葬者は明らかではありませんが、7世紀初頭の権力者で、大化の改新で滅ぼされた蘇我入鹿の祖父でもある蘇我馬子の墓ではないかといわれています。

 これまで何度となく訪れていますが、この古墳が造営された当時に、我々大鹿姓のもととなる伊勢の大鹿一族も朝廷に近い大きな存在て゜、大化の改新で中臣鎌足(のち藤原 鎌足・藤原氏」の始祖)とともに、蘇我入鹿を暗殺した中大兄皇子(のちの天智天皇)は、伊勢の大鹿氏の血を継いだ舒明天皇の子供です。

 第30代敏達天皇と采女・菟名子(うなこ、伊勢大鹿首小熊の女)の間に生まれた糠手姫皇女(ぬかでひめのみこ)子供が第34代舒明天皇で、その子供が大化の改新の主役となったのが中大兄皇子、のちの天智天皇となります。

欽明天皇の後を継いだ敏達天皇は、伊勢の豪族・大鹿首(おおがのおびと)小熊の娘・菟名子夫人(うなこのおおとじ)を娶り、太姫皇女(またの名は桜井皇女)と糠手姫(あらてひめ)皇女(またの名は田村皇女。舒明天皇の母)をもうけた。大鹿首は中臣氏の同族であり、ここに中臣氏は大鹿首を介して天皇家の嫡流と姻戚関係を持つようになった。菟名子夫人は中臣系から出た最初の皇妃である。彼女が生んだ糠手姫皇女は、後に異母兄弟の忍坂彦人大兄皇子に嫁ぎ、田村皇子(舒明天皇)を生んでいる。

 歴史の表舞台には出て来ない大鹿一族ですが、日本書紀や古文書から大鹿一族も中臣氏と同族で、大鹿の血をひく菟名子夫人が中臣系から出た最初の皇妃で、藤原氏の始祖となる中臣氏と天皇家との関係をとりもったことが記されています。

敏達天皇6年(577)、天皇は諸国に日祀部(ひのまつりべ)を設定した。日祀部は太陽神を祀る祭祀にかかわる部民で、このころ天皇家の太陽神崇拝がたかまり、もともと伊勢の地方的太陽神にすぎなかった天照大神が天皇家の厚い崇敬を受けて皇祖神化していったものと思われる。日祀部の設置に関しては、宮廷祭官の筆頭であった中臣氏と伊勢出身の大鹿氏および菟名子夫人が、天皇に強く勧めたことが容易に想像できる。

 小学校や中学、高校で学んだ歴史上に「大化の改新」があったことは誰でも知っていることですが、今から1千500年前の大きな政治改革を行った中大兄皇子が天智天皇である認識も薄く、ましてや大鹿の血をひく先人との意識も全くありませんでした。

 大鹿一族の歴史を記した書籍はなく、古文書も伊勢の皇學館大学や、大鹿首の存在した鈴鹿市などで研究や発信もされていますが、知れば知るほど興味はつきず、伊勢から消えてしまった大鹿一族が、現在の津島市に移ってきたという古文書が市内の「大大鹿家」に残されていたことから、30年前から調べはじめました。

大鹿一族の歴史探訪 http://red.ap.teacup.com/oshika18/

 議員になって17年になりますが、議員になってから大鹿姓について何も集約はしていなかったものの、ネット上に「大鹿一族の歴史探訪」を発信したことで、全国の大鹿関係の人々から問い合わせがくるようになりました。

 明日訪れる明日香の石舞台についても、そんな悠久の歴史を感じながら入ったことはありませんが、明日はそんな想いを胸に秘めてハンドルを握って行きます。

            本日の体重 72、1キロ 徒歩数 1818歩 間食なし
                                     9月24日の一言

父親からもらったダルマの絵

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私の父親大鹿時義は、若い頃は浅見香城先生に日本画を習っており、門弟には元名古屋市長の杉戸清氏や、名古屋大学名誉教授大西誠一郎氏など、高名な方々が多い中で、先生の一番若手層の教え子にあたります。
 
絵は素質が無いものの晩年まで描き続けており、多くの作品を先輩や同僚の退職記念や交流会で配布しており、数年前には静岡県沼津市から「日本猿」を描いた色紙がオークションに出され、あまりにも下手で汚れていたものの、父親の愛用していた落款が押され、裏面には朱の住所印も押されていたことから、初めてオークションで落札しました。
 
添付した作品は、使い古しの額に入った父親の絵ですが、大きなダルマが小さなダルマと張り合っている姿を、私と家内に見立てて、私から「欲しい」と言ってもらった唯一の絵画です。
 
私の言葉を聞いた父親は、同じ絵を書き直すと言いましたが、過去に父親の絵を欲しいと思ったことがなく、唯一欲しいと思った直感からそのまま貰いましたが、私の言葉が嬉しかったか、その後に父親は同じ絵を何枚も描いていました。ただし、この絵のように欲しいと思う絵はありませんでした。
 
小さなダルマの目を見ていると、当時の家内を思い出して笑ってしまいます。昭和60年頃の作品と思われます。
 

息子の接骨院が本日開院して

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 息子(三男)の接骨院が本日開院し、私は18番目の患者として「NO18」の診察券を発行してもらいました。
 
 地元の人々に愛され、人のお役にたつ接骨院として頑張ってもらいたいものですが、私は「お客さんを待つ商売」は性格的に向いておらず、大学時代のアルバイトは旅行会社の添乗員と観光バスの車掌で、大学時代に新聞販売店を起業し、議員になってからもボランティアの福祉有償運送と、福祉タクシーを開業しましたが、外に出て行く仕事しか眼中になく、息子の開院前の4日間の内覧会を眺めていると、お客さんに来ていただく仕事は大変であることを実感させられました。

 限られた新聞記事だけを頼りに記すことは問題がありますが、交通事故の新聞報道では、事故の原因や内容に関わらず、事故の相手が死亡すると、運転手は容疑者とされ、自動車運転死傷処罰法違反(過失運転致傷)や過失運転致死傷疑いで現行犯逮捕されており、時には事故の巻き添えとなった運転手が加害者として犯人扱いを受けていることもあります。
 
車とトラックが衝突 2人死亡、1人重傷 愛知・一宮
 
 本日未明に愛知県一宮市で発生した事故では、『現場は信号のある交差点。乗用車が右折する際に前から直進してきたトラックと衝突した』と報道されていますが、右折した乗用車が矢印信号で右折しておれば、直進してきたトラックが悪いものの、記事だけで判断して、お互いが青信号で、乗用車が対向車を確認せず無理に右折しておれば、逮捕されたトラック運転手は、車が乗用車であれば被害者となって死亡していた可能性も否めません。

 交通事故の賠償責任を廻って、交差点での過失割合で双方が妥協できないケースも多いものの、信号無視と一時停止違反による交差点事故は、信号無視や停止違反がなければ事故にならないことから、残酷ですが違反者の全面的賠償にすべきで、今回の事故でも容疑者とは言うものの、加害者として一方的に犯人扱いされていることに疑問を感じずにはおれません。

 私の知人の話となりますが、信号無視の車と出会い頭で衝突して、相手が信号無視を認めず知人が信号無視をしたと主張し、首が痛いと訴えたため人身事故となり、警察によって目撃情報を求める看板は立てられたものの、証言者は現れずに信号無視をした相手が被害者となり知人は加害者になってしまったことがありました。

 私の車にも、隣の車のドアによって付いたと思われる傷と、自宅の駐車場に停めておいて、隣の貸店舗に入ってきた車にバンパーを傷つけられており、いずれも当て逃げされていますが、車によるトラブルが世の中を殺伐とさせているのかも知れません。

            本日の体重 70、3キロ 徒歩数 7664歩 間食あり
                                      6月1日の一言

接骨院内覧会 第2日目

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本日の接骨院前

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隣の貸し店舗にも接骨院の自転車が

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我家の名物 アンズの樹の下にも自転車

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アンズの実も色づいてきました

 息子(三男)の開業する接骨院の内覧会と施術体験会も2日目となり、初日のような賑わいが続くか心配していましたが、駐車場には2台の車しか停まっていなかったものの、店舗の前と横だけでなく、隣の貸し店舗にも来院者の自転車が置かれ、待合室が満員で入れない状態となり、私の知人たちは2階を開放した「無料サロン」で雑談に花を咲かせていました。

 車の駐車スペースが6台分しか無く、裏庭を駐車スペースにする予定ですが、今年は暦の年回りが悪く来年以降の拡幅となりますが、車社会であっても接骨院のお客さんにとっては自転車が生活の足となっている現実を本日は実感させられました。

 さて、2階の無料サロンは、選挙の時だけ人が集う私の事務所を、地域の人々に開放する「ふれあいサロン」にすると、昨年4月の選挙時に公言しており、息子の接骨院開業にあわせて、間に合わせで解放した次第です。

 この2階には、グアム島で発見された横井庄一さんの書や陶芸作品が展示されており、現在は私が1階から持ち込んだ備品に隠されてしまったものの、近いうちに整理して鑑賞できる環境に戻したいと思っています。

             本日の体重 70、4キロ 徒歩数 5732歩 間食あり
                                      5月29日の一言

変わり行く我が家の風景に

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我家と私の事務所(道路右側)です

 本日は町内の葬儀(幸福の科学・帰天式)に参列して、帰宅後は三男の店舗前の樹木を(少しだけですが)切り、来客の応対や引っ越した事務所2階を片付けていたら夜を迎えていました。

 これから起業して仕事を展開していく子供と、世代交代によって事務所を追われていく自分を対比させると、親の建てた自宅に住みながら、自宅で起業して店舗を建てたことで、世間には主であるかのように思われていた30年前に、親はどんな心境であったかと思われてなりません。

 私が生まれた当時、この道路は存在せず、藁屋根の我家は大木に囲まれており、交通事故の心配もなく、道路が建設されたことにより、我家の先祖から引き継がれてきた土地がそのまま道路の下敷きになりました。

 そして、我家がこの土地でいつから生活してきたかは判りませんが、判るだけでも300年以上前から住んでおり、何よりもこの土地には、我家で私が飼っていた愛犬や愛猫がそのまま眠っておりますから、子供たちにはそのことを認識して継承していってもらいたいものです。

「笑点」6代目司会に春風亭昇太さん 桂歌丸さんの後任

 笑点の桂歌丸さんが司会者を引退されました。いつの世にも世代交代はつきもので、命は永遠ではないことから、引き続いて継承してくれる後釜が存在することは最高の至福かもしれません。

 今年から新たに上高地のボランティアへ登録されましたが、まだ経験したことのない仕事にも挑戦する気持で、残された議員活動や四国遍路だけでなく、スズメの保護活動など、新たな活動にも挑戦して「あの世」からお迎えがこないようにしたいと思う一日ともなりました。

            本日の体重 70、9キロ 徒歩数 3875歩 間食あり

                                      5月22日の一言


孫の入学式より引っ越し作業です

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 本日、愛知県下では小学校の入学式が行われ、私は地元の小学校へ来賓として出席していましたが、今年が新1年生となる孫は、名古屋市内の小学校の入学式が終った後で、ランドセルを背負って我家にやってきました。

 普段の生活であれば、孫が来れば昼食を食べに行くか、午後のショッピングを兼ねて珈琲屋さんに走りますが、本日は三男に追い立てられて事務所の引越し中で、かつては高額でお宝だった品々をゴミとして捨て、簡単に運んで入れた家財道具が老化のため動きません。

 「本当に捨てて良いの?」
 「うーん、もう見ないからなァ」
 「だって、高いんでしょう?」
 「そう思ったら、何も捨てられないから…」

 これまで購入した高額な書籍や、分厚い六法全書などについても、現在はインターネットを検索すれば調べられ、「最新医療」に関する大量の雑誌も、20年前の最新情報は化石となっており、「田舎暮らし」の月刊誌も、この歳になって実現させる可能性も無く、大量に集めた旅行の雑誌やパンフレットは残しておきたいものの、2階に持って階段を上がる気力が湧きません。

 これらが1階の事務所にあったことから、訪問者に出して見せることもできましたが、これからは三男の接骨院になってしまうことから置いておく場所が無く、残された人生を考えると2階に上げるのを躊躇してしまいます。

 一方で、事務所の2階は、元々は50人が入れる机と折畳みイスがあり、卓球台も2台置いてありましたが、1階に置いてあるスチール机5台のうち3台は扉を通らず、置き場すらない現実に唖然とさせられました。

 訪問者に大量の書籍や雑誌を置いておいても、自分はもう見るわけでもなく、人に自慢したところで知人しか訪れないため、この際は「家内が捨ててしまった」と処分した方が良さそうです。

 今回の引っ越し作業の中で驚いたことは、多くの人たちから頂いた絵画も多く場所を占領していることと、先人たちも残りの人生を考えて、購入したまま箱の封も切ってない豪華なビデオ全巻を私に委ねられたことが、本日の我が身と重ね合わせてしまいました。
 結果的には、これまで蓄積してきた家財や書物などを、半分のスペースに収めるために苦戦していますが、事務所だけの話ですから、私が死んだ場合にはこれらを全て処分する家族を考えると良い機会になるのかも知れません。

がん生存期間、在宅でも変わらぬ傾向 入院患者と比較
記事の続き…
http://www.asahicom.jp/images/asahicom/hand.png対象の医療機関での初回診察時に余命が「2週間未満」と見込まれたグループでみると、診察から死亡するまでの期間が、自宅の人では13日だったのに対し、病院の人では9日。「2カ月未満」ではそれぞれ36日と29日で、どちらのグループも自宅のほうが長かった。一方、比較的状態がよい「2カ月以上」では差が認められなかったという。
 筑波大の浜野淳講師(総合診療)は「断定はできないが、十分な在宅ケアがあれば、退院しても生存期間が短くなることはないと言えそうだ」と話す。

 さて、末期ガン患者が入院せず、在宅で生活した方が長生きしている実態を、筑波大学と神戸大学のチームがまとめたとの新聞記事を添付しましたが、余命1ケ月と事実上の死の宣告を受けた2人の在宅支援に関わりましたが、治療を断ったことにより抗がん剤の副作用が無く、1人は10ヵ月、1人は半年ほど生き抜いた結果を2年前と昨年に目にしました。

 医学の進歩は目覚しく、ガンも完治する可能性が高まっており、最新治療や最善の治療に期待して治すのも一考ですが、強い抗がん剤の副作用で体力を奪われて亡くなる人もあり、ガンと共存して食事や漢方薬で寿命を延命させるのも現実的かも知れません。
 更なる医学の進歩に期待するとともに、我が身の万が一を考えていくことみ必要ですね。

                本日の体重 72、1キロ 徒歩数 6681歩 間食あり
                                       4月6日の一言

家内が独りで餅つきを行い

我家の餅つきで活躍する餅つき機です

 本日は今年最後の仕事納めとなりました。もっとも、仕事とは言っても、昨晩に議会だより用の原稿を仕上げ、本日未明にメールで市役所に送付してあり、印刷した原稿と議事録を持参し、自分の担当する3人分の校正原稿を受け取ってきただけで、再任用で窓口に座る同級生との会話のほうが熱が入っていました。

 さて、我家では餅は家内が餅つき機を使って作っており、この餅つき機は平成5年に他界した父親が購入して使っていたもので、かつては家族全員で石臼を使って作っていましたが、子供が大きくなってやらないことと、私が世帯主になってからは機械任せの餅つきとなりました。

 ただし、もち米は家内の在所から食べきれないほど持ち帰っており、本日も大量の餅をついたものの、昼食は家内と母親しかおらず、帰宅後に私が食べ、子供たちも帰ってこないため、夕食時にも電子レンジで温めて食べることになりました。

徳島)阿波おどりのリズム・ぞめきに合わせ餅つき
「人気が長モチするように」 文枝さんら、もちつき大会
香川)カマタマーレ選手、子どもたちと餅つき

 デジタル新聞を読んでいると時間は刻々と経過して深夜を迎え、翌日の朝刊は読んだ記事ばかりとなってしまいます。

京都)はや年越し?除夜の鐘の試しづき 知恩院
高知)未から申へ、えと引き継ぎ式 高知市
愛知)名鉄とJR、豊川稲荷の初詣客狙いサービス合戦

 夜のテレビ番組で、ディグラム診断で相性を図る企画があり、三男によって私の性格から診断結果を聞くと、私は「U型II」の波形に分類され、「突然キレ出す時限爆弾、直感重視のわがまま人間」と診断されました。まったくその診断どおりで、家族一同頷きましたが、性格ですから変えることができません。

あなたのディグラム波形は U型II
突然キレ出す時限爆弾 直感重視のわがまま人間 暴飲暴食である
 他人に厳しく批判精神が高いのに、周囲に合わせ十分に主張できない(イイ子でいたい)気持ちの狭間で葛藤をためこんでいます。また、それと併せてノリの度合いが高いため、感情が我慢できずに衝動的に爆発しやすいカンシャク持ちタイプです。
思い込みが激しく、先入観が強いタイプです。 保守的だけど、刺激も欲しい。

ディグラム診断 http://digram-shindan.com/about

 先週発行された「週刊漫画」の占いに、プルナマサリの象牙占星術が掲載されており、私の「射手座」の来年の占いには、「山あり谷ありの試され続ける年だが、一発逆転もある。玉石混交の仕事運、後半から救いあり。金運は立て直しの年」とありました。

 玉石混交とは、「良いものと悪いもの、優れたものと劣ったものが入り混じっていること」と辞典にありましたが、議員という立場にあると、応対する人々は玉石混交は当たり前と思いますが、私の生活や趣味については「玉」の視線で向上する年にしたいものです。

              本日の体重  徒歩数 2459歩 間食あり
                                    12月28日の一言

祖父江・サンドフェスタで「つし丸」と出会い

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孫と一緒に津島市の公式キャラクター「つし丸」君と記念撮影

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 本日は家族と一緒に、稲沢市祖父江町のサリオパーク祖父江(祖父江砂丘)で開催されているサンドフェスタに出かけましたが、来場者が多くて車を停める場所がなく、停めた場所は会場よりはるかに遠い馬飼大橋に近く、かつての私なら帰ってしまうくらいの混雑ですが、最近はウォーキングのチャンスと遠いことが幸いともなりました。

 サンドフェスタの主役は、国営のワイルドネーチャープラザ(祖父江砂丘)で展示されている巨大な砂の像で、会場には高知県の作家による作品も2点造られており、今月末にも高知県から遍路を再開させることから親しみを感じました。
 ちなみに、祖父江町の砂は、海岸の砂と違って土が混ざっていることから、海辺の砂のように崩れることなく固まり、こんなイベントが可能になったと思われ、本日の多くの子供たちが砂で遊んでいました。

稲沢サンドフェスタ http://inazawa-sandfesta2015.com/  

稲沢イチョウ黄葉まつり 11月23日~30日

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 この会場から1キロ歩いていくと、私の出生地となる母親の在所があり、近くに大きな善光寺がたっており、私が5年間(普通は3年ですが)も通学した高校もありますが、この会場から3キロ下流へ木曽川を下ると、家内の実家があります。
 この場所は、私の少年時代から馴染みの場所で、夏休みにはここで泳いでいたこともあり、家内と結婚前に車で来ていた懐かしい場所でもあります。

 祖父江町では、全国有数のギンナン(銀杏)を出荷する名産地ですが、銀杏の紅葉が見ごろとなる来月の23日から「稲沢イチョウ黄葉まつり」が開催され、かつては臭いの臭さから嫌われていたイチョウの木が観光客を呼び込む資源になっています。
 こちらもお薦めのイベントです。

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 さて、会場のイベント会場ではステージでお笑いや音楽もにぎやかに披露されていましたが、栃木県大田原市や京都府福知山市など、愛知県内だけでなく全国各地のイメージキャラクターもイベントを盛り上げており、やはり自分の生活する津島市のテントが気になり、家内と相棒リマ、孫はを呼んで連れてきて津島市のゆるキャラ「つし丸」とともに写真を撮りました。

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 いまひとつ人気が伸び悩む「つし丸」ですが、津島神社をイメージして作られており、津島市には「尾張津島天王祭」に登場するまきわら船をイメージした「マッキー」も存在することから、一緒になって巻き返しに期待したいものです。
 「つし丸」は、ゆるキャラグランプリにもエントリーしているので、是非とも皆さんの投票で順位を上げていただきたいと切にお願いいたします。

ゆるキャラ®グランプリ参加キャラクター つし丸

 津島市から離れた場所で、津島市の「つし丸」や関係者に遭遇すると涙が出てきますね。ちなみに、明日は津島市の出店はお休みとなり、市役所職員は水害の被害を受けた茨城県常総市にボランティアに出かけると話していました。

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 最近はピーちゃんに人気を奪われた格好の相棒リマですが、外出時には必ず家族に同行しており、本日訪れた祖父江砂丘は、かつては私と2人で一緒に訪れ、リードを外して全力で走りまわっていた場所のため、ストレスもなく人間に同化したように同行していました。

                  本日の体重 71、7キロ 徒歩数 7967歩
                                    10月10日の一言

孫のランドセルが届きました

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 来年4月に小学校へ入学する孫のランドセルが届き、母親に連れられた孫が取りに来ました。

 「ランドセル取りに来るから」
 「持って行ってやれば良かったのに…」
 「取りに来させなきゃーダメでしょう」
 「何故」
 「だって、爺さんに有難うって言わせなきゃいけないでしょー」

 私自身は「買ってやった」という認識もなく、ランドセルを買いに付いていっただけで、孫に「有難う」と言ってもらいたいとも思っていなかったものの、家内はこんなことを思っていたんだとびっくりしました。

 学習机は父親の両親に買ってもらう約束になっていますが、我家には次男に買った学習机が倉庫にしまったままになっており、小学校の頃から台所のテーブルかコタツしか使わなかったため、「これを持って行け」と言っている次第です。

 私の三男にいたっては、長男の机をあてがわれ、コタツしか使ったことがありませんが、それで不便と思った様子もなく、めでたい新入学のため机を買うことが当然のように思われているものの、まんまと業者の戦略に踊らされていますね。

 私には4人の子供がありますが、長男と長女に何でも買い与え、誕生記念に立派な足型の額を造ったりしましたが、次男の時には「2人にやったから」と仕方なく続けたものの、4人目の三男には自転車は知人の娘さんのお古で済まし、兄の使い古しを当たり前にしており、最近ではその三男に我家の後継者として期待している有様ですから世の中は皮肉だらけに思えます。

 「静岡にもジイちゃんが居たョ」の一言は、夏休みに静岡の親元に行ってきた後に孫の発した一言ですが、いつも身近にいる私の他にも「爺さん」が居たことが不思議だったようで、こちらの爺さんは学習机を持ってくるか、買ってやるために名古屋市まで来なくてはなりません。

 さて、今年の健康診断は10月2日に胃ガンのバリウム検査を予約してあり、同時に肺がんと大腸がんの検査を受け、日を改めて基本検診を受ける予定ですが、昨年3ヶ月の生活習慣の改善で向上した結果が、一年後にどのような変化となっているかが楽しみである反面で、最近になって少し体調不良を実感しているため心配にもなってきます。

                  本日の体重 70、3キロ 徒歩数 9378歩
                                     9月11日の一言

我家へ救急車を要請する事態になり

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 「頭が痛いんだけど…」
 「ふーん、それで」
 「手も痺れているので…」
 「ふーん」

 子供の頃から通っている理髪店で、頭を散髪中に携帯電話が鳴りだし、普段なら無視しているものの、「出られたら」との店主の一言で電話に出ると、母親から身体の不調を訴える電話です。

 「どうされたの?」の一言で、店主に内容を話すと、「それなら帰られた方が良いよ」の返事となり、母親の悲鳴を無視する横着息子の印象は悪いため、「それじゃー、様子を見てくるので」と散髪を中断して帰宅しました。

 帰宅すると頭だけでなく、手も足も痺れているとの話に、脳梗塞が頭をよぎり、「歩けるか」とは聞いたものの、歩くのも難しい状況に、エアコンが故障している車のエンジンをかけて乗せていこうと思いましたが、手遅れになっては困るため消防署に救急車を要請しました。

イメージ 2 私が帰宅した当時ははっきりと会話もできたものの、救急車が到着した頃には応答する声も聞きづらくなっており、座ったままで歩けない状況になっており、ストレッチャーに乗せられ津島市民病院に搬送されていきました。親切な救急隊員に感謝の一言です。

 「行きました」とは無責任な一言ですが、私も救急車に同乗して行くと、自宅に帰る足が無くなるため、親不孝にも救急車に乗せられる様子をブログ用に撮影し、車で市民病院へ追いかけました。

 市民病院に搬入され応急処理されるうちに体調は落ち着き、熱中症によく似た症状で、呼吸系の発作を起こしていたそうで、最後に検査したMRI検査で心配していた脳梗塞は無く、幸いにも入院せず自宅でしばらく静養することになりました。

 さて、家内は本日ボランティアで津島市の高齢者を名古屋市まで移送しており、我家が大変なことになっていることを知らず、約束したボランティアとは言え、ボランティアに走って家族の一大事に不在となることと、我家の一大事を後回しにすることにボランティアの厳しい一面も実感させられます。

 火曜日の朝にピヨちゃんが死んでおり、こんなことがあると、家の異変に対する予告か、家族の一番弱いピヨちゃんが家の災いとして犠牲になったような気にもなってしまいますが、上高地や四国遍路、相棒リマやピーやビヨと幸せな家庭を楽しんで浮かれていたようにも思え、しばらくは気を引き締めていきたいと思います。

                 本日の体重 71、0キロ 徒歩数 6312歩
                                     8月21日の一言

野菜にも色々ありますから…

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 明日から上高地へ出かけますが、上高地で自分の殻に篭り、仙人のような生活をしたいと考えている私と、行楽やレジャーと思っている家族の意識のズレは大きく、荷物がどんどん膨らんで車は満杯状態となっていきます。

 「絶対に○○ちゃんに言ってはいけないよ」
 「何故だ」
 「行きたいと言ったら困るでしょう」
 「連れていったら良いだろう」

 例年の夏休みは孫を連れて訪れていますが、今年は7月の三連休に四国遍路に連れていき、9月からも四国遍路へ孫と一緒に行くこととしているため、孫と娘には上高地行きを内緒にせよと家内からの注文です。

 悪い癖は何でも私のせいになりますが、孫は言い出したら妥協ができず、自分の目的がかなえられるまでわめくため、孫だけでなく娘にも上高地行きは伝えておらず、本日訪れた際に明日以降の予定があることを確認してから話しました。

 わずか4日間ではありますが、この間を仙人のように行動するために、4日分の食材を確保することと、上高地の主となっているホームレス画伯に、カセットガスコンロのガスボンベを届けるため弥富市のイオンタウンを訪れ、野菜を物色していると我家の畑にあるのにと家内が眉間にシワを寄せます。

 結局は孫と一緒に畑に立ち寄ることになりましたが、盛りを過ぎたとは言うものの食べきれない量のトマトが実っており、きゅうり、ナス、ゴーヤなど大量に収穫したものの、留守を守る息子たちは食べないため週末は大変になりそうです。
 ただし、私が入手したかった野菜は我家の畑にはあらず、畑に野菜があるからと欲しい野菜も選ばさない家内の言動には怒り心頭です。

睡眠時無呼吸症候群で血圧急上昇 3割が160以上に
記事の続き…
 血圧の下がる夜間は120を超えると高血圧とされるが、無呼吸時の血圧上昇でどの程度、脳卒中や心筋梗塞のリスクが高まるのかはわかっていない。ただ、高血圧の人の場合、健康な人に比べて、血圧が160だと脳卒中や心筋梗塞による死亡リスクが4倍、180で8倍に高まるとのデータがある。
 睡眠時無呼吸症候群は国内に200万~300万人いるとみられ、脳卒中や糖尿病、認知症のリスクが高まるほか、昼間の眠気が事故の原因になるケースも相次いでいる。苅尾さんは「睡眠時無呼吸症候群だと気づいていない人もいる。昼間に眠気がある人などは一度、受診してもらいたい」と話している。

 議員になった直後の15年ほど前には、「お父さん、お父さん」と、私の呼吸が夜の就寝中に時々止まると心配されており、私自身は大きなイビキが止まっただけで、呼吸が止まったとは思ってもいませんでしたが、最近は約10キロ近い減量により、イビキが小さくなったためか「呼吸が止まった」とは言われなくなりました。

 車の居眠り運転と同じで、自覚することなく呼吸が止まるとしたら大変な事態を引き起こす可能性から、一度は専門医の指導を受けたいものです。

                  本日の体重 71、2キロ 徒歩数 4821歩
                                      8月5日の一言

何事も孫や娘を中心に廻っており

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 昨日夕方の写真ですが、家内と相棒とともに名古屋に行き、相棒の検査が終るまでの間にウォーキングすることにして、途中で孫のいるアパートに立ち寄りました。

 「だれですか?」
 「人さらいです」
 「 … だれ?」
 「人さらい」
 「ママにかわるから…」

 玄関のインターフォン越しでの孫とのやりとりですが、声を変えていたものの「人さらい」の言葉は孫に理解されず、代わった娘にも笑われる始末で、玄関に出てきた犬にも吠えられて突然の訪問は散々でした。

 孫と2人で散歩に出かけ、娘のアパートから歩いて300メートルの距離にあるジャスコ(イオン)に入ると娘が追いつき、しばらくすると家内も合流し、予定にもないショッピングになりました。

 「コーヒーでも行こうか?」
 「スガキヤにも飲み物あるよ」
 「俺はスガキヤは好きじゃないけど」
 「マックに行きたい」
 「晩飯前にマックはなぁ」
 「マック、マック !! 、マック !!

 孫の大合唱に押し切られてマクドナルドに行くことになったものの、スガキヤには野菜サラダがあったものの、マックに野菜は見当たらず、一番少量となる100円マックとコーヒーを注文し、孫と娘の夕食と変わらぬようなバーガーを食べ終わるのを待つと外は真っ暗になっていました。

マック、野菜を充実 健康志向で女性・家族にアピール

 皮肉な話ですが、本日の新聞にマックが野菜を充実させ、サラダも追加料金を取らないと報じられてきました。

 さて、突然に孫のもとを訪れたものの、本日は孫は親と3人で高山市まで出かけており、「もしかして、泊まってくるかもしれないから」と、早朝より愛犬を我家に預けて出かけましたが、明日の晩まで犬の食事が用意してあったことから、明日まで帰ってこないつもりで預けていったと思われます。

 愛犬のホテル代を浮かすつもりでしょうが、我家の相棒とは食事も違い、相棒だけにオヤツをやることはできませんが、娘の愛犬はアレルギーでオヤツ禁止と言いますから、相棒にとっては迷惑な預かりとなりました。

              本日の体重 69、8キロ 徒歩数 3016歩
        朝の血圧 120-79 脈拍 71  夜の血圧 121-63 脈拍 75
                                          5月23日の一言

ピーちゃんと、家内と孫の家族から同級生へと

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 久々の家族団欒の一日となり、午後からは娘夫婦と孫が訪れたことから、稲沢市まで買い物に出かけ、目的の品物は見つからなかったものの、途中でスィーツや飲み物を買い込み、木曽川(旧祖父江町)の「ワイルドネイチャープラザ」まで足を延ばしました。
 添付した写真は、県営木曽川祖父江緑地公園で遊具の上に孫と一緒に登ったもので、こんな高いところに登ったのも、子供でも一緒に遊んだ記憶がほとんどなく、久しぶりの開放感を味あわせていただきました。

○祖父江地区3公園の総合愛称がサリオパーク祖父江です。
・木曽川沿いの祖父江地区に立地する3つの公園(国営木曽三川公園「ワイルドネイチャープラザ」、県営木曽川祖父江緑地、市営祖父江ワイルドネイチャー緑地)をまとめて、『サリオパーク祖父江』と呼ぶことになりました。

サリオパーク祖父江 http://www.sobue-park.com/enjoy/sariopark/

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 午前中は事務所の主役に戻ったピーちゃんが私から離れません。選挙の直前はお父さん役の私が不在で、選挙期間中は事務所裏に幽閉生活となり、選挙が終りやっと元通りの生活となり、朝にはカゴから出て、私の腕と肩の上で私に話し続けており、電話応対中は私が相手になっていると勘違いして鳴き止みません。

 娘の家族と一緒に買い物に出かけた目的も、ピーちゃんが一番の好物としているオヤツを探して複数のホームセンターに出かけたわけで、目的とする米粉に黒糖をまぶしたオヤツが見つからなかったものの、ミールワームや相棒リマのオヤツを大量に買い込むことになりました。

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 さて、このまま孫たちと家に帰って夕食になる前に、旧祖父江町にある善光寺か家内の在所に立ち寄ろうと考えていると、同級生からの電話があり、慌てて帰宅しましたが、「ちょっとコーヒー屋でも」の気持ちから、最近お気に入りとしていたジョイフルのモーニングメニューに走りました。

ジョイフルのモーニングメニュー

 うれしいことにジョイフルでは、60才以上となる我々にはいつでもモーニングメニューが注文でき、朝のモーニングサービスが全国的に有名な愛知県においても、ジョイフルのメニューはドリンクバー付きでコーヒー屋さんよりお得感があります。

 選挙が終った後の同級生とのひと時は、久しぶりにリラックスした近況報告と昔にになり、帰宅したときは午後9時を廻っており、孫は夕食を済ませて帰宅した後でしたが、ピーちゃんだけは事務所で私を待っていてくれました。寝るのは私から3メートル離れた相棒リマの隣に移動です。

                本日の体重 68、7キロ 徒歩数 3932歩
                                   4月29日の一言

映像で姿を確認してから電話で話し

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本日昼ごろの上高地 五千尺ホテルのライブカメラから
 
 久しぶりに晴天に恵まれた上高地をライブカメラから鑑賞し、ホームレス画伯こと渡辺さんが、河童橋の横に油絵のキャンパスを立てて描いているのを確認してから携帯電話へ発信しました。
 
 本日の上高地は晴れてはいるものの、穂高の銀嶺は雲に隠れており、画伯の情報では梓川の水の色が変わっているそうですが、今年は雲ひとつない快晴には恵まれておらず、私の訪れた2日間のうち22日はめったにない快晴だったようです。
 
 「久しぶりの晴れ間ですねぇ」
 「山は雲に隠てるけど」
 「今、渡辺さんを後ろから見ながら話しているんですよ」
 「えっ、何?、何ッ?」
 
上高地ライブカメラ http://www.gosenjaku.co.jp/livecam/
 
 添付した写真は、パソコン画面に流れる五千尺ホテルのライブカメラの映像ですが、この地に立つ知人を見ながら電話できるため、自宅に居ながらにして上高地に滞在した気分になれますが、「それなら行かなくても良いんじゃない」と家内に言われました。
 自宅に居ながらにして、行きたい目的地が見えたら最高ですね。
 
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 さて、我家には妹が名鉄に勤務しているため、名鉄電車の家族券(乗車券)が配布されており、その有効期限が8月末になっていることから、「じいちゃんと電車に乗ってこようか」と孫に話していたところ、夕暮れ間近になってから「電車はどうなったの」と孫に問われ、約束を守らないと聞き分けができないことから、家内の運転で名鉄木田駅まで走り、勝幡駅まで2区間だけですが孫と2人だけの電車体験となりました。
 
 「じいちゃんに、一人で付いて来れれば、いつでも電車に乗れるぞ」
 「うん」
 「行けるか?」
 「行けるー」
 「四国に行きたいか?」
 「うん、行きたーい」
 
 家内や娘が居ない孫と2人だけの車中で、私と2人だけで旅に出ようと言い聞かせていると、降車する勝幡駅が近づき、木田駅から回送していた家内の車が待っており、我家からは直接電車に乗れないため、電車に乗るためには車が必要になる環境でしかない現実を実感させられる乗車体験となりました。
 
 本日の体重 78、2キロ(朝食後)→78、5キロ(昼食後)→78、7キロ(夕食後)
                                   8月30日の一言

三男が京都に行っており…

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京都大徳寺門前、山国屋の日本酒「雪紫」です
 
 昨日の話となりますが、三男が京都を観光目的で訪れており、途中で私のお気に入りとしている酒屋「山国屋細見酒店」の雪紫を購入して帰っていました。
 
 この細見酒店は、議員になる前にも立ち寄っていましたが、議員になった15年前からは8月16日の送り火の日と、年末の大晦日には必ず訪れることにしており、3年前には知人と一緒に屋上から大文字送り火を鑑賞させていただきました。
 
 三男は昨年にもここを訪れていますが、せっかく立ち寄ったものの、私の息子であることを名乗っておらず、「何故にそこまで行ったのに…」と言っていたため、昨日は名乗ったところお土産をいただいたとの話に、今度は絶対に貰わない工夫が必要です。
 
 さて、津島市議会は明日が本会議の最終日となりますが、アンケート用紙の配布が終わっておらず、3月1日付けで発行した神守中学校同窓会報の協賛広告の集金も残しており、明後日からは議会中より忙しい毎日となります。
 
 一方で、5月を目標にして、20年前に発行していたミニコミ紙「ふるさとアサヒ」を復刊させる話も展開中で、明後日に紙面の構成を話し合う約束もあり、何も進捗していない内容と、これは発行するために新たに協賛してもらう広告主を探す必要もあることから、議員の仕事とは無縁の活動となることから、再発行も大変ですが、再発行後の苦難を考えると「何故の再発行?」と言われても答えられません。
 
 もっとも、平成5年を最後にして休刊中になっていますが、昨年に津島市図書館が地域で発行された大正から昭和初期の新聞と同等に評価して、一冊の記録本に収録して残していただいたことから、私の人生の中で唯一評価されて残された嬉しさの半面で、これまでの過去形にしたくないための最後の仕事とするつもりです。
 
 これも前日の一言を引きずりますが、何を言っても考えても、「すい臓ガン」と宣告されればそれまでの話となり、気力を奮い起さないと何もやらないままに時間を経過させてしまいそうな心境のままに夜を迎えました。
 
                                    3月24日の一言

ガンの再発や、愛犬の死などが話題となり

 昨日の話となりますが、議会日程が続いているものの、ボランティアと遠ざかっていたため、ガンの手術前から病院へ同行していた会員さん(高校の先輩にあたります)を市民病院まで移送したものの、午後になっても連絡がありません。
 
 午後2時に約束があった事から、他のボランティアにお迎えを依頼しましたが、診察時間の長さから良からぬ胸騒ぎがしていたところ、新たなガンが見つかったと同行したボランティアから連絡があり、来週には連日通院することとなりました。
 
 「また手術することになったわ
 「大変なことになりましたねぇ」
 「何で2、3センチになるまでに見つからなかったのかなァ」
 「 … 」
 「判らないものかなァ」
 「 … ウーン …」
 
 幸いにして他の部位への転移はなく、手術で全部摘出すれば大丈夫との説明があったそうですが、定期的に通院していたにも関わらず、ガンが2、3センチになるまで見つからなかったことが疑問で、医師の推薦者である私への電話になったと思われます。
 
 担当する医師に救われた患者は多く、患者が集まる名医と思いますが、順調に回復していただけに再度の手術は辛く、ご主人に先立たれ、息子さんの家庭も離れているだけにこんな時の心痛は痛いほど伝わってきます。
 
 私が初めて選挙に立候補した際に、同窓会長を務められた先輩が、津島市に住む卒業生全員のお宅へ、私への墨書きの推薦状を送付していただいた事が縁で、ご主人に先立たれた直後に連絡があり、万が一病気になって外出ができなくなった時のために、我々のボランティアへの予約をされていた会員さんで、ガンの手術や放射線治療にも同行することになり、最近は経過も良好で、通院間隔も長くなっていたのでしたが…
 
 今年は9月の健康診断において、私自身も2点のチェックが入り、昨日には1泊とは言え、同級生もガンの心配から検査入院しており、ボランティアで人々の通院に同行しているものの、私自身の周辺にも病魔の心配は確実に迫っており、人の悲鳴が切実に堪えるようになってきました。
 
 「あの時はお世話になりました」
 「いえ、いえ」
 「実は、うちの愛犬が2ヶ月前に亡くなったの」
 「えっ、… 」
 「犬も家族と一緒だったから…」
 
飼い主の事故現場から戻った愛犬 2009/2/14(土)の私の一言
 
 四年前に交通事故に遭われた町内の奥様と、一緒に散歩中だった愛犬が家に逃げ帰り、事故現場からご家族に知らせに走った私の元に駆け寄ってきた姿が脳裏に残っていますが、その愛犬が死んだことを本日お聞きし、我家の愛犬モモの最後と重なり、双方が涙の一歩手前の会話となりました。
 
 「犬を飼ったら」
 「子供の頃は飼っていたんだけど」
 「今飼ったら」
 「面倒見れませんよ」
 「みてくれる人があるでしょう」
 「ないでしょう」
 
 一緒に話を聞いていた元県議との会話ですが、政治一色の家庭に犬の存在は大きく、手のかからない小型犬を持ち帰れば、「困った者だ」と言いながらご両親が子供のように世話をするのは想像ができ、犬の世話がご両親の心の安らぎと、健康長寿にもなると思われますが…
 
                                 12月13日の一言

本日は孫の4才の誕生日です

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 本日は孫の誕生日のため、娘夫婦が孫とやってきました。予約してあった誕生ケーキの仕上がりが遅れたため、孫の好きなマグロの刺身と寿司を用意していた昼食が遅れたものの、3時のオヤツとして4本のローソクを立てて誕生日を祝いました。
 
 2日前にも顔をあわせていますが、私の祖父は初孫の私が高校時代に他界し、私の父親は私の長男が中学生の時に亡くなっていることから、こんな機会を大切にするとともに、せめて成人するまで生きておられれば幸いですね。
  
生活保護減額、一斉に不服申立てへ 集団提訴も視野
記事の続き…
厚生労働省は「物価下落分や低所得世帯と比べた結果をふまえ、必要な見直しをした」と説明する。物価下落を主な理由とした減額について、「反貧困ネットワーク」代表の宇都宮健児弁護士は「受給者が利用しない家電製品などの物価下落を含むなど、根拠がない。しかも今は物価が上がっている」と批判した。
 厚労省によると、都市部に住む3人世帯(夫30代、妻20代、子4歳)の場合、8月からの引き下げで生活扶助費が17万2千円から16万7千円に減る。15年度にはさらに15万6千円にまで下がる。
 生活保護を目安に設計されている就学援助など、受給者以外が利用する他制度に影響が及ぶことも心配されている。生活保護問題対策全国会議事務局長の小久保哲郎弁護士は「引き下げは受給者だけの問題ではないということも訴えていきたい」と話した。
■頻繁に物価を反映を
 学習院大学の鈴木亘教授(社会保障論)の話 生活保護費引き下げはやむを得ないだろう。この数年デフレ傾向が続いてきたが、保護費の基準は2005年度から変わっていない。賃金やものの値段が下がっているのに、保護費が変わらないのは逆に不公平になる。
 ただ今後は安倍政権の経済政策でインフレも予想される。そうなれば迅速に基準を上げる必要がある。現在は5年に一度、一般世帯の消費実態と基準との均衡を検証しているが、実態に合わせるならもっと頻繁に物価を反映させるべきだ。
■食品が値下がりした実感ない
 生活保護の現場に詳しいジャーナリストの安田浩一さんの話 国は物価下落を保護費引き下げの理由に挙げるが、食料品の値段が下がった実感はほとんどない。受給世帯にすれば生活費は変わらず、保護費だけが下がることになる。
 一部の政治家やメディアの発信が「私はこんなに切り詰めているのに、受給者は税金で楽をしている」という被害者意識を広めた。今回の引き下げはその延長にある。受給者が増えているのは年金や賃金が少ないから。改革が必要なのは社会のあり方であって、保護費ではない。
 朝日新聞だけではありませんが、8月から実施される生活保護費の減額に対して、貧困問題に取り組む支援団体や法律家らが、全国の受給者に呼びかけ、行政への不服申し立てを一斉に進める1万人規模の運動を起こすと報道されています。
 
 誰もが生活に困る危機に陥る可能性は高く、突然の事故や病気に遭遇する可能性は否めませんが、若い時から「年金なんなもらわない」と、一度も年金の支払いをせぬままに酒とギャンブルの横着な人生を送った人が、高齢になって家族にも見捨てられ、生活できないからと、真面目に国民年金を払い続けた人よりも高額となる生活保護費を受け取っているケースだけを見れば納得ができるはずがありません。
 
 国の定めた国民年金の支給が70歳に引き上げられる可能性もありますが、夫婦が健康な状態で生活しないと公共料金や税金も払えない年金受給では、真面目に生活する気力も無くなります。
 
 私は学生時代から23年間に渡り新聞販売店を経営していましたが、給与が減ったことから朝刊配達のアルバイトをする人や、家計を助けるために働く婦人も存在したものの、収入の目減り分のアルバイト収入も課税の対象となり、扶養家族から外されると働く意欲も減退していきます。
 
 最近では、仕事の選り好みによって無職を続ける若者でも生活保護を受けていることや、生活保護を受けている人がタクシーで病院に通院している現実考えると、年金受給だけでは生活できないため働いている60代70代の人々は納得ができるはずがなく、普通に生活する人々の納得する生活保護費に是正することは必死です。
 
 生活保護が本当に必要となる人も存在するため、受給者の最低限の生活は守っていく必要はあるものの、生活保護を受ける立場で自治体に不服申し立てや反対運動を展開する労力があるなら、働いて自立を目指すべきではないか。
 
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  さて、本日私のブログを訪問された人は248人となり、昨日に続いて200人を超えていますが、こんなことは珍しい事のため、記念として添付してみました。
 
                                     7月20日の一言

週末は家族それぞれに

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後ろの書や花瓶は横井庄一さんの遺品です
 
 明日は、3年ぶりに三男が自転車のロードレースに出場するため、一緒に同行していく家内も早々と就寝し、娘夫婦と孫が訪れて賑やかだった我家は、台風が過ぎ去った翌日のような寂しい夜を迎えました。
 
 「お父さん、何が欲しい?」
 「欲しいもの?」
 「父の日だから」
 「特別に無いなぁ」
 
 本日の最初の仕事は、事務所前のアンズ拾いからハシゴを掛けた収穫作業で、最近では連日の作業となっており、収穫したアンズの実は、家内が作ったアンズジャムとともに家内が持って走っていきました。
 
 「大鹿さーん、判るーゥ」
 「はい、はい」
 「大鹿さんとこは、何テレビだったかなーァ」
 
 聞き慣れた千葉訛りの主は、上高地でテント生活をおくる「ホームレス画伯」こと千葉県の渡辺画伯で、明日のニホンテレビの旅行番組「遠くに行きたい」で、主演する竹下景子さんと一緒に映ることから、放映時間を知らせるための電話です。
 
 名古屋では中京テレビで朝7時から放映されますが、ニホンテレビ系列で全国放送される「上高地」の中に、画伯も登場するとの話に期待はふくらみますが、3時間もかけた撮影が5秒か10秒映るだけかもとの画伯の話に明日が楽しみです。
 
 さて、娘からの父の日プレゼントは、箱に入れられ包装された甚平で、着る物には結構好き嫌いの多い私のために、私の好みの色を聞いて買ってきただけに、「こんな物」とは言えなかったものの、同じような色合いの高級作務衣を持っているだけに複雑なプレゼントです。
 
 「大鹿さん、今度はいつ来るの?」の一言は、私の上高地行きを待っていてくれる画伯の言葉ですが、今年は吹雪いた4月の開山式に行っただけで、2度目の上高地行きが定まらないままに夏を迎えそうです。
 
 「それでも、行くんでしょう」の一言は、行けないと言いながら上高地に行くと確信している家内の一言で、来週には秩父巡礼と高野山行きが決まっていることから、議会終了後に日程を空けたいと思いながら…
 
                                   6月15日の一言

今年も孫とサクランボ狩りを

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毎週日曜日だけ開館している横井庄一記念館 名古屋市中川区
 
 本日は津島市議会の臨時議会が午前中に終わったため、昼休み後に市役所を出ようとすると、携帯電話に「非通知」のコールがあり、「非通知」の主には連休後に約束したことがあったため、反省しながら出ると…
 
 電話の主はグアム島で発見された横井庄一さんの夫人で、体調が悪いため再来週に予定されていた17回忌を9月に延期するとの話に、家の畑で採れたタマネギとエンドウを持って訪問しました。
 今年85才になることと、京都の兄たちが他界していることから、気弱になっているのかと思いますが、明日まで休養して日曜日に開館している記念館は一人で頑張れるとの話ですので、気力の回復を祈りたいと思います。
 
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 本日はその足で名古屋市港区の保育園に通う孫を迎えに走りましたが、昨日の一言に記したように、私には4人の子供がありながら、一度も保育園に迎えに走った経験がなく、母親(娘)が幼稚園の時には、父親参観日に参加した私を無視されたことがあるため、孫が喜んで来てくれれば良いものの、娘にされた悪夢がよみがえりながらのお迎えです。
 
 「じいちゃーん」と喜んで走ってきてくれ、孫の一番人気となっていることを実感しましたが、保育園を出た直後にトイレに行きたがると聞いていたため、トイレをすませて車に乗せ、こんな機会はないことから記念写真です。
 
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 孫を助手席に座らせましたが、私の助手席は普段から相棒リマの指定席となっていることと、孫は危険防止のため後部座席に座っていることから、私の横に座るのが嬉しいのか背伸びして景色を楽しんでいました。
 
 もっとも、迎えに行った孫を乗せて交通事故でも起せば大変なため、安全運転で走行してきましたが、孫と2人だけのドライブも初体験で、このままサービスで何処かに立ち寄ろうとも考えたものの、孫のために事務所前に鉢植えしたイチゴと、サクランボ狩も考えていたため、我家に一目散の帰宅です。
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 保育園を出た頃から雨が降り出していましたが、帰宅後には雨脚も弱まり、孫もサクランボを楽しみにしていたらしく、自分から脚立にのぼってサクランボを採り、美味そうに食べました。
 
 「美味しいか?」
 「うん」 
 孫が美味しそうにサクランボを食べる姿に、サクランボが好きでない私までつられて食べたところ、完熟していることから予想していたより美味しく、珈琲屋さんのアイスクリームの上に乗せてあるものと遜色がありません。
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 続いてプランターと植木鉢のイチゴを食べさせようと移動したところ、熟していた大きなイチゴが存在せず、小さなイチゴしかありませんでしたが、孫は「美味しい」と言って食べ、次々とちぎりますが、半分白いイチゴまでちぎって食べ、「美味しいか?」と問うと、「うん」と答えましたが、どう考えても美味しいとは思えません。
 
 どうやら、完熟していたイチゴは鳥に盗られた可能性が強く、サクランボだけではなかったようですが、孫の食欲は旺盛で、この後で近くにある「みたらし団子」屋さんに出向き、帰宅後はオニギリやバナナにも手を出し、気がつくと居眠りした私の横で、座ったままバナナを持って眠っていました。
 
 孫と2人だけでも何とか過ごせることが解かり、これからは頼まれれば喜んで保育園まで走っていきたいと思っていますが、トイレの世話や着替えなど、我が子でもしたことのなかった体験をし、迎えにきた父親に孫を託しました。
 
                                    5月10日の一言

臨時議会が開催されています

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まだまだ、残されていたサクランボです
 
 本日は津島市議会で臨時議会が開催されており、帰宅が夕方になったことから、ムクドリの独壇場となって見るも無残なサクランボの樹を予測していましたが、何とか手の届く低い部分には残っており、終末に孫とサクランボ狩りをすることが実現できそうです。
 
 明日も臨時議会が続きますが、夕方には孫を迎えに名古屋市港区の保育園に出向く約束がしてあり、私にとっては孫どころか、4人の子供がありながら幼稚園から小学校まで一度も子供のために迎えに走った経験がないことから初めての体験となります。
 
 もっとも、誘拐犯と間違われては困るため、保育園に連絡をとってもらっていますが、孫は3才になったばかりのため、おしっこの粗相をしないように、トイレの仕方まで娘に指南されての子守が続きます。
 
 一方では、我家では、私の子供役となっている相棒も夕方には私の帰宅を待っているため、相棒と一緒に迎えに走るか、迎えてから相棒を連れにくるか迷い、孫と2人っきりで外出した経験も少ないことから、「じじい」人気を不動のものにするため、思案したいとも思ってみたりと…
 
 こんな余裕の一言を記しておりますが、週末には地元の公的日程が続き、翌週末に刈谷市で開催される東海自治体学校では、公共交通の分科会で福祉有償運送と福祉タクシーの報告者に指名されていることから、事前資料の整理と提出が必要になり、月末の坂東、秩父への巡礼も考えると今月もめまぐるしい日々となりそうです。
 
 私を待っている四国遍路関係の人々や、上高地のホームレス画伯を暫し忘れた日々となりますが、今年は再生されて車検を受ける自動二輪も待っており、ここでは公表できない新たな仕事(ボランイィア)と、NPO法人の山積した仕事を考えると、孫や相棒とは言ってはおれない現実をひしひしと感ずる一日ともなりました。
 
                                    5月9日の一言

やはり孫の姿が一番ですね

イメージ 1 津島市議会は明日が最終日となりますが、明日から4月の初めまでスケジュールに空きが無いため、本日は自分のかかりつけ医を受診し、当分は理髪店に行けないため出向き、人との約束や所用で稲沢市や津島市役所の窓口へ市民とともに訪れていると、帰宅は夜8時を過ぎていました。
 
 来週は月曜日と火曜日に東京近郊に会派の行政視察が予定してあり、火曜日の夜は知人のピアノコンサートが名古屋市であり、その夜11時には半年前に西国三十三観音を結願したメンバーと、「坂東三十三観音」に夜行で出発する約束になっている事から、帰宅する来週金曜日まで身動きができない事と、帰宅した土曜日には町内の親睦会の総会、日曜日には叔父のお寺の春季永代経があるものの、当日は津島市の施設がオープンし、午後には今年2月で閉店した茜屋さん最後となる「あかね寄席」が商工会議所で開催されますが家内の代理では笑うにも笑えません。
 
 「お父さん、明日は暇かなぁー」
 「どうしたんだ」
 「明日は保育所が休みだから…」
 「それで」
 「暇だったら、〇〇とどこかに連れていって」
 
 明日は孫が通う保育所の卒園式があるため休園となり、孫が休みとなるため娘も会社を休んでいるとの話で、孫と一緒に出掛けられれば家内より人気が一歩も二歩もリードとなるものの、明日から一緒に出かける時間も余裕もありません。
 
 そんな話をしていると、孫と愛犬のツーショットが送信されてきました。「そんなものを送ったら、今日のブログに載せちゃうぞ」の一言に、「それは困る」の返信がありましたが、「載っても何も実害はないだろう」の一言で、添付した次第です。歳を重ねると、相棒(我家の愛犬)と孫が一番の癒しとなります。
  
昭和21(1946)年4月 (昭和史再訪)旧満州から引き揚げ開始
 【牧村健一郎】昨年(2012年)12月、東京・新宿のホテルで「日本長春会」の忘年会があり、70人が参加した。
 旧満州(中国東北部)の首都、新京(現・長春)に住んでいた日本人の会で、今や平均年齢は80歳ほどになる。それでも忘年会には新たな参加者が数人おり、思い出や引き揚げの苦労を語った。
 会長の磯部荀子さん(85)が福岡の博多港に引き揚げてきたのは1946(昭和21)年10月末、18歳の時だった。新京では南満州鉄道(満鉄)に勤めていた。ソ連参戦の数日後、父を除く家族9人で朝鮮との国境へ疎開。1年あまり難民に近い生活を送った。
 引き揚げが決まると、指定港の葫蘆(ころ)島まで満員列車に乗った。途中、何度も列車は止まり、山道を歩かされた。脱落する人もいた。乗船すると、日本人船員から銀シャリのごはんをもらった。
 「今日一日を無事過ごせたらいいと思っていた。博多港に着いた時はさすがにほっとしたが、帰国の喜びより将来への不安が大きかった」と振り返る。博多駅から親類のいる金沢にむかった。
 旧満州からは、46年4月から1年半で105万の日本人が引き揚げてきた。世界史でも珍しい規模の難民帰還活動だと言える。どのような手順で実施されたのだろうか。
 45年8月、日本政府はポツダム宣言を受諾すると在外邦人の現地定着方針を決めた。本土は焼け野原で食糧も足りない。現地でなんとかしてくれというのが本音だった。
 一方、米軍は終戦前に参謀総長と在華米軍総司令官の間で、早期に帰還させる方針を決めていた。日本人、特に軍人をはやく本国に追い返したいという考えだった。
 終戦時、中国本土には100万の武装した日本軍がいた。彼らが国共内戦で傭兵(ようへい)化したら大混乱になるとおそれたのだ。そのため中国本土からの引き揚げは比較的順調に進んだ。
 だが、ソ連軍が支配した旧満州は取り残された。ソ連兵の略奪、暴行が頻発し、治安は極度に悪化。ソ満国境から着の身着のままの開拓団民が都市部に流れ込み、難民化した。病弱者は次々と死んだ。各地で日本人会が組織され、難民救済にあたった。
 引き揚げが始まったのはソ連軍の撤退後だ。東京の連合国軍総司令部(GHQ)の指示で、中国国民党の軍や行政組織が引き揚げ時期、順番などを各地の日本人会に通達、日本人会は隣組などを通じて各家族に連絡した。移動は社宅などのブロック単位でおこなわれ、列車で葫蘆島に向かったのだ。
 終戦から引き揚げまでの旧満州における死者は24万5千人に達し、中国本土や台湾に比べ段違いに多かった。ソ連軍の侵攻、治安の悪化、寒さや食糧不足が原因だった。今に続く残留孤児問題も、このときに発生した。
 国文学研究資料館助教の加藤聖文さんは「中国本土や旧満州からの引き揚げは、中国から日本の勢力を一掃するというアメリカのアジア政策の一つで、マッカーサーの人道主義や善意ではない」と指摘する。国際政治の枠内で決まり、占領下の日本政府は何もせず、何もできなかった。
 「個人個人の体験談は多いが、それが国民の共通の記憶、歴史認識になっていない。だから近隣諸国の人々から歴史認識を問われると、うまく答えられない。なぜ多くの日本人が旧満州にいたのかを含め、全体像を知る必要がある」と加藤さんは言う。
 博多港に赤い大きなモニュメントがある。敗戦後、中国大陸や朝鮮半島から引き揚げてきた139万人、ここから中国や朝鮮に帰った50万人を忘れないため、戦後50年を機に、96年に造られた。歴史を風化させないためである。(牧村健一郎)
■終戦時、旧満州・大連に邦人155万人
 1945年8月時点で、旧満州と大連(関東州)には155万人、中国本土には150万人、台湾には33万人の日本人がおり、数年のうちに引き揚げてきた。日本の引き揚げ港は主に福岡県の博多と長崎県の佐世保で、京都府の舞鶴にはシベリア抑留者が帰ってきた。博多は日本人の引き揚げのほか、朝鮮や中国出身の人々を故国に送り出す港でもあった。
 今のソウルから博多に引き揚げてきた福岡市在住の森下昭子さん(85)は、この経験を語り継がねばと、引き揚げを記録する運動を続ける。「市民福祉プラザの1階に、資料展示のコーナーがあります。狭いスペースですが、公的、常設の展示がやっと実現しました」と語る。
■証言:中国との交流活動に取り組む国際善隣協会会長 古海(ふるみ)建一さん(79)
 新京(現・長春)に住んでいました。小学6年だった1945年8月、突然ソ連軍の侵攻が始まり11日の深夜、両親と別れ無蓋(むがい)貨車に乗りました。雨が降りだし全身ずぶぬれ、トンネルに入ると蒸気機関車の煙とすすで顔が真っ黒でした。
 到着したのは朝鮮国境に近い安東(現・丹東)でした。幸いこの町で母と再会し、半年後には長春に戻りました。46年8月末、再び無蓋貨車で引き揚げ指定港の葫蘆(ころ)島へ。そこから米軍の船に乗りました。
 帰国上陸したのは佐世保湾の針尾島です。頭から殺虫剤DDTをかけられて真っ白になり、初めて見たアメリカ兵が珍しかったことが記憶に残っています。
 10年ほど前、そのあたりを訪ねましたが、丘の上に記念館が建っているほか痕跡もなく、隣接のテーマパーク、ハウステンボスのスマートな建物群との対比に時の経過を感じました。
 佐世保からは列車で父の実家の京都へ向かいました。途中、車窓から見た焼け野原の広島に衝撃を受けました。
 敗戦を境に当たり前のことが当たり前でなくなる、価値基準が全部ひっくり返るという経験は、強烈でした。混乱の中で人間の原形を見たようにも思います。敗戦と引き揚げは、日本が無理を重ねてきた歴史のとがめが、強烈な形で出た、その体験であったと思っています。   
                                             3月18日 朝日新聞 
 
 さて、旧満州からの引き揚げに関する記事が朝日新聞にあり、私の亡くなった父親が昭和17年に14才で満州に渡り、満鉄職員として戦後日本に還っており、記事を記録するとともに、父親は満鉄職員の「吉林(ちいりん)会」に入って旧交を温め、中国語を学びなおして退職後に中国と行き来していた思い出も記したいと思っています。
 
                                     3月21日の一言

孫が我家の予定より優先され

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町内のちょうちん祭り(野上がり)
 
 本日は娘が孫を連れて帰ってきたので、孫の浴衣を買いに出かけたついでに、稲沢市の矢合観音まで走り、昼食と参拝を済ませて新幹線を見て帰宅しました。
 
 孫も私に懐いて私と一緒なら2人でも外出できるようになり、「ジーちゃん」は「バーちゃん」よりダントツで人気者となっていますが、我が子の面倒も見たことのない私には苦痛となり、夕方の散歩だけでなく、事務所の2階でボール遊びと、私がお寺ばかり連れていくことから、これまで怖がっていた仏間の木魚をたたき、夕食後には仏間で自動車ごっこと、夜になっても開放されず、母親が「帰るよ」と言っても私の前から動きません。
 
 嬉しいものの、このまま家に残されても困ることから、我家の自動販売機で「なっちゃんを買おう」と連れ出し、機嫌の良いままに娘の車に乗せてお別れとなりましたが、このままわがままに育てると大変なこととなりそうです。
 
 さて、添付した「ちょうちん」は、本日の夜に町内の天王様の前で行なわれた「野上がり」の祭りで、孫の気分転換に連れ出したことから、40年ぶりに参加しましたが、かつての盛大な祭りではなく、数個のちょうちんが申し訳程度に飾られているだけです。
 
 農村にとっては欠かす事のできない行事ですが、我家の周りに子供が存在しないことから、老人ばかりが寄り集まっているものの、神前に供えられた肴やお神酒を口にする人もなく、想定外の飲酒に最後の解散まで同行し、昔話に花を咲かせて帰宅しました。
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 右に添付した写真は、矢合観音の本堂内にたつ孫ですが、1ヶ月前までは薄暗いお寺の境内や我家の仏間を怖がって一歩も足を入れずに、無理やり連れられた境内では泣いていたものが、本日は自分から本堂に入り、私に写真のポーズをとって撮影をせがむだけでなく、1人で本堂に入って走り廻っていました。
 
 夜に仏間に入った際には、これも機会と私の父親の遺影を見せて、私の父親と教えると「ジーちゃんのパパ」と覚え、数年前に修復した弘法大師の坐像を出して見せたところ、手を合わせて「マンマンアン、ナンマイダブ」と繰り返していました。
 
 娘が孫を連れてくると、孫のための一日となり、自分のスケジュールも家族の予定も忘れられた一日となりますが、来るたびに成長を実感させられ「子はカスガイ」の一言を実感させられています。
                                  6月2日の一言

三男の成長が待ち遠しいものです

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 添付した写真は、国家試験に合格して桑名市の接骨院に勤務した三男に先週届けられた「柔道整復師」の免許証ですが、最近は接骨院が乱立していることから、独立開業を厳しくする方向にあるようで、将来の開業を目標にしている息子もそのことは気になるらしい。
 
 「早く開業したい」
 「経験を積まなければダメだ」
 「開業ができなくなる」
 「人を使ったことも無いし…」
 
 息子の話では、将来鍼灸の資格も取りたいと語っていましたが、最近では治療効果を出さずに、高齢者を気休め程度に通院させている治療院も多く、治療費のほとんどは健康保険税(料)から支出されていることから、患者は低負担と思っていても地方自治体にとっては国保会計の負担も大きな問題となっています。
 
 一方で、簡単な研修や講習で開業している同似の業種も乱立し、無資格の人を採用して身体のケアを行っている仕事も多いことから、国が厳しい審査や監督を強めることは素人の私でも判ります。
 
 「そんな事なら、お父さんが院長で開業してしまうか」との冗談も、息子は真剣に応じる始末ですが、私は大学時代に「経営学」を専攻しており、大学時代に起業し、知人にも(偉そうに)経営を指南していた姿を息子は知っており、数年前にタクシー事業も開業してしまったことから、息子よりは簡単に開業ができそうです。
 
 ただし、今までは銀行に相談すれば資金など困ったことがありませんでしたが、60才が近づいていることから、今までのように資金調達はいかない事と、息子が開業しないことには相続税の負担を増やすため、いままでのように安易な発想はできません。
 
 また、私はアイデアと何かを企画するまでは得意ですが、自分の身体と引き換えに継続することは大の苦手としていることから、息子が成長して人を使う経験と知識を蓄えるのを待つしかありませんね。
 
 それでもスポーツだけの能力で進学し、仕事を真剣に考えなかった息子たちの中に、初めて独立開業を口にした三男が登場したことは、サラリーマン生活が大嫌いで、一度も就職したことのない私にとっては頼もしい親子会話となりました。
 
 さて、本日は市役所の用件を午前中に済ませて、午後から地元のお寺で開催された「阿字観」に参加しましたが、久しぶりのため呼吸が思うようにできず、一年前から何も進展していないことを体感です。
 
 今週水曜日の深夜から四国遍路に出発しますが、心の注入が出来ておらす、現地の状態もまったく把握できていないばかりか、宿や関係する人々への連絡が綱渡りとなる慌しい旅立ちとなりそうです。
 
                                 5月21日の一言

爺馬鹿から孫が主役の一日に

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一晩で突然実った大きなイチゴの実
 
 このイチゴは、今年3月の初めに孫のために苗を購入したイチゴで、昨日まで何も実をつけていませんでしたが、昨晩に家内と出かけた際に、孫を喜ばせるためにイオンタウンで購入したもので、本日娘夫婦が孫を連れて帰ってくる直前に置いたものです。
 
 こんなヒラメキは自分の子供にも考えなかったアイデアでしたが、これを見た孫が理解できずに不信がり、「みたらし、みたらし」と話題を変えようとして、肝心のイチゴを見ようともしない事から、ジジ馬鹿で「みたらし団子」を買いに連れ出しました。
 
 孫はイチゴは好物のはずですが、まもなく3才を迎えようとしているものの、冗談は通用せずに口にも入れてくれません。近所の「団子屋」さんで「みたらし団子」を買ったことでジジイは孫の人気者ですが、「今頃買ってきて、お昼はどうするの」と家内は怒り心頭となりました。イメージ 2
 
 「よし、じゃー良い所に連れて行ってやるから」と、岐阜県瑞穂市にある大型ショッピングセンターを目指して家族全員で出発したものの、中途半端になった昼食から噛み合わず、娘夫婦と家内と母親、私と次男がバラバラになって時間ばかりが経過し、ここでもジジ馬鹿でオモチャを買い与えて孫の人気者です。
 子供の成長は早く、孫も1人で買い物ができるようになりジジ満足ですが、家内たちが孫の洋服を選んでいる最中に、「ジーちゃん、ジーちゃん」と手を引かれて遊べる場所に移動です。ただし、まもなく29歳となる次男から「いつまで買い物を続ける気だ」と不満のブーイングです。  
 プラント6 瑞穂店 http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/42483326.html
 
イメージ 3 このショッピングセンターの帰り道に、次男がゲンカツギとして気に入っている「お千代保稲荷」があり、このまま参拝に訪れましたが、ここでもジジ馬鹿を発揮して、せっかく本堂に近い裏口の駐車場に車を停めながら、孫のために参道をどんどん進み、何かを買ってやりたいものの、「甘やかし過ぎはダメ」と封印です。
 
 ここでは、今まで買い求めても虫に食べられて育たない「山椒の木」を買い求めましたが、私が何回も購入しながら、一度として育てられなかった木だけに、しばらくは鉢植えのままで成長を見守りたいと思います。イメージ 4
 
 さて、夕食はプラント6で大量に買い込んだ牛肉を使った焼肉の予定でしたが、「途中で食べていけば良い」との私の一言から、車内は夕食の話題で盛り上がります。
 
 「お父さんは『すき家』だもんね」
 「何を言っているんだ違うぞ…」
 「じゃー、何処なの」
 「俺は『なか卯』だ」
 
 「はーん、情けない」との次男の一言から、「どうせならマトモな場所にしろよ」の言葉で、夕食は完全なる外食となり、最後は勝手に外出中の三男まで呼び出す大盤振る舞いの夕食となり本日の一日が終わりましたが、私の手を引く孫の姿から、いつかは孫と四国遍路の夢を実感させられる子供の日となりました。
 
                                    5月5日の一言

孫と朝のモーニングコーヒーが夕方までに

イメージ 1 昨晩より娘が孫を連れて帰ってきているため、本日はコーヒー屋さんへ家族揃って出かけたところ、右に添付したように散りかけた桜の花びらでピンク色となった道路を通り、孫が歓声をあげたことから、このまま足を延ばして稲沢市の矢合観音まで走りました。
 
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 矢合観音はお寺ではなく、在家に鎮座する観音様にご利益があり、かつては参拝者で道路が渡れないほど混み合った場所ですが、最近では参拝客が減少しているものの、ここの井戸から湧き出る井戸水に霊験がある事から参拝客が絶えず、参道の道路には植木屋さんや、土産物店などが軒を並べており、観音様は地元の人々の生活にも恩恵を与えています。
 
 
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 最近になって孫が暗い場所を怖がるようになっており、観音様の本堂に入るのも嫌がり、私たちが参拝している間にも泣き出すため、外に出ていましたが、外にある井戸水の給水所でポンプを押して水を汲んで機嫌を直し、私の同級生の営んでいる食堂に入って好物の「みたらし団子」を食べ、家族の頼んだ「きしめん」と、私の「中華そば」を口にして、すっすり元気を取り戻し、近くを走る新幹線を見せに走った事から、昼寝も忘れて元気一杯の午後となりました。
 左の植木は、日本一の植木の産地でもある矢合観音で本日買い求めた「高野マキ」の幼木を植木鉢に植えました。
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 孫が暗い場所や、お寺や我家の仏間を怖がることから、私が普段から立ち寄るお寺にも入れないことと、娘から「疳の虫」の治療に「鍼医者」に行った話を聞いており、この際お寺で「疳の虫」封じをしてもらうため、稲沢市の大塚町にある真言宗の「せんき薬師」に走りましたが、やはり泣き叫んで本堂の前にも近寄れません。ただし、本堂前の梵鐘や大きな数珠には興味を示したため、何とか孫を本堂に入れたいものです。
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 家内がお願いに入りましたが、家内の在所は浄土真宗の檀家で、お寺は葬式や法要しか縁のないことから、お寺にすがって子供の「疳の虫」を僧侶に治してもらうことに違和感をもっているため、結局は私が入って説明しましたが、控え室には大きなオモチャが並んでおり、本堂にも多くの家族連れと幼い子供たちが遊んでおり、次々と読経が続けられます。
 
 何とか控え室に孫を入れて、私の母親がご住職と御嶽山の話に花を咲かせ、私が御嶽教の先達や四国遍路の話に夢中になっていると、孫も車のオモチャで遊ぶのに夢中になっており、これがチャンスと本堂に入りましたが、孫は正気にもどって再び泣き出しました。
 
 僧侶の読経の後で全員が本尊前で祈祷を受け、泣いていた孫もやっとお寺から解放されて笑顔が戻ったものの、帰りの車中では娘に抱かれて昼寝をはじめたため、そのまま帰宅しようとすると、娘から「起きてから困るよ」の一言が遮りました。
 
 私が孫と約束した「金魚を買ってやる」の一言があったものの、眠ってしまえば忘れるだろうと思いましたが、せっかく私を「ジーちゃん」と気に入ってくれていることから、我が子なら「そんなものは…」と無視してきた私も、孫のためには何でもありのお人好しの「爺」でしかありません。
 
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 ホームセンターに車を停めると、それまで熟睡していたはずの孫の目がぱっちりと開き、金魚や熱帯魚売り場に到着すると元気一杯となりました。金魚や熱帯魚を飼育する水槽や道具は我家にあることから、一匹30円の金魚を6匹買い求めただけですが、帰宅後にはホコリにまみれた水槽の掃除でびしょ濡れとなり、突然の金魚の飼育だけに事務所は水が溢れ、後始末の掃除のため家内に怒られ、肝心の孫は一日の疲れで眠ってしまいましたが…
 
                                  4月14日の一言

寒風吹く中でお寺の受付に座って

 「発達した低気圧の影響で、首都圏では31日、台風並みの強風が吹き荒れた」と報道されていますが、私の住む愛知県でも雨の後には冷たい強風が吹きまくり、隣のお寺の永代経の受付係から帰った時には風邪を確信しました。
 
強風、首都圏交通機関に乱れ ゲートブリッジも通行止め
 
 私の帰宅を待って遠来より知人が訪問し、東日本大震災の被災地への支援策と方法を話していると、私の車(福祉タクシー)のタイヤを普通タイヤへ交換してくれる知人から連絡が入り、私たちは見守るだけですが寒風が身に凍みます。
 
 JR東日本によると、東北、上越、長野新幹線が一時運転を止め、京葉線や常磐線、総武線、山手線なども止まるなどの影響が出たと報じられていますが、この雨の影響で各地に被害が出ていると思われます。
 
 本日の永代経は、隣のお寺が浄土宗のため、私の父親が亡くなった平成5年から受付係として座っていますが、訪れる人々の半数は世代交代しており、長寿の高齢者は判るものの、若い人は顔と名前が一致しない事から、私が座らないと会計ができない状態にはストレスと、私が不在時の代役の必要を感じます。
 
 私は受付係のため会計が終わるとお役御免となりますが、尼寺のために裏方は女手ばかりのため本堂のイスを片付けていると、近所から嫁いでいる90才を越えた老婆から、「年下のあんたの親父から、(亡くなる直前に)説教された」と懐かしそうに語りかけられました。
 
 思わぬ言葉に、老婆や我家の家庭環境に花を咲かせていると、それまで無関係と思っていた人々と我家や私との奇縁も感じ、他人でも親しくしている現実を考えて、疎遠となっている親類や縁者との関係も見直す必要も実感させられました。
 
 私の父親は65才で他界していますが、私の父親が20年前に老婆に語った内容を聞くと、私には伝えようとした真意がよく判り、自分より年長の老婆に父親が「説教」したという内容を私が改めて語っていると、当時の父親と老婆の会話の繰返しのような会話に発展していきました。
 
 さて、明日は本日より1日経過するだけですが、明日から行政は新年度に入ります。中旬から四国遍路も約束してあり、年度を繰り越した仕事を早期に消化するためにも、風邪の初期症状をこのまま封じ込めるため明日は静養日にしたいと思います。
 
                                   3月31日の一言

私だけが家族の歯車から外れて…

 世の中は良い事ばかりが続かないことは判りきっていますが、日曜日に終わった地域セミナーと、翌日に終わった中学校同窓会報の原稿校了により、一日の間違いも許されぬプレッシャーとストレスから解放され、「そう状態」で心地よい一週間が経過しました。
 
 本日は…
 
 (詳細は記せませんが)病院の医師に付きまとい、市役所の福祉課と縁の切れない女性から、何度も電話が入り、自分の母親との話を聞いて欲しいと言われ、断れないことから午後に約束がしてありましたが、午前中から電話が連続した事から愛西市まで走ったものの、肝心の母親が不在で(寒風舞う田舎で、精神的不安定な女性を相手に何も進捗せぬままに時間のみ経過していきます)ラチがあきません。
 
 やっと母親が帰ってこられたものの、親子関係も断絶されている様子で、「このまま連れ帰って下さい」の繰り返しで、どうやら本日午後の約束も勝手に設定されていたようで、精神的に放置はできないために出向いたものの、経済的支援ができるわけではなく、幸いに訪れた郵便小包の対応中に、「これで帰ります」と大声で叫び心を鬼にして車を走らせました。
 
 さて、それでもそれ以外は良縁が多く、本日も昨日に続いて「福祉有償運送」を利用したいと新たな会員の入会が続き、夕方には娘夫婦が孫を連れて帰ってきた事から一緒に夕食を囲みましたし、夜には3月1日発行の同窓会報が完成し、我家に届けられました。これで本当に一つの仕事から解放されますが、明日は一日がかりで約40数軒ある校区内の嘱託員(町内会長)宅まで全所帯分の会報を配布する仕事が必要となり、議会前日の貴重な一日がつぶれていきます。
 
 「今日は夜に映画でも見に行こうか」と家内に言っていた一言は、口先だけで実現しないことが当り前のような空気で、私が帰宅した頃には家内の姿も見当たりません。我家にとっては私は歯車となって噛み合っておらず、静かに時間のみ経過していきます。
 
                                 2月25日の一言

ストレスは我家の弱い者(?)へ

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孫が初めて我家の畑へ
 
 昨日は夕方まで地域を走り廻り、夜は明日開催される地域セミナーの講演をお願いしてある桜花学園大学の森田教授の「交通問題勉強会」に参加し、帰宅後は届けられたメールを確認し、必要な資料を送付していると11時を廻っていました。これから夕食を摂り…
 
 本日は土曜日で、久しぶりに余裕の一日になると目覚まし時計をセットせずに寝ていると、「お父さん、電話、電話ッ」と家内が電話機を持って走ってきました。
 
 「もし、もし…」 (起きたばかりで声も出ません)
 「おはよう、後藤だけど、いつ来るの?」
 
 書道会の恩師からの電話で、日曜日のセミナーに掲示する大看板が依頼してあり、昨日取りにうかがったものの、無料のボランティアにも関わらず横着な私のクレームで書き直し、「明日取りに来ますから…」と帰宅していたのでした。
 
 「今すぐには出られませんから…、うーん…」
   (布団の中で熟睡中ですから、顔も洗って、歯も…)
 
 「それじゃァー、9時でどうかなァ?」
 「解りました。9時には行きます」
 
 当方からお願いした仕事ですから、言われた時間に取りに走るのは当然ですが、「今日はゆっくり寝ていたかった」と渋々起きて台所に行くと、時計は9時まで15分しかなく、歯を磨くどころではなく、顔を洗って一目散に走っても遅刻です。
 
 しばらく仕事を片付けていると、「珈琲でも飲んでくるッ?」と家内の一言ですが、私は珈琲屋さんに行くのは好きなものの、家内と行くのは好きではなく、珈琲屋では雑誌や漫画を熟読する私は、飲んだらすぐに帰ろうとする家内とは目的が違います。
 
 それでも、「これからは新婚気分で時間を大切にしよう」と、今年に入ってから歯の浮くような言葉を発した手前、「そうだな、行ってくるか」と相槌を打ちましたが、モーニングサービスの時間を経過している事から私の行きつけの店に出向きました。
 
 やっぱり最悪です。私たちが入ってまもなく、男性の6人組の客のうち3人が隣の席に座りましたが、残りの3人は私たちのテーブルが空くのをまっており、それを気にする家内が会計の伝票を握った事から、完全に席を立つのを待たれる環境となりました。
 
 自分の行きつけの店ですが、通りがかりの客に帰るのを待たれる最悪の環境は、周りの様子に影響される家内の悪い癖が助長しており、これではリラックスするどころではなく、自分の行きつけの店で家内に急かされて帰宅です。
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 本日唯一の救いは、娘が孫を連れて帰ってきたことで、家内と4人で畑へ野菜を採りに出かけ、そのまま電車を見に走ってから買い物に行きましたが、孫に105円を持たせて100円ショップで買った商品を一人で支払いさせましたが、見事に会計を済ませた姿に感動の一枚です。
 
 孫の好物が「プリン」や「みたらし団子」で、これは私の大好物だけに、孫ではなく自分のために声をあげて買ってもらったようなもので、孫と一緒の行動が癒しともなりました。
 
 ただし、我家の主役であった私の相棒リマ君は、孫に主役の座を奪われ、車では淋しく車中の留守番役となり、夕食も後回しにされたことから、部屋の中へ自分の臭いを付けるマーキングを続け、家族から叱られ続けるストレスの一日となったようです。
 
 明日は地域セミナーがありますが、厳しい寒波が気になります。
                                    2月18日の一言

ペルー先住民の写真が公開され

 本日の朝日新聞夕刊に、「先住民、刺激しないで」と題して、ペルー南東部にあるアマゾンのジャングルで、現代文明と接触せずに暮らす先住民マシュコ・ピロ族の写真が公開される記事が掲載されてきました。
  
「弓矢で襲われる可能性も」ペルー先住民への接近警告 
 
 記事によれば、こうした先住民がペルーのアマゾン地域に15部族存在し、弓矢を使って近づいた住民や一般人が殺されるケースがあることと、一般人の立ち入りが先住民にウィルスを感染させる可能性から、ペルー当局も注意を促していると言われます。
 
 これだけ科学と文明が発展した現代に、未だに判っていない先住民族が存在することにびっくりとさせられますが、ストレスにまみれた現代社会においては、自殺者が増加の一途をたどっており、他の侵入者を殺しても自分達のテリトリーを一緒に守る先住民の存在にも注目したい心境です。
 
アマゾンに未知の先住民、狩猟道具など公表 ペルー南東部 
 
ペルー先住民は中国人にそっくり=中国報道
 
 さて、隣の中国でもペルーの先住民が話題となっており、8日付の新華社は、「ペルー先住民は中国人とそっくりではないか」との記事も掲載しており、中国語と共通する発音や、先住民の真っ黒な髪やひげをそっくりと表現し、ペルーの学者が中国皇帝の派遣した人物がペルーの王族の源だの説を紹介しています。
 
 はるか彼方のペルーの先住民に民族の共通性を求める中国の報道には呆れますが、北米のインディアンや中南米の先住民族は我々と同じ黄色人種先祖は同じと学校でも聞かされてきただけに、ペルーに親しみを感じられる中国と近い日本が仲良くできない筈はない訳ですが…
 
 常識的に考えれば、中国大陸から日本や千島列島などを経由して、アラスカから中米や南米に移り住んだと考えるのが自然で、人類の歴史の永さを実感させられますが、我々日本人が忘れてしまったコミュニケーションや、助け合いの精神を省みる機会としたいものです。
 
 そして、未だに人々が踏み込めない秘境の地が存在することに新鮮な気持とされる話題でもありました。
                                2月7日の一言
 
 
 

本年もお世話になりました

 平成24年も本日で終わりになりました。一日の過ぎるスピードが速くなり、365日がアッというまに過ぎ去って、今年もあと3時間で新しい年に変わります。
 
 元々は怖いもの知らずで何でも挑戦してきた生活が、最近は何事も暗く考えるようになり、自分はあと何年生きられるのかとか、相棒リマとは何年一緒に居られるかと、マイナス志向で考えてしまうようになりました。
 
 若いつもりから、現実には若くなくなり、身体の限界を感じるようになり、そろそろリタイヤ後の私生活を考えたい心境が芽生えてきました。
 私には定年がなく、定年は自分自身で決める必要がありますから、議員任期が残されている3年あまりを頑張って考えたいと思います。
 
 身勝手で思いつきの一言を記しておりますが、皆さんには訪問いただき大変感謝いたしております。この一言を通じて、実際に顔を会わせられる機会に期待しております。来年も宜しくお願いいたします。
 
                                 12月31日の一言
追伸
毎年大晦日は京都と決めており、昨年は悪天候から断念したことから、今年は絶対にと考えていましたが、家族に蔓延した風邪から、夕方には次男と2人だけでも出発する準備をしていましたが、近くの神社に出向くことにして家族全員揃った大晦日となりました。

餅つきと言っても全自動ですが

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 風邪のため仕事を休んだ家内が、市内の開業医を訪れたところ年末から年始まで休診でお休みとなっており、昨晩に電話で問い合わせた際に「本日の診察は終わりました」と、翌日に出直すようにテープの案内があったと言いますから、便利な社会の落とし穴のような不手際です。
 
 ただし、医者に診察されなかったものの、市販の風邪薬で回復したことから、午後は明日に予定していた餅つきが行われる事になりました。
 餅つきとは言っても、臼と杵でつくわけではなく、我家では米を炊飯してから餅にこねる自動餅つき器がありますから、家内が簡単に操作して餅が出来上がっていきます。
 
 この餅つき器は、平成5年に亡くなった私の父親が残してくれたものですが、毎年活躍して我家の貴重な戦力になっていますが、私たちが子供の頃は臼でついており、今でもそのまま杵でつけるようにはなっていますが…
 
 カマドで餅米を蒸すために、子供が薪を燃やし、父親が杵を持ち、母親が手がえしする家族全員の餅つき風景が当り前でしたが、我々が成長して手伝わない事から、父親は餅つき器を購入し、すぐに壊れて何度も買い替えた結果、現在の餅つき器が残されました。
 
 我家に残された道具のほとんどは、20年ほど前に父親が購入して残したものばかりで、ハシゴや農作業に使う道具は、私が家庭の作業に無関心なため使用頻度が低く、古いものの使い古してない事から我家は旧式の道具が山積みされています。
 
 さて、明日は娘夫婦が孫を連れて我家に来ますが、一週間前に私が孫から感染した胃腸風邪に全員感染させられた後だけに、我家では最初の感染源となる孫に再度感染させてはならぬと心配しながら待つこととなります。
 
                               12月29日の一言

高齢者の在宅を考える時に

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稲沢市(旧祖父江町)の銀杏並木を訪れました
 
 本日は叔母の3回忌が行われ、入院中の叔父は外出して法要を務めましたが、病院で毎日1時間のリハビリをしている事から、足取りは軽くなっており、まもなくリハビリ病院に転院予定と聞きましたが、そちらでは毎日3時間のリハビリが行われることから、順調に回復できれば、春には独りでも在宅生活が復活できそうに思います。
 
 高齢者が病気になったりケガをすると、大抵が「大変だから施設へ」となり、独り暮らしの場合にはほとんどが施設への入所が当り前のように話されますが、本人の意識がはっきりとして在宅を希望すれば、私はほとんどが在宅支援制度で対応できると思います。いや、支援すべきと考えます。
 
 問題は、独り暮らしの親元を離れた子供や家族が、親の安否確認ができない事から、人目のある施設へと考えている事で、親の元気な姿が見えないだけで、施設へ
入所させられる親はたまったものではありません。
 
 私は10年程前に、富山県の大山町へ、24時間安否確認できる緊急通報システムの視察に訪れたことがありますが、パソコンや通信機器が発達した現代では、パソコンにカメラを付けて室内を24時間監視する事も簡単となり、信頼できる福祉施設と連携できれば在宅でも安心できる対応ができると思います。
 
 
イメージ 2 さて、本日は法要から帰宅した後で、家族で稲沢市(旧祖父江町)までイチョウの紅葉を見に行く話となり、相棒リマと私は助手席に乗せてもらってドライブに出かけたものの、昨晩の強風と寒波で葉が落ちかけてており、到着してまもなく日も暮れましたが、母親と家内は旧祖父江町が出身地であり、私にとっても第二の故郷だけに懐かしいドライブとなりました。
 
 明日からは議会の一般質問が開催され、その後も委員会など議会日程が続くため、こんな気分も当面は封印となりますが、昨年も議会中の休会日(12月18日)に上高地に出かけており、そんな同志の出現に期待しながら、ここに記すと実現の可能性も高まりそうです。
                                 12月4日の一言

孤独な世の中での動物の存在

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アンズの根元に咲く我家の彼岸花
 
 動物が主役となる記事が朝日新聞に連続して報じられ、本日は動物を通して命の大切さを学んでもらおうと、県獣医師会が28日に小学校で「学校飼育動物ふれあい教室」を開いた記事と、動物に触れることで、幼児が命の大切さを学んだり、高齢者が癒やされたりする「アニマルセラピー」の活動を学ぶ高校の授業が紹介されていました。
 
飼育動物とふれあって
 
アニマルセラピー実演 安城農林高 
 
ヒルズ 「里親探し」支援寄付キャンペーンを継続
 
 我家で1ヵ月と短い間ではあったが、保護したヒヨドリのヒナ「ピー」ちゃんが23日に死んだ事から、動物の死ぬ直前まで自分の苦痛すら訴えない別れに、私の心に大きな穴が開いたままになっており、しばらくは胃の痛い日々が続きます。
 
 「大鹿さん、今日頼めるかなァ」の一言は、私の高校の先輩で、ガンと闘病中ですが、抗がん剤の副作用で体調が悪くなったため突然の病院行きです。
 数年前にご主人に先立たれ、息子さんが自宅を離れて住んでいる事から独り暮らしとなり、ガンと同居では辛い日々でしょうが、こんな時に愛犬や愛猫でもいれば心が安らぐに違いないと思うものの、病人や高齢者にとってペットとの同居は難しい壁となっています。
 
 一方で、飼い主の身勝手な都合で捨てられる犬やペットは後を絶たず、可愛い動物がベルトコンベアーのように薬殺されており、どうせ殺される位なら何とか高齢者や病人の癒しに利用できないかとも思いますが…
 
 我家も少年時代には犬や猫だけでなく、ニワトリも当り前のように同居しており、数年前から猫は交通事故に遭うことから、捨て猫が自然に入って来る場合のみ喜んで飼う事にしていますが、野良猫自体が存在しない地域になりつつあります。
 
 ニワトリは庭の草を食べ、卵も産むことを理由にして、家族に絶対に飼うと宣言していますが、動物との辛い別れが続くと、「おい、お前とどっちが先に逝くんかなァ」と、相棒リマに縁起でもない一言をささやいてしまいます。
 なかなか心が癒えません。
                                    9月29日の一言
追伸
本日は三男の21才の誕生日でした。忘れていた事に反省です… 

家族の打算には限界が

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道の駅・月見の里足湯
 
 本日は私のお気に入りの買い物に家族を付き合わせ、岐阜県の瑞穂市まで走りました。
 
 「何処まで行くの?」
 「何処って決まっているわッ」
 「もしかして…」
 
 近所で買い物と思っていた家族は、私がお気に入りとしているプラント-6に行く事をなかば覚悟していたのか、遠出を期待していたのかもしれませんが、地元のスーパーには申し訳ないものの、経営理念に共鳴するプラント-6に私は走ります。
 
                            http://www.plant-co.jp/info/CorporatePrinciples.html
     トップメッセージ  http://www.plant-co.jp/info/topmessage.html
 
 その中でも、「鮮度の高い生活必需品を安定供給することで、地域住民の快適な生活に資すると共に、店舗内設備の利用等を通じて、安全・快適な生活に資する活動に協力するなど、地域社会との共生を目指します」の理念は立派です。
 
 地元にも大規模な店舗は存在し、それこそ一日中でもショッピングは楽しめますが、「豊富な品揃えと、徹底したローコスト・オペレーションによる低価格での商品提供により、暮らしの拠り所となる店」の理念は安心して買い物が楽しめます。往復のガソリン代と時間を考えると必ずしも得策とは思えませんが、目玉商品で客を呼び込む都会のスーパーとは違います。
 
 さて、今年は家族で遠出もしていませんので、南濃町まで足を延ばし、道の駅『月見の里』まで走りましたが、足湯は満員で入り込む余地もなく、覗いたものの生活観や不潔感を感じます。そこまで期待するのが無理でしょうが、湯の表面を見ると足を入れるのが躊躇われます。
 
 我家の夏休みは、それぞれの休みを考慮すると何処にも行けないので、盆過ぎに上高地に行く事が決まりました。これも、私の都合は二の次とされており、毎年16日には京都・送り火に行く事すら忘れられており、今年は愛犬モモが死んだ事から、相棒リマも一匹となり、連れて行こうとすれば私と車中泊が確実で、自分ひとりの方が気楽となりそうです。
                                  7月31日の一言
追伸
明日からは1泊2日で、千葉県千葉市まで地震の液状化対策の視察となります。

真昼間からビールを飲んで

 本日は、…
 
 手帳を見ると、「午前10時…」と記されており、慌てて町内の集会場に走ると親睦会(60才以下)の集会が開かれており、席につくと缶ビールが置かれて集まったメンバーは既にほろ酔い気分で話が盛り上がっていました。
 
 車で出かける寸前だった事から、「ちょっとビールはなァ…」とそのまま座っておりましたが、秋の親睦旅行の目的地を飲みながら話が盛り上がっており、私も禁断であった缶ビールのクチを自然に上げていました。
 
 「もう、良いか…」、「今日は日曜日だし、明日も祭日なんだからなァ…」と、心の中で自問自答しながら、面前のビールとツマミで2時間が経過し、眩しい太陽の真下を真昼間からほろ酔い気分で家に帰りました。
 
 考えて見ると、私は忙しいからと町内の親睦会に出た記憶もなく、久しぶりの懐かしいメンバーと酒が入って、午前中からビールを飲むのも記憶にないし、終わってから空を見上げると真夏の厳しい陽射が…これも久しぶりです。
 
 もう何もやる気が起こりません。
 
 午後はひたすら横たわるだけで時間が経過しました。
 
 「お父さん、上高地はいつにするの?」
 「いつでも良いよ」
 「〇〇日はどうかな?」
 「その日はダメだッ」(三男)
 「〇日か〇日ではどう?」
 
 結局、全員が都合の合う日は存在せず、かつての4日間もゆっくりとする上高地は望めそうもありませんが、まだまだ先と思っていた夏休みが間近に迫っています。
                                 7月17日の一言

家族のアッシー君で一日が終わり

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 本日も朝からハブニングです。自転車で学校に向かった三男が、「転んで自転車が動かなくなった」と電話です。
 
 「そんな事でいちいち電話してくるなよッ」
 「チェーンが外れて乗れない」
 「何とかしろよ」
 「今日は1時間目から試験だから…」
 
 「試験」と聞かされると、無視もできずに着の身着のままで走り、自転車を積んで稲沢市の学校まで走ると、身体中が真っ黒で、ケガをしている様子でしたが、自転車は競技用のため、チェーンやギアを傷つけたくないため乗せたまま持ち帰りです。
 
 偶然ですが、学校の近くの喫茶店に知人の車が止まっており、息子を降ろしてから立ち寄りましたが、半年ぶりの再会は懐かしく情報交換となりました。
 
 さて、帰宅途中で私の愛車とすれ違い、運転手は私に気づかず走り去りましたが、本日もボランティアは出動中で、私も午前中に一件走ったものの、数日前から娘や息子のアッシー君にされています。
 
 午後には助手席に相棒リマを乗せて息子を迎えに走りましたが、帰宅後には外科に走り、娘も孫を連れて帰宅していた事から、来客の応対と家族(孫)の相手をしているだけで、やるべき仕事は何も進捗しない一日となりました。
 
 こんな事ではいけませんが、家族の雑用と突然の来客の応対をしているだけで、何もしないままで一日が過ぎてしまい、時間の浪費を反省しつつも、無気力な日々が続いており、訪れた人に愚痴まで出そうな心境です。
                              7月8日の一言
追伸
気分一新のためには、完全なる休みが必要かもしれません。

孫の子守役の一日となりました

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 本日こそは、積み残してある仕事を少しでも片付けようと意気込んでいると、「お父さん、○○の所へ…」と、家内から娘のアパートに走るよう連絡が入り、当方の都合は無視した命令です。
 
 娘夫婦が風邪ぎみで不調とは聞いていたものの、病院に走った娘婿が入院となり、娘も同じような体調ながら、子供(私の孫)が保育所に預けてある事から、午後には引き取りに行く必要があり、私が付いていく事になったようです。
 
 娘の家から、保育所に走り、その足で娘婿の入院先に立ち寄り、帰宅後に娘が予約してあった婦人科に送り、夕食を買いに走りましたが、風呂に入る時間に私が近くにあるジャスコで孫の面倒を見る事となりました。
 
 私の顔を見ると、恥ずかしそうに顔をそむける孫との関係ですが、「Gー、Gジィーにオモチャを買ってもらえる」とか、「ジャスコ、ジャスコ」の合唱で、孫もシブシブ家を出て私の腕に引っ張られて歩きます。
 
 自分の子供でさえ家内任せで、子供の手を引いた記憶もない私が、オムツをした2才にも満たない孫を連れて時間つぶしですが、孫の方がよく知っており、ゲームコーナーやオモチャ売り場に到着すると目の色を変えて離れようとしません。
 
 「お父さん、いつまで居るの」と娘から電話ですが、孫が熱中して帰りませんから、「無理やり連れてきて」と言われても孫に嫌われては困る事から、安いオモチャの車と刀を買って退散ですが、今度は足が疲れたらしく動かず、結局はオモチャと孫を抱かえて帰宅です。
 
 娘のアパートで、孫の子分のように夕食を食べていると家内が到着し、「お父さん、早く家に帰って」と、今度は厄介払いのように追い立てられます。
 娘の愛犬が夕食をもらっている事から、「リマにもやってくれよッ」と、午後から私に付き合わされた相棒にもエサを求めると、「食べてから車に乗ると消化不良になる」と家内に言われ、私とリマは寂しく退散です。
 
 「三つ子の魂百まで」の諺がありますが、わずかな時間でも楽しい時間を私と共有した孫が別れを惜しんで泣き出し、「散歩でも行ってくるか」の一言も、「早く帰って、帰って」の家内の一言で、孫の鳴き声を聞きながら相棒と帰宅となりました。
                                   7月6日の一言
追伸
孫の写真を添付するジジィの一日になるとは予想もしていませんでした。

本日は義母の49日法要に

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東海大橋・西側(岐阜県)から愛知県へ入る
 
 本日は家内の母親の49日法要が行われ、昼食会場は木曽川を渡った岐阜県海津市にありましたが、法要に参列した近所の人々の会話を聞くと、地域周辺には理髪店が無いことから東海大橋を渡って岐阜県側に通っているようである。
 
 家内の里は稲沢市(旧祖父江町)にありますが、愛知県の一番西(木曽川沿い)に位置している事から、周辺にはお店どころかコンビニも珈琲屋さんも無く、救急車もなかなか到着しないだけでなく、自転車で走れる場所にお医者さんも存在していません。
 
 しかし、田舎になっていくものの、東海大橋を渡って岐阜県に入ると、前記した理髪店や珈琲屋、焼肉店が道路に並んでおり、今まで不思議に思ったこともありませんでしたが、岐阜県側から見れば、名古屋市に一番近いのが東海大橋周辺となる事から、店が集中して集客が図れている様子です。
 
 東海大橋の東側は愛知県の西の端ゆえに店どころか何もありませんが、西側の岐阜県側は店が並んで、愛知県民が橋を渡ってまで利用している現実を聞き、びっくりとする一日となりました。
 
 さて、愛犬モモの死が未だに重く圧し掛かっており、「あの時に…」とため息がつかれ、一人(1匹)残されたリマも存在するはずの大きな先輩の不在は、精神的にも大きな不安材料になっているのか、夜になっても我々の近くから離れません。
 
 27日の夜に、病院に行くため家内に抱かれて、私の方を見ていたモモの残像が頭を離れず、あの時に無言で別れた後悔と、我々の決断した手術で痛い思いをさせてあの世に送ってしまった後悔は言わないものの続きます。
 
 一週間後が9才の誕生日で、人間の50代にあたる年齢で肝臓の末期ガンとの死因に、我家の4年間に我々が受けるべき痛みを総てモモが身代わりとなっていったようで、降り出した雨が余計に身に堪える夜となりました。
                                  4月30日の一言

家内の母が亡くなり

 昨晩に会報『津島の風』38号が完成し、午前中に市役所で開催される議会運営委員会から帰ったら、地元だけでも配布しようと考えていると、朝から福祉有償運送の依頼で、予約してあるつもりで電話があったものの、予約は入っておらず、大慌てで手配して市役所に走ろうとすると…
 
 「お父さん、いま何やってるの…」
 「何って、なんだ! (怒) !
 「母の様子が…」
 「エッ、様子って、なんだ」
 「在所に走ってくれない…」
 「今から議会だからダメ、ダメ」
 「そう、じゃー良いわッ…」
         ※携帯電話の会話です
 
 今月初めに救急車で運ばれ、回復の見込みなしと言われていた義母が、ついに最後の局面を迎えた様子ですが、突然に議会日程を欠席もできず、市役所から連絡するとやはり亡くなっていました。
 
 さて、今日が火曜日で、明日が通夜で、明後日(木曜日)が葬儀と勝手に手帳を見ていると、家内から葬儀が金曜日(25日)になったと連絡があり、葬儀当日が議会最終日である事と、次年度の予算を採決する本会議のため葬儀には行けません。
 
 親(義理ですが)の最後ぐらいは葬儀を優先したらとの意見もありましたが、市民の税金を報酬として受け取っている以上は欠席できないと家族には伝えてありましたが、本当に議会当日と葬儀が重なってしまいました。
 
 まったく不義理な婿であり、不人情か親不孝も甚だしい話ですが、舞台俳優が葬儀に行かずに舞台に立つのと同じで、平成5年に父親が亡くなった時も仕事中で、死んだと連絡後も黙々と仕事を続けていました。
 
 夕方に在所に走り、慌ただしい台所の手伝いも何もできずに座っていただけで、こんな時に男(私)は何も役に立たず、救急車で運ばれた日と同じ火曜日のため、本日開かれる書道会の準備に家に帰ってきました。
 
 こころ書道にあらず…
 しかし、義母にもあらず…
 明日から全く余裕のない日程と仕事に頭がいっぱいで、明日(今晩)からは朝3時起床の日々が続きます。
                                  3月22日の一言

息子がキーワードの一日に

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 写真は本日開催された津島市消防出初式の中で、天王川公園の池に向けて一斉放水される光景を見守る消防関係者の後姿で、比較的穏やかとは言え寒風吹く早朝より多くの関係者や市民が集まりました。
 
 毎年のこととは言え、消防団員は仕事を持って働くボランティアであり、火災発生時だけでなく、台風や災害時にも出動する事が当り前のように思われているが、貴重な休日や夜間の訓練に借り出される一般市民であり、職業でもないのに命令に従って寡黙に行動する姿は自分には堪えられぬように感じます。
 
 消防団員の活動は、災害時に機敏に行動するために団員の上下関係で規律正しく訓練されており、訓練時に雑談や身勝手な行動は一切なく、「国旗に対して注目」と言われて、「自分は君が代なんて認めない」なんて政治的理屈は通用しません。
 
 私も一年間だけですが、町内から無理やり指名されて団員を務めた事がありますが、年齢が高くなってからの指名であった事と、仕事や与えられた公的役職が多い中で、新人として雑兵のように扱われる消防団の体質が肌に合いませんでした。
 
 自由と平等が当り前となった現代社会において、何事も上下となる団員の関係とか、上の命令に絶対服従の体制は受け入れられないものがあるが、災害時や火災発生時にはこんな理屈よりも、上下伝達により効果的な行動が求められます。
 
 今更やり直す事は不可能ですが、来賓ではなく団員と一緒に整列して身体を張ったボランティアに徹したいと思う心情から、本日は来賓席のあるテントには入らず立ったまま訓練の終了まで参加しました。イメージ 2
 
 さて、本日は成人式も開催され、消防出初式から慌てて会場となる津島市文化会館に走りましたが、今年の新成人の中には私の三男も含まれており、会場で息子の姿を探したものの見つからず、携帯電話も不通になっていた事から、同じ会場におりながら会わぬままに会場を後にしました。
 
 
 寒風吹く消防出初式から、暖房の効いた成人式に移動となり、帰宅して着替えていると動くのも億劫となり、このまま家で休息しようと考えましたが、先週の日曜日が2日であった事から、年末から横井庄一記念館に足を向けておらず、慌てて記念館に走りました。
 
 「今日来なかったら電話しようと思っていた」との館長(横井夫人)の一言は、年末年始に私が病院の検査を受けていることから、姿を見せないことが重病ではないかとの心配をかけており、足を運んだことは正解でした。
 
 一方で、記念館を訪れておられた若い御夫婦が自転車競技を趣味とされており、乗鞍ヒルクライムの優勝経験者と聞き、自転車競技の話にも花が咲き、帰宅後には久しぶりに三男と自転車競技の話で盛り上がる一日となりました。
                                 1月9日の一言

散々な家庭内での存在感に

 本日は体調不良から、横井庄一記念館への到着が遅れたものの、偶然に訪れておられた商社勤務の方の知識の豊富さに驚かされ、館長と3人で会話が弾んでいましたが、次の訪問者により時間切れとなりました。
 
 この人は名古屋に単身赴任中ですが、仕事で世界各国に赴いたことから国際情勢に詳しく、その中でも悲惨な戦争や紛争地を自分の足で訪れ、戦争の記録にも詳しいことから館長も身を乗り出しての会話でした。
 
 さて、やっと帰った我家ですが、夜7時からのボクシング番組が見たいために、居間のテレビのチャンネルをそれまで家族任せにしていると、久しぶりに帰宅していた妹と母親がスケート番組を選択したことから、大人げなく大騒動で退室し、事務所の寒い部屋での鑑賞となりました。
 
 しかも、番組が終わって戻ってくると、ボクシングが放映されており、事情を知らない長男が帰ってから代えたようですが、私の存在を無視したようなテレビのチャンネル問題は、家の主人公がないがしろにされている現実でもありました。
 
 父親が生存中は父親の発言に家内から辛抱を強いられ、母親と妹の発言には家内は私に辛抱を求め、生意気になった子供たちが好き放題に振舞う中で、家庭円満のためには私が辛抱する事を求める家内や家族にはぶち切れです。
 
 「そんなテレビ位で…」と家内は言いますが、私が7時からボクシングを見たい事を知った上で、それまで好き放題にチャンネルを握っていた三男も、騒動を知りながら、途中でボクシングが放映されながら、怒っている私にはそれを伝える事もできません。
 
 サラリーマンだった父親は、私が学生時代に起業してから生活費を入れず、今では息子たちが立派に成人しながら、結婚どころか生活費も入れずに我家の居候状態で、その上に私に我慢を強いる家内や家族には口も聞きたくありません。
 
 明日は病院行きですが、家族と言えども人の身体は何ともできません。結局は自分のことは自分で切り開くしかなく、これからは自分の時間と、自分の空間を考えたい一日となりました。
                             12月26日の一言

久しぶりに孫と会いました

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 本日は市役所で開かれた市長と会派(2人ですが)の懇談会に参加し、終了後には名古屋市消防局で1月に開催される、民間救急の養成講習となる「患者等搬送乗務員適任者講習」の受講申請書を津島市消防本部に提出しました。
 
 午後には名古屋市中川区にある中部運輸局愛知運輸支局で開催された、一般乗用旅客自動車運送事業の「新規許可事業者講習会」に出席し、法令や運行・整備管理などについて午後4時まで講習が続きました。
 
 本来は完成してしないアンケート用紙の印刷や、議会報告となる会報の製作に入るべきですが、議会最終日に報告する特別委員会の報告書も仕上がっておらず、週末から週明けは大変な日々が続きます。
 
 さて、朝から市役所、消防署、運輸局と一日中外出し、帰宅するときに帰り道の途中にある娘のアパートに立ち寄ろうと、ハンドルを左に切りましたが、久しぶりの対面となる孫には私が認識されず、私の顔を見ると泣き出します。
 
 やっとのことで、玩具の自動車で仲良く遊べるようになりましたが、娘が可愛がった分だけ人見知りになっているようで、「じいさん」と言われても腫れ物に触るような関係はなかなか改善されそうにもありません。
 
 ひと時の休養も、市役所からの電話でかき消され、帰宅後の来客と夕食が終わると午後10時です。実は、ここからが今晩は長い一日となり、知人の息子さんが私を四輪駆動車で上高地に連れていってくれる約束になっています。
 
 もっとも、上高地は釜トンネルが閉鎖されており、明日の早朝に歩いて上高地を目指すわけですが、厳冬の地で果たして目的地まで到着できるかは神のみぞ知る事で、この顛末については明日のブログを楽しみにしていただきたいと思います。
 
 添付した写真は、孫に引き連れられた娘の愛犬とのツーショットで、私の感度の悪い携帯写真の代わりに娘が提供してくれました。
                                 12月17日の一言

情けない親父で円満とは…(トホホ)

 「あれー、どうなったんだ?」と、違和感を覚えていただければ幸いと言うか、何も感じてもらえないとしたら淋しい話でもありますが、左のカレンダーの4日分を空白としてしまいました。
 
 こんな事は過去にもありますが、このヤフーブログに移行した当初はヤフーの不具合と思われる時もありましたが、最近はそんな不具合は存在せず、書き込み側の事情ですが、昨日は書き込み中の一言を送信せぬままに眠ってしまいました。本日と言うか、昨日分の一言としてその顛末を記します。
 
 「お父さん、仕事で遅れるから先に食事(夕食)に行って」 (家内)
 「俺は待っているから良いぞ」
 「皆んな(家族)がいるから先に済ませて」
 「遅れても良いじゃないか」
 「私が苦痛となるから…」
 
 こんなやりとりで、家に居る母親や息子達(3人)に事情を話し、弁当を買いに走るか隣の中国料理店に行くか決める事となりました。
 
 「おい、弁当を買いに行ってくれんか?」
 「お父さんが行ってきたら」 (次男)
 「俺は弁当屋に行った事ないだろう…」
 
 「おい、隣に行こうか?」
 「回転寿司はどうだ」 (母親)
 「〇〇寿司か」 (長男)
 「〇〇寿司はダメだッ、△△寿司はどうだ?」
 「△△寿司は満員で入れない」 (長男)
 「ところで、裕一はどうした」 (母親)
 
 部屋に居た裕一(三男)に確認すると、三男には家内から遅くなると連絡があったようで、この事も長男と母親の反感となり、三男は「自分で何か作って食べるから」と戦線離脱となり、こんな事では父親の威厳もなく、家内でないとまとまりません。
 
 「じゃー、隣(中国料理)に決まりだ」
 「隣は良いけどお金はどうするんだ」 (母親)
 「どっかにあるだろー」
 「千円しか置いてないぞ」 (母親)
 「俺が払うから良いだろー」
 
 こんな顛末で隣の中国料理店に決まりましたが、家族にも相性があり、母親と長男はすんなり出かけましたが、私が頼りとする次男は「後で行くわッ」と居座り、家内の金魚のフンとなる三男は自分で何かを作りはじめました。
 
 隣の中国料理店には私は数回しか行った事がありませんが、食事を済ませた長男は勝手に帰り、「家内が来るまで待っている」と言う私を置いて母親も帰った所を見て次男が到着です。
 
 「おまえもビールを飲め」、「じゃー、生ビールを」なんて親子で飲んでいましたが、食べるだけ食べ終えて帰ろうとします。
 
 「もう、帰るから」 (次男)
 「まだ良いだろー」
 「お父さんは長いから…」 (次男)
 「じゃー、お母さんが来るまで待っていると伝えてくれよ」
 
 そんな顛末からビールを追加して家内を待ち続けていると、店主夫婦(中国人)から厳しい経営や高額な家賃について問われ、私の素人経営診断士でも存続は時間の問題です。それにしても、我家(家内の貸し店舗)の倍近い家賃で、住まいは別に借りている事から、現状では家賃を払うだけで利益はありませんが…
 
 「お父さん、何時まで居るの」 (家内)
 「お前が来るまでと言っといただろー」
 「だから、待たれると嫌と言ったでしょう」 (家内)
 「おい、文無しでは帰れないぞッ」
 「持っているくせに」 (家内)
 
 こんな展開で家内と食事を済ませ、「ワッ、お父さん何本ビールを飲んだの!」と言われて帰宅するも、私が一円も持たずに店に居座ったと聞いた母親も、「何で言わなかったの」と、情けない親父の笑い話で家族は円満解決となりました。
 
 ただし、家内が来るまで飲み続けたビールは尋常ではなく、このまま帰宅して事務所に戻らぬままに熟睡し、日時が入れ替わる事を承知していましたが、寒風吹き込む事務所のパソコン上で待つ書き込み中の一文はボツとなりました。
                                11月4日(分)の一言

身体は動いたものの、心は…

 身体が動かないとか、気力が湧かないなどと、ストレスまみれの一言を記していましたが、動かない身体を起して外出していると、市役所から連絡が入り、人と応対中だった事から、「後で連絡します」の一言が、出向いた方が早いことから出向くと、行く先々で仕事や相談事があり、結局は市役所の閉庁時間も経過し、駐車場に向かう前には入院中の知人のお見舞いに行く連絡が入り、市民病院経由の帰宅となりました。
 
 ここから数百メートル先のホールで、2日前に交通事故で亡くなった次男の知人(愛西市民)の通夜が行われており、息子の付き合いである事から訪れなかったものの、知人はご両親に次男を「議員の息子」と説明していたらしく、参列した息子に「議員さんの息子さん?」と問われたと聞き、息子の付き合う友人にもっと関心を持つべきだったと反省と悔やまれる夜となりました。
 
 一度に親しくしていた友人2人を突然失い、亡くなる数時間前にも携帯電話で話していた友人の死だけに、何かを話し掛ける雰囲気にもなれず、深夜族である息子も早々に寝床につきました。
 
 ご両親の心情は勿論ですが、本日葬儀となった友人(中学の同級生)は仕事でも人以上に能力を発揮していたと聞き、職場の人々のショックなど、有るべき人の存在が無くなった影響は大きな波紋を残しました。次男が連日深夜まで向かっていたテレビゲーム「プレイステーション」も、主人公となる友人の不在で今晩は真っ暗です。
 
 さて、病院のお見舞いに訪れた知人は、かつては一緒に中学校のPTA役員を務めた仲間で、パワーと行動力で私を上回るリーダーシップを発揮していた女性ですが、一緒に訪れた息子さんに涙を流して握手する姿に、涙を堪えるのが精一杯で、握手した手が冷え冷えとしており、かつての温かい手の温もりが脳裏に甦り、寂しさがこみ上げてきました。
 
 やる気が失せ、身体が動かない中で、外出したことで仕事に対応して身体が動きだしましたが、病院のお見舞いと、通夜から帰った次男の姿を見たことから、胃の辺りに違和感を覚える夜となりました。しばらくは…
                                 11月1日の一言
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