大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

家計

知人の年金相談から老後の生活を考えて

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本日の夕暮れ 愛西市(旧佐織町)から

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「あれっ? 9910円」

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我家へ帰宅時のタクシーメーターです

 本日で3日目となった市議会一般質問は午前中に終り、先週に相談を受けていた同級生の年金問題へ対応するため市役所へ戻り、結果が良かったので一緒に昼食に出かけました。

 「あと3年で年金が…」
 「オレはあと2年」
 「一緒だろう」
 「オレは63歳 !!
 「俺はまだ62…」

 市役所の窓口で知人との会話ですが、誕生日がきて63歳になっている知人はあと2年で年金受給となる65歳になりますが、同じ同級生でもまだ誕生日が来ず62歳の私は、あと3年後に65歳になる感覚のままですから、その差の大きさに対応した職員も苦笑いでした。

 他人事のように思っていた年金ですが、私の場合は無職になって収入が無くなっても、同居する家族や子供の収入があることと、固定資産があるために、支給される年金より高額となる国保税や県市民税などの請求が続き、年金で悠々自適の生活とはいきません。

 「こんな馬鹿な…」
 「世帯分離すれば…」
 「いいのか?」

 1軒の家庭であっても、親子が世帯を別に分けることで、国保税や公的サービスに差がでることから、無収入の独居老人に職を失った子息が突然戻ってきて同居したことにより、それまで受けていたサービスが受けられなくなったり、公的負担が増して家庭が崩壊する危機に陥り、行政が苦肉の策として世帯分離をしてきました。

 ただし、世帯分離の制度の存在も知らず、そのまま困窮している家庭も多く、かつての議会一般質問で、「全ての家庭に世帯分離を案内しろ」と訴え、行政側から否定的な答弁が返ってきたことがありました。

 現実に、親と子供では同居していても家計は別という家庭も多く、国保税などは世帯主に請求書が届くことから、世帯分離をしないと死ぬまで道楽息子の負担も高齢者が負うことになりかねません。

 もっとも、高齢者とは言え、収入や資産があり、子息も世間並みの生活をしている場合には、やみくもに世帯分離をすると双方に請求書が届き、負担増になるケースもあることから慎重な選択は必要に思います。

 さて、添付した写真は、我家(家内)のタクシーメーターですが、私はボランティア運送ばかりで、メーターを操作したこともなく、本日夕方に家内と小鳥のエサを買いに出た際に経験として実車にしたものの、切り忘れていたためメーターは9910円を示していました。

 稲沢市のホームセンターで買物中の時間もメーターが回っており、帰宅後の料金から本来なら片道3390円のタクシー料金ということが判りました。
 ボランティアの福祉有償運送については、タクシー料金の半額以下に設定されていますが、会員さんの中には低額でも当たり前に感じている人もあり、待ち時間も考えるとタクシーとして負担する料金も理解して利用してもらいたいと、日頃のグチがでましたが、小鳥のエサや今晩の食材を購入するとタクシー料金より高額となっていました。

 「小鳥のエサだけだった筈じゃないの…」

             本日の体重 71、5キロ 徒歩数 5038歩 間食あり
                                       9月7日の一言

車中から本当の珍品が見つかり

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 昨日の一言で、横井庄一さんの茶碗を添付したことで、我家に存在する抹茶茶碗を整理していると、車の車中泊用に積んであった茶碗に「擔風(たんぷう)」の書き込みを発見し、服部擔風(担風)さんは愛知県尾張地方で漢詩の研究や書家として名のある人物だけにびっくりとしました。
 
 早速この茶碗の由来を母親に確かめると、私の父親の作った抹茶茶碗と話し、「それじゃー、何故擔風の名前があるんだ」と問うと、「お父さんが、弥富の擔風さんの所に通っていたから」と、今まで聞いたこともない話を聞くこととなりました。
 
 母親の話では陶芸を習っていたと言いますが、擔風さんは漢詩の講義や詩作の指導に励んだ人で、書の大家であることから、陶芸を習いに行っていたのではないかも知れませんが、父親は擔風さんの指導を受けに通っており、その中で抹茶茶碗に書き込んでもらった物と判明しました。
 
服部 擔風(はっとりたんぷう)
 
 もっとも、私の父親は帝展や日展に入選している日本画の浅見香城先生のもとにも通っており、絵画や書に関心は高かったため、母親の話を聞いてなるほどとは思いましたが、父親が作った茶碗とは言え、服部擔風さんが書き込んだ茶碗だけに、車中で転がっていた環境から事務所2階に移し変えました。
 
朝見香城 (あさみ こうじょう)
明治二十三年(1890)-昭和四十九年(1974) 享年八十四歳  姫路市の生まれ。はじめ画を森月城に学ぶ。のち京都の西山翆嶂の門に入り花鳥画を極める。 大正元年に名古屋に。新派の画家として活躍し、同四年の文展に出品して初入選。 それ以降帝展・日展に入選して東西にその名を知られた。
 
 さて、昨日に添付した横井さんの「ぐいのみ」も1万円程度はすると聞いたことがありますが、本日の茶碗は父親の作った素人作品で、しかも欠けており、粗末な品物を「我家の珍品」として紹介してしまいましたが、我家にも陶芸作家から頂いた高価な抹茶茶碗が存在します。
 
イメージ 2 左に添付した抹茶茶碗は、瀬戸の陶芸作家で、作品が皇室にも献上されている山口小左衛門先生からいただいた作品です。
 
 山口さんは小左衛門窯の13代目を襲名された陶芸作家で、この茶碗は名古屋城本丸に展示されている「黄金黒耀茶碗」と同じタイプの抹茶茶碗です。
 
 この茶碗は、昭和51年に横井庄一さん夫婦と一緒に訪れた際に、居間で出された抹茶の茶碗を持って帰れと案内役の同行者から言われて喜んでいると、帰り際に新品の茶碗を出してこられ、箱に入れて記名していただきました。
 作家は第三者に満足できない作品は渡したくないためらしく、茶碗の価値も判らぬ大学生の私には高価すぎるプレゼントとなりました。
 
 「おまえ、貰った茶碗はいくらすると思っているの」と横井さんに言われましたが、当時の値段で最低でも20万円程度の価値があったようです。
 
山口小左衛門 
大正2年生  瀬戸市西窯町に生まれる。生家の小左衛門窯の13代襲名。瀬戸窯の伝統技術保持と現代陶芸創作に力をそそぎ、皇室献上品、名古屋城をはじめ国内、また海外にも永久保存品が多数。
                           本日の体重 77、2キロ
                                    9月19日の一言

横井庄一帰国15周年記念作品 ぐいのみ

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 本日添付した「我家の珍品」は、昭和47年にグアム島で発見された旧日本兵、横井庄一さんの帰国15周年を記念して、昭和62年に名古屋三の丸会館で開かれた「帰国15周年記念パーティー」の記念品となった「ぐいのみ」です。
 
 横井さんは、昭和50年に陶芸をはじめ、昭和54年秋に自宅裏へ窯を築き六十路(むそじ)窯と命名し、翌年に東京銀座三越百貨店で個展を開き、名古屋、新潟、岐阜、大阪、仙台など全国各地で陶芸展を開催しました。
 
 昭和59年には名古屋三越で作陶10年を記念する個展を開催していますが、この頃から身体に変調が出始め、59年6月に右目白内障手術(藤田保健衛生大学付属病院)を受け、翌年3月には国立東名古屋病院で胃ガンの手術を受けています。
 
 ただし、この頃は長年のサバイバル生活で身についた五感により、自分の感覚で胃の異常を感じて、自らの意思で病院を訪れ、胃ガンも極めて初期に発見されており、平成5年に胃ガンで晩年を迎えた私の父親を見舞い、「おい、頑張らなきゃーいかんよ」と13才も若い父を励ましていました。
 
 横井さんは大正4年から15年まで大鹿庄一として我家で育っており、私の祖母たちを姉のようにして生活していたため、私の父親たちにも兄貴分のように振舞っていましたが、28年もグアム島の洞穴に隠れていたため、発見後も父親よりも感覚が若く、私の良き理解者でもありました。
 
 さて、本日は最近更新していない「横井庄一記念館」のホームページを見たところ、掲示板に「奥様、大鹿様、こんにちは」の書き込みを発見し、最近まで「記念館に寄せて」と横井さんを連載されているブログを発見し、この中には平成9年に放映された「知ってるつもり」(日テレ)のビデオが添付され、当時の私の映像も紹介されていました。
 
 
 本当に有難うございました。こんなことから、横井さんの珍品を紹介することになった次第です。一方で、横井さんの公式ホームページやブログを運営しておりながら、新しい記事を書き込まないままに日々を経過させている反省もする一日ともなりました。
 
横井庄一記念館 明日への道 公式ホームページ
 
 
 本日の津島市議会では、文教建設委員会が開催され、午後5時40分まで審議が続き、傍聴のため退席も可能でしたが、気になる報告案件が最後になっていたため、人との約束を順延することになってしまいました。
 
                         本日の体重 77、2キロ
                                  9月18日の一言  
 

事務所に眠る日本画から先人を偲んで

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 私の事務所の2階には、父親が若い時から日本画を習っていたため、師となる浅見香城先生の画帖が多く残されており、この虎の絵もその中の一枚ですが、父が亡くなっててから置かれていた倉庫が雨漏りしていたため、保存状態は最悪だったものの、中に描かれた絵は臨場感がそのまま残されていました。
 
朝見香城 (あさみ こうじょう)
明治二十三年(1890)-昭和四十九年(1974) 享年八十四歳
姫路市の生まれ。はじめ画を森月城に学ぶ。のち京都の西山翆嶂の門に入り花鳥画を極める。
大正元年に名古屋に。新派の画家として活躍し、同四年の文展に出品して初入選。
それ以降帝展・日展に入選して東西にその名を知られた。
中京出品協会理事として名古屋画壇の為に尽力し、昭和三年に渡辺幾春・喜多村麦子らの若手作家と、中京美術院を創設して後進の育成に功績があり同二十五年に愛知県文化功労賞を受ける。
 
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 週刊誌の占いコーナーに、「部屋を片付けることが吉」とあり、事務所の2階に放置されたままの画帖を持ち出したところ、総てが父親の師の作品と思っていた物が、現実には複数の画家の手によるものと判り、父が存在すれば簡単に聞けるであろう作家名を知る手立てが見つかりません。
 
 父の師となる浅見香城先生は、昭和49年に亡くなっておられることから、それまでの年代と香城と記された画帖は間違いがないものの、「小寺礼三」、「俊三」と記された画帖の作者がネット検索しても判りません。
 
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 左は画帖の巻末に記された年号と記名で、右側は「昭和37年新春香城」と記されていますが、左の画帖には「昭和壬子師走」と記されており、壬子は干支で、「みずのえね」と読み、干支は60年周期ですから、ここに記された昭和壬子にあたる年は1972年(昭和47年)に記されたものと判りましたが…
 
 本日まで、画帖はすべて浅見先生の作品と思っていたことから、作者の判らない多くの作品の出現に戸惑いましたが、「部屋を片付けることが吉」との占いに、封筒に入れたまま忘れいているヘソクリを期待していたものの、父の残した作品も評価額はかなり高額と考えられるため、父親の書画は千円クラスですが、著名人の手による作品だけは整理して保存に努めたいと思います。
 
イメージ 4 さて、冒頭に添付した虎の絵はいったい誰によって描かれた作品なんでしょうか。
 右の虎も同じ作者による絵画ですが、見事な作品であることは疑いがなく、「開運!なんでも鑑定団」で鑑定してもらわないと作者が特定できません。
 
 ちなみに、経歴を添付した浅見香城先生も、戦前の帝展や、日展に入選している日本画家で、本日はじめて名前を知った「小寺礼三」さんについても、大正1年生まれで名古屋出身であることと、帝展や新文展、日展に多数入選されている大和絵、仏画を得意とした作家であることがネット検索で判りましたから、占いのように「部屋を片付けることが吉」になったのかも知れません。
 
 
 昨日は父親の残した木々を添付し、本日も父親が残した遺品の中から、著名な作家による日本画を添付することになりましたが、しばらく忘れていた我家の珍品についても添付を続けていきます。
 
                                  5月1日の一言

大正天皇の石が増上寺大僧正から我家へ

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捨我精進 辨匡
 
 私の事務所の奥に飾ってある額で、「捨我精進」と記された書ですが、揮毫されたのは椎尾 辨匡(しいお べんきょう)という宗教家の手による、我を捨てて精進せよとの意味で、長年名古屋の東海学園の倉庫で埃と雨水に打たれて眠っていたものを、私のために叔父が持ち帰り、京都の表装屋さんに出して表装しなおしたものです。
 
 椎尾 辨匡さんの最盛期には、「1字20万円」と言われた書だったようで、宗教家は亡くなると字の価値も下がると聞いたことがありますが、私が事務所を新築した際に叔父が記念に贈ってくれた貴重な書でもあります。
 
椎尾 辨匡(しいお べんきょう、1876年7月6日 - 1971年4月7日)は、日本の仏教学者浄土宗僧侶・政治家大正大学学長大本山増上寺法主などを歴任した。
 
名古屋円福寺住職の子として生まれ、13歳で得度。東京帝国大学を卒業後、宗教大学(後の大正大学)・日本大学・早稲田大学などで仏教学の講義を担当。1913年に東海中学校校長となり、1922年に仏教運動として共生運動を始める。1926年に大正大学教授となり、学長を3度経験(第6代・第9代・第14代)。僧職の傍ら、1928年の総選挙に愛知1区から立候補し当選し、衆議院議員を3期務めた。
1945年には増上寺法主となり、戦災で大打撃を受けた寺の復興に当たった。また東海学園理事長を務め、1963年に開学した東海学園女子短期大学(現東海学園大学)の学長に就いた。
 
 最近になり、浄土宗のキャッチフレーズとなっている、「法然共生(ともいき)」の共生が椎尾上人の残された言葉で、椎尾上人は「共生」という言葉を、法然上人が師と仰いだ中国唐の時代の善導大師の『往生礼讃』という書物の中の「願わくは諸の衆生と共に安楽国に往生せん」というものから引用されていたようです。
 
 椎尾上人の共生の理念は、人は時々刻々常に生まれ変わり、臨終の夕べにはもっともこの世における生命の完成された姿で浄土往生を迎えることになると表現されています。
 
イメージ 2 叔父は東海高校から大正大学に進んだ浄土宗の僧侶で、東京のお寺に住み込んで大学に通っていたことから、椎尾上人が法主となっていた東京芝の増上寺から頂いた大正天皇にまつわる三石(左の手のひらの石)も私の手元で家宝となっています。
 
 もっとも、我家に届いた当時(私の高校時代)は3個の石が存在したものの、20年ほど前には2個になり、今では2個が行方不明で、この1個だけしか存在しません(家中の何処かには存在しているはずですが)
 
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 右に添付した写真が3個の石の但し書きで、右側の茶色の封筒には、「大正天皇 九條家、御賜三石入り 道重信教大僧正 御書付ヶ添付」と書かれ、当初は3個の石が入っていました。
 
 添付されていた「御書付」が左側の筆書きで、「三石 ○? 大正天皇相州葉山海浜二於テ 拾セ玉 ○?石也 九條鶴殿二参上し節 拙僧頂キタルモノナリ ○?而○?二記シ置クモノ也  大本山増上寺七十九世 大僧正信教謹書」と記されています。
 
 落款が押されておりませんが、頂いた当時の話では、「欲しかったら増上寺に行けば筆跡で判るから…」と言われたものの、最近の「なんでも鑑定団」のテレビ流に言えば残念なことかもしれません。
 ただし、2個が行方不明とは言え、この1個の石は確実に葉山の海岸で大正天皇の手によって拾われた石であり、その石が私の手の中にあると思うと、大正天皇は勿論ですが、石は永遠にそのまま残っていくことに感動させられます。
 
 戦後60年が経過し、終戦直後に縁あって叔父の手元にきた大正天皇の石が、我家で歴史を重ねてきたことと、当時は貴重だった椎尾上人の書が、学校の倉庫で埃にまみれて存在すら忘れられ、叔父によって再生されて、我家の事務所に掲げられている現実を考えると、時間の経過は一瞬で、今度はこんな但し書きを私が残していく必要に迫られていることを実感させられます。
 
                                  11月11日の一言
追伸
本日は市役所で定期監査の一日となりましたが、木曜日と金曜日も市役所で同様の生活となり、明日と明後日は個人的に山積したプライベートの仕事を夜まで続けないと、週末の四国遍路に出発もできません。

横井庄一記念館にある父親の色紙      横井庄一さんの17回忌が行なわれ

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横井庄一記念館に飾られる私の父親の色紙 「小銭が貯まる」
 
 本日は横井庄一さんの17回忌が行なわれ、今回は新たに夫人の在所の京都から甥子さん夫婦も参加され、あっという間に経過してしまった16年間の思い出話に花を咲かせましたが、完全に世代交代していく現実も実感させられました。
 
 添付した写真に写る絵画は、私の父親が「小銭が貯まる」として横井家に持ち込んだ自筆の色紙で、金の色紙に輝く稲穂が描かれており、いつ頃持ち込んだかは夫人に聞かないと判りませんが、記念館が開館したときから居間に飾られています。
 
 先月に私の父親の描いた色紙が沼津市からオークションに出されたことから、記念館に置かれている色紙もコレクションとして記録してきました。
 
 さて、名古屋の結婚式の豪華さが話題になりますが、実は法要の後に御礼として用意される贈答品も豪華で、法事の後に大きな紙袋を持ち帰ることとなるものの、横井夫人は紙袋こそ大きいが、中身には「山椒は小粒でも」の諺のように、小さくても品のある京都の老舗の茶菓子などが手配されていました。
 
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 右に添付したお菓子は、京都「亀末廣」さんの玄米落雁「一休寺」という品で、玄米と和三盆と大徳寺納豆が組み合わせられており、甘い和三盆のまん中に塩味の大徳寺納豆があり、品の良い茶菓子になると思われます。
 
 身勝手に他人のブログを拝借すると、「亀末廣は文化元年(1804)に伏見醍醐の釜師であった初代・亀屋源助により創業され、以降、二条城の徳川家や御所から特別注文を賜ってきた歴史を有す京菓子の老舗である」と紹介されています。    
                             亀末廣 京都の地図
 亀末廣に関するブログ  http://hero1945.livedoor.biz/archives/50733720.html
 
 8月の月末に京都を訪れた際に、ホテルが烏丸御池にあったことから、京都の町屋を歩いてリーズナブルで新鮮な素材を用いた居酒屋を見つけ、翌日の一言に添付したのが烏丸御池の魚座というお店で、この店の近所に亀末廣が存在することから、京都の新たな魅力を発見しと記しておりながら、こんな老舗の前を素通りしていたわけですからなかなか老舗の敷居は高かったのだと思います。
 
 御池 魚座 http://r.gnavi.co.jp/kbsz700/
 
 もう一品は、大阪の「神宗 淀屋橋店」のご進物で、神宗の歩みは、天明元年(1782年)、初代・神嵜屋宗兵衛が大坂・靭に海産物問屋(三町問屋)を構えたことから始まりましたと紹介されていました。
 
 年末の八坂神社と、年始の初詣に始まり、誘われるままに京都を訪れ、平成3年からは毎年送り火に出向いていますが、人々から京都に詳しいと言われて否定もしてこなかった恥ずかしさを実感する一日ともなりました。
 
                                  9月20日の一言

横井庄一作 初期の抹茶茶碗です

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 添付した焼き物は、グアム島で発見された「横井庄一」さんが作陶した抹茶茶碗で、陶芸を始めた一番初期の作品で、「すごいだろう」と我が家の家族に自慢するために持ち込んだ茶碗です。
 
 横井庄一初期の作品ですが、正確な作陶年月は不明で、グアム島から帰国して2年後の昭和49年7月の参議院選挙に立候補して落選しおり、この直後に陶芸を初めておりますから、昭和50年頃の作品で、初期に指導を受けた長久手の青少年公園の窯で焼かれた作品と思われます。
 
 
 年譜を見ると、『昭和54年の秋に自宅裏へ窯を築き六十路(むそじ)窯)と命名』とありますから、この頃から本格的に作陶生活を続け、昭和55年に東京銀座三越百貨店で個展を開催してから、昭和59年に名古屋三越百貨店で作陶十年を記念する個展を開くまで、全国8ヶ所で個展を開催しています。
 
イメージ 2 名のある陶芸家の多くは、腕が未熟だった頃の初期作品を見るのを嫌がるそうですが、まさに添付した抹茶茶碗は横井庄一が全くの素人として入門当初に焼いた作品で、我が家では普段の来客に使用されており、上部にぶつけて欠けた小さなキズが残ります。
 この茶碗は、ひも状にした粘土を巻いて器にした陶器で、ロクロを回して作られた抹茶茶碗ではありません。
 
 平成18年に横井庄一記念館が開館したのに併せ、我が家の事務所2階にもミニ記念館として陶器や書を展示したため、この抹茶茶碗もケースに入れられて現在は使用されていません。
 
 右上に添付した「ぐい呑」は、帰国15周年を記念して名古屋市中区三の丸会館でパーティーが開かれ、ここへ出席した人々に記念品として配布された物です。
 横井さんは多くの陶芸作品を作っており、販売はしていないものの、多くの焼き物を記念として差し上げており、差し上げた人々の高齢化と世代交代により、最近はオークションに出展されるようになってきました。
 
 我が家に残された横井さんの陶芸作品や書なども、我家のささやかな珍品として、これから時々紹介していきたいと思います。
 
 さて、本日津島市議会では、厚生病院委員会が開催され、明日は文教建設委員会が開催されます。
 個人的には、本日病院で健康診断の予約を済ませ、今月25日に胃がん検診を受けるのを皮切りに、各種がん検診や基本検診を受けることにしています。還暦をひかえ、確実に身体機能が低下しているため、何事もないことを祈るとともに、何事があっても動じない気力で乗り切りたいと念じています。
 
                                   9月11日の一言

父親の描いた色紙が里帰りして

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 本日の午前中に宅配便が届き、中身は平成5年に他界している私の父親が描いた猿の色紙で、今月ヤフーオークションに出展されているのを発見し、絵としての価値は感じないものの、親の残した遺品としてオークション初参加ながらも落札することができました。
 
 添付した写真は我家の玄関で、他界する前年に父親が「どうしても門柱を建てたい」と造ったものですが、「大鹿」の表札も父親の書を彫ったものだけに、届けられた色紙の里帰りのようにも感じた一日となりました。
 

◆大鹿時義 作◆ 日本猿を描いた肉筆色紙画/津島

商品の情報

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 オークションに参加したのも初体験で、過去にネットを通じたトラブルが発信されていることから、自ら入札に応募するとは思ってもいませんでしたが、宣伝するつもりは毛頭ないものの、トラブルを払拭して安全に参加できるシステムになっていたことを実感させられました。
 
 私の父親の色紙は静岡県沼津市の方から発送されており、我家で父親が描いていた絵が、どのような経路で沼津に存在したかも気になるところですが、有名でもない父親が趣味で描いた色紙を「こんなもの」と捨てられても当然と思うものの、発送した色紙を保護するために別の色紙が重ねられており、出展していただいたことご配慮に感謝の一言です。
 
 父親は旧満州鉄道の鉄道員であったことから、戦後は愛知県に戻って名古屋鉄道の乗務員からグループの名鉄産業で定年を迎えており、若い時から帝展の日本画家浅見香城先生の指導を受け、描いた絵の多くは名鉄を定年退職された人達や同僚への記念品として、かなり多くの色紙が出回っていると思います。
 
 昭和40年代までは大きな額に入る作品も描いていましたが、定年退職した昭和63年頃からは地元の勤労会館で開催される日本画や書道の教室に通い、毎日のように絵を描いていたことから、そんな頃に描かれた色紙だと思われます。
 
 さて、過去にも差し上げた人が亡くなった際に、遺族から戻った色紙が存在しますが、今回里帰りした色紙についてはかなりシミがついていることから、居間か玄関に飾られていた可能性も高く、付着したシミの存在が所持したおられた人と色紙の距離を感じます。
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 私の少年時代までは、恩師の浅見先生の弟子の人たちによって「たんこう(坦交?漢字が定かではありません)会」という画展が開催され、出展した父親の作品にも希望者から値段が付いたことはありますが、父親はそういった作品を名鉄の大切な人に差し上げており、今回の色紙が唯一売買された作品になりました。
 
 しばらくは我家の仏壇に飾り、額に入れて大切に保管していきたいと思います。
 
                                   8月31日の一言

料金未納で電話が利用停止に

 24日、宮城県金華山沖東約900キロの海上で、三重県紀北町ののカツオ一本釣り漁船堀栄丸(119トン)と、玉井商船(東京都港区)が運航するパナマ船籍の貨物船「NIKKEI TIGER」(約2万5千トン)が衝突し、乗組員22人のうち9人が仲間の漁船に救助されたが、日本人12人、インドネシア人1人が行方不明になっている。
 
漁船が衝突13人不明9人救助 貨物船と衝突、宮城沖
 
 日本人が艱難事故で行方不明になると、新聞の一面を飾る重大な記事として扱われる半面で、日本の尖閣諸島に出没する中国や台湾の漁船は、日本の海上保安庁の巡視船に進路を遮られ、放水による沈没の危険も顧みずに日本の領海内に出没している。 
 
台湾船団、日本領海から離れる 尖閣諸島周辺
記事の続き…
 船団には、台湾メディアも同乗。台湾のテレビニュースは日本の巡視船とにらみ合う映像を流し、日本の巡視船から放水を受けている、とした。同行している台湾の通信社の報道によると、漁船を追い払おうと放水した日本の海保の船に、台湾の巡視船も放水した。
 台湾漁船団の指揮をとる組織の責任者は午前10時15分、台湾に向けて引き返すことを決定。この間、一部の漁船は魚釣島から5.5キロのところまで近づいたという。
 一方、海保によると、この数日間、尖閣沖の領海や接続水域内を出入りしていた中国船は25日午前9時現在、計10隻が尖閣周辺を航行中。うち6隻が尖閣諸島の久場島沖の接続水域内に入っているという。
 
 今回侵入した台湾漁船は約40隻、巡視船は計8隻に及び、台湾の巡視船は「ここは台湾の海域で正当な業務を行っている。ただちに退去するように」と応答し、漁船は台湾の旗やのぼりを掲げ、横断幕には「釣魚台(尖閣の台湾名)の防衛を誓う」などと書いていたと報じられている
 
 日本に友好的と言われていた台湾の漁船や巡視船が、中国以上に強硬な実力行使に至った背景に、韓国も含めて日本包囲網ができているようにも感じられるが、国益のためには危険も顧みない隣国の人々と、国益どころか生活保護で国の寄生虫となっても恥とも思わぬ日本人が増加しているだけに無力感が漂います。
 
 「お客様の都合で通話ができない状態になっています」の案内テープが流され、私の事務所の電話が不通になっている事も判らず、相手が話し中と勘違いして何度も電話をかけなおしていましたが、電話料金が払われていない事が原因で利用停止になっていました。
 
 NTTへ連絡して確認を試みるも、テープによる案内から担当窓口に転送されるものの、テープから「ただいま電話が殺到してつながらない状態に…」の繰り返しで、事務所の机に置かれていたNTTファイナンスに連絡すると、今までNTT西日本によって銀行口座から自動的に引き落されていた電話料金が、7月からNTTファイナンスに引き継がれ、コンビニで支払う方式に変わっており、どこかのサラ金の宣伝と思って置いたままの手紙が請求書だったんですね。
 
 どうやら、NTTファイナンスに集金を引き継いだ事で、NTT西日本の料金担当窓口にはつながらない状態になっており、NTTファイナンスに今まで一度も窓口で支払った事はないと伝えても、「6月までの事は判りません」の一言で、NTTの身勝手な料金支払いシステムの変更が原因と思っても肉声で訴える場所につながりません。
 
 結局は電話が不通では困る事から、慌ててコンビニに走って支払い、電話回線は回復したものの、今月からは固定電話がNTTからソフトバンクに変わっているため、嫌がらせとしか思えず、自宅はNTTのままですが、しばらくは気をつけないといけません。
 
 こんな時に電話の問い合わせ先が全てテープによる案内で、言われた案内に従って目的地の番号を押すものの、目的となる窓口から「つながらない状態…このまま…かけなおして下さい」のテープが流れ、当方の言いたい事も伝わらないままに時間が経過する現実に、腹立たしい気持ちをぶつける場所にもつながりません。
 
                                   9月25日の一言

家族全員の電話代を節約できれば…

 本日は文教建設委員会が開催され、熱心な質疑が繰り返されたことで昼休みまで審議が続き、私は会派控え室で議論を続けていたら午後1時になり、昼食抜きのまま午後に開催された議会運営委員会に出席し、時計を見ると訪問者と約束してあった午後4時になっており、慌てて自宅の事務所に走りました。
 
 訪問者は固定電話をソフトバンクに切り替える関係者で、これまで私個人の電話や携帯電話を使用していたNPO法人に新たな電話番号を引き、事務所から私の携帯電話に転送すると高額となっていた通話料が無料となりました。
 
 もっとも、NPO法人で使用していた携帯電話を母親に提供したため、電話の基本料金そのものは増えますが、これからはボランティアのためにも経費を惜しまずに、法人として最低限の体裁は整えてサービスの拡大につなげたいと思っています。
 
 一方で、母親に携帯電話を譲ったため、我家は8人全員が携帯電話を持ち、親から引き継いだ自宅の固定電話と、私の事務所とNPO法人それぞれの固定電話に、市役所から提供されているファックスなど、電話だけでも大変な支出となっています。
 
 我家のご先祖様となる横井庄一さんは、グアム島で28年間も自給自足の生活を送り、帰国後は耐乏生活評論家と言われた事もありましたが、私は贅沢はしないものの必要不可欠なお金はザルのように飛んでいきます。
 
 家族全員が働いて、倹約に努めれば一財産築けそうな環境かもしれませんが、私は人と人との出会いやお付き合いの感動に酔いしれており、先祖からの土地や遺産は死守するものの、子孫に財産は残せそうもなく、残そうにも働く年齢からは随分と歳を重ねてしまった事から、最後の一日まで自立して子供の厄介にはならぬようにしたいものです。
 
 議会中ですが、明日の夕方には書道展の作品を搬入する予定となっており、明日中に色紙を一枚仕上げる必要があり、こんな即興の作品を出展するのは恥ずかしい限りですが、「どうせこんなもの」との開き直りと、恩師の遺品となる書を出展する奇策も考える夜となりました。
 
                                  9月14日の一言

税務署の調査は追徴となり

 本日も午前3時からの会報配布は同じですが、仮眠後に市役所に走るのではなく、税務署職員の訪問が約束されており、自宅で待機していましたが、昨年の申告時に福祉タクシー開業にかかった経費が申告してない事から、年末に戻ってくる税金を考えていたところ、昨年に企業の駐車場に売り渡した際の申告に不足があり、加算税と延滞金もかかるとの寝耳に水の話となりました。
 
 そもそも、土地を売買する気持ちがなかったのですが、私一人の反対でも企業誘致が頓挫してしまう事から、市役所に釘を刺され、地目が田であった事から、角地で一番資産価値の高い我家の土地も、一番奥地の田も同じ価格で団体交渉となっていた事にも不満がありながら、「議員」である事から歩調をあわせた売買でもありました。
 
 一方で、私は土地を売る気持ちが皆無であった事から、父親の相続時に「納税猶予」を受けており、今回の売買に関しても「納税猶予に関する税金は企業側で持ちます」との約束となっていましたが…
 
 確かに該当する税金は企業側が支払ってくれましたが、契約書の中ではこの税金は売ってもらうための「協力金」となっており、この税金に支払った税額は私に替わって支払っただけで、この金額は私の所得にあたると税務署が判断したようです。
 
 もっとも、今年の確定申告時に私は企業との契約書も持参して相談しながら申告しており、適正な指導がされておれば、不足分は別としても加算税と延滞金は支払う必要がなかっただけに無念の気持ちです。この事を税務署が電話でも伝えてくれれば、私は一ヶ月分の延滞金を支払う必要もなく、調査のための訪問も確実な追徴のためだったのですね…
 
 「それじゃー、タクシーの設備投資と赤字分の修正申告も一緒にやってよ」との一言には、「それは個人所得の担当で、我々は固定資産の担当だから」と、担当窓口を尋ねてくれとの返事です。
 
 大いに不満はありますが、不満の対象は税務署ではなく、企業と不動産屋にぶつけるべきで、この件は遅れれば遅れるだけ延滞金が増えていく事から、「一日も早く始末してよ」との別れとなりました。
 
 土地が売れたことで、国や地方自治体に譲渡価格の2割分の税金が必要となり、この一時所得が各種の公的負担にも直結する事から、私は先祖伝来の土地を売ったことで国や愛知県、津島市を太らせただけのようにも感ずる一日となりました。
                               9月9日の一言

総てに公平で平等な社会に

 本日、私が一番興味を持った新聞記事やテレビニュースは、「貴乃花親方」に同調する親方6名が二所ノ関一門を破門になり、貴乃花親方と行動を共にするという大相撲理事選の行方で、6名の親方の元の力士名を見て、同じ釜の飯を食って競い合った仲間同士の絆と、初代若乃花が築き、貴乃花親方の父親が引き継いだ二子山部屋の力士たちが一緒に行動する姿に、改革派と言われる貴乃花親方の存在が異端ではなく、6名全員が貴乃花親方より年長で、間垣親方(2代目若乃花)に至っては私と同年である事から、人と人との友情と仲間意識をうらやましく思うとともに、今回の貴乃花親方の行動は我々地方議員にとっても、信念に基づく行動を見習いたく、今後の動向に注目してエールを送っておきたい。

 さて、本日はこのまま貴乃花親方を話題にしたいものの、昨年の「定額給付金」以来、民主党だけでなく全国の地方自治体においても、医療費や保育料などの減額や無償化が続いていることから、本当の意味で将来の肥やしになる施策と違い、選挙の勝敗のために公約された不公平で理不尽なサービス拡大には警鐘を鳴らしておきたいと思います。

○年収400万円以下世帯の保育料無料化へ 渋谷区条例案↓
http://www.asahi.com/national/update/0120/TKY201001200008.html

○保育料無料枠を拡大↓
http://mytown.asahi.com/aichi/news.php?k_id=24000001001130003
○「子ども手当」どう使う? 7割は教育、3割は生活に↓
http://www.asahi.com/edu/kosodate/news/TKY201001120131.html

 最近の事ですが、私の住む津島市民の方から、「生活保護世帯の障害を持つ子供が、障害を持つ相手と結婚したが、生まれてきた子供も障がい者だった事から、生活保護世帯が2軒に増えただけでなく、生まれた子供の一生を国が面倒を見る事になるが、大鹿さんはこの事についてどのように思うか?」との質問がもたされました。

 何時間も何日かに及ぶ会話の内容を、断片的に記すると大きな誤解を生ずるのでここには記しませんが、真面目に働いても添付した渋谷区の400万円の年収に届かず、夫婦2人が必死で働いてもそれ以下の家庭も身近に存在しています。

 我が家も家内が働きに出ていますが、家内は借金をして建てた貸店舗が空いた事から、返済の意味でも働きにでていきましたが、生活に必要だから働き、我が家は4人の子供を育てましたが、今までに一度も児童手当などを受給する対象になる事はありませんでした。

 だからと言う訳ではなく、嫁いだ娘は「子供手当てが出れば、2人目も考えてみようか」と語っているので、目的がしっかりとして公平な施策については反対でもありませんが、夫婦2人が働く家庭と1人しか働かない家庭では所得に差が出るのは当然で、所得を区切った補助金は、その狭間にある人々の働く意欲を減退させていきます。

 私の同級生でも、病気の家族を抱えて大変な家計をやりくりしている知人が存在しますが、この知人より健康で恵まれた環境下でも生活保護を受給している人が存在し、私の知人は医療費に悲鳴を上げていますが、生活保護を受けて医療費全額が免除されている人と、公開で対比させてみたい心境になってきます。

 名古屋市が市民税の1割減額を打ち出していますが、減額すればどこかにしわ寄せが出るのは必死で、年末年始の「避難所」で交通費をもらったら行方不明となった東京都の例ではないが、真面目な納税者が損をしない公平な施策を遵守したいと思います。
                                   1月20日の一言

不慣れなお金の扱いに翻弄され

 3月に郵便局の簡易保険(学資保険)が満期となり、契約者の私が郵便局に出向けば現金が直接受け取れると家内に言われて、そのお金で息子の進学する専門学校の学費を振り込みに出向いたが、満期返戻金が窓口では判らないと言われ、確定して口座に振り込まれるまで半月が経過した。

 満期で受け取った返戻金から息子の学費を支払う予定が外れたばかりか、昨日引き落としに出向いた家内には「全額引き出すのには本人の委任状が必要」と言われ、本日になって私が直接郵便局に出向く事になったのだが、わずか5人のお客さんのために1時間も待たされる事となりました。

 こんなに時間がかかったのには、難しい手続きが必要な顧客があったのでしょうが、通帳から現金を引き出すだけの私は5分とかからず、久しぶりに手にする帯封付き札束を前に、後ろに待つ顧客が多い事と大金を見たひったくり犯から狙われても困ると思い、金額も確認する事無く平然と窓口を離れました。

 50半ばの中年になるまで銀行には家内が出向いてきた事から、こんな時の対応がどうして良いのか判らず、受け取った金額の確認は絶対必要とは思うものの、背中に多くの視線を感ずる窓口で紙幣を数えるのも不自然と思いつつ、窓口を離れてから金額の不足を発見しても遅い事から、こんな客への配慮が不足していると感じるとともに、民営化されたものの銀行の手際良さと比較すれば横着としか思えません。

 この一ヶ月間に息子の学費の支払いや、娘の結婚式場への支払いに出向き、先祖伝来の土地の売却益で得た小切手の預金で銀行に出向いたが、元々は振込み詐欺や振り込め詐欺による影響と思われるが、高校生の息子の支払いや、娘の代役の振込みすら簡単に出来ない現実に理不尽としか思えません。

 知人の郵便局職員に依頼されて契約した簡易保険であったが、満期の連絡と支払いについては当方が窓口に出向いてから受け取るまで約半月が経過しており、契約は家内が自宅で書き込み、毎月の支払いは家内が済ませてきたものの、契約者である私が郵便局の窓口に直接出向かないと支払われません。

 満期の期日が近づいたら手際良く郵便局員が訪問して、満期には小切手でも持参してくれたら「引き続きの契約」なんて展開も考えられ、不慣れな私が窓口に出向く必要もありませんが、民間の保険会社のようにはいきません。

 昨日は、「私だけの口座を作りたいのだが…」と銀行窓口に出向くと、既に私名義の口座がある事から「1人で2通の口座はできません」と断られ、存在する口座は家庭の生活費の出し入れに利用されているから、「生活費と違う貯蓄用に私個人の口座が欲しい」と伝えると、支店長から「議員の大鹿さんですね?」と確認される始末で、口座は開設できたものの、政治の良からぬ金との疑惑でも感じさせたのかもしれません。

 さて、議員には定年がありませんが、同級生が定年を迎える頃には同じような退路を考えていますが、私には退職金がありませんから、これから老後の生活資金を備蓄していく必要に迫られます。さて、さて、どうしたら良いのでしょうか。明日は私が無報酬と声高々に宣言しているNPO法人の役員会ですが、無報酬も哀しいものの、現実は持ち出しとなっており、知恵を働かせる必要にも迫られています。
                                4月15日の一言

銀行と郵便局で3時間が経過して

 日頃から私とは縁のない札束ゆえか、携帯電話のレンズが曇ってしまったような写りですが、私の娘の結婚式の支払いに銀行へ持ち込む前に名残を惜しんでの一枚です。かなり長い間冬眠していた帯封つき札束のためか、新しい認証シールのない旧一万円札ですが、永遠の別れのためか中々離れられない一日となりました。

 たかだか一瞬の結婚式に費やすのは本当に勿体無く、私なら簡素化して残していきますが、この金の怨念から娘夫婦の貧乏生活が続く事にもなり、さりとて「今日が締め切り」と家内から何度も催促されで渋々出向いた銀行で、現金を持ち込みながら振込みさえ簡単にできない現実に同行した知人もびっくりです。

 結婚式場から届けられた振込用紙に娘婿の名前が記されていた事から、本人との関係を問われ、新婦の父親と名乗ったものの、本人の同意書か証明できるものが必要と言われ、支払うのは私と言ったものの、銀行から次々と質問され、知人が「カードで振り込めば」との声に、「10万円以上はカードで振り込めません」との話である。もっとも、私は銀行のカードを一度も使った経験がなく、暗証番号も使い方すら判らないのですが…

 何度も娘や結婚式場と連絡を取り合う姿を見て、銀行の案内係の女性が、振込み人の欄に私の住所氏名を加える事で銀行の同意を取り付けてくれたものの、連休後の月曜日のためか銀行は利用者で満杯となっており、現金を振り込むのに1時間半を超える展開となりました。

 さて、本日はこの他に、郵便局で満期となった三男の学資保険の受け取りにも出向く事となっており、受け取った満期返戻金で進学する学校の学費を振り込む役目も言い付けられており、銀行から郵便局に走ったものの、貯金の窓口は複数あるものの、保険の窓口は一つだけで、客との応対が延々と続いており、待たされる事30分で私の番になりましたが…

 契約が私の名前になっている事から、何も判らずに出向いただけでしたが、途中で保険金の出し入れがあったとの事で、理由を聞かれても判りません。家内に電話をいれて聞き、窓口と協議となりますが、結局は満期返戻金は2週間から3週間ほと先に口座に振り込まれる事になり、それでは息子の学費が支払えません。

 娘の代役で出向いた銀行での出来事は当方の問題であり、最近の振込み詐欺の多発から当然の措置かもしれませんが、毎月保険料を払い込んだ郵便局の簡易保険は、元々が職員の熱心な勧誘によって契約したもので、本来であれば契約した職員が満期となった現金を持って来ても良いと思うが、窓口に本人が出向かないと支払われない事から私が出向いたのであるが、本人が出向いても現金がもらえない現実に…

 「どうなっているんだッ」と大声で怒鳴り倒したい心境だが、私の後に続く人々の存在からそのまま郵便局を後にしたが、保険の満期の支払いがこんなに時間がかかって面倒な事とは、今まで他人事として聞いていた現実を我が身で体験する一日となりました。
                                      3月23日の一言
 

家内は仕事を休んで税金納付へ

 議会中ではあるが、久々に空白の2日間となり、のんびりしたかったものの、やりのこした事も多く、家内が休みをとってまで出向いた市役所への税金の支払いに同行した。税金をため込んでいるのも問題かもしれないが、支払い金額の多さにはうんざりさせられる。

 決められた課税とは言うものの、どうやって考えても取れる者から取る仕組みとしか思えず、先祖が細々と苦労して残した資産への課税についても、数百年前から先祖代々住んできた土地を削られ、その県道沿いを理由に固定資産税が町内で一番高くなっている事にも不満は募る。

 そもそも我家は、村落の北の端に位置し、裏を田畑に囲まれていたが、私の小学生時代に我家の田畑や裏庭を削って県道(名古屋津島線)が通り、家の裏側が道路から丸見えになり、玄関を北側に替えて家を建て直し、その後の歩道拡幅で更に垣根が削られて現在に至っている。

 見方を変えれば、家のまん前にバス停があり、我家の敷地から直接バスに乗降でき、商売をやるには一等地ともとれるが、我家にとっては先祖伝来の家であり、バスを利用するものは一人もなく、商売をしているわけでもなく、何度となく我家のネコ達が車の犠牲になっているのである。

 公共の利益のために、何度となく土地が削られた挙句、主要道沿いのために土地の価格が勝手に上昇し、その課税価格も年々高くなり、税金だけで借地に住んでいるのと変わらぬ現状から、固定資産税と国民健康保険税だけで月に10万円程度の負担は、我が子に引き継げない負の遺産ともなっている。

 年金や後期高齢者の医療保険に対する国民の不満は大きいが、8人家族の中で三男と私だけ2人分の国民健康保険税が最高限度額というのは明らかに不公平で、母親の後期高齢者分と5人が支払うそれぞれの社会保険料を考えると、支払うために仕事をしているような錯覚に襲われる。

 一方で、市民の税金で建てた市営住宅の家賃を100万円も滞納している輩が存在し、子供の保育園の保育料を支払わない保護者が野放しにされており、生活保護の申請が認められないと裁判で訴える市民も存在し、その裁判に支払う津島市の弁護士費用が70万円と聞かされると、納税者として怒りさえ覚えるのである。

 我家も子供の頃は水道代は井戸水のために無料であったが、水道代は今後高くなるばかりで、2年後からは下水道代金も加算されるようになる。「井戸を掘ろう」と閃いたが、行政の許可をとって安全な水を確保する事は至難の業でもあった。

 先月訪れた岐阜県丹生川村(現高山市)の知人宅では、全ての蛇口から無料の自然水が無造作に流され続けてあり、口に含むと我家の水道とは比べ様もない絶品であった。四国でも四国88ヶ所の霊場茶が販売されているが、何でも金と引き換えとなる社会に矛盾は隠せない。
                                12月15日の一言

家族のプライバシーに希薄の反省

 本日の一言が書き終わっていると勘違いして、午前0時を廻る瞬間に書き込んでいない現実を認識して慌ててパソコンに向かうも、3分差で翌日となっていました。こんな勘違いをするのも老化現象かもしれないが、一日中パソコンの前に座ってHP「朝日旅行友の会」の整理や、原稿を書いていただけに間の抜けた顛末でもあります。

 さて、8月1日に発行(地域に全戸配布)予定の中学の同窓会報が印刷前の校正段階に入っており、学校と我家を行ったり来たりの印刷業者を尻目に、昨年度に依頼してあった別の印刷物がよりによって当然のように事務所前に山積みされていた。

 この横に春から置かれたままの会報印刷用の用紙が山積みされ、来週に届けられる同窓会報の置き場所もない現実に、明日の最終校正後には事務所の大移動も必要となり、今年は汗と縁のある夏になりそうです。

 昨日の一言が原因で息子と家内に厳しいブーイングを浴びた。決まってもいない微妙な進路問題を実況中継してしまい、息子が人から色々と言われて帰った事から、家内も一緒どころか、自分の事のように私の書き入れた一言に対する厳しい批判が繰り広げられた。

 しばらく針のムシロ状態であったが、「おい、何か勘違いしているんじゃないか」と腹から怒りがこみ上げてきた。いくら子供の進路と言えども、少なくとも親の気持ちの確認はあるべきで、学費など仕送りも必要なら経済状況の確認が必要ではないか。

 「自宅から通える大学でないとダメだ」と、県外の学校を希望しながら親の経済的理由で諦めた自分の過去から、長男には東京へ7年間も学費を仕送る事となったが、次男には2人同時期の仕送りが不可能な事から、「自宅から…」と親と一緒の言葉で不本意な進路(結局中途退学)を選択させた苦い反省もある。

 親の希望していない進路でも、子供の選んだ進路を容認しようとしているのに、家内からガミガミ言われ続けた事から、「じゃー、オマエが学費分働いて仕送ってやれ」と開き直りの一撃。ただし、これから決めていく息子の進路問題を実況中継してしまったのは、家族のプライバシーを侵害してしまったと反省しても手遅れで、素直に「申し訳ない」と言えない自分が情けない。

 家族のプライバシーは守られて当然だが、私の昨日の一言を面白可笑しく思われた方ばかりではなく、息子の進路に対して真剣にコメントを寄せていただいた人々の存在から、あらためてこの一言に対する反省と同時に、世の中を一人で生きているわけではないと心強く感じたのでもありました。
                          7月22日の一言

まだまだ行政の不備は多い

 家内が勤めている事から、今年は(と言うよりも、3人も私学に通いながら初めて)三男の私学助成の手続きのために市役所の課税証明書をもらいに走りました。

 つい、数日前の事であるが、母親の難病申請のために毎年納税証明書が必要な知人と市役所で会い、毎年同じ事の繰り返しに市役所に走る矛盾と、手数料について知人から苦言をもらっていたが、本日は自分がその身になり、身元が判っている事から手続きは簡単に済み、課長と雑談していると「300円必要です」と請求された。

 各種申請書の手数料は行政としては当り前の事かもしれないが、民間感覚で考えれば支払った料金の領収書を無料で手渡すのは当然の事でもあり、一年に何度も発送される納付書や督促状の工夫でムダを省き、課税や納税証明書は一元化して一枚は無料で配布する努力が必要ではないか。

 つい先日には9年前に廃業した新聞販売店で使用していた単車の軽自動車税が、5台分の滞納請求を受け、所有する自動二輪や残した単車のほかに、9年前に廃車したと思っていた2台分が含まれている事が発覚した。

 「5台あるんじゃないの?」
 「どこの家に単車が5台もあるの」
 「廃車届けが出されていない」
 「9年前に出したはずだ」
 「いつから請求(登録)されているのか」
 「さあー、昔の事は判らない(記録がない)」

 などと、担当者が同級生のために本音でやりとりしたものの、大家族で各種の税金の請求書がくるために、どうやら廃車したつもりの2台分(50ccの千円と80ccの千2百円)が毎年課税されていたようで、税金に占める金額が少額のために今まで支払われてきたようである。

 それにしても支払う必要のない税金を支払っていた事は確実で、廃車届けを出してないと言い切る行政と、出したはずと言う当方とは平行線だが、それではいつから課税されていたのかは行政にも記録がなく、廃車届けの控えも行政には存在しない。

 「存在しない単車の税金は支払えない」と言う当方と、「昨年まで支払ってきた事実が存在を認めた事になる」と、手続きの不備があったとしても、現状課税の建前から存在しない単車への課税には納得できないが、すでに滞納の督促状を発行された事と、当方の確認不足のために渋々ではあるが支払う事となった。

 こんなズサンな例は我家の恥かき話ではあるが、次々と請求書が届き、遅れてまとめて支払うようになると、中身の確認が希薄となり、今回の軽自動車税については実際に税金を支払う家内には存在すら認識していなかった。縦割り行政を批判する前に、家庭内の無関心を反省したい。
                               7月4日の一言

エッ、500円玉じゃないのッ

 数ヶ月前の話となるが、どこからか百円玉と間違えて入ってきたと思われるコインが入り込み、貨幣と間違えて入ってきただけに捨てるのももったいなく、間違えて使ってニセ金使用で捕まっても困る事から、その処理に困って所持していた事が(今では所在不明)あった。

 そんなある日、知人のサイフから隣の韓国の貨幣らしきコインが出され、「これ、どう思う」と問われた貨幣は、日本の10円玉と間違えて混入したらしく、買い物に行った大手のスーパーの釣り銭から入ったらしいが、捨てることも使う事もできず未だに所持していると言う。

 本日立ち寄った先で見た500円とよく似たコインは、前記した100円玉や10円玉と違って、500円の価値がありそうな類似品だけにびっくりし、混入した経緯や使用目的など自分なりに思う事はあるものの、所有者も自身のブログに書き入れたと聞き、写真の転用も考えたが、そのまま紹介することとした次第です↓。

 http://blogs.yahoo.co.jp/takatoshi4057/54646253.html

 さて、我家にも使えない貨幣が存在する。昭和47年にグアム島で横井庄一発見の報に、現地に飛んだ私の父親が記念に持ち帰ったアメリカの紙幣で、当初は額に入れられてあったが、最近はどこかに入り込んで所在不明となっている。これは永久にお蔵入りと思われるが、私自身が残した紙幣も存在する。

 帰宅後に引き出しを開けると、私が意識していた板垣退助の100円札が見つからず、意識していなかった伊藤博文の千円札と岩倉具視の5百円札が数枚残してあった。探せども、捜せども「板垣退助」は見つからず、発見のためには事務所の大掃除が必要となりそうだが、新札に移行する際に残された紙幣が眠る家庭(家内も残している)も多いと思われる。

 本日は韓国の500ウォンらしき貨幣を見た事から貨幣の話題が続いたが、高速道路の料金所で、何かの記念に発行された10万円玉がビニールに入ったまま差し出され、この扱いに困って右往左往して車を渋滞させた話も耳にした。
 記念に残した紙幣についても、当初は絶対に使わないとは思って残したわけではないが、年月の経過によって行方不明になるばかりか、使えるものの使いづらくなっている現実を実感する。

 一方で、紹介した韓国製と思われる貨幣は、間違いよりも犯罪目的で残された可能性が高く、自動販売機ではなく直接手渡されても間違って受け取る可能性も高く、受け取っても使えば犯罪人とされる可能性からも注意が必要であろう。
 過去の一言にも記したが、貨幣に限らず、図書券やテレホンカードなど、換金すれば価値のある品々が、当初は大切に保管されたものではあるが、忘れられて死蔵されている自己反省ともなる一日となった。
                               7月2日の一言

ガソリン値上げの波及が怖い

 昨日夕方の帰宅途中に、平生は渋滞もしない道路に車が列となっており、その先を見るとセルフのガソリンスタンドがあった事から、ガソリン値上げ前の駆け込み客と判ったが、私は追い越しながら「明日は自動車に乗らずにおこう」と思い、健康のためにも自転車にしようと納得して帰宅したが、本日もしばらくすると恩師の送迎に車を走らせる事となり、車のない生活は考えられない事を実感する。

 しかし、明らかに値上げに乗じた便乗値上げも存在していそうで、消費者はそのあたりに厳しい視線を光らさなければならないと思う。ガソリンや原油の値上げは、運転手だけでなく、商品の原材料費を底上げし、輸送コストもかかる事から、社会生活の全般に影響し、買い物客の話では連日何かが値上げされているようでもある。

 そんな中で、コンビニの深夜営業について、省資源の立場から自粛するようなコメントが流れてもいるが、私自身はほとんどコンビニに立ち寄る事もなく、利用者とは言えないが、今ではコンビニが社会生活の重要な位置を占めており、公共料金の支払いや切手の販売から小荷物の受付など、住民にとって必要不可欠な存在になっていることを自覚すべきでもある。

 家庭の主婦や昼間働いている若者にすれば、日中に忘れた支払いや買い物にコンビニが役立っており、コンビニに対する公的な社会的保障は何もなく、倒産している店もあるのに、政治家や評論化が偉そうに理屈を述べるべきではないと思っていたが、何事にも長短あるものの、今や夜には留守ばかりの警察の駐在所よりは住民にとっての灯火と化している。

 そんな中で、コンビニの深夜営業に賛成とのブログがあったので(まったく無断で)添付しました。コンビニの深夜営業に賛成 http://blogs.yahoo.co.jp/yajimatakehiro2007/22585028.html

 今でこそ何所にでも当り前となったコンビニも、出始めた頃には色々な障壁があり、不良の溜まり場のように言われた時期もあったが、最近ではトイレも完備され、誰もが自由に出入りできる環境になっており、コンビニを話題にする前に、遊戯施設などもっと先に話題にすべき対象は多い。

 さて、今から二十年前の話になるが、コンビニに新聞1部売りのスタンドを出す事について議論となった。コンビニで1部売りをすると、自宅での購読率が減り、宅配制度のマイナスとなる意見も出たが、本社はコンビニが将来は鉄道駅に代わって地域のステーションになると説明して、販売店の反対意見を封じ込んだが、結果はそのとおりになっている。

 ガソリンの値上げから、様々な商品の値上げになっているが、新聞も地方紙の値上げが報じられている。考えてみると、私が廃業した平成11年の数年前から購読料は値上げがされておらず、燃料費の値上げによって新聞までもが値上げとなると、歯止めのきかぬ値上げラッシュともなりそうな気配である。
                                7月1日の一言

自分がやらない事を市民に相談され…

 本日も厳しい寒波が愛知県にも吹き込んでおり、雪にはなっていないものの今晩には降りそうな雰囲気の夕暮れとなった。朝になって、と言うよりも、深夜に目が冴えていることから、雪が降ろうものなら、明日の朝は私を『アッシー君』として期待する家内の送迎で大変な早朝となる。

 議員となって9年が経過しているが、それまでは多くの従業員が雪の中で仕事となる事から、前夜から雪の対策を万全にして仕事をバックアップするために、車のタイヤにチェーンを巻きつけて翌日まで眠らぬ夜を送っていた。
 こんな経験から、「雪道はお父さんに任せておけば」と信頼されるのは有難いが、最近では身体がナマカワになっており、前日からタイヤをスタッドレスに交換する気力も沸いてこないのである。

 労働意欲が低下しているとしか思えず、万が一の場合は早朝よりチェーンを装着して走る覚悟であるが、肝心のチェーンや新型のゴムチェーンは家内が片付けてしまってあり、懐中電灯で一苦労して見つけた頃に家内はもう夢心地で、台所は静まり返っていたのであった。

 さて、会報の印刷が本日終了するが、仕上がったものの天気が悪い中では戸別配布もできず、三月議会は迫ってくるから配布がプレッシャーとなるが、今年は私に税金の知識が皆無である事を知らずに、相談の電話が複数舞い込んでおり、かつての私なら「知らんふりで放置しておいたら」と脱税まがいも通用したが、議員の立場ではそれもできず、無い頭を知人に頼って処理しているのである。

 もっとも、私が23年間自営業者として税金の申告をする中で、一番間違いなく納税額が安く、一年を通して安心できたのは税務署に直接出向くようになってからで、各種の納税組合や専門家である税理士よりも、税務署の職員に相談するようになってからは税金で心配する事は皆無となった。

 「大鹿さん、経費で落とせるからと税理士に頼んでも、払ったお金は戻ってこないよ。その経費を利益として税金を支払った残りは全部大鹿さんの使い勝手だよ」と、査察に入った担当者がつぶやいた。税理士にたのんでも税務署から査察には来るし、「じゃー、今後は相談に乗ってくれますか」と、税務署を相談相手に決めたのであった。

 もっとも出向くのは会計担当者の家内ではあったが、それまで何度も税務署の立ち入り調査を受けていたのが、それ以降は納税額も安く(節税)なり、一度も税務署から訪問されることがなくなった。税務署に相談して書き入れた申告書は、よほど悪い事がしてなければ調べには来ないのである。

 「税務署に相談するのが一番」と、簡単に電話口で伝えても、相手は「税務署では取られてしまうから…」と言われるから、税務署にも聞けずに詳しい知人を頼るものの、また聞きでは何度もやりとりが必要となり、我家の申告は家内に任せ、NPO法人や私の後援会の会計報告もやらない私が他人の相談に乗っているのも滑稽ではある。

 税務署が怖いのは脱税となるからで、徹底的に節税(多少は○×も)で税務署に相談すれば、大手が振って歩ける事は間違いがないのであるが。
                                    2月14日の一言
追伸 税金の事を書きかけたらキリがなくなりました(笑) 突然税務署に来られて数百万円を請求されれば困ります。そんな経験からの一言ですが、他人事と聞き流してください。

年が越せない台所と心境に

 間近に迫った来年のカレンダーは例年どおりに届けられているが、スケジュールを書き込む手帳については今まで使ってきた物が無くなった事から、書店に出向いて似た物を買い求めたところ872円(これでも安い方)もしたのである。

 一緒に同行した知人はもらい物で済ますとの話であったが、今までもらっていた手帳もそれだけの値段がしたのかと思うと同時に、今年からは朝日新聞社の発行していた現代用語辞典の知恵蔵も廃刊となり、付録となっていた手帳もなくなっておる事から、今まで使わずに置きっぱなしにしてしまった手帳の存在感についても考えさせられた。

 市議会から市議会手帳は配布されてくるが、私は胸のポケットに入らない事から一度も使った事がなく、津島市の職員に配布されていた手帳を使わない職員からもらって重宝していたが、これも数年前から配布されなくなっており、新たな手帳の選択もこの時期の恒例行事ともなっている。

 さて、新たに入手した手帳に来年の行事を書き入れてみてびっくりの事態である。前々からこの一言に記してある1月の「人にやさしい街づくり地域セミナー」と同じ日に、知人から誘われて申し込んだ「伊勢神宮初参り」の日程が記されていたのである。こんな重要な予定が重なっているとは知らず、あわてて断りに走り出してから思いとどまり足を止めた。

 自分だけ断ったら知人は一人で参加となる事から、知人と親しい友人を代役にお願いして事なきをえたが、年の変わり目にあり、あらたな手帳との交換前には先の事と考えて安直に引き受けた用件も多く、一週間おきではあるが横井庄一記念館の当番日との重複も存在する。

 今年の手帳も残りわずかとなっており、先月ぐらいから来年の予定や想いが空いたスペースに記されていることから、当面は2冊の手帳を胸に入れ、間違いのない日々をおくりたい。

 夕方には市役所の収納課職員の訪問を受けたが、市民税や国保税の支払いが遅れており、議員としては情けない限りであるが、家内が仕事に出てからは地元の銀行に走るヒマがなく、私は大の銀行嫌いであるばかりか、銀行には行かない事にしている事から、各種の支払いが滞っており、昨晩に支払い方法を相談していたところでもあった。

 現在津島市では職員総動員で年末の特別徴収を行なっており、連日夜8時過ぎまで居残りで収納活動が続けられている。昨晩の話からとりあえず30万円が現金で用意してあったから良かったものの、突然訪問されて支払える家は少なく、翌日や後日となるケースも多いようである。

 娘にも残金があり連絡すると、「支払ってある」と大声で怒り、娘の勘違いから親子喧嘩に発展しそうな気配に職員もびっくりとなるが、親子でもこんな顛末から職員の苦労を垣間見る事にもなった。それにしても税金や公的負担の高さも気になるところで、我家の支払い総額を聞くと議員専業の限界すら感じる一日となった。
                             12月19日の一言

高齢者はローンが組めないのッ…

 人間は誰もが歳を重ね、いずれは好むと好まざるを問わず高齢者になっていきます。高齢になって肉体的な衰えは当然の成り生きですが、年齢によって信頼されない場面を見せられると他人事では済まされなくなってきます。

 70才になった知人が、車を買おうと親しくしている自動車屋を尋ねた場面に同行した。さんざん話をして、「どうせなら高くても良い車を」と、ローンで買おうという話になった時、「保証人が必要」との返事が返ってきた。「どうして?」との問いに、「無職ではローンが組めない」との返事であった。

 確かに無職では無収入扱いにされ、銀行は相手にしてくれないかもしれない。しかし、確実に入ってくる厚生年金があるので、収入よりも「寿命」が問題にされるのかと思われてくる。

 「車を買うのに保証人?」と首をかしげる知人。息子さんも独立して自営業であるから、保証人になってくれる人はあるものの、この歳になって息子に保証人を頼む気持ちにはなれそうもない。「なんで?、オレ一人じゃダメかい」と、買う気満々の気分を害して帰宅したが、テレビで「金利、手数料は一切いただきません」と、長期ローンを宣伝するメーカーが多い社会の中で、現実に仕事を引退した高齢者には無縁な話であるかも知れず気になっている。

 ローンが組めず、現金でしか売買できない事例は、裁判所から破産宣告をされた人や、多重債務者の場合に見られるが、高齢者も同じ扱いとすれば問題(現実はこんな事例ばかりではないと思うが)でもある。

 実際には、仕事を退職や廃業した高齢者にならないと判らない淋しい話であり、こんな話はなかなか人に話す話題にもしたくないために問題にもされないが、いずれは我が身となる現実の問題でもある。定年退職し、退職金を元手に立派な豪邸を新築した人もあるが、80歳以上まで生きる前提で考える時、一抹の不安材料でもある。

 老後の生活を支える年金すら不安視される中で、これからその年齢を迎える我々にとっては、死を目前とするまで自律した生活をおくるためには、それなりの備えが必要になりそうでもある。長年の経験と蓄積された信用が無にされる瞬間を考えると、地獄の沙汰も金次第のことわざが頭をよぎってきた。
                                   7月3日の一言

75才以上の高齢者の負担増に…

 来年の4月1日より、75才以上の人は『後期高齢者医療制度』として、新たな独立した医療保険制度で医療を受ける事になるとの説明会が、本日開催された津島市議会厚生委員会であった。

 この制度は県内すべての市町村が参加する「広域連合」が、保険料の割賦や医療給付を行い、市町村は保険料の徴収と申請・届出の受付、被保険者証(保険証)の引渡しなどの窓口業務を行なう(案内書そのまま転載)との事である。

 制度そのものについては時代とともに変更があってしかるべきとは思うが、この制度への移行が、75才以上の人々に新たな保険料の支払いを求めている事は、いくら高齢化社会を迎えているとは言え、現状の老人保健制度で受けている条件と同じ給付だけに納得がしてもらえるか疑問である。

 つまり、来年4月から75才以上の人々は、現在加入している家族の保険制度から外され、新たに保険料の支払いが必要となり、年額18万円以上の年金を受け取っている人は、年金から一方的に差し引かれるとの内容が発表されたのであった。

 かつては無料で医療が受けられた高齢者の人々だが、現在では自己負担が必要となり、さらに来年からは家族とは別に新たな保険料も請求され、年金から一方的に差し引かれるのである。

 これが安倍首相の言う「美しい国」と言えるのであろうか。資産や所得のある者からは実業より引退した高齢者になっていても公的負担が増え、低所得者への社会保障も後退する。健康で医者にかからなくとも負担は増え、病気で苦しむ人々についても安心して医者に通えぬ気配が感じられるようになってきた。

 もちろん、制度改正は現状の改善にもなっているが、これだけ複雑な制度や改正が続くと、サービスを受けられる事も知らないままに年月が経過してしまった人々も存在する。介護保険や来年からの『後期高齢者医療制度』についても、住民の年金から一方的に天引きされていくが、住民に支払われる『出産育児一時金』や『葬祭費』などは、住民が自ら関係書類を揃えて、自分で申請しないと支払われてはこない。行政サービスやシステムの見直しも急務である。
                                   5月24日の一言

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