奈良井宿の看板
宿場
日曜日の写真です。
木曽路では妻籠の宿と同様に規模の大きな宿場町で、過去に何度も訪れていることを買ってきた傘や杖とともに、団子屋さんの店頭で実感しましたが、無人駅の多い木曽路のJR中央本線の中で駅員さんの居ることでも宿場の存在感を実感させられます。
奈良井宿には複数の寺院や神社が存在しており、それらについては後日の添付とします。
木曽11宿 宮ノ越の宿場
巴淵
巴淵
長野県木曽郡木曽町日義
木曽川上流
木曽川下流
木曽川が巴状に渦巻く渕であったことからこの名がある。巴御前がここで水浴をしたという伝説が残る。
日曜日(14日)の写真です。
木曽義仲
源 義仲 は、平安時代末期の信濃源氏の武将。河内源氏の一族、源義賢の次男。源頼朝・義経兄弟とは従兄弟にあたる。木曾 義仲の名でも知られる。『平家物語』においては朝日将軍と呼ばれている。 以仁王の令旨によって挙兵、都から逃れたその遺児を北陸宮として擁護し、倶利伽羅峠の戦いで平氏の大軍を破って入京する。 ウィキペディア
先週日曜日に訪れた中山道 宮ノ越の宿場の写真を添付しました。
木曽義仲公が亡くなってから1000年以上経過していますが、この地から遠く離れた京の都まで、戦い抜いて進軍していったと考えると感慨深いものを覚えます。
宮ノ越を流れる木曽川を眺めて、川の流れと水の清らかさは当時と変わらないと考えると、今でも義仲公の姿が拝めそうな気持ちになってきます。
何よりも本陣等の歴史的な史跡が無料で開放されていることと、観光資源に頼らず自立して生活する 宮ノ越の人々の自尊心を感じずにはおれません。
この地の木曽川に流した木の葉が、何日で私の住む 愛知県に到達するかは分かりませんが、投じた木の葉を何日でも待ち続けてみたい心境と、川の流れに身を任せて自宅へ帰りたいと思わされました。
中山道洗馬宿の道標
木曽路は木曽11宿といわれ、江戸と京都を結ぶ街道の1つであった中山道のうち、急峻な木曽谷を通る街道部分にある11の宿場町の総称として使われています。
4月に上高地が開山すると、毎月木曽路を通ることから、中山道の塩尻市から木曽路に入る信濃路の2宿と、馬籠宿以南となる美濃路の宿場町に立ち寄りたいと思います。
本日は、先週11日に訪れた信濃路洗馬宿を添付しました。
中山道の新道
(一社)塩尻市観光協会引用
街道の別去れ
慶長18(1613)年に、下諏訪宿から小野宿・牛首峠経由で贄川宿に至る旧中山道が廃止された翌年、塩尻峠経由の路線が新たに中山道として設定された際新設された宿場です。
宿場の北方は中山道と北国脇往還(善光寺街道)の「別去れ」で道が左右に分かれ、「右中山道 左北国脇往還 善光寺街道」の道標が建っており、中山道を進むと桔梗ケ原を経由し塩尻宿へ、善光寺街道を進むと郷原宿へと向かいます。
〇洗馬宿のみどころ
洗馬宿は昭和7(1932)年の大火で宿の大部分が焼失してしまいまたが、細川幽斎にまつわる伝説の肱懸松跡、中山道と善光寺街道の分岐点の分去れ道標、常夜灯、木曽義仲伝説の邂逅の清水や願い事をかなえてくれるという言成地蔵尊などがあります。
塩尻市から木曽路を目指す旧中仙道初めての宿となる洗馬宿です。観光客であふれる奈良井や妻籠のような華やかさはありませんが、ここから中山道と北国街道が分岐する追分となり、東国を目指す人と善光寺参りの人々が別れていく重要な宿です。
観光施設もないため観光客は一人もありませんでしたが、昔ながらの街道を歩いてJR洗馬駅の改札口からホームまで、まるで大正時代から昭和初期へ戻ったような感覚を入ってきた中央線の列車の音が現実に戻してくれました。
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