大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

長野県辰野町の花街道

よこかわ湖 横川ダム

長野県上伊那郡辰野町横川

日曜日(5月14日)の写真です。

辰野町にある花街道は日本の原風景と言える綺麗な里山風景を残していました。

下飯沼地区の花街道

横川川

道端の道祖神

横川ダム堰堤

ダム本体

ダム湖

放水中

蛇石キャンプ場

案内板

横川渓谷

蛇石?

大蛇のようです

蛇の骨格のようです

恐竜の化石?

随分と長い蛇石です


 地元の川島地区には、次のような民話が伝えられています。
横川川の上流で兄弟竜がけんかをし、川が氾濫して下流の村が鉄砲水に襲われそうになりました。それを母子2匹の大蛇が、自分たちの身を犠牲にして救いました。それに感心した熊野権現が、この母子を蛇石に変身させ、兄弟竜を二度とけんかが出来ないように、上流にある大滝に閉じ込めたといいます。

科学万能の現代社会においては、黒色の粘板岩の岩脈に白い石英の岩脈が蛇のような模様を残していると理解できますが、横川の氾濫を救った2匹の大蛇を熊野権現が蛇石に変身させたとの伝承や、太古の時代に存在した恐竜の骨格の化石と言われても疑うことができない蛇石の存在感と、国の天然記念物に指定されていることに納得させられます。

木地師の墓の道標

南無阿弥陀仏


山の仕事を生業としていた木地師の墓が日陰の道路端にひっそりと存在していることに、現代社会のように車で何処にでも行き来できる社会との大きな世相の違いを感じさせられます。

白鳳山瑞光寺

辰野町横川2063

六地蔵

参道

山門

本堂


山門の鐘楼

 瑞光寺は、人皇88代御深草院の正元元年(1259)、鎌倉建長寺の開山大覚禅師が、諸国行脚の際、この地に建立した一宇が起こりである。古くは鎌倉に属し、大いに盛んになるが、時代の変遷により衰退した。永禄元年(1558)、武田信玄が、京都妙心寺より周峯和尚を中興開山に招いて、堂宇は悉く旧に復された。また、武田信玄は、周峯和尚に深く帰依し、横川谷を残らず寺領として寄進した。このころより、京都妙心寺派に属するようになり、寺運は栄え、人々の深い信仰をうけて今日に至っている。同寺の庭園は、画聖、雪舟の作である常栄寺庭園の写しである。雪舟庭は、今より500年前に築かれ、その原形がよく保存されていることから史跡名勝に指定、この庭は、雪舟庭の池の部分のみを写したもので、別名「禅苑」とも言い、悟りの境地を表現したものとも言われている。

 火の見櫓

 道祖神 や 山の神

 横川川

私の住む愛知県津島市には多くの寺院が存在しますが、長野県の安曇野や松本だけでなく、添付した辰野町や木曽路に存在するお寺は、過去に実在した歴史上の人物や歴史と直結したお寺が脈々と残されており、現代社会で葬式商売と揶揄されるような寺院とは違う、地域と一体となったお寺本来の姿も感じさせられてしまいます。

日曜日は、ここから伊那市を経由して権兵衛トンネルから木曽路へもどり、木曽11宿の宮ノ越の宿場を歩きました。木曽義仲ゆかりの宿の様子は明日に添付します。

横井庄一さんの二つのお墓を訪れて

本日は私の住む愛知県西部地方も大雪に見舞われました。動画は我家の駐車場です。

午前5時頃に降りだした雪は道路を真っ白にしましたが、午前中から雪は溶け出し夕方には道路の雪はほとんど無くなったため、お墓掃除とお花を供えに名古屋市にある横井庄一さんのお墓を目指しました。

誰かがお花を供えて下さっていました

正月前に新しく供えました 千音寺霊園

真宗大谷派 行雲寺
名古屋市中川区富田町千音寺上屋敷2484

鐘楼

本堂

大樹と墓地

陸軍軍曹横井庄一のお墓です

母親のつるさんが残したお墓です

誰かが拓本を取った痕のようです

イブキの大木

樹名板

お墓を見守っているように見えます

本日の写真です。

平成9年に亡くなった横井さんにはお墓が2ヶ所あり、死後横井夫人が建立した千音寺霊園のお墓と、横井家の菩提寺となる行雲寺には横井さんの母親が昭和32年に建立した「陸軍軍曹」と刻まれた横井さんのお墓があります。

横井庄一記念館が開館してからお墓の場所を問い合わせてお参りくださる方もできましたが、千音寺霊園のお墓には小動物を慰霊する碑もあり、夫人は横井さんから行雲寺のお墓には入りたくない事と、グアム島で殺生した小動物の慰霊碑を一緒に立てて欲しいとの遺言であったとして建立されました。

夫人が鬼籍に入った今となっては事実を知ることはできませんが、生前の横井さんから「生きとる自分が入るお墓までおふくろが残してくれたから」と私と私の父親の前で笑って語っていたことを考えると、横井さん自身はわざわざ二つ目のお墓を建てて欲しいとは思っていなかったと思います。

私の推測では、行雲寺のお墓は母親の横井家が建立したお墓で、横井さんの死後在所となる横井家から色々言われることを嫌った夫人が、自分の兄と相談して小動物の慰霊碑という理由と話題性を考えて建立したものと思います。

今となっては、子供の無い横井さんのお墓は夫人が他界したことと、夫人が横井さんの在所や横井家の親族と懇意にしていなかったと言うよりも、横井さんは小学校五年生になってから我家の大鹿庄一から母親の再婚によって横井姓になっており、血縁者の居ないお墓に共通した現代社会に共通する社会問題でもあります。

私自身も我家の先輩としての横井さんのお墓掃除には訪れるものの、二ヶ所のお墓掃除を子供たちにまで託すことはてきず、我家のお墓やお寺とは別に、横井さんのお寺とお付き合いしていく気持ちも無いことから、こんな生活がいつまで続くかを考えると苦痛です。

全国各地から雪の情報が届いて

本日早朝に岩屋寺から発信されたFacebookの写真です。

岩屋寺は愛媛県にある四国八十八か所のお寺ですが、標高八百メートルの久万高原にあるとは言え、高知県境に近い四国の中央部に位置しており、まさかこんなに雪が積もるとは思えない場所だけに驚きの写真として眺めました。

そして、雪は高知県でも…
高知県桂浜の写真

高知市では23日、明け方に雨が雪へと変わり、高知地方気象台によると、午前8時には観測史上最高となる積雪14センチを観測した。

 高知城の天守も雪で覆われ、路面電車は一部で運転を見合わせた。市中心部では、車輪が空転する車を数人で押したり、転倒したミニバイクを通行人が助け起こしたりする様子がみられた。雪は夕方まで降り続く見込みという。        朝日デジタル新聞引用


そして、徳島県でも…
徳島地方気象台によると、徳島市では23日午前10時までの24時間の降雪量が10センチに達した。2013年に統計を取り始めてから最高の降雪量だという。

高知県で積雪を記録したということは四国全体が降雪に見舞われており、この日から四国遍路を始めたとFacebookに発信していた人や、現在巡拝中の歩き遍路には大変な試練となりますが、突然の寒波襲来とはいえこんなに厳しい降雪はお遍路の足を鈍らせてしまいます。

もっとも、コロナ禍においてはコロナウイルスに感染したり、濃厚接触者となって閉鎖される納経所も存在し、何も知らずに訪れて朱印がもらえないお遍路も多く、リアルな天候や道路状況と併せて納経所の閉鎖状況など四国の情報を集約するサービスが必要ですね。

奈良公園の鹿

奈良県警によると、京奈和自動車道の県内区間では午前6時~8時半、積雪や凍結が原因の交通事故が少なくとも5件相次いだ。このうち午前6時20分ごろに発生したトラック2台が絡む事故で、それぞれの車両の運転手2人が軽傷を負ったという。23日午後5時現在も御所南IC―橋本東IC間の上下線で通行止めが続いている。奈良国道事務所によると、通行止め解除の見通しは立っていないという。


【速報中】ヤマトと佐川、クリスマスを前に配達に遅れ 大雪の影響:朝日新聞デジタル (asahi.com)


先週日曜日(18日)の高野山は降雪に見舞われ、真っ白になるだけでなく道路が完全に凍結しており、あわてて下山して奈良県橿原市へ移動し、翌日は雪をさけて橿原神宮と大神神社へ参拝しましたが、本日の報道では奈良県も雪によって交通事故が相次ぎ、道路の通行止めが続いており、しばらくは外出を控えたよさそうですね。


18日の高野山


四国60番横峰寺に通じる有料道路は、12月末から2月末まで冬季通行止めになっており、冬季は雪を覚悟する必要のある高野山と併せて、冬のお遍路をシーズンオフとする人も多く、冬のお遍路は注意が必要です。

九度山の慈尊院と丹生官省符神社の伝承から

慈尊院山門

慈尊院は、弘仁七年(816)、弘法大師が、高野山開創の時に、高野山参詣の要所に当たるこの地に、表玄関として伽藍を創建し、高野山一山の庶務を司る政所を置き、高野山への宿所ならびに冬期避寒修行の場とされました。

詳細は→ TOP | 慈尊院 (jison-in.org)



土塀

多宝塔と鬼子母神

弥勒堂


香川県善通寺から我が子、空海を訪ねてこられた弘法大師空海の御母公、玉依御前(たまよりごぜん)が高野山上へ大師を尋ねようとされましたが、当時、大師自から七里(28km)四方を女人禁制としておられたので、山麓の当院へ迎えられました。
大師は、月に九度は必ず高野山上より二十数キロもの山道を下って母公を尋ねられたので、この地名を❝九度山❞と称されるようになりました。


詳しくは→ 女人高野について | 慈尊院 (jison-in.org)

ゴンの碑と弘法大師像

昭和60年代に、慈尊院近くに住みついていた紀州犬と柴犬の雑種である白い雄の野良犬がおりました。誰が教えたわけでもないのですが、不思議なことにその犬は高野山への参詣者の道案内をするようになったのです。当院から聞こえる鐘の音を好んでいたため、いつしかこの野良犬は「ゴン」と呼ばれるようになりました。


詳細は→ 高野山案内犬「ゴン」 | 慈尊院 (jison-in.org)

本堂

大師堂

多宝塔の奥が町石道入り口

狩場明神と空海の出会いの図

丹生官省符神社 正面参道119石段 一ノ鳥居

二の鳥居

拝殿

丹生官省符神社の草創は古く、弘仁七年(816)弘法大師(空海)によって創建されたお社であります。空海は、真言密教修法の道場の根本地を求めて東寺(京都)を出で立ち各地を行脚され途中大和国宇智郡に入られた時、一人の気高い猟師に出会い高野という山上の霊地のあることを教えられました。猟師は従えていた白・黒二頭の犬を放たれ空海を高野山へと導かれました。


詳しくは→ ご案内|世界遺産登録 丹生官省符神社公式ページ (sakura.ne.jp)



真言密教の聖地となった高野山ですが、今から1200年前にこの地で空海は漁師(高野明神)と出会い、山上に霊地(高野山)があることを教えられるとともに、連れていた二頭の犬を案内役として現在の高野山まで連れて行かれたと考えると感慨深いものがあります。

そして、善通寺から空海を訪ねて高野山へこられた母親の玉依御前(たまよりごぜん)を、大師自から七里(28km)四方を女人禁制としていたため、この地で迎えられるだけでなく、月に九度は必ず高野山から会いに来られたと伝承されています。

八年前の話となりますが、この慈尊院から7時間かけて高野山まで歩いたことがありましたが、当時でも悲鳴をあげた町石道を今は歩く気力も沸かないことを考えると、大師は月に九度も往復していたという体力と強い精神力にも驚かされます。

2015年06月20日

大鹿一八「本日の一言」 : 慈尊院から丹生都比売神社へ (livedoor.blog)


2014年10月20日

大鹿一八「本日の一言」 : 高野山 町石道を金剛峯寺まで (livedoor.blog)


さて、高野山まで町石道を歩く人々を案内していた「ゴン」についても、1200年前に空海を高野山まで案内した2頭の犬の再来としか思えず、教えもしないのに高野山まで案内していた犬の本能と、女人高野と言われていた慈尊院へ病気治癒を祈願する女性が手を合わせている現代社会と、空海が存在した時代と目に見えない糸で結ばれているようも思えてきます。


今から15年ほと前の先達となる以前の話となりますが、空海が修行したと伝わる四国各地の修験場で空海が発したと言われるご真言を唱えていたことがあります。九度山の慈尊院のゴンと、丹生官省符神社の2頭の犬から当時の想いをよみがえらせてくれたように思います。

地泉院に建てられていた石柱の寺標

地泉院  愛知県稲沢市祖父江町神明津231

弘法大師像

山門

本堂 境内

子安観音

手水舎


地蔵尊

六地蔵

残っていた紅葉




新しい寺標

正面

九十七歳の住職の揮毫

令和2年3月に建立されていました。

一心に祈ろう霊験あり

昨日の夕暮れ時に愛知県で一番西に位置する祖父江町の地泉院を訪れました。家内の在所から近く、住職は書道の大家で家内たち兄弟の書の先生だったこともあり、以前は家内が毎年節分に訪れており、住職が私の叔父と同級生だったことから身近に思っていましたが、最近は素通りばかりでした。

過去のヤフーブログ(現ライブドア)を読み直してみると、孫の安産祈願と御礼にも訪れており、書道仲間と祖父江町の七福神を歩いて訪れたことなど懐かしく思い出されました。

2011年08月20日

017年07月22日
2017年12月26日
2018年04月07日

かつては私の住む津島市から地泉行きの路線バスが走っており、書道でも有名となっていた住職の商売上手と言われていましたが、お寺だけでなく地域住民にとっても貴重な交通の足となっていたことはバス路線が廃止してから実感させられることとなりました。

さて、参道入り口には2年前に建立された大きな寺標(石柱)が立っておりびっくりとしましたが、お寺の参拝は自分の都合や気分しだいで訪れており、これからはお寺の年中行事にあわせて参拝することも有効と思う一日ともなりました。

祖父江町の田舎で夕暮れを迎えて

田舎の夕暮れ

西方

西北西方面

北方

東方

南方

夕陽を浴びる稲の切り株

センダンクサ

引っ付き虫の種子です

サトウキビ畑

懐かしい作物です

歯の丈夫だった子供時代がよみがえります

養老山地の夕暮れ

木曽川の松並木

養老から伊吹山(右)

本日の写真です。 

 上高地の外来植物で担当するセンダングサは、我が家の田んぼや畦道では迷惑な!植物ですが、田舎の夕暮れの中では輝いて見えてしまいます。

同じ光景や風景でも場所が変わると違って見えることを実感させられました。

今日は木曽川に近い祖父江町の田舎から真言宗の地泉院に立ち寄ってから帰宅しました。

四国遍路 2日目

第61番香園寺


第62番宝寿寺

第63番吉祥寺

第64番前神寺

第58番仙遊寺


第57番栄福寺

映画ボクは坊さん

鐘楼堂

映画に使われた黄色いバイク

第54番延命寺





しまなみ海道

尾道


 本日は愛媛県西条市の第64番前神寺から逆打ちで今治市の第54番延命寺まで巡拝しました。


昨日は第73番出釈迦寺から第60番横峰寺まで十ヶ寺巡拝しており、2日間で21ケ寺参拝しました。


本日は午後2時に参拝を終え、遅れた昼食を取った後、今治からしまなみ海道を通り、広島県尾道市から山陽高速道、新名神、名神から東名阪を経由し御在所サービスエリアで夕食をとり愛知県へ戻りました。


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