大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

巡礼

紙幣が飛んでいく西国巡礼を実感する一日へ

昨日に引き続いて西国観音巡礼です。

開門前から長い行列です
第10番三室戸寺

山門まで行列が続きます

やっと石段へ

本堂境内

アジサイ鑑賞の観光客


本日最初に参拝した三室戸寺の納経時間は8時30分からで、30分前に駐車場に到着したもののすでに駐車場は満杯状態で、開門を待つ人々で長い行列ができていましたが、覚悟して納経所を訪れると朱印を待つ人は殆ど無く、本堂へ参拝する人も皆無の状態でした。

ただし、西国三十三所会の監修した「西国巡礼」には500円と記された拝観料が千円になっており、わずか30分の駐車場の料金も千円徴収され、家内と2人の参拝で3千円と納経料の出費は参拝の対価としては「ぼったくり」としか思えない朝になりました。

第15番今熊野観音寺

大師堂

そんな中で次に訪れた第15番観音寺は、四国遍路と同じように拝観料や駐車場は無料のままで、観光客のいない雰囲気から久しぶりに「弘法大師」を身近に感じ、「秋のモミジの時期にも来てください」の一言に「はい、必ず」と素直に応えていました。

第11番醍醐寺 五重塔

大師堂

醍醐寺の駐車場自動清算機

「紙幣が飛んでいく」西国巡礼の典型は次に訪れた「醍醐寺」で、本来の参拝場所である上醍醐寺(拝観料無料)への厳しい山道が麓の醍醐寺観音堂で済ませられるものの、かつて千五百円だった拝観料が千円で澄んで喜んでいると駐車場の清算機が示した2千円の料金の高さにびっくりです。

門前にある民間の有料駐車場に一日最高六百円の看板があり、1時間程度で2千円もの駐車料金をお寺の運営する駐車場が徴収する現実は、観音堂巡拝だけに訪れる参拝者としては「お金持ちの西国巡礼」を象徴するような参拝です。

先に添付した三室戸寺と醍醐寺だけで家内と一万円近い出費は切実で、「貧乏人はお寺に来るな」と言って欲しい心境になってきます。

第14番三井寺 円城寺

長い参道

観音堂

第13番石山寺

長い参道です

大師堂
第12番正法寺 岩間寺

大師堂

本日最後の正法寺駐車場


貧乏人を実感させられる本日の西国巡拝となりましたが、本日は六ヶ寺のうち四ヶ寺が真言宗のお寺で、それぞれに大師堂が存在したことから、弘法大師と一緒に歩く「同行二人」のような自分に正直な巡拝になりました。


そして、ここから滋賀県を東向きに一直線で、永源寺から三重県いなべ市経由で一般道の運転を楽しみましたが、かつて自動二輪で走っていた当時とは道路環境が大幅に改善されており、まだまだ未踏の地が存在することから足を向けたいと思います。


こんな元気なままに「お大師」と行動できる日々が続いて欲しいものです。


一年間の旅程をふりかえって

本日も一日が終わりました

本日の写真です。

今年は膠原病のため6月と7月の上高地にドクターストップがかかり、コロナ禍の中で外出が出来なかったと思っていましたが、上高地は4月から11月までに13日訪れており、四国遍路も3月、9月に2回と10月、12月に訪れていました。

そして、上高地と四国遍路しかないセカンドライフの中で、8年ぶりにご開帳となった善光寺と諏訪大社や、桑名では人生初体験となった火渡り神事も体験し、安曇野や京都の真言密教の古刹も訪れていました。

膠原病と共存していることで、出かけられる時に積極的に出かけるようにしており、結果的に2ヵ月のドクターストップはあったものの、コロナ禍で外出ができなかった昨年よりも多くの場所に出かけていたことになります。

本日は一年間の外出を読み直してみました。

2022-12-03
2022-11-15 
2022-11-01
2022-10-26
2022-10-10 
2022-09-18
2022-08-14
2022-07-02
2022-06-12
2022-05-21
2022-05-15
2022-04-23
2022-03-20
2022-02-13 
2022-01-23

来年はもっと外出したいと思っています。

邊地から邊路・遍路への移り変わり

本日の夕暮れ

鎮守の杜

本日の写真です。

 昨日の一言に、四国遍路について、「四国辺路道」から、「辺地修行」、「辺路」から「徧礼(へんろ)」、「遍路」に変わったことを紹介する新聞記事を転載しましたが、徧礼(へんろ)」が弘法大師聖跡の巡礼を表す言葉であることから、弘法大師の聖跡である四国霊場以外は遍路とは言わないことが判ります。

 四国八十八ヶ所霊場会の先達教典では下記のように案内しています。
 邊地・邊路・遍路として、日本古来の「常世の国」をめざす信仰は、やがて仏教と習合し海の邊(ほとり)を廻る道を踏む仏教修行者の行場として歴史に登場する。「今昔物語集」には「邊地」、「梁塵秘抄」には「邊道(へち)」、俊便房重源は「逿(へち)」という文字を用いている。

 それから後は「邊路(へじ)」という文字が江戸時代の宥辯真念まで用いらられる。真念はさらに「遍路」「邊路」「徧礼(禮)などを用い、「へんろ」と読ませるが、文字は一定していない。
 「遍路」が一般的に用いられるようになるのは江戸時代後期のことである。真念が「へんろ」とそれぞれの文字を読ませたとされているのは真念の道しるべ石に「遍ん路みち」と書かれていることによると思われる。

 そして、遍路道とは、大師巡礼するための遍路道。その中でも特に歩いて巡礼するための道を指す場合が多いが、本来は国道なども含めて遍路が歩くすべての道をいうと案内されています。とにかく四国遍路は四国四県の弘法大師ゆかりの寺院を巡拝する行為です。

 さて、四国には八十八ヶ所のお寺以外にも大師ゆかりのお寺は多く、別格二十霊場だけでなく奥之院や神社も存在します。

 ここに添付したのは、第73番出釈迦寺の奥之院となる「捨身ヶ嶽禅定」の朱印です。

3回分の重ね印


 捨身ヶ嶽禅定は、弘法大師が「真魚」と呼ばれた7歳の頃に標高481メートルの我拝師山に登り、「我れ、仏門に入りて一切の衆生を救わんと欲す。我が願い成就するものなら、釈迦如来よ、現れ給え。もし願い叶わぬなら、一命を捨ててこの身を諸仏に供養し奉る」と唱えて谷底に身を投じたと伝わります。

 この時に蓮華に座した釈迦如来が天女とともに舞い降りて、飛び降りた真魚を抱きとめたと言われる伝説の場所で、青年となった弘法大師が我拝師山の山頂で「虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)」像を刻んで安置し、ここで虚空蔵求聞持法を修法されたのが捨身ヶ嶽禅定です。

 出釈迦寺は弘法大師が開基したお寺で、捨身ヶ嶽禅定は出釈迦寺から約1時間ほど登った山頂にありますが、行場は奥之院からは鎖をたよりに岩場を100メートルほどよじ登った山頂近くにあり、出釈迦寺から奥之院までは車も利用できます。

2019年 10月13日

 2年前に訪れた時は相棒リマも同行させており、奥之院までは一緒に車へ乗せてもらいましたが、今となっては相棒との懐かしい思い出の場所になってしまいました。



 添付したのは四国八十八ヶ所霊場の奥之院の朱印の一覧です。今年は奥之院も巡拝していく予定を立てています。
                                  2月24日の一言
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