大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

書道

書の能力不足に自己嫌悪となる一日に

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世譽不足慕、唯仁為紀綱
 世間での誉れというものは追い求める価値などなく、仁をこそ基準としよう 
崔子玉(後漢の文人)がのこした『座右銘』の一節

 
 本日火曜日は、夜に書道会があり、これから開催予定の書道展に出品する作品の締め切りに迫られており、出来栄えは悪いものの中国の崔子玉によって残された「座右銘」の一節を記してこれを作品にしようと思います。
 
 自分の腕の悪さを実感させられ、私だけが仕上げが遅れており、恩師にせかされて書いていたものの、「世の評判は気にかけるほどのものではない。仁のみを拠りどころとすべきである」との一節の意味どおりに開き直りの作品です。
 
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 メンバーは色紙も作品として書き込んでいるものの、私は過去の書道展へ色紙を出展したこともありましたが、人生を目標にされるような大人物ではなく、書の腕もないため、色紙を出展するような立場でないと自覚しており、毎回「般若心経」の写経を出展しています。
 
 こちらについても、過去に仕上げた写経よりも腕が落ちており、書き上げたものの納得はできず、本日になって書き込む紙質の違いから、筆のすべりが悪いことに気づいたものの、元の用紙に替えてみても今度は不慣れなため書き込みできません。
 
イメージ 3 さて、書道会の会場としている事務所の2階には、平成5年に他界した父親の残した絵画や書が残してあり、練習のため書き残してあった紙くずの中に、表装して残したいような作品を次々と発見し、親が書き残した書も目にすると、未熟な私の作品では書道展への出展も取りやめたくなってきました。
 
 現在2階を大掃除している最中で、家内が捨てる物の中に入れていた書や墨絵の紙切れの中に、右に添付したような練習した絵を次々と発見し、このまま捨てるのは忍びなくなると同時に、まとめて発表したいような心境にもさせられました。
 
 どうしたものやら…

後藤さん不明、昨年11月に把握 首相、答弁で明かす
 
 
 
 
 1人の命を巡り、2億ドル(約236億円)という要求額にも驚かされますが、国王や国のトップ級を相手に交渉が行われているものの、元はと言えば内戦中の国で、一方に肩入れする資金援助や、イスラム国と戦うとしか思えない不用意な発言をした安部首相の責任は大きく、国内にも行方不明になっている人々や、北朝鮮に拉致された人々も放置されており、人の命について考えさせられてしまいます。

              本日の体重 71、0キロ 徒歩数 1268歩
                                    1月27日の一言

外出先で見た恩師の書に

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 本日は市役所の定期監査と、午後は教育委員会の現地監査として市立高台寺(こうたいじ)小学校を訪れ、校長室で歴代校長の写真から懐かしい恩師達の尊像を見るとともに、毎週火曜日に書道の指導を受けている恩師「後藤毅」先生の揮毫した書(写真の上)を見つけて写真に収めてきました。
 
 後藤先生は私の神守中学時代の学年主任で、我々の卒業後に教頭として高台寺小学校に勤務し、その後に同じ中学校区の蛭間小学校の校長を務めておられますが、行く先々で見る恩師の書に、是非とも恩師に見せたいと思うものの、残念ながら退職した教員がかつて勤めた学校を訪れることはほとんどありません。
 
 我家の2階で毎週火曜日に開かれている書道会「神守丈友会」は、平成6年に私の中学時代の教頭であった「長谷川丈夫(たけお)」先生( 2008年3月29日没)に無償で指導をお願いし、数年後に後藤先生にバトンタッチされたものの、今年は会が始まって満20年を迎えます。
 
 恩師の長谷川先生と後藤先生は、神守中学に勤務する昭和40年代から、当地方の書の大家「岡本白濤」先生の指導を受けた弟子で、長谷川先生が校長になって忙しくなるまで10年ほど岡本先生のもとへ一緒に通われた兄弟弟子となります。
  
岡本白濤先生 
 愛知教育大教授として書道教育に力を入れる一方、書道団体「玉信会」を主宰し、隋代や唐代、空海や良寛の書などを幅広く研究した中部書壇の重鎮。2008年5月に94歳で亡くなられました。
 
 私の中学時代は、学校で叱られた記憶しか無いほど問題のある生徒でしたが、私の唯一の理解者が教頭の長谷川先生で、この縁が高校で落第して非行少年となっていた時も続き、後に大学を卒業した頃には校長になられ、当地方の校長会長になられてもお付き合いしていただけました。
 
 平成6年、私が津島市のPTA連合会会長を退任した時、招待された展覧会や画廊などで記名する時に自信のない書を書き込んできた反省から、「せめて自分の名前位は自信を持って書き込みたい」と、恩師に指導をお願いしてから20年が経過しました。
 
 無償の指導は私の提案で、多くの書道教室が存在する事から、「退職後に小遣い稼ぎをしていると言われたくない」と言う恩師に、「タダでお願いに来ました」と思いつきで応え、「何い、タダだとゥ」と大笑いとなり、「じゃー、びた一文貰わんぞッ」と引き受けていただきました。
 
 こんな恩師との出会いが、現在の恩師に引き継がれ、長谷川先生の他界によって、長谷川先生と縁のあった展覧会へ書の出展となり、恩師に指導を受ける我々も一緒に年月を刻んできました。
 
 過去の一言にも、同じような思い出の記載が重複して記されていますが、本日も出向いた小学校で見た恩師の書から、改めて書道会20年の歴史を振り返り、母校(神守中学校)の恩師と教え子でスタートしている事から、現在作成中の同窓会報にも紹介したいと思う一日にもなりました。
 
この一言の満10年までのカウントダウン、あと13日
                                   1月30日の一言
 

恩師揮毫の表札が玄関に掲げられ

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 幸いにして曇り空の一日のため炎熱地獄からは免れていますが、夏のためエアコンの前で凍える生活を続けていると、80歳となる恩師から「今から行く」との電話があったとの話にびっくりして連絡したところ、「もう出て行きましたよ」と奥様のお話です。
 
 恩師の家から我家まで距離こそ3キロは離れていませんが、恩師は運転免許を返上されており、途中にある日光川の急勾配がある橋を渡って自転車で走ってくるわけですから、「こんな暑い時に来なくても」と他人事のように思っても、思い込んだら一直線のようです。
 
 恩師は私が木曽路で入手した自然木に私の名前を揮毫した表札を持ち、我家の玄関に取り付けるために走ってこられたわけですが、表札は1ヵ月前に揮毫がすんでいるものの、私が取り付けないために業を煮やして走ってこられたわけです。
 
 自分の書いた表札とは言え、3キロも離れた我家までキリやカナヅチなど工具を積んで、顔にマスクと麦わら帽子をかぶり、自転車で走ってくる姿からは、佐織町最後の教育委員長を務められた元校長とは誰も思わないでしょう。
 
 私自身は恩師に感謝するのみですが、「気になったら苦になるから…」と、先週の火曜日の書道会の際にも玄関で踏み台に登られたものの、「夜は危険だから」と断念してもらった経緯がありました。
 
 最近のことですが、人間は死期が近づくと奇怪な行動をすると言われ、私の母親の行動が苦になるようになっており、恩師についても自分の書いた表札とは言え、わざわざ自転車で走ってこられたことに、一抹の不安も感じてしまいます。
 
 もっとも、取り付け後に近所の珈琲屋さんでカキ氷を食べ、近所の団子屋さんに立ち寄られ、夜の書道会のため迎えに走ると、普段どおりで待っておられた姿から、縁起でもないような心配は無用と安心する夜となりました。
 
敦賀「活断層」に異議 原電、規制委に申し立て
記事の続き…
ただ、原電は異議を申し立てる一方で、安全性評価などは実施して規制委に報告するとしている。
 原電は今月11日、「活断層ではない」とする調査報告書を規制委に提出。原電は、規制委の命令は問題の断層が活断層であることが前提になっているとして、異議申し立てする方針を表明していた。
 
 さて、本年5月に原子力規制委員会が、原子炉直下の断層が活断層と判断したことについて、日本原子力発電が異議申し立てを行なったと、本日の朝日新聞が報道しています。
 
 原発事故が発生した場合に、国の援助無くして地域住民への保障もできない現実が、東電の福島原発事故で起こっているにも関わらず、国が設置した規制委員会の判断に異議を申し立てる行為に違和感が残る。規制委員会が活断層と判断した原子炉の再稼動に住民が同意すると考えているとすれば、日本原電の横暴な態度のよりどころは何か。
 
 国民の脱原発の意識が無視されているのか、自民党の再稼動容認をよりどころにしているのか、本音が聞きたいところですが…
 
                                       7月16日の一言
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
津島市出身の参議院選挙比例区候補者大野拓夫さんです!!
                    皆さんのご支援をお願いいたします
 
大野拓夫のホームページ http://www.ohnotakuo.net/ 
比例区(全国区)の投票では、
           政党名ではなく「大野たくお」とお書きください!! 
 
私のHP 津島の新しい風 http://www1.clovernet.ne.jp/oshika18/ 
                                    mail  s281218@yahoo.co.jp  

トマト、表札、納め札入れが続々と

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恩師から届けられた天然木へ揮毫された表札
 
 本日は6議員が登壇した津島市議会一般質問が終わり、明日の休会日をはさんで明後日より常任委員会が開催されていきます。私の所属する委員会は文教建設委員会で、金曜日に開催されますが、私は全部の委員会を傍聴するようにしています。
 
 本日も夕方まで市役所にカンヅメ状態でしたが、帰宅後のアンズの木の下に親しい知人の顔を見たことから、アンズの実だけでなく昨晩に家内が作ったアンズジャムを差し上げたところ、知人は自宅からトマトを持参して戻ってこられました。我家のアンズがトマトに変身しましたが、こんな交流はほほえましいものがあります。
 
 毎週火曜日は事務所2階で書道会が開かれていますが、恩師に預けてあったケヤキの天然木に恩師の揮毫による私の表札が持ち込まれました。実際には先週に持ち込まれたものの、私の希望で恩師の落款を押してもらいました。
 
イメージ 2 さて、本日の書道会には、一緒に四国遍路や観音霊場を廻っている知人が、私の納め札を入れる「納め札入れ」を数種類作って持ってきていただきました。
 
 着物の帯や布を利用して作っていただいたもので、遍路や巡礼の納め札を入れるだけでなく、名刺も入りますからお遍路や巡礼者が持参するのに洒落た一品と思います。
 
 私がカレンダーの不織紙を利用して試作した「納め札入れ」を見て、布で作ってもらった次第ですが、巾の広い財布は存在するものの、胸ポケットに入りませんから、方々のお店で探したものの見つからず、自前で作ってもらうこととなりました。遍路用品にも見当たらないことから、大鹿オリジナルとして販売したいくらいの品物ですが、希望者は連絡くだされば無料で送付させていただきますよ。
 
 本日は続々と嬉しい品々が我家にもたされました。
 
拒まれた電動車いす、争論 乙武さんツイートで賛否 
       http://www.asahi.com/national/update/0611/OSK201306110009.html
 【山村哲史、中崎太郎】電動車いすの入場・入店は「お断り」なの!?――。作家の乙武洋匡(おとたけひろただ)さんが、車いすを理由に料理店に入れなかったとツイートすると、ネット上で賛否の声があがった。入場をいったん拒否した「ひろしま菓子博」には抗議の声が寄せられた。相次ぐ出来事は、議論を深めるきっかけになるか。
■事前連絡すべき? 周囲が手助け?
 「車いすだからと入店拒否された」「銀座での屈辱」。5月18日夜、乙武さんがツイッターでつぶやいた。乙武さんは事前に席を予約していたが、車いすだとは伝えていなかった。
 店はエレベーターが止まらない2階にあり、乙武さんに同行したのは女性の友人で、2階まで体を抱えて上がるのは難しかった。
 ネット上では、瞬く間に賛否のツイートが相次いだ。「差別に厳しい国なら店が訴えられる」「予約時に車いすであることを伝えることがマナー」「周りの客が手助けすればいい」
 店側に取材を申し込むと、オーナーシェフは「店のブログを見てほしい」と語った。
 ブログでは、乙武さんの来店時はオーナーら2人だけで営業していたとし、「車椅子(いす)の方は事前に連絡をしていただけると思っていた」と釈明。そのうえで「当日の状況を考えると、乙武様をスムーズに案内してサービスをさせていただくと、他のお客様のサービスが滞ると判断した」と記している。
 乙武さんも「確かに事前連絡した方がスムーズだったと思う」と話す。では、車いすの人は事前に伝えないと、入店を拒否されても仕方がないのだろうか。
 乙武さんは「こういった対応は初めて。僕はみなさんの善意に助けられてきた」と振り返る。「できる範囲で受け入れてみようよという思いが伝わってくると、障害を持つ当事者は排除されていないと感じられる」という。
 乙武さんは、考えられる対応として、(1)法律でハード面の整備を義務づける(2)周囲が手助けする(3)障害者が我慢する――という三つの選択肢を挙げる。階段しかない店なら、選択肢は(2)か(3)となるが、「電動車いすユーザーの僕自身が、(2)と言うのははばかられる」という。
■広島の菓子博、一転OK 運用は紛糾
 「さみしい話だなあ……」。乙武さんは1カ月前にも、車いすを巡ってこんなつぶやきをしていた。
 広島市で4、5月に開かれた全国菓子大博覧会・広島(ひろしま菓子博)。実行委は当初、「電動車いすでの入場はできません」と公式サイトで告知した。これに対し電動車いすのスタッフがいる出展者から「車いすは体の一部」と抗議を受け、報道されていた。
 実行委は、前回の姫路菓子博(2008年)の運営にかかわったイベント企画会社から運営マニュアルの提案を受けたうえ、電動車いすの制限は「災害発生時の避難誘導や事故防止」を考えて採用したという。
 マニュアルを提案したイベント会社の担当者は「姫路会場はバリアフリーも進んでいて、電動車いす利用者への対応をマニュアルには明記しなかった。しかし広島の会場は段差が多く、通路が狭かったため、より慎重な対応を提案した」と説明する。
 抗議を受け、実行委は電動車いすの入場は認めた。しかし事前予約を条件としたため、再び紛糾。実行委事務局長は会見で「電動車いすの使われ方の認識が甘かった」と釈明。事前に障害者団体などとの協議はしなかったという。
 最終的には、電動車いすでの入場の際は「安全確保のため1~3人のスタッフが付き添う」ことになったが、障害者団体などからの要望や抗議は閉幕まで続いた。最初に実行委に抗議した広島県就労振興センター事務局の曽根都さんは「電動車いす利用者も普通に外出することが、理解されていない」と話す。
 電動車いすで来場した広島市の浅野日出男さん(63)に話を聞いた。実行委側の3人が囲むように付き添い、移動時には「ご迷惑をおかけします」と周囲に声をかけた。浅野さんは「素直にありがたいとはいえない。気をつかってしまって、最低限しか回りませんでした」と語った。
■「菓子博の対応、想像力が貧困」
 〈障害者福祉に詳しい浅野史郎神奈川大教授(元宮城県知事)の話〉 菓子博の対応は、小さな親切、大きなお世話だ。経験豊富な電動車いすの使用者に一律に事前連絡を求めるのは、想像力が貧困だということ。乙武さんの問題は、店がバリアフリーになれば望ましいが、店側にも言い分があるだろう。いろんな客がいることが店の価値を高めるという認識が広がれば、よりよい社会になると思う。
 
 添付した記事は、電動車イスの入場を巡る騒動に関する記載ですが、電動車イスを利用する人の心情も理解できますが、サービスを提供するお店側の限界も理解でき、現場の臨場感がないために評論はできないものの、どちらにしても自然体でないことに問題がありそうです。
 
 私も数年前までは車イスを使ったバリアフリー検証会を行政と一緒になって実施していたことがあり、現実に電動車イスの利用者に同行して電車やバスに乗車したこともありますが、少なくとも車イス利用者が自力で介助者とともに行動する意識が必要で、相手が介助して当り前と考えていると問題です。
 
 障がい者であろうと、健常者であろうと、自分本位に行動すれば反発を生み、お互い様として相手の立場を認め合えれば、意外に自然体で希望する行動が可能となっていきます。
 
 「料金が安いと聞いたが」
 「おおむね、タクシーの半額程度です」
 「車イスのまま利用したいが」
 「車イスのままでは乗れません」
 「なんだ、車イスも乗れないのに福祉有償か」
 
 福祉有償運送を利用したい人からの問い合わせの一例ですが、ボランティアと言えども車イス利用者だけのために待機しているわけではなく、車イスのまま利用できるタクシーより安く利用したいのは判りますが、車イスのまま乗車できるのが当り前のような態度は、「それならお宅の車で行かれたらどうです」と反論したくなった事が何度もありました。
 
 中には、「何とかなりませんか」との問い合わせに、車イス対応の車を買ってしまあうかと思ったこともありますから、本音で正直な相談には「何とかしようか」と対応していきますから、今回の記事を読んで、相手の立場を思いやる気持ちと、お互い様の気持ちが希薄だったようにも思われます。
 
                                   6月11日の一言

市役所ロビーの作品展を訪れ

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我家の庭に生える小判草
 
 添付した小判草は、ヨーロッパ原産で、明治時代に観賞用に導入された帰化植物と記されていますが、日本では、本州中部以南に分布し、畑、道端、荒地などに生育し、日当たりのいいところを好み、乾燥に強く、土壌の質を選ばないとの説明のように、我家では年々増殖し、家内からは雑草として扱われるようになりました。
 先についた小判のような穂先から、お金がたまる縁起物として残したい草花です。
 
イメージ 2 添付した左の写真は、津島市役所の1階ロビーに展示されている「人権を理解する作品コンクール」に入選した書道や絵画を集めた作品展のコーナーです。
 
 作品展には、書が19点、絵画18点、標語が25点展示されており、8枚のパネルを並べただけの展示コーナーでも、61人分の作品が掲示でき、それぞれの家族や関係者が訪れるとかんがえれば、公の施設の有効利用と集客の参考になると感じさせられました。
 
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  右に添付した書は、入選した小学校四年生の筆による作品ですが、私自身も小学校の時に嫌々でも書道塾に通わされ、色々な作品展で入選した経験があるものの、一度も展示された作品を見たことがなく、中学に入ってからはほとんど筆を持つ機会を失った反省から、是非とも作品を見て書道を続けて立派な書家に育って欲しいと思います。
 
 そういう意味では、作品を展示できる施設を増やし、作品が展示されることによって、書道や絵画の腕を磨き、立派な芸術家に成長してもらいたいもので、発表できる機会と場所が不足しています。
 もっとも、最近の展示は、リタイヤした高齢者の自己満足による作品展ばかりが発信されてくる現実の反省も必要です。
 
 私もその一人で、毎年開催していた上高地の写真展と、平成6年から続けている書道会の作品展も、展示していた「茜屋」さんが閉店されたことから発表の場をなくしており、代わりの会場を探しているものの、適当と思われる場所が見当たりません。
 
 私の事務所の2階は、建設した30年前には写真展や絵画展にも利用していたものの、現在は卓球台と書道会に利用しているだけで、多くの荷物置き場になっていることと、このままでは人も入れぬ倉庫と化すことから、上高地が閉山される11月を目安に書道展や写真展が開催できるスペースに衣替えできたら…
 こんな展開で次々と考えてしまいますが、身体が動かなくなっていることと、やる気が苦痛となっていきます。そんな日曜日が迫ってきました。
 
                                      5月17日の一言

私の書と弘法大師について

 本日より土曜日にかけて開催されている書道展について、昨日の一言に記したところ、コメントの中に弘法大師の名前があったため、本日も私が出品した書の意味について改めて意識するとともに、ここに記して残したいと思います。
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 右に添付した書は、中国後漢の崔子玉が残した座右の銘の5文字12行の中から引用した2行分ですが、5年前に善通寺の管長を務められる樫原禅澄僧正(当時は宗務総長)から頂いた禅澄法話の資料から引用したものです。
 
 弘法大師の座右の銘として法話を聞かされましたが、この言葉は今から千九百年前の中国の書家が残したものだけに、最近の中国国内の暴動を見ていると、中国共産党の偏った教育の弊害を感ずるとともに、共有する歴史から人と人との関係改善を図れば世界平和も可能に思われますが…
 
施人慎勿念 (ひとにほどこしてはつつしんでおもうことなかれ)
 他人へ施与したり、世話をしたことは口に出さず、いやしくもいつまでも心の中に思うてはならない。
受施慎勿忘 
(ほどこしをうけてはつつしんでわすれることなかれ) 
 他人より施与をうけたり、世話になったことは決して忘れてはならない。
 
中国後漢の崔子玉による座右の銘
無道人之短、無說己之長。施人慎勿念、受施慎勿忘。世譽不足慕、唯仁為紀綱。
隱心而後動、謗議庸何傷。無使名過實、守愚聖所臧。在涅貴不淄、曖曖内含光。
柔弱生之徒、老氏誡剛彊。行行鄙夫志、悠悠故難量。愼言節飲食、知足勝不祥。
行之苟有恆、久久自芬芳。

座右の銘に関する私の一言
 2007/12/10(月)
http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/28266822.html 
 2007/12/8 (土)
http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/28215934.html
 
 さて、恩師が私用に手渡された手本は別の文字で、書道展用に見栄えのする行書体でしたが、私の身勝手なこだわりにより、手本のいらない楷書しか書き込めず、芸術とか書道とは無縁の出展となりました。
 
 
イメージ 2 もっとも、崔子玉が残した座右の銘を自身の銘とされていた空海(弘法大師)は、左のように見事な草書体で座右の銘を書き残されており、比較すれば恥ずかしいの一語となりますが、もっちょっと我流で頑張ってみたいと考えています。
 
                  9月17日の一言

書道展に作品を搬入はしたものの

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神守丈友会書道展が開かれる茜屋店内
 
 我家の2階で毎週火曜日に開かれている神守丈友会の書道会では、明日17日から22日まで西愛宕町の茜屋さんで書道展を開催するために、昨日の夕方に作品を搬入して添付写真のように展示を終えました。
 
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 全くの練習不足で、作品として表装するのも躊躇していましたが、恩師の顔色を見ていると出さざるをえず、清書用紙に書き込む時間も無かった事から、練習として書いた書から選んだのが左の作品です。
 
 右の色紙に至っては、議会開催中のため書く気力が沸かないため、出展する気は全くなく、奇策として数年前に他界した元々の恩師の遺作となる短冊と、木に直接揮毫した書を持ち込む用意をしていたものの、昨日の昼頃にメンバーの一人から「出展できない」と連絡が入ったため、これを聞いた恩師の顔を想像すると、色紙も出さざるをえなくなり、搬入する30分前に書き込んだ代物です。書の心得のある人が見れば、書というよりも毛筆の文字のレベルで、書道展の案内チラシを大量に印刷はしたものの、未だに一枚も配布しておらず、恥ずかしいの一言となる書道展ともなりました。
 
 さて、本日は朝から横井庄一記念館に家内と娘と孫の4人で出かけましたが、夫人からNHKの取材があるから応援を依頼されていたものの、議員である私がカメラに写ってはいけないと言うNHKスタッフのため、私たちは仏間と縁側に押し込められ、存在そのものが邪魔者とされ、撮影が終わるまで声を潜めていました。
 
 「選挙が近いから」との理由でしたが、無党派無所属の地方議員にとって衆議院選挙は無縁でもあり、まるで「カメラに映して欲しい」と思っている乞食のような対応に怒り心頭の一日となってしまいました。「お孫ちゃんも一緒に」と夫人に言われ、何も判らない孫も一緒に連れており、孫が声を発すると襖の戸が開き、NHKスタッフから暗黙の注意を促される我々の心境が理解していただけるでしょうか。
 
 NHKには数年前にも同様な措置をとられ、自分が写るなんてことは一切考えてはおらず、我家はそれ以前にNHKの集金人とのトラブルがあり、それ以来NHKの番組は一切見ておらず、請求書を一方的に送りつけられるだけで、「見たくない権利」を保障して欲しいと思っているのに、全く腹立たしい対応です。
 
 現在の条例では、テレビの受信装置を持っているだけで、NHKの受信料の支払い義務が発生し、支払わないと司法に訴えられていますが、技術的に映らなくできるスクランブル技術も確立されていることから、契約者以外にはNHKの電波を停めて欲しいものです。
 
                                      9月16日の一言

本当に恥書きとなる筆をうごかし

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5月の書道展に出展した般若心経
 
 本日は6月の末に愛西市佐屋公民館で開催される「グループ茜合同展」に出展する書の作品を書き上げていますが、5月に茜屋で開いた書道展に般若心経を出展してしまったので、今回は中国後漢の崔子玉(さいしぎょく)の座右の銘を書き上げています。
 グループ茜合同展は今年で23回(年)目となり、津島市や海部郡の絵画や写真などを趣味とする100人近い芸術家によって続けられており、私は3年前より亡くなった恩師・長谷川丈夫先生の代わりに書を出展するようになりました。
 
 もっとも、恩師は書家の岡本白祷先生に師事した腕前ですが、私は主催者から「下手だから…」と書の出展を勧められており、恩師や恩師と一緒に書道展を開いていた故・木村輝夫さんの身代わり程度の出展です。
 
 手本は現在指導を受けている恩師・後藤毅先生に書いてもらいましたが、書の出典を崔子玉の座右の銘と伝えておらず、私も座右の銘の意味は記してあったものの、崔子玉の事は詳しく調べた事もありませんでした。
 
○書家としての空海(参照してください)
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書き込み中の崔子玉・座右の銘
崔瑗(77~142)
 字は子玉。安平の人。崔駰の子。賈逵に師事し、天文・暦数・易などに通じた。馬融や張衡と親しく交わった。四十余歳にして郡吏に任官した。のち車騎将軍・閻顕に招かれたが、閻顕が誅殺されると、彼も追放された。のち汲県の令をつとめて治績をあげ、済北の相となった。『崔瑗集』。
崔子玉(上)に関するHP http://www17.ocn.ne.jp/~ichitubo/zayuu.html
 
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 「さすがに弘法大師は良い座右の銘を残しているな」の恩師の一言に、「これは弘法大師が中国から持ち帰った一文で…」とは答えたものの、詳しくは説明ができないばかりか、「ところで、弘法大師は何歳まで生きたのか」の質問にも、「鶴田浩二と同じだったかナ…」と、62歳と正確に答えられません。
 
 そうやって考えてみると、四国遍路から半年も遠ざかっていることから、一時は暗記していたお寺の名前も順番に言えなくなっており、忙しいことは事実ですが、四国に行くだけが遍路ではなく、自宅にあっても精進できることがおろそかになっていた反省で、久しぶりに「先達教典」を開けました。
 
 一方で、空海(弘法大師)は宗教家としてばかりではなく、中国に入唐後は、書を韓方明に学び、王羲之顔真卿の書風の影響を受け、中国では五筆和尚といわれ、日本では入木道の祖と仰がれ、書流大師流と称された不出世の能書家であり三筆とも称されています。
 
 さて、書家としての空海について記し、大師を代表する『崔子玉座右銘』を書いて出展すると弘法大師の尊厳を傷つけてしまう未熟な腕前ですが、私の恩師も王義之や顔真卿の書を手本にされているので、私は基本に素直な作品にとどめたいと思います。
 
 4月からは書道展へ出展するために時間があれば書を書いていますが、私の書いた未熟な「般若心経」を欲しいと言われる人もあり、嬉しい気持ちと、未熟で恥ずかしい気持ちとなりますが、一番良いと思われる書を差し上げてしまうと、我が家には悪い書ばかりとなり、劣ると自覚する書を差し上げるのも末代までの恥書きとなるために、差し出す書の選択にも困りますが、私の書いた程度の書で喜んでもらえる事に感謝する気持ちが欠けていました。精進が必要です。
                                  6月3日の一言

写経三昧の一日が済んで

 本日は写経三昧の一日で、わずかに266文字の般若心経を記すだけの事であるが、書き初めから筆が定まらず破棄するのは当り前だが、自分の納得できる文字が続いても、最後の最後に乾かぬままの墨に手がついて滲んだり、不注意に筆の墨をつけて台無しにしたりと、あっという間に一日が経過し、何とかと思うものが書きあがったが、最後の落款に失敗し、納得できる作品ではありませんが、「これならどうでしょうか」程度の一枚を書き終えたのは深夜となっていました。

 この般若心経は今から、約千二百年前に弘法大師(空海)が、天台経70巻、毘沙門経60巻、阿含経・華厳経・般若法華経など8万巻の中から選び出した御経で、仏教だけでなく神道や神社の神前にても唱えられており、1200年前の人々も同じ発声で唱えられていたと考えると感慨深く思います。

 さて、一日を写経三昧としたのは、来月3日から我家の2階で平成6年から続けてきた書道会の書道展が開催されるためで、作品として般若心経の「写経」を出品しようと考えていますが、たった一枚を書き上げるのに時間はかかりませんが、最初から最後まで納得して書きあげる事は難しく、筆先の力や姿勢を変えずに一気に書き上げるのも苦痛です。

佛説摩訶般若波羅蜜多心経  

観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空度 一切苦厄舎利子 

色不異空 空不異色 色即是空 空即是色 受想行識 亦復如是舎利子 

是諸法空相 不生不滅 不垢不浄 不増不減 是故空中 無色無受想行識 

無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法 無眼界乃至 無意識界 

無無明亦 無無明尽 乃至無老死 亦無老死尽 無苦集滅道 無智亦無得 

以無所得故 菩提薩埵依 般若波羅蜜多故 

心無罣礙 無罣礙故 無有恐怖 遠離一切顛倒夢想 究竟涅槃 三世諸仏依 

般若波羅蜜多 故得阿耨多羅 三藐三菩提 故知般若波羅蜜多 

是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等等呪 能除一切苦 真実不虚 

故説般若波羅蜜多呪 即説呪日 羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 

菩提薩婆訶 般若心経 

 こんな繰返しで夕方を迎え、今から11年前に廃業した時に新車であった事から、私の愛車(メイト80)と共に残したバイクを娘婿が使うために整備しなおす事となり、開業時から依頼していた業者がやってきましたが、さすがに11年の経過は隠せず、単車が一気に車に乗りません。11年前には新車でも、動かさぬままに経過すると粗大ゴミと一緒です。

 「〇〇さん、もういくつになりました?」
 「いくつになったと思う?」と、問い直されましたが、私が廃業して11年が経過しており、私はそれ以前に23年間開業していたことから、68才と聞くとびっくりですが、自分の年齢から考えれば当り前でもあり、元気ではあるものの腰が曲がりかけた姿に淋しさを感じました。

 さて、再度のさてですが、最近はパソコンの不具合で、せっかく書き込んだ文章が、Enterを押した瞬間に勝手に「決定」にされてしまうのか、書き込んだ文章が消えてしまうことがあり、本日の一言は「般若心経」を書き入れていた事から書き直しに3日分位の労力を使いました。明日は横井記念館の一日ですが、夫人が護国神社に出向く事から記念館にカンヅメで、本日に続き座ったままの一日が続きます。
                                 4月10日の一言

おい!、もうあんただけだよッ!

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 明日より開催される展覧会に出品する書道作品を名古屋まで引き取りに走り、まもなく会場に到着という時に携帯電話が鳴り、誰かわからないままに出ていると、「おーい、もうあんたの作品だけだよッ」と催促の電話である。

 明日から3日間、愛西市の佐屋公民館で開催される『グループ茜合同展』に、私は恩師とともに書の作品を出展していますが、私の作品「般若心経」は表装に出したままとなっており、満足に見ないままに会場に展示されました。

 私と恩師は初めての出展となるが、この合同展は今年で21年目となる歴史のある展覧会で、画廊喫茶茜屋に関係する地域の芸術家たちの作品が出展されており、「年々出展者が減ってきた」と聞いているが、今年も70人をこえる人々の出展は見事の一言としか言いようがありません。

 歴史とともに、高齢化も必然となり、出展者の減少を聞くうちに、「私もいつかは出展しようかな」とつぶやいたのが縁で誘われ、上高地か高校野球の写真を出品しようと考えていると、「あんたは、書。写真はいらないよ」と言われ、得意な分野ではなく書の出展が決まったのであった。

 「書は半人前だから」
 「誰もが最初はそうだ」
 「写真の方が自信があるけど…」
 「得意な物より、下手な方が良いの」
 「写真も良いのがあるけど…」
 「あんたは書でハジをかいたほうが良いの」

 全く理不尽とも思えるマスターの選択であったが、選択した以上はと作品を何枚も書き上げたものの、満足な作品にはならず、真心を込めて「般若心経」を書き入れれば大丈夫かと、今月になって書き入れた写経が今回の作品である。

 思い起こせば、この合同展には今年亡くなった私の恩師長谷川丈夫先生もかつては出展されており、恩師と一緒に活動されていた仲間も出展されているが、恩師の後継に指名された現在の恩師後藤先生と2人で出展するのも縁としか言葉が思い当たらない。
                             6月26日の一言

書道会から遍路話に発展し

 本日は底冷えがするほど寒く、こんな日に出向くとロクな事がないと思っていると、「今日の都合は?」と朝一番で役所からの電話である。

 「何時でも良い」と言われても、電話で済みそうな用件に、「今日は行かないから」と頑固に断ったものの、出向くとついでにあれもこれもとなり、話し好きな事から寄り道にもなり、電話でとりあえずの用件を済ませたものの、18日の大阪行きの資料や弁当の手配と、なさそうでも仕事は残されているのである。

 よくよく考えてみると、27日の地域セミナーについても、講師やパネラーとの打ち合わせも十分とは言えず、当日の参加者についてもクチコミすら進んではおらず、来週は大変な一週間となりそうな気配である。
 気がつくと先月の中旬から日々の行動がホームページに記録されておらず、一月も随分経過しておるものの、仕事の修正程度が追い着かずにそのままになっており、今更思い出しても判らない日もあるが、とりあえずは書き込みも必要となる。

 そして夜には毎週火曜日に開催されている書道教室『神守丈友会』であるが、会場としている我が事務所2階も暖まらず、人々の上達ぶりと反比例で満足に筆が走らないままに終わり、元気に舌が廻り出したのは恩師が帰宅後に雑談で『四国遍路』の話題になった時であった。

 「今年は是非とも行ってみたい」とのメンバーの話から、居残った数人の会話となったのであるが、問われる当方が四国遍路の基本的な心構えや装束から話しはじめると、「格好は何でも良い」との家内の一言が入ってきた。
 「姿形よりも参拝する心が大切」とは、家内と廻った過去3回の私の口癖でもあったが、後の2回の巡拝で私自身の考えにも多少の変化ができ、それなりの姿形で巡拝しないと普段と気持ちの切り替えができないと思うようになってきた。

 「白衣だけでなく、『すげ笠』と『金剛杖』に『袈裟』も必要」との言葉に、家内は反論したい気持ちで一杯であったと思う。何故かと言うと、私自身が誰からも帽子が似合わないと言われており、すげ笠どころか杖に対しても「必要ない」と若さと反発心から姿形にはこだわってこなかったからでもある。

 関心のない人からは田舎役者のように思われるかもしれないが、寺の山門をくぐる時には巡拝の姿形から整えて参拝したいと現在は思っている。

 さて、四国遍路の人気に便乗した誘いも多い。「四国に行く前に新四国へ」との誘いが愛知県では多く、知多半島の八十八ヵ所と「四国は一緒」とまで言われると詐欺と言いたくなってくる。「どっちでもお参りは一緒」と言って、「ナンマイダブ、ナンマイダブッ」と念仏を唱える人も存在する。

 しかし、いつかは四国にと思われる人には、「いつか」ではなく、「行ける時」に出かけて欲しいと願う。「なにーッ、四国、おじん臭い事言うなッ」と言っていた知人も年末に57才で他界した。死ぬ事が判っていたら、「行っておけば良かった」と思ったであるうが、人の寿命は判らない。ただし、どんな人でも死亡率は百パーセントである事の自覚も重要と思うようになってきた。
                                   1月15日の一言

身体はガタガタでの忘年会参加…

 本日は私にとっては唯一残された(全て断りました)神守丈友会(書道会)の忘年会であったが、予め予定してあった約束があり遅刻して電話をもらう顛末となったが、議員としての今後にも明るい希望をもらう遅刻でもあった。

 遅刻した理由は、来年1月27日に津島市文化会館で開催される『人にやさしい街づくり地域セミナー』のパネラーに予定してある、市民病院の副院長との打ち合わせのためであったが、本年のセミナーにもパネラーを依頼してあった実績から、アウンの呼吸で打ち合わせは終ったのでもあった。

 この後が私の悪いクセで、来年3月に定年を迎える病院幹部と四国遍路や京都への旅の話に熱中していたのである。しかし、副院長との僅かな時間で経営危機にある津島市民病院の将来に明るい展望も感じて帰る事ができ、細かい裏側までは聞く事もなく語られる事もなかったが、心配する悪い話ばかりではなく、何とかなりそうな期待(無責任ですが)を持たされて帰れた気もするのである。

 さて、そんな事よりも、私の右足の状態は極めて悪く、足を引きずって歩いているが、病院の副院長と打ち合わせをしていたのに「何故、診てもらわなかったの?」と言われるのが世間常識でもある。この辺りが世間常識と違うところで、市民病院は近所の開業医の手に負えない患者を診察する機関であり、会っていた医師は外科の先生でもあった。

 こんな場合は整形外科の先生の担当であり、近くのかかりつけ医の仕事と思われるが、医師でもない病院幹部との話で『肉離れ』と自己判断しているが、明日にでもかかりつけ医に行く必要は感じるものの、元来の医者嫌いから当分は様子見となりそうでもある。こう言って半月が経過してきたのでもある。

 ただし、こんな状態が続くと、年末の京都行きも赤信号となり、議会後に発行予定の会報の配布にも影響は必死でもある。肝心の忘年会については、会場の主となっている私が遅刻するだけではなく、書の指導をされている恩師も忘年会そのものを忘れて夕食を済ませられたというから最悪である。

 しかし、多数を占める女性軍と分かれた後に、男性軍は久し振りの二次会に走り、永らく足を向けていなかった店に出向いた事から、限界を超えた飲酒と会食により、足の痛みと何とか治まった風邪をどうのと言ってはおられない帰宅となった。ひじょうに苦しい体調ではあるが、それでもパソコンの前に座らなければとの思いが、何とか正気でここに座っている原動力ともなっており、今晩は皆さん(家内にも)にお詫びする事しかない結末ともなっての今がある。
                         12月13日の一言

新兵器の登場に

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 毎週火曜日の書道教室「神守丈友会」をはじめて13年の歳月が経過するが、人の書を見てうらやましく思っていたのが『下敷』の存在であった。(感度の悪い写真で申し訳ありませんが)

 高い代物ではないが、かつて仲間たちがこの下敷を買った時に「自分には必要ない」と偉そうにして買わなかったのである。私は、平成5年に亡くなった父親が日本画を趣味としており、書道道具にしても高価な品々が多く残してあった事から、親のスズリと筆などにこだわって使ってきた。

 しかし、いくら多くの道具があるからと言っても、スズリやブンチンなどと違って、消耗品の筆は明らかに使用限度を超えて、筆先が割れるなど、写経にしても無理を承知で書き続けていた。(筆は50本ほど残されていましたが…)そのために、本日からは大筆と小筆を新調し、ついでに写真の下敷も購入した次第である。

 見て解るように、下敷に6文字のワクが入っており、裏側は4文字用のワクが入っている。子供の頃の書道教室では、書道用紙を文字分に折って書き入れていたが、この下敷は紙を折る事なく文字配分の目安となるのである。この下敷があるのと無いのでは明らかに文字を書き入れた際に差がでるのは当然の結果でもあり、前々から人の下敷をうらやましく眺めてきたのでもあった。

 今回は全ての書道用品が4割引きとの話で、この下敷きも840円の物が588円との事であった。大筆3150円が1890円で小筆2625円が1575円である。四国遍路の際に一番寺で「これは安い」と買い求めてきた『写経用紙』に至っては1050円が735円で入手できた。本当なら7665円の品々が4788円で済んだが、書道道具には値段の高い物が多く、親の残した筆などは5000円の値札がついており、スズリや石のブンチン等は数万円の代物が残されていた。

 やはり書道用品の専門店だけに安いだけでなく、写経用紙も30枚入っていた。四国で安いと買い求めた写経用紙は「なぞり書用和紙」が7枚もあり、写経用和紙は14枚しか入っておらなかった事から、写経を三日坊主にしており、明日からの再開に言い訳はできなくなった。
                                    7月17日の一言


本日で写経は12枚目

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 平成6年より毎週火曜日に続けてきた書道会『神守丈友会』であるが、昨年より恩師の体調不良により指導者抜きの日々も多くなってきた。

 そのためもあって、最近では般若心経の写経を一日一枚のノルマと課し、本日12枚目に至っている次第であるが、恩師の後藤毅(緑風)先生は先週より入院となり、復帰までは各自の判断で練習し、私は写経に決めたのである。

 大阪から発信された見事な書のブログ『書道家・皇雲の「書道」「フットサル」「グルメ」エトセトラ』http://blogs.yahoo.co.jp/takashi_kounを拝見し、13年間も書道を習う機会をもらいながら、真剣に向かい合ってこなかった反省をしても過ぎ去った日時は取り返しがつかないのである。

 平成6年秋の事であったが、せめて恥ずかしくない記帳ができるようにと、中学時代の恩師で書家でもあった長谷川丈夫(錦波)先生にお願いに伺った。恩師は、「地域に多くの書家があるから…」と頑として固辞され続けた。地域の校長会長も歴任され、おかしな小遣い稼ぎはしたくないとの気持ちと、書を生業としている人々の邪魔はしたくないとの意向でもあった。

 「先生、なんか勘違いされているんじゃないですか」、「何が?」、「私は先生に1円も出しませんよ」、「なんだ-?」、「先生、多くの書家があっても、タダで教えてくれる人は先生しかありませんヨ」、「どういう事だ?」、「だから、先生はタダで教えるんですよ」、「?…△…?!…〇…」、「ヨシッ!、良く判った。じゃー、1銭の金も受け取れんぞ!」と、まったく身勝手で図々しい説得を受けてもらい、恩師の一字をとって『丈友会』がスタートした。

 教え子を中心に集まったメンバーは、謝礼は出さないが会費を集めて恩師とともに旅行や食事会を楽しんできたのである。
 3年後に弟分の後藤先生が引き継いで現在に至っているが、数回の書道展を開催し、新聞に掲載された事も数回あるが、最近では書道よりも旅行や食事会に関心が移っており、5月には一泊旅行を予定していた矢先でもあった。
 現在では、長谷川先生は施設に入所され、後藤先生は病気と闘いながらの指導となり、進歩のない腕前を悔やんでも遅い現実を味わう事となっている。
                                5月16日の一言

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