大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

本堂

西国三十三観音巡礼 近江八幡長命寺へ

長命寺入口

参道入口

聖徳太子礼拝石

山門

水屋

本堂が見えてきました

 長命寺書院

まもなく本堂です

三重塔

最後の石段

拝殿前

 護摩堂

本堂から見る近江八幡 

 由来

 本堂

 三仏堂

 由来

 拝殿

 由来

太郎坊への鳥居

 参道

鐘楼堂

 由来

 参道

商売繁盛の仏様 稲荷大明神

琵琶湖 

琵琶湖と近江八幡

 太郎坊大権現社

 拝殿

 社殿

 火曜日の写真です。

長命寺は推古天皇27(619)年に創立された天台宗系で聖徳太子が開基した西国観音巡礼第31番のお寺です。

長命寺の建つ奥島山はかつて山そのものが神の宿る御神体として信仰されており、本堂奥の山腹には多くの巨石も残されており、神仏混合の歴史をとどめていました。

かつては歴代天皇の健康長寿が祈願されたことが長命寺の由来とのことですが、近江商人や奉公人の出世と長命も祈願する観音様として信仰を集めたお寺で、境内の鳥居をくぐると稲荷大明神や太郎坊大権現が奉られていました。

長命寺から眺める琵琶湖や麓の近江八幡の街並みから、いわゆる日本の山寺らしい雰囲気を実感する参拝となりました。

2ヵ月ぶりの阿息観で健康を実感し

本日の夕暮れ

午後6時18分

時間が止まった鉛空


本日の写真です。

毎日5千歩をノルマにしていると、月曜日から金曜日まで2万5千歩になりますが、添付したように僅かに足りません。本日の愛知県は強風が吹いているだけでなく、黄砂によって鉛色の空のためか、不足分を歩く気力も湧いてきません。

本日21日は弘法大師の日で、真言宗のお寺では何かしらの行事が行われており、家内は津島市のお寺から名古屋市の会場まで弘法会の代表を移送しており、私は午後から町内のお寺で写経と阿息観に参加していました。

先月は四国を遍路中のため久しぶりの阿息観参加でしたが、3月に戴いた法螺貝の音が出ないため練習していた効果で以前より多くの空気を吸い込むことができ、腹式呼吸が安定して過去とは違う阿息観を実感させられました。

そんな法螺貝の話や、四国遍路の不思議な話に花を咲かせていると、時間の経過を完全に忘れており、電源を切ってあったスマホのスイッチを入れると、午前中に移送してあった福祉有償移送のお迎えの時間をすっかりと廻っていました。

ボランティアと言えども患者さんを移送しているため、お待たせすることは絶対に許されないものの、家内から鬼のように厳しい顔が想像できそうな電話が届き、慌ててお迎えに走って何とか取り繕った次第です。こんな失態は許されず、有償ボランティアではありますが、本日は無償の移送でお許しを得た次第です。

さて、膝が痛くて正座できない人も多く存在しますが、柔道整復師の息子から無理に座ろうとすると悪化すると言われていたものの、お寺の本堂で正座するために自己流ですが、クッションマットを利用して痛むことなく正座できる方法を見つけました。

ホラ貝フキおじさん

最近では何処のお寺でもイスが用意されており、お寺の住職もイスに座って読経されますが、善通寺や高野山では足を痛めている僧侶も正座されている姿と、阿息観に関してはイスでも良いと言われるものの、正座しないと効果を実感できません。

年寄りになっての法螺貝の手習いですが、法螺貝によって肺活量や呼吸が安定したことを実感し、イスではなく正座して本堂に座ることで、本日は昨年膠原病に罹患して以来身体の静養ばかり意識していた生活を見直せそうな気持になれました。

大鹿一八69歳。4年後の総選挙には73歳になりますが、8年ぶりにカムバックとなるような前向きな行動を心掛け、平成11年から掲げてきた「カムバック津島」の看板を今後も挙げ続けていきます。

本日はそんな気持ちになれるお寺行きとなりました。

安曇野市の古刹 松尾寺と満願寺

3日(木)の写真です。

満願寺駐車場
長野県安曇野市穂高牧1812

本堂への参道

本堂

栗尾山満願寺の扁額

満願寺は、長野県安曇野市にある真言宗豊山派の寺院。山号は栗尾山。千手観世音を祀っており、信濃三十三番札所の二十六番札所である。「信濃高野」とも称される。 
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 本尊は千手観世音で、神亀年間(725年ころ)に、池から出現した1寸8分(約5cm)の仏像を安置し、堂宇を建立したのが創建の由来であると伝わる千三百年の歴史を刻む古刹ですが、

1870(明治3年)の廃仏毀釈により廃寺となった。6年後の1876年に再興された。

鐘楼堂

観世音菩薩像

聖天堂

由来

境内

弘法大師 空海像

納経所

庭の剪定中


 お経橋のたもとには地蔵堂が建ち、中には500体に上るお地蔵さまが祀られている。子授け地蔵として古くからの信仰を集めており、この地蔵を借りて行って添い寝すると子宝に恵まれると言われると発信されているが、残念ながら山門は訪れておらず、何よりも“安曇野の名水”として知られる標高900mの境内から湧く湧水を知らずに参拝してしまいました。


道祖神

安曇野から見える北アルプス

ここからは松屋寺です。

松尾寺公園入口

長野県安曇野市穂高有明7327

案内板

藤棚

紅葉したドウダンツツジ

山門への参道

山門

参道

本堂への石段

鶴王山松尾寺本堂


松尾寺は 長野県安曇野市穂高有明に在る高野山真言宗の寺院。山号は医王山。院号は常楽院。本尊は薬師如来。 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 『長野県史』では本尊を安置する薬師堂を造営したのが支族の古厩氏である盛政で、創建自体は白鳳2年(651年)までさかのぼるとしているが、信府統記によると1528年、仁科盛政を開基として中興されたとされたともある。本尊は薬師如来。

 どちらにしても残念なことは、満願寺と同じく明治の廃仏毀釈によって、薬師堂(本堂)と仁王堂を残してすべて取り壊されてしまったことで、お寺周辺には、桜、水芭蕉、カタクリ、藤棚、ボタンなど、季節によっていろいろな花が楽しめると言い、大規模に藤棚や公園内には郷土資料館もあるのでゆっくりと訪れたいお寺です。

案内版

静かな境内

大師堂


地蔵菩薩

水車小屋

寺伝

樹木に囲まれた駐車場


安曇野


弘法大師空海が誕生したのが774年のことで、高野山開創が勅許されたのが816年であることを考えると、715年に池から出現した仏像を堂宇に安置したとされる満願寺の歴史は古く、松尾寺が651年に創建された(1528年創建との説もあり)とすればとてつもない歴史を有していることになります。


 長野県の松本市や安曇野市に、こんなに歴史のある古刹が残されていることには驚きで、参拝する人の姿は無かったものの、参拝できる環境が整っており感動の参拝となりました。


3日はその後午前中に上高地へ入り、田代橋から小梨平まで巡視した後の午後は、環境省ビジターセンター前で望遠鏡を出して定点解説中の先輩ボランティアを手伝って一日の活動を終えました。


21日はお寺の阿息観へ

 弘盛寺 愛知県津島市越津町

 参道の幟

 境内のお地蔵さん

日めくり 自性院常楽寺 香川県さぬき市


施人慎勿念 

  人に施してつつしんで思うことなかれ 

   (お世話をしてあげたという気持ちは持ってはいけない)  弘法大師座右の銘


善通寺の前管長樫原禅澄さんに頂いた日めくりカレンダーの21日分の言葉ですが、この日めくりには「笑顔一番」の表題がつく禅澄法話で、揮毫した禅澄さんの顔を思い浮かべれば自然と笑顔になりそうです。

毎月21日は町内の弘盛寺の本堂で阿息観に参加していますが、2ヶ月前から正座ができなくなり、椅子を用意していただいての座禅になりました。

さて、本堂でご本尊に届くように意識して大きくゆっくりと息を吐き、御本尊から戻ってきた白い清浄なる空気を身体いっぱいに吸い込んでいくと、本当に仏様と一体になったような錯覚を覚えてしまいます。


本日午前中に訪れた同級生が連れて行ってくれたお店の昔ながらの中華そばです。

こうした訪問者が無いと、闘病中の身体ではパジャマを着替える必要もありませんが、慌てて着替えて応対し、昼食後はお寺へ行くまでマックで時間をつぶしたものの、来客がなければ本当の病人になってしまいます。

お寺に座った後は家内と珈琲店経由で最後はかかりつけ医でリハビリを受けただけの一日ですが、そろそろ留守番だけでも午前中から行動する環境に転換したいと思っています。

ギャラリー
  • ようこそ 大鹿一八の納経所へ
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  • 令和6年 上高地開山式の様子です
  • 三重県桑名市大福田寺の聖天祭へ
  • 毎年恒例となった我家のアンズジャム作りへ
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  • 本日もボランティアの一日となって
  • 我家のきゅうりとプランターのイチゴです
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