津島名物あかだとくつわ
津島市
本日の写真です。
本日は知人から東京から訪れた知人の案内を依頼され、上高地や四国を案内するガイドブックは多量に存在するものの、地元を案内するパンフレットは皆無で、尾張名所図会を持ち出して自宅を出発しました。
今から30年前に地元の歴史研究家から、津島を案内できる人物としてテレビ局に推薦されたこともありましたが、今では何も案内する資料が無く、50年前に恩師の樋田豊先生に連れられて津島市内を廻った郷土史の資料と、所蔵する尾張名所図会しかありませんでした。
その上で案内を始めた直後にボランティアの福祉有償移送の患者搬送の連絡が入り、病院から自宅へ搬送後に再度津島神社で合流したものの、十分な案内には程遠く、資料無しで案内できる上高地や四国との大きな違いを実感です。津島市の案内もと思ってしまいましたが、身体は一つしかありません。
もっとも、同じ案内でも国立公園の上高地や世界文化遺産登録を目指す四国遍路道のような資源ではなく、人が居ないばかりか現地で勧められた津島神社に隣接する神宮寺は、香炉に参拝した線香のあとも無く、本堂に寺の人も居ない状態で、最後に訪れた観光センターで知人が求めた「何処にでもあるような津島市が判るパンフレット」も無い状態ではガイド以前の問題となります。
さて、明日は早朝から上高地を目指し午後に開催されるボランティアの定例会に参加予定ですが、天候は明日から明後日にかけて雨予想で、日曜日には上高地を出て中山道の宿場を訪れる予定も再考が必要かもしれません。
本日の写真です。
昔懐かしい「ホラ吹きオジサン」ではなく「ホラ貝吹きオジサン」提供の本日の天王川公園の藤棚です。
10日前に四国遍路から帰ってから、一週間前には同級生と滋賀県に出かけていたため、やり残していた雑用と身体の静養に心がけていると、今週月曜日に上高地へ入る釜トンネルが開通し、毎年参加してきた上高地のボランティアが週末から始まるものの、雑用すら済ませられない現状から今年の上高地行きは一週間遅れとなってしまいました。
本日添付した藤棚は、かつて「東洋一」と宣伝されていたものの、行政の財政不足が確実に影響して藤棚の長さが短くなり、枝に隙間が空いて青空が見えていますが、「あしかがフラワーパーク」や「はままつフラワーパーク」を視察して最高の藤棚を目指していた先人の努力が忘れられていると思うと寂しい現実です。
10年に一度の寒波が襲来すると気象庁が呼びかけていますが、ここ数年の間に過去最大との予報を何度も聞かされたようにも感じ、昨年末に今シーズン最大の寒波とも表現されていたことを考えると、信憑性には疑問もありますが、膠原病に罹患している我が身には足先の凍るような寒さから猛烈寒波の襲来を予感させられます。
ここからは昨日訪れた多度大社の写真です。
昨日の写真です。
2021-10-03
過去に記した団子や五平餅の一言の一覧
2年前の夏から五平餅の食べ比べを始め、東三河や岐阜県や木曽路の五平餅を添付してきましたが、各地で一番美味いと宣伝されているものの、お店の対応が横柄であったり、大量に焼いて作り置きされていると味気なく2度と行きたいとは思えません。
過去に記したお店で何度も訪れているのは、個人的な趣向はあるものの、私自身が食べたいと思える団子屋さんやお店であり、昨日訪れた「車久米穀店」は餅米の団子ですが、何度でも訪れたいと思える名店です。
農家で生まれ育った私にとって、自家製の米はとても丹精込めて育てたとは言い難く、地域で味を自慢する人も存在しますが、最近ではほとんどの農家が耕作を営農専門業者に委託しており、味についても食べ比べると確実に劣ります。
そんな感覚を一掃させてくれるのが車久米穀店で、自家製米があるので買うことはありませんが、米を購入するならこんな米穀店で食べ比べみたいものです。
昨年は私自身の暦の運勢が悪いだけでなく、春に追突事故に遭遇して頚椎挫傷で指がシビレ、その後は両手が腫れあがり両肩には激痛が走りだし、6月になって完治が極めて難しい膠原病と診断されました。
今年は幸いにして私の暦(二黒土星)による運勢は真っ白の発展運となり、「今まで何かうまくいかなかった事も一気に開花できる吉運年に入ります」と記され、六星占術も私の天王星人の(-)は「安定」となっており、「心身ともに充実した一年を過ごせるでしょう」と予想されています。
年齢(六十九歳)を重ねた老化による体力低下や、膠原病と共存する人生に変わりはありませんが、不調時ゆえに、私の最後の責務となるボランティア(福祉有償運送)と、セカンドライフとする四国遍路と上高地行きを、運勢の良さを信じて悔いの無い一年にしたいと思っています。
このブログを訪問される皆さんや、ずいぶんと長いお付き合いになったブロ友の発信は、病による体調不良等には随分と参考になり、生活体験は新たな楽しみを見出す指南役ともなっており、身勝手な発信を続けておりますが、私への苦言も苦痛とは思いませんから今年も遠慮なくコメントしていただければ幸いです。
本年も宜しくお願い致します。
津島市南新開の紅葉
絵画展へ
案内板
津島市児童科学館玄関
神野大地くんです。私の母校である神守中学校の後輩にあたり、私が同窓会長時代には活躍する青山学院大学の彼を応援するため大学駅伝の三重県の中継店を訪れたのも懐かしい思い出になってしまいました。
神野くんのお兄さんが私の三男の同級生にあたり、神守中学校陸上部からインターハイの走り高跳びで入賞した長男や、相撲部や自転車競技で全国大会に進んだ次男や三男を彼の存在から思い出す貴重な存在にもなりました。
神野君の頑張っている姿からも元気がもらえます。
さて、ここからは祖父江町へ移動します。
稲沢市のひまわり畑
まだ残っていました
となりのコスモス畑
〒492-8409 愛知県稲沢市井堀橋下町62−2
道草です
名鉄森上駅前ロータリー
バス停
名鉄森上駅
駅前の記念碑
内閣総理大臣安倍晋三氏の揮毫です
旧のんき屋隣のたこ焼き屋
会場のイチョウ
本日訪れた旧祖父江町の黄葉まつりについては明日以降に添付します。
本日の写真です。
我家から歩いて10分の距離にある宇治町のレンゲ畑(水田)2ヶ所を訪れました。
私が小学校時代には廻りの水田はほとんどがレンゲ畑となっており、男は相撲をとったり、花に寄ってくるミツバチを捕まえ、女の子はレンゲを摘んで首飾りにしたり、学校の通学路から外れてレンゲ畑を横切って帰るなど、何処にでもある身近な風景でした。
現在では私の町内だけでなく、隣の町内でもレンゲ畑は見かけられず、我家では水田の畦道に少しあるだけで、今回添付した宇治町のレンゲ畑は希少な存在となってしまいました。
宇治町には4か所の神社(氏神様)が存在し、畑から土偶が発見された古い村で、戦国時代には宇治城が存在し、織田信長の弟織田有楽斎長益が城主となっていますが、築城した篠田左衛門の息子四郎左衛門は信長より大杉姓を拝領し、長益の家老になったと伝わっています。
宇治町には現在でも大杉姓の旧家が多く、戦前の無政府主義の社会運動家大杉栄氏の父親も宇治町の出身で、栄氏も憲兵の監視つきですが、度々親の在所を訪れていた様子を実家の隣の大杉さんから伺いました。
宇治城について
【歴史】1500年前後に築かれた篠田左衛門の居城とされる。篠田氏の後、信長の弟織田
有楽斎長益が入るが、篠田左衛門の息子四郎左衛門は信長より大杉姓を拝領し、長益の家老
になったと云う。場所は福祐寺の南西辺りとされる。
有楽斎長益が入るが、篠田左衛門の息子四郎左衛門は信長より大杉姓を拝領し、長益の家老
になったと云う。場所は福祐寺の南西辺りとされる。
かつての水田や道も土地改良で新しくなり、車では通り過ぎてしまいますが、時間を気にしない老人のウォーキングでは、こんなレンゲ畑や鎮守の杜が現れ、杜の中に入るとかつての時代にタイムスリップしたような感覚を覚えます。
日光川と目比川の合流地点 愛西市塩田
本日の写真です。
車で日光川を渡るたびに堤防に咲く菜の花を眺めていましたが、本日は遠方から知人が訪れ、市内最北部の珈琲店まで家内と3人で外出したため、知人と別れた帰り道は目比川を下り、日光川の菜の花の咲く場所を経由して自宅へ帰りました。
日光川は昭和36年に襲来した伊勢湾台風で破堤したため、何度も堤防の改修工事が繰り返され、現在の右岸堤防は自動車の通行する道路となっており、我々の生活する左岸側の堤防は車は通行できないもののアスファルトで舗装されています。
私の小学校時代にはこの堤防は大人の背丈より高い葦(ヨシ)で覆われており、上流部の染色工場の排出する悪水によって当時の日光川は真っ黒な川だったため、川から恐竜が出てくるような怖いイメージがありました。
ただし、春になると多くの土筆(ツクシ)が取れるため、日ごろは嫌われ者の私でしたが、毎年同級生の女の子から「ツクシ取りに連れていって」と頼まれ、探検隊の隊長役のように町内の幼馴染の女の子たちを引き連れてかなり下流まで訪れていた懐かしい場所でもありました。日曜日に弁当を持った遠足のような一日でした。
私に声をかけるのはクラスで一番成績の良い学級委員をしていた幼馴染で、私が選挙に出た時には電話で投票を依頼する嫌な仕事を引き受け頑張ってくれましたが、今から15年ほど前に病魔に倒れて旅立ってしまいました。
この時も自分本位の私は、彼女が高齢の両親と、大学進学を控えた娘さんのために病気を隠し、自ら治らないことを自覚していることも知らずに、彼女が通院していた病院では「ガンは治らない」と配慮のかけらもない言葉を発しており、今になって反省しても鬼籍に入った彼女には伝わりません。
私は起業してから「朝日旅行友の会」を主宰して多くの観光地を訪れましたが、旅行好きは小学校時代に彼女に頼まれたツクシ取りの案内役が影響している可能性も否めず、学校嫌いの私が唯一頼られていたのが日光川のツクシ取りだったのかもしれません。
さて、時代が変わって日光川の堤防には、添付したように見事な菜の花が咲き誇っていますが、鑑賞するために遠方から訪れても車を停める場所が皆無であることと、堤防に入れる場所が限られているため、せっかくの名所でありながら人目につかないことが残念です。
今年はここもウォーキングのコースに加えようと思います。
4月8日の一言
愛知県白壁庁舎前 名古屋市
本日の写真です。
出かける先々で桜が満開となっており、本日出かけた名古屋市も立ち寄ればきりかないため素通りしましたが、近所をウォーキング中の道端にも花々が咲き誇っており、冬のあいだには雑草でしかなかった植物も可憐な花を咲かせています。
便利な時代になり、スマホで撮影した花々をスマホのグーグルレンズで検索すると殆どの植物名が判明し、花の咲いていない時期には判らなかった雑草でも花を咲かせる春になると判明しやすくなりますね。
かつては春になると水田やあぜ道はレンゲソウが植えられていましたが、最近は田植えが早まった影響か植えられている水田はほとんど無くなる一方で、かつては庭に植えられていた観賞用の花々がタネを飛ばして道端にも綺麗な花が当り前に咲くようになりました。
さて、最近のタンポポは冬でも花を咲かせていますが、昨秋から道端のタンポポを確認するとすべてが西洋タンポポで、日本古来の伝統種となるタンポポは一度も見たことがありません。私の住む愛知県津島市に日本在来のタンポポは存在するのかを、これからのウォーキング途中で観察してみたいと思います。
3月31日の一言
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