弘法大師の錫杖井戸 愛知県豊川市
豊川稲荷楼門 豊川閣妙巌寺
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圓福山薬師如来堂 豊川市門前町7
豊川稲荷楼門から百メートル東
参道の千本のぼり
本堂
そして、豊川いなり表参道へ
表参道 もうすぐ駅という所
ここで…
弘法大師の錫杖井戸の看板を見つけました
百メートル歩くと突き当りです
神社の右隣のお寺です
錫杖井戸の案内
曹洞宗祇園山徳城寺 愛知県豊川市豊川西町151
本堂
本尊は阿弥陀如来、三河准四国八十八ヶ所13番霊場、穂の国三十三観音28番霊場
修行弘法大師像
井戸への入口です
曹洞宗のお寺に弘法大師の幟が延々と続いています
ずいぶんと立派なミニ八十八か所です
そして、その奥に…
錫杖井戸のお堂
堂内に井戸がありました
八十八番の石仏
日本中に弘法大師の名前を冠した井戸や湧き水が存在しますが、豊川市にも弘法大師のお告げで掘られたと伝承される井戸が存在しました。
豊川稲荷の表参道の角に立てられた看板を見つけて訪れた物見遊山の参拝でしたが、何よりも曹洞宗の大きな寺院の境内に、真言宗のお寺の境内にあるミニ四国八十八ヶ所よりも大きなミニ霊場が残されていたことに驚かされました。
境内にはお寺の歴史を示す案内板が存在せず、帰宅後にネット検索したところ弘仁13年(822)年の創立と記す発信があり、空海(弘法大師)の年表を見るとこの年は49歳で、前年に四国の満濃池の改修を陣頭指揮されていました。
どちらにせよ、曹洞宗は鎌倉時代に中国から伝わった宗派であることから、それ以前からお寺が存在しており、空海ではないものの真言宗の高僧とご縁があり、そんな関係から井戸が残されて伝承されてきたものと思われます。
そんなことよりも、隣にも広大な敷地を有する神社があり、地形的にはかつて徳城寺と一体ではなかったかと思われ、となりの神社にも足を運びました。
それにしても何と読めばよいものか…
豊川進雄神社
案内板
豊川進雄神社(とよかわすさのおじんじゃ)は、愛知県豊川市豊川西町134にある神社。明治期以前は豊川牛頭天王と呼ばれていたが、神仏分離によって進雄神社に改称されたとあります。
大宝元(701)年の大干ばつの時、旧鎌倉街道沿いの元宮の地に牛頭天王をお祀りして、雨乞いのお祭りを行ったことが始まりと伝えられています。毎年、7月20日に近い金土日曜日には豊川連区内の26町を東と西に分けて行う例大祭が斎行されます。
進雄神社の奉納綱火 出典: フリー百科事典『ウィキペディア』
1968年(昭和43年)指定[2]。例祭2日目の中祭で奉納される[2]。『花火縁起録』によると、万治3年(1660年)に小笠原四郎右衛門が長らく途絶えていた綱火を再興したという[2]。明治時代までは境内ではなく本町で奉納されていた。拝殿から鳥居の間に、約120mの2本の麻綱を張り、麻綱に噴出煙火を仕掛けて走らせる[2]。なお、綱火のほかには手筒花火も奉納される[3]。
進雄神社は貞観十一年(869年)に各地で疫病が蔓延していた際、時の清和天皇の詔(みことのり・天皇の命令)により尾州(現在の愛知県西部)津島神社から神様をお招きして今の場所にお祀りしたのが始まりです。
何も知らずに訪れた神社でしたが、進雄神社はすさのお神社と呼び、私の住む津島市の津島神社から神様をお招きしたと神社のホームページに記されており、明治以前は豊川牛頭天皇と呼ばれていたことから、となりの徳城寺とともに歴史を刻んできたことに間違いはありません。
駅前ロータリーのキツネ像
先週土曜日の写真です。
明治時代の神仏分離によって歴史が歪曲されたり、記録があいまいになってしまったことは残念ですが、豊川稲荷しか眼中になかった外出によって、いにしえの弘法大師や私の住む津島市とも行き来のあった歴史を感ずることができました。
同じ仏教の中にも、自分の宗派以外は邪教と発する新しい宗派もありますが、私は神仏分離以前からの神様と仏様の境目のない参拝環境が大好きで、境内に大きな鳥居を有する豊川稲荷とともに、進雄神社や徳城寺の存在は久々に新鮮な外出となりました。













































