大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

珈琲店

夕暮れのウォーキング

地域から見える伊吹山


目比川堤防

配水機場の工事現場

力強さを感ずる重機


 8年前から現在の管理栄養士さんの指導を受け、直後から月曜日と水曜、金曜に行きつけの珈琲店までウォーキングで約30分歩くことにした散策道ですが、何も変わっていないように見えるものの、実際には家が建て替えられたり添付したような工事がどこかで行われてきました。


 通り過ぎる家の中には今から40年ほど前、学生時代に起業した当時にお世話になった方々が多数存在するものの、その大半はすでに鬼籍に入っておられ、リタイヤして何も利害のない今こそ訪れて遺影に手を合わせたい心境にさせられます。


帰り道です

本日の写真です。

 午後4時過ぎに自宅を出発し、30分後に行きつけの珈琲店に到着し、ここで車で買い物に出かけた家内と合流し、5時30分になったら家内とは別々に歩いて自宅を目指します。

 一ヶ月前には真っ暗だった帰宅も、最近は日の入りが遅れて薄暗い中の帰宅となりましたが、西の山に日が沈んでいく環境の中を一人で歩くと、中学時代に学校をズル休みした当時の光景や、世話になった恩師や恩人の姿が瞼に浮かんできます。

 中学時代には腕時計を持っていないため、学校や塾をズル休みすると帰宅する時間が判らないため、西の山の日の入りや通りかかる家々から匂ってくる夕食準備の匂いによって家路を急いだ懐かしい思い出がよみがえってきます。

 本日の歩数は9千歩をこえましたが、毎日のノルマを5千歩とし、一週間に3万5千歩歩くとコークオンのスタンプ1個が付き、スタンプが目標ではありませんが、「明日に頑張ろう」と先送りすると週末の追い込みが大変なことになります。

 残念なことは、最近になり大きな工場が建てられるたびに子供の頃から見慣れてきた伊吹山や養老の山並みが見られなくなったことで、子供の頃には西の山に日が沈んだら家に帰っていた感覚が、街灯や時計をみて帰宅する時代になったことです。何よりも夕方のそんな時間帯に屋外にいる子供の姿もありません。

 さて、明日と明後日で1万歩歩くことになりますが、明日は国府宮はだか祭が行われた稲沢市の尾張大国霊神社を訪れ、日曜日は京都大原の宝泉院と大徳寺前の山国屋細身酒店に行きたいと思っていますが、京都は気まぐれの次男の機嫌しだいとなるため、さてどうなるのでしょうか(笑)

今日から三連休なんですが…

ジェームスでバッテリー交換です 家内のセレナ


昔と変わらぬ雰囲気

今時では驚きのコーヒー代金です

私のキャラバンとセレナ

営業車は2台とも18番です


パソコンの横に置いたカレンダー

本日の写真です。

今年は正月休みが短く、正月の雰囲気を感じないような年明けになりましたが、意外なことに本日から3連休になっていることも、月曜日が祭日であることも本日まで自覚がなく、家内がボランティアの移送を受けていたことから普段と変わらぬ一日になりました。

持病を持つ高齢者にとっては正月休みや3連休より病院の診察日の方が重要で、長い正月休みは病院に行けず体調不良に陥っている患者も多く、重篤な病気や難病患者にとっては長い連休や祭日はストレスになっていきます。

そんな生活の中で、パソコンの横に置いたカレンダーから次の外出先や、上高地と四国遍路の予定を考えるとストレスだらけの地域生活を忘れておれます。

さて、私は学生時代の昭和52年に朝日新聞の販売店を起業しましたが、私にとってはその後の議員生活よりも長く関わったことと、政治との兼業禁止によって廃業しただけで、今にして思うとそのまま転業せぬまま引退を迎えたかったと猛省しています。

東海地区でシェアの少ない朝日新聞の販売店を起業するには覚悟も必要で、私は新聞配達人である地方新聞社の販売店とは違い、不偏不党で権力も恐れぬ朝日新聞記者の良識を地域へ届ける使命感によって販売店を始めました。

そんな何も判らない学生の私が営業する朝日新聞を購読していただいた愛読者は神様で、今でも縁側でお茶をいただいたお宅や、義理でもお付き合いいただいたお店は別格で、本日訪れた喫茶店「童夢」も居心地の良い環境のままで、何よりも権力に迎合しない喫煙可能(私は禁煙者ですが)の客席と、低価格のチケットなど末永く続いて欲しいと願っています。

残された人生は永くはありませんが、過去の恩恵を返しながらの生活を続けます。

今年最後となるウォーキングへ

ウオーキングの目的地 スプーンベル津島市葉苅町


私が昔からお気に入り登録しているブログに、「久しぶりの1万歩超え」の記事を見つけ、のんびりと新年を迎える休息ムードに入っていた身体を奮い立たせて、私も久しぶりとなる「1万歩」ウォーキングへ出かけました。

上高地が11月15日に閉山となり、上高地では自然と2万歩も歩くことが私の体調維持にもなっていたため、最近の不摂生と膠原病からの回復には適度なウォーキングが必要で、来年からの目標とする毎月遍路の糧にしたいと思います。

午後3時50分 自宅を出発

歩道橋 津島市宇治町

県道あま愛西線

完全防寒です

県道を越えます

2年前まで叔父が生活していた施設

かつて叔父が住んでいたお寺 葉苅町

目的地へ到着です 午後4時28分

休憩です

午後5時21分 帰途へ

目比川 5時26分

歩道橋 午後5時41分

遠くに街の灯り 5時51分


本日の歩数

本日の写真です。

平成26年に初めて現在の管理栄養士さんの指導を受け、一年後に80キロから68キロまで減量した記録と、その後の健康診査の血液検査で全てが正常範囲に治まっており、歩くことと食生活の改善が健康診査の結果に有効である実体験でもあります。

2014年06月26日 初めての指導された日
 初対面の管理栄養士さんを信用できず、過去に指導を受けた管理栄養士さんでなければ「効果は出ない」ととんでもない言葉を発しているものの、この日から野菜摂取とエレベーターを使わない指導を受け、体重を記録するようになりました。
2014年09月04日 3ヶ月後の体重変化 途中経過
 体重を減らして10月に受診する基本検診の数値を改善することを目標にして、間食やアルコールの節制を管理栄養士さんから指導されていました。
2014年09月21日 3ヵ月で3キロの減量は実現
 日常生活を見直し、深夜族のため夜間の間食を減らすこととなどが指導されています。
2014年10月10日 80キロから74キロへ 4ヵ月で5キロ減へ
 この日の指導により、月曜日と水曜日、金曜日は珈琲店まで歩いて行く習慣が始まりました。指導されてから野菜の摂取量が増えたものの、糖分の摂取が減って体重が減っていることと、現状では主食となる「ごはん」が欠けている指摘もありました。
2015年01月16日 半年後に8キロ減量となりました
 8キロも減量して身体が軽くなったことと、シューズの中敷を換えたことで、小走りが可能になり、体重が減らない場合は500メートルほど走れば体重が落ちることが判りました。ウオーキングで体重が管理できるようになりました。
2015年04月12日 一年後の体重は68キロ台へ 12キロの減少
 あまりにも順調な体重減少によって、周りから別人と思われたり、私がガンか病気になって痩せたと思われている笑い話のような記載が残されています。
2015年08月28日 体重の安定から健康診査の数値の改善を目標へ
015年11月07日 医師もびっくりの健康体へ

今年は膠原病に罹患したことで6月と7月は完全休養(療養)となり、その後も上高地と四国遍路以外は身体を休めることばかり考えてきましたが、来年は暦や占いの運勢も良いことから更に外出機会を増やして、身体を動かすことで健康体へ回復を図っていきます。

蕎麦屋にマック、珈琲店とかかりつけ医だけの一日

 私の応接間?

行きつけの珈琲店です

 アイス珈琲とあんみつ


本日は午前中に来客に応対し、昼は同級生とともに昼食から午後のマックに出かけ、夕方にはコーヒー屋さん経由でかかりつけ医まで出かけました。


療養中の身にあり何もできない役立たずでありながら、お金を使うだけの生活が続いています。


 週刊現代の知事です


 大きな総合病院や有名なお医者さんを受診すると高額になると勘違いしている人が田舎には結構多く存在します。

通院にかかる手間や時間、交通費を心配して近くのお医者さんで我慢している人が私の周りには多く存在します。重篤な病気はこれが後々の命取りになります。

有名な医師でも初診の外来診療も担っており、有名な名医であっても診察にかかる医療費は近くの町医者と一緒です。

 クイズです



 週刊現代の転載です。




6月3日以来となる車の運転を

 正面は叔父の家があった場所です

2年前の解体される日

 今は更地になっています


現在は何も無いことを解っていても、実際に見に行ってみると寂しいものですね。

 久しぶりの一人外出

 本日の写真です。

 車の運転を控えてと言うよりも、両手の平の不調から6月3日以来ハンドルを握っていませんでしたが、本日行きつけの珈琲店まで運転してきました。

私にとっては学生時代からバス会社の添乗員として遠方まで外出し、起業後は新聞販売店を生業としており、議員生活も地域を歩き廻る生活環境だったことにより、自分が行きたい時、行きたい場所に自由に行けない最近の環境は大きなストレスになっていました。

キャラバンの運転は5月中旬に行った長野善光寺以来となりますが、運転席が高く乗り降りが苦痛だっものの、今までのようにハンドルが握れるようになりました。

もっとも未だに指先に力が入らないため、人の介助は当分できませんが、自分の行きたい場所へ自由に行けることは前進です。
ギャラリー
  • ようこそ 大鹿一八の納経所へ
  • ようこそ 大鹿一八の納経所へ
  • ふるさとアサヒ 5号、26号
  • ふるさとアサヒ 5号、26号
  • ふるさとアサヒ 5号、26号
  • ふるさとアサヒ 5号、26号
  • 令和6年 上高地開山式の様子です
  • 三重県桑名市大福田寺の聖天祭へ
  • 毎年恒例となった我家のアンズジャム作りへ
アーカイブ
  • ライブドアブログ