大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

登山

父親の遺品 特注のピッケル

父親が鍛冶屋さんに特注したピッケルです


今でも使えますが…


大鹿の大が刻んであります




富士山と御嶽山の焼印が残ります

かなり錆びついています


錆を削りました



私の父親が若い時に鍛冶屋さんに依頼して作ったピッケルですが、父親が他界した平成5年過ぎに綺麗に磨いて真っ白のペンキを塗ったものの、その後倉庫に放置していたため、本日手に取ると錆びだらけになっていました。

父親は私が生まれる前に富士山へ登頂するため作った物で、義父(母親の父)が御嶽山の先達だったことから毎年持参していた思い出のピッケルとなり、私も父親が他界後に御嶽山の山頂まで持って行ったことがありましたが、雷が鳴り響く荒天のためピッケルを投げながら下山した懐かしい思い出があります。

錆びているだけでなく、見た目も良いとは言えませんが、現代社会のように登山用品が簡単に入手できる時代のピッケルとは違い、近所の鍛冶屋さんに依頼して作ってもらった父親の遺品で、戦後間もない頃では自慢のピッケルだったと思います。

そして、何よりも錆びついても現役で使用できることに、戦後間もない頃の農機具を作る鍛冶屋さんの物づくりの職人の腕にも驚かされます。

私自身が歳を重ねてピッケルを必要とする登山とは無縁となっており、せっかくなので近所のウォーキングにでも使用しようかと考えていたところ、家族から「そんな物を持って歩いたら警察に捕まる」と心配するものの、これぐらいの物を持って歩かないと危険な世の中になっている現代社会を実感です。

各務原市の明王山見晴台までトレッキングへ

明王山見晴台から見える御嶽山

愛岐大橋

木曽川

迫間不動尊前 農産物直売所

明王山への入口

迫間不動尊との分岐点

遊歩道入口

道標

登山道

遠景

遠景

ふどうの展望台

金比羅山との分岐点

金比羅山山頂 標高383メートル

満開の山つつじ

ちょっと一服

金比羅神社

急勾配です

案内板

アマドコロ(ナルコゆり)

明王山への案内

伊吹山も見られます

名古屋駅のビル郡や犬山城も見られます

遠方に御嶽山と乗鞍岳

御嶽山


動画です

名古屋方面

名古屋駅のビル郡や犬山城が見られます

マップ

本日の写真です。

 本日は朝から両肩と両手の手のひらに強い痛みがあり、家内の運転で岐阜県各務原市の迫間不動尊を目指しましたが、足腰が悪いわけではないため、各務原アルプスのトレッキングコースの一部ではありますが、金比羅山や明王山見晴台を歩いてきました。

 低山ですが、トレッキングとは違う登山道は足腰に堪え、南アルプスや御岳、乗鞍、北アルプスが眺められ、霞んでいたものの白山や伊吹山が見られたことで登山の達成感も少し味わえました。

 本日訪れた迫間不動尊については明日以降に紹介したいと思います。

年齢を超越した三浦雄一郎さんに

 80歳になった三浦雄一郎さんがエベレスト登頂に成功し、高齢者だけでなく日本国民にとって励みになる快挙に、同世代の石原前都知事が吼え、高齢者の遭難事故を発信し続けてきた新聞やテレビも、80歳の驚異的体力を検証した記事を掲載しています。
 
 もっとも、三浦雄一郎さんは元々が体力自慢のプロスキーヤーですが、65歳になった時にスキーを続ける父親と自分のメタボ体質を比較し、新たにエベレスト登頂を目標として体力を鍛えなおしたといいますから、定年を迎えようとする我々にもこれからの可能性を感じずにはおれません。
 
 それよりも私自身がびっくりとさせられるのは、日本人の平均寿命は延びているものの、自分の年齢を引き算し、弘法大師や鶴田浩二さんが62歳で亡くなったことと、自分の父親が65歳で鬼籍に入ったことを自身の人生と重ね合わせていたことから、三浦雄一郎さんの活躍に人生をリセットしなおしたい心境です。
 
80歳、心は老いない 三浦さんエベレスト登頂に称賛の声
記事の続き…
快挙に称賛の声が相次いだ。
 「小さな努力でも、熱意を持って、真面目に長い間積み重ねると、こんなにすごいこともできるんだ。改めてそう教えられた」
 昨年、2度目のエベレスト登頂に成功し、女性の世界最高齢記録を持つ渡辺玉枝さん(74)は感慨深そうに語った。「80歳で命をかけて進もうという精神力に驚かされる」。ネパールで三浦さんに会った時の印象は鮮烈に残っている。「テレビのまんま、見るからにパワフルな人だった。そう思えば、登頂も納得です」
 先代社長に続き、三浦さんを支援してきたサントリーホールディングス(大阪市)の佐治信忠社長(67)は「今日まで燃やし続けられた挑戦心と、80歳にして人間の可能性を世界に示したすばらしい偉業に深く敬意を表します。85歳の新たな挑戦を心から楽しみにしています」とコメントした。
 「快挙ですね!」と、ストレートな言葉を送ったのは、家族ぐるみの友人という歌手の加山雄三さん(76)。「ふだんから努力する方だと知っていましたが、80歳での成功は並大抵な努力だけではない。すごい強い意志を持った方だと、改めて感動しました」
 ■一時脱水症状、下山が遅れる
 23日正午過ぎに登頂した三浦さんら登山隊は、第4キャンプ(7980メートル)を目指し、午後1時ごろに下山を開始した。三浦さんの事務所(ミウラ・ドルフィンズ)によると、三浦さんが途中で脱水症状を起こすなどして、下山は難航。午後11時近くに、到着したとの連絡が事務所に入ると、長女の恵美里さん(53)はほっとした表情をみせた。
 ■「挑戦したほうが人生楽しい」 冒険家・堀江謙一さん(74)
 「まさに偉業そのもの。たくさんの人が勇気をもらったはず」
 登頂成功の一報に、海洋冒険家の堀江謙一さん(74)は、三浦さんに喝采を送った。「三浦さんのお父さんは100歳を超えて現役スキーヤーだった。同じように挑戦を続けてほしい」
 堀江さん自身も、限界への挑戦を続ける。1962年、小型ヨットで太平洋の単独横断航海に成功。当時23歳。その後も単独無寄港で世界一周を達成し、足こぎボートでハワイから沖縄の海を旅したこともある。
 69歳の時には、波の力だけを使う「波浪推進船」による世界初の挑戦で、紀伊水道―ハワイ間約7千キロの単独航海に成功した。それでも「生き物が生きていけぬ極地を自分の足で進む三浦さんは、私とは比べようもない」とたたえる。
 年齢と限界を超え、挑戦を続ける気力の源は何か。
 「本能でしょう」と堀江さんは笑った。「動いてみると、自分の可能性が見えてくる。すると、目標ができて頑張りたくなるんだよ。チャレンジした方が人生は楽しいからね」
 再び海に出る計画を練っているという。
 
 ■体力向上、でも無理は禁物 高齢者の運動
 子どもの運動能力低下が心配されている一方、高齢者(65~79歳)の体力は年々伸びている。
 文部科学省が昨年10月に公表した調査結果によると、例えば75~79歳の男性の6分間の歩行距離は565・93メートルで、10年間で28・22メートル伸びた。男女ともほぼ全項目で体力が向上した。
 高齢者の体力向上について、順天堂大大学院の内藤久士教授(運動生理学)は「運動は体によいということが常識になり、スポーツジムなどが身近になるなど環境も整備されたことが大きい」と解説する。
 1964年の東京五輪を見て感動した世代でもある。「小さい頃は大いに外で遊び、若い時から積極的にスポーツに取り組んだ。それが今の高齢者です」
 年齢を重ねてなおチャレンジするには何が必要か。
 立命館大の後藤一成准教授(トレーニング科学)は「20~60歳の40年間をどう過ごすかが問われる」。マスターズ陸上などで活躍する高齢者に共通するのは、この40年間で食生活に気を使い、日常的に運動していることだという。「必ずしも厳しい鍛錬を積む必要はなく、40年間きちんと体を動かしてきたか、歩いてきたかが大事」
 ただ、高齢になるほど、転倒による骨折などけがの危険が増すし、心臓への負担が心配なのも事実だ。
 後藤准教授は入念な準備運動を勧める。「運動は反動をつけずにゆっくりと。体力は個人差も大きいので無理なく自分のペースで。まずは今日からできる範囲で軽いスクワットを」(吉永岳央)
 
 ■65歳以上でエベレストに登頂した日本人の例
2002年 石川富康 (65)
  03  三浦雄一郎(70)
  06  荒山孝郎 (70)
  06  小川誠  (66)
  07  柳沢勝輔 (71)
  08  藤森幹仁 (68)
  08  三浦雄一郎(75)
  11  田路繁男 (67)
  12  渡辺玉枝 (73)
  13  楠忠樹  (69)
  13  三浦雄一郎(80)
 
 65歳以上でエベレストに登頂した日本人は9人存在しており、これからも増加していくと思われますが、私は高所恐怖症で、3千メートルにも至らない焼岳の途中にあるアルミのハシゴすら冷や汗が出るため考えられません。
 
 65歳からトレーニングを再開した三浦雄一郎さんは、日頃から足首に10キロの重りを付け、20キロのリュックを背負って歩いておられた事から、私も四国の歩き遍路を目標に、歩く機会を増やしたいと思います。
 
 一方で、「いつ逝っても良い」と言っている私の母親も、80歳を超えているのに朝から畑に出かけるチャンスをうかがっており、体調不良で病院に行っているのに、休養しない心情が理解できませんが、こんな根性が長生きの秘訣かもしれませんね。
 
                                   5月24日の一言
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
津島市出身の参議院選挙比例区候補者大野拓夫さんです!!
 
 
大野拓夫のホームページ http://www.ohnotakuo.net/
 

上高地・光と影…

イメージ 1

 24日から27日までを上高地で過ごし、涼しい日中から夜も例年より温かく快適な4日間の恩恵を感じて帰宅したが、同時期に同世代の愛知県民が北アルプスで命を落としていた。

北アルプスの岩下降中に落下 2007年08月27日 朝日新聞
 
26日午後3時半ごろ、北アルプスの屏風(びょう・ぶ)岩で「岩登りをしていた人が墜落した」と上高地の横尾山荘から松本署に通報があった。
 調べでは、同日午後2時10分ごろ、愛知県豊田市井上町9丁目、会社員作田俊裕さん(56)が、屏風岩をロープで懸垂下降中に、ロープの支点のピンが抜け、約200メートル落下した。作田さんは、県警のヘリコプターで松本市内の病院に運ばれたが、全身を強く打っており、死亡が確認された。
 作田さんは25日に登山仲間の男性と2人で上高地に入り、26日、屏風岩を登って、横尾山荘近くのテント場に帰る途中だった。登山仲間と交代で懸垂下降をしていた。近くの岩場にいた別のパーティーが事故を目撃し、横尾山荘に連絡した。原因を調べている。

 さて、記事によると作田さんは25日に上高地に入り、翌日の午後に事故が発生しているが、私も25日に屏風岩に近い徳沢から新村橋まで足を延ばしており、同じ頃に同じような方向に歩いていた事と、26日午後に上高地の上空を轟音をたてて旋回する2機のヘリコプターから異常事態とは思っていたものの、帰宅後に新聞を開いてはじめて事故を知った次第である。

 さて、25日に作田さんが梓川の右岸を進んだか左岸を歩いたか進路が判らないが、写真上の新村橋(25日午後左岸から撮影)を眺めるか直接渡って横尾山荘の近くにテントを張った事は間違いがない。写真では見づらいが、橋を渡ってくる登山者(下山中)は確実にこの直前に作田さんとすれ違っているはずである。

 騒々しく河童橋を往来する観光客や、私のように避暑地として上高地を訪ねる者とは別に、上高地は登山者にとって重要な登山基地ともなっている。早朝の真っ暗な上高地から穂高連峰の頂きに光る登山者のライトはきれいに輝くが、登山者は重い足を進め、苦痛に顔をしかめている可能性も高い。

 今年の上高地は熊の出没情報(写真下)により、夕方や早朝の外出に注意が促されパトロールも実施されていたが、今回の事故からも上高地の光と影を見る想いでもある。帰宅後に積まれた4日分の新聞を読み、いとも簡単に人の命が奪われている事件と重ね併せ、事件や事故で亡くなられた人々に合掌したい。
                              8月28日の一言
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