大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

練習用

四国遍路 三日目


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本日も雨の一日となりました 第60番横峰寺

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弘法大師と握手して、お願いです。

 本日が最後です。

謹賀新年

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元日の平安神宮   京都本田さん提供

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元日の伏見稲荷参道  京都本田さん提供

明けましておめでとうございます

    本年も宜しくお願いいたします
                          29年元旦

上高地 梓川の対岸に皇太子殿下が

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私の携帯電話のカメラで撮った皇太子殿下のご一行

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信濃毎日新聞に掲載された写真

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ホテル白樺荘横の展望台です

山の日の記念イベントに参加された皇太子殿下は、河童橋から梓川の右岸を明神池まで妃殿下とともに歩いていかれました。

こんな機会はめったにありませんが、不運にもカメラが不調のため携帯電話でしか撮影ができませんでした。

うぅ-残念……

再び上高地へ

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松本駅 松本電鉄上高地線ホーム

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松本バスターミナル 高速バス降車場

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新島々駅から上高地へバスで向います
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夕暮れ時の河童橋へ到着です

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家族が残しておいたテントです

 日曜日に愛知県へ戻り、昨日と本日の午前中に仕事を済ませ、本日午後に名古屋名鉄バスセンターから松本行きの高速バスに乗り、松本駅から新島々駅まで電車に乗り、上高地へバスで到着したのは6時近くになっていました。

 ただし、先週に日曜日まで家族が滞在していたテントがそのまま残してあり、到着直後にカセットガスコンロに鍋で水を沸かし、置いてあった食材と、途中で購入してきた食事があることから、到着して10分後にはワインを飲む環境が整いました。

 食事中に東京農工大に留学中の大学院生が訪れ、話に夢中になっていると辺りは真っ暗となり、明日に改めて乾杯する約束をして散会となりました。
 今からは何もできませんが、明日は一日を散策日として、明後日の山の日のイベントを体感したいと思います。上高地入りは車と決めていましたが、列車やバスによる行程もたまには良いものと思う一日となりました。

                      本日の徒歩数 5500歩
                                       8月9日の一言

気まぐれで上高地へ

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本日は天気予報が一日だけ晴天と言っていたことから、本当に気まぐれで上高地へ車を走らせることにしました。

写真は、東海北陸道「ひるがのサ-ビスエリア」で散歩中の相棒リマです。

本日は昼食後の上高地入りとなります。

一大事です

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久々にビックリしました。

歯を磨いていたら……

歯が折れた??

一大事です。

慌てて歯医者さんに電話して走りました。

あ~あ、また歯が一本なくなってしまいました。

「あ-、良かったですね。歯は折れてないですよ。」

折れたと思っていた歯は、自分の歯ではなく、つめてあったものだったようです。

救われました。

追伸、
あまりにも可哀想な顔のためボカシを入れました。

接骨院開業の広告を手配して

 三男が6月1日に開業する接骨院の広告が届き、本日は三男とともに地元の新聞販売店4軒へ日曜日の新聞折込をお願いに伺いました。
 私が現役時代の17年前には商売敵となった販売店でしたが、他のお店にも私が訪れるとの連絡を入れていただくなど親切な対応をいただき、朝日新聞にいたっては明日の配達終了後に受け取りに来てくれるなど、旧知の人々の有難みを実感させられる一日ともなりました。

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 販売店の中には、「○○ホームに持っていけば」と、わざわざ販売店を訪れなくとも広告を依頼できると三男に伝えられたお店もありましたが、私の販売店の経験からは広告会社から配送される広告の料金は仲介分を差し引かれており、実際の部数より予備分を上乗せして配送され、何よりも店頭で直接手にする現金は店主にとっても有難い存在でした。

 何よりも、どんな商売でも、一人でも多くの知遇を得ることは重要で、これから仕事を起業する三男には、面倒でも仕事を他人任せにせず、自ら顔を出して地域の人々との信頼関係を築いてもらいたいものです。

 さて、日曜日の新聞に広告が折り込まれ、来週に看板が設置されると、4日間の内覧会を経て開院となります。

 本日は朝一番でボランティアの福祉有償移送で病院へ同行し、市民の訪問に対応してから午後は前記したように三男と広告を配布し、夕方には知人の電話によって約束してあった仕事に走り、久しぶりに仕事で汗をかきました。

           本日の体重 71、7キロ 徒歩数 2931歩 間食あり
                                    5月20日の一言

人を捕まえる警察官の視線にストレスを溜め

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バロー勝幡店内の相棒リマです

 愛雀ピーちゃんが居た昨年10月末までは、ピーのために毎週訪れていたホームセンターですが、このお店はペットと一緒に買物ができるため、相棒も学習しており、自分が入ることを当たり前と思っており、本日は私が抱いて訪れました。

 ピーが居た当時の相棒は、何時も私の肩か手の中に居るピーに対して大きなストレスを感じていましたが、2週間前に蟹江町より持ち込まれたスズメ「チー」に対しては、ピーのように私と蜜月ではないことからストレスを感じておりません。

 動物(相棒)の直感に驚かされるとともに、可愛いペットと言えども、買ってきた(貰ってきた)ペットと生まれた直後から人間に育てた動物では関係が全く違い、眼も開かぬ赤子から育てたピーと私の関係の再現はなさそうです。

 「朝から取締り中ですよ」
 「あっ、そう… うちでやっているの?」
 「○○でやっています」
 「ふーん…」

 早朝から警察のスピード違反取締まり中との電話に、最初は我家の前で取締まりをしているのかと思いましたが、電話の主に乗せてもらって現場を通過すると、見るからに人相の悪そうな警察官と視線が合いました。

 過去の一言に、何度も取り上げてきましたが、我家の事務所前のアンズの木の下の歩道にレーダー探知機を置き、我家の垣根に隠れて捕まえており、私が議員であることから警察と一緒になって取締りに協力しているように言われて迷惑してきました。

 トイレに座っていると、捕まえた運転手にはネコの子をかぶったように接していますが、違反者を捕まえるために「来たぞー」と警察官の罵声が飛び交い、人が人を犯罪人として、まるで獣でも捕まえるような臨場感が伝わってきます。

 違反した女性ドライバーが泣いていたり、罪を認めないドライバーと警察官がこう着状態になっている現場に、我家の前と隣の駐車場が舞台になっていることに、荒んだ気持にさせられ、取締りが行われるとストレスが溜まります。



 過去に事務所の前で若い警察官と口論になったことがありますが、事故防止のための取締りであれば、見晴らしの良い道路で取締まれば良いのに、我家の木や垣根に隠れて取り締まるのは捕まえやすい場所として認識されており、地域の人々に恨まれる場所として話題にされるのは堪りません。

 「人相の悪そうな警察官と視線が合いました」と記しましたが、全ての警察官がそうではないものの、人を犯罪人として疑って見る習慣が、人相を悪くしているのかも知れず、上から目線をやめて地域の安全を護る原点に立ち返って欲しいもので、捕まった女性が涙を浮かべている姿を見ると、我家の前を爆音をたてて走る暴走族が一度もパトカーに追われていない現実との矛盾も解消して欲しいと思う夜になりました。
            本日の体重 72、5キロ 徒歩数 3640歩 間食あり
                                      5月10日の一言

逃げたシマウマが死ぬ捕獲劇に

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「おい、待っていたよ」
私の仕事が終るのを車中で待っていた相棒リマ 市役所駐車場

 本日は、25日に発表する文教建設委員長報告の資料となる議事録のメール送信が午前中に届かず、シビレを切らして市役所に走りましたが、家内は私の代理で県庁に走っており、我家で一人になってしまう相棒リマと目と目があってしまったため一緒に出向きました。

 相棒は午後の委員会が終るまで車中でおとなしく待っていてくれましたが、本日は陽射しが強く、車中の温度が上昇するため、エンジンをかけてエアコンを回し続けていました。これからはペットと一緒のドライブも温度管理が大変になっていきます。

 結局、議事録は夜8時に届き、明日の朝までに仕上げてメール送信する予定ですが、インターネットの普及で、議会の委員長報告も自宅で作成でき、夜間に仕上げて送付することで午前中の自由時間が確保できるようになりました。

シマウマ捕獲、直後に死ぬ 死因は不明
脱走シマウマ、麻酔で倒れ池でおぼれたのが死因

 愛知県瀬戸市の乗馬クラブから岐阜県土岐市のゴルフ場に逃げていたシマウマが、大量に動員された警察官によって捕獲されましたが、直後に死んでしまうというショッキングな事件となり、その様子が全国に発信されました。

 凶暴なクマやイノシシの捕獲ではないことから、死に至るような捕獲に疑問が残りますが、シマウマは他の飼育場所から新た場所に連れてこられていることから、「シマウマの事は知らない」と言う獣医師や警察官の捕獲だけでなく、動物園関係者を呼ぶなど安全な捕獲方法があったと思います。

 テレビ映像では、首の付け根付近に2本の大きな麻酔の矢が刺さっており、死因は判らないものの、素人考えでも首の付け根に刺すことが良いとは思えず、知恵を絞れば安全な捕獲方法があったと思われ残念の一語です。
 その後の報道では、現場にいた獣医師が麻酔で倒れて池でおぼれたのが死因と発信されていますが、必要以上の麻酔薬が体内に入った可能性も高く、悲しい事件となりました。

 もっとも、親に虐待された子供が自殺したり、子供のいたずらに腹を立てて殺そうとする親の事件も起こっており、人が人を殺す事件が日常化していることから、ペットやシマウマの命を論じている場合ではないのかもしれません。

5歳長男を投げ落とし殺害、母親に懲役11年 東京地裁

            本日の体重 72、0キロ 徒歩数 5510歩 間食あり
                                      3月23日の一言

三男の愛車が廃車となり去っていきました


 本日まで三男が使用してきた愛車スターレットです。

 このスターレットは私の同級生のお父さんが所有していた車で、8年前にバッテリーが上がってエンジンがかからないと私に連絡があり、高齢になったお父さんは病気闘病中のため駐車場に置いたままとなっていました。

 エンジンは持参したブースターですくにかかったものの、誰も乗らないから廃車するという話を聞いて、私の家内用に貰うことになり、同級生が陸運局に出向いて名義変更をしてくれました。



 当時は高校生だった三男が自転車のロードレースに参加し、一時的には実業団のプロチームと契約しており、家内はこの車に三男と自転車を乗せて、東北や中国地方の広島県など、全国各地で開催される大会に走っていきました。

 「自転車があるから車には乗らない」と言っていた三男ですが、3年間の専門学校から国家資格を得て桑名市の接骨院に修行に勤めてからは車で行動しており、今でもこの車に愛着を持っているようですが、エンジンからオイルが漏れるようになり、修理費も高いことと、1ケ月前に伯母の車を貰ったためお役御免となりました。

 そして、そんな思い出のある車も今日が最後となりました。







 さて、私はこの車より古い平成元年に登録されたライトエースを所持しており、いずれはこんな光景も目にすることになりますが、スターレットは家内と三男が使用した車のため特別な感情は無かったものの、自走して車載車に乗せられ、我家の駐車場を出て行く頃になって、この車を元々運転しておられ、今は鬼籍に入っておられる同級生のお父さんの顔が蘇り、小さくなっていく姿を見送りながら感傷的な気持にさせられました。
 還暦を過ぎると、こんな日常的なことも寂しく思われます。
 
      本日の体重 70、0キロ 徒歩数 約1000歩程度 夜間食なし
                                    11月26日の一言

四国遍路第1日目

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 私の菅笠の下で強い陽射しを避けている相棒リマです。思わず笑っちゃいました。

 本日は高知県安芸郡の八十八ヶ所第27番神峯寺(こうのみねじ)を午前7時に参拝し、南国市、高知市から四万十市の第37番岩本寺まで巡拝し、オートキャンプ場の「とまろっと」のキャビンを宿として、隣接する天然温泉の「いやしの里」で入浴と夕食をとりました。

オートキャンプ場とまろっと http://www.tomarotto.com/
四万十いやしの里 〒787-0155 高知県四万十市下田3370

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八十八ヶ所第27番神峯寺 大師堂

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第31番竹林寺の石段

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第36番 青龍寺 
          横綱朝青龍が
                                 高校時代に足腰を鍛えた石段です

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本日最後の参拝となった岩本寺

                 本日の体重 69、8キロ 徒歩数 103430歩
                                    10月23日の一言

タクシー車両のメーター検査へ

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 本日は新しい車両(日産セレナ)のメーター検査のため、東海市にある愛知県計量センターのタクシーメーター検査場に、私の愛車(日産キャラバン)と2台で検査を受け、タクシーメーターの検査と合格の封印を受けてきました。

 この計量検査は毎年受けなければなりませんが、私はタクシーより低額となる「福祉有償運送」に使用することが多いため、メーターを使う機会がほとんどなく、そのため横着にも検査を受けていなかったので県の担当者に注意を受けました。これからは、毎年事前審査を2台受けなければならず、ボランティアばかりでは苦痛にもなっていきます。

 一方で、私の車両は今月にメーカーに持ち込んで車検を受けたばかりですが、タイヤの空気圧が指定された数値より高く入っていることが、本日の検査によって判り、車検を受けたばかりで安心していたものの、人任せではいけませんね。
 ちなみに、当たり前のことですが、適正な空気圧になっていないと、メーターは正確に測定できずに、僅かな誤差でも不合格になるそうです。

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愛知県計量センター
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 私の住んでいる津島市は愛知県の西部に位置し、三重県や岐阜県にも近い場所になり、本日訪れた東海市は知多半島に位置するため、ずいぶんと遠くまで走って行くような印象がありましたが、最近は娘が住んでいる名古屋市港区まで当たり前のように走っているため、東海市とは言え名古屋との境にある計量センターが近く感じました。

 「大鹿さん、入院することになっちゃったので…」の一言は、病気療養中の歩き遍路友の会会長からの電話で、日曜日に会の総会を控えており、私が会長代行で進行することにはなっているものの、会長不在では判らないことも多く、当日の資料を受け取りに走る必要から、東海市から愛西市経由で市役所の会合に滑り込み、帰宅後は市役所の閉庁時間まで議会の委員長報告をまとめて送付しました。

 本日は午前3時過ぎまで委員長報告をまとめており、パソコンの文字が見えなくなったため就寝しましたが、夜行で走って夜行で帰ってきた週末の四国遍路以降は、連日睡眠不足のままで一日が経過していきます。

                 本日の体重 70、8キロ 徒歩数 1193歩
                                     9月24日の一言

子供先達

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子供先達の周りには子供も犬も居ます。

一大事 忘れ物です

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四国遍路第25番津照寺に到着した時に一大事が発覚です。


愛用の数珠がありません。

別格二十四霊場を巡拝して作った数珠がありません。

とりあえず前の最御崎寺に電話をしたものの……

[もどってみたら]の一言で戻ってみたら……


ありました。


諦めす戻った甲斐がありました。

四国遍路第2日目

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四国は至る所に彼岸花が咲いています。

本日は第十八番を目指して走り、午後5時まで巡拝してから帰路となります。

3日間の四国巡礼を回顧して

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 車を搬送する運送車両は日常的に見かけますが、トラックがトラックを運ぶ姿と、乗せる車と乗せられる車が全く同じ車種は珍しく、思わず携帯電話を取り出しましたが、正面を見たときの感動は私が後続車のため撮影できませんでした。

 本日21日は毎月名古屋大須で行われる弘法会の会員移送に走るとともに、移送が限界と思われる患者さんのボランティアに病院まで同行しましたが、足腰はバンバンにはれあがり、腹部にも腹水がたまっており、介助しようと触ると身体中が痛いと訴えられ、入院せず在宅での生活を希望しておられるものの、本人の意志を貫くにも限界がありそうで、汗をかくだけでは何ともならない限界も感じました。

 さて、金曜日の夜に我家を出発し、本日火曜日の午前1時過ぎに帰宅した四国別格二十霊場の行程は、愛知県から約1400キロの行程となりましたが、今にして思えば八十八ヶ寺を参拝する四国遍路を別格の20ヶ寺しか参拝しないため、長距離ドライブの感が強く、スピード超過や無理な追越など反省ばかりが残る旅程となりました。

 私の過去の遍路体験では、3日あれば別格霊場会の20ヶ寺が参拝でき、1日目に20番と1番から4番まで参拝し、2日目に5番から12番を廻れば、3日目に結願になるはずですが、今回のように台風の影響や道路状況により状況は一変します。

 四国遍路で10日間程度の日時をかけて巡拝する八十八ヶ所霊場の行程を、20ヶ寺とは言えわずか3日間で走破するのですから、孫も含めた家族一緒で同行すると、食事や宿泊場所だけでなく、休憩を廻って言いたい放題になります。

 朝7時にはお寺の境内で参拝していたいことについては、食事後のトイレや化粧などを理由に初日は8時過ぎに宿を出ることになり、宿泊する宿は翌日に参拝するお寺の近くに宿泊したいものの、初日ぐらいはゆっくり休みたいと巡拝したお寺の近くで探される始末でした。

 私は遍路中の昼食を、コンビニで買ったおにぎりかパンと決めており、同行者も車中で食べながら次のお寺を目指しますが、「食事くらいは落ち着いて」とか、孫が気持ち悪くなるといけないと家族に訴えられ、我慢して同行していたものの、初日に3ヶ寺、2日目も3ヶ寺しか廻れなかったため、家族も昼食の文句は言わなくなりました。

 宿泊場所についても、初日の宿泊場所から最初のお寺に2時間かかったものの、2日目の宿では『お遍路割引』のご接待を受け、参拝寺院まで5分の距離にあったため、宿のイメージよりも合理性を優先することで家族も納得しました。

 家族はお寺では白衣姿でしたが、宿や休憩する道の駅などでは平服に着替えており、この着替えもお寺に到着後の時間を浪費するため、今後は白衣姿のまま行動することも決め、9月のお遍路再開の約束としました。

 まもなく6歳となる孫についても、家族から「小さいから仕方がない」と、付いて来るだけでも十分と言われていたものの、私が本堂と大師堂前ては「南無大師遍照金剛」を七編唱えるよう教えて、大きな声で唱えるようになりました。

 観光気分ではお遍路はできないことを家族が実感してくれたことで、9月からは参拝を第一とするお遍路が再開できそうになりました。

                  本日の体重 70、8キロ 徒歩数 2466歩
                                     7月21日の一言

四国遍路最終日

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別格7番 出石寺 霧で100メートル先が見えません

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別格8番 十夜ケ橋 上は本堂 下は橋の下

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別格12番 延命寺


最終日に頑張ったものの、別格二十番だけを残して結願にはなりませんでした。

9月に再開です。


                                  本日の体重 70、7キロ 徒歩数 6727歩
                                   7月20日の一言

私には最高の夕食

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私にとっては最高の夕食です。

 まだ四国遍路は明日一日を残していますが、金曜日の夜から土曜日の朝まで神戸周辺の高速道路は閉鎖が続き、国道2号線も渋滞どころか動かないため、苦戦する四国遍路の出だしとなり、予定より4時間遅れの遍路スタートとなりました。

 一方で、我家の家族は四国遍路を観光気分と思っており、まもなく6歳になる孫のために、「こんな小さな子供には無理でしょう」と時間の遅れも苦にしないため、更に目的地まで足が延ばせません。

 予定では初日の夜には高知市内に宿泊するはずでしたが、徳島県の勝浦町の月ヶ谷温泉月の宿の宿泊となり、朝も宿から出てきませんから、宿を8時過ぎの出発となり、別格四番鯖大師では偶然にも護摩供養に参加し、五番大善寺で完全に六番に到着するのが5時過ぎ判り、本日も愛媛県宇和島市泊まりとなりました。

 さて、お遍路に子供も老人も関係なく、予定した時間は厳守しないと結願は果たせず、お寺だけ白衣に着替え、買い物や食事は別の衣類は時間が無駄になり、四国にはお遍路価格も存在することから、白衣のままで全て行動する方が効率的で、本日の宿「コーラル宇和島」に入るとき、「白衣を着たまま行け」と伝えたところ、「お遍路割引」を受けてきました。

 「郷に入れば郷に従え」と言いますが、朝7時より行動し、昼食はコンビニ弁当、5時まで巡拝との私の四国のルールは家族に完全に破られ、「食事くらいは名物料理」などとお店に入り、孫は特別とトイレや休憩を増やせば、目的地に到着するはずもなく、運転中に宿泊施設に連絡しようとすると資料は荷物の下敷きにされており、結局は時間ばかりが経過していきます。

 「こんなことなら付いて来るな」の一言で、明日は午前7時前には朝食を済ませて、7時にはお寺に参拝する約束として、残された最後の一日は頑張りますが…

                                      7月19日の一言

四国遍路第二日目

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四国遍路第二日目は別格第4番鯖大師から室戸岬を経由して高知県須崎市にある第五番大善寺までで時間切れです。

本日は愛媛県宇和島市で宿泊します。

四国遍路第1日目の続き

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当初の予定では、別格二十番と一番から五番まで巡拝するつもりでしたが、台風の影響で高速道路が通行止めになっていたことから一番から三番まで巡拝して時間切れになってしまいました。

写真は慈眼寺の途中の灌頂の滝と穴禅定に入る孫と家族です。

おまけは、一緒に連れてきた雀のピヨちゃんとピーちゃんです。元気ですよ。


                 本日の体重 69、7キロ 徒歩数 5970歩
                                  7月18日の一言

四国遍路第1日目

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本日は朝7時から遍路をスタートする予定でしたが、台風の影響で高速道路が通行止めになっており、二時間遅れのスタートとなりました。

娘と孫です。

夜行で四国遍路へ

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明日からの三連休に四国へ走り別格二十霊場の結願を目指しています。

孫を含めて家族六人と相棒リマと雀のピヨちゃんとピーちゃんも一緒です。

添付した写真は私のお気に入りの喫茶店の表示ですが、年中無休の看板は、休みの無い新聞販売店をしていた私でも覚悟のいる選択で、店主のやる気が伝わります。
もちろん台風の本日もやっていました。


                           この日の徒歩数 1473歩
                                 7月17日の一言

秋芳洞と錦帯橋

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とりあえず発信です。

山口県萩市の城下町へ

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 世界遺産になって間もないですが、車イスで何処でも入れるバリアフリーを徹底して、誰にでも優しい街づくりを実現して欲しいと思います。高齢になると旅行にも車イスが必需品となります。

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 こんな小さな小屋から総理大臣や国を動かす偉人が多数出たことに驚きです。

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 四国のように参拝する環境を整えてもらいたいものです。お墓を観光資源にする


本日の午前中は萩市の城下町散策(上)と松下村塾(中)、毛利家の菩提寺東光寺(下)を訪れました。


               帰宅時の体重 71、3キロ 徒歩数 11360歩
                                     7月12日の一言

広島呉市 大和ミュージアムへ

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 昨晩11時に愛知県津島市を出発し、朝7時には広島県の原爆ドームを見学し、周りを散策しました。今から40年前の修学旅行時には、まだ原爆の残酷な印象を感じましたが、戦後70年が経過して朽ちかけた印象は否めません。


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 戦艦大和の10分の1の複製展示品です。

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 戦艦大和沈没直前に、大和の長官私室に入り、大和と運命を共にされた第二艦隊司令長官伊藤整一大将です。大和ミュージアムで一番感動する記録です。

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 愛知県から飛び立ち、琵琶湖に不時着したゼロ戦です。操縦していた兵士の手により湖底から引き上げ修復された本物だけにリアルです。

                                     7月11日の一言

慈尊院から丹生都比売神社へ

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名古屋駅(7:30)…東名阪…名阪国道…奈良・郡山ジャンクション…京奈和道路…橋本インター…

 全面開通にはなっていませんが、京奈和道路が大部分開通しているため、名古屋から高野山が近くなり、今までは針インターから桜井市経由で高野山をめざしていたものの、本日は天理市を通り越して大和郡山ジャンクションから京奈和道路を利用して高野山の麓にある慈尊院に午前11時に到着しました。

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 慈尊院で参拝後に、高野山との中間地点にある丹生都比売(にうつひめ)神社に立ち寄り、昼食(と言ってもおにぎり2個ですが…)を食べてから参拝しました。
 かつて、慈尊院から高野山へ町石道を歩いて登ったときは、この神社に参拝後に山上の高野山に向かっており、この神社は開創されて1200年になる高野山より古く、今から1700年以上前から創建された歴史のある神社です。

 高速道路のおかげで約一時間近く時間が短縮され、本日の宿となる宿坊総持院に1時に到着し、奥の院、波切不動尊の参拝だけでなく、明日が激しい雷雨との予報もあるため、土産物店に立ち寄ってから宿坊に戻りました。


孫が車の洗車を手伝ってくれました

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昨日の話になりますが孫と一緒に車の洗車をしました。

最近では、家内も手伝ってくれませんし、子供も大きくなって誰も手伝ってくれませんので、孫はありがたい存在ですね。

ありがとうございました。

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過去4回の選挙のダルマも一緒です

当選しました。

皆様のご支援ありがとうございました。五期目のスタートです。

                  本日の体重 67、4キロ 徒歩数 6567歩
                                       4月26日の一言
深夜の追伸
本日は、早朝よりお祝いの電話が続き、一週間使用した街宣車を返却に走り、電話と訪問者との会話に花を咲かせていると昼になり、昼食後に横になると完全熟睡となり、午後1時からの事務所の後片付けに起こされる顛末です。
電話は夜まで続き、ブログとメールの返信を終えると普段の夜になっていました。

明日は当選証書の授与式があり、新しいメンバーで市議会が始まっていきます。

                       本日の体重 68、4キロ 徒歩数 3505歩
                                      4月27日の一言
                                             

市議会議員選挙 第1日目

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選挙が告示されました。

孫が娘夫婦と応援に来てくれました。

役にはたちませんが私にとっては大きな戦力になりました。


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追伸
午前中から雨が降っており、自転車の街宣は大変でしたが、午前中に目標とする地域をすべて自転車で走りきることができました。午後には雨があがったため同じく自転車で走り出したところ、左足大腿部の筋肉がつり、足を押さえながら我慢の走行です。幸いにして改善したものの、選挙戦は始まったばかりのため、自転車は午後3時で打ち切りとして、その後は街宣車に乗り、街頭演説を繰り返す一日目となりました。

 「私は市民の皆様が主役となる政治、市民が主人公となる市政実現を公約として16年前に立候補し、市民の皆さんの声や意見を議会で代弁してきました」

知人から差し出された1枚の納め札に

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 添付した写真は四国八十八ヶ所霊場で出会った人(納経箱から持ち帰った札もあります)や納経所でいただいてきた錦の「納め札」で、この中でも特に親しい人や、納経所でいただいた札は縁起かつぎで持ち歩いています。
 
 「大鹿さん、良い物をあげるわッ」
 「何ですか?」
 「これッ」
 「どうしたんですか?」
 
 差し出された物は四国霊場の「納め札」で、知人が四国遍路から持ち帰った札との話で、入手した経緯を聞くと納め札箱から見つけて持ち帰ったことを聞き、せっかくのご好意でしたがお断りして返しました。
 
 私は平成13年から四国遍路を始め、当時は納め札に関心もありませんでしたが、同行する人たちが貴重品として金の納め札を探すのを見て、探して持ち帰った時期もあったものの、錦のインチキ納め札を寸志とはいえ買わされたこともあり、最近は知らない人の納め札は手にしません。
 
 四国遍路の納め札は、1回から4回までが白色で、5回から6回が緑、7回から24回が赤、25回から銀、50回からが金色になり、添付した錦の納め札は100回以上巡拝した人たちが使用できる札です。
 
 お遍路に出る人の目的は様々で、中には自分の犯した罪の反省から廻る人や、失業や失恋から歩く若者など、祈願する目的も様々なため、直接出会って交換した納め札なら別ですが、錦の札でも全く判らない人の納め札を箱から持ち帰ってもご利益はありません。
 
 一方で、バスツアーの観光客でも納経帳に朱印をもらうことが当たり前になっていますが、私は四国遍路と百観音(西国、坂東、秩父)だけしか朱印はもらっておらず、ましてや社寺や仏閣をごちゃ混ぜにした納経帳には関心もありません。
 
イメージ 2 右に添付した納経帳は、多くありそうにも見えますが、四国八十八ヶ所と別格二十霊場に百観音の物で、一番左の4冊と右の1冊は、先達になる前の四国遍路の納経帳です。
 
 四国遍路や巡礼は、無関心な一般人から見れば、非日常的な現世離脱的な行為であり、こだわりがなければ何度も廻らないことから、納め札や納経帳にもそれぞれのこだわりが出てきます。
 
 四国霊場が開創されて1200年になりますが、八十八ヶ所霊場会先達手帳によれば、「(弘法大師の)弟子たちが、師の御誕生の地であり、御修行の地、成道の地を踏み、そこで師と同じように修業してみたいと思うのは、ごく自然のことといえる」と記され、弘法大師が42歳の弘仁6年(815)に開創された根拠にされています。
 
 恥ずかしながら、私もそんな心境になりたくて四国の弘法大師の御修業の地を訪れており、他人から見れば精神異常者と思われるかもしれませんが、自宅での日常生活にも白装束の遍路姿で過ごしたいとさえ思います。
 
 失礼にもご好意をお断りした知人から差し出された1枚の納め札によって、過去に出会った人々の納め札を見直し、しばらくは封印となる四国遍路について改めて想いをめぐらす一日にもなりました。
 
                   本日の体重 73、3キロ 徒歩数 3527歩 
                                   11月17日の一言

京都のワイン

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今年7月より管理栄養士さんの指導を受けており、私の勝手な判断で夕食のビールを8月より赤ワインに変えて摂取してきましたが、昨日で品切れになっていたことを忘れており、近所のコンビニに行くように言われていましたが、出不精のため本日はビールか日本酒にしようと考えていましたが… ちょっと待てよ…
 
事務所2階の冷蔵庫に京都細見酒店の日本酒「雪紫大吟醸」を保存している中に、箱にはいったままの丹波ワインの赤ワインを発見しました。
 
 
収穫したばかりの葡萄をMC法(マセラシオン・カルボニック法)といわれる方法で醸造しています。これはボジョレヌーボーなどと同じ製法で、渋みの少ない、フルーティーなワインになるのが特徴です。赤ワインでもこのワインは少し冷やし気味でお飲み頂くとより一層ワインの特徴が引き立ちます。

表ラベルの鳥は翡翠です。
「遊びをせんとや生まれけむ 戯れせんとや生まれけむ
 遊ぶこどもの声きけば わが身さえこそ ゆるがるれ」
『梁塵秘抄』第359歌
平安末期、後白河法皇(1127-1192)が編んだ歌謡集。主として「今様」と呼ばれる平安末期に流行した声楽の歌詞の集大成。

歌の意味:人は遊ぶために、戯れるために生まれてきたんだなぁ。子供が無邪気に遊ぶ声を聞いていると、大人になってしまった私まで心がゆさぶられるよ。
 
我家のワインは2012年製ですが、ラベルに貼られたカワセミは「翡翠」ヒスイと書くことと、今年5月に保護したものの死なせてしまったカワセミを懐古しながら味わいたいと思います。
 

本日上高地が閉山となり…

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 本日は上高地の閉山式が行なわれる日で、例年だと確実に訪れる予定で行動していますが、今年は10月に上高地だけでなく高野山や四国遍路に出かけていたため、今月は忍の一字で見送り、朝からライブカメラの映像を見る一日となりました。
 
 写真は五千尺ホテルのライブカメラの映像ですが、白黒テレビではなく朝から雪の舞う一日となっており、上高地は完全に冬景色となっています。
 
 「大鹿さん、上高地はどうしますか?」
 「どうするって、行かないよ」
 「冬の話ですよ」
 「冬っ?」
 
 会話は昨日の電話ですが、昨年は行けませんでしたが、例年閉山された12月に上高地へ一緒に訪れている知人からで、今年はどうしようかとの電話に、「行きたいと言ってもらえれば確実に行くよ」と応えました。
 
 行くのは簡単ですが、明日から4月までは釜トンネルが閉鎖されており、車を停める場所に困るとともに、天候によっては吹雪の一日も多いため、一人で行くことは周りから心配され、一緒に行く人にその気がなければ勧められません。
 
 もっとも、車どころか人も居ない上高地の静寂の中で、一歩進む自分の吐息を感じながら、無音と白黒の世界はシーズン中よりも魅力を感じさせられます。それにしても、上高地の閉山式は寂しいもので、このライブカメラだけでも閉山後も残してもらいたいものですが…
 
                本日の体重 73、0キロ 徒歩数 家庭内だけ
                                    11月15日の一言
 

昔は良かったと懐古しながら歩く

イメージ 1 左に添付した写真は、我家から50メートル離れたコンビニから撮影した我家周辺ですが、コンビニの向かいに「コメダ珈琲」と「中京銀行」があり、左から最近開店した「インド料理店」があり、隣にアパートをはさんで家内の貸し店舗で開業する「個人指導塾」があり、コンビニの隣りに焼肉店と建築リフォームのお店があります。
 
 更に30メートル先にガソリンスタンドがあり、向かいに団子屋さんと婦人服のお店があります。ひじょうに便利な環境で、5百メートル以内にコンビニがもう1軒あり、宅配便の営業所、大型ドラッグストアー、自転車屋、料理店3軒、珈琲屋2軒、理容店1軒、美容院1軒、銀行1軒があるため生活には困りません。
 
 同じく、隣りの町内になりますが、反対方面に行けば、こちらも5百メートル位の間に、郵便局やスーパーマーケット、銀行などがあり、珈琲屋さんや弁当、居酒屋、喫茶店だけでなく、私のいきつけの理髪店もあります。
 
 世間では「買物弱者」とか「買物難民」などの言葉も存在しますが、我家から500メートル内の環境は、医療施設以外はほとんど歩いて行ける(動物病院と歯科医院はあります)ので、お金さえあれば生活に困るとは思えません。ちなみに、我家の隣りはお寺で、我家と同じ浄土宗の尼寺のため、父親の葬儀に参列した僧侶たちは、梵鐘を合図にお寺から行列で我家に入場してこられました。
 
 本日は、今年1月より津島市内全域に配布したアンケート調査の返信分を整理し、報告書としてまとめようとしていると、「おはよー」と知人が事務所を訪ねられ、数日前に昼食への誘いを断っていたため、家内とともに珈琲屋さんに出向いたため、仕事が先送りになってしまいました。
 
 今月になって座ってばかりの生活となっているため、本日は夕方に歯医者さんまで歩き、更に1キロ先のドラッグストアーまで歩きましたが、少年時代に薄暗くなった遠方の道を歩くと未知の緊張感があったものの、鈍感となって何も感じない自分に過去の新鮮な気持ちはよみがえりません。
 
 さて、議員は日中に歩き廻らないといけないのでしょうが、日中だと出会った人々と挨拶だけでなく雑談となるため、暗くなる夕方の散歩は人目を気にする必要なく歩けるものの、車だけでなく下校する高校生の自転車も走るため、無心どころか、考え事をしながら歩くことは危険極まりなく、子供や少年時代に知らない土地を歩いた新鮮な気持ちにはなれません。
 
                  本日の体重 73、9キロ 徒歩数 7586歩
                                   11月10日の一言

カメラ屋さんの関係者のような一日に…

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帰宅中の夕暮れ風景ですが、多度山の南(左)に鈴鹿山系の山々が
 
 「おい、カメラが故障したぞ」
 「まさか…」
 「壊れたんだ」
 「そんなに簡単には壊れないでしょう…」
 「とにかく来てくれ」
 
 昨日老人ホームから外出した叔父に同行して購入したばかりのカメラが故障との電話に、仕事を中断して走ったところ、間違ったボタンを押したために、10秒間のタイマーがはたらいてシャッターが切れる設定となっており、撮りたい時に写真が撮れなくなっていました。
 
 こんな煩わしさが嫌で未だにフイルムで写真を撮っているのに、私が案内して購入したため細かい説明書を読んで、叔父が間違って操作した設定を解除したものの、叔父が必死に長時間操作し続けていたためバッテリー切れとなり作業は中断です。
 
イメージ 2 バッテリーを充電している間に仕事に戻り、折り返しでホームに戻り、取り扱い説明書を読んで、操作中に写ってしまった数百枚におよぶデータを削除し、初期設定で撮影ができるようにしたものの、カメラを使う叔父がチンプンカンプンのため、撮影の基本を繰り返して何とか撮影できるようになると夕方になっていました。
 
 若いときは夜にアマチュア無線の交信や、カメラの暗室作業をしていた夜型人間だけに、新しいカメラを手にして必死に説明書を見て操作したと思われますが、最近の説明書は文字が細かいため眼も限界となり、触れば触るほど設定が変わって返品したい心境になっていたようです。
 
 叔父のカメラの撮影指南によって、最近のデジタルカメラの性能の良さを実感させられますが、バッテリー切れで撮影ができなくなるデジタルカメラより、フイルムさえあれば撮影が続けられる旧式カメラの方が機械式だけに安心です。
 
 さて、今回購入したカメラには標準レンズと望遠レンズが付いており、叔父は高性能なカメラを手にしたものの、老人ホームのフロアーから外に出ないと撮影できる対象は入所者と介助職員しかありません。
 
 施設を外出するには親族の同行が必要と聞きましたが、近くに97歳になっても車を運転して買い物に出かけている人も存在するため、元気でありたいと思うとともに、我家では私が寝たきりになっても家に置いてもらいたいと思う一日ともなりました。
 
                          本日の体重 74、7キロ
                                    11月4日の一言

叔父のカメラ購入に同行して

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タイムオーバーで、仲間が繰り上げスタートした後に到着した選手たち
 
 「本当に伊勢まで行ってきたんですか?」
 「ああ、行くと約束したから」
 「残念でしたね?」
 「残念だけど、区間3位の走りだからね」
 
 昨日応援に訪れた全日本大学駅伝については、母校(神守中学校)の後輩となる神野大地選手が母校を訪れた際に、応援に訪れると約束し、その日の一言に記しており、今年3月に発行された母校の同窓会報にも同窓生の応援を呼びかけました。
 
本年1月17日付け私の一言
 箱根駅伝選手、神野大地君が母校を訪れ…  http://blogs.yahoo.co.jp/s281218/47804932.html
 
 誤算だったのは、昨年走った2区(愛知県弥富市から三重県川越町)を走る前提で声をかけており、三重県松阪市から伊勢神宮まで8区の最終ランナーになったことで、あまりの遠さに家内と2人だけの応援になったことと、横断幕が用意できなかったことです。
 
 神野君は2位でタスキを受け取り、結果的には3位でゴールしていますが、25人の選手中3位の結果を残しており、確かに本人も「相手がエースでも僕は競り勝たなければいけない。悔しい」と新聞に発言が掲載されているものの、20キロ近いエース区間を3位で走ったことは立派としか思えません。
 
青山学院大学体育会陸上競技部(長距離ブロック)公式ホームページ
 
 8区 神野大地(3年)
応援ありがとうございました。自分の力は出し切ることは出来ましたがアンカーは順位を決める大事な区間なので1つ下げてしまったことはとても悔しいです。2ヶ月後の箱根に向けて切り替えて努力していきます。
 来年3月に発行される同窓会報の表紙も、箱根駅伝の花のエース区間2区を走る神野選手の掲載を予定しており、神奈川県まで応援に行くことになりますが、雪の箱根を越えていくことは心配なものの、神野選手が東京オリンピックも視野に活躍してくれることを母校の誇りとして応援していきたいと期待するものです。
 
 さて、本日は老人ホームに入所している叔父の依頼で、デジタルカメラを購入しにカメラのキタムラに同行しましたが、高級一眼レフカメラしか使ってこなかった叔父のこだわりと、杖をついている現状から、世界最小・最軽量と宣伝しているキャノンのイオスキス7を購入して帰りました。
 
 施設内では撮影する対象が限られているため、もっと小型なデジカメラでも良さそうなものですが、複雑な機能やビデオまで付いている高機能カメラの撮影は大変で、使い方の指南にお店の担当者にはずいぶんと時間をかけてもらいました。
 
 叔父は僧侶ですが元教員で、アマチュア無線の指導や、写真もDPEをやるような理科系のため、パソコンもかつては私に指南するような腕前だったものの、難病をわずらい病院と施設の生活が増え、パソコンも身体のために止めています。
 
 心配する私は未だにデジタルカメラが使えず、フイルムカメラを使用しているくらいですから、叔父の方が私より先にいっているわけで、フイルムカメラとデジカメと携帯電話カメラを使い分ける私自身が完全デジタル化する必要も実感する一日となりました。
 
                         本日の体重 74、6キロ
                                    11月3日の一言

四国遍路 第三日目

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別格第十番 西山興隆寺で

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私のナビゲーター 助手席で待つ相棒リマ

 四国別格二十霊場先達研修会を終えて、本日は孫の推薦をいただいた箸蔵寺の周辺を巡拝して今夜中に帰宅します。
 
 四国健康村…第67番大興寺…別格16番萩原寺…別格15番箸蔵寺…別格14番椿堂…別格13番仙龍寺… 
 
    高瀬天然温泉・入浴と夕食…三豊鳥坂インター…瀬戸中央大橋…与島PA…西宮名塩SA…土山SA…名古屋西インター…
 
 
 
                午後6時の体重 73、3キロ 徒歩数 9343歩

四国 第二日目

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先達研修会修了 松山市ホテル古湧園

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僧侶が入場して、ここから研修会が始まりました
 
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別格第十番興隆寺で飼われているトイプードル 白衣を着ていました

本日開催された四国別格二十霊場先達研修会で孫が子供先達になりました。

松山から香川県に移動し、明日も巡拝してから名古屋に戻ります。

新たな携帯電話に機種変更して

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 本日注文してあった新しい携帯電話(写真右)が届きました。
 
 私の携帯電話は家内名義になっており、家内の携帯電話が私名義になっていることから、自分の携帯電話であっても、家内が同行するか委任状がないと交換もできないため、家内の帰宅を待って慌てて販売店に走りました。
 
 「何でスマホにしないの?」
 「今のまま使いたい」
 「何で便利な物を選ばないの」
 「写真の画質が良くなれば良いんだ」
 
 ブログに掲載する写真を撮るためにデジタルカメラと携帯電話を使っていますが、上高地の写真についてはフイルムカメラを使うため、一度に3種類のカメラをぶら下げる煩わしさから、携帯電話のカメラの画素数を高めたいと思っていました。
 
 新たな携帯電話は1210万画素カメラが搭載されていることと、メーカーが同じでボタン配置も一緒のため、使いやすいとは思いますが、過去の使用料が高額だったため、通話し放題とデータ低額パックに変更となりました。
 
 来月からはネット情報も携帯電話で見られるようになりますが、結果的にはスマートホンよりも高額となっており、自宅のパソコンや、旅先でノートパソコンもできるために中継器も契約しており、いずれは整理しないと大変な支出が続きます。
 
 さて、機種変更は簡単に終わったものの、今までのような使い勝手とはいかず、メールの送受信データは残されておらず、とりあえずブログへの送信できるように設定しなおし、受信別に変えていた着信音を元通りにするなど、しばらくは慣れる必要があります。
 
 カメラについては画質だけでなくズーム機能があるため効果が期待できそうで、ブログへの発信も便利になると思う反面で、還暦を過ぎていずれ現役を退いていくことを考えると、工夫して節約していくことが必要と思う一日ともなりました。
 
                          本日の体重 74、3キロ
                                   10月16日の一言

御嶽山噴火の犠牲者に旧知の人があったことを知り

 国際社会全体の問題となっているエボラ出血熱について、オバマ大統領と安部首相が電話会談を行い、「国際社会が一致して取り組むべき課題」との認識で一致した報道されていますが、流行中の西アフリカの問題だけでなくなり、米国の病院で女性看護師の二次感染が確認されるなど欧米でも不安が広がり、我々の住む日本も対岸の火事ではなくなっていることが実感させられます。
 
安倍首相、米大統領と電話会談 エボラ対策で連携確認
 
全身防護服で感染の衝撃 エボラ熱、欧米で不安広がる
記事の続き…
 CDCは死亡した男性が隔離前に接触した疑いがある48人を特定し、観察を続けてきた。だが、入院後に治療にあたったスタッフへの二次感染は防げているとみて、看護師は観察対象から外していた。今回の感染確認で、その根幹が揺らいだことになる。
 現時点で、看護師にウイルスが感染した原因は解明できていない。米メディアによると、マスクや手袋などを外す際に過ってウイルスに触れる危険があるとの指摘もある。看護師は2010年に大学を卒業したばかりで、経験が浅かったとの見方もでている。看護師の症状は、今のところ安定しているという。
 CDCは、病院に専門職員を追加派遣。フリーデン所長は「数日のうちに複数の感染者がでる恐れがある」と述べ、観察対象を治療スタッフにも広げた上で、原因の特定や感染防護手順の確認を急ぐとした。
 米国では、テキサス州で初のエボラ患者が確認された9月下旬以降、国民の間に懸念が広がっていた。全身を防護していたはずの医療従事者の二次感染で、不安はさらに高まりそうだ。
 オバマ米大統領は12日、ホワイトハウスで国土安全・テロ対策担当の補佐官らと協議。政府機関に対して、早急に追加対策をとるよう指示を出した。13日にも緊急対策会議を開いた。
■スペインでも
 不安は欧州でも募る。
 スペインでは西アフリカで感染、帰国して治療を受けた患者(のちに死亡)の看護にあたった女性(44)が二次感染し、マドリードの病院に入院中だ。
 最初に微熱が出た9月末から5日ほど郊外の自宅で過ごしていたとされる。スペインメディアなどによると、夫や、診断した医師らのほか、足を運んだ美容院の従業員らが入院し、経過観察の対象になっている。用心のためマスクをつけて過ごす地元住民の姿も報じられた。
 隣国フランスでは、リベリアで感染した看護師の女性は治癒し、検査を受けた別のケースも「陰性」だった。それでもトゥーレーヌ保健相は13日、「極めて強く警戒している」と語った。バルス首相も「冷静になる必要がある。パニックを引き起こしてはならない」との立場だ。
 ドイツ東部ライプチヒの病院は14日、リベリアで感染し、治療を受けていた国連スタッフの男性(56)が死亡したと発表した。ドイツではアフリカで感染した3人の患者が治療を受けたが、初の死者となった。病院は、他の患者や医師らへの感染の危険はないと強調している。
 
デング熱、10月以降の感染3人目 流行は下火に
 
有毒セアカゴケグモ、東京に侵入 すでに繁殖開始か
記事の続き…
 セアカゴケグモは1995年、大阪府で国内初の生息が報告された。その後、他の県にも広がったが、2010年ごろまでは西日本を中心に分布していた。
 ところが近年は東日本への拡大が目立つ。昨年から今年にかけて、茨城、千葉、埼玉などの各県で侵入の報告が相次いでいた。
 なぜ拡大しているのか。比較的温暖な気候を好むクモだが、国内での分布拡大と地球温暖化の関係ははっきりしない。
 また、「クモの中には体から糸を出して風に乗り、積極的に分布を広げる種類もいる。セアカゴケグモはそうした広がり方はしない」と岸本さんは話す。
 そこで、最大の要因と指摘されているのは、荷物などに付着した個体の移動だ。引っ越し荷物などに紛れて運ばれやすいほか、自動車の車体の裏に付着したまま移動することもあり得るという。
 セアカゴケグモは、都市の環境に適応している。コンクリートに覆われた場所や公園のベンチの裏など、その生息域は人の生活圏と重なる。自動販売機の下や墓地などのほか、園芸用のプランターの裏に潜んでいることもある。
 毒グモとして有名だが、国内では死亡例の報告はない。積極的に人を襲う性質はなく、むやみに恐れる必要はない。ただ、神経毒を持っており、素手で触るのは危険だ。福岡市では12年9月、足の指をかまれた80代の女性が呼吸困難になる被害も起きている。
 分布が報告された地域では、庭仕事をする際に厚手の軍手をはめるなどの自衛策が求められる。
 「特定外来生物」に指定されており、生きた個体を持ち運ぶことは法律で禁止されている。環境省は「家庭用の殺虫剤や熱湯、靴で踏みつぶすなどの方法で駆除してほしい」と呼びかけている。
 国立環境研究所の五箇公一・主席研究員は「体力が低下した高齢者や体重が軽い乳幼児は重症化する恐れがあり注意が必要だ」とした上で、「かまれた後に、吐き気やめまい、呼吸困難などの全身症状が出た場合には、速やかに医療機関を受診してほしい」と話している。(山本智之)
     ◇
 〈セアカゴケグモ〉 オーストラリアが原産とされる毒グモで、メスは体長1センチ前後、オスは4~5ミリ。α―ラトロトキシンという神経毒を持つ。人に被害を与えるのはメスで、かまれると痛みや吐き気など様々な症状が出る。国際航路の船などを経て、日本国内に入ったとみられている。環境省によると、これまでに東京を含む35都府県で侵入が報告された。
 
 国際化の波の中で、エボラ熱の脅威だけでなく、デング熱についても、当初は代々木公園だけで封じ込めると説明されていたが、結果的には現時点で18都道府県に拡大し、感染者数は159人になっており、海外渡航者や海外から入国した外国人がもたらしたウイルスが大きく蔓延しています。
 
 一方で、西日本を中心に生息が報告されていた「セアカゴケグモ」が、東日本でも勢力を拡大し、ついに首都・東京に侵入したと報道されています。
 蚊や蜘蛛のような目につきにくい感染源だけに、完全なる封じ込めは不可能で、いかに拡大させないかの対策は急務です。
 
 外国には行かない私個人としては、江戸時代の鎖国制度は無理としても、海外から入国する人々への厳重な検査をして、日本国民の安全を確保すべきと思いますが、医療に携わる関係者が完全防護服を着用しても感染していることから、国際協調の前に完全なる感染対策を再確認すべきと思います。
 
 店主が腰の骨を折られて動けなかったことから、しばらく訪れていなかった理髪店を訪れると、久しぶりだけに話が盛り上がり、理髪店が街の情報交換の場所となっていることを実感させられたものの、びっくりする事実も耳にすることになりました。
 
 御嶽山の噴火の犠牲者に私の住む津島市の住民は存在していませんでしたが、実際には私の隣町に先祖代々住んでいた人が、市外に転居されて被害者となっており、被害者の母親は私の父親と同じ職場に勤めておられた旧知の人でありました。
 
 しかも、被害者は私と2年違う(私が上)だけで、同じ小中学校の同窓生であることが判り、転居先の住所のため判らない人も多かったようですが、聞けば子供時代の顔が浮かびそうになり、ご夫婦で被害に遭われたことから、現在は父親と孫だけが残されたとの話です。
 
 父親と同じ職場だった母親は3年前に亡くなられた事も本日知らされ、転居後の住所は他界した私の父親しか知らないため、新聞にご夫婦の顔写真や住所が掲載されていても全く知りませんでした。偶然にもご夫婦の葬儀場を通りかかった私の娘から、多くのテレビ局が来ていたことを知らされ、噴火の被害者の葬儀として会話を交わしていただけに、知っておればと後悔だけが残りました。
 
 ご夫婦のご冥福と、残されたお孫さんとともに、失意のお父さんの一日も長いご長寿を祈らずにはおれません。
 
                           本日の体重 74、8キロ
                                    10月15日の一言 

台風の来るこんな日に孫の運動会が実施されて

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 本日夜7時の台風19号の位置と進路予想ですが、11時頃の進路予想の真下に我家周辺が存在することから、今回は覚悟が必要ですが、できる事なら勢力が衰えて何事もなく通過してくれることを祈るばかりです。
 
 現在(午後8時45分)は風も強くなってきましたが、何よりも雨が激しく降っており、事務所の窓や壁に打ち付ける雨音に、鳥カゴのピーちゃんが驚いてバタバタと飛び廻っています。
 
 「お父さん、時間だよ」
 「なに、こんな日には無いだろう?」
 「警報がなければあるって」
 「そんなバカな…」
 
 孫の運動会があり、前々から私も来るように言われていたものの、朝から小雨が降っており、雨天では出来ないと休んでいると、運動会が開催されており、私と家内の席も確保してあると電話があったようです。
 
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   運動会の会場となっていたのは名古屋市港区の稲永スポーツセンターで、地域全体に競技場が集中するスポーツ施設となっており、プロスポーツも開催されているような観客席もある大型屋内施設で運動会が開かれていました。
 
 保育園の運動会と言えば、小学校の運動場を借りるか、狭い園内で行なわれる認識しかありませんでしたが、さすがは名古屋市と感心したものの、実際には例年行なわれる会場が工事中のためと判りました。
 
 もっとも、保育園の保護者には共稼ぎの親も多く、天候に左右される運動場では、雨天時の順延日に仕事を休む必要が出るため、このような全天候型の施設で決まった日に行なわれるのは好評のようで、見物する我々高齢者も客席に座って楽に参加が可能でした。
 
 一方で、会場が広いため孫の姿を発見することが難しく、家内や娘に言われるままにカメラのレンズを向けますが、肝心の親でも子供を捜すのに苦労しており、来年は三脚を用意していく必要が出来ました。
 
 そういう私は、子供が4人もおりながら、ほとんど運動会の応援や見物に訪れた経験がなく、家内は子供と2人だけで昼食をとったとの寂しい話を聞く一日ともなりました。
 
 さて、台風はこれから近づいてきますが、竜巻注意報もでており、築50年近い我家が明日の朝を無事に迎えられるか心配をしながら台風の通過を待ちます。
 
                        本日の体重 75、0キロ
                                 10月13日の一言

首都圏郊外の買い物弱者に関する報道について

 「いつ頃から我家へ」
 「開業(昭和35年)した直後にお願いに廻って」
 「私が中学生の時には来ておられたから」
 「お母さんが名鉄病院に入院されてた頃には行っていた」
 「それならオリンピック頃かなあ」
 
 我家へ集配に訪れているクリーニング店のご主人が亡くなり、本日葬儀が行われ、私の少年時代から我家に洗濯物を届けていた故人の弟さんと交わした会話ですが、帰宅後に母親に聞くと、入院していたのは昭和38年と判りました。
 
 現在は月曜日と木曜日の朝に故人の息子さんが集配に訪れていますが、20年前までは故人の弟さんが訪れており、私の父親が名鉄産業で新設されたドライブインの店長をしており、その後の本社勤務も続いたことから定期的にクリーニングに出していました。
 
 それにしても、我家とは50年以上のお付き合いが続いていたものの、自宅の入り口に置いておけばクリーニング後に届けられる関係で、衣類を持ち込むお客ではなく、ご主人との関わりは少なかったものの、50年もの長きにわたった取引が続いていたことにびっくりする一日となりました。
 
首都圏郊外でも買い物困難に 移動販売・市場などで支援
記事の続き…
 毎週金曜の昼、ここに2トントラックが放送を鳴り響かせてくる。静まりかえっていた5階建ての団地から、お年寄りや主婦が次々に出てきた。京王電鉄が昨年11月に始めた移動販売の車だ。
 荷台には野菜や果物、弁当、花など300種類の商品がぎっしり。近くで1人で暮らす石崎静子さん(88)は、ブロッコリーやインゲン豆を買った。「実際に見て選べる。宅配してもらうより楽しい。今日はこれでサラダをつくるの」と笑顔をみせる。カラオケ仲間に会えるし、会話も弾む。
 値段は京王電鉄の系列のスーパー「京王ストア」と同じ。たくさんは食べられないお年寄り向けに弁当は小さめで、卵は4個入り、コメも2キロ詰めから並んでいる。
 商店街の真ん中にあったスーパーの大丸ピーコックは2010年に閉店した。移動販売は週5日、ニュータウンを中心に計16カ所をまわる。1日100人ほどが訪れ、売り上げは10万円ほど。利益はまだ上がっていないが、京王電鉄は「沿線が住みやすいまちになれば、鉄道や不動産などグループの収益にもつながる」という。
 JR大船駅からバスで十数分。横浜市栄区の公田(くでん)町団地は60年代、丘の上にできた。団地唯一のスーパー「そうてつローゼン」は96年に閉まり、後に入ったコンビニも07年に営業をやめた。いまの人口は2千人ほどだ。
 ここでは毎週火曜、生鮮品を売る「あおぞら市」がある。タマネギ5個は税込みで150円、バナナは一房120円。コメや調味料など日持ちするものは、あおぞら市とは別に、ほぼ毎日、売っている。丘の下のスーパーより高めだが、1日数十人が来る。姉と2人暮らしの長沢暁美さん(75)は「重い物は、ここで買う」と話す。
 運営は、団地住民の有友フユミさん(67)らが09年につくったNPO法人「お互いさまねっと公田町団地」。「買い物をする場所がなくなって、初めてありがたみを知った」と有友さん。商品はネットや団地外のスーパーなどで仕入れている。
 メンバーは、店の前を通りかかる人にも「元気にしてる?」などと声をかける。客や通行人の情報をきっかけに、病気で動けなくなった人のために救急車を呼んだり、介護の悩みを行政にとりついだりすることもある。地域の見守り役だ。
 20人弱のメンバーは平均年齢が70歳を超えた。運営側の高齢化が、最大の悩みだ。
■「買い物弱者」全国に600万人
 東京都青梅市では、地元のスーパー、マルフジが昨年10月から、千ケ瀬(ちがせ)店と周辺の7カ所を結ぶ無料バスを週に3日、1日6便走らせている。「バス停」は食品スーパーが閉まった場所などで、1日20人ほどが利用している。
 モノをたくさん買う働き盛りの世代は、首都圏の郊外で減り始めている。スーパーの閉店が目立ち始めたのは、こうした流れと無縁ではない。
 国勢調査によると、生産年齢人口と呼ばれる15~64歳の人数は、2000~10年に、東京23区では20万人あまり増えた。一方で、23区以外の東京都と神奈川県、埼玉県、千葉県の周辺地域では計66万人減った。
 経済産業省によると、店が閉まったり公共交通が不便になったりして、日ごろの買い物が難しくなっている「買い物弱者」は10年の調査で全国に約600万人。地域別の内訳は出していないが、今後も増えていくと、経産省はみている。
 
 本日の新聞報道ですが、東京都の周辺でもスーパーの閉鎖で、年金暮らしの高齢者が買い物弱者になっている現状と、打開するために大手企業が移動販売車を巡回させている紹介もされています。
 
 ただし、東京の郊外での買い物弱者は多いものの、その対象者の人口も密集しているため対応もしやすく、我々の住む愛知県西部の買い物弱者はそれ以上に厳しい現実があり、過疎化された山村や農村部では収益を考えたら絶望的な状況下で対策が講じられてきました。
 
 一般的に、鉄道駅やバス停から400メートル以上離れた地域を交通空白地域と言っていますが、 東京都武蔵野市では、バス停から300メートル以遠の地域を交通空白地域と決め、バス停から300 メートル以内の地域でも、バスの便が少ない地域を交通不便地域とし、これら交通空白・不便地域の解消を図り、高齢のかたや小さなお子様連れのかたをはじめ、多くの人が、気軽に安全にまちに出られるようにすることを目的に、コミュニティバス「ムーバス」を運行しています。
 
 私の住む津島市では、コミュニティバスのバス停が町内に一ヶ所あればそれで十分程度の感覚しか行政にはありませんが、武蔵野市の感覚で考えれば、市内のほとんどが交通空白地帯となり、この地域に生活する人の多くが買い物弱者、「買物難民」となる可能性が出てきます。
 
 ただし、かつては村に一軒はあった「万屋(よろずや)」や酒屋が無くなって不便だったものの、最近は各町内に一軒はコンビニエンスストアーができ、スーパーやフード店の宅配サービスもあることから便利になってきました。
 
 地方は首都圏の先進例が時期遅れで到来することから、報道された発信に耳をすませて、現状把握に努めるとともに対策を考えておきたいもので、それでも対応できない個々の事例も存在することも忘れてはなりません。
 
                       本日の体重 74、9キロ
                                 10月9日の一言 

新しいアシックスシューズの話です

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 先週の土曜日に購入したランニングシューズ(手前)です。
 
 今から20年以上前の話になりますが、スポーツショップで6千円程度のシューズを購入したところ、それまでのスポーツシューズは2時間程度の仕事でも足首や踵が痛くなっていたのが、全く痛むどころか疲れも少なく、それ以来シューズはアシックスのランニングシューズと決めて履き続けてきました。
 
 スポーツショップで5千円から6千円したランニングシューズが、靴の量販店では4千円程度で購入できるようになり、一時は3千円代の安価なシューズもありましたが、最近ではアシックスのシューズが見つからず、仕方なくよく似たシューズを履いたところ、すぐに足が痛くなりました。
 
 今まで履いていたシューズは名古屋まで出かけて購入しましたが、同程度のシューズを探しても見つからず、ガムテープで補修して履いていましたが、今回は四日市市の大型スポーツショップまで出かけて購入してきました。
 
 インターネット上ではアシックスのロードジョグが、安価(3千円代)で当たり前に表示されるものの、私の住む愛知県津島市周辺では品物が見当たらず、四日市市ではロードジョグではなくアスティード(4,212円)を購入してきました。
 
足首ずれないランナー靴登場 アシックス
 
 本日の新聞記事には、「足首ずれないランナー靴登場」と題して、後ろ半分に樹脂製の補強材を交差させてとりつけ、着地や蹴り出しで足首がずれないようにしたほか、靴底のクッション性も高めたマラソンランナー向けアシックスの靴が発信されていました。
 
 
 さて、新しいシューズの発任務は、日曜日の上高地から再来週の日曜日の高野山行きとなりますが、今週末は雨天となりそうです。
 
 「もう、邪魔だから捨ててよ」
 「いや、まだ履くんだから…」
 「何のために新しいのを買ったの」
 
 家内に怒られますが、一番最初に購入したシューズは未だに残してあり、先代、先々代のシューズ(添付した上の2足)は今でも時々履いており、たかだかシューズと思われるかもしれませんが、自分にあった履き慣れた靴は重要です。
 
     本日8時の体重 75、0キロ
            本日12時の体重 74、9キロ
                  本日夕食2時間後の体重 75、6キロ
                                    10月8日の一言

買い物のスーパーから見事な夕暮れが…

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 嵐の前の静けさ…よく聞く言葉ですが、週明けに大型台風が近づいており、私の住む愛知県も暴風雨圏内に入りそうな予報が気になりますが、本日の夕暮れは見事な茜雲となっており、風光明媚な山や海なら感動の夕暮れだったと思われます。
 
御嶽山の噴火、死者50人に 台風接近で捜索難航の恐れ
 
 御嶽山の噴火で、本日新たに心肺停止状態の4人が発見され、長野県警は、このうち3人の死亡を確認し、噴火による死者は計50人になったと報道されています。安否不明者が16人と公表されており、今後も捜索は続けられるが、台風18号の接近で5日以降は悪天候になる見込みで、捜索は長期化しそうです。
 
 私の住む津島市の消防本部からも明日と明後日に現地の捜索に派遣され、明後日に山頂付近の捜索に加わるとの報道がありましたが、捜索に加わる月曜日は台風が接近するため捜索に参加できない可能性も考えられます。
 
台風18号、5日に九州・四国に接近 6日には本州へ
 
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 残された不明者は火山灰の下になっているため、雨により火山灰が固まると余計に発見が難しくなりそうですが、それ以前の問題として台風の勢力が大きいため、土石流の発生や土砂崩れによる現地の被害拡大も心配になりそうです。
 
 台風18号は、5日に九州や四国地方に近づき、6日には本州の太平洋側に接近するようですが、気象庁は前線が活発になるため、明日から明後日にかけて西日本から東日本の太平洋側を中心に大雨のおそれがあると、大雨や暴風、高潮に警戒を呼びかけています。他人事ではなく、我家の心配も急務ですが、明日も明後日も予定が入っており、無防備を承知で台風を迎えることになりそうです。
 
 さて、添付した茜色の夕暮れをこの一言に度々添付してきましたが、私の尊敬する鶴田浩二さんの最後の曲となった「望郷歌」の雑誌の宣伝が「茜色」をバックにしていることと、鶴田さんの同期の桜の台詞中に「茜色の夕燒け空が拡がる時に、俺は必ず征く」とあることから、感情移入してしまいます。
 
 物資も届かず敗戦が確実となりつつある昭和20年にも、こんな茜色の夕焼けが当たり前に存在し、明日の命が判らない若者たちも見ていたと考えると、朝一番の日の出も魅力的なものの、どうしても夕焼けに惹かれてしまいます。
 
 鶴田浩二 「同期の桜」 台詞
昭和20年3月21日 陽光麗らかな日
「美しく立派に散るぞ!」 
そう言って一番機に向かう戦友(とも)の胸に、
俺はまだ蕾だった桜の一枝を飾って送った 明日は俺の番だ
死ぬ時が別々になってしまったが、靖国神社で逢える
その時は、きっと桜の花も満開だろう

3月26日 花爽やかに開く日
お父さん、お母さん、只今より出発します
この世に生を受けて二十三年 
まさか、お父さんやお母さんより早く死ぬとは思ってもいませんでした
お母さん、「泣くな」と言うのは無理かも知れません
でも、どうか「よく死んでくれた!」そう言って下さい
私達は祖国を護る為に死んで行くのですから

4月2日 春雨の煙る日
幸か、不幸か、俺はまだ今日も生き延びている
だが、雨が上がり、虹が橋を架け、茜色の夕燒け空が拡がる時に、俺は必ず征く
後に続くことを信じて
俺達の死を決して、犬死にしてもらいたくないのだ
海軍少尉、小野栄一、身長五尺七寸、体重十七貫五百、極めて健康!

                   大鹿一八  本日の体重 75、8キロ
                                   10月4日の一言

道端に咲き誇る花の中を走り

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 我家から500メートル離れた椿市町の道路ですが、右側の路肩に花が咲き誇り、奥に見える神社まで走ると、今度は左側の路肩にコスモスの花が咲き誇っており、ここだけを見ればホッとする田舎の風情が漂います。
 
 添付した黄色い花は、地域の人々が外来コスモスと話しておりますが、キバナコスモスと思われ、繁殖力も強そうなため、地域ぐるみで種をまけば良さそうに思えますが、過去の先人が繰り返したものの、後々の草の管理ができずほとんどが姿を消してしまいました。
 
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 かつては、水田に稲を栽培せず他の作物を植えた転作や、全く何も栽培しない休耕田には国からの補助金が出されていました。
 
 この頃には、水田全体に蓮華草や、コスモスの種をまく農家も存在したものの、このような補助金が無くなり、高齢となり後継者もないことから、田植えも稲刈りも専門業者に委託する農家がほとんどになってしまい、水田の周りや道路から花も消えてしまいました。
 
 上高地を訪れる途中に走る高山市周辺の道路には、四季折々に見事に花が咲き誇っていますが、こんな配慮ができる地域や自治体の配慮が、わが市には全く無いことへの淋しさを実感させられます。
 
 我家の事務所前にあるアンズの木についても、貸し店舗の管理をお願いしている不動産屋さんから、「何で切らないの」と何度も言われ、家内にも常々言われていますが、ここを通行する人々から「見事な花」と言われることから伸ばし放題にしており、庭のある各戸にそんなこだわりがあれば地域の雰囲気も変わりそうです。
 
政活費すべてに領収書、義務化の改正案否決 岡山県議会
 
 全国各地から政務調査費の不正支出が発信され、住民の批判と議員に対する不信感も強い中で、岡山県議会では1万円以上の出費に領収書添付を義務付ける条例に対して、「すべての支出に領収書添付」を求める改正案を、最大会派の自民党の反対で否決したとの新聞報道があります。
 
 世の中では領収書の添付は当たり前で、サラリーマンの経費は領収書がなければ認められず、税務署の立ち入り調査でも領収書が無ければ経費とは認められませんから、住民の支払った税金を使う政務調査費に領収書は必須と思います。
 
 領収書が必要な自治体においても不正な書き換えや偽装が発覚している現状の中で、1万円以下の支出に領収書が必要無しとなれば、不正の確認もできないのは問題で、自治体の監査そのものが出来ません。
 
 これだけ議員の政務調査費が社会問題となり、国民の批判が強い中で、来年4月に統一地方選挙があるにも関わらず、改正案をいとも簡単に否決している現実は驚きで、1円たりとも住民の税金を不正流用させてはなりませんね。
  
                         本日の体重 76、4キロ
                                                       本日の血圧 124→66
                                  10月3日の一言 

朝の感動 日の出の美しさに

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本日午前5時49分 津島市市内から見る日の出
 
 今年1月から4月にかけて政務調査としてアンケート用紙を約一万五千世帯に配布しましたが、配布していない地域の人から「市内全域に配布したアンケートでなければ、自分の選挙用と言われても仕方がない」と言われ、今月から残された地域への配布を再開しました。
 
 目覚ましを午前3時30分にあわせ、我家から一番遠い地域にアンケート用紙と返信用の封筒を配布して、2時間程度で帰る日程を続けており、添付した写真はその帰りに見た日の出風景です。
 
 振り返って考えてみれば、大学時代に新聞販売店を起業して、23年間続けていた中でも、「これは二度と見られない」と思える朝の日の出がありましたが、当時はデジタルカメラはもちろんですが、所持する携帯電話で簡単に写真に収めるような時代でないことと、仕事中に写真を撮る余裕もありませんでした。
 
京都から富士山の山頂撮った! 西の限界、261キロ 本日の報道
 
福島)北限から富士山に挑戦 川俣町の菅野さん 今年2月の報道
 
 本日の報道では、富士山から約261キロ離れた京都府と滋賀県の境界線にある標高915メートル付近の尾根から富士山の山頂を撮影したとの発信があり、私の住む愛知県津島市のマンション屋上からでも富士山頂が見えるのではないかと思った新聞販売店を生業としていた頃の記憶がよみがえりました。
 
 ネットで富士山の最遠確認記録を検索すると、西は1997年1月に和歌山県那智勝浦町の妙法山(標高749m)から322.9km離れた富士山の最遠距離撮影成功が記録され、北は299km離れた福島県二本松市(旧岩代町)の日山(標高1052m)、新潟県の神楽ヶ峰(2030m)からも富士山が見えると記されています。
 
 かつて当たり前に行動していた時間帯ですが、一日の中で一番空気が澄み、周りの自然を実感できることから、議員になってから深夜族となり、完全に眠っている時間帯になっていたことも見直したいと思う感動の朝となりました。
 
                         本日の体重 77、7キロ
                                  9月23日の一言  

上高地第二日目

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 上高地二日目は、明神池から徳沢方面に歩き、花や自然を楽しみました。私のテントは小梨平のホームレス画伯の隣りに設営してありますが、ここから3キロ程度歩くと明神館まで到着し、ここから左へ6百メートル歩くと明神池があります。
 
 この行程より更に3、4キロほど余分に歩くと徳沢園に到着します。明神館からしばらく歩くと、徳本峠を越えて島々谷に下りていく分かれ道があり、釜トンネルがない頃は島々方面から8時間かけて上高地に入った峠道です。
 
 5歳になった孫が一緒のため、明神館の岩魚料理を食べたいとの希望をかなえるため、引っ張って歩かせながら、木々や草花、鳥や岩魚を探していると猿の集団が現れ、さすがに大群のため孫も驚き歩けません。
 
 「抱っこして」
 「もう少し、頑張れ」
 「うーん、抱っこ」
 「ふくろうが待っているぞ」
 
 孫がビジターセンターに展示している鳥や冊子に興味があるため、何とかなだめて歩きとおさせて、本に夢中になっていると呼び出しです。
 今晩は画伯に差し入れられた「マツタケ」を肴に夕食を約束してあり、我家と一緒の団欒となる予定です。
 
 ちなみに、昨日の体重は77、0キロでしたが、今晩は測定ができません。
 
                                9月14日の一言

上高地 一日目

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ホテル白樺側から見る河童橋
 
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小梨平に設営した私のテント
 
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三連休初日は、早朝の乗鞍岳ご来光から、上高地の休息となりました。

乗鞍岳の夜明け

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魔王岳から見える乗鞍バスターミナル 午前5時

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魔王岳の山頂で 標高2763メートル
 
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朝日に輝く魔王岳中腹
 
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乗鞍バスターミナル 畳平 標高2702メートル
 
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バスターミナルと私の車です

昨晩に津島市を出発して、途中で時間調整して乗鞍スカイラインを走りご来光を拝みました。

このまま上高地へ入ります。

委員会のため終日市役所の一日に

 広島の被災地へボランティアに出かけていた友人が本日津島市へ帰り、帰宅途中に我家に立ち寄ってくれましたが、昨日送信されてきたメールの中に、「作業している最中に、すぐ近くで、あと二人だった行方不明者のうちの一人が発見されました。すぐに警察や消防が交通を遮断して搬出作業にかかりました」とあり、昨日の一言にそのまま記しました。
 
 本日の新聞報道によれば、この現場で見つかった男性の遺体は、広島市安佐南区八木3丁目の朝日新聞販売所従業員、西田末男さん(63)と判明したと報じられており、私の以前の仕事に関係する人が被害者だったことと、昨日の発見現場に遭遇した友人が今まで私の前にいたことから、余計にショックを受けました。
 
 西田さんは災害当日の8月20日午前2時40分ごろ、雨の中をバイクで販売所に向かった後、行方不明になっていたとありますが、家族はもちろんのこと、毎日の新聞を届ける貴重な戦力を失った販売店には、私も現職中に2人の従業員を失っていることから、我が身のようなショックを受けました。
 
 改めて今回の災害で亡くなられた73人の方々のご冥福と、残されたご家族や関係者の皆さんには頑張って立ち直って欲しいものです。
 
広島土砂災害、発見遺体の身元判明 不明は女性1人に
 
 さて、本日津島市議会では、厚生病院委員会が開催され、9月議会に提出された議案審議の後で、平成25年度津島市一般会計や特別会計などの決算審査が行われ、午後7時40分まで審議したものの、多くの部署の審査が残っていることから、17日の予備日に再開することを決めて散会しました。
 
 私が議員になった15年前から昨年までは、決算審査については特別委員会を設置して、10月に審査を続けてきましたが、今年からは常任委員会で審査することになりました。
 
 定例議会の延長による決算審査は、資料を手にしてから見直す時間も限られており、私自身は25年度の監査委員だったことから、決算審査時に問題となった資料を持っており、監査委員として知りえた情報は口外してはならないものの、当時を回顧しながらの審査となりました。
 
 明日は文教建設委員会が開催されますが、平生の委員会の審議時間が一番長い委員会のため、明日も一日の日程では消化できない可能性が高く、予定された予備日を埋める可能性が高くなりました。
 
 週末の夜には名古屋で公共交通の勉強会が開催されることから、過去の議会以上に忙しい議会スケジュールとなり、せっかくの三連休ですが、旅立ちを準備する時間もなく、家族任せにはなりますが、楽しい三連休に期待したい心境の一日ともなりました。
 
                        本日の体重 78、0キロ
                                 9月10日の一言
追伸
食べ過ぎました。久しぶりの78キロ代です。

犬が家族となった現代社会の中で

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我家の相棒リマ 旅先のカバンの中から何が見えるかな?
 
 我家の相棒リマは、夜は私から2メートル離れた場所で眠り、買い物や外出時には連れていくようせがみ、旅行にいく場合はいち早く察知し、まるで子供のような存在となっており、大声を嫌う相棒の存在が、夫婦のいさかいを減らします。
 
 さて、埼玉県では盲導犬が電車内か駅で人に刺される事件が起こり、大きな傷を負っていたものの、盲導犬は訓練によってむやみに鳴かないよう飼育されていることから、痛みに耐えながらそのまま主人をサポートしており、人間でもありえないような辛抱強さに卑劣な犯人(人間)が許せない心境にさせられます。
 
盲導犬刺されけが 意図的な虐待か 我慢してほえず?
 
 一方で、犬が大嫌いな人々も存在し、我家にも相棒が事務所の留守番(事務局長)をするようになったため、絶対に入ってこなくなった知人もあり、家族と同じ感覚になっていても、犬嫌いの人々への配慮も必要かもしれません。
 
ペットも「家族」 一緒に避難、一歩前進 広島土砂災害
記事の続き…
 「おかしいな」。ベランダから山の方を見ると、雷雨のなか、波のように泥が迫ってきていた。とっさに命の危険を感じ、ランボーと家を飛び出した。
 ランボーの体重は54キロ。抱きかかえて逃げるのは難しい。ぬかるみに脚がはまって動けなくなると抱きかかえて引き上げてやり、泥だらけになりながら梅林小までたどり着いた。
 自宅近くでは多くの人が生き埋めになった。ランボーが異変に気づかなかったら、どうなっていたか。それを思うたび、「ありがとう」と愛犬に声をかける。
 梅林小では初日から、4階の「6年4組」をペットと寝泊まりできる部屋として開放した。飼い主とペットが一緒に過ごすことで、心が穏やかになるという。ペットが苦手な人やアレルギーのある人への配慮から校舎の端にある。連れ出して学校の敷地内を散歩することもできる。「動物の命も大切にしてもらえてありがたい」と女性は話す。
 梅林小の原紺(はらこん)政雄教頭によると、ペットの受け入れは区役所と相談して校長が決めた。飼い主同士でまとまって暮らしてもらうことを条件にしている。
 最近では、「廊下におしっこの跡がある」などと、他の被災者から苦情も出始めた。校内アナウンスや飼い主が集まる際に、注意を促しているという。(半田尚子)
     ◇
■ペットとの同行避難の実例
・別棟をペット専用施設にして、被災者の生活区域と分ける
・教室ごとに同行避難者と一般の避難者の生活区域を分ける
・ドーム形テントで同行避難者の生活区域を設ける
・「散歩時はリードを着ける」など避難所で飼育ルールをつくる
*環境省「災害時におけるペットの救護対策ガイドライン
 
元捨て犬、救助に生きる 広島土砂災害で活躍「夢之丞」
記事の続き…
 午後7時過ぎ、土砂が流れ込んだ民家の捜索で、ハルクがほえ始めた。しきりににおいをかいだ所から女性の遺体が見つかった。
 災害救助犬は生存者の救助が本来の役目。初日の捜索を終えて撤収した。
 4年前の2010年11月、夢之丞は広島県三原市にある県動物愛護センターにいた。殺処分される順番の日だったが、処分数が多くて翌日に回された。
 PWJは各地で救助犬の活躍を目の当たりにし、その育成を考えていた。この日、救助犬候補を探しに愛護センターを訪れていたPWJのスタッフが夢之丞を見つけ、引き取った。
 生後4カ月だった夢之丞は人への警戒感が強く、救助犬向きとは言えなかった。まずは人に慣れさせ、「待て」「座れ」などの基本動作を覚えさせた。その後、人の指示に従う訓練やがれきの中を歩く練習、山中で人を捜す体験などを繰り返し積み重ねた。
 それでも、人を捜すのに大切な好奇心の持続ができず、臆病な面もあるため、現場に出る一歩手前だった。一方、ゴールデンレトリバーのハルクは競技会で好成績を収め、いつでも出動できる救助犬だった。
 佐野さんには初出動を終えた夢之丞が自信のありそうな表情になったように見える。「人に捨てられた夢之丞が人を救う。夢之丞が生きている証しです」
 
 大きな被害となった広島県の土砂流出災害の報道にも、犬と一緒に避難する小学校の避難所の事例が発信されており、ペットが屋外の留守番役から、家族の一員として認識されるようになっている現代社会が実感させられます。
 
 また、広島土砂災害の現場で、泥まみれになりながら捜索にあたった災害救助犬が殺処分寸前の捨て犬だったとの発信もあり、4年前に薬殺処分を免れた犬が人のために働く現実に世の中の移り変わりを感じさせられます。
 
 新聞にも紹介されているように、環境省は「災害時におけるペットの救護対策ガイドライン」を発表しており、動物愛護管理法では「人間と動物が共に生きていける社会を目指し」ており、愛護動物をみだりに殺したり傷つけた場合は、2年以下の懲役又は200万円以下の罰金に処されるなどの罰則も決められています。
  
災害時におけるペットの救護対策ガイドライン
 
 さて、我家の相棒リマは、当初は3ヶ月の約束で預かっただけでしたが、私が手放せなくなったことと、飼い主の事情もあって我家の一員になり、今では私の助手席を指定席としていますが、小さな子どもが居ない殺伐とした我家では、家族をつなぐ重要な役割を担うようになっています。
 
                         本日の体重 79,0キロ
                                   8月29日の一言 
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