大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

自転車

何もできないままに一日が経過して










本日の写真です。

昨年10月に前立腺肥大症の手術を受け、手術後は当面自転車に乗らないよう指導されていましたが、本日は自宅から近い我が家の畑までですが自転車で訪れました。

明日の午前中に名古屋第一赤十字病院の整形外科を受診しますが、専門医の指導のもとに元気だった3月までの身体に戻していきたいと考えています。

さて、自転車と言っても私自身が自転車に乗ったのは記憶がないほど古い話で、私の自転車はパンクして乗れない状況のままで、しばらくは母親の自転車で足腰のリハビリに励みたいと考えています。

自転車の聖地となりつつ四国からの発信が続き

 昨年に還暦を迎え、今年3月に同級生が定年退職となったことで、有り余る時間に対して四国遍路を薦める時に、私自身が一ヶ月以上の時間を取れないことと、歩き遍路は大変なため、自転車による遍路を薦めるものの、現実には難しい問題が多く存在して大きな壁となります。
 
 一般論として、公共交通機関の電車やバスで自転車を持ち込む場合は、折りたたみ自転車か、タイヤ等を分解して袋に入れれば持込みが可能とあり、自転車を四国へ運行している長距離バスに持ち込もうとした知人が断られたことがありました。
 
 自転車を折りたためば新幹線でも積み込みが可能なため、バスや電車は持ち込めると思っている人も多いものの、現実には高速バスについては自転車やスキー板とかスノーボードは持込みが禁止されており、公共交通にも認められているゲージに入れたペットの持ち込みもできません。
 
高速バス車内含む、床下トランクへお持込をお断りしているお荷物
 1 長大荷物(大型楽器、自転車、サーフボード、スキー用品、スノーボード等)
 2 貴重品、その他走行中に損壊する恐れがある物
 3 愛玩動物(ゲージその他に入れてトランクへのお預かりもお断りいたします)
 4 危険物及び、他のお客様に危害を及ぼしたり迷惑をかける恐れのある物。
 5 車両を破損させる恐れのある物
 
 さて、本日の新聞報道では、折りたたまずに自転車を持ち込めるサイクルトレインが19日、JR予讃線と予土線で走り始めたと発信されており、折りたたんだり分解せずそのまま列車に乗り込めるのは心強い発信です。
 
自転車そのままで乗車OK JR予讃線などで春秋に運行
記事の続き…
 松山市のJR松山駅で出発式があり、今治市の長野和幸副市長が、和田竜(りょう)さんの小説「村上海賊の娘」が本屋大賞を受けたことを引き合いに「往時の水軍や海賊を想像しながら一日楽しく遊んでください」とあいさつ。1番列車にサイクリスト24人が乗り込んだ。
 愛媛銀行の行員でつくるサイクリングクラブは8人がそろいのブルゾン姿で参加、大島や伯方島など80キロ近くを走る計画という。メンバーの森拓(たくみ)さん(31)は「サイクルトレインは初めて。車と違ってみんなでワイワイできるので親睦が深まると思います」。
 しまなみ号の運行は春が5月25日までの土日祝日15回、秋が9月14日~11月24日の同じく25回。1日1往復で途中の停車は波止浜(はしはま)駅(今治市)だけ。運賃は大人が片道千円。事前予約制でJR四国ワープ松山支店(089・945・1689)へ。
 一方、四万十号は春が5月25日までの土日祝日15回、秋が9月20日~11月3日の同じく17回。1日1往復で北宇和島、真土、若井を除く全駅で乗り降りできる。ダイヤ通りの列車(海洋堂ホビートレイン)に自転車専用の1両を連結して運行するため、運賃は通常(宇和島―窪川間で大人1850円)と変わらない。
 どちらの列車も、車内では自転車をゴムひもでつり革や手すりに固定。サポートする要員も乗る。
 
 もともと広島県尾道市と愛媛県今治市を結ぶ全長約70kmの瀬戸内しまなみ海道には、日本で初めての海峡を横断する自転車道(瀬戸内海横断自転車道)があり、しまなみ海道はサイクリストの聖地とも呼ばれていますが、ちなみに、本州と四国を結ぶ「明石海峡大橋」や「瀬戸大橋」は自転車での通行ができません。
 
 広島県尾道市では、しまなみ海道を対象としたレンタルサイクル事業の窓口があり、広島県と愛媛県を結ぶバス会社「おのみちバス」は、バス車内に自転車を無料で積み込める路線バス「しまなみサイクルエクスプレス」の運行を月末から始めるとの発信もあり、自転車による四国遍路を考える人には朗報となります。
 
                                    4月20日の一言

自転車のサドルの上の一日に

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本日のサクランボ…まだ青い実もあります
 
 本日は午前9時に次男のマウンテンバイクに乗って出発し、待ち合わせ場所となっていた珈琲店を訪れたところ満席で、そのまま車輪を北上させ稲沢市大塚町の喫茶店で休憩し、最初の目的地「せんき薬師」を訪れ、その足で近くの性海寺に立ち寄りました。
 
イメージ 1 「せんき薬師」西福院では今月18日から21日まで、四国八十八ヶ所霊場の「お砂踏み」が行われ、性海寺は「あじさい寺」として有名なお寺で、こちらは6月1日から27日まで「あじさいまつり」が開催されますが、今はツツジが満開となっており、山門の裏には「なんじゃもんじゃの木」も見事な花を咲かせていました。
 
性海寺・あじさい寺を紹介するブログ http://toppy.net/tour/100619.html
 
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 本日は西風が強く、自転車をこぐ足にも堪えますが、進路を西に向け、ここも私のお気に入りの場所ですが、矢合町にある「矢合観音」まで走り、観音様に参拝後に水を一杯飲み干し、そのまま参道入り口にある「小玉食堂」に入り、昼食としましたが、ここの主人とは私だけでなく、同行した知人も同級生のため、昔話に花を咲かせる昼食タイムとなりました。
  
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 矢合観音を後にして、強風に向けて西に30分走ると、旧祖父江町の森上駅があり、駅から50メートルの場所に大正11年に創業した和菓子の老舗「松月堂」があり、友人は「祖父江砂丘」と銘打った饅頭をもとめ、私は子供の日が近いことから、「柏餅」と「ちまき」を購入しました。
 ここでお茶でも貰って食べようと考えていましたが、店内での飲食はお断りとの話から店頭に立つと、「何所から来たの?」と行き会ったお客さんに問われ、「津島です」と答えると、「現役の頃には、ここから毎日津島まで走っていた」と言われ、勤め先を聞くと、名鉄バスの津島営業所で、毎日我家の前をバスで走っておられたことと、私の父親も名鉄の職員だったことから、旧知の職員名を挙げると知り合いだらけとなる関係にはびっくりとさせられました。
 
  
イメージ 5 老舗の和菓子屋さんで、お茶を飲んで饅頭を食べようとの魂胆が外れたことから、そのままペダルを踏み続けて、祖父江町でも北に位置する神明社の隣にある「永張寺」に自転車を停め、ここの本堂前で一服することとしましたが、この寺のご住職は、私の高校時代の恩師であり、私の母親の同級生であることから、挨拶をして本堂に入れてもらいましたが、恩師は不在であったことから、何も手土産を持参もしなかった非礼を反省する訪問ともなりました。
 
祖父江善光寺東海別院 http://www.zenkoji.com/
 
 さて、ここから善光寺に参拝し、途中で珈琲とケーキを食して、帰宅したのは午後5時を廻っておりましたが、一年ぶりとなった自転車による遠出(趣味とする人には近所でしょうが)は心地よい疲労を身体に与えてくれました。
 
 明日は娘が婿と孫を連れて帰ってくることから、孫を連れて外出を勝手に予定していますが、家族サービスが希薄になっていることから、今晩は家内と映画鑑賞に出かけることとなりました。
 
                                  5月4日の一言

愛知・岐阜・三重が連携した感動に涙

 本日は家族が掃除に専念していましたが、私が一週間前に上高地から持ち帰った「水」が捨てられており、毎日の一口から水の美味しさを実感していただけに、「何故、勝手に捨てたんだ」と怒鳴ると、「そっちが、掃除しろと言ったくせに」と次男が反論しましたが、置いておいた自分にも落ち度はあり、「ごめん」の小さな一言に矛先を収めました。
 
 こうして掃除を繰り返すうちに、私の大切にしていた物も捨てられ、私の父親が満州から持ち帰った遺品とも言うべき水筒も家内に捨てられ、小学生の時に作ったプラモデルも、自分で分解していた二眼レフのカメラも姿を消し、高名な陶芸作家から頂いた一輪挿しの花瓶も、割れた事で子供が怒鳴られると思った家内が捨ててしまい、捨てたことが判った時はそれから数年も経過しており、「修理しても価値はあったのに…」と呟いたものの…
 
 墓の掃除に走ったものの、墓の位置がお寺の一番奥にあり、お寺の裏には1キロほど家も無い田園である事から、水をかければ強風によって自分にかかり、手を合わせる余裕もない寒波に追われて退散です。
 
 その後立ち寄ったスーパーは満員で、レジも行列のため家内は買い物を諦めて帰宅となりましたが、最近は午後に「獣医ドリトル」が放映されており、雑誌の漫画を見ていたことと、最近の私は犬々病になっていることから何も手につきません。
 
 自分では正月気分にはなっていないつもりが、テレビが正月モードに入っており、仕事も手につきませんから、家内に文句を言われ続ける一日となり、夕方には娘夫婦が孫を連れてきたため完全な「ジジー」の夜になったようですが。
 
 本日の一番の感動は、競輪グランプリの中継を見て、息子の自転車競技の一年先輩となる愛知県の深谷友広選手が出場し、私は優勝を期待していましたが、「早すぎるぞっ」と叫びたい先行飛び出しも、そのまま逃げ切りを期待し続けた結果は、最終コーナーで失速…
 
 しかし、
 
 息子がスタート前に、「今年優勝したら深谷選手の来年が無い」と言っていましたが、優勝したのは岐阜県の山口幸二選手(43歳)で、スパートをかけて逃げきりを図る深谷選手の真後ろには、三重県の浅井康太選手と岐阜県の山口選手が追走していたんですね。
 
 9人の出場選手の中で、私は愛知県の深谷選手のみを応援していましたが、その深谷選手は、岐阜県と三重県の競輪選手と一団となってレースを展開していた事を結果から知らされ、繰り返し流される映像に目頭が熱くなりました。
 
競輪グランプリ 山口選手優勝
 
山口幸二選手の話 12年ぶりの出場で優勝できて感慨深いものがあります。(前を走った)深谷、浅井が頑張ってくれたおかげです。ありがとうと言いたい。最後の出場になるかもしれないと思って競輪場に呼んだ両親も喜んでくれたと思う。
 
 競輪が判らない私や一般人には、競輪はギャンブル好きな人々の賭け事としか映らないかもしれませんが、こんな感動するレースが展開されており、これからも地元選手の活躍を期待していきたいと思います。                                                        12月30日の一言
追伸
 ◆深谷知広メモ
 ☆生まれ 1990年(平2)1月3日、愛知県安城市生まれ。同年4月、競輪界では吉岡稔真氏(本紙評論家)が小倉競輪場でデビュー。同氏は2年後の92年3月、前橋ダービーを当時デビュー最速で制し“F1先行”ブームを巻き起こした。

 ☆少年時代 父・兼市さんが競輪好きだったこともあり一緒にテレビで観戦。05年、自転車部がある私立桜丘高校(愛知)へ進学。

 ☆高校時代 07年、国体の自転車競技スプリントで優勝。07年8月には1キロタイムトライアルでジュニア日本新記録(1分05秒238)を樹立。08年アジアジュニア選手権ではスプリント・ケイリン・チームスプリントの短距離3冠を達成。

 ☆恩師の評価 「ずんぐりむっくりした生徒だった」と第一印象を話すのは指導した自転車部の林泰弘顧問。「根性丸出しのタイプではないが“記録は全て塗り替えたい”と思っていたんじゃないかな。研究熱心な自転車小僧だった」と振り返る。

 ☆競輪学校時代 08年、日本競輪学校(静岡・伊豆市)に第96回生として入校。脚力をつけるため逃げに徹し、在校成績2位、卒業記念レースは決勝5着も教官の評価は断トツだった。

 ☆選手デビュー 09年7月22日、地元の豊橋競輪場でプロデビュー。デビュー戦は2着に10車身差以上をつけて逃げ切り。以降、無傷の9連勝(3場所連続完全V)でチャレンジレース(A級3班戦)を卒業。デビュー18日での卒業は08年の現行制度導入後、最速。その後、連勝を18に伸ばし、史上最速(56日)でS級特進。デビュー113日目にS級初勝利を挙げ、83年4月にS級が創設されて以降、史上最速記録を更新。連勝は20まで伸びた。

息子のお蔭で久々の白馬へ

 昨日から長野県白馬村に居ましたが、本日は息子の自転車ロードレースが小川村で開催された事から、午前6時には山上のゴール地点にある『星と緑のロマン館』に待機していましたが、麓の『ぴっくらんど小川』まで荷物を取りに走る事となり、慌ててゴール地点に戻る慌ただしい朝となりました。
 
イメージ 1 息子の出場したBR・1は95人が出場したものの、25人しか完走できない厳しいレースとなり、30位から50位の間で周回していた息子もタイムアウトでリタイヤです。
 タイムアウトの選手は自転車を回収されたトラックの後ろから、マイクロバスでリタイヤした仲間と強制収容されて淋しい降車です。
 
 サイクルロードレース小川は一周約16キロで、高低差500メートルの公道を走る難コースで、実業団トップクラスの選手が集まるレースで、完走する事が難しい事と、息子自身が苦手とするコースを承知で、昨年優勝した宮田村のレースを欠場までして参加しただけに残念な帰路となりました。
 
 さて、かつては庭のようにしていた信州ですが、しばらく四国に目が向いていた事から、過去の記憶のままに停まっていましたが、昨日訪れたラベニュー栄の御主人の立派な戒名を見てお寺を聞くと、曹洞宗古刹の長谷寺(ちょうこくじ)の存在を知りました。
 
 一方で、小川村にも信濃三十三観音札所の結願所となる高山寺(こうがんじ)には、立派な三重の塔があり、「木食山居」による千躰佛があると知り、これまで山とか自然を目的としていた信州の神社仏閣の魅力も感じました。
 
 レース結果が悪かった事から何も言いませんでしたが、自分の自由な発想なら大会後に上高地に立ち寄る位は苦にもなりませんが、一目散の帰宅のために午後4時半の『横井庄一記念館』の閉館時間に間に合い、門前と門柱の看板を片付ける滑り込みの義理立てとはなりました。
                                   7月25日の一言
本日のレースの様子です
               http://www.roman-kan.net/news/detail_228.html

久々のロードレース同行に

 昨日から三男の自転車ロードレースのため広島県三原市に来ていましたが、過去の大会に私が同行すると落車やパンクが多いことから、何事も無い事を願って会場のゲートが開く午前6時前から車を並ばせました。
 
西日本ロードレース大会 http://www.jbcf.jp/race/2010/westjapan/index.html
 
イメージ 1 息子の出場するBR・1クラスは186名がエントリー(息子の湘南ベルマーレ・コムレイドからは5人が出場)し、コースを5周(61.5km)しますが、これだけの人数になると息子の姿も確認できないままにカメラを構えます。
 
 こんな中年の親父でも、かつては高校野球やイベントのカメラマン役をやっていた事から、撮影場所だけは本業のカメラマンの立つベストポジションの前に出て、スタートを待ちます(右の写真)。
 
 私が息子のレース会場に同行するのは昨年夏の鈴鹿サーキット以来で、この時は国際ロードレースのみにエントリーしていましたが、スタート時点でタイヤがパンクしており、写真を撮影する機会もないままに終わりましたが…
 
イメージ 2 今回も一週間前から風邪をひいており、体調が万全ではないものの、親としては先頭集団で走ってくれる事を期待しておりましたが、スタート直後から第2集団につけてピッチが上がってきません。
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 途中ではかなり苦戦して走りに余裕がありませんが、最後は50位くらいに戻してフィニッシュし、縁起の悪い私にも笑顔で戻ってきましたのでホッとしました(写真右はレース後に記者と談笑する息子です)。
 
イメージ 4 さて。息子たちが5周している間に、女子選手のレース(コースを3周・36.9km)が終わり、息子と同じチームで活躍する星川選手(香川県)が3位に入りましたが、最後までトップで引っ張っていただけに悔しい表彰台かもしれません。
 
 星川選手は息子と同年で、高校時代から日本女子のトップ選手として活躍しており、来週開催される乗鞍ヒルクライム大会にも出場し、昨年の優勝者だけに今年も優勝が確実視されています。
訂正※星川選手は乗鞍ヒルクライム大会に出場しませんでした。
 
イメージ 5 残念な事は、我が息子が乗鞍ヒルクライム大会には出場せず、自前のタクシー車輌でマイカー規制の中を堂々と応援に行く予定をしていただけに肩透かしですが、学業優先のため今年は完走すること自体が厳しい大会だけに出場を絞っており、次は一ヵ月後の長野県小川大会まで練習だけの日々が続きます。
 
 右の写真は息子のレース後にスタートしたERの選手達ですが、昨年4月に息子もこのクラスで実業団選手としてスタートしたのを思うと、初々しさからスタートに見とれていました。
 
 私はこの後で、昨年秋に亡くなった遍路仲間の金久さんの弟さんの自宅(三原市在住)を訪ね、尾道ICから帰路となりました。山と海と綺麗な水に恵まれた三原市から、「海も無い、山も無い、水も汚い。津島市には何があるの?」と問われる一日でもありました。
 
 「せっかく尾道に来たのに…」と呟くと、「何か食べさせてくれるの?」と家内の返事ですが、「早く帰ろう」の合唱だっただけに、高速道路に入ってからの一言に大いに反省する一言ともなりました。
                                    6月20日の一言

パンクも良薬と解釈したいものです

 本日は三男の自転車レースのために、家内と次男とともに三重県の鈴鹿サーキットに午前10時には到着しましたが、息子の出場するレースは午後2時過ぎとなる国際ロードレースのために、観客席に座ったまま4時間も待つ事になりました。

 国際ロードレースはツールドフランスに出場した別府選手も出場するなど、多くのプロ選手が出場するメインレースで、息子はかつてのアトランタオリンピック代表の真鍋選手に「一緒について来い」と言われて意欲を見せておりましたが…

 4時間も待ったレースのセレモニーが終わり、息子の姿をカメラの望遠レンズにとらえていましたが、スタート直後から息子はずるずると後退し、最後尾につけるとスタートした選手から離れて、コースから外れて退出口に向かいます。

 パンクです。スタート時にパンクが発覚し、そのまま止まると他車の転倒になるために、そのまま後退してコースを外れたとの話に、たった1分で本日の我家の一日が終わりました。スタート前にチームのスタッフに念入りに自転車のメンテナンスを受けていたようですが、無情のパンクです。

 一緒に連携して走る約束をした真鍋選手や、一緒に先行しようと話していたチームの仲間とも話す事もなく、「真鍋さんはパンクしたとは知らず、今も走り続けているだろうな」と寂しさを残す結果となりましたが、パンクも良薬と思われます。

 さて、息子は実業団のコムレイドに所属し、現在ER部門の第2位にランクされており、9月の重要レースに出場すれば通算得点から上位のクラスに昇格が決まりますが、昨年までの短距離系からロードの長距離系選手に変身中ですが、昨年1位となった最高速チャレンジは、昨年の雨天時の記録より4キロも低かったものの、尊敬する真鍋選手から「やっとロードの選手らしくなった」と誉められたそうです。

 パンクは残念ですが、最高速で走る下りでのパンクは転倒して大怪我の可能性もあり、スタート時のバンクで全く走る事無くリタイヤした事は幸いで、次のレースにつながりました。

 「そう言えば、お父さんが来ると必ず…」と、私が同行した春の大阪での転倒大怪我が話題となり、かつて次男の相撲大会に伊勢志摩まで同行していった際には、車が廃車に至る顛末まで話題となりました。「元々三重県は縁起が悪いんだから…」と、家内から私のジンクスまで発せられました。

 こんな事が続くと本当に私が同行すると縁起が悪くなりそうですが、来週は新型インフルエンザが心配となる兵庫県に走り、飯田市では上位クラスでの出場も予定されており、「写真を撮らせてください」と言われるファンの出現にも親バカで同行が続きます。
                               8月30日の一言

徹夜で組み立てられた自転車が届き

 「おはようございまーす」の大声に飛び出していくと、宅配便の車が止まっており、日曜日のロードレースで三男は先頭集団の転倒に巻き込まれ、自転車を引っ張ってゴールしたものの、全損となったためにチームの監督さんが徹夜で仕上げた自転車が届けられたのであった。

 三男のチームは横浜を本拠としている「コムレイド」で、今回は本拠地に近いために先頭集団の絶好の位置にチームの5人が揃い、ゴール前2百メートルで飛び出そうとした瞬間に、転倒した自転車に巻き込まれて4人が転倒し、2人は救急車で運ばれる事態となったそうです。

 幸いにして三男の自転車は壊れたものの、身体は軽傷であった事から、リタイヤではなく引きずってでも完走はできましたが、チームプレーで誰かがトップを狙えただけに、日頃から単独のレースが多い三男にとっては絶好の機会が残念な結果となってしまいました。

第5回全日本実業団富士スピードウェイロードレース大会
平成21年7月5日(日)富士スピードウェイ
ER・124位 http://www.jbcf-net.org/result/20090705_fujiSW_result.htm

 さて、全損と言うと簡単な一言のように聞こえますが、競技用自転車の値段は高く、これまでも落車するたびに修理を繰り返してきましたが、今回は監督さんが壊れた自転車を持ち帰り、殆んどが新品に組替えられて送られてきました。

 もっとも、今までにも連絡すれば部品の提供は受けられたようですが、三男が悪いと思って親のスネをかじっていたようで、今回は徹夜で組み上げたコムレイドの監督さんと、スポンサー企業の恩恵によって、来週も安心してレースに参加できる事となりました。

 来週は乗鞍スカイラインでレースがあり、翌週は福島県石川町、その翌週は長野県小川村と、三男は学生の身分でありながら、チームの監督さんやスポンサー企業のお蔭で、プロと同じようなレース環境をいただいており、家族の悲鳴は嬉しい悲鳴と割り切り、感謝しなければならないと思う一日となりました。
                                  7月7日の一言

息子に行動の手足をもがれて

 私の移動(行動)手段である車が、三男が明日開催される自転車レースに出場するために会場の富士スピードウェーまで家内と走っており、日頃オンボロと言われている我が愛車が必要とされる半面で、私にとっては手足をもがれて本日は事実上休養となった次第(夜の会合はありますが)でもあります。

 会場となる富士スピードウェーであるが、受付は前日の本日中に済ませる必要があり、会場の駐車場が朝の午前4時に開門となる事から宿泊しても夜中に起きる必要があるものの、レースも朝の9時には終わってしまう事から、足を伸ばして仮眠のできる私の車で十分との話となった。

 ただし、私の行動に制限ができる事から、昨日には息子が自転車のタイヤを修理するのに同行し、パンクしたままとなっていた私の電動自転車も修理に持ち込み、本日の足用として備えたものの、雨は上がったものの暑さと日焼けのため眠らせたままとなりました。

 さて、昨日訪れた自転車屋さんは、ロードレースを愛する愛好家たちで40数年続く愛好会を続けられており、私が頭の中に思い描いている地元津島市での自転車大会を今秋に開催する話をしたところ、メンバーの会長さんに話して前向きに検討していただける事になりました。

 私自身も、教育委員会の幹部や道路担当者にはこの構想が話してあり、愛知県の自転車連盟の会長(前犬山市長)にも先輩議員を通して支援の依頼がしてある事から、今年の11月には公式レースは無理であっても、模擬レースと自転車の安全講習や健康のための教室を開催したいと考えており、息子を縁にして実現に一歩近づいたように思います。

 これが回数を重ねる事により、全国から自転車のロードマンが津島市に集まるようになれば最高で、人が集まれば宿泊の必要性とか、観光についても光明が見出せるようになると思います。忙しいとは言いながら、新たな企画には目が移ってしまう悪い癖ですが、久しぶりに明るい話題が提供できそうです。

 今年は10月4日(日)の秋祭りにも市外各地の障がい者に呼びかけ、障がい者が当たり前に参加(鑑賞)できる祭りを愛知県に提案して予算が獲得してあり、ここに自転車によって県内各地から人々を呼び込めれば、私個人の働きとしては合格点をいただけるのではないだろうか。
                                   7月4日の一言

道も知らずに広島に行った家内に

 本日は家内が三男をと自転車を乗せて広島県を目指しておりましたが、夕方には目的地に着いたものの、私の説明が悪かったために大変な遠回りになったと連絡がありました。

 「お父さんが名神はダメと言ったから」
 「そんなこと言った覚えはないが」
 「言ったから、名神へ入らなかったら25号線に入って」
 「じゃー、奈良から行ったのか?」
 「名神はダメと言ったから…」

 何度聞かれても言った覚えがなかったが、よくよく考えてみると、家内が「名神をずっと走って行けば着くね?」の質問に、「そうじゃなくて、中国自動車道から山陽道を走る」と答えた記憶がよみがえったが、家内は亀山から国道25号線に入り、奈良から大阪を経由して広島に走ったのであった。

 愛知県からは東名阪から第2名神へ入り、名神、中国、山陽道と走れば、5時間くらいで広島の三原市に到着する予定だが、親切に印刷した行程表も見なかった事と、判らないのに走っていく家内と三男の恐ろしさにびっくりである。

 今回の広島行きは、三原市で開催される三男の自転車レース出場が目的ですが、実業団の最新のランキング表では7位にランクされている事と、3位以内に入れば上級のクラスに昇格できる事から、家内も当たり前のようについて行ったものの、三男が自転車で現地を試走している間、家内は一人車内で今晩の宿泊場所の心配をしているのである。

第43回全日本実業団西日本サイクルロードレース大会(広島県三原市)
      http://www.jbcf-net.org/entry/20090921_hiroshimaRoad.pdf
実業団最新ランキング http://www.jbcf-net.org/ranking/ER.htm

 私の車であれば車内で寝る事も可能ですが、家内の車では自転車を積むとイスも倒すことができず、そんな状態で夜を明かしてレースには出られず、会場周辺のホテルは満杯のようで、我家で私が検索するものの、パソコンでは親子でラブホテルしか見つかりません。もっともガソリンスタンドで尋ねて一般のホテルを見つけられるから、男の私よりは何とかなるのでしょうが。

 さて、行っている本人達も大変だが、我家に残された私達も食事は何とでもなりますが、犬の餌と散歩は私の仕事と決められており、雨の中を傘をさして夜中に散歩は堪りません。
 我家の愛犬「もも」は、中型犬で色は黒色ですが、子供より気が小さく、足元のカエルや虫にも驚き、寝ているところに突然手を入れると噛む癖もあり、今晩も次男が噛まれて叱られて悲しそうな顔をしています。

 明日の朗報を心待ちとしたいものですが、「頑張れ」と言って落車してケガをされても困りますし、勝って生意気に振舞われるのも困り、今回も忙しいための留守番ですが、このままでは私の出番は皆無となりそうな雰囲気もあり、消化できない仕事の整理に光明が見えません。
                                  6月20日の一言

「千枚田でナンマイダブツ」…ツールド熊野

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 私は苦痛の休日となり、横井庄一記念館の一日となりましたが、来館者がないことを幸いとして展覧会に出展する書を書き入れましたが、何枚書いても筆が走らず、紙(腕)が悪いのか書けば書くほど乱雑となってしまいます。

 気分を変えて帰宅後にも書き入れましたが、やっぱり駄目なところに指まで悲鳴をあげる始末となりながら、何とか書き入れた書を昨年の作品と比べると、やっぱり出展できる代物ではなく、比較するまで気がつきませんでしたが、墨が薄すぎて紙に滲むために、書けば書くほど悪くなっていた事が判りました。

 他人の家で、しかも陽の当たる縁側で書き入れていたために、目の疲労も強く、間っ黒に硯をすり直しましたが、腕(の悪さと)や指先に余裕もなくなり、夜まで書き入れたものの明日の朝に仕切りなおしとした方がよさそうです(無駄な努力をしました)。

 さて、3日前から紀伊半島の新宮市や熊野地方を舞台として開催されていた、自転車のロードレース「ツールド熊野」から三男と家内が帰ってきました。

 息子は実業団のERクラス(最高のBRクラスに挑戦中)に属して、初日に4位に入ったとのメールを残しただけで、昨日は落車して負傷するとともに自転車も損傷(完走はしました)したとの電話から心配していましたが、最終日の本日は5位に入り、総合8位の成績だったとの朗報です。

 このまま上位の成績を続けるか、3位以内に入ればBRクラスに昇格できるとの事ですが、一瞬の事故や落車に巻き込まれればそれも遠い先の話となります。「早く上ってこい」と監督に言われ、昇格すると国際レースも視野に入るためしばらくは我慢です。

 「千枚田で(何枚田仏⇔南無阿弥陀仏)ナンマイダブツ」の一言は、昨日息子が落車した場所が山道の千枚田の所だった事から、久しぶりに再会した大先輩の真鍋選手(アトランタオリンピック代表)に言われた言葉のようですが、国際レースに出場する選手と一緒だった事から刺激にもなったようです。

 6月は21日に広島のレースへの出場が予定されており、前日には広島入りとの話ですが、私は議会中であり、月末には「四国遍路」を予定している事から、次も家内の同行となりそうですが、私が行く度に落車では困るものの、行かない方が好成績が続くのも同行する機会を逸してしまいそうでもあります。

 こんなことを記しているうちに時計は極めて明日に近くなりました。明日も市役所、県庁と忙しい一日となりますので、今晩は急いで風呂に入りこのまま寝ることにいたします。
                                  5月31日の一言
追伸
写真は息子を掲載していただいた新宮市の自転車屋さんのブログから拝借しました。↓
http://blog.murablo.jp/wheelaction/

3人乗り自転車認可は軽率ではないか

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 本日の新聞に3人乗り自転車が今年の夏から認められ販売されると報道され、割高になる事から自治体の助成が必要と警察庁の検討委の意見も記されているが、本当に3人乗り自転車が必要とされ、自治体の助成まで必要としているのか議論が不足しているのは否めない。

 3人乗り自転車があれば便利とは思うが、同じ道路を同じ車輌として車で並走する立場とすれば、自転車用の通行路を確保するのが先決で、歩道から車道に飛び出してフラついた3人乗り自転車と接触する危険性を考えると素直には喜べない人も多いと思う。

6歳未満の子どもを自転車の前と後ろに乗せる「3人乗り」について、警察庁は、車体に十分な強度があることなどの要件を満たせば認めることを決めた。今後、都道府県の公安委員会規則の改正作業に入り、夏には実際に乗れるようになる。ただ、メーカーなどが開発中の専用車は通常車より割高になる見通しで、自治体の助成などが普及のカギになりそうだ。
朝日新聞記事全文↓
http://www.asahi.com/national/update/0409/TKY200904090051.html

 報道された写真を見る限り、転倒に対する安全対策には二輪の限界があり、3人乗りを認めるのであれば三輪車の方が安全で合理的と思うが、深夜のニュースでキャスターが「主婦の声に耳を傾けた決断を評価する」と語っていたが、私は発売の前提となる道路などの安全対策が何も語られない事から、最近の市民受け狙いの行政にも疑問を呈したい。

 さて、3人乗り自転車が発売され、車と衝突すれば一度に3人の命が一瞬にして奪われる危険性もある。道路交通法が改正され、自転車に対する罰則規定が強化されたものの、車道と歩道を交互に走る自転車のあいまいな環境は変わってはおらず、3人乗り自転車は法律で厳禁されている自転車の2人乗り以上に危険であろう。

 最近の定額給付金や、高速道路の低額通行など、国の巨額な債務を残した財政状況の中で、政権の不安定な状況から生まれる軽率な(人気取り)施策は、我々にひとときの喜びを与えるが、いずれ巨額に膨らんだ借金のツケを支払わされるのは国民であり、今回の3人乗り自転車も利用者には慎重な判断を求めたいものでもある。
                                  4月9日の一言

考えなくとも群馬行きとなりそうです

 昨日の一言に、20年来続けてきた『朝日旅行友の会』の企画を先送りした顛末を記しておりましたが、夕食時の会話から三男が月末に参加する大会は、群馬県が会場となっている事が判明し、私が車に自転車を乗せて走らせる事となりました。

 息子は明後日にも伊吹山で開催される大会がありますが、私は横井庄一記念館の留守番があり、家内が自転車と息子を乗せて走りますが、目的地が群馬県では家内もお手上げで、私が運転手となりましたが、目的地となる群馬サイクルスポーツセンターが何処にあるのかも判らず、かつて巡拝した坂東33観音や秩父34観音の地理を目安に行程を考えていると私の楽しみになってきました。

4月25日(土):第1回群馬CSCグランプリ
4月26日(日):第43回全日本実業団東日本サイクルロードレース大会
主催・全日本実業団自転車競技連盟 (群馬県利根郡みなかみ町)
会場・群馬サイクルスポーツセンター http://www.gummacsc.com/

一宮IC -> [名神] -> 小牧 -> [東名] -> 小牧JCT -> [中央道] -> 岡谷JCT -> [長野道] -> 更埴JCT -> [上信越道] -> 藤岡JCT -> [関越道] -> 月夜野IC
424.6km 9,000円 5時間05分 ⇒1,000円

 数日前の一言に、高速道路の休日割引はあまり効果がないと記していましたが、この場合には前日の金曜日の夜に出発するものの、到着時間が土曜日になる事から、本来なら片道9千円する高速の通行料金が千円で済む事となり、早速の効果を実感する事になりそうです。

 さて、6月にも岡山県か広島県の大会があるとの話から、私は息子と自転車を運ぶために全国へ走る事となりそうですが、そうなると地域の皆さんと旅行に行く日程も難しくなり、個人的に出向きたい四国や上高地などを考えると嬉しすぎる悲鳴となりそうな雲行きです。勿論、四国や乗鞍岳の大会は大歓迎ですが、今年はこんな顛末も紹介できそうになりました。
                                   4月3日の一言

久々の自転車に身体が悲鳴をあげ

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 本日は3月議会の中で貴重な空白時間が出来た為、久し振りに自転車で外出したものの、運動不足から自転車に乗る尻が痛く、気候の変わり目で体温が気温に順応できずに、汗が噴出しそうになるものの寒風も身に凍みていると、私のためとしか思えない雨が降り出し、知人宅に寄り道して珈琲屋タイムと化してしまいました。

 さて、添付した写真は息子に貰ったお古のヘルメットであるが、喜んでかぶった姿を見た家族に笑われて、自分の顔には帽子が似合わない事から、ヘルメットも同様であると自覚させられ、本日は同じく息子に貰ったサングラスのみで外出したものの、これを被るにはかなりの度胸が必要とされます。

 昨年夏の鈴鹿サーキットでの息子や出場した人々の姿に感化され、今年は自分も出場したいと思ったものの、体力も度胸も自信がない事から、仲間を誘って参加を予定していますが、現在3人しか揃っておらず、しかも1人は自転車に乗った事も記憶にないほどで、「私で大丈夫でしょうかね?」と問われて、私より下手な人は重要なために「大丈夫、大丈夫」と言ってあるものの、出場する自転車すら無い現状は、そろそろタイムリミットを迎えそうでもある。

 自転車を降りて、珈琲屋へ移動する知人の車中では、中々出なかった汗がにじみ始め、もう少し走ったら身体中の古い体液が汗となって噴出したかと後悔するも、太ももが限界と言うよりも、肩や腕が筋肉痛で、昨年末に続けた運動の成果は皆無となっている現実も悟らされました。

 「まだまだ若い…」と言っても、息子について行けば足手まといとなり、独りで走るのも中々第一歩が踏み出せず、やっと手に入ったヘルメットを被れるのは何時の事になるのやら…。
 ちなみに、ヘルメットには息子の高校の先輩である、中日ドラゴンズの堂上選手と、楽天の山崎選手のサインが入っており、「練習ガンバレ」と記されているのも気恥ずかしいが、これを身につけられる脚力がつくのであろうか。

 息子は週末に大阪の大会を控えており、朝から自転車の練習に出かけていたが、私が帰宅するとツクシが山となっており、木曽川の堤防で摘んできたとの話に、自分なりの楽しみ方を考えるのも一考かと考え、カメラにフイルムを装填しましたが、一枚目のシャッターチャンスも何時になる事やら…
                                    3月16日の一言

30年前の自転車にまたがって

 数日前より自転車にまたがるようになり、30年近く前の自転車とは言え、当時では人々が買わないような20万円近くした「ユーラシア」という自転車であるが、車体にサビが浮き出てはいるものの、愛用の電動自転車よりは楽に走れてスピードも出る事から磨きながら走らせている。

 もっとも、この自転車は私の物ではなく、独立開業してまもなく親から預かって雇用していたM君が買ってきたもので、私は大反対であったが、彼は母子家庭であった事から、それまで欲しいのを我慢していたらしく、自分の働いた金で当時の月給より高い自転車を買ってきてしまったのであった。

 挙句に誕生日が来るとオートバイの免許を取り、最初は原付きバイクで我慢していたものの、大型二輪を購入して仲間との遊びに精をだすようになり、そのまま我家に置いたままになったのが前記した自転車で、10年ほど前にタイヤを換えて私が乗ろうとしたが、結局乗る事もなく放置してあったのでもあった。

 不思議な事に、この自転車に乗り出してから、日頃からの運動不足で足は筋肉痛となり、頭のコメカミや首から身体中が悲鳴を挙げているが、腰の辺りの違和感が無くなり、血が身体中を循環している実感があり、これが続いたら私のメタボリックな身体も少しは改善されるとは思うものの、いつまで続けられるものなのかどうか…

 早朝から自転車の練習に出て行った三男が、雨のためにしばらくして帰ってきた。本日は朝から天候がすぐれず、雨は降ってはこないが何時降っても不思議でない天気に、午後から三男と家内の在所(約15キロ)まで走って行こうかと話していると、午後からは私へ訪問の約束があったらしく暫し待機となった。(私への用なら先に言っておくべきだが…)

 そんな訳で、本日は暗くなってから、サドルの位置を上げ、ハンドルの位置を一番低くするように息子に言われ、苦戦しつつも息子が試走したところ、自分のロード車と変わらぬスピードが出るとの話から、息子に30キロのスピードで走り続けるよう依頼して、町内を追走してみたが、欲を言えばキリがないもののこれで結構走れるものかもしれません。

 「それでも十分に戦える」との息子の言葉に感化され、「まさかー」とは思いつつも、ペダルを換え、ハンドルのテープを巻き直せばと考えると、M君の高いと思われた買い物も、「安物買いの何とか…」よりも息の永い価値が見いだされそうにもなり、しばらくは走ってみようとの気持ちにさせられるのでもある。

 ただし、持ち主であるM君の消息は、同級生で親しかった知人達にも判らないもようで、「大鹿さんなら調べられるんじゃない」、「いや、いや」と、議員に期待されても何ともならず、当時の懐かしい従業員と一同に会したい気持ちを持ちながら、それすら実現できない淋しさも感じているのでもある。
                                    11月15日の一言
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