よこかわ湖 横川ダム

長野県上伊那郡辰野町横川

日曜日(5月14日)の写真です。

辰野町にある花街道は日本の原風景と言える綺麗な里山風景を残していました。

下飯沼地区の花街道

横川川

道端の道祖神

横川ダム堰堤

ダム本体

ダム湖

放水中

蛇石キャンプ場

案内板

横川渓谷

蛇石?

大蛇のようです

蛇の骨格のようです

恐竜の化石?

随分と長い蛇石です


 地元の川島地区には、次のような民話が伝えられています。
横川川の上流で兄弟竜がけんかをし、川が氾濫して下流の村が鉄砲水に襲われそうになりました。それを母子2匹の大蛇が、自分たちの身を犠牲にして救いました。それに感心した熊野権現が、この母子を蛇石に変身させ、兄弟竜を二度とけんかが出来ないように、上流にある大滝に閉じ込めたといいます。

科学万能の現代社会においては、黒色の粘板岩の岩脈に白い石英の岩脈が蛇のような模様を残していると理解できますが、横川の氾濫を救った2匹の大蛇を熊野権現が蛇石に変身させたとの伝承や、太古の時代に存在した恐竜の骨格の化石と言われても疑うことができない蛇石の存在感と、国の天然記念物に指定されていることに納得させられます。

木地師の墓の道標

南無阿弥陀仏


山の仕事を生業としていた木地師の墓が日陰の道路端にひっそりと存在していることに、現代社会のように車で何処にでも行き来できる社会との大きな世相の違いを感じさせられます。

白鳳山瑞光寺

辰野町横川2063

六地蔵

参道

山門

本堂


山門の鐘楼

 瑞光寺は、人皇88代御深草院の正元元年(1259)、鎌倉建長寺の開山大覚禅師が、諸国行脚の際、この地に建立した一宇が起こりである。古くは鎌倉に属し、大いに盛んになるが、時代の変遷により衰退した。永禄元年(1558)、武田信玄が、京都妙心寺より周峯和尚を中興開山に招いて、堂宇は悉く旧に復された。また、武田信玄は、周峯和尚に深く帰依し、横川谷を残らず寺領として寄進した。このころより、京都妙心寺派に属するようになり、寺運は栄え、人々の深い信仰をうけて今日に至っている。同寺の庭園は、画聖、雪舟の作である常栄寺庭園の写しである。雪舟庭は、今より500年前に築かれ、その原形がよく保存されていることから史跡名勝に指定、この庭は、雪舟庭の池の部分のみを写したもので、別名「禅苑」とも言い、悟りの境地を表現したものとも言われている。

 火の見櫓

 道祖神 や 山の神

 横川川

私の住む愛知県津島市には多くの寺院が存在しますが、長野県の安曇野や松本だけでなく、添付した辰野町や木曽路に存在するお寺は、過去に実在した歴史上の人物や歴史と直結したお寺が脈々と残されており、現代社会で葬式商売と揶揄されるような寺院とは違う、地域と一体となったお寺本来の姿も感じさせられてしまいます。

日曜日は、ここから伊那市を経由して権兵衛トンネルから木曽路へもどり、木曽11宿の宮ノ越の宿場を歩きました。木曽義仲ゆかりの宿の様子は明日に添付します。