本日は叔母の七回忌のため、午前中から叔父宅を訪れ、帰宅した時に辺りは真っ暗(途中下車していたので)になっていました。

 時の経過は早く、叔母が亡くなってから6年が経過し、難病・後縦靭帯骨化症(OPLL)の手術により叔母より先に逝くと思われていた叔父が一人残され、現在は近くの老人ホームの生活が「一番良い」と言っております。

 叔父は幼少期に母親を交通事故で亡くし、我家の生活を維持するため浄土宗のお寺に出され、東京でお寺の小僧をしながら大学を出て、檀家の少ない貧乏なお寺のため兼職で教員生活を送り、子供達に同じ苦労をさせないためお寺を出て、近くの説教所を自宅にしてきました。

 元々が理科系のため、アマチュア無線や写真のDPEを趣味として、パソコンも早くから取り入れ、難病により首が痛くなるまではお寺のホームページも運営しており、私も叔父に薦められるだけでなく、我家に自分のパソコンまで持参してくれたことから私はホームページを発信するようになりました。

 「今時、議員ならホームページくらい持って当たり前」との一言で、平成16年2月から「津島の新しい風」に一言を発信するようになり、一言のはずが長々とした愚文を今日まで続けており、勧めた叔父はパソコンを見ることも無くなりました。

 さて、6年前の話となりますが、入院して数日間昏睡状態にあった叔母が、一日だけ奇跡的に回復して病院内で開かれたクリスマス会で歌を唄い、トイレも娘の介助付きながら一人で歩いた翌日の朝になって息を引き取ったことが、今でも信じられない出来事として思い出されます。
 人間と小鳥を同一に語るのは不謹慎ですが、1ケ月前に死んだピーちゃんも、数時間後に亡くなるとは思えないサービス精神を発揮して、私だけでなく家内の背中を追いかけて飛んでいきました。
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沈んだ気持ちを払拭した子犬  2009/12/6             6年前のリマ→

 誰もが自分が死ぬとは思っていなくとも、身体が自然に反応しているのかもしれないことを、叔母やピーから感じさせられ、人だけでなくペットと言えども、真剣に観察して悲しい別れを防ぎたいものです。

 その6年前の葬儀の夜、長男が3ヶ月の約束で預かってきた相棒リマと出会い、一瞬にして別れられない関係となり、そのまま我家の一員として譲り受け、買い物だけでなく、四国遍路にも同行させ、相棒と一緒に旅行するためにテントも用意しました。こんな生活を少しでも永く維持したいと思っています。

 「生臭坊主」の典型と思っていた叔父ですが、自宅の玄関に「阿弥陀堂」の看板を掲げており、自宅をお寺として存続させたいと思っており、お寺とはいかないまでもその意思を受け継いでもらいたいものです。

           本日の体重 71、6キロ 徒歩数 1288歩 夜間食あり
                                    11月29日の一言