大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

診察

朝一番の診察と処方箋のメール発信で 中村日赤

 本日の夕暮れ 午後5時42分

名古屋第一赤十字病院 

 午前9時12分

 寒桜

完成間近の施設 

ナイチンゲール像と病棟 



 処方箋のメール発信


処方箋の撮影 



薬局 へ送信しました


 9時前に診察終了

 誰も居ない自動精算機

 9時10分に退出です

本日の写真です。


本日は名古屋市にある中村日赤の泌尿器科の診察でしたが、2番目の診察となったため9時前に診察が終わり、10時前には自宅へ帰ってきました。


2ヶ月前までは病院前の薬局で薬を処方されていましたが、待ち時間が1時間ほどかかっていたことと、スマホのバッテリー交換によってスマホ内にあったおくすり手帳のデータが全て消えてしまいました。


そんなことがあって、昔から利用している地元のかかりつけ薬局で全ての薬を受け取る事にして、病院内でスマホから処方箋を送信して帰宅後に薬を受け取ることにしました。


これによって病院からの帰宅が1時間短縮され、薬局に行くと薬が出来上がっています。便利な世の中になったものです。


そんな訳で午前中のボランティアにも少し役に立つことができました。


私自身の病状が安定して落ち着いていることもありますが、朝一番で中村日赤へ搬送する患者さんたちの診察が終わるのは昼を回りますが、主治医のご配慮によって朝一番診察のため、待ち時間が大幅に短縮されています。


さて、病気を持つ患者にとって厳冬期の通院は辛いものがありますが、添付したように寒桜が咲き誇り、暖かい日差しを感ずる春のような通院 ともなりました。このまま体調が安定してくれれば幸いです。


身体のメンテナンスとなる一日に

中村日赤 名古屋市中村区 

 外来の案内板

 会計


 管理栄養士さんにもらった

絵手紙


 一日の終わり
本日の写真です。

病院の自動受付器の画面に「予約がないため、直接外来受付にお問い合わせ下さい」とのメッセージが出ました。

2日前に連絡して9時の予約をとって訪れたのに、何かの間違いで忘れられたのかと慌てて外来受付へ向かいました。

「今日の予約はありませんよ」
  「2日前に電話して9時に予約したんですが」
「昨日の9時に予約が入っていました」
  「えっ、今日じやないの?」

主治医の外来は金曜日だけと思って予約をとっていましたが、木曜日も外来があり一日も早くと手配してもらったものの、「金曜日の予約が取りたい」と連絡したため全く聞く耳を持っていませんでした。

「私も復唱しなかったから申し訳ないです」
  「復唱されても頭に金曜日しかなかったので」

こんな受付のハブニンクも寛大な主治医によって10時から診察してもらえました。

もっとも、診察の結果検査が必要となり、検査結果が出るのを待って再度の診察を受けるとお昼を廻っていました。

さて、年齢を重ねたことで次から次へ身体の不具合が出てきますが、気軽に通院できる地元のかかりつけ医と、名古屋市の中村日赤の良き主治医に恵まれて安心して帰宅できることは幸いです。

帰宅後に昼食をとり、午後に予約してあった管理栄養士さんの栄養相談へ出向くと、何もしないままに一日が過ぎ去ってしまいました。

そして、家内とマクドナルドへ

帰宅後に三男の接骨院で施術を受け、身体が強張っているとの話でしたが、本日は私の身体のメンテナンスともなる一日になりました。

ボランティアの移送と私の通院が天秤にかけられて

午後5時41分

マックのレモンティ

本日の写真です。

 本日の午前中は地域の民生委員の協議会が開催され、午後は福祉有償ボランティアのメンバーの訪問を待って一日の仕事が終わり、マックまで歩いてから帰宅すると本当に一日の終わりとなりました。

 明日は自分自身の体調不良により、急遽名古屋の中村日赤で診察を受ける予約を入れましたが、地元にも歩行困難者のため家内と2人がかりで搬送している車イスの患者さんの通院があり、家内一人では移送できないと言われるものの、我が身と天秤にかけ先送りにして犠牲にはなりたくありません。

 そもそも、左膝にたまった水を抜くだけで、一ヶ月以上経過しても改善しないばかりか、患部の炎症を治す根本的な治療が行われているとは思えず、歩かないため右足の脚力も無くなり、家族の介助だけで車イスにも座れない現状は、せめて段差の大きい田舎の玄関を改良して車イスのまま出入りできるようにしないと、タクシー会社にも断られている現状から一生外出はできません。

 そんな本音を言わないままに2人で移送してきたものの、松葉杖とか車イスの通院の手配も考えず診察する町医者と、炎症のある患部の根本的治療をしない医師にいくら通院しても治るとは思えず、私の家族なら迷わず名古屋の日赤に連れていきますが、ご夫婦にはかかりつけ医もなく、これまでも病院にも行かない家庭環境で悪化した現状は先の見通しもつきません。

 家内だけでなく、私と奥様の3人がかりの移送は普通ではなく、本来ならば入院して患部を治してからリハビリで歩けるようにしないと、残された人生は真っ黒となっていきます。市役所経由で連絡があった患者さんですが、歩けなくなってから1ヶ月以上寝たままで、病院へも通院しなかったというから驚きです。

 自分自身が体調不良になると、ボランティア精神なんて言ってはおれず、とにかく明日の診察によって万全な身体に回復させないと、四国遍路や上高地とも言ってはおれないため、節制に努めて次の外出に備えたいと思います。

血液検査の結果が良くなっており

名古屋市中村区稲葉地町付近 鳥居西通

処方箋

「血液検査の結果が良くなっているね(笑)」

   「えっ、そうですか」

「これなら上高地も大丈夫だよ(笑)」

   「身体も随分と回復してきました」


 6月に膠原病(関節リウマチ)と診断され、投薬によって身体の痛みは減ったものの、先月の診察では血液検査の結果は改善しておらず、身体の動きは軽快になっても体内の血液や免疫細胞は思うように改善せず、本日の診察でやっと改善を実感することができました。


「前回も身体は良くなっていたからね」

   「前回の数値は何故悪かったのでしょうかね」

「心配していたけど良かったね」

   「心配されていたんですか…」


 身体の痛みは減り、確実に快方に向かっているのに血液検査の結果は改善しない怪現象に主治医も首をかしげますが、心配していたとの言葉に、毎月薬の処方を代えながら思うように改善しなかった医師の苦悩を理解していませんでした。


 本日の検査でやっと数値の改善が見られ、処方されているステロイドを少しづつ減らしていくことになりましたが、毎月増えていた薬の量が今回の診察で初めて減ったことは嬉しい半面で、減らされて1か月後は大丈夫か心配にもなってきます。


今年6月の血液検査で関節リウマチの根拠とされた3種類の異常を示す数値

6月から12月までの推移


CRP(基準値 0.00ー0.14) 体内の炎症や組織の一部の損壊の有無を診断する検査

(6月)4.85→ (8月)2.32→  (9月)2.89→  (10月)3.78→  (11月)3.69→   (12月)0.50


MMP-3(基準値 35.2ー123.8) 関節リウマチ患者の関節には大量にMMP-3 が含まれており、関節破壊の指標とする検査

(6月)162.4→  (8月)212.3→  (9月)213.3→   (10月)231.9→   (11月)201.7→  (12月)153.0


RF(基準値 20未満) 血液中のRF(リウマトイド因子)という物質の量を調べる検査 

(6月)24.5→   (8月)26.7→   (9月)45.1→  (10月)67.8→  (11月)63.6→  (12月)36.8


 3種類とも正常な基準値の範囲内にまでは入っていませんが、本日の血液検査で先月や先々月よりかなり改善された事がはっきりと判ります。


本日の写真です。

 3月末に追突事故で頚椎を痛め、6月から膠原病に罹患して一時は起き上がることもできず、やっと先月から体調が戻ってきたものの、血液検査の結果が伴わないため体内で膠原病が進行していく心配もありましたが、本日の検査結果と医師の「心配していた」との過去形の言葉から明るい兆しを感ずる一日となりました。

心優しい医師の診察を受けて


 名古屋第一赤十字病院

 玄関周辺

雲ひとつない晴天 

 精算窓口

ハートフル キッチン

 手作りパン

 各種メニュー

注文カウンター 

本日の写真です。

本日は中村日赤への通院ですが、現在加療中となる膠原病の診察ではなく、昨年10月に受けた前立腺肥大症の手術後の定期検診に訪れました。

手術後の経過は良く、主治医の説明通り順調に回復しており、診察を終了しても良さそうな雰囲気ながら、主治医との縁を残したいため2ヶ月先の診察をお願いしました。

病気が完治するのは嬉しいことですが、大きな病院の優秀な医師との縁が切れるのも切ないものがあります。

「何かあった時は直接僕を受信してくれれば良いよ」と、完治後の先々の心配を払拭する主治医の言葉から大きな安心感をいただきました。

そして、主治医が運営発信する Facebookに、友達として登録申請することをお願いして本日友達登録が終わり、これから老いるばかりの私にとって大きなお守りともなりました。

こんな要望にも応えていただけた赤十字病院の医師には本当に感謝しかありません。

さて、本日は午前9時からの診察ですが、時間に追われる私のために、主治医が待ち時間の心配がない1番目の予約を入れてくれるため、9時前に診察が終わってしまい、家内とともに病院レストランでモーニングコーヒーを楽しむ余裕の通院となりました。


 下記の添付記事は、私と同じ中村日赤を舞台とした、昨日と本日の知人のフェイスブックです。



添付した知人は私の発信したブログの病状写真から、私の病気が自分と同じ膠原病ではないかとアドバイスを頂いて以来の知人であり、膠原病の先輩であるだけでなく、私にとっての先達でもあります。

不治の病と言われる膠原病ですが、同じ苦しみを背負う先人としての仲間の存在は大きく、大きな支えともなっています。

本日もかかりつけ医までリハビリへ


病院前の夕暮れです 


 昨日ワクチン接種を受けたかかりつけ医へ、本日は交通事故見よる首のリハビリに訪れました。

本日から同級生の庭師さんが我が家の剪定作業をしており、午前中の休憩後にかかりつけ医へ行く予定でしたが、別の同級生から電話があり一緒に昼食に出かけたため夕方のリハビリとなりました。

 夕暮れの彼岸花

 夕方でも鮮やかです

本日の写真です。         車のライトで照らしました

 明日も朝の9時から名古屋第一赤十字病院(中村日赤)の診察があるため、昨日から三日連続の病院通いとなりました。

庭師の同級生がスルスルと木に登っていく姿を見ながら、思うように動かない我が身をなんとか元通りの体調に戻したいと思う一日になりました。

さて、明日の診察は現在罹患中の膠原病の診察ではなく、昨年10月に受けた前立腺肥大症の手術後の経過診察で、順調に回復し何も悪いところがないため明日は最後の診察になるかもしれません。
主治医との縁が切れるようで少し寂しさもありますが、これだけ通院が続くと中では朗報としか言いようがありません。

支払いばかりの生活を実感して

 かかりつけの彦坂外科

 かかりつけの調剤薬局
本日の写真です。

本日の唯一の仕事はかかりつけ医まで通院したことで、3月に受けた交通事故による指の痺れがいまだに続いていることから診察と投薬を受けました。

 実際には通院する前にガソリンを給油して珈琲店へ出かけており、何もしないままにお金だけ使う役立たずの生活というか、老害でしかありませんね。

 さて、かかりつけ医から帰り車を停めてから、毎日のノルマとする5千歩のウォーキングに出かけました。

考えてみれば、年金受給者となった老人と思えば寂しいものの仕方のない現実かもしれません。

通院の後で名古屋市中村区を歩いて

名古屋第一赤十字病院 中村日赤 

 バス停まで歩きます

 入ってしまいそうなお店

 昔ながらの建物

 中村保健センター

保健センターから見える中村日赤 

懐かしい喫茶店 

 名古屋太閤通り

太閤通りから見える中村日赤 

昔ながらの氷屋さんです 

 名鉄バス楠橋停留所

津島行きの 時刻表

 閑散としたバス車内
本日の写真です。

 本日は名古屋の中村日赤の診察日でしたが、昨年10月に手術を受けた前立腺肥大症の定期的な経過観察で、経過が良いので薬の投薬をなくす方向で様子を見ることになりました。

現在闘病中の膠原病については来週の水曜日が診察日で、こちらは薬の投薬を減らすなんてことは考えられず、大量に処方された薬に頼らざるを得ない状態です。

本日の通院は一番早い午前9時からの診察で、あっという間に終わったため病院の近くに住んでおられる膠原病の先輩へ連絡し、病院内の喫茶店で病状やボランティア活動について雑談に花を咲かせました。

本日の体調は決して良くはありませんでしたが、同じ病気を持つ知人との雑談は私のストレスを大きく取り除いてくれ、私を迎えに来るという家内の送迎を断り路線バスで帰宅することにしました。

日赤のある名古屋市中村区へは病院の治療と通院のために訪れていましたが、これからは昔ながらの街並みを眺め、懐かしい雰囲気を残すお店へふらっと立ち寄れるような余裕を持った通院にしたいと思いました。 

本日から新しい薬を処方されて

本日の朝食後に飲む私へ処方された薬です。

昨年前立腺肥大症の手術を受けた後は、血圧の薬一錠だけだったものの、3月の事故後から薬が増え、本日は9錠も一度に飲むことになりました。

3月末の交通事故による頚椎挫傷からくる首と右手のシビレを治療していましたが、5月の連休前後に両手の平と両肩に激痛が走り、その後両手の平が腫れ上がり改善する兆しもありませんでした。

「私の症状と似ています」と、1年前の自身の体験談からブログのコメント欄にアドバイスをいただいたことで、6月中旬になってから膠原病の検査を受け、膠原病と確定したら2日前の水曜日の診察で治療薬を処方されることになっていました。

しかし、診察室で「残念な報告ですが」と頭が真っ白になる言葉を聞くこととなりました。

「B型肝炎ウイルスの抗体が見つかりました」
    「10年前の検査で抗体が見つかったものの、抗原は無いはずです」
「万が一身体に少しでもB型肝炎ウイルスがあると治療はできません」

「それと肺に白い影があります」
    「エッ、今度はなんですか?」
「万が一肺がんだと致命的になります」

そんな応答から、急遽B型肝炎ウイルスと肺のCTの検査を受けることになりました。

万が一、B型肝炎ウイルスが身体にあれば肝炎の治療を優先し、肺がんならガンの治療が終わってから膠原病の治療になると先の判らない説明です。

「検査結果は陰性なら金曜日に電話するから」と言われたものの、帰宅した水曜日の夜は肺がんとB型肝炎ウイルスの心配で眠られませんでした。

そんな状況の私の携帯電話に、翌日は朝から病院へ搬送を希望する患者さんの連絡が続き、電話を無視していたものの、着信履歴を確認すると、中村日赤からの着信履歴がありました。

医師から「金曜日に連絡する」と聞いていたため、一日早い連絡は良からぬ悪い予感が走り、家族が心配するなか覚悟して電話しました。

「大鹿さん、陰性ですよ。一日遅れたけど明日から薬を飲めますよ」

一刻も早くと一日早い朗報を連絡いただいた医師の声がまるで天国からの電話のように思え、地獄から光明がさしてきました。

簡単に書き記してきましたが、悪夢のような目まぐるしい一日で、家族だけでなく幼馴染のNさんやブログでアドバイスを頂いたTさんと、ボランティア仲間の真言宗僧侶が一日中同行していただいたことが大きな励ましとなりました。

音声入力で過去最長の一言になりました。

苦しい通院にも楽しみを見出して

 槍ヶ岳朝陽 
日本山岳画協会 武井清作

 山里の家

 里の家

 中村日赤との連携医

 津島市の連携医

1階 ハートフルキッチン 

 コーヒー100円

 エントランス

 ショーケース

 手作りパン

 オーダーフロント

 アフタヌーンスイーツ

 豪華なメニューもあります

 レストラン内の外来の診察状況

 院外薬局内の私

 中村日赤南側の歩道

 中村公園前バス停

 本日の写真です。

本日も名古屋第一赤十字病院の整形外来を受診しましたが、診察が大幅に遅れていたため同行した家内と病院内のレストランで休憩しました 。

高級な料理から安価な弁当やペットボトルまで提供されており、時間を気にすることなくおられる広い環境はとても病院内とは思えません。

病人が通う病院ですから待ち時間が長く続くことは苦痛にもなりますが、気分転換のできる胃場所が病院内にあることでホッとさせられました。

これも同行してくれた家内のおかげで、自分だけなら診察前にスイーツやコーヒーを飲む余裕はなく、本日は廊下に飾られている絵画も鑑賞しながら診察を待ちました。

5日前に実施した血液検査により次回は他の専門医の診察を受けることになり、一週間後に予約を済ませて本日の診察は終了です。

帰りは迎えに来る家内を断り通院では2回目となるバスで自宅まで帰りました。

身体の苦痛が減り、治療の目安が示されると患者のストレスは大きく軽減されますね。

病院の診察だけの一日となりました

我家のブルーベリー

ユキノシタの花

どくだみの花

だいこんの花

ランタナにペチュニアが混ざりました
本日の写真です

ここは相棒の大好きな場所でした。 2年前の5月2日

本日は名古屋第一赤十字病院(中村日赤)整形外科の専門医の診察を受けました。

3月末に追突事故に遭遇し、当初は何ともないと思っていましたが、手のひらの痺れが手だけでなく肩と首の痛みになり、先月20日にかかりつけ医から中村日赤へ紹介状をもらい受信しました。本日は症状の悪化により2回目の受診です。

本日の診察から首に付けるカラーを作る必要ができ、再度月末に受診してカラーを製作し、来月改めて MR I の検査をすることになりました。

簡単に思っていた首の頚椎挫傷でしたが、先行きの見えない苦痛とともに、長期にわたる通院と治療が必要になってきました。

医師の話では長距離移動する運転だけでなく、乗せてもらってでも首の負担になるとの話でした。車の運転が日常のボランティアと、週末の上高地や四国遍路も長距離運転が必要になるため大幅な生活環境の見直しが必要になってきました。

ただし、こんなことで好きなことは止められないので枕や生活様式を改善して行動したいと思います。

手のひらの不調により音声入力でブログを始めましたが意外に長文が残せるようになってきました。

病院の検査と診察で一日が経過して

我家のツツジです

私が代々プランターで育てるダイコンの花です


ここからは知人が送ってくれた写真です。


津島市天王川公園の藤棚です。





花おじさん

ホラ貝フキおじさんでした

本日の写真です。

 本日は名古屋市の中村日赤まで、治療に訪れる患者さんに同行して、追突事故後に発症した私自身の手のシビレと、レントゲンとMRIで異常が発見された頸椎について、赤十字病院の専門医の診察を受けるため訪れました。

 昨年10月に前立腺肥大症の手術を受けてから通院している病院ですが、整形外科を受診される患者さんの数は多く、受付で診察の予約時間より1時間以上遅れていると説明があり、診察時にCTの検査が必要と言われたものの、予約や重病患者の患者を優先するため検査に3時間も待つことになりました。

 「終わったら連絡下さい」と伝えてあった同行した患者さんの治療が先に終わって、私の検査と診察を待ってもらう事態となり、朝9時に自宅を出発してから、午後3時まで昼食どころか何も口にしないまま呼び出されるのを待つ一日となりました。

 本日の診察は、事故後にかかりつけ医で検査したレントゲン写真やMRIで確認された首の頸椎挫傷部位の精密検査で、恒久的に治癒しない心配から訪れました。

 3月26日の事故から1ヵ月近く経過したものの、指のシビレは日常的となり、最近は朝の起床時からシビレたままになる日もあるため、シビレの原因ヶ所の特定にも期待したものの、首から肩や腕まで検査したものの特定はできませんでした。

 ただし、びっくりしたのは握力の低下で、左手の握力が36キロあったものの、利き腕の右手は20キロしかなく、医師の話では神経症状が出ているため右手に力が入らないとの話で、とりあえず右手のシビレを解消しなければ力も入りません。

 医師の説明では安静にしているだけでは回復せず、適度のストレッチや身体を使った普段通りの行動が重要と言われ、「治るまで外出自粛」と言って上高地行きや四国遍路にクギを刺す家内への言い訳にはなりましたが、シビレを早期に解消しないと大変な生活になってしまいます。

 さて、本日診察していただいた医師は頚椎外科の部長と判り、同行した患者さんから良い医師にあたったねと言われましたが、泌尿器科の担当医師もすばらしい医師に恵まれたことことは幸運であるものの、病院で一日が終わってしまう生活環境は先送りにしたいものです。

 知人が送ってくれた津島市の藤棚の写真から、20年前に足利市のフラワーパークまで視察に出かけ東洋一と宣伝していた当時より随分と花が短く寂しくなっていることを実感し、花や植物は一度には回復しないことを自分に重ね合わせて実感させられました。

                             4月20日の一言

やっとストレスのない自分の生活へ

名古屋第一赤十字病院

待合室

 連日患者さんを搬送している中村日赤ですが、本日は自分自身の診察に訪れました。


 昨年10月に前立腺肥大症と膀胱結石の手術を受け、本日は4回目の診察日となりましたが、手術後の経過が良好なことから主治医が診察の待ち時間を心配しなくとも良い午前9時の1番目の患者に予約してくれたため、本日は朝7時45分に自宅を出発しました。


 病院には30分で到着してしまい、診療科目の受付はシャッターで覆われていましたが、一番で受付を済ませ「9時には診療室3番の前でお待ちください」と言われていたものの、8時30分に診察室の医師から名前が呼ばれました。


 本日は主治医が1週間の休暇をとっており、代務医師の診察との説明があり、私の手術に立ち会った医師の診察を受けましたが、経過は良好で手術後の尿漏れも完全に治まっているものの、完治すると病院への関係も閉ざされるため、「まだ、疲れると違和感がある」と伝え、3ヶ月先までの投薬と予約を受けました。


 私の住む津島市には安心して入院できる病院が無いため、我が身に何か異変があった場合はわずかな縁でも日赤との繋がりは重要で、これからも些細な異変でも診察が受けられる関係は残し、救急車が迷うことなく中村日赤まで搬送してもらえる道筋は残したいものです。


 さて、9時からの診察が9時前に終わって会計も済んでしまったものの、院外処方された日赤前の薬局にはシャッターが下りており、10時から民生委員の協議会があるため、開店を待ってから処方を受けると遅くなってしまうことから、地元のかかりつけ薬局に連絡して地元に帰って薬を受け取ることにしました。

昼の休憩

 9時からの診察ですが、診察と支払いを終えて薬を受け取り、名古屋から津島市まで戻ってくると10時から始まる協議会には間に合いませんが、主治医の配慮で遅れることなく協議会に参加し、協議会終了後に民生委員の同級生と団子をつまみに珈琲タイムとして昼食前に帰宅することができました。

知人の仕事場

何の仕事か判りますか?

あれっ?


ホラ貝フキおじさん


 午後からは知人の協力をもらい、次年度の町内会役員へ引き継ぐ1年分の電子データを町内会のUSBメモリーへ移しました。

本日の写真です。

 そして、知人が働いているドンキホーテまで走り、普段はかぶらない帽子とジャンパーで変装して訪れ、しばし談笑の時間が作れました。

 やっと余裕のある生活が戻ってきました。
                
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