大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

読書

復刻版「サバイバル極意書」を買い求め

イメージ 1
 
 本日は家内と買い物に出たついでに、書店で「BE-PAL」を2冊買い求めてきました。
 
 「何故、同じ本を2冊も買うの?」と、家内は無駄使いとばかりに私を見ますが、「BE-PAL」10月号には横井庄一さんがグアム島で発見されてから40年が経過したことから、「横井庄一のサバイバル極意書」が付録で付いているのです。
 家内は2冊で驚いていましたが、横井庄一夫人は「50冊くらい買って、知り合いに差し上げたい」と言っておりましたので、横井庄一に関心のある方にはお奨めの1冊でもあります。
 
 「横井庄一のサバイバル極意書」は、昭和59年に小学館から発行されていますが、発行部数が少なかったことから、最近では古本屋さんで探しても見つからず、横井庄一記念館を訪れる人から「どこに行けば手に入るか?」と問われて困ったことがありました。
 
 「BE-PAL」10月号には、横井庄一記念館を取材したページがあるものの、175ページもある「サバイバル極意書」をそのまま復刻して発行するだけでなく、その1冊をまるごと付録に付けた小学館にもびっくりさせられますが、アウトドアーを主題にする本だけに「横井庄一」はイメージどおりの話題かもしれません。
 
 さて、本を購入する前に犬のペットフードを購入するために立ち寄ったホームセンターで、我家の相棒を一回り小ぶりにしたようなポメラニアンを抱えた人を見つけ、暫し談笑となりましたが、今年からは相棒と一緒に旅行するために、5人は入れるテントを購入している事から、「BE-PAL」の中身は参考になることばかりで、買い物中に入った珈琲屋さんで、家内と同じ本を同時に眺めて旅の話題で盛り上がります。
 
 「BE-PAL」10月号は定価680円で小学館から発行(毎月10日発売)されていますが、今回は付録となっている「サバイバル極意書」だけでも、ネットや古本屋で数千円で売買されているだけにお買い得な気がしました。
 
 付録となっているものの、医者や薬どころか仲間もいないグアム島で、28年間も自給自足生活をおくった体験から記された極意は、災害時や日常生活にも参考になるばかりか、最近の社会問題となっているイジメや自殺で命をおとす若者についても、目先を変えて他人に頼らず一人でも楽しい生活が実現できる希望も感ずる一冊となりそうです。
 
                                    9月9日の一言

矢合観音と3ケ寺めぐり

イメージ 1

 毎月の定例コース「矢合観音」へ出かけたところ、新たに矢合観音と3ケ寺めぐりのパンフレットが作られていたので、小玉食堂で昼食後に『国分寺』を覗いてきました。

 ただし、立派なお寺の本堂はしっかりとカギがかけられ、庭先から覗いてみても誰一人出てこられません。看板には鎌倉時代の文化財が四点記されていますが、これなどは頑丈な倉庫にしまわれているのかどうか、拝観ができないのでさっぱりと判りません。

 山門の外に矢合城址の石碑が…。これによれば、「戦国時代に一色城主橋本伊賀守道一の弟、大膳の居城であったが、後継がなく廃城となった」とある。そして「追善のために一本松から移したのが円興寺(国分寺)である」と記してあるが、ひと気もなく説明もないのでそのまま帰宅となった。

 立派なパンフレットを作った事は稲沢市の観光協会を評価したいが、印刷した五千部を配布し終わった後をどうするのか、増刷であれば協賛した七件のスポンサーにも十分な説明が必要であり、肝心のお寺の受け入れ態勢がないばかりか、案内板も不備のままでは地に足がつかぬ思い付きとしか思えない。

 一緒に並べてあった「善光寺だより」第1号には同じB4版のパンフレットに19件(20件分)のスポンサーがあり、受け入れ態勢だけでなく継続していく意欲が感じられ、これこそ「お役所」と「民間」の違いを実感させられた。

 さて、石碑にあつた「一本松」とは何か? 戦国時代の城主の追善に一本松から移したのが円興寺(国分寺)とすれば、鎌倉時代の文化財四点の存在は何故か? 
 忙しい中ではあるが帰宅後に尾張史を見ると、円興寺については「鈴木山と号し、永和元年妙興寺滅宗和尚開基」とあり、「当寺釈迦堂に国分寺の本尊薬師如来を安置せり」と記されていた。
 尾張地名考に目を通すと「続日本書紀聖武天皇の天平13年の…」となり、旧字体の本から他の市町の歴史まで調べるのは億劫となるので、深くは詮索しない事とする。

 ただし、稲沢市史の中には「矢合観音」の論文があり、この中にも橋本伊賀守道一についての記載があり、豊臣秀吉などの記載も見られ、国分寺についても「国衙と国分寺」に詳しい歴史が解かりやすく書かれているので、関心のある方は図書館で調べていただきたい。

 こんな本が簡単に出てくるのは学生時代の財産であるが、この資料を眠らせたままにしており、自身の頭も目覚めなくなった現実に歳月を感ぜずにはいられない。
                           10月20日の一言

夜汽車ムーンライトながら

 4月からは職場だけでなく、学校もテレビも新聞もと新しい企画がスタートする。本日の朝日新聞夕刊には『沿線彩々』と題して、「夜汽車の終着」としてJR東海の「ムーンライトながら」が紹介されてきた。

 「ムーンライトながら」は、東京駅と大垣駅を深夜に結ぶ快速列車で、東京駅を深夜23時10分に発車して、名古屋駅には午前6時7分に到着する。逆に、東京方面には午後23時19分に大垣駅を発車(名古屋駅は23時55分発)して、5時5分に東京駅に到着する。

 料金も安く、普通運賃に座席指定分(全席指定席)の510円(閑散期は310円)を支払うだけで乗車できるのも魅力の一つであり、新幹線の最終便に乗り遅れても名古屋に帰れる魅力も大きいのである。もっとも、料金だけであれば、新宿からバスの夜行便が5千円台で運行しており、格安バスに至っては3千8百円で帰ってこられる便利な世の中になったものである。

 久しく忘れていた列車の写真に、郷愁を感じて新聞記事に見入ったが、息子が東京にいた7年間にはずいぶんと利用させてもらった。東京駅に到着(当時は5時前に到着)すると、既にホームには人々が往来し、中央線で立川駅を経由してモノレールで息子の下宿先を目指すと、太陽を正面に浴びた輝かしい富士山が間近にそびえているのであった。

 「うっとうしいから帰れ」、「おー、よーく判った」と、売り言葉に買い言葉で深夜のアパートを飛び出し、東京駅に到着すると「ムーンライトながら」は満席で乗車できない事があった。深夜バスにも間に合わず、朝の始発まで待つか、息子のアパートに帰るか思案していると、親切な駅員さんから「小田原駅まで先に行って待っていると乗車できる」との情報をえて電車に飛び乗った事も、昨日の事のように懐かしく思い出されてくる。 

 さて、忙しさの中では、懐かしいだけでなく、私の好きな普通列車の旅の孤独編として、学生や会社員の気分にさせてくれる新聞記事でもあった。
                                4月2日の一言
ギャラリー
  • ようこそ 大鹿一八の納経所へ
  • ようこそ 大鹿一八の納経所へ
  • ふるさとアサヒ31号
  • ふるさとアサヒ 5号、26号
  • ふるさとアサヒ 5号、26号
  • ふるさとアサヒ 5号、26号
  • ふるさとアサヒ 5号、26号
  • 令和6年 上高地開山式の様子です
  • 三重県桑名市大福田寺の聖天祭へ
アーカイブ
  • ライブドアブログ