大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

赤十字

本日四日目で退院しました

今朝の病室

朝食

病室から見える景色

本日午前中に日本赤十字愛知医療センター第一病院(中村日赤)を退院しました。

入院前から3日間の入院となっていましたが、手術後2日目がもっとも短い退院だそうで、退院が一日延びたものの昨日から退院が決まっており、昨日からは三食付のホテルに滞在しているような入院生活となりました。

これは2年前の退院の日の一言です。

私は退院していく身ですが、土曜日の本日も病院へ搬送されてくる患者さんを乗せた救急車が続々と中村日赤へ入ってきました。
気楽に退院していく私と違って、同室の患者さんの様子は深刻で、カーテンで仕切られていることと、四日間だけの入院でほとんど顔を合わせなかったものの、早く退院して下さいと挨拶でもしたい心境で病室を後にしました。
  

今朝の救急車

本1のマーク

また救急車が来ました
中1のマーク
また、また救急車が来ました

椿のマーク

私を迎えにきた家内の車
今朝の名古屋駅方面

我が家の花々

キバナコスモス
ミニトマト
オニユリ
庭のオニユリ
ブーゲンビリア
ブルーベリー

主は不在でも、我家(私)の花々は確実に成長して花を咲かせ、ミニトマトとブルーベリーは熟した実を付けていました。

四国遍路は人と人とをつなぎます

愛知県社会福祉会館

名古屋市中区白壁一丁目50番地


目的地は四階愛知県社会福祉協議会総務部です

見事な玄関屋根

ジャン・アンリ―・デュナン像

国際赤十字社のルーツ


「すっかりと忘れていました」
    「今年はお見かけしないと思っていました」
「済ませたと勘違いしており…」

本日は膠原病の診察日のため名古屋市の中村日赤を訪れましたが、昨日になって「赤十字」つながりで今年のボランティア保険の申請を済ませていないことが判り、東区にある愛知県白壁庁舎を訪れることになりました。

ただし、本日は津島市の民生児童委員協議会の総会が開催されており、月曜日に四国遍路から帰り慌ただしさの中で欠席の連絡を入れ忘れており、朝一番で連絡する予定も完全に忘れており、白壁庁舎の看板に愛知県民生児童委員連盟の名前を見つけて忘れていたことが判ったのは午前11時を廻っていました。完全なる無断欠席です。


本日の写真です


さて、昨日の一言に善通寺の四国フォト広瀬さんから手紙が届いていたことを記しましたが、本日は善通寺の前法主樫原禅澄さんから手紙が届き、帰ったばかりですが四国が恋しく感じられるとともに、四国が身近に感じられる一日ともなりました。

多くの人と出会う中でも、お二人とは随分と気が合うと言うのか、利害関係の無い人と人とのつながりは出会いの第一印象やイメージが重要で、偶然とは思えない神がかり的な大きな出会いの設定ルールに合致しないとすれ違っていきます。


3日前に薬王寺の納経所で出会った、電動バイク旅の出川さんや森三中の村上さんとの出会いについても、多くのお遍路がいる中で、あと10秒遅ければ出会うこともなく、1分早くても先に朱印を済ませて立ち去っており、会う運命にあったとしか思えません。

そうやって考えていくと、四国で多くのお遍路と行き交う中で、ほとんどの人とは挨拶程度で声をかけることもなく、話し込むだけでなくその後も行き来が続く人間関係には偶然とは言っても、相性と言うか何か因縁めいた気がしてきます。

昨年から出会ってから交流が続くようになった知人も複数存在しますが、先月のお遍路で出会った今治市の英語教師ピーターさんについても、焼山寺で偶然の接触が3度続き、二度と会うこともないと思って別れてから四度目の遭遇がありました。


英語ができない私との会話も、車のジェット巡拝中の私にピーターさんの自転車が追いつくはずもなく、3時間後にピーターさんが3ヶ寺を後回しにして4ヶ寺先のお寺を直接目的にして走っていたことから奇跡の再会となりました。

3月に愛媛県第39番延光寺で出会ったFさん

四日市市のFさん


四日市市一心寺の法螺貝の修験者


Fさんから戴いた法螺貝


同じく先月出会った三重県四日市市のFさんについても、年齢も親子ほど離れており、何故に会話が始まったか判りませんが、5ヶ寺だけの同行の中で、偶然にも我家から近い四日市市の方であったことや、私が10年以上前に法螺貝に興味があったことから地元での再会を約束しました。

四国から帰って再会した四日市市の一心寺では、「音が出なかったから諦めた」と語っていた私に、高価となる本格的な法螺貝まで頂くことになり、私が身勝手に訪れたお寺のご住職から御礼まで言われると絶対に大切にしたい人間関係となりました。

こんなお遍路を通した人間関係が、身体にガタが出てきた年寄りにも大きな力になることは間違いがなく、「年寄りになってからどうしてそんなに親しい友達ができるの」と周りから言われますが、四国に限らず上高地でも親しい出会いが続いています。

「先生の転勤はありませんか?」
    「2年位は無いと思うけど、どうして?」
「居なくなると心が折れそうだから…」
    「ありがとう、そう言ってくれて…」

本日の中村日赤の主治医との会話ですが、膠原病に罹患した年寄りにとっては、「身体の不調時は何でも僕に電話してきて」と言ってくれた医師は仏様か神様のような存在であり、こんな信頼関係が一年でも永く続いて欲しいと思っています。

膠原病の血液検査が随分と回復して

名古屋第一赤十字病院 (中村日赤)

日本赤十字社愛知医療センター名古屋第一病院 (正式名称)


玄関前の庭園

ナイチンゲール像

立松子 二代目看護部長の銅板

寄贈者平木好子三代目看護部長のプレート

「数値がずいぶん良くなったね」

   「体調も良いですよ」

「明日からステロイドを減らそう」

   「減らして大丈夫ですか…」

「次の診察は二ヶ月後にしよう」

   「心配だから、もっと短くして下さい」


昨日の中村日赤の主治医との会話ですが、血液検査の結果が大幅に改善し、「CRP」という炎症や組織の損壊を示す数値は正常な基準値内に治まり、昨年6月に膠原病と診断されてから7か月目にして痛みは皆無となり、「MMP-3」という関節リウマチの数値は相変わらずですが、「RF」はあと少しで基準内に治まりそうな結果となりました。


今年6月の血液検査で膠原病と診断された3種類の異常を示す数値の変化

6月から今月までの推移


CRP(基準値 0.00ー0.14) 体内の炎症や組織の一部の損壊の有無を診断する検査

 (6月) 4.85→ (8月) 2.32→  (9月) 2.89→  (10月) 3.78→  (11月) 3.69→  

   (12月) 0.50→ (1月) 0.12


MMP-3(基準値 35.2ー123.8) 関節リウマチ患者の関節には大量にMMP-3 が含まれており、関節破壊の指標とする検査

  (6月) 162.4→  (8月) 212.3→  (9月) 213.3→   (10月) 231.9→   (11月) 201.7→ 

   (12月) 153.0→  (1月) 184.9


RF(基準値 20未満) 血液中のRF(リウマトイド因子)という物質の量を調べる検査 

 (6月) 24.5→   (8月) 26.7→   (9月) 45.1→  (10月) 67.8→  (11月) 63.6→  

  (12月) 36.8→  (1月) 21.7


昨年3月末に交差点で車に追突され、頚椎挫傷によって右手の指がシビレ、毎週病院へ通院する中で一ヵ月後のゴールデンウィーク頃に両手が腫れあがり、その後に両手と両肩に激しい痛みが走り、6月には膠原病と診断され県外の外出にドクターストップがかかりました。


6月と7月には車の運転もできず、歩くのも苦痛に陥りましたが、8月にはストレスが大敵なため医師から上高地への外出許可はでたのを機会に、9月からは勝手な判断で石段ばかりの四国遍路にも出向くようになりました。


12月になって検査結果がずいぶんと改善したことで、「これで上高地も大丈夫だね」と医師から言われた半面で、「心配だった」と私が思っていた以上に深刻な病状であったことが告げられましたが、私はノー天気に上高地と四国を走り廻っていました。


それでも四国遍路ではお大師様に病気回復を祈願し、上高地の帰り道に立ち寄る御嶽山の霊神場と弘法堂のお大師様に手を合わせてきたご利益としておきますが、私には同じ医師に診察を受ける膠原病の先輩が存在し、普通に生活するまで回復したその神様の存在が大きな希望となっていました。


発病直後に手の平の腫れた写真をこのブログに掲載したことで、その神様から「私の病気と一緒ではないか」との助言があり、早期の診断と治療が始まったことが順調な回復につながり、一年後には回復している神様によって随分と安心感をいただいてきました。


さて、私の住む津島市にも膠原病の患者が存在しますが、病状が随分悪化してから膠原病と診断され、診断後も専門医が一週間に半日だけしか診察しない病院に通っている現状があり、30分も走れば何時でも専門医の適切な治療が受けられる良き見本になりたいと思っています。


中村日赤の弁財天

 名古屋第一赤十字病院

 患者通用口

 救急患者搬入口




正門庭園


 名古屋駅方面
3日の写真です。

 先週金曜日に訪れた中村日赤の診察が終了後、アメーバブログの中から見つけた病院周辺に存在するニコニコ地蔵を探したものの見つかリませんでした。

病院関係者に聞いても判らず、警備室から病院内にある神社を教えてもらい、訪れたところ弁財天が祀られていました。

案内を見ると、病院が開院する前にあった「遊里ヶ池」の中に、中の島があり中村弁天寺が存在し、近江の竹生島の弁財天の分身が祭られていたと記されており、昭和12年に病院が開院するときから祭られていたとの案内板がありました。


 京都大学付属病院の敷地内にある患者さんが手を合わせる延命地蔵(全快地蔵)のような存在と思っていましたが、中村日赤の弁財天は病院が開院する以前から祭られていた弁天様がそのまま存在しました。


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