大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

遍路

歩き遍路のフェースブックのグループを開設して

2013年11月 


 添付した写真は、今から10年前に歩き遍路友の会東海のメンバーとともに「讃岐7ヶ所まいり」で、JR 海岸寺駅に降り立った際の集合写真です。

この時に先頭を歩いた上野会長も鬼籍に入られ、メンバーの高齢化により今では四国にすら行けないお遍路も存在するようになりました。

 2013年11月21日の一言


昨日12時51分の写真です。

名鉄勝幡駅

午後3時20分の写真です。

名鉄名古屋駅


 昨日は毎年8月に開催される「歩き遍路友の会」総会の打ち合わせのために名古屋駅へ集合しました。

 来年には70歳となり、昨年膠原病に罹患した私ですが、友の会では若手になることと、四国へ頻繁に訪れていることから、メンバーに新風と四国遍路の新鮮な情報を提供するため 新たに Facebook のグループを立ち上げて発信することになりました。

 昨日に開設したFacebook です。

そんなわけでメンバー3人でスタートしたFacebook に、招待したお遍路のベテランが加入していただき 本日 4人のメンバーとなりました。私自身が昨年からFacebook で新鮮な出会いが続いていることから、新たなお遍路の出会いにつながることを期待しています。

久しぶりのウォーキングへ

畑の菜の花

レンゲソウ

シロツメグサ

タンポポ

裏庭の花々

本日の写真です。

先月訪れた四国遍路の6日目となる3月23日の朝に、マックの店頭前で転倒した際に右膝を痛めました。

幸いなことに歩くには何の支障もなかったため無事に遍路を結願したものの、正座をすると右膝が痛むため、しばらくは歩いての外出を控えていました。

しかし、週末に再度四国遍路へ出かけるため、身体のウォーミングアップを兼ねて本日は家内とマックまで歩きました。

わずか10日間のブランクですが 、道端に咲く花々や 畑の景色が全く変化しており、通り過ぎる用水にも小魚や亀が活き活きと 動いています。

 かつては一日一万歩を目標に歩いていましたが、昨年膠原病に罹患したことから現在は一日五千歩が目標になっているもののそれすら達成できない日々が続いています。

ただし、今月から開山となる上高地では一日2万歩は歩くことになり、車遍路とはいえ四国でも一日一万歩は歩くことになっていきます。

これからは私の身体が続くかどうかが課題となっていきます。

全国各地から雪の情報が届いて

本日早朝に岩屋寺から発信されたFacebookの写真です。

岩屋寺は愛媛県にある四国八十八か所のお寺ですが、標高八百メートルの久万高原にあるとは言え、高知県境に近い四国の中央部に位置しており、まさかこんなに雪が積もるとは思えない場所だけに驚きの写真として眺めました。

そして、雪は高知県でも…
高知県桂浜の写真

高知市では23日、明け方に雨が雪へと変わり、高知地方気象台によると、午前8時には観測史上最高となる積雪14センチを観測した。

 高知城の天守も雪で覆われ、路面電車は一部で運転を見合わせた。市中心部では、車輪が空転する車を数人で押したり、転倒したミニバイクを通行人が助け起こしたりする様子がみられた。雪は夕方まで降り続く見込みという。        朝日デジタル新聞引用


そして、徳島県でも…
徳島地方気象台によると、徳島市では23日午前10時までの24時間の降雪量が10センチに達した。2013年に統計を取り始めてから最高の降雪量だという。

高知県で積雪を記録したということは四国全体が降雪に見舞われており、この日から四国遍路を始めたとFacebookに発信していた人や、現在巡拝中の歩き遍路には大変な試練となりますが、突然の寒波襲来とはいえこんなに厳しい降雪はお遍路の足を鈍らせてしまいます。

もっとも、コロナ禍においてはコロナウイルスに感染したり、濃厚接触者となって閉鎖される納経所も存在し、何も知らずに訪れて朱印がもらえないお遍路も多く、リアルな天候や道路状況と併せて納経所の閉鎖状況など四国の情報を集約するサービスが必要ですね。

奈良公園の鹿

奈良県警によると、京奈和自動車道の県内区間では午前6時~8時半、積雪や凍結が原因の交通事故が少なくとも5件相次いだ。このうち午前6時20分ごろに発生したトラック2台が絡む事故で、それぞれの車両の運転手2人が軽傷を負ったという。23日午後5時現在も御所南IC―橋本東IC間の上下線で通行止めが続いている。奈良国道事務所によると、通行止め解除の見通しは立っていないという。


【速報中】ヤマトと佐川、クリスマスを前に配達に遅れ 大雪の影響:朝日新聞デジタル (asahi.com)


先週日曜日(18日)の高野山は降雪に見舞われ、真っ白になるだけでなく道路が完全に凍結しており、あわてて下山して奈良県橿原市へ移動し、翌日は雪をさけて橿原神宮と大神神社へ参拝しましたが、本日の報道では奈良県も雪によって交通事故が相次ぎ、道路の通行止めが続いており、しばらくは外出を控えたよさそうですね。


18日の高野山


四国60番横峰寺に通じる有料道路は、12月末から2月末まで冬季通行止めになっており、冬季は雪を覚悟する必要のある高野山と併せて、冬のお遍路をシーズンオフとする人も多く、冬のお遍路は注意が必要です。

京都三弘法仁和寺と神光院へ


仁和寺 

 山門から中門までの参道

 五重塔



蓮華寺 


神光院

京都三弘法まいり

 大原 宝泉院



 宝泉院内の三地蔵 


大原女の小径

法然上人の腰掛石

本日の写真です。

先週訪れた京都の東寺に続いて、本日は三弘法の仁和寺と神光院を参拝し、同級生が住職を務める大原宝泉院を訪れて最近の近況報告に花を咲かせてきました。

本日は家内と妹に加えて、三男夫婦と孫の6人で京都を訪れ、亀岡のトロッコ列車を楽しみたい孫達とは別行動で参拝を続けました。

三連休の京都は観光客の列が繋がり、京都駅に近い京都水族館を待ち合わせ場所にしたため、合流に手間取るとともに、高速道路の渋滞し名古屋への到着は一時間ほど遅れましたが、久しぶりに孫と夕食を共にすることもできました。

三弘法と大原宝泉院については後日紹介したいと思います。

ちょっと寄り道の四国遍路


第九番法輪寺納経所前の猫


第十六番観音寺の仏足石


 仏足石とはインドのお釈迦様の足跡を石に刻んだもので、インドに現存する仏跡石野復刻で、礼拝した手で自分の悪い部分をさすると改善すると言われています。

第十三番大日寺の香炉


石の語り部と言われる伊藤萬蔵さんが寄進した香炉です。現在の愛知県一宮市で生まれ、名古屋で財を成した実業家で、全国各地の神社やお寺に石灯籠や香炉を寄進した人物です。

沖縄と北海道を除く全国各地の社寺で伊藤万蔵さんの寄進した鳥居や香炉を目にしますが、寄進先は1000基を超えるとも言われています。

第十二番大日寺

第十二番焼山寺

ニホンヒキガエル 

杖杉庵の弘法大師と衛門三郎


杖杉庵(じょうしんあん)は徳島県名西郡神山町に所在する高野山真言宗の寺院。本尊は地蔵菩薩弘法大師伝説の残る四国八十八箇所霊場番外札所である。

最初に四国八十八カ所を廻ったと言われる伝説の人物衛門三郎の終焉の地と言われています。

弘法大師に詫びるため21回も四国を廻ったと伝わりますが、当時は遍路道も整備されていない山や海岸線を歩いて21回も歩いたのは驚きです。

自分自身と比較するとまだまだ修行が足らないことを実感させられます。

第十一番藤井寺の八十八ヶ所

参道


 四国の八十八ヶ所の寺院にはそれぞれの奥の院が存在し、お寺の裏山に設置されたミニ八十八ヶ所も参拝して行くと大変な時間がかりますが機会があれば立ち寄ってみたいものです。


 第九番 法輪寺

 第八番 熊谷寺

 また来てね~
先週土曜日の写真です。

明日からの三連休も台風が近づく予報になっており、台風に逆らってまで四国遍路はできませんが、こんな環境下でも情報もないままに歩くお遍路さんが存在します。

さて、徳島県の阿波踊りに参加していた819人がコロナに感染したとの報道がありましたが、マスクをつけない歩き遍路の存在に警戒する地元住民も存在することから、お遍路と地元との良好な関係が続くこと祈るばかりです。

四国の土柱麺とすだち


 阿波の新名物 土柱麺

2食分 350円
本日の昼食です
すだち 270円
本日の写真です。

今回の四国遍路のお土産は、土柱の「土柱麺」と徳島県の名産「すだち」です。

讃岐麺の製法を取り入れた、ダイシモチ麦を配合した新しい食感で、本日は蕎麦やうどんとは違う食感を味わいました。
そして何よりも、とれたて徳島産すだちの香りがよく合います。 

土柱

阿波の土柱は、阿讃山脈より流れ出た土砂が長年の風雨や地震によって崩壊し、長い年月をかけて作られた自然景観で国の天然記念物にも指定されています。

夜は1年を通じてライトアップされており、幻想的な世界が広がります。 

 すだちは「道の駅温泉の里神山」で購入し、土柱麺は入浴のため立ち寄った「土柱ランド新温泉」で購入しました。

17日の行程
24時自宅発 東名阪自動車道名古屋西 IC … 名神高速 … 新名神 … 宝塚北 SA(休) … 山陽自動車道 … 神戸淡路鳴門自動車道 … 淡路 SA(休) … 淡路南 PA(仮眠) … 鳴門 IC …

この日の四国遍路は、午前8時30分よりスタートし、第17番井戸寺から第8番熊谷寺まで逆打ちで巡回しました。

鳴門市内で夕食をとり、台風が接近していたため明石海峡大橋が見える淡路サービスエリアまで移動してから車中泊としました。

四国から届いた手紙から遍路の話題へ

本日届いた四国フォト廣瀬さんからの手紙

同封されていた写真


 昨日のブログで3連休四国遍路の最終記事にしようと思っていましたが、本日の郵便ポストに善通寺の四国フォト廣瀬さんの手紙が届いており、帰宅後のブログに届いていた知人のコメントを確認し、お遍路仲間に近況報告する一日となりました。


ブログに届いた知人からのコメント

ご無沙汰しています。  今日は夫婦で66-68番まで歩いて参拝していました。ニアミスでした。また、いつかお会いできることを願っています。 

 高野山金剛峰寺で二度の法話を聞いた「帰ってきた坊さん」のコメントです。二度のサラリーマン生活から僧侶になられた方で、事前に連絡が取れていたらお会いできたと思うと残念なニアミスでした。


いまは、歩きが不自由になりみちのく巡礼の方洞に専念して居、明日東日本大震災への祈りと伝承の場創りに専心しています。  

 かつては、お孫さんと2人の遍路が新聞記事にもなったお遍路さんの先輩です。現在は東北の「みちのく巡礼」を宮城・岩手・福島3県で展開中です。


ブログ記事一覧|未来への祈り『みちのく巡礼』~東日本大震災東日本大震災犠牲者鎮魂と伝承の道 (ameblo.jp)


 今回の遍路で新たな出会いを実現したのはフェースブックの恩恵ですが、これまでフェースブックはブログの延長程度にしか思っておらず、チャットを利用して連絡ができることも知りませんでしたが、1日目に出会ったМさんに知恵を授かり今後は有効に活かしたいと思います。


3月21日のフェースブック

はじめまして!

ひょっとしたら、21日朝横峰上がりませんでしたか?

私達は下りで 緑ナンバーの良く似た車と離合したのを覚えてます。


〇〇さん、間違いなく私の車です。

こんな出会いがあるので、悪いことはできませんね(笑)  これからも宜しくお願いします。


 こんな連絡がメールのようにできるため、有効に利用すれば旅の情報源や情報交換が可能となりますね。


 ただし、ネット上に公開された情報だけでは相手の性格や素性も判らないため、安易な個人的な情報交換は禁物ですが、たくさんのお遍路さんと遭遇するものの、一緒に巡拝するうちに会釈から挨拶となり、雑談に花を咲かせる人も出てきます。


 3日目の午前中に遭遇した金沢市のKさんについては、一緒の駐車場の車中泊で隣同士だったものの、お遍路さんとは思っておらず、その後にお寺の駐車場ですれ違い遍路中と判り、最初は無言の会釈だけでしたが、次のお寺で「おはようございます」と挨拶し、その後3時間ほど会うこともなく昼過ぎになって再度顔をあわせました。


 このお寺を八十八か所の最後にして愛知県へ帰るため、この人とも二度と会うことはないのかなと思っていると、お互いがどちらともなく挨拶から雑談に発展し、健康面やお遍路、今後の旅立ちなど話に花が咲き、ご夫婦をスマホで撮影して納札を交換していました。


 帰宅後に写真を送るため納札の名前から検索すると、多角的に事業を展開しておられ、貧乏旅のような私の相手をしていただいたことに恐縮した次第で、こんな旅先での出会いはうれしいかぎりとなります。


 私は平成13年に四国遍路をスタートさせましたが、当時は60歳定年制度と60歳から年金が支給されていたため、退職金や年金で経済的に恵まれるだけでなく元気なお遍路さんが多かったものの、最近では定年の延長と年金支給の引き上げで出会うお遍路さんの姿は一変しています。


 そんな中で、新しい出会いは難しく、旧知のお遍路さんや現地の知人と再会する機会も減っていくため、今回の3連休は久々に新しい出会いと再会に感謝するお遍路となりました。


                                3月25日の一言

朝日新聞から四国遍路の記事を見つけて

本日の写真です。

 私の住む愛知県には、知多新四国八十八ヶ所霊場が存在するため、私の四国遍路についても四国まで行かなくとも知多のお遍路でも信心は一緒ではないかと知人から言われます。

「知多でも一緒なんだから知多にしたら」
       「お遍路は四国だけなんだけど…」
「知多でもお遍路だろう」
       「四国以外はお遍路とは言わないし…」
「テレビで知多もお遍路で歩いているぞ」
       「知多は弘法大師の聖跡ではないし…」
「知多にも弘法大師は来ているぞ」

 挙句には「あんたも愛知県の人間だから知多を廻ったら」とまで言われる始末で、弘法大師が知多半島や愛知県に来たという事実が何もないのに、最近はテレビでも知多半島に弘法大師が来ていたような報道まで存在します。

 四国遍路と西国巡礼、伊勢参り、金比羅参りと記された朝日新聞の記事に、四国遍路についての判りやすい報道があり、ネット上に公開されているものの、時間が経過すると検索できなくため、自分自身の記録のためにも転載しました。著作権なんて言わないで下さいね(笑)

ここからは朝日新聞デジタルからの転載記事です。

「四国遍礼道指南増補大成」

しこく遍路考

 江戸時代は、旅の時代です。「徳川の平和」「泰平(たいへい)の世」と呼ばれる時代に、街道が整備され、参勤交代を行う武士だけでなく、許可を得て多くの庶民が旅に出ました。藩が国であった時代、旅に出る時はパスポートである往来手形が必要でした。庄屋や檀那寺(だんなでら)が身元を保証し、全国の関所や村役人に向けて、関所の通行要請や死亡した場合の取り扱いなどを書きました。

 旅の隆盛とともに、西国巡礼や伊勢参り、金毘羅参りなど様々な案内記が発行され、人々を誘いました。四国遍路初めての案内記は、貞享4年(1687)の真念『四国辺路道指南』です。重版を重ね、書名の漢字も僧侶の修行であった「辺地修行」につながる「辺路」から、弘法大師聖跡の巡礼を表す「徧礼(へんろ)」「遍路」に変わっていきます。大坂の荒野聖・真念は、出版動機を「弘法大師850年忌にあたり老若男女の初心者も四国遍路できるように」と記し、歩きやすい道を選んで紹介しました。自身も200基以上の道標を建て、遍路宿を整備して、四国遍路興隆に寄与しました。

 その後元禄2年(1689)、高野山の学僧・寂本の『四国徧礼霊場記』、同3年の真念『四国徧礼功徳記』が刊行され、同4年には歌舞伎『四国辺路』が京都で上演されており、畿内で四国遍路ブームが興っていました。

 四国遍路に来た人々の日記も残っています。現在確認されている江戸時代の遍路日記は51点で、多くは地名・距離・難所が記された単調なものですが、筆者が福岡県立図書館で発見した佐治家の「四国日記」は、最も記述内容が豊かな日記です。

 津屋崎村(福岡県福津市)の豪商佐治家一行は、7人連れで弘化2年(1845)2月22日に出発。小倉や萩、岩国の城下町、宮島を見物しながら、船で三津浜に上陸します。太山寺を打ち初めに四国を北上、55日で一周します。四国に入ると初日から登場するのが接待です。

 集計すると、最も多いのは、香物(漬物)21件と赤飯18件です。続いて、髪結い7件、銭5件、唐豆類5件、煮しめ4件、餅2件、わらじ2件があり、白飯・焼米・ひきわり飯・弁当・はったい粉・トウキビ・薬・茶・豆腐・吸い物が各1件記されています。旅に必要な、自分にできる接待を行っていることが分かります。

 接待主の名前も記されており、他村や他国からも接待に来ていることが分かります。伊予で13件、讃岐で25件(うち備中9件、備前1件)、阿波で11件ある一方で、土佐は0件となっています。藩から接待禁止令が出ていたためです。

 遍路日記は、その時代の巡礼や社会の姿を伝えてくれます。江戸時代から続く接待は、重要な四国の文化なのです。(愛媛大学「四国遍路・世界の巡礼研究センター」センター長・胡光)

                                             朝日新聞の転載です。


 さて、新型コロナの感染拡大がなければ、1月と2月のお遍路で13回目の満願になっていましたが、来月と4月の巡拝で結願を目指すことになります。
 私自身は納経帖の朱印や巡拝回数を増やすことよりも、弘法大師(空海)が今から1200年前に修行した聖跡で、弘法大師と同じ真言を唱えることによる霊響に期待しており、自分の背後から弘法大師の声が共鳴することは非科学的ですがそんな意識で読経しています。

                                 2月23日の一言
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