本日の夕暮れ

鎮守の杜

本日の写真です。

 昨日の一言に、四国遍路について、「四国辺路道」から、「辺地修行」、「辺路」から「徧礼(へんろ)」、「遍路」に変わったことを紹介する新聞記事を転載しましたが、徧礼(へんろ)」が弘法大師聖跡の巡礼を表す言葉であることから、弘法大師の聖跡である四国霊場以外は遍路とは言わないことが判ります。

 四国八十八ヶ所霊場会の先達教典では下記のように案内しています。
 邊地・邊路・遍路として、日本古来の「常世の国」をめざす信仰は、やがて仏教と習合し海の邊(ほとり)を廻る道を踏む仏教修行者の行場として歴史に登場する。「今昔物語集」には「邊地」、「梁塵秘抄」には「邊道(へち)」、俊便房重源は「逿(へち)」という文字を用いている。

 それから後は「邊路(へじ)」という文字が江戸時代の宥辯真念まで用いらられる。真念はさらに「遍路」「邊路」「徧礼(禮)などを用い、「へんろ」と読ませるが、文字は一定していない。
 「遍路」が一般的に用いられるようになるのは江戸時代後期のことである。真念が「へんろ」とそれぞれの文字を読ませたとされているのは真念の道しるべ石に「遍ん路みち」と書かれていることによると思われる。

 そして、遍路道とは、大師巡礼するための遍路道。その中でも特に歩いて巡礼するための道を指す場合が多いが、本来は国道なども含めて遍路が歩くすべての道をいうと案内されています。とにかく四国遍路は四国四県の弘法大師ゆかりの寺院を巡拝する行為です。

 さて、四国には八十八ヶ所のお寺以外にも大師ゆかりのお寺は多く、別格二十霊場だけでなく奥之院や神社も存在します。

 ここに添付したのは、第73番出釈迦寺の奥之院となる「捨身ヶ嶽禅定」の朱印です。

3回分の重ね印


 捨身ヶ嶽禅定は、弘法大師が「真魚」と呼ばれた7歳の頃に標高481メートルの我拝師山に登り、「我れ、仏門に入りて一切の衆生を救わんと欲す。我が願い成就するものなら、釈迦如来よ、現れ給え。もし願い叶わぬなら、一命を捨ててこの身を諸仏に供養し奉る」と唱えて谷底に身を投じたと伝わります。

 この時に蓮華に座した釈迦如来が天女とともに舞い降りて、飛び降りた真魚を抱きとめたと言われる伝説の場所で、青年となった弘法大師が我拝師山の山頂で「虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)」像を刻んで安置し、ここで虚空蔵求聞持法を修法されたのが捨身ヶ嶽禅定です。

 出釈迦寺は弘法大師が開基したお寺で、捨身ヶ嶽禅定は出釈迦寺から約1時間ほど登った山頂にありますが、行場は奥之院からは鎖をたよりに岩場を100メートルほどよじ登った山頂近くにあり、出釈迦寺から奥之院までは車も利用できます。

2019年 10月13日

 2年前に訪れた時は相棒リマも同行させており、奥之院までは一緒に車へ乗せてもらいましたが、今となっては相棒との懐かしい思い出の場所になってしまいました。



 添付したのは四国八十八ヶ所霊場の奥之院の朱印の一覧です。今年は奥之院も巡拝していく予定を立てています。
                                  2月24日の一言