大鹿一八「本日の一言」

平成16年2月から令和1年7月末までの「本日の一言」です。ヤフーブログ閉鎖により、ライブドアへ過去の記録として引っ越しました。

邦画

映画「ボクは坊さん」に感動する一日に

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映画 ボクは坊さんの一シーンです

 見たいと思っていても中々見る機会がなく、先月の一言に記しているものの、愛知県では名古屋市まで出向かないと上映されておらず、我家の前を走る名鉄バスで「伏見ミリオン座」は直接行けるものの、映画館の近くを走るバスは1時間に1本しかなく、往復千円以上と映画代より高額となり、車で出かければ駐車場に困るため、時間的に行くことができませんでした。

 こんなことでは上映期間が終ってしまうため、再度ネット検索すると、三重県の東員町のイオンシネマでも上映されており、県外とは言え私の住む愛知県からは40分程度でいけるため、「おい、行くぞ」と家内と午後から鑑賞に出かけました。

ボクは坊さんの上映が始まり 2015/10/21(水) 私の一言

ボクは坊さん 映画コムから引用
愛媛県今治市にある四国八十八カ所霊場の第57番礼所・栄福寺の住職・白川密成氏が、糸井重里氏が編集長を務める「ほぼ日刊イトイ新聞」で連載し、後に書籍として出版もされた実話エピソードを映画化。住職だった祖父の死をきっかけに書店員の仕事を辞め、自らも24歳で住職になった白川光円。初めて知る住職の世界は奥深く、毎日が驚きの連続だった。光円は、檀家の人たちとの関係に悩み、冠婚葬祭で人々の人生の節目を見守り、様々な経験を積むことで成長していく。主人公の僧侶・白川光円は「映画 ビリギャル」「踊る大捜査線」の伊藤淳史。共演に山本美月、溝端淳平、濱田岳ら。「ALWAYS 三丁目の夕日」で知られる制作プロダクションのROBOTが手がけ、同社所属の映像クリエイター、真壁幸紀が長編映画監督デビューを果たした。


ボクは坊さん全国劇場案内 http://bosan.jp/theater/

 「どうしたの…」
 「ウッ…」
 「チョット、チョット」
 「ウッ、オッ、ウー、オー」
 「お父さん、チョット、お父さん…」

 先代住職となる祖父の白川瑞円僧正が亡くなられる直前に、頭を丸めた白川住職が病院のベットを訪れたシーンから涙が止まらなくなり、地元の人々が行列をなして先代住職を送る映像が流れる頃には堪えきれず嗚咽が止まらず震えが収まりません。

 お寺の仕事とは何か。僧侶とは何をすべきか。この映画は見事にその答えを導いており、先代住職や檀家の長老の死を通じて、幼馴染や高野山大学の仲間との交遊から、生きていくことの魅力も十分に映写されています。
 葬式や法要だけを生業にしているお寺や僧侶が多い中で、真言密教や弘法大師・空海の教えを紹介しながら、生きていくためのヒントを見た思いがします。

 「オギャー」と生まれた時から、あっと言う間に人生を終えたときに、人はやっと静かに眠れる元の場所に戻って行くと考えると、「ピー、ピー」と鳴いたスズメのピーちゃんが、わずか1年半で命を終えてしまったものの、我家の玄関で永遠に眠っていることを重ね合わせていました。
  
 私自身は平成14年4月9日に初めて映画の舞台となった四国57番札所の『栄福寺』を参拝しており、今までに11回参拝しているものの、映画から映された見事な風景には無関心で、栄福寺の白川住職やお寺を取り巻く人間模様には全く無関心でしたが、今回の映画鑑賞で新たな「お遍路」が展開できそうな気がします。


四国第57番札所『栄福寺』 http://www.88shikokuhenro.jp/ehime/57eifukuji/index.html

イメージ 2 さて、映画が終ったのが午後4時近くなっていましたが、映画館を出た直後に私が昨年より京都でお気に入りとしているラーメン店『北白川ラーメン魁力(かいりき)屋』が存在していたことから、昨日の一言に食生活の節制を記しているものの迷わず日頃は食べないラーメンを注文していました。

イメージ 3 ちなみに、お店のおススメは「醤油味玉ラーメン」になっており、750円の定価となっていますが、スープも一滴も残さず飲んでしまうほど味はおススメです。

 もっとも、京都の本店には、店長を目指して修行中の店員がキビキビと働いており、お店の雰囲気は全く違うものの、まさか三重県の東員町でお気に入りの名店に入れるとは思ってもいませんでした。

 
                 本日の体重 71、4キロ 徒歩数 4837歩                                                                                                                     11月8日の一言

久々に連合艦隊のDVDを鑑賞して

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 本日書店を訪れたところ、一週間前に売り切れとなっていた戦争映画のDVDが置いてあり、購入しようと取り上げて確認すると、出演者に「鶴田浩二」さんの名前がなく、見直していると既に2号の「日本海大海戦」となっていました。
 
 ただし、横を見ると創刊号も置いてあり、同行した家内の財布が開かないため、自分の小遣い銭で購入(990円)して、売り切れで諦めていた「連合艦隊」のDVDを手にすることができました。
 
 私が尊敬する「鶴田浩二」さんは、この映画は主役ではなく特別出演ですが、沖縄作戦で第二艦隊司令長官を務めた伊藤整一海軍大将役を演じ、アメリカ航空艦隊艦載機による総攻撃によって撃沈される戦艦大和とともに海に沈んでいきます。
 
連合艦隊 東宝映画 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
映画「連合艦隊」十の泣き所
 
『連合艦隊』 主題歌 谷村新司 『群青』
 
 私はこの映画のビデオテープを持っていますが、最近と言うよりも15年ほどは見ておらず、久しぶりにパソコンによる鑑賞となったものの、昭和56年当時としては破格の10億円の製作費をかけ、興行収入・動員数ともに第1位を記録した映画だけに迫力が違います。
 
キャスト
真珠湾攻撃・ミッドウェイ作戦
山本五十六(連合艦隊司令長官): 小林桂樹
宇垣纏(連合艦隊参謀長): 高橋幸治
南雲忠一(第一航空艦隊司令長官): 金子信雄
草鹿龍之介(第一航空艦隊参謀長): 三橋達也
永野修身(軍令部総長): 小沢栄太郎
及川古志郎(海軍大臣): 藤田進
福留繁(軍令部第一部長): 藤岡琢也
レイテ作戦
小沢治三郎(第一機動艦隊司令長官): 丹波哲郎
貝塚武男(空母瑞鶴艦長): 神山繁
武田上整曹(瑞鶴飛行隊整備士長): 長門裕之
豊田副武(連合艦隊司令長官): 田崎潤
沖縄作戦
伊藤整一(第二艦隊司令長官): 鶴田浩二
有賀幸作(戦艦大和艦長): 中谷一郎
本郷家
本郷英一(瑞鶴艦上爆撃機隊の隊長。海軍大尉): 永島敏行
本郷眞二(瑞鶴、のちに大和の航海士。海軍少尉): 金田賢一
本郷直樹(奈良博物館館長): 森繁久彌
本郷歌子(英一・眞二の母): 奈良岡朋子
本郷陽子(英一の婚約者、後に眞二の妻): 古手川祐子
小田切家
小田切武市(海軍兵曹長。大和工作科分隊班長): 財津一郎
小田切正人(海軍中尉。特攻出撃した戦闘機搭乗員): 中井貴一[12]
小田切照代(正人の姉): 友里千賀子
小田切美代(正人の妹): 里見奈保(鶴田さやか
 
 添付したキャストを見ただけで、歴史に名を残す大スターが揃う豪華メンバーであることが判りますが、私がビデオテープを入手して鑑賞した頃と違い、現代社会はネット情報が充実している事から、俳優の経歴だけでなく、演じた実在した人々の経歴も判る事から、当時の戦況や歴史背景も見ながら鑑賞すると映画の奥行きが深くなっていきます。
 
 久しぶりの鑑賞となりましたが、時間がないため鶴田浩二さんが登場する後半しか見ておりませんが、撃沈された大和の艦内は浸水した水が戦死した兵士の血で真っ赤となり、どす黒い油が浮き、現実と変わらぬような臨場感ですが、パソコン画面でなく大型のテレビ画面で見れば更に感動は増幅されると思います。
 一方で、映画のラストを主題歌「群青」が見事に引き立てますが、この映画のために作られたと言ってもよいような感動を生みます。
 
 さて、パソコン画面でも涙で溢れますが、勝手な借り物としたグーブログ「連合艦隊十の泣き所」を参考にされれば更に感動となり、この映画で鶴田浩二さんの三女の「小野(鶴田)さやか」さんが出演していることを知り、再度見直したいと思う夜となりました。
 
この一言の満10年までのカウントダウン、あと6日
                                   2月6日の一言
 
追伸 ウィキペディアから削除されていたので、記録として残します。
あらすじ
1940年(昭和15年)、連合艦隊司令長官山本五十六らの反対にもかかわらず、時の海軍大臣・及川古志郎の「やむを得ない」の一言により日独伊三国軍事同盟が締結された。
その頃、船大工の小田切武市は、息子の正人海軍兵学校に合格したので有頂天になっていた。18年間の海軍勤務でも准士官止まりであった武市は、正人の将来の出世は約束されたと信じて疑わなかった。
1941年(昭和16年)の春、海軍中尉に昇進した本郷英一は、学問の道を志す弟の眞二三高に合格したことを、奈良博物館の館長である父親の直樹や婚約者である早瀬陽子とともに喜んでいた。
やがて、ドイツ対ソ宣戦布告や日本軍の南部仏印(現在のベトナム)への進出、そして、それに対するアメリカの対日制裁置としての日本への資源の禁輸などが始まると、世界情勢は日毎に緊迫の度を強め、対米戦争の予感は現実味を帯びてきた。日米協調派である山本は、もしも、日米開戦となった場合でも、早期和平を実現させるために、アメリカ太平洋艦隊の本拠地であるハワイオアフ島真珠湾空母機動部隊により奇襲するという作戦計画を立てた。
やがて、日米交渉が決裂し、1941年12月8日、真珠湾攻撃が行われた。英一は、空母瑞鶴飛行隊の九九式艦上爆撃機部隊の搭乗員の一員として真珠湾攻撃に参加し、真珠湾に停泊中の米太平洋艦隊が壊滅的打撃を受けるのを興奮の面持ちで見つめていたが、そこに空母の影は1隻もなかった。
同じ頃、5年の歳月と造船技術の粋を集めて、極秘のうちに建造されていた戦艦大和が竣工した。翌1942年2月、大和は連合艦隊の旗艦となり、山本長官以下、連合艦隊司令部が乗り組んだ。大和の乗組員の中には、予備役から応召、大和の工作科分隊士として海軍に復職した海軍兵曹長、武市の姿もあった。
日本軍の破竹の快進撃が続く中、同年4月18日の米空母ホーネットから発進したB-25爆撃機の編隊による日本本土初空襲の衝撃を受けた軍令部は、空母を含む米太平洋艦隊の残存部隊を全滅させるという山本のミッドウェー攻略作戦案を了承し、5月下旬、連合艦隊の主力部隊は、ミッドウェー島沖に向けて出撃した。しかし、6月5日・6日のミッドウェー海戦では、事前に日本軍側の作戦情報を入手していた米軍の待ち伏せにより、日本海軍は主力空母4隻を失い、ミッドウェー攻略作戦は大失敗に終わり、戦局は、ジリ貧の消耗戦へと突入していった………。

解説[編集]

本作は、日米開戦前年の日独伊三国軍事同盟の締結から始まり、真珠湾攻撃、ミッドウェー海戦、南太平洋海戦ソロモン諸島攻防戦山本五十六の戦死レイテ沖海戦などを経て、沖縄水上特攻作戦に向かった戦艦大和が坊ノ岬沖海空戦で壮絶な最期を遂げるまでの、太平洋戦争における連合艦隊の興亡の光と影を、ダイジェストながらも編年史として描いた初めての作品であり、東宝の、そして、松林宗恵監督自身の戦争映画の集大成として製作された映画[2]。世界第3位の規模を誇った旧日本海軍連合艦隊が、1940年日独伊三国同盟調印により第二次世界大戦太平洋戦争大東亜戦争)へと引きずり込まれ、約5年後の戦艦大和撃沈によって、その終焉を迎えるに至るまでの軌跡を、市井の2つの家族を中心にして描いた作品である。レイテ沖海戦は、日本の戦争映画では本作で初めて映像化された。
それまでの太平洋戦争をテーマにした戦争映画では、山本五十六などのような歴史に名を残す軍人を描いたものが多かったが、本作は「本郷家」と「小田切家」という、連合艦隊に関わった2つの架空の家族を中心にして、この時代と世相を描いている。実質的な主役は、本郷英一、本郷眞二、小田切武市、小田切正人の4人である。
本作で、この「市井の目から見た戦争映画」という様式が取られた背景には、監督の松林宗恵と脚本家の須崎勝彌に共通する、ある思い入れが介在している。両者は、ともに旧海軍の出身だが、彼らが過去に東宝で製作に関わった戦争映画は、いずれも英雄譚としての性格が強いものばかりだった。そのため、かねてより、「現在の日本の繁栄は無名の英霊達の犠牲の上に成り立っているのではないか、息子達を戦場に送り出した父母の思いは如何だったのか?」という疑問を抱いていたのだという[3]
製作費は、当時としては破格の10億円。劇場公開時の配給収入は約19億円(興行収入に換算すると32.3億円)で、1981年に公開された日本映画の中では、興行収入・動員数ともに第1位を記録し、大ヒット映画となった[4]

特撮[編集]

この映画で使われた戦艦大和の模型は、石川島播磨重工業(現:IHI)の子会社によって9000万円の製作費を費やして縮尺1/20(13mサイズ)のものが作られた[2]。船体(木材や金属で作られていた過去の撮影用模型と異なり、FRPを使用[2])はIHIクラフトが、艦橋や煙突、砲塔やマストなどの上部構造物は東宝美術と東宝特殊美術(現・東宝映像美術)が製作し、1981年1月20日に完成し進水式が行なわれた。2005年に開館した呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)で1/10の模型が公開されるまでは、最大の大和の模型であった。この1/20の大和の模型は、小型漁船用の水冷ディーゼルエンジンを動力とし、船体内部に3人が入って時速6ノットで自力航行できただけでなく、火薬とラジコン装置を用いて46cm三連装主砲の発射シーンを再現することもできた[5]。船体の前方にも舵がついており、プール内で楽に回頭できるようになっている[2]。なお、坊ノ岬沖海戦の戦闘シーンのうち、遠景や、(ラストの)爆沈のシーンなどの撮影では、東宝特殊美術が中心になって製作した縮尺1/40の模型が使用された。
13mサイズの超大型のミニチュアが造られた最大の理由は、東宝撮影所敷地内の特撮用大プールではなく、外洋で撮影するためであった。しかし、この当時、船舶法などの関連法令の改正により、13mを超える(小型)船舶の海上での航行には、船舶への航海標識灯の設置、ならびに、船長や無線士の資格を持つ者が操船することなどが必要となっていて、結局、三浦半島沖での外洋ロケは見送られ、特撮用大プールでの撮影のみとなり、中野昭慶特技監督が思い描いたヘリコプターからの空撮は実現できなかった[6]
空母瑞鶴についても、小型漁船用のディーゼルエンジンを動力とし、船体内部に1人が入って自力航行できる模型(船体は、大和の模型と同じく、FRP製で、飛行甲板や艦橋などは合板製)が東宝特殊美術で製作された。[7][8]
神奈川県茅ヶ崎市柳島海岸に、瑞鶴の艦橋や飛行甲板、対空機銃などが実物大セットで再現された。また、東宝撮影所の敷地内には、大和の艦橋下部周りや、高角砲、シールド付の25mm三連装機銃が並ぶ船体中央部の最上甲板、1番副砲、さらに、艦橋最上部(防空指揮所、15m測距儀、21号電探)などが、実物大セットで再現された。東宝撮影所のスタジオ内には、瑞鶴の艦上機格納庫甲板や艦橋内部、ならびに、大和の第一艦橋内部や司令長官室などがセットで再現された。
本作のために製作された縮尺1/20の大和の模型は、撮影終了後に東武動物公園に寄贈され、直後にテレビドラマ[9]の撮影にも使用された。その後、船の科学館に譲渡されて長らく玄関脇に展示されていたが、2004年の年末に暴風雨によって横転し、上部構造物が損壊、修理不能と判断され解体・廃棄された。
本作で大和が初登場するシーンでは、これまで、ほとんどの映像作品で描かれることがなかった、2番・3番副砲を備えた最初期の艤装を復元している(なお、『連合艦隊』以前の東宝の特撮戦争映画で、最初期の艤装を再現した大和のミニチュア模型が実際に特撮シーンに登場した作品は、1968年の『連合艦隊司令長官 山本五十六』のみ。1960年の『ハワイ・ミッドウェイ大海空戦 太平洋の嵐』の劇中の瀬戸内海柱島泊地のシーンにおいて、1カットだけ登場する大和の模型(木製模型)は、ミッドウェー海戦の直前であるにも関わらず、レイテ沖海戦時の艤装であった。また、1953年の『太平洋の鷲』に登場する大和は、マット画処理により作製されたものである)。
本作での大和や瑞鶴などのミニチュア撮影は、あえて、波の縮尺を度外視して大きくした「磯波」で演出されている。これは、中野昭慶特技監督の、「迫力にこだわりたい」との意図によるものである。また、背景の空(ホリゾントに描かれたもの)が曇天なのも、悲劇性を強調してのものであった。ラストシーンでの大和の大爆発(爆沈)シーンでは、大和の艦橋を凌駕する派手な爆発の炎が話題となったが、この爆発の撮影は、一度目のものは、中野監督が「爆発は良いが波が気に入らない」ということとなったため、改めて撮り直され、「磯波」で録り直した2テイク目が採用された。当時、「この爆発の火柱が大き過ぎるのではないか」と指摘があったが、中野監督は、「それは間違い。実際は、あんなものじゃなく、船の2倍くらいの大きな火柱が上がっている」とコメントしている。この大爆発(爆沈)シーンには乗組員の描写が無いが、これも中野監督によると、「大和が主役だから」との趣旨による[10]

久々に戦争映画を鑑賞して

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 本日は名古屋市中川区にあるコロナワールドへ、家内と一緒に映画「永遠の0」を鑑賞に訪れたところ、2年前の4月以来映画館を訪れておらず、貯めていたポイントカードは無効になっていました。
 
 「永遠の0」については、最近の戦争映画は脚色したり、戦争を歪曲したものも多いため見ないことにしていましたが、一週間ほど前に香川県三豊市役所に勤め、近代戦争史を研究しているMさんより連絡があり、この映画の原作を書き上げるため、特攻隊の生き残りとなった丸亀市の方から作者が取材していたことを聞かされました。
 
 そんなことから遅まきながらの鑑賞となったものの、戦争映画は久しぶりで、途中からは涙腺が緩みっぱなしとなり、腹筋が笑うのを隣の家内に知られぬのに必死の鑑賞となりました。
 
 今月21日に戦争映画のDVDコレクションが発売され、テレビ画面よりコマーシャルが流れ、創刊号の「連合艦隊」の映像に「鶴田浩二」さんが敬礼姿で映ることから、昨日も購入しに行こうかと迷っていました。
 
 鶴田浩二さんは多くの戦争映画に出演していますが、自身が学徒出陣で飛行専修予備生徒(第14期生)で、日本が降伏した際には大井海軍航空隊に所属する整備科予備士官であり、出撃する特攻機を見送る立場にありました。
 
イメージ 2 鶴田さんの主演作品『雲ながるる果てに』(くもながるるはてに)は、昭和28年に公開された映画ですが、原作は、海軍飛行専修予備学生(特攻隊)として出撃して亡くなった青年たちの遺稿集『雲ながるる果てに 戦歿飛行予備学生の手記』である。
 
 この作品のあらすじは、昭和20年春、本土の南端にある特別攻撃隊基地で、命を棄てる覚悟をした若者たちが今生の思い出となるべき日々を過ごしていた。勇ましく死を覚悟しながらも、この世に残すものに対する愛着や未練がかれらを包み込んでしまう。やがて仲間がひとりひとり大空に向って飛び立っていくというもので、鶴田さんの出演した多くの戦争映画でも特筆される映画ともなりました。
 
 本日鑑賞した「永遠の0」についても、作者が戦争で生き残った人々の聞き取りをしているため、命に対する葛藤は共通しているものの、出演者に大きな違いがあり、「雲ながるる果てに」に出演した鶴田さん以外にも、木村功さんや、西村晃さん、高原駿雄 さんなど学徒出陣した経験者が多数出演しているため、平和な世の中に生まれた原作者や出演者とは緊迫感が違います。
 
 原作者の百田 尚樹さんについて、本日までほとんど予備知識もありませんでしたが、安倍首相と志を一緒にしているような発信もあり、日本軍創設を主張し、渡部昇一氏との対談で「安倍政権では、もっとも大きな政策課題として憲法改正に取り組み、軍隊創設への道筋をつくっていかねばなりません」と述べていると聞くと、本日鑑賞した「永遠の0」では何を主張していたのか判らなくなってきました。
 
 さて、我家には鶴田浩二さんの映画作品が100本程度収集されていますが、いずれもビデオテープの作品のため、最近は見たこともなく、現状はかなりフイルムが劣化して音声も低下している可能性が高いため、何とかDVDに記録しなおし、多くの人々に鑑賞してもらいたいと思う一日となりました。
 
この一言の満10年までのカウントダウン、あと17日
                                   1月26日の一言 
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